【儚語】ヒーローを呼ぶ声
●夢見る少女でいたかった
黒髪を二つのお団子で結った少女、吉上光の夢は、ヒーローになることだった。色とりどりの衣装に身を包み、世界に暗躍する悪と戦い無辜の市民を守る。時に悩み、時に誰かを導くような存在になること。それが、テレビや映画のスクリーンの中にしか存在しないと分かっていても、彼女は心の奥底で、ヒーローという存在に憧れを抱いていた。
ある時、光はちょっとした夢を見た。何と言うことはない。夕飯の献立だとか、木の枝に頭をぶつけるだとか、本当にちょっとしたものだ。しかし、その内容はやけに生々しく、そして具体的だった。そして、彼女の世界は夢で見た通りに動いた。テストの解答なんかが見えないものかと最初は面白がっていた。夢で現実に起こることを予知する能力なんて、まるでヒーローみたいじゃないかと。彼女はその夢に時に従い、時にその流れを変えるように動いた。十代の小娘の出来ることなど、たかが知れている。それでも、彼女は自分がヒーローになったようだと得意だった。
徐々にその夢の内容はエスカレートしてゆく。例えば。誰かが、スクリーンから飛び出して来たモンスターのような異形の姿に襲われ、その身体を引き裂かれる夢。例えば、必死に逃げる動物の耳を生やした若者を、何人もの大人がとてつもない形相で銃やナイフを手に追いかける夢。そのどれもが、血の滴る音まで聞こえて来るような生々しさで彼女の夢に次々と現れて来る。
少女は、その夢で見た人々を助けたいと心から願った。そして、自分の見る夢に、言葉に出来ない恐怖を抱いた。これはヒーローの力なんかじゃない。彼女を苦しめるだけの呪いだと思うようになった。それでも、ヒーローを、この力が誰かを助けるためのものであると彼女は信じたかった。
二つの相反する思いがぶつかりあいながら捻じれ、へしゃげ、そして彼女に力を与えた。誰かを救いたいと言う祈りと、悪夢に苛まされ続けた疲弊による恐怖と拒絶。それは彼女の力を覚醒させる。破綻者として。まるで夢遊病者の足取りで、彼女は早朝の街を征く。
その背後に、恐るべき夢見を滅ぼさんとする妖がいることにも、気付くことは無かった。宙に浮かぶ、ローブに身を包んだような出で立ちの妖は、彼女を殻で覆うことにした。それが彼女の望んでいることであるからだ。
殻に封じ込め、彼女が狂うままにさせる。バロット(雛料理)のように、彼女を煮殺すのだ。
●眼を閉じた少女
「吉上光。私立の高校に通う、普通の学生でした」
久方 真由美(nCL2000003)は、数枚の資料と少女の写る写真を配りながらそう言った。自然な屈託の無い笑顔と、お団子の髪。とりたてて美少女というわけでもないが、見る者を安心させるような雰囲気の少女。
しかし、『でした』の言葉と覚者の招集が物語る通り、その少女は既に普通の学生では無くなっている。
「彼女は夢見としての力を覚醒させようとしています。正しいものではなく、破綻者のそれとして」
破綻者(バンク)。自らの力に溺れ、『わたし』を見失った存在。そして救うべき存在。
「夢見は貴重な存在です。そして、それを狙う妖も見過ごしてはおけません。一人の命を救うという意味でも」
そう言って、真由美は柔和な笑みを浮かべる。それは覚者たちへ向けられると同時に、まだ会っていない少女へと向けられているようでもあった。
「光さんは、どうやらヒーローに憧れているようです。ですから、皆さんが彼女のお手本に、ヒーローになってあげてください」
黒髪を二つのお団子で結った少女、吉上光の夢は、ヒーローになることだった。色とりどりの衣装に身を包み、世界に暗躍する悪と戦い無辜の市民を守る。時に悩み、時に誰かを導くような存在になること。それが、テレビや映画のスクリーンの中にしか存在しないと分かっていても、彼女は心の奥底で、ヒーローという存在に憧れを抱いていた。
ある時、光はちょっとした夢を見た。何と言うことはない。夕飯の献立だとか、木の枝に頭をぶつけるだとか、本当にちょっとしたものだ。しかし、その内容はやけに生々しく、そして具体的だった。そして、彼女の世界は夢で見た通りに動いた。テストの解答なんかが見えないものかと最初は面白がっていた。夢で現実に起こることを予知する能力なんて、まるでヒーローみたいじゃないかと。彼女はその夢に時に従い、時にその流れを変えるように動いた。十代の小娘の出来ることなど、たかが知れている。それでも、彼女は自分がヒーローになったようだと得意だった。
徐々にその夢の内容はエスカレートしてゆく。例えば。誰かが、スクリーンから飛び出して来たモンスターのような異形の姿に襲われ、その身体を引き裂かれる夢。例えば、必死に逃げる動物の耳を生やした若者を、何人もの大人がとてつもない形相で銃やナイフを手に追いかける夢。そのどれもが、血の滴る音まで聞こえて来るような生々しさで彼女の夢に次々と現れて来る。
少女は、その夢で見た人々を助けたいと心から願った。そして、自分の見る夢に、言葉に出来ない恐怖を抱いた。これはヒーローの力なんかじゃない。彼女を苦しめるだけの呪いだと思うようになった。それでも、ヒーローを、この力が誰かを助けるためのものであると彼女は信じたかった。
二つの相反する思いがぶつかりあいながら捻じれ、へしゃげ、そして彼女に力を与えた。誰かを救いたいと言う祈りと、悪夢に苛まされ続けた疲弊による恐怖と拒絶。それは彼女の力を覚醒させる。破綻者として。まるで夢遊病者の足取りで、彼女は早朝の街を征く。
