食人の鬼
●
起きているのか、寝ているのか感じ取れない檻の中。
幾数百年同じ空気を吸って、吐いてきた。
けれどある日、いくら押しても開かなかった岩戸から光が漏れていた。
久々に目には光が灯り、視界というものが未だ存在している事に笑えた。
僅かな隙間から見えた外へ、出たいとこじ開け両腕が痺れた。
新しい空気を肺に取り込んだ瞬間、そうだ自分は生きているのだと気づかされた。
これは両腕、両足、身体、顔。
髪の毛に隠れて見えづらいものの、角もある。
暫くぼうっとしていると、顔がしわくちゃで背中が曲がった女が話しかけてきた。
迷子か? と。
こんな山奥に子供はいないと。
馬鹿にするな。子供では無い。女など、一口で食ってくれるわ!
だが優しくされるのも、心配されるのも悪くはなかった。
いつの間にか手を引かれ。
いつの間にか住み込んで。
それから、いつの間にか数年が経っていた。
相変わらず、身長は全く伸びなかった。
ある日、女が家に帰ってこなくなった。
女は一人でこの汚い家に住んでいたから、必然的に一人になった。
土砂降りの雨の日であった。空は昼刻でも真っ暗で、遠くでは雷が鳴っていた。
それから夜になって、また朝が来て、また夜になって、朝になってを繰り返した。
両膝を抱えて玄関に座ったまま、岩の様に待ち続けた。
いくらでも待つ。
「どうして帰ってこないんだ」
待つよ。
「撫でて……おばあちゃん」
お腹が、すいた。
最初は虫を食べた。次は鳥を食べた。次は猫を食べた。次は猪を食べた。次は熊を食べた。
―――笑い声が聞こえた。しわくちゃの手と顔を持った男だった。
「帰ってこない。隠したんだろ、おまえらが、隠したんだろ!!」
そして、人間を食べた。
●
酷い雨の日であった。空は昼だというのに真っ暗で、雷神様はさぞお怒りのご様子であった。
あまり動かぬ足で帰路を急いだ女。背には子へと食べさす鶏が入っていた。
だが不運にも、山道で滑り転落していく。
誰にも見つけて貰えず、誰にも助けて貰えず。折れた足と腕で必死にもがきながら苦しんで。
泣きながら、子の名を叫び続けた。掠れた声で、何度も、何度も。
無情にも、雨音と雷が全ての音をかき消していた。
●
「出るのだ。幽霊が」
『小鬼百合』樹神 枢(nCL2000060)は言った。
暗い部屋で、懐中電灯の光を顔の下からあてている。
数秒……固まってから、電気をつけて懐中電灯の光を消した。
「とある山に、老婆の幽霊が出るのだ。
何かを探しているのだが……人間を捕まえようとしているようで。早々に退治して欲しいのだ」
枢は、覚者たちに新聞から切り取ったペラを見せた。
書かれているのは、年老いた女の遺体が三中、崖下から白骨化の状態で見つかったもの。
「これと関連がある。
それと……幽霊だけじゃなくて、古妖も出るのだ。食人鬼一族の生き残りなのだが……別に食べれるなら人間じゃなくてもいいって、つい最近まで大人しかったものを、今は我を忘れてしまってな。
このままだと、廃屋を片付けに行く人間が食われかねん。というか相馬が視た夢だと食った。それは止めねばならんことだな。
この鬼は強いから戦闘となっても勝てるかはわからない。目を覚ましてやるだけでいいのだ。破綻者や妖よりは、話ができて、筋が通っていれば聞き入れてくれる者もおるのが古妖だからな」
それと、と枢は付け足した。
「山は今、一般人が入れないようにしてあるから、山に誰かが入る心配はないぞ。
幽霊は人間を探しているから、皆が入れば自然と幽霊は近づいてくるであろう。古妖の居場所も、古い廃屋にいると分かっているぞ。気をつけてな」
起きているのか、寝ているのか感じ取れない檻の中。
幾数百年同じ空気を吸って、吐いてきた。
けれどある日、いくら押しても開かなかった岩戸から光が漏れていた。
久々に目には光が灯り、視界というものが未だ存在している事に笑えた。
僅かな隙間から見えた外へ、出たいとこじ開け両腕が痺れた。
新しい空気を肺に取り込んだ瞬間、そうだ自分は生きているのだと気づかされた。
これは両腕、両足、身体、顔。
髪の毛に隠れて見えづらいものの、角もある。
暫くぼうっとしていると、顔がしわくちゃで背中が曲がった女が話しかけてきた。
迷子か? と。
こんな山奥に子供はいないと。
馬鹿にするな。子供では無い。女など、一口で食ってくれるわ!
