≪猟犬架刑≫霧迷宮のアルプトラオム
≪猟犬架刑≫霧迷宮のアルプトラオム


●いつかの未来
 ――遂にこの時が来たのだと、猟犬は嗤った。
「円環をつかさどるもの……君を滅ぼすことで、生命の樹は蘇るのだと思っていいのかな」
「……愚かな。穢れた力を注ぎこみ、強引に流れを生み出そうとした所で、大樹が目覚めることなどない」
 紅の月光を受け、妖しい輝きを放つ槍――その切っ先が向けられた先には、不吉な斑に半身を侵食された巨大な白蛇が居る。
「完全に目覚めることは無くても、膨大な力の欠片は溢れる筈……だよね?」
 その傍に音も無く寄り添う黒犬を撫でながら、意味ありげに囁く彼の様子に、白き蛇は黄金の瞳をかっと見開いた。
「何をする気だ? 定命のひとの身では、そうそう扱えるものでは無いと言うのに――」
 ねえ、と楽しそうに夜空を仰いで、猟犬の名を持つ男は囁く。僕は化け物になりたいのだと、いつか誰かに語りかけたように。
 ――そして蛇は魔槍に貫かれ、おびただしい鮮血が大地を染め上げていく。

●夢見の頼み
 夢見が視たと言う、鮮烈な光景――それは何処とも知れぬ森の中で、七星剣の『バスカヴィルの猟犬』ジョシュア・バスカヴィル(nCL2000141)が、斑に染まった白い蛇を刺し殺す所だった。
 ――これはきっと、彼が暗躍している御月市に眠ると言う、特異点に関わる事件なのだろう。恐らく白蛇は古妖であり、先日の調査によって存在が示唆された、大樹と共に崇められていた蛇神であるかもしれない。
「御月市の地下に眠ると言う、生命の樹……。これが龍脈と言われる特異点の一つで、白蛇はそれを守るか封印しているか……とにかく、密接な関わりがあると思うの」
 そう一気に語り終えた『月茨』浮森 瞑夜(nCL2000119)だったが、彼女の夢見は余りにもおぼろげで、それがいつ何処で起きることなのかはっきりとしていないのだと言った。
「……ごめんね。もう少し情報があったら、もっと夢見の精度も上がると思うんだけど」
 真実に迫る幾つかの手掛かりは得たが、未だ欠けたピースも多い。一刻を争う事態では無いけれど、良かったら都合のつく者は、再度御月市の様子を見に行ってくれないか――そんな瞑夜の頼みに頷いた覚者たちは、彼の地で猟犬と妖精めいた少女に出会うことになったのだ。

●彷徨う霧の街
「――……っ!?」
 酷い眩暈に頭を押さえて辺りを見れば、周囲の様子は一変していた。確か、御月市の廃墟でジョシュアの姿を見つけたと思った矢先、不思議な蝶が迷い込んできて――光の粉が舞った直後、まるで眠りに落ちるようにして意識が途絶えたのだ。
「ここは……?」
 永遠に明けることの無い夜の世界、その頭上に輝くのは不吉な深紅の月で。ヴィクトリア朝の倫敦を思わせる、怪奇と幻想が入り混じった雰囲気の街並みが何処までも続く中――その行く手は深い霧に閉ざされていて、何が待ち受けているのかさえ判然としない。
 ――一緒に居た仲間たちとははぐれてしまったらしく、此処には自分ひとりのようだ。夢か現実かも曖昧な世界を、あてどなく歩き出そうとしたその時。霧の中から不意に、銀の弧を描いて刃が付き出される。
『……やぁ、『私』を覚えているかい? ジョン・ドゥなんて無粋な名前ではなく、『私』の名前を呼んでおくれ』
 霧に紛れる凶刃の主は、性別も年齢も分からない黒い影だった。しかし、その声を聞いている内に、自分はその正体を知っているように思えてくる。それは自分の前に立ちはだかる、いつか乗り越えなければいけない存在――故に、逃げる訳にはいかなかった。
『……『過去』に立ち向かえ。さすれば『未来』の扉は開かれる』

