ろうぱろせら
●痛みのないささくれのような
自分の吐いた細い紫煙が、夜闇に紛れて消えていく。
今時珍しいオレンジの街灯の下。点滅していないところを見たことがない自販機の前。
実際にその意はないのだろうと思いながら、やはり喫煙者は追いやられているのだ、などと自嘲げに唇を釣り上げてしまう。
綺麗な灰皿に、吸い終えた紙巻きを押し付ける。毎日のように利用しているが、一体誰が清掃しているのだろう。自分以外にここの利用者は見かけたことがない。
今日は倦怠感が残る。妙に疲れた一日だ。身体には良くないと理解しながらも、もう一本だけと新しい紙巻きを咥えてしまう。
不意に、後ろからの影に気がついた。一瞬、どきりと心臓が跳ね上がる。振り返れば、年も自分と変わらない中年がひとり。
自分以外の人間を、ここでは初めて見たのだ。驚くのも無理はなかろう。
少し呆けた表情に、よれよれのスーツ。彼もまた、疲れているのだろう。そう思うと、少し親近感が湧いてきた。
安物のライターを取り出して、「一服ですか?」と声をかけてみる。こういった一期一会も、悪くはないだろう。
だが、返事はない。まさか、過労のケではなかろうか。そんなことが脳裏をよぎるが、もう一度呼びかけてみればこちらに顔を向けた。取り越し苦労だったようだ。
「火はあるかい?」などと、ライターを見せながら彼に近づいた。それを、とても後悔する。そんなことをしなければ、あんなものを見ることはなかったのだ。
どろりと、眼球が落ちた。目の前の男の眼球が、内側から押し出されるように落ちたのだ。
あまりのことに、思考も身体もフリーズする。だが、次の瞬間に目にしたそれは更に異質なものだった。
本来の主が失われた眼窩から、顔を出した芋虫、のようなもの。
芋虫、にしては大きい。内出血のように青黒くて体毛がなく、肉肉しい。瞳と思える部位がなく、代わりに、草食動物のような臼歯がびっしりと生えた口を、ガチガチと鳴らしている。
そいつは眼窩から小さな身を這い出させると、地に身体を落とし、取り落としたものを拾うかのように転がった眼球を口に含んだ。
咀嚼。咀嚼。嚥下。
それは満足したようにひとつため息を漏らすと、素早く男の身を這い登り、また眼窩の奥へと消えていった。
これは、なるレり―――自分の眼球も、落ちた。
同じように自分の眼窩からも同じような虫が這い出すと、落ちたそれをくらい、振り向いた。
目が、合う。瞳のない生物であるのに、目が合ったと感じた。
虫が馬を思わせるような歯並びで、にたりと笑い、混乱と恐怖で動けない自分の眼下の奥へ、同じように戻っていく。
いったい、何時から。
そう思うと同時に、激痛が全身に警鐘を鳴らす。
声なき悲鳴。痛みのせいではない。喉の中を食われているからだ。身体を動かせない。神経が働いていない。いつから、いったい、いつからこれは自分のなかにいるロらヲ―――。
体内組織の一部と、脳の殆どを失った死体が発見される。
新種のウイルスなども懸念される中、それが貪欲な何かに食い荒らされたのだと超常の機関が気づくまで、そう時間はかからなかった。
自分の吐いた細い紫煙が、夜闇に紛れて消えていく。
今時珍しいオレンジの街灯の下。点滅していないところを見たことがない自販機の前。
実際にその意はないのだろうと思いながら、やはり喫煙者は追いやられているのだ、などと自嘲げに唇を釣り上げてしまう。
綺麗な灰皿に、吸い終えた紙巻きを押し付ける。毎日のように利用しているが、一体誰が清掃しているのだろう。自分以外にここの利用者は見かけたことがない。
今日は倦怠感が残る。妙に疲れた一日だ。身体には良くないと理解しながらも、もう一本だけと新しい紙巻きを咥えてしまう。
不意に、後ろからの影に気がついた。一瞬、どきりと心臓が跳ね上がる。振り返れば、年も自分と変わらない中年がひとり。
自分以外の人間を、ここでは初めて見たのだ。驚くのも無理はなかろう。
少し呆けた表情に、よれよれのスーツ。彼もまた、疲れているのだろう。そう思うと、少し親近感が湧いてきた。