だが優しくされるのも、心配されるのも悪くはなかった。
いつの間にか手を引かれ。
いつの間にか住み込んで。
それから、いつの間にか数年が経っていた。
相変わらず、身長は全く伸びなかった。
ある日、女が家に帰ってこなくなった。
女は一人でこの汚い家に住んでいたから、必然的に一人になった。
土砂降りの雨の日であった。空は昼刻でも真っ暗で、遠くでは雷が鳴っていた。
それから夜になって、また朝が来て、また夜になって、朝になってを繰り返した。
両膝を抱えて玄関に座ったまま、岩の様に待ち続けた。
いくらでも待つ。
「どうして帰ってこないんだ」
待つよ。
「撫でて……おばあちゃん」
お腹が、すいた。
最初は虫を食べた。次は鳥を食べた。次は猫を食べた。次は猪を食べた。次は熊を食べた。
―――笑い声が聞こえた。しわくちゃの手と顔を持った男だった。
「帰ってこない。隠したんだろ、おまえらが、隠したんだろ!!」
そして、人間を食べた。
●
酷い雨の日であった。空は昼だというのに真っ暗で、雷神様はさぞお怒りのご様子であった。
あまり動かぬ足で帰路を急いだ女。背には子へと食べさす鶏が入っていた。
だが不運にも、山道で滑り転落していく。
誰にも見つけて貰えず、誰にも助けて貰えず。折れた足と腕で必死にもがきながら苦しんで。
泣きながら、子の名を叫び続けた。掠れた声で、何度も、何度も。
無情にも、雨音と雷が全ての音をかき消していた。
●
「出るのだ。幽霊が」
『小鬼百合』樹神 枢(nCL2000060)は言った。
暗い部屋で、懐中電灯の光を顔の下からあてている。
数秒……固まってから、電気をつけて懐中電灯の光を消した。
「とある山に、老婆の幽霊が出るのだ。
何かを探しているのだが……人間を捕まえようとしているようで。早々に退治して欲しいのだ」
枢は、覚者たちに新聞から切り取ったペラを見せた。
書かれているのは、年老いた女の遺体が三中、崖下から白骨化の状態で見つかったもの。
「これと関連がある。
それと……幽霊だけじゃなくて、古妖も出るのだ。食人鬼一族の生き残りなのだが……別に食べれるなら人間じゃなくてもいいって、つい最近まで大人しかったものを、今は我を忘れてしまってな。
このままだと、廃屋を片付けに行く人間が食われかねん。というか相馬が視た夢だと食った。それは止めねばならんことだな。
この鬼は強いから戦闘となっても勝てるかはわからない。目を覚ましてやるだけでいいのだ。破綻者や妖よりは、話ができて、筋が通っていれば聞き入れてくれる者もおるのが古妖だからな」
それと、と枢は付け足した。
「山は今、一般人が入れないようにしてあるから、山に誰かが入る心配はないぞ。
幽霊は人間を探しているから、皆が入れば自然と幽霊は近づいてくるであろう。古妖の居場所も、古い廃屋にいると分かっているぞ。気をつけてな」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の討伐
2.古妖を目を覚まさせる
3.上記二つの達成
2.古妖を目を覚まさせる
3.上記二つの達成
●状況
・とある山に人を食う古妖と、人を襲う妖が出る。
古妖はわれを忘れて暴走しているようで、妖は存在が迷惑なので、どうにかして貰いたい
両敵の居場所はわかっている。
一般人が近づく恐れは無い。
時間帯や、やり方は任せるが、この古妖は圧倒的に強いので、倒す場合は難易度が跳ね上がる
●妖:老婆
・発見された遺体の怨念だと思われる
ランク1、攻撃は打撃が基本で見た目に反して俊敏に動く
特に目立ってBS付与などは行っては来ないが、物理攻撃の威力はほぼほぼ通さない
『人間』を見つけては攫おうとする為、覚者が山に入ると寄ってくる
体温は無い、足音もしない(飛行はしないが常時低空飛行)
●古妖:食人鬼
・暴走状態。人間を見つけ次第食う動作に入るくらいに腹をすかしている
まともに倒そうとすると、相当骨が折れます
思考としては、本来なら人間のような欲や勘ぐりや雑念は無く、どちらかというと本能に忠実な性格です
単純な一撃の威力が高いです
攻撃は、
鬼爪 物・近・貫通・BS出血、ダメージ中
蝕牙 物・近・単体・ダメージ大、BS痺れ
暴走状態 P:爪が長く牙も鋭く、戦闘形態
●マップ
・夜は視界が暗く、足元は不安定な山
民家は廃屋で、床がそこ抜ける程度には
ご縁がありましたら、よろしくお願いします
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
5日
5日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年09月13日
2015年09月13日
■メイン参加者 8人■

●
水の中、という程でも無いが。腕や足が粘り着く程には、雨上がりの湿気帯びた日であった。
傾いたサングラスを直しながら、『お察しエンジェル』シャロン・ステイシー(CL2000736)は見上げた。太陽は天高く、地上を容赦なく焼いている。かろうじて、土に含まれた雨水が蒸発し、僅かに涼しい風が吹くときだけは心地好い。
シャロンがいたのは、事故現場だ。新聞の小さな小さな記事の。
「なにも、残っていないか」
懇切丁寧に現場検証したのであろう。数日も経っているからか、そこにはもう何も無い。
「どれくらいで来るものか……」
『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)は、蚊に刺された腕を掻きながら言った。
「さあのぅ……」
『木暮坂のご隠居』木暮坂 夜司(CL2000644)は、飛んでいた蚊を両手で潰しながら言った。
――F.I.V.E.