●迷宮の牢獄
 そして――霧の迷宮の遥か彼方、地下牢を思わせる冷たい牢獄の中で、ひとりの男が椅子に座ってお茶会の準備をしていた。
「……おや。此処に来るひとなんて、誰も居ないと思ってたのに」
 不意に現れた人影に、男は――普段の殺気を完全に失ったジョシュアは儚げに笑い、酷く達観した瞳のまま静かに紅茶を淹れる。
「縁、か……呪われたジンクスはこりごりだけど、蝿の羽音は確かに、海を越えて僕の真実を探り当てたみたいだ」
 ――白と黒のチェス盤の床の上には、壊れたぬいぐるみが散乱しているようだ。壁にかかった時計が其々に出鱈目な時間を指し示す中、ジョシュアは諦めにも似た境地で肩を竦めて溜息を吐いた。
「さあ、何を知りたいんだい? 此処で語られるのはあくまで夢、けれど偽りは決して口にはしないよ」

 ――暗闇の中でひらひらと、青白い光の粉を散らして蝶が舞う。踊るように何度か辺りを羽ばたいた後、幻想の蝶はふっと、差し伸べられた白い指先に止まって翅を休めた。
「これは一夜の夢。けれど心と心が混じり合う、確かな邂逅の刻よ」
 愛おしげに蝶へ語り掛ける少女の、白銀の髪が揺れて――『妖精の恋人』の名を持つ彼女はくすくすと、無邪気な微笑みを浮かべながら囁く。
「――さぁ、貴方の物語を聞かせて」


■シナリオ詳細
種別:通常(EX)
難易度:普通
担当ST:柚烏
■成功条件
1.襲い掛かる『影』を倒し、夢の迷宮を脱出する
2.なし
3.なし
 柚烏と申します。こちらは七星剣の猟犬関連の依頼となります。今回は特殊な状況から依頼がスタートしますので、状況を確認の上プレイングをかけてください。
※この依頼は『追跡の羽音』風祭・誘輔(CL2001092)さんに優先参加がついています。
(ただし優先効果はオープニング公開日翌日昼12時までに予約をした場合に限ります)

●依頼の流れ
御月市に眠る特異点の調査に向かった皆さんは、その途中で不思議な蝶に接触し、夢の世界へと誘われます。其処は古き倫敦の街を思わせる霧の迷宮が広がっていました。
皆とはぐれ、たった一人となった貴方に襲い掛かる謎の影を倒し、迷宮の出口から脱出するのが目的です。

●謎の影×1
ナイフを持つ黒い影ですが、遭遇すると同時に『自分が乗り越えなければならないもの』の姿を取って襲い掛かってきます。過去のトラウマ、仇、ライバルなどなど、それが具体的であり乗り越える意志が強ければ強いほど、戦いを有利に進められます。特にないと言う場合、黒い影のまま得体の知れない敵と戦わねばならず、苦戦を強いられるでしょう。
・斬り裂き(物近単・【二連】【出血】)
・恐怖の影(特遠単・【混乱】)

●出口の扉
謎の影を倒すと、近くに出現します。それをくぐると脱出出来ますが、その際『一つだけ』ジョシュアかリアに関する情報を得られます。彼らの目的や事件についての手掛かりを得ることも出来ますし、個人的な情報を探ることも可能です。
※夢の世界で意識が繋がっていると言うイメージですが、夢の中の情報なので、抽象的で曖昧に語られる可能性もあります。しかし、偽りが語られることはありません。
※具体的に指定した場合、精度が上がりやすいです。前提として、彼らが知らないことには答えられません。

