老兵は死なず(自称)
●壌からの呼び声
もうここに来るのは何度目になるだろうか。
湿った苔の臭い、鈴虫の声、枯れススキのざわめき、その全てに懐かしさすら覚える。
冷たい石畳の上を歩きながら、淡い寂寥の念に駆られる。
それもまた恒例の感覚だ。
――十年前に亡くなった祖父が眠る墓場。
ちょうど、月が真円を描いていた。
「爺ちゃん、今年も来たよ」
枯れた献花を取り替え、墓前で手を合わせながら、在りし日の祖父の姿を思い返す。
毎度のことながら、年寄りの冷や水、という言葉だけが浮かんでくる。覚者でもないのに迫り来る妖の脅威への対抗手段を身に着けるだの言って、毎日のように庭で竹槍を振り回して鍛錬していた光景が、目を閉じると昨日のことのように瞼の裏に蘇ってくる。
おまけに大枚叩いて武具一式まで取り揃えていたんだから、凄まじい気の入れようだった。
結局、その努力を活かす機会は訪れず仕舞いだったけれど、今となっては微笑ましい思い出だ。
それに、そんな機会なんて来ないほうがいいに決まってる。
「じゃあな、爺ちゃん。また来る時まで安らかに眠っててくれ」
線香を上げ、生前好きだった清酒の瓶を供えてから帰ろうとした時。
微かにではあるが、みしり、と妙な音を聴いた。
しかも、足元から。
「うわっ!」
気づいた時には墓近辺の地面が隆起し、土埃を払いのけながら何者かが這い出してきていた。
俺は尻を付き、ただただ状況に呑み込まれる。
闇夜に突然現れたそれは、長柄の槍を掲げた、人型の、しかし人にあらざる生物だった。
そいつに皮はなく、肉もない。
偏に言って異貌だった。
不思議と恐怖はなかった。驚きだけが先行していた。夢と現の区別が曖昧で、目の前での異変だというのに他人事のように眺めていた。逃げ出すことも忘れて。
「ほ……骨?」
そいつは槍の穂先を突きつけて、ニタリと笑った、ように見えた。
見間違いだ。表情が変わるはずがない。カタカタカタと頻りに歯を鳴らしているのは、決して笑い声なんかじゃない。ただ単に風で下顎が揺れているだけだ。
けれど挙措のひとつひとつに、愉悦が混じっているような気がした。こうして誰かを突き刺すことの出来る愉悦が――俺を殺せる喜びが。
空洞になった眼窩が、俺にそんな眼差しを向けていた。
●永遠の騎士
「要するに骸骨なんだ」
集まった覚者達を前に、久方 相馬(nCL2000004)は頭の中を整理しながら伝えた。
時間帯が夜であること。出現地域が墓場であること。そこまでは簡潔に説明できたのだが。
「ええと、だから、納められていた遺骨が妖になってるんだから、見た目は骸骨としか言いようがない」
予知夢に出てきた限りではそうである。骨が再構築されて人型のフォルムを形成している。
それが元気に動き回っているのだから不気味だ。
「生物系に属することになるのかな。見方によっちゃ物質系っぽくもあるし、心霊系っぽくもあるけど。まあそれはいいとして、討伐に出掛けてもらう前にこの妖に関する情報を教えておくぜ」
手書きの資料を読み上げる相馬。
「まずランクは2。結構手強いな。知能は大したことないけど戦闘意欲は旺盛だから注意してくれ。それと攻撃手段だが……面倒なことにこいつ、武器を持ってるんだよな」
遺族が生前の意思を汲んで、愛蔵していた槍と盾も一緒に埋葬したらしい。
「槍を使った攻撃はかなりやばそうな予感がするぜ。それに術にも強い。厄介なことにな。っても骨だから直接的な衝撃には脆いとは思うんだが」
相馬が肘の辺りをさすりながら言う。それから。
「あと、一応場所が墓地だからさ、出来ればあまり荒らさないように頼むよ」
最後にそう言葉を添えた。
もうここに来るのは何度目になるだろうか。
湿った苔の臭い、鈴虫の声、枯れススキのざわめき、その全てに懐かしさすら覚える。
冷たい石畳の上を歩きながら、淡い寂寥の念に駆られる。
それもまた恒例の感覚だ。
――十年前に亡くなった祖父が眠る墓場。
ちょうど、月が真円を描いていた。
「爺ちゃん、今年も来たよ」
枯れた献花を取り替え、墓前で手を合わせながら、在りし日の祖父の姿を思い返す。
毎度のことながら、年寄りの冷や水、という言葉だけが浮かんでくる。覚者でもないのに迫り来る妖の脅威への対抗手段を身に着けるだの言って、毎日のように庭で竹槍を振り回して鍛錬していた光景が、目を閉じると昨日のことのように瞼の裏に蘇ってくる。
おまけに大枚叩いて武具一式まで取り揃えていたんだから、凄まじい気の入れようだった。
結局、その努力を活かす機会は訪れず仕舞いだったけれど、今となっては微笑ましい思い出だ。
それに、そんな機会なんて来ないほうがいいに決まってる。
「じゃあな、爺ちゃん。また来る時まで安らかに眠っててくれ」
線香を上げ、生前好きだった清酒の瓶を供えてから帰ろうとした時。
微かにではあるが、みしり、と妙な音を聴いた。
しかも、足元から。
「うわっ!」
気づいた時には墓近辺の地面が隆起し、土埃を払いのけながら何者かが這い出してきていた。
俺は尻を付き、ただただ状況に呑み込まれる。
闇夜に突然現れたそれは、長柄の槍を掲げた、人型の、しかし人にあらざる生物だった。
そいつに皮はなく、肉もない。
偏に言って異貌だった。
不思議と恐怖はなかった。驚きだけが先行していた。夢と現の区別が曖昧で、目の前での異変だというのに他人事のように眺めていた。逃げ出すことも忘れて。
