【儚語】夢見るあなたの夢を見る
●
大人びていると、良く言われる。
まだ子供だとは思えない程冷静だと、良く言われる。
未来視の夢をそれと確信した私は、この力を、自分にとって有益に使いたいと考えた。
犯罪者を一概に嫌うわけではなく、脅迫などの手段をもって使わされるのは御免だった。
そう思って、力の事を口にする事を控えた。まずは様子を見て、情報を集めて、それから慎重にと。
だけど、結果から言えば――そうも言っていられなくなった。
「お待たせいたしました」
「あら、ありがとう」
紅茶を運んできたウェイターにお礼と微笑を向ける。彼は少し赤面したようだった。
こう言った反応を示されるあたり、自分の見目が悪くない事も、年不相応な雰囲気を持つ事も、自惚れでは無いのだろう。
聡い子だと、良く言われる。
不意に、かたかた、揺れた。
ティーカップのふちを飛び越えて、中の紅茶はソーサーを汚す。
「地震かしら?」
憂鬱を込めて、息を吐く。
でも、本当に憂鬱なのは地震では無い。今から自分が死ぬかもしれないと言う未来だ。
今朝見た夢。
この店で、妖に食われそうになる夢。
すんでの所で誰かが店に飛び込んで来て、妖と向かい合う。夢はそこで途切れる。私が助かったのかどうかも分からない。もしかしたら、飛び込んできた誰かも妖に殺されて、結局私は食い殺されるのかも知れない。
思えば、視線を感じ始めたのは一昨日からだ。気のせいだと思っていた、気のせいでなくても夢見の力があればなんとかなると思っていた。己惚れていた。それが失敗だった。
つまり、既に目は付けられているのだ、逃げた所で見逃してくれるとは思えない。
「けれど、今日ここでなら、確実に、誰かが来る。ならそれに賭けるのが最善」
そう判断し、実際に己の命で試す私は、なるほど。小学生らしからぬと言われるに相応しいだろう。
自分にできる最善。それは尽くしたつもりだ。
かたかた、ではなく。がたがたと。
また地震――では、無い。ああ、もうこれは言い訳が出来ない。
口元に手をやり、ぎゅっと顎を抑える。震えている歯が、鳴らないように。
大人びていると。冷静だと。聡い子だと。よく言われる。
あはは。そう。知っている。そんなの全部勘違いだって。
偉そうだと、生意気だと、調子に乗っていると、陰で言われている。そう、私は知っている。
それでも、私を曲げるものかと。胸を張り続けて。
その結末がこれだなんて、そんなのは御免だ。
ふっと。
突然目の前に現れた人ならざる姿に、出かかった悲鳴を抑える。
夢の中の自分は、落ち着いていた、笑顔すら浮かべていた。
その通りにしなければ、夢と同じにしなければ、守り手すら現れないかも知れない。
だから笑え。私。
『カオぉ……』
後は運を天に任せる。今更じたばたと、泣きわめくなんてみっともない真似はするまい。
泣きたいけど。泣きそうだけど。
涙をこぼすな。泣くな。私。
負けるもんか。
「っ……なんの様かしら?」
『カオぉ、ヨコセ』
ぐわり、と。口らしき穴が目の前に広がった。
●
そういう夢を、見たのだと。
久方 真由美(nCL2000003)はそう言った。
「私が見たのは、彼女が食い殺される夢でしたけれど……。
……妖を倒して彼女が生き残るには、皆さんの力を借りないといけません」
立場が逆だったとして、と。真由美はぽつりと呟いた。
彼女のみたような夢を見たなら、真由美自身もきっとその店に行くだろう、と。
助けを求めて。
大人びていると、良く言われる。
まだ子供だとは思えない程冷静だと、良く言われる。
未来視の夢をそれと確信した私は、この力を、自分にとって有益に使いたいと考えた。
犯罪者を一概に嫌うわけではなく、脅迫などの手段をもって使わされるのは御免だった。
そう思って、力の事を口にする事を控えた。まずは様子を見て、情報を集めて、それから慎重にと。
だけど、結果から言えば――そうも言っていられなくなった。
「お待たせいたしました」
「あら、ありがとう」
紅茶を運んできたウェイターにお礼と微笑を向ける。彼は少し赤面したようだった。
こう言った反応を示されるあたり、自分の見目が悪くない事も、年不相応な雰囲気を持つ事も、自惚れでは無いのだろう。
聡い子だと、良く言われる。
不意に、かたかた、揺れた。
ティーカップのふちを飛び越えて、中の紅茶はソーサーを汚す。
「地震かしら?」
憂鬱を込めて、息を吐く。
でも、本当に憂鬱なのは地震では無い。今から自分が死ぬかもしれないと言う未来だ。
今朝見た夢。
この店で、妖に食われそうになる夢。
すんでの所で誰かが店に飛び込んで来て、妖と向かい合う。夢はそこで途切れる。私が助かったのかどうかも分からない。もしかしたら、飛び込んできた誰かも妖に殺されて、結局私は食い殺されるのかも知れない。
思えば、視線を感じ始めたのは一昨日からだ。気のせいだと思っていた、気のせいでなくても夢見の力があればなんとかなると思っていた。己惚れていた。それが失敗だった。
