清流の鮎、いただきます!
清流の鮎、いただきます!



 6月。
 1年12ヶ月の中で、この月が大好きだという日本人はそう多くないだろう。
 サラリーマンならば、汗が染みたワイシャツが肌にへばりつく、1年で一番嫌な月。
 小学生ならば、土日以外に休みの日がない、1年で一番嫌な月。
 主婦ならば、洗濯物の乾かない、1年で特に嫌な月。

 だが、料亭の板前であるサカキは、こう考える。
 6月は鮎の季節。1年で最も良い月だ、と。


 6月初旬、関東某所の川縁にて。
「あっ、やられた!」
「カカカッ。相変わらず下手くそだなあ、おめえは」
 背の曲がった老人が、鮎のアタリを逃したサカキを笑った。
 彼はサカキの店と古くから付き合いのあった業者で、本業は数年前に引退している。今は家族が経営する近所の料理屋住まいで悠々自適の生活を送りつつ、毎年解禁日にサカキが釣って料理した鮎を食べるのが数少ない楽しみなのだ。
「ほらサカキ、俺の分も頑張って釣んだぞ。おめえ、釣りはヘボだが料理の腕はいいからな」
「かなわないな……」
 苦笑して頭を掻くサカキ。料理人の性ゆえか、釣りをしていても彼の頭に浮かんでくるのは鮎料理のことばかり。どうにも手元が疎かになってしまう。
(やはり塩焼きかな。いや、うるか焼きや天ぷらも捨てがたい……)
 サカキは、鮎という魚が好きだ。海の魚とは違う、宝石のような美しさがある。あの繊細な佇まい。白磁めいた腹の輝き。珪藻の香りが染みた肉……料理人として、1尾たりとも粗末には出来ない。
 釣竿を握るサカキの手に、思わず力がこもった。あの老人のことだ、厨房の支度は万全に整えていることだろう。
「これから沢山釣ってみせますよ。待ってて下さい」
「頼むぜ。幸い、今年は川も静かだしな」
 老人の言うとおり、川縁はサカキと老人、あとは数名の釣り人がまばらに散っているだけだ。
(ふつう解禁日ともなれば、どこも釣り人でごった返すものだが……きっと運が良かったんだろう)
 サカキが吊り上げた鮎を魚篭に入れると、老人がひょいと顔を向けた。
「そういや聞いたぞ。おめえ、妖に襲われたんだって?」
「死ぬかと思いましたよ。あんまり美味すぎるもんで、化けたんですかね」
「だったら、この川の鮎なんてみーんな妖になっちまうな!」
「ピキャ?」
「よしてくださいよ、縁起でもない」
「本気にすんなよ、冗談だ冗談! ハハハハハ!」
「ピキャー! ピキャピキャピキャ!!」

「「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!」」
 2人は死んだ。


「――というわけ、だ。一大事が起ころうとしている」
 世界の終わりとでも言いたげに頭を抱えながら、久方 相馬(nCL2000004)は話を切り出した。
 彼にとって、美味い店がつぶれる事は、世界の終わりに等しいのかもしれない。
「このままでは妖化した鮎によって川は破壊し尽くされ、サカキさんも師匠さんも、その他大勢の釣り人達も、みんな川の藻屑と消えてしまう。そうなる前に、妖を撃破してくれ!」
 戦いの舞台は東日本のとある河川。出現するのは、妖化した鮎――ランク1の生物系9体だ。
 妖は川の中を泳ぎ回りながら、口から噴射する水鉄砲、または体当たりで攻撃してくる。水中では身動きに大きな制限がかかるので、川から飛び出した時を狙うか、挑発して川縁に誘い出して攻撃すると良いだろう。幸い妖は知能も低く、面倒な能力なども有していない。食事前の運動くらいに考えて、さっさと片付けてしまおう……とは相馬の言だ。
「依頼は、川の鮎が巨大化したところからスタートする。サカキさんについては、FiVEの覚者の皆を見れば、事情を察して老人と一緒に退避してくれる。そっちへの人手は必要ないと思ってくれ」
 相馬は話を終えて、無念そうにギュッと拳を握った。
「旬の鮎……美味いだろうなあ……チクショウ! 俺の分まで、楽しんで来てくれよ!」


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:坂本ピエロギ
■成功条件
1.妖の撃破
2.鮎を食べる
3.なし
ピエロギです。今回は恒例の食事系シナリオ、鮎編をお届けします。
塩焼き、鮎飯、雑炊……食べたい鮎料理を、心行くまで楽しんでみませんか?


