アッセンブル&スクランブル
●
五麟市は遅れて来た雨に包まれた。風はそれほどなかったが、肌に張り付いて来る霧の様に細かな雨粒と、じめじめとした蒸し暑さが加わればその不快指数は留まる事を知らない。一日中降り続くその雨は、道行く人を悩ませるには、十分過ぎた。
「ああ、くそ」
男は毒づきながら、傘もささずに駅までの近道である裏路地を足早に進んでいた。日は既に沈み、周囲にはそれほど人気は無い。よれたYシャツは男の肌に吸い付き、その下にある肌色を微かに見せている。雨で髪はぺたりと潰れた。歩くたびに、ねちょねちょと濡れた靴と靴下が不快な音を立てている。
嫌なことは続けて起こるものだ。男はそう思った。通勤時に折りたたみ傘を忘れ、仕方なくビニール傘を買ったはいいが、それも仕事終わりに気まぐれに立ち寄ったコンビニで漫画を立ち読みしている間に持ち去られた。雨宿りをしようと思って立ち寄った喫茶店は休日で、そうこうしている内に電車に乗り遅れそうになっている。今日は早く帰るとなまじ妻に伝えたばかりに、と男は小さく毒づいた。そのせいで、普段は使わない、薄汚い裏路地を使う羽目になっているのだ。
彼はどこにでもいるような男だった。他人のビニール傘を持ち帰るほどの図太さも無ければ、人との約束を破ることに罪悪感を感じてしまう、どこにでもいる善良な男のようだった。
「最悪な日だ、今日は」
彼は徐々に水を含み、重たくなってくるスラックスに抗いながら足を前へ、前へと進める。しかし、その足取りは徐々に遅く、鈍くなっていく。どういうことかと男が足元を見下ろせば、プルプルとした、大きな水玉が男の両足を覆う様にまとわりつき、覆う面積を徐々に広げている。溝を伝い、もう一体の水玉が姿を現した。
「なんだ、これ……グッ!」
男が身体にまとわりつく水玉に手を伸ばした瞬間、水玉がその手を伝い、首へ、そして頭全体を覆い尽くす。男は倒れ、溺れているように男は手足をばたつかせる。その拍子にもう一方の足に張り付いていた水玉が外れ、壁にぶつかって割れる。しかし、割れたはずの水玉は『二つに』分裂し、追い打ちとばかりに倒れた男の顔に張り付いた。
青紫色になった顔で息絶えた男が発見されるのは、それから一時間ほどしてからだった。
●
「……というのが、私が昨日見た夢です」
毎日青い傘のマークを示す天気予報と、事件が起こるであろう場所にチェックを入れた地図の貼り付けられたボードを指差しながら、夢見……現代の神託を受ける者(シビュラ)である久方 真由美(nCL2000003)は穏やかな笑みを浮かべたまま告げる。
「時間は今日の夜九時頃、雨に紛れて人を襲う。セオリー通りの自然系の妖です。数は見た限りでは四体、いずれもランク1程度の、低級で間違いないでしょう」
集まった覚者たちを見渡しながら、真由美は滑らかな声で話を続ける。年の離れたきょうだいを持っているせいか、若いながらもその物腰は落ち着いている。
「戦法も単純。顔に張り付いて窒息させようとしてきます。油断してはいけません。まとわりつかれては普段通りに動けないでしょうし、生半可な攻撃では、分裂して面倒になるでしょう。視界もそれほど良くはないでしょうし……」
そこで一度言葉を区切り、ブラインドの隙間から真由美は外を眺めた。薄暗い灰色の雲が空を覆い、そしてぽつぽつと音を立てることさえなく、雨が窓の上を滑っていた。彼女が夢で見た通りの、嫌な雨だった。
「F.i.V.Eのことは当然機密事項です。覚者のみなさん、いつも通りの働きを期待しています」
五麟市は遅れて来た雨に包まれた。風はそれほどなかったが、肌に張り付いて来る霧の様に細かな雨粒と、じめじめとした蒸し暑さが加わればその不快指数は留まる事を知らない。一日中降り続くその雨は、道行く人を悩ませるには、十分過ぎた。
「ああ、くそ」
男は毒づきながら、傘もささずに駅までの近道である裏路地を足早に進んでいた。日は既に沈み、周囲にはそれほど人気は無い。よれたYシャツは男の肌に吸い付き、その下にある肌色を微かに見せている。雨で髪はぺたりと潰れた。歩くたびに、ねちょねちょと濡れた靴と靴下が不快な音を立てている。
嫌なことは続けて起こるものだ。男はそう思った。通勤時に折りたたみ傘を忘れ、仕方なくビニール傘を買ったはいいが、それも仕事終わりに気まぐれに立ち寄ったコンビニで漫画を立ち読みしている間に持ち去られた。雨宿りをしようと思って立ち寄った喫茶店は休日で、そうこうしている内に電車に乗り遅れそうになっている。今日は早く帰るとなまじ妻に伝えたばかりに、と男は小さく毒づいた。そのせいで、普段は使わない、薄汚い裏路地を使う羽目になっているのだ。
彼はどこにでもいるような男だった。他人のビニール傘を持ち帰るほどの図太さも無ければ、人との約束を破ることに罪悪感を感じてしまう、どこにでもいる善良な男のようだった。
「最悪な日だ、今日は」
彼は徐々に水を含み、重たくなってくるスラックスに抗いながら足を前へ、前へと進める。しかし、その足取りは徐々に遅く、鈍くなっていく。どういうことかと男が足元を見下ろせば、プルプルとした、大きな水玉が男の両足を覆う様にまとわりつき、覆う面積を徐々に広げている。溝を伝い、もう一体の水玉が姿を現した。