つまり、既に目は付けられているのだ、逃げた所で見逃してくれるとは思えない。
「けれど、今日ここでなら、確実に、誰かが来る。ならそれに賭けるのが最善」
そう判断し、実際に己の命で試す私は、なるほど。小学生らしからぬと言われるに相応しいだろう。
自分にできる最善。それは尽くしたつもりだ。
かたかた、ではなく。がたがたと。
また地震――では、無い。ああ、もうこれは言い訳が出来ない。
口元に手をやり、ぎゅっと顎を抑える。震えている歯が、鳴らないように。
大人びていると。冷静だと。聡い子だと。よく言われる。
あはは。そう。知っている。そんなの全部勘違いだって。
偉そうだと、生意気だと、調子に乗っていると、陰で言われている。そう、私は知っている。
それでも、私を曲げるものかと。胸を張り続けて。
その結末がこれだなんて、そんなのは御免だ。
ふっと。
突然目の前に現れた人ならざる姿に、出かかった悲鳴を抑える。
夢の中の自分は、落ち着いていた、笑顔すら浮かべていた。
その通りにしなければ、夢と同じにしなければ、守り手すら現れないかも知れない。
だから笑え。私。
『カオぉ……』
後は運を天に任せる。今更じたばたと、泣きわめくなんてみっともない真似はするまい。
泣きたいけど。泣きそうだけど。
涙をこぼすな。泣くな。私。
負けるもんか。
「っ……なんの様かしら?」
『カオぉ、ヨコセ』
ぐわり、と。口らしき穴が目の前に広がった。
●
そういう夢を、見たのだと。
久方 真由美(nCL2000003)はそう言った。
「私が見たのは、彼女が食い殺される夢でしたけれど……。
……妖を倒して彼女が生き残るには、皆さんの力を借りないといけません」
立場が逆だったとして、と。真由美はぽつりと呟いた。
彼女のみたような夢を見たなら、真由美自身もきっとその店に行くだろう、と。
助けを求めて。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の討伐
2.少女の生存(怪我の多寡は問わない)
3.なし
2.少女の生存(怪我の多寡は問わない)
3.なし
●状況
夕方のファミリーレストラン。
急いで向かえば、少女の前で妖が正体を表すところに出会えるでしょう。
店内ですので、遮蔽物があること、狭いことにはお気をつけ下さい。
逆に、足元、照明には問題ありません。
●妖
・小顔姫
心霊系の妖。
ロリータ系ファッションに身を包んだ20前後の女性に見えます。
が、顔はグネグネと歪んで、人目で人間ではないとわかるでしょう。
可愛い女の子の顔を『生きたまま』貪り食う事で自分もそうなれると思っているようです。
心霊系の常で、物理攻撃には強いです。
噛みつき・遠距離単体攻撃
薙ぎはらい・近距離列攻撃
・ポルターガイスト
小顔姫は周囲の物質を操ります。
『物質系の妖』相当として行動しますが、自意識はなく、何かを守るような行動は行いません。
小顔姫を倒せば操っている存在がなくなる為、動かなくなります。
最初に動くのは、少女の前にあったティーカップでしょう。
そのあとも、2ターンごとに何かが操られますが、何がどこで動くかまではわかりません。
体当たり・近距離単体攻撃
●店内の人々
少女以外にも、10人ほど居ます。
放っておいても逃げ出しますし、小顔姫は少女以外に興味を持っていません。
●補足
この依頼で説得及び獲得できた夢見は、今後FiVE所属のNPCとなる可能性があります。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
7/7
7/7
公開日
2015年10月11日
2015年10月11日
■メイン参加者 7人■

●
ぐわりと、人ならざるものの形をしたものがその口腔を広げた。
私は鳥肌が立ったのを自覚する。
足が震えて動かない。
このまま、私は死ぬのか――どうせなら、睨みつけたまま、死んでやる。
そう思って、しっかりと目を開けた。
その時だった。
店のドアが、勢い良く開いて――
●
「よく、立ち向かいました。もう、大丈夫、ですよ」
妖と、それに狙われていた少女のとの間に飛び込むように割って入って、神室・祇澄(CL2000017)は少女に一度ほほえみを向けると、すぐさま小顔姫へと向き直った。
「自分が襲われる、夢を見て、それでも尚、助けを求めて、その通りに動く。
その、信じる心に、絶対に、応えて見せます!」
小顔姫に向けて突き出した、祇澄の長袖の腕――その手首が、黒く光る。
「皆さん、お帰りはあちらです。妖は僕らが抑えますので慌てずに避難して下さい」
努めて冷静に声を上げた『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)がその髪を銀へと変色させながら、開け放ったままにしたドアを指し示す。
こと、ここに至って。
