【古妖狩人】別たれた比翼
●
河川敷に吹く冷たい風をものともせず遊びに興じる一団がいる。
彼らは同じ大学のサバイバルゲーム仲間で、枯れ草の中では逆に目立ちそうな緑の迷彩服にベストやマスクを着けて、好みのエアガンを手に草地に隠れながらの撃ち合いを楽しんでいた。
その中の一人がふらりと現れた人影に気付き、慌てて仲間に中止の合図を送る。
「そこの人、今サバゲーやってるから入って来たら危ないですよ!」
男は河川敷に降りる階段に「注意! サバイバルゲームやってます!」の看板とロープがちゃんとあるのを横目で確認する。
河川敷を使うにあたって許可を取ってあるとは言え、危ないだの何だのと文句を言う人はいる。
その類いかと思って見たが、入って来た人の姿がはっきり見えるとその意外な姿に戸惑った。
大きな布を頭に被った着物姿の女だった。ほっそりした立ち姿に長い黒髪と驚くほど白い肌。足は白足袋に草履だ。
河川敷はごろごろした石や人が隠れてしまうような背丈の草地ばかりで、女の服装は違和感がある。
「ぬしら……我が背の君をどこへやった……」
女の問いかけに男は更に戸惑う。仲間達も何事かと集まって来たが、誰も答えられない。
「おのれ……まだ隠すか、まだ返さぬか……」
「ちょ、ちょっと待って」
ぎりっと被った布を握り締める女に落ち着くように言おうとした男は、自分の口から溢れ出した血に目を丸くする。
どうしたのかと体を見回すと、腹がぱっくりと裂けているのが分かった。
それを認識したのを最後に男の意識は暗転する。
周りの悲鳴も女の声も、自分の心臓の音すらもう聞こえない。
●
「ああ……ここにもおらなんだ……」
女は頭に被っていた布を胸に抱き、頬擦りをしてさめざめと泣いた。
その布は穴だらけになり血で汚れた男物の羽織だった。
「おのれ人間め……我が背の君をどこへ隠したのだ……」
女は人間ではなかった。ここから見える山の渓流を棲家としていた獺である。
時々人に関わる事はあれど一度として害を及ぼした事はない。番と一緒にただ静かに暮らしていただけだと言うのに、突然山も川も荒らされ棲家から追い立てられた。
そしてあろう事か、夫を奪われたのだ。
毒を吸って弱った自分を逃がすため、同じ毒にやられたのも構わず飛び出した夫。
囮になるためわざと人の姿で目を引き、弱った体で戦い力尽きて捕らわれた夫。
「おのれ……おのれ……野蛮な人間どもめ……蛮行の代償は必ず払ってもらうぞ……」
だが、それよりも先に夫を捜さねばならない。夫を奪った男達の姿はわかっている。
先程の男達は何も知らなかったようだが、同じような格好の人間はもっといたはず。
「我が背の君……必ずお迎えにあがります……」
女はもう一度羽織に頬を寄せると、頭に被り直して歩き出す。
女が去った河川敷には男達の骸が虚しく転がっていた。
●
「古妖狩人の活動が古妖を怒らせたようです」
久方 真由美(nCL2000003)の口調は少々憂鬱そうだ。
古妖を捕縛しては時に隷属させて戦いに利用し、戦いに使えなければ非人道的な実験に使うと言う憤怒者の一派。
その活動が原因で、一匹の古妖が怒り狂い人間に害を及ぼそうとしているらしい。
「事件が起きるより前に、近くの山で人為的なものと思われる異変が報告されています」
難所が多く観光地としてはあまり魅力のない山だったが、ちょっとした秘境気分に浸れると趣味人の間では知る人ぞ知る穴場でもあった。
その山で藪や低木が片っ端から伐採されていたり、渓流で大量の水棲生物の死骸が発見されたりと異常が起きていたのだ。
「おそらく、古妖狩人が古妖を捜し出し捕獲するためにした事でしょう」
標的となったのが今回事件を起こす古妖。それは獺(かわうそ)と呼ばれていた。
「この獺が女性の姿に化けて河川敷で遊んでいた男性に声をかけ、殺してしまいます」
武器は両手の鋭い爪。人の肉を容易く切り裂き、また水がある場所と限定されるようだが、水を操り攻撃する事もできる。
「この古妖は人に害を与える事はなかったようなのですが……」
人を襲うどころか、この古妖について残っている昔話はこんな物だった。
山の麓で男が酒盛りをしていると、酒を分けてくれないかとなんとも美しい夫婦が現れた。
快く分けると代わりに川魚や山菜をくれたが、男がふと気付くとそこには誰もおらず夫婦の事を知っている者もいなかったと言う。
「予知の中で古妖は背の君……つまり夫の事を口にしていました。古妖狩人に夫を奪われて人を襲うようになったのかもしれません」
しかし、原因がどうあれ一般人が犠牲になる以上、それを防ぐのがF.i.V.E.の役目だ。
「皆さんは古妖が現れた直後に接触する事になるでしょう」
もたもたしていると、少なくとも最初に接触した男は助からない。
いかに古妖の注意を引くかがその後も重要になってくるだろう。
「古妖狩人と彼らには何の関係もありません。一人の犠牲者も出さないよう、どうかよろしくお願いします」
河川敷に吹く冷たい風をものともせず遊びに興じる一団がいる。
彼らは同じ大学のサバイバルゲーム仲間で、枯れ草の中では逆に目立ちそうな緑の迷彩服にベストやマスクを着けて、好みのエアガンを手に草地に隠れながらの撃ち合いを楽しんでいた。
その中の一人がふらりと現れた人影に気付き、慌てて仲間に中止の合図を送る。
「そこの人、今サバゲーやってるから入って来たら危ないですよ!」
男は河川敷に降りる階段に「注意! サバイバルゲームやってます!」の看板とロープがちゃんとあるのを横目で確認する。
河川敷を使うにあたって許可を取ってあるとは言え、危ないだの何だのと文句を言う人はいる。
その類いかと思って見たが、入って来た人の姿がはっきり見えるとその意外な姿に戸惑った。
