雷虫の塔
●一年前 某所
工事責任者でもあり社長でもある津山は、役所に届け出ないことにした。
作業員たちを振り返り、目の前のものをさっさと運び出せと命じる。
「なに、どこでもやっていることだ。さっさと埋め戻しちまえ」
出たのはフットボール大の石と土器の欠片数点だったし、何より度重なる天候の不順で初っ端から工事日程が伸びていることもある。クソ真面目に不時発見の届けをだして、緊急発掘調査などやられてはたまらない。調査後、何事もなく埋め戻されればまだいいほうだ。だが、保存指定されちまったら……。
納期通りにこのビルを完成させて、施主から金を振り込んでもらわなければならなかった。
会社が巨額の不良債権を抱え、倒産しかかっていたのだ。
●夜、某所
大型の台風が近づいてきていた。
昼前にはすでに強い風と雨が降りだしていた。分厚い全面ガラス窓の向こう側では、ミニチュアのような街が黒々とした雨雲の腹の下で押しつぶされそうなっている。
見ていると、遠方のビルに雷が落ちた。
かなり大きかったようで、さして高いとは言えないタワービルの最上階の床が、穏やかな波の上に浮かぶゴムボートのように揺れた。
「だ、大丈夫なのか?」
「心配ありませんって」
津山はそわそわと落ち着きのない施主を、ガラスケースに入れた石の前に連れて行った。
入っているのは一年前に掘り出した石だ。
白地に稲妻のような金の筋をいくつも走らせたこの石だけは、埋め戻さずに取っておいたのだ。
「雷が束になって落ちたとしても、このビルは燃えもしなければ崩れもしませんよ」
拳を作って胸を叩いてみせる。
芝居じみたしぐさに呼応して、今度はすぐ隣のビルに稲妻が落ちた。
さっきよりも激しくビルが揺れる。
「いや、でも」
施主が不安になるのも無理はない。出す金を惜しんで、施工費を値切りに値切り倒したのはこの施主なのだ。どう考えてもあの金額で、地上50階、地下3階のビルが1年ぽっきりで建つはずがない。
それでも津山は強気だった。たかが台風ごときで倒れるほどの、ひどい手抜きはしていない、と。
「基礎工事だけはしっかりやっとりますから。ビルが傾くことも……って、あれ? なんだ、これ。光って……」
ショーケースの中の石が光っていた。石全体が光っているのではなく、稲妻のような金の模様が光っている。まるで、卵にヒビが入り、中から光があふれ出ているような――
津山と施主がふたりしてショーケースの中を覗きこんだ時、タワービルの避雷針に雷が落ちた。
●当日、朝。会議室
「巨大ムカデのような雷の虫が、完成したばかりのビルに巻きついて壊そうとしいる。大惨事になる前に倒してくれ」
夢見、久方 相馬(nCL2000004)は前置き無しで話を切りだした。
「雷虫は空から落ちてきて下に向かってビルに巻きつき、25階の窓を壊して中に入る。そのまま中を壊しながら最上階をめざして、最後にはビルの屋上から空へ戻る」
25階から下の全面窓ガラスはごく普通のガラスが使われているらしく、妖はなんなく窓を破るようだ。
ちなみに、雷虫が侵入した時点でビル全体が停電し、火災が発生する。
「ビルは完成したばかりで、2階ロビーにオープンパーティーの招待客やビルスタッフたちが250人ほどいるんだが、到着時にはすでに逃げ始めている。パニックになっているからとりあえず落ち着かせて、怪我人を出さないように避難されてくれ。で、問題は――」
とたん、相馬は渋い顔になった。
「最上階にビルのオーナーや警備員を含む15人が取り残されている。夢見では彼らは全員、雷虫に噛み殺されるか、感電死するか、火事の煙を吸って死ぬか。生きていてもビルの崩壊に巻き込まれて死んでしまう。厄介なのは、雷虫の体で屋上、それに25階と26階が塞がっていて、彼らを簡単に助け出せないことなんだ」
最悪は、彼らを見殺しにするしかない。
「ビルが崩壊すれば、周りの建物にも被害が出る。救助が難しい場合は雷虫退治を第一に考えて欲しい」
タワービルの建つ土地は、古くから雷がよく落ちるところで有名だった。文献こそ残っていないが、雷虫は古妖らしい。だが、雷虫は人の言葉を理解せず、話すこともできないと夢見はいう。
「長く生きているだけあってものすごくタフだ。それに、攻撃で体を分断すると増える。一体が二体に、二体が四体にって感じで。弱点は頭だ」
ビルの一階からメンテ用のエレベーターで屋上まで上がることができるが、それにはまず、地下の自家発電装置をなんとか動かさなくてはならない。
屋上に上がることができれば、非常口からビル内に入ることができるだろう。ただし、非常口は雷虫の体で塞がっている。
「それが駄目なら非常階段を登って25階まで行くしかない。取りあえず雷虫の体を分断して道を開き、さらにチームを分けて上へ向かうことになるけど、頭までたどり着くのにそうとう時間がかかるぜ」
工事責任者でもあり社長でもある津山は、役所に届け出ないことにした。
作業員たちを振り返り、目の前のものをさっさと運び出せと命じる。
「なに、どこでもやっていることだ。さっさと埋め戻しちまえ」
出たのはフットボール大の石と土器の欠片数点だったし、何より度重なる天候の不順で初っ端から工事日程が伸びていることもある。クソ真面目に不時発見の届けをだして、緊急発掘調査などやられてはたまらない。調査後、何事もなく埋め戻されればまだいいほうだ。だが、保存指定されちまったら……。
納期通りにこのビルを完成させて、施主から金を振り込んでもらわなければならなかった。
会社が巨額の不良債権を抱え、倒産しかかっていたのだ。
●夜、某所
大型の台風が近づいてきていた。
昼前にはすでに強い風と雨が降りだしていた。分厚い全面ガラス窓の向こう側では、ミニチュアのような街が黒々とした雨雲の腹の下で押しつぶされそうなっている。
見ていると、遠方のビルに雷が落ちた。
かなり大きかったようで、さして高いとは言えないタワービルの最上階の床が、穏やかな波の上に浮かぶゴムボートのように揺れた。