●牢獄のお茶会
迷宮の奥深く、地下牢のような場所にジョシュアが居ます。風祭・誘輔(CL2001092)さんが参加した場合、スタート地点は此処になります。これは、彼がジョシュアについて深く知り得た為に呼ばれたような状態なので、基本他のPCさんが此処を訪れることは出来ません。
しかし以下の条件を満たした場合、出口を抜けた後に合流することが可能です。
・風祭・誘輔(CL2001092)さんが『この場所に呼ぶ』とPC名をプレイングに明記している
・PCがジョシュアと相互に感情を抱いている(感情の内容は問いません)
ちなみに、此処での彼は過去を引きずっているような状態で、時間軸や記憶が曖昧な所もある、あくまで夢の中の存在です。何処か達観した様子で、七星剣の猟犬と言うよりは只のジョシュア・バスカヴィルと言った方が良いかもしれません。
戦う意志は無く戦闘も発生しませんが、強引に攻撃を仕掛けた場合、其処でシーンは終了します。

●夢の世界
怪奇と幻想の入り混じった、古き倫敦を思わせる街並みが広がっています。深い霧に包まれた夜、殺人鬼が出てきてもおかしくないような雰囲気です。
夢の出来事なので重症判定は基本ありませんが、命数の減少はありますのでご注意ください。

●NPC
『バスカヴィルの猟犬』ジョシュア・バスカヴィルと『妖精の恋人』リアが登場しますが、夢の中での接触となりますので、厳密に言うと本人そのものではありません。
※リアは人間ではないようで、夢に誘う蝶を差し向けたのも彼女です。

 シリーズ依頼ではありませんが、情報収集の際は『≪猟犬架刑≫Ring・a・Ring・o’Roses』のリプレイを参考にすればやりやすいかもしれません。描写量が増えそうなのでEXとなっておりますが、PCさんの個人的な過去や心情も描写したいと思っておりますので、是非設定など教えて下さいね。それではよろしくお願いします。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
150LP[+予約50LP]
参加人数
5/8
公開日
2017年04月03日

■メイン参加者 5人■

『赤き炎のラガッツァ』
ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)

●ひとりきりのお茶会
 幻の蝶が誘う、悪夢めいた霧の迷宮――怪奇と幻想に彩られた彼の世界は、誰かが憧れ夢見た世界。其処では夢に誘われた者たちの意識が繋がり、或いは混じり合い、現実では成し得ぬ邂逅が行われるのかも知れなかった。
「……誰かの気配を、感じたと思ったけれど。気のせいだったのかな」
 何処とも知れぬ冷たい地下牢で、ひとりの男は溜息を吐くと、すっかり冷めてしまった紅茶から不意に目を逸らす。
 自分を追いかける羽音を聞いたのは、幻聴だったのだろうか――リアの気まぐれはいつものことだし、此処で彼らと対面する機会が無いのであれば、次にまみえるのはしがらみの多い現実世界でとなる。そうなれば七星剣とF.i.V.E.として、他愛もない話など行う余地は無い――後はただ、殺し合うだけだ。
「こんなお茶会には二度と行かない、そう行って女の子は飛び出した。だから、もうお仕舞いだ」
 ウサギにヤマネ、いかれた帽子屋――ぐしゃぐしゃになったぬいぐるみ達を横切って、猟犬と呼ばれた男は牢獄を後にする。
「……白ウサギを追いかける冒険も。間もなく、終わる」

