黄昏ボクサー。或いは、ベルトは誰の手に。
●チャンピオンベルトは誰の手に
子供の間で広がる噂。小さな町の、小さなボクシングジムに、この春まで居た男の話。
ある大きなタイトルの、チャンピオンも夢じゃない。それどころか、行く行くは世界だって狙えるかもしれない。そう言われた、男の話。
だけど、その男はもういない。
大事な試合の、最後の最後。これまでの無茶と、持病の発作のダブルパンチで、マットに沈んで命を落とした。
沈むなら、相手のパンチで沈みたかったことだろう。
それ以来。
男の霊が、夜な夜なジムでトレーニングをしているのだ、と噂になってとうとうジムは潰れてしまった。
それでも、男の霊は出るのだという。
取り壊されることもなく、煤けた看板が降ろされることもなく、誰もよりつかなくなったジムが今尚そこにあるのは、そのせいだ、と子供達は噂する。
「俺、本当に見たんだって」
「見たって、その男の霊を?」
「そうだよ。だからこうして、証拠を見せるためにジムまで来たんだろー!」
少年が2人。霊を見たと主張する少年と、その少年に連れて来られたもう1人。前者の少年が見たと言う霊は、風で揺れる破れたカーテンであったのだが、幼い子供の想像力は、それを霊だと見間違えた。
だが、その日。
黄昏時の、その時間。
遠くで、電車が踏切を通過する音が鳴っている。熱気を含んだ風が通り抜ける秋の夕暮れ。
埃まみれの汚い窓から、ジムの中を覗きこんだ少年達。
彼らが目にしたそれは、紛れも無く、誰もいないジムの中で1人トレーニングを続けるボクサーの姿であった。その腰に巻きつけられていたのは、黄金色のベルト。
生前、リングの上で命を落としたボクサーの取り逃した、チャンピオンベルトがそこにはあった。
●黄昏のチャンピオン
悲鳴をあげて、2人の子供は逃げ出した。
モニターに映るその後姿を見送って久方 万里(nCL2000005)はあははと笑う。
「子供って可愛いよねっ! でも、危ないことしちゃ駄目だよね」
ジムの中、トレーニングを続けるボクサーは妖だ。心霊系と呼ばれる、半実体化した思念や怨霊のようなもの。キュッキュとリングのキャンバスを靴底が擦る音。風を切る、拳の音。確かな質量と威圧感を放つボクサーだが、その足元には影がない。
「彼の目的はチャンピオンベルト。最強の称号。その為のトレーニングは欠かさないけど、今の彼にとっては目に映る全ては敵で、歪んだ思念は人間への恨みへと変わっているよっ」
時間は夕暮れ。西日の差し込むジムの中は真っ赤に染まっている。日が暮れるまで、30分といった所か。そうなってしまえば、ジムの中は真っ暗だ。
「正面から殴った相手と自分を約20秒間だけリングの中へと閉じ込める能力を持ってるよ。その間、外からの攻撃や援護は無効化されるみたい。反面、それを使った後は暫くの間動きが鈍くなるみたい」
20秒間のパンチラッシュ。疲労と引き換えに[必殺]の効果が付与されたパンチを放つ。
「それから[ノックバック]付きのストレートと、[二連撃]のワン・ツー。後は素早い動きと、強烈なパンチに要注意かな?」
リングの中へ閉じ込められれば、20秒の間はボクサーとのタイマンだ。
「皆が、彼の最後の対戦相手ってことだね」
少しだけ、寂しいね。
そう言って万里は、モニターに映るジムを見つめる。
子供の間で広がる噂。小さな町の、小さなボクシングジムに、この春まで居た男の話。
ある大きなタイトルの、チャンピオンも夢じゃない。それどころか、行く行くは世界だって狙えるかもしれない。そう言われた、男の話。
だけど、その男はもういない。
大事な試合の、最後の最後。これまでの無茶と、持病の発作のダブルパンチで、マットに沈んで命を落とした。
沈むなら、相手のパンチで沈みたかったことだろう。
それ以来。
男の霊が、夜な夜なジムでトレーニングをしているのだ、と噂になってとうとうジムは潰れてしまった。
それでも、男の霊は出るのだという。
取り壊されることもなく、煤けた看板が降ろされることもなく、誰もよりつかなくなったジムが今尚そこにあるのは、そのせいだ、と子供達は噂する。
「俺、本当に見たんだって」
「見たって、その男の霊を?」
「そうだよ。だからこうして、証拠を見せるためにジムまで来たんだろー!」
少年が2人。霊を見たと主張する少年と、その少年に連れて来られたもう1人。前者の少年が見たと言う霊は、風で揺れる破れたカーテンであったのだが、幼い子供の想像力は、それを霊だと見間違えた。
だが、その日。
黄昏時の、その時間。
遠くで、電車が踏切を通過する音が鳴っている。熱気を含んだ風が通り抜ける秋の夕暮れ。
埃まみれの汚い窓から、ジムの中を覗きこんだ少年達。
彼らが目にしたそれは、紛れも無く、誰もいないジムの中で1人トレーニングを続けるボクサーの姿であった。その腰に巻きつけられていたのは、黄金色のベルト。