「だ、大丈夫なのか?」
「心配ありませんって」
津山はそわそわと落ち着きのない施主を、ガラスケースに入れた石の前に連れて行った。
入っているのは一年前に掘り出した石だ。
白地に稲妻のような金の筋をいくつも走らせたこの石だけは、埋め戻さずに取っておいたのだ。
「雷が束になって落ちたとしても、このビルは燃えもしなければ崩れもしませんよ」
拳を作って胸を叩いてみせる。
芝居じみたしぐさに呼応して、今度はすぐ隣のビルに稲妻が落ちた。
さっきよりも激しくビルが揺れる。
「いや、でも」
施主が不安になるのも無理はない。出す金を惜しんで、施工費を値切りに値切り倒したのはこの施主なのだ。どう考えてもあの金額で、地上50階、地下3階のビルが1年ぽっきりで建つはずがない。
それでも津山は強気だった。たかが台風ごときで倒れるほどの、ひどい手抜きはしていない、と。
「基礎工事だけはしっかりやっとりますから。ビルが傾くことも……って、あれ? なんだ、これ。光って……」
ショーケースの中の石が光っていた。石全体が光っているのではなく、稲妻のような金の模様が光っている。まるで、卵にヒビが入り、中から光があふれ出ているような――
津山と施主がふたりしてショーケースの中を覗きこんだ時、タワービルの避雷針に雷が落ちた。
●当日、朝。会議室
「巨大ムカデのような雷の虫が、完成したばかりのビルに巻きついて壊そうとしいる。大惨事になる前に倒してくれ」
夢見、久方 相馬(nCL2000004)は前置き無しで話を切りだした。
「雷虫は空から落ちてきて下に向かってビルに巻きつき、25階の窓を壊して中に入る。そのまま中を壊しながら最上階をめざして、最後にはビルの屋上から空へ戻る」
25階から下の全面窓ガラスはごく普通のガラスが使われているらしく、妖はなんなく窓を破るようだ。
ちなみに、雷虫が侵入した時点でビル全体が停電し、火災が発生する。
「ビルは完成したばかりで、2階ロビーにオープンパーティーの招待客やビルスタッフたちが250人ほどいるんだが、到着時にはすでに逃げ始めている。パニックになっているからとりあえず落ち着かせて、怪我人を出さないように避難されてくれ。で、問題は――」
とたん、相馬は渋い顔になった。
「最上階にビルのオーナーや警備員を含む15人が取り残されている。夢見では彼らは全員、雷虫に噛み殺されるか、感電死するか、火事の煙を吸って死ぬか。生きていてもビルの崩壊に巻き込まれて死んでしまう。厄介なのは、雷虫の体で屋上、それに25階と26階が塞がっていて、彼らを簡単に助け出せないことなんだ」
最悪は、彼らを見殺しにするしかない。
「ビルが崩壊すれば、周りの建物にも被害が出る。救助が難しい場合は雷虫退治を第一に考えて欲しい」
タワービルの建つ土地は、古くから雷がよく落ちるところで有名だった。文献こそ残っていないが、雷虫は古妖らしい。だが、雷虫は人の言葉を理解せず、話すこともできないと夢見はいう。
「長く生きているだけあってものすごくタフだ。それに、攻撃で体を分断すると増える。一体が二体に、二体が四体にって感じで。弱点は頭だ」
ビルの一階からメンテ用のエレベーターで屋上まで上がることができるが、それにはまず、地下の自家発電装置をなんとか動かさなくてはならない。
屋上に上がることができれば、非常口からビル内に入ることができるだろう。ただし、非常口は雷虫の体で塞がっている。
「それが駄目なら非常階段を登って25階まで行くしかない。取りあえず雷虫の体を分断して道を開き、さらにチームを分けて上へ向かうことになるけど、頭までたどり着くのにそうとう時間がかかるぜ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.全雷虫の撃破、または撃退
2.ビルを倒壊させないこと
3.なし
2.ビルを倒壊させないこと
3.なし
物理攻撃は効果が薄い。体が触れたところで火が起こる。
体を攻撃して分断すると、分断した分だけ増殖する。
頭が弱点。
※雷系のスキルで攻撃すると、雷虫が回復します。
【噛みつき(頭)】……物単[出血]
【放電(体)】……特全[痺れ]
【払い(尾)】……物列
●タワービル(停電、24階~27階にかけて火災発生中、煙は45階に達している)
地上50階、地下3階。
屋上/雷虫の尾と体
50階展望ロビー/施主ら15名、謎の石
┃
┃ビルの外側、雷虫の体
┃
26階内部/雷虫の頭
25階内部/雷虫の体
┃
┃2階、招待客ら250名
┃
地下2階/警備室と非常用発電装置
タワービルの各階は回廊になっています。
雷虫は途中で回廊の天井をぶち破って、上へ上へと登って行きます。
メンテ用及び通常エレベーターは停電で止まっています。
発電装置を動かすためには関連スキルが必要で、復旧まで2ターンかかります。
関連スキルがない場合、外部から人を呼ばなくてはならず、復旧まで10分ほど時間がかかります。
メンテ用エレベーターは屋上まで直通、30秒で登り切ります。
屋上からは非常ドアをあけて階段で内部に入れます。
ただし、非常ドアは雷虫の体でふさがれています。
非常階段で25階まで登れます。
1階から25階まで、覚者が全力で駆け上がった場合は2分かかります。下りはその半分。
覚者たちがタワービル到着時、雷虫の頭は26階にありますが、1分後には27階に達します。
さらにその1分後には28階に。1分ごとに1階分上がっていきます。
つまり、下から駆け上がるルートを選択した場合は、少なくとも4体の雷虫を倒さねばなりません。
●その他
ビル火事中です! 停電しています、真っ暗です!
また、ビル全体がぐら~ぐら~と揺れています。
雷虫の頭が屋上に抜けなければビルは倒壊しませんが、火は勝手に消えません。
25階の割れた窓から強い風がビルの中に入るため、火と煙がどんどん上へ。
●注意!
