猫の恨みは場所に憑く
●がりがりがちんがちん。
「まさか握手を求められるなんて」
「これでも感謝の気持ちは表しきれないくらいです。本当にありがとうございます」
声を詰まらせ、Yシャツの男は机の上に目を落とす。『築地』の印鑑がまだ乾いていない紙の一番下には『U市福祉保健所』の文字があった。
「お辛いですよね。毎日彼らを見送るって」
「ええ。でも彼らが悪者になって、嫌われていくのを見るのはもっと辛いですし。里親さんは一応毎日待ってるんですけど」
「あんまり来ないですか」
「ここでは数えられるくらいですね。築地さんみたいに20匹っていう方は初めてです」
紙の下には猫の写真が拡げられていた。灰、黒、えび茶、赤錆、ぶち、縞模様、しっぽの先だけ白い猫まで、総勢20匹。
一番下に埋もれたチラシには、猫とコーヒーのイラストと地図が描かれている。
「親っていうか僕にとっては店員探しですよ。いい子がたくさんいてくれてよかった」
「今日連れて帰られるんでしたよね」
「そのつもりで、バス借りてケージ積んで来てます」
「ありがとうございます。じゃあ早速」
ビーッ、ビーッ。
和気あいあいとした会談をさえぎって、警報が響き渡る。部屋の隅についたランプが真っ赤に点滅した。
「ガス室? そんな、今日は誰も」
慌ててドアに向かったYシャツの男はすぐに尻餅をついた。建物全体がびりびりと揺れている。
「地震?」
「まさか。あ、猫たちが」
半開きになったドアに体をねじ込むように、猫たちが飛び込んできた。20匹が、何とか隠れ場所を探そうと、押し合いへし合いする。鍵のかかった入口のドアを夢中でひっかく猫もいた。
「どうなってるんですか?」
「わかりません、とにかくこの子たちを落ち着かせて」
がちん。がりがり。
開いたドアの向こうから、固い音がした。壁を何かが抉る音、金属同士を噛み合わせる音が近づいてくる。
がりがり、がりがり。がちん、がちん。ふしゅーっ。
音を立てて煙が噴き出してくる。歯をむき出したそれを見る前に、2人の男性は床にくずおれた。
●同じ命
「出現する妖は心霊系。死んだ猫たちの怨念が檻を操っている姿です。ランクは2ですが、鉄の檻を何とかしないと倒すのは難しそうですー」
集まった覚者たちに説明しながら、久方 真弓(nCL2000003)はホワイトボードに大きく猫の顔の形を描いた。
「見た目は猫の顔の形の檻で、真ん中に光の球みたいなものが浮いています。檻の大きさは縦横2メートル。保健所の廊下ほぼいっぱいですねー」
顔の真ん中に円を描く。この光の球が妖の本体、というわけだ。その上から何本も格子上に線を引き、枠のように廊下も描きそえる。方向転換も難しそうなくらい、廊下の幅ぎりぎりの大きさらしい。
「厄介な範囲攻撃スキルもありますし、何より廊下の先に巻き込まれる人たちがいますー」
保健所の職員と、里親に名乗り出た男性だという。カフェを始めるべく猫をもらいに来たところで襲われたらしい。
「引き取られる予定だった猫ちゃん20匹も同じ部屋にいます。もちろん優先すべきは妖退治と2人の保護、ですが」
猫ちゃんも私たちも、おんなじ命、ですよねー……。
最後の言葉は、責任ある『夢見』ではなく、1つの命を持つ者としての祈りのようだった。
「まさか握手を求められるなんて」
「これでも感謝の気持ちは表しきれないくらいです。本当にありがとうございます」
声を詰まらせ、Yシャツの男は机の上に目を落とす。『築地』の印鑑がまだ乾いていない紙の一番下には『U市福祉保健所』の文字があった。
「お辛いですよね。毎日彼らを見送るって」
「ええ。でも彼らが悪者になって、嫌われていくのを見るのはもっと辛いですし。里親さんは一応毎日待ってるんですけど」
「あんまり来ないですか」
「ここでは数えられるくらいですね。築地さんみたいに20匹っていう方は初めてです」
紙の下には猫の写真が拡げられていた。灰、黒、えび茶、赤錆、ぶち、縞模様、しっぽの先だけ白い猫まで、総勢20匹。
一番下に埋もれたチラシには、猫とコーヒーのイラストと地図が描かれている。
「親っていうか僕にとっては店員探しですよ。いい子がたくさんいてくれてよかった」
「今日連れて帰られるんでしたよね」
「そのつもりで、バス借りてケージ積んで来てます」
「ありがとうございます。じゃあ早速」
ビーッ、ビーッ。
和気あいあいとした会談をさえぎって、警報が響き渡る。部屋の隅についたランプが真っ赤に点滅した。
「ガス室? そんな、今日は誰も」
慌ててドアに向かったYシャツの男はすぐに尻餅をついた。建物全体がびりびりと揺れている。
「地震?」
「まさか。あ、猫たちが」
半開きになったドアに体をねじ込むように、猫たちが飛び込んできた。20匹が、何とか隠れ場所を探そうと、押し合いへし合いする。鍵のかかった入口のドアを夢中でひっかく猫もいた。
「どうなってるんですか?」
「わかりません、とにかくこの子たちを落ち着かせて」
がちん。がりがり。
開いたドアの向こうから、固い音がした。壁を何かが抉る音、金属同士を噛み合わせる音が近づいてくる。
がりがり、がりがり。がちん、がちん。ふしゅーっ。
音を立てて煙が噴き出してくる。歯をむき出したそれを見る前に、2人の男性は床にくずおれた。
●同じ命
「出現する妖は心霊系。死んだ猫たちの怨念が檻を操っている姿です。ランクは2ですが、鉄の檻を何とかしないと倒すのは難しそうですー」