「なんだ、これ……グッ!」
男が身体にまとわりつく水玉に手を伸ばした瞬間、水玉がその手を伝い、首へ、そして頭全体を覆い尽くす。男は倒れ、溺れているように男は手足をばたつかせる。その拍子にもう一方の足に張り付いていた水玉が外れ、壁にぶつかって割れる。しかし、割れたはずの水玉は『二つに』分裂し、追い打ちとばかりに倒れた男の顔に張り付いた。
青紫色になった顔で息絶えた男が発見されるのは、それから一時間ほどしてからだった。
●
「……というのが、私が昨日見た夢です」
毎日青い傘のマークを示す天気予報と、事件が起こるであろう場所にチェックを入れた地図の貼り付けられたボードを指差しながら、夢見……現代の神託を受ける者(シビュラ)である久方 真由美(nCL2000003)は穏やかな笑みを浮かべたまま告げる。
「時間は今日の夜九時頃、雨に紛れて人を襲う。セオリー通りの自然系の妖です。数は見た限りでは四体、いずれもランク1程度の、低級で間違いないでしょう」
集まった覚者たちを見渡しながら、真由美は滑らかな声で話を続ける。年の離れたきょうだいを持っているせいか、若いながらもその物腰は落ち着いている。
「戦法も単純。顔に張り付いて窒息させようとしてきます。油断してはいけません。まとわりつかれては普段通りに動けないでしょうし、生半可な攻撃では、分裂して面倒になるでしょう。視界もそれほど良くはないでしょうし……」
そこで一度言葉を区切り、ブラインドの隙間から真由美は外を眺めた。薄暗い灰色の雲が空を覆い、そしてぽつぽつと音を立てることさえなく、雨が窓の上を滑っていた。彼女が夢で見た通りの、嫌な雨だった。
「F.i.V.Eのことは当然機密事項です。覚者のみなさん、いつも通りの働きを期待しています」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.水玉四体の討伐
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
βシナリオということで、シンプルに行きましょう。
エネミーは説明にもある通りランク1の妖:自然系です。、
皆様の魅力的なキャラクターで、思う存分暴れてください。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
0LP[+予約0LP]
0LP[+予約0LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年08月16日
2015年08月16日
■メイン参加者 8人■

●アンブレラ効果
蒸し暑い夜の空気と分厚い雲、そして肌に張り付くような霧のような雨が合わさり、五麟市は言い表せない重たさに包まれていた。
「くそっ。嫌な雨だ、ここで最後か?」
「ああ。備えあれば嬉しいなとはよく言うが、さすがにキツイぜ……財布も」
「憂いなし、じゃないですか? ……とはいえ、あちこち回りましたからね」
黒崎 ヤマト(CL2001083)とハル・マッキントッシュ(CL2000504)、ウィチェ・F・ラダナン(CL2000972)はコンビニの軒下で合流し、言葉を交わしあう。被害者が傘を取られなければ道を急いで、死に場所となる裏路地を使う必要も無い。蝶の羽ばたきが遠く離れた場所で台風を巻き起こすように、些細な行動が被害を減らす手段の一つだと彼らは考えたのだ。
「それで、件の人は見つかりましたか?」
ウィチェの問いにヤマトはかぶりを振った。ヤマトも聞き返そうとしたが、ウィチェのしゅんとした様子を見て、答えを察する。
「こっちもネガティブだ……って、ヤマト、ウィチェ! もしかして」
ハルは答えながら窓からコンビニの中を覗き込み、思わず叫ぶ。店内には一人サラリーマンの姿。夢見の話通りの、人の好さそうな男だった。
「きゃっ、いきなり大きな声って……あーっ!」
ウィチェは驚きながらもハルに倣い、その男を見て、声を上げる。ヤマトは二人の反応から、即座に真横にある傘立てを見る。一本も残っていなかった。三人は確信めいたものを感じ、頷き合う。ウィチェが傘立てに自身の持つビニール傘を差し込む。すぐさま三人はコンビニから離れ、電柱の陰に隠れるように様子を伺う。それから少しして、コンビニから出て来た男は傘立てを覗き込み、少し首を傾げた。
「頼むぜ、おっさん。そいつはアンタの傘……そいつはアンタの傘……」
ヤマトの祈りが通じたのかどうかそれは定かでは無いが、男はその傘を手に取って足早に歩き出した。自分しかいないコンビニ、自分が入れただろう一本の傘。そういう理屈であった。ウィチェは小さく歓声を上げ、ヤマトは小さくガッツポーズし、ハルは指を鳴らした。
「よし、まずはファースト・ミッションクリアだ」
「ああ。さっさと行こうぜ、二人とも」
ヤマトの掛け声に、二人は応じて雨の中を駆けだす。数本のビニール傘で、彼らは確かに一人の命を救ったのだ。
●KEEP OUT!