生前、リングの上で命を落としたボクサーの取り逃した、チャンピオンベルトがそこにはあった。
●黄昏のチャンピオン
悲鳴をあげて、2人の子供は逃げ出した。
モニターに映るその後姿を見送って久方 万里(nCL2000005)はあははと笑う。
「子供って可愛いよねっ! でも、危ないことしちゃ駄目だよね」
ジムの中、トレーニングを続けるボクサーは妖だ。心霊系と呼ばれる、半実体化した思念や怨霊のようなもの。キュッキュとリングのキャンバスを靴底が擦る音。風を切る、拳の音。確かな質量と威圧感を放つボクサーだが、その足元には影がない。
「彼の目的はチャンピオンベルト。最強の称号。その為のトレーニングは欠かさないけど、今の彼にとっては目に映る全ては敵で、歪んだ思念は人間への恨みへと変わっているよっ」
時間は夕暮れ。西日の差し込むジムの中は真っ赤に染まっている。日が暮れるまで、30分といった所か。そうなってしまえば、ジムの中は真っ暗だ。
「正面から殴った相手と自分を約20秒間だけリングの中へと閉じ込める能力を持ってるよ。その間、外からの攻撃や援護は無効化されるみたい。反面、それを使った後は暫くの間動きが鈍くなるみたい」
20秒間のパンチラッシュ。疲労と引き換えに[必殺]の効果が付与されたパンチを放つ。
「それから[ノックバック]付きのストレートと、[二連撃]のワン・ツー。後は素早い動きと、強烈なパンチに要注意かな?」
リングの中へ閉じ込められれば、20秒の間はボクサーとのタイマンだ。
「皆が、彼の最後の対戦相手ってことだね」
少しだけ、寂しいね。
そう言って万里は、モニターに映るジムを見つめる。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.ターゲットの撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回の任務は、ボクサーとの戦闘任務です。
ボクサーが、自発的にジムから出てくることはありませんが、人(ターゲット)を見つけた場合その限りではありません。
迅速な解決をお願いします。
以下詳細。
●場所
小さなジム。ジムの中央にはリングが1つ。それ以外のトレーニング器具などは片づけられていて、ジム内での戦闘に邪魔になるようなものはありません。
時刻は夕方。光源に問題はありませんが、30分もすれば暗くなります。
噂のせいで、人が近寄らない区画ですが、逃げ出した子供達が大人を呼んでくる場合もあります。
●ターゲット
心霊系・妖(ボクサー)×1
ランク2
影で構成されたような姿をしている。表情は窺えないが、鍛えられた筋肉のシルエットは見て取れる。
腰に巻いたチャンピオンベルト以外は真っ黒に染まっている。
正面から殴った相手と自分を、20秒間だけ7メートル四方のリングを形成し、その中に閉じ込める能力を持つ。20秒の間だけ、外からの攻撃、援護を無効にするが、能力使用後は暫くの間動きが鈍くなる。
また、能力の再使用には数十秒のインターバルが必要となる。
攻撃力が高く、動きが素早い。一気に距離を詰めてのラッシュや、ヒット&アウェイの戦法を使い分ける。
【フィニッシュパンチラッシュ】→特近単[必殺]
リング内に自分とターゲットを閉じ込め、パンチの雨とフィニッシュストレートを浴びせかける。
【ストレート】→特近単[ノックバック]
渾身の力を込めた一撃を放つ。
【ワン・ツー】→特近単[二連][負荷]
鋭い二連続パンチ。ヒット&アウェイの戦法。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年10月17日
2015年10月17日
■メイン参加者 8人■

●無念のボクサー
靴底が、キャンバスを擦る音。テンポよく繰り出されるパンチの風切り音。夕日を背に浴びたその身体は黒かった。表情すらも窺えないが、そのシルエットや動きから、彼が一流のボクサーであると分かる。
その腰に巻かれた、金色のチャンピオンベルトのみが、眩しいほどに輝いて見えた。
「こんにちは。あなたと戦えると思うと、わくわくですっ」
埃の積もったジムの扉を押しあけて、離宮院・太郎丸(CL2000131)が、ボクサーに向かって声をかけた。
トレーニングの手を止めて、ボクサーはくるりと入口を振り返る。
リングロープを潜り抜け、ボクサーはリングから降りてきた。
ボクサーはゆっくりと拳を掲げ、リングの傍に放置されていたゴングを殴りつける。
カーン、と小気味の良い音が響いた。
それを合図に、ボクサーは床を蹴って駆け出した。
●最後の試合と、チャンピオンベルト
一瞬。瞬きをする間に、ボクサーは太郎丸の眼前に迫る。
ボクサーの拳が風を切る音を、太郎丸の耳が捉えるよりも早く、彼の顎にボクサーの拳が突き刺さる。衝撃が、顎から脳へと貫通し、太郎丸の視界は一瞬で白に塗りつぶされた。
