パパもママも、死ねばいい
●
机の中を、ママに勝手に覗かれたから。
それを知った私に問い詰められるママを、パパが庇ったから。
私が『その言葉』を発した理由は、それだけだった。
しばらくして、パパとママは心配そうに詫びの声をかけてきたけど、私は一切口をきかなかった。
これでいいんだ。知った事じゃない。私を傷つけた報いだ。
私は自分にそう言い聞かせて、痛む心を押し殺した。
それから3日後、ふたりは死んだ。
車で駅へと向かう途中、合コン帰りの学生の車と衝突して――
●
それからの1週間をどう過ごしたか、はっきりした記憶はない。
分かっているのは、私が今、葬儀場でふたりの遺影を眺めている事だけだ。
「健治も、みずほさんも、早すぎる……」
「交通事故だなんてねえ。颯来子(そらこ)ちゃんを残して逝っちまうなんて」
お爺ちゃんとお婆ちゃんの涙声が、背中ごしに聞こえてくる。
棺で眠るパパとママの顔は、死化粧で絵の具のように真っ白だ。
ふたりの死に顔をぼんやり眺めていると、お婆ちゃんの皺だらけの手が、私の手を握った。
「手を合わせておやり。そらちゃんの言霊で、ふたりを幸せに旅立たせておやり」
「言……霊?」
「言葉には、魂が宿るんだよ。込めた想いが純粋で強いほど、言霊は強くなる」
「ふたりを、幸せに……」
私の胸に、ずっと抑えつけていた痛みが、蘇ってきた。
パパとママが旅立つ? 幸せに?
そんなこと、あるはずがないのに。
だって、ふたりを殺したのは、私の言霊なんだから。
「パパもママも、死ねばいい!」
そうだ。あの私があの言葉さえ――
「きゃあっ!」
「お、おい! 何だあれは!?」
「け、健治!? みずほさん!?」
顔を上げると、パパとママが棺を破って立っていた。
ふたりの背後、遺影の上をひとりでに舞うのは、一冊の日記帳。
開かれたページは、呪詛で黒く塗りつぶされている。私の字だ。
「パパ……ママ……」
だらしなく開いたふたりの口から、声が重なって漏れる。
それは、獣の唸り声だった。
●
「葬儀会場に妖が出現します。ただちに現地へ飛んで下さい」
久方 真由美(nCL2000003)は開口一番、教室に集まった覚者たちへ要件を告げた。
「敵は、全部で3体。若い夫婦の遺体が妖化したものが2体と、夫婦の一人娘――颯来子ちゃんの負の感情が妖化したものが1体です」
依頼は、夫婦の妖が棺を破った時点からスタートする。葬儀会場には多数の参列者が取り残されており、放置すれば妖によって全員殺害されてしまうだろう。
また、今回は事件発生まで時間がない。事前に葬儀スタッフとして潜伏するといった方法は難しいと思った方がいいとの事だ。
「妖は皆、覚者を優先的に狙ってきます。注意さえ引きつけられれば、参列者に危害が及ぶことはありません。ただし、避難誘導をスムーズに進めるには、相応の配慮が必要と思って下さい」
真由美の言わんとする事は、覚者たちも心得ていた。避難の最中に、目の前で夫婦の遺体が傷つけられれば、遺族が抵抗する可能性は否定できない。理屈と感情は別なのだ。
「それと、もうひとつ。颯来子ちゃんのことですが」
真由美によると、颯来子は両親に酷い言葉を投げてしまった事をずっと悔やんでいるという。最近は精神的にも追い詰められ、両親が死んだのも、妖になったのも、全部自分のせいだと思い込んでいる。戦いの結末によっては、決して癒えることのない傷を心に負うことだろう。
「颯来子ちゃんのフォローは、依頼内容には含まれません。ですが、出来るならば……どうか彼女を救ってあげてください。彼女が悔恨を切り捨て、未来を向いて生きていけるように」
どうかお願いします――微かに震える声で、真由美は話を終えた。
机の中を、ママに勝手に覗かれたから。
それを知った私に問い詰められるママを、パパが庇ったから。
私が『その言葉』を発した理由は、それだけだった。
しばらくして、パパとママは心配そうに詫びの声をかけてきたけど、私は一切口をきかなかった。
これでいいんだ。知った事じゃない。私を傷つけた報いだ。
私は自分にそう言い聞かせて、痛む心を押し殺した。
それから3日後、ふたりは死んだ。
車で駅へと向かう途中、合コン帰りの学生の車と衝突して――
●
それからの1週間をどう過ごしたか、はっきりした記憶はない。
分かっているのは、私が今、葬儀場でふたりの遺影を眺めている事だけだ。
「健治も、みずほさんも、早すぎる……」
「交通事故だなんてねえ。颯来子(そらこ)ちゃんを残して逝っちまうなんて」
お爺ちゃんとお婆ちゃんの涙声が、背中ごしに聞こえてくる。
棺で眠るパパとママの顔は、死化粧で絵の具のように真っ白だ。
ふたりの死に顔をぼんやり眺めていると、お婆ちゃんの皺だらけの手が、私の手を握った。
「手を合わせておやり。そらちゃんの言霊で、ふたりを幸せに旅立たせておやり」
「言……霊?」
「言葉には、魂が宿るんだよ。込めた想いが純粋で強いほど、言霊は強くなる」
「ふたりを、幸せに……」
私の胸に、ずっと抑えつけていた痛みが、蘇ってきた。
パパとママが旅立つ? 幸せに?