店内はようやく、そこがすでに尋常の場でなくなったことを悟ったようだった。
新しい客を席に案内しようと近寄っていたウエイターが、ひ、と息を呑んで手にしていた盆を取り落とし、水の入ったコップが割れる。その音を合図に、店の中に悲鳴が上がった。
小顔姫は、自分の前に立ちはだかったふたりを見て、口を閉じ――顔はぐねぐねと歪み、うねったままだが――何か御用? とでも言いたげに首を傾げる。尤も、対話をするような知性はこの妖にない。犬が、見知らぬ顔を見て首を傾げ、敵かどうか見定めているようなものだろう。
やがて、これは敵だと納得したらしく、不快そうな唸り声を上げると、テーブルの上のティーカップを指し示した。ふわりと、浮かんだ。そう思った瞬間、カップは見えない手に投げられたかのように飛んだ。祇澄はぶつかりついでのようにかけられた、まだ冷めきっていない紅茶の熱に、ほんの一瞬眉をしかめる。
慌てて逃げ出す人々の動き。向かいたい方向とは逆のそれに一瞬だけ眉をしかめて『デウス・イン・マキナ』弓削 山吹(CL2001121)はテーブルの上に飛び乗った。がちゃん、と、皿だのなんだのがひっくり返るのを気にも留めず、テーブルからテーブルへと飛んで移る。行儀は悪いけど、この際知った事じゃない。小顔姫の逃走を阻めそうな場所に向かうのに、今はこっちの方が、どう見ても早い。
「わわっ!?」
「あんまりこういう突っ込むのは性に合わんが――仕方あるまい。結局は急がば回れだ」
人の流れに無理に逆流しようとはしなかった野武 七雅(CL2001141)だが、その幼い見た目のせいか、男性客に押しのけられる。それを後ろからひょいと支えた稲場 家久(CL2001054)が、七雅の背を軽く叩いてからぱっと離れ、小顔姫をぐるりと迂回するような形で移動する。七雅は家久の意図にすぐ気がついた。人波が引くのを待ってから通路の真ん中に立てばすぐ、祇澄、山吹、家久、そして七雅で小顔姫の四方を囲むことができそうだ。目を軽く閉じた後、強く見開いた七雅の髪、そして瞳は金色に染まっていた。
「助けに来た! 動けるか?」
トール・T・シュミット(CL2000025)の髪が伸び、背が縮む。青年から少年へと変じる姿は、彼が覚者であると強く語っていた。
ふるふると、いまさらながらに僅かに震え始めた夢見の少女が、首をはっきりと横に振ってうつむく。
予測はできていた事態だ。少女を庇えるような位置に立って、トールはにっと笑った。
「オレの後ろにいろ。大丈夫。もうお前には指一本触れさせねーよ」
小顔姫の、立ちはだかるもの皆を敵とみなした様子に、『無糖キャンディ』小石・ころん(CL2000993)は少しだけむっとした顔をする。
「かわいい女の子がいっぱいいるのに」
美少女の顔をむさぼり食いたいという妖の目的は、おそらく本能めいたものなのだろうが――食事の邪魔を先に排除しよう、という獣じみた思考くらいは持ち合わせているようだ。
手にした杖を、とんと床に突いたころんはハイティーンからミドルエイジへと姿を変えた。長くうねった髪をかきあげながら、小顔姫を睨みつける。
小顔姫はタイミングの狂ったメトロノームのように――おそらく、苛立っている――左右に首を揺らしていたが、突如、首から上全体を酷く歪ませて巨大なバットのような形に変えた。
「――来ます!」
誠二郎がそれが威嚇ではないと気づいたのは、揺れ動く動きが一瞬、振りかぶるかのように不自然に引いたからだったが――他のすべての場所を微動だにさせぬまま、小顔姫はその顔で周囲を薙ぎ払ってきた。
●
パーテーション代わりだったのだろう、作り物の木が植えられた鉢が割れて転がった。
周囲のテーブルの上に残っていた皿やコップも、床に散らばっている――邪魔になるようなものではないが、その様は癇癪を起こした子供が暴れた後のようだ。
誠二郎は小柄な女性の背丈ほどもある樫の棒を伝った蔓を、鞭のようにして小顔姫へと打ち付ける。店内に客が残っているかどうかを、祇澄は手早く見回した。トレイを落としたウエイターが、レジを守るような姿勢で震えているのが見えた――彼は彼で職務に対し忠実なのだろう。混乱に乗じて良からぬことを考える輩がいないとは限らないのだから。ただ、もう店の中に彼の他は、覚者たちと妖を残すのみだ。
「逃げてください!」
扇動・説得に長ける祇澄の言葉に、逃げたいという思いがあったウエイターは一も二もなく頷くと、弾かれるような勢いで店から飛び出した。
妖を前に、土の鎧を纏いながら祇澄は鋭い声を上げる。
「こっちを、見なさい! 私の、顔なんて、欲しくない、でしょうけど!」
言葉を、意味を介しているかどうかはわからないけれど。小顔姫は、確かにその声の方を見た。
大きく隙を見せた妖の様子を、身中に眠る英霊の力を引き出しながら注視し――山吹はその妖を対処しやすいと断じるとともに、少しのめまいを感じた。
目先の、手が届くような場所の邪魔を潰していくことしか、この妖は考えていない。