途切れそうになる意識を、ギリギリのところで繋ぎとめた太郎丸だが、その時にはすでにもう1発の拳が彼の腹部を打っていた。
血を吐き、倒れる太郎丸の頭上を跳びこし御白 小唄(CL2001173)が、ボクサーの頭部目がけて鋭い蹴りを放つ。
ボクサーは、ほんの数センチ後退することで、小唄の蹴りを回避。
「おりゃー! いっくぞー!!」
ボクサーのアッパーと、小唄の脚が交差。
押し負けたのは、小唄の方だ。ウェイトの差、或いはリーチの差だろうか。床に落ち、咳き込む小唄を無視し、ボクサーは入口へと視線を向けた。
「自らの本懐を遂げずして、不慮の死とは……。その無念、いかばかりか。痛ましい話であります。幸いこちらにはハードパンチャーの前衛が揃っております。よりどりみどり、誰を選んでも良くありますよ。チャンプ!」
最後の試合をやり直しましょう。
そう言って、『暁の脱走兵』犬童 アキラ(CL2000698)は両手を広げた。
「さあ、最後の戦いの、お相手をしましょう!」
ぐぐ、と拳を前に突き出した神室・祇澄(CL2000017)がそう告げる。術符を握りこんだ拳に術をかけ、硬化させているようだ。小柄な彼女は一見すると、殴り合いには不向きのようだが、今回はボクサーの思いに応えるため、このような戦法をとるようだ。
「1:1に付き合ってあげれないけど、せめて貴方の距離では戦ってあげちゃおうかしらねん♪」
「さあ、チャンピオンベルトを賭けた、最後の試合の始まりです! そっちは1名、それに対して覚者は複数の変則試合!」
魂行 輪廻(CL2000534)と『紅蓮夜叉』天楼院・聖華(CL2000348)の視線は、まっすぐにボクサーへと注がれている。ボクサーの敵意を、好戦的な視線で受け止めた。
「無念だろうなとは思うけど、オーバーワークが一因って聞いちゃうとシュート『ボクサー』としましては、やっちゃったね、とも思うよ。ともあれ、せめて同じ格闘技者の拳で、終わりにしてあげましょ」
シュッシュッと、シャドーボクシングを繰り返し華神 悠乃(CL2000231)が駆け出した。
ボクサーもまた、その場で前後にステップを刻み悠乃の突進を待ち構える。ボクサーの右ストレートと、悠乃の拳が交差した。
背丈は、ボクサーの方がやや高いだろうか。
互いの頬へ、互いの拳が突き刺さる。拳が肉を打つ音が響く。
一瞬の静寂。悠乃は、にやり、と不敵な笑みを浮かべた。唇からは血が流れている。
直後、防御を捨てたパンチの応酬が始まった。
「スポーツにあまり興味はないけれど。感傷的なのね。……殺したくなるわ」
ボクサーと悠乃が打ちあっている間に『浄火』七十里・夏南(CL2000006)が太郎丸と小唄の身体を引き摺って、ジムの端へと退避した。激しい戦闘の気配を察して、動けないでいる仲間が巻き込まれないように戦場から遠ざけたのだ。
無論、それだけが彼女の目的ではない。
「常に敵はブロックしておかないとね」
彼女の眼前で空気が渦巻き、真空の弾丸を形成する。
悠乃との打ち合いに没頭しているボクサーの側頭部目がけ、夏南はそれを撃ち出した。
夏南の放った真空弾が、側頭部に命中する寸前。
ボクサーは、脅威的な反射神経でもって身体を反転。バックブローで、真空弾を打ち消した。そのまま、回転の勢いを乗せたパンチを、悠乃の顔面へと叩きこむ。
悠乃は後方へ跳ぶことでそれを回避。
だが、完全には避けきれず悠乃の鼻からは血が吹きだしていた。
「くっ……う」
「逃がさないわ」
夏南は続けざまに真空弾を撃ち出し、ボクサーの動きを妨害する。ボクサーが、真空弾を打ち消している間に聖華がボクサーに急接近。
「ベルトを前にして倒れた無念、よくわかるぜ。これが最後の一戦だ。それならせめて、最高の試合にしてやらなきゃな!」
地を這うような低姿勢で、聖華は一気にボクサーの懐に潜り込む。床を蹴って、跳び上がる勢いそのままにボクサーの顎へアッパーを見舞う。
ボクサーは、あえて聖華のアッパーを受け止める。
右の腕を大きく後方へと引き、聖華の胸へストレートパンチを叩きこんだ。
聖華の小さな身体が、宙へと浮き上がる。
顔のないボクサーが、にやりと一瞬、笑った気がした。
「うおっ!?」
胸に受けた一撃のせいで、ほんの僅かな時間、肺が麻痺して聖華は呼吸ができなくなった。
げほ、と小さく咳込むと同時、聖華は驚愕に目を見開く。
いつの間にか、聖華とボクサーの身体はリング上へと移動していた。
眼前には、タンタンと軽くステップを踏むボクサーの姿。その全身から湧き上がる闘志を浴び、聖華の頬を冷や汗が伝う。
だが……。
「へっ! 必殺の聖華アッパーを食らわしてやるぜ!」
威圧感に押され、意思に反して後退しそうになる足をその場に無理矢理縫い止めて、両腕を掲げて頭部をガード。
高く上げた聖華の腕に、ボクサーの鋼の拳が打ちつけられた。
最初の一撃を皮きりに、ボクサーのパンチラッシュがスタートした。目にも止まらぬ、パンチの嵐が聖華を襲う。