安物のライターを取り出して、「一服ですか?」と声をかけてみる。こういった一期一会も、悪くはないだろう。
だが、返事はない。まさか、過労のケではなかろうか。そんなことが脳裏をよぎるが、もう一度呼びかけてみればこちらに顔を向けた。取り越し苦労だったようだ。
「火はあるかい?」などと、ライターを見せながら彼に近づいた。それを、とても後悔する。そんなことをしなければ、あんなものを見ることはなかったのだ。
どろりと、眼球が落ちた。目の前の男の眼球が、内側から押し出されるように落ちたのだ。
あまりのことに、思考も身体もフリーズする。だが、次の瞬間に目にしたそれは更に異質なものだった。
本来の主が失われた眼窩から、顔を出した芋虫、のようなもの。
芋虫、にしては大きい。内出血のように青黒くて体毛がなく、肉肉しい。瞳と思える部位がなく、代わりに、草食動物のような臼歯がびっしりと生えた口を、ガチガチと鳴らしている。
そいつは眼窩から小さな身を這い出させると、地に身体を落とし、取り落としたものを拾うかのように転がった眼球を口に含んだ。
咀嚼。咀嚼。嚥下。
それは満足したようにひとつため息を漏らすと、素早く男の身を這い登り、また眼窩の奥へと消えていった。
これは、なるレり―――自分の眼球も、落ちた。
同じように自分の眼窩からも同じような虫が這い出すと、落ちたそれをくらい、振り向いた。
目が、合う。瞳のない生物であるのに、目が合ったと感じた。
虫が馬を思わせるような歯並びで、にたりと笑い、混乱と恐怖で動けない自分の眼下の奥へ、同じように戻っていく。
いったい、何時から。
そう思うと同時に、激痛が全身に警鐘を鳴らす。
声なき悲鳴。痛みのせいではない。喉の中を食われているからだ。身体を動かせない。神経が働いていない。いつから、いったい、いつからこれは自分のなかにいるロらヲ―――。
体内組織の一部と、脳の殆どを失った死体が発見される。
新種のウイルスなども懸念される中、それが貪欲な何かに食い荒らされたのだと超常の機関が気づくまで、そう時間はかからなかった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.敵古妖の殲滅
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
人を食うタイプの古妖が出現しました。
食欲は旺盛で、複数確認されており、非常に危険です。
これらを殲滅してください。
●エネミーデータ
インパーソネイター
・青黒い芋虫のような形状の古妖です。6~10体程で行動し、人肉を好み、体積以上の食事を行います。
・噛みつき、食らいつき以外の攻撃手段がありませんが、非常に身を潜める技術に達しており、視界から外れれば再度視認するのも困難なほどです。
・正確な数、居場所が特定できていないのもその為です。古妖がこちらを発見するよりも先に相手を発見するには非常に高難度な判定に成功する必要があります。
・口内で特殊な麻痺毒が生成されており、噛みつかれても痛みを感じません。その為、気が付けば体内に侵入されている恐れがあります。これは行動を消費せずキャラクターの行動順が回ってきた際に自己確認(自動判定)を可能とし、判定に成功すれば体内の虫を発見できます。
・噛みつかれて数ターンは皮膚下程度に潜っており、痛みはありません。この時点で取り除けば自傷ダメージはありますが、重度の傷害を負うことはなく、虫にも大きなダメージを与えることが可能です。
・数ターン後、筋肉内部、内蔵部まで潜り込みます。この時点で大きな痛みが伴い、行動に制限もかかり、またキャラクターも非常に大きなダメージをうけます。覚者に対し、一度の潜り込みで死に至らしめるほどの攻撃性は備えておらず、外気が必要なのか、幾度か体外へ這い出てきます。痛みを伴うため、その際の発見は容易です。
・幼体だと思われます。
●シチュエーションデータ
・オレンジの街灯を使用した人気のない夜の公園。