●『わたし』と『私』
(ここは……明らかに御月じゃない、か)
 眩暈の後一変した景色を見渡し『刃に炎を、高貴に責務を』天堂・フィオナ(CL2001421)は、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしていた。此処はまるで、昔母様から聞いた話の中の倫敦――霧に閉ざされた古い町並みは、深い闇を孕んで何処までも続いている。
 何だか、霧に紛れて今にも怪物や殺人鬼が襲い掛かってきそうだ――はぐれてしまった皆も心配だと、フィオナが出口を探して歩き出そうとした矢先。深い霧の向こうから、微かな声が響いてきた。
『カエシテ、』
 ――それは、風の囁きかと思える程のか細い声。それなのにフィオナは、何かに縫い止められたかのように足を止めて振り向いていた。
「君は――『わたし』か」
 其処に居たのは、彼女と同じ位の背格好をした――否、まるっきり同じ姿形をした、けれどフィオナとは全く違う少女だ。そう、それはおそらく『フィオナ』では無い、彼女が記憶を失う前の本来の『わたし』なのだろう。
(向き合うべき時が来るとは思ってた。けど)
 いつか立ち向かわなければならない存在――それこそが、目の前の『わたし』。自分には無い思い出や積み重ねを沢山持っていて、自分とは違う、女の子らしくて優しくて――自分よりも更に弱い子だ。
『君が、弱かったから――!』
『あの時の君がせめて『私』ぐらい強ければ、あの子を護れた――?』
 ノイズのような、心に爪を立てるような叫び声が耳元で反響する中、もうひとりのフィオナはナイフを手に襲い掛かって来る。彼女に感じる、羨望や憎悪に嫌悪――何より恐れに苛まれながら、フィオナは本来の自分へ自分を返す日が来る予感をひしひしと抱いていた。
「それでも、今はまだ『私』は『私』で居たいから――」
 ――記憶を取り戻したら、今の自分は消えて無くなってしまうかもしれない。けれど今は未だ、その時では無い筈だ。我を忘れ、無我夢中でフィオナは剣を振り続け、其処を退けと言わんばかりに繰り出される熱と炎が、辺りの霧ごともう一人の自分を薙ぎ払う。
「あ……『わたし』は……」
 気が付けば辺りに自分の影は無く、荒い息を吐くフィオナの行く手には、光輝く扉が姿を現していた。それと同時、ひたりと素足の音を響かせて近づいた少女に、フィオナは深呼吸をひとつしてから挨拶をする。
「……ああ、君が『妖精の恋人』か。初めましてだ」
 さっきのは君の仕業かと問う彼女へ、少女――リアは夢世界の試練のようなものかしらと言って首を傾げた。
「君は……リアは、ジョシュアと知り合いなのか?」
 確かジョシュアは妖精の取り換え子だと言われていたと言うし、リア自身も御月住まいには見えない――それこそ本当に、海外の妖精みたいだ。そう告げたフィオナにリアは頷いて答える。
「ええ、あの子とは子供の頃からの付き合いよ。あの子が暗闇で私たちを見つけて、私にリアと言う名前をくれたの」
『妖精の恋人』――その意味を持つ、リャナンシーと言う名の妖精が居た。彼女の愛を受け入れた男性は芸才や霊感を与えられると言うが、引き換えに生命を吸われ短命となるともされる。
「舌っ足らずの子供は、リアと私を呼んで。けれど愛を受け取ろうとはしなかった」
「……ジョシュアも、何処かに?」
 フィオナの問いにリアは頷くが、お茶会への道は閉ざされたのだと言った。直接会うことは不可能でも、夢渡りの蝶が想いを運んでくれる――そう言ってリアは、己の手に止まった蝶をひとつ、フィオナへと差し出す。
「彼が何処にいるか、見つからなかったけど……貴方が人の身を捨てたいのは何の為だ?」
 それはいつも一緒に居る、妖精たちの為かと想いを巡らせつつ、フィオナはこうも考えた。――彼は人扱いされなかったから、自ら化け物にと言う気持ちもあるのかもしれない、と。
「でも、人で無くなっても『ジョシュア』が『ジョシュア』である事からは、逃げられないんじゃないか?」
 ――そうしてフィオナが最後に告げたのは、何となく自分に宛てての言葉だったかも知れない。