集まった覚者たちに説明しながら、久方 真弓(nCL2000003)はホワイトボードに大きく猫の顔の形を描いた。
「見た目は猫の顔の形の檻で、真ん中に光の球みたいなものが浮いています。檻の大きさは縦横2メートル。保健所の廊下ほぼいっぱいですねー」
顔の真ん中に円を描く。この光の球が妖の本体、というわけだ。その上から何本も格子上に線を引き、枠のように廊下も描きそえる。方向転換も難しそうなくらい、廊下の幅ぎりぎりの大きさらしい。
「厄介な範囲攻撃スキルもありますし、何より廊下の先に巻き込まれる人たちがいますー」
保健所の職員と、里親に名乗り出た男性だという。カフェを始めるべく猫をもらいに来たところで襲われたらしい。
「引き取られる予定だった猫ちゃん20匹も同じ部屋にいます。もちろん優先すべきは妖退治と2人の保護、ですが」
猫ちゃんも私たちも、おんなじ命、ですよねー……。
最後の言葉は、責任ある『夢見』ではなく、1つの命を持つ者としての祈りのようだった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖1体の撃破。
2.男性2人の保護。
3.なし
2.男性2人の保護。
3.なし
ID222記念、と言ってはなんですが、猫の怨念と戦うお話です。
●妖
猫の顔の形に変形した檻を操っている球。本体はあくまで猫の怨念。
心霊系、ランク2。破戒衝動が強く、言葉やしぐさは理解できない。
檻は猫たちの処分用に使われていたもので、直径5ミリの鉄の棒を組んである。
ガス室で発生後、扉を破壊して猫の収容室に向かい、そこから廊下に出てロビーを目指す。
・スキル
がちん→近距離単体攻撃。鉄の歯で噛みつく。出血のバッドステータスを与える。
ぐさっ→遠距離単体攻撃。鉄の棒を飛ばして突き刺す。
ふしゅー→近距離列攻撃。球から催眠ガスを吹き出す。睡眠のバッドステータスを与える。
●場所
U市福祉保健所の一角。通称猫係。市に野良猫が多かったため、独立した建物になっている。
入り口のドアを開けるとすぐ、ソファや事務机の並ぶロビー兼事務室(8畳)。
その奥に猫の収容室(20畳)、さらに奥にガス室(6畳)。脱走を防ぐため窓はない。
収容スペースには猫たちの入った檻が並び、入所から3日目には檻ごとガス室に移される。
各部屋へはロビーから廊下を通っていくことができ、妖も廊下から外に出ようとしている。
周囲は駐車場で、マイクロバスと自転車と回収用トラック各1台が停まっている。
●猫たち
その日収容されていた全20匹。年齢、雌雄、模様、体型は様々。
収容室の檻にいたが、妖が檻を破壊したため脱走した。
パニック状態に陥っており、ロビーのドアが開けば一気に押し寄せてくる可能性がある。
●一般人男性2人
・築地
自身のアニマルセラピー体験をもとに猫カフェ出店を企画中。名前のせいか猫に好かれる。
・森
U市保健所職員。いつもYシャツ姿なのは『猫たちへの礼儀』らしい。里親探しに特に熱心。
皆様、ふるってご参加くださいませ。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2015年11月21日
2015年11月21日
■メイン参加者 6人■

●ニャンコ避難作戦
「里親さんは一応毎日待ってるんですけど」
「あんまり来ないですか」
「ここでは数えられるくらいで」
「話し中に悪いけど、入らせてもらうよ」
若い声が会話をさえぎる。ロビーを見回した2人は、入口の扉から突き出した黒桐 夕樹(CL2000163)の上半身を見て固まった。
「緊急事態だ。もうすぐこの施設で妖が出る」
中に入った夕樹は、後ろ手に扉の鍵を回す。
「妖?」
「君は誰だ?」
「時間がないから説明は後。とにかくバスの鍵を借してほしいんだ」
「バス?」
作業服の築地が右腿のポケットを押さえた。レンタカーの鍵を突然来た男の子に渡す。大人が咄嗟にできる判断ではない。
ビーッ、ビーッ。
迷った一瞬に、警報が鳴りだした。
「ガス室の警報? 今日は誰も……」
Yシャツを着た森が奥のドアに走る。だが彼を追い越した夕樹の足が、戸板を透過する方が速かった。
「言った通り、妖だよ」
「妖」
「戦うのは俺たちがやるから」
半開きだったドアを閉め、その中に消えながら、夕樹は2人の男に呼びかけた。背丈が、肩幅が、声が、大人のものに変化していく。
「猫達と避難しててよ。後から来る仲間に協力して」
聞き取れたのはここまでだった。入口の扉から新たに2人の覚者が飛んで入ってくる。黒い翼をはためかせた『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083)と、彼に抱えられた『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)だ。
「黒桐は先に行ったのか?」
「そのようですわ」
壁ががりがりと削られる音を奥のドア越しに聞き取って、いのりはうなずいた。青と金の4つの目が2人の大人をとらえる。
「築地様、バスの鍵をお貸し願えませんか?」
「運転できる仲間は外で待ってる! 猫を守るためにも、頼む!」
いのりの持つ風格ゆえか、ヤマトの台詞の力強さか、それとも夕樹の刺した釘か。今度は素直に、築地はポケットから鍵を出した。
「こっちに来て下さいな。はいどうも」
