<漆黒の一月>狙われたハッピー号
●
ある大企業の新作発表会が行われているイベント会場から少し北に、野外コンサートも行われる広い公園がある。
その公園の真ん中に、ある大企業の大幹部『東小路・財前(あずまこうじ・ざいぜん)』が私有する有人飛行船ハッピー号が音もなく着陸した。
たかが一企業のイベント演出のためだけに、公共の場である公園を使う。
普通は着陸許可などとても取れるものではないのだが、それを可能にしてしまうだけの勢いと力が東小路・財前にはあった。
よく見ずとも、飛行船を見に集まってきた人々にまぎれて、公園のそこかしこに人相の悪い黒服が拡声器を持って立っているのが分かるだろう。
彼らは財前の私兵で、覚者、いや、金で雇われればなんでもやるという隔者だ。飛行船ハッピー号を不逞の輩から守るため、具体的に言えば、七星剣の一派、禍時の百鬼から守るためにいる。
周りにいる一般人は護るべきものの中に含まれていない――。
●
久方 真由美(nCL2000003)は集まった覚者に着席を促した。
「すこし込み入った話になります。お配りした資料に目を通しながら聞いてください。まず、みなさんにやっていただきたいことからお話します」
真由美が告げた依頼の内容はこうだ。
飛行船ハッピー号の強奪を企む七星剣の一派、禍時の百鬼たちを撃退し、公園にいる一般人と飛行船のパイロットを守る。
こう聞けば、七星剣が絡んでいる以外はごく普通の依頼だ。禍時の百鬼が何をたくらんで有人飛行船を強奪しようとしているのかがまだ謎のままだが。
「ハッピー号が着陸している公園の南で、ある大企業のイベントが行われています。その会社の幹部、東小路・財前が禍時の百鬼に狙われています。禍時の百鬼はハッピー号を奪って、遮るものが何もない空から、財前の殺害を行おうとしているのです」
東小路・財前はどういうわけか、自分が禍時の百鬼に狙われていることを知っているらしい。金で集めた隔者を私兵にし、自身と家族、愛人など縁のある者たち、私財を守らせているという。
「財前の私兵たちは、ハッピー号を守っても見学にやって来ていた一般の人々は守りません。それどころか禍時の百鬼との戦闘で邪魔になるとみれば、平然と手に掛けます」
一般人を殺しても、禍時の百鬼と彼らを率いる逢魔ヶ時紫雨のせいにすればいいと思っているのだ。確かに、財前の金と力があれば、マスコミはもとより警察も黙らせることができるだろう。
「……嫌な話ですけどね」
真由美は重いため息をついた。
「あと、気を付けていただきたいことが。財前の私兵たちは、当然なんですけど、ファイブと禍時の百鬼の区別がつきません。だから、彼らはみなさんのことも攻撃してきます」
つまり、ファイブは一般人と飛行船のパイロットを安全な場所へ逃がしつつ、禍時の百鬼と財前の私兵とも戦わなくてはならないのだ。
そのうえ、公園にはどの組織にも所属していない覚者の姿も、ちちらほちらと見受けられるらしい。
発現はしたが、妖や隔者、憤怒者たちと戦うだけの力のない人たちだ。
困ったことに、彼らは術を使用しなければ禍時の百鬼たちと区別をつけることが難しい。もちろん、彼らは巻き込まれただけのことなので、救出対象となる。
「財前の私兵は全員が身長190センチを超えていて、黒服にサングラス、拡声器持ちと非常に見分けやすいんですけどね。かなり難しい仕事ではありますが、ここにいる皆さんならやり遂げられると期待しています」
●
それはある、一人の少女が失踪した所から始まる。
少女は傍から見れば変哲も無い覚者であるが、彼女は七星剣の一派、禍時の百鬼の一人であった。
彼女が数日、姿を見せないのを不審に思った仲間が捜索を開始。
彼女がいそうな場所等をあたって足取りを調べた所。数人の男に囲まれて連行されていく姿を、聞き込みや防犯カメラで発見した。
更に足取りを調べたところ、とある大企業の大幹部『東小路・財前(あずまこうじ・ざいぜん)』に辿り着いた。
数日後、少女は自力で脱出に成功、禍時の百鬼を率いる逢魔ヶ時紫雨のもとにボロボロな状態で帰ってきた。心を壊しかけた、ただ泣くだけの生物となって。
――財前が七星剣を探ろうとしている。
なんとか少女から聞きだした話は衝撃的だった。
一般人である財前が、七星剣に牙を剥こうというのである。その手始めに、禍時の百鬼が狙われたのだ。
「東小路・財前……? どっかで聞いたことあるような名前だけど、思い出せねぇなぁ。
禍時の百鬼ちゃんたち、しゅーごー! 俺様の逆鱗に触れたらどうなるか、思い知らせてあげよっか!」
ある大企業の新作発表会が行われているイベント会場から少し北に、野外コンサートも行われる広い公園がある。
その公園の真ん中に、ある大企業の大幹部『東小路・財前(あずまこうじ・ざいぜん)』が私有する有人飛行船ハッピー号が音もなく着陸した。
たかが一企業のイベント演出のためだけに、公共の場である公園を使う。
普通は着陸許可などとても取れるものではないのだが、それを可能にしてしまうだけの勢いと力が東小路・財前にはあった。
よく見ずとも、飛行船を見に集まってきた人々にまぎれて、公園のそこかしこに人相の悪い黒服が拡声器を持って立っているのが分かるだろう。
彼らは財前の私兵で、覚者、いや、金で雇われればなんでもやるという隔者だ。飛行船ハッピー号を不逞の輩から守るため、具体的に言えば、七星剣の一派、禍時の百鬼から守るためにいる。
周りにいる一般人は護るべきものの中に含まれていない――。
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久方 真由美(nCL2000003)は集まった覚者に着席を促した。
「すこし込み入った話になります。お配りした資料に目を通しながら聞いてください。まず、みなさんにやっていただきたいことからお話します」
真由美が告げた依頼の内容はこうだ。
飛行船ハッピー号の強奪を企む七星剣の一派、禍時の百鬼たちを撃退し、公園にいる一般人と飛行船のパイロットを守る。
こう聞けば、七星剣が絡んでいる以外はごく普通の依頼だ。禍時の百鬼が何をたくらんで有人飛行船を強奪しようとしているのかがまだ謎のままだが。
「ハッピー号が着陸している公園の南で、ある大企業のイベントが行われています。その会社の幹部、東小路・財前が禍時の百鬼に狙われています。禍時の百鬼はハッピー号を奪って、遮るものが何もない空から、財前の殺害を行おうとしているのです」
東小路・財前はどういうわけか、自分が禍時の百鬼に狙われていることを知っているらしい。金で集めた隔者を私兵にし、自身と家族、愛人など縁のある者たち、私財を守らせているという。
「財前の私兵たちは、ハッピー号を守っても見学にやって来ていた一般の人々は守りません。それどころか禍時の百鬼との戦闘で邪魔になるとみれば、平然と手に掛けます」
一般人を殺しても、禍時の百鬼と彼らを率いる逢魔ヶ時紫雨のせいにすればいいと思っているのだ。確かに、財前の金と力があれば、マスコミはもとより警察も黙らせることができるだろう。
「……嫌な話ですけどね」
真由美は重いため息をついた。
「あと、気を付けていただきたいことが。財前の私兵たちは、当然なんですけど、ファイブと禍時の百鬼の区別がつきません。だから、彼らはみなさんのことも攻撃してきます」
つまり、ファイブは一般人と飛行船のパイロットを安全な場所へ逃がしつつ、禍時の百鬼と財前の私兵とも戦わなくてはならないのだ。
そのうえ、公園にはどの組織にも所属していない覚者の姿も、ちちらほちらと見受けられるらしい。
発現はしたが、妖や隔者、憤怒者たちと戦うだけの力のない人たちだ。
困ったことに、彼らは術を使用しなければ禍時の百鬼たちと区別をつけることが難しい。もちろん、彼らは巻き込まれただけのことなので、救出対象となる。
「財前の私兵は全員が身長190センチを超えていて、黒服にサングラス、拡声器持ちと非常に見分けやすいんですけどね。かなり難しい仕事ではありますが、ここにいる皆さんならやり遂げられると期待しています」
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それはある、一人の少女が失踪した所から始まる。
少女は傍から見れば変哲も無い覚者であるが、彼女は七星剣の一派、禍時の百鬼の一人であった。
彼女が数日、姿を見せないのを不審に思った仲間が捜索を開始。
彼女がいそうな場所等をあたって足取りを調べた所。数人の男に囲まれて連行されていく姿を、聞き込みや防犯カメラで発見した。
更に足取りを調べたところ、とある大企業の大幹部『東小路・財前(あずまこうじ・ざいぜん)』に辿り着いた。
数日後、少女は自力で脱出に成功、禍時の百鬼を率いる逢魔ヶ時紫雨のもとにボロボロな状態で帰ってきた。心を壊しかけた、ただ泣くだけの生物となって。
――財前が七星剣を探ろうとしている。
なんとか少女から聞きだした話は衝撃的だった。
一般人である財前が、七星剣に牙を剥こうというのである。その手始めに、禍時の百鬼が狙われたのだ。
「東小路・財前……? どっかで聞いたことあるような名前だけど、思い出せねぇなぁ。
禍時の百鬼ちゃんたち、しゅーごー! 俺様の逆鱗に触れたらどうなるか、思い知らせてあげよっか!」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.一般人の中から被害者を出さないこと
2.百鬼たちの突破阻止(ハッピー号強奪阻止)
3.なし
2.百鬼たちの突破阻止(ハッピー号強奪阻止)
3.なし
とある企業の重鎮。
若くして財政界を動かすまでのし上がったのは、ワイロなど金の力で裏から手を回してきた為。
表の顔は慈善事業も行う善人だが、裏の顔は自分がのし上がる為ならなんでもするし、してきた悪い奴。
今回の事件は『神秘の力』を我が物にしようと企んで起こった。
※この情報は中恭介がリサーチして掴んだものです。
●財前の私兵……12名
財前に金で雇われた隔者たち。
全員が身長190センチを超えており、黒服にサングラス、拡声器を着用している。
ハッピー号を守るように、財前から命じられている。
そのため、ハッピー号が大破、または禍時の百鬼に奪われた時点で逃走する。
実力はファイブでいうと、中の下といったところ。
武器はライフルと拳銃。
・天行、機……3名
・木行、翼……3名
・土行、暦……3名
・火行、現……3名
有事の際は天木土火、一人ずつ1チームで行動。
ハッピー号を中心に東西北、1チームずつ配置されている。
ハッピー号からはそれぞれ30メートルほど離れている。
●禍時の百鬼……5名
実力はファイブの平均程度。
・椿 元晴(つばき もとはる)28才/天行、獣(猫)
【猛の一撃】【演舞・清風】【填気】【地烈】
【物攻強化・壱】【韋駄天足】
・木行、暦……1名
・土行、械……1名
・火行、彩……1名
・水行、翼……1名
北からトラックに乗って公園に乱入。襲撃を仕掛ける。
水行、翼の隔者が一人、ハッピー号を繋ぎ止めている綱を切り回る。
●ハッピー号と操縦者(パイロット)
・ハッピー号
全長41メートル、5人乗り(パイロット含む)。
日本に二台しかない有人飛行船の一台。
風対策で四方から綱(12本)で地上に結えられている。
綱をすべて外さないと飛び上がれない。
飛び上がれても、バランスを崩し事故につながる可能性大。
※機首を西に向けて止まっています。
・操縦者(パイロット)
一般人。襲撃時は船内にいる。
●公園と一般人(戦闘能力のない在野の覚者を含む)
野外コンサートも時々行われる公園で、かなり広いです。
ハッピー号が真ん中に着地していても、余裕。
ちなみに昼です。晴れてます。風は穏やかで飛行船の運航に支障はありません。
禍時の百鬼襲撃時、公園には100人ほど人がいます。
大部分の人がハッピー号の50メートル以内にいて逃げ惑っています。
●注意!!!