装備しているアイテム以外はプレイングに書かれていても採用できません。
ただし、以下のものはファイブで用意しています。
持ち込みたい方はプレイングに個数を書いてください。
・酸素マスク(ボンベつき)
●STコメント
またビルもの……。
よろしければご参加ください。
(2015.11.08修正)
誤 50階展望ロビー/施主ら20名、謎の石
正 50階展望ロビー/施主ら15名、謎の石
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
9/9
9/9
公開日
2015年11月18日
2015年11月18日
■メイン参加者 9人■

●
強い風に吹かれた雨が、前後左右から叩きつけてくる。嵐の夜だというのに、目指すビルの周りには大勢の野次馬たちが集まっていた。
「ちょっと、通してください。急いで――って、そこをどけっていってんだよ!」
『狂気の憤怒を制圧せし者』鳴海 蕾花(CL2001006)は、野次馬を押しのけながら進まなくてはならなかった。
これ以上前に出ると危ないよ、と蕾花の袖を引き止める者がいた。あんなに大きな化け物相手に、バカなことはやめなさい、と言う。
蕾花は奥歯をかみしめ、ニッコリ笑って、袖を掴む手を振り切った。
(たく。ファイブのこと、秘密にしている必要あんの?)
大いなる謎を解き明かすため、不可思議な力に虐げられている誰かを救うため、新たに得た力を尽くす。
分かっているし、別に称賛や見返りを求めているわけではないが、こんな時に後ろ盾となるべき組織とその活動が世間に知られていないと不便極まりない。
上には上の考えがあるのだろうが、すこしは最前線で動く者たちのことも考えて欲しいと思う。
(それにさ、あれをあたしらだけでやれってか? 倒れたら大惨事なんだろ?)
切れかかる堪忍袋の緒を結び結び、野次馬たちの間を抜けると、ようやく前に空間が広がった。
「いやはや、大変な事になっていますね」
『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)が、帽子の庇を指で押し上げ、電虫が巻きつくビルを見てつぶやく。
「原因はやはり例の石、でしょうか?」
「かもしれませんね」
ほっと息を漏らしながら、『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)が誠二郎の横に並ぶ。
「やれやれ、ひどい目にあった」
「まったくだぜ。戦う前にどっと疲れちまった」
奥州 一悟(CL2000076)が『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)の手を引いて、野次馬たちの間から出てきた。
ぐったりした一悟とは対照的に、飛鳥は元気いっぱいである。
電虫が巻きついたビルを見て、「ぴかぴかに光って、なんだかクリスマスツリーみたいなのよ」と少々場にそぐわない、不謹慎なことを言った。
こら、と一悟が叱る。
「オレも思ったけどさ、そういうことは口にしちゃダメだろ。んで、全員ちゃんとそろってっか?」
少し離れたところで、『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)が手をあげた。後ろに和泉・鷲哉(CL2001115)と桂木・日那乃(CL2000941)、『イージス』暁 幸村(CL2001217)がいる。
「うお、こんなにでかい妖は初めて見たかもしれねーな」
幸村は額に手をかざして雨を塞ぎながら、ビルを見上げた素直な感想を漏らした。幸村はこれがファイブの初仕事である。
(まだ仕事慣れはしてねーけど、足手まといにはならないようにしないとな)
大物を目の前にして武者震いした。
日那乃は、頭に乗せていたハンカチを降ろして水を絞ると、濡れた顔をぬぐった。
きちんとハンカチを畳んでポケットにしまう。
「意味がなかった」
「うん。ひどい雨だよな。そのくせ、ちっとも消火の役に立っていないとか……。とにかく、中にいる人を助けねーとだよな」
翔は雨を滴らせる前髪をかきあげた。
多少、マシなのは帽子をかぶっている亮平と誠二郎ぐらいか。
先にビルに向かって走り出した蕾花に至っては、濡れたシャツが肌に張りついてブラのラインがくっきりと出てしまっている。
鷲哉は頬を赤らめ、視線を下げた。
「まぁ、二階の人達やら警備員やらは何も悪くない筈だし、ちゃちゃっと助けて古妖の対処にかかろうぜ」
●
大勢の人が避難もせず、二階フロアで留まっていた。それも一か所に。
亮平はいつでも翔と連絡が取れるように、送受心を発動した。
うずくまる人々の中に腕章を巻いたスタッフと思しき男性を見つけ、ゆっくり歩み寄る。
「すみません、ビルスタッフの方ですね? 避難誘導の手伝いと119番通報をお願いします」
声をかけられた男性は、亮平を見るなり、おや、と眉を解いた。
「あなた、ハルカスの時にもいませんでしたか?」
ネット上の動画で、ハルカスのエレベーターに乗り込む姿を見た、とスタッフの男性は言った。
どうやら仲間たちと一緒に、天空回廊やヘリポートに取り残された人々を助けに向かう姿をビデオカメラに撮られていたらしい。
ファイブ発足以来、所属する覚者は数多く依頼をこなしている。覚者自身がいくら秘匿を貫こうと、必ず目撃者はいるのだ。
「ほらね。秘匿の意味なんてないだろ」
ぼやきつつも、蕾花はファイブの名を口にしなかった。苦笑いを向けられて、不満はあるが決まり事を自ら破るつもりはない、と肩をすくめる。
「とりあえず、この方たちにも手伝ってもらい、早めに二階の避難を終えましょう」
亮平は状況を逆手にとってワーズ・ワースを発動させた。
一悟が足をくじいたらしき年配の女性を背負って階段に向かう。
鷲哉は車いすに座った小さな子を片腕で抱えあげた。その子が乗っていた車いすを畳んでもう片方の手に下げると、母親についてくるように言った。
「落ち着いて! まだ大丈夫だからゆっくりこっちへ!」
翔は懐中電灯で階段を照らしながら、人々を一階へ誘導した。
降りて来た人々を飛鳥が裏口へ連れて行く。
「みなさん落ち着てくださいなのよ。妖はあすかたちが退治します。ゆっくり逃げてくださいなのよ」