・希望がない場合、EX欄に「お任せ」と書いて頂ければ、アドリブで用意します。
・未成年の飲酒はNGです。

●ロケーション
砂利の転がる川縁が舞台となります。時刻は早朝、晴天です。
陸地での立ち回りには、別段不自由はないでしょう。
その他諸々の情報については、OPの相馬の解説を参照して下さい。

戦いが終わった後は、老人の店で鮎料理を堪能していって下さい。
(川で自分の分を釣っていくのも可能です)

●妖
巨大鮎 × 9

生物系のランク1です。
注意を要する能力は有しませんが、水中で戦うと苦戦を強いられるでしょう。
幸い知能は低いので、挑発等で誘い出し、陸で戦った方がスムーズと思われます。
ポジションはすべて前衛です。

・使用スキル
水鉄砲(物遠単)
薙ぎ払い(物近列)
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
公開日
2017年06月16日

■メイン参加者 6人■

『ファイブブラック』
天乃 カナタ(CL2001451)
『歪を見る眼』
葦原 赤貴(CL2001019)
『『恋路の守護者』』
リーネ・ブルツェンスカ(CL2000862)
『赤き炎のラガッツァ』
ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)


 ローカル線の駅を降り、無人の改札口を出た。
 1時間に1本のバスに揺られ、『狗吠』時任・千陽(CL2000014)たち6人が川へと到着したのは、午前7時を過ぎた頃。千陽が指さした先に、川縁にぽつぽつと散る人影は、竿を手に鮎を狙う釣り人ばかりのようだ。
「鮎ですか…この時期とっても美味しいと聞いています」
 吹き出る汗を拭いながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は溢れそうになる涎を飲み込んだ。依頼を受けた後、彼女は鮎に関する様々な知識を仕入れていて、戦いの後に注文する料理も決めているようだ。
「炭火でジューっと焼いたら美味しいんでしょうね。たくさん釣って、たくさん食べてみたいものです」
「噂じゃすっげー美味いらしいじゃん? 楽しみだな」
 天乃 カナタ(CL2001451)が興味津々と言った顔で返した。グミとジャンクフードが主食の彼にとって、鮎はいたく好奇心をかき立てられる食べ物なのだろう。
「鮎って塩焼き以外に、何があるんやろうなあ! お腹、すいたなあ……」
 脳内で炙った極上の塩焼きを、『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)は懸命に振り払った。この日のために絶食を続けたせいか、油断するとすぐ鮎のことが頭に浮かんでしまう。
「いや待て、まずは戦いだよな! それから鮎を山ほど釣って……ん?」
「釣りをするなら、こいつを持っておくといい」
 肩を叩かれ振り返ると、『歪を見る眼』葦原 赤貴(CL2001019)がジャックに札を一枚差し出した。
「えーと。『魚種:鮎 漁法:友釣り 本日限り有効』……何だ、こりゃ?」
「遊魚権を証明する鑑札だ。紛失しないようにな」
 赤貴曰く、最寄りの券売店を尋ねたところ、漁協の人間が用意してくれていたとのことだ。どうやら相馬から連絡が行っていたらしい。
「川釣りは事前に手続きが必要な場合がある。妖の撃破という大義名分があるとはいえ、無用に規則を破ることもないだろう」
「へ~。ありがと! よっし鮎だ鮎!」
「オー! 鮎デスネ!」
 ジャックと一緒に陽気に笑う『恋路の守護者』リーネ・ブルツェンスカ(CL2000862)にも、赤貴は鑑札を差し出す。他の仲間に渡した時と比べ、その動きはどこかぎこちない。
「リーネさん、これを」
「ありがとデスヨ! でも私、釣ったりするの苦手デシテネ。だから出来れば赤貴君に……」
「あ、ああ」
 照れ笑いを浮かべるリーネに、赤貴は口をつぐんだ。
 年上の女性の扱いというものは、どうにも難しい。淡い想いを抱く相手ならば尚更だ。
「せっかくだし、持っていてくれ。もし気が向いたら――」
 言いかけて赤貴が言葉を切る。道を進んでいて、周囲の匂いが変わったからだ。
 キュウリを思わせる、涼やかで濃厚な、青い香り。とびきり上等な鮎の香りだった。