『<漆黒の一月>』に参加するPCは、同じタグの依頼に重複して参加する事はできません。
同時参加した場合は参加資格を剥奪し、LP返却は行われないのでご注意ください。
修正情報(2016.1.13)
誤 ハッピー号を中心に東西南北、1チームずつ配置されている。
↓
正 ハッピー号を中心に東西北、1チームずつ配置されている。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
5日
5日
参加費
150LP[+予約50LP]
150LP[+予約50LP]
参加人数
10/10
10/10
公開日
2016年01月25日
2016年01月25日
■メイン参加者 10人■

●南
ファイブがある五麟市のから、東小路・財前がいる新商品の発表イベント会場の近くにある駅まで、公共の乗りものを乗り継いでたどり着いたのは夢見が予知した百鬼襲撃のわずか十五分前のことだった。
飛行船ハッピー号を守るために集められた十名は、他の班の者たち――直接イベント会場で財前を狙う百鬼たちを退ける班の者たちと別れて、飛行船が着地している北の公園を目指して駆けた。
「ファイブで専用の車を用意できねぇのかな?」
走りながら奥州 一悟(CL2000076)が愚痴をこぼす。
さすが陸上部所属。日ごろからはしりこんでいるだけあって、一悟は愚痴をこぼしても息ひとつ乱れていない。みぞおちとへその間をぴんとって、斜め上に引き上げた理想的なフォームで一番に階段を駆け上がっていく。
その一段下に『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)の姿があった。
「ファイブの名前も公になったことだし、支援者や支援組織が増えれば……もしかして専用の乗りものができるかもしれないね」
もちろん、現場までかかった往復の交通費はあとからちゃんと払い戻される。だが、やはり依頼の度に公共の乗りものを乗り継いで現地入、あるいは地元に帰るのはなんだかなぁなのである。
「そうなったらいいな。帰りはともかく、行きは時間に余裕がない場合が多くてつらいぜ」
「うむ。そうなったらではなく、今すぐにでも手に入れて欲しいものじゃ」
壁に張られた飛行船の写真を横目にしながら、『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)と『白い人』由比 久永(CL2000540)も階段を駆け上がった。
「――と、あれか。さすがにでけぇな」
「飛行船とは初めて見たが……こんな大きな物が本当に飛ぶのか」
久永と寺田 護(CL2001171)が並んで額に手をあててみる先に、全長41メートルの巨大な気嚢が浮かんでいた。
日本で二台しかない有人飛行船、ハッピー号だ。東小路・財前の個人所有物である。紫雨の命を受けた百鬼たちは、この飛行船を奪い、空の上から財前の襲撃を目論んでいるらしい。
「ま、連中の思うようにはさせねえがな」
今回、襲撃を起こした連中の気持ちは分からなくもない。しかし、自分たちの目的のためなら手段を選ばず、一般の人々に危害を加えることも厭わないあたり、いかにも隔者らしい行動は理解できなかった。
七星剣の一角を占める百鬼なら、財前とその取り巻きだけを襲うチャンスなどいくらでも見つけられただろうし、また作ることもできたはずだ。
「ふん。手間惜しみやがって、バカ野郎どもが」
背中で黒き翼が小さくはばたいた。
一般人のふりをして隠す気はさらさらない。ありのままの姿で成すべきことを成す。
護の隣に並んで歩きながら、『裏切者』鳴神 零(CL2000669)は小さく首を振った。
一般人のふりしてまぎれている時間もそんなに長くなさそうだ。公園にはちらほらと覚者の姿もあることだし、一人ぐらい問題ないだろう。
そんなことよりも――。
零は歩みを止めずにしっかりと飛行船周りを観察した。
「あは。鳴神、冴えてる! ドンピシャ、思っていた通り!」
ぱちん、と指を鳴らした。
飛行船を地上に繋ぎ止めている綱のほとんどが、飛行船本体に取り付けられていた。もちろん気嚢にも四方に綱が張られているがほんのわずかだ。
「百鬼の翼もちが飛んで抜けても大丈夫。いくらでも抑えようがあるにゃー」
ふふん、と得意げに愛らしい鼻を鳴らす。
「じゃあ、零お姉さんの考えてくれた作戦で行くのよ。あすかは覚醒した翔ちゃんと一緒に西側の人たちを逃がします」
ウサギの耳は大きめの毛糸の帽子と髪で上手く隠した『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、小走りになって翔と並ぶと手を繋ぎ、年の離れた兄妹を演じながら人ごみの中を飛行船の西側へ向かって歩いて行った。
桂木・日那乃(CL2000941)は、翼人の羽をふんわりと柔らかなミルク色のケープで隠していた。守護使役のマリンには姿を隠してもらっている。あすかと同じく、飛行船を見学している一般人の中にまぎれこむためだ。
「被害者が出、たら駄目、なの、ね」
わたしは、東。と桂木・日那乃(CL2000941)は、立ち止まって振り返った一悟の元へ走った。
飛行船を百鬼に奪われないようにすることはもちろん、まずは公園内の人々を安全に逃がさなくてはならない。
「東小路・財前、悪いひとで、狙われるのを知ってるなら何かした? 百鬼、聞いたら教えてくれ、る?」
「え? オレに聞いた? ……うーん、分かんねえ。教えてくれるかもな。あとで百鬼に聞いてみたら?」
一悟と連れ立って歩き去る日那乃を見送って、『落涙朱華』志賀 行成(CL2000352)は公園の時計柱に目を向けた。
襲撃予定時刻まであと一分。
「急ごうか。百鬼たちが公園に入ってくる前までに飛行船の北側にいたい」
「そうですね。急ぎましょう――と言っていたら、来たようです。志賀さん、ほら、あそこです」
鈴白 秋人(CL2000565)が腕を上げて指示した先で、鉄パイプの車止めが吹き飛んだ。驚いて逃げる人々の間を蛇行しながら暴走トラックが飛行船に向かってくる。
「あのまま飛行船の前まで突っ込んでくる気だな」
財前の私兵たちも気づいたらしく、飛行船の回りにいた黒服たちが一斉に北へ顔を向けた。
ほぼ同時に、暴走トラックに気づいた北側の人々が悲鳴を上げだした。
「ギリギリ、でしたね。百鬼たちは鳴神さんたちに任せて、避難誘導を始めましょう」
●東
(「財前を助けてやる義理もねえし、どっちかつーと今回は百鬼たちに同情してるしで、いまいち気が乗らねぇな」)
内心でごちたものの、一悟はすぐに気持ちを切り替えて避難誘導を始めた。関係のない人々が被害にあうことが分かっていて、みすみす見逃すなんてことはできない性分なのだ。
百鬼たちを乗せたトラックの前に零が躍り出たのを確認して、一悟は隣でハッピー号を眺めていた日那乃に声をかけた。
「そっちにいる親子を頼むぜ」
「わかった」
日那乃はハッピー号をみるふりをしながら、周りにいる人々を観察していた。すでにこどもや年寄りなど、避難に手が必要な人々のピックアップは済ませてある。
「公園の出入口の位置も、ね。ちゃんとチェックしたから。北に近いところの人たち、任せる、ね。いい?」
一悟に東南と東北の出口位置を指で示して伝えると、心を開いて送受信が可能にした。
<「みんな、落ち着いて。南、あっちの出口から、逃げて」>
心で念を広く送りながら、口でも同じ言葉を叫んだ。
一悟もまた送受信を使って、とくに覚者たちに避難すべき方向を伝えていく。
<「すまねえ、できれば普通の人たちをかばいながら逃げてくれると助かる」>
戦う力は低くとも、発現した限りは一般人たちよりも神秘に対する耐性は高いはずだ。百鬼や財前の私兵たちの流れ弾からかばってもらえるなら、ぐっと被害を押さえることができる。
無理を承知の上での語りかけだったが、意外にもほとんどの覚者が一悟の願いに応えてこどもや年寄りに手を貸して、公園の出口へ向かってくれた。中には一緒に戦おう、と言ってくれる覚者もいたが――。
<「ありがてえけど、逃げてくれ。襲撃してきたのは百鬼っていって、七星剣の一つだ。名前ぐれぇはきいたことがあるだろ?」>
相手をして怪我をするだけならまたマシで、下手をすれば殺されてしまうぞ。と、脅しではなく本気で警告すると、顔を引きつらせながら逃げていった。
<「……回復できる人、いたら手伝ってもらえばよかったのに」>
しまった、と一悟は額を手で打った。
「大丈夫?」