「見えた未来を変える事……って言っても、やることはいつもと一緒ってことでしょ」
(ちゃちゃっと救っていこう――言うほど簡単なことではないと思うけど)
この手の脳筋に対しては、正攻法が結局一番手っ取り早いのだ。
「……生きたまま顔をたべられちゃうなんて怖いの~。なつね、想像しただけで足ががくがくなの」
七雅はふと思う。同じ年くらいの少女が、それとひとりで対峙しようとしたのだと。
己が理不尽に殺される夢を、人は普通、悪夢と呼ぶ。
それが正夢に近いと知っていて、それでもなお立ち向かうのは――こうして妖と実際に戦うのと同じくらいに、恐ろしいことなのではないだろうか。
「ぜったい助けてあげたいの」
そう呟いた自分の言葉に頷いて、七雅もまた英霊の力を呼び覚ます。
己の中に宿る炎を目醒させながら、家久は夢見の少女に目を向けた。
「もう無理せず泣きたきゃ泣きな。お前は1人じゃなくなったんだ」
例のウエイターの逃げる背を見送ってからの少女はその顔に、諦観に似た色を浮かべていた。
そのことが家久には気にかかっていた――あれではまるで、ホームセンターのショーケースの中でいつまでも選ばれずに残り続けた子犬だ。自分に向けられた好意が、一過性のものだと知っている顔。
トールの背に隠れた少女が、はっとした顔で家久を見返し――泣きそうな顔で、それでもまだ涙を流さずに頷いた。
「よし、行けるな?」
「――はい!」
少女がようやく、声を振り絞る。それを確認するとトールは彼女を抱え上げて、一気に走りだした。
小顔姫が覚者たちに阻まれてそれを追えない様子を確認しながら、ころんは次の標的を探すかのように飛び回っていたティーカップを、念を込めて飛ばした紙片で撃ち落とした。陶器のそれを、裂くように真っ二つに
してみせたころんの自撮り写真。
小顔姫は、割れたティーカップにも興味を示さなかった。
ただ、「カオオオォ」と呻くように吠えながら、目の前にいて道を塞ぐ形となった祇澄に噛みつくばかりだ。
「いやはや、随分と歪んだ妖ですね」
その呻き声の意味するところに、誠二郎はいくらかの苦笑を浮かべつつも再び蔓を鞭として振るう。
「可愛い顔になりたい、と。――ですが、その執着はここで捨てて逝って貰いましょうか」
「その歪んだ、心と顔を、矯正して、差し上げます!」
誠二郎の言葉に祇澄が頷きながら重ね、術符を起点としてまるで金属のように硬化させた手刀を放つ。
鬱陶しそうに唸る小顔姫は、さっき転がった植木鉢を指差した。覚者たちの背後で騒霊の如くに飛び回り始めた植木鉢は、一番近くにいた七雅へと直撃する。
「うえきばちがとんできたよー! あぶないのー!」
七雅よりも早く動きまわる鉢に対し、咄嗟の防御は間に合わず、七雅は痛みに眉根を寄せる。
それを見た山吹が、術符を飛ばして鉢に叩きつける。
「いいね、勇敢だよ。どんなに怖くても、退かないあの姿勢。現場に勧誘したいくらいだね」
トールに抱えられた少女がSTAFFONLYと書かれた扉の向こうに消えるのを見て、山吹は口の端を緩める。夢見という能力が、山吹たちとともに前線に立てるような、戦いに向いた力ではないことが、少しだけ惜しいと思った。
七雅は、怪我人の少なくない状況にぬいぐるみを強く抱きしめ直すと迷わずスタッフを振り上げた。あたりをふわりと、優しい霧が覆う。それによって傷が癒えるのを感じながら家久は術符を手の中に握りこむと、小顔姫を殴りつけた。それと同時に、拳を包み込む炎。
小顔姫の背後でまだよろよろと浮かび上がる鉢を見つけて、ころんは顔をしかめる。もしかしなくとも見た目通り、ティーカップよりは頑丈だったらしい。
「どんだけコンプレックス抱えてるのかなんてころんには分かんないけど、アンタみたいな奴が他人の顔奪おうなんて『かわいい』に対する冒涜なんだよ!!」
ステッキをかざすと、妖を貫いて鉢まで至る波動の弾丸を撃ちだした。小顔姫の方がその衝撃は強く受けたはずだが、致命傷には、まだほど遠い。しかし、その後ろで余波を受けた鉢は、こんどこそ割れ砕け、床に落ちて動かなくなった。
「身勝手な理由でかわいい女の子の命を脅かそうとするその姿勢が腹立つんだよ性格ブス! 精神性ブス!!」
吐き捨てるようなころんの罵倒にも、意味が通じないのか、小顔姫は動じない。再び目の前の祇澄に向けて歯を――大きな穴のように広がる口腔の中をよく見れば、咀嚼向きの奥歯がびっしりと、ぞろりと並んでいる――打ち鳴らして噛み付いた。
生命力を噛み砕かれるような感触に、祇澄は奥歯を噛みしめて、吼える。
「絶対に、ここは通しません――人に仇為す妖よ、消え去りなさい!」
琴桜の手刀で振り払われた小顔姫を、誠二郎が深緑鞭で激しく打ち据える。ころんの自撮り写真がぺしり、と叩き付けられる。更に家久と山吹の炎撃を受けた小顔姫の歪んだ顔にも、さすがに苦痛らしきものが見え始めた。一方で、七雅が再び漂わせた癒しの霧は祇澄を除いた覚者たちの傷をすべて治癒させる。