「ほ……骨?」
そいつは槍の穂先を突きつけて、ニタリと笑った、ように見えた。
見間違いだ。表情が変わるはずがない。カタカタカタと頻りに歯を鳴らしているのは、決して笑い声なんかじゃない。ただ単に風で下顎が揺れているだけだ。
けれど挙措のひとつひとつに、愉悦が混じっているような気がした。こうして誰かを突き刺すことの出来る愉悦が――俺を殺せる喜びが。
空洞になった眼窩が、俺にそんな眼差しを向けていた。
●永遠の騎士
「要するに骸骨なんだ」
集まった覚者達を前に、久方 相馬(nCL2000004)は頭の中を整理しながら伝えた。
時間帯が夜であること。出現地域が墓場であること。そこまでは簡潔に説明できたのだが。
「ええと、だから、納められていた遺骨が妖になってるんだから、見た目は骸骨としか言いようがない」
予知夢に出てきた限りではそうである。骨が再構築されて人型のフォルムを形成している。
それが元気に動き回っているのだから不気味だ。
「生物系に属することになるのかな。見方によっちゃ物質系っぽくもあるし、心霊系っぽくもあるけど。まあそれはいいとして、討伐に出掛けてもらう前にこの妖に関する情報を教えておくぜ」
手書きの資料を読み上げる相馬。
「まずランクは2。結構手強いな。知能は大したことないけど戦闘意欲は旺盛だから注意してくれ。それと攻撃手段だが……面倒なことにこいつ、武器を持ってるんだよな」
遺族が生前の意思を汲んで、愛蔵していた槍と盾も一緒に埋葬したらしい。
「槍を使った攻撃はかなりやばそうな予感がするぜ。それに術にも強い。厄介なことにな。っても骨だから直接的な衝撃には脆いとは思うんだが」
相馬が肘の辺りをさすりながら言う。それから。
「あと、一応場所が墓地だからさ、出来ればあまり荒らさないように頼むよ」
最後にそう言葉を添えた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖一体の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回はとてもシンプルな純戦です。ガイコツトタタカウダケデスヨ。
●目的
★妖の討伐
●現場について
★京都府内、墓所
物々しい雰囲気溢れる場所です。
面積は20m×20m。足場は主に石畳で、然程活動に影響はありません。
入り口側から見て左の角にある墓石の下から妖は登場します。
敷地内には他にも複数の墓石が等間隔で並んでいます。通路以外を移動しすぎると倒壊します。
もっとも壊しても依頼の成否自体には関係ありません。なんとなく縁起が悪いだけです。
妖の出現時間帯は21:00~3:00となります。それ以外の時間は土に埋まっています。
夜間とはいえ墓参りに来る人がゼロという保証はありません。
●敵について
★生物系妖(ランク2) ×1
槍と盾を構えた骸骨です。全身剥き出しの骨の割に武技に優れています。
スキルを一切持たず通常攻撃のみで戦う、ある意味非常に男らしい妖です。
その分全体的にステータスは高く、更に術式への抵抗を持ちますが、物理での損傷に弱いです。
とはいえ接近戦はこの妖の得意とするところなのでご注意ください。
解説は以上になります。
それではご参加お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年10月26日
2015年10月26日
■メイン参加者 8人■

●ボーンド・ボーン
金属同士が激しく衝突する音が墓所の静謐を裂き、生じた火花が夜闇に確かな痕跡を残す。
「ハァッ!」
直線軌道を描く槍の穂先を盾の曲面で逸らし、襲い来る衝撃を緩和する。されど、その掌に、その指先に伝わる痺れを伴う余韻には、さしもの指崎 まこと(CL2000087)も汗を浮かべた。
それは単なる基本動作である。だが踏み込んで放たれた先程の一撃の重さたるや。
まともに喰らおうものなら深い刺傷は免れないであろう。
「まったく、一体どこにそれだけの力があるのやら」
共に最前線に立つ『侵掠如火』坂上 懐良(CL2000523)が半ば感嘆にも似た声を漏らす。両者の視線の集約地点は、守護使役が灯した幻光の先に佇む妖の異貌。
立派な四肢を持つ闘士であれば、その切れ味鋭い槍捌きに説得力を含んでいただろう。
しかし対峙しているのはバネとして機能する筋肉を持たない、真っ向から生理学に反した骨格だけの存在である。
「気概だけで武人の体を成してんのか。生前に構えていた心の有り様が、ちっとは影響してたりするんだろうかね」
妖の元となった遺体の人物は、常日頃練武に励んでいたと聞く。幼少の頃より兵法を学んできた懐良からしてみれば、微かにシンパシーを抱かなくもない話である。
「骨のある爺さんだったからって、骨だけ化けて出るなんてシャレはいらねぇけどな」
「だけどその清々しいまでの執念、嫌いじゃないよ」
はっきりと断言したのは盾を固く握り直したまことだ。赤褐色の瞳に小さな焔が灯り、胸に波打つ恐怖は興奮に、興奮は更に期待へと形を変える。
戦意を漲らせる青年は密かに感謝する。こうして存分に腕を奮える場が与えられたことと、更に。
力を血肉とする機会に。
●ナイト・イン・ナイト
時間は前後する。