日那乃は、逃げる人々を突き飛ばしながら北に向かう黒服たちの背を睨みつけた。
転んでひざを擦りむいた小さな男の子の手を取って立たせる。
「泣かないで、ね。すぐ、直してあげる」
手のひらを血のにじみ出た膝にあてて、癒しの滴で手当てしてやった。
「ほら、直った」
男の子は鼻をすすり上げた。
痛みがなくなった途端、転んだことなどきれいに忘れてしまったようで、半泣きの顔のまま母親を探しだした。いまにも大泣きしそうだ。
近くに母親らしき女性の姿がないことを確かめて、日那乃は男の子を抱きかかえた。ケープを落として翼を広げた。
後ろで、どさり、と音がしたかと思うと、足元に黒いサングラスが飛んできた。
「バカ野郎! 敵味方の区別ぐれぇちゃんと見分けやがれ!」
振り返ると、拳を固めた一悟が立っていた。
その下に黒服が腹を抱えてうずくまっている。
「……たく、覚者と見るなり見境なく襲いかかりやがって。大丈夫だったか?」
「うん。大丈夫」
「それじゃあ、早くその子を公園の外へ連れてってくれ。オレは先に百鬼の抑えに行く」
早く戻ってきてくれよ、という一悟に頷きだけで返事をすると、日那乃は男の子を抱きかかえたまま空へ上がった。
●西
「東小路ってオッサン、そんなに悪どい奴なんか」
翔はさりげなくハッピー号の操縦席へ視線を向けた。
小さな窓の奥で、口を半開きにした初老の男性が北の方を見ている。
つられて北に顔を向けると、人々の間にものすごいスピードで走ってくるトラックがちらりと見えた。
「悪い人なのよ。間違いないのよ」
飛鳥が毛糸の帽子からウサギの耳を出しながら断定する。
「いくら隔者でも捕まえて苛めたらダメなのよ。百鬼じゃなくても怒るのよ」
「だからって普通の人巻き込んでいいわけはねーし……て、呑気に言ってる場合じゃないよな。ざっと見たところ数多いけど、頑張って避難して貰おうぜ」
「了解なのよ」
二人は手分けして逃げ惑う人々の避難を始めた。
翔は北の仲間たちの動きを気に掛けながら、さりげなく黒服のグループに近づいた。
「大変だ、逃げないとっ!」
猛スピードでハッピー号に向かってやって来るトラックを指示しながら、大声を張り上げて人々に危険を知らせた。
悲鳴を上げながら走り出した人々が、棒立ちの黒服たちに次々とぶつかっていく。ここにきて突然の事態に呆然としていた黒服たちがやっと正気を取り戻し、戦い始めた仲間を支援すべく動きだした。
翔はすぐそばにいた黒服の腕を掴んだ。
「すみません、拡声器貸して下さいっ」
「あ? なんだ、貴様。腕を離せ!」
黒服は腕を振って翔の手を払いのけようとした。
「使わないなら持っていてもしようがないでしょ、貸して下さい!」
「ダメなものはダメだ。これは――っと、そこの男! 飛行船から離れろ!」
はっとして振り返る。
逃げる方向が分からず、てっとりばやく飛んで公園から逃げだそうと考えたのか、パニックになったらしき犬耳の男が飛行船のドアノブに手をかけていた。ガチャガチャとドアノブを強く引っ張り回している。
ドアが開かないところを見ると、内側から鍵がかけられているようだ。
飛行船の操縦席に目を移すと、パイロットが震えていた。必死でドアを開けようとしている覚者に怯え、腰をぬかしたらしく、体がゆっくりと窓の下へ沈んでいく。
飛鳥は、と首を回して探すと、車イスに乗った老婦人に付き添って南へ向かっていくところだった。
呼び戻すには遠くに離れすぎていた。自分がなんとかしなくては。
「一般人傷つけたら東小路さんの評判に関わるだろ! オレたちが避難誘導してやるって言ってんだよ!」
拡声器に手をかけながら、同時に犬耳の心へ念を送る。
<「覚者は狙われやすいから早く南へ行け! 飛行船はダメだ、余計に危ない!」>
意外なことに、犬耳は素直に指示に従って走り去った。
「ちっ! 逃げたか。おい、いつまで掴んでいる、離せ! 拡声器なら貸してやる」
拡声器と引き換えに黒服の腕を離してやると、人々に向かって「南へ逃げろ」と懸命に呼びかけてまわった。
「翔ちゃん、こっちへ来てくださいなのよ!」
老婦人を送り終えて、飛鳥が戻ってきていた。
さっきまで犬耳の覚者がいた飛行船のドアの前に立ち、翔を手招いている。
「ドアに鍵がかかっているのよ! パイロットさんに、開けてくださいっていったけど聞えていないみたいなのよ」
翔は飛行船に駆け寄ると、物質透過で船内へ入った。
「ひぃぃぃっ!」
操縦席の下に入り込んでますます縮こまるパイロットはひとまずうっちゃって、ドアの鍵を外しに向かった。
飛鳥は鍵が外されると、ドアを開けて飛行船の中に入った。操縦席に向かう。
「パイロットのおじさん、落ち着いてくださいなのよ。ここにいると危ないから、あすかたちと一緒に逃げてくださいなのよ」
「だ、だだだ、駄目です。私が逃げたら、は、ハッピー号が……」
海と空の違いはあれど、自分は船長なのだと飛鳥の手を突っぱねる。
二人で交互に根気よく声を掛けたが、パイロットは顔を膝にうずめたまま動こうとしなかった。
窓の外を、翼を広げた覚者が飛んで行った。
久永がすぐ後を追いかけていくのが見えた。
――と、いきなり船体が南側へ斜めに傾く。いくつか抑留の綱を切られてしまったようだ。
(「苦戦してんのか」)
立ちあがって窓の外を伺うが、船体が傾いているため北の様子がよく見えない。
もう無理にでも連れだすしかない、と覚悟を決めて、翔は飛鳥の肩に手をかけた。
飛鳥は翔を振り返ると、少し待って、と目で訴えた。
試してみたいことがあるのだ。
「それにしてもハッピー号なんてネーミング、適当すぎるのよ。ぜんざいさんは他にもっといい名前思いつけなかったですか?」
自分が預かる船の名をくさされたことにカチンときたのか、パイロットが顔を上げた。
「適当なんかじゃありませんよ。財前さまはこの飛行船でこどもたちに夢を運びたい。幸せになって欲しいという願いを込められて――」
「はい、そこまでなのよ」
夢見によって財前の裏の顔を知る飛鳥たちからすれば、どうにも嘘くさい名の由来だった。財前自身が名付けたとは限らないのだが、やっぱりセンスがない。
容赦なく話をぶったぎると、飛鳥は魔眼でパイロットに催眠をかけた。
「あすかの目を見てくださいなのよ……一緒に来てください」
飛行船の外に連れだしたところで、翔がパイロットを背負った。催眠が解ける前に公園からつれださないと、面倒なことになりそうだ。自分で走らせるよりも、翔が背負って走る方が早い。
「翔ちゃん、頼んだのよ。あすか、みなさんのところへ先に行きます」
すぐに戻る、というなり翔は公園の南出口を目指して走り出した。
●北
亮平は、黒服たちの位置を確認しながら飛行船を回り込んだところで、何かが弾き飛ばされる音を聞いた。
周りにいた人たちと同じように、首を回して北を見る。
小型トラックがものすごいスピードで向かってきていた。百鬼たちが乗るトラックに違いない。
「まにあってよかった」
「東小路も百鬼についても詳しくはないが……やれやれ、無関係な者を巻き込むのは感心せんなぁ」
人々を蹴散らすように突進してくる様子に、久永が憤る。
「すみません、俺たちは避難誘導を始めます。百鬼たちの足止めを頼みます」
久永は鷹揚に頷くと、零とともに黒服たちの前へ進み出た。
「ふぁいぶという組織の者だ、故あって襲撃者の撃退に手を貸すぞ」
名乗りを上げたはいいが、反応のあまりのなさに不安が募る。言って分からぬようなら、あとは行動で示すしかないが……。
(「賢明な判断をしてくれることを願おう」)
潜在的な敵に背をさらしたまま、零とならんで暴走トラックの進路上に立った。
先手を取ったのは久永だ。
久永がエアブリットでトラックのフロントガラスを割ると、すかさず零が天から獣のごとくたけり狂った雷を招き、落した。
「百鬼、こっから先には行かせない。FiVEって言えば、貴方達なら分かるでしょ? ――て、でぇぇぇっ!!?」
連撃を受けたトラックは蛇行するも止まらず、むしろスピードをあげて零に突っ込んできた。
零は逃げ出さずに腰を落とすと、両腕をあげて顔をブロックした。トラックを体ひとつで止めるつもりだ。
「ふんす!! 乙女、なめんなよ!」
どぉん、と鈍い音でトラックが止まった。
間髪入れず、荷台から百鬼たちが飛び降りてきた。
「大丈夫か、鳴神? 百鬼たちはしばらく余に任せて、後ろへ下がっているといい」
「あは、無問題。こんなのかすり傷よ」
とりあえず、二人の無事を確かめた亮平は、近くにいた黒服に声をかけて拡声器を半ば強引に借り受けた。