そんなこと、あるはずがないのに。
だって、ふたりを殺したのは、私の言霊なんだから。
「パパもママも、死ねばいい!」
そうだ。あの私があの言葉さえ――
「きゃあっ!」
「お、おい! 何だあれは!?」
「け、健治!? みずほさん!?」
顔を上げると、パパとママが棺を破って立っていた。
ふたりの背後、遺影の上をひとりでに舞うのは、一冊の日記帳。
開かれたページは、呪詛で黒く塗りつぶされている。私の字だ。
「パパ……ママ……」
だらしなく開いたふたりの口から、声が重なって漏れる。
それは、獣の唸り声だった。
●
「葬儀会場に妖が出現します。ただちに現地へ飛んで下さい」
久方 真由美(nCL2000003)は開口一番、教室に集まった覚者たちへ要件を告げた。
「敵は、全部で3体。若い夫婦の遺体が妖化したものが2体と、夫婦の一人娘――颯来子ちゃんの負の感情が妖化したものが1体です」
依頼は、夫婦の妖が棺を破った時点からスタートする。葬儀会場には多数の参列者が取り残されており、放置すれば妖によって全員殺害されてしまうだろう。
また、今回は事件発生まで時間がない。事前に葬儀スタッフとして潜伏するといった方法は難しいと思った方がいいとの事だ。
「妖は皆、覚者を優先的に狙ってきます。注意さえ引きつけられれば、参列者に危害が及ぶことはありません。ただし、避難誘導をスムーズに進めるには、相応の配慮が必要と思って下さい」
真由美の言わんとする事は、覚者たちも心得ていた。避難の最中に、目の前で夫婦の遺体が傷つけられれば、遺族が抵抗する可能性は否定できない。理屈と感情は別なのだ。
「それと、もうひとつ。颯来子ちゃんのことですが」
真由美によると、颯来子は両親に酷い言葉を投げてしまった事をずっと悔やんでいるという。最近は精神的にも追い詰められ、両親が死んだのも、妖になったのも、全部自分のせいだと思い込んでいる。戦いの結末によっては、決して癒えることのない傷を心に負うことだろう。
「颯来子ちゃんのフォローは、依頼内容には含まれません。ですが、出来るならば……どうか彼女を救ってあげてください。彼女が悔恨を切り捨て、未来を向いて生きていけるように」
どうかお願いします――微かに震える声で、真由美は話を終えた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.参列者の安全確保
3.なし
2.参列者の安全確保
3.なし
今回は心情寄りの戦闘シナリオをお送りします。
悔恨に苛まれる少女。妖となって蘇った少女の両親。
はたして彼らに救済は訪れるのでしょうか。
成功条件の達成自体は難しくないでしょう。
ただし迎える結末がどうなるかは、皆様のプレイング次第です。
●ロケーション
現場は葬儀会場の一室。参列者用の椅子が並んでおり、室内防音は施されていません。
広さは五麟学園の教室と同程度で、少女ら数名の参列者が取り残されています。
●NPC情報
・佐野 颯来子(さの・そらこ)
五麟市郊外の学校に通う、中学1年生の少女。
両親が死ぬ直前、心ない言葉を投げた事をずっと悔やんでいる。
葬儀会場で、ふたりが妖となった姿を目にしてしまい、大きなショックを受けている。
●敵情報
〇屍人 × 2
交通事故で死亡した夫婦の遺骸が妖化したもの。
いずれもランク2の生物系で、ポジションは前衛。
・佐野 健治
男性を素体とした妖。近距離攻撃をメインに戦う。
物理の攻防に優れる反面、動きは鈍い。
生前は寡黙だが娘思いの性格だったという。
・攻撃方法
噛みつき(物近単)
頭突き(物近単)
薙ぎ払い(物近列1)
・佐野 みずほ
女性を素体とした妖。
バッドステータス付与の遠距離攻撃をメインに戦う。
生前は笑顔の絶えない陽気な性格だったという。
・攻撃方法
投げつけ(物遠単)
呪いの視線(特遠単・呪縛)
怨嗟の叫び(特全・弱体)
○言霊 × 1
颯来子の言霊が妖化したもの。ランク2の心霊系で、ポジションは後衛。
A4サイズの日記帳の姿をしており、ページに書かれた呪詛を飛ばしてくる。
単体での攻撃力は低いが、バッドステータスの付与には注意が必要。
・攻撃方法
呪詛・怒り(特・列貫通2)
呪詛・憎しみ(特遠単・呪縛)
呪詛・悲しみ(特遠単・封印2)
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年06月17日
2017年06月17日
■メイン参加者 6人■

●悲しみを負う人を減らすために
バスの窓ごしに見える曇天に、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)の顔がくもる。
御菓子にとって、今日の依頼は仕事と割り切るには重すぎた。両親を事故で亡くした少女の前で、その両親を――すでに骸とはいえ――妖として討たねばならないのだから。
「親子喧嘩はよくあること。私もずいぶん反抗した記憶があります」
隣の座席に座る『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)が、どこか遠くを見ながら呟いた。
真由美の話では、遺族の少女、颯来子は両親に心無い言葉をかけたことを悔やんでいるらしい。そんなタイミングで親が亡くなってしまったら、それがどれほど心にのし掛かるか。澄香の胸は締め付けられた。
「自分のせいで亡くなったと言う思いは……消えないかもしれませんね……私も、そうでした……」
「中身は全然違うとはいえ、生前の人の姿そのまんまな妖かぁ……やりづらいなぁ」
『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)が、ぽつりとこぼす。
普段は明るい笑顔を振りまく彼も、今日は別人のように纏う空気が重い。
両親を事故で亡くし、消えない傷を負った彼にとって、颯来子の事は他人事と思えないのだ。
(家族を亡くす悲しみを負う人を減らすために、がんばって戦おう!)
『願いの巫女』新堂・明日香(CL2001534)の表情もまた、出発からずっと晴れないままだ。
「親を亡くしたら……? 唯一の家族が死んでしまったら、なんて……わからない。考えられない」
依頼を受けてこのかた、明日香はずっと考えていた。自分がもし颯来子と同じ境遇に置かれたら、どうなるだろうかと。答えは未だに出ないままだ。
明日香は思う。それはきっと想像もできないくらい、辛くて、悲しいに違いないと。彼女はどうしても颯来子を見過ごせず、この依頼を受けたのだ。
「ご両親との突然の別れ…何より酷い言葉を掛けてしまった後の出来事……そうですわね、それは相当に辛いですわね」
『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神・伊織(CL2001603)の目には、強い決意が宿っていた。彼女自身、親との間で、人には言えぬ過去を持つ覚者の一人である。
(だからこそ、彼女には後悔して欲しくはないですわ!)