「墓場……あー、無理。仕事でもなきゃ絶対来ねえ」
まだ薄暮の残る墓地でぼんやりと立ち尽くす四月一日 四月二日(CL2000588)は、言葉とは裏腹に然程怖がる様子は覗かせていなかった。
「オバケ駄目なんだって俺」
「馬鹿の分際で怖いなど、墓場で酒盛り始めそうな図太さをしておいてよく言えるな」
鋭利な突起物で抉るような口調で叱咤したのは、腐れ縁の赤祢 維摩(CL2000884)だ。
「あ、酒盛り。イイなソレ。月もあってススキもあって、虫も鳴いてるし中々風情あるじゃん」
皮肉を緊張感のない冗句で返す四月二日の顔を、一切見もせず維摩は踵を返した。
「そうか。ならその辺で勝手に始めてろ」
「分かってない。分かってないな~赤祢くん。今回の敵は力任せに殴ってくるんだから、俺といた方絶対イイって。キミ、そういう手合いに弱いだろ? 今日だけは守ってやってイイからホント!」
「ふん、精々盾として扱き使ってやる」
依然、二人の視線が交わる瞬間はない。それでも軽口混じりの会話だけで、十分な相互理解が行われていた。背中を預けること、任されること以上の信用はなく、今更律儀に顔を突き合わせて頼み込むような話ではない。
「もう、真面目にお仕事してくださーい!」
が、今は戦闘中ではない。率先してせっせと働く『ワイルドキャット』猫屋敷 真央(CL2000247)は一喝を入れて、辺り一帯に建てられた墓石の戦闘中の損壊を防ぐために、一基一基横倒しにしていく謂わば事前準備の段階であることを喚起する。
「すみません、少しの間だけ横になっていてください、なむなむ」
真央は墓石に触れる前に手を合わせ、一時の無礼を侘びてから傷が付かないよう慎重に作業する。配置をメモしつつ卒塔婆や供物を移動させる『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)も同様に、墓の前での合掌を欠かさない。
「やれやれ、結構重労働だね」
まことが最後の一基――骸骨の眠る墓周辺の片付けを注意を払いながら済ませる。地中から浮かび上がってくる気配は今のところ感じられない。
「あと気にするのは人が立ち入ってくる危険性、くらいか」
月の高さでおおよその時刻を推測しつつも『笑顔の約束』六道 瑠璃(CL2000092)は、その華奢な指を顎に当てて思案する。
「進入口に『妖出没中』の看板を立てたから、大丈夫だとは思うけどさ」
「だろうね。一応、結界も張っておいたし」
陰陽師の装束を纏った四条・理央(CL2000070)が意見を補強する。
「でもお墓参りに来る人って、強い意思を持ってそうする人ばかりだと思うから、看板より効き目は薄いかな。術より言葉のほうが効果覿面って、なんだか不思議な感じだね」
覚者達が異変を察したのは、それからしばらくの時間が経過してからである。
僅かな大地の震え。石畳の皹から立ち昇る怪しげな瘴気。
「覚めたか」
研ぎ澄まされた視神経が、維摩を始めとした『超視力』の持ち主に予兆の訪れを伝える。同様に妖が出現する前触れを嗅ぎ取った瑠璃と四月二日は迫る開戦の時に備えて内に秘める前世の英霊の力を極限まで高め、懐良は守護使役から得物を受け取り前に進み出る。
「目を覚ましたんじゃありません。きっと寝ぼけているだけでしょう」
視界確保のために発光能力を作動させた灯は、この状態が――妖と化した遺骨が老人の終着点だとは考えたくはなかった。死者が見る悪夢ほど悲しいものはない。
「お爺さんが今度は安らかに眠れるよう……頑張りましょう」
土と石畳の狭間から、まるで外の空気を懐かしむかのように悠々と妖は這い出てくる。
煤けた髑髏に、狂喜の微笑を滲ませて。
そして場面は冒頭へと回帰する。
周囲には維摩が発生させた粘性の霧が立ち込めていた。微細な霧の粒は骨の隙間を埋めるように妖に絡みつき、動作に緩慢さを与える。
「弱点は……各部位への打撃全般。要は身体全てが急所だな。ふん、土に埋もれて錆びついたか」
神秘解明に従事する学徒らしく、仔細に敵の特性を解析して皆に伝達する。
どこを攻撃しても有効だという。ならば躊躇は無用。
「剣術三倍段、てなふうには言うが――」
ガシャガシャと全身の骨を軋ませて歩み寄る妖に向けて、懐良が不敵に初太刀を試みる。
「こちとら武芸十八般ほど通じているんでね、同じ長物ならどうだ!」
扱っているのは朱に染まった尖槍である。素早い突きによる一撃目は妖が翳す盾に防がれたが、逸れた矛先をそのまま横薙ぎに払い、柄のしなりを利用して反動の付いた二撃目を敵側面に叩きつける。
肋骨の数片が砕ける、澄み切った高音が鳴り響いた。
直接的な衝撃に対する耐性は、やはり低い。間髪入れず真央が猫の手で追撃を加える。
「いきますよ、悪い骨さんっ!」
爪を装着した猫娘の拳打は『醒の炎』の加護を受けてもなお、一撃の威力にこそ欠けてはいるが、続けざまに連撃が繰り出されるとなれば話は別。一発の重みに力を込めるのではなく、機敏な身のこなしを活用した豊富な手数こそが得意とする領分であり、真骨頂である。
「叩けるタイプのお化けなら平気ですっ、叩けないタイプはご勘弁願いたいです!」
殴打の際のはっきりとした感触にどこか安堵する真央。
連撃、となれば灯も負けていない。
「せっ、たぁ!」
両手に握る特注のトンファーで交互に殴りつけ、着々とダメージを加算させることに専心。