落ちてくるガラスの破片で怪我をさせては本末転倒と、飛鳥なりに考えた脱出口だった。
二階フロアにいた大部分の人たちをビルの人へ逃がしたあと、幸村と日那乃は非常用エレベーターの前にいた。
竜の守護使役、戸隠の『ともしび』が闇をほのかに照らしている。
日那乃も懐中電灯を二本用意して来ていたが、そのうち一本を、避難誘導に役立ててもらおうとビルスタッフに渡していた。残りの一本は、最上階に取り残された人々のためにとってある。
「橘さん、遅いなぁ。そろそろ動いてくれないと……」
とはいうが、別れてまだ一分と立っていない。
「気のせいか喉がイガイガしてきたぞ」
煙はないが、火災現場特有の、有害物質をたっぷり含んだイヤな臭いがする。
「そろそろ必要?」
日那乃は、守護使役のマリンに自分の分だけ、酸素マスクとボンベを出すように頼んだ。幸村も戸隠から自分の分を受け取る。
ふたりは酸素ボンベを背負うと、風の唸る音を遠くに聞きながらエレベーターが動くのを待った。
電気の落ちたビル内は当然のことながら真っ暗だ。夜とはいえ、一階から上であれば街燈や周りのビルから明かりが取れるが、窓のない地下ではそれも望めない。
誠二郎は暗視を生かして発電装置のある部屋へ急いだ。消火栓ボックスの位置を示す赤い表示灯の明かりを増幅させて、ドアにつけられたプレートを読みながら歩く。
(おっと、ここだ。鍵がかけられていなければいいんですけどねぇ)
鍵はかかっていなかった。無駄な時間を取られずに済んだと、胸をなでおろす。
ドアを開けたままにして非常用発電機が置かれている室内に入った。コンクリート壁の、殺風景な部屋だ。発電装置の近くに工具らしきものを収めた棚と平机があった。
棚から一冊のファイルを抜き出し、閉じられていたマニュアルにざっと目を通す。精通する必要はない。再起動に必要な手順がわかれば十分だ。あとは橘に伝わる修復術でカバーする。
「しかし、完成したばかりだというのに作動しないとは。古妖など想定外でしょうが、手抜かりだとしか思えません」
閉じたファイルを棚に戻す。
「さあ、お仕事の時間ですよ。サボっていないで働いてください」
発電装置が息を吹き返すと同時に、明かりが点いた。
急いで非常用エレベーターへ向かった。
「あ、動きだした」
地下から非常用エレベーターが一階に上がってきた。
「お待たせいたしました」、と誠二郎。
ちょうどやってきた翔が、二階にいる亮平にエレベーターの復旧を知らせる。
ほどなく覚者たちが集まってきた。
きぱきと酸素ボンベを背負い、定員十名のエレベーターに乗り込んだ。
「ふぉぉぉ、揺れたのよ。いま、グラッとしたのよ」
ドン、という鈍い音とともにエレベーターが揺れて、壁にぶつかった。電虫が天井をぶち抜いたのだろう。
エレベーターは止まらず上昇を続けてたが、時々、ガリガリ、ゴト、と嫌な音をたてた。
覚者たちの頭の中に、「手抜き工事」「ケーブル切断」「落下、死亡」などなど、不吉な単語が次々と浮かぶ。
「だ、大丈夫か、これ?」
「そんなことを言われても困ります、一悟くん。僕はただこれを動くようにしただけですから」
ある意味、ここまで覚者たちをビビらせた津山たちは電虫よりもタチが悪かった。そもそも、遺物をきちんと届け出ていれば起こらなかった、いわば人災である。
「そうだよ。悪いのは石のこと隠してたオッサン達だ! 雷虫は悪くねーじゃんっ」
「届け出ていたとしても……こんな酷い手抜き建築、遅かれ早かれ問題を起こしていたでしょうね」
鼻息を荒くする翔に亮平が冷静なコメントを返したところで、チンという間抜けな音がなり、エレベーターが屋上についたことを知らせた。
●
「さて、まずは道広げないとな! 阿久津店長、清風を頼む!」
安堵の吐息もそこそこに。鷲哉はクナイを神秘の炎でコーティングすると、エレベーターを飛び出した。
亮平はリクエストに応えて嵐の中に進み出ると、清風を舞った。
非常口を塞いでいる電虫の体を、鷲哉のクナイが切り裂く。
続けて翔が、後ろから貫通弾を放って傷口を広げる。
一悟は火の心を活性化させると、苦痛にのたうつ電虫の体に肉薄してトンファーで叩いた。
蕾花もまた、古妖の体から迸りでる稲妻に怯むことなく、傷口の脇に燃える鉤爪を差し入れる。腕を左右に開いて電虫の体を二つに裂いた。
「今のうちなのよ!」
吹きつける雨を恵みの力に変えて、飛鳥が癒しの霧を広げる。
尻尾側の傷口で肉が盛り上がり、黒く固まって固くなって頭となった。
頭側の傷口もほぼ同時に塞がって、尾に変化する。
体を高くもたげた電虫が、牙を広げてビルへ入っていく覚者たちを襲い掛かった。
「させるか!」
帽子を後ろに残して亮平が飛ぶ。
数珠を握る拳の猛々しい一撃が、電虫の横面を打ちのめした。
電虫から放たれた稲妻が、雨水で覆われた屋上を走り、覚者たちを貫いて荒れ狂う。
飛鳥は体に痺れを感じながらも、手に受けて集めた雨水に神秘の力を込め、左右に大きく振られた尾を撃った。
元々頭がついていた方の電虫はぴくりと体を震わせると、さらなる攻撃を避けるようにするすると身を滑らせて屋上から姿を消した。
直後、ビルが大きく揺れた。
地上から小さく悲鳴が聞こえてくる。
「どうやらあっちはビル中から昇ることに専念したみたいだな。早くこの小さいやつを倒して、中の連中を助けに行こうぜ」
幸村は飛鳥の頭に手をかざすと、植物の生命力を凝縮した雫を与えた。
電虫から離れた亮平が、舞衣を舞って仲間の体から痺れを払う。
「悪いな。安らかに眠ってくれ」
鷲哉は電虫の丸い目の間を狙い、炎のクナイを突き刺した。
またビルが揺れた。
今度はグラグラと左右に何度も揺れて、なかなか収まらなかった。ビルの破壊が進んでいる証拠だ。
蕾花は小さく舌を打ち鳴らした。
ハイバランサーを活性化せていなければ、狭い非常階段で足を滑らせて転がり落ちていたかもしれない。
手すりを強くつかんで体を起こすと、残り五つの階段を飛んで降りた。
「すぐに救助が来るから、もうちょっと待っててくれ」
蕾花に続いて展望フロアにたどり着いた翔は、守護使役の空丸が出してくれた酸素マスクとボンベを、懐中電燈の明かりを頼りに配って歩いた。