タイミングよく入口から白峯 さくら(CL2001104)が呼びかけ、手招きする。受け取った鍵をバスの側の梶浦 恵(CL2000944)に渡すべく彼が走り出すと、白枝 遥(CL2000500)が入口を閉じ、2人への説明を引き受けた。
「猫達のために協力して頂きたいんです。左右を囲った道を作って、バスへ誘導したいんですが、大きな布かシートかありませんか」
柔らかな雰囲気に似合わない真っ直ぐな目には、思わずうなずきたくなるような真剣さがあった。大人の覚者が見えたことも、信頼を勝ち得る一助になったらしい。
「布ですか……うちのトラックは幌がありませんし」
「僕、毛布積んできてます。使えますかね?」
「ありがとうございます。使わせてください」
「毛布? ……わかりました、ぎりぎりまで車体を寄せましょう。お気をつけて」
会話を聞いて運転席に戻った恵は、慎重にバスを後退させた。毛布で道を作らなくてはいけない距離ができるだけ短くなるように、ミラーを睨みながら建物に近づけていく。
「はい、そこ」
運転席横のドアが建物の入口と重なった瞬間、乗り込んでいたさくらが合図する。恵の持ってきたまたたびの枝を席に置いて、両手にはすでに4枚の毛布を抱えていた。
「4人で逃がさないように毛布を広げて、1人がニャンコの先導役、ってとこでどうでしょ」
「いい案だと思います。毛布の端は地面につけて、左右も隙間がないよう重ねましょうか」
恵が率先して毛布を受け取り、ロビー入口のすぐ外で広げる。男性2人も彼女にならい、さくらも残った1枚を広げた。恵の向かいに陣取り、妖を阻む結界を展開する。遥と恵の発する癒しのオーラも、猫達を安心させ、バスへ導く手助けにはなるだろう。
「白枝さん、これもお願いします」
「あ、またたび。ありがとうございます」
恵の出したまたたびの枝に傷をつけ、遥は自分の翼にこすりつけた。
「準備オッケーです」
「お待ちしておりましたわ」
遥のノックに答えたいのりが扉を開ける。瞬間、入口を目指して、猫達が突進した。
「こっちこっち、うわっ」
「ひいふうみい……あらら?」
遥の翼から漂うまたたびの香りにも、ちらつかせていたさくらの羽にも全く興味を示さない。隠れ場所だけを求めて、バスに飛び込んでいく。
「お2人もバスの中にいらしてください」
最後の猫を見送ってから、恵は築地と森を促した。遥はもう我慢ができないようにロビーに駆け込む。
「ユウちゃん!」
「ちゃんと20匹揃ってます?」
猫を数えていたさくらが、その背中を追いながら首をかしげた。どうも2匹ばかり、足りないような気がしたのだが。
「数え違いですかねえ……?」
「ユウちゃん、血が……!」
悲鳴の先を見たとき、さくらは自分の目が間違っていなかったことを知った。
叫ぶ遥の前には壁を血で汚す夕樹。足元でヤマトが倒れている。いのりは両腕に1匹ずつ眠った猫を抱えて、宙に浮かぶ檻に対峙していた。
●時間はわずかに戻って
戸板を抜けて、25歳の姿に成長した夕樹の耳は、何かの砕ける音を捕えた。
夢見の説明を思い出す。ガス室から収容室へは、廊下を経由しなければ行けない。それなのに、収容室の檻は妖が壊した。ということは。
がり、がりがり。どん。
吹き飛んだ収容室のドアには鉄の棒が刺さっていた。パニックに陥った猫が飛び出してくる。
「……やっぱり」
がりがり、がりがり。がちん、がちん。
天井をえぐり、鉄の歯を鳴らしながら、檻は壁に開いたばかりの穴を抜けて現れた。鉄の棒が猫の顔型に歪み、中央で光の球が爛々と光っている。
「此処から出たいの。でも駄目だよ」
かっと口を開け、妖が夕樹に突っ込んできた。避ければ猫達の所へ行かせてしまう。
「お前の行く場所は、この先にはないから」
一瞬の判断の後、夕樹はライフルを片手に持ち替え、檻の口の中に元素の種を投げつけた。直後、伸ばした左腕を切り裂いて歯が閉じる。
「ぐ、あああっ!」
種から伸びた棘の命中を確認する間もなかった。噛まれたまま振り回され、廊下に放り出される。ドアは開けられ、猫達はロビーへ逃げていた。
「大丈夫か!?」
「今参りますわ!」
翼を大きく広げたヤマトが、真っ赤な魔女帽子とボンデージ姿のいのりを抱えて降りてくる。いのりの掲げたとんぼ型の杖から、真っ白な霧が妖にまとわりついていく。
「大、丈夫……」
痛めつけられた夕樹の左腕はだらだらと血を流していた。激痛をこらえて立ち上がり、重いライフルを手放す。振るった右腕の先から伸びたつるは、鉄の檻を収容室へ叩き戻した。
「黒桐様、いのりが支えますわ」
ふらつく夕樹に肩を貸し、いのりは空気をかきまわすように杖を動かし始めた。大気中の癒しの力を集め、高めていく。
猫の怨念が操る檻が、がりがりと天井をひっかいている。収容室から、もう1度出てこようとしている。
ふしゅー、ふしゅーっ。
威嚇するような音と一緒に、色のついた煙が廊下に吹き出してきた。
「ん……っ」
咄嗟に手で口を覆うが、間に合わない。前に出たヤマトが目をとろんとさせて座り込んだ。錯乱して廊下に戻ってきた猫も2匹、倒れる。
「一旦ロビーに出よう」
「ええ。猫達も」
足元で倒れた猫を腕に抱えて、いのりはロビーに走った。眠りに落ちたヤマトの襟首を掴んだ夕樹がよろめきながら後を追う。その背後で、妖の身体から鉄の棒がはがれた。
「棒が来ますわ!」
「避けるのは……無理だね」
夕樹は右手をヤマトから放し、構える。ライフルを手放したのが今更惜しい。
「はっ!」
手のひらから放たれた衝撃弾は鉄の棒の進路をそらし、ヤマトの心臓ではなく脇腹に傷が開く。それでも青い目は閉じられたままだ。