初段を盾に遮られようがお構いなしだ。
いくら物理損傷に弱いとはいえ、ほんの数発で倒れてくれるほど柔な相手ではないことは承知の上。それでも根気強く積み重ね続ければ塵は山を築き、雨垂れは石を穿つ。
そう信じているからこそ、灯は戦いに希望を見出せる。決して捨て去ることのない希望を。
「ぶん回せない、っていうのは、それなりに厄介な制約だな」
瑠璃は少しだけ億劫さと、後ろめたい心情を覚えていた。本来であれば持ち前の敏捷性を存分に活かして縦横無尽に戦場を駆け巡りたいところなのだが、ここは多数の魂魄が眠る墓地である。
「オレもそこまで無神経じゃないさ」
この場所に騒々しさは似合わない。最小の動作で、最大効率を。石畳を蹴って前衛にいる懐良とまことの背後から跳躍、一瞬妖との間合いを詰めて接敵すると、正眼に構えた刀剣を振り下ろし、彼が持てる限界量の力を銀刃に乗せる。肩口の骨片が弾け飛び、そこに紛れもない傷跡を刻み込ませた。
――これで怯んでくれたなら。
一体どれほど助かったことか。熟練の覚者達の集中砲火を浴びる妖はただ、悦楽に興じるかのように上下の歯を打ち鳴らすばかりだった。
「ランク2。一筋縄ではいかないね」
次なる攻撃に備えて強化の符術を自身に施す理央はしかし、嫌な予感が拭えないでいた。
妖は再度攻撃姿勢に入る。
身の丈を超える長槍を軽々振り回し、十分な予備動作で慣性を付随させてから突きつけた切っ先の向かう末は、盾で完全防備したまことではなく、その隣に陣取る懐良。
「がはっ……!」
回避するにはあまりに早く、かつ強靭。鋼鉄の冷たい感触が皮下にダイレクトで伝播する。咄嗟に右手で傷を庇うと、生暖かい鮮血が掌前面を濡らしてくる。
幸運に恵まれ急所こそ外れたが、痛みは走る。
「……冗談じみた力だ。いい勉強にはなったが、授業料が高くついたぜ」
脇腹の傷口を抑える懐良だが、妖の武技を間近で観察できたことには満足だったらしい。負傷した事実に対する悔恨ではなく、次に繋がる糧を得たという達成感がその充足した表情から窺える。
「坂上くん、ここは俺とチェンジしとこうぜ」
四月二日が即座に声を掛ける。
「うん、一度下がったほうがいいよ。すぐにその怪我、ボクが治すから」
忠告通りに一旦後退した懐良を対象に、理央が印を結んで回復の術を唱える。彼女の際立った精神の強さは、巧みな術式へと昇華され、たちどころに傷を塞いで全快させた。
癒し手としての力量は間違いなく、F.i.V.E.の中でも屈指であろう。
「だけど、痛みが完全に取り除かれたわけじゃないから……無茶はしないでね」
「おう、分かってる」
治癒を得手とする理央が後方に控えているというのは実に頼もしい。
とはいえ治療術式の使用には限度がある。磨り減った気力を自己補給しようにも、そう毎回手が空くわけではない。自分の状態に集中するあまり他に意識が回らなくなろうものなら本末転倒だ。
「短期決着、が理想でしょうか」
となれば、攻撃を引き受ける面々が果たすべき責任もまた大きい。灯は気を引き締める。
「うう、そんにゃに一気に……そん『な』に一気に倒しきれるかにゃぁ……」
「ダメージディーラーとしての役割か。まあ、苦手なほうではないけど」
同じく中衛に位置する真央と瑠璃が握る拳にも力が籠る。
さて。
懐良に代わり妖の抑止を担うことになった四月二日は、状況の転換を特別視するでもなく、相変わらず緊迫感のない面持ちをしていた。
「よろしく頼むよ、指崎くん」
「なるべくこっちが引き受けられるようにはするけどね」
「ま、これでも割と頑丈なほうだとは思うから」
言いながら、懐から取り出した伊達眼鏡を装着する。その所作を契機として気持ちを切り替えると、弛んでいた表情に真剣みが帯び始める。
「お年寄りに手上げるのは気が引けてたけど、おじいちゃんの面影が残ってなくてよかったわ」
剣を構え。
「オバケだと思って遠慮なくブッタ斬れる」
勢いよく妖の腰椎を貫いた。
「おっ、イイ感じの効きだなこりゃ。俺もいよいよ結構な腕前と名乗れる時代か」
「馬鹿か。俺がわざわざ強化してやっただけのことだ」
背中に浴びせられた言葉に振り返ると、経典を手にした維摩が術式を展開する姿が見えた。
「精々気張って働け。力任せは得意なんだろう?」
維摩は微塵も眉を動かさずに告げたが、その唇の端には、微かに笑みが湛えられていた。
それは四月二日の献身への期待の表れか。
あるいは、ただ単に動物を見るような感覚で面白がっているだけなのか。
付き合いの長い四月二日にはどちらにも思えたし、どちらでも構わないし、もっと追求するならば、どうでもいい話であった。
赤祢維摩という人間が自分を補助している。過程に関係なく、結果としてそうなっているのであれば、ありがたく役立たせてもらうだけだ。
●フレッシュ・フレッシュ
未だ倒れる気配のない骸骨の攻撃は、初撃から今に至るまで常に苛烈を極めていた。
「歳月の重みってやつは、本当に油断ならないよ」
全身を重装甲で固めた耐久力に自信を持つまことですら、二度の後退を余儀なくされた。
防御に専念できない懐良と四月二日ならば尚更である。一発か二発の攻撃を受けただけで、敵のブロックを維持するのが困難なほど体力を大きく削られていた。
「こんなに長引くなんてね……」