「久しぶりだな、研究室の外に出たのは……確かに不快だ、これは」
被害者になる男が最悪と言ったのも頷ける。南・ルクレツィア(CL2001059)は雨で重たくなった白衣を持て余しながら小さくぼやいた。守護使役のあたるかの灯りを頼りに路地を自身の視力と感覚を総動員しているが、今の所気配はない。
「どうだ、封鎖の方は?」
「あなたが手伝ってくれれば、もうちょっと捗るけれどね?」
ルクレツィアの問いに、工事用の看板を立てながら白部 シキ(CL2000399)は冗談めかして答える。
「だ、大丈夫ですよ。僕も手伝いますから」
蛍光色のカラーコーンを両手に持ちながら、雛見 桜(CL2000975) は金色の耳をしゅんとさせながら二人の会話に割って入る。
「冗談だよ。あなたは引き続き見張りをお願い。さ、君も働いた働いた」
「ああ。任せているよ、そちらの方は。仕事をやるさ。私は私の」
シキがからからと笑いながら桜の髪をわしわしと撫でる。ルクレツィアもサングラスで表情はよく分からないが、微かに純粋な少年の気遣いに唇を歪める。
「うぅ……分かりましたよ。気を付けてくださいね」
しばらくの間シキにされるがままになっていたものの、ふるふると首を振って桜はシキの手を振り払い、カラーコーンを路地と表通りを隔てるように置いた。
小さなコーンをぺたぺたと置いて行く隣で、黄色いテープが路地の建物と建物の間を貼られていく。一枚、二枚ならまだしも、何枚も幾重に貼り付けられたそれは、まるで路地を封鎖する黄色い壁の様相を呈していた。
「これだけ貼り付ければ、誰も好き好んで入ろうとは思わないだろうな」
それを見て、伊弉冉 紅玉(CL2000690)は満足そうにふんすと鼻を鳴らす。濡れた金髪がルクレツィアと同種の守護使役によって艶やかに輝く。その横で着物を着た、紅玉に劣らぬ碧眼と金髪の少女、宮川・エミリ(CL2000045)はテープと看板、カラーコーンで出来た即席のバリケードを見て苦笑する。
「確かに、普通の人なら入らないですけれど……かえって興味をそそられちゃうかもしれませんね」
「それもそうかもしれないが、こんな雨の中だ。得体の知れない封鎖よりも自分が濡れないことの方が大事さ」
「……確かにそうかもしれませんね」
エミリは指をそっとテープの隙間に挿し込み、押し下げて外の様子を見る。大通りからは離れた場所だけあってか、表の通りであっても人通りはほとんど無く、雨音だけの静けさが支配者だった。しかし、その視界の先に見える、小柄な三人の男女。焔の赤、そして藤の花を思わせる紫、紅玉やエミリよりもややくすんだ金。ヤマト、ウィチェ、ハルの三人だった。三人はまっすぐに黄色いテープの方へと駆け、その下をスライディングで、這うようにして、思い思いの動作で潜ってゆく。その様子を見て、封鎖を終え一同は彼らの元へ集まる。
「お、お帰りなさい……? どうだった?」
「はい! 成功です」
桜が躊躇いがちに三人に尋ねる。ウィチェがにっこりと笑い、答えると共に、桜のおどおどとした表情もやや明るくなった。
「こんだけあからさまに封鎖してりゃ、あの人も近づかないと思うけどね」
「まあそう言うなよ、お陰でずぶ濡れにならずに済むんだ」
ヤマトのぼやきに、ぽんと肩に手を乗せてハルが笑う。
「……そろそろ時間ですね。被害者は今の所いない。そして、妖も」
エミリが振り返り、薄暗い裏路地を見据える。ルクレツィアとヤマト、紅玉の守護使役が仄かに裏路地を照らす。
「さて、私が囮になってみようかね? 奴らの好みじゃないかもしれないけれどさ」
「その必要は無いよ」
「ああ。そうらしいな」
揚々と進もうとしたシキをルクレツィアが制する。そして、ルクレツィアと紅玉の守護使役が、建物の壁から地面を伝うパイプの口を、側溝から這い出て来る膨れたビーチボールほどのぶよぶよした透明の塊が三つ、這い出て来る様子を照らした。
「これで、全員アッセンブル(集合)だな。ちょっくら増えてて悪いね」