一見すれば、覚者たちが有利に見えた。だが。
家久は自分の髪をかきまわし軽く舌打ちすると、スモールシールドの持ち手を強く握り直し、小顔姫から祇澄を守る位置に立った。
このペースでは、こっちの面々の気力が尽きるのが先だ――。
「ま、ざっくりおわらせてやるとしようや」
それでも家久は、軽い口調で告げるその言葉に、気負いをにじませはしなかった。
●
コーヒーメーカーだのナイフだの。小顔姫は物の軽重は問わず手当たり次第に騒霊のように使役したし、当たり前のように顔全体を使って周囲をなぎ払い、なおかつ首ごと伸ばしてどこにいる相手だろうと噛み付いてみせた。最初に狙ったのは祇澄だったが、それを庇った家久が倒れた頃――トールは夢見の少女を逃がした後すぐに戦線に復帰し、神秘の力を含んだ雫を精製して治療にあたったりもしたのだが、回復が追いつかなかったのだ――には、もう誰かひとりを狙うといったことはせず、手当たり次第に攻撃するようになっていた。身を守るためにはもうなりふり構っていられなかったということなのだろうと、相手を観察していた山吹はそう感じたし、実際その通りだったのだろう。
それでも女性を狙いがちだった妖によって、体力に不安のあったころんと、気力切れで身を守るばかりとなった七雅の生命力も噛みつかれたりぶつかられたりとで、削がれてしまうこととなった。
それでも、着実に、確実に。覚者たちは小顔姫を追い詰めていっていた。
「そこの皿が来るぞ! 気をつけろ――落ち着いてかかれば大丈夫だ!」
トールの警告を受け、それを目にした誠二郎が撃ち落とす。
「カアアア! オオオ!!」
地団駄を踏んで、意味もなく叫ぶ小顔姫はもう限界のようだった。
祇澄に手刀を叩きこまれてぐらりと姿勢を揺らがせたところで続けざま、山吹の炎撃が小顔姫の、いびつで巨大に膨らんだ顔を殴り飛ばす。
人の形に近かった妖は、その腕をだらりと垂れ下げた。
そのまま、ぼとり、と。強い衝撃で自壊したババロアのように崩れ落ち――最後には、ゲル状の肉片めいたものをいくらか残し、小顔姫という名の妖は消えたのだった。
はぁあ、とばかりに息をつくと、トールはその場にしゃがみ込む。
「妖にも来世があるなら、お前も自分にもっと自信が持てるといいな」
青年の低い声で、トールは消えゆく肉片にそう語りかけた。
●
惨状を残すレストランから離れて、覚者たちは夢見の少女に話しかける。
「無事でよかったの、ころんと同じくらいかわいいお嬢さん」
「えっと……、……はい」
ころんが和ませようとしてかけた言葉に、少し困惑した顔で、少女はあたりを見回す。
本当に安全なのか、まだ少し疑っているようにも見えた。
「よく、頑張りました。怖かったでしょう? 貴女が、無事で、よかった」
もう大丈夫だと、安心させようとしてほほえむ祇澄の顔を、じっと見てから、少女はふとうつむく。
「あの……あのおじさんは、大丈夫なんですか?」
家久のことを言っているようだった。怪我の軽いとはいえない状態の彼は、処置のためにもすでに別行動をとっている。治療中だと伝えると、ほっとした顔を見せた。
「こわかったよね? 大丈夫?
名前はなんていうの? なつねはなつねっていうの」
同世代の気安さで、七雅はその少女の頭に乗った、騒ぎで被った埃を払ってやる。
少女は、これもやはり同世代だからだろうか。他の覚者たちよりは緊張しない様子でこくりと首肯する。
「あの人が、もう泣いていいって、言ってくれて……」
ほっとしたの。そう言った少女は、ぽろぽろと――ようやく――涙をこぼしはじめた。
安堵したのだろう。その様子に、こちらもほっとした表情を浮かべたトールがポケットの中をごそごそと探って飴を取り出し、少女の手に握らせた。
「もう我慢しなくてもいいんだ。……よく頑張ったな。
俺達は、さっき見ての通り、夢見のみた悪夢を変えるためにいる奴らだ」
トールの言葉に、うん、うんと頷きながら、少女はとうとう、顔全体を使って泣き出した。
「う……ふぇ、え、こわかっ、こわかったよおおおおおお!!」
びーびこと。そういう擬音が似合う様子で泣き出した少女が落ち着くには、少しだけ時間を要した。
「あたし、弓削山吹って言うんだ。キミの名前は?」
目の周りが腫れあがるほど泣き続けた少女の背をさすって、山吹が落ち着かせるように、名前を問う。
泣きすぎて呆然としている、といった風情で、少女は山吹の顔を見返した。
「夢、見たんだよね?
良かったら、その未来の夢を見る力で、私達と一緒に戦ってくれないかな。
正確には、私達を送り出すのが役割になるね。――だから、怖い目に合ったりしない。大丈夫」
実際のところ。
さっき、七雅が少女の名前を聞いた時にも、結局彼女は答えていない。
ふむ、と小さく唸ると、誠二郎は少女の顔を覗き込む。
柔和な表情のままで、それでも子供扱いをしていない口調で、彼は切り出した。
「さて、賭けの結果はどうでしたか?
