蟲姫飛翔。或いは、蟲毒の怨み谷
●虫翅の姫
山奥の洞窟に身を潜めていた彼女は、ゆっくりと視線を洞窟の外へと向ける。
薄汚れた豪奢な着物に、骨ばった肢体を閉じ込めたひどく顔色の悪い女である。
淀んだ色の瞳の中に、よくよく見ればまるで蟲のように無数の複眼がひしめいている。
彼女に名前はない。敢えて名を呼ぶのなら古妖(蟲姫)ということになるだろうか。
土中に埋められていた蟲毒の壷が割れたことで地上に姿を現した、蟲毒の呪法により
生まれた毒虫達を統べる姫君である。
彼女の視線の先にあるのは、渓谷を繋ぐ鋼線だ。ロープウェイである。
赤く塗られた鉄の箱が、鋼線に添って渓谷を横切り山頂と麓を行き来する。
鉄の箱、ゴンドラの中に人の姿を見つけた蟲姫はにたりと薄い唇を笑みの形に曲げる。
蟲姫の背から、毒々しい紫色の翅が伸びた。瘴気を撒き散らす翅を打ち振るい蟲姫は洞窟を
飛び出していく。蟲姫の後から、洞窟の壁や床をびっしりと覆っていた大量の毒蟲も蠢き追従する。
蟲姫を先頭とした毒蟲の大群が洞窟から消えると、後には大量の動物の骨ばかりが取り残される。
●
「というわけで一般人が被害に会う前に(蟲姫)を討伐してしまいましょう、っていう依頼だよ♪」
会議室に集まった数名の顔を見渡し、そう告げたのは久方 万里(nCL2000005)だ。
万里がモニターに映し出した現場周辺の地図を指差しながら、今回の任務について説明を始める。
「今回の戦場は、渓谷の途中か山の頂上付近になると思うよっ。山の頂上から渓谷を挟んで麓までロープウェイで
繋がれているのね。頂上付近の洞窟に蟲姫は潜伏中。ロープウェイに人が乗り込んでいると襲う為に出てくる
みたいね」
たぶん人間に対して恨みや憎しみの感情を抱いているんだろうね、と万里は続ける。
無数の毒蟲をひとつの壷に閉じ込め食い合いをさせて作るのが蟲毒だ。そうして生まれた蟲姫は人間に対して
の負の感情の集合体なのだろう。
「蛾の翅を持っているから、早くはないけど飛行が出来るよ。常に瘴気を振りまいているから近づくと
(毒)の状態異常を受けることもあるから注意が必要だねっ。それから支配下にある毒虫を操る攻撃や、対象に
(呪い)を付与する攻撃手段もあるみたいね」
問題は、と万里はその可愛らしい顔に影を落として首を傾げてみせた。
「洞窟の位置は急斜面、ロープウェイは渓谷の真上、どうしても足場が悪くなることかな」
斜面を降りて洞窟へ強襲をかけることも可能だろう。
ロープウェイに乗り込み、襲ってくる蟲姫を迎撃することも可能だろう。
けれどどちらの手段を取るにせよ、足場が不安定であることには変わりがないのだ。
「まぁ、そこは現場に行く皆に任せるよ。危険な存在だからね。人里に降りて行く前に討伐してしまいたよねっ」
がんばって、とそういって万里は仲間たちを送り出すのだった。
山奥の洞窟に身を潜めていた彼女は、ゆっくりと視線を洞窟の外へと向ける。
薄汚れた豪奢な着物に、骨ばった肢体を閉じ込めたひどく顔色の悪い女である。
淀んだ色の瞳の中に、よくよく見ればまるで蟲のように無数の複眼がひしめいている。
彼女に名前はない。敢えて名を呼ぶのなら古妖(蟲姫)ということになるだろうか。
土中に埋められていた蟲毒の壷が割れたことで地上に姿を現した、蟲毒の呪法により
生まれた毒虫達を統べる姫君である。
彼女の視線の先にあるのは、渓谷を繋ぐ鋼線だ。ロープウェイである。
赤く塗られた鉄の箱が、鋼線に添って渓谷を横切り山頂と麓を行き来する。
鉄の箱、ゴンドラの中に人の姿を見つけた蟲姫はにたりと薄い唇を笑みの形に曲げる。
蟲姫の背から、毒々しい紫色の翅が伸びた。瘴気を撒き散らす翅を打ち振るい蟲姫は洞窟を
飛び出していく。蟲姫の後から、洞窟の壁や床をびっしりと覆っていた大量の毒蟲も蠢き追従する。
蟲姫を先頭とした毒蟲の大群が洞窟から消えると、後には大量の動物の骨ばかりが取り残される。
●
「というわけで一般人が被害に会う前に(蟲姫)を討伐してしまいましょう、っていう依頼だよ♪」
会議室に集まった数名の顔を見渡し、そう告げたのは久方 万里(nCL2000005)だ。
万里がモニターに映し出した現場周辺の地図を指差しながら、今回の任務について説明を始める。
「今回の戦場は、渓谷の途中か山の頂上付近になると思うよっ。山の頂上から渓谷を挟んで麓までロープウェイで
繋がれているのね。頂上付近の洞窟に蟲姫は潜伏中。ロープウェイに人が乗り込んでいると襲う為に出てくる
みたいね」
たぶん人間に対して恨みや憎しみの感情を抱いているんだろうね、と万里は続ける。
無数の毒蟲をひとつの壷に閉じ込め食い合いをさせて作るのが蟲毒だ。そうして生まれた蟲姫は人間に対して
の負の感情の集合体なのだろう。
「蛾の翅を持っているから、早くはないけど飛行が出来るよ。常に瘴気を振りまいているから近づくと
(毒)の状態異常を受けることもあるから注意が必要だねっ。それから支配下にある毒虫を操る攻撃や、対象に
