とどかぬ母の子守唄
とどかぬ母の子守唄


⚫︎
 それは雨の日であった。

 降りしきる雨の中を男子学生が走っていた。部活で遅くなった帰り道を急ぎ、近道にと夜の廃墓地に入っていく。
「あの、この子に飴を頂けませんか?」
 聞こえた声に学生は足を止めた。雨音の中で異様に通った女性の声。振り向くと、やはり女性が一人、真っ黒な着物を雨に濡らして立っていた。まるで獣に噛み荒らされたかのような惨たらしい腕に赤ん坊らしきものを抱えて。その姿に学生の体が震える。本能的な危機感が警鐘を鳴らした。
「お願いです、この子に飴を」
 再びの声を、赤ん坊の泣き声が遮った。なんだやはり赤ん坊か、と学生は安堵に胸を撫で下ろす。そして、慌てて子守唄を紡ぎながら赤ん坊をあやす母親の姿に、学生は弄ったポケットから飴玉を差し出した。それに泣き声が、ぴたり、と止む。ゆっくりと此方を見た赤ん坊に、学生の息が詰まった。腐り果てた顔に突き出た牙、その中に光る血のような眼。
 次の瞬間、口の端から涎を飛ばしながら、それは学生へと食いかかった。

 雨音の中に、ただ悲鳴だけが木霊した。


⚫︎
「みんな、飴女の話は知ってるか?」
 切り出したのは久方相馬(nCL2000004)である。
「赤ん坊を残して亡くなっちまった母親が幽霊になって、飴を食わせて育ててたってもんなんだけど……」
「ああ、結構有名な怪談話だな。幽霊になった母親が、棺桶に入れて貰った六銭問で夜な夜な毎日一銭づつの飴を買っていたんだったな。それで、毎日飴を買いに来る女を不審に思った飴屋が、墓場まで後をつけて行ったら赤ん坊を見つけたって話だろ?」
 答えた覚者に、相馬は頷く。
「それは運が良かった飴女の話さ」
 この飴女は違うのだ。飴を買う銭がなくなり、しかし赤ん坊を見つけて貰える奇跡も起きず、ついには赤ん坊は餓死してしまった。飴女は嘆き悲しんだ。そんな母親の姿を見て、赤ん坊も成仏出来なかったのだろう。幼い魂は腐りゆく自分の体に留まり続けるうちに、よりにもよって運悪く妖化してしまったのだ。しかし全ては、母親の嘆きに応えたい一心から。
 再び泣き声を上げた異形の赤ん坊に、飴女は泣いた。喜び、それ以上に悔いて。妖となった赤ん坊は空腹と、空腹を満たせば母親が安心するのだという事だけを覚えているかのように、ただ母親が飴を求めた人間に喰いかかる化け物になっていたのだ。それを飴女は抑えた。その度に自由を束縛する腕を振り払おうと噛み付く変わり果てた姿。それでも飴女にとっては変わらない愛しい我が子なのだろう。だからこそ飴を求め続け、その度に噛み付かれ、終わる事の無い年月に古妖と化しても尚、飴女は飴を求め続けた。
 しかし妖の飢餓は満たされる事は無い。次第に抑える腕が痛みに緩み、呼び止めた人間が赤ん坊に喰われると知っても、飴女は満たされぬ我が子のために飴を求め続けたのだ。空腹に眠る事なく泣き叫ぶ妖を抱き締め、噛み付かれた傷が重なり、肉が発け、剥き出た骨を削られながらも。妖を抱きながら子守唄を紡ぎ続ける。ただ、赤ん坊が安心して眠れるようにと、悲しい悲しい子守唄を。

「子守唄は、あったかいもんだろ?」
 相馬は悲しそうに笑って見せた。

 今から向かえば、夢見の予知実現を食い止める事が出来る筈だ。
 だが気を付けて欲しい。生物系の妖は素早いうえ、妖を攻撃しようものなら飴女も尋常ならざる速さで襲いかかってくるだろう。しかし、どうにか古妖を説得して協力してもらえたのならば戦況は有利に進むかもしれない。