貴方の勝ちであれば重畳です。よろしければもう一勝負してみませんか?」
一瞬だけ、きょとんとした表情を浮かべた少女は、やがて、さっきまで泣きじゃくっていた子供の顔ではなく、自分の身を守るために危険に飛び込む程度の強かさを秘めた顔で、小さな笑みを浮かべる。
「私は……私の、名前は――」
夕陽の名残の橙はいまだあるが、それもじきに消えるだろう空の下、少女は自分の名を告げた。
<了>
ぐわりと、人ならざるものの形をしたものがその口腔を広げた。
私は鳥肌が立ったのを自覚する。
足が震えて動かない。
このまま、私は死ぬのか――どうせなら、睨みつけたまま、死んでやる。
そう思って、しっかりと目を開けた。
その時だった。
店のドアが、勢い良く開いて――
●
「よく、立ち向かいました。もう、大丈夫、ですよ」
妖と、それに狙われていた少女のとの間に飛び込むように割って入って、神室・祇澄(CL2000017)は少女に一度ほほえみを向けると、すぐさま小顔姫へと向き直った。
「自分が襲われる、夢を見て、それでも尚、助けを求めて、その通りに動く。
その、信じる心に、絶対に、応えて見せます!」
小顔姫に向けて突き出した、祇澄の長袖の腕――その手首が、黒く光る。
「皆さん、お帰りはあちらです。妖は僕らが抑えますので慌てずに避難して下さい」
努めて冷静に声を上げた『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)がその髪を銀へと変色させながら、開け放ったままにしたドアを指し示す。
こと、ここに至って。
店内はようやく、そこがすでに尋常の場でなくなったことを悟ったようだった。
新しい客を席に案内しようと近寄っていたウエイターが、ひ、と息を呑んで手にしていた盆を取り落とし、水の入ったコップが割れる。その音を合図に、店の中に悲鳴が上がった。
小顔姫は、自分の前に立ちはだかったふたりを見て、口を閉じ――顔はぐねぐねと歪み、うねったままだが――何か御用? とでも言いたげに首を傾げる。尤も、対話をするような知性はこの妖にない。犬が、見知らぬ顔を見て首を傾げ、敵かどうか見定めているようなものだろう。
やがて、これは敵だと納得したらしく、不快そうな唸り声を上げると、テーブルの上のティーカップを指し示した。ふわりと、浮かんだ。そう思った瞬間、カップは見えない手に投げられたかのように飛んだ。祇澄はぶつかりついでのようにかけられた、まだ冷めきっていない紅茶の熱に、ほんの一瞬眉をしかめる。
慌てて逃げ出す人々の動き。向かいたい方向とは逆のそれに一瞬だけ眉をしかめて『デウス・イン・マキナ』弓削 山吹(CL2001121)はテーブルの上に飛び乗った。がちゃん、と、皿だのなんだのがひっくり返るのを気にも留めず、テーブルからテーブルへと飛んで移る。行儀は悪いけど、この際知った事じゃない。小顔姫の逃走を阻めそうな場所に向かうのに、今はこっちの方が、どう見ても早い。
「わわっ!?」
「あんまりこういう突っ込むのは性に合わんが――仕方あるまい。結局は急がば回れだ」
人の流れに無理に逆流しようとはしなかった野武 七雅(CL2001141)だが、その幼い見た目のせいか、男性客に押しのけられる。それを後ろからひょいと支えた稲場 家久(CL2001054)が、七雅の背を軽く叩いてからぱっと離れ、小顔姫をぐるりと迂回するような形で移動する。七雅は家久の意図にすぐ気がついた。人波が引くのを待ってから通路の真ん中に立てばすぐ、祇澄、山吹、家久、そして七雅で小顔姫の四方を囲むことができそうだ。目を軽く閉じた後、強く見開いた七雅の髪、そして瞳は金色に染まっていた。
「助けに来た! 動けるか?」
トール・T・シュミット(CL2000025)の髪が伸び、背が縮む。青年から少年へと変じる姿は、彼が覚者であると強く語っていた。
ふるふると、いまさらながらに僅かに震え始めた夢見の少女が、首をはっきりと横に振ってうつむく。
予測はできていた事態だ。少女を庇えるような位置に立って、トールはにっと笑った。
「オレの後ろにいろ。大丈夫。もうお前には指一本触れさせねーよ」
小顔姫の、立ちはだかるもの皆を敵とみなした様子に、『無糖キャンディ』小石・ころん(CL2000993)は少しだけむっとした顔をする。
「かわいい女の子がいっぱいいるのに」
美少女の顔をむさぼり食いたいという妖の目的は、おそらく本能めいたものなのだろうが――食事の邪魔を先に排除しよう、という獣じみた思考くらいは持ち合わせているようだ。
手にした杖を、とんと床に突いたころんはハイティーンからミドルエイジへと姿を変えた。長くうねった髪をかきあげながら、小顔姫を睨みつける。
小顔姫はタイミングの狂ったメトロノームのように――おそらく、苛立っている――左右に首を揺らしていたが、突如、首から上全体を酷く歪ませて巨大なバットのような形に変えた。
「――来ます!」
誠二郎がそれが威嚇ではないと気づいたのは、揺れ動く動きが一瞬、振りかぶるかのように不自然に引いたからだったが――他のすべての場所を微動だにさせぬまま、小顔姫はその顔で周囲を薙ぎ払ってきた。
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パーテーション代わりだったのだろう、作り物の木が植えられた鉢が割れて転がった。
周囲のテーブルの上に残っていた皿やコップも、床に散らばっている――邪魔になるようなものではないが、その様は癇癪を起こした子供が暴れた後のようだ。
