【古妖狩人】止まない雨に翳す傘
【古妖狩人】止まない雨に翳す傘


●宿り木
 長雨の中、一人の少女が駆けていた。
 どうしていつも、大事なことを忘れてしまうのだろう。少女は自己嫌悪に陥りながらも先を急ぐ。雨に濡れて芯まで冷え、吐息は白く曇っていた。
 そんな折、少女はふと頭上を飛ぶ何かに気が付いた。
 それは骨組みだけになった、みすぼらしい傘だった。竹で出来た骨を翼のように広げて飛び、石突の部分が鳥の頭になっている。
 少女は一瞬恐怖心を抱くが、すぐにそれが勘違いだと分かった。傘がその体を開いて少女を収めると、何も貼られていないのに、不思議なことに雨は遮られていた。
「守ってくれるの?」
 傘は答えない。ただ雨に打たれるだけだ。
「ありがとう!」
 少女は柄を握って歩き始めた。誰かと一緒に帰り道を歩くのは久しぶりだった。
「私、みんなよりバカだから、いつも失敗ばかりしてるの。今日だって雨具を忘れちゃったもの」
 傘は同情も、勇気付けたりもしない。それでも少女は話を聞いてくれるだけで嬉しかった。
「また会えるかな?」
 自宅まで送り届けてくれた傘に訊く。異貌はやはり答えることなく、どこかへと飛び去っていった。

 不燃物で溢れた廃棄場に、その古妖はひっそりと身を横たえていた。薄汚れたこの場所から古妖が飛び立つのは、雨が降り始めた時だけである。
 傘のない者の助けとなる。それが己の宿命。
 とはいえ、この時世に傘も持たずに出歩く人間なんてそう見かけるものではない。通り雨さえ使い捨てのビニール傘を買えば凌げる――もう必要とされる時代じゃないのだろう。だが僅かにでも可能性があるなら、怠る訳にはいかない。
 ちょうど、こんなふうに。
「あっ!」
 ランドセルを雨除けにしていた少女は、古妖の姿を見つけた途端表情を明るくした。これでもう四度目の邂逅になる。古妖は特に応対を変えず、その身を呈した。
 ただ、少女のほうは何か伝えたいことがある様子だ。
「あなたのこと調べたの。骨傘っていうのよね?」
 くしゃくしゃの紙を取り出しながら言う。失念しないようにと書き留めてきたのだろう。
「雨で困ってる人を助けてくれるって。あなたって凄く素敵なのね」
 道中の会話はいつものように、少女が純朴に話しかけるだけで。
 それはとても平穏な時間だった。
「ねぇ骨傘。私、あなたが好きよ」
 そう告げると少女は、握った中軸に口付けをした。
「もっと一緒にいたいけど、本当は会わないほうがいいのよね。甘えてばかりじゃいけないもの。寂しいけど私、なるべく傘を忘れないようにするわ」
 降りしきる雨音に紛れたその言葉を、骨傘は確かに聞いていた。
 
 ある日の午後、強い雨が降った。骨傘はいつものように、上空から雨で難儀している人を探す。
 ――傘の所持云々ではなく、自然とあの少女を追っていることを、骨傘は恥じながらも認めた。
 けれど、どこにもその影が見当たらない。他に子供達は見えるから、今が下校時刻なのは間違いないというのに。
 骨傘は焦燥感に駆られる。
 ザア、ザア、ザア。
 雨は勢いを増していく。
 降りしきる雨粒を切り裂いて町中飛び回った。その甲斐あって、ついに少女の居場所を発見する――しかし。
「離して!」
 橋の下にいた少女は自由を奪われ、複数の男達に監視されていた。
「お嬢ちゃんには何もしないって言ってるだろ。大人しくしてな」
「用があるのはお前と一緒にいる化物なんだからよ」
「雨になったらこいつの所に来るらしいが、本当か? まだ気配がないぞ」
「目撃証言があるんだから間違いねぇ」
 男共は好き勝手に喚いている。
「ダメ! 骨傘に酷いことしないで!」
 少女は叫ぶと、自分を抑えている腕に噛みついた。
「痛ぇ! 何しやがるこのガキ!」
 歯向かわれた男は手を振り解くとそのまま殴り飛ばした。少女は濡れた砂利の上に倒れ込み、ううと呻く。
 一部始終を眺めた骨傘は、内側で何かが大きく弾けるのを感じた。
 ザア――ザア――
 ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ。