その背後に、恐るべき夢見を滅ぼさんとする妖がいることにも、気付くことは無かった。宙に浮かぶ、ローブに身を包んだような出で立ちの妖は、彼女を殻で覆うことにした。それが彼女の望んでいることであるからだ。
殻に封じ込め、彼女が狂うままにさせる。バロット(雛料理)のように、彼女を煮殺すのだ。
●眼を閉じた少女
「吉上光。私立の高校に通う、普通の学生でした」
久方 真由美(nCL2000003)は、数枚の資料と少女の写る写真を配りながらそう言った。自然な屈託の無い笑顔と、お団子の髪。とりたてて美少女というわけでもないが、見る者を安心させるような雰囲気の少女。
しかし、『でした』の言葉と覚者の招集が物語る通り、その少女は既に普通の学生では無くなっている。
「彼女は夢見としての力を覚醒させようとしています。正しいものではなく、破綻者のそれとして」
破綻者(バンク)。自らの力に溺れ、『わたし』を見失った存在。そして救うべき存在。
「夢見は貴重な存在です。そして、それを狙う妖も見過ごしてはおけません。一人の命を救うという意味でも」
そう言って、真由美は柔和な笑みを浮かべる。それは覚者たちへ向けられると同時に、まだ会っていない少女へと向けられているようでもあった。
「光さんは、どうやらヒーローに憧れているようです。ですから、皆さんが彼女のお手本に、ヒーローになってあげてください」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者と化した少女「吉上光」の救出
2.妖の撃退
3.吉上光への説得
2.妖の撃退
3.吉上光への説得
全体シナリオ、なにしろ夢見を集めるとのことです。とはいえ、誰もがその力を受け入れられるわけではありません。中にはその力を恐れ、自分を見失うまでに至る少女もいるでしょう。今回はそんな依頼です。
●ロケーション
早朝の河川敷です。早朝ということで人気はほとんどありません。薄く霧がかっていますが視界に関してプレイヤーが不利になることはないでしょう。
●保護対象
吉上光。(破綻者 カテゴリ1)
ヒーローに憧れている、夢見として目覚めた高校生の少女です。現在、破綻者として自らの力に戸惑い、錯乱している状態です。
●討伐対象
心霊系、ランク2の妖が1体。
夢見として目覚めた彼女を閉じ込め、破綻者としての進度を加速させることで害を加えようとしてきます。
妖単体としてはほとんど戦闘能力は持っていませんが、物理に耐性を持った障壁を展開し、閉じ込めることに関しては高い能力を持っています。
妖は自身と夢見の少女に、音や攻撃を遮断する障壁を張り巡らせています。攻撃を加えるなどで殻を破壊しなければ、討伐、会話は難しいでしょう。また、障壁には[反射]効果が備わっています。
妖、吉上光(正確には、彼女を覆う障壁)は共に、以下のスキルを用いてきます。
・バロット:特近列
空間が揺らぎ、そこから放つ火柱を吹き上げます。[火傷]を与えます。
・クラストシェル:特近単
障壁を攻撃に転用し、力場で弾き飛ばそうとします
●補足
この依頼で説得及び獲得できた夢見は、今後FiVE所属のNPCとなる可能性があります。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年10月15日
2015年10月15日
■メイン参加者 8人■

●無郷の少女
夜と言うには些か過ぎていて、そして、日の出にもまだ早い時間だった。薄く霧がかった五麟市の河原を、ひとつの球体がたゆたっていた。中にいるのは黒いローブに身を包んだ妖。容姿は判然としないが、その中にある瞳は煌々と赤い。その傍にいるのは、お団子の髪の少女だった。うずくまり、眼を硬く閉じている。時々身体をびくりと痙攣させては眼と同じく引き結んだ唇を震わせる。
「母胎にいるエンブリオ……あれが我々の救うべきエンジェルだな?」
「救うってのは確かだが、胎児なんて可愛らしいもんじゃねえ。ありゃ、今にも煮殺される雛鳥だ」
『アイアムゴッド』御堂 轟斗(CL2000034)の呟き。軽く首を振り、苦々しい顔で『ゴシップ記者』風祭・誘輔(CL2001092)はそれに応える。東南アジアにはバロット、ホヴィロンという料理がある。孵化する前のくちばしや羽根の揃っている雛鳥を卵ごと茹でる料理だ。グロテスクな外見ではあるが、味は悪くないらしい。しかし、目の前で妖によって行われている少女を使ったそのパロディはあまりに醜悪だった。自然と誘輔は拳を握り締める。それに呼応するように力がこもる。轟斗もまた同じだ。
「ヒーロー、っていうか、お姫様みたいですねっ。眼を閉じてちゃこの光も分からないかもですっ」
「お姫様かどうかは、割れば分かるって。あの吉上さんって人のこと、分からないわけじゃないからな」
まばゆい光を放って、『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)は覚者としての姿を見せる。浅葱の言葉に、『ヒーロー志望』成瀬 翔(CL2000063)は苦笑する。同じく正義の味方を志す二人ではあるが、その味方には多少の食い違いはあった。とはいえ、その価値観の擦り合わせの時間は無い。
その背後、『Little Flag』守衛野 鈴鳴(CL2000222)は不安げにその障壁を見る。賀茂 たまき(CL2000994)は鈴鳴の様子に気付いて、自身の身体に力を充填させることを一旦止め、首を傾げる。
「ああ、いえ。あの障壁、なんというか妖だけじゃなくて……」