・点滅する自販機。街の喧騒からも、住宅街の明かりからも少し遠く、視界は良いとはいえない。
・一般人が紛れ込む心配はありません。
●注意
ホラーシナリオです。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
3/6
3/6
公開日
2017年04月28日
2017年04月28日
■メイン参加者 3人■

●治りの悪いできもの
狩りを楽しむ生物をさして、残忍であるという。それが生きる為の行為であったとしても、他者を屠る行為を、過程を、その反応を、楽しんでいればそれは残忍であると言われるのだ。その定義すら、人間の枠内であるに過ぎないが。
例年よりも肌寒さが残る、などという言い方をすれば疑問が残るが。日中は汗をかくほどであるというのに、日が沈めば薄い上着が恋しくなる。つまりは、それくらいの夜だった。
この時期に振りがちな雨を蕾のままであることで回避した桃色の花々が、星明かりの下でさえも目を奪う。思えば、ゆっくりと花を見たのは何時のことであったろうか。
さて。風流に歩き夜桜とばかりもいかぬわけもあり、其処が近づくにつれ、心臓と呼吸は少しずつ緊張のそれを帯びていく。
話を聞くだに最早既に、そのような疑惑を己に向けながら。
「……なんだろう、寄生虫?」
『百戟』鯨塚 百(CL2000332)に限らず、まず思い浮かぶのはそれだろう。体内にて栄養を奪い、気づかせぬまま内から踊り食う。時には宿主の神経を掌握し、意のままに操ることさえある。カタツムリに住み着いたそれなど、グロテスクの最たるものだ。興味を抱いても、詳しく識ることを勧めはしない。
「青虫に寄生して食いつくすやつみてぇだな……」
浮かぶのは純粋な嫌悪感。ひとからかけ離れた造形も、その生態習性も、好み眺めたいと思うのは非常に稀な例だろう。その感情は極めて正しい。自分にとって害でしか無いものを、本能的にそうであると察しているのだ。理解はしなくていい。受け入れる必要もない。共生など全くの不可能であるということは、悪であるというそれと同義にしても差し支えがないのだから。
「いい気分はしねぇし、できるだけ早く倒しちまいたいぜ」
「悪い古妖は、祓いましょう。人間に危害を加えるならば、隣人には程遠い存在ですから……」
絶対悪、というものが存在する。『待宵』天音 華夜(CL2001588)のいう悪とはそれに近いものだ。人間社会を基準とした際に、どうあろうと共存できず、相互理解できず、境界を定め離別することも叶わぬ存在のことを言う。今回の古妖怪はまさしくそうだ。人間を食い、人間を狩り、人間を弄ぶ。それに話し合うなんて余地はない。そうしていなければ生きていけないのなら、こちらもまた同じくであるというだけだ。生態ピラミッドという摂理には抗うという事由が残されている。肉食は悪ではないが、豚が抵抗するのもまた悪ではないのだから。
「覚醒を果たし、覚悟を決めます。お任せください! ご主人様!! この華夜は、必ずや勝利をもぎ取り、世界にご奉仕してみせます!!」
「超視力や速度にはちょっと自信あるもん! 近付いてきた虫に気付かないとかありえないよね!」
自身があるのは良いことだが、『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)に向けられた仲間のそれは、危なっかしさに虞を抱いたものだった。この理不尽で優しくない世界では、臆病であって困ることはないのだ。夜闇に縮こまってはいけないが、暗がりを覗き込む前に脚を踏み入れてもならない。ひとが真に霊長であった事実など、この世界にはないのだから。
未だそれは見えず。
何処におるやも知れず。
ぞくりと、身震い。それは冷たい風のせいか、はたまた悪寒のせいであるのか。
●妙に気怠い朝
毎朝、鏡を見る。反転した自分が映っている。昨日までと同じ。昨日までと同じ、筈だ。少なくとも、表面だけはそう見える。変な顔をしてみる。映った自分も変わる。不意に真顔に戻ってみる。あれ、少しだけ遅くなかったか?