「一度の隙で仕留め切れればいいが」
パンチラッシュの直後、ボクサーは疲労で動きが鈍るという。その隙を突くべく、夏南は集中を重ね、技の精度を上げることに務めた。
「解除されたら一気に反撃であります」
アキラの全身を、特殊強化装甲服が包み込む。鋼の拳を硬く握って、リングの傍へと駆け寄った。
聖華の腕が、ボクサーのパンチに弾かれる。
ガードの緩んだ、その瞬間。
ボクサーの放った渾身の一撃が、聖華の顎を打ち抜いた。
聖華の身体が、リングロープへ叩きつけられた。ロープの隙間に挟まった状態のまま、聖華はピクリとも動かない。意識を失ってしまったようだ。
「あらあら♪ ついに私の出番かしらん?」
リングに駆け寄った輪廻は、意識を失った聖華を回収する。彼女の周囲に淡い燐光が揺らめき、それは生命力を凝縮した滴へと変わる。
一度は意識を失った聖華だが、自身の命数を削ることでどうにか意識を取り戻した。咳き込む度に、彼女の口からは血飛沫が舞う。
聖華の治療をする輪廻を護衛するべく、祇澄が2人の傍へ移動する。
「ただでは、やられませんよ! 来るなら来なさい!」
蒼鋼壁を自身にかけて、防御力を強化。腰の位置で拳を握りしめ、ボクサーの攻撃に備える。
だが、リング上のボクサーは動かない。肩を激しく上下させながら、顔だけをこちらへ向けていた。
ボクサーの側頭部に、真空の弾丸が着弾。空気の破裂する音。ボクサーの身体が大きく傾いだ。
「一気にたたみかける!」
今が好機と見て、アキラがリングに跳び上がった。鋼の拳を高く振り上げ、一気にボクサーのボディを殴り抜く。ボクサーの身体が後退し、リングロープにぶつかった。
ロープに弾かれ、踏鞴を踏むボクサーにもう一撃。
だが、今度の一撃はボクサーの拳にガードされる。
「くらえ、全力の一撃!!」
アキラの真横を駆け抜ける小さな影。全力疾走の勢いを乗せた、小唄の拳がボクサーの右脇腹を打ち抜いた。獣のような荒々しい一撃を受け、ボクサーは僅かに後退。
だが、戦意を失ったわけではない。鋭い肘を小唄の首筋へと叩きこんだ。
小唄の身体がリングに倒れる。
ボクサーは、倒れた小唄に一瞥を投げ、追撃はないと判断。即座に眼前に構えたアキラへ視線を戻す。アキラの胸部に、拳を2発。ほんの一瞬のうちに放たれたワン・ツーがアキラの内臓にダメージを与え、彼女の動きを鈍らせる。
ボクサーの疲労も、ある程度回復してきたようだ。右ストレートがアキラの頬に突き刺さる寸前、2人の間に悠乃が割り込んだ。
「次は私よ。私もね、ラッシュには割りと自信、あるの!」
風を切り裂く、鋭い拳の2連撃。
ボクサーは素早い動作で後方へ跳び退ることで、それを回避。
悠乃の攻撃は止まらない。長身を、低くリングに沈め、ボクサーの視界から外れる。一瞬のうちに、リングを滑るような動きでボクサーに肉薄すると、その脇腹に拳を叩きこんだ。
だが、次の瞬間。
渾身の力を込めたボクサーの右ストレートが、悠乃の腹部を捉えた。衝撃が、悠乃の身体を貫く。彼女の身体が、大きく後方へと弾き飛ばされ、リングロープの向こうへ落ちた。
「え、ちょっと!」
運悪く、悠乃の落下地点には夏南の姿。悠乃の長身を慌てて受け止めるが、支えきれずに縺れあうようにして床に倒れた。
タン、と小さな足音が響く。
キャンバスを蹴って、前へ跳び出したボクサーの拳がリングの端に居た太郎丸の胸を打ち抜いた。
リングの中央へ、ボクサーと太郎丸の身体が移動する。
入れ替わるように、リング上に居た小唄とアキラの身体は見えない壁に押されるようにリングの外へと弾き出された。
パンチラッシュ。発動から、行動終了までのおよそ20秒の間、リングは絶対不可侵の決闘状と化す。
困惑する太郎丸の全身を、無数のパンチが襲う。
ガードも間に合わず、回避する暇もなく、攻勢に出る余裕もないまま。
焼けるような痛みは一瞬だった。すぐに、太郎丸の意識は薄れて、今自分がどこにいるのかさえ理解できなくなる。身体を衝撃が貫いて、視界が霞む。
十数秒。ほんのそれだけの時間が、永遠にも感じられた。
ボクサーの右拳が太郎丸の顎を打ち抜いたことで、パンチラッシュは終演を迎える。
「………え、ほっ」
肺の中に残った、僅かな空気と血の塊を吐きだして、太郎丸はリングに沈む。
「もうすぐ日がくれるわね。早く終わらせないと……。ともしびを使える子達が多いから暮れても大丈夫かもしれないけど念の為にねん♪」
聖華の肩を抱き、輪廻が立ちあがる。祇澄は、2人に先行してリングの上へと駆けあがった。
顔の下半分を、流血で真っ赤に染めながら、それでも聖華はリングへ向かって歩いていく。
●月は昇って、男は沈む。
リングに跳び上がった祇澄の眼前に、ボクサーが迫る。疲労に、肩を激しく上下させているが、その闘志は些かも衰えてはいない。むしろ、満身創痍の獣じみた、恐ろしいまでの気迫を感じる。