●情動
「骨傘は、とても優しい古妖です」
 久方 真由美(nCL2000003)は保護対象の古妖をそう説明した。
「通行人を雨から防いでくれる、という逸話が残っています……そうした健気な性質を、古妖狩人は利用するみたいで」
 真由美の言葉には珍しく怒気が籠っている。
「ですが、彼らは骨傘の本質を知らないようです。骨傘がその実、一介の人間の手に負えるような古妖ではないことを」
 破れた傘で風雨を凌げるのは、古妖自身が雨を操作しているからに他ならない。能力は局所的な範囲に留まらず、大規模にまで至るという。
「憤怒者の狼藉を知った瞬間、豪雨を巻き起こして殺してしまうでしょう。女の子だけは自分の傘下に入れて助けられるでしょうが……人命が絶えるほどの雨なのですから、余波は計り知れません」
 建物の崩落、地盤沈下、川の氾濫――雨で連想する災害だけでも枚挙に暇がない。
「皆様の力で、悲しい雨を阻止してください」
 


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:深鷹
■成功条件
1.憤怒者の撃退
2.古妖『骨傘』を乱心した状態で憤怒者と接触させない
3.少女の救出
 OPを御覧頂きありがとうございます。
 めっきり寒くなってきた時期に追い討ちみたいで恐縮ですが、冷たい雨のシナリオです。

●現場情報
 ★河原
 川幅は10m、岸幅は両サイド5m程度です。川の全長の分だけ川岸も続いているので、細長い地形といえます。
 憤怒者、及び彼らが人質にしている少女は岸の片側に偏って配置されています。
 足場は砂利ですが、雨で濡れているので非常に滑りやすいです。何らかの対策がなければ命中回避に若干のマイナス補正がかかります。
 ただし雨の届かない橋の下だけはその限りではないです。とはいえ狭いので狙って活用できるかというと微妙です。
 また川に落ちた場合、守護使役や非戦スキルなどの対処手段がなければ1ターンの間移動以外の行動が不可となります。

 開始時刻は16:00を予定しています。この時間帯は大雨なので人通りは極端に少ないです。
 少女がいつ頃、どこで憤怒者に捕らえられたかは予知が及んでいないため、事前行動で防止するというのは極めて困難です。

●古妖情報
 ★古妖『骨傘』
 壊れた傘が付喪神となったものです。見た目は傘そのものですが、取るポーズなどはどことなく鳥を思わせます。
 本来は雨雲を操る甚大な力を持つのですが、そうした一面を覗かせることは少なく、誰かの傘代わりに徹する古妖です。
 雨が降ると上空30メートルを飛んで傘がなくて困っている人がいないか探し始めます。
 ただし今回は余裕がないので少女の捜索だけに専念しています。
 雨の降り始める16:00に廃棄場を離れてから少女を見つけ出すまでは、一切干渉がなければ20分(=120ターン)ほどと予測されます。
 町中飛び回るので、そのターン内に市街地のどこかにいれば古妖が飛ぶ様を見かけることもあるでしょう。

 ※注釈
 OP中にあるように古妖が憤怒者と接触するとその瞬間失敗が確定します。ただし、何らかの働きかけで古妖の精神状態が安定していれば、そうした事態は抑えられるかも知れません。

●敵情報
 ★憤怒者『古妖狩人』構成員 ×14
 お馴染みの連中です。前衛八人、後衛六人という配列です。
 さすまたを持った前衛が進攻を弾き、後衛がボウガンで狙撃するという戦術を取ってきます。
 なお、彼らは骨傘の生態を正確に把握していません。分かっているのは雨になったら例の少女のところに現れる、ということくらいです。
 なので適当に雨に濡れて骨傘が助けに来てくれるの待ち、みたいな行動は取りません。
 行う作戦は夢見の予知の通り、少女を捕らえて骨傘の到来を待つというやり方です。

 『さすまた』 (物/近/単/ノックバック)
 『ボウガン』 (物/遠/単)


 解説は以上になります。それではご参加お待ちしております!
 