伊織が決意を新たにすると、バスの車掌が葬儀場前の停留を告げた。
どこか重い足取りで、停車したバスを降りる覚者たち。
頬に冷たい感触を覚えて澄香が空を見上げると、小雨が降り出していた。
「ひと雨来そうだな……」
バスを降りた『花屋の装甲擲弾兵』田場 義高(CL2001151)が、ぽつりと呟いた。
●あの子の前では言えなかったけど
FiVEの手配によって、すぐさま6人は会場に案内された。
「準備はいいか?」
「待って。あたしに開けさせて」
会場のドアに手をかける義高に、決意を秘めた声で進み出たのは、明日香。
装備・スキル共に後衛の構成で臨む彼女が、あえて先陣を切ろうと思った理由はひとつだ。
(颯来子ちゃんを見過ごせない。悼んでくれた人達を傷つけさせはしない。体を張ってでも……!)
大きく息を吸い、明日香がドアを開け放つ。
雷鳴が轟き、大雨が屋根を叩く音が聞こえた。
「FiVEです! 皆さん、避難の指示に従って部屋を出て下さい!」
一斉に振り返る遺族と参列者。同時に棺の蓋がふたつ、派手な音を立てて跳ね上がる。
掲げられた遺影の前に、どこからともなく「言霊」――空飛ぶ日記帳の妖が現れる。
殺意と敵意に満ちた敵の視線を、明日香は真正面から受け止めた。
目の前にいるのは人間ではない。妖だ。
「安全確保、急ぎましょう!」
タロットカードを手に、澄香が清廉珀香を発動。治癒力を高める香りに包まれた覚者が、一斉に室内へとなだれ込んでいく。
葬儀会場は簡素で慎ましい作りだった。おそらくは親族だけの葬儀なのだろう。戸惑う参列者たちの中に、位牌の前でへたり込む颯来子の姿が見えた。
「錬覇法!!」
妖より早く、きせきが跳んだ。
参列者の盾となり、きせきが屍人2体の体を無理矢理に押し留めた。
小さな体に力を込め、右腕で男の屍人の噛みつきを、左腕で女の屍人の爪を受け止める。
無論、無事では済まない。体から滲み出る血が、きせきのシャツを赤く染めてゆく。
「御影くん!」
「大丈夫! それより颯来子ちゃんを!」
明日香が戦巫女之祝詞を発動し、きせきの能力を強化する。今は1秒でも時間を稼ぐ時だ。
悲鳴とどよめきの入り混じる会場に、伊織の声が木霊した。
「皆さん、落ち着いて! 私達はFiVEですわ! ご遺体に憑りついた妖を退治しに来ましたわ!」
ワーズ・ワースとアイドルオーラを発動した伊織の言葉に、室内の悲鳴がぴたりと止む。
「ご遺体は必ず私達が助けますわ! ですから慌てず素早い避難を! さあ、お願いしますわ!」
伊織の言葉に導かれるように、遺族たちが足早に部屋を出始める。順調な滑り出し――そう思えた矢先だった。
「御子神、危ない!」
老齢の参列者を担ぐ義高の声が飛ぶ。同時に言霊の呪詛が迸り、参列者の一人を貫こうとした。
「ユルサナイ……ゼッタイニ……ダレモ……」
「そこの方、ごめんあそばせ!」
すぐさま伊織が跳躍。参列者を突き飛ばし、盾となって攻撃を受ける。
「ぐ……っ! ……ふん、軽いですわね」
初陣の伊織にとって、ランク2の妖の一撃が軽いはずはない。
それでも伊織は気丈に笑みを浮かべ、誘導の声をかけ続けた。バッドステータスを弾いたのは澄香のフォローの為せる業と言えるだろう。
「パ……パパ、ママ……私のせいで……」
目に涙を浮かべ怯える颯来子の肩に、明日香が励ますように頷きかける。
「あれは颯来子ちゃんのご両親じゃない。心はもう、天国に行ってるから!」
「で……でも……」
「あそこにいるのは、あんたのご両親のご遺体を操る妖。俺たちが言える事実は、それだけだ」
避難誘導を行いながら、義高は淡々とした口調で告げた。丸太のように太いその腕には、気を失った颯来子の祖母を抱きかかえている。
「後悔も懺悔も、後で俺達が聞いてやる。だから今は避難しろ」
「彼の言う通りよ。大事なことはご両親がどう思ってるかでなく、あなたが心から思ってること」
負傷したきせきの傷を潤しの滴で癒しながら、御菓子が颯来子をそっと撫でた。
「妖はわたし達が退治するわ。あなたはその間に考えておいて。本当にご両親に贈りたい言葉を」
「そういう事ですわ」
胸を張った伊織が、力強く言い放つ。
「大丈夫。私達がお二人を救ってみせますわ! ですから、今は避難してくださいませ。貴女が傷ついたら、それこそご両親が悲しみますわ」
「……はい」
それだけ言うと、颯来子は遺族と共に部屋の外へと避難した。
「済んだかな?」
扉が閉まると同時に、きせきが言った。
俯いた彼の顔から、表情を読み取ることは出来ない。
「ああ。部屋にいるのは『俺たち』と、『妖』だけだ」
「死者重体者、共にゼロですわ。さて、ここからが本番ですわね」
「殺すわけじゃない。止める。颯来子ちゃんと、悼んでくれた人達のために……!」
6人の思いは、ただひとつ。
1秒でも早く終わらせる。それだけだ。
「ごめんなさいね。あの子の前では言えなかったけど」
御菓子の口から、言葉が漏れる。ぞっとするほど冷たい声だった。
「消えてもらうわ」
●お休みなさい、安らかに
「本来の私でしたらぶん殴りにいけましたものを……弱体化したこの身が恨めしいですわ!」
歯ぎしりする伊織が、癒力活性を発動。きせきに付与された呪縛を解いていく。
「ありがとう、御子神さん」
「礼には及びませんわ。そのかわり、思う存分戦って下さいな! 私の分まで!」
言い終わった伊織めがけて、屍人が位牌の乗った台を軽々と持ち上げ、投げつけてきた。
伊織はガードを試みるも、ダメージを殺しきれずに転倒する。
「きゃ!」
「大丈夫? 無理したら駄目よ」
「ありがとうですわ。ああ本当にもう! この足さえ平気なら……!」