(呪い)を付与する攻撃手段もあるみたいね」
問題は、と万里はその可愛らしい顔に影を落として首を傾げてみせた。
「洞窟の位置は急斜面、ロープウェイは渓谷の真上、どうしても足場が悪くなることかな」
斜面を降りて洞窟へ強襲をかけることも可能だろう。
ロープウェイに乗り込み、襲ってくる蟲姫を迎撃することも可能だろう。
けれどどちらの手段を取るにせよ、足場が不安定であることには変わりがないのだ。
「まぁ、そこは現場に行く皆に任せるよ。危険な存在だからね。人里に降りて行く前に討伐してしまいたよねっ」
がんばって、とそういって万里は仲間たちを送り出すのだった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.蟲姫の討伐
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回は蟲毒で生まれた古妖の討伐任務となります。
足場が不安定なので、その辺り要注意です。
では、以下詳細。
●場所
山の山頂付近。さほど標高が高いわけではないので、山頂から麓までロープウェイが張られている。
渓谷を横切るように鋼線が張られている。ロープウェイに乗り込んだ場合は渓谷の真上辺りで蟲姫の襲撃を
受けることになる。
洞窟は、崖の途中にある。足場は悪く、角度も急なので下手をすると転落することもある。
天気は快晴。見晴らしも良い。
●ターゲット
古妖(蟲姫)
薄汚れた豪奢な着物に、骨ばった肢体を閉じ込めたひどく顔色の悪い女。
背中から紫色の翅が生えている。翅の形は蛾のそれに似ている。
翅から(毒)の瘴気を撒き散らしているため、飛行中の蟲姫に接近すると(毒)状態になることがある。
急斜面の崖の途中にある洞窟内に潜伏中。ロープウェイに乗って山頂へ向かう一般人を襲うつもりらしい。
蟲姫の周囲には支配下にある毒虫が追従している。
【毒蟲】→物近列(猛毒)(減速)
蟲を操り対象範囲内のターゲットを襲わせる。蟲は対象に纏わりついたまま行動を阻害する。
【蟲毒の怨み】→物近単[二連][猛毒]
身体に蟲を纏わせ対象へ全力の攻撃を見舞う。
【呪い蟲】→特遠単[呪い]
呪いで作った蟲を対象に取り憑かせる
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/8
6/8
公開日
2017年06月26日
2017年06月26日
■メイン参加者 6人■

●怨み谷
山奥の洞窟に身を潜めていた彼女は、ゆっくりと視線を洞窟の外へと向ける。
薄汚れた豪奢な着物に、骨ばった肢体を閉じ込めたひどく顔色の悪い女である。
淀んだ色の瞳の中に、よくよく見ればまるで蟲のように無数の複眼がひしめいている。
視線の先には鉄線が宙に伸びている。山の頂へ、鉄の箱(ゴンドラ)を運ぶ為の鉄線だ。その中に、時折人が乗り込んでいるのを、古妖(蟲姫)は知っていた。
次にゴンドラが通りかかったその時は、恨みに任せて襲ってしまおうと、そう考えながらその時を今か今かと待っているのだ。
所代わって山の頂。6名の男女が崖下を見降ろし、何事か話しあっている。男女、といってもまだ年若い者が多く、またどうみてもアウトドアを楽しむような服装ではない。6名の中で唯一の男性『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は少々居心地の悪そうな表情を浮かべながらも、決意を秘めた瞳で崖下を見つめている。
「人間に対する負の感情の集合体が彼女だというのならやっぱり倒すしかないのかな」
人為的に作られた古妖である(蟲姫)と、それを作った名も知らぬ何者かに対する静かな怒りが刀の柄を握る彼の手に無意識に力を込めさせていた。
「……被害が、出るなら、消す」
翼を広げ桂木・日那乃(CL2000941)は宙へと跳んだ。彼女に続いて、残る5名も崖を降りて行く。中には翼を広げ音も無く空を飛ぶものもいる。
「もし落ちそうなら支えますから」
と、ゆっくり翼を持つ者の一人『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)は『悪意に打ち勝ちし者』魂行 輪廻(CL2000534)にそう告げた。澄香はバニーガールの衣装に似た戦闘服を身に纏い、タロットカードを指先に挟んでいる。
「んー? 一応、ハイバランサーも蜘蛛糸もあるしねぇん?」
輪廻は指先から伸ばした蜘蛛の糸で身体を支えながら、危なげなく崖を降りて行く。時折、足元を蜘蛛糸で補強し、後続の為に足場を作る。
輪廻の補強した足場を、一足飛びに駆けおりて行くのは『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神・伊織(CL2001603)だ。