ハルが冗談めかして呟く。水玉はその声に、光に、その先の姿に反応してゆっくりと覚者たちへと向かう。
●雨の中で
一同が身構える。水玉との距離はそれなりに離れている。水玉たちは一列に並んで、ゆっくりと迫りながら、その間合いを詰めてきている。
「ふむ。この距離なら……私は連中の邪魔に力を注ごうかね」
シキが先んじて前に出ながら、水玉に手をかざす。ゆっくりと進む水玉に絡みつく霧が、ただでさえ鈍重な動きを更に絡めとる。
「まだ近づくまでに時間がありそうですね……それならっ!」
経典をめくり、ウィチェは小さく言葉を唱える。空気の弾丸が彼女の前の空間から勢いよく飛び出し、右端の水玉に直撃。その身体が押しつぶされたクッションの如く大きくたわみ、そして二つに分裂。したかと思えばその衝撃に耐えられなかったためか、バラバラになって弾け飛んだ。
「矛の役目は任せた。私は盾になろう」
剣を地面に突き立て、紅玉が叫ぶ。鮮やかな金糸の髪が烏の濡れ羽の如く、瞳も霹靂から名前通りの紅へ変わる。紅玉の身体に力がみなぎり、水玉の前へ立ちはだかる。
「ちょっと前に出るぞ、私は。能がないからな、それしか」
ルクレツィアがその脇をすり抜けるように駆け抜ける。両手に握ったメイスに炎を宿し、力任せに殴りつける。ぶにょんという、超巨大なグミを殴りつけたような、力が分散していくような感触。潰れた水玉が千切れ、二つに分裂する。
「やはり効果が薄いようだな、物理では。まるで手ごたえが無いぞ」
冷静な分析。同時に倒せない敵では無いという推測。水玉のサイズは先ほどよりもかなり小さくなっている。
「全ての妖滅すべし。蒸発し滅びよ!」
すかさずエミリが追撃を加える。天へとかざした剣。それと同時に眩い稲光が水玉に降り注ぎ、破裂する――無傷の一匹は二匹へと分裂。
「OK! フォローは任せなっ……単なる銃弾と、思うなよ! BANG!」
分裂した水玉を見て歯噛みするエミリ。その脇から飛び出したハルは腰から拳銃を引き抜き、素早い二連射(ダブルタップ)を繰り出す。タタンと軽い銃声。そして一匹に銃弾が突き刺さる。ワンテンポ遅れて銃弾に仕込まれ、体内に埋め込まれた種が急成長。棘が外気を求めて飛び出し、水玉を粉砕する。
「ね、念のため、サポートに回ります。」
近づかれる前に次々と繰り出される術式の嵐。それを強化せんとして桜が柔らかなステップを踏み、覚者たちを鼓舞する。
「すっげえ、これが戦いか。俺も前に出るっきゃねえな! 初陣だ、レイジング・ブル!」
ギターを携え、己を鼓舞する演奏を試みんと考えたものの、ヤマトは思い直し、力強くギターをかき鳴らす。覚者達の戦いぶりこそが、彼の心に火を灯したのだ。激しい音と共に撃ちだされる空気の圧力が残った水玉を押しつぶした。
「うっし! これで全部か?」
初の戦果に、歓声を上げるヤマト。銃口からの煙を吹き消すしぐさをするハル。束の間の安心を享受する数名の傍で、桜はきょろきょろと所在無げに辺りを見渡す。
「あの……その……」
「どうしたんだ、サクラ? 言う事なしの勝利じゃないか。妖を三体もぶっ倒して……」
「問題なんだよ、三体というのが」
ルクレツィアの答えに、桜とエミリも頷く。
「依頼では、四体……だったよね?」
「ええ。もう一体、どこかにいるはずです。紅玉さん、見えますか?」
エミリの問いに応じて紅玉が辺りを見渡す。小さく首を振った瞬間――
「紅玉君、上だ!」
ルクレツィアの直観が、視力が屋根から紅玉の上へと滑り落ちて来る水玉を察知した。
●それはいつもの、にちじょうのこと
「っ! 小癪な……グッ!」
紅玉は避けることもなく――正確には、自身に攻撃が向くようにして、受け止める。宇宙服のヘルメットのようにして紅玉の頭に貼りついたそれが、徐々に彼女の空気を、体力を奪わんとする。
「紅玉さん!」
「こうなったら引き離すよ!」
エミリが不意討ちを打たれたことに目を見開き歯噛みする。シキもほんの少しだけ後悔を滲ませながら、その水玉を引きはがしにかかる
「自分でなればぶん殴れるんだがな、もう火傷をしているし」