公園に着いても、敵の姿というやつは見当たらない。
一見、ハズレをひいたようにしか見えないが、巧妙に隠れているのだろう。
ひとつだけ、わかったことがある。なるほど、この公園に利用者が少ないのも頷けた。
点滅した街灯の間隔が広く、遊具のたぐいもない。緑豊かと言えば聞こえは良いが、アンバランスに大小が折り重なり、ところによれば昼間でも薄暗いだろう。ひとつだけ設置された共用の洗面所には電気がなく、扉を閉めれば真っ暗に違いない。
そう、『いかにも』なのだ。
曰くなどないのだろう。それでもだ。調べてみれば噂のひとつやふたつ、出てくるのかもしれない。
そういうくらいには、そういう場所だった。
悪寒。またかと思うものの、続けて、痛み。
思わず苦痛に腰を折る。猛烈な吐き気。目眩。喉からせり出て、吐瀉物。
ぼとり、ぼと、ぼと、ぼとり。
吐き出したそれらを見て、脳が冷えた。
吐き出され、こちらを見上げ、にんまりと笑うそれらを。
●充血、ささくれ、覚えのない青痣
心の内はわからない、という。皮膚の内すら、わかりはしないが。
「カ――――ハッ……ひっ」
痛みが百の脳で熱く熱く警鐘を打ち鳴らしている。
眼球の奥が熱い。喉がひりついている。どこが痛いのかもわからぬほどに痛い。ただ痛い。ただただ痛い。
それでも、痛みに苛まれながらも、無理やりに足を振り上げ、踏み下ろす。
ぶちり。ぶちり。ぬちゃり。ぐちゃり。
虫が潰れていく。虫を潰していく。
技ではない。術でもない。ただ、我武者羅に踏みつぶすだけの行為。ストンピィ。地団駄と言い換えても差し支えはない。それだけの悍ましさを感じていた。
自分の中に何かがいる。その感覚に慣れ親しんだ人間は極々稀だろう。その異常さ。知らぬ間に食い散らかされているのだという自覚。半狂乱だと言って語弊はない。死よりも恐ろしいのはその過程である。
「なんだ、これ……痛ぇ、もうオイラの中に虫が、いんのか」
胃のむかつきを感じて、迷うことなく嘔吐した。平さ、戦いの中でいかな痛みに襲われようと、催した吐き気は抑えつけることにしている。嘔吐は士気の低下に繋がる。体力の急激な落下に繋がる。故に、喉までせり上がる甘苦さを不快に感じながらも飲み込むのだ。
だが、今に際してのみ、これが正しいのだと実感する。うす黄色い吐瀉物にまみれてまた、虫が一匹、二匹。
先程より、太い。大きい。嗚呼、肥えている。どうして。決まっている。食ったからだ。何をだ。わかっているだろう。自分をだ。こいつら、自分を食って肥え太っている。
頭に血がのぼる。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。
そうまでしてようやっと、過呼吸気味な喉を、肺を、落ち着かせる。目尻に涙。それが痛みか怒りか恐怖かはたまた織り交ぜて綯い交ぜになったものなのか。
「中身、どんだけ喰われたんだろ。痛い、動いてる、気色悪い、気色悪ぃけど……」
自分の足を掴む。皮膚下で何か、動くものを見たのだ。思い切り握りつぶす。痛みでは躊躇しない。躊躇えば、これらはそれ以上であると学んだばかりだ。
「まだ虫が……もうオイラの中に入ってくんな! エサにされるのはもういやだ!」
締め上げ過ぎたきせきの左腕の肘から先が、悲鳴をあげている。
がちがち。がちがち。
おそらく、罅は入ったであろう腕。呼び出した頑丈な蔓で雁字搦めに締め上げられたそれは、自傷によるものだ。
がちがち。がちがち。
体内に侵入する虫。それを攻撃する手段が、己を巻き込まないはずがなく、ならばこうして自分への被弾を容認する他無い。
がちがち。がちがち。
だが、あからさまに過剰であった。締め付けすぎた結果、うっ血し、紫になっている。このままでは壊死の可能性もある。
がちがち。がちがち。
歯の根がなる。焦点は合わず、半笑いの表情で我が腕を締めている。締め付けている。「出て行け、出て行け」と呟きながら、虚ろな目で自傷を続けている。
嗚呼、見てしまったのだ。指の関節から、爪の間から、手首の付け根から。同時に顔を出した古妖を。にたりと笑う虫を見てしまったのだ。