大きな布を頭に被った着物姿の女だった。ほっそりした立ち姿に長い黒髪と驚くほど白い肌。足は白足袋に草履だ。
河川敷はごろごろした石や人が隠れてしまうような背丈の草地ばかりで、女の服装は違和感がある。
「ぬしら……我が背の君をどこへやった……」
女の問いかけに男は更に戸惑う。仲間達も何事かと集まって来たが、誰も答えられない。
「おのれ……まだ隠すか、まだ返さぬか……」
「ちょ、ちょっと待って」
ぎりっと被った布を握り締める女に落ち着くように言おうとした男は、自分の口から溢れ出した血に目を丸くする。
どうしたのかと体を見回すと、腹がぱっくりと裂けているのが分かった。
それを認識したのを最後に男の意識は暗転する。
周りの悲鳴も女の声も、自分の心臓の音すらもう聞こえない。
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「ああ……ここにもおらなんだ……」
女は頭に被っていた布を胸に抱き、頬擦りをしてさめざめと泣いた。
その布は穴だらけになり血で汚れた男物の羽織だった。
「おのれ人間め……我が背の君をどこへ隠したのだ……」
女は人間ではなかった。ここから見える山の渓流を棲家としていた獺である。
時々人に関わる事はあれど一度として害を及ぼした事はない。番と一緒にただ静かに暮らしていただけだと言うのに、突然山も川も荒らされ棲家から追い立てられた。
そしてあろう事か、夫を奪われたのだ。
毒を吸って弱った自分を逃がすため、同じ毒にやられたのも構わず飛び出した夫。
囮になるためわざと人の姿で目を引き、弱った体で戦い力尽きて捕らわれた夫。
「おのれ……おのれ……野蛮な人間どもめ……蛮行の代償は必ず払ってもらうぞ……」
だが、それよりも先に夫を捜さねばならない。夫を奪った男達の姿はわかっている。
先程の男達は何も知らなかったようだが、同じような格好の人間はもっといたはず。
「我が背の君……必ずお迎えにあがります……」
女はもう一度羽織に頬を寄せると、頭に被り直して歩き出す。
女が去った河川敷には男達の骸が虚しく転がっていた。
●
「古妖狩人の活動が古妖を怒らせたようです」
久方 真由美(nCL2000003)の口調は少々憂鬱そうだ。
古妖を捕縛しては時に隷属させて戦いに利用し、戦いに使えなければ非人道的な実験に使うと言う憤怒者の一派。
その活動が原因で、一匹の古妖が怒り狂い人間に害を及ぼそうとしているらしい。
「事件が起きるより前に、近くの山で人為的なものと思われる異変が報告されています」
難所が多く観光地としてはあまり魅力のない山だったが、ちょっとした秘境気分に浸れると趣味人の間では知る人ぞ知る穴場でもあった。
その山で藪や低木が片っ端から伐採されていたり、渓流で大量の水棲生物の死骸が発見されたりと異常が起きていたのだ。
「おそらく、古妖狩人が古妖を捜し出し捕獲するためにした事でしょう」
標的となったのが今回事件を起こす古妖。それは獺(かわうそ)と呼ばれていた。
「この獺が女性の姿に化けて河川敷で遊んでいた男性に声をかけ、殺してしまいます」
武器は両手の鋭い爪。人の肉を容易く切り裂き、また水がある場所と限定されるようだが、水を操り攻撃する事もできる。
「この古妖は人に害を与える事はなかったようなのですが……」
人を襲うどころか、この古妖について残っている昔話はこんな物だった。
山の麓で男が酒盛りをしていると、酒を分けてくれないかとなんとも美しい夫婦が現れた。
快く分けると代わりに川魚や山菜をくれたが、男がふと気付くとそこには誰もおらず夫婦の事を知っている者もいなかったと言う。
「予知の中で古妖は背の君……つまり夫の事を口にしていました。古妖狩人に夫を奪われて人を襲うようになったのかもしれません」
しかし、原因がどうあれ一般人が犠牲になる以上、それを防ぐのがF.i.V.E.の役目だ。
「皆さんは古妖が現れた直後に接触する事になるでしょう」
もたもたしていると、少なくとも最初に接触した男は助からない。
いかに古妖の注意を引くかがその後も重要になってくるだろう。
「古妖狩人と彼らには何の関係もありません。一人の犠牲者も出さないよう、どうかよろしくお願いします」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖「獺」の撃破。
2.大学生8人の救出。
3.なし
2.大学生8人の救出。
3.なし
静かに暮らしていた古妖が危険な存在へと豹変してしまいました。
事件解決のため、皆様ご協力をお願いします。
●補足
当日の河川敷はオープニングの大学生らがサバイバルゲームのために許可をもらい、近隣で軽く宣伝も行っていたようで、大学生八人以外に人はいません。
河川敷前の道も寒い時期になった事もあって人気はありません。
●場所
八人がサバイバルゲームで遊べる程の幅がある河川敷。昼間で天気もいいですが、風が吹いていて少々寒いです。
足場は拳大の丸い石がごろごろしている場所と、人の背丈に近い草が繁る草地があります。
川の幅は10mほど。水深は中央の一番深い場所で成人男性の腰くらい。流れは緩やかです。
河川敷の両側は少し急な斜面になっており、階段からは大学生の様子がよく見えます。
●人物
・男達×8人/大学生/一般人
車二台で河川敷に来ており、車は60mほど先の駐車場に置いてあります。
最初に声をかけた一人は古妖の目の前にいて、それ以外は少し離れた場所に固まって様子を見ている状態です。
・獺(着物姿の女)/古妖
山に住んでいた獺。古妖狩人の情報を得るために人の姿になって山を降りてきました。
夫を奪われ怒り狂っていますが、古妖狩人と似た姿を狙っているあたり冷静な部分は残っているようです。
●能力
・獺/古妖
