罪 正義の記憶
●
その罪を問えますか?
「貴方たちに娘の罪を問えますか? 元は仲間だった娘を。ましてや裁くことができると、本気で思っているのですか?」
憤怒者でもなく覚者でもない、憤怒者でもない。男は正真正銘、ただの人だった。
そのただの――年老いた男が、全身血まみれになりながら、『覚者』たちから一人の女を守っている。
男に守られている中年の女は元『覚者』だった。いや、彼女はいまでも自分を『覚者』だと思っている。自分は正しいことをしていると強く信じている。彼女の脳は激しい戦闘の積み重ねで修復不可能なダメージを受けており、恐らくはそれが原因で重度の認知症になっただけ。あるいは彼女にまとわりつく死霊たちが凶行の原因かもしれないし、その両方かもしれない。
女に拉致された五人目の『憤怒者』は死にかけていた。
衰弱が激しく、『覚者』たちの呼びかけにも反応しない。腐った肉とアンモニアの臭い、埃舞う中で微かに上下する薄く胸だけが、まだ生きていることを知らせている。そう長くは持たないだろう。
●
眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)はスケッチブックに油性ペンを走らせた。
描きあげた屋敷の見取り図に事件が起こる『蔵』の位置にバツ印をつける。少し考えてから、蔵から離れた場所に小さな×印を四つ描き加えた。
「相次ぐ『憤怒者』失踪事件の捜査をしていた探偵二人が、かねてより犯人の目星をつけていた男の屋敷に踏み込む――捕まっていた憤怒者が、最後の力と気力を振り絞って換気のために開けられていた高窓からものを投げ捨てたものが決め手となって強制調査に入ったのだけど、かなり苦戦しているから助けに行ってあげて」
いいながらスケッチブックを返して覚者たちに見取り図を見せる。
ちなみに屋敷に踏み込んだ探偵は二人。どちらも発現者でもとAAA隊員だ。
「失踪者が監禁され、虐待を受けているのはここ。二階建ての蔵の中よ。扉は開いているわ。蔵の一階には何もないから、すぐ二階に上がって頂戴。それで、覚者偵二人がたかだか一人の一般人を排除するのにどうして手こずっているのかだけど――答えは犯人の女が特殊な術の持ち主だから」
犯人が使う特殊術はダメージ転嫁。有効範囲は十メートル。範囲内にいる対象が承諾すれば、自身が受けたダメージをすべて対象に転嫁できるといった内容らしい。
「被害者を助けようとして犯人やまわりにいる悪霊を攻撃すれば、そのダメージが全て犯人を庇う父親にはいるの。攻撃せず、父親を術の有効範囲へ引きだそうとすれば、悪霊たちに弾き飛ばされされて怪我をする……の繰り返しで探偵たちはボロボロになっているわ。どうやら、探偵たちは犯人の女も被害者も、犯人を庇う父親も殺したくないと思っているみたいね。その甘さが事態を悪くしているのだけれど……まあ、助けてあげて」
その罪を問えますか?
「貴方たちに娘の罪を問えますか? 元は仲間だった娘を。ましてや裁くことができると、本気で思っているのですか?」
憤怒者でもなく覚者でもない、憤怒者でもない。男は正真正銘、ただの人だった。
そのただの――年老いた男が、全身血まみれになりながら、『覚者』たちから一人の女を守っている。
男に守られている中年の女は元『覚者』だった。いや、彼女はいまでも自分を『覚者』だと思っている。自分は正しいことをしていると強く信じている。彼女の脳は激しい戦闘の積み重ねで修復不可能なダメージを受けており、恐らくはそれが原因で重度の認知症になっただけ。あるいは彼女にまとわりつく死霊たちが凶行の原因かもしれないし、その両方かもしれない。
女に拉致された五人目の『憤怒者』は死にかけていた。
衰弱が激しく、『覚者』たちの呼びかけにも反応しない。腐った肉とアンモニアの臭い、埃舞う中で微かに上下する薄く胸だけが、まだ生きていることを知らせている。そう長くは持たないだろう。
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眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)はスケッチブックに油性ペンを走らせた。
描きあげた屋敷の見取り図に事件が起こる『蔵』の位置にバツ印をつける。少し考えてから、蔵から離れた場所に小さな×印を四つ描き加えた。
「相次ぐ『憤怒者』失踪事件の捜査をしていた探偵二人が、かねてより犯人の目星をつけていた男の屋敷に踏み込む――捕まっていた憤怒者が、最後の力と気力を振り絞って換気のために開けられていた高窓からものを投げ捨てたものが決め手となって強制調査に入ったのだけど、かなり苦戦しているから助けに行ってあげて」
いいながらスケッチブックを返して覚者たちに見取り図を見せる。
ちなみに屋敷に踏み込んだ探偵は二人。どちらも発現者でもとAAA隊員だ。
「失踪者が監禁され、虐待を受けているのはここ。二階建ての蔵の中よ。扉は開いているわ。蔵の一階には何もないから、すぐ二階に上がって頂戴。それで、覚者偵二人がたかだか一人の一般人を排除するのにどうして手こずっているのかだけど――答えは犯人の女が特殊な術の持ち主だから」
犯人が使う特殊術はダメージ転嫁。有効範囲は十メートル。範囲内にいる対象が承諾すれば、自身が受けたダメージをすべて対象に転嫁できるといった内容らしい。