祇澄が体勢を整えるよりも早く、ボクサーの拳が放たれた。
しかし、ボクサーの拳が祇澄を捉えるより先に、夏南の放った真空の弾丸が2人の間を射抜いた。ボクサーが、僅かに怯んだその隙に、祇澄は体勢を整え、キャンバスを蹴って跳び出した。
「全力で、お応えしましょう!」
祇澄の拳は黒く硬化している。金属の強度を得た祇澄の拳が、ボクサーの肘を打ち抜いた。
ボクサーの疲労は相当なものなのか、まともにガードすることも出来ず、祇澄の攻撃を受け続ける。ピシリ、と奇妙な音が鳴った。腰に巻かれたチャンピオンベルトに、亀裂が走った音だ。
祇澄の拳を一身に浴びながら、ボクサーは右腕を大きく引いた。
放たれるのは、渾身のストレート。疲労のせいで、本来の威力を発揮できてはいないようだが、それでも速く、そして重い。
「くっ……まだ、倒れるわけには!」
「いいえ、大丈夫よん♪」
リング端まで弾き飛ばされた祇澄が立ちあがろうと、ロープを掴む。そんな祇澄の肩に、輪廻はそっと手を置いた。
リングロープを持ち上げ、聖華がリングへと昇っていく。
ダメージが大きいのか、それだけの行為でさえ彼女は激しく呼吸を乱していた。
ゆっくりと立ちあがる聖華を見て、小唄、アキラ、悠乃の3人がリングへと走る。
「今ならわかるよ。絶対に負けられない気持ち!」
「下腹に力を込めて歯を食いしばれ!」
「世界を狙えると言われた拳…全部見て、喰べ尽くして、私が活かしてあげる」
ボクサーに迫る3つの影。
小唄の放った抉るような一撃を、ボクサーはゆらりと回避し、カウンターを脇腹へと叩きこむ。
正面から迫る、アキラの鋼鉄の拳を、同じく拳で受け止めた。一瞬の膠着。放たれたワン・ツーがアキラの顎と喉元を打ち抜く。
踏鞴を踏むアキラの頭上を跳びこし、悠乃がボクサーを責め立てる。悠乃の動きに合わせ、彼女の龍の尾が激しくうねった。
悠乃の2連撃を受け、ボクサーは後退。だが、殴られる寸前に放ったジャブは正確に悠乃の顎を捉えていた。
続けざまの4連戦。
顔をあげたボクサーの眼前には、聖華の姿。
ボクサーの拳が聖華の胸を打った瞬間、見えない壁がリングの外へ聖華とボクサー以外の人間を弾き出した。
「ああっと、ここで1対1になりました!」
血を吐きながら、聖華が叫ぶ。それと同時に、輪廻が再度ゴングを鳴らす。
カァン、と小気味のよい音。
ボクサーが動く。
目にも止まらぬパンチラッシュ。聖華は姿勢を低くすることで、それを回避する。避けきれずに掠めた拳が、聖華の肌を切り裂き、キャンバスを赤く濡らす。
額を切ったのか、聖華の顔面は流血で真っ赤に染まっていた。流れる血が目に入ったようで、すでにボクサーの姿もまともに見えてはいないだろう。
だが、聖華には分かる。
目の前の男の放つ、狂おしいほどの闘争心と威圧感が、相手の居場所を教えてくれる。
或いは、超視力による補正もあっただろうか。翳む視界の端に、聖華はボクサーの拳を見た。
トドメとばかりに放たれた、全身全霊の必殺ストレート。
交差するように、リングを駆け抜け、聖華はボクサーの懐に潜り込んだ。
「ナイスファイト。最高に熱い戦いだったぜ!」
跳び上がるようにして放たれた聖華のアッパーが、ボクサーの顎を打ち抜いた。
駆け抜ける勢いそのままに放った疾風斬り。
吹き抜けた一陣の風が、火照った身体に心地よい。
ボクサーの腰から、2つに割れたチャンピオンベルトがリングへ落ちた。
一瞬。
永い永い、一瞬。
ボクサーの身体がリングに沈んだ。
日が暮れたのか。
窓から差し込んでいた赤い夕陽が消えた。暗くなったリングの上には、チャンピオンベルトだけが残されている。ボクサーは、最後の戦いを終え、そして消えた。
月明りが、リングを青白く照らしている。
戦いを終え、ジムの床に腰を降ろした仲間達から距離を取り、夏南はリングへと昇る。
落ちていたチャンピオンベルトを拾い上げると、それを聖華の方へと放り投げた。
「汚したまま帰るのが嫌なだけよ」
誰にともなくそう呟いて、夏南はゆっくりリングを降りる。
チャンピオンベルトを肩に担いで、聖華は一言「最高の試合だった」と、そう呟いた。
靴底が、キャンバスを擦る音。テンポよく繰り出されるパンチの風切り音。夕日を背に浴びたその身体は黒かった。表情すらも窺えないが、そのシルエットや動きから、彼が一流のボクサーであると分かる。
その腰に巻かれた、金色のチャンピオンベルトのみが、眩しいほどに輝いて見えた。
「こんにちは。あなたと戦えると思うと、わくわくですっ」
埃の積もったジムの扉を押しあけて、離宮院・太郎丸(CL2000131)が、ボクサーに向かって声をかけた。
トレーニングの手を止めて、ボクサーはくるりと入口を振り返る。
リングロープを潜り抜け、ボクサーはリングから降りてきた。
ボクサーはゆっくりと拳を掲げ、リングの傍に放置されていたゴングを殴りつける。
カーン、と小気味の良い音が響いた。