●向き合うべき過去
 一方で『花守人』三島 柾(CL2001148)もまた、霧の街の一角で異形と対峙していた。誰何の声に反応は無く誰かは分からないものの、己の敵であると言うことだけははっきりと分かる。
「こいつの、名前……は。名前、知らない――」
 記憶を辿る柾の顔が、その時はっと驚きの表情で固まった。知らない――そう、自分は名前など知らない。知る事さえ、出来なかった。
「未だに、お前の名前が分からない。……あの日、いつものように百合とデートをしていて、突然だった」
 ――突然お前が現れて、俺達を襲った。きっぱりと告げた柾の瞳に、その瞬間静かな蒼い炎が揺らめく。
「そうお前は、百合を殺した妖。自分にとっての仇……」
 それが因子に発現するきっかけとなったが、その時自分は何も出来なかった。目の前で婚約者が自分を庇って死んで、ただ茫然とするしかなかった――。
「俺は未だにお前を探している。百合の仇であるお前を討つ為に。これ以上、お前の手で誰か大切な人を失わない為に」
 ――過去の自分自身と、区切りをつける為に。けれど柾は分かっていた。これは本物の妖ではないことを。自分の心が映し出された、幻影に過ぎないことを。
「それでも俺の前に立ちふさがるなら……敵として倒す」
 天駆による活性化を行い、柾は弾かれたように駆け出していた。あの時とは違い、今は戦う為の力も得たのだと――妖と対峙しても退くこと無く、柾の拳が繰り出したのは、気力を振り絞った渾身のストレート。断末魔の悲鳴を上げた妖は霧に溶けて消滅し、柾の目の前には迷宮の出口である扉が浮かび上がる。
(そう言えば、何かひとつ手がかりを得る事が出来ると言う話だったが……)
 ――彼が知りたいのは、ジョシュアが持つと思われる『妖精の目』。不思議なものを見通せるその力を、彼はどうやって手に入れたのかだ。
「それは恐らく、後天的に手に入れたものだと思うわ」
 と、りんと響く鈴のような声と共に、柾の前にリアが姿を現した。奇異な容貌を持って生まれた子供は、妖精の取り換え子と忌み嫌われ――ひととの接触を断たれて、暗闇の牢に閉じこめられる。人間の世界と隔絶されて育ち、人間と触れ合えぬ代わりに、それ以外の存在を感知する力が発達したのかもしれないとリアは言った。
「……例えば、五感のひとつが失われた場合。他の感覚がそれを補おうと、発達するのに似ているかしら」
 チェンジリングと蔑まれた故に、妖精を見る目を得た――更に言うと、現実を知らぬまま空想の世界に生き続けてきたから、ジョシュアは歪なまでの力を手にしたのかもしれない。
「また会ったな。俺達をここに呼んだのはお前か? 何故、俺達にヒントをくれる?」
「ええ、そうよ。何故かと言われたら……私たちについて、もっと知ってもらいたかったからかしら」
 柾たちの行動は、素晴らしい物語を紡いでくれそうだとリアは微笑む。其処に打算などは一切無く、彼女は純粋な興味で動いているように思えた。柾としても現状で敵意は無いが、だからと言って警戒していない訳ではないけれど。
「妖精は当たり前にそこにいるか。俺も妖精が見れたら、いや、見ようとしてみるが」
 ――恐らくは、守護使役のような存在なのだろう。覚者となるまでは気付かなかったが、彼らは当たり前のように其処に居た。だから何気ない日々の中に彼ら妖精も、リアが言うように其処にいるのだろうと、柾は告げる。
「それは否定しない。目にうつるものがすべてではないから。俺が気づかない、知らない事は世の中に沢山あるだろうから」
 その言葉に、リアは真っ直ぐに柾の顔を見上げて微笑んだ。出来たら、今の言葉を忘れないでいて欲しいと――踵を返して扉へと誘う少女は、今にも消えてしまいそうに儚い。
「いつか私たちを知る人がいなくなって、私たちは忘れ去られて消えていくかもしれない……。けれどそれが、大人になると言うことだって、分かってるから」