がりがり、がりがり。
妖が迫ってくる。出血のおさまらない夕樹は身体を壁に預けた。
「外の準備は?」
「まだのようですわ。このままロビーに入られたら、ほかの猫達も」
こんこん。
「準備完了です」
遥の声は、天の救いのようだった。
「お待ちしておりましたわ」
いのりがノブを回す。開いた出口に向かって、猫達はまっしぐらに走り寄った。
●攻防
「は、痛っ!?」
「よかった、お目覚めですわね」
目を覚まして顔をしかめたヤマトに、いのりが微笑みかける。横のさくらが手早く状況を説明した。
「ニャンコたちと森さん、築地さんはバスに避難しました。逃げ遅れた子もいたみたいですけど」
「ここで守りながら戦いましょう。避難させる人手が惜しいです」
入口を閉じながら、恵は空気の弾丸を撃った。ロビーにはみ出かけた妖の檻が廊下に押し戻される。続くさくらの水礫は、檻を濡らしながら光の球をかすめた。
「ニャンコの怨念ですか……やはり人と同じようにニャンコにも心があるんですねえ」
「なんとも言えないな」
蒼白な顔の夕樹も攻撃に加わろうと壁から離れるが、まだ足元はおぼつかなかった。水の力で治癒していた遥が制服の袖を掴んで止める。
「だめだよ、まだ血も止まってないんだから。もうちょっとじっとしてて」
「……できることをするだけだよ」
「だな! 俺にも何も言えないけどさ、怨みを受け止めるくらいは出来る!」
脇腹を庇いながら起き上ったヤマトが、夕樹を促すようにギターをかき鳴らした。角を振りたてた雄牛の上で、6本の絃が震える。
「怒りも恨みもどうしようもなくたって、それでも今生きている子たちを俺は助けたい! 今度こそ行くぜ、レイジングブル!」
愛機の名と一緒に放たれた空気の弾は、夕樹の投げた種を乗せて檻を直撃した。檻がさらに後退し、すきまから押し込まれた種が棘を伸ばして本体を刺す。揺らめいた光の球は、音をたててガスを吹き出し始めた。
「……ごめん」
「ユウちゃん!」
廊下に近かった2人をガスが包む。が、直後、中から遥が弾き出された。
「叩き、起こし、て……」
幼馴染を突き飛ばした後に崩れ落ちた夕樹は、煙から這い出たところで力尽きた。追撃しようとする妖を、恵の雷が撃つ。
「この先へは行かせません」
鉄の棒を電気が駆け巡ったが、球はわずかに震えただけだった。
「やっぱり檻が邪魔ですねえ」
「じゃ先にそっちを壊してやるぜ!」
さくらの癒しを受けたヤマトが飛び上がる。炎をまとったキックが格子の数本を焼き切った。周りの棒も飴のようにぐにゃりと曲がったが、妖はひるまず歯をヤマトのふくらはぎにつきたてる。
「あああああっ!」
熱く焼けた鉄の刃を食い込ませたまま、小柄な身体が天井に叩きつけられた。
「大丈夫ですか?」
たまらず落下したヤマトを、さくらは間一髪で受け止める。癒しの滴を当てると、傷から白く湯気が上がった。
「……痛って……檻、どうなった?」
「熱で曲がって穴が開いてるわ。一部だけど」
手放しかけた意識を無理矢理覚醒させたヤマトに、恵は淡々と答える。心配がないわけではない。だが、今その余裕はない。研究者として、覚者として、妖を倒す方法だけを必死に考える。
「本体はあの球。檻は操られ浮いているだけ。檻に当たった攻撃は、有効なダメージを与えられない……」
隙間を狙った攻撃は集中力をいる上、連撃も難しい。貫通できる攻撃手段もあるが、檻が無くなれば妖本体への攻撃は格段に楽になるはずだ。
「あわよくば直径5ミリの鉄格子……蹴爪で破れませんかねえ」
正面から行くのは難しそうですけど、とさくらは治癒を続けながらひとりごちる。
「もう1発蹴ってみるか? 穴が大きくなれば入って攻撃できるかも」
「……待ってください」
身を起こしながらのヤマトの言葉に、恵が薄紫の目を見開いた。
「それ、現実的かもしれません」
●最期は猫のように
「しっかりして、ユウちゃん」
眠り続ける夕樹を、遥といのりは入口近くへ引きずってきていた。治癒のしずくを与え続けても、左腕の血は止まらない。
「人間の勝手な都合で……苦しかったよね、怖かったよね……どれだけ怨みを込めて噛んだのかな……」
遥の呟きを聞きながら、いのりは目を閉じた。
(殺処分されてしまった貴方達の無念、怨み、それを否定する事はいのりにはできません。貴方達もきっともっと生きていたかったに違いないですものね)
心で語りかける彼女の杖に、エネルギーが集まっていく。
(ですが)
「今生きている人や猫、彼らを護るのがいのり達の使命。故に貴方を滅ぼします!」
エネルギーの塊が宙を裂いて檻を直撃する。曲がっていた棒が砕け、突き抜けた衝撃波が光の球をも揺らした。
「梶浦さん、耳とほっぺだな?」
後退した妖に向かってヤマトが飛ぶ。
「はい、できるだけ削ってください」
「よし! 全力でぶつかる!」
傷ついた足を再び炎で包み、猫の顔形になった檻の頭上を狙う。散々天井にこすれた鉄の棒を、炎が見事に刈り取った。
「ではあたしはほっぺを」
散らばる棒を避け、さくらも壁を蹴ってジャンプする。獣の力を帯びた蹴爪は、格子の接合部を鋭くえぐった。また数本の棒が床に落ちる間に、恵はいのりと遥に呼びかける。
「秋津洲さん。今の攻撃、もう1度撃てますか?」
「もちろんですわ」
「白枝さんも、力を貸してください」
「は、はい」
夕樹を心配そうに見やりながらも遥が立ち上がると、恵は腰の翼を大きく広げた。