誠二郎は小柄な女性の背丈ほどもある樫の棒を伝った蔓を、鞭のようにして小顔姫へと打ち付ける。店内に客が残っているかどうかを、祇澄は手早く見回した。トレイを落としたウエイターが、レジを守るような姿勢で震えているのが見えた――彼は彼で職務に対し忠実なのだろう。混乱に乗じて良からぬことを考える輩がいないとは限らないのだから。ただ、もう店の中に彼の他は、覚者たちと妖を残すのみだ。
「逃げてください!」
扇動・説得に長ける祇澄の言葉に、逃げたいという思いがあったウエイターは一も二もなく頷くと、弾かれるような勢いで店から飛び出した。
妖を前に、土の鎧を纏いながら祇澄は鋭い声を上げる。
「こっちを、見なさい! 私の、顔なんて、欲しくない、でしょうけど!」
言葉を、意味を介しているかどうかはわからないけれど。小顔姫は、確かにその声の方を見た。
大きく隙を見せた妖の様子を、身中に眠る英霊の力を引き出しながら注視し――山吹はその妖を対処しやすいと断じるとともに、少しのめまいを感じた。
目先の、手が届くような場所の邪魔を潰していくことしか、この妖は考えていない。
「見えた未来を変える事……って言っても、やることはいつもと一緒ってことでしょ」
(ちゃちゃっと救っていこう――言うほど簡単なことではないと思うけど)
この手の脳筋に対しては、正攻法が結局一番手っ取り早いのだ。
「……生きたまま顔をたべられちゃうなんて怖いの~。なつね、想像しただけで足ががくがくなの」
七雅はふと思う。同じ年くらいの少女が、それとひとりで対峙しようとしたのだと。
己が理不尽に殺される夢を、人は普通、悪夢と呼ぶ。
それが正夢に近いと知っていて、それでもなお立ち向かうのは――こうして妖と実際に戦うのと同じくらいに、恐ろしいことなのではないだろうか。
「ぜったい助けてあげたいの」
そう呟いた自分の言葉に頷いて、七雅もまた英霊の力を呼び覚ます。
己の中に宿る炎を目醒させながら、家久は夢見の少女に目を向けた。
「もう無理せず泣きたきゃ泣きな。お前は1人じゃなくなったんだ」
例のウエイターの逃げる背を見送ってからの少女はその顔に、諦観に似た色を浮かべていた。
そのことが家久には気にかかっていた――あれではまるで、ホームセンターのショーケースの中でいつまでも選ばれずに残り続けた子犬だ。自分に向けられた好意が、一過性のものだと知っている顔。
トールの背に隠れた少女が、はっとした顔で家久を見返し――泣きそうな顔で、それでもまだ涙を流さずに頷いた。
「よし、行けるな?」
「――はい!」
少女がようやく、声を振り絞る。それを確認するとトールは彼女を抱え上げて、一気に走りだした。
小顔姫が覚者たちに阻まれてそれを追えない様子を確認しながら、ころんは次の標的を探すかのように飛び回っていたティーカップを、念を込めて飛ばした紙片で撃ち落とした。陶器のそれを、裂くように真っ二つに
してみせたころんの自撮り写真。
小顔姫は、割れたティーカップにも興味を示さなかった。
ただ、「カオオオォ」と呻くように吠えながら、目の前にいて道を塞ぐ形となった祇澄に噛みつくばかりだ。
「いやはや、随分と歪んだ妖ですね」
その呻き声の意味するところに、誠二郎はいくらかの苦笑を浮かべつつも再び蔓を鞭として振るう。
「可愛い顔になりたい、と。――ですが、その執着はここで捨てて逝って貰いましょうか」
「その歪んだ、心と顔を、矯正して、差し上げます!」
誠二郎の言葉に祇澄が頷きながら重ね、術符を起点としてまるで金属のように硬化させた手刀を放つ。
鬱陶しそうに唸る小顔姫は、さっき転がった植木鉢を指差した。覚者たちの背後で騒霊の如くに飛び回り始めた植木鉢は、一番近くにいた七雅へと直撃する。
「うえきばちがとんできたよー! あぶないのー!」
七雅よりも早く動きまわる鉢に対し、咄嗟の防御は間に合わず、七雅は痛みに眉根を寄せる。
それを見た山吹が、術符を飛ばして鉢に叩きつける。
「いいね、勇敢だよ。どんなに怖くても、退かないあの姿勢。現場に勧誘したいくらいだね」
トールに抱えられた少女がSTAFFONLYと書かれた扉の向こうに消えるのを見て、山吹は口の端を緩める。夢見という能力が、山吹たちとともに前線に立てるような、戦いに向いた力ではないことが、少しだけ惜しいと思った。
七雅は、怪我人の少なくない状況にぬいぐるみを強く抱きしめ直すと迷わずスタッフを振り上げた。あたりをふわりと、優しい霧が覆う。それによって傷が癒えるのを感じながら家久は術符を手の中に握りこむと、小顔姫を殴りつけた。それと同時に、拳を包み込む炎。
小顔姫の背後でまだよろよろと浮かび上がる鉢を見つけて、ころんは顔をしかめる。もしかしなくとも見た目通り、ティーカップよりは頑丈だったらしい。
「どんだけコンプレックス抱えてるのかなんてころんには分かんないけど、アンタみたいな奴が他人の顔奪おうなんて『かわいい』に対する冒涜なんだよ!!」
ステッキをかざすと、妖を貫いて鉢まで至る波動の弾丸を撃ちだした。小顔姫の方がその衝撃は強く受けたはずだが、致命傷には、まだほど遠い。しかし、その後ろで余波を受けた鉢は、こんどこそ割れ砕け、床に落ちて動かなくなった。
「身勝手な理由でかわいい女の子の命を脅かそうとするその姿勢が腹立つんだよ性格ブス! 精神性ブス!!」
吐き捨てるようなころんの罵倒にも、意味が通じないのか、小顔姫は動じない。再び目の前の祇澄に向けて歯を――大きな穴のように広がる口腔の中をよく見れば、咀嚼向きの奥歯がびっしりと、ぞろりと並んでいる――打ち鳴らして噛み付いた。
生命力を噛み砕かれるような感触に、祇澄は奥歯を噛みしめて、吼える。
「絶対に、ここは通しません――人に仇為す妖よ、消え去りなさい!」
琴桜の手刀で振り払われた小顔姫を、誠二郎が深緑鞭で激しく打ち据える。ころんの自撮り写真がぺしり、と叩き付けられる。更に家久と山吹の炎撃を受けた小顔姫の歪んだ顔にも、さすがに苦痛らしきものが見え始めた。一方で、七雅が再び漂わせた癒しの霧は祇澄を除いた覚者たちの傷をすべて治癒させる。