すぐさま締め上げられた虫共は、とうに体内で絶命している。嗚呼、だが、もしも生きていたら。放すことは出来ない。そうすれば自分の中を食い荒らすに違いない。想像してしまう。この手に空いた穴の用に自分の中を散らかすさまを。想像してしまう。きっとまた顔を出すのだ。どこからだ。嗚呼、嗚呼、これらは最終的にどこを食うのだったか。
「まだいるの!? どれだけ叩けば出てくるの!?」
腕だけでは足りない。締め上げるだけでは足りない。穴に指を差し込もうとする。自分の肉など掘り進められるものではない。傷口をあたら広げるに過ぎない。それでも、それでもだ。両手が自分の赤でまみれようが、神経のナースコールが脳を懸命に焼こうが、思うほどに膨らんで強大になる嫌な想像は消えることはないのだ。
もしかしたら、嗚呼、もしかしたら。もう腕を抜け出しているのかもしれない。そうだ、これだけ締めていても顔を出さないのは、既に自分の中を喰らい進む最中だからではなかろうか。
急げ。急げ。自分が食われる前に。資料にあった被害者のようになるまえに。嗚呼、脳を守らなければならない。そこを食われたらしまいだ。そこに辿り着かせない為には。締め付けろ。どこを。分かりきっている。手の中に見つけたから手首を絞めたのだ。脳に行こうというのなら。紫に変色した腕で己の首を掴む。その上に蔦が巻き付いて。ぎちぎちに、巻きついて。
ぐちゅりと。
虫が頬肉を食い破り、顔を出した瞬間に華夜は手のひらを思い切り自分に叩きつけ、その古妖を叩き潰していた。
力加減にも、慣れてきた。
どの程度の自己ダメージであれば、これに対して有効なのか。それを理解すれば、己への損害は最小限で済ませられる。
それでも、青痣で片付けられる程度のものではなかったが、戦闘不能を喫するほどではない。
恐怖はある。こんな生き物に対面して、心穏やかでいられるほうがどうかしているだろう。
だが、強烈な感情ほど一過性のものだ。人間は、高ぶった感情を長時間キープできるようには作られていない。激怒という感情がやがて恨みという暗く静かなそれに移り変わるように、恐怖もまた小さな波になって心の底へと深く深く沈殿するのだ。
「ホラーは苦手です、正直……」
痛みを遮断している、というのも大きな要素だろう。痛みは刺激だ。それは沈みかけた意識を容易く引き上げる。だが、それを感じないのであれば、恐怖とは五感での意味合いが薄れ、想像へのアプローチに変わる。後は覚悟を決めるだけだ。
背中に違和感。躊躇いなく、仲間に自分への攻撃を示唆する。ぐちゅりと、潰れる音。背骨が曲がっていなければ、幸いだが。
出血がひどい。それでも痛みを感じないのは、これが致命的ではないからだ。ダメージが決定的な位置までメモリをあげない限り、彼女の脳が悲鳴をあげることはない。
自分の肉ごと、中の虫を引きちぎる。握りつぶして、違和感。叩き潰して、違和感。出血が本当にひどい。いま、何体潰したっけ。頭がグラグラする。自分の血溜まりに足を取られて、すっ転んだ。
ばしゃりと。赤い。視界が赤くなる。嗚呼、こんなにも流していただなんて。今になって、脳がやっと悲鳴をあげている。呼吸ひとつですら、頭が痛む、ガンガンする。
ふと、目と鼻の先。その位置に虫がいた。
青黒い芋虫。眼球に当たる部位がなく、草食動物を思わせる臼歯がびっしりと並んでいる。
がちがちと歯茎をむき出しに鳴り合わされる。もう随分と潰したはずだが、恐怖はないのだろうか。次々に見つかっては潰されているはずだというのに、これらに撤退の意志はないようだ。この期に及び、怒りでも恨みでもなくただ残忍さを持って狩りをしているのだろう。
腕を振り上げて。そいつが笑う。思い切り。最短距離で脳への距離を詰めてくるそれを。
最後の力で叩き潰した。
●偏頭痛
食事とは、何かを自分の体内に入れ、消化する行為だ。そうして同化し、自分を保っている。今日も、明日も、取り込んで、取り込んで。生を食う。生で食う。生命が詰まっている。誰もがそうだ。何もかもがそうだ。ならば僕らは同じもので、僕は何時まで僕なのだ。
最後の一匹を潰してから、帰路についた。
念のため、所属組織下の病院でX線写真の撮影とCTスキャンを執り行ってもらったが、体内に残存している虫はいないとのことだった。