「秋津洲さんはB.O.Tであの穴を広げてください。白枝さんはすぐ後に、私と檻を狙いましょう」
「檻、ですか?」
「ええ。本体を檻から出して、一気に倒します」
簡潔な恵の説明に、2人はこくんとうなずいた。いのりが大きく深呼吸をし、杖を掲げる。とんがり帽子よりも高く掲げられたとんぼに、三つ編みを揺らしてエネルギーが集束する。
「いきますわ!」
まばゆい波動弾が鉄を砕く。飛び散った破片を、さくらとヤマトが慌ててかわした。夕樹がようやく目を覚ます。
「……ん」
「ユウちゃん、見ててね」
ほっとゆるんだ表情を引き締め、遥は力を込めて純白の翼を振るった。圧縮された空気の弾がつかえをなくした檻を大きく後退させる。1拍遅れて恵の放った風が檻を傾け、球の位置に穴を合わせる。
「あと一押しです!」
「任せてくださいな」
妖のすぐそばに移動していたさくらが、2度目の蹴爪を見舞う。光の球を取り残して蹴り飛ばされた檻は、廊下の端に激突した。ぐわっしゃん、と凄まじい音が建物を揺らす。
「窓が無くてよかったですね、え……」
決まり悪そうに笑ったさくらは、着地寸前に昏倒した。息を乱したところにガスの直撃を浴びたのだ。檻を失った妖は捨て鉢の攻撃に転じていた。所構わず、猫の威嚇のように煙を吐き散らす。
ふしゅー、ふっしゅうーっ。
遥がドアを開けて風を入れるが、窓のない部屋ではあまり空気は動かない。
「ガスが回る前に短期決戦、しかないでしょうね。気合を入れていきましょう」
「ええ。怨みを全力で受け止めて戦うことが、いのりたちにできる彼らへの礼儀ですわ」
恵といのりがうなずきあって力をためはじめる。恵は術符に雷を、いのりは杖に波動のエネルギーを。じわじわと迫ってくるガスは見ず、妖に当てることだけに集中する。
「援護するよ、ユウちゃん」
「ああ」
遥と促された夕樹が援護攻撃を放った。空気弾丸に撃たれた球が、つるで壁に叩きつけられる。
「使命は果たしますわ!」
「終わらせましょう」
いのりの波動弾、恵の雷が、前と上から妖を貫いた。煙が途切れる。
「聞かせてやるぜ。とびっきりの……」
とどめを刺そうと羽ばたいたヤマトは、直前で足の炎を止めた。弱々しい光の球を真っ直ぐ見つめて、弦に触れる。
「レクイエムだ。もう、楽になっていいんだから」
優しくつま弾かれた音に光が共振する。ヤマトの指が届く刹那、猫の怨念は消えた。
●1時間後
覚者たちは森の自宅へ来ていた。公の建物では猫の供養はできず、骨の一部と写真とを自宅で保管しているという。
「いってらっしゃい」
バスの運転席から後部座席に移りながら、築地は手を合わせに行く恵たちに手を振った。
「築地さんは行かないの」
「今日は。まだこの子たちも怖いだろうから」
「そうだね」
ケージで縮こまった子猫を、遥は優しく抱き上げて撫でる。
「そのうち落ち着くよ。ハルみたいに」
一緒にバスに残った夕樹は、戦闘後半泣きだった幼馴染を思い出してくすりと笑った。遥が頬をふくらます。
「ユウちゃんは行かなくてよかったの」
「猫、嫌な事とか覚えてるらしいし、暴れたら困るだろ。様子見だよ」
(次に生まれてくるときは、良い飼い主に恵まれてくれますように)
「今度はちゃんと眠って、生まれ変わったらいい飼い主さんと巡り会えるといいな。怨念の妖だったけどさ」
眼を閉じて手を合わせるいのりの心を、ヤマトがしみじみと口に出した。さくらも同意する。
「対処しなければならないとはいえ、そんな『生い立ち』はあんまりにも悲しいですよねえ……」
「私達も何か、手伝えることはないでしょうか」
写真に乗せるように花を供えた恵が森に尋ねる。
「そうですね。ホームページを直したり、ビラを配ったり……あ、築地さんのお店で、里親探しの企画もあるそうで」
「ボランティアとして、協力させてもらえますか?」
「いのりもお手伝いいたしますわ」
「俺も遊びに行きたいな!」
恵の提案に、いのりとヤマトが元気よく手を上げる。
「可愛い店員さんにも恵まれて、きっと素敵なお店になりますねえ」
窓からの光に、さくらは眩しげに眼を細めた。
「里親さんは一応毎日待ってるんですけど」
「あんまり来ないですか」
「ここでは数えられるくらいで」
「話し中に悪いけど、入らせてもらうよ」
若い声が会話をさえぎる。ロビーを見回した2人は、入口の扉から突き出した黒桐 夕樹(CL2000163)の上半身を見て固まった。
「緊急事態だ。もうすぐこの施設で妖が出る」
中に入った夕樹は、後ろ手に扉の鍵を回す。
「妖?」
「君は誰だ?」
「時間がないから説明は後。とにかくバスの鍵を借してほしいんだ」
「バス?」
作業服の築地が右腿のポケットを押さえた。レンタカーの鍵を突然来た男の子に渡す。大人が咄嗟にできる判断ではない。
ビーッ、ビーッ。
迷った一瞬に、警報が鳴りだした。
「ガス室の警報? 今日は誰も……」
Yシャツを着た森が奥のドアに走る。だが彼を追い越した夕樹の足が、戸板を透過する方が速かった。
「言った通り、妖だよ」
「妖」
「戦うのは俺たちがやるから」
半開きだったドアを閉め、その中に消えながら、夕樹は2人の男に呼びかけた。背丈が、肩幅が、声が、大人のものに変化していく。
「猫達と避難しててよ。後から来る仲間に協力して」
聞き取れたのはここまでだった。入口の扉から新たに2人の覚者が飛んで入ってくる。黒い翼をはためかせた『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083)と、彼に抱えられた『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)だ。