「被害者を助けようとして犯人やまわりにいる悪霊を攻撃すれば、そのダメージが全て犯人を庇う父親にはいるの。攻撃せず、父親を術の有効範囲へ引きだそうとすれば、悪霊たちに弾き飛ばされされて怪我をする……の繰り返しで探偵たちはボロボロになっているわ。どうやら、探偵たちは犯人の女も被害者も、犯人を庇う父親も殺したくないと思っているみたいね。その甘さが事態を悪くしているのだけれど……まあ、助けてあげて」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.拉致被害者(憤怒者)の救出
2.出現したすべての妖(悪霊)の撃破
3.探偵二人の無事
2.出現したすべての妖(悪霊)の撃破
3.探偵二人の無事
・とある資産家の屋敷
・夜……外は晴れており空には満月が出ていますが、蔵の中は非常に暗いです。
※犯人たちのほかに家人はおらず、雇いの家政婦も帰宅しています。
●拉致・連続殺人犯
・四條 百合子(40)……発現は20年前。元AAA隊員。火行、暦の因子。
戦闘時の負傷が元で5年前に退職。同時期に離婚、実家に戻っていた。
【戦闘スキル】……火柱、圧投、生贄の羊(ラーニング不可)
【非戦スキル】……火纏、炎纏、速度強化・壱、ハイバランサー、暗視
【所持武器】……スタンガン
※百合子を放置すると、2回に1回の割合で捕えている憤怒者を攻撃します。
※生贄の羊……範囲内にいる対象へのダメージ転嫁。有効範囲は十メートル。
対象の継続的な承諾が必要。ラーニング不可。
※なお、百合子が今まで拉致、殺した人の中に『隔者』はいない模様。
●拉致、監禁されている『憤怒者』
・大沢 数人(19)……暴走族、銅鑼魂(ドラゴン)のヘッド。
発現者に対する嫌がらせ、暴行の前科あり。
重体。虫の息。
子供の発現者に暴行しているところを百合子に目撃され、拉致された模様。
●犯人を庇う一般人
・四條 俊喜(65)……一般人。百合子の父親。
あと2回、攻撃を肩代わりしたら死亡する可能性大。
百合子が殺した憤怒者の死体の後始末をするなど、積極的に犯罪に関わっている。
●悪霊……ランク1、4体
百合子に拉致され、拷問された末に死んだ憤怒者の魂が悪霊化したもの。
ファイヴ到着時、3体が百合子の傍にいる。
残り1体は工房から蔵へ移動途中。
発生源である死体を供養しない限り、倒しても3ターン後に死体のそばに沸く。
なお、死体は五年前に新築された工房の下に埋められている。
【戦闘スキル】……ポルターガイスト(特/近複、ノックB)、鬼火(特/近単)
※回避能力高し。
※蔵にいる悪霊への攻撃は、回避されるとすべて百合子に入る。
●探偵たち
ふたりとも悪霊と百合子の双方から攻撃され、かなりのダメージを受けています。
・元AAAの調査官、田辺万亀(たなべかずき)53歳。火行、暦の因子
錬覇法、炎撃、豪炎撃、炎柱、活性化。特殊警棒のみ。
・元AAAの調査官、木下信二(きのしたしんじ)24歳。水行、翼の因子
エアブリット、癒しの滴、癒しの霧を活性化。武器なし、懐中電燈あり。
※元AAA同士ですが、犯人の百合子と彼らは互いに面識がありません。
●蔵
2階建て。
憤怒者が捕まっているのは、蔵の急階段を上がった2階の奥。
明かりは薄く開けられた高窓から差し込む月光のみ。ほぼ暗闇。
20畳ほどの広さあり。天井は高い。
古い箪笥などの大型家具類がしまい込まれていて、障害物になっている。
●下に死体が埋まっている工房
蔵から5メートルほど離れた場所に建てられている。
作られた石地蔵や原材料の石、ノミなどの工具がたくさん置かれている。
覚者二人の物理攻撃で5ターンから10ターン内に破壊可能。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/8
6/8
公開日
2017年10月27日
2017年10月27日
■メイン参加者 6人■

●
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)は蔵の小さな高窓を見上げた。
鳥の守護使役、カグヤとミトスの二羽が飛んで蔵の中を偵察する。
「よし、田辺さんたちに連絡がついた。二人には百合子に話しかけて気を引きつつ、オレたが行くまで防御してくれって伝えたぜ」
「中は膠着(こうちゃく)状態みたい」
『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525) は、戻ってきたカグヤが見たことを仲間たちに報告した。
「百合子が憤怒者に向かって話しかけている。何を言っているかまでは判らなかったようだけど――」
言葉を切って、勒・一二三(CL2001559)を見る。
「ミトスも何を話しかけているのかまでは聞き取れなかったようですね。残念ですが。それで……憤怒者は鎖で壁に繋がれています。壁の前に憤怒者の数人くん、百合子さん、悪霊たち、俊喜さん、和タンス? そこから二メートルほど離れて探偵さんたちがいます」
「階段を上がると、倒れているタンスと探偵たちのちょうど真ん中あたりに出るから」
わかりました、と『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は頷いた。
「私がペスカに足音を消してもらいながら先に階段を上がります。生贄の羊には継続的な承諾が必要……となれば、眠ってしまえば承諾は途切れるはず。だめ元で『復汰火』を試してみましょう。鼎さんと桂木さんは全員の回復を行ってください」
「うん、わかった」
「了解なのよ」
桂木・日那乃(CL2000941)の横で、『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が敬礼する。