負担は前衛のみならず、味方の体力管理を一任している理央にも重く圧し掛かる。身体的負荷の激しい体術の使用による疲労にも対処しなくてはならない分、息つく暇は到底見当たらなかった。
「物理に弱いはずなんですよね、これ!? 確かにいっぱい骨は砕けてますけど……」
真央が果たして幾度目なのかも分からない引っかき傷を与えて呟く。
「ガス欠は気にするな。存分に殴れ」
「ひ~、スパルタです! こうにゃりゃ私もヤケクソですよ!」
費えかける気力は維摩が後方より補填してくれるものの、蓄積した疲弊はそう簡単に消えない。
肩で息をする瑠璃と灯。共に青い髪に砂埃が纏わりつき、くすんだ色になっているのが、ここまでの激戦を物語っている。
「妖も相当消耗しているはずです。ただ……」
「意志の強さでそう見せていない。そんなところだろう」
恐るべきはその戦闘本能である。真正面から殺し合える歓喜が妖の骨格を支えていた。
「心底、気の合いそうな相手だ」
果敢に――いやむしろ、喜び勇んで前へと進み出るまこと。戦いに楽しさを見出しているのは何も妖だけではない。強敵であればあるほど、一介の戦闘狂としての本性が刺激される。
槍が大きく弾みを付けて小兵を捉えるべく打ち据えられる。
「ただの槍の一撃がこれほどとはね。貴方の努力と経験には、素直に尊敬の念を抱きますよ」
何合目かも知れない槍と盾の交錯。
「けれど、負けてやるつもりはまったくない」
妖はがらんどうの眼窩で鋼の甲冑を着込んだ青年を睨む。まこともまた空洞を覗き込む。
暗黒は自身の深淵を映す鏡である。まことはふっと小さく笑って言い放つ。
「名乗るなら、そうだね。十天、指崎まことだ」
返答を聞き届けると、妖はカタカタと顎を揺らした。
またしても槍先端が飛来する。しかし。
「……飽きるほど見たよ、その動作は!」
受け止めた盾の奥から押し返し、予断を許さず妖を弾き飛ばした。
槍の一突きが届かないどころか思いがけず後ろに押し込まれた妖は、転倒し、呆然としている。
守備に徹していた人間に反撃に遭うとは。覚者の耳に聴こえてくるのは、軟骨が擦れる不快な音。槍を握る指の握力が僅かに緩んでいる。それは、敗北感が生まれたことを意味する。
この隙を逃すほど愚鈍ではない。
「――行きます!」
「私も!」
疾駆した灯と真央が渾身の連撃を互いに叩き込めば。
「いい加減、落ち着いてくれよ。こっちも最後のつもりで行くから――さ!」
飛び掛かり、剣を打ちつける瑠璃。華麗に断つというよりも、金属塊で破壊するイメージをもって。
速度に優れた三人が撹乱している隙に、懐良が残る気力を振り絞って柄をぎしりと持ち直す。
止めるためではなく。
ここで終わらせるために。
「オレの槍術、受け取り……やがれえぇぇ!」
全身全霊の力を解き放つ。不滅の騎士から学んだ技巧で。
「もうアンタの出る幕じゃない。オレ達こそが『脅威への対抗手段』なんだからな」
下顎の隙間から精密に突き刺した懐良の槍は、頭蓋を通過し――髑髏の脳天を貫いていた。
長い交戦の末に討伐を成し遂げた覚者達だったが、まだ一仕事残っていた。
「ここに来て力仕事は堪えるな……」
墓石を起こしながら瑠璃が漏らす。事前に行っておいた準備が意味するのは、事後の始末もセットで付いてくるということだ。
「……赤祢くん何してんの。流石に罰当たりだって」
妖化していた遺骨が埋まっていた墓の下を掘り起こす維摩の後姿を、変人を眺めるような目で四月二日が言う。長らく猛攻に耐えていたためか、痛む傷を庇いながらの脇目である。
「ふん、孫殺しを止めれん程度の墓の罰などたかが知れる」
何かしら情報となるものがないか調査していたのだが、これといって特徴は見られない。
「大した寸法の墓でもないが、どこにあの槍が仕舞われていたんだろうな」
「それなんですが、槍に継ぎ目がありました。二分割して納められていたんでしょうね」
武具に異常がないかを確認していた灯が解説する。
だが分割式の槍は強度で劣り、しなりを完全に活用できないという弱点を抱えている。仮にこれが接続を介さない代物だったなら、と思うと。
「想像したくないよね」
お供え物の位置を戻していた理央が苦笑いを見せる。
「ええ。ですけど、普通の一品でよかったです。また、一緒に埋葬できますから」
灯は遺骨と共に槍と盾を並べて、土を掛け直す。
そして瞼を閉じ、その冥福を祈った。
あれほど騒動に揺れていた墓所は深い静寂を取り戻し、鈴虫の鳴く声だけが輪唱を続けていた。
金属同士が激しく衝突する音が墓所の静謐を裂き、生じた火花が夜闇に確かな痕跡を残す。
「ハァッ!」
直線軌道を描く槍の穂先を盾の曲面で逸らし、襲い来る衝撃を緩和する。されど、その掌に、その指先に伝わる痺れを伴う余韻には、さしもの指崎 まこと(CL2000087)も汗を浮かべた。
それは単なる基本動作である。だが踏み込んで放たれた先程の一撃の重さたるや。
まともに喰らおうものなら深い刺傷は免れないであろう。
「まったく、一体どこにそれだけの力があるのやら」
共に最前線に立つ『侵掠如火』坂上 懐良(CL2000523)が半ば感嘆にも似た声を漏らす。両者の視線の集約地点は、守護使役が灯した幻光の先に佇む妖の異貌。
立派な四肢を持つ闘士であれば、その切れ味鋭い槍捌きに説得力を含んでいただろう。