 どうか、この母と子に安らぎを与えて欲しい。
 


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:簡単
担当ST:九之重空太郎
■成功条件
1.妖の討伐
2.なし
3.なし
 九之重空太郎と申します。初めまして、もしくはβ振りで御座います。こっそりシナリオを置いて逝きます。


【現場】
⚫︎雨の降る人気の無い広い廃墓地。街灯などは無く、足元以外は何とか見える暗さです。それに加え煩い雨音。何か対策が無ければ先手を打たれる可能性があります。
⚫︎舗装のされていない土の足場は、雨にぬかるんでいます。雑草は腰丈まで茂り、墓石が無秩序に多く並んでいます。対策が無ければ反応速度に若干のペナルティがあります。

【状況】
 学生が来るまでには十二分な時間あり。妖は古妖と共におり、誰かが飴を持って近付けば姿を現します。

【敵情報】
飴 女 / 妖ランク2相当ーーーーーーーー
⚫︎裂爪………物近単[攻撃]
⚫︎子守唄……特味単[ダメ0][鈍化、麻痺]
(※説得成功時のみ使用)
(補足)常に妖を守りながら行動。まともに戦えば倒せるかどうか難しい。

妖 / 生物系、ランク1ーーーーーーーーー
⚫︎飢喰………物近単
⚫︎腐肉粘……特遠全[ダメ0][麻痺]
⚫︎目哀………特近単[ダメ0][負荷]
(補足)地面を這うように移動する。また常時混乱状態のため飴女も含めて全てが攻撃対象となっている。


 皆様のプレイングお待ちしております。
 
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
(0モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
5/8
公開日
2015年10月14日

■メイン参加者 5人■

『アフェッツオーソは触れられない』
御巫・夜一(CL2000867)
『見守り続ける者』
魂行 輪廻(CL2000534)


●しきる雨

 暗い道には止むことなく雨が降っていた。

 しきる雨の音を遮るものはない。ただ、遠くぼんやりと佇む不気味な墓地に明かりが五つ揺れていた。
(雨の日にこそ藤は映えるもの……なんてね)
 藤 咲(CL2000280)は、しとしとと冷たく濡れそぼる髪を、そっ、と梳いた。その隣で手にした飴を見つめる魂行 輪廻(CL2000534)。
「悲しい悲しい子守唄ねぇ……子供は居ないけど、同じ女としてはやっぱり少し気持ちは理解出来てしまうわねぇ……と言っても、見逃せる訳ではないのだけどねん」
「子を思う母の力は偉大、と言ったところか。子を奪うのは忍びないが知ってしまったのだから見過ごすことは出来んしな。気は進まないがやるしかないな」
 『アフェッツオーソは触れられない』御巫・夜一(CL2000867)も、やりきれなさそうに洩らした。そんな二人へ一度口を結んでから、悲痛な面持ちで離宮院・太郎丸(CL2000131)が応える。
「なんとか……なんとかしてあげる道を探したいです。今もなお悲しみの淵にいる母子に安らぎを与える事がボク達ならできるはずですっ」
(その為にも前へ、一歩踏み出せ太郎丸)
 自分に言い聞かせるように頷く太郎丸へ、『一縷乃』冷泉 椿姫(CL2000364)も小さく頷く。
「そうですね。その為にも、終わりの無い哀しみに終止符を打ってあげたいですね」
 ゆらゆらと傍らを飛ぶ伽羅も雨粒跳ね返る道を照らし出す。すらりと小太刀を抜いた椿姫は、まるで人目を阻むように茂る草を払いながら周囲を確認する。輪廻は飴を握った。いつ現れてもおかしくは無いのだ。覚者達は努めて静かに不気味な廃墓地の先へと進んでいく。
「夢見の話通り、あまり良くない足場ですわ」
 咲は、ぬかるみからブーツを引き抜くように上げた。夜一は地面へと手を翳す。
「この先十歩で少しは開けた場所に出るようだな。墓石が数個、その近くの土が柔らかい。あまり墓石により過ぎない方がいいだろう」
 更に正確な墓石の位置をひとしきり伝える夜一。土の心、この非戦能力は土に面する地形を読むことが出来るのだ。
「分かったわよん、ありがとねん夜一ちゃん」
 先を行く輪廻が僅かに笑み返る。地形の把握は今回の件へ有利に動くに違いない。
「さて、気に入ってもらえるかしらねん」
「きっと大丈夫ですわ」
 輪廻は飴を持つ掌を胸元で開いた。静かに懐中電灯をガバンへ仕舞った咲も、代わりに組み飴を取り出す。色鮮やかで子供が喜びそうな組み飴だ。目くばせで互いに頷くと、囮役の咲と輪廻が広がりへと向かう。椿姫と太郎丸、夜一は妖達に気付かれぬよう少しばかり離れた場所へと身を潜める。できればこの広がりの草も払いたかったが、あまり音を立てると飴女達に警戒されるかもしれない。吉備した椿姫は小太刀をそっと鞘へとしまう。現れるであろうか。三人が息を詰めて見守る中、雨に打たれながら、ゆったりと墓石の間を歩く輪廻と咲。冷たい秋雨が静まり返る墓地に、覚者達に刺すように叩きつく。
「あの」
 不意に聞こえた声に咲は足を止めた。飴を握りしめて、驚いたように輪廻が振り返る。いつのまに居たのか、そこには真っ黒な着物の女が立っていた。何かを抱きかかえているようだが、僅かな月明かりでは女の首までしか確認できない。突然、あたりに響き出した赤ん坊の泣き声に、覚者達は咄嗟に明かりを向けた。おくるみだ。女は血で染めたような真っ赤なおくるみを抱いている。
「あの、飴をいただけませんか?」