だというのに。嗚呼、だというのに。
今でも嫌な汗をかいて、早朝に飛び起きる。
直前の夢を覚えていなくとも、思わず鏡台の前で自分に異常がないかを確認している。
やがて勝手な想像が膨らみ、既に死滅したはずのそれらに新しい発想が加わっていく。あいつらは食っていた。食らって、成長していっていた。膨らんで、膨らんで、いつか、どうやって増えるのだろう。
なんにしても。
しばらく卵は食べられそうにない。
了。
狩りを楽しむ生物をさして、残忍であるという。それが生きる為の行為であったとしても、他者を屠る行為を、過程を、その反応を、楽しんでいればそれは残忍であると言われるのだ。その定義すら、人間の枠内であるに過ぎないが。
例年よりも肌寒さが残る、などという言い方をすれば疑問が残るが。日中は汗をかくほどであるというのに、日が沈めば薄い上着が恋しくなる。つまりは、それくらいの夜だった。
この時期に振りがちな雨を蕾のままであることで回避した桃色の花々が、星明かりの下でさえも目を奪う。思えば、ゆっくりと花を見たのは何時のことであったろうか。
さて。風流に歩き夜桜とばかりもいかぬわけもあり、其処が近づくにつれ、心臓と呼吸は少しずつ緊張のそれを帯びていく。
話を聞くだに最早既に、そのような疑惑を己に向けながら。
「……なんだろう、寄生虫?」
『百戟』鯨塚 百(CL2000332)に限らず、まず思い浮かぶのはそれだろう。体内にて栄養を奪い、気づかせぬまま内から踊り食う。時には宿主の神経を掌握し、意のままに操ることさえある。カタツムリに住み着いたそれなど、グロテスクの最たるものだ。興味を抱いても、詳しく識ることを勧めはしない。
「青虫に寄生して食いつくすやつみてぇだな……」
浮かぶのは純粋な嫌悪感。ひとからかけ離れた造形も、その生態習性も、好み眺めたいと思うのは非常に稀な例だろう。その感情は極めて正しい。自分にとって害でしか無いものを、本能的にそうであると察しているのだ。理解はしなくていい。受け入れる必要もない。共生など全くの不可能であるということは、悪であるというそれと同義にしても差し支えがないのだから。
「いい気分はしねぇし、できるだけ早く倒しちまいたいぜ」
「悪い古妖は、祓いましょう。人間に危害を加えるならば、隣人には程遠い存在ですから……」
絶対悪、というものが存在する。『待宵』天音 華夜(CL2001588)のいう悪とはそれに近いものだ。人間社会を基準とした際に、どうあろうと共存できず、相互理解できず、境界を定め離別することも叶わぬ存在のことを言う。今回の古妖怪はまさしくそうだ。人間を食い、人間を狩り、人間を弄ぶ。それに話し合うなんて余地はない。そうしていなければ生きていけないのなら、こちらもまた同じくであるというだけだ。生態ピラミッドという摂理には抗うという事由が残されている。肉食は悪ではないが、豚が抵抗するのもまた悪ではないのだから。
「覚醒を果たし、覚悟を決めます。お任せください! ご主人様!! この華夜は、必ずや勝利をもぎ取り、世界にご奉仕してみせます!!」
「超視力や速度にはちょっと自信あるもん! 近付いてきた虫に気付かないとかありえないよね!」
自身があるのは良いことだが、『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)に向けられた仲間のそれは、危なっかしさに虞を抱いたものだった。この理不尽で優しくない世界では、臆病であって困ることはないのだ。夜闇に縮こまってはいけないが、暗がりを覗き込む前に脚を踏み入れてもならない。ひとが真に霊長であった事実など、この世界にはないのだから。
未だそれは見えず。
何処におるやも知れず。
ぞくりと、身震い。それは冷たい風のせいか、はたまた悪寒のせいであるのか。
●妙に気怠い朝
毎朝、鏡を見る。反転した自分が映っている。昨日までと同じ。昨日までと同じ、筈だ。少なくとも、表面だけはそう見える。変な顔をしてみる。映った自分も変わる。不意に真顔に戻ってみる。あれ、少しだけ遅くなかったか?
