虚像の燈
虚像の燈


●標
 深い霧に覆われた森の中を、一人の男が彷徨い歩いている。
「ああもう、一体どっちに行けばいいんだよ!」
 多くの荷物を背負い込んだ彼はどうやら各地を転々とするバックパッカーであるらしい。
 それにしても、である。春先の激しい寒暖差によって生じた霧は一向に晴れる気配がなく、地図も磁石も持たない旅人は当てもなく歩き続ける以外に取れる手段がなかった。いや、仮に携帯していたところで役に立ったかどうか――そう思わされるほど視界は濁った水の粒子に塞がれて不明瞭だった。
 果たして次の一歩は迷宮からの脱出への前進になるのか、それとも後退してしまうのか。
 何もかもがおぼつかないまま、それでも立ち止まるよりはマシだろうと闇雲に進んでいく中で。
「……なんだ、『あれ』?」
 男は濃霧の奥に何かを発見する。白く霞んだ靄の向こう、朧にではあるが、赤味がかった光が見える。空目や幻影の類ではない。確かに数十メートル先から光が放たれているのだ。
 それはまさに窮地を照らす一条の光明であった。ランプか、あるいは建物か。いずれにせよ人間の存在が絡んでいる可能性は高い。直接的な解決にはならずとも何かしら有益な情報を聞けるか、あるいは霧が収まるまでの間お暇させてもらえるかも知れない。
 男は喜び勇んで光がちらつく方向へと進んでいく。
 他に優先すべきことも浮かばなかった。五里霧中とは今のこの状況のことを指して言うのであろう。
 ――だからこそ。
 疑念が過ぎる隙もなかった。
「おっ?」
 明かりの出所が次第に近づいてきたと感じ始めた時、不意に、それまで追っていた光が消滅する。
「おかしいな……おーい! 誰かそこにいますかー?」
 人の手で消されたのかと思い呼びかけてみるが、返事はなし。
 首を傾げる旅人だったが、戸惑いはすぐさま戦慄に変わった。
 消えたはずの光が目の前に――生々しい高温を伴って出現したのだから。
 遠慮のない熱気が鼻先を炙る。
 それは最早『光』などと呼ぶのも躊躇われる、紛うことなき『火』であった。
「は――」
 息を呑むことも許されなかった。
 思考する猶予なんてもってのほか。
 一度付いた火が全身を包む速度は想像を絶している。熱い、痛い、苦しい。そう感じることですら贅沢と言わんばかりに無秩序に蹂躙される。感覚器官が機能したのは――理性を保てたと言い換えてもいいが――ほんの数秒にも満たなかったであろう。
 血肉が焦げる悪臭の漂う暗澹たる現場だというのに殺戮の情景自体は恐ろしく静かだった。悲鳴を上げるために吸い込む酸素さえ、男の周囲には残されていなかった。
 後には、灰も残らない。
 猛火が全てを奪い去っていた。

 誰もが忘れている。どんな小さな火であろうと燃焼の種を貪る獣であることを。
 そして火は燃え尽きるその瞬間まで暴食をやめない。

●災いの残滓
「数ヶ月前に山陰地方で山火事があったことはご存知でしょうか」
 久方 真由美(nCL2000003)は日頃の間延びした口調を『お仕事だから』と引き締めて、会議室に揃った覚者達に滔々と説明する。
「火災そのものは幸い雨風等の影響もあって自然鎮火したそうですが……消え損なった一端が妖化していることが確認されました。ランクは2。自然系に分類されています」
 霧に閉ざされた森一帯を漂い、通行人を毒牙に掛けるのだという。
 しかし真由美の話によれば、妖のほうからわざわざ襲いかからずとも、人間自ら近寄ってくるのだそうだ。それには素体となっている火そのものの性質が関係しているらしく。
「動物は火を恐れますが人間はそれを文明の象徴と捉えがちです。溺れる者は藁をも掴む、とは言いますけれど、霧の中で見かけた光に誘われるのは仕方のない心情なのかも知れませんね」
 つまりは火に対する警戒よりも安堵や好奇心が勝ってしまうのだろう。ただでさえ道に迷って不安が胸に大挙しているのだから、判断を誤ったことに気づくのは難しい。
 存在自体が罠。自覚はないに違いないが、地の利と心理作用が活かされている。
「殺意の対象が人間に向いていますから、周辺の木々を燃やすといった二次災害は起きていません。ですが、だったら放置しても問題なし、なんて単純な話ではないことは、今更ですね。犠牲者を増やさないためにも早期対応をお頼みします」
 そう言って真由美は資料を綴じたファイルをぱたんと閉じた。
 