●酷な救いであろうとも

 覚者達は息を飲んだ。間違いない、飴女だ。
「こんにちは。素敵な雨の日ですわね」
 切り出したのは咲である。
「飴女さんが理解してくれるかどうかはわかりません」
 飴女達に気取られぬように太郎丸が呟いた。でも、と、太郎丸は曇りの無い眼で飴女を被り見み、
「これからボクたちが何をするのか、何のために闘うのかはわかってもらいたいです」
「……そうだな」
「伝えましょう、最期まで諦めずに私たちの気持ちを」
 決意の眼差しは雨の先を見つめた。雨音に混じる赤ん坊の泣き声が夜の墓地に反響する。
「飴を、飴をいただけませんか」
 泣き叫ぶ真っ赤なおくるみをあやしながら再び飴女が乞う。それに輪廻が数歩前へ出て小首を傾げる。もしもの事態に備え仲間への攻撃を受けるために。
「何故飴が欲しいのかしらん?」
「この子が、この子が……お腹を空かせているのです、どうかその飴を」
「飴……? えぇ、喜んで差し上げますわ」
 差し出された飴へ飴女の手が伸びてくる。夜一は頭の明かりの焦点を血の布抱く腕へと絞った。赤いおくるみが蠢いているのが見える。
「代わりにその御子を見せて頂けませんか。可愛い……変わり果てたその御子を」
 言うと同時であった。黒い牙が飴女の手を撥ね退けるように飛び出してきたのと、咄嗟に夜一が地を蹴ったのは。
「すみません、邪魔をします!」
 滑る様に黒い塊と飴女の間に入った夜一の体を蔵王の波動が覆う。輪廻の腕に鋭牙が減り込む。赤ん坊と言えど妖、輪廻は重い一撃に、いや、露わになった悍ましい姿に僅かに目を細めた。妖は振り払われた腕から泣き声を上げつつ草の中へと消える。
「こんなときに警報空間が使えれば……!」
 夜一は動き回る泣き声に歯がゆそうに眼を惑わせる。幸い、頭と胴に付けたライト、何より椿姫の伽羅のおかげで草の動きは確認できる。常に無い状況に、飴女は我が子の危機を感じ爪を振り上げた。それに咄嗟に爪の先へと身を呈した輪廻の一寸手前で爪が止まった。見ると、飴女は自らの腕を見ていた。腕の先を淡い光が包み込んでいる。椿姫の癒しの滴だ。肉塊と化した腕が癒えていく。驚きに視線を戻した飴女の前には、温かに光る手を翳して悲しげに笑む椿姫が居た。
「一緒に止めませんか? 幼い魂は貴女が苦しむのを、もう、見ていられない筈です。哀しい物語は……終わりにしましょう?」
(きっと私達だけで倒してしまえば、飴女さんも後悔することになるだろうから)
「……それは、この子を殺すという事ですか? どうして、どうして私からこの子を奪おうとするの……どうして、どうして!」
 真っ直ぐと椿姫を見る古妖の瞳が怒りに揺れている。
「赤ちゃんを本当の意味で貴方の元に戻したいから。傷つけられても、それでも子を愛おしく抱きしめる貴方の力になりたいから。だからボク達を信じてくださいっ。必ず貴方の元へ赤ちゃんを戻す事を約束しますっ。その為にボク達はここへ来たのですからっ」
 それに飴女はしばらくの沈黙後、僅かに癒された腕へと視線を移すと震える爪を静かに下ろした。少なくとも悪意がないことは伝わったようだ。
「魂行! そっちへ行くぞ!」
 掛けられた声に反射的に振り向いた輪廻の腕に牙が突き刺さる。夜一は引き離すように抑えにかかるも、千切れんばかりに捩じり向いた牙が肩へと噛みついた。その腐る頭へと小太刀が払われた。牽制に飛び退いた妖は、また草の中へと逃げる。
「ぐっ……!」
「御巫さん! 魂行君!」
 思わず回復の為に手を翳した椿姫へ、輪廻は首を振る。
「大丈夫、今まで被害に遭ってきた子達と、今もそこで苦しんでいるお母さんに比べたら掠り傷にも満たないわよん」