百鬼たちの攻撃が二人を抜けて一般人に当たらぬように、気をつけて動き回りながら、落ち着いたトーンで南へ逃げるように人々に呼びかける。
「東小路さんが守って下さいます。黒い服を着た警備の方々の前に行かず、飛行船を回って南出口へ。速やかに避難して下さい」
落ち着いた声のトーンをみださない程度に声を張り上げて、手振りを交えながら人々を逃げるべき方角へ誘導する。
それでもパニックになった人々の中には、北へ走り去ろうとするものや、守ってもらおうとしてのことか、黒服たちにまとわりつくものが結構な数でいた。
「あぶねぇってさっきから言ってんだろっ。南に逃げろ……って聞こえてねぇのか、バカ野郎! 立て!」
護は、舌を打つと、頭を抱えて芝に座り込んでいた学生二人を両脇に抱えた。
「おい、鳴神! しばらく回復なしでやれるか?!」
「問題ないよ。零頑張る。いってらっさー」
互いに背を向けたまま、言葉だけでやり取りを終えると、護は軽々と少年たちを抱え上げて走り出した。途端、両脇で痛い、痛いという声が上がりだす。
「運んでやってんだ、文句をいうな!」
悲鳴に交じって微かに聞こえていた救急車のサイレンの音が止んだ。公園出口に白い車体どころか、赤い回転灯の明かりすら見えない。
(「遠いな。逃げる連中が邪魔して公園に近づけねぇのか」)
やれやれ、とため息をつく。
護は電車を降りるなり公衆電話を探し出すと、消防と警察へ連絡を入れていた。
隔者たちが有人飛行船を奪ってテロを起こそうとしている。襲撃現場はパニックで子供を含む多数の怪我人が発生していると伝え、公園の北と南出口付近に救急車を待機させるように要請しておいたのだ。
それがまさか、公園から出た人々で交通が乱れて救急車が近づけないとは。
「ま、嘆いたところでしょうがねえ」
公園を出たところで両脇の少年を乱暴に落とした。少々凄みを聞かせて少年たちに怪我人を集めるように命じる。
怪我人が集まるのを待つあいだ、公園外周を囲む木々の隙間から仲間たちの様子を確認した。
少し百鬼どもに押されているようだが、なに、じき逆転するだろう。公園から出で来る人の数が明らかに減ってきている。避難誘導優先に行動していた仲間の何人かが、戦いに加わっていた。それに、東から日那乃が戦いの場に合流しようとしているのが見えた。
「唾つけて治るような傷のやつはさっさと家に帰れ。邪魔だ!」
護はわざとつんけんどんな物言いで治療の優先順位を決めると、術式を使って治療を始めた。
「びーびー泣くんじゃねえよ、糞ガキが! 自分でしっかり立て!」
直後、マザコンボーイに付き添っていた、ざーますババアとの戦いが勃発するのだが、それは本筋にまったく関係のない話なので割愛させていただく。
――同じ頃。
行成は足をくじいて動けない女性を抱きかかえ、百鬼や黒服たちの無差別な攻撃から守りつつ飛行船のそばから離れた。
逃げ惑う人々に「こっちだ!」と声をかけて、一緒に出口へ向かうように誘導する。
「ここまで来れば大丈夫でしょう。ゆっくり落ち着いて、他の人たちと一緒に公園から出てください」
女性の足首に負担をかけないよう、そっと地面に降ろした。近くにいた男性に声をかけて、女性のサポートを頼む。
「すみませんが、お願いします」
礼をいう女性にそっけなく手を上げて応えると、行成は急いで公園内に駆け戻った。
急いで戻るにはわけがある。
最終防衛ラインが割られそうになっていた。
ここを越えられれば遠距離に対応した術で綱を切られてしまう、といったギリギリ手前のラインだ。
行成は黒服たちの動きに注意を払いながら、避難誘導する一方で、飛行船の北側に横並びのラインを三本引いていた。
目視で敵の動きは確認するようにしていても、救助に集中しても気づかないこともあるだろう。はっきりと目印になるものがあれば、手遅れになる確率をぐっと抑えることができる。
今まさにラインに動く人影を認めて、行成は救助を切り上げ、百鬼を抑えるために走っていた。
覚醒し、守護使役のもちまるから薙刀を受け取る。ラインを越えんと走り込んできた百鬼の前に立ちはだかって構えをとると同時に、身の内に眠る英霊の力を引き出して攻撃力を高めた。
「下手に飛ばされても困るからな……かといって財前の味方をするわけでもない。全ては一般人の安全を守る為だ」
足止めを狙い、薙刀を低く払った。
勢いを殺がれて前に転がった百鬼の上を、秋人が飛び越していく。
(「……百鬼の翼人はどこだ?」)
秋人は百鬼と黒服に挟まれて身をすくめていた人たちを庇いながら、次々に南へ運んでいた。運びながら、飛行船の回りを飛ぶ影がないか、常に気をつけていたのだが、未だに見つけられないでいた。
翼を持つ者の姿はあるが、全員、黒いスーツを着ている。財前の私兵たちだ。
私兵たちの半数は呻き声をあげて芝に転がっていた。ファイブの仲間か、それとも百鬼か。どちらがやったのかは分からない。そうそうに倒された連中は百鬼の進行を阻む障害物にもなれず、先を急ぐ秋人にとってはただ邪魔になるだけだった。
わずらわしい、と思いつつ、転がる黒服を何人か飛び越したところで、トラックの影から人影が飛び出すのが見た。
人影――手足の長い細身の女は体を低くして、敵の攻撃をうけとめた久永の横を走り抜けていく。
癒しの霧をひろげて支援する日那乃の姿と、細身の女の姿がオーバーラップした。
(「あ、ケープ!」)
百鬼の翼もまた、ゆったりとしたケープで背中の小さな翼を隠していた。
「由比さん、横! その人が百鬼の翼人です!」
秋人の警告に反応した久永が、とっさに腕を伸ばして翼人のケープを掴んだ。
だが、わずかに及ばず。指先でケープをひっかけ落とすにとどまった。
体が軽くなったのを感じとった翼人は、芝を強く蹴って飛び上がった。背中に現れた驚くほど小さな翼は、羽ばたきひとつしない。完全な飾りだ。
秋人はたたらを踏んで立ち止まり、すぐさま体を反転させた。
「待て! そなたは追うな。あれは余に任せておけ」
久永がカシミヤの角袖コートを脱ぎ捨てると、帯のあたりから赤い翼が広がった。
やはり空へ上がって百鬼を追いかけていく。
「秋人、こっちへ来てくれ。抑えの人手が足りねぇ! まだ翔と飛鳥、寺田さんが戻ってきていないんだ」
後ろで一悟が叫んでいる。
振り返ると、一悟と亮平、それに零の三人がかりで一人の男を囲っていた。
あれがここを襲撃している百 鬼たちのリーダー、椿 元晴だろう。頭の毛が逆立っているのは、ひょっとしたら零の雷獣にやられたせいなのかもしれない。韋駄天足ということだから、同じく韋駄天足もちの自分が抑えに入るべきだと判断した。
のこりの百鬼と黒服は、戻ってきたばかりの行成と、日那乃、それに亮平の掛け持ちでかろうじて抑え込んでいた。
最初に久永が味方だと宣言したにも関わらず、黒服たちはファイブも百鬼も区別がつかないようででたらめに攻撃していた。所詮は金で雇われた個人の集まりか。
ちょうど今も――。
「オイ。飛行船背にしてんだろ、アンタたちの敵襲じゃないって言ってるの! 何度も言わせんな薄らハゲ!」
「……回復する、ね」
このように、飛鳥と日那乃のふたりは時々、回復の術も交えなくてはならず、結果としてずるずるとハッピー号の近くまで押し込まれてしまったのだ。
「ちょ! 美人を無視してどこに行こうってんだ、てめぇ、元晴っ! それでもタマつきか!」
秋人は機敏に動くと、零と一悟の間をすり抜けた元晴をブロックした。
「……行かせないよ」
「さっきからうぜーな。どけよ、ファイブ。お前たちには関係ないことだろうが! ――と、そこの別嬪さんは腕の傷を手当てついでに抱いてやっからよ、大人しくそこで待ってな!」
元晴の軽口にかぶさるようにして、ぴん、と張った綱が切れる音が響いた。続けてもう一回。
飛行船が大きく南側へ傾く。
零は駆け戻ってくる護の姿をみつけると、念波を送って久永の加勢を頼んだ。
<「ちょっと手が足りなかったにゃー、そっち行ったでー」>
護は遠目にもわかるほど顔をむっとさせたが、黙って傾いた飛行船へ向かった。
入れ替わるようにして飛鳥が走ってきた。水礫を飛ばして、一悟に殴りかかろうとしていた百鬼の肩を打ちぬいた。
「おー! サンキュー、飛鳥。助かったぜ」
「翔ちゃんももうすぐ戻ってくるのよ。あ、パイロットさんは無事です。いま、翔ちゃんが公園の外につれてったのよ」
これを聞いて元晴が、芝がえぐれ飛ぶほど強く地面を蹴った。