彼等は先に妖をどうにかする事に決めていた為、妖――老婆の襲来を待っていた。
……とは言え、人の手が行き届いていない山の中だ。道らしい道は無く、虫や蚊は多い。辛うじて、道は急な坂というよりは緩やかな傾斜が続くだけであり、歩きやすいといえば歩きやすいのだが。
「お願いしますわ」
『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)は、守護使役ガルムにかぎわけるを依頼。こくんと頷いたガルムは、足下を這うようにして進んでいく。果たして霊とやらに臭いがあるのかは、些か疑問ではあるものの。試してみない手はない。
「ここよりも、あちらのほうが開けているようです。ここらへんで妖は出て来るみたいですが、あっちへ行きませんか?」
「そうだね。こんな木だらけの所で戦うよりは、あっちへいこうか」
『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)木々の間を指差した。小型の動物が動いており、こちらに気づいた瞬間奥へと消えて行く。
四条・理央(CL2000070)がそちらの方へ歩き出し、仲間も一緒に彼女の軌跡を追っていった。
「はあ。鬼よりこっちが腹減ってきたかも」
鳳 結衣(CL2000914)は大きく欠伸をしてから、お腹のあたりを撫でた。時刻は昼飯時か、昼過ぎか。
しかしその時であった。ガルムが何かを嗅ぎ分けた、というよりは、何かを聞いたのか耳がぴくりと動いた。
「どうしたのですか、ガル――」
「――……しっ。何か、聞こえない?」
指崎 まこと(CL2000087)は、喋ろうとしたいのりの口元に手を当て制止。
奥。
奥だ。
何か、音がする。
「ほう、来た……かの」
ガサ。
これは足音では無い。
「ガルム、こっちに戻って来てっ」
ガサガサ。
木々の間、草をかき分けて。
「皆、戦闘準備はいいね? 僕は、前に出るよ」
ガサガサガサガサガサ。
『ダ……だ、レ………がゥ……ダレガイィイ……ダレダレダレダガアア!!!』
●
「や、や、や……山姥あああああ!!?」
禊は叫んだと同時に、草影より空中を滑るようにしてふっ飛んできた老婆。右腕は高く上がり、異様に長い爪が繰り出されれば、身体が裂けるも簡単だ。
最も早く動けた灯が、禊と老婆の間に身体を滑り込ませた。五指の先が彼女の身体を撫でれば、服は張り裂け肉が削れる。唇を噛んで耐えた灯、早過ぎて見えない攻撃の軌跡。成程、俊敏というのは本当の事。
されど、その場に居た誰もが反撃を行わなった。
「大丈夫?」
「ええ、こんなの掠り傷」
ふらりと揺れた灯の身体をまことが支え、更に手前に理央が出る。
「現せ。真の姿!!」
彼女の指の間に挟んだ札が風化して消えた、周囲に柔らかい風が、理央を中心にして渦を描く。
そして、背後に出現したのは優し気な老婆であった。目の前の、鬼の形相の老婆とは別人と思える程の。
老婆の瞑った瞳が少しずつ開いていく。完全に開いた時、大粒の涙を流しながら両手で顔を覆った。
『嗚呼、嗚呼ッ!! あの子が、鬼の子が、腹をすかせて泣いている。わしが、わしがこんな事になったばかりに!!
ならせめて、あの子にわしの最期を告げて。誰か、あの子にもう婆は帰らぬと。今でも待っているに違いない、今でもわしを待っているに違いない!!
誰か、誰か、――……虎徹を』
夜司はハっとした。虎徹、恐らくそれは鬼の名か。問いただそうとしたその時、妖の老婆は泣き崩れる老婆の影を切り裂いた。
『ダレ、ニンゲン、サガス、ダレギギギギ……』
「そう、そうなのね」
理央の瞳が細くなっていく。
そうか。
妖は老婆の無念の怨念であり、あの泣き崩れた老婆とは別個体。
別のものであるが、元は同じもの。
老婆の強張んだ形相も、今では泣いている様にも見えて来る。しかし妖は成仏はすることもなく、消えることもない。
「つまりじゃあ、目の前のこれは討伐しないといけない、ていうことだよね」
結衣の足下より炎が巻き上がる。腕へとはりついたそれを球として形成、投げ、老婆はそれを食えば体内で爆発が起き、口から煙を吐いた。
「この妖が人間を探すだけでは解決しない。その前に、妖がいれば人間は山にさえ入らない」
(すみません……貴方は決して悪い人では無いのでしょうけれど)
シャロンといのりが片腕を上げれば、それまで天気が良かった天上に暗雲。雨は降らないが、落雷がふたつ老婆へと落ちた。痺れたか、ぴくりぴくりと動く老婆、口から泡を吹いても形相は鬼のままではあるが。
「そうだね、だから覚者が必要だった。だから、あたし達がいるんだ!」
禊は老婆の背後へ回り込む。
不安定であるが、地面へと手をつき逆立ちし、廻した脚で老婆の背を打撃。
「でも、安心してよ。鬼の子は僕等が、これからどうにかしにいくから……さ」
禊の威力にふらついた老婆へ、まことは高圧縮の空気砲を放つ。腹部にそれが直撃、「ぎゃあ!」と叫んだ老婆。
「あとは、見守っておくのが老いたもののできる務めじゃよ」
「未練があるのは分かります。ですが、安心して、逝ってください」
老人の姿から、一気へ時間を遡った夜司。そしてトンファーを構えた、灯。
同時に抜刀した刀が、研ぎ澄まされた格闘の一打が、老婆を――。
――虎徹。すまなかったね。
影が、弾けて消えた。
●
どうしておばあちゃんは帰って来ないのだろう。
僕が全ていけないのだろうか。
なんであれ、おばあちゃんに聞いてみないことには、はじまらない。
「おーい、古妖くーん」
神隠しされてしまったのかな、そうだったら許さない。
神でも僕は食ってやる。
「おーい、古妖くんいるんでしょー!」
……ん?
人の音(と)がする。おばあちゃん!! ……じゃない、声は若い。こいつらか、こいつらがおばあちゃんを隠した神か? 障子の覗き穴からみてみよう。
「おーい!」
声を出しているのは巫女服の一つ結びの女子(おなご)か。食える、柔らかそうだ。
いいにおいもする。生肉を火にかけているのが見えた、あの銀髪、そんな勿体無い。血もついてるからこそ美味いであろうに、ああ、ああ、だがなんだこのにおい、いいにおいだ。
う……おなかすいたな。今はそれより敵をどうするかだ。
扉を開けた、外へ出た、新鮮な空気を肺に取り込んだ。衝撃で扉が壊れたが構ってられるか。
「出て来た!!」
そうだ来てやった、鬼様だ!!
全ては復讐の為。もうそれしか考えられない。
『おまえらが、おまえらが隠したんだろ!!』
叫んでしまっていた。地響く声に、全員の身体が震えた事だろう。
「待って、僕達は」
目の前に飛び込んで来たのは金髪の男だ。邪魔だ、あの巫女服が食えない、ならばお前から食ってやる。
僕の牙は強いんだ。お前みたいな細い男小(おのこ)なんてすぐに千切れる。
肩を噛――なに!!?
この金髪硬い!! なんだ、服の下に土の臭いがする。術者か!! 土も食った、まずい!!