人間の女性に変身しているため、目線の高さや当たり判定も人間相当です。
ただし足場や服装のハンデはありません。
攻撃能力と反応速度に優れていますが、比べると防御と体力は低めです。
・スキル
爪(近単/物理ダメージ)
貫手(近単/物理ダメージ高め+出血)
水砲(遠単/特攻ダメージ+ノックバック)
情報は以上です。
皆様のご参加お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2015年11月28日
2015年11月28日
■メイン参加者 6人■

●
冷たい風が吹く河川敷。それを上空から見下ろす「目」があった。
その目はごろごろとした石と人の背丈ほどもある色褪せた草地を見渡し、目的の物を捜していた。
「どうです?」
「いや……もう少し先を捜してみようか」
七海 灯(CL2000579 )に問いかけられた鈴白 秋人(CL2000565)は首を横に振り、偵察能力で見ていた場所から先の方へと範囲を移動する事にした。
「意外と広いわね」
鋭くなった嗅覚を働かせる酒々井 数多(CL2000149)は、視界いっぱいに広がる河川敷を見渡しながら、河川敷のどこかにいる古妖の臭いを求めて歩く。
「さくっと片づけて、あったかいとこ行こーぜー。カゼひく!」
河川敷前の道は風が強く吹き、新咎 罪次(CL2001224)はその冷たさに首を竦めた。
「うん。被害が出るなら消……したら駄目、な、の?」
早く片付けたいと言う罪次に同意したらしい桂木・日那乃(CL2000941)だったが、台詞の途中で周囲の視線や空気が微妙になったのを感じて首を傾げた。
「分からなくもないけどね……」
数多は複雑そうな顔をしたが、それでも獺を殺してしまう事に関しては消極的だった。
そもそも獺が暴挙に出たのは古妖狩人に棲家を荒らされた挙句、夫を奪われたせいなのだ。やりようによっては説得できるかも知れないと言う思いが数多だけでなく他の覚者達の中にもあった。
「ちょっとかんちがいしてるだけだから、ミラノたちでとめたらいいんだよ!」
ククル ミラノ(CL2001142)はブリーフィングの際に聞いた情報を思い返す。
獺は人間の細かな容姿を覚えていないのか見分けがつかないのか、古妖狩人と似た姿をしているからとサバイバルゲームをしていた大学生八人を殺してしまうのだ。
それを踏まえて灯、数多、秋人の三人が同じような緑の迷彩服にベストと言ったサバイバルゲーム仕様の服装に身を包んでいた。
「見付けた」
不意に秋人が声を上げて、斜面に作られた階段の下を指差す。
「行くわよ!」
数多が言うと同時に駆け出し、その後を秋人も追う。
風を切り足元の草や石を蹴り飛ばし、韋駄天足の全速力で河川敷に駆け下りて行くと、視界に奇妙な一団が見えて来る。
片方は緑の迷彩服の上にベストなどを着た大学生。内一人は少し離れた所にいて、もう片方のほっそりした着物姿の女と対面していた。
「ぬしら……我が背の君をどこへやった……」
着物の女の言葉に戸惑う大学生の態度が答えを拒否しているように思えたのか、着物の女の手が頭からかぶっている布をぎりりと掴む。
「おのれ……」
「待ちなさい!」
女の手がゆらりと不吉な動きを見せた時、数多は刀を抜き払って着物の女、その正体は「獺」であるその鋭い爪を弾いた。
「間に合ったようだな」
足元の石をいくつか跳ね飛ばして急停止した秋人も大学生を庇うように獺の前に立ち塞がる。
「助太刀か……」
二人の身を包む緑の迷彩服は後ろに庇われた男と、獺の記憶にある憎い人間達の姿によく似ており、憎々しい思いで目を眇める。
「そこの貴方、後ろの人と一緒に逃げなさい」
「え?」
「いい、わかるわよね、直ぐに逃げて。貴方がどうにかできるものじゃないわ」
数多の突然の警告に聞き返した大学生だったが、数多からにじみ出る何かと刀と声の鋭さに思わず二、三歩後ずさる。
「逃がすと思うてか!」
「まって! このひとたちはちがうよっ!」
男が逃げると察した獺は即座に攻撃に移ろうとしたが、秋人と数多が邪魔になる。
ならばとちらりと川に目をやると、ククルが駆け付けて大学生の前で腕を広げ、日那乃がその間に避難させようと腕を引っ張った。
「ここは危ないから、逃げて」
大学生の前では、早くも獺が秋人と数多を相手に戦闘を開始している。数多の刀を獺の爪が弾き返し、秋人の鋭い蹴りを動きにくい筈の着物姿で躱す。
その激しさは大学生の常識を越えていた。
「オイ、このままココにいたら、妖に殺されるか、オレに殴られてケガすんぜー?」
「私達が彼女を止めている間に逃げて下さい。
大学生に避難するよう促すと、灯は戦線に加わり罪次はいざと言う時の盾になるため獺と避難させる大学生達の間に立つ。
「お、おいなんかヤバイんだろ! こっち来いって!」
目を白黒させる大学生から少し離れた所で状況を見ていたためか、他の仲間の方が状況を理解して逃げ腰になっている。
「そうそう、一生懸命走れ走れー!」
「あの女の人は……ご主人を、憤怒者に誘拐されて、正気を失ってるの……」
成人男性の姿になった罪次の凶悪な面構えと幼い見た目に似合わぬ日那乃の衝撃的な発言に、大学生とそれを見ていた連れが走り出す。
「逃がさんぞ!」
獺の叫びに呼応するかのように、川面からごぼりと音を立てて人の頭ほどありそうな水の塊が現れる。ぐるぐると空中で渦を巻くように動いた水の塊は迷いなく逃げる大学生達の背を狙う。
「駄目……」
やや足の遅い大学生の腕を引っ張っていた日那乃がそれに気付いて飛び出し、自分の体を盾にする。
ばしんと大きな衝撃音。日那乃の小さな体は衝撃に押されて後退したが、水の塊も弾け飛んで無害な水となり周囲に撒き散らされた。
「うお冷てー! ほらお前ら、早く逃げないとヤバイ事になるぜ!」