しかし対峙しているのはバネとして機能する筋肉を持たない、真っ向から生理学に反した骨格だけの存在である。
「気概だけで武人の体を成してんのか。生前に構えていた心の有り様が、ちっとは影響してたりするんだろうかね」
妖の元となった遺体の人物は、常日頃練武に励んでいたと聞く。幼少の頃より兵法を学んできた懐良からしてみれば、微かにシンパシーを抱かなくもない話である。
「骨のある爺さんだったからって、骨だけ化けて出るなんてシャレはいらねぇけどな」
「だけどその清々しいまでの執念、嫌いじゃないよ」
はっきりと断言したのは盾を固く握り直したまことだ。赤褐色の瞳に小さな焔が灯り、胸に波打つ恐怖は興奮に、興奮は更に期待へと形を変える。
戦意を漲らせる青年は密かに感謝する。こうして存分に腕を奮える場が与えられたことと、更に。
力を血肉とする機会に。
●ナイト・イン・ナイト
時間は前後する。
「墓場……あー、無理。仕事でもなきゃ絶対来ねえ」
まだ薄暮の残る墓地でぼんやりと立ち尽くす四月一日 四月二日(CL2000588)は、言葉とは裏腹に然程怖がる様子は覗かせていなかった。
「オバケ駄目なんだって俺」
「馬鹿の分際で怖いなど、墓場で酒盛り始めそうな図太さをしておいてよく言えるな」
鋭利な突起物で抉るような口調で叱咤したのは、腐れ縁の赤祢 維摩(CL2000884)だ。
「あ、酒盛り。イイなソレ。月もあってススキもあって、虫も鳴いてるし中々風情あるじゃん」
皮肉を緊張感のない冗句で返す四月二日の顔を、一切見もせず維摩は踵を返した。
「そうか。ならその辺で勝手に始めてろ」
「分かってない。分かってないな~赤祢くん。今回の敵は力任せに殴ってくるんだから、俺といた方絶対イイって。キミ、そういう手合いに弱いだろ? 今日だけは守ってやってイイからホント!」
「ふん、精々盾として扱き使ってやる」
依然、二人の視線が交わる瞬間はない。それでも軽口混じりの会話だけで、十分な相互理解が行われていた。背中を預けること、任されること以上の信用はなく、今更律儀に顔を突き合わせて頼み込むような話ではない。
「もう、真面目にお仕事してくださーい!」
が、今は戦闘中ではない。率先してせっせと働く『ワイルドキャット』猫屋敷 真央(CL2000247)は一喝を入れて、辺り一帯に建てられた墓石の戦闘中の損壊を防ぐために、一基一基横倒しにしていく謂わば事前準備の段階であることを喚起する。
「すみません、少しの間だけ横になっていてください、なむなむ」
真央は墓石に触れる前に手を合わせ、一時の無礼を侘びてから傷が付かないよう慎重に作業する。配置をメモしつつ卒塔婆や供物を移動させる『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)も同様に、墓の前での合掌を欠かさない。
「やれやれ、結構重労働だね」
まことが最後の一基――骸骨の眠る墓周辺の片付けを注意を払いながら済ませる。地中から浮かび上がってくる気配は今のところ感じられない。
「あと気にするのは人が立ち入ってくる危険性、くらいか」
月の高さでおおよその時刻を推測しつつも『笑顔の約束』六道 瑠璃(CL2000092)は、その華奢な指を顎に当てて思案する。
「進入口に『妖出没中』の看板を立てたから、大丈夫だとは思うけどさ」
「だろうね。一応、結界も張っておいたし」
陰陽師の装束を纏った四条・理央(CL2000070)が意見を補強する。
「でもお墓参りに来る人って、強い意思を持ってそうする人ばかりだと思うから、看板より効き目は薄いかな。術より言葉のほうが効果覿面って、なんだか不思議な感じだね」
覚者達が異変を察したのは、それからしばらくの時間が経過してからである。
僅かな大地の震え。石畳の皹から立ち昇る怪しげな瘴気。
「覚めたか」
研ぎ澄まされた視神経が、維摩を始めとした『超視力』の持ち主に予兆の訪れを伝える。同様に妖が出現する前触れを嗅ぎ取った瑠璃と四月二日は迫る開戦の時に備えて内に秘める前世の英霊の力を極限まで高め、懐良は守護使役から得物を受け取り前に進み出る。
「目を覚ましたんじゃありません。きっと寝ぼけているだけでしょう」
視界確保のために発光能力を作動させた灯は、この状態が――妖と化した遺骨が老人の終着点だとは考えたくはなかった。死者が見る悪夢ほど悲しいものはない。
「お爺さんが今度は安らかに眠れるよう……頑張りましょう」
土と石畳の狭間から、まるで外の空気を懐かしむかのように悠々と妖は這い出てくる。
煤けた髑髏に、狂喜の微笑を滲ませて。
そして場面は冒頭へと回帰する。
周囲には維摩が発生させた粘性の霧が立ち込めていた。微細な霧の粒は骨の隙間を埋めるように妖に絡みつき、動作に緩慢さを与える。
「弱点は……各部位への打撃全般。要は身体全てが急所だな。ふん、土に埋もれて錆びついたか」
神秘解明に従事する学徒らしく、仔細に敵の特性を解析して皆に伝達する。
どこを攻撃しても有効だという。ならば躊躇は無用。
「剣術三倍段、てなふうには言うが――」
ガシャガシャと全身の骨を軋ませて歩み寄る妖に向けて、懐良が不敵に初太刀を試みる。
「こちとら武芸十八般ほど通じているんでね、同じ長物ならどうだ!」
扱っているのは朱に染まった尖槍である。素早い突きによる一撃目は妖が翳す盾に防がれたが、逸れた矛先をそのまま横薙ぎに払い、柄のしなりを利用して反動の付いた二撃目を敵側面に叩きつける。