それを合図に、ボクサーは床を蹴って駆け出した。
●最後の試合と、チャンピオンベルト
一瞬。瞬きをする間に、ボクサーは太郎丸の眼前に迫る。
ボクサーの拳が風を切る音を、太郎丸の耳が捉えるよりも早く、彼の顎にボクサーの拳が突き刺さる。衝撃が、顎から脳へと貫通し、太郎丸の視界は一瞬で白に塗りつぶされた。
途切れそうになる意識を、ギリギリのところで繋ぎとめた太郎丸だが、その時にはすでにもう1発の拳が彼の腹部を打っていた。
血を吐き、倒れる太郎丸の頭上を跳びこし御白 小唄(CL2001173)が、ボクサーの頭部目がけて鋭い蹴りを放つ。
ボクサーは、ほんの数センチ後退することで、小唄の蹴りを回避。
「おりゃー! いっくぞー!!」
ボクサーのアッパーと、小唄の脚が交差。
押し負けたのは、小唄の方だ。ウェイトの差、或いはリーチの差だろうか。床に落ち、咳き込む小唄を無視し、ボクサーは入口へと視線を向けた。
「自らの本懐を遂げずして、不慮の死とは……。その無念、いかばかりか。痛ましい話であります。幸いこちらにはハードパンチャーの前衛が揃っております。よりどりみどり、誰を選んでも良くありますよ。チャンプ!」
最後の試合をやり直しましょう。
そう言って、『暁の脱走兵』犬童 アキラ(CL2000698)は両手を広げた。
「さあ、最後の戦いの、お相手をしましょう!」
ぐぐ、と拳を前に突き出した神室・祇澄(CL2000017)がそう告げる。術符を握りこんだ拳に術をかけ、硬化させているようだ。小柄な彼女は一見すると、殴り合いには不向きのようだが、今回はボクサーの思いに応えるため、このような戦法をとるようだ。
「1:1に付き合ってあげれないけど、せめて貴方の距離では戦ってあげちゃおうかしらねん♪」
「さあ、チャンピオンベルトを賭けた、最後の試合の始まりです! そっちは1名、それに対して覚者は複数の変則試合!」
魂行 輪廻(CL2000534)と『紅蓮夜叉』天楼院・聖華(CL2000348)の視線は、まっすぐにボクサーへと注がれている。ボクサーの敵意を、好戦的な視線で受け止めた。
「無念だろうなとは思うけど、オーバーワークが一因って聞いちゃうとシュート『ボクサー』としましては、やっちゃったね、とも思うよ。ともあれ、せめて同じ格闘技者の拳で、終わりにしてあげましょ」
シュッシュッと、シャドーボクシングを繰り返し華神 悠乃(CL2000231)が駆け出した。
ボクサーもまた、その場で前後にステップを刻み悠乃の突進を待ち構える。ボクサーの右ストレートと、悠乃の拳が交差した。
背丈は、ボクサーの方がやや高いだろうか。
互いの頬へ、互いの拳が突き刺さる。拳が肉を打つ音が響く。
一瞬の静寂。悠乃は、にやり、と不敵な笑みを浮かべた。唇からは血が流れている。
直後、防御を捨てたパンチの応酬が始まった。
「スポーツにあまり興味はないけれど。感傷的なのね。……殺したくなるわ」
ボクサーと悠乃が打ちあっている間に『浄火』七十里・夏南(CL2000006)が太郎丸と小唄の身体を引き摺って、ジムの端へと退避した。激しい戦闘の気配を察して、動けないでいる仲間が巻き込まれないように戦場から遠ざけたのだ。
無論、それだけが彼女の目的ではない。
「常に敵はブロックしておかないとね」
彼女の眼前で空気が渦巻き、真空の弾丸を形成する。
悠乃との打ち合いに没頭しているボクサーの側頭部目がけ、夏南はそれを撃ち出した。
夏南の放った真空弾が、側頭部に命中する寸前。
ボクサーは、脅威的な反射神経でもって身体を反転。バックブローで、真空弾を打ち消した。そのまま、回転の勢いを乗せたパンチを、悠乃の顔面へと叩きこむ。
悠乃は後方へ跳ぶことでそれを回避。
だが、完全には避けきれず悠乃の鼻からは血が吹きだしていた。
「くっ……う」
「逃がさないわ」
夏南は続けざまに真空弾を撃ち出し、ボクサーの動きを妨害する。ボクサーが、真空弾を打ち消している間に聖華がボクサーに急接近。
「ベルトを前にして倒れた無念、よくわかるぜ。これが最後の一戦だ。それならせめて、最高の試合にしてやらなきゃな!」
地を這うような低姿勢で、聖華は一気にボクサーの懐に潜り込む。床を蹴って、跳び上がる勢いそのままにボクサーの顎へアッパーを見舞う。
ボクサーは、あえて聖華のアッパーを受け止める。
右の腕を大きく後方へと引き、聖華の胸へストレートパンチを叩きこんだ。
聖華の小さな身体が、宙へと浮き上がる。
顔のないボクサーが、にやりと一瞬、笑った気がした。
「うおっ!?」
胸に受けた一撃のせいで、ほんの僅かな時間、肺が麻痺して聖華は呼吸ができなくなった。
げほ、と小さく咳込むと同時、聖華は驚愕に目を見開く。
いつの間にか、聖華とボクサーの身体はリング上へと移動していた。
眼前には、タンタンと軽くステップを踏むボクサーの姿。その全身から湧き上がる闘志を浴び、聖華の頬を冷や汗が伝う。