「みんながんばってはしって!」
撒き散らされた水を被ってしまい身を震わせつつ、罪次とククルは指示を出す。日那乃も衝撃から立ち上がるとそれに加わった。
「待たぬか!」
「待つのはそちらです!」
追いかけようとした獺の進行を灯の攻撃が阻む。火の力が青い炎となって顕現したそれは獺の気勢を削いだのか、足が止まり攻撃を仕掛けた灯に鋭い視線が突き刺さった。
「まずはぬしらか」
獺が頭に被った布を外し、肩に羽織る。
人間の女になっている獺は長い黒髪に白い肌のなんとも美しい姿をしていたが、やや垂れ気味の目はぎらぎらと光り、白い指からは鋭い爪が更に長く伸びていた。
●
「本当に古妖狩人と同じ姿を狙うんですね」
灯は襲い掛かってくる獺の爪を鎖分銅の鎖でいなす。逆に絡め取って動きを止めようとするが、着物の袖を僅かにかするだけだった。
「ちゃんと見極めたらどうかと思うけどね」
古妖狩人がどんな面子だったから知らないが、数多達のような若者や女性がいたのだろうか。
先程の大学生もそうだ。どう見てもそこらにいる若者で、危険な雰囲気は欠片もない。
「しかもなかなか執念深いようだ」
秋人が少しよろけながら立ち上がる。ぐっしょりと濡れているのは獺が放った水の塊を受けたからだが、もし秋人が避けていればどうなったか。
水の塊の弾道はまだあまり離れていない大学生の方にに繋がっていたのだ。
「避難が終わるまで油断できない」
「どうしようもないわね」
獺に斬りかかりながら、数多は胸に渦巻くものを堪えようとしていた。
獺が人間を憎むように、数多は妖を憎んでいる。
古妖と妖は違うものだと頭では分かっていても鋭い爪でやすやすと人体を切り裂き、ろくに戦う力もない大学生八人を殺そうとした姿に胸がざわついた。
「また水を使って来るぞ」
「川から引き離すわよ!」
「はい!」
獺の爪に少しずつ傷を増やしつつ、三人は強引に戦線を移動させようと攻める。
獺自身も川から離れれば水が使えないと分かっているらしい。素早さを活かし目まぐるしく立ち位置を変えて来る。
三人が少し焦れた頃、獺の足元を空気の礫が激しく打った。
「お待たせ……」
「ひなんおわったよ!」
「オレ達もやるぜ!」
走ってくるククル達を見て、獺は少し戸惑ったように見えた。
獺の気を引くために迷彩服を着こんだ三人と違い、誰も迷彩服を着ていない。日那乃に至ってはどう見ても年端の行かぬ少女だ。
「かわうそさん、あのひとたちはなにもわるいことしてないよ」
ククルが話し掛けると、獺の表情にはっきりと迷いが生まれた。
「ネーチャン、ちったあクールダウンしたかー?」
その表情に気付き、罪次も同じように声を掛けてみる。
「よく見ろ、ちゃんと思い出せ! アイツらは、オレらはオマエのホントに殺すべき相手か?」
獺の目は大学生が逃げた方向と迷彩服を着ている三人、着ていない残り三人の間をさ迷う。
しかし、ぐっと閉じたら瞳が開いた時、その目にあるのは煮えるような怒りだった。
「……背の君を奪った者でなくとも、構わぬ」
夫を奪った当人でなくとも、同じ姿をしているならぱ何か知っているかも知れない。
千里眼のような力などなく人の世をあまり知らない獺では、それを頼りにするしかなかったのだ。だから人間の姿になってまであの憎い人間共と同じ姿を捜したのだ。ここで止まってなるものか。
「童を殺めるは偲びないが、彼奴らを庇い立てするなら容赦はせぬ!」
覚者達の背後にある川の水面がごぼりとせり上がり、水の塊が襲い掛かって来た。
「冷てー! って言うかまたかよ!」
水の塊を受けて弾き飛ばされた罪次。先程も直撃ではないが冷たい水を味わっていたため、凶悪な面構えを更に険悪に歪めた。
「これだけいってもわからないなら……そろそろじつりょくこーしするよっ!」
古妖狩人と似ていると思われる迷彩服相手どころか。子供と分かっていても日那乃のような少女すら殺すとのたまう獺を相手に、ククルは深緑鞭をしならせ打ち払う。
「やはり今は話ができる状態ではないようですね」
ほんの少し期待をしたのか、灯は少し残念そうに言いながらも獺に攻撃を加えて行く。
その後に続く攻撃は六人となった覚者達の方が有利になると思いきや、素早い動きと高い攻撃力を武器とする獺一体に意外にも苦戦を強いられる事となった。
「わたしは、我が背の君を取り戻すのだ! 何人たりとも邪魔はさせぬ!」
●
もはや誰に対しても迷わない獺の猛攻が続く。
鋭い爪が覚者達を切り裂き、貫く。寒空の下で戦う体を打ち付け凍えさせるかのような水の塊が覚者達の隊列を見出し、戦線を固く維持するのも一苦労だ。
「上手くのってはくれないか」
貫かれ血を流す肩を軽く押さえて。秋人はどこか口惜しそうに吐き捨てる。
先程から獺を水場から離そうとしてはいるが、隊列を乱されそれを修復する間に獺の立ち位置が代わり、戦線を移動させる事ができない。移動させるどころか、むしろこちらが翻弄されているような状態になってきた。
「大丈夫……まだ、いける」
不意に肩の痛みが軽くなって視線を向けると、日那乃が癒しの滴を秋人に向かって使っているとこだった。
迷彩服を着た三人は最初から獺と戦闘をしていただけあってそろそろ負傷も見過ごせない状態になっていたが、順番に治療を施されているようだ。
しかし、一回二回で癒しきれるほど獺の攻撃は甘くない。
「大事な人を奪われたんだものね」
数多は激しい攻撃を繰り返しす獺の姿をじっと見詰める。
獺が纏った着物にはいくつもの血の染みができている。覚者からの返り血よりも、獺自身の傷の比率が段々増えて来ていた。それもそうだろう。彼女に傷を癒す手段はない。
その姿を見ていると一度抑えた胸のざわつきがまたぶり返す。
家族を奪った妖が憎い。例え古妖でも、引き裂きたいほどに憎い。