「黒桐は先に行ったのか?」
「そのようですわ」
壁ががりがりと削られる音を奥のドア越しに聞き取って、いのりはうなずいた。青と金の4つの目が2人の大人をとらえる。
「築地様、バスの鍵をお貸し願えませんか?」
「運転できる仲間は外で待ってる! 猫を守るためにも、頼む!」
いのりの持つ風格ゆえか、ヤマトの台詞の力強さか、それとも夕樹の刺した釘か。今度は素直に、築地はポケットから鍵を出した。
「こっちに来て下さいな。はいどうも」
タイミングよく入口から白峯 さくら(CL2001104)が呼びかけ、手招きする。受け取った鍵をバスの側の梶浦 恵(CL2000944)に渡すべく彼が走り出すと、白枝 遥(CL2000500)が入口を閉じ、2人への説明を引き受けた。
「猫達のために協力して頂きたいんです。左右を囲った道を作って、バスへ誘導したいんですが、大きな布かシートかありませんか」
柔らかな雰囲気に似合わない真っ直ぐな目には、思わずうなずきたくなるような真剣さがあった。大人の覚者が見えたことも、信頼を勝ち得る一助になったらしい。
「布ですか……うちのトラックは幌がありませんし」
「僕、毛布積んできてます。使えますかね?」
「ありがとうございます。使わせてください」
「毛布? ……わかりました、ぎりぎりまで車体を寄せましょう。お気をつけて」
会話を聞いて運転席に戻った恵は、慎重にバスを後退させた。毛布で道を作らなくてはいけない距離ができるだけ短くなるように、ミラーを睨みながら建物に近づけていく。
「はい、そこ」
運転席横のドアが建物の入口と重なった瞬間、乗り込んでいたさくらが合図する。恵の持ってきたまたたびの枝を席に置いて、両手にはすでに4枚の毛布を抱えていた。
「4人で逃がさないように毛布を広げて、1人がニャンコの先導役、ってとこでどうでしょ」
「いい案だと思います。毛布の端は地面につけて、左右も隙間がないよう重ねましょうか」
恵が率先して毛布を受け取り、ロビー入口のすぐ外で広げる。男性2人も彼女にならい、さくらも残った1枚を広げた。恵の向かいに陣取り、妖を阻む結界を展開する。遥と恵の発する癒しのオーラも、猫達を安心させ、バスへ導く手助けにはなるだろう。
「白枝さん、これもお願いします」
「あ、またたび。ありがとうございます」
恵の出したまたたびの枝に傷をつけ、遥は自分の翼にこすりつけた。
「準備オッケーです」
「お待ちしておりましたわ」
遥のノックに答えたいのりが扉を開ける。瞬間、入口を目指して、猫達が突進した。
「こっちこっち、うわっ」
「ひいふうみい……あらら?」
遥の翼から漂うまたたびの香りにも、ちらつかせていたさくらの羽にも全く興味を示さない。隠れ場所だけを求めて、バスに飛び込んでいく。
「お2人もバスの中にいらしてください」
最後の猫を見送ってから、恵は築地と森を促した。遥はもう我慢ができないようにロビーに駆け込む。
「ユウちゃん!」
「ちゃんと20匹揃ってます?」
猫を数えていたさくらが、その背中を追いながら首をかしげた。どうも2匹ばかり、足りないような気がしたのだが。
「数え違いですかねえ……?」
「ユウちゃん、血が……!」
悲鳴の先を見たとき、さくらは自分の目が間違っていなかったことを知った。
叫ぶ遥の前には壁を血で汚す夕樹。足元でヤマトが倒れている。いのりは両腕に1匹ずつ眠った猫を抱えて、宙に浮かぶ檻に対峙していた。
●時間はわずかに戻って
戸板を抜けて、25歳の姿に成長した夕樹の耳は、何かの砕ける音を捕えた。
夢見の説明を思い出す。ガス室から収容室へは、廊下を経由しなければ行けない。それなのに、収容室の檻は妖が壊した。ということは。
がり、がりがり。どん。
吹き飛んだ収容室のドアには鉄の棒が刺さっていた。パニックに陥った猫が飛び出してくる。
「……やっぱり」
がりがり、がりがり。がちん、がちん。
天井をえぐり、鉄の歯を鳴らしながら、檻は壁に開いたばかりの穴を抜けて現れた。鉄の棒が猫の顔型に歪み、中央で光の球が爛々と光っている。
「此処から出たいの。でも駄目だよ」
かっと口を開け、妖が夕樹に突っ込んできた。避ければ猫達の所へ行かせてしまう。
「お前の行く場所は、この先にはないから」
一瞬の判断の後、夕樹はライフルを片手に持ち替え、檻の口の中に元素の種を投げつけた。直後、伸ばした左腕を切り裂いて歯が閉じる。
「ぐ、あああっ!」
種から伸びた棘の命中を確認する間もなかった。噛まれたまま振り回され、廊下に放り出される。ドアは開けられ、猫達はロビーへ逃げていた。
「大丈夫か!?」
「今参りますわ!」
翼を大きく広げたヤマトが、真っ赤な魔女帽子とボンデージ姿のいのりを抱えて降りてくる。いのりの掲げたとんぼ型の杖から、真っ白な霧が妖にまとわりついていく。
「大、丈夫……」
痛めつけられた夕樹の左腕はだらだらと血を流していた。激痛をこらえて立ち上がり、重いライフルを手放す。振るった右腕の先から伸びたつるは、鉄の檻を収容室へ叩き戻した。
「黒桐様、いのりが支えますわ」
ふらつく夕樹に肩を貸し、いのりは空気をかきまわすように杖を動かし始めた。大気中の癒しの力を集め、高めていく。
猫の怨念が操る檻が、がりがりと天井をひっかいている。収容室から、もう1度出てこようとしている。