「あの子の心の壁みたい、ですか?」
心の中を言い当てるようなたまきの言葉に、鈴鳴は一瞬驚くが、強く頷いた。覚者達が感じる、障壁と重なる卵の殻のイメージ。誘輔達の感じる閉じ込められ、殺される雛鳥。そしてたまきと鈴鳴の感じた、孵化を拒み、孤独な死に沈む雛鳥。その認識は、どちらも正しい。
「どっちにしても、見過ごしてはおけないよね。センパイとしても、人としても」
覚者たちの言葉を聞きながら、『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)はたゆたう少女と妖が覚者達を見たことに気付き、全身に力を漲らせる。全員が頷いた。
「まだ間に合うんなら、生煮えにもさせてやるもんか。turn up to work!」
ハードボイルドなタフガイの如く振る舞いつつも、『コルトは俺のパスポート』ハル・マッキントッシュ(CL2000504)の手は微かに震えている。それを打ち消すかのように、ソフトボイルドな彼は己を奮い立たせるように声を張り上げ、ガンスピンの後に.45口径の銃口を妖、その障壁へと構えた。
静かな河川敷に発砲音が響く。
●目覚めよと声が聞こえ
妖は球体に包まれたまま、ふわり、ふわりと覚者達へと近づいてゆく。素早い二連射(ダブルタップ)が障壁にぶつかる。障壁が石を放り込んだ水面のように波紋を生み出し、やがて消えた。
「厄介だな。固いだけならまだしも、衝撃を殺すと来た」
ハルの放った弾丸が、回転を失い地面に転がったのを見て、誘輔が舌打ちをする。
「だったら! 後輩ちゃん、そろそろ起きる時間だよっ!」
禊が強く地面を蹴った。妖と殻に障壁に一気に肉薄し、寸前で跳躍。すかさず炎を宿した足を高く振り上げ、落下の勢いを乗せて踵を振り下ろす。激しい音が響き、殻がわずかに揺れる。蹴りそのものの手応えこそ無いが、纏う炎が障壁に干渉していることが分かる。
その直後。
「っ、うぁっ!」
障壁を一瞬覆った炎が、禊へと帰る。彼女の操る炎が彼女の身を焼かんとするように足に絡みつき、禊は苦痛に歯を食いしばる。殻の中の少女は、未だに歯を食いしばり、眼を硬く閉じている。
「そろそろ起きたらどうだ! 夢ン中じゃなんも出来ねぇじゃん!」
続けざまに翔は、彼女の心へ届けと言わんばかりに叫び、手にしたスマートフォンをかざす。暗い画面から吐き出される波動。対象を貫く弾丸も、障壁で止まる。障壁にノイズが走り、やがて衝撃が翔にも飛ぶ。衝撃を受けた瞬間、翔は声を聞いた気がした。
『タス――。――ケテ』
ブリーフィングで見た写真の快活さとはかけはなれた、まるで仄暗い水の底から響いて来るような声。孤独と怯え。
「一気に叩くぞ、反撃にビビるんじゃねぇぞ!」
「無論だとも! エンジェルを救うためのペインなど、至高のディライト!」
誘輔が地面に手をかざす。一瞬遅れて地面が隆起し、岩の柱がふわふわと浮かぶ妖と光の障壁の行動を封じつつ下から突き上げる。障壁に激突した瞬間、誘輔の真横から石の柱が付き上がる。鋭い切っ先が彼の頬を裂く。その石の柱を蹴って轟斗が一気に障壁へと駆ける。炎を宿した拳を力強く障壁、禊が攻撃を加えた部位に叩き付ける。障壁にもう一度ノイズが走る。炎が轟斗の腕を灼く。それでも彼は勢いを殺さずに殴り抜く。
「無理はしないでくださいね!」
たまきが術符を轟斗へかざす。仄かに明るいオーラがヴェールのように彼を覆う。それは妖の作り出す障壁にも似ているが、その本質は大きく異なる。閉じ込めるものではなく、轟斗が力を発揮する支えとなるものだ。
「いずれ殻は破れるものっ。雛は孵るものですっ!」
轟斗が間合いを取ったのを見て、すかさず穴を埋めるように浅葱がそこに、障壁の正面へと立ちはだかり、拳を全力で叩き付ける。そのどちらも、まるでゴムまりを殴った時のような、威力を殺されていると分かるものだった。
妖が、すうと腕のようなものを動かした。腕と言うにはあまりにも細く、色も人や見慣れた動物のものとはかけ離れているが、そう形容するしかない。それを見た瞬間、鈴鳴が叫ぶ。
「皆さん、下がって!」
覚者達が反応するより早く前に立つ覚者の周囲を取り囲むように揺らぐ。その陽炎の外に出る間も無く、火柱が吹き上がり覚者達を焼く。轟斗の周囲の炎が、妖の障壁へと牙を剥いた。
「……洒落にならない、けれどっ! 俺だけじゃ追いつかねぇ。回復、頼むぜ」
「分かりました。出来る事なら何でも!」
ハルが炎に焼かれ膝を着く覚者を見て一瞬怯む。しかし、かぶりを振り、落ち着きを取り戻す。その顔は男のそれだ。ダメージのかさむ禊へ駆け寄り、癒しの滴を振りまく。鈴鳴も頷いてフラッグを軽く振るう、ハルのものよりもさらに広範に治癒を行う。
「っつう……でも、声は届いてる! 俺たちに気付いてる、だろ? そろそろ眼を開けたらどうだ!」
翔が煤だらけの顔で、障壁の向こうの少女へと叫ぶ。
声が届いてか、それとも先程から繰り返される攻撃の衝撃でか、ゆっくりと少女が瞼を開ける。その眼はどこか虚ろだ。しかし、そこには微睡みのような、心地の良さは見えない。微かに、少女の唇が動いた。覚者たちにはこう動いたように見える。
コ・ナ・イ・デと。
彼女が唇を震わせたのに呼応して、薄れかかった障壁がゆっくりと強固さを取り戻してゆく。
●わたしは、ここにいる
「ようやくお目覚めか、エンジェル! 待っていたまえ。すぐにそのシェルを砕いて見せよう!」