「比翼連理っていうんですってね、そういうの」
夫を、片翼を失った獺の妻。我が身を顧みぬ姿を見ていると憎しみとは違った、こみ上げる何かがある。
「ねえ、復讐したい?私たちは古妖狩人の敵よ。貴方のもう一つの翼を奪ったやつを見つけれることができるかもしれない」
数多の言葉はまだ獺には届かない。構わず数多は続けた。
「それでもまだ戦い、敵でもないやつにここで殺されて朽ちる?」
「しらじらしい!」
「酒々井さん!」
秋人が警告を発し、攻撃に割り込もうとするが、獺の方が早い。
鈍く、湿ったような音をたてて獺の白い手が数多の体を貫いていた。
しかし、数多は苦痛に膝を折る事も身を引いて獺から逃げる事もなく、真正面から獺の目を睨みつけるように言った。
「ふざけないでよ! あんたそれでも女でしょ? 自分の男ボコられてこんなとこで黙って死んでいいの? 自分の仇は自分でとりなさいよ!」
叫べば口から数滴血の雫が飛んで獺の顔に飛び散った。
「だまれ!」
獺の腕が力尽くで引き抜かれ、数多がよろける。その足元に血溜まりができた。
「治療を!」
「わかった!」
「任せて」
灯と秋人が数多のカバーに入り、ククルと日那乃が回復に走る。
「オマエが死んだら、ホントに殺さなきゃいけねえ相手から、旦那取り戻すどころじゃねえぞー?」
罪次の言葉は数多の後を繋ぐかのようだったが、放つ隆槍の勢いは何の加減もなく獺を貫こうとしている。
「なあどうるどうする? まだやる!? オレはどっちでもイイけど!」
「言うまでもないわ!」
罪次の物騒な喜色にまみれた台詞につられるように、獺は数多の血に濡れた爪を振るう。
しかし、憎悪に満ちていた目と表情は苦し気に歪み、素早い足も爪も鈍っていった。
「私達が古妖狩人ではない事はもう分かっているんですね」
始めの内はよけられていた灯の鎖分銅が獺を捕縛する。もがく獺の動きが弱いのは捕縛されたためか、憎悪が弱まったためなのか。
「ご主人の、他にも、連れて行かれてる、古妖がいる」
日那乃はこの依頼を受けた時に聞いた情報を元に古妖狩人の足取りを辿れるかもしれないと考えていた。それを獺に話せば、弱まった憎悪がさらにひび割れるような気配があった。
「わたしたちで、探すの、手伝えると思う」
「そうだよ! ミラノたちでこようかりゅうどをやっつけて、だんなさんもみつけてあげる!」
「ぬしらが……彼奴等と同じ人間のぬしらがか……!」
獺は元々人間を嫌っていたわけではなかった。だが静かな暮らしを壊され、番を奪われて我を忘れていた。
人間を憎み、憎しみのままに動いていなければ、番を失った悲しみで何もできなくなりそうで。
「だからって相手を間違えてんじゃないわよ!」
数多が愛対生理論と名付けた剣を振りかざす。反射的に避けようとした獺だったが、灯に賭けられた捕縛が解けず動きが止まった。
「我が背の君……」
刃が振り下ろされる直前に愛しい番を思い、獺は斬り伏せられた。
●
「気が付きましたか?」
秋人は目を開けた獺に声を掛ける。
獺は今だ人間の女の姿をしている自分の体を見下ろし、周囲に集まっていた覚者達の顔を交互に見て混乱する。
「どういうことだ」
「なんか混乱してんなー。そのまんまだよ。オマエを倒してからきちんと治したんだ」
罪次の姿は戦闘中の成人男性から元の少年の姿に戻っており、獺にこれは誰かと首を傾げられたが一向に構わず説明した。
それを言うなら秋人も長い髪が短い状態に戻っているのだが、こちらはそこまで大変わりしていないため獺にも同一人物だと判断できる範囲らしい。
「少し落ち着いたなら、私達の話を聞いてもらえませんか?」
戦闘が終わり迷彩服を抜いた灯に、獺はしばらくの沈黙の後小さく頷いた。
「それでは……貴女が追っているのは似た様な格好でも、俺達のような不思議な力ではなく、重火器などの武器をメインに使っていませんでしたか?」
「手掛かりになるかもしれない……奥さんも知っていること教えて?」
「じゅうかき……というのがわからぬが……火薬臭い黒い飛び道具や毒を使っておった」
秋人と日那乃が聞き出した情報は他の古妖狩人とほぼ共通している。
残念ながら獺の番がどこに連れて行かれたかと言う手掛かりはなかった。
「さっきも言ったけど、私達と古妖狩人は敵同士よ。古妖を取り戻すために色々調べてもいるわ」
「私達も古妖狩人の足取りを追っているんです」
どこか魂が抜けたような様子の獺の表情が、覚者達の話を聞いている内にわずかな期待と希望に揺れ始めた。
「俺達も同じ敵を折っているので、貴女の大切な人の情報が入り次第、貴女にもお伝えします」
「まことか!」
秋人は勢いよく身を乗り出してきた獺にぶつかりそうになりながら頷く。
「ですが、貴女自身も狙われる可能性があるので注意して下さい」
「つかまらないようにかくれておいてほしいな」
「きけぬ。わたしは背の君を取り戻さねばならぬのだ」
クルルの希望をすっぱりと断った獺に、数多が手を差し出した。かと思うと、その手には何やら文字が書かれた紙が挟んである。
「これ、私の連絡先よ」
「連絡……どうしろと言うのだ」
一応文字は読めるようだが、獺には人間が使うような連絡手段がない。
あ。と思わずつぶやいた数多だったが、慌てて解決策を出す事にした。
「これを使えばいいのだな?」
「ちゃんと人に使い方を聞くのよ」
獺が帯にたばさんだのは一枚のテレホンカードだった。
河川敷で向かい合う覚者達と獺は、獺の夫を捜し出す事、何かあれば連絡をする事と約束を交わしていた。
「もし何かあれば力になります」
「ミラノたちつよいからね! ぜったいたすけてあげる!」
「……我が背の君を頼む」
最後まで身を隠す事を良しとせず、獺は夫を求めて河川敷から姿を消した。