だが……。
「へっ! 必殺の聖華アッパーを食らわしてやるぜ!」
威圧感に押され、意思に反して後退しそうになる足をその場に無理矢理縫い止めて、両腕を掲げて頭部をガード。
高く上げた聖華の腕に、ボクサーの鋼の拳が打ちつけられた。
最初の一撃を皮きりに、ボクサーのパンチラッシュがスタートした。目にも止まらぬ、パンチの嵐が聖華を襲う。
「一度の隙で仕留め切れればいいが」
パンチラッシュの直後、ボクサーは疲労で動きが鈍るという。その隙を突くべく、夏南は集中を重ね、技の精度を上げることに務めた。
「解除されたら一気に反撃であります」
アキラの全身を、特殊強化装甲服が包み込む。鋼の拳を硬く握って、リングの傍へと駆け寄った。
聖華の腕が、ボクサーのパンチに弾かれる。
ガードの緩んだ、その瞬間。
ボクサーの放った渾身の一撃が、聖華の顎を打ち抜いた。
聖華の身体が、リングロープへ叩きつけられた。ロープの隙間に挟まった状態のまま、聖華はピクリとも動かない。意識を失ってしまったようだ。
「あらあら♪ ついに私の出番かしらん?」
リングに駆け寄った輪廻は、意識を失った聖華を回収する。彼女の周囲に淡い燐光が揺らめき、それは生命力を凝縮した滴へと変わる。
一度は意識を失った聖華だが、自身の命数を削ることでどうにか意識を取り戻した。咳き込む度に、彼女の口からは血飛沫が舞う。
聖華の治療をする輪廻を護衛するべく、祇澄が2人の傍へ移動する。
「ただでは、やられませんよ! 来るなら来なさい!」
蒼鋼壁を自身にかけて、防御力を強化。腰の位置で拳を握りしめ、ボクサーの攻撃に備える。
だが、リング上のボクサーは動かない。肩を激しく上下させながら、顔だけをこちらへ向けていた。
ボクサーの側頭部に、真空の弾丸が着弾。空気の破裂する音。ボクサーの身体が大きく傾いだ。
「一気にたたみかける!」
今が好機と見て、アキラがリングに跳び上がった。鋼の拳を高く振り上げ、一気にボクサーのボディを殴り抜く。ボクサーの身体が後退し、リングロープにぶつかった。
ロープに弾かれ、踏鞴を踏むボクサーにもう一撃。
だが、今度の一撃はボクサーの拳にガードされる。
「くらえ、全力の一撃!!」
アキラの真横を駆け抜ける小さな影。全力疾走の勢いを乗せた、小唄の拳がボクサーの右脇腹を打ち抜いた。獣のような荒々しい一撃を受け、ボクサーは僅かに後退。
だが、戦意を失ったわけではない。鋭い肘を小唄の首筋へと叩きこんだ。
小唄の身体がリングに倒れる。
ボクサーは、倒れた小唄に一瞥を投げ、追撃はないと判断。即座に眼前に構えたアキラへ視線を戻す。アキラの胸部に、拳を2発。ほんの一瞬のうちに放たれたワン・ツーがアキラの内臓にダメージを与え、彼女の動きを鈍らせる。
ボクサーの疲労も、ある程度回復してきたようだ。右ストレートがアキラの頬に突き刺さる寸前、2人の間に悠乃が割り込んだ。
「次は私よ。私もね、ラッシュには割りと自信、あるの!」
風を切り裂く、鋭い拳の2連撃。
ボクサーは素早い動作で後方へ跳び退ることで、それを回避。
悠乃の攻撃は止まらない。長身を、低くリングに沈め、ボクサーの視界から外れる。一瞬のうちに、リングを滑るような動きでボクサーに肉薄すると、その脇腹に拳を叩きこんだ。
だが、次の瞬間。
渾身の力を込めたボクサーの右ストレートが、悠乃の腹部を捉えた。衝撃が、悠乃の身体を貫く。彼女の身体が、大きく後方へと弾き飛ばされ、リングロープの向こうへ落ちた。
「え、ちょっと!」
運悪く、悠乃の落下地点には夏南の姿。悠乃の長身を慌てて受け止めるが、支えきれずに縺れあうようにして床に倒れた。
タン、と小さな足音が響く。
キャンバスを蹴って、前へ跳び出したボクサーの拳がリングの端に居た太郎丸の胸を打ち抜いた。
リングの中央へ、ボクサーと太郎丸の身体が移動する。
入れ替わるように、リング上に居た小唄とアキラの身体は見えない壁に押されるようにリングの外へと弾き出された。
パンチラッシュ。発動から、行動終了までのおよそ20秒の間、リングは絶対不可侵の決闘状と化す。
困惑する太郎丸の全身を、無数のパンチが襲う。
ガードも間に合わず、回避する暇もなく、攻勢に出る余裕もないまま。
焼けるような痛みは一瞬だった。すぐに、太郎丸の意識は薄れて、今自分がどこにいるのかさえ理解できなくなる。身体を衝撃が貫いて、視界が霞む。
十数秒。ほんのそれだけの時間が、永遠にも感じられた。
ボクサーの右拳が太郎丸の顎を打ち抜いたことで、パンチラッシュは終演を迎える。
「………え、ほっ」
肺の中に残った、僅かな空気と血の塊を吐きだして、太郎丸はリングに沈む。
「もうすぐ日がくれるわね。早く終わらせないと……。ともしびを使える子達が多いから暮れても大丈夫かもしれないけど念の為にねん♪」
聖華の肩を抱き、輪廻が立ちあがる。祇澄は、2人に先行してリングの上へと駆けあがった。