眼を開いた少女に真っ先に反応したのは轟斗だった。ところどころ火傷しながらも、歓喜に打ち震えているかのように、大仰な態度は崩れない。手に炎を宿した轟斗を見て、少女はふるふると首を振った。その表情に見えるのは、全てから隔絶された安全な殻を壊されることへの恐怖。そして、ほんのわずか、覚者達への縋るような希望。
「来ないでって……出来る訳ないでしょう!」
決して浅くない怪我を負いつつも、彼女の意志にも挫けた様子は見えない。再度脚に炎を宿し、障壁へと鋭い蹴りを見舞う。
「未来の可愛い後輩、放っておけないでしょう!」
蹴った先から、炎が禊にも牙を剥く。炎に晒されても、彼女の意志は揺らがない。
少女が破綻者特有の虚ろな眼を見開いた。さらに強く首を振る。
「何? 出たくないと。バカを言いたまえ。そんなゴーストと一緒にいて楽しいものか。悩みが解決するものか。エンジェル、ユーのソウルに正直になれ!」
轟斗が炎を宿した拳を思い切り振るう。己の身が燃えるのも構わず、ひたすらにまっすぐな拳が障壁を叩く。徐々に、障壁にヒビが入る。
『来ないでって言ったのに。あなたたちは、どうしてそこまで……』
翔に、先程よりもはるかに鮮明な声が聞こえる。翔は小さく笑った。
「言ったじゃんか。助けてって。それに、ヒーローが孤独なんて誰が決めた。悲劇のヒーロー、放っておけるか?」
障壁の向こう、吉上光は小さく笑い返した。障壁に徐々に、ヒビが入る。
「殻が、どんどん弱くなっています!」
後方で様子を伺っている鈴鳴が快哉の声を上げる。まだ早いとは分かりつつも、少女を救う手立てが見えたことで覚者達の心は嫌が応にも湧きたつ。
「ったく。世話が焼ける……させるか!」
障壁のヒビが徐々に修復されるのを見て誘輔が思い切り貫手を繰り出し、ふさがりつつある障壁を突き破る。そのままにもう一方の手を差し込み、力任せに障壁をこじ開けようとする。障壁の断面は思いのほか鋭く、誘輔の商売道具である両手には血が滲む。
力づくで、本来は想定されていないような無茶によってこじ開けられた隙間は、4~50センチほど。全体から見れば致命的とは行かない。しかし、少女一人が抜け出すには十分すぎるほど。
「手を伸ばしてください! あなたがそこにいるのなら!」
少女がゆっくりと障壁をこじ開ける誘輔を、手を伸ばすたまきを見た。光はまだ自分の力を理解していない。気持ちの整理がついていない。けれど、彼ら八人の覚者を前に、ようやく自分が一人では無いことに気が付いた。
「わっとと」
「正義の味方を助ける正義の味方がいても、悪くは無いでしょうっ?」
障壁の枷を抜け、重力という枷に囚われて落下する少女を支え、バランスを崩したたまきを浅葱が支える。彼女を立たせ、光をお姫さまだっこの要領で抱え、後ろへと下がる。
キィキィと妖が不愉快な鳴き声を立てる。面白い見世物――珍しい夢見の因子を持つ覚者が狂いながら死んでゆく様を間近で見れなくなったことへの怒りを隠そうともしない。
妖を覆っていた殻が不自然にたわむ。そして、障壁が一気に割れた。熱を持たない爆弾があれば、今の減少の様なものだろう。割れた殻の一つ一つが鋭い刃物となって、高速で飛び、浅葱の助けを借りて後ろへ下がる光へと殺到する。それを見て浅葱は光を前へ押し、自身の背中を妖に晒す。全身に力を込め、やがて来るであろう苦痛へ備える。
「させるかっ!」
その射線に割って入るように、翔が地面を蹴り、大の字になってその身を盾とする。あちこちに形の無い破片が突き刺さり、全身に走る鋭い剃刀で刻まれているような苦痛に耐える。破片の嵐が過ぎ去り、全身を真っ赤にした翔が立っていた。その口許に浮かぶのは、僅かな笑み。
「あと……よろしくな」
朝露の残る河川敷の草むらに、翔はあおむけに倒れる。その背後には、西部劇のガンマンの如くニヒルな笑みを浮かべコルトを構えるハルの姿。照準は過たずに、破れた障壁の向こうの妖に向けられている。
慌てて障壁を復活させようとするが、もう遅い。
「Bull`s eyeだ。この距離なら外しようがないぜ」
宣言通り、1発の45口径弾がローブの奥に輝く妖の眼、その一つを撃ち抜いた。それと同時に障壁が完全に消え去る。キィキィと耳障りな声を立てながら、妖は地面にボテリと落ちてもがいている。霧が晴れるように、妖のローブが溶けて行った。
残っているのは、醜い節足動物のような何か。
「こんな奴に……」
静かな怒りを発散させながら、禊は炎を宿した足を振り上げ、思い切り踏み潰す。 あっけない幕切れだった。
●産声
せかせかと鈴鳴とハルが負傷した覚者たちの手当てに奔走している。その様子を、座り込んだ光はぼんやりと見ていた。その横にたまきは座り、様子を見ている。
「落ち着きましたか? えっと……」
「吉上光。好きな風に呼んでもいいよ……実は、まだ夢を見ているみたいでさ。なんというか、分かんないんだ。今までの事も、未来が分かるってのも夢だったら……」
「残念ながら、夢ではないんですっ。現実だという保障の話、聞きますか?」
どこか突き放すように言うのは、浅葱だった。他の覚者達も、彼女の周囲にいる。
気遣うような視線の中で、光は頷いた。
ある者は坂に寝転がり、ある者は座り込んで彼らは大雑把に覚者のこと、F.i.v.eの事を説明する。光がこんな状況になっていることに気が付いた理由も。機密に触れないよう十分な配慮も忘れてはいない。光はぽつりと呟く。
「……なんで、そんな凄い事を私に話すんですか?」
「それは――」
アンタが夢見だからだ。誘輔はそう言う事を出来なかった。彼女にズバッと事実を突きつけられないことに一瞬驚き、そして答えに行き当たり、思わず苦笑を漏らす。