古妖狩人の暴挙はまだ続いている。彼らがいる限り、あの獺やその夫のように静かに暮らしている古妖までもが犠牲になって行くのだろう。少しでも早く暴挙を止めなければならい。
覚者達は改めてその思いを強くし、河川敷を後にした。
冷たい風が吹く河川敷。それを上空から見下ろす「目」があった。
その目はごろごろとした石と人の背丈ほどもある色褪せた草地を見渡し、目的の物を捜していた。
「どうです?」
「いや……もう少し先を捜してみようか」
七海 灯(CL2000579 )に問いかけられた鈴白 秋人(CL2000565)は首を横に振り、偵察能力で見ていた場所から先の方へと範囲を移動する事にした。
「意外と広いわね」
鋭くなった嗅覚を働かせる酒々井 数多(CL2000149)は、視界いっぱいに広がる河川敷を見渡しながら、河川敷のどこかにいる古妖の臭いを求めて歩く。
「さくっと片づけて、あったかいとこ行こーぜー。カゼひく!」
河川敷前の道は風が強く吹き、新咎 罪次(CL2001224)はその冷たさに首を竦めた。
「うん。被害が出るなら消……したら駄目、な、の?」
早く片付けたいと言う罪次に同意したらしい桂木・日那乃(CL2000941)だったが、台詞の途中で周囲の視線や空気が微妙になったのを感じて首を傾げた。
「分からなくもないけどね……」
数多は複雑そうな顔をしたが、それでも獺を殺してしまう事に関しては消極的だった。
そもそも獺が暴挙に出たのは古妖狩人に棲家を荒らされた挙句、夫を奪われたせいなのだ。やりようによっては説得できるかも知れないと言う思いが数多だけでなく他の覚者達の中にもあった。
「ちょっとかんちがいしてるだけだから、ミラノたちでとめたらいいんだよ!」
ククル ミラノ(CL2001142)はブリーフィングの際に聞いた情報を思い返す。
獺は人間の細かな容姿を覚えていないのか見分けがつかないのか、古妖狩人と似た姿をしているからとサバイバルゲームをしていた大学生八人を殺してしまうのだ。
それを踏まえて灯、数多、秋人の三人が同じような緑の迷彩服にベストと言ったサバイバルゲーム仕様の服装に身を包んでいた。
「見付けた」
不意に秋人が声を上げて、斜面に作られた階段の下を指差す。
「行くわよ!」
数多が言うと同時に駆け出し、その後を秋人も追う。
風を切り足元の草や石を蹴り飛ばし、韋駄天足の全速力で河川敷に駆け下りて行くと、視界に奇妙な一団が見えて来る。
片方は緑の迷彩服の上にベストなどを着た大学生。内一人は少し離れた所にいて、もう片方のほっそりした着物姿の女と対面していた。
「ぬしら……我が背の君をどこへやった……」
着物の女の言葉に戸惑う大学生の態度が答えを拒否しているように思えたのか、着物の女の手が頭からかぶっている布をぎりりと掴む。
「おのれ……」
「待ちなさい!」
女の手がゆらりと不吉な動きを見せた時、数多は刀を抜き払って着物の女、その正体は「獺」であるその鋭い爪を弾いた。
「間に合ったようだな」
足元の石をいくつか跳ね飛ばして急停止した秋人も大学生を庇うように獺の前に立ち塞がる。
「助太刀か……」
二人の身を包む緑の迷彩服は後ろに庇われた男と、獺の記憶にある憎い人間達の姿によく似ており、憎々しい思いで目を眇める。
「そこの貴方、後ろの人と一緒に逃げなさい」
「え?」
「いい、わかるわよね、直ぐに逃げて。貴方がどうにかできるものじゃないわ」
数多の突然の警告に聞き返した大学生だったが、数多からにじみ出る何かと刀と声の鋭さに思わず二、三歩後ずさる。
「逃がすと思うてか!」
「まって! このひとたちはちがうよっ!」
男が逃げると察した獺は即座に攻撃に移ろうとしたが、秋人と数多が邪魔になる。
ならばとちらりと川に目をやると、ククルが駆け付けて大学生の前で腕を広げ、日那乃がその間に避難させようと腕を引っ張った。
「ここは危ないから、逃げて」
大学生の前では、早くも獺が秋人と数多を相手に戦闘を開始している。数多の刀を獺の爪が弾き返し、秋人の鋭い蹴りを動きにくい筈の着物姿で躱す。
その激しさは大学生の常識を越えていた。
「オイ、このままココにいたら、妖に殺されるか、オレに殴られてケガすんぜー?」
「私達が彼女を止めている間に逃げて下さい。
大学生に避難するよう促すと、灯は戦線に加わり罪次はいざと言う時の盾になるため獺と避難させる大学生達の間に立つ。
「お、おいなんかヤバイんだろ! こっち来いって!」
目を白黒させる大学生から少し離れた所で状況を見ていたためか、他の仲間の方が状況を理解して逃げ腰になっている。
「そうそう、一生懸命走れ走れー!」
「あの女の人は……ご主人を、憤怒者に誘拐されて、正気を失ってるの……」
成人男性の姿になった罪次の凶悪な面構えと幼い見た目に似合わぬ日那乃の衝撃的な発言に、大学生とそれを見ていた連れが走り出す。
「逃がさんぞ!」
獺の叫びに呼応するかのように、川面からごぼりと音を立てて人の頭ほどありそうな水の塊が現れる。ぐるぐると空中で渦を巻くように動いた水の塊は迷いなく逃げる大学生達の背を狙う。
「駄目……」
やや足の遅い大学生の腕を引っ張っていた日那乃がそれに気付いて飛び出し、自分の体を盾にする。
ばしんと大きな衝撃音。日那乃の小さな体は衝撃に押されて後退したが、水の塊も弾け飛んで無害な水となり周囲に撒き散らされた。
「うお冷てー! ほらお前ら、早く逃げないとヤバイ事になるぜ!」
「みんながんばってはしって!」
撒き散らされた水を被ってしまい身を震わせつつ、罪次とククルは指示を出す。日那乃も衝撃から立ち上がるとそれに加わった。
「待たぬか!」
「待つのはそちらです!」
追いかけようとした獺の進行を灯の攻撃が阻む。火の力が青い炎となって顕現したそれは獺の気勢を削いだのか、足が止まり攻撃を仕掛けた灯に鋭い視線が突き刺さった。