●強さを求める理由
「何ここ? 霧の倫敦なんてアレが出てきそう」
 濃霧の切れ間から覗く深紅の月を見上げ、『紅戀』酒々井 数多(CL2000149)は肩を竦める。霧の都を騒がせた殺人鬼――彼と同じ偽名を名乗る友達は、ジョン・ドゥなんて名無しではないけれど。
「そもそも、あんたの名前なんて最初から知らないのよ。……だからあんたは、ジョン・ドゥ」
 ジェーン・ドゥでも構わないけれど、と呟く数多の視線の先には、ゆらゆらと姿を変える妖が立ちはだかっていた。あれは、家族を殺した仇――けれど自分の記憶が曖昧なのか、その姿は判然としない。
「それでもね、私は仇が取りたくて前より剣の腕を磨いた。禍津神になっても……化け物になって化け物が殺せるなら、それで構わなかった」
 そして、どんな存在にせよ目の前にいるのであれば――高らかに名乗りを上げた数多は、愛刀を手に内なる炎を灼熱と化した。妖は咆哮をあげて刃を振るってくるが、それも壁を蹴って跳び上がることで回避する。
(あんたがいなかったら、私はここまで強さに固執しただろうか? 力が欲しいと思っただろうか?)
 あの時、守れなかった家族が居た――だからせめて、最愛のにーさまだけは守れる強さが欲しかった。そう思い数多は圧縮した一撃を見舞うが、その合間にも刃が彼女の身を斬り裂いていく。けれど、自分が傷ついても構いはしなかった。
「目の前の敵を斬るのが、私の役目……これが私の弱さを斬り捨てる儀式であるなら、超えてみせるわ」
 鬼気迫る勢いで振り下ろされた刀は、目の前の妖を両断して――やがて霧が全てを覆いつくしていく。その中にぼんやりと浮かび上がった扉に手を掛けて、数多はこの光景を見ている筈の少女に呼びかけた。
「どう? 私の始まりの物語は? 見てたんでしょ? 楽しめたかしら? どう?」
 ――こんな夢をみせて、彼を救って欲しいのかと。数多の問いかける声にくすくすと、リアは面白そうに笑う。
「救う? 何から? 貴方の想像通り、あの子は容姿の所為でチェンジリングだと言われ、人間の世界からはじき出された。そして私たち妖精と出会い、ずっと一緒に居たのよ」
 けれど、いつまでも永遠にはいられないだろうと――そう思っていた時、不可思議な力が満ちる極東の島国の存在を、彼らは知る。異形がはびこり、因子に目覚めた人間が居て、未だ解明されていない神秘が眠る場所。此処ならば、自分たちも隠れるような真似をせずに生きていけるのではないかと、そう思った彼らは海を渡る決意をした。
「……『過去』に立ち向かい、『未来』の扉を開く。あの子は、ジョシュアは、今まで己を閉じこめてきた世界を消し去ったの」
 ――ひらひらと踊る蝶が見せるのは、セピア色の光景。其処には劫火に包まれた古びた屋敷を眺める、少年と黒犬の姿があった。
「彼はリアさんの側にいたくて、リアさんと同じになりたくて人の姿を棄てたいと?」
「私だけじゃないわ、私たち皆とよ。自分は人間じゃないと言われたけど、死ねば皆同じになれる……あの子はそう信じて、それを希望にした」
 罪深き存在である自分は、自分で命を絶つことすら許されない――バスカヴィル家の者から、繰り返し彼はそう言い聞かされてきた。ならばせめて、皆が同じ世界に旅立てるよう、苦しむことの無いように導こう。それが恐らく、ジョシュアの願いのひとつだ。
(……救いようがないわ。それでもリア、あなたはそれを受け入れているのね)
 ――理屈や善悪では推し量れぬ、それが人間とは違うものの考え方であるのなら。