だが負けやしない、肉を噛み千切り骨を潰す。
この状況で笑えるのか、この金髪。
しかしこいつの近くにいると落ち着く……いや、惑わされるな。これも術よ。しっかりしろ僕!
「僕らは君の敵じゃない」
何言ってるんだ! 惑わすつもりなのだろう。
「落ち着いて、ください」
この蒼い髪の女。武器も何も持たず、死にに来たに違いない。次はお前を食ってやる。
「大丈夫、敵じゃない」
ぐ、この蒼い女の優しい声……だが負けるか。
走っていけば三歩くらいでいけるはずだ……ああ!! 邪魔だ!! この金髪邪魔だ!!
さては大人数で今度は僕を神隠す気だな、そうはいかない。おばあちゃんの無念は僕が晴らす。
『食ってやる! 全員食ってやる!! 殺す、殺す!!』
「いいこだから、鎮まって。一緒にご飯食べよ、ね?」
蒼の声が優しい。けど、けど止まれない。
『がああ!!』
……ん?
あのしわくちゃの人間、持っているものからいいにおいがする。おばあちゃんあれを、べんとうと言っていたか。
「一緒に食べましょう? きっと皆で食べると美味しいはずですわ!」
そっちのちっこい三つ編みの人間も、べんとうを持っているのか。それよちお前の方が美味そうだ。
「私達は、お話しにきたのです」
この蒼髪! 距離近いな、綺麗な顔をしている女子だなじゅるり。
じゃなかった。離れろ!
「痛ッ! 弾き飛ばされたか……」
「流石鬼の子、侮れないか」
よし、金髪は退けたぞ。しわくちゃの人間が間に入ったか……こ、こいつはおいしくなさそうだな。
「ボク、こういう風景見たことある気がする」
むむ、奥にもう一人女子が居たか。めがねといったかあれは。警戒しなくては。どうだ、威嚇のポーズだ!!
「確かに。四つん這いで逆毛立ててる猫だね」
猫だと!?
この鬼である僕を猫だと!?
この赤い髪飾りの女!!
「ほーら、お肉だよー」
『ぐるるるるるるrrr……!!』
髪飾りの女、近づいて来る。肉を持って近づいて来る。
寄るな!!
「わわ! うあっちゃ、地面抉れる程の斬撃! まだ暴走状態かな」
「暴走状態ていうか、ほんと、戦闘態勢っていうか」
茶髪め、溜息吐いた! くく、僕の強さに成す術が無く吐いたんだな。だがもう遅い、ここから帰す訳にはいかない。
ここに来たのが運の尽き。ちっこい三つ編みが一番美味そうだ。骨まで噛み砕いてやるわ。
「じゃあ、お肉を置いて少し離れてみる?」
「押して駄目なら、引いてみるということじゃの」
銀髪の女めぇぇ、お肉を置きやがっただと。あいつらしかも後退している。
ふ、恐れを成したか。
「あ、ちょっとずつお肉に近づいて来るみたいだね。僕等はもうちょっと下がっておこうか」
逃がす訳無かろう。
……これ、食えるのか。この肉、炙られていたが。生のほうが美味いのに。
くんくん。
「においを嗅いでいるみたいですわね」
「なんかほんと、猫かな」
小さい女子と髪飾りの女子がこっちみてる。
やらないぞ、このお肉は……美味そうだな、ああ、もう無理。涎が止まらない。
●
「相当、お腹をすかしていらっしゃったのですわね。あ、この唐揚げも美味しいですわよ」
『からあげとな、なんと面妖な!!』
いのりの箸から手づかみで頬張る。
暫く、言葉も発さずに鬼の子は肉や弁当を手掴みしては、口に運んでいた。
『はむはむっ、んぐ!? ぅぎぎぐ!?』
「ああっ、水! ほら、これ飲んでください」
時折、喉に食べ物を詰まらせては灯が水を差し出すのを繰り替えす。
廃屋手前の、荒れた石畳みに座りながら弁当の中の唐揚げや米を掴んで咀嚼する姿に、八人の覚者たちも驚いていた。
腹が膨れて、戦意も去ったのだろう。
先程よりも鬼の子の殺意に彩られた瞳は、穏やかな少年のものに戻っている。
右手をまことが握っていた。逃げないようにでは無い、思いが伝わるようにだ。
『おまえ、ああ身体をはっているのか? 身体、持たないぞ』
「うーん」
『護ってやろうか?』
鬼子は握られていたまことの腕を噛んだ。
『それで。おまえたちは、なんなんだ?』
「これだね」
理央は新聞の切り抜きを見せた。
『は、で、の、を、した?』
捜索隊は、崖下で身元不明の死体を発見した。
「ああ、文字。読めないのね。ひらがなだけは辛うじて読めるんだね」
理央は新聞の中身を事細かく説明した。
ありのままに、真実を。虚言をついたところで、この鬼に何の為になることか。
鬼の子は終始、理央の説明を真摯に聞いていた。特に泣きもせず、理央の瞳だけを見つめて。
そっと、理央は鬼の頭を撫でた。飛び出た角が二本見える。
「鬼の寿命は永い。だが人は儚き短命の身。それでも老婆はおぬしに糧を与え愛を注いだ……老婆は最期までおぬしの名を呼んでおった」
『そうか。彼女は逝ったか』
夜司は思い出す。何かを探して、両腕を天に仰いで死んだ老婆の姿を。理央の術に降ろされた老婆の泣き顔を。
空を見て、瞳に潤んだそれを落すまいと鬼はした。夜司は泣いても良いと言おうとしたのだが、鬼の尊厳もあるのだろう。
禊は悲しみ帯びる顔を見せまいとしたが、かといって笑うのもおかしいと。真剣な無表情のままだ。
「一人は、寂しいよね」
『ずっと一人だった』