「では、手筈通りに。私は奥州と勒の三人で工房に向かう」
「待って。質問……憤怒者のひとは、殺したら、だめ、……なのは、FiVE、だけ? AAAは、違う、の??」
先に走りだしていたにも関わらず、一悟はわざわざ日那乃の傍まで戻ってきた。
「眩の話じゃ、田辺さんも木下さんも憤怒者は助け出すつもりみたいだぜ?」
「それに、パパさんたちも助けようとしているから苦戦しているのよ」
日那乃はふうん、と呟いた。
「じゃ、意見のすり合わせ? それは……しなくても、いい、のね?」
「みんな、助けましょう。心まで救えるかは分かりませんが」
どこかで犬が遠吠えした。
覚者たちの耳の奥底に、悲しい程透明な遠吠えがまだ殘っているうちに、今度は蔵の中から騒々しい物音が聞こえてきた。
「急ぎましょう!」
ラーラの一声で覚者たちは走りだした。
●
四條家に突入後、覚者たちは二手に分かれた。
あるものは月あかりを頼りに、あるものは懐中電灯の黄色い灯りを頼りに、そしてもちろん暗視を活性化して、広い敷地の中を進む。
工房破壊班の先頭に立って走っていた一悟は、ふらふらと蔵へ向かって飛んで行く白い霞のようなものを見つけた。
「いたぜ! 悪霊だ」
「ここは私と勒が。奥州、先に行って」
蔵の中へ別班が突入したのを横目で確認して、彩吹は立ち止まった。
一悟の姿が母屋の角に消えたと同時に、悪霊目がけてエアブリットを放つ。
ほとんど羽音を立てずに放たれた空気の刃は、実体のない悪霊を裂いた。
切り裂かれた白い靄が、一瞬で元に戻る。
一二三は彩吹の横を抜けて前に出ると、額にかかる髪を手であげた。
「すぐに悪夢を終わらせてあげますからね。もうしばらく待ってください」
第三の目から浄化の光が放たれ、中央に人間の顔をゆらめかせた靄を射抜く。
青黒い光を発して靄が消えた。
「倒した?」
「とりあえずは。遺体を供養しない限りまた迷い出てきますよ」
工房を壊して遺体を掘り起こし、人知れず命を絶たれて埋められた無念を晴らしてやらない限り、悪霊たちは何度でもよみがえる。
派手な破壊音が聞こえた。
急いで母屋の角を曲がったとたん、二人して吹き寄せてきた土煙にむせ返る。
目を開けると、ひしゃげた金属がきしみながら建物の前をバラバラに砕き、地面にぶつかった。
時間短縮の一計を案じた一悟が、工房横の電燈柱を攻撃したのだ。
「ちぇ、全部一度には壊れなかったか」
「一撃で全壊はさすがに無理だろう。手伝う――カグヤ、後ろ側がどれだけ壊れたか見てきて」
守護使役に指示を出すと、彩吹は壁が崩れてむき出しになった柱を一本蹴り折った。
一二三が獣のごとく荒れ狂う雷で工房の傾いた屋根を打ち据える。
耳をつんざくような音とともに、辺りが閃光で白く飛んだ。
ラーラは飛鳥と日那乃を後ろに連れて蔵へ向かった。
下は板張り、上は土壁を白く塗りこめた、いまどき珍しいほど立派な蔵は、屋敷を囲う塀の一部を成している。蔵の正面に正面に二段の石階段があり、それをあがった先で銅張りの扉が開いたままになっていた。
蔵の中から、女の金切り声と重い者が投げ落とされる音が聞こえてきた。もうもうと挨が舞っているのが外からでも分かる。
庭の反対側からも、戦いの気配が伝わってきた。
「懐中電燈、消す……暗視に、切り替える、ね」
「あすかもそうするのよ。さあ、中に入りましょう!」
蔵の中に入ったところで、建物崩壊の前兆を示す振動が微かに身体を揺すぶった。外から飛び込んでくる破壊音が思ったよりも大きい。
それでも上にいる小百合たちに気取られないよう、ラーラは用心のためにペスカを頼った。
「先に上がります。二人とも、十数えてから登ってきてください」
気配を殺し、忍び足で昇る灰暗い階段の刻みは思ったより高かった。それにいくら暗視を聞かせているとはいえ、周りのほとんどが闇に沈んで見えない。手を二つ上の段に置きながら登る。
手が最上段に届く。横へ顔を向けると、革靴が見えた。
エナミースキャンを発動し、息を殺して様子を窺っていると、ガタガタと物音がした。
直後、灰色だと思われるスラックスの膝が目の前に落ちて、木の床に黒い染みが広がり始めた。低く呻く声を聞いて、ラーラは慌てて煌炎の書を開いた。
「我、ここに静寂を望む。銀の炎よ導け、もろもろ眠りに誘わん」
煌炎の書を飛び出した雪豹の如き銀の炎に、辺りの音がやわらかく吸い込まれていく。透明で心地よい眠りが暗がりの中を駆け巡り、敵を眠りの国へ導いていった。
ばたん、ばたんと柔らかく重いものが床に倒れていく。
間を置かずして、傷を優しく癒す甘露が階段を這いあがり、濃霧となって蔵の二階全体を満たした。
飛鳥と日那乃が同時に回復術を発動させたのだ。
ラーラは二階へ上がった。
「ファイヴです。田辺さんに木下さん、ご無事ですか? 微力ながら助けに来ましたよ。覚えておいでですか?」
何か固いものが左肩に当たって落ちた。
鼻の先をかすめて大皿が飛んで行く。
「伏せろっ!」
男の煙草でかすれた怒鳴り声がして、ラーラはその場にしゃがみ込んだ。
ポルタ―ガイスト現象だ。どうやら悪霊は眠らなかったらしい。
田辺たちと一緒に、腰を落としたまま部屋の奥へ後退する。前から、ガタガタと和タンスが揺れ動きだす音がした。
「鼎さん……回復は、任せて。憤怒者を……」
日那乃は懐中電燈を点けると階段を照らした。
「お願いしますのよ」
高い段差をものともせず、飛鳥は階段を二段飛ばしで駆け上がった。
上がり切って部屋へ体を向けた途端、ご、ごっ、と倒れた家具――タンスが床に当たりながら左から右へ飛んでいった。右側から小さく悲鳴が上がる。