「そ、そんな怖い事言わないで下さいよぉ!」
淡々とした言葉ながら、ルクレツィアもほんの少し焦りを滲ませる。桜はやや涙目になりながらも作業にかかる。
引きはがすことに若干苦労はしたものの、四人がかりであれば、一体程度の妖を御しきれないはずがなかった。
「ゲホッ……ゲホッ! 確かに、厄介な相手だ」
「だだ、大丈夫ですか!」
引き離された水玉が地面に落ちて弾けた。咳き込んで膝をつく紅玉の傍へウィチェが屈み、手をかざす。ぽうっと薄い光が放たれ、紅玉の乱れた呼吸が少しずつ整っていく。
「Take This!」
「吹っ飛べ!」
分裂し二つになった水玉へと飛ぶ、ヤマトの空気の銃弾と、ハルの内部から破壊する植物の弾丸。縮んだ水玉はそのダメージに耐えきれることが出来ようはずが無く、命中と同時に弾け飛び、裏路地は再び静かになった。
「ふう……これで、本当に終わりだな。こいつが倒れたことで、この嫌な天気も収まると良いんだが」
紅玉は剣を杖代わりに立ち上がる。まだ足取りはしっかりとしているわけではないが、誰かの助けを借りるほどでもなかった。
「何はともあれ、無事に済んで何よりですね。私たちもあまり長居せず、回収は他の方に任せましょう。本当にお疲れ様でした」
エミリも周囲を気遣いつつ、乱れた着物の裾を直し、悠然と去っていく。
「やれやれ、だな。だから夏は嫌いなんだ。これだから」
ルクレツィアは濡れたサングラスを白衣で拭い、それも濡れていることに気が付いて僅かに眉根をひそめた。
「さて、君もご苦労だったね。気付いてくれなければ、もうちょっとヤバかったかもしれない」
「わわっ、急に撫でないで下さいよ!」
「これは失礼。ちょうど良いところにあったんでね」
シキは、わしわしと桜の頭、耳を乱暴にかきまわす。頭を押さえて抗議とも、満更でもなさそうともつかない声を上げて、桜が声を上げる。シキは止めることはなく、からからと楽しげに笑うのみだった。
「一時はどうなることかと思ったぜ」
「まあ、俺たちならよゆーだって……あっ」
ヤマトが緊張の糸が一気に切れたと言わんばかりに大きく肩を落とす。ハルは飄々と拳銃のトリガーガードへ指を突っ込み、クルクルと回して見せるが、銃はすっぽ抜けて地面に転がる。ハルの手は、ほんの少しだけ震えていた。
「あれじゃあ、真似のしようがありませんね……ほら」
水玉を思い浮かべながら、ウィチェは落とした銃を拾い、ハルへと突き出した。
思い思いの行動をする彼らの遠くで、駅から数量の小さな列車が発車した。人の好さそうな男は、手にした傘をぼんやりと見て、遠ざかる五麟市に視線を送った。その裏で、若き少年少女が奮闘していることを知る由は無かった。
いつの間にか、重たい雲に切れ間が生まれ、そこからは一つの小さな、そして確かな光を放つ星が見えていた。
蒸し暑い夜の空気と分厚い雲、そして肌に張り付くような霧のような雨が合わさり、五麟市は言い表せない重たさに包まれていた。
「くそっ。嫌な雨だ、ここで最後か?」
「ああ。備えあれば嬉しいなとはよく言うが、さすがにキツイぜ……財布も」
「憂いなし、じゃないですか? ……とはいえ、あちこち回りましたからね」
黒崎 ヤマト(CL2001083)とハル・マッキントッシュ(CL2000504)、ウィチェ・F・ラダナン(CL2000972)はコンビニの軒下で合流し、言葉を交わしあう。被害者が傘を取られなければ道を急いで、死に場所となる裏路地を使う必要も無い。蝶の羽ばたきが遠く離れた場所で台風を巻き起こすように、些細な行動が被害を減らす手段の一つだと彼らは考えたのだ。
「それで、件の人は見つかりましたか?」
ウィチェの問いにヤマトはかぶりを振った。ヤマトも聞き返そうとしたが、ウィチェのしゅんとした様子を見て、答えを察する。
「こっちもネガティブだ……って、ヤマト、ウィチェ! もしかして」
ハルは答えながら窓からコンビニの中を覗き込み、思わず叫ぶ。店内には一人サラリーマンの姿。夢見の話通りの、人の好さそうな男だった。