「私は、あなたの苦しみを消すことはできない。だけど、その苦しみごと抱きしめることはできるから」
『むぎゅっ』
禊はそっと、小さな鬼の身体を抱きしめた。待ち続けていたのだろう、汗の臭いと血の臭いがする。熊でも食ったのか。
さり気なく鬼は禊の首筋を噛んだ。
「食べないでぇ」
がぶがぶ。
禊の身体に身体を寄せるようにして、鬼は頬を擦り付けた。小さなこの子が普通の人間の子と何が違うというのか、禊は思う。
孤独であった当初は幸せであったかもしれない。
穴の奥で深い眠りについておけば、寂しさや苦しみも感じなかった事だろう。だがそれは同時に、楽しみや温もりも知らないままという事。
「貴方のお婆様と同じく、いのりの両親ももういません。
でもいのりは両親がいのりに注いでくれた愛、託した思い、それを決して忘れない。貴方もお婆様が貴方に示してくれた愛情を覚えているのでしょう?」
『……愛情な。人間からの愛情な』
「なら貴方に望んだ願いも覚えている筈です。どうかそれを思い出して下さい」
できればせめて、人間は食べないで欲しいと。
いのりは、言葉にそう思いを込めた。己のトラウマになりそうなレベルの事を掘り下げてまで、鬼に物言うのは酷であったろうに違いないはずなのに。
禊から身体を離した鬼は、いのりをじっと見つめた。背丈は同じくらいであろうか。揺れる金色の瞳は、穢れの一点さえない。
『キミも、大変だったんだな』
「いのりは」
苦笑しながら、大丈夫ですと震える声。
「老婆はお前を育てたかったんだろうと思う。老婆もお前と同様孤独でさびしかったんだろうよ」
小さな鬼の子の目線に、足を折って高さをあわせたシャロン。
それは正に、生き物が別種の生物の子供を育てるという稀に発生する物事のように。老婆もまた、鬼の子を育てようと思ったのだろう。
この山奥で、ほぼ誰も入って来ない土地で。少しの食料と、水と、寝場所を持って、一人で過ごす老婆も寂しかったであろう。
彼女の形見さえ、鬼へ残せないのは悔やまれる点ではあるのだが、仕方ないか。
今頃、老婆は無縁仏として処理されている事だろう。
「お婆さんは居なくなってしまいましたが……それでも。これからもお婆さんの子供でいませんか?」
灯は、まこととは違う方の手を握った。握り返してくれた力は相当強かった。
『人間の子として?』
「いえ、おばあさんの子供として」
『人間の一生は、僕のほんの少しだ。婆より僕は遥かに生きているから、子供では無いが……悪くなかった』
ぽろり、一粒落ちた涙を灯は拭う。
「じゃあこれは?!」
結衣は生きたままの鶏を片手に、自分と鶏を交互に指す。
「君の食べたいのは鶏とあたし、どっち!」
ある意味これは究極の選択だ。結衣を選べば鬼の本能を、鶏を選べば老婆の言いつけを護る事を。
「でもね、君を育ててくれたお婆ちゃんは普通の物を食べて欲しいって思ってるよ!」
立ち上がった鬼の子は、結衣の腕を噛んだ。血は出ない、甘噛み。
『本当はこっち。でも、こっちで我慢してやる』
バサバサと暴れる鶏を掴んで、鬼の子は結衣を噛んだ傷口を舐めた。ごめんね、という気持ちを込めて。
お弁当のゴミを片付けながら、夜司は言う。
「さて鬼の子よ、これからどうする。老婆の墓守として生きるも山に帰るもおぬしの自由じゃ」
提示する問。シャロンも同じく、鬼の頭を撫でながら言った。
「これからは自分の家族つくって暮らすようにならないとさ」
鬼のつがいがいるかは知らないが。恐らく人間を嫁にすれば大丈夫であろう。
「良かったら、僕らの街に来ない? ひとりぼっちだと、彼女が心配しちゃうでしょ?」
そして、まことの腕から、鬼の子の手が離れた。
『ここに残る。やることが、ある。仲間も探しに』
でも。
『おまえらが大変なとき、助けてやる、気が向いたらな。さあ、日が沈む前に帰るがいい。なに、もう人は襲わぬぞ』
「おぬしは鬼の子、そして人の子じゃ」
にこ、と笑った鬼。
『悪くない』
帰り道。
鬼子の鬼火が山を降りるまで照らし続けていた。
それからというもの、この山で遭難する人間の数が零になったという。
山で落盤や事故、遭難にあった人々は次々に言ったのだ。
子供だ。
子供が助けてくれた――と。祀れ、祀れ、供物は肉が良い。それも鶏肉で、たまには弁当も食いたいとか言っていた。
水の中、という程でも無いが。腕や足が粘り着く程には、雨上がりの湿気帯びた日であった。
傾いたサングラスを直しながら、『お察しエンジェル』シャロン・ステイシー(CL2000736)は見上げた。太陽は天高く、地上を容赦なく焼いている。かろうじて、土に含まれた雨水が蒸発し、僅かに涼しい風が吹くときだけは心地好い。
シャロンがいたのは、事故現場だ。新聞の小さな小さな記事の。
「なにも、残っていないか」
懇切丁寧に現場検証したのであろう。数日も経っているからか、そこにはもう何も無い。
「どれくらいで来るものか……」
『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)は、蚊に刺された腕を掻きながら言った。
「さあのぅ……」
『木暮坂のご隠居』木暮坂 夜司(CL2000644)は、飛んでいた蚊を両手で潰しながら言った。
――F.I.V.E.