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:深鷹
■成功条件
1.妖一体の討伐
2.なし
3.なし
 OPを御覧頂きありがとうございます。
 深鷹と申します。お見知りおきの方もそうでない方もよろしくお願いします。
 今回の敵はめっちゃ熱い感じです。物理的に。 

●目的
 ★妖一体の討伐

●現場
 ★中国山地北部
 妖は広い森林区域一帯を徘徊しています。半径にするとキロ単位になります。
 フィールド全体が霧で覆われているため視界は通常十メートル先までしか見通せません。
 ただし強い光を放っている物に関してはその限りではないため、妖は五十メートル以内まで接近できれば肉眼で視認できます。
 特に対策なく歩き回って捜索した場合、かなりの時間を要するかと思われます。
 何らかの方法を講じてみてください。……とはいえ、ぶっちゃけると見つけるだけなら迷いながらでもいつかは出来ます。リプレイの内容が変わるだけです。
 天候や足場によるマイナス補正はありません。 

 作戦開始時刻は自由です。
 が、夜間は暗い上に気温差で霧が濃くなることが予想されるため、視界は最悪です。
 日中であればハイキングに興じている地元の一般人と鉢合わせする可能性もあります。

●敵について
 ★自然系妖(ランク2) ×1
 山火事の燃え残りが妖となったもので、見たまんま火の玉。
 不定形で、大きさは数センチから一メートル程度まで自由自在です。
 攻撃手段は至ってシンプル、近づいて燃やす、それだけです。
 ただし全ての攻撃に火傷系BSのオマケが付いてきます。
 防御面では物理属性の攻撃に対する高い耐性と火傷無効の特質を持ちます。
 また、常時浮遊しているので地形効果は受け付けません。

 『焼』 (特/近/単/火傷)
 『焼払』 (特/近/列/火傷)
 『焼尽』 (特/近/単/解除/火傷) ※威力、消費大



 解説は以上になります。ご参加お待ちしております。
 
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2016年04月06日

■メイン参加者 8人■

『涼風豊四季』
鈴白 秋人(CL2000565)
『調停者』
九段 笹雪(CL2000517)
『天を翔ぶ雷霆の龍』
成瀬 翔(CL2000063)
『聖夜のパティシエール』
菊坂 結鹿(CL2000432)