 体の痛みは勿論、その心の痛みに比べたら。言い終わらぬうちに再び飛び出してきた牙に、咄嗟に咲が腕を出して防いだ。噛みつく腐り果てた異形をスタッフで振り払う。
「赤ちゃんは貴女の嘆きで還ってきた……けれど、これはもう赤ちゃんと呼べる存在でしょうか? その自我を化物に飲み込まれ、姿形さえ変わり果てた、おぞましき愛し子を……貴女は見ていたいのですか? 泣いて。悔いて。貴女はその結末を再び繰り返すのですか?」
 その言葉に、飴女は頬を打たれた様に妖を、飢えに狂う我が子を見た。雨に濡れた顔が泣き出しそうに歪む。涎をまき散らしながら這い回っては噛みつく飢えた化け物。ふいに母の首元へと牙を突き出した妖を飛苦無が翳めた。愕然と瞳を揺らす飴女を気にも留めずに、奇声を発しながら飛び退る妖。
「お前の相手はオレだ」
 向けられた双眼に唸り声が響く。襲い来る牙に夜一と輪廻、咲は、夜一の懐中電灯と伽羅の明かりを頼りに草の動きへ目を配る。防戦一方、このままでは前衛がやられてしまうのも時間の問題だ。だが、もうひと押し。
「ねぇ、お母さん。貴女は気付いていますよね? どんなに我が子が愛おしくて―――正義に反しようと護りたいと思っても、もう、この子は既にこの世にいないということ。貴女がこの子の為に、本当にしてあげられることを」
 柔らかく優しく語りかける椿姫に、飴女は拒絶するように耳を塞ぐ。
「……だから、だから私はこの子の為に!」
「貴女がこの子を大事に思うあまりに手放せず、共に歩み少しでも安らげばと思っているのはわかります」
 母の叫びを遮り、獣の様に襲い来る妖に耐えながら夜一は続ける。
「ですが、その結果貴女は傷付いて数多の犠牲を生むことになっている。オレたちはそれを知ってしまった―――だから見過ごせない」
「何が分かるのですか……あなた達に私の、この子の気持ちの何が! お腹を空かせているのですよ! 死しても、泣き続けているのですよ! 私の、私のたった一人の赤ちゃんが……! 助けてあげなくては……私はこの子の母親なのですから!」
「貴女に母親としての情があるのなら、本当に子を思うのなら……この辛く、終わらない生を終わらせるのも親の勤めじゃないのか」
 静かに飴女から視線を移し、輪廻に向かった妖の体を掴む夜一。そのまま地面へと押さえつけるも、凄まじい力で暴れる四肢に弾かれる。怒り狂う成れの果て。
「本当は、貴女も納得した結果を迎えたいんだ」
「……納得……私は、今の私は……」
 見る間に飴女の顔が歪んでいく。目を逸らしていた気持ちを露わにされたかのように。軌道を変えて牙を剥く妖に腕を抉られながらも、輪廻はそんな飴女を見据えて諭すように囁いだ。
「親は、子の幸せを望むものよん。……例え、それが自分にとって、どんなに辛い選択であってもねん」
 飴女は声を詰まらせて俯いた。震える片手を片手で握りしめて、そして声にならない叫びを上げた。
「……貴女の手で殺めるのは酷な事だとも理解しております。だから私達が憎まれましょう」
「ああ、必要なら恨んでくれて結構。それで貴女とその子、これからの犠牲者が救えるのであれば、それでいい」
「救いたいものを救えるのならボクの身が削られる事に迷いはありませんから」
「けれど、せめて最期にその歌声を聞かせてあげてください。この子が、この子のまま逝けるように……」
 ふと、優しげな歌声が響いた。飴女は茫然と声を見る。
『ねんねんころりよ、おころりよ。坊やは良い子だ、ねんねしな』
 椿姫の声だ。泣きわめき走る妖へ、飴女へ語りかけるかのように歌っている。
「ねぇ、お母さん。貴女は、分かっていますよね? ―――――もう、休ませてあげましょう?」
 眠らぬ子を寝付かせるための子守唄、眠らぬ子を本当の意味で寝付かせる為の。飴女は胸元を握りしめて、また、叫んだのだった。