「人を呪わば穴二つ。因果応報……人を憎んで害悪を振りまく者は相応の報いを受けるものですわ。例え、彼女の在り方がそういうモノと定められていたにせよ、私はそれを許せませんわ」
伊織の背中でエレキギターが揺れている。恐らくは、それが彼女の武器なのだろう。
「高い所は特別得意って訳ではありませんが……こういった局面です。多少無理を押してでも行くしかないです」
恐る恐る、といった様子で『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は列の最後尾を進む。崖の途中にある蟲姫の隠れ家まで、十数分もかければ辿りつけるだろうか。
蟲姫はまだ、彼女達の接近には気付いていない。
●怨みと呪いと蟲毒の姫と
異変を感じた時には既に遅かった。
洞窟の中で身を潜め、ゴンドラの通過を待ちかまえていた蟲姫の頭上で、微かな、けれど確かに物音がしたのだ。コツン、カツン、と小石の跳ねた音だ。
何かが近づいてきている、と配下にある蜘蛛を数匹偵察へ向かわせる。こうして、洞窟の傍を他の生物が通りかかることは初めてではない。その度にそれを捕え、捕食してきた。
今日もまた、愚かな獲物が近づいてきたのか、とそう考えたのだ。
けれど……。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子に石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
今回の獲物は、どうやらかなり好戦的らしい。声が響いた。次いで、ごう、と風の唸る音。
身を起こし、咄嗟に後退した蟲姫の眼前で数発の火炎弾が爆ぜる。
『……っうぅ?』
蟲姫を庇った、蟲達が跡形もなく燃え尽きた。煙の充満する洞窟内に、さらなる蟲を呼びよせる。
その瞬間だ。
「さあ、出でませ金鬼! いずれ世界に輝くアイドルである私を照らすのですわ!」
金色の髪を振り乱し、片手を腰に、もう片方の手を頭上へ掲げて高らかに叫ぶ少女が一人。
洞窟の入口に飛び降りてきた。
少女の肩から竜に似た何かが飛び立った。洞窟の天井に張りつき、その何かは光を纏う。
真っ暗だった洞窟内に光源が確保されたのだ。まずい、と蟲姫は思う。なぜなら彼女は知っていた。人間、という生き物は明るい場所でこそその本領を発揮し、活動的になるのだということを。
『シィィィっ!!』
咄嗟に放った一匹の蟲が、少女の眉間に取り憑いたのと、洞窟の入口から更に数名の人間が飛び込んできたのは同時。
翅を広げた蟲姫は、侵入者達を迎撃するべく動き出す。
胸の奥で燃えさかる、怨みの炎に身を任せて……。
「にゃあっ!? いやぁっ!!!!」
悲鳴を上げる伊織の額には、禍々しい炎を纏った百足に似た蟲が取り憑いていた。百足に似た身体ではあるが、その背には翅が生えている。黒い炎が伊織の身体を取り巻いた。呪いを付与する蟲である。
「伊織さん、下がって!」
額を押さえ、身もだえする伊織をラーラが慌てて洞窟の入口から引き摺り出した。
洞窟内に駆け込んだ奏空や輪廻の間を縫って、ぞろぞろと地面を黒く塗りつぶす量の毒蟲達が這い出して来る。ラーラ達を逃がしはしない、とでも言うかのように。
「虫……そんなに嫌いではないの、です、が……こんなに大量にいるのを見ると、ごめんなさい、逃げたくなります、ね……」
這いよる蟲達を火炎弾で牽制するラーラの背後に、翼を広げた澄香が降り立つ。その手には二枚のタロットカード。すい、とカードで宙を切るような仕草をすると、辺りに桜が舞い踊る。淡い燐光を放つ美しい桜だ。じわじわと、桜の花びらに覆い尽くされ伊織の額に張り付いていた呪い蟲が消えて行く。
「入り口、塞いでたら。蟲姫、逃げられずにすむ?」
翼を広げたまま、洞窟の入口に陣取った日那乃は洞窟奥の蟲姫に指先を向ける。手に持った錬丹書が光を帯びる。零れた光が、日那乃の指先に集中し辺りの空気を吸いよせ、圧縮して弾丸を形成した。
「……ばん」
なんて、呟きと共に空気の弾丸が放たれた。空気弾はまっすぐ宙を駆け抜け、蟲姫の翅を撃ち抜こうとする。けれど、天井から降り注ぐ無数の蛭や百足、蜘蛛達によって空気の弾丸は防がれた。蟲姫の代わりに空気弾を受けた蟲達が爆ぜ、辺りに毒や体液を撒き散らす。
「わっ、ちょっと……かかっちゃったじゃない。こんなノリだけど、輪廻さん、ちゃんと女の子なのよん?」
頬に付着した蟲の体液を拭いながら輪廻は素早く上へと跳んだ。つい今し方まで輪廻の立っていた場所を、蟲を纏った蟲姫の両腕が薙ぎ払う。
蟲を纏った二連撃。溢れた毒液によって、洞窟の床が紫色に変色していく。猛毒、なのだろう。回避した輪廻の頬を、冷や汗が伝う。
「君は望んで生まれた訳ではないかもしれないけど……人に害を成すなら仕方ない。大きな被害が出る前に、今度こそ必ず倒すよ!」
蟲姫の腕を潜り抜け、その懐に肉薄する奏空は蟲姫の正面に立ち雷獣を放つ。けれど、それを見ていた輪廻の脳は「まずい」と激しく警鐘を鳴らす。