後ろから黄色い光が射して、部屋を薙いだ。
飛鳥は左へ首を回す。
「いたのよ!」
手前で倒れている男を飛び越し、長い髪を床に広げる女を踏まないようにして、壁に鎖で繋がれている憤怒者の元へ向かう。
鍵を探している暇などない。源素で拳を固めて壁の留め具を叩き壊した。
「いまなのよ、数人たちを連れだしてください!!」
「目を覚まさない、うちに……早く」
日那乃に促されて、ラーラと田辺が――日那乃が奈良で会ったときよりも痩せていた――が力を合わせてタンスを押しのけた。
ふたりの後ろにいた木下に声を掛ける。
「蔵から、連れて、出て。回復はわたし、も、鼎さんもいるから……」
最後まで言い終えないうちに木下は手前で倒れている老人に駆け寄ると、肩を入れて担ぎ起こした。
「田辺さんも。下で四條さんや憤怒者を見張ってもらえると助かります」
「誰が来たのかと思ったら。ああ、覚えているとも。あの時とは立場が――と、お喋りしている場合じゃないな。後は頼むぞ」
田辺は飛鳥からぐったりしている憤怒者の体を受け取ると、木下の後に続いて階段を降りて行った。
●
「出やがったな」
瓦礫を撤去する時間を惜しみ、覚者たちは工房内部に踏み込んだ。すでに工房の天井は割れ目から裂けて半分が落ち、星空が見えている。
倒れて重なりあう石像の向こう側、月明りが照らす床のあたりで、白いモヤのようなものが二塊、湧き出ている。悪霊だ。
「あの床の下に遺体が埋められているのではないでしょうか」
「私もそうだと思う」
一悟と彩吹はほぼ同時に攻撃を放った。
紙や木クズほ巻き上げながら渦巻く炎柱を突っ切って、空気の刃が飛ぶ。
切り裂かれた悪霊と、床下から湧き出て来たばかりの悪霊を炎が焼いた。
「うおっ!?」
「危ない!」
瓦礫や石像に加えて、石を削るノミが四方から無作為に飛んできた。さすがに飛んでくるものを全てよけきれない。致命傷になりそうな物は避けたが、ノミや大きなガラス片、重い石像をいくつか食らった。
「すぐ傷の手当てをします」
一二三が癒しの霧を広げて前に立つ二人の体を包む。
霧が晴れると、焦げたニオイを纏わせた悪霊が横手から彩吹に襲い掛かってきた。至近距離か怨念の火を吐かれてのけぞる。去り際を捕えて肘を打ち入れた。
カウンターではダメージを与えられなかったか、悪霊はふらふらと湧き出て来たところへ戻っていく。
「もう一発、食らいやがれ!」
一悟は床へ落ちていく悪霊に炎の色に輝く拳をぶち込んだ。
悪霊は蛍光色に輝く無数の光片となって散った。
「最初に倒した悪霊がよみがえる頃です。いそいで床を剥ぎましょう」
「そうしてぇのは山々だけどよ――最初のヤツと倉に最後まで残っていたヤツがそろって出てきたようだぜ」
一悟は防御姿勢をとった。
彩吹は破れた天井に向かってジャンプした。
高く、高く空へ飛び出して、伸ばした指の先でカグヤが掴み持つ勾玉に触れる。勾玉と離れていく指の間に絆の蒼光が引かれ、一本の槍に変化した。
重力に引かれて落ちながら、バズヴ・カタを振り回す。刃の軌跡が、幾重にも重なり告死天使が広げる翼になった。
「迷うな、死を受け入れよ!」
自身を死の槍とし、強烈な蹴りで悪霊たちを床へたたきつける。衝撃でコンクリートが割れて吹き飛んだ。
一悟が炎柱を立てて拡散した悪霊を焼き払う。
床の下から人骨とまだ肉のついた遺体が出て来た。と同時に、溶解した肉や血が放つ死臭が広がる。
あまりにひどい臭いに一悟と彩吹は顔を青くして後ろへ下がった。
懐から数珠を取りだしながら、一二三が前に出る。
「お二人は急いで蔵へ向かってください。あとは僕が経をあげて御霊を鎮め、きちんとお見送りいたしますから」
彩吹は工房の入口だったところで、ちいさな地蔵をみつけて抱き上げた。一悟を待たせて気を奮い立たせ、遺体のそばまで戻る。
カグヤにお神酒を出してもらい、遺体の脇に地蔵と一緒に添えた。こもりうたは歌えなかったが、せめてもの供養になればと思う。
一二三は無言でうなずくと、遺体のそばに正座して経をあげはじめた。
田辺たちが被害者と共犯の四條俊喜を担いで下に降りたあと、百合子が目を覚ました。
ゆっくり上半身を起こすと辺りを不思議そうに眺め、壁に顔を向けたところで突然、わめきだした。
「あなた、誰? そこにいた男をどこへやったの!?」
金切り声に反応して、百合子の頭の上でゆらゆらと漂っていた悪霊三体の動きが激しくなった。
「四條さん、落ち着いて――」
てのひらを百合子に向けてゆっくりと近づこうとしていたラーラの肘を、後ろから日那乃が下へ引っ張った。
下がった頭の上を後ろから飛んできた木箱がかすめて行く。
木箱はそのまま壁にあたって砕け、飛鳥の上に木片をばら撒いた。
「誰!? 誰の許可を得て連れ出したの! せっかく教育の成果が上がり始めていたところなのに、中断したらまた憤怒者に戻るじゃないの!」
中途半端にするのが一番ダメなのだ、と声を張りあげながら飛鳥に掴みかかった。両手で襟首をつかんで締め、そのまま腕を上げて釣り上げる。
「お、落ち着いてくださいなのよ。あ……すかたちはファイヴ、なのよ」
「ファイヴ?」
百合子が飛鳥を吊り上げたまま体を回す。
日那乃は百合子を刺激しないようにつけたままの懐中電燈を床に置いた。ラーラと一緒にそろそろと腰をあげる。
「ファイヴ?」
「そうです。私たちは――」
「嘘つき!!」
悪霊たちが一斉にポルタ―ガイスト現象を起こし、蔵全体がガタガタと揺れ出した。