すぐさま御菓子が、癒しの滴で伊織を回復する。
伊織は礼と悪態を同時に口にしながら、一旦後方へと下がった。
「颯来子ちゃん、今、ご両親を元の姿に戻しますからね……」
澄香の発動した仇華浸香が、室内を包み込む。
胸を押さえて悶え苦しむ屍人たちに、きせきの捕縛蔓がまとわりついて動きを封じた。
「終わらせる。少しでも早く、このつらい戦いを……!」
「旦那さん、許せよ」
好機とみた義高が、男の屍人めがけて琴桜を見舞う。
全体重を乗せた一撃に、屍人のあばらが折れる手ごたえを、義高は確かに感じた。
だが。
「グガアアア!!」
琴桜をものともせず、男の屍人は自らの棺を担ぎ上げ、力任せに薙ぎ払う。
横薙ぎの一撃が、義高の脇腹を捉えた。
「ぐぉあ!」
直撃。義高の体が軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられる。
衝撃に会場が揺れ、部屋の外から悲鳴が聞こえた。
「田場さん、大丈夫!?」
「ああ、ありがとよ」
御菓子のソング アンド ダンスを浴びて立ち上がる義高。
だが、ダメージは未だ体の芯に残っている。
横に目を走らせれば、攻撃に巻き込まれたきせきも息が上がり始めていた。
(手強い。娘を残し亡くなった無念が、思いの強さが、力になってんのかもな……)
義高は逡巡した。このまま戦えば、こちらにもかなりの被害が出る。
しかし6人が本気で戦えば、遺体は原型を留めぬレベルで破壊されるだろう。
せめて。せめて1体、頭数を減らせれば……
(やるしか、ねぇか)
義高がナックルを握りしめた、その時だった。
「お願い……! 雷獣!!」
後列へと移動した明日香の雷雲から、一条の雷が落ちる。
雷に打たれた屍人たちが悲鳴をあげ、女の屍人が痺れて膝をついた。
「田場さん!」
「ああ!」
言霊と、屍人の一瞬の歩調の乱れ。そこを義高は見逃さなかった。
明日香の言葉に頷き、床を蹴って跳ぶ。狙いは女の屍人だ。
身体、意識、呼吸。義高の全てを統一させ、渾身の一撃を撃ち込む。
「灼彩練功!!」
「グァ……」
心臓の場所に拳がめりこんだ女の屍人は、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。
そして――
「ガ……!?」
かつての妻の声を聴いたからだろうか? 男の屍人が振り向いた。
不知火を手に、きせきが背後に迫る。
「ごめん。すぐ終わらせるから」
きせきの不知火が、とっさにかざした男の屍人の両腕を切断する。
炎によって焼けた断面を、不思議そうに眺める屍人。そこへ――
「お辛かったでしょう。お休みなさい、安らかに」
回復した伊織が前列に躍り出ると、最後の一撃を振りかぶる。
レグルスから繰り出される猛の一撃がとどめとなり、男の屍人は倒れ伏した。
残るは1体、言霊だけだ。
「終わりです」
澄香のエアブリットが、日記の表紙を撃ち抜く。
血液めいた黒いインクが、どろどろと宙に舞い散った。
「ドウシテ……」
「永久に閉ざしなさい。恨みしか言わないその口を!」
悪あがきのように放たれる言霊の呪詛を、御菓子はあえて受けた。
反撃で放たれる御菓子の水龍牙が、言霊の体を切り裂いてゆく。
「ドウシテ……ユルサナイ……ユルサナイィィィ!!」
水龍の牙によって千切れ飛ぶ紙片と共に、断末魔を残して言霊は消え去った。
「……よし。終わったか」
「皆さん、お疲れさまでした」
葬儀会場に、静寂の帳が下ろされる。
散乱した室内には、物言わぬ遺体がふたつ、汚れた床に横たわっていた。
●馬鹿じゃないの
戦いの後の部屋には、6人と颯来子が残っていた。
参列者たちは大方の事情を察し、会場スタッフの用意した別室に移っている。彼らの多くは6人に感謝を述べたが、中には無言で背を向けて去る者もいた。
(悲しいけど、仕方ないよね。理屈だけじゃ割り切れないよ)
後味の悪い依頼だった、ときせきは思う。
澄香などは、せめて傷の無い状態に戻してあげたいと大樹の息吹をかけていたが、骸となった2人の遺体には、何の効果もなかった。
(……ちくしょう)
きせきは脱力感を覚え、椅子にもたれる。遺体に詫びながら2人の死装束を整えていた明日香の顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。ふと颯来子へと視線を移せば、うわごとのように棺の両親に謝り続けていた。
「パパ……ママ……ごめんなさい……」
きせきは静かに席を立つと、項垂れる颯来子にそっと寄り添う。
「ごめんね。本当はもっと、上手いやり方があったかもしれないけど……」
「いいえ。ありがとうございました」
きせきの言葉に、顔をあげて礼を言う颯来子。
数秒の沈黙の後、きせきは口を開いた。
「後悔してる?」
「え……?」
「僕にも、パパとママはいないんだ。事故で死んじゃって」
颯来子の返事を待たずに、きせきはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕もパパとママに伝えられなかった『ごめんなさい』がいっぱいあるんだ。パパの買ってきたアイスを勝手に食べちゃったりとか、ママのお気に入りの洋服汚しちゃったりとか。そんな些細なことだって後悔しちゃうんだから、颯来子ちゃんの辛さは凄く分かるよ。つまり、何て言うのか……」
自分の中でも未だ答えは出ない。それでも笑顔を作って、きせきは言う。
「きっと明るく笑って過ごすことが、ご両親への一番の償いになるよ」
きせきは最初から分かっていた。この依頼にハッピーエンドなど存在しないことを。
それでも、きせきは言いたくなかった。