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2015年12月13日

■メイン参加者 8人■

『月下の白』
白枝 遥(CL2000500)
『探偵見習い』
賀茂・奏空(CL2000955)
『幻想下限』
六道 瑠璃(CL2000092)
『アイティオトミア』
氷門・有為(CL2000042)
『在る様は水の如し』
香月 凜音(CL2000495)
『感情探究の道化師』
葛野 泰葉(CL2001242)
『ホワイトガーベラ』
明石 ミュエル(CL2000172)
『希望を照らす灯』
七海 灯(CL2000579)

●冬空は灰色に染まって
 決して鳴くことのない鳥は、街を覆う雨の中を傷んだ襤褸の翼で駆け巡っていた。
 焦りだけに思考を支配されていた。胸に過る得体の知れない不安をどうしても拭うことが出来ない。あの子は、どこにいるのだろう――
 ――待って!
 ふと、下方から呼び止める声があった。
 聴覚を介さず、頭で直接その声を受け取った。一瞬奇怪に思うがしかし、今は一分一刻が惜しい。羽ばたきを止めることなく進み続けようとする。
 だがそれも、不意に何かが身を呈して進路を塞いだことで阻まれた。
 視界を遮ったそれは、紛れもなくありふれた人間である――宙に浮かんでいる事実さえ除けば。恐らくは、先程脳裏に響き掛けてきたのも彼であろう。
 少年が飛ぶ原動力となっているのは、凍った吐息によく似た、混じり気のない純白の翼。邪魔だとばかりに怪鳥は瞳を狭めた四白眼で睨みつけて威嚇するが、欠片も怯む気配はない。
 強固な意志を秘めた少年は、雪めいた髪を濡らす冷たい雨も気にせず、今度は口を開いて向き合う。
「お願い、僕の話を聞いて――骨傘!」
 言葉以上に、その真摯な眼差しで訴えながら。
「君の探してる少女のことなんだ!」
 白枝 遥(CL2000500)はそう告げた。