公園に着いても、敵の姿というやつは見当たらない。
一見、ハズレをひいたようにしか見えないが、巧妙に隠れているのだろう。
ひとつだけ、わかったことがある。なるほど、この公園に利用者が少ないのも頷けた。
点滅した街灯の間隔が広く、遊具のたぐいもない。緑豊かと言えば聞こえは良いが、アンバランスに大小が折り重なり、ところによれば昼間でも薄暗いだろう。ひとつだけ設置された共用の洗面所には電気がなく、扉を閉めれば真っ暗に違いない。
そう、『いかにも』なのだ。
曰くなどないのだろう。それでもだ。調べてみれば噂のひとつやふたつ、出てくるのかもしれない。
そういうくらいには、そういう場所だった。
悪寒。またかと思うものの、続けて、痛み。
思わず苦痛に腰を折る。猛烈な吐き気。目眩。喉からせり出て、吐瀉物。
ぼとり、ぼと、ぼと、ぼとり。
吐き出したそれらを見て、脳が冷えた。
吐き出され、こちらを見上げ、にんまりと笑うそれらを。
●充血、ささくれ、覚えのない青痣
心の内はわからない、という。皮膚の内すら、わかりはしないが。
「カ――――ハッ……ひっ」
痛みが百の脳で熱く熱く警鐘を打ち鳴らしている。
眼球の奥が熱い。喉がひりついている。どこが痛いのかもわからぬほどに痛い。ただ痛い。ただただ痛い。
それでも、痛みに苛まれながらも、無理やりに足を振り上げ、踏み下ろす。
ぶちり。ぶちり。ぬちゃり。ぐちゃり。
虫が潰れていく。虫を潰していく。
技ではない。術でもない。ただ、我武者羅に踏みつぶすだけの行為。ストンピィ。地団駄と言い換えても差し支えはない。それだけの悍ましさを感じていた。
自分の中に何かがいる。その感覚に慣れ親しんだ人間は極々稀だろう。その異常さ。知らぬ間に食い散らかされているのだという自覚。半狂乱だと言って語弊はない。死よりも恐ろしいのはその過程である。
「なんだ、これ……痛ぇ、もうオイラの中に虫が、いんのか」
胃のむかつきを感じて、迷うことなく嘔吐した。平さ、戦いの中でいかな痛みに襲われようと、催した吐き気は抑えつけることにしている。嘔吐は士気の低下に繋がる。体力の急激な落下に繋がる。故に、喉までせり上がる甘苦さを不快に感じながらも飲み込むのだ。
だが、今に際してのみ、これが正しいのだと実感する。うす黄色い吐瀉物にまみれてまた、虫が一匹、二匹。
先程より、太い。大きい。嗚呼、肥えている。どうして。決まっている。食ったからだ。何をだ。わかっているだろう。自分をだ。こいつら、自分を食って肥え太っている。
頭に血がのぼる。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。踏みつけた。
そうまでしてようやっと、過呼吸気味な喉を、肺を、落ち着かせる。目尻に涙。それが痛みか怒りか恐怖かはたまた織り交ぜて綯い交ぜになったものなのか。
「中身、どんだけ喰われたんだろ。痛い、動いてる、気色悪い、気色悪ぃけど……」
自分の足を掴む。皮膚下で何か、動くものを見たのだ。思い切り握りつぶす。痛みでは躊躇しない。躊躇えば、これらはそれ以上であると学んだばかりだ。
「まだ虫が……もうオイラの中に入ってくんな! エサにされるのはもういやだ!」
締め上げ過ぎたきせきの左腕の肘から先が、悲鳴をあげている。
がちがち。がちがち。
おそらく、罅は入ったであろう腕。呼び出した頑丈な蔓で雁字搦めに締め上げられたそれは、自傷によるものだ。
がちがち。がちがち。
体内に侵入する虫。それを攻撃する手段が、己を巻き込まないはずがなく、ならばこうして自分への被弾を容認する他無い。
がちがち。がちがち。
だが、あからさまに過剰であった。締め付けすぎた結果、うっ血し、紫になっている。このままでは壊死の可能性もある。
がちがち。がちがち。
歯の根がなる。焦点は合わず、半笑いの表情で我が腕を締めている。締め付けている。「出て行け、出て行け」と呟きながら、虚ろな目で自傷を続けている。
嗚呼、見てしまったのだ。指の関節から、爪の間から、手首の付け根から。同時に顔を出した古妖を。にたりと笑う虫を見てしまったのだ。
すぐさま締め上げられた虫共は、とうに体内で絶命している。嗚呼、だが、もしも生きていたら。放すことは出来ない。そうすれば自分の中を食い荒らすに違いない。想像してしまう。この手に空いた穴の用に自分の中を散らかすさまを。想像してしまう。きっとまた顔を出すのだ。どこからだ。嗚呼、嗚呼、これらは最終的にどこを食うのだったか。