ここは蟲姫の住処であり、奏空の立つ場所は蟲姫の射程の中である。
翅で自由に空を跳ばれることを懸念し、洞窟に強襲をかけたのだが、早まった選択だったかもしれない。
なぜなら……。
「え? うわぁっ!!」
跳ねるように前に出た蟲姫が奏空の肩を掴む。
蟲姫の足元から、雷獣を受け焼け焦げた腹部から、ぞろぞろと大量の蟲が飛び出しあっという間に奏空の全身を覆い尽くした。
いくら伊織の守護使役(金鬼)のおかげで光源を確保できたとはいえ、ここは正しく蟲姫の巣窟。地面に、壁に、その身の傍に配下においた毒蟲を大量に忍ばせていた所でなんら不思議はないのだから。
「厄介ねん」
天井を蹴って、輪廻は跳んだ。弾丸のように、まっすぐ速く。その身に宿る炎で身体能力を強化し、蟲姫の上体へと跳びかかる。
「でも、お仕事だから嫌でもしっかりやるけどねん」
そう呟いた輪廻は、蟲姫の顎を狙って迷いなく足を振り上げた。
輪廻の脚が振り抜かれた。蟲姫に捉え切れたのはそこまでだ。
防御、或いは迎撃の為に蟲と腕を顔の前へと上げようとした。けれど、間に合わなかった。輪廻の脚が消えた。少なくとも、蟲姫にはそう見えたのだ。
直後襲い来る激しい衝撃。胸、顎、額と三連発の蹴りを受け、身体は大きく仰け反った。
咄嗟に放った呪い蟲が輪廻の胸に取り憑いたのは僥倖だった。そうでなければ、このまま更に追撃を受けていただろうから。
蟲姫と輪廻の間に、無数の蟲が壁を作る。数秒だが、時間を稼げる。
その間に体勢を立て直そうと考えた蟲姫は、洞窟の奥で翅を広げた。
直後、その翅の端が空気の弾丸で粉砕される。
「この広さなら、蟲姫の移動とか、邪魔できる、かも?」
空気の弾丸を放った日那乃は、油断なく洞窟内部を観察している。洞窟の出入り口が、ここだけとは限らないからだ。翅をもち、空を飛べるという蟲姫の優位性は洞窟内ならば無視できる。その為には、戦場と定めたこの場から蟲姫を逃がさないようにする必要がある。
「ここで決着をつけましょう。私達が時間を稼ぎますから、一旦退いてください!」
「私の力を思い知るがいいですわ!」
ラーラの放った火炎弾が、伊織の放った気の砲弾が洞窟内で吹き荒れる。状態異常を受けた奏空と輪廻を一瞥し、澄香はヒクと頬を引き攣らせた。蟲姫の傍で接近戦を繰り広げた二人の身体は、砕けた蟲の死骸や飛び散った体液、更にはまだ生きている蟲に塗れていたからだ。
桜の花びらが舞い踊り、二人の受けた状態異常を回復させる。バラバラと、蟲が地面に落ちて、花弁と共に消えて行くその光景は、どこか幻想的でさえあった。
無事に二人の治療を終えて、澄香は安堵の溜め息を零す。
「蟲姫さん……貴女に意識や知性はあるのでしょうか。できればそういった物がないことを祈ります。人間の勝手で作り出されて、人間の勝手で退治される……こんな酷い話はありませんものね」
気の砲弾と、火炎の吹き荒れる洞窟内部を一瞥し澄香はそう呟いた。
彼女の声は、蟲姫には届かない。いくら彼女が、蟲姫を憐れんだ所で、怨みや憎しみによって生まれた呪いの古妖。どれほど傷つけられようと、どれほど哀れに思われようと、蟲姫は人間を恨み続ける。
なぜなら蟲姫は、それだけの為に生まれた存在なのだから。
「やはり人に害をなすというのであれば捨て置けません。これ以上、孤独と憎悪にさいなまれる前に……」
ラーラの放った数発の火炎弾が、蟲姫の翅を焼き尽くす。
火炎弾の合間を縫って、跳び出した蟲がラーラの首筋に喰らい付く。百足に似た身体に翅を生やした呪いの蟲だ。「……うぁ」と声にならない悲鳴を上げて、ラーラは数歩後退する。状態異常もさることながら、その見た目、触れた感触などの精神的なダメージが大きいのだ。
特に女性にはきついものがあるだろう。
ラーラの攻撃が止まった瞬間 焦げた身体と、燃え尽きた蟲達を一瞥し蟲姫は残りの蟲をその腕に纏う。防戦を強いられた蟲姫の怨みはこれ以上ないほどに高まっていた。何処にこの怨みをぶつけるべきか、と蟲姫が前方へと視線を向ける。
ラーラを庇うように跳び出した伊織を、その目に捉え蟲姫はにぃと気色の悪い笑みを浮かべた。
蟲姫へと迫る伊織がエレキギターを振りかぶる。
「貴女に恨みはありませんわ。ですがこれ以上の被害が出ないよう……」
振り抜かれたエレキギターと、蟲姫の腕が衝突。弾け飛ぶ蟲達とへし折れる蟲姫の腕。飛び散る鮮血と、乾いた音を立て折れた骨が皮膚を突き破る。肉片が、洞窟の床に散らばった。けれど蟲姫は止まらない。残ったもう片方の腕で、伊織の胸を打ち据える。
「かはっ……」
血を吐き、叩き落された伊織の胸に紫の痣が滲む。じわじわと広がる痣は、それと同時に伊織の体力を削っていく。猛毒に侵された伊織の口元からは、唾液と共に血が零れていた。
咳き込む伊織に蟲が迫る。
地面を這い、壁を下り、空中を舞い、迫る無数の蟲達を黒い影が突き破った。
「大丈夫?」