●河川
 午後四時を境に降り始めた夕立は勢いを増す一方で、頭上のコンクリートを雨粒が打ち付ける轟音に男達は顰めっ面を作っていた。だがこの橋以外に身を隠す術を持たないのだから贅沢は言えない。
「こいつ連れて堂々と歩く訳にゃいかないからな」
 男の一人が人質に捕らえた少女を見やりながら呟く。怯えと憤懣が同居した涙混じりの瞳で睨み返してくるが、所詮は無力な子供。威圧感に欠けている。
「チッ、遅ェな。どこぞで油でも売ってんのか」
 腕時計を確認する。雨が降ればすぐにでも、この少女の元に駆けつけるという話なのだが。
 男達が時間を気にしているところに、一人の少年が橋の下へと駆け寄った。
「うひー、参った参った。急に雨に降られるんだもんなぁ」
 大雨にはしゃぎ気味の少年はヘッドホンを外すと、先客の集団に気付いて軽く会釈した。彼の後ろからは連れと思しき別の少女も見え、彼女もまた橋の下に駆け込んできた。
「ん? おじさん達サバゲーでもしてるの?」
 興味津々の目で見やる少年。指摘された男達は苦笑いを浮かべながら何気なさを装って構えていた武器を下ろし、同時に背中に人質の姿を隠した。
 現れた少年は小柄な外見を鑑みる限り小学生でもおかしくないだろう。だとすれば、人質と関係性がないとは言い切れない。そして紅の瞳をひっきりなしに走らせる様子からして見るからに好奇心の強そうな気配がある。首を突っ込んでこられたら堪らない。幸いにも少女は声を上げないでくれている。どうにかしてこの場をやり過ごさねば。
「お前らこそ何してんだ」
 男の一人が動揺を押し殺して、低い声で凄みつつ尋ね返す。
「いえ、この天気ですから雨宿りでもしようかと」
 ランドセルに膝上まであるソックスという出で立ちの少女が、俯き加減で無愛想に答える。何やら怪しんでいる態度が見て取れる。
 身長が先に来た少年より若干低い程度なのを考えると、同級生であろうか。顔はやや見えづらいが、目鼻立ちのはっきりとした異国めいた風貌をしている。
 ただ、それより更に後から来た少女は明らかに空気が違う。個々のパーツがすらりと伸びたスタイルもそうだが、同学年にしては大人び過ぎた顔立ちをしている。外国人風の容姿からすればランドセルを背負った少女と姉妹というのは有り得るが、髪色がまるで違うことからその線も薄い。
「あ……すみません……。お喋りに夢中で、気付かなくて……」
 もっとも伏し目がちで気弱そうな雰囲気を纏っていることから、危うさは一番感じられなかった。活発な少年は何をしでかすか予測できず、無表情の少女は何を考えているか判別できない。
「いやぁ、さっきまで変な骨の傘みたいなのに雨を凌がせて貰ってたんだよね。そん時はよかったんだけど」
 少年の言葉に男達全員が反応し、話の続きを聞こうと少し前に出る。
「あれ、奥にいる子はたしか……二組の奴の妹ちゃんじゃない?」
 そのうちの一人の背後を指差す少年。
「本当ですね。彼女も雨宿りの最中でしょうか」
「……こんなところで、何してるのかな……?」
 黒髪の少女はさりげなく近寄ろうとし、ブロンドの少女は多数の男達といた状況も含めて怪訝そうな顔をする。懸念が的中し、不運を嘆く男達。なるべく穏便に済ませたかったが、場合によっては武器で威圧せざるを得ない可能性も考慮に入れる。
「いや、これは……」
 再度少女を隅に押し込めようとするが――
「やめなさい! その子を離しなさい!!」
 怒気に満ちた甲高い声が響いた。

 河原からやや離れた路地で、『笑顔の約束』六道 瑠璃(CL2000092)はじっと息を潜めていた。
 橋と豪雨が上手く視野を塞いでくれているため可能性は低いが、仮にこちらの動向に勘付かれれば台無しになる。かといって先行隊の『送受心』を過不足なく受け取るにはこれ以上の間隔を取ることは出来ず、安全な位置まで下がるといった選択肢は元より用意されていない。
「今ちょうど接触があったみたいだね。動きがあるとしたら一分か二分くらいかな?」
 絶えず送られてくる状況伝達に緊張が走る中、唇の端に微笑を湛えた『感情探究の道化師』葛野 泰葉(CL2001242)だけは期待感で胸を高鳴らせていた。
 問答無用で憤怒者を蹴散らせるサディスティックな悦びへの期待もあるが、何よりも、古妖に好意を抱いているという少女に対しての興味が尽きない。是非とも話を伺いたいと心待ちにしているだけに、じれったさも少々感じていた。そうした感情の揺らめきは内で燃やした焔の熱量に現れていた。
 万事に関心を寄せる泰葉とは対照的に、香月 凜音(CL2000495)は億劫そうに頭を掻きつつも。
「更紗。ちょっと頼まれてくれな?」
 守護使役に命じて骨傘が来ていないか警邏させる。
「あっちもあっちで、上手いことやってくれてりゃ助かるんだが」
 灰一色の上空を仰ぐ凜音の視線は偵察に励む守護使役ではなく、その先――単身古妖と接触を図る遥の様子を眺めているようだった。
 雨は尚も降り続ける。
「……待ってください、連絡が入っています」
 それまで多言を要さず待機と受信に意識を集中していた『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)が、最新の展開が送られてきたのを機に背筋を伸ばす。現状を伝える報告内容自体はごく簡素だったが、瞼を閉じ、何度も確認するように念を送り返す。
「救出できたのか?」
 同じく心象を受け取った瑠璃が灯と、発信源に問う。
「いえ、これは――」