そのうしろで、久永のエアブリッドが百鬼の翼人を撃ち落し、護がすかさず首根っこを押さえ込んだ。そこへ翔も加わって、三人がかりの捕獲となった。
最後までしぶとく立っていた黒服を、亮平が猛の一撃で倒す。
零はボロボロの百鬼たちに手のひらを向けて、その場にとどまらせた。
「元春、聞いて!! 紫雨は部下が大切なら、貴方達もその対象のはず!! それに、私達FiVEに血雨を倒せと紫雨は持ちかけている最中でしょう? 無暗で無駄な消耗戦はお互いに無意味じゃない?」
パイロットがいなければ、百鬼は飛行船を飛ばせないはず。自分たちで飛ばせるなら、焦らずに黒服を片づけてしまってから飛行船を奪えばいい話である。その間にパイロットが逃げ出していたとしても、なんの問題もなかったはずだ。
「それにこっちの上層部が財前の黒い噂を掴んでいるから、それを糸口に鉄槌喰らわせてみるから。それならそっちの損も紫雨の目的も果たせない? どうか、お互い不利益を喰らわない為に、退いて欲しい」
果たしてファイブの読みは当たっていた。
「ちっ、しょーがねぇな。ここはオレたち百鬼の負けにしておいてやらぁ。おい、引き上げるぜ」
●
亮平は足を少し引きずりながらトラックへ向かう元晴と、すれ違いざまに送受心でコンタクトを取った。
元晴の顔を見た瞬間から分かっていたことだが、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
同じく機会をみて問いただそうとしていた一悟を、目配せひとつで制した。
ここは任せて欲しい――。
<「椿 奈央さんをご存じですか?」>
あえて妹か、とは聞かなかった。
奈央はファイブの友好組織、黎明に所属する覚者である。対して元晴は、紫雨配下の百鬼に属する隔者だ。よく似た顔立ちにふたりが血縁関係にあるのは明らかだが、なんらかの事情で離ればなれになっているのだろう。
元晴は困ったな、と眉を下げるとともに口元を歪めた。
<「……そうですか。あなたが百鬼だという事を奈央さんは知ってるんですか?」>
元晴は短く、知っている、とだけ答えた。
それ以上は答えられないと言わんばかりに体を回して背を向ける。
トラックへ向かって歩きながら、怒鳴った。
「おい、もう行くぜ! そいつの手を離してやってくれ!」
護と翔は、取っていた翼人の腕を離してた。
「元春、また今度遊びましょ!」
零は去っていく背に向けて手を振った。
亮平と元晴が念話を交わしているのは分かていたが、いまは聞かないでおいてあげよう。
紫雨と百鬼に関わる重要な情報なら、ファイブの報告書に乗るはずだ。
元晴は歪んだトラックのドアを無理やり取ると、運転席に乗り込んだ。
フロントパネルに散ったガラスを手で乱暴に払いのける。
「あとは紫雨のご機嫌次第、だな。ま、またすぐ会えるさ」
にやりと笑うとキーを回してエンジンをかけた。
翼人が荷台に乗り込んだのをバックミラーで確認すると、バックで公園から出ていった。
「やれやれ。なんとかしのぎ切ったようだな」
行成は傾いた飛行船とその向こう、木々の上にすこしだけ飛び出したイベント会場の背に目を向けた。
「百鬼……財前のこと、あきらめた?」
日那乃の独り言めいた問いかけに答えられるものはいなかった。
ただ――。
「おっ? どうやら会場のほうも百鬼たちを退けたみたいだな。南の出口までパイロットをおぶって行ったときにはイベント会場のほうが随分騒がしかったんだけど、ほら――」
翔は耳に手を当てた。
「ん……確かに。多少、空気がざわついてはおるが、おおむね静かじゃな。しかし……飛行船が飛ぶところを見たかったぞ。東小路とやらに頼んでみようか?」
「いや、やめておいた方がいいですね。オレは百鬼との関係性が悪化するような事は避けたい……」
亮平は戦いの最中、いつの間にか飛ばされていた帽子を拾い上げると、草を払い落して被った。
「それにしても……私よりも身長のある者がこれほどいるのは……初めて見る光景だ」
「やめておいたほうがいい。どんな小さなことでも貸しは作りたくない相手だ」
行成が自分よりも背が高く、逞しい黒服たちに手を貸してたたせてやる。
「んなのほっといてさ、帰ろ、帰ろ」と零。
「そう言うわけにも行かねぇだろ。飛鳥、日那乃、手伝ってくれ」
護は零にちょっと待て、というと近くにいた黒服に歩み寄り、回復の術をかけてやった。
「しかたがないのよ。これも人助けなのよ、たぶん。ね、翔ちゃん。……翔ちゃん?」
「ん? ああ」
「どうしたのよ?」
「百鬼は、あいつのとこに帰るのかな……」
トラックがひいた轍の先を見つめたまま、翔は独りごちた。
ファイブがある五麟市のから、東小路・財前がいる新商品の発表イベント会場の近くにある駅まで、公共の乗りものを乗り継いでたどり着いたのは夢見が予知した百鬼襲撃のわずか十五分前のことだった。
飛行船ハッピー号を守るために集められた十名は、他の班の者たち――直接イベント会場で財前を狙う百鬼たちを退ける班の者たちと別れて、飛行船が着地している北の公園を目指して駆けた。
「ファイブで専用の車を用意できねぇのかな?」
走りながら奥州 一悟(CL2000076)が愚痴をこぼす。
さすが陸上部所属。日ごろからはしりこんでいるだけあって、一悟は愚痴をこぼしても息ひとつ乱れていない。みぞおちとへその間をぴんとって、斜め上に引き上げた理想的なフォームで一番に階段を駆け上がっていく。
その一段下に『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)の姿があった。
「ファイブの名前も公になったことだし、支援者や支援組織が増えれば……もしかして専用の乗りものができるかもしれないね」
もちろん、現場までかかった往復の交通費はあとからちゃんと払い戻される。だが、やはり依頼の度に公共の乗りものを乗り継いで現地入、あるいは地元に帰るのはなんだかなぁなのである。
「そうなったらいいな。帰りはともかく、行きは時間に余裕がない場合が多くてつらいぜ」
「うむ。そうなったらではなく、今すぐにでも手に入れて欲しいものじゃ」
壁に張られた飛行船の写真を横目にしながら、『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)と『白い人』由比 久永(CL2000540)も階段を駆け上がった。
「――と、あれか。さすがにでけぇな」
「飛行船とは初めて見たが……こんな大きな物が本当に飛ぶのか」
久永と寺田 護(CL2001171)が並んで額に手をあててみる先に、全長41メートルの巨大な気嚢が浮かんでいた。
日本で二台しかない有人飛行船、ハッピー号だ。東小路・財前の個人所有物である。紫雨の命を受けた百鬼たちは、この飛行船を奪い、空の上から財前の襲撃を目論んでいるらしい。
「ま、連中の思うようにはさせねえがな」
今回、襲撃を起こした連中の気持ちは分からなくもない。しかし、自分たちの目的のためなら手段を選ばず、一般の人々に危害を加えることも厭わないあたり、いかにも隔者らしい行動は理解できなかった。
七星剣の一角を占める百鬼なら、財前とその取り巻きだけを襲うチャンスなどいくらでも見つけられただろうし、また作ることもできたはずだ。
「ふん。手間惜しみやがって、バカ野郎どもが」
背中で黒き翼が小さくはばたいた。
一般人のふりをして隠す気はさらさらない。ありのままの姿で成すべきことを成す。
護の隣に並んで歩きながら、『裏切者』鳴神 零(CL2000669)は小さく首を振った。
一般人のふりしてまぎれている時間もそんなに長くなさそうだ。公園にはちらほらと覚者の姿もあることだし、一人ぐらい問題ないだろう。
そんなことよりも――。
零は歩みを止めずにしっかりと飛行船周りを観察した。
「あは。鳴神、冴えてる! ドンピシャ、思っていた通り!」
ぱちん、と指を鳴らした。
飛行船を地上に繋ぎ止めている綱のほとんどが、飛行船本体に取り付けられていた。もちろん気嚢にも四方に綱が張られているがほんのわずかだ。
「百鬼の翼もちが飛んで抜けても大丈夫。いくらでも抑えようがあるにゃー」
ふふん、と得意げに愛らしい鼻を鳴らす。
「じゃあ、零お姉さんの考えてくれた作戦で行くのよ。あすかは覚醒した翔ちゃんと一緒に西側の人たちを逃がします」
ウサギの耳は大きめの毛糸の帽子と髪で上手く隠した『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、小走りになって翔と並ぶと手を繋ぎ、年の離れた兄妹を演じながら人ごみの中を飛行船の西側へ向かって歩いて行った。