 川に沿って上流へと歩くこと数分、サカキと老人はすぐに見つかった。
 距離が近まるにつれ、ふたりの会話が自然と耳に入ってくる。やれサカキが魚の妖に襲われてどうの、魚が美味くて化けるなら川の鮎はみんな妖になるの……
「おい、あれ!」
 カナタが川面を指さすと、人間サイズの鮎が次々と飛び出すのが見えた。
「ピッキャアアアアア!!」
「探す手間が省けマシタネー! ……にしても、変な声で鳴きマスネ?」
「塩焼きにして食ってやるぜ、覚悟しろー!」
 のどかな青空の下、6人は覚醒して土手を駆け下りていった。
 戦闘開始である。
「FiVEの者です! 直ちに退避して下さい!」
「あん? ファイブ? 何のこと――」
「分かりました! オヤジさん逃げますよ!!」
 千陽の呼びかけに応じたサカキが、老人を担いで駆け出した。
「真っすぐ土手の上まで走って! 戦いが終わるまで絶対に出てこないように!」
 誘導に従うまま、2人は全速力で現場を離脱した。千陽が土の心で割り出した安全ルートだ。万が一にも危険はない。
 入れ替わるように川縁に辿り着く千陽たちを、妖が出迎えた。
 その数9体。川の中に身を潜め、ぎらついた目で虎視眈々と6人を狙っている。
「待ちに徹するってわけか。ときちか、こっちから撃てへん?」
「そんな事をしたら、妖でない鮎が巻き込まれます。ご飯抜きは嫌でしょう、切裂?」
「いやだ!!」
 千陽の言葉に、ジャックを含む全員が首を横に振る。
「右に同じだ。冗談ではない」
「OH-! それだけは絶対だめデス!」
「やだ! 絶対やだー! 挑発して誘い出してやろうぜ!」
「あんな危険なお魚は放置できませんね。こちらの土俵で何とかしてしまいましょう」
 かくして覚者たちは、妖と対峙しつつ砂利場に陣形を組んでいった。
 後衛はラーラ。中衛はカナタとジャック。前衛は千陽、赤貴、リーネ。
「オレとリーネさんで先行して、妖を誘い出す。行こう、リーネさん」
「はいデス! 先陣は任せなサーイ!」
 リーネは自慢の大きな胸を張り、両手のラージシールドを掲げて見せた。
 慎重な足取りで川縁へと足を運ぶリーネと赤貴。
 敵との距離が縮むにつれ、次第に空気が張り詰めてゆく。
「リーネさん。鮎を食べたことは、あるだろうか? 川魚は好みも分かれるところだが」
「鮎デスカ? 一度アリマスネ。その時は塩焼きにシテ……お箸の扱いにも慣れてない頃デシタ」
 赤貴が鮎料理の話題で妖を挑発する。ぴしっ、と妖が固まるのが分かった。
 人間の言葉を理解している様子はなかったが、妖が2人に狙いを定めたのは間違いない。
「そう言えば、日本でよく食べられるのはお刺身ナノニ、何故鮎は塩焼きばかりナノデスカ?」
「その方が美味くて衛生的だからだろう。ちなみに塩焼きはオレも好きだ。炭火焼の丸齧りなら、まとめて骨を引き抜くのも簡単だ」
「私もデス! 私が思いを寄せる殿方が……あーんしてくれたのが、とても美味しかったデス……」
「なっ」
 ぴしっ。
 赤貴が固まる。
「それが、すっごく記憶に残ってマスネ! 今度は私が赤貴君にあーん、しちゃいマショウカ?」
「……ああ……いや、ありがとう……」
「なら、さっさと妖を仕留めてしまいマショウ!」
 その言葉に誘われたように――
「「ピッキャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」
 痺れを切らした9体が水面を跳ね、一斉に襲いかかってきた!