「まだいるの!? どれだけ叩けば出てくるの!?」
腕だけでは足りない。締め上げるだけでは足りない。穴に指を差し込もうとする。自分の肉など掘り進められるものではない。傷口をあたら広げるに過ぎない。それでも、それでもだ。両手が自分の赤でまみれようが、神経のナースコールが脳を懸命に焼こうが、思うほどに膨らんで強大になる嫌な想像は消えることはないのだ。
もしかしたら、嗚呼、もしかしたら。もう腕を抜け出しているのかもしれない。そうだ、これだけ締めていても顔を出さないのは、既に自分の中を喰らい進む最中だからではなかろうか。
急げ。急げ。自分が食われる前に。資料にあった被害者のようになるまえに。嗚呼、脳を守らなければならない。そこを食われたらしまいだ。そこに辿り着かせない為には。締め付けろ。どこを。分かりきっている。手の中に見つけたから手首を絞めたのだ。脳に行こうというのなら。紫に変色した腕で己の首を掴む。その上に蔦が巻き付いて。ぎちぎちに、巻きついて。
ぐちゅりと。
虫が頬肉を食い破り、顔を出した瞬間に華夜は手のひらを思い切り自分に叩きつけ、その古妖を叩き潰していた。
力加減にも、慣れてきた。
どの程度の自己ダメージであれば、これに対して有効なのか。それを理解すれば、己への損害は最小限で済ませられる。
それでも、青痣で片付けられる程度のものではなかったが、戦闘不能を喫するほどではない。
恐怖はある。こんな生き物に対面して、心穏やかでいられるほうがどうかしているだろう。
だが、強烈な感情ほど一過性のものだ。人間は、高ぶった感情を長時間キープできるようには作られていない。激怒という感情がやがて恨みという暗く静かなそれに移り変わるように、恐怖もまた小さな波になって心の底へと深く深く沈殿するのだ。
「ホラーは苦手です、正直……」
痛みを遮断している、というのも大きな要素だろう。痛みは刺激だ。それは沈みかけた意識を容易く引き上げる。だが、それを感じないのであれば、恐怖とは五感での意味合いが薄れ、想像へのアプローチに変わる。後は覚悟を決めるだけだ。
背中に違和感。躊躇いなく、仲間に自分への攻撃を示唆する。ぐちゅりと、潰れる音。背骨が曲がっていなければ、幸いだが。
出血がひどい。それでも痛みを感じないのは、これが致命的ではないからだ。ダメージが決定的な位置までメモリをあげない限り、彼女の脳が悲鳴をあげることはない。
自分の肉ごと、中の虫を引きちぎる。握りつぶして、違和感。叩き潰して、違和感。出血が本当にひどい。いま、何体潰したっけ。頭がグラグラする。自分の血溜まりに足を取られて、すっ転んだ。
ばしゃりと。赤い。視界が赤くなる。嗚呼、こんなにも流していただなんて。今になって、脳がやっと悲鳴をあげている。呼吸ひとつですら、頭が痛む、ガンガンする。
ふと、目と鼻の先。その位置に虫がいた。
青黒い芋虫。眼球に当たる部位がなく、草食動物を思わせる臼歯がびっしりと並んでいる。
がちがちと歯茎をむき出しに鳴り合わされる。もう随分と潰したはずだが、恐怖はないのだろうか。次々に見つかっては潰されているはずだというのに、これらに撤退の意志はないようだ。この期に及び、怒りでも恨みでもなくただ残忍さを持って狩りをしているのだろう。
腕を振り上げて。そいつが笑う。思い切り。最短距離で脳への距離を詰めてくるそれを。
最後の力で叩き潰した。
●偏頭痛
食事とは、何かを自分の体内に入れ、消化する行為だ。そうして同化し、自分を保っている。今日も、明日も、取り込んで、取り込んで。生を食う。生で食う。生命が詰まっている。誰もがそうだ。何もかもがそうだ。ならば僕らは同じもので、僕は何時まで僕なのだ。
最後の一匹を潰してから、帰路についた。
念のため、所属組織下の病院でX線写真の撮影とCTスキャンを執り行ってもらったが、体内に残存している虫はいないとのことだった。
だというのに。嗚呼、だというのに。
今でも嫌な汗をかいて、早朝に飛び起きる。
直前の夢を覚えていなくとも、思わず鏡台の前で自分に異常がないかを確認している。
やがて勝手な想像が膨らみ、既に死滅したはずのそれらに新しい発想が加わっていく。あいつらは食っていた。食らって、成長していっていた。膨らんで、膨らんで、いつか、どうやって増えるのだろう。
なんにしても。
しばらく卵は食べられそうにない。
了。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし

■あとがき■
かゆい場所がある。