タンスや壊れたイス、しまい込まれていた陶器などが、百合子を真ん中に渦を巻くようにして部屋の中を飛び交う。
「ぎゃっ!」
飛鳥が床にたたきつけられた。
百合子の死線が下がった機を捉え、日那乃は飛び交う物の間を抜けて飛びあがった。天井ギリギリに止まると、悪霊をエアブリッドで切り裂いた。
「鼎さん、こっちへ!」
「あなたたち、隔者ね?」
這いながらラーラの元へ向かう飛鳥を火柱が追いかける。
「認知症のせいとはいえ、こんな凶行を野放しには出来ません。罪を問う、問わないは後」
エナミースキャンの結果から、百合子がのったくダメージを受けていないことが判明していた。田辺たちから受けた攻撃は、父親の俊喜に肩代わりさせていたのだから当然だ。
だが、いまはもう、身代りの羊となるものがいない。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
魔法陣を展開して炎の波を起こした。
炎の波は飛鳥を焼く火柱を圧倒的な力で流し消すと、百合子と悪霊たちを飲み込んだ。
逃れ出た悪霊を、日那乃が空気の刃で落とす。
仕返しとばかりに飛んできた鬼火に翼の片側を焼かれ、日那乃は床へ降りた。
「……百合子さんは、憤怒者、嫌い?」
「隔者は嫌い。でも、憤怒者たちは……彼らは正しい知識を与えれば矯正できるわ。私たちのよき理解者になってくれる」
「殺したら意味ないのよ!」
痛めた首の後ろに手を当てながら、飛鳥はスティックを百合子へ向けた。猛る水龍が大口を開けて迸り出る。
水龍は悪霊をかみ砕くと、百合子を壁に叩きつけた。
意味不明な言葉をわめき散らしながら、百合子はまるで破錠してしまったかのように火柱を乱発しだした。
悪霊たちをすべて倒しているので攻撃パターンは単調だ。しかし、どうしても反撃の糸口がつかめない。
そこへ、一悟と彩吹が駆けつけてきた。
二人が前衛に立つことで反撃の体勢が整った。
「ここで時間をかけると本当に破錠しちまう。一気に片をつけるぜ!」
飛鳥と日那乃が火傷を癒し、体力を回復させる。
まずラーラが火の玉を立て続けに二発放って百合子の動きを止めた。
一悟と彩吹が二人同時に間合いを詰めると、それぞれ拳と蹴りを叩き込んで気絶させた。
●
母屋で電話を借りていた彩吹が戻ってきた。
「救急車は?」、とラーラ。
「もうすぐ来る。それより……」
一二三が首を横にふる。
「術では直せないようですね」
回復術をもつ三人が百合子を交互に治癒を試みたのだが、結果は芳しくなかった。いまはぼうっとした様子で毛布にくるまれて座っている。
彩吹は横にしゃがみ込んだ。
「百合子さん、聞こえている? 私も憤怒者は好きじゃないし、子どもへ暴力振るう人間は張り倒すけれども……だけどね、『だから殺していい』わけじゃない。ううん、貴女の言葉を借りれば『再教育』ね。でも、貴女がしたことは間違っている」
百合子は返事をするどころか、横に顔を向けもしない。
「憤怒者が悪い事をしていたにしても、監禁して拷問のあげくに死なせるなんてやりすぎだ」
横から俊喜が割りこんできた。
「百合子は……分かっていないんだ。更生してここを出て行った、と思っている」
「そもそもどうやって百合子さんは拉致する憤怒者を見つけていたのよ? 普段はまともだったの?」
飛鳥は腰に拳を当てて怒っている。
「それは……つぎ……が、治る……と」
俊喜は口ごもった。
うなだれる老人に日那乃が暗い目を向ける。
「……もしかして、四條さん、あなたが? 百合子さんの代わり、に?」
「ま、あとは警察に任せよう。大沢、お前もな」
田辺は俊喜を立たせた。木下が百合子を立たせ、門から入ってきた警察官たちにふたりを引き渡す。憤怒者の大沢数人は、担架に乗せられて運ばれて行った。
一悟は立ち去ろうとした探偵たちを呼び止めた。
「田辺さん、ちょっと。あの遺跡、どうなった? それに大福さんは――AAA本部があんなことになってさ、その後は?」
「あの遺跡の管轄はファイヴに移ったはずだ。上の者に聞いてみろ。大福寺さんは……あの夜、つぎはぎの妖に攫われた。その後どうなったかは、わからない」
「なんですって!?」
ラーラたちは顔を見合わせた。
一人いぶかしむ彩吹に一二三が説明する。
「認識名パッチワークレディ。通称、つぎはぎ女。イレヴン幹部、冥宗寺をたぶらかして事件を起こさせていた妖です。どうやら他にも、よからぬことを考えているようですね」
月が雲に隠れ、覚者たちは闇に包まれた。
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)は蔵の小さな高窓を見上げた。
鳥の守護使役、カグヤとミトスの二羽が飛んで蔵の中を偵察する。
「よし、田辺さんたちに連絡がついた。二人には百合子に話しかけて気を引きつつ、オレたが行くまで防御してくれって伝えたぜ」
「中は膠着(こうちゃく)状態みたい」
『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525) は、戻ってきたカグヤが見たことを仲間たちに報告した。
「百合子が憤怒者に向かって話しかけている。何を言っているかまでは判らなかったようだけど――」
言葉を切って、勒・一二三(CL2001559)を見る。
「ミトスも何を話しかけているのかまでは聞き取れなかったようですね。残念ですが。それで……憤怒者は鎖で壁に繋がれています。壁の前に憤怒者の数人くん、百合子さん、悪霊たち、俊喜さん、和タンス? そこから二メートルほど離れて探偵さんたちがいます」