ふしゅー、ふしゅーっ。
威嚇するような音と一緒に、色のついた煙が廊下に吹き出してきた。
「ん……っ」
咄嗟に手で口を覆うが、間に合わない。前に出たヤマトが目をとろんとさせて座り込んだ。錯乱して廊下に戻ってきた猫も2匹、倒れる。
「一旦ロビーに出よう」
「ええ。猫達も」
足元で倒れた猫を腕に抱えて、いのりはロビーに走った。眠りに落ちたヤマトの襟首を掴んだ夕樹がよろめきながら後を追う。その背後で、妖の身体から鉄の棒がはがれた。
「棒が来ますわ!」
「避けるのは……無理だね」
夕樹は右手をヤマトから放し、構える。ライフルを手放したのが今更惜しい。
「はっ!」
手のひらから放たれた衝撃弾は鉄の棒の進路をそらし、ヤマトの心臓ではなく脇腹に傷が開く。それでも青い目は閉じられたままだ。
がりがり、がりがり。
妖が迫ってくる。出血のおさまらない夕樹は身体を壁に預けた。
「外の準備は?」
「まだのようですわ。このままロビーに入られたら、ほかの猫達も」
こんこん。
「準備完了です」
遥の声は、天の救いのようだった。
「お待ちしておりましたわ」
いのりがノブを回す。開いた出口に向かって、猫達はまっしぐらに走り寄った。
●攻防
「は、痛っ!?」
「よかった、お目覚めですわね」
目を覚まして顔をしかめたヤマトに、いのりが微笑みかける。横のさくらが手早く状況を説明した。
「ニャンコたちと森さん、築地さんはバスに避難しました。逃げ遅れた子もいたみたいですけど」
「ここで守りながら戦いましょう。避難させる人手が惜しいです」
入口を閉じながら、恵は空気の弾丸を撃った。ロビーにはみ出かけた妖の檻が廊下に押し戻される。続くさくらの水礫は、檻を濡らしながら光の球をかすめた。
「ニャンコの怨念ですか……やはり人と同じようにニャンコにも心があるんですねえ」
「なんとも言えないな」
蒼白な顔の夕樹も攻撃に加わろうと壁から離れるが、まだ足元はおぼつかなかった。水の力で治癒していた遥が制服の袖を掴んで止める。
「だめだよ、まだ血も止まってないんだから。もうちょっとじっとしてて」
「……できることをするだけだよ」
「だな! 俺にも何も言えないけどさ、怨みを受け止めるくらいは出来る!」
脇腹を庇いながら起き上ったヤマトが、夕樹を促すようにギターをかき鳴らした。角を振りたてた雄牛の上で、6本の絃が震える。
「怒りも恨みもどうしようもなくたって、それでも今生きている子たちを俺は助けたい! 今度こそ行くぜ、レイジングブル!」
愛機の名と一緒に放たれた空気の弾は、夕樹の投げた種を乗せて檻を直撃した。檻がさらに後退し、すきまから押し込まれた種が棘を伸ばして本体を刺す。揺らめいた光の球は、音をたててガスを吹き出し始めた。
「……ごめん」
「ユウちゃん!」
廊下に近かった2人をガスが包む。が、直後、中から遥が弾き出された。
「叩き、起こし、て……」
幼馴染を突き飛ばした後に崩れ落ちた夕樹は、煙から這い出たところで力尽きた。追撃しようとする妖を、恵の雷が撃つ。
「この先へは行かせません」
鉄の棒を電気が駆け巡ったが、球はわずかに震えただけだった。
「やっぱり檻が邪魔ですねえ」
「じゃ先にそっちを壊してやるぜ!」
さくらの癒しを受けたヤマトが飛び上がる。炎をまとったキックが格子の数本を焼き切った。周りの棒も飴のようにぐにゃりと曲がったが、妖はひるまず歯をヤマトのふくらはぎにつきたてる。
「あああああっ!」
熱く焼けた鉄の刃を食い込ませたまま、小柄な身体が天井に叩きつけられた。
「大丈夫ですか?」
たまらず落下したヤマトを、さくらは間一髪で受け止める。癒しの滴を当てると、傷から白く湯気が上がった。
「……痛って……檻、どうなった?」
「熱で曲がって穴が開いてるわ。一部だけど」
手放しかけた意識を無理矢理覚醒させたヤマトに、恵は淡々と答える。心配がないわけではない。だが、今その余裕はない。研究者として、覚者として、妖を倒す方法だけを必死に考える。
「本体はあの球。檻は操られ浮いているだけ。檻に当たった攻撃は、有効なダメージを与えられない……」
隙間を狙った攻撃は集中力をいる上、連撃も難しい。貫通できる攻撃手段もあるが、檻が無くなれば妖本体への攻撃は格段に楽になるはずだ。
「あわよくば直径5ミリの鉄格子……蹴爪で破れませんかねえ」
正面から行くのは難しそうですけど、とさくらは治癒を続けながらひとりごちる。
「もう1発蹴ってみるか? 穴が大きくなれば入って攻撃できるかも」
「……待ってください」
身を起こしながらのヤマトの言葉に、恵が薄紫の目を見開いた。
「それ、現実的かもしれません」
●最期は猫のように
「しっかりして、ユウちゃん」
眠り続ける夕樹を、遥といのりは入口近くへ引きずってきていた。治癒のしずくを与え続けても、左腕の血は止まらない。
「人間の勝手な都合で……苦しかったよね、怖かったよね……どれだけ怨みを込めて噛んだのかな……」
遥の呟きを聞きながら、いのりは目を閉じた。
(殺処分されてしまった貴方達の無念、怨み、それを否定する事はいのりにはできません。貴方達もきっともっと生きていたかったに違いないですものね)
心で語りかける彼女の杖に、エネルギーが集まっていく。
(ですが)
「今生きている人や猫、彼らを護るのがいのり達の使命。故に貴方を滅ぼします!」
エネルギーの塊が宙を裂いて檻を直撃する。曲がっていた棒が砕け、突き抜けた衝撃波が光の球をも揺らした。
「梶浦さん、耳とほっぺだな?」