一見すれば、覚者たちが有利に見えた。だが。
家久は自分の髪をかきまわし軽く舌打ちすると、スモールシールドの持ち手を強く握り直し、小顔姫から祇澄を守る位置に立った。
このペースでは、こっちの面々の気力が尽きるのが先だ――。
「ま、ざっくりおわらせてやるとしようや」
それでも家久は、軽い口調で告げるその言葉に、気負いをにじませはしなかった。
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コーヒーメーカーだのナイフだの。小顔姫は物の軽重は問わず手当たり次第に騒霊のように使役したし、当たり前のように顔全体を使って周囲をなぎ払い、なおかつ首ごと伸ばしてどこにいる相手だろうと噛み付いてみせた。最初に狙ったのは祇澄だったが、それを庇った家久が倒れた頃――トールは夢見の少女を逃がした後すぐに戦線に復帰し、神秘の力を含んだ雫を精製して治療にあたったりもしたのだが、回復が追いつかなかったのだ――には、もう誰かひとりを狙うといったことはせず、手当たり次第に攻撃するようになっていた。身を守るためにはもうなりふり構っていられなかったということなのだろうと、相手を観察していた山吹はそう感じたし、実際その通りだったのだろう。
それでも女性を狙いがちだった妖によって、体力に不安のあったころんと、気力切れで身を守るばかりとなった七雅の生命力も噛みつかれたりぶつかられたりとで、削がれてしまうこととなった。
それでも、着実に、確実に。覚者たちは小顔姫を追い詰めていっていた。
「そこの皿が来るぞ! 気をつけろ――落ち着いてかかれば大丈夫だ!」
トールの警告を受け、それを目にした誠二郎が撃ち落とす。
「カアアア! オオオ!!」
地団駄を踏んで、意味もなく叫ぶ小顔姫はもう限界のようだった。
祇澄に手刀を叩きこまれてぐらりと姿勢を揺らがせたところで続けざま、山吹の炎撃が小顔姫の、いびつで巨大に膨らんだ顔を殴り飛ばす。
人の形に近かった妖は、その腕をだらりと垂れ下げた。
そのまま、ぼとり、と。強い衝撃で自壊したババロアのように崩れ落ち――最後には、ゲル状の肉片めいたものをいくらか残し、小顔姫という名の妖は消えたのだった。
はぁあ、とばかりに息をつくと、トールはその場にしゃがみ込む。
「妖にも来世があるなら、お前も自分にもっと自信が持てるといいな」
青年の低い声で、トールは消えゆく肉片にそう語りかけた。
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惨状を残すレストランから離れて、覚者たちは夢見の少女に話しかける。
「無事でよかったの、ころんと同じくらいかわいいお嬢さん」
「えっと……、……はい」
ころんが和ませようとしてかけた言葉に、少し困惑した顔で、少女はあたりを見回す。
本当に安全なのか、まだ少し疑っているようにも見えた。
「よく、頑張りました。怖かったでしょう? 貴女が、無事で、よかった」
もう大丈夫だと、安心させようとしてほほえむ祇澄の顔を、じっと見てから、少女はふとうつむく。
「あの……あのおじさんは、大丈夫なんですか?」
家久のことを言っているようだった。怪我の軽いとはいえない状態の彼は、処置のためにもすでに別行動をとっている。治療中だと伝えると、ほっとした顔を見せた。
「こわかったよね? 大丈夫?
名前はなんていうの? なつねはなつねっていうの」
同世代の気安さで、七雅はその少女の頭に乗った、騒ぎで被った埃を払ってやる。
少女は、これもやはり同世代だからだろうか。他の覚者たちよりは緊張しない様子でこくりと首肯する。
「あの人が、もう泣いていいって、言ってくれて……」
ほっとしたの。そう言った少女は、ぽろぽろと――ようやく――涙をこぼしはじめた。
安堵したのだろう。その様子に、こちらもほっとした表情を浮かべたトールがポケットの中をごそごそと探って飴を取り出し、少女の手に握らせた。
「もう我慢しなくてもいいんだ。……よく頑張ったな。
俺達は、さっき見ての通り、夢見のみた悪夢を変えるためにいる奴らだ」
トールの言葉に、うん、うんと頷きながら、少女はとうとう、顔全体を使って泣き出した。
「う……ふぇ、え、こわかっ、こわかったよおおおおおお!!」
びーびこと。そういう擬音が似合う様子で泣き出した少女が落ち着くには、少しだけ時間を要した。
「あたし、弓削山吹って言うんだ。キミの名前は?」
目の周りが腫れあがるほど泣き続けた少女の背をさすって、山吹が落ち着かせるように、名前を問う。
泣きすぎて呆然としている、といった風情で、少女は山吹の顔を見返した。
「夢、見たんだよね?
良かったら、その未来の夢を見る力で、私達と一緒に戦ってくれないかな。
正確には、私達を送り出すのが役割になるね。――だから、怖い目に合ったりしない。大丈夫」
実際のところ。
さっき、七雅が少女の名前を聞いた時にも、結局彼女は答えていない。
ふむ、と小さく唸ると、誠二郎は少女の顔を覗き込む。
柔和な表情のままで、それでも子供扱いをしていない口調で、彼は切り出した。
「さて、賭けの結果はどうでしたか?
貴方の勝ちであれば重畳です。よろしければもう一勝負してみませんか?」
一瞬だけ、きょとんとした表情を浮かべた少女は、やがて、さっきまで泣きじゃくっていた子供の顔ではなく、自分の身を守るために危険に飛び込む程度の強かさを秘めた顔で、小さな笑みを浮かべる。
「私は……私の、名前は――」
夕陽の名残の橙はいまだあるが、それもじきに消えるだろう空の下、少女は自分の名を告げた。
<了>