「階段を上がると、倒れているタンスと探偵たちのちょうど真ん中あたりに出るから」
わかりました、と『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は頷いた。
「私がペスカに足音を消してもらいながら先に階段を上がります。生贄の羊には継続的な承諾が必要……となれば、眠ってしまえば承諾は途切れるはず。だめ元で『復汰火』を試してみましょう。鼎さんと桂木さんは全員の回復を行ってください」
「うん、わかった」
「了解なのよ」
桂木・日那乃(CL2000941)の横で、『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が敬礼する。
「では、手筈通りに。私は奥州と勒の三人で工房に向かう」
「待って。質問……憤怒者のひとは、殺したら、だめ、……なのは、FiVE、だけ? AAAは、違う、の??」
先に走りだしていたにも関わらず、一悟はわざわざ日那乃の傍まで戻ってきた。
「眩の話じゃ、田辺さんも木下さんも憤怒者は助け出すつもりみたいだぜ?」
「それに、パパさんたちも助けようとしているから苦戦しているのよ」
日那乃はふうん、と呟いた。
「じゃ、意見のすり合わせ? それは……しなくても、いい、のね?」
「みんな、助けましょう。心まで救えるかは分かりませんが」
どこかで犬が遠吠えした。
覚者たちの耳の奥底に、悲しい程透明な遠吠えがまだ殘っているうちに、今度は蔵の中から騒々しい物音が聞こえてきた。
「急ぎましょう!」
ラーラの一声で覚者たちは走りだした。
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四條家に突入後、覚者たちは二手に分かれた。
あるものは月あかりを頼りに、あるものは懐中電灯の黄色い灯りを頼りに、そしてもちろん暗視を活性化して、広い敷地の中を進む。
工房破壊班の先頭に立って走っていた一悟は、ふらふらと蔵へ向かって飛んで行く白い霞のようなものを見つけた。
「いたぜ! 悪霊だ」
「ここは私と勒が。奥州、先に行って」
蔵の中へ別班が突入したのを横目で確認して、彩吹は立ち止まった。
一悟の姿が母屋の角に消えたと同時に、悪霊目がけてエアブリットを放つ。
ほとんど羽音を立てずに放たれた空気の刃は、実体のない悪霊を裂いた。
切り裂かれた白い靄が、一瞬で元に戻る。
一二三は彩吹の横を抜けて前に出ると、額にかかる髪を手であげた。
「すぐに悪夢を終わらせてあげますからね。もうしばらく待ってください」
第三の目から浄化の光が放たれ、中央に人間の顔をゆらめかせた靄を射抜く。
青黒い光を発して靄が消えた。
「倒した?」
「とりあえずは。遺体を供養しない限りまた迷い出てきますよ」
工房を壊して遺体を掘り起こし、人知れず命を絶たれて埋められた無念を晴らしてやらない限り、悪霊たちは何度でもよみがえる。
派手な破壊音が聞こえた。
急いで母屋の角を曲がったとたん、二人して吹き寄せてきた土煙にむせ返る。
目を開けると、ひしゃげた金属がきしみながら建物の前をバラバラに砕き、地面にぶつかった。
時間短縮の一計を案じた一悟が、工房横の電燈柱を攻撃したのだ。
「ちぇ、全部一度には壊れなかったか」
「一撃で全壊はさすがに無理だろう。手伝う――カグヤ、後ろ側がどれだけ壊れたか見てきて」
守護使役に指示を出すと、彩吹は壁が崩れてむき出しになった柱を一本蹴り折った。
一二三が獣のごとく荒れ狂う雷で工房の傾いた屋根を打ち据える。
耳をつんざくような音とともに、辺りが閃光で白く飛んだ。
ラーラは飛鳥と日那乃を後ろに連れて蔵へ向かった。
下は板張り、上は土壁を白く塗りこめた、いまどき珍しいほど立派な蔵は、屋敷を囲う塀の一部を成している。蔵の正面に正面に二段の石階段があり、それをあがった先で銅張りの扉が開いたままになっていた。
蔵の中から、女の金切り声と重い者が投げ落とされる音が聞こえてきた。もうもうと挨が舞っているのが外からでも分かる。
庭の反対側からも、戦いの気配が伝わってきた。
「懐中電燈、消す……暗視に、切り替える、ね」
「あすかもそうするのよ。さあ、中に入りましょう!」
蔵の中に入ったところで、建物崩壊の前兆を示す振動が微かに身体を揺すぶった。外から飛び込んでくる破壊音が思ったよりも大きい。
それでも上にいる小百合たちに気取られないよう、ラーラは用心のためにペスカを頼った。
「先に上がります。二人とも、十数えてから登ってきてください」
気配を殺し、忍び足で昇る灰暗い階段の刻みは思ったより高かった。それにいくら暗視を聞かせているとはいえ、周りのほとんどが闇に沈んで見えない。手を二つ上の段に置きながら登る。
手が最上段に届く。横へ顔を向けると、革靴が見えた。
エナミースキャンを発動し、息を殺して様子を窺っていると、ガタガタと物音がした。
直後、灰色だと思われるスラックスの膝が目の前に落ちて、木の床に黒い染みが広がり始めた。低く呻く声を聞いて、ラーラは慌てて煌炎の書を開いた。
「我、ここに静寂を望む。銀の炎よ導け、もろもろ眠りに誘わん」
煌炎の書を飛び出した雪豹の如き銀の炎に、辺りの音がやわらかく吸い込まれていく。透明で心地よい眠りが暗がりの中を駆け巡り、敵を眠りの国へ導いていった。
ばたん、ばたんと柔らかく重いものが床に倒れていく。
間を置かずして、傷を優しく癒す甘露が階段を這いあがり、濃霧となって蔵の二階全体を満たした。
飛鳥と日那乃が同時に回復術を発動させたのだ。
ラーラは二階へ上がった。