●曇り模様の心に
 遥から件の少女について聞かされた鳥――骨傘は、驚きと戸惑いとを等しくその表情に示した。
「あの子は今捕まってるんだ……『古妖狩人』といってね、君みたいな存在を捕獲するために暗躍している組織があるんだよ」
 そう知らされるや否や骨傘は翼を水平にするが、両手を広げた遥が慌てて制する。
「落ち着いて! いいかい、今僕の仲間が彼女を助けに向かってる。君が行く必要はないんだ」
 むしろ骨傘が出向いたほうが危険だと遥は説明する。憤怒者が少女を人質に取ったのは、古妖を誘き寄せるためである、と。その考えに乗っていては相手の思う壺だ。
「君ならきっと返り討ちに出来るんだろうけど……でも、彼らを刺激して錯乱させてしまったら、衝動的にあの子に危害を加えるかも分からない」
 それは君の望むところじゃないだろう、と遥は諭すように言った。
 骨傘はもどかしそうに羽を上下させる。
「君の力は強いって知ってるよ。でもその子を救うために力を使っちゃいけない! 自分のために他の人が傷ついたら……君が傷つけたと知ったら、例え助かっても苦しむのはその子なんだよ!」
 語調を強める遥。
「僕は君の心優しさを壊して欲しくないんだ。絶対に助けるから、だから落ち着いて欲しい」
 骨傘は――萎れるように翼を収めた。風に漂うように浮遊し嘴を閉ざしたまま頷くと、遥は理解に対し謝辞を述べ、そして誓った。
「これは人間同士の問題なんだ。人のことは、人に任せて」
 少年は骨傘にそう言い残すと、後ろ髪を引かれる思いを断ち切って踵を返し、河原へと急行する。
 人と古妖のあるべき姿なら既に教わった。人がどうあるべきかは、自分達が示してみせる。