仕方ないなんて言葉だけは、かけたくなかったのだ。
「嘘よ。パパもママも恨んでるわ。私があんな言葉を――」
「違うぜ」
涙と共にきせきの言葉を拒絶する颯来子の言葉に、義高が力強い声で断言した。
「娘の幸せを祈ることはあっても、不幸を望む親なんてのは存在しないもんだ。要するにあんた、親御さんに酷いこと言っちまったのを苦にしてるんだろ? 本心でもないのによ」
義高には一人娘がいる。今の颯来子が何に苦しんでいるか、手に取るように分かった。
たとえ初めて会った見ず知らずの相手でも、年頃の娘が苦しむ姿は見たくない。
「親ってのはな、子供の心なんてお見通しなんだよ。本当の気持ちを言えばいい。今が無理なら墓前でだっていい。これからも幸せに、元気に生きるって伝えてやりゃいいのさ」
「……わたし……」
黙って俯く颯来子を見て、明日香は思う。
きせきや義高の言葉が正しいことは、颯来子だって理解しているだろう。
だが、それでも心は閉ざされたままだ。彼女が自分自身にかけた、呪いによって。
――颯来子ちゃんの鎖は、どうすれば解けるんだろう。
――あたし達は当事者じゃない。けど……このまま終わるなんて……
その時だ。
それまで黙って話を聞いていた澄香が、ふと立ち上がった。
「ご両親は貴女のせいだなんて思ってませんよ、きっと。何でしたら、確かめてみますか?」
「確かめるって……天野さん、交霊術を使う気ですの?」
「はい。ご遺体が運び出される前に」
交霊術。死者の残留思念と意思疎通を図るスキルだ。
思念との会話ができるのは交霊術を使う人間だけ。
澄香は死んだ2人の仲立ちとなって、言葉を伝えるつもりらしい。
「これからご両親の魂と交信して、お話をしてみますね」
呆然とする颯来子の前で、澄香は両親の残留思念を探り始めた。
(今すぐ信じられなくてもいい。でも、いつか颯来子ちゃんが傷ついた時、つまづいた時、ご両親の遺した言葉がきっと力になってくれる)
思念の探知は容易に成功した。
2人の意思を受け入れて、澄香は口をそっと開く。
『そらちゃん』
『そら』
『無事で良かった』
『本当に良かった』
澄香の口から、堰を切ったように言葉が溢れた。
一言一言を噛みしめるように、ゆっくり言葉を紡いでゆく。
『伯父さんやお祖母ちゃんに迷惑をかけては駄目よ』
『式が終わったら、ちゃんと学校に行くんだぞ』
『授業のノートはきちんと取りなさい』
『夜遅くまで遊ばないようにな』
『お味噌汁、最初に味噌を入れたら駄目よ。それから、日記のことは御免なさい。どうか幸せに』
『悪い男にだけは引っかかるな。それと、あの日のことは悪かった。どうか幸せに』
「……馬鹿じゃないの」
颯来子が俯いたまま、かすれた声で言う。
「馬鹿じゃないの。死んでも口うるさくって……私のこと心配して……」
颯来子の言葉を澄香が伝えると、二人の思念は少しずつ薄まり始めた。
残された時間は少ない。伊織がそっと、即興の鎮魂歌を口ずさんだ。
颯来子と両親が、悔いのない別れを果たせるように。
(貴女の気持ちはわかりますわ、颯来子さん……私も似た経験をしましたもの。だからこそ貴女には後悔して欲しくないですわ)
御菓子の奏でるバイオリンの調べが、伊織の歌声にそっと寄り添った。
颯来子の歩む未来が、少しでも良いものであるように。
(今の気持ちを言霊に、ご両親を送ってあげて。あなたなら出来るはずよ)
「パパ、ママ、ごめん。それとね」
颯来子の目から、止め処なく涙がこぼれる。
そして――
「大好き」
呪いの鎖が解ける音を、6人の覚者は確かに聞いた。
●
「颯来子ちゃん、立ち直れたかなあ」
「大丈夫ですわ。家族の絆を取り戻せたのですもの」
「だな。親御さん達も成仏できただろう」
「皆さん。颯来子ちゃんが」
澄香の言葉に振り返ると、颯来子が会場の入口から6人を見送っていた。
「颯来子ちゃん、さよなら」
「元気でね!」
明日香と御菓子が大きく手を振る。颯来子に負けないくらいの笑顔で。
「依頼完了だな。帰ろうか」
戦いを終えて、それぞれの日常へと戻っていく覚者たち。
雨は止み、雲の切れ間から光が差している。
バスの窓ごしに見える曇天に、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)の顔がくもる。
御菓子にとって、今日の依頼は仕事と割り切るには重すぎた。両親を事故で亡くした少女の前で、その両親を――すでに骸とはいえ――妖として討たねばならないのだから。
「親子喧嘩はよくあること。私もずいぶん反抗した記憶があります」
隣の座席に座る『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)が、どこか遠くを見ながら呟いた。
真由美の話では、遺族の少女、颯来子は両親に心無い言葉をかけたことを悔やんでいるらしい。そんなタイミングで親が亡くなってしまったら、それがどれほど心にのし掛かるか。澄香の胸は締め付けられた。
「自分のせいで亡くなったと言う思いは……消えないかもしれませんね……私も、そうでした……」
「中身は全然違うとはいえ、生前の人の姿そのまんまな妖かぁ……やりづらいなぁ」
『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)が、ぽつりとこぼす。
普段は明るい笑顔を振りまく彼も、今日は別人のように纏う空気が重い。
両親を事故で亡くし、消えない傷を負った彼にとって、颯来子の事は他人事と思えないのだ。
(家族を亡くす悲しみを負う人を減らすために、がんばって戦おう!)