「私の事はもう大丈夫です、誰にも言いませんから。聞いたこと、見たこと全部」
答えに淀む誘輔を見て、光はゆっくりと立ちあがろうとする。その拍子に、ポケットからストラップが滑り落ちる。
「まあ待ちたまえ、エンジェルよ。落とし物だ。む? これは――」
「何でもありません。何でもありませんから!」
「ああ、すまないエンジェル! 無粋だったかな?」
「そうじゃなくて! 後、エンジェルでもないです!」
ストラップを拾い上げた轟斗がしげしげとそれを見る。古い特撮ドラマに出て来るヒーローの姿によく似ている。気付いた光が思い切りひったくった。その顔はほんの少し赤い。そのストラップを見て、翔は笑う。
「あ、それ知ってるぜ。俺もけっこー好きだったよ」
「いや、あの。これは――」
「でも、途中の話とかさ、見てて辛かったよな。そのヒーロー、周りに打明けられる人が誰もいなくて、一人ぼっちでさ。だから、俺は戦隊もののが好きだな。みんなのが協力して、時にぶつかり合って、色んなことを分かち合ってさ」
何気ない翔の言葉。それを聞いて光は眼を見開いた。
「そうです。光さんは一人ぼっちじゃないってこと、伝えたかったんです。相談とか、なんでも乗れるって。そうですよね?」
「……あ、ああ。そうだ。今まで通りに戻るんなら、悪く言うつもりはねえがな。だが、そういうのも悪かねえだろう」
鈴鳴がすかさず誘輔に話を振る。誘輔は首を軽く押さえながら苦笑する。
「よかったら、何でも、話してください。きっと、力になれると思うんです。どんなに小さなことでも、どんなに大きなことでも、受け止めます」
たまきが、光を正面から見据える。その視線を逸らすことが出来ず、ストラップを握り締めながら、光はぽつり、ぽつりと語る。
「正義の味方に、なりたかったんです。未来予知とかって、定番じゃないですか。だから、ちょっと得意になって。でも、夢がどんどん現実になってて。人が死んじゃったり、不自然なことが起きてたり。でも、私みたいなのだけじゃどうにもできなくて。さっきのだって、夢に見ていて。でも、どうしようもなく恐くて。これ以上変えられない未来を見続けるくらいならって……」
話している内容は断片的で要領を得ないものだった。しかし、その語りこそが彼女の抱えていたものであることは誰の眼にも明らかだった。
「私は、みんなみたいに怪我をしてまで戦おうなんて勇気も無くて――」
「普通はそんなもんだ。俺も、正直ないからな」
どんどん声が沈んでゆく光の言葉を遮って、ハルが言う。それに面食らったように光は彼の方を向いた。
「俺だってホントは泣きそうだったよ。銃弾は聞かない。力は跳ね返される。どうなることかと思ったよ。この力が使えるようになった時もどうしようかって思ったし、初仕事の時も。それでも食らいつけてるのは多分、みんな同じだからだ」
ハルは気恥ずかしそうに言う。視線は伏せ、クルクルと安全装置を掛けた銃を弄んでいる。しかし、その口許には笑みがあった。
「無理に戦う必要など無いのですよ。ノーブレス・オブリージュなどは幻想なのです」
そう言って、浅葱は小さく付け加える。”決めるのはあなたです”と。
ぽかんとしている光を、そっとたまきが抱きしめる。彼女の胸に顔を埋めるような形になって、呆気に取られている。みじろぎをしない光の背に、禊が声をかける。
「戦うだけがヒーローの出来る事じゃないよ。それに、あなたの夢は、正義のヒーローも、儚い夢物語なんかじゃない。叶えられない滑稽な笑い話でもない。どんな選択をしても、それだけは忘れないで」
「けれど、よろしければ、あなたの見る悪夢を変える手伝いをさせてください」
静寂が訪れた。ややあって、光のすすり泣く声が聞こえる。やがてすすり泣きは鳴き声へと変わった。生まれ落ちた雛の産声のように。
「うう……うああ………うわあああああああん」
日の出がやさしく覚者達を照らす。霧は晴れ、もうすぐ日常が戻る。新たなる日常が始まる。
夜と言うには些か過ぎていて、そして、日の出にもまだ早い時間だった。薄く霧がかった五麟市の河原を、ひとつの球体がたゆたっていた。中にいるのは黒いローブに身を包んだ妖。容姿は判然としないが、その中にある瞳は煌々と赤い。その傍にいるのは、お団子の髪の少女だった。うずくまり、眼を硬く閉じている。時々身体をびくりと痙攣させては眼と同じく引き結んだ唇を震わせる。
「母胎にいるエンブリオ……あれが我々の救うべきエンジェルだな?」
「救うってのは確かだが、胎児なんて可愛らしいもんじゃねえ。ありゃ、今にも煮殺される雛鳥だ」
『アイアムゴッド』御堂 轟斗(CL2000034)の呟き。軽く首を振り、苦々しい顔で『ゴシップ記者』風祭・誘輔(CL2001092)はそれに応える。東南アジアにはバロット、ホヴィロンという料理がある。孵化する前のくちばしや羽根の揃っている雛鳥を卵ごと茹でる料理だ。グロテスクな外見ではあるが、味は悪くないらしい。しかし、目の前で妖によって行われている少女を使ったそのパロディはあまりに醜悪だった。自然と誘輔は拳を握り締める。それに呼応するように力がこもる。轟斗もまた同じだ。
「ヒーロー、っていうか、お姫様みたいですねっ。眼を閉じてちゃこの光も分からないかもですっ」
「お姫様かどうかは、割れば分かるって。あの吉上さんって人のこと、分からないわけじゃないからな」