●藍色の空が夜を脱ぎ捨てる頃に
 山道の入口近辺を丹念に見て回る、いくつかの人影がある。
「よいしょ、っとぉ。こんなもんでいいかな」
 そのうちの一人である『調停者』九段 笹雪(CL2000517)は『妖退治中』とよく目立つ太字で書かれた看板を地面に突き刺し、まずは一仕事完了、といった面持ちでふうと息を吐いた。
 太陽が顔を覗かせる前の、朝と夜の区分が曖昧な時間帯。「いつもならまだ布団に包まってる頃だよ」と笹雪は目をこすりながらおどけてみせる。
 同じく作業を続ける三島 椿(CL2000061)も若干体の重さを感じてはいたが。
「気を引き締めていきましょ」
 そうした気配はおくびにも出さず、平素と変わらない済ました表情で『CAUTION』の文字がプリントされた黄色のテープを木々の間にぐるぐると張り巡らせて、森の中が封鎖されていることを明示する。
「それにしても、早朝なのに清々しいって感じじゃないよねぇ」
 一寸先さえも見誤ってしまいそうな深い霧に、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)はどことなく心細さを覚える。乱雑に立ち並ぶ背の高い緑樹も、さながらこの地に縛り付けられた亡霊のようで、不気味さの演出に一役買っているように思えた。
「こういう状況に置かれた時に灯りを見つけたら……安心してしまうのは仕方のないこと、かもね」
 登山者への警告を記した張り紙を設置していく鈴白 秋人(CL2000565)は霧に塞がれた視界を体験して改めてそう実感する。山中孤立して前後不覚に陥った時、頼りになるものは光だと――そう錯覚してしまうのは人間の習性であろう。
「山火事が原因だそうですけど、随分と迷惑な火事ですね……人を誘き寄せて襲うだなんて。怨念みたいなものもあるんでしょうか」
 森林中に漂うとされる火の正体について思案してみせたのは菊坂 結鹿(CL2000432)。椿もまた顎に手を当てて考察する。
「もしかしたら、山火事の原因が人間にあったから、なのかしら。……そうだとしても私情は無用ね。自然を楽しみに来る人達の純粋な想いを壊させるわけにはいかないもの」
 下した結論に変動はなかった。
 会話を聞く秋人は妖がもたらす被害を案じて、一層奮起する。
「誰かが来そうだったら声を掛けておかないと。余裕があれば張り紙もね」
 落ち着き払った口調で桂木・日那乃(CL2000941)の小さな背中に語りかける。
「ん、了解」
 とだけ返した日那乃は微動だにしない表情のまま張り紙の束を両手に抱え、入口付近の捜索がてらあちこちに貼りに行った。
 入れ違いで、事情を伝えに管理局まで出向いていた『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)と『二兎の救い手』明石 ミュエル(CL2000172)が戻ってきた。
「どうだった?」
「それなんだけどさ」
 困ったように人差し指で頬を掻く翔。
「担当の人……まだ来てなかった、から……」
 ミュエルは少しだけ瞳に不安の色を浮かべる。一応書き置きを残しておいたが、出勤がいつ頃になるかは分からない。
「まあ、こっちでもたくさん張り紙貼っておいたから、大丈夫だとは思うけどな」
 翔はミュエルと共に持っていった張り紙のほとんどを使い果たしたことを示す。これだけ入念に注意喚起すれば目に留まらないはずもないだろうし、意図も十分伝わるだろう。
 全員が集合して準備を進めているうちに、気付けば隠れていた日も昇りつつある。
「頃合いかな。そろそろ出発しよっか。眠いけど、シャキっとしてがんばろー!」
 人払いの『結界』を展開しつつそう号令を飛ばす笹雪は、誰よりもまどろんだ目をしていた。
 空は次第に紫苑に染まり始めている。