展示ケースの位置を確認し、中に納められた石に目を向ける。
傍に中年の男性が二人、うずくまっていた。
津山とビルのオーナーだろう。
さっそく一悟が、展示ケースから二人を引き剥がしにかかった。
「だ、か、ら! こいつは没収だって言ってンだよ。おとなしく離れたところで座って待っていろ。石は後から来る連中が回収して、しかるべきところへ届けるからな!」
受け持ち分の酸素ボンベを降ろして、偵察へ出ていた日那乃が戻ってきた。
「頭がすぐそこまで上がってきている。いま、五階下」
非常口を塞ぐ形で避雷針に巻きついていた尾が切り離されたことで、移動速度が上がったらしい。
「それは大変だ。ここは後からくる人たちに任せて、僕たちは電虫の抑えに行きましょう」
フロアに備えつけられていた消火器を手に持ち、誠二郎たちは後に残して行く人々、とくに津山たちに不安を感じながらも電虫撃破に向かった。
「欲の皮を突っ張らせたおとなって、ほんとろくでもねぇな」
階段を二段飛ばしで駆け織りながら、マスクの中で一悟がぼやく。
横を日那乃の翼がかすめて行った。
「思っているより火の回りが早い。みんな、気をつけて」
四十六階をぐるりと囲む廊下へ飛び出した。
ビルがぐらりとまた揺れて、熱をはらんだ黒い煙が塊になって非常階段口に押し寄せて来た。
「うわっ。煙が酷くて懐中電燈の光が通らない」
「任せて。エアブリットで吹き飛ばす」
日那乃は翔を後ろに下がらせた。
はためく翼から圧縮された空気が送りだす。
壁のように通路を塞ぐ黒い煙に、大穴が開いた。
見えた先で炎が赤々と踊っている。さらにその先、廊下が大きく陥没してなくなっていた。
まず、火の心を持つ蕾花と一悟が穴の向こうへ飛び、消火栓のピンを抜いて炎に泡を吹きかけた。
「ダメだ。焼け石に水ってやつだぜ。手に負えねぇ」
「……焼け死ぬってやっぱり苦しいのかな」
蕾花はマスクの下で唇を噛んだ。
泡を幾度かけても立ち上がる炎に、忘れようとしても忘れられない辛い記憶がよみがえる。
「ボソッと怖いこというな、鳴海さん。オレたちなら大丈夫だよ。さあ、これと交換しよう」
翔と誠二郎は、自分たちが持っていた分をふたりに差し出した。空になった消火器と取りかえる。
消火を続けると、なんとか五人で電虫と戦えるだけのスペースが確保できた。
「さあ、来い!」
身構えたところで、守護使役の椛と大和が同時に唸り声をあげ、パートナーたちも古妖が放つ強烈な怒りの臭いを捕えた。
廊下が消えた先から黒々とした巨大な頭が、鋭い牙を開いて、ゆっくりとせりあがってくる。
「現れましたね。では橘流杖術橘誠二郎、推して参ります」
●
「よし、急ごう」
電虫から受けた傷の治療を終えると、亮平たちは展望フロアがある五十階へ急いで向かった。
一番に飛び込んだ飛鳥の耳に、フロアの端からガタガタと、何かを壊そうとしている音が聞こえて来た。
「めっ!」
後ろから厳しくたしなめる。
鷲哉はわざと点けた懐中電燈を津山たちの目に当てて、ショーケースから下がらせた。
すでに煙はフロアの天井に達しており、一刻の猶予も許されない状況だ。
下の階では戦闘が始まっているらしく、ビルの揺れも激しさを増していた。
幸村はダブルシールドをショーケースに叩きつけて壊すと、中から石を取りだした。
「阿久津さん、これ」
全体に入ったヒビから黄金色の光が漏れ出ている。今にも割れて中から電虫の幼虫が出てきそうだ。本当に卵だったらどうしよう?
幸村は石を落とさないよう慎重に、亮平のところまで運んだ。
亮平は斜めかけしたカバンのふたを開くと、手渡された石をそっと中にしまった。
「あの……そ、それは、わたしの――」
「めっ! それ以上言うと、あすかが成敗いたす、なのよ!」
飛鳥に叱られて、ビルのオーナーは尻から後ろにさがった。
後ろで鷲哉が手刀を振り回していたので、本当に成敗されてしまうと怯えたのかもしれない。
ともあれ、飛鳥、幸村、鷲哉の三人は、あとを亮平に任せて下へ向かった。
「では、いまから屋上に出て非常用エレベーターで下へ避難してもらいます。ただ、エレベーターは一度に十人しか乗せられません。揺れも激しくなってきていますし、万が一を考えて二回に分けます。よろしくご協力ください。大丈夫。全員、家へ帰してあげますよ」
ここでも亮平のワーズ・ワースが効果を発した。
人々はマスクの下で安堵の表情を浮かべ、大人しく屋上への階段を登りだした。
「お待たせ! スパートかけてこうぜー」
鷲哉の後ろから飛鳥と幸村が、それぞれ治癒の術を最前線で戦っている仲間たちにかける。
「阿久津さんは?」
炎を纏ったトンファーで電虫の牙をかわしながら、一悟が怒鳴る。
「まだだ。もう少し――」
「だめ、もう待っていられない!」
最後の舞衣を演じ終えた日那乃が、翼を畳んで床に降り立つ。
石が届けられるまで、電虫を倒すことなくいかに下に留まらせておくか。
事前に打ち合わせている時間がなかった。
細部を詰めないまま戦っていたため、電虫はさらに三階分の床をぶち抜いて階を上がっている。
分裂を恐れて体を攻撃するわけにも行かず、終始、対応が後手に回った結果だ。
残すはあと二階。いや、三階分の高さ。
これ以上進ませると、ビルが大崩壊してしまう恐れがあった。
「仕方ありませんね。全員で頭を集中攻撃して倒しましょう」
四十八階に降りてきたとには、すでに電虫は倒されていた。
亮平はカバンから弱々しく光を放つ石を取りだすと、胸に抱きかかえた。
「よしよし、一緒に京に帰ろうな」
皆が頭を垂れる中、子守歌の口笛を吹きながら優しく石――電虫の卵を揺らした。
強い風に吹かれた雨が、前後左右から叩きつけてくる。嵐の夜だというのに、目指すビルの周りには大勢の野次馬たちが集まっていた。
「ちょっと、通してください。急いで――って、そこをどけっていってんだよ!」
『狂気の憤怒を制圧せし者』鳴海 蕾花(CL2001006)は、野次馬を押しのけながら進まなくてはならなかった。
これ以上前に出ると危ないよ、と蕾花の袖を引き止める者がいた。あんなに大きな化け物相手に、バカなことはやめなさい、と言う。
蕾花は奥歯をかみしめ、ニッコリ笑って、袖を掴む手を振り切った。
(たく。ファイブのこと、秘密にしている必要あんの?)