『願いの巫女』新堂・明日香(CL2001534)の表情もまた、出発からずっと晴れないままだ。
「親を亡くしたら……? 唯一の家族が死んでしまったら、なんて……わからない。考えられない」
依頼を受けてこのかた、明日香はずっと考えていた。自分がもし颯来子と同じ境遇に置かれたら、どうなるだろうかと。答えは未だに出ないままだ。
明日香は思う。それはきっと想像もできないくらい、辛くて、悲しいに違いないと。彼女はどうしても颯来子を見過ごせず、この依頼を受けたのだ。
「ご両親との突然の別れ…何より酷い言葉を掛けてしまった後の出来事……そうですわね、それは相当に辛いですわね」
『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神・伊織(CL2001603)の目には、強い決意が宿っていた。彼女自身、親との間で、人には言えぬ過去を持つ覚者の一人である。
(だからこそ、彼女には後悔して欲しくはないですわ!)
伊織が決意を新たにすると、バスの車掌が葬儀場前の停留を告げた。
どこか重い足取りで、停車したバスを降りる覚者たち。
頬に冷たい感触を覚えて澄香が空を見上げると、小雨が降り出していた。
「ひと雨来そうだな……」
バスを降りた『花屋の装甲擲弾兵』田場 義高(CL2001151)が、ぽつりと呟いた。
●あの子の前では言えなかったけど
FiVEの手配によって、すぐさま6人は会場に案内された。
「準備はいいか?」
「待って。あたしに開けさせて」
会場のドアに手をかける義高に、決意を秘めた声で進み出たのは、明日香。
装備・スキル共に後衛の構成で臨む彼女が、あえて先陣を切ろうと思った理由はひとつだ。
(颯来子ちゃんを見過ごせない。悼んでくれた人達を傷つけさせはしない。体を張ってでも……!)
大きく息を吸い、明日香がドアを開け放つ。
雷鳴が轟き、大雨が屋根を叩く音が聞こえた。
「FiVEです! 皆さん、避難の指示に従って部屋を出て下さい!」
一斉に振り返る遺族と参列者。同時に棺の蓋がふたつ、派手な音を立てて跳ね上がる。
掲げられた遺影の前に、どこからともなく「言霊」――空飛ぶ日記帳の妖が現れる。
殺意と敵意に満ちた敵の視線を、明日香は真正面から受け止めた。
目の前にいるのは人間ではない。妖だ。
「安全確保、急ぎましょう!」
タロットカードを手に、澄香が清廉珀香を発動。治癒力を高める香りに包まれた覚者が、一斉に室内へとなだれ込んでいく。
葬儀会場は簡素で慎ましい作りだった。おそらくは親族だけの葬儀なのだろう。戸惑う参列者たちの中に、位牌の前でへたり込む颯来子の姿が見えた。
「錬覇法!!」
妖より早く、きせきが跳んだ。
参列者の盾となり、きせきが屍人2体の体を無理矢理に押し留めた。
小さな体に力を込め、右腕で男の屍人の噛みつきを、左腕で女の屍人の爪を受け止める。
無論、無事では済まない。体から滲み出る血が、きせきのシャツを赤く染めてゆく。
「御影くん!」
「大丈夫! それより颯来子ちゃんを!」
明日香が戦巫女之祝詞を発動し、きせきの能力を強化する。今は1秒でも時間を稼ぐ時だ。
悲鳴とどよめきの入り混じる会場に、伊織の声が木霊した。
「皆さん、落ち着いて! 私達はFiVEですわ! ご遺体に憑りついた妖を退治しに来ましたわ!」
ワーズ・ワースとアイドルオーラを発動した伊織の言葉に、室内の悲鳴がぴたりと止む。
「ご遺体は必ず私達が助けますわ! ですから慌てず素早い避難を! さあ、お願いしますわ!」
伊織の言葉に導かれるように、遺族たちが足早に部屋を出始める。順調な滑り出し――そう思えた矢先だった。
「御子神、危ない!」
老齢の参列者を担ぐ義高の声が飛ぶ。同時に言霊の呪詛が迸り、参列者の一人を貫こうとした。
「ユルサナイ……ゼッタイニ……ダレモ……」
「そこの方、ごめんあそばせ!」
すぐさま伊織が跳躍。参列者を突き飛ばし、盾となって攻撃を受ける。
「ぐ……っ! ……ふん、軽いですわね」
初陣の伊織にとって、ランク2の妖の一撃が軽いはずはない。
それでも伊織は気丈に笑みを浮かべ、誘導の声をかけ続けた。バッドステータスを弾いたのは澄香のフォローの為せる業と言えるだろう。
「パ……パパ、ママ……私のせいで……」
目に涙を浮かべ怯える颯来子の肩に、明日香が励ますように頷きかける。
「あれは颯来子ちゃんのご両親じゃない。心はもう、天国に行ってるから!」
「で……でも……」
「あそこにいるのは、あんたのご両親のご遺体を操る妖。俺たちが言える事実は、それだけだ」
避難誘導を行いながら、義高は淡々とした口調で告げた。丸太のように太いその腕には、気を失った颯来子の祖母を抱きかかえている。
「後悔も懺悔も、後で俺達が聞いてやる。だから今は避難しろ」
「彼の言う通りよ。大事なことはご両親がどう思ってるかでなく、あなたが心から思ってること」
負傷したきせきの傷を潤しの滴で癒しながら、御菓子が颯来子をそっと撫でた。
「妖はわたし達が退治するわ。あなたはその間に考えておいて。本当にご両親に贈りたい言葉を」
「そういう事ですわ」
胸を張った伊織が、力強く言い放つ。
「大丈夫。私達がお二人を救ってみせますわ! ですから、今は避難してくださいませ。貴女が傷ついたら、それこそご両親が悲しみますわ」
「……はい」
それだけ言うと、颯来子は遺族と共に部屋の外へと避難した。
「済んだかな?」
扉が閉まると同時に、きせきが言った。