●煙る森
 風が舞う春の朝は、まだどこか肌寒い。
 濃霧の立ち込める森の中で、木々の合間を縫うように、三体の守護使役が手分けして飛ぶ。幼体特有の短い羽根でふわふわと飛行し火の行方を追うが、今ひとつ成果は挙がらない。肉眼よりも広域を探知できるのは間違いないが、何せ四方八方を霧が覆い尽くしているのだから、そうそう目当ての代物に辿り着けはしない。
「んー、微妙だな」
 白く霞んだイメージばかりが空丸から送られてくるので、コンパス片手に進んでいく翔も難儀そうにする。太陽光の屈折でありもしないものを見紛う可能性すらある。慎重に観察せねば。
「あまり遠くに行っちゃダメよ。はぐれちゃわないようにね」
 御菓子は宙を行くカンタにそれとなく意思を伝えた。目視は困難と判断した彼女は活発化した自身の聴覚を頼りに妖の方角を探る。鳥の声や木の葉のざわめきに混じって、どこかから不純物が爆ぜる音が聴こえないかと。
 一方で獣並の嗅覚で何かが焦げる臭いを感知しようと試みているのは秋人。その間にも上空を飛ぶピヨの目線を反映しながら地図を眺め――眉間に皺を寄せた。見当がないことに加えてこの敷地面積の広さ。虱潰しに探すにしてもかなりの労苦だ。
 空から妖を索敵しているのは守護使役のみならず、翼の因子を持つ日那乃と椿もである。
「……なんだか航空隊の司令官になったみたいだわ」
 懐中電灯を携帯した椿は、時折光で指し示して守護使役達の進路を修正するたびにそんな気分を覚えた。懐中電灯はまた自分達の位置を皆に教えるためにも用いる。日那乃は逆に地上を歩く仲間達がかざしているライトの灯りを高度の基準にして飛び、こまめに『送受心』を行って連絡を取る。
「これでよし、と」
 道中迷わないようにと頂点付近の幹に水性マーカーで目印を付ける日那乃。
「それ何の絵?」
 椿が覗き込む。
「この子」
 日那乃は最小限の返事と、肩に乗せた守護使役のマリンに視線を傾けることで答えた。
「そう、可愛いわね」
「ん」
 黒翼の少女はこだわりのピンク色のマーカーを指先でくるりと回した。
 その真下。
「この木が熱、感じたの……最近じゃない、みたい……」
 節くれ立った木肌に触れるミュエルは、恐縮しながらもそこから植物の記憶を遡及する。それによれば、少なくとも妖はここ数日ほどは、覚者達の現在地を徘徊していないことが伺えた。
「ううん、では、もっと奥に進むべきでしょうか」
 他の仲間の集中を削がないよう足音を消している結鹿は、あくまで視覚から妖の居場所を探そうとする。むむ、と唇を真一文字に結んで目を凝らしてはみるが、やはり霧の中を見通すには至らない。視線を向けた先に怪火が浮かんでいる可能性はあるが確証は得られなかった。
「方向……分からないし、手当たり次第に進むしかない、かな……?」
 ミュエルの言葉に、それまで耳を澄ませていた笹雪も同調する。
「ま、手掛かり掴めないんじゃいつまでもここにいたって無駄だからね。地道にやってこー!」
 一行はコンパスを基軸にしてポイントを変える。
 探索を終えた場所にはマーカーで目印を残し、二度手間を避けて進んでいくがしかし、範囲が膨大なために各自疲労の跡が見え始めた。霧で視界が不明瞭である、という苛立たしさから、精神的にもかなりの神経を削られている。
 それでもミュエルは折れることなく木々と会話を交わす。
「ここは……一昨日には、通ってたみたい。ひょっとしたら……」
「燃やし甲斐あるのが来ましたよー、おひとついかがですかー」
 笹雪が声を掛けてみるが反応はなし。
「火の玉仲間ですよー」