「まずはぬしらか」
獺が頭に被った布を外し、肩に羽織る。
人間の女になっている獺は長い黒髪に白い肌のなんとも美しい姿をしていたが、やや垂れ気味の目はぎらぎらと光り、白い指からは鋭い爪が更に長く伸びていた。
●
「本当に古妖狩人と同じ姿を狙うんですね」
灯は襲い掛かってくる獺の爪を鎖分銅の鎖でいなす。逆に絡め取って動きを止めようとするが、着物の袖を僅かにかするだけだった。
「ちゃんと見極めたらどうかと思うけどね」
古妖狩人がどんな面子だったから知らないが、数多達のような若者や女性がいたのだろうか。
先程の大学生もそうだ。どう見てもそこらにいる若者で、危険な雰囲気は欠片もない。
「しかもなかなか執念深いようだ」
秋人が少しよろけながら立ち上がる。ぐっしょりと濡れているのは獺が放った水の塊を受けたからだが、もし秋人が避けていればどうなったか。
水の塊の弾道はまだあまり離れていない大学生の方にに繋がっていたのだ。
「避難が終わるまで油断できない」
「どうしようもないわね」
獺に斬りかかりながら、数多は胸に渦巻くものを堪えようとしていた。
獺が人間を憎むように、数多は妖を憎んでいる。
古妖と妖は違うものだと頭では分かっていても鋭い爪でやすやすと人体を切り裂き、ろくに戦う力もない大学生八人を殺そうとした姿に胸がざわついた。
「また水を使って来るぞ」
「川から引き離すわよ!」
「はい!」
獺の爪に少しずつ傷を増やしつつ、三人は強引に戦線を移動させようと攻める。
獺自身も川から離れれば水が使えないと分かっているらしい。素早さを活かし目まぐるしく立ち位置を変えて来る。
三人が少し焦れた頃、獺の足元を空気の礫が激しく打った。
「お待たせ……」
「ひなんおわったよ!」
「オレ達もやるぜ!」
走ってくるククル達を見て、獺は少し戸惑ったように見えた。
獺の気を引くために迷彩服を着こんだ三人と違い、誰も迷彩服を着ていない。日那乃に至ってはどう見ても年端の行かぬ少女だ。
「かわうそさん、あのひとたちはなにもわるいことしてないよ」
ククルが話し掛けると、獺の表情にはっきりと迷いが生まれた。
「ネーチャン、ちったあクールダウンしたかー?」
その表情に気付き、罪次も同じように声を掛けてみる。
「よく見ろ、ちゃんと思い出せ! アイツらは、オレらはオマエのホントに殺すべき相手か?」
獺の目は大学生が逃げた方向と迷彩服を着ている三人、着ていない残り三人の間をさ迷う。
しかし、ぐっと閉じたら瞳が開いた時、その目にあるのは煮えるような怒りだった。
「……背の君を奪った者でなくとも、構わぬ」
夫を奪った当人でなくとも、同じ姿をしているならぱ何か知っているかも知れない。
千里眼のような力などなく人の世をあまり知らない獺では、それを頼りにするしかなかったのだ。だから人間の姿になってまであの憎い人間共と同じ姿を捜したのだ。ここで止まってなるものか。
「童を殺めるは偲びないが、彼奴らを庇い立てするなら容赦はせぬ!」
覚者達の背後にある川の水面がごぼりとせり上がり、水の塊が襲い掛かって来た。
「冷てー! って言うかまたかよ!」
水の塊を受けて弾き飛ばされた罪次。先程も直撃ではないが冷たい水を味わっていたため、凶悪な面構えを更に険悪に歪めた。
「これだけいってもわからないなら……そろそろじつりょくこーしするよっ!」
古妖狩人と似ていると思われる迷彩服相手どころか。子供と分かっていても日那乃のような少女すら殺すとのたまう獺を相手に、ククルは深緑鞭をしならせ打ち払う。
「やはり今は話ができる状態ではないようですね」
ほんの少し期待をしたのか、灯は少し残念そうに言いながらも獺に攻撃を加えて行く。
その後に続く攻撃は六人となった覚者達の方が有利になると思いきや、素早い動きと高い攻撃力を武器とする獺一体に意外にも苦戦を強いられる事となった。
「わたしは、我が背の君を取り戻すのだ! 何人たりとも邪魔はさせぬ!」
●
もはや誰に対しても迷わない獺の猛攻が続く。
鋭い爪が覚者達を切り裂き、貫く。寒空の下で戦う体を打ち付け凍えさせるかのような水の塊が覚者達の隊列を見出し、戦線を固く維持するのも一苦労だ。
「上手くのってはくれないか」
貫かれ血を流す肩を軽く押さえて。秋人はどこか口惜しそうに吐き捨てる。
先程から獺を水場から離そうとしてはいるが、隊列を乱されそれを修復する間に獺の立ち位置が代わり、戦線を移動させる事ができない。移動させるどころか、むしろこちらが翻弄されているような状態になってきた。
「大丈夫……まだ、いける」
不意に肩の痛みが軽くなって視線を向けると、日那乃が癒しの滴を秋人に向かって使っているとこだった。
迷彩服を着た三人は最初から獺と戦闘をしていただけあってそろそろ負傷も見過ごせない状態になっていたが、順番に治療を施されているようだ。
しかし、一回二回で癒しきれるほど獺の攻撃は甘くない。
「大事な人を奪われたんだものね」
数多は激しい攻撃を繰り返しす獺の姿をじっと見詰める。
獺が纏った着物にはいくつもの血の染みができている。覚者からの返り血よりも、獺自身の傷の比率が段々増えて来ていた。それもそうだろう。彼女に傷を癒す手段はない。
その姿を見ていると一度抑えた胸のざわつきがまたぶり返す。
家族を奪った妖が憎い。例え古妖でも、引き裂きたいほどに憎い。
「比翼連理っていうんですってね、そういうの」
夫を、片翼を失った獺の妻。我が身を顧みぬ姿を見ていると憎しみとは違った、こみ上げる何かがある。
「ねえ、復讐したい?私たちは古妖狩人の敵よ。貴方のもう一つの翼を奪ったやつを見つけれることができるかもしれない」
数多の言葉はまだ獺には届かない。構わず数多は続けた。