顔の下半分を、流血で真っ赤に染めながら、それでも聖華はリングへ向かって歩いていく。
●月は昇って、男は沈む。
リングに跳び上がった祇澄の眼前に、ボクサーが迫る。疲労に、肩を激しく上下させているが、その闘志は些かも衰えてはいない。むしろ、満身創痍の獣じみた、恐ろしいまでの気迫を感じる。
祇澄が体勢を整えるよりも早く、ボクサーの拳が放たれた。
しかし、ボクサーの拳が祇澄を捉えるより先に、夏南の放った真空の弾丸が2人の間を射抜いた。ボクサーが、僅かに怯んだその隙に、祇澄は体勢を整え、キャンバスを蹴って跳び出した。
「全力で、お応えしましょう!」
祇澄の拳は黒く硬化している。金属の強度を得た祇澄の拳が、ボクサーの肘を打ち抜いた。
ボクサーの疲労は相当なものなのか、まともにガードすることも出来ず、祇澄の攻撃を受け続ける。ピシリ、と奇妙な音が鳴った。腰に巻かれたチャンピオンベルトに、亀裂が走った音だ。
祇澄の拳を一身に浴びながら、ボクサーは右腕を大きく引いた。
放たれるのは、渾身のストレート。疲労のせいで、本来の威力を発揮できてはいないようだが、それでも速く、そして重い。
「くっ……まだ、倒れるわけには!」
「いいえ、大丈夫よん♪」
リング端まで弾き飛ばされた祇澄が立ちあがろうと、ロープを掴む。そんな祇澄の肩に、輪廻はそっと手を置いた。
リングロープを持ち上げ、聖華がリングへと昇っていく。
ダメージが大きいのか、それだけの行為でさえ彼女は激しく呼吸を乱していた。
ゆっくりと立ちあがる聖華を見て、小唄、アキラ、悠乃の3人がリングへと走る。
「今ならわかるよ。絶対に負けられない気持ち!」
「下腹に力を込めて歯を食いしばれ!」
「世界を狙えると言われた拳…全部見て、喰べ尽くして、私が活かしてあげる」
ボクサーに迫る3つの影。
小唄の放った抉るような一撃を、ボクサーはゆらりと回避し、カウンターを脇腹へと叩きこむ。
正面から迫る、アキラの鋼鉄の拳を、同じく拳で受け止めた。一瞬の膠着。放たれたワン・ツーがアキラの顎と喉元を打ち抜く。
踏鞴を踏むアキラの頭上を跳びこし、悠乃がボクサーを責め立てる。悠乃の動きに合わせ、彼女の龍の尾が激しくうねった。
悠乃の2連撃を受け、ボクサーは後退。だが、殴られる寸前に放ったジャブは正確に悠乃の顎を捉えていた。
続けざまの4連戦。
顔をあげたボクサーの眼前には、聖華の姿。
ボクサーの拳が聖華の胸を打った瞬間、見えない壁がリングの外へ聖華とボクサー以外の人間を弾き出した。
「ああっと、ここで1対1になりました!」
血を吐きながら、聖華が叫ぶ。それと同時に、輪廻が再度ゴングを鳴らす。
カァン、と小気味のよい音。
ボクサーが動く。
目にも止まらぬパンチラッシュ。聖華は姿勢を低くすることで、それを回避する。避けきれずに掠めた拳が、聖華の肌を切り裂き、キャンバスを赤く濡らす。
額を切ったのか、聖華の顔面は流血で真っ赤に染まっていた。流れる血が目に入ったようで、すでにボクサーの姿もまともに見えてはいないだろう。
だが、聖華には分かる。
目の前の男の放つ、狂おしいほどの闘争心と威圧感が、相手の居場所を教えてくれる。
或いは、超視力による補正もあっただろうか。翳む視界の端に、聖華はボクサーの拳を見た。
トドメとばかりに放たれた、全身全霊の必殺ストレート。
交差するように、リングを駆け抜け、聖華はボクサーの懐に潜り込んだ。
「ナイスファイト。最高に熱い戦いだったぜ!」
跳び上がるようにして放たれた聖華のアッパーが、ボクサーの顎を打ち抜いた。
駆け抜ける勢いそのままに放った疾風斬り。
吹き抜けた一陣の風が、火照った身体に心地よい。
ボクサーの腰から、2つに割れたチャンピオンベルトがリングへ落ちた。
一瞬。
永い永い、一瞬。
ボクサーの身体がリングに沈んだ。
日が暮れたのか。
窓から差し込んでいた赤い夕陽が消えた。暗くなったリングの上には、チャンピオンベルトだけが残されている。ボクサーは、最後の戦いを終え、そして消えた。
月明りが、リングを青白く照らしている。
戦いを終え、ジムの床に腰を降ろした仲間達から距離を取り、夏南はリングへと昇る。
落ちていたチャンピオンベルトを拾い上げると、それを聖華の方へと放り投げた。
「汚したまま帰るのが嫌なだけよ」
誰にともなくそう呟いて、夏南はゆっくりリングを降りる。
チャンピオンベルトを肩に担いで、聖華は一言「最高の試合だった」と、そう呟いた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
『チャンピオンベルト』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:天楼院・聖華(CL2000348)
カテゴリ:アクセサリ
取得者:天楼院・聖華(CL2000348)