桂木・日那乃(CL2000941)は、翼人の羽をふんわりと柔らかなミルク色のケープで隠していた。守護使役のマリンには姿を隠してもらっている。あすかと同じく、飛行船を見学している一般人の中にまぎれこむためだ。
「被害者が出、たら駄目、なの、ね」
わたしは、東。と桂木・日那乃(CL2000941)は、立ち止まって振り返った一悟の元へ走った。
飛行船を百鬼に奪われないようにすることはもちろん、まずは公園内の人々を安全に逃がさなくてはならない。
「東小路・財前、悪いひとで、狙われるのを知ってるなら何かした? 百鬼、聞いたら教えてくれ、る?」
「え? オレに聞いた? ……うーん、分かんねえ。教えてくれるかもな。あとで百鬼に聞いてみたら?」
一悟と連れ立って歩き去る日那乃を見送って、『落涙朱華』志賀 行成(CL2000352)は公園の時計柱に目を向けた。
襲撃予定時刻まであと一分。
「急ごうか。百鬼たちが公園に入ってくる前までに飛行船の北側にいたい」
「そうですね。急ぎましょう――と言っていたら、来たようです。志賀さん、ほら、あそこです」
鈴白 秋人(CL2000565)が腕を上げて指示した先で、鉄パイプの車止めが吹き飛んだ。驚いて逃げる人々の間を蛇行しながら暴走トラックが飛行船に向かってくる。
「あのまま飛行船の前まで突っ込んでくる気だな」
財前の私兵たちも気づいたらしく、飛行船の回りにいた黒服たちが一斉に北へ顔を向けた。
ほぼ同時に、暴走トラックに気づいた北側の人々が悲鳴を上げだした。
「ギリギリ、でしたね。百鬼たちは鳴神さんたちに任せて、避難誘導を始めましょう」
●東
(「財前を助けてやる義理もねえし、どっちかつーと今回は百鬼たちに同情してるしで、いまいち気が乗らねぇな」)
内心でごちたものの、一悟はすぐに気持ちを切り替えて避難誘導を始めた。関係のない人々が被害にあうことが分かっていて、みすみす見逃すなんてことはできない性分なのだ。
百鬼たちを乗せたトラックの前に零が躍り出たのを確認して、一悟は隣でハッピー号を眺めていた日那乃に声をかけた。
「そっちにいる親子を頼むぜ」
「わかった」
日那乃はハッピー号をみるふりをしながら、周りにいる人々を観察していた。すでにこどもや年寄りなど、避難に手が必要な人々のピックアップは済ませてある。
「公園の出入口の位置も、ね。ちゃんとチェックしたから。北に近いところの人たち、任せる、ね。いい?」
一悟に東南と東北の出口位置を指で示して伝えると、心を開いて送受信が可能にした。
<「みんな、落ち着いて。南、あっちの出口から、逃げて」>
心で念を広く送りながら、口でも同じ言葉を叫んだ。
一悟もまた送受信を使って、とくに覚者たちに避難すべき方向を伝えていく。
<「すまねえ、できれば普通の人たちをかばいながら逃げてくれると助かる」>
戦う力は低くとも、発現した限りは一般人たちよりも神秘に対する耐性は高いはずだ。百鬼や財前の私兵たちの流れ弾からかばってもらえるなら、ぐっと被害を押さえることができる。
無理を承知の上での語りかけだったが、意外にもほとんどの覚者が一悟の願いに応えてこどもや年寄りに手を貸して、公園の出口へ向かってくれた。中には一緒に戦おう、と言ってくれる覚者もいたが――。
<「ありがてえけど、逃げてくれ。襲撃してきたのは百鬼っていって、七星剣の一つだ。名前ぐれぇはきいたことがあるだろ?」>
相手をして怪我をするだけならまたマシで、下手をすれば殺されてしまうぞ。と、脅しではなく本気で警告すると、顔を引きつらせながら逃げていった。
<「……回復できる人、いたら手伝ってもらえばよかったのに」>
しまった、と一悟は額を手で打った。
「大丈夫?」
日那乃は、逃げる人々を突き飛ばしながら北に向かう黒服たちの背を睨みつけた。
転んでひざを擦りむいた小さな男の子の手を取って立たせる。
「泣かないで、ね。すぐ、直してあげる」
手のひらを血のにじみ出た膝にあてて、癒しの滴で手当てしてやった。
「ほら、直った」
男の子は鼻をすすり上げた。
痛みがなくなった途端、転んだことなどきれいに忘れてしまったようで、半泣きの顔のまま母親を探しだした。いまにも大泣きしそうだ。
近くに母親らしき女性の姿がないことを確かめて、日那乃は男の子を抱きかかえた。ケープを落として翼を広げた。
後ろで、どさり、と音がしたかと思うと、足元に黒いサングラスが飛んできた。
「バカ野郎! 敵味方の区別ぐれぇちゃんと見分けやがれ!」
振り返ると、拳を固めた一悟が立っていた。
その下に黒服が腹を抱えてうずくまっている。
「……たく、覚者と見るなり見境なく襲いかかりやがって。大丈夫だったか?」
「うん。大丈夫」
「それじゃあ、早くその子を公園の外へ連れてってくれ。オレは先に百鬼の抑えに行く」
早く戻ってきてくれよ、という一悟に頷きだけで返事をすると、日那乃は男の子を抱きかかえたまま空へ上がった。
●西
「東小路ってオッサン、そんなに悪どい奴なんか」
翔はさりげなくハッピー号の操縦席へ視線を向けた。
小さな窓の奥で、口を半開きにした初老の男性が北の方を見ている。
つられて北に顔を向けると、人々の間にものすごいスピードで走ってくるトラックがちらりと見えた。
「悪い人なのよ。間違いないのよ」
飛鳥が毛糸の帽子からウサギの耳を出しながら断定する。
「いくら隔者でも捕まえて苛めたらダメなのよ。百鬼じゃなくても怒るのよ」
「だからって普通の人巻き込んでいいわけはねーし……て、呑気に言ってる場合じゃないよな。ざっと見たところ数多いけど、頑張って避難して貰おうぜ」
「了解なのよ」
二人は手分けして逃げ惑う人々の避難を始めた。
翔は北の仲間たちの動きを気に掛けながら、さりげなく黒服のグループに近づいた。
「大変だ、逃げないとっ!」
猛スピードでハッピー号に向かってやって来るトラックを指示しながら、大声を張り上げて人々に危険を知らせた。
悲鳴を上げながら走り出した人々が、棒立ちの黒服たちに次々とぶつかっていく。ここにきて突然の事態に呆然としていた黒服たちがやっと正気を取り戻し、戦い始めた仲間を支援すべく動きだした。
翔はすぐそばにいた黒服の腕を掴んだ。
「すみません、拡声器貸して下さいっ」
「あ? なんだ、貴様。腕を離せ!」
黒服は腕を振って翔の手を払いのけようとした。
「使わないなら持っていてもしようがないでしょ、貸して下さい!」
「ダメなものはダメだ。これは――っと、そこの男! 飛行船から離れろ!」
はっとして振り返る。
逃げる方向が分からず、てっとりばやく飛んで公園から逃げだそうと考えたのか、パニックになったらしき犬耳の男が飛行船のドアノブに手をかけていた。ガチャガチャとドアノブを強く引っ張り回している。
ドアが開かないところを見ると、内側から鍵がかけられているようだ。
飛行船の操縦席に目を移すと、パイロットが震えていた。必死でドアを開けようとしている覚者に怯え、腰をぬかしたらしく、体がゆっくりと窓の下へ沈んでいく。
飛鳥は、と首を回して探すと、車イスに乗った老婦人に付き添って南へ向かっていくところだった。
呼び戻すには遠くに離れすぎていた。自分がなんとかしなくては。
「一般人傷つけたら東小路さんの評判に関わるだろ! オレたちが避難誘導してやるって言ってんだよ!」
拡声器に手をかけながら、同時に犬耳の心へ念を送る。
<「覚者は狙われやすいから早く南へ行け! 飛行船はダメだ、余計に危ない!」>
意外なことに、犬耳は素直に指示に従って走り去った。
「ちっ! 逃げたか。おい、いつまで掴んでいる、離せ! 拡声器なら貸してやる」
拡声器と引き換えに黒服の腕を離してやると、人々に向かって「南へ逃げろ」と懸命に呼びかけてまわった。
「翔ちゃん、こっちへ来てくださいなのよ!」
老婦人を送り終えて、飛鳥が戻ってきていた。
さっきまで犬耳の覚者がいた飛行船のドアの前に立ち、翔を手招いている。
「ドアに鍵がかかっているのよ! パイロットさんに、開けてくださいっていったけど聞えていないみたいなのよ」
翔は飛行船に駆け寄ると、物質透過で船内へ入った。
「ひぃぃぃっ!」
操縦席の下に入り込んでますます縮こまるパイロットはひとまずうっちゃって、ドアの鍵を外しに向かった。
飛鳥は鍵が外されると、ドアを開けて飛行船の中に入った。操縦席に向かう。