●赤く染まる雨

 辺りに響き始めた子守唄に、覚者達は飴女を見た。胸元を握りしめたまま、小さく口ずさんでいるのだ、子守唄を。それはこの世のものではない二重、三重にも重なった不況和音のようであった。
「良かったっ、分かってもらえたみたいですっ」
「終わらせてあげましょう、一刻も早く」
「ええ、その繋がる妄執を断ち切る為に」
「来るぞ」
 草が揺れた刹那、夜一へと飛び出してきた飢牙が噛みついた。その悍ましい眼からは何かが流れている。
「いま楽にしてあげるわよん」
 そっと呟きながら癒しの滴で自らを包み込む輪廻の後ろから、五織の彩を纏った拳が風を裂く。叩き飛ばされた妖は地面へと激突したが、再び草に隠れたまま走る様に這いずり回る。
「明かりで見える草の動きの先だ! 揺れの少し先から出てくるぞ!」
「いましたわ!」
 姿を現した妖に咲がB.O.T.を放った。妖は赤子の声で大きく悲鳴を上げる。次はどこからくるのか。身構える夜一と、さらに輪廻の傷を柔らかな霧が癒していく。
「魂行君、御巫さん、耐えて下さってありがとうございます」
 手を翳す椿姫に、輪廻と夜一は口角を上げて頷いた。危ないところであったが、皆の説得の賜物だろう。
「妖の動きが……とまった気がしますっ」
 ふいに太郎丸が、ぽつり、と洩らした。それに周囲を凝視していた咲は気が付いたように飴女を見る。
「子守唄ですわ」
「……助かるわねん」
 輪廻は飴女の心中を察して哀笑を滲ませる。母の子守唄が妖の動きを麻痺させたのだ。咲は気を取り直して、僅かに蠢く草かげへ再びB.O.T.を放った。痛々しげな悲鳴が辺りに反響する。その一点へと、椿姫の水礫も雪崩れ込んだ。逃れようのない重い一撃に仰け反る妖。
「ごめんなさいっ」
 さらに繰り出された太郎丸の五織の彩から、妖は必死に身をよじって直撃を避ける。逃すまいと突き出た隆槍も、僅かに腐った身を削ったのみだ。だが、間髪入れずに払われた小太刀が恐怖に蠢く腐肉の体を二連撃で切り裂いた。悲鳴ともつかない泣き声が上がる。それに子守唄が震えたことに覚者達は気が付いた。小さく、飴女の唇が『ゆるして』と動く。何度も、何度も。咲は唇を噛みしめる。小太刀を握りしめる輪廻。思わず椿姫と太郎丸も揺るぎそうになる気持ちへ頭を振った。夜一もきつく瞼を閉じたが、しかし真っ直ぐと妖へと眼を向けた。
「穿て」
 土槍が疎らに突き出る。目の前に迫る隆槍に、妖は狂わんばかりに痺れる体を捩じった。腐った横腹を抉り取られながら。怒りと恐怖に大きく吼えるや、最期のあがきとばかりに牙を剥く妖。飛び出した異形に92FSーVertecを唸らせる椿姫と合わせたように輪廻の小太刀が横凪いだ。妖は銃弾に貫かれたまま、小太刀をかわした先の腕へと噛みついた。根元まで食い込んだ牙に輪廻は苦痛に目を細めるも、それを待っていたかのように腐る頭を片手で抑え込む。目を剥く妖の視界に、五織に彩られた拳が映った。張り裂ける程の悲鳴を上げて輪廻の手を振り払った妖は、紙一重で太郎丸の拳を掠めて宙へと飛び退いだ。それを本当に待っていたのは咲であった。妖が放たれたB.O.T.に気付いた時には、その悍ましい体は波動に貫かれていたのだった。