彼等は先に妖をどうにかする事に決めていた為、妖――老婆の襲来を待っていた。
……とは言え、人の手が行き届いていない山の中だ。道らしい道は無く、虫や蚊は多い。辛うじて、道は急な坂というよりは緩やかな傾斜が続くだけであり、歩きやすいといえば歩きやすいのだが。
「お願いしますわ」
『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)は、守護使役ガルムにかぎわけるを依頼。こくんと頷いたガルムは、足下を這うようにして進んでいく。果たして霊とやらに臭いがあるのかは、些か疑問ではあるものの。試してみない手はない。
「ここよりも、あちらのほうが開けているようです。ここらへんで妖は出て来るみたいですが、あっちへ行きませんか?」
「そうだね。こんな木だらけの所で戦うよりは、あっちへいこうか」
『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)木々の間を指差した。小型の動物が動いており、こちらに気づいた瞬間奥へと消えて行く。
四条・理央(CL2000070)がそちらの方へ歩き出し、仲間も一緒に彼女の軌跡を追っていった。
「はあ。鬼よりこっちが腹減ってきたかも」
鳳 結衣(CL2000914)は大きく欠伸をしてから、お腹のあたりを撫でた。時刻は昼飯時か、昼過ぎか。
しかしその時であった。ガルムが何かを嗅ぎ分けた、というよりは、何かを聞いたのか耳がぴくりと動いた。
「どうしたのですか、ガル――」
「――……しっ。何か、聞こえない?」
指崎 まこと(CL2000087)は、喋ろうとしたいのりの口元に手を当て制止。
奥。
奥だ。
何か、音がする。
「ほう、来た……かの」
ガサ。
これは足音では無い。
「ガルム、こっちに戻って来てっ」
ガサガサ。
木々の間、草をかき分けて。
「皆、戦闘準備はいいね? 僕は、前に出るよ」
ガサガサガサガサガサ。
『ダ……だ、レ………がゥ……ダレガイィイ……ダレダレダレダガアア!!!』
●
「や、や、や……山姥あああああ!!?」
禊は叫んだと同時に、草影より空中を滑るようにしてふっ飛んできた老婆。右腕は高く上がり、異様に長い爪が繰り出されれば、身体が裂けるも簡単だ。
最も早く動けた灯が、禊と老婆の間に身体を滑り込ませた。五指の先が彼女の身体を撫でれば、服は張り裂け肉が削れる。唇を噛んで耐えた灯、早過ぎて見えない攻撃の軌跡。成程、俊敏というのは本当の事。
されど、その場に居た誰もが反撃を行わなった。
「大丈夫?」
「ええ、こんなの掠り傷」
ふらりと揺れた灯の身体をまことが支え、更に手前に理央が出る。
「現せ。真の姿!!」
彼女の指の間に挟んだ札が風化して消えた、周囲に柔らかい風が、理央を中心にして渦を描く。
そして、背後に出現したのは優し気な老婆であった。目の前の、鬼の形相の老婆とは別人と思える程の。
老婆の瞑った瞳が少しずつ開いていく。完全に開いた時、大粒の涙を流しながら両手で顔を覆った。
『嗚呼、嗚呼ッ!! あの子が、鬼の子が、腹をすかせて泣いている。わしが、わしがこんな事になったばかりに!!
ならせめて、あの子にわしの最期を告げて。誰か、あの子にもう婆は帰らぬと。今でも待っているに違いない、今でもわしを待っているに違いない!!
誰か、誰か、――……虎徹を』
夜司はハっとした。虎徹、恐らくそれは鬼の名か。問いただそうとしたその時、妖の老婆は泣き崩れる老婆の影を切り裂いた。
『ダレ、ニンゲン、サガス、ダレギギギギ……』
「そう、そうなのね」
理央の瞳が細くなっていく。
そうか。
妖は老婆の無念の怨念であり、あの泣き崩れた老婆とは別個体。
別のものであるが、元は同じもの。
老婆の強張んだ形相も、今では泣いている様にも見えて来る。しかし妖は成仏はすることもなく、消えることもない。
「つまりじゃあ、目の前のこれは討伐しないといけない、ていうことだよね」
結衣の足下より炎が巻き上がる。腕へとはりついたそれを球として形成、投げ、老婆はそれを食えば体内で爆発が起き、口から煙を吐いた。
「この妖が人間を探すだけでは解決しない。その前に、妖がいれば人間は山にさえ入らない」
(すみません……貴方は決して悪い人では無いのでしょうけれど)
シャロンといのりが片腕を上げれば、それまで天気が良かった天上に暗雲。雨は降らないが、落雷がふたつ老婆へと落ちた。痺れたか、ぴくりぴくりと動く老婆、口から泡を吹いても形相は鬼のままではあるが。
「そうだね、だから覚者が必要だった。だから、あたし達がいるんだ!」
禊は老婆の背後へ回り込む。
不安定であるが、地面へと手をつき逆立ちし、廻した脚で老婆の背を打撃。
「でも、安心してよ。鬼の子は僕等が、これからどうにかしにいくから……さ」
禊の威力にふらついた老婆へ、まことは高圧縮の空気砲を放つ。腹部にそれが直撃、「ぎゃあ!」と叫んだ老婆。
「あとは、見守っておくのが老いたもののできる務めじゃよ」
「未練があるのは分かります。ですが、安心して、逝ってください」
老人の姿から、一気へ時間を遡った夜司。そしてトンファーを構えた、灯。
同時に抜刀した刀が、研ぎ澄まされた格闘の一打が、老婆を――。
――虎徹。すまなかったね。
影が、弾けて消えた。
●
どうしておばあちゃんは帰って来ないのだろう。
僕が全ていけないのだろうか。
なんであれ、おばあちゃんに聞いてみないことには、はじまらない。
「おーい、古妖くーん」
神隠しされてしまったのかな、そうだったら許さない。
神でも僕は食ってやる。
「おーい、古妖くんいるんでしょー!」
……ん?