「パイロットのおじさん、落ち着いてくださいなのよ。ここにいると危ないから、あすかたちと一緒に逃げてくださいなのよ」
「だ、だだだ、駄目です。私が逃げたら、は、ハッピー号が……」
海と空の違いはあれど、自分は船長なのだと飛鳥の手を突っぱねる。
二人で交互に根気よく声を掛けたが、パイロットは顔を膝にうずめたまま動こうとしなかった。
窓の外を、翼を広げた覚者が飛んで行った。
久永がすぐ後を追いかけていくのが見えた。
――と、いきなり船体が南側へ斜めに傾く。いくつか抑留の綱を切られてしまったようだ。
(「苦戦してんのか」)
立ちあがって窓の外を伺うが、船体が傾いているため北の様子がよく見えない。
もう無理にでも連れだすしかない、と覚悟を決めて、翔は飛鳥の肩に手をかけた。
飛鳥は翔を振り返ると、少し待って、と目で訴えた。
試してみたいことがあるのだ。
「それにしてもハッピー号なんてネーミング、適当すぎるのよ。ぜんざいさんは他にもっといい名前思いつけなかったですか?」
自分が預かる船の名をくさされたことにカチンときたのか、パイロットが顔を上げた。
「適当なんかじゃありませんよ。財前さまはこの飛行船でこどもたちに夢を運びたい。幸せになって欲しいという願いを込められて――」
「はい、そこまでなのよ」
夢見によって財前の裏の顔を知る飛鳥たちからすれば、どうにも嘘くさい名の由来だった。財前自身が名付けたとは限らないのだが、やっぱりセンスがない。
容赦なく話をぶったぎると、飛鳥は魔眼でパイロットに催眠をかけた。
「あすかの目を見てくださいなのよ……一緒に来てください」
飛行船の外に連れだしたところで、翔がパイロットを背負った。催眠が解ける前に公園からつれださないと、面倒なことになりそうだ。自分で走らせるよりも、翔が背負って走る方が早い。
「翔ちゃん、頼んだのよ。あすか、みなさんのところへ先に行きます」
すぐに戻る、というなり翔は公園の南出口を目指して走り出した。
●北
亮平は、黒服たちの位置を確認しながら飛行船を回り込んだところで、何かが弾き飛ばされる音を聞いた。
周りにいた人たちと同じように、首を回して北を見る。
小型トラックがものすごいスピードで向かってきていた。百鬼たちが乗るトラックに違いない。
「まにあってよかった」
「東小路も百鬼についても詳しくはないが……やれやれ、無関係な者を巻き込むのは感心せんなぁ」
人々を蹴散らすように突進してくる様子に、久永が憤る。
「すみません、俺たちは避難誘導を始めます。百鬼たちの足止めを頼みます」
久永は鷹揚に頷くと、零とともに黒服たちの前へ進み出た。
「ふぁいぶという組織の者だ、故あって襲撃者の撃退に手を貸すぞ」
名乗りを上げたはいいが、反応のあまりのなさに不安が募る。言って分からぬようなら、あとは行動で示すしかないが……。
(「賢明な判断をしてくれることを願おう」)
潜在的な敵に背をさらしたまま、零とならんで暴走トラックの進路上に立った。
先手を取ったのは久永だ。
久永がエアブリットでトラックのフロントガラスを割ると、すかさず零が天から獣のごとくたけり狂った雷を招き、落した。
「百鬼、こっから先には行かせない。FiVEって言えば、貴方達なら分かるでしょ? ――て、でぇぇぇっ!!?」
連撃を受けたトラックは蛇行するも止まらず、むしろスピードをあげて零に突っ込んできた。
零は逃げ出さずに腰を落とすと、両腕をあげて顔をブロックした。トラックを体ひとつで止めるつもりだ。
「ふんす!! 乙女、なめんなよ!」
どぉん、と鈍い音でトラックが止まった。
間髪入れず、荷台から百鬼たちが飛び降りてきた。
「大丈夫か、鳴神? 百鬼たちはしばらく余に任せて、後ろへ下がっているといい」
「あは、無問題。こんなのかすり傷よ」
とりあえず、二人の無事を確かめた亮平は、近くにいた黒服に声をかけて拡声器を半ば強引に借り受けた。
百鬼たちの攻撃が二人を抜けて一般人に当たらぬように、気をつけて動き回りながら、落ち着いたトーンで南へ逃げるように人々に呼びかける。
「東小路さんが守って下さいます。黒い服を着た警備の方々の前に行かず、飛行船を回って南出口へ。速やかに避難して下さい」
落ち着いた声のトーンをみださない程度に声を張り上げて、手振りを交えながら人々を逃げるべき方角へ誘導する。
それでもパニックになった人々の中には、北へ走り去ろうとするものや、守ってもらおうとしてのことか、黒服たちにまとわりつくものが結構な数でいた。
「あぶねぇってさっきから言ってんだろっ。南に逃げろ……って聞こえてねぇのか、バカ野郎! 立て!」
護は、舌を打つと、頭を抱えて芝に座り込んでいた学生二人を両脇に抱えた。
「おい、鳴神! しばらく回復なしでやれるか?!」
「問題ないよ。零頑張る。いってらっさー」
互いに背を向けたまま、言葉だけでやり取りを終えると、護は軽々と少年たちを抱え上げて走り出した。途端、両脇で痛い、痛いという声が上がりだす。
「運んでやってんだ、文句をいうな!」
悲鳴に交じって微かに聞こえていた救急車のサイレンの音が止んだ。公園出口に白い車体どころか、赤い回転灯の明かりすら見えない。
(「遠いな。逃げる連中が邪魔して公園に近づけねぇのか」)
やれやれ、とため息をつく。
護は電車を降りるなり公衆電話を探し出すと、消防と警察へ連絡を入れていた。
隔者たちが有人飛行船を奪ってテロを起こそうとしている。襲撃現場はパニックで子供を含む多数の怪我人が発生していると伝え、公園の北と南出口付近に救急車を待機させるように要請しておいたのだ。
それがまさか、公園から出た人々で交通が乱れて救急車が近づけないとは。
「ま、嘆いたところでしょうがねえ」
公園を出たところで両脇の少年を乱暴に落とした。少々凄みを聞かせて少年たちに怪我人を集めるように命じる。
怪我人が集まるのを待つあいだ、公園外周を囲む木々の隙間から仲間たちの様子を確認した。
少し百鬼どもに押されているようだが、なに、じき逆転するだろう。公園から出で来る人の数が明らかに減ってきている。避難誘導優先に行動していた仲間の何人かが、戦いに加わっていた。それに、東から日那乃が戦いの場に合流しようとしているのが見えた。
「唾つけて治るような傷のやつはさっさと家に帰れ。邪魔だ!」
護はわざとつんけんどんな物言いで治療の優先順位を決めると、術式を使って治療を始めた。
「びーびー泣くんじゃねえよ、糞ガキが! 自分でしっかり立て!」
直後、マザコンボーイに付き添っていた、ざーますババアとの戦いが勃発するのだが、それは本筋にまったく関係のない話なので割愛させていただく。
――同じ頃。
行成は足をくじいて動けない女性を抱きかかえ、百鬼や黒服たちの無差別な攻撃から守りつつ飛行船のそばから離れた。
逃げ惑う人々に「こっちだ!」と声をかけて、一緒に出口へ向かうように誘導する。
「ここまで来れば大丈夫でしょう。ゆっくり落ち着いて、他の人たちと一緒に公園から出てください」
女性の足首に負担をかけないよう、そっと地面に降ろした。近くにいた男性に声をかけて、女性のサポートを頼む。
「すみませんが、お願いします」
礼をいう女性にそっけなく手を上げて応えると、行成は急いで公園内に駆け戻った。
急いで戻るにはわけがある。
最終防衛ラインが割られそうになっていた。
ここを越えられれば遠距離に対応した術で綱を切られてしまう、といったギリギリ手前のラインだ。
行成は黒服たちの動きに注意を払いながら、避難誘導する一方で、飛行船の北側に横並びのラインを三本引いていた。
目視で敵の動きは確認するようにしていても、救助に集中しても気づかないこともあるだろう。はっきりと目印になるものがあれば、手遅れになる確率をぐっと抑えることができる。
今まさにラインに動く人影を認めて、行成は救助を切り上げ、百鬼を抑えるために走っていた。
覚醒し、守護使役のもちまるから薙刀を受け取る。ラインを越えんと走り込んできた百鬼の前に立ちはだかって構えをとると同時に、身の内に眠る英霊の力を引き出して攻撃力を高めた。
「下手に飛ばされても困るからな……かといって財前の味方をするわけでもない。全ては一般人の安全を守る為だ」
足止めを狙い、薙刀を低く払った。
勢いを殺がれて前に転がった百鬼の上を、秋人が飛び越していく。
(「……百鬼の翼人はどこだ?」)
秋人は百鬼と黒服に挟まれて身をすくめていた人たちを庇いながら、次々に南へ運んでいた。運びながら、飛行船の回りを飛ぶ影がないか、常に気をつけていたのだが、未だに見つけられないでいた。