まばゆい光を放って、『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)は覚者としての姿を見せる。浅葱の言葉に、『ヒーロー志望』成瀬 翔(CL2000063)は苦笑する。同じく正義の味方を志す二人ではあるが、その味方には多少の食い違いはあった。とはいえ、その価値観の擦り合わせの時間は無い。
その背後、『Little Flag』守衛野 鈴鳴(CL2000222)は不安げにその障壁を見る。賀茂 たまき(CL2000994)は鈴鳴の様子に気付いて、自身の身体に力を充填させることを一旦止め、首を傾げる。
「ああ、いえ。あの障壁、なんというか妖だけじゃなくて……」
「あの子の心の壁みたい、ですか?」
心の中を言い当てるようなたまきの言葉に、鈴鳴は一瞬驚くが、強く頷いた。覚者達が感じる、障壁と重なる卵の殻のイメージ。誘輔達の感じる閉じ込められ、殺される雛鳥。そしてたまきと鈴鳴の感じた、孵化を拒み、孤独な死に沈む雛鳥。その認識は、どちらも正しい。
「どっちにしても、見過ごしてはおけないよね。センパイとしても、人としても」
覚者たちの言葉を聞きながら、『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)はたゆたう少女と妖が覚者達を見たことに気付き、全身に力を漲らせる。全員が頷いた。
「まだ間に合うんなら、生煮えにもさせてやるもんか。turn up to work!」
ハードボイルドなタフガイの如く振る舞いつつも、『コルトは俺のパスポート』ハル・マッキントッシュ(CL2000504)の手は微かに震えている。それを打ち消すかのように、ソフトボイルドな彼は己を奮い立たせるように声を張り上げ、ガンスピンの後に.45口径の銃口を妖、その障壁へと構えた。
静かな河川敷に発砲音が響く。
●目覚めよと声が聞こえ
妖は球体に包まれたまま、ふわり、ふわりと覚者達へと近づいてゆく。素早い二連射(ダブルタップ)が障壁にぶつかる。障壁が石を放り込んだ水面のように波紋を生み出し、やがて消えた。
「厄介だな。固いだけならまだしも、衝撃を殺すと来た」
ハルの放った弾丸が、回転を失い地面に転がったのを見て、誘輔が舌打ちをする。
「だったら! 後輩ちゃん、そろそろ起きる時間だよっ!」
禊が強く地面を蹴った。妖と殻に障壁に一気に肉薄し、寸前で跳躍。すかさず炎を宿した足を高く振り上げ、落下の勢いを乗せて踵を振り下ろす。激しい音が響き、殻がわずかに揺れる。蹴りそのものの手応えこそ無いが、纏う炎が障壁に干渉していることが分かる。
その直後。
「っ、うぁっ!」
障壁を一瞬覆った炎が、禊へと帰る。彼女の操る炎が彼女の身を焼かんとするように足に絡みつき、禊は苦痛に歯を食いしばる。殻の中の少女は、未だに歯を食いしばり、眼を硬く閉じている。
「そろそろ起きたらどうだ! 夢ン中じゃなんも出来ねぇじゃん!」
続けざまに翔は、彼女の心へ届けと言わんばかりに叫び、手にしたスマートフォンをかざす。暗い画面から吐き出される波動。対象を貫く弾丸も、障壁で止まる。障壁にノイズが走り、やがて衝撃が翔にも飛ぶ。衝撃を受けた瞬間、翔は声を聞いた気がした。
『タス――。――ケテ』
ブリーフィングで見た写真の快活さとはかけはなれた、まるで仄暗い水の底から響いて来るような声。孤独と怯え。
「一気に叩くぞ、反撃にビビるんじゃねぇぞ!」
「無論だとも! エンジェルを救うためのペインなど、至高のディライト!」
誘輔が地面に手をかざす。一瞬遅れて地面が隆起し、岩の柱がふわふわと浮かぶ妖と光の障壁の行動を封じつつ下から突き上げる。障壁に激突した瞬間、誘輔の真横から石の柱が付き上がる。鋭い切っ先が彼の頬を裂く。その石の柱を蹴って轟斗が一気に障壁へと駆ける。炎を宿した拳を力強く障壁、禊が攻撃を加えた部位に叩き付ける。障壁にもう一度ノイズが走る。炎が轟斗の腕を灼く。それでも彼は勢いを殺さずに殴り抜く。
「無理はしないでくださいね!」
たまきが術符を轟斗へかざす。仄かに明るいオーラがヴェールのように彼を覆う。それは妖の作り出す障壁にも似ているが、その本質は大きく異なる。閉じ込めるものではなく、轟斗が力を発揮する支えとなるものだ。
「いずれ殻は破れるものっ。雛は孵るものですっ!」
轟斗が間合いを取ったのを見て、すかさず穴を埋めるように浅葱がそこに、障壁の正面へと立ちはだかり、拳を全力で叩き付ける。そのどちらも、まるでゴムまりを殴った時のような、威力を殺されていると分かるものだった。
妖が、すうと腕のようなものを動かした。腕と言うにはあまりにも細く、色も人や見慣れた動物のものとはかけ離れているが、そう形容するしかない。それを見た瞬間、鈴鳴が叫ぶ。
「皆さん、下がって!」
覚者達が反応するより早く前に立つ覚者の周囲を取り囲むように揺らぐ。その陽炎の外に出る間も無く、火柱が吹き上がり覚者達を焼く。轟斗の周囲の炎が、妖の障壁へと牙を剥いた。
「……洒落にならない、けれどっ! 俺だけじゃ追いつかねぇ。回復、頼むぜ」
「分かりました。出来る事なら何でも!」
ハルが炎に焼かれ膝を着く覚者を見て一瞬怯む。しかし、かぶりを振り、落ち着きを取り戻す。その顔は男のそれだ。ダメージのかさむ禊へ駆け寄り、癒しの滴を振りまく。鈴鳴も頷いてフラッグを軽く振るう、ハルのものよりもさらに広範に治癒を行う。
「っつう……でも、声は届いてる! 俺たちに気付いてる、だろ? そろそろ眼を開けたらどうだ!」
翔が煤だらけの顔で、障壁の向こうの少女へと叫ぶ。