肋骨の数片が砕ける、澄み切った高音が鳴り響いた。
直接的な衝撃に対する耐性は、やはり低い。間髪入れず真央が猫の手で追撃を加える。
「いきますよ、悪い骨さんっ!」
爪を装着した猫娘の拳打は『醒の炎』の加護を受けてもなお、一撃の威力にこそ欠けてはいるが、続けざまに連撃が繰り出されるとなれば話は別。一発の重みに力を込めるのではなく、機敏な身のこなしを活用した豊富な手数こそが得意とする領分であり、真骨頂である。
「叩けるタイプのお化けなら平気ですっ、叩けないタイプはご勘弁願いたいです!」
殴打の際のはっきりとした感触にどこか安堵する真央。
連撃、となれば灯も負けていない。
「せっ、たぁ!」
両手に握る特注のトンファーで交互に殴りつけ、着々とダメージを加算させることに専心。
初段を盾に遮られようがお構いなしだ。
いくら物理損傷に弱いとはいえ、ほんの数発で倒れてくれるほど柔な相手ではないことは承知の上。それでも根気強く積み重ね続ければ塵は山を築き、雨垂れは石を穿つ。
そう信じているからこそ、灯は戦いに希望を見出せる。決して捨て去ることのない希望を。
「ぶん回せない、っていうのは、それなりに厄介な制約だな」
瑠璃は少しだけ億劫さと、後ろめたい心情を覚えていた。本来であれば持ち前の敏捷性を存分に活かして縦横無尽に戦場を駆け巡りたいところなのだが、ここは多数の魂魄が眠る墓地である。
「オレもそこまで無神経じゃないさ」
この場所に騒々しさは似合わない。最小の動作で、最大効率を。石畳を蹴って前衛にいる懐良とまことの背後から跳躍、一瞬妖との間合いを詰めて接敵すると、正眼に構えた刀剣を振り下ろし、彼が持てる限界量の力を銀刃に乗せる。肩口の骨片が弾け飛び、そこに紛れもない傷跡を刻み込ませた。
――これで怯んでくれたなら。
一体どれほど助かったことか。熟練の覚者達の集中砲火を浴びる妖はただ、悦楽に興じるかのように上下の歯を打ち鳴らすばかりだった。
「ランク2。一筋縄ではいかないね」
次なる攻撃に備えて強化の符術を自身に施す理央はしかし、嫌な予感が拭えないでいた。
妖は再度攻撃姿勢に入る。
身の丈を超える長槍を軽々振り回し、十分な予備動作で慣性を付随させてから突きつけた切っ先の向かう末は、盾で完全防備したまことではなく、その隣に陣取る懐良。
「がはっ……!」
回避するにはあまりに早く、かつ強靭。鋼鉄の冷たい感触が皮下にダイレクトで伝播する。咄嗟に右手で傷を庇うと、生暖かい鮮血が掌前面を濡らしてくる。
幸運に恵まれ急所こそ外れたが、痛みは走る。
「……冗談じみた力だ。いい勉強にはなったが、授業料が高くついたぜ」
脇腹の傷口を抑える懐良だが、妖の武技を間近で観察できたことには満足だったらしい。負傷した事実に対する悔恨ではなく、次に繋がる糧を得たという達成感がその充足した表情から窺える。
「坂上くん、ここは俺とチェンジしとこうぜ」
四月二日が即座に声を掛ける。
「うん、一度下がったほうがいいよ。すぐにその怪我、ボクが治すから」
忠告通りに一旦後退した懐良を対象に、理央が印を結んで回復の術を唱える。彼女の際立った精神の強さは、巧みな術式へと昇華され、たちどころに傷を塞いで全快させた。
癒し手としての力量は間違いなく、F.i.V.E.の中でも屈指であろう。
「だけど、痛みが完全に取り除かれたわけじゃないから……無茶はしないでね」
「おう、分かってる」
治癒を得手とする理央が後方に控えているというのは実に頼もしい。
とはいえ治療術式の使用には限度がある。磨り減った気力を自己補給しようにも、そう毎回手が空くわけではない。自分の状態に集中するあまり他に意識が回らなくなろうものなら本末転倒だ。
「短期決着、が理想でしょうか」
となれば、攻撃を引き受ける面々が果たすべき責任もまた大きい。灯は気を引き締める。
「うう、そんにゃに一気に……そん『な』に一気に倒しきれるかにゃぁ……」
「ダメージディーラーとしての役割か。まあ、苦手なほうではないけど」
同じく中衛に位置する真央と瑠璃が握る拳にも力が籠る。
さて。
懐良に代わり妖の抑止を担うことになった四月二日は、状況の転換を特別視するでもなく、相変わらず緊迫感のない面持ちをしていた。
「よろしく頼むよ、指崎くん」
「なるべくこっちが引き受けられるようにはするけどね」
「ま、これでも割と頑丈なほうだとは思うから」
言いながら、懐から取り出した伊達眼鏡を装着する。その所作を契機として気持ちを切り替えると、弛んでいた表情に真剣みが帯び始める。
「お年寄りに手上げるのは気が引けてたけど、おじいちゃんの面影が残ってなくてよかったわ」
剣を構え。
「オバケだと思って遠慮なくブッタ斬れる」
勢いよく妖の腰椎を貫いた。
「おっ、イイ感じの効きだなこりゃ。俺もいよいよ結構な腕前と名乗れる時代か」
「馬鹿か。俺がわざわざ強化してやっただけのことだ」
背中に浴びせられた言葉に振り返ると、経典を手にした維摩が術式を展開する姿が見えた。
「精々気張って働け。力任せは得意なんだろう?」
維摩は微塵も眉を動かさずに告げたが、その唇の端には、微かに笑みが湛えられていた。
それは四月二日の献身への期待の表れか。