●桟橋
「やめなさい! その子を離しなさい!!」
 雨音を『罪なき人々の盾』明石 ミュエル(CL2000172)の勧告が引き裂いた時、既に男達は武装を解き放っていた。
 少しでも手を鈍らせられたらと純粋な正義感で一喝したように見せかけたミュエルではあったが、事態を正確に把握する前に動いたのは、憤怒者も同様であった。そしてこちらは演技ではなく、真に逼迫している。
 どうにも先程からおかしい。やたらとこちらに干渉してくる上に、都合よく人質に近づこうとするのもどこか違和感を覚える。異変を察した憤怒者達は未だ断定できる段階ではないが、咄嗟に人質の元に接近する少年達をさすまたで跳ね除けた。
「いってーな! 何するんだよ!」
 押されて橋の下から追い出された少年は不満を露にする。だがあれほど強く押し出し、路面も雨で滑りやすくなっている割に、転倒はしていない。
「他の連中もやられたとは聞いているが……まさかこいつらが」
 疑念が沸き起こり始めた憤怒者達をよそに、突き飛ばされたもう一人――黒髪の少女は不思議とさすまたを手にした男ではなく見当違いの方角を向いていた。
「ここまで近づけただけでも万々歳でしょうか。後は強行突破するしか」
 ここが分水嶺、とばかりに、ランドセルを投げ捨てた『アイティオトミア』氷門・有為(CL2000042)は脚部の戦斧をついに顕現させた。
 急変に理解が追いついていない隙を見計らい、砂利を強く蹴って小さく浮かび上がると、さすまたを構えて立ち並んだ憤怒者達を薙ぎ払うように脚を振り、お返しの一太刀を浴びせる。
「まさか三つもサバを読めるとは。嬉しいやら悲しいやら」
 体勢を入れ替えた後、頭の頂点をぺたぺたと叩く有為。
「俺だってだぜ。こいつら小学生のフリには普通に騙されるんだから、ほんっと失礼するよな!」
 瞳に淡い桃色の輝きを宿した工藤・奏空(CL2000955)が苦無片手に同意する。
「お前ら、やはり覚者か!」
 ボウガンで射撃を行う憤怒者。
「へん、今更か。まあ俺達も女の子のとこまでは行けなかったし痛み分けだな」
 放たれた矢の軌道を盾の曲面で逸らしながら奏空が返す。
 少女はまだ救出できていない。まずはそこから解決しなくては。
「せめて、道……は、作らなきゃ……」
 ノートに蛍光ペンで線を引いた術を読み上げ、幾本もの細長い蔓を練成するミュエル。それらを一挙に束ねて強く打ち付ける。しなった反動で威力を倍加させた植物の鞭が憤怒者の身体を弾き飛ばす。
 ミュエルはその光景を、少しだけ痛ましそうに見つめた。妖と違って生身の人間に向けて因子の力を振るうのは、心の奥底ではまだ抵抗がある。けれど古妖を害するだけでなく、手段を選ばないこの憤怒者達は到底許せるような相手ではなかった。
「うぬぬ、しかしたった三人で……」
「三人? どこがだよ」
 奏空が勝ち誇った表情でバックステップを踏むと、小規模な雷雲を憤怒者の真上に発生させた。
 ――だが雷雲はひとつではない。
 降り注いだ雷光は二重である。
「傘の妖、探してるんだってな?」
 曇天に似つかわしくない澄み切った青の髪がなびいていた。
 交戦になりそうだとの奏空から報を受けて推参したが、タイミング的には上々だったようだ。有為が先程見ていたのも、『送受心』を頼りに河原へと駆けつけてくる味方の一団である。
「だがあれはオレから言わせてもらえば、七星剣よりよっぽど怖い相手だね。お前らがどうなろうと知ったことじゃないが、この街を水没させるわけにはいかないんだよ」
 瑠璃は続けて『召雷』をお見舞いする。
 狙いは後衛。有為が人質を救出するための経路を切り開く。
「行かせてたまるか!」
 前衛の憤怒者は寄ってくる相手だけでもとさすまたを突き出して川面に叩きつけるべく奮起するが、突如視界を白ませた光に一瞬目を奪われる。
 その光が薄らいだ頃には、疾うに鎖鎌を携えた灯が颯爽と前線に躍り出ていた。同時に、捕らわれている少女に危害が及ばないよう障壁を展開する。
 補助を届けたのは彼女だけではない。雨粒に紛れて凜音が後方より展開した治癒の術式を封じた霧が、第一陣で多少なりとも被った鈍痛を綺麗さっぱり消し去る。
「俺、肉弾戦とか無理だしー? その代わりしっかり治してやるから頼むわ」
 前に出る余裕がないのは他ならぬ自分自身が一番理解している。手早くこの戦闘を終わらせるためには無駄に突出しないのが最善。ゆえに凜音は功を焦らず後方支援に徹する。味方が十全に活動できる環境を築ければ、それだけ能率は向上する。
 敵陣では灯が体術を駆使し、鎖分銅と鎌の刃で連撃を繰り出している。先の『発光』で大きく目立ったことで、ミュエルと有為に向いていた矛先を分散させる役割も果たしていた。
「大丈夫ですか?」
「うん……アタシ達は、大丈夫だけど……」
 ミュエルが敵の最奥に視線をスライドさせる。少女はまだ憤怒者の手中にある。
「成程つまり、あの匿ってる連中の意識が僕達に向けばいいわけだね。そうすれば首尾よくコトが運べる、みたいな」
 灯と共に現れた泰葉が愉快そうに喉を鳴らした。常に貼りついていた微笑は道化師の、狂気じみた嘲笑に移り変わっていた。
 その歪な表情のままに、憤怒者に猫撫で声を掛ける。
「やあ屑の皆さん、ご健在かな。ああ失礼、いい大人である皆さんが子供の集団拉致などという非道を働くものだから、思わず屑と本音を漏らしてしまったね」
 甘ったるい声色とは裏腹に、口にする台詞のひとつひとつに猛毒を含んでいた。
「失言ご容赦いただきたい」
 わざとらしく慇懃に頭を下げると。
「何せ憤怒者の皆さんは僕よりも遥かに理性的でない畜生なんだからね。このくらいのお目こぼしはしてくれないと」
 挑発に鼻息を荒くした憤怒者達は一斉に泰葉へと飛び掛かる。泰葉は炎を纏った獣の拳で迎え撃つと共に、その短絡的な思考を嘲笑った。
「アハッ! やっぱり感情的な人達だね。彼女一人行かせれば僕らの勝ちなのさ」
 生まれた隙間を縫って、濡れた砂利を物ともせず疾走する有為を見やりながら泰葉は状況の打開を確信した。有為は敵後方まで辿り着くと、まずは一薙ぎに斧を振り払って陣形を崩し、周囲の輩を人質から引き離す。
「確かに、古妖の保護さえ出来ればよいのでしょうが」
 少女を腕に抱え上げながら、少しだけ考え込むような仕草をする有為。
「ですがあの方達を見ていると、あまりにも人道的にどうなのかと思いまして。これは助けなくてはという気分にさせられますよね」
 河川へと跳躍すると、『水上歩行』で水面を疾駆して離脱する。行かせまいと憤怒者は束になって掛かろうとするが――
「じっとしてろ」
 手間空きを好機として凜音が撃ち抜いた水塊が敵の足元を掬う。更には。
「……一仕事できたかな」
 骨傘と別れた遥もついに参上していた。衝撃波を川面に向けて放つことで河原に水を撒き散らした彼によって、憤怒者は盛大に転倒させられる。
 それでも必死に追いすがってくる。少女を担いだ有為にボウガンの照準を合わせるその手を、発射直前に落とされた電撃が寸でのところで阻んだ。
「サイテーだな、おっさん達。お前らが憎いのは俺ら覚者だろ! 見境なくこんな小さな子をヒドイ目に遭わせて!」
 なりふり構わなくなった憤怒者を怒声で戒める奏空。
「覚悟しやがれ!」
 裁きの雷を降らせる。何度も、何度も――心のむしゃくしゃが取れるまで。