そう問うたのは日那乃であった。淡い燐光を纏った水の粒が伊織の身体に降り注ぐ。胸に浮かんだ痣が薄れ、伊織の身体から毒が消える。伊織の身体を抱えあげた日那乃は迫る蟲達には目もくれず、一目散に洞窟から離脱。
「追い詰めた、よ」
伊織の攻撃により蟲姫を洞窟の最奥にまで追いやることに成功した。翅も全て焼き尽くし、蟲の数も減らすことが出来た。
終幕が近い、と日那乃は悟る。
天井付近を飛び去る日那乃のすぐ下を、奏空と輪廻が駆け抜けた。
「あとは、よろしく」
そう呟いて、日那乃は癒しの雨を降らせる。
雨を浴び、傷の言えた奏空と輪廻は獰猛な笑みを浮かべ蟲姫へと踊りかかった。
●蟲毒へ送る鎮魂歌
ふわりと漂う甘い香りに、蟲姫の身体からほんの僅かに力が抜けた。
『……?』
些細な、けれど致命的な異常に疑問を浮かべた蟲姫の視線は洞窟の入口に立つ澄香に向いた。どこか悲しそうな表情でこちらを見つめる澄香を見て、なるほどあいつか、と甘い香りの正体を突き止める。
呪い蟲を一匹、澄香へと放つ。けれど、澄香の元に辿りつく前に蔦に覆われ消されてしまった。澄香の使用した棘散舞によるものだ。踊るようにきりもみしながら、地面に落ちた呪い蟲は解けるように消え去った。
蟲姫の足元や頭上から、大量の蟲が姿を現す。土中や岩の隙間に身を隠しラーラの火炎弾を避けていた蟲達だ。ごう、と音を立てながら一斉に奏空と輪廻に襲いかかる。
「誰かの手によって暗く狭い場所で生まれ……そしてまた暗く狭い場所で死んでいくのか」
蟲の壁を突き破り、奏空は跳んだ。
全身に張りついた蟲が皮膚を喰い破り、彼の身体を朱に濡らす。腰溜めに佩いた大太刀を擦れ違い様に一閃。蟲姫の身体を衝撃が突き抜ける。
「ぐっ……」
身体機能の限界を超えた一撃だ。当然、奏空の身体も無事では済まない。反動によるダメージに奏空は苦しげな呻き声を零す。
奏空の斬撃を受けた蟲姫は、声にならない悲鳴をあげて背後の壁に叩きつけられた。
切り裂かれた胸部からドバドバと血を零しながら、奏空に手を伸ばす。
けれど……。
「相手は一人なら、私がやる戦法はこの一つだけ。天涯比隣でぶっ飛ばす♪」
一瞬の隙を突いて、輪廻は蟲姫の眼前に踊り出る。各種スキルで強化された身体能力。研ぎ澄まされたと集中力でもって、蹴りを放った。
ほんの一瞬。けれど、目にも止まらぬ速度で放たれた蹴りは三発。正確に蟲姫の胸と喉、頭部を打ち抜いた。
蟲姫の身体が沈む。血を吐き、骨を砕かれながら蟲姫は輪廻へ腕を伸ばす。
血に濡れた指先が輪廻に届く、その直前……。
『……ァァ』
蟲姫は力尽き、その身は地面に倒れ伏した。
「おやすみなさい、蟲姫……」
清廉珀香の香りを振りまきながら澄香はそう囁いた。本来であれば治癒力を高める清廉珀香の香りも、既に息絶える寸前の蟲姫には効果がない。気休めだ。蟲姫の人を怨む想いが僅かでも安らぐのではないか、とそう考えてことである。
「……例え敵だとしても最後の時には安らぎを感じさせるのがアイドルの使命。どうか貴女に憎しみではなく安らぎを」
伊織が歌うこもりうたが、洞窟内に響き渡る。
静かな、優しい歌声は死にゆく者への手向けの歌だ。
蟲姫の身体は見る間に腐って、崩れていく。呪いによって生まれた存在の末路だ。蟲姫の支配下にあった蟲達もぞろぞろと洞窟内から逃げて行った。
蟲姫は最後に、その目で伊織と澄香を見上げ「ふふ」と小さく笑ってみせた。
果たして、その笑みにどのような意図があったのか。確かめる術は存在しない。笑みを最後に、蟲姫の身体は崩れ去り、そこには黒い塵だけが残った。
こうして蟲姫はこの世から消える。
呪いによって生まれ、怨みによって生きていた蟲姫は、最後の瞬間今まで感じることのなかった安らぎを得たのだろう。
そうでなくては報われない、と澄香は静かに目を閉じた。
山奥の洞窟に身を潜めていた彼女は、ゆっくりと視線を洞窟の外へと向ける。
薄汚れた豪奢な着物に、骨ばった肢体を閉じ込めたひどく顔色の悪い女である。
淀んだ色の瞳の中に、よくよく見ればまるで蟲のように無数の複眼がひしめいている。
視線の先には鉄線が宙に伸びている。山の頂へ、鉄の箱(ゴンドラ)を運ぶ為の鉄線だ。その中に、時折人が乗り込んでいるのを、古妖(蟲姫)は知っていた。
次にゴンドラが通りかかったその時は、恨みに任せて襲ってしまおうと、そう考えながらその時を今か今かと待っているのだ。
所代わって山の頂。6名の男女が崖下を見降ろし、何事か話しあっている。男女、といってもまだ年若い者が多く、またどうみてもアウトドアを楽しむような服装ではない。6名の中で唯一の男性『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は少々居心地の悪そうな表情を浮かべながらも、決意を秘めた瞳で崖下を見つめている。
「人間に対する負の感情の集合体が彼女だというのならやっぱり倒すしかないのかな」
人為的に作られた古妖である(蟲姫)と、それを作った名も知らぬ何者かに対する静かな怒りが刀の柄を握る彼の手に無意識に力を込めさせていた。