あるいは、ただ単に動物を見るような感覚で面白がっているだけなのか。
付き合いの長い四月二日にはどちらにも思えたし、どちらでも構わないし、もっと追求するならば、どうでもいい話であった。
赤祢維摩という人間が自分を補助している。過程に関係なく、結果としてそうなっているのであれば、ありがたく役立たせてもらうだけだ。
●フレッシュ・フレッシュ
未だ倒れる気配のない骸骨の攻撃は、初撃から今に至るまで常に苛烈を極めていた。
「歳月の重みってやつは、本当に油断ならないよ」
全身を重装甲で固めた耐久力に自信を持つまことですら、二度の後退を余儀なくされた。
防御に専念できない懐良と四月二日ならば尚更である。一発か二発の攻撃を受けただけで、敵のブロックを維持するのが困難なほど体力を大きく削られていた。
「こんなに長引くなんてね……」
負担は前衛のみならず、味方の体力管理を一任している理央にも重く圧し掛かる。身体的負荷の激しい体術の使用による疲労にも対処しなくてはならない分、息つく暇は到底見当たらなかった。
「物理に弱いはずなんですよね、これ!? 確かにいっぱい骨は砕けてますけど……」
真央が果たして幾度目なのかも分からない引っかき傷を与えて呟く。
「ガス欠は気にするな。存分に殴れ」
「ひ~、スパルタです! こうにゃりゃ私もヤケクソですよ!」
費えかける気力は維摩が後方より補填してくれるものの、蓄積した疲弊はそう簡単に消えない。
肩で息をする瑠璃と灯。共に青い髪に砂埃が纏わりつき、くすんだ色になっているのが、ここまでの激戦を物語っている。
「妖も相当消耗しているはずです。ただ……」
「意志の強さでそう見せていない。そんなところだろう」
恐るべきはその戦闘本能である。真正面から殺し合える歓喜が妖の骨格を支えていた。
「心底、気の合いそうな相手だ」
果敢に――いやむしろ、喜び勇んで前へと進み出るまこと。戦いに楽しさを見出しているのは何も妖だけではない。強敵であればあるほど、一介の戦闘狂としての本性が刺激される。
槍が大きく弾みを付けて小兵を捉えるべく打ち据えられる。
「ただの槍の一撃がこれほどとはね。貴方の努力と経験には、素直に尊敬の念を抱きますよ」
何合目かも知れない槍と盾の交錯。
「けれど、負けてやるつもりはまったくない」
妖はがらんどうの眼窩で鋼の甲冑を着込んだ青年を睨む。まこともまた空洞を覗き込む。
暗黒は自身の深淵を映す鏡である。まことはふっと小さく笑って言い放つ。
「名乗るなら、そうだね。十天、指崎まことだ」
返答を聞き届けると、妖はカタカタと顎を揺らした。
またしても槍先端が飛来する。しかし。
「……飽きるほど見たよ、その動作は!」
受け止めた盾の奥から押し返し、予断を許さず妖を弾き飛ばした。
槍の一突きが届かないどころか思いがけず後ろに押し込まれた妖は、転倒し、呆然としている。
守備に徹していた人間に反撃に遭うとは。覚者の耳に聴こえてくるのは、軟骨が擦れる不快な音。槍を握る指の握力が僅かに緩んでいる。それは、敗北感が生まれたことを意味する。
この隙を逃すほど愚鈍ではない。
「――行きます!」
「私も!」
疾駆した灯と真央が渾身の連撃を互いに叩き込めば。
「いい加減、落ち着いてくれよ。こっちも最後のつもりで行くから――さ!」
飛び掛かり、剣を打ちつける瑠璃。華麗に断つというよりも、金属塊で破壊するイメージをもって。
速度に優れた三人が撹乱している隙に、懐良が残る気力を振り絞って柄をぎしりと持ち直す。
止めるためではなく。
ここで終わらせるために。
「オレの槍術、受け取り……やがれえぇぇ!」
全身全霊の力を解き放つ。不滅の騎士から学んだ技巧で。
「もうアンタの出る幕じゃない。オレ達こそが『脅威への対抗手段』なんだからな」
下顎の隙間から精密に突き刺した懐良の槍は、頭蓋を通過し――髑髏の脳天を貫いていた。
長い交戦の末に討伐を成し遂げた覚者達だったが、まだ一仕事残っていた。
「ここに来て力仕事は堪えるな……」
墓石を起こしながら瑠璃が漏らす。事前に行っておいた準備が意味するのは、事後の始末もセットで付いてくるということだ。
「……赤祢くん何してんの。流石に罰当たりだって」
妖化していた遺骨が埋まっていた墓の下を掘り起こす維摩の後姿を、変人を眺めるような目で四月二日が言う。長らく猛攻に耐えていたためか、痛む傷を庇いながらの脇目である。
「ふん、孫殺しを止めれん程度の墓の罰などたかが知れる」
何かしら情報となるものがないか調査していたのだが、これといって特徴は見られない。
「大した寸法の墓でもないが、どこにあの槍が仕舞われていたんだろうな」
「それなんですが、槍に継ぎ目がありました。二分割して納められていたんでしょうね」
武具に異常がないかを確認していた灯が解説する。
だが分割式の槍は強度で劣り、しなりを完全に活用できないという弱点を抱えている。仮にこれが接続を介さない代物だったなら、と思うと。
「想像したくないよね」
お供え物の位置を戻していた理央が苦笑いを見せる。
「ええ。ですけど、普通の一品でよかったです。また、一緒に埋葬できますから」
灯は遺骨と共に槍と盾を並べて、土を掛け直す。
そして瞼を閉じ、その冥福を祈った。
あれほど騒動に揺れていた墓所は深い静寂を取り戻し、鈴虫の鳴く声だけが輪唱を続けていた。