翼を持つ者の姿はあるが、全員、黒いスーツを着ている。財前の私兵たちだ。
私兵たちの半数は呻き声をあげて芝に転がっていた。ファイブの仲間か、それとも百鬼か。どちらがやったのかは分からない。そうそうに倒された連中は百鬼の進行を阻む障害物にもなれず、先を急ぐ秋人にとってはただ邪魔になるだけだった。
わずらわしい、と思いつつ、転がる黒服を何人か飛び越したところで、トラックの影から人影が飛び出すのが見た。
人影――手足の長い細身の女は体を低くして、敵の攻撃をうけとめた久永の横を走り抜けていく。
癒しの霧をひろげて支援する日那乃の姿と、細身の女の姿がオーバーラップした。
(「あ、ケープ!」)
百鬼の翼もまた、ゆったりとしたケープで背中の小さな翼を隠していた。
「由比さん、横! その人が百鬼の翼人です!」
秋人の警告に反応した久永が、とっさに腕を伸ばして翼人のケープを掴んだ。
だが、わずかに及ばず。指先でケープをひっかけ落とすにとどまった。
体が軽くなったのを感じとった翼人は、芝を強く蹴って飛び上がった。背中に現れた驚くほど小さな翼は、羽ばたきひとつしない。完全な飾りだ。
秋人はたたらを踏んで立ち止まり、すぐさま体を反転させた。
「待て! そなたは追うな。あれは余に任せておけ」
久永がカシミヤの角袖コートを脱ぎ捨てると、帯のあたりから赤い翼が広がった。
やはり空へ上がって百鬼を追いかけていく。
「秋人、こっちへ来てくれ。抑えの人手が足りねぇ! まだ翔と飛鳥、寺田さんが戻ってきていないんだ」
後ろで一悟が叫んでいる。
振り返ると、一悟と亮平、それに零の三人がかりで一人の男を囲っていた。
あれがここを襲撃している百 鬼たちのリーダー、椿 元晴だろう。頭の毛が逆立っているのは、ひょっとしたら零の雷獣にやられたせいなのかもしれない。韋駄天足ということだから、同じく韋駄天足もちの自分が抑えに入るべきだと判断した。
のこりの百鬼と黒服は、戻ってきたばかりの行成と、日那乃、それに亮平の掛け持ちでかろうじて抑え込んでいた。
最初に久永が味方だと宣言したにも関わらず、黒服たちはファイブも百鬼も区別がつかないようででたらめに攻撃していた。所詮は金で雇われた個人の集まりか。
ちょうど今も――。
「オイ。飛行船背にしてんだろ、アンタたちの敵襲じゃないって言ってるの! 何度も言わせんな薄らハゲ!」
「……回復する、ね」
このように、飛鳥と日那乃のふたりは時々、回復の術も交えなくてはならず、結果としてずるずるとハッピー号の近くまで押し込まれてしまったのだ。
「ちょ! 美人を無視してどこに行こうってんだ、てめぇ、元晴っ! それでもタマつきか!」
秋人は機敏に動くと、零と一悟の間をすり抜けた元晴をブロックした。
「……行かせないよ」
「さっきからうぜーな。どけよ、ファイブ。お前たちには関係ないことだろうが! ――と、そこの別嬪さんは腕の傷を手当てついでに抱いてやっからよ、大人しくそこで待ってな!」
元晴の軽口にかぶさるようにして、ぴん、と張った綱が切れる音が響いた。続けてもう一回。
飛行船が大きく南側へ傾く。
零は駆け戻ってくる護の姿をみつけると、念波を送って久永の加勢を頼んだ。
<「ちょっと手が足りなかったにゃー、そっち行ったでー」>
護は遠目にもわかるほど顔をむっとさせたが、黙って傾いた飛行船へ向かった。
入れ替わるようにして飛鳥が走ってきた。水礫を飛ばして、一悟に殴りかかろうとしていた百鬼の肩を打ちぬいた。
「おー! サンキュー、飛鳥。助かったぜ」
「翔ちゃんももうすぐ戻ってくるのよ。あ、パイロットさんは無事です。いま、翔ちゃんが公園の外につれてったのよ」
これを聞いて元晴が、芝がえぐれ飛ぶほど強く地面を蹴った。
そのうしろで、久永のエアブリッドが百鬼の翼人を撃ち落し、護がすかさず首根っこを押さえ込んだ。そこへ翔も加わって、三人がかりの捕獲となった。
最後までしぶとく立っていた黒服を、亮平が猛の一撃で倒す。
零はボロボロの百鬼たちに手のひらを向けて、その場にとどまらせた。
「元春、聞いて!! 紫雨は部下が大切なら、貴方達もその対象のはず!! それに、私達FiVEに血雨を倒せと紫雨は持ちかけている最中でしょう? 無暗で無駄な消耗戦はお互いに無意味じゃない?」
パイロットがいなければ、百鬼は飛行船を飛ばせないはず。自分たちで飛ばせるなら、焦らずに黒服を片づけてしまってから飛行船を奪えばいい話である。その間にパイロットが逃げ出していたとしても、なんの問題もなかったはずだ。
「それにこっちの上層部が財前の黒い噂を掴んでいるから、それを糸口に鉄槌喰らわせてみるから。それならそっちの損も紫雨の目的も果たせない? どうか、お互い不利益を喰らわない為に、退いて欲しい」
果たしてファイブの読みは当たっていた。
「ちっ、しょーがねぇな。ここはオレたち百鬼の負けにしておいてやらぁ。おい、引き上げるぜ」
●
亮平は足を少し引きずりながらトラックへ向かう元晴と、すれ違いざまに送受心でコンタクトを取った。
元晴の顔を見た瞬間から分かっていたことだが、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
同じく機会をみて問いただそうとしていた一悟を、目配せひとつで制した。
ここは任せて欲しい――。
<「椿 奈央さんをご存じですか?」>
あえて妹か、とは聞かなかった。
奈央はファイブの友好組織、黎明に所属する覚者である。対して元晴は、紫雨配下の百鬼に属する隔者だ。よく似た顔立ちにふたりが血縁関係にあるのは明らかだが、なんらかの事情で離ればなれになっているのだろう。
元晴は困ったな、と眉を下げるとともに口元を歪めた。
<「……そうですか。あなたが百鬼だという事を奈央さんは知ってるんですか?」>
元晴は短く、知っている、とだけ答えた。
それ以上は答えられないと言わんばかりに体を回して背を向ける。
トラックへ向かって歩きながら、怒鳴った。
「おい、もう行くぜ! そいつの手を離してやってくれ!」
護と翔は、取っていた翼人の腕を離してた。
「元春、また今度遊びましょ!」
零は去っていく背に向けて手を振った。
亮平と元晴が念話を交わしているのは分かていたが、いまは聞かないでおいてあげよう。
紫雨と百鬼に関わる重要な情報なら、ファイブの報告書に乗るはずだ。
元晴は歪んだトラックのドアを無理やり取ると、運転席に乗り込んだ。
フロントパネルに散ったガラスを手で乱暴に払いのける。
「あとは紫雨のご機嫌次第、だな。ま、またすぐ会えるさ」
にやりと笑うとキーを回してエンジンをかけた。
翼人が荷台に乗り込んだのをバックミラーで確認すると、バックで公園から出ていった。
「やれやれ。なんとかしのぎ切ったようだな」
行成は傾いた飛行船とその向こう、木々の上にすこしだけ飛び出したイベント会場の背に目を向けた。
「百鬼……財前のこと、あきらめた?」
日那乃の独り言めいた問いかけに答えられるものはいなかった。
ただ――。
「おっ? どうやら会場のほうも百鬼たちを退けたみたいだな。南の出口までパイロットをおぶって行ったときにはイベント会場のほうが随分騒がしかったんだけど、ほら――」
翔は耳に手を当てた。
「ん……確かに。多少、空気がざわついてはおるが、おおむね静かじゃな。しかし……飛行船が飛ぶところを見たかったぞ。東小路とやらに頼んでみようか?」
「いや、やめておいた方がいいですね。オレは百鬼との関係性が悪化するような事は避けたい……」
亮平は戦いの最中、いつの間にか飛ばされていた帽子を拾い上げると、草を払い落して被った。
「それにしても……私よりも身長のある者がこれほどいるのは……初めて見る光景だ」
「やめておいたほうがいい。どんな小さなことでも貸しは作りたくない相手だ」
行成が自分よりも背が高く、逞しい黒服たちに手を貸してたたせてやる。
「んなのほっといてさ、帰ろ、帰ろ」と零。
「そう言うわけにも行かねぇだろ。飛鳥、日那乃、手伝ってくれ」
護は零にちょっと待て、というと近くにいた黒服に歩み寄り、回復の術をかけてやった。
「しかたがないのよ。これも人助けなのよ、たぶん。ね、翔ちゃん。……翔ちゃん?」
「ん? ああ」
「どうしたのよ?」
「百鬼は、あいつのとこに帰るのかな……」
トラックがひいた轍の先を見つめたまま、翔は独りごちた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