●夜雨の音に

 降りしきる雨の音を掻き消して轟く悍ましい断末魔に、覚者達は構えた手を力なく下した。次第に小さく消えていく赤ん坊の泣き声に、子守唄も消えていく。腐り果てた異形は雨に溶ける様に土へと形を無くしていった。
「せめて、私もこの子の為に子守唄を歌って送ってあげましょう……」
 雨音に輪廻の歌声が響く。もう、赤ん坊の声はしない。ただ、その光景を優しい子守唄だけが包む。その歌声に釣られるように近付いてきた飴女に、覚者達は静かに道を開ける。原型さえも無くなった黒い土の盛り上がりの傍へと、飴女は膝を崩した。その頬を伝うものが、ぽつり、ぽつりと盛り上がりへ落ちる。飴女は泣いた、黒い土を掻き集めながら。
「これを」
 咲が、そっと黒土に桃の枝と練り飴を置いた。供えられたそれに飴女は顔を上げる。望まずにはいられない、せめてその途の先に幸いあれ、と。
「……あの子の後を追いたいですか?」
 向けられたスタッフに呆然とする飴女。
「そ、それってっ」
 声を上げかけた太郎丸の肩を夜一が掴む。結末は飴女自身が決める事なのだ。静かに行方を見守る覚者達。暫しの静寂のあと、飴女は僅かに首を振ると自らの爪を心の臓へと突き刺した。驚きに足を踏み出す椿姫と太郎丸。目を見開く輪廻、夜一。スタッフを下す咲。景色に滲むように透けていく飴女。消える間際、覚者達へと丁寧に腰を折った姿を最期に、やがて飴女は完全に消えたのだった。
「そんなのって……ないですよっ」
 太郎丸が呟いた。雨に打たれたまま俯く覚者達。
「見て」
 ふいに呼び掛けたのは椿姫だった。その視線の先を見ると、人魂だ。どこからともなく浮かび上がった人魂が、ゆっくりと空へと上がっていくのだ。そして驚く覚者達の前で、溶けた黒土からも朧に透けた小さな小さな人魂が浮き出ててきたかと思うと、まるで弾むように先の人魂を追いかけていく。
 その光景を茫然と見つめながら、太郎丸は悲しみに強張った表情を僅かに笑み崩した。
「ボクたちは……幸せな時間を作ってあげる事ができたでしょうか」
「どうだろうな」
 返す顔も緩めたまま、夜一は咲が供えた桃の枝を墓標にして静かに黙祷する。その姿に、覚者達も夜空へと手を合わせる。見えなくなった母と子の姿に向かって。




 後日、夜一からの要請によりF.i.V.E.にて改めて立てられた母子の墓石には、小さく一文が刻まれた。
 『誰よりも優しき強き母子、ここに眠る』、と。


■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし



■あとがき■

ご参加くださった皆様、おつかれさまでした。皆様が辿りついた結末に思わず貰い泣きしてしまいました。優しい覚者様に出会えて、きっと彼奴らも幸せに逝ったのではないかなぁと。しみじみ。それでは、皆様と再びご一緒できる日を楽しみにしております。この度はありがとうございました。




 
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