後退した妖に向かってヤマトが飛ぶ。
「はい、できるだけ削ってください」
「よし! 全力でぶつかる!」
傷ついた足を再び炎で包み、猫の顔形になった檻の頭上を狙う。散々天井にこすれた鉄の棒を、炎が見事に刈り取った。
「ではあたしはほっぺを」
散らばる棒を避け、さくらも壁を蹴ってジャンプする。獣の力を帯びた蹴爪は、格子の接合部を鋭くえぐった。また数本の棒が床に落ちる間に、恵はいのりと遥に呼びかける。
「秋津洲さん。今の攻撃、もう1度撃てますか?」
「もちろんですわ」
「白枝さんも、力を貸してください」
「は、はい」
夕樹を心配そうに見やりながらも遥が立ち上がると、恵は腰の翼を大きく広げた。
「秋津洲さんはB.O.Tであの穴を広げてください。白枝さんはすぐ後に、私と檻を狙いましょう」
「檻、ですか?」
「ええ。本体を檻から出して、一気に倒します」
簡潔な恵の説明に、2人はこくんとうなずいた。いのりが大きく深呼吸をし、杖を掲げる。とんがり帽子よりも高く掲げられたとんぼに、三つ編みを揺らしてエネルギーが集束する。
「いきますわ!」
まばゆい波動弾が鉄を砕く。飛び散った破片を、さくらとヤマトが慌ててかわした。夕樹がようやく目を覚ます。
「……ん」
「ユウちゃん、見ててね」
ほっとゆるんだ表情を引き締め、遥は力を込めて純白の翼を振るった。圧縮された空気の弾がつかえをなくした檻を大きく後退させる。1拍遅れて恵の放った風が檻を傾け、球の位置に穴を合わせる。
「あと一押しです!」
「任せてくださいな」
妖のすぐそばに移動していたさくらが、2度目の蹴爪を見舞う。光の球を取り残して蹴り飛ばされた檻は、廊下の端に激突した。ぐわっしゃん、と凄まじい音が建物を揺らす。
「窓が無くてよかったですね、え……」
決まり悪そうに笑ったさくらは、着地寸前に昏倒した。息を乱したところにガスの直撃を浴びたのだ。檻を失った妖は捨て鉢の攻撃に転じていた。所構わず、猫の威嚇のように煙を吐き散らす。
ふしゅー、ふっしゅうーっ。
遥がドアを開けて風を入れるが、窓のない部屋ではあまり空気は動かない。
「ガスが回る前に短期決戦、しかないでしょうね。気合を入れていきましょう」
「ええ。怨みを全力で受け止めて戦うことが、いのりたちにできる彼らへの礼儀ですわ」
恵といのりがうなずきあって力をためはじめる。恵は術符に雷を、いのりは杖に波動のエネルギーを。じわじわと迫ってくるガスは見ず、妖に当てることだけに集中する。
「援護するよ、ユウちゃん」
「ああ」
遥と促された夕樹が援護攻撃を放った。空気弾丸に撃たれた球が、つるで壁に叩きつけられる。
「使命は果たしますわ!」
「終わらせましょう」
いのりの波動弾、恵の雷が、前と上から妖を貫いた。煙が途切れる。
「聞かせてやるぜ。とびっきりの……」
とどめを刺そうと羽ばたいたヤマトは、直前で足の炎を止めた。弱々しい光の球を真っ直ぐ見つめて、弦に触れる。
「レクイエムだ。もう、楽になっていいんだから」
優しくつま弾かれた音に光が共振する。ヤマトの指が届く刹那、猫の怨念は消えた。
●1時間後
覚者たちは森の自宅へ来ていた。公の建物では猫の供養はできず、骨の一部と写真とを自宅で保管しているという。
「いってらっしゃい」
バスの運転席から後部座席に移りながら、築地は手を合わせに行く恵たちに手を振った。
「築地さんは行かないの」
「今日は。まだこの子たちも怖いだろうから」
「そうだね」
ケージで縮こまった子猫を、遥は優しく抱き上げて撫でる。
「そのうち落ち着くよ。ハルみたいに」
一緒にバスに残った夕樹は、戦闘後半泣きだった幼馴染を思い出してくすりと笑った。遥が頬をふくらます。
「ユウちゃんは行かなくてよかったの」
「猫、嫌な事とか覚えてるらしいし、暴れたら困るだろ。様子見だよ」
(次に生まれてくるときは、良い飼い主に恵まれてくれますように)
「今度はちゃんと眠って、生まれ変わったらいい飼い主さんと巡り会えるといいな。怨念の妖だったけどさ」
眼を閉じて手を合わせるいのりの心を、ヤマトがしみじみと口に出した。さくらも同意する。
「対処しなければならないとはいえ、そんな『生い立ち』はあんまりにも悲しいですよねえ……」
「私達も何か、手伝えることはないでしょうか」
写真に乗せるように花を供えた恵が森に尋ねる。
「そうですね。ホームページを直したり、ビラを配ったり……あ、築地さんのお店で、里親探しの企画もあるそうで」
「ボランティアとして、協力させてもらえますか?」
「いのりもお手伝いいたしますわ」
「俺も遊びに行きたいな!」
恵の提案に、いのりとヤマトが元気よく手を上げる。
「可愛い店員さんにも恵まれて、きっと素敵なお店になりますねえ」
窓からの光に、さくらは眩しげに眼を細めた。

■あとがき■
お帰りなさいませ。お疲れ様でした。
皆さんのお力で、猫達の怨念は浄化されました。
きっと天国でたくさん遊んだ後、また猫となって生まれてくることを望んでくれるはずです。
MVPは『妖』ではなく『猫』としての彼らを慰めてくださった黒埼ヤマトさんにお贈りします。
ご参加ありがとうございました。
皆さんのお力で、猫達の怨念は浄化されました。
きっと天国でたくさん遊んだ後、また猫となって生まれてくることを望んでくれるはずです。
MVPは『妖』ではなく『猫』としての彼らを慰めてくださった黒埼ヤマトさんにお贈りします。
ご参加ありがとうございました。