 守護使役の火を出してみるが駄目。どうやらこの近辺にもいないらしい。隣を歩いていた結鹿は肩を落とした。
「とんとん拍子とはいかないか」
「覚悟はしてたけど、それにしても大変ねぇ。ん……しょ!」
 未だ辿り着かない足跡に秋人は軽く溜息を漏らし、御菓子は気だるさを払拭するために小柄な体全身で伸びをする。相変わらずの無表情を貫いている日那乃でさえ、素振りは少し疲れた様子だ。因子の力を引き出して飛び続けているのだから、それも仕方なしといったところか。
 日頃から体を動かしている翔はまだまだ活気を維持しているものの、全体的には隠しきれない倦怠感が漂っていた。
 重苦しい空気を見かねた笹雪がひとつ提案する。
「お弁当食べて休憩しよっか? 飲み物もあるよ。慌てず急がず、気楽にいこうよ」
 持参した飲食物をシートにずらずらと並べて、時間が掛かりそうだから一旦今のうちに補給をしておこうと皆に説く笹雪。朝食、と呼んでいいかはさておき、一同は足を休めるついでに軽く腹ごしらえを済ませた。
 休息を経たことで特に精神的な余裕が出来た覚者達は、心気も一転させて探索を再開する。
 椿と日那乃の二人は依然として空から、鳥系守護使役を飛ばした者はそこから得た情報と、そして自らの感覚を頼りに。
 ミュエルは『木の心』を活用しこつこつと知識を蓄える。そうした地道な作業が、ようやく法則性を発見する鍵となったのは、かなりの歩数を要してからであった。
「さっきの木、は……五時間前に熱さを感じてた……この木は、四時間前……」
 木々に触れ続けたミュエルは段階的に妖を感知している林の存在を確認する。数十メートル手前にあった木と今触れている木、連続した時間差が生まれている。ということは。
「方向、合ってる……かも」
 更に奥へと進んで、マークされていない新たな木に手を当ててみる。光と熱が通過する記憶が作られたのは三時間前――間違いない。この進路上に妖はいる。
「明石さんナイス! へへ、やっと尻尾が見えてきたな!」
 コンパスを持った翔は方角を再確認し、意気込む傍ら警戒心を強める。
 針が指し示す先に前進する一行。
 おおよその位置が把握できれば、後はあの手この手で浮き彫りにしていくだけだ。火そのものに取り立てて音や臭いがあるわけではない。しかしながら暴虐の化身たる火の周囲では絶えず何かが燃やされている。その些細な音が、臭気が、感覚を研ぎ澄ませた覚者達に手掛かりを与える。
「……聴こえた?」
「聴こえた」
 御菓子と笹雪が顔を見合わせ、鼻をすんと鳴らした秋人も確信する。
「あそこにいる。俺の目ではまだ霧で見えてはいないけど……確実に」
 大気中の塵が燃え尽きる臭いが、覚醒の証であるしなやかな長髪を揺らす秋人に妖の存在をありありと告げていた。頭上の守護使役にその旨を教えて、円を描くように飛ばせ味方の全員に異変を察知したことを知らせる。
 戦闘の瞬間は今にも差し迫っている――視界では捉えていないというのに。
「あっ!」
 最初に肉眼で妖の姿を認識したのは視力を活性化させていた結鹿だった。
「います……気をつけてくださいっ!」
 足を止めることは出来ない。一歩、二歩、靄に隠された怪異を手探りに追って近づいていく。
 触れることも、見ることも出来ない。だが紛れもなくそこに『ある』のだ。暗闇の中に佇む殺人鬼に自ら接近していくような緊張が走っていた。
 やがて、全員が視認する。
 ふとした瞬間に消えてしまいそうな小さな炎。
 だがそれはこちらの襲来を知覚した途端に脅威へと様変わりした。