俯いた彼の顔から、表情を読み取ることは出来ない。
「ああ。部屋にいるのは『俺たち』と、『妖』だけだ」
「死者重体者、共にゼロですわ。さて、ここからが本番ですわね」
「殺すわけじゃない。止める。颯来子ちゃんと、悼んでくれた人達のために……!」
6人の思いは、ただひとつ。
1秒でも早く終わらせる。それだけだ。
「ごめんなさいね。あの子の前では言えなかったけど」
御菓子の口から、言葉が漏れる。ぞっとするほど冷たい声だった。
「消えてもらうわ」
●お休みなさい、安らかに
「本来の私でしたらぶん殴りにいけましたものを……弱体化したこの身が恨めしいですわ!」
歯ぎしりする伊織が、癒力活性を発動。きせきに付与された呪縛を解いていく。
「ありがとう、御子神さん」
「礼には及びませんわ。そのかわり、思う存分戦って下さいな! 私の分まで!」
言い終わった伊織めがけて、屍人が位牌の乗った台を軽々と持ち上げ、投げつけてきた。
伊織はガードを試みるも、ダメージを殺しきれずに転倒する。
「きゃ!」
「大丈夫? 無理したら駄目よ」
「ありがとうですわ。ああ本当にもう! この足さえ平気なら……!」
すぐさま御菓子が、癒しの滴で伊織を回復する。
伊織は礼と悪態を同時に口にしながら、一旦後方へと下がった。
「颯来子ちゃん、今、ご両親を元の姿に戻しますからね……」
澄香の発動した仇華浸香が、室内を包み込む。
胸を押さえて悶え苦しむ屍人たちに、きせきの捕縛蔓がまとわりついて動きを封じた。
「終わらせる。少しでも早く、このつらい戦いを……!」
「旦那さん、許せよ」
好機とみた義高が、男の屍人めがけて琴桜を見舞う。
全体重を乗せた一撃に、屍人のあばらが折れる手ごたえを、義高は確かに感じた。
だが。
「グガアアア!!」
琴桜をものともせず、男の屍人は自らの棺を担ぎ上げ、力任せに薙ぎ払う。
横薙ぎの一撃が、義高の脇腹を捉えた。
「ぐぉあ!」
直撃。義高の体が軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられる。
衝撃に会場が揺れ、部屋の外から悲鳴が聞こえた。
「田場さん、大丈夫!?」
「ああ、ありがとよ」
御菓子のソング アンド ダンスを浴びて立ち上がる義高。
だが、ダメージは未だ体の芯に残っている。
横に目を走らせれば、攻撃に巻き込まれたきせきも息が上がり始めていた。
(手強い。娘を残し亡くなった無念が、思いの強さが、力になってんのかもな……)
義高は逡巡した。このまま戦えば、こちらにもかなりの被害が出る。
しかし6人が本気で戦えば、遺体は原型を留めぬレベルで破壊されるだろう。
せめて。せめて1体、頭数を減らせれば……
(やるしか、ねぇか)
義高がナックルを握りしめた、その時だった。
「お願い……! 雷獣!!」
後列へと移動した明日香の雷雲から、一条の雷が落ちる。
雷に打たれた屍人たちが悲鳴をあげ、女の屍人が痺れて膝をついた。
「田場さん!」
「ああ!」
言霊と、屍人の一瞬の歩調の乱れ。そこを義高は見逃さなかった。
明日香の言葉に頷き、床を蹴って跳ぶ。狙いは女の屍人だ。
身体、意識、呼吸。義高の全てを統一させ、渾身の一撃を撃ち込む。
「灼彩練功!!」
「グァ……」
心臓の場所に拳がめりこんだ女の屍人は、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。
そして――
「ガ……!?」
かつての妻の声を聴いたからだろうか? 男の屍人が振り向いた。
不知火を手に、きせきが背後に迫る。
「ごめん。すぐ終わらせるから」
きせきの不知火が、とっさにかざした男の屍人の両腕を切断する。
炎によって焼けた断面を、不思議そうに眺める屍人。そこへ――
「お辛かったでしょう。お休みなさい、安らかに」
回復した伊織が前列に躍り出ると、最後の一撃を振りかぶる。
レグルスから繰り出される猛の一撃がとどめとなり、男の屍人は倒れ伏した。
残るは1体、言霊だけだ。
「終わりです」
澄香のエアブリットが、日記の表紙を撃ち抜く。
血液めいた黒いインクが、どろどろと宙に舞い散った。
「ドウシテ……」
「永久に閉ざしなさい。恨みしか言わないその口を!」
悪あがきのように放たれる言霊の呪詛を、御菓子はあえて受けた。
反撃で放たれる御菓子の水龍牙が、言霊の体を切り裂いてゆく。
「ドウシテ……ユルサナイ……ユルサナイィィィ!!」
水龍の牙によって千切れ飛ぶ紙片と共に、断末魔を残して言霊は消え去った。
「……よし。終わったか」
「皆さん、お疲れさまでした」
葬儀会場に、静寂の帳が下ろされる。
散乱した室内には、物言わぬ遺体がふたつ、汚れた床に横たわっていた。
●馬鹿じゃないの
戦いの後の部屋には、6人と颯来子が残っていた。
参列者たちは大方の事情を察し、会場スタッフの用意した別室に移っている。彼らの多くは6人に感謝を述べたが、中には無言で背を向けて去る者もいた。
(悲しいけど、仕方ないよね。理屈だけじゃ割り切れないよ)
後味の悪い依頼だった、ときせきは思う。
澄香などは、せめて傷の無い状態に戻してあげたいと大樹の息吹をかけていたが、骸となった2人の遺体には、何の効果もなかった。
(……ちくしょう)
きせきは脱力感を覚え、椅子にもたれる。遺体に詫びながら2人の死装束を整えていた明日香の顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。ふと颯来子へと視線を移せば、うわごとのように棺の両親に謝り続けていた。