「きゃっ、いきなり大きな声って……あーっ!」
ウィチェは驚きながらもハルに倣い、その男を見て、声を上げる。ヤマトは二人の反応から、即座に真横にある傘立てを見る。一本も残っていなかった。三人は確信めいたものを感じ、頷き合う。ウィチェが傘立てに自身の持つビニール傘を差し込む。すぐさま三人はコンビニから離れ、電柱の陰に隠れるように様子を伺う。それから少しして、コンビニから出て来た男は傘立てを覗き込み、少し首を傾げた。
「頼むぜ、おっさん。そいつはアンタの傘……そいつはアンタの傘……」
ヤマトの祈りが通じたのかどうかそれは定かでは無いが、男はその傘を手に取って足早に歩き出した。自分しかいないコンビニ、自分が入れただろう一本の傘。そういう理屈であった。ウィチェは小さく歓声を上げ、ヤマトは小さくガッツポーズし、ハルは指を鳴らした。
「よし、まずはファースト・ミッションクリアだ」
「ああ。さっさと行こうぜ、二人とも」
ヤマトの掛け声に、二人は応じて雨の中を駆けだす。数本のビニール傘で、彼らは確かに一人の命を救ったのだ。
●KEEP OUT!
「久しぶりだな、研究室の外に出たのは……確かに不快だ、これは」
被害者になる男が最悪と言ったのも頷ける。南・ルクレツィア(CL2001059)は雨で重たくなった白衣を持て余しながら小さくぼやいた。守護使役のあたるかの灯りを頼りに路地を自身の視力と感覚を総動員しているが、今の所気配はない。
「どうだ、封鎖の方は?」
「あなたが手伝ってくれれば、もうちょっと捗るけれどね?」
ルクレツィアの問いに、工事用の看板を立てながら白部 シキ(CL2000399)は冗談めかして答える。
「だ、大丈夫ですよ。僕も手伝いますから」
蛍光色のカラーコーンを両手に持ちながら、雛見 桜(CL2000975) は金色の耳をしゅんとさせながら二人の会話に割って入る。
「冗談だよ。あなたは引き続き見張りをお願い。さ、君も働いた働いた」
「ああ。任せているよ、そちらの方は。仕事をやるさ。私は私の」
シキがからからと笑いながら桜の髪をわしわしと撫でる。ルクレツィアもサングラスで表情はよく分からないが、微かに純粋な少年の気遣いに唇を歪める。
「うぅ……分かりましたよ。気を付けてくださいね」
しばらくの間シキにされるがままになっていたものの、ふるふると首を振って桜はシキの手を振り払い、カラーコーンを路地と表通りを隔てるように置いた。
小さなコーンをぺたぺたと置いて行く隣で、黄色いテープが路地の建物と建物の間を貼られていく。一枚、二枚ならまだしも、何枚も幾重に貼り付けられたそれは、まるで路地を封鎖する黄色い壁の様相を呈していた。
「これだけ貼り付ければ、誰も好き好んで入ろうとは思わないだろうな」
それを見て、伊弉冉 紅玉(CL2000690)は満足そうにふんすと鼻を鳴らす。濡れた金髪がルクレツィアと同種の守護使役によって艶やかに輝く。その横で着物を着た、紅玉に劣らぬ碧眼と金髪の少女、宮川・エミリ(CL2000045)はテープと看板、カラーコーンで出来た即席のバリケードを見て苦笑する。
「確かに、普通の人なら入らないですけれど……かえって興味をそそられちゃうかもしれませんね」
「それもそうかもしれないが、こんな雨の中だ。得体の知れない封鎖よりも自分が濡れないことの方が大事さ」
「……確かにそうかもしれませんね」
エミリは指をそっとテープの隙間に挿し込み、押し下げて外の様子を見る。大通りからは離れた場所だけあってか、表の通りであっても人通りはほとんど無く、雨音だけの静けさが支配者だった。しかし、その視界の先に見える、小柄な三人の男女。焔の赤、そして藤の花を思わせる紫、紅玉やエミリよりもややくすんだ金。ヤマト、ウィチェ、ハルの三人だった。三人はまっすぐに黄色いテープの方へと駆け、その下をスライディングで、這うようにして、思い思いの動作で潜ってゆく。その様子を見て、封鎖を終え一同は彼らの元へ集まる。
「お、お帰りなさい……? どうだった?」
「はい! 成功です」