「……被害が、出るなら、消す」
翼を広げ桂木・日那乃(CL2000941)は宙へと跳んだ。彼女に続いて、残る5名も崖を降りて行く。中には翼を広げ音も無く空を飛ぶものもいる。
「もし落ちそうなら支えますから」
と、ゆっくり翼を持つ者の一人『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)は『悪意に打ち勝ちし者』魂行 輪廻(CL2000534)にそう告げた。澄香はバニーガールの衣装に似た戦闘服を身に纏い、タロットカードを指先に挟んでいる。
「んー? 一応、ハイバランサーも蜘蛛糸もあるしねぇん?」
輪廻は指先から伸ばした蜘蛛の糸で身体を支えながら、危なげなく崖を降りて行く。時折、足元を蜘蛛糸で補強し、後続の為に足場を作る。
輪廻の補強した足場を、一足飛びに駆けおりて行くのは『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神・伊織(CL2001603)だ。
「人を呪わば穴二つ。因果応報……人を憎んで害悪を振りまく者は相応の報いを受けるものですわ。例え、彼女の在り方がそういうモノと定められていたにせよ、私はそれを許せませんわ」
伊織の背中でエレキギターが揺れている。恐らくは、それが彼女の武器なのだろう。
「高い所は特別得意って訳ではありませんが……こういった局面です。多少無理を押してでも行くしかないです」
恐る恐る、といった様子で『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は列の最後尾を進む。崖の途中にある蟲姫の隠れ家まで、十数分もかければ辿りつけるだろうか。
蟲姫はまだ、彼女達の接近には気付いていない。
●怨みと呪いと蟲毒の姫と
異変を感じた時には既に遅かった。
洞窟の中で身を潜め、ゴンドラの通過を待ちかまえていた蟲姫の頭上で、微かな、けれど確かに物音がしたのだ。コツン、カツン、と小石の跳ねた音だ。
何かが近づいてきている、と配下にある蜘蛛を数匹偵察へ向かわせる。こうして、洞窟の傍を他の生物が通りかかることは初めてではない。その度にそれを捕え、捕食してきた。
今日もまた、愚かな獲物が近づいてきたのか、とそう考えたのだ。
けれど……。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子に石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
今回の獲物は、どうやらかなり好戦的らしい。声が響いた。次いで、ごう、と風の唸る音。
身を起こし、咄嗟に後退した蟲姫の眼前で数発の火炎弾が爆ぜる。
『……っうぅ?』
蟲姫を庇った、蟲達が跡形もなく燃え尽きた。煙の充満する洞窟内に、さらなる蟲を呼びよせる。
その瞬間だ。
「さあ、出でませ金鬼! いずれ世界に輝くアイドルである私を照らすのですわ!」
金色の髪を振り乱し、片手を腰に、もう片方の手を頭上へ掲げて高らかに叫ぶ少女が一人。
洞窟の入口に飛び降りてきた。
少女の肩から竜に似た何かが飛び立った。洞窟の天井に張りつき、その何かは光を纏う。
真っ暗だった洞窟内に光源が確保されたのだ。まずい、と蟲姫は思う。なぜなら彼女は知っていた。人間、という生き物は明るい場所でこそその本領を発揮し、活動的になるのだということを。
『シィィィっ!!』
咄嗟に放った一匹の蟲が、少女の眉間に取り憑いたのと、洞窟の入口から更に数名の人間が飛び込んできたのは同時。
翅を広げた蟲姫は、侵入者達を迎撃するべく動き出す。
胸の奥で燃えさかる、怨みの炎に身を任せて……。
「にゃあっ!? いやぁっ!!!!」
悲鳴を上げる伊織の額には、禍々しい炎を纏った百足に似た蟲が取り憑いていた。百足に似た身体ではあるが、その背には翅が生えている。黒い炎が伊織の身体を取り巻いた。呪いを付与する蟲である。
「伊織さん、下がって!」
額を押さえ、身もだえする伊織をラーラが慌てて洞窟の入口から引き摺り出した。
洞窟内に駆け込んだ奏空や輪廻の間を縫って、ぞろぞろと地面を黒く塗りつぶす量の毒蟲達が這い出して来る。ラーラ達を逃がしはしない、とでも言うかのように。
「虫……そんなに嫌いではないの、です、が……こんなに大量にいるのを見ると、ごめんなさい、逃げたくなります、ね……」
這いよる蟲達を火炎弾で牽制するラーラの背後に、翼を広げた澄香が降り立つ。その手には二枚のタロットカード。すい、とカードで宙を切るような仕草をすると、辺りに桜が舞い踊る。淡い燐光を放つ美しい桜だ。じわじわと、桜の花びらに覆い尽くされ伊織の額に張り付いていた呪い蟲が消えて行く。
「入り口、塞いでたら。蟲姫、逃げられずにすむ?」
翼を広げたまま、洞窟の入口に陣取った日那乃は洞窟奥の蟲姫に指先を向ける。手に持った錬丹書が光を帯びる。零れた光が、日那乃の指先に集中し辺りの空気を吸いよせ、圧縮して弾丸を形成した。