●影の火
 マッチほどだった火は急速に勢力を増し、一メートル弱はあろうかというサイズに膨らむ。
「被害が出るなら消す。ん……そのままの意味で」
 日那乃は立ち位置を調整しながらも言葉遊びを楽しむ余裕を見せる。自らの本分が水、そして相手は火。消す者として絶対の優位性を認められたようで妙な自信を得る。
 互いの間隔は距離にして十メートルほど。先手を取ったのは最前列で進んでいた翔だ。
「さっさと倒させてもらうぜ。でないと地元の人らが安心してハイキングできねーからな!」
 あどけない少年から精悍な青年の姿へと変化した翔は挨拶代わりに現状の最高火力である天候操作の術式を唱え、霧に覆い被さるほどの巨大な雷雲を発生させた。術式の扱いにも慣れたもので、そこに至るまでに余分な動作は一切ない。夥しく帯電した雲から落とされるのは言うまでもなく轟音を伴った雷である。節操のない猛獣じみた稲光が朝の森を駆け抜け、あまりの眩さに周囲の者が束の間閉じた瞼がゆっくりと開かれた時。
 更なる黒雲が折り重なっていることに勘付く。
「気が合うね、こっちも同じ技使うところだったよ」
 簪を指に挟んで掲げた笹雪がほぼ同様の――威力さえも近似した――天行の術を放っていた。こちらはダメージもそうだが、電流による痺れを引き起こすのが主目的だった。とはいえ翔に匹敵する精神力の強さを持つ彼女のことである、前述したように与えたダメージそれ自体も相当なものだ。
「痺れてくれてないみたいだし、連発だねぇ、これは」
 そう言って緩んだ顔つきでへらりと笑う。
 ――大人しくやられてくれるのであれば助かるのだが、そういうわけにもいかない。火が攻撃態勢に入ったのを確認し、ミュエルは俊敏な所作(当社比)でノートを開く。
「森の中だから……木に負けない、香り……こうかな……?」
 元々森林の空気自体に癒しの効果があるだけに、それに押されないよう調合に普段よりもエッセンスを効かせて、自然治癒力を向上させる香りを一帯に広げる。
「火傷は、治りやすくなる……けど」
 身構えるミュエル。高熱の火から受けるダメージまでもは軽減できない。
 妖は覚者達の前に瞬時に接近すると、彼らを包む空気そのものを勢いよく燃焼させた。前列にいた翔、ミュエル、そして秋人の三人が激しい業火に焼かれる。
「ぐっ……!」
 血と脂の焦げる不快な臭いが鼻腔を刺す。顔を顰める翔だったが、即座に御菓子から回復術式の支援が飛ぶ。治癒の法術をふんだんに含んだ滴が全身の傷を修復、ほんの僅かな痕も残さずに全快させた。幸いにも後遺症もない。
「攻撃が火だもの。水なら綺麗さっぱり消し去れるわね」
 御菓子はウィンクを送る。確かに、水の爽快な冷たさが堆積した熱を奪ってくれていた。
 ミュエルと秋人が負ったダメージは日那乃が解除に当たる。同じく、水行特有の神秘の力を封じた滴を降り注がせて。
 秋人は右手を軽く上げて日那乃に謝辞を示す。
「助かったよ」
「普通のこと、しただけ」
 日那乃は淡白に返した。興味の対象は目の前の戦闘だけとでも言いたげに、書物をぎゅっと抱えて次なる行動に備えている。
「このお礼はしておかないとね……キミにも、あいつにも」
 逆襲を誓う秋人は揺らめく妖の影をじっと見据えながら内なる炎を昂らせる。
 妖は尚も火の勢いを盾に攻め立ててくる。しかしながら、日那乃と御菓子が計画的に治療を行い、場合によってはミュエルや秋人も回復に回れるため、然程窮地に陥る心配はない。おまけに笹雪が気力を補充してくれるため常に最大効率を求めることすら可能。
 ならば余裕のある間に攻める上での基点を作っておこうと結鹿は気象操作を開始した。
 天然の霧の中に異質な水分を紛れ込ませ、妖に絡みつかせる。この濃霧でも消える気配がないだけに流石にそれで鎮火したりはしないが、しかし、あれほど苛烈だった勢いは粘性の霧に阻害されて間違いなく収まっている。
「今なら攻め放題ですよ!」
 敵の挙動が著しく鈍っていることを伝達し、結鹿自身も地表を隆起させて攻撃を仕掛ける。明らかに通りがいい――それは慣れ親しんだ技を繰り出した本人が一番よく分かった。
「回復の手は足りてそうね……だったら」
 味方の動向を窺いながら飛行を続けていた椿が打って出た。本来ならば癒し手として活動することの多い彼女だが、今回の依頼はとにかく回復手段を持つ仲間が揃っている。自分が役割を遂行せずとも万全の態勢で望めるのであれば、攻撃に転じるべきだと判断し、きりりと弓を番える。
「この山を守るために、貫かせてもらうわ!」
 放たれた矢はなだらかな弧を描いて妖を貫通した。明確な肉体があるわけではないため突き刺さりはしないが、火の弱々しい揺れ具合からして、ダメージを負ったのは確かである。
 秋人は決着に繋がる好機を見逃さない。
「消えてもらうよ、希望の灯のふりはこれでお終い」
 数枚の術符を空中へと振り撒く。
 呼び寄せたるは大量の水。
 龍の形態を成した水流が、その麗らかな牙と顎をもって、火の全てを嚥下した。

「あー、これ、めちゃくちゃ面倒くさい感じだわぁ」
 笹雪は脱力して長い息を吐いた。目印を頼りに、その跡を消しながら来た道を辿る――という行程が途轍もなく億劫であることに、帰りの道中になってまざまざと実感させられていた。
「頑張りましょう。帰って報告するまでが仕事なんだから」
 宥める御菓子。日那乃は黙々と自分が描いた守護使役のイラストを水を掛けて消している。
「張り紙も回収しないとだしな」
「管理局の、人にも……報告しないと……」
 どうやら、まだまだ五麟市には帰れそうにないらしい――

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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