人の音(と)がする。おばあちゃん!! ……じゃない、声は若い。こいつらか、こいつらがおばあちゃんを隠した神か? 障子の覗き穴からみてみよう。
「おーい!」
声を出しているのは巫女服の一つ結びの女子(おなご)か。食える、柔らかそうだ。
いいにおいもする。生肉を火にかけているのが見えた、あの銀髪、そんな勿体無い。血もついてるからこそ美味いであろうに、ああ、ああ、だがなんだこのにおい、いいにおいだ。
う……おなかすいたな。今はそれより敵をどうするかだ。
扉を開けた、外へ出た、新鮮な空気を肺に取り込んだ。衝撃で扉が壊れたが構ってられるか。
「出て来た!!」
そうだ来てやった、鬼様だ!!
全ては復讐の為。もうそれしか考えられない。
『おまえらが、おまえらが隠したんだろ!!』
叫んでしまっていた。地響く声に、全員の身体が震えた事だろう。
「待って、僕達は」
目の前に飛び込んで来たのは金髪の男だ。邪魔だ、あの巫女服が食えない、ならばお前から食ってやる。
僕の牙は強いんだ。お前みたいな細い男小(おのこ)なんてすぐに千切れる。
肩を噛――なに!!?
この金髪硬い!! なんだ、服の下に土の臭いがする。術者か!! 土も食った、まずい!!
だが負けやしない、肉を噛み千切り骨を潰す。
この状況で笑えるのか、この金髪。
しかしこいつの近くにいると落ち着く……いや、惑わされるな。これも術よ。しっかりしろ僕!
「僕らは君の敵じゃない」
何言ってるんだ! 惑わすつもりなのだろう。
「落ち着いて、ください」
この蒼い髪の女。武器も何も持たず、死にに来たに違いない。次はお前を食ってやる。
「大丈夫、敵じゃない」
ぐ、この蒼い女の優しい声……だが負けるか。
走っていけば三歩くらいでいけるはずだ……ああ!! 邪魔だ!! この金髪邪魔だ!!
さては大人数で今度は僕を神隠す気だな、そうはいかない。おばあちゃんの無念は僕が晴らす。
『食ってやる! 全員食ってやる!! 殺す、殺す!!』
「いいこだから、鎮まって。一緒にご飯食べよ、ね?」
蒼の声が優しい。けど、けど止まれない。
『がああ!!』
……ん?
あのしわくちゃの人間、持っているものからいいにおいがする。おばあちゃんあれを、べんとうと言っていたか。
「一緒に食べましょう? きっと皆で食べると美味しいはずですわ!」
そっちのちっこい三つ編みの人間も、べんとうを持っているのか。それよちお前の方が美味そうだ。
「私達は、お話しにきたのです」
この蒼髪! 距離近いな、綺麗な顔をしている女子だなじゅるり。
じゃなかった。離れろ!
「痛ッ! 弾き飛ばされたか……」
「流石鬼の子、侮れないか」
よし、金髪は退けたぞ。しわくちゃの人間が間に入ったか……こ、こいつはおいしくなさそうだな。
「ボク、こういう風景見たことある気がする」
むむ、奥にもう一人女子が居たか。めがねといったかあれは。警戒しなくては。どうだ、威嚇のポーズだ!!
「確かに。四つん這いで逆毛立ててる猫だね」
猫だと!?
この鬼である僕を猫だと!?
この赤い髪飾りの女!!
「ほーら、お肉だよー」
『ぐるるるるるるrrr……!!』
髪飾りの女、近づいて来る。肉を持って近づいて来る。
寄るな!!
「わわ! うあっちゃ、地面抉れる程の斬撃! まだ暴走状態かな」
「暴走状態ていうか、ほんと、戦闘態勢っていうか」
茶髪め、溜息吐いた! くく、僕の強さに成す術が無く吐いたんだな。だがもう遅い、ここから帰す訳にはいかない。
ここに来たのが運の尽き。ちっこい三つ編みが一番美味そうだ。骨まで噛み砕いてやるわ。
「じゃあ、お肉を置いて少し離れてみる?」
「押して駄目なら、引いてみるということじゃの」
銀髪の女めぇぇ、お肉を置きやがっただと。あいつらしかも後退している。
ふ、恐れを成したか。
「あ、ちょっとずつお肉に近づいて来るみたいだね。僕等はもうちょっと下がっておこうか」
逃がす訳無かろう。
……これ、食えるのか。この肉、炙られていたが。生のほうが美味いのに。
くんくん。
「においを嗅いでいるみたいですわね」
「なんかほんと、猫かな」
小さい女子と髪飾りの女子がこっちみてる。
やらないぞ、このお肉は……美味そうだな、ああ、もう無理。涎が止まらない。
●
「相当、お腹をすかしていらっしゃったのですわね。あ、この唐揚げも美味しいですわよ」
『からあげとな、なんと面妖な!!』
いのりの箸から手づかみで頬張る。
暫く、言葉も発さずに鬼の子は肉や弁当を手掴みしては、口に運んでいた。
『はむはむっ、んぐ!? ぅぎぎぐ!?』
「ああっ、水! ほら、これ飲んでください」
時折、喉に食べ物を詰まらせては灯が水を差し出すのを繰り替えす。
廃屋手前の、荒れた石畳みに座りながら弁当の中の唐揚げや米を掴んで咀嚼する姿に、八人の覚者たちも驚いていた。
腹が膨れて、戦意も去ったのだろう。
先程よりも鬼の子の殺意に彩られた瞳は、穏やかな少年のものに戻っている。
右手をまことが握っていた。逃げないようにでは無い、思いが伝わるようにだ。
『おまえ、ああ身体をはっているのか? 身体、持たないぞ』
「うーん」
『護ってやろうか?』
鬼子は握られていたまことの腕を噛んだ。
『それで。おまえたちは、なんなんだ?』
「これだね」
理央は新聞の切り抜きを見せた。
『は、で、の、を、した?』
捜索隊は、崖下で身元不明の死体を発見した。
「ああ、文字。読めないのね。ひらがなだけは辛うじて読めるんだね」
理央は新聞の中身を事細かく説明した。