「オー! ノコノコ誘われて出てきましたネー?」
 笑うリーネが構えるラージシールドを、妖の水鉄砲が滝のごとき勢いで叩く。
 普通の人間ならば水圧で全身の骨を砕かれる威力だが、相手はベテランのリーネだ。
 蔵王・戒と紫鋼塞で強化した彼女の守りを破るのは、ランク1の妖では不可能に近い。
「すっごいデス! こんなに簡単に挑発に乗るなんて。お顔真っ赤デスネー!」
「鮎は気性の荒い魚だ。目障りな存在は容赦なく排除にかかる」
「そうなんデスカ? 赤貴君、詳しいデスネ!」
 仲間の場所までじりじりと後退しながら、挑発を続けるリーネと赤貴。追いかける妖。
 尾鰭で直立した鮎が横一列で迫ってくる光景は、なかなかにシュールだった。
「鮎釣りで一番有名なのも、囮で鮎を挑発して捕まえる釣法だ。友釣りというのだが」
「面白そうデスネ! でも私、釣りは苦手デス。いつもお魚に逃げられマス」
「これだけ鮎を誘えるなら大丈夫だ。友釣りのコツというのは、こうやって――」
 赤貴の地烈が鮎の白い腹を捉えるも、大したダメージにはならない。赤貴が加減したからだ。
 一方、妖たちは闘争心に火をつけられ、ますます勢い付く。
 対する赤貴とリーネは冷静そのもので、楽し気な表情すら浮かべている。
「鮎に『こいつは格下だ』と思わせて、怒らせて誘い出したところを――」
「ぱくり! ……デスカ?」
「その通りだ、リーネさん」
 仲間たちの間合いに戻ると、2人はそのまま前衛ポジションへと移動する。
「うわっ、マジで全員まとめて来やがったぜ!」
 びっくり顔のカナタが、伊邪波を発動。
 空気中の水分が荒波となり、音を立てて妖を飲み込むも、波の隙間から妖が次々と飛び出した。
 水行の特属性による攻撃は相性が悪かったのか、敵の傷は浅いようだ。
「これはまた大漁ですね。迅速に静かな釣り場を取り戻しましょう!」
 千陽のNF-99が放つ烈空波が、至近距離から仲間を狙う妖を次々と切り払う。
 悲鳴と共に妖の何体かが消滅し、鮎のサイズに戻って砂利道を飛び跳ねた。
(ああ、やっぱり倒せば元に戻るんですね……)
 ラーラはサッと鮎を魚籠に放り込むと、炎獣を召喚した。
 炎に嘗め尽くされた妖が、更に1体、2体と悲鳴をあげて消滅してゆく。
「もう一息のようですね。……切裂!」
「はいよ」
 千陽の呼びかけに、ジャックが頷く。一気に終わらせる気のようだ。
「おい妖ども、逃げ場はないぞ! 大人しく降参しろ!」
 ジャックは息を吸い込み、大声で言った。
 すかさず千陽が相槌を打つ。
「どれも食べ応えのありそうな体ですね。もっとも図体だけの大味では話になりませんが」
「はやく昼飯になってくれ! 塩焼きになれ! いい感じの火力で美味しくしてやるから!」
 ふたりの息の合った挑発に、妖の怒りに満ちた視線が集中する。
「下顎を見るに、天然ものですか? 美味しくいただきたいのに……泥くさそうですね」
「俺おなかすいたよ! 今日この日のために二日間何も食べてないよ! 限界近いよ!」
「切裂、無理な絶食は返って食べられなくなりますよ。残さずに食べれますか?」
「大丈夫だって! 食える喰える!」
「「ピキャアアア!!」」
「来たな! 串刺しになって塩で焼かれろ、俺のために!!」
 突進してきた妖を、ジャックが水龍牙で一網打尽にする。
 砂利ごとまとめて削り取られた地面と共に、妖たちが宙を踊った。
 挑発で冷静さを失ったところへ、覚者の攻撃を次々と浴びせられ、妖は完全に壊滅。
 しぶとく残った最後の1体に、ラーラが狙いを定めた。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ! 」
 早朝の川に轟く妖の断末魔。
 平穏を取り戻した川縁で、鮎達が無念そうに白い腹を躍らせていた。