声が届いてか、それとも先程から繰り返される攻撃の衝撃でか、ゆっくりと少女が瞼を開ける。その眼はどこか虚ろだ。しかし、そこには微睡みのような、心地の良さは見えない。微かに、少女の唇が動いた。覚者たちにはこう動いたように見える。
コ・ナ・イ・デと。
彼女が唇を震わせたのに呼応して、薄れかかった障壁がゆっくりと強固さを取り戻してゆく。
●わたしは、ここにいる
「ようやくお目覚めか、エンジェル! 待っていたまえ。すぐにそのシェルを砕いて見せよう!」
眼を開いた少女に真っ先に反応したのは轟斗だった。ところどころ火傷しながらも、歓喜に打ち震えているかのように、大仰な態度は崩れない。手に炎を宿した轟斗を見て、少女はふるふると首を振った。その表情に見えるのは、全てから隔絶された安全な殻を壊されることへの恐怖。そして、ほんのわずか、覚者達への縋るような希望。
「来ないでって……出来る訳ないでしょう!」
決して浅くない怪我を負いつつも、彼女の意志にも挫けた様子は見えない。再度脚に炎を宿し、障壁へと鋭い蹴りを見舞う。
「未来の可愛い後輩、放っておけないでしょう!」
蹴った先から、炎が禊にも牙を剥く。炎に晒されても、彼女の意志は揺らがない。
少女が破綻者特有の虚ろな眼を見開いた。さらに強く首を振る。
「何? 出たくないと。バカを言いたまえ。そんなゴーストと一緒にいて楽しいものか。悩みが解決するものか。エンジェル、ユーのソウルに正直になれ!」
轟斗が炎を宿した拳を思い切り振るう。己の身が燃えるのも構わず、ひたすらにまっすぐな拳が障壁を叩く。徐々に、障壁にヒビが入る。
『来ないでって言ったのに。あなたたちは、どうしてそこまで……』
翔に、先程よりもはるかに鮮明な声が聞こえる。翔は小さく笑った。
「言ったじゃんか。助けてって。それに、ヒーローが孤独なんて誰が決めた。悲劇のヒーロー、放っておけるか?」
障壁の向こう、吉上光は小さく笑い返した。障壁に徐々に、ヒビが入る。
「殻が、どんどん弱くなっています!」
後方で様子を伺っている鈴鳴が快哉の声を上げる。まだ早いとは分かりつつも、少女を救う手立てが見えたことで覚者達の心は嫌が応にも湧きたつ。
「ったく。世話が焼ける……させるか!」
障壁のヒビが徐々に修復されるのを見て誘輔が思い切り貫手を繰り出し、ふさがりつつある障壁を突き破る。そのままにもう一方の手を差し込み、力任せに障壁をこじ開けようとする。障壁の断面は思いのほか鋭く、誘輔の商売道具である両手には血が滲む。
力づくで、本来は想定されていないような無茶によってこじ開けられた隙間は、4~50センチほど。全体から見れば致命的とは行かない。しかし、少女一人が抜け出すには十分すぎるほど。
「手を伸ばしてください! あなたがそこにいるのなら!」
少女がゆっくりと障壁をこじ開ける誘輔を、手を伸ばすたまきを見た。光はまだ自分の力を理解していない。気持ちの整理がついていない。けれど、彼ら八人の覚者を前に、ようやく自分が一人では無いことに気が付いた。
「わっとと」
「正義の味方を助ける正義の味方がいても、悪くは無いでしょうっ?」
障壁の枷を抜け、重力という枷に囚われて落下する少女を支え、バランスを崩したたまきを浅葱が支える。彼女を立たせ、光をお姫さまだっこの要領で抱え、後ろへと下がる。
キィキィと妖が不愉快な鳴き声を立てる。面白い見世物――珍しい夢見の因子を持つ覚者が狂いながら死んでゆく様を間近で見れなくなったことへの怒りを隠そうともしない。
妖を覆っていた殻が不自然にたわむ。そして、障壁が一気に割れた。熱を持たない爆弾があれば、今の減少の様なものだろう。割れた殻の一つ一つが鋭い刃物となって、高速で飛び、浅葱の助けを借りて後ろへ下がる光へと殺到する。それを見て浅葱は光を前へ押し、自身の背中を妖に晒す。全身に力を込め、やがて来るであろう苦痛へ備える。
「させるかっ!」
その射線に割って入るように、翔が地面を蹴り、大の字になってその身を盾とする。あちこちに形の無い破片が突き刺さり、全身に走る鋭い剃刀で刻まれているような苦痛に耐える。破片の嵐が過ぎ去り、全身を真っ赤にした翔が立っていた。その口許に浮かぶのは、僅かな笑み。
「あと……よろしくな」
朝露の残る河川敷の草むらに、翔はあおむけに倒れる。その背後には、西部劇のガンマンの如くニヒルな笑みを浮かべコルトを構えるハルの姿。照準は過たずに、破れた障壁の向こうの妖に向けられている。
慌てて障壁を復活させようとするが、もう遅い。
「Bull`s eyeだ。この距離なら外しようがないぜ」
宣言通り、1発の45口径弾がローブの奥に輝く妖の眼、その一つを撃ち抜いた。それと同時に障壁が完全に消え去る。キィキィと耳障りな声を立てながら、妖は地面にボテリと落ちてもがいている。霧が晴れるように、妖のローブが溶けて行った。
残っているのは、醜い節足動物のような何か。
「こんな奴に……」
静かな怒りを発散させながら、禊は炎を宿した足を振り上げ、思い切り踏み潰す。 あっけない幕切れだった。
●産声
せかせかと鈴鳴とハルが負傷した覚者たちの手当てに奔走している。その様子を、座り込んだ光はぼんやりと見ていた。その横にたまきは座り、様子を見ている。
「落ち着きましたか? えっと……」
「吉上光。好きな風に呼んでもいいよ……実は、まだ夢を見ているみたいでさ。なんというか、分かんないんだ。今までの事も、未来が分かるってのも夢だったら……」