ありのままに、真実を。虚言をついたところで、この鬼に何の為になることか。
鬼の子は終始、理央の説明を真摯に聞いていた。特に泣きもせず、理央の瞳だけを見つめて。
そっと、理央は鬼の頭を撫でた。飛び出た角が二本見える。
「鬼の寿命は永い。だが人は儚き短命の身。それでも老婆はおぬしに糧を与え愛を注いだ……老婆は最期までおぬしの名を呼んでおった」
『そうか。彼女は逝ったか』
夜司は思い出す。何かを探して、両腕を天に仰いで死んだ老婆の姿を。理央の術に降ろされた老婆の泣き顔を。
空を見て、瞳に潤んだそれを落すまいと鬼はした。夜司は泣いても良いと言おうとしたのだが、鬼の尊厳もあるのだろう。
禊は悲しみ帯びる顔を見せまいとしたが、かといって笑うのもおかしいと。真剣な無表情のままだ。
「一人は、寂しいよね」
『ずっと一人だった』
「私は、あなたの苦しみを消すことはできない。だけど、その苦しみごと抱きしめることはできるから」
『むぎゅっ』
禊はそっと、小さな鬼の身体を抱きしめた。待ち続けていたのだろう、汗の臭いと血の臭いがする。熊でも食ったのか。
さり気なく鬼は禊の首筋を噛んだ。
「食べないでぇ」
がぶがぶ。
禊の身体に身体を寄せるようにして、鬼は頬を擦り付けた。小さなこの子が普通の人間の子と何が違うというのか、禊は思う。
孤独であった当初は幸せであったかもしれない。
穴の奥で深い眠りについておけば、寂しさや苦しみも感じなかった事だろう。だがそれは同時に、楽しみや温もりも知らないままという事。
「貴方のお婆様と同じく、いのりの両親ももういません。
でもいのりは両親がいのりに注いでくれた愛、託した思い、それを決して忘れない。貴方もお婆様が貴方に示してくれた愛情を覚えているのでしょう?」
『……愛情な。人間からの愛情な』
「なら貴方に望んだ願いも覚えている筈です。どうかそれを思い出して下さい」
できればせめて、人間は食べないで欲しいと。
いのりは、言葉にそう思いを込めた。己のトラウマになりそうなレベルの事を掘り下げてまで、鬼に物言うのは酷であったろうに違いないはずなのに。
禊から身体を離した鬼は、いのりをじっと見つめた。背丈は同じくらいであろうか。揺れる金色の瞳は、穢れの一点さえない。
『キミも、大変だったんだな』
「いのりは」
苦笑しながら、大丈夫ですと震える声。
「老婆はお前を育てたかったんだろうと思う。老婆もお前と同様孤独でさびしかったんだろうよ」
小さな鬼の子の目線に、足を折って高さをあわせたシャロン。
それは正に、生き物が別種の生物の子供を育てるという稀に発生する物事のように。老婆もまた、鬼の子を育てようと思ったのだろう。
この山奥で、ほぼ誰も入って来ない土地で。少しの食料と、水と、寝場所を持って、一人で過ごす老婆も寂しかったであろう。
彼女の形見さえ、鬼へ残せないのは悔やまれる点ではあるのだが、仕方ないか。
今頃、老婆は無縁仏として処理されている事だろう。
「お婆さんは居なくなってしまいましたが……それでも。これからもお婆さんの子供でいませんか?」
灯は、まこととは違う方の手を握った。握り返してくれた力は相当強かった。
『人間の子として?』
「いえ、おばあさんの子供として」
『人間の一生は、僕のほんの少しだ。婆より僕は遥かに生きているから、子供では無いが……悪くなかった』
ぽろり、一粒落ちた涙を灯は拭う。
「じゃあこれは?!」
結衣は生きたままの鶏を片手に、自分と鶏を交互に指す。
「君の食べたいのは鶏とあたし、どっち!」
ある意味これは究極の選択だ。結衣を選べば鬼の本能を、鶏を選べば老婆の言いつけを護る事を。
「でもね、君を育ててくれたお婆ちゃんは普通の物を食べて欲しいって思ってるよ!」
立ち上がった鬼の子は、結衣の腕を噛んだ。血は出ない、甘噛み。
『本当はこっち。でも、こっちで我慢してやる』
バサバサと暴れる鶏を掴んで、鬼の子は結衣を噛んだ傷口を舐めた。ごめんね、という気持ちを込めて。
お弁当のゴミを片付けながら、夜司は言う。
「さて鬼の子よ、これからどうする。老婆の墓守として生きるも山に帰るもおぬしの自由じゃ」
提示する問。シャロンも同じく、鬼の頭を撫でながら言った。
「これからは自分の家族つくって暮らすようにならないとさ」
鬼のつがいがいるかは知らないが。恐らく人間を嫁にすれば大丈夫であろう。
「良かったら、僕らの街に来ない? ひとりぼっちだと、彼女が心配しちゃうでしょ?」
そして、まことの腕から、鬼の子の手が離れた。
『ここに残る。やることが、ある。仲間も探しに』
でも。
『おまえらが大変なとき、助けてやる、気が向いたらな。さあ、日が沈む前に帰るがいい。なに、もう人は襲わぬぞ』
「おぬしは鬼の子、そして人の子じゃ」
にこ、と笑った鬼。
『悪くない』
帰り道。
鬼子の鬼火が山を降りるまで照らし続けていた。
それからというもの、この山で遭難する人間の数が零になったという。
山で落盤や事故、遭難にあった人々は次々に言ったのだ。
子供だ。
子供が助けてくれた――と。祀れ、祀れ、供物は肉が良い。それも鶏肉で、たまには弁当も食いたいとか言っていた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
『鬼呪』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:指崎 まこと(CL2000087)
カテゴリ:アクセサリ
取得者:指崎 まこと(CL2000087)