 サカキと老人(ウカイという名前らしい)を店に送り届けると、6人は釣場に足を運んだ。
 ウカイがこっそり教えてくれた穴場で、店から歩いて数分の場所だった。
「ああ……これは素晴らしいザラ瀬ですね」
 指先で川の温度を確かめると、さっそく千陽は支度を始めた。
 釣り竿、タモ網、その他諸々……道具は千陽の自前だ。いずれも使い込まれていて、彼の釣りへの情熱がうかがえる。
「珍しいな、ときちかが食い物に目を輝かせるなんて」
「趣味ですからね。釣りはいいですよ、落ち着きます」
 千陽いわく、鮎が竿に食いついたときの喜びは何者にも代えがたいらしい。釣りはシンプルで原始的なゲームだが、それだけに人間の狩猟本能が刺激されるのだろう。
「なるほど、いい川だ。底石が一面光っている」
「縄張り石も手頃なものが多いですね。あそこの丸石一帯は居着き鮎が多いそうです」
 赤貴と千陽のよく分からない会話に相槌を打ちながら、ジャックは借り物の鮎竿を振り上げる。
「よーし、釣りだ釣り! ヌシ釣ったるで!!」
 きゃっきゃとはしゃいで竿を振り回すジャックを後目に、千陽は慣れた手つきで準備を終えた。
 手頃な石に目星を付けて囮の鮎を放り込むと、立派な鮎が面白いように釣れた。
「良いですね……心が洗われるようです」
 至福のひと時に顔を綻ばせる千陽。そこへジャックがちょっかいを出しに来た。
「ときちか、角砂糖ちょうだい。腹減った」
「ダメです」
 千陽は、ポケットに伸ばしてくるジャックの手を振り払った。
 ここで甘い態度を取れば、釣りどころではなくなってしまう。
「ちょうだい」
「ダメです」
 千陽の意識は竿先から動かない。
 背後でドサッという音がしたが、無視した。
「お願い」
「くどい」
「あ……川の向こうでばっちゃが手を振っとる……」
「ああもう!」
 とうとう千陽は折れた。
「角砂糖は差し上げますから静かにしてください! 逃げやすいんです! 鮎は」
「ありがと♪」
 角砂糖を一口で噛み砕くと、ジャックは再び釣り竿を握りしめる。
「よーし釣りだ釣り! いやー、ときちかと釣りするの、久しぶりやね」
 千陽は無言。集中していてジャックの言葉に気付かないようだ。
 ジャックは頬を膨らませて竿を置くと、千陽のボックスの鮎を棒で突きはじめた。
「つんつん。つんつん」
「切裂、鮎を突かないで下さい。鮎が弱ります」
 するとジャックは悪戯っぽい笑顔で、千陽の頬を突き始めた。
「つんつん。つんつん。つんつん」
「切裂!」
「おっ、かかってる!」
 ジャックがとっさに千陽の竿を奪い取ると、竿先が大きくしなった。
 水面を踊る2匹の鮎を、ジャックがタモで器用に掬う。
「やったぜ、ときちか!」
「き~り~さ~ムグッ」
「ダメだぞー、ときちかー。鮎は音に敏感なんだぞー」
 こうなっては釣りどころではない。鮎そっちのけで喧嘩に花を咲かせるジャックと千陽を、土手に座る仲間達が、半ば諦め顔で見守っていた。
「あの二人、本当に仲が良いデスネー」
「周囲に釣り人がいなくて幸いだ」
「ところで気になってたんだけどさー。縄張り石とかザラ瀬って何なの?」
「ああ、それはですね……」
 カナタの疑問に、ラーラが魔術書の手入れをしながら答える。
「鮎――特に天然ものは、主食の苔が生える石を縄張りにする性質があります。これを縄張り石といい、釣りの目印になるとか。ちなみにザラ瀬は鮎が多く集まる浅めの瀬……だそうです」
「加えて鮎は、早朝に多く苔を食べる。つまり今が最高のコンディションだ」
 カナタの隣に座る赤貴が、ラーラの説明を補足する。
「へー、勉強になるなー。そういや、葦原は釣らないの?」
「オレは見学だ」
 そう言って土手に寝転ぶと、空を眺める赤貴の視界が影で暗くなった。
「赤貴君、出番デスヨ!」
 赤貴の顔をのぞき込むリーネ。よく見れば、手には竿を持っている。
「ちょっと興味が沸きマシタ。お姉さんとシテ、赤貴君の分くらいは……ネ?」