「……ばん」
なんて、呟きと共に空気の弾丸が放たれた。空気弾はまっすぐ宙を駆け抜け、蟲姫の翅を撃ち抜こうとする。けれど、天井から降り注ぐ無数の蛭や百足、蜘蛛達によって空気の弾丸は防がれた。蟲姫の代わりに空気弾を受けた蟲達が爆ぜ、辺りに毒や体液を撒き散らす。
「わっ、ちょっと……かかっちゃったじゃない。こんなノリだけど、輪廻さん、ちゃんと女の子なのよん?」
頬に付着した蟲の体液を拭いながら輪廻は素早く上へと跳んだ。つい今し方まで輪廻の立っていた場所を、蟲を纏った蟲姫の両腕が薙ぎ払う。
蟲を纏った二連撃。溢れた毒液によって、洞窟の床が紫色に変色していく。猛毒、なのだろう。回避した輪廻の頬を、冷や汗が伝う。
「君は望んで生まれた訳ではないかもしれないけど……人に害を成すなら仕方ない。大きな被害が出る前に、今度こそ必ず倒すよ!」
蟲姫の腕を潜り抜け、その懐に肉薄する奏空は蟲姫の正面に立ち雷獣を放つ。けれど、それを見ていた輪廻の脳は「まずい」と激しく警鐘を鳴らす。
ここは蟲姫の住処であり、奏空の立つ場所は蟲姫の射程の中である。
翅で自由に空を跳ばれることを懸念し、洞窟に強襲をかけたのだが、早まった選択だったかもしれない。
なぜなら……。
「え? うわぁっ!!」
跳ねるように前に出た蟲姫が奏空の肩を掴む。
蟲姫の足元から、雷獣を受け焼け焦げた腹部から、ぞろぞろと大量の蟲が飛び出しあっという間に奏空の全身を覆い尽くした。
いくら伊織の守護使役(金鬼)のおかげで光源を確保できたとはいえ、ここは正しく蟲姫の巣窟。地面に、壁に、その身の傍に配下においた毒蟲を大量に忍ばせていた所でなんら不思議はないのだから。
「厄介ねん」
天井を蹴って、輪廻は跳んだ。弾丸のように、まっすぐ速く。その身に宿る炎で身体能力を強化し、蟲姫の上体へと跳びかかる。
「でも、お仕事だから嫌でもしっかりやるけどねん」
そう呟いた輪廻は、蟲姫の顎を狙って迷いなく足を振り上げた。
輪廻の脚が振り抜かれた。蟲姫に捉え切れたのはそこまでだ。
防御、或いは迎撃の為に蟲と腕を顔の前へと上げようとした。けれど、間に合わなかった。輪廻の脚が消えた。少なくとも、蟲姫にはそう見えたのだ。
直後襲い来る激しい衝撃。胸、顎、額と三連発の蹴りを受け、身体は大きく仰け反った。
咄嗟に放った呪い蟲が輪廻の胸に取り憑いたのは僥倖だった。そうでなければ、このまま更に追撃を受けていただろうから。
蟲姫と輪廻の間に、無数の蟲が壁を作る。数秒だが、時間を稼げる。
その間に体勢を立て直そうと考えた蟲姫は、洞窟の奥で翅を広げた。
直後、その翅の端が空気の弾丸で粉砕される。
「この広さなら、蟲姫の移動とか、邪魔できる、かも?」
空気の弾丸を放った日那乃は、油断なく洞窟内部を観察している。洞窟の出入り口が、ここだけとは限らないからだ。翅をもち、空を飛べるという蟲姫の優位性は洞窟内ならば無視できる。その為には、戦場と定めたこの場から蟲姫を逃がさないようにする必要がある。
「ここで決着をつけましょう。私達が時間を稼ぎますから、一旦退いてください!」
「私の力を思い知るがいいですわ!」
ラーラの放った火炎弾が、伊織の放った気の砲弾が洞窟内で吹き荒れる。状態異常を受けた奏空と輪廻を一瞥し、澄香はヒクと頬を引き攣らせた。蟲姫の傍で接近戦を繰り広げた二人の身体は、砕けた蟲の死骸や飛び散った体液、更にはまだ生きている蟲に塗れていたからだ。
桜の花びらが舞い踊り、二人の受けた状態異常を回復させる。バラバラと、蟲が地面に落ちて、花弁と共に消えて行くその光景は、どこか幻想的でさえあった。
無事に二人の治療を終えて、澄香は安堵の溜め息を零す。
「蟲姫さん……貴女に意識や知性はあるのでしょうか。できればそういった物がないことを祈ります。人間の勝手で作り出されて、人間の勝手で退治される……こんな酷い話はありませんものね」
気の砲弾と、火炎の吹き荒れる洞窟内部を一瞥し澄香はそう呟いた。
彼女の声は、蟲姫には届かない。いくら彼女が、蟲姫を憐れんだ所で、怨みや憎しみによって生まれた呪いの古妖。どれほど傷つけられようと、どれほど哀れに思われようと、蟲姫は人間を恨み続ける。
なぜなら蟲姫は、それだけの為に生まれた存在なのだから。
「やはり人に害をなすというのであれば捨て置けません。これ以上、孤独と憎悪にさいなまれる前に……」
ラーラの放った数発の火炎弾が、蟲姫の翅を焼き尽くす。
火炎弾の合間を縫って、跳び出した蟲がラーラの首筋に喰らい付く。百足に似た身体に翅を生やした呪いの蟲だ。「……うぁ」と声にならない悲鳴を上げて、ラーラは数歩後退する。状態異常もさることながら、その見た目、触れた感触などの精神的なダメージが大きいのだ。
特に女性にはきついものがあるだろう。