大いなる謎を解き明かすため、不可思議な力に虐げられている誰かを救うため、新たに得た力を尽くす。
分かっているし、別に称賛や見返りを求めているわけではないが、こんな時に後ろ盾となるべき組織とその活動が世間に知られていないと不便極まりない。
上には上の考えがあるのだろうが、すこしは最前線で動く者たちのことも考えて欲しいと思う。
(それにさ、あれをあたしらだけでやれってか? 倒れたら大惨事なんだろ?)
切れかかる堪忍袋の緒を結び結び、野次馬たちの間を抜けると、ようやく前に空間が広がった。
「いやはや、大変な事になっていますね」
『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)が、帽子の庇を指で押し上げ、電虫が巻きつくビルを見てつぶやく。
「原因はやはり例の石、でしょうか?」
「かもしれませんね」
ほっと息を漏らしながら、『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)が誠二郎の横に並ぶ。
「やれやれ、ひどい目にあった」
「まったくだぜ。戦う前にどっと疲れちまった」
奥州 一悟(CL2000076)が『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)の手を引いて、野次馬たちの間から出てきた。
ぐったりした一悟とは対照的に、飛鳥は元気いっぱいである。
電虫が巻きついたビルを見て、「ぴかぴかに光って、なんだかクリスマスツリーみたいなのよ」と少々場にそぐわない、不謹慎なことを言った。
こら、と一悟が叱る。
「オレも思ったけどさ、そういうことは口にしちゃダメだろ。んで、全員ちゃんとそろってっか?」
少し離れたところで、『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)が手をあげた。後ろに和泉・鷲哉(CL2001115)と桂木・日那乃(CL2000941)、『イージス』暁 幸村(CL2001217)がいる。
「うお、こんなにでかい妖は初めて見たかもしれねーな」
幸村は額に手をかざして雨を塞ぎながら、ビルを見上げた素直な感想を漏らした。幸村はこれがファイブの初仕事である。
(まだ仕事慣れはしてねーけど、足手まといにはならないようにしないとな)
大物を目の前にして武者震いした。
日那乃は、頭に乗せていたハンカチを降ろして水を絞ると、濡れた顔をぬぐった。
きちんとハンカチを畳んでポケットにしまう。
「意味がなかった」
「うん。ひどい雨だよな。そのくせ、ちっとも消火の役に立っていないとか……。とにかく、中にいる人を助けねーとだよな」
翔は雨を滴らせる前髪をかきあげた。
多少、マシなのは帽子をかぶっている亮平と誠二郎ぐらいか。
先にビルに向かって走り出した蕾花に至っては、濡れたシャツが肌に張りついてブラのラインがくっきりと出てしまっている。
鷲哉は頬を赤らめ、視線を下げた。
「まぁ、二階の人達やら警備員やらは何も悪くない筈だし、ちゃちゃっと助けて古妖の対処にかかろうぜ」
●
大勢の人が避難もせず、二階フロアで留まっていた。それも一か所に。
亮平はいつでも翔と連絡が取れるように、送受心を発動した。
うずくまる人々の中に腕章を巻いたスタッフと思しき男性を見つけ、ゆっくり歩み寄る。
「すみません、ビルスタッフの方ですね? 避難誘導の手伝いと119番通報をお願いします」
声をかけられた男性は、亮平を見るなり、おや、と眉を解いた。
「あなた、ハルカスの時にもいませんでしたか?」
ネット上の動画で、ハルカスのエレベーターに乗り込む姿を見た、とスタッフの男性は言った。
どうやら仲間たちと一緒に、天空回廊やヘリポートに取り残された人々を助けに向かう姿をビデオカメラに撮られていたらしい。
ファイブ発足以来、所属する覚者は数多く依頼をこなしている。覚者自身がいくら秘匿を貫こうと、必ず目撃者はいるのだ。
「ほらね。秘匿の意味なんてないだろ」
ぼやきつつも、蕾花はファイブの名を口にしなかった。苦笑いを向けられて、不満はあるが決まり事を自ら破るつもりはない、と肩をすくめる。
「とりあえず、この方たちにも手伝ってもらい、早めに二階の避難を終えましょう」
亮平は状況を逆手にとってワーズ・ワースを発動させた。
一悟が足をくじいたらしき年配の女性を背負って階段に向かう。
鷲哉は車いすに座った小さな子を片腕で抱えあげた。その子が乗っていた車いすを畳んでもう片方の手に下げると、母親についてくるように言った。
「落ち着いて! まだ大丈夫だからゆっくりこっちへ!」
翔は懐中電灯で階段を照らしながら、人々を一階へ誘導した。
降りて来た人々を飛鳥が裏口へ連れて行く。
「みなさん落ち着てくださいなのよ。妖はあすかたちが退治します。ゆっくり逃げてくださいなのよ」
落ちてくるガラスの破片で怪我をさせては本末転倒と、飛鳥なりに考えた脱出口だった。
二階フロアにいた大部分の人たちをビルの人へ逃がしたあと、幸村と日那乃は非常用エレベーターの前にいた。
竜の守護使役、戸隠の『ともしび』が闇をほのかに照らしている。
日那乃も懐中電灯を二本用意して来ていたが、そのうち一本を、避難誘導に役立ててもらおうとビルスタッフに渡していた。残りの一本は、最上階に取り残された人々のためにとってある。
「橘さん、遅いなぁ。そろそろ動いてくれないと……」
とはいうが、別れてまだ一分と立っていない。
「気のせいか喉がイガイガしてきたぞ」