桜が躊躇いがちに三人に尋ねる。ウィチェがにっこりと笑い、答えると共に、桜のおどおどとした表情もやや明るくなった。
「こんだけあからさまに封鎖してりゃ、あの人も近づかないと思うけどね」
「まあそう言うなよ、お陰でずぶ濡れにならずに済むんだ」
ヤマトのぼやきに、ぽんと肩に手を乗せてハルが笑う。
「……そろそろ時間ですね。被害者は今の所いない。そして、妖も」
エミリが振り返り、薄暗い裏路地を見据える。ルクレツィアとヤマト、紅玉の守護使役が仄かに裏路地を照らす。
「さて、私が囮になってみようかね? 奴らの好みじゃないかもしれないけれどさ」
「その必要は無いよ」
「ああ。そうらしいな」
揚々と進もうとしたシキをルクレツィアが制する。そして、ルクレツィアと紅玉の守護使役が、建物の壁から地面を伝うパイプの口を、側溝から這い出て来る膨れたビーチボールほどのぶよぶよした透明の塊が三つ、這い出て来る様子を照らした。
「これで、全員アッセンブル(集合)だな。ちょっくら増えてて悪いね」
ハルが冗談めかして呟く。水玉はその声に、光に、その先の姿に反応してゆっくりと覚者たちへと向かう。
●雨の中で
一同が身構える。水玉との距離はそれなりに離れている。水玉たちは一列に並んで、ゆっくりと迫りながら、その間合いを詰めてきている。
「ふむ。この距離なら……私は連中の邪魔に力を注ごうかね」
シキが先んじて前に出ながら、水玉に手をかざす。ゆっくりと進む水玉に絡みつく霧が、ただでさえ鈍重な動きを更に絡めとる。
「まだ近づくまでに時間がありそうですね……それならっ!」
経典をめくり、ウィチェは小さく言葉を唱える。空気の弾丸が彼女の前の空間から勢いよく飛び出し、右端の水玉に直撃。その身体が押しつぶされたクッションの如く大きくたわみ、そして二つに分裂。したかと思えばその衝撃に耐えられなかったためか、バラバラになって弾け飛んだ。
「矛の役目は任せた。私は盾になろう」
剣を地面に突き立て、紅玉が叫ぶ。鮮やかな金糸の髪が烏の濡れ羽の如く、瞳も霹靂から名前通りの紅へ変わる。紅玉の身体に力がみなぎり、水玉の前へ立ちはだかる。
「ちょっと前に出るぞ、私は。能がないからな、それしか」
ルクレツィアがその脇をすり抜けるように駆け抜ける。両手に握ったメイスに炎を宿し、力任せに殴りつける。ぶにょんという、超巨大なグミを殴りつけたような、力が分散していくような感触。潰れた水玉が千切れ、二つに分裂する。
「やはり効果が薄いようだな、物理では。まるで手ごたえが無いぞ」
冷静な分析。同時に倒せない敵では無いという推測。水玉のサイズは先ほどよりもかなり小さくなっている。
「全ての妖滅すべし。蒸発し滅びよ!」
すかさずエミリが追撃を加える。天へとかざした剣。それと同時に眩い稲光が水玉に降り注ぎ、破裂する――無傷の一匹は二匹へと分裂。
「OK! フォローは任せなっ……単なる銃弾と、思うなよ! BANG!」
分裂した水玉を見て歯噛みするエミリ。その脇から飛び出したハルは腰から拳銃を引き抜き、素早い二連射(ダブルタップ)を繰り出す。タタンと軽い銃声。そして一匹に銃弾が突き刺さる。ワンテンポ遅れて銃弾に仕込まれ、体内に埋め込まれた種が急成長。棘が外気を求めて飛び出し、水玉を粉砕する。
「ね、念のため、サポートに回ります。」
近づかれる前に次々と繰り出される術式の嵐。それを強化せんとして桜が柔らかなステップを踏み、覚者たちを鼓舞する。
「すっげえ、これが戦いか。俺も前に出るっきゃねえな! 初陣だ、レイジング・ブル!」
ギターを携え、己を鼓舞する演奏を試みんと考えたものの、ヤマトは思い直し、力強くギターをかき鳴らす。覚者達の戦いぶりこそが、彼の心に火を灯したのだ。激しい音と共に撃ちだされる空気の圧力が残った水玉を押しつぶした。
「うっし! これで全部か?」
初の戦果に、歓声を上げるヤマト。銃口からの煙を吹き消すしぐさをするハル。束の間の安心を享受する数名の傍で、桜はきょろきょろと所在無げに辺りを見渡す。