ラーラの攻撃が止まった瞬間 焦げた身体と、燃え尽きた蟲達を一瞥し蟲姫は残りの蟲をその腕に纏う。防戦を強いられた蟲姫の怨みはこれ以上ないほどに高まっていた。何処にこの怨みをぶつけるべきか、と蟲姫が前方へと視線を向ける。
ラーラを庇うように跳び出した伊織を、その目に捉え蟲姫はにぃと気色の悪い笑みを浮かべた。
蟲姫へと迫る伊織がエレキギターを振りかぶる。
「貴女に恨みはありませんわ。ですがこれ以上の被害が出ないよう……」
振り抜かれたエレキギターと、蟲姫の腕が衝突。弾け飛ぶ蟲達とへし折れる蟲姫の腕。飛び散る鮮血と、乾いた音を立て折れた骨が皮膚を突き破る。肉片が、洞窟の床に散らばった。けれど蟲姫は止まらない。残ったもう片方の腕で、伊織の胸を打ち据える。
「かはっ……」
血を吐き、叩き落された伊織の胸に紫の痣が滲む。じわじわと広がる痣は、それと同時に伊織の体力を削っていく。猛毒に侵された伊織の口元からは、唾液と共に血が零れていた。
咳き込む伊織に蟲が迫る。
地面を這い、壁を下り、空中を舞い、迫る無数の蟲達を黒い影が突き破った。
「大丈夫?」
そう問うたのは日那乃であった。淡い燐光を纏った水の粒が伊織の身体に降り注ぐ。胸に浮かんだ痣が薄れ、伊織の身体から毒が消える。伊織の身体を抱えあげた日那乃は迫る蟲達には目もくれず、一目散に洞窟から離脱。
「追い詰めた、よ」
伊織の攻撃により蟲姫を洞窟の最奥にまで追いやることに成功した。翅も全て焼き尽くし、蟲の数も減らすことが出来た。
終幕が近い、と日那乃は悟る。
天井付近を飛び去る日那乃のすぐ下を、奏空と輪廻が駆け抜けた。
「あとは、よろしく」
そう呟いて、日那乃は癒しの雨を降らせる。
雨を浴び、傷の言えた奏空と輪廻は獰猛な笑みを浮かべ蟲姫へと踊りかかった。
●蟲毒へ送る鎮魂歌
ふわりと漂う甘い香りに、蟲姫の身体からほんの僅かに力が抜けた。
『……?』
些細な、けれど致命的な異常に疑問を浮かべた蟲姫の視線は洞窟の入口に立つ澄香に向いた。どこか悲しそうな表情でこちらを見つめる澄香を見て、なるほどあいつか、と甘い香りの正体を突き止める。
呪い蟲を一匹、澄香へと放つ。けれど、澄香の元に辿りつく前に蔦に覆われ消されてしまった。澄香の使用した棘散舞によるものだ。踊るようにきりもみしながら、地面に落ちた呪い蟲は解けるように消え去った。
蟲姫の足元や頭上から、大量の蟲が姿を現す。土中や岩の隙間に身を隠しラーラの火炎弾を避けていた蟲達だ。ごう、と音を立てながら一斉に奏空と輪廻に襲いかかる。
「誰かの手によって暗く狭い場所で生まれ……そしてまた暗く狭い場所で死んでいくのか」
蟲の壁を突き破り、奏空は跳んだ。
全身に張りついた蟲が皮膚を喰い破り、彼の身体を朱に濡らす。腰溜めに佩いた大太刀を擦れ違い様に一閃。蟲姫の身体を衝撃が突き抜ける。
「ぐっ……」
身体機能の限界を超えた一撃だ。当然、奏空の身体も無事では済まない。反動によるダメージに奏空は苦しげな呻き声を零す。
奏空の斬撃を受けた蟲姫は、声にならない悲鳴をあげて背後の壁に叩きつけられた。
切り裂かれた胸部からドバドバと血を零しながら、奏空に手を伸ばす。
けれど……。
「相手は一人なら、私がやる戦法はこの一つだけ。天涯比隣でぶっ飛ばす♪」
一瞬の隙を突いて、輪廻は蟲姫の眼前に踊り出る。各種スキルで強化された身体能力。研ぎ澄まされたと集中力でもって、蹴りを放った。
ほんの一瞬。けれど、目にも止まらぬ速度で放たれた蹴りは三発。正確に蟲姫の胸と喉、頭部を打ち抜いた。
蟲姫の身体が沈む。血を吐き、骨を砕かれながら蟲姫は輪廻へ腕を伸ばす。
血に濡れた指先が輪廻に届く、その直前……。
『……ァァ』
蟲姫は力尽き、その身は地面に倒れ伏した。
「おやすみなさい、蟲姫……」
清廉珀香の香りを振りまきながら澄香はそう囁いた。本来であれば治癒力を高める清廉珀香の香りも、既に息絶える寸前の蟲姫には効果がない。気休めだ。蟲姫の人を怨む想いが僅かでも安らぐのではないか、とそう考えてことである。
「……例え敵だとしても最後の時には安らぎを感じさせるのがアイドルの使命。どうか貴女に憎しみではなく安らぎを」
伊織が歌うこもりうたが、洞窟内に響き渡る。
静かな、優しい歌声は死にゆく者への手向けの歌だ。
蟲姫の身体は見る間に腐って、崩れていく。呪いによって生まれた存在の末路だ。蟲姫の支配下にあった蟲達もぞろぞろと洞窟内から逃げて行った。
蟲姫は最後に、その目で伊織と澄香を見上げ「ふふ」と小さく笑ってみせた。
果たして、その笑みにどのような意図があったのか。確かめる術は存在しない。笑みを最後に、蟲姫の身体は崩れ去り、そこには黒い塵だけが残った。
こうして蟲姫はこの世から消える。
呪いによって生まれ、怨みによって生きていた蟲姫は、最後の瞬間今まで感じることのなかった安らぎを得たのだろう。
そうでなくては報われない、と澄香は静かに目を閉じた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