「ファイヴです。田辺さんに木下さん、ご無事ですか? 微力ながら助けに来ましたよ。覚えておいでですか?」
何か固いものが左肩に当たって落ちた。
鼻の先をかすめて大皿が飛んで行く。
「伏せろっ!」
男の煙草でかすれた怒鳴り声がして、ラーラはその場にしゃがみ込んだ。
ポルタ―ガイスト現象だ。どうやら悪霊は眠らなかったらしい。
田辺たちと一緒に、腰を落としたまま部屋の奥へ後退する。前から、ガタガタと和タンスが揺れ動きだす音がした。
「鼎さん……回復は、任せて。憤怒者を……」
日那乃は懐中電燈を点けると階段を照らした。
「お願いしますのよ」
高い段差をものともせず、飛鳥は階段を二段飛ばしで駆け上がった。
上がり切って部屋へ体を向けた途端、ご、ごっ、と倒れた家具――タンスが床に当たりながら左から右へ飛んでいった。右側から小さく悲鳴が上がる。
後ろから黄色い光が射して、部屋を薙いだ。
飛鳥は左へ首を回す。
「いたのよ!」
手前で倒れている男を飛び越し、長い髪を床に広げる女を踏まないようにして、壁に鎖で繋がれている憤怒者の元へ向かう。
鍵を探している暇などない。源素で拳を固めて壁の留め具を叩き壊した。
「いまなのよ、数人たちを連れだしてください!!」
「目を覚まさない、うちに……早く」
日那乃に促されて、ラーラと田辺が――日那乃が奈良で会ったときよりも痩せていた――が力を合わせてタンスを押しのけた。
ふたりの後ろにいた木下に声を掛ける。
「蔵から、連れて、出て。回復はわたし、も、鼎さんもいるから……」
最後まで言い終えないうちに木下は手前で倒れている老人に駆け寄ると、肩を入れて担ぎ起こした。
「田辺さんも。下で四條さんや憤怒者を見張ってもらえると助かります」
「誰が来たのかと思ったら。ああ、覚えているとも。あの時とは立場が――と、お喋りしている場合じゃないな。後は頼むぞ」
田辺は飛鳥からぐったりしている憤怒者の体を受け取ると、木下の後に続いて階段を降りて行った。
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「出やがったな」
瓦礫を撤去する時間を惜しみ、覚者たちは工房内部に踏み込んだ。すでに工房の天井は割れ目から裂けて半分が落ち、星空が見えている。
倒れて重なりあう石像の向こう側、月明りが照らす床のあたりで、白いモヤのようなものが二塊、湧き出ている。悪霊だ。
「あの床の下に遺体が埋められているのではないでしょうか」
「私もそうだと思う」
一悟と彩吹はほぼ同時に攻撃を放った。
紙や木クズほ巻き上げながら渦巻く炎柱を突っ切って、空気の刃が飛ぶ。
切り裂かれた悪霊と、床下から湧き出て来たばかりの悪霊を炎が焼いた。
「うおっ!?」
「危ない!」
瓦礫や石像に加えて、石を削るノミが四方から無作為に飛んできた。さすがに飛んでくるものを全てよけきれない。致命傷になりそうな物は避けたが、ノミや大きなガラス片、重い石像をいくつか食らった。
「すぐ傷の手当てをします」
一二三が癒しの霧を広げて前に立つ二人の体を包む。
霧が晴れると、焦げたニオイを纏わせた悪霊が横手から彩吹に襲い掛かってきた。至近距離か怨念の火を吐かれてのけぞる。去り際を捕えて肘を打ち入れた。
カウンターではダメージを与えられなかったか、悪霊はふらふらと湧き出て来たところへ戻っていく。
「もう一発、食らいやがれ!」
一悟は床へ落ちていく悪霊に炎の色に輝く拳をぶち込んだ。
悪霊は蛍光色に輝く無数の光片となって散った。
「最初に倒した悪霊がよみがえる頃です。いそいで床を剥ぎましょう」
「そうしてぇのは山々だけどよ――最初のヤツと倉に最後まで残っていたヤツがそろって出てきたようだぜ」
一悟は防御姿勢をとった。
彩吹は破れた天井に向かってジャンプした。
高く、高く空へ飛び出して、伸ばした指の先でカグヤが掴み持つ勾玉に触れる。勾玉と離れていく指の間に絆の蒼光が引かれ、一本の槍に変化した。
重力に引かれて落ちながら、バズヴ・カタを振り回す。刃の軌跡が、幾重にも重なり告死天使が広げる翼になった。
「迷うな、死を受け入れよ!」
自身を死の槍とし、強烈な蹴りで悪霊たちを床へたたきつける。衝撃でコンクリートが割れて吹き飛んだ。
一悟が炎柱を立てて拡散した悪霊を焼き払う。
床の下から人骨とまだ肉のついた遺体が出て来た。と同時に、溶解した肉や血が放つ死臭が広がる。
あまりにひどい臭いに一悟と彩吹は顔を青くして後ろへ下がった。
懐から数珠を取りだしながら、一二三が前に出る。
「お二人は急いで蔵へ向かってください。あとは僕が経をあげて御霊を鎮め、きちんとお見送りいたしますから」
彩吹は工房の入口だったところで、ちいさな地蔵をみつけて抱き上げた。一悟を待たせて気を奮い立たせ、遺体のそばまで戻る。
カグヤにお神酒を出してもらい、遺体の脇に地蔵と一緒に添えた。こもりうたは歌えなかったが、せめてもの供養になればと思う。
一二三は無言でうなずくと、遺体のそばに正座して経をあげはじめた。
田辺たちが被害者と共犯の四條俊喜を担いで下に降りたあと、百合子が目を覚ました。
ゆっくり上半身を起こすと辺りを不思議そうに眺め、壁に顔を向けたところで突然、わめきだした。
「あなた、誰? そこにいた男をどこへやったの!?」
金切り声に反応して、百合子の頭の上でゆらゆらと漂っていた悪霊三体の動きが激しくなった。
「四條さん、落ち着いて――」
てのひらを百合子に向けてゆっくりと近づこうとしていたラーラの肘を、後ろから日那乃が下へ引っ張った。
下がった頭の上を後ろから飛んできた木箱がかすめて行く。