 釣りを終え、千陽達が辿り着いたウカイの店は、囲炉裏のある小さな構えだった。飴色をした木張りの床に腰を下ろすと、遠くからは川のせせらぎが聞こえてくる。奥の厨房では火が焚かれ、料理の準備は万端のようだ。
「――というわけで、これが釣果デース! エヘン!」
 胸を張るリーネが、サカキに鮎を1匹差し出した。活きが良く、肉の締まった立派な鮎だ。
 一方の千陽、ジャック組はというと。
「……残念ながら、芳しい釣果は得られませんでした」
 サカキに鮎のボックスを渡して、がっくり肩を落とす千陽。
 そんな彼の肩を、笑顔のジャックがポンポンと叩く。
「気にせん気にせん、そんな日もあるき!」
「誰のせいだと思ってるんです!?」
 とはいえ千陽のボックスを開いてみれば、両手で数えられない数の鮎が詰まっている。
 芳しくない、という言葉は謙遜というものだろう。
「さて、何を頼むか……塩焼き・天麩羅は定番として、飯や汁物はあまり食べたことがないな」
 手に取った品書きに目を通しながら、赤貴が呟く。よく思い返せば、店で鮎を食べるということ自体が初めてだ。
「自分と天乃、葦原、ブルツェンスカ女史は塩焼き。切裂は?」
「俺は塩焼きと鮎飯がいい!」
「私はうるか焼きをいただきます」
「分かりました。ビスコッティ嬢はうるか焼き、と」
「うるか焼き? 一体、どんな料理デスカ?」
「朝早く取れた鮎で作る珍味だとか。実はちょっと勉強してきました」
 うるか焼きは煮詰めた生鮎の内臓を、鮎の表面に塗って塩焼きにしたもので、地方によって様々なバリエーションが存在するらしい。ラーラは鮎料理の中で、これが一番気になっていた。
(いったい、どんな味なのでしょうね。楽しみです)
 まだ見ぬ料理に胸を躍らせながら、ラーラはオーダーの呼び鈴を鳴らした。

 程なくして、料理が運ばれてきた。
「「いただきまーす!」」
 熱い踊り串をそっと摘み、千陽は鮎の背中にかぶりついた。
 白い肉から湯気が立ち上り、鮎の青い香りが鼻をくすぐる。
「やはり自分で釣った鮎は、美味しさも一入ですね……」
「あ……極楽浄土が見える……」
 その隣ではジャックが鮎飯に箸をつけたまま、どこか遠くを見つめていた。
 昆布の旨味が染みたご飯に、鮎の身をまるごと詰め込んだ逸品である。
「これがうるか…大人の味です。私にはまだ早かったかもしれませんね」
 ラーラがコップに手を伸ばして目を白黒させているかと思えば、
「リーネさん、食べ方の好みはあるか? あるならばそちらを試してみたい」
「ンー、二回目ナノデまだよく知りマセン。デモ……一緒に居て楽しい方と食べるのが一番デスネ♪ ……というワケデ赤貴君」
 リーネは川で釣った鮎をほぐすと、白身をずいっと差し出した。
「あーん、デスヨ? 恥ずかしがらず、お姉さんに素直に甘やかされるのデース」
 自信満々といった笑顔で、自慢の胸を叩くリーネ。
 赤貴は躊躇ったが、やがて観念したように、
「いただきます。あーん……」
 ぶっきらぼうに言って、リーネの鮎を口に入れた。
 緊張のせいか味はよく分からない。だが、この日のリーネとの食事は、きっと忘れないだろう。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまデス♪」
「うんうん。頂きますって言うと、ご飯が美味しくなるよなっ」
 赤い顔の赤貴。ニッコリ満足顔のリーネ。
 二人の至福のひと時を、ジャックが笑顔で締めくくった。

 見上げる青空の太陽がまぶしい。
 夏の足音が、すぐそこまで聞こえる。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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