「パパ……ママ……ごめんなさい……」
きせきは静かに席を立つと、項垂れる颯来子にそっと寄り添う。
「ごめんね。本当はもっと、上手いやり方があったかもしれないけど……」
「いいえ。ありがとうございました」
きせきの言葉に、顔をあげて礼を言う颯来子。
数秒の沈黙の後、きせきは口を開いた。
「後悔してる?」
「え……?」
「僕にも、パパとママはいないんだ。事故で死んじゃって」
颯来子の返事を待たずに、きせきはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕もパパとママに伝えられなかった『ごめんなさい』がいっぱいあるんだ。パパの買ってきたアイスを勝手に食べちゃったりとか、ママのお気に入りの洋服汚しちゃったりとか。そんな些細なことだって後悔しちゃうんだから、颯来子ちゃんの辛さは凄く分かるよ。つまり、何て言うのか……」
自分の中でも未だ答えは出ない。それでも笑顔を作って、きせきは言う。
「きっと明るく笑って過ごすことが、ご両親への一番の償いになるよ」
きせきは最初から分かっていた。この依頼にハッピーエンドなど存在しないことを。
それでも、きせきは言いたくなかった。
仕方ないなんて言葉だけは、かけたくなかったのだ。
「嘘よ。パパもママも恨んでるわ。私があんな言葉を――」
「違うぜ」
涙と共にきせきの言葉を拒絶する颯来子の言葉に、義高が力強い声で断言した。
「娘の幸せを祈ることはあっても、不幸を望む親なんてのは存在しないもんだ。要するにあんた、親御さんに酷いこと言っちまったのを苦にしてるんだろ? 本心でもないのによ」
義高には一人娘がいる。今の颯来子が何に苦しんでいるか、手に取るように分かった。
たとえ初めて会った見ず知らずの相手でも、年頃の娘が苦しむ姿は見たくない。
「親ってのはな、子供の心なんてお見通しなんだよ。本当の気持ちを言えばいい。今が無理なら墓前でだっていい。これからも幸せに、元気に生きるって伝えてやりゃいいのさ」
「……わたし……」
黙って俯く颯来子を見て、明日香は思う。
きせきや義高の言葉が正しいことは、颯来子だって理解しているだろう。
だが、それでも心は閉ざされたままだ。彼女が自分自身にかけた、呪いによって。
――颯来子ちゃんの鎖は、どうすれば解けるんだろう。
――あたし達は当事者じゃない。けど……このまま終わるなんて……
その時だ。
それまで黙って話を聞いていた澄香が、ふと立ち上がった。
「ご両親は貴女のせいだなんて思ってませんよ、きっと。何でしたら、確かめてみますか?」
「確かめるって……天野さん、交霊術を使う気ですの?」
「はい。ご遺体が運び出される前に」
交霊術。死者の残留思念と意思疎通を図るスキルだ。
思念との会話ができるのは交霊術を使う人間だけ。
澄香は死んだ2人の仲立ちとなって、言葉を伝えるつもりらしい。
「これからご両親の魂と交信して、お話をしてみますね」
呆然とする颯来子の前で、澄香は両親の残留思念を探り始めた。
(今すぐ信じられなくてもいい。でも、いつか颯来子ちゃんが傷ついた時、つまづいた時、ご両親の遺した言葉がきっと力になってくれる)
思念の探知は容易に成功した。
2人の意思を受け入れて、澄香は口をそっと開く。
『そらちゃん』
『そら』
『無事で良かった』
『本当に良かった』
澄香の口から、堰を切ったように言葉が溢れた。
一言一言を噛みしめるように、ゆっくり言葉を紡いでゆく。
『伯父さんやお祖母ちゃんに迷惑をかけては駄目よ』
『式が終わったら、ちゃんと学校に行くんだぞ』
『授業のノートはきちんと取りなさい』
『夜遅くまで遊ばないようにな』
『お味噌汁、最初に味噌を入れたら駄目よ。それから、日記のことは御免なさい。どうか幸せに』
『悪い男にだけは引っかかるな。それと、あの日のことは悪かった。どうか幸せに』
「……馬鹿じゃないの」
颯来子が俯いたまま、かすれた声で言う。
「馬鹿じゃないの。死んでも口うるさくって……私のこと心配して……」
颯来子の言葉を澄香が伝えると、二人の思念は少しずつ薄まり始めた。
残された時間は少ない。伊織がそっと、即興の鎮魂歌を口ずさんだ。
颯来子と両親が、悔いのない別れを果たせるように。
(貴女の気持ちはわかりますわ、颯来子さん……私も似た経験をしましたもの。だからこそ貴女には後悔して欲しくないですわ)
御菓子の奏でるバイオリンの調べが、伊織の歌声にそっと寄り添った。
颯来子の歩む未来が、少しでも良いものであるように。
(今の気持ちを言霊に、ご両親を送ってあげて。あなたなら出来るはずよ)
「パパ、ママ、ごめん。それとね」
颯来子の目から、止め処なく涙がこぼれる。
そして――
「大好き」
呪いの鎖が解ける音を、6人の覚者は確かに聞いた。
●
「颯来子ちゃん、立ち直れたかなあ」
「大丈夫ですわ。家族の絆を取り戻せたのですもの」
「だな。親御さん達も成仏できただろう」
「皆さん。颯来子ちゃんが」
澄香の言葉に振り返ると、颯来子が会場の入口から6人を見送っていた。
「颯来子ちゃん、さよなら」
「元気でね!」
明日香と御菓子が大きく手を振る。颯来子に負けないくらいの笑顔で。
「依頼完了だな。帰ろうか」
戦いを終えて、それぞれの日常へと戻っていく覚者たち。
雨は止み、雲の切れ間から光が差している。