「残念ながら、夢ではないんですっ。現実だという保障の話、聞きますか?」
どこか突き放すように言うのは、浅葱だった。他の覚者達も、彼女の周囲にいる。
気遣うような視線の中で、光は頷いた。
ある者は坂に寝転がり、ある者は座り込んで彼らは大雑把に覚者のこと、F.i.v.eの事を説明する。光がこんな状況になっていることに気が付いた理由も。機密に触れないよう十分な配慮も忘れてはいない。光はぽつりと呟く。
「……なんで、そんな凄い事を私に話すんですか?」
「それは――」
アンタが夢見だからだ。誘輔はそう言う事を出来なかった。彼女にズバッと事実を突きつけられないことに一瞬驚き、そして答えに行き当たり、思わず苦笑を漏らす。
「私の事はもう大丈夫です、誰にも言いませんから。聞いたこと、見たこと全部」
答えに淀む誘輔を見て、光はゆっくりと立ちあがろうとする。その拍子に、ポケットからストラップが滑り落ちる。
「まあ待ちたまえ、エンジェルよ。落とし物だ。む? これは――」
「何でもありません。何でもありませんから!」
「ああ、すまないエンジェル! 無粋だったかな?」
「そうじゃなくて! 後、エンジェルでもないです!」
ストラップを拾い上げた轟斗がしげしげとそれを見る。古い特撮ドラマに出て来るヒーローの姿によく似ている。気付いた光が思い切りひったくった。その顔はほんの少し赤い。そのストラップを見て、翔は笑う。
「あ、それ知ってるぜ。俺もけっこー好きだったよ」
「いや、あの。これは――」
「でも、途中の話とかさ、見てて辛かったよな。そのヒーロー、周りに打明けられる人が誰もいなくて、一人ぼっちでさ。だから、俺は戦隊もののが好きだな。みんなのが協力して、時にぶつかり合って、色んなことを分かち合ってさ」
何気ない翔の言葉。それを聞いて光は眼を見開いた。
「そうです。光さんは一人ぼっちじゃないってこと、伝えたかったんです。相談とか、なんでも乗れるって。そうですよね?」
「……あ、ああ。そうだ。今まで通りに戻るんなら、悪く言うつもりはねえがな。だが、そういうのも悪かねえだろう」
鈴鳴がすかさず誘輔に話を振る。誘輔は首を軽く押さえながら苦笑する。
「よかったら、何でも、話してください。きっと、力になれると思うんです。どんなに小さなことでも、どんなに大きなことでも、受け止めます」
たまきが、光を正面から見据える。その視線を逸らすことが出来ず、ストラップを握り締めながら、光はぽつり、ぽつりと語る。
「正義の味方に、なりたかったんです。未来予知とかって、定番じゃないですか。だから、ちょっと得意になって。でも、夢がどんどん現実になってて。人が死んじゃったり、不自然なことが起きてたり。でも、私みたいなのだけじゃどうにもできなくて。さっきのだって、夢に見ていて。でも、どうしようもなく恐くて。これ以上変えられない未来を見続けるくらいならって……」
話している内容は断片的で要領を得ないものだった。しかし、その語りこそが彼女の抱えていたものであることは誰の眼にも明らかだった。
「私は、みんなみたいに怪我をしてまで戦おうなんて勇気も無くて――」
「普通はそんなもんだ。俺も、正直ないからな」
どんどん声が沈んでゆく光の言葉を遮って、ハルが言う。それに面食らったように光は彼の方を向いた。
「俺だってホントは泣きそうだったよ。銃弾は聞かない。力は跳ね返される。どうなることかと思ったよ。この力が使えるようになった時もどうしようかって思ったし、初仕事の時も。それでも食らいつけてるのは多分、みんな同じだからだ」
ハルは気恥ずかしそうに言う。視線は伏せ、クルクルと安全装置を掛けた銃を弄んでいる。しかし、その口許には笑みがあった。
「無理に戦う必要など無いのですよ。ノーブレス・オブリージュなどは幻想なのです」
そう言って、浅葱は小さく付け加える。”決めるのはあなたです”と。
ぽかんとしている光を、そっとたまきが抱きしめる。彼女の胸に顔を埋めるような形になって、呆気に取られている。みじろぎをしない光の背に、禊が声をかける。
「戦うだけがヒーローの出来る事じゃないよ。それに、あなたの夢は、正義のヒーローも、儚い夢物語なんかじゃない。叶えられない滑稽な笑い話でもない。どんな選択をしても、それだけは忘れないで」
「けれど、よろしければ、あなたの見る悪夢を変える手伝いをさせてください」
静寂が訪れた。ややあって、光のすすり泣く声が聞こえる。やがてすすり泣きは鳴き声へと変わった。生まれ落ちた雛の産声のように。
「うう……うああ………うわあああああああん」
日の出がやさしく覚者達を照らす。霧は晴れ、もうすぐ日常が戻る。新たなる日常が始まる。

■あとがき■
参加ありがとうございます。文月遼、でした。「、」までが……そろそろくどいですか。
アラタナル初の全体イベントでしたが、夢見の説得、戦闘、どちらにも気合の入った素敵なプレイングをありがとうございます。少しでも多くプレイングが文章に反映できていれば、皆様のキャラクターの魅力を引き出すお手伝いができていれば幸いです。そして、夢見となるかもしれない彼女が皆様の心の隅で残ってくれれば、とも……
アラタナル初の全体イベントでしたが、夢見の説得、戦闘、どちらにも気合の入った素敵なプレイングをありがとうございます。少しでも多くプレイングが文章に反映できていれば、皆様のキャラクターの魅力を引き出すお手伝いができていれば幸いです。そして、夢見となるかもしれない彼女が皆様の心の隅で残ってくれれば、とも……