 憤怒者全員を縛り上げて騒動が片付くと、少女は有為の腕から抜け出し、雨に濡れるのも構わず懸命に辺りを見回した。
「骨傘は? 骨傘はどこ?」
 事情は奏空から秘密裏に伝えられていたが、それでもやはり骨傘が気掛かりなようだ。会いたい、会いたいと泣きじゃくる少女に泰葉は歩み寄ると、膝を屈めて目線を合わせて問う。
「そこまでするほどの苛烈な感情、俺はよく理解できないんだ。ねぇ、教えてくれないか? どうして君は骨傘のことが好きなんだい?」
 少女は小さな声で答えた。ただ傍にいてくれるからだ、と。自分のためを思って行動してくれる相手が好きだという、それ以上でもそれ以下でもない、子供らしい純真な理由だった。
「ふむ、ありがとう。君達の関係性は実に素晴らしいものだね。願わくばいつまでもその気持ちを忘れないで欲しいな」
 泰葉が微笑みかけた後で瑠璃は、持参した布張りの傘を渡す。
「あいつなら平気だよ。今もどこかを飛び回ってるんじゃないかな、誰かが困っていないかって」
「でも……」
「何も今生の別れじゃあないんだしさ」
 雨は涙を隠してくれるけれど、開いた傷を埋めてはくれない。
 それは時間の役目だ。そして時間は生きている限り、いくらでも与えられる。
「また会えばいい。いつだって構わないじゃないか」
 頼りきりにしないと約束したんだろ、と瑠璃は言った。それに骨傘に会えるかも知れない雨の日を楽しみにしていれば、今日のせいで雨が嫌な記憶にならずに済む。
 

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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