「それでもまだ戦い、敵でもないやつにここで殺されて朽ちる?」
「しらじらしい!」
「酒々井さん!」
秋人が警告を発し、攻撃に割り込もうとするが、獺の方が早い。
鈍く、湿ったような音をたてて獺の白い手が数多の体を貫いていた。
しかし、数多は苦痛に膝を折る事も身を引いて獺から逃げる事もなく、真正面から獺の目を睨みつけるように言った。
「ふざけないでよ! あんたそれでも女でしょ? 自分の男ボコられてこんなとこで黙って死んでいいの? 自分の仇は自分でとりなさいよ!」
叫べば口から数滴血の雫が飛んで獺の顔に飛び散った。
「だまれ!」
獺の腕が力尽くで引き抜かれ、数多がよろける。その足元に血溜まりができた。
「治療を!」
「わかった!」
「任せて」
灯と秋人が数多のカバーに入り、ククルと日那乃が回復に走る。
「オマエが死んだら、ホントに殺さなきゃいけねえ相手から、旦那取り戻すどころじゃねえぞー?」
罪次の言葉は数多の後を繋ぐかのようだったが、放つ隆槍の勢いは何の加減もなく獺を貫こうとしている。
「なあどうるどうする? まだやる!? オレはどっちでもイイけど!」
「言うまでもないわ!」
罪次の物騒な喜色にまみれた台詞につられるように、獺は数多の血に濡れた爪を振るう。
しかし、憎悪に満ちていた目と表情は苦し気に歪み、素早い足も爪も鈍っていった。
「私達が古妖狩人ではない事はもう分かっているんですね」
始めの内はよけられていた灯の鎖分銅が獺を捕縛する。もがく獺の動きが弱いのは捕縛されたためか、憎悪が弱まったためなのか。
「ご主人の、他にも、連れて行かれてる、古妖がいる」
日那乃はこの依頼を受けた時に聞いた情報を元に古妖狩人の足取りを辿れるかもしれないと考えていた。それを獺に話せば、弱まった憎悪がさらにひび割れるような気配があった。
「わたしたちで、探すの、手伝えると思う」
「そうだよ! ミラノたちでこようかりゅうどをやっつけて、だんなさんもみつけてあげる!」
「ぬしらが……彼奴等と同じ人間のぬしらがか……!」
獺は元々人間を嫌っていたわけではなかった。だが静かな暮らしを壊され、番を奪われて我を忘れていた。
人間を憎み、憎しみのままに動いていなければ、番を失った悲しみで何もできなくなりそうで。
「だからって相手を間違えてんじゃないわよ!」
数多が愛対生理論と名付けた剣を振りかざす。反射的に避けようとした獺だったが、灯に賭けられた捕縛が解けず動きが止まった。
「我が背の君……」
刃が振り下ろされる直前に愛しい番を思い、獺は斬り伏せられた。
●
「気が付きましたか?」
秋人は目を開けた獺に声を掛ける。
獺は今だ人間の女の姿をしている自分の体を見下ろし、周囲に集まっていた覚者達の顔を交互に見て混乱する。
「どういうことだ」
「なんか混乱してんなー。そのまんまだよ。オマエを倒してからきちんと治したんだ」
罪次の姿は戦闘中の成人男性から元の少年の姿に戻っており、獺にこれは誰かと首を傾げられたが一向に構わず説明した。
それを言うなら秋人も長い髪が短い状態に戻っているのだが、こちらはそこまで大変わりしていないため獺にも同一人物だと判断できる範囲らしい。
「少し落ち着いたなら、私達の話を聞いてもらえませんか?」
戦闘が終わり迷彩服を抜いた灯に、獺はしばらくの沈黙の後小さく頷いた。
「それでは……貴女が追っているのは似た様な格好でも、俺達のような不思議な力ではなく、重火器などの武器をメインに使っていませんでしたか?」
「手掛かりになるかもしれない……奥さんも知っていること教えて?」
「じゅうかき……というのがわからぬが……火薬臭い黒い飛び道具や毒を使っておった」
秋人と日那乃が聞き出した情報は他の古妖狩人とほぼ共通している。
残念ながら獺の番がどこに連れて行かれたかと言う手掛かりはなかった。
「さっきも言ったけど、私達と古妖狩人は敵同士よ。古妖を取り戻すために色々調べてもいるわ」
「私達も古妖狩人の足取りを追っているんです」
どこか魂が抜けたような様子の獺の表情が、覚者達の話を聞いている内にわずかな期待と希望に揺れ始めた。
「俺達も同じ敵を折っているので、貴女の大切な人の情報が入り次第、貴女にもお伝えします」
「まことか!」
秋人は勢いよく身を乗り出してきた獺にぶつかりそうになりながら頷く。
「ですが、貴女自身も狙われる可能性があるので注意して下さい」
「つかまらないようにかくれておいてほしいな」
「きけぬ。わたしは背の君を取り戻さねばならぬのだ」
クルルの希望をすっぱりと断った獺に、数多が手を差し出した。かと思うと、その手には何やら文字が書かれた紙が挟んである。
「これ、私の連絡先よ」
「連絡……どうしろと言うのだ」
一応文字は読めるようだが、獺には人間が使うような連絡手段がない。
あ。と思わずつぶやいた数多だったが、慌てて解決策を出す事にした。
「これを使えばいいのだな?」
「ちゃんと人に使い方を聞くのよ」
獺が帯にたばさんだのは一枚のテレホンカードだった。
河川敷で向かい合う覚者達と獺は、獺の夫を捜し出す事、何かあれば連絡をする事と約束を交わしていた。
「もし何かあれば力になります」
「ミラノたちつよいからね! ぜったいたすけてあげる!」
「……我が背の君を頼む」
最後まで身を隠す事を良しとせず、獺は夫を求めて河川敷から姿を消した。
古妖狩人の暴挙はまだ続いている。彼らがいる限り、あの獺やその夫のように静かに暮らしている古妖までもが犠牲になって行くのだろう。少しでも早く暴挙を止めなければならい。
覚者達は改めてその思いを強くし、河川敷を後にした。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