煙はないが、火災現場特有の、有害物質をたっぷり含んだイヤな臭いがする。
「そろそろ必要?」
日那乃は、守護使役のマリンに自分の分だけ、酸素マスクとボンベを出すように頼んだ。幸村も戸隠から自分の分を受け取る。
ふたりは酸素ボンベを背負うと、風の唸る音を遠くに聞きながらエレベーターが動くのを待った。
電気の落ちたビル内は当然のことながら真っ暗だ。夜とはいえ、一階から上であれば街燈や周りのビルから明かりが取れるが、窓のない地下ではそれも望めない。
誠二郎は暗視を生かして発電装置のある部屋へ急いだ。消火栓ボックスの位置を示す赤い表示灯の明かりを増幅させて、ドアにつけられたプレートを読みながら歩く。
(おっと、ここだ。鍵がかけられていなければいいんですけどねぇ)
鍵はかかっていなかった。無駄な時間を取られずに済んだと、胸をなでおろす。
ドアを開けたままにして非常用発電機が置かれている室内に入った。コンクリート壁の、殺風景な部屋だ。発電装置の近くに工具らしきものを収めた棚と平机があった。
棚から一冊のファイルを抜き出し、閉じられていたマニュアルにざっと目を通す。精通する必要はない。再起動に必要な手順がわかれば十分だ。あとは橘に伝わる修復術でカバーする。
「しかし、完成したばかりだというのに作動しないとは。古妖など想定外でしょうが、手抜かりだとしか思えません」
閉じたファイルを棚に戻す。
「さあ、お仕事の時間ですよ。サボっていないで働いてください」
発電装置が息を吹き返すと同時に、明かりが点いた。
急いで非常用エレベーターへ向かった。
「あ、動きだした」
地下から非常用エレベーターが一階に上がってきた。
「お待たせいたしました」、と誠二郎。
ちょうどやってきた翔が、二階にいる亮平にエレベーターの復旧を知らせる。
ほどなく覚者たちが集まってきた。
きぱきと酸素ボンベを背負い、定員十名のエレベーターに乗り込んだ。
「ふぉぉぉ、揺れたのよ。いま、グラッとしたのよ」
ドン、という鈍い音とともにエレベーターが揺れて、壁にぶつかった。電虫が天井をぶち抜いたのだろう。
エレベーターは止まらず上昇を続けてたが、時々、ガリガリ、ゴト、と嫌な音をたてた。
覚者たちの頭の中に、「手抜き工事」「ケーブル切断」「落下、死亡」などなど、不吉な単語が次々と浮かぶ。
「だ、大丈夫か、これ?」
「そんなことを言われても困ります、一悟くん。僕はただこれを動くようにしただけですから」
ある意味、ここまで覚者たちをビビらせた津山たちは電虫よりもタチが悪かった。そもそも、遺物をきちんと届け出ていれば起こらなかった、いわば人災である。
「そうだよ。悪いのは石のこと隠してたオッサン達だ! 雷虫は悪くねーじゃんっ」
「届け出ていたとしても……こんな酷い手抜き建築、遅かれ早かれ問題を起こしていたでしょうね」
鼻息を荒くする翔に亮平が冷静なコメントを返したところで、チンという間抜けな音がなり、エレベーターが屋上についたことを知らせた。
●
「さて、まずは道広げないとな! 阿久津店長、清風を頼む!」
安堵の吐息もそこそこに。鷲哉はクナイを神秘の炎でコーティングすると、エレベーターを飛び出した。
亮平はリクエストに応えて嵐の中に進み出ると、清風を舞った。
非常口を塞いでいる電虫の体を、鷲哉のクナイが切り裂く。
続けて翔が、後ろから貫通弾を放って傷口を広げる。
一悟は火の心を活性化させると、苦痛にのたうつ電虫の体に肉薄してトンファーで叩いた。
蕾花もまた、古妖の体から迸りでる稲妻に怯むことなく、傷口の脇に燃える鉤爪を差し入れる。腕を左右に開いて電虫の体を二つに裂いた。
「今のうちなのよ!」
吹きつける雨を恵みの力に変えて、飛鳥が癒しの霧を広げる。
尻尾側の傷口で肉が盛り上がり、黒く固まって固くなって頭となった。
頭側の傷口もほぼ同時に塞がって、尾に変化する。
体を高くもたげた電虫が、牙を広げてビルへ入っていく覚者たちを襲い掛かった。
「させるか!」
帽子を後ろに残して亮平が飛ぶ。
数珠を握る拳の猛々しい一撃が、電虫の横面を打ちのめした。
電虫から放たれた稲妻が、雨水で覆われた屋上を走り、覚者たちを貫いて荒れ狂う。
飛鳥は体に痺れを感じながらも、手に受けて集めた雨水に神秘の力を込め、左右に大きく振られた尾を撃った。
元々頭がついていた方の電虫はぴくりと体を震わせると、さらなる攻撃を避けるようにするすると身を滑らせて屋上から姿を消した。
直後、ビルが大きく揺れた。
地上から小さく悲鳴が聞こえてくる。
「どうやらあっちはビル中から昇ることに専念したみたいだな。早くこの小さいやつを倒して、中の連中を助けに行こうぜ」
幸村は飛鳥の頭に手をかざすと、植物の生命力を凝縮した雫を与えた。
電虫から離れた亮平が、舞衣を舞って仲間の体から痺れを払う。
「悪いな。安らかに眠ってくれ」
鷲哉は電虫の丸い目の間を狙い、炎のクナイを突き刺した。
またビルが揺れた。
今度はグラグラと左右に何度も揺れて、なかなか収まらなかった。ビルの破壊が進んでいる証拠だ。
蕾花は小さく舌を打ち鳴らした。
ハイバランサーを活性化せていなければ、狭い非常階段で足を滑らせて転がり落ちていたかもしれない。
手すりを強くつかんで体を起こすと、残り五つの階段を飛んで降りた。
「すぐに救助が来るから、もうちょっと待っててくれ」
蕾花に続いて展望フロアにたどり着いた翔は、守護使役の空丸が出してくれた酸素マスクとボンベを、懐中電燈の明かりを頼りに配って歩いた。
展示ケースの位置を確認し、中に納められた石に目を向ける。
傍に中年の男性が二人、うずくまっていた。