「あの……その……」
「どうしたんだ、サクラ? 言う事なしの勝利じゃないか。妖を三体もぶっ倒して……」
「問題なんだよ、三体というのが」
ルクレツィアの答えに、桜とエミリも頷く。
「依頼では、四体……だったよね?」
「ええ。もう一体、どこかにいるはずです。紅玉さん、見えますか?」
エミリの問いに応じて紅玉が辺りを見渡す。小さく首を振った瞬間――
「紅玉君、上だ!」
ルクレツィアの直観が、視力が屋根から紅玉の上へと滑り落ちて来る水玉を察知した。
●それはいつもの、にちじょうのこと
「っ! 小癪な……グッ!」
紅玉は避けることもなく――正確には、自身に攻撃が向くようにして、受け止める。宇宙服のヘルメットのようにして紅玉の頭に貼りついたそれが、徐々に彼女の空気を、体力を奪わんとする。
「紅玉さん!」
「こうなったら引き離すよ!」
エミリが不意討ちを打たれたことに目を見開き歯噛みする。シキもほんの少しだけ後悔を滲ませながら、その水玉を引きはがしにかかる
「自分でなればぶん殴れるんだがな、もう火傷をしているし」
「そ、そんな怖い事言わないで下さいよぉ!」
淡々とした言葉ながら、ルクレツィアもほんの少し焦りを滲ませる。桜はやや涙目になりながらも作業にかかる。
引きはがすことに若干苦労はしたものの、四人がかりであれば、一体程度の妖を御しきれないはずがなかった。
「ゲホッ……ゲホッ! 確かに、厄介な相手だ」
「だだ、大丈夫ですか!」
引き離された水玉が地面に落ちて弾けた。咳き込んで膝をつく紅玉の傍へウィチェが屈み、手をかざす。ぽうっと薄い光が放たれ、紅玉の乱れた呼吸が少しずつ整っていく。
「Take This!」
「吹っ飛べ!」
分裂し二つになった水玉へと飛ぶ、ヤマトの空気の銃弾と、ハルの内部から破壊する植物の弾丸。縮んだ水玉はそのダメージに耐えきれることが出来ようはずが無く、命中と同時に弾け飛び、裏路地は再び静かになった。
「ふう……これで、本当に終わりだな。こいつが倒れたことで、この嫌な天気も収まると良いんだが」
紅玉は剣を杖代わりに立ち上がる。まだ足取りはしっかりとしているわけではないが、誰かの助けを借りるほどでもなかった。
「何はともあれ、無事に済んで何よりですね。私たちもあまり長居せず、回収は他の方に任せましょう。本当にお疲れ様でした」
エミリも周囲を気遣いつつ、乱れた着物の裾を直し、悠然と去っていく。
「やれやれ、だな。だから夏は嫌いなんだ。これだから」
ルクレツィアは濡れたサングラスを白衣で拭い、それも濡れていることに気が付いて僅かに眉根をひそめた。
「さて、君もご苦労だったね。気付いてくれなければ、もうちょっとヤバかったかもしれない」
「わわっ、急に撫でないで下さいよ!」
「これは失礼。ちょうど良いところにあったんでね」
シキは、わしわしと桜の頭、耳を乱暴にかきまわす。頭を押さえて抗議とも、満更でもなさそうともつかない声を上げて、桜が声を上げる。シキは止めることはなく、からからと楽しげに笑うのみだった。
「一時はどうなることかと思ったぜ」
「まあ、俺たちならよゆーだって……あっ」
ヤマトが緊張の糸が一気に切れたと言わんばかりに大きく肩を落とす。ハルは飄々と拳銃のトリガーガードへ指を突っ込み、クルクルと回して見せるが、銃はすっぽ抜けて地面に転がる。ハルの手は、ほんの少しだけ震えていた。
「あれじゃあ、真似のしようがありませんね……ほら」
水玉を思い浮かべながら、ウィチェは落とした銃を拾い、ハルへと突き出した。
思い思いの行動をする彼らの遠くで、駅から数量の小さな列車が発車した。人の好さそうな男は、手にした傘をぼんやりと見て、遠ざかる五麟市に視線を送った。その裏で、若き少年少女が奮闘していることを知る由は無かった。
いつの間にか、重たい雲に切れ間が生まれ、そこからは一つの小さな、そして確かな光を放つ星が見えていた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