木箱はそのまま壁にあたって砕け、飛鳥の上に木片をばら撒いた。
「誰!? 誰の許可を得て連れ出したの! せっかく教育の成果が上がり始めていたところなのに、中断したらまた憤怒者に戻るじゃないの!」
中途半端にするのが一番ダメなのだ、と声を張りあげながら飛鳥に掴みかかった。両手で襟首をつかんで締め、そのまま腕を上げて釣り上げる。
「お、落ち着いてくださいなのよ。あ……すかたちはファイヴ、なのよ」
「ファイヴ?」
百合子が飛鳥を吊り上げたまま体を回す。
日那乃は百合子を刺激しないようにつけたままの懐中電燈を床に置いた。ラーラと一緒にそろそろと腰をあげる。
「ファイヴ?」
「そうです。私たちは――」
「嘘つき!!」
悪霊たちが一斉にポルタ―ガイスト現象を起こし、蔵全体がガタガタと揺れ出した。
タンスや壊れたイス、しまい込まれていた陶器などが、百合子を真ん中に渦を巻くようにして部屋の中を飛び交う。
「ぎゃっ!」
飛鳥が床にたたきつけられた。
百合子の死線が下がった機を捉え、日那乃は飛び交う物の間を抜けて飛びあがった。天井ギリギリに止まると、悪霊をエアブリッドで切り裂いた。
「鼎さん、こっちへ!」
「あなたたち、隔者ね?」
這いながらラーラの元へ向かう飛鳥を火柱が追いかける。
「認知症のせいとはいえ、こんな凶行を野放しには出来ません。罪を問う、問わないは後」
エナミースキャンの結果から、百合子がのったくダメージを受けていないことが判明していた。田辺たちから受けた攻撃は、父親の俊喜に肩代わりさせていたのだから当然だ。
だが、いまはもう、身代りの羊となるものがいない。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
魔法陣を展開して炎の波を起こした。
炎の波は飛鳥を焼く火柱を圧倒的な力で流し消すと、百合子と悪霊たちを飲み込んだ。
逃れ出た悪霊を、日那乃が空気の刃で落とす。
仕返しとばかりに飛んできた鬼火に翼の片側を焼かれ、日那乃は床へ降りた。
「……百合子さんは、憤怒者、嫌い?」
「隔者は嫌い。でも、憤怒者たちは……彼らは正しい知識を与えれば矯正できるわ。私たちのよき理解者になってくれる」
「殺したら意味ないのよ!」
痛めた首の後ろに手を当てながら、飛鳥はスティックを百合子へ向けた。猛る水龍が大口を開けて迸り出る。
水龍は悪霊をかみ砕くと、百合子を壁に叩きつけた。
意味不明な言葉をわめき散らしながら、百合子はまるで破錠してしまったかのように火柱を乱発しだした。
悪霊たちをすべて倒しているので攻撃パターンは単調だ。しかし、どうしても反撃の糸口がつかめない。
そこへ、一悟と彩吹が駆けつけてきた。
二人が前衛に立つことで反撃の体勢が整った。
「ここで時間をかけると本当に破錠しちまう。一気に片をつけるぜ!」
飛鳥と日那乃が火傷を癒し、体力を回復させる。
まずラーラが火の玉を立て続けに二発放って百合子の動きを止めた。
一悟と彩吹が二人同時に間合いを詰めると、それぞれ拳と蹴りを叩き込んで気絶させた。
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母屋で電話を借りていた彩吹が戻ってきた。
「救急車は?」、とラーラ。
「もうすぐ来る。それより……」
一二三が首を横にふる。
「術では直せないようですね」
回復術をもつ三人が百合子を交互に治癒を試みたのだが、結果は芳しくなかった。いまはぼうっとした様子で毛布にくるまれて座っている。
彩吹は横にしゃがみ込んだ。
「百合子さん、聞こえている? 私も憤怒者は好きじゃないし、子どもへ暴力振るう人間は張り倒すけれども……だけどね、『だから殺していい』わけじゃない。ううん、貴女の言葉を借りれば『再教育』ね。でも、貴女がしたことは間違っている」
百合子は返事をするどころか、横に顔を向けもしない。
「憤怒者が悪い事をしていたにしても、監禁して拷問のあげくに死なせるなんてやりすぎだ」
横から俊喜が割りこんできた。
「百合子は……分かっていないんだ。更生してここを出て行った、と思っている」
「そもそもどうやって百合子さんは拉致する憤怒者を見つけていたのよ? 普段はまともだったの?」
飛鳥は腰に拳を当てて怒っている。
「それは……つぎ……が、治る……と」
俊喜は口ごもった。
うなだれる老人に日那乃が暗い目を向ける。
「……もしかして、四條さん、あなたが? 百合子さんの代わり、に?」
「ま、あとは警察に任せよう。大沢、お前もな」
田辺は俊喜を立たせた。木下が百合子を立たせ、門から入ってきた警察官たちにふたりを引き渡す。憤怒者の大沢数人は、担架に乗せられて運ばれて行った。
一悟は立ち去ろうとした探偵たちを呼び止めた。
「田辺さん、ちょっと。あの遺跡、どうなった? それに大福さんは――AAA本部があんなことになってさ、その後は?」
「あの遺跡の管轄はファイヴに移ったはずだ。上の者に聞いてみろ。大福寺さんは……あの夜、つぎはぎの妖に攫われた。その後どうなったかは、わからない」
「なんですって!?」
ラーラたちは顔を見合わせた。
一人いぶかしむ彩吹に一二三が説明する。
「認識名パッチワークレディ。通称、つぎはぎ女。イレヴン幹部、冥宗寺をたぶらかして事件を起こさせていた妖です。どうやら他にも、よからぬことを考えているようですね」
月が雲に隠れ、覚者たちは闇に包まれた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