津山とビルのオーナーだろう。
さっそく一悟が、展示ケースから二人を引き剥がしにかかった。
「だ、か、ら! こいつは没収だって言ってンだよ。おとなしく離れたところで座って待っていろ。石は後から来る連中が回収して、しかるべきところへ届けるからな!」
受け持ち分の酸素ボンベを降ろして、偵察へ出ていた日那乃が戻ってきた。
「頭がすぐそこまで上がってきている。いま、五階下」
非常口を塞ぐ形で避雷針に巻きついていた尾が切り離されたことで、移動速度が上がったらしい。
「それは大変だ。ここは後からくる人たちに任せて、僕たちは電虫の抑えに行きましょう」
フロアに備えつけられていた消火器を手に持ち、誠二郎たちは後に残して行く人々、とくに津山たちに不安を感じながらも電虫撃破に向かった。
「欲の皮を突っ張らせたおとなって、ほんとろくでもねぇな」
階段を二段飛ばしで駆け織りながら、マスクの中で一悟がぼやく。
横を日那乃の翼がかすめて行った。
「思っているより火の回りが早い。みんな、気をつけて」
四十六階をぐるりと囲む廊下へ飛び出した。
ビルがぐらりとまた揺れて、熱をはらんだ黒い煙が塊になって非常階段口に押し寄せて来た。
「うわっ。煙が酷くて懐中電燈の光が通らない」
「任せて。エアブリットで吹き飛ばす」
日那乃は翔を後ろに下がらせた。
はためく翼から圧縮された空気が送りだす。
壁のように通路を塞ぐ黒い煙に、大穴が開いた。
見えた先で炎が赤々と踊っている。さらにその先、廊下が大きく陥没してなくなっていた。
まず、火の心を持つ蕾花と一悟が穴の向こうへ飛び、消火栓のピンを抜いて炎に泡を吹きかけた。
「ダメだ。焼け石に水ってやつだぜ。手に負えねぇ」
「……焼け死ぬってやっぱり苦しいのかな」
蕾花はマスクの下で唇を噛んだ。
泡を幾度かけても立ち上がる炎に、忘れようとしても忘れられない辛い記憶がよみがえる。
「ボソッと怖いこというな、鳴海さん。オレたちなら大丈夫だよ。さあ、これと交換しよう」
翔と誠二郎は、自分たちが持っていた分をふたりに差し出した。空になった消火器と取りかえる。
消火を続けると、なんとか五人で電虫と戦えるだけのスペースが確保できた。
「さあ、来い!」
身構えたところで、守護使役の椛と大和が同時に唸り声をあげ、パートナーたちも古妖が放つ強烈な怒りの臭いを捕えた。
廊下が消えた先から黒々とした巨大な頭が、鋭い牙を開いて、ゆっくりとせりあがってくる。
「現れましたね。では橘流杖術橘誠二郎、推して参ります」
●
「よし、急ごう」
電虫から受けた傷の治療を終えると、亮平たちは展望フロアがある五十階へ急いで向かった。
一番に飛び込んだ飛鳥の耳に、フロアの端からガタガタと、何かを壊そうとしている音が聞こえて来た。
「めっ!」
後ろから厳しくたしなめる。
鷲哉はわざと点けた懐中電燈を津山たちの目に当てて、ショーケースから下がらせた。
すでに煙はフロアの天井に達しており、一刻の猶予も許されない状況だ。
下の階では戦闘が始まっているらしく、ビルの揺れも激しさを増していた。
幸村はダブルシールドをショーケースに叩きつけて壊すと、中から石を取りだした。
「阿久津さん、これ」
全体に入ったヒビから黄金色の光が漏れ出ている。今にも割れて中から電虫の幼虫が出てきそうだ。本当に卵だったらどうしよう?
幸村は石を落とさないよう慎重に、亮平のところまで運んだ。
亮平は斜めかけしたカバンのふたを開くと、手渡された石をそっと中にしまった。
「あの……そ、それは、わたしの――」
「めっ! それ以上言うと、あすかが成敗いたす、なのよ!」
飛鳥に叱られて、ビルのオーナーは尻から後ろにさがった。
後ろで鷲哉が手刀を振り回していたので、本当に成敗されてしまうと怯えたのかもしれない。
ともあれ、飛鳥、幸村、鷲哉の三人は、あとを亮平に任せて下へ向かった。
「では、いまから屋上に出て非常用エレベーターで下へ避難してもらいます。ただ、エレベーターは一度に十人しか乗せられません。揺れも激しくなってきていますし、万が一を考えて二回に分けます。よろしくご協力ください。大丈夫。全員、家へ帰してあげますよ」
ここでも亮平のワーズ・ワースが効果を発した。
人々はマスクの下で安堵の表情を浮かべ、大人しく屋上への階段を登りだした。
「お待たせ! スパートかけてこうぜー」
鷲哉の後ろから飛鳥と幸村が、それぞれ治癒の術を最前線で戦っている仲間たちにかける。
「阿久津さんは?」
炎を纏ったトンファーで電虫の牙をかわしながら、一悟が怒鳴る。
「まだだ。もう少し――」
「だめ、もう待っていられない!」
最後の舞衣を演じ終えた日那乃が、翼を畳んで床に降り立つ。
石が届けられるまで、電虫を倒すことなくいかに下に留まらせておくか。
事前に打ち合わせている時間がなかった。
細部を詰めないまま戦っていたため、電虫はさらに三階分の床をぶち抜いて階を上がっている。
分裂を恐れて体を攻撃するわけにも行かず、終始、対応が後手に回った結果だ。
残すはあと二階。いや、三階分の高さ。
これ以上進ませると、ビルが大崩壊してしまう恐れがあった。
「仕方ありませんね。全員で頭を集中攻撃して倒しましょう」
四十八階に降りてきたとには、すでに電虫は倒されていた。
亮平はカバンから弱々しく光を放つ石を取りだすと、胸に抱きかかえた。
「よしよし、一緒に京に帰ろうな」
皆が頭を垂れる中、子守歌の口笛を吹きながら優しく石――電虫の卵を揺らした。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