●父の背中
 急にひとりぼっちになった『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)に、襲い掛かる者――それは忘れられる筈も無い、父の仇である隔者だった。
(多分幻か何かだと思うけど、あまり気分は良くないな)
 かつて父が結成していたチームの一員だったにも関わらず、父を裏切り罠に嵌めた男。彼の名前を口にするのも嫌で、二度と見たくないと亮平は思っていたけれど。こうして目の前に現れたと言う事は、自分は心の何処かで、彼を討ちたいと願っていたのかもしれない。
(そう出来たら、親父は死なずに済んだかも……俺はそう思っていたんだな)
 ヒュン、と風を斬る音と共に振るわれるナイフを迎え撃つ、亮平の脳裏には過去の光景が鮮やかに蘇る。仲間の謀を見抜けなかった事を詫びながら、母さん達を守りに行けと父は言い残し――そうして、自身の命と引き替えに裏切り者の息の音を止めて。
(そう……いつも酷い怪我をしてたり、何でも背負おうとする人だった)
 猛り狂う獣の力をこめて、亮平もまたナイフを操る。対峙する隔者の姿に父の最期が重なって、自分にもっと力があればと悔やんだことを思い出して――そう、自分が覚者の力を得たのはその直ぐ後で、今更遅いと自分に腹が立って仕方が無かった。
(お前は、そんな俺を馬鹿にするか? でも、その事を取り繕うつもりはない)
 嗤われてもけなされても、激昂はするまいと亮平は思う。ただ、自分の中にもまだ憎しみが残っている事を受け止めて、自分は出口を――未来を目指そう。
「――ッ!!」
 何合かの斬り合いの末、遂に亮平の刃が隔者の幻影を捉えた。ずぶりと肉体を貫く感触の後、急速に幻影はその存在を失っていく。
「あれが、扉か……どうしようかな……皆の話や報告書を見た感じだと、リアについては気になる事があったけれど」
 石壁に現れた扉のノブに手をかけて、亮平はふと考え込んだ。彼女は、語るべきものを持たないのだと告げていたようだったが、それは――自分に思い出がないのだと言っているような気がしたのだ。
「……違ってたらごめん。でも、語るべきものを持たないって、ちょっと寂しいなと思ったんだ」
「いいえ、そういう意味ではないの。私はあくまで人間に霊感を与える存在で、私自身は物語を紡ぐ身ではないだけのこと」
 不意に響いた声に首を巡らせると、其処には妖精の少女――リアが立っていた。あくまで語るのは人間であり、自分たちは彼らの物語を通して語られるもの。自分たちが幾ら声をあげて存在を主張しようとも、声を聞くものが居なければ、其処に存在しないのと同じなのだと。
「そういう定義ならば、私たちとジョシュアは同じなのかもしれないわね」
「そうか……所でリアは、日本のわらべうたは知ってるのかな?」
 ニホン? と首を傾げる彼女は、この国に伝わるうたに興味津々と言った様子で、亮平は簡単なわらべうたを教えることにした。連想ゲームを思わせるものから、身振りを交えたもの――何処か懐かしい調べに乗せて、リアも透き通る歌声を響かせて楽しんでいる。
「ここは夢現な世界で、思い出を作っても曖昧になってしまうかもしれないけど」
 それでも、こうして語り合った事を少しでも覚えて貰えてたらいい――その言葉を最後に、亮平は扉の先へと足を踏み出した。

●魔女の継嗣
 乗り越えなければならないもの――『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)にとってそれは、己の一族と前世への執着心が、複雑に混じり合ったものだったのかもしれない。
(私にそっくりですね……少し、大人びた感じもしますが)
 銀色の髪に燃えるような赤い瞳を持つ少女は、暦の因子に覚醒したラーラとそっくりだ。魔女の衣を纏って、魔導書を手に炎を操る少女――その姿はラーラの家系に語り継がれている、魔女の生まれ変わりそのものだった。
(エピファニアの日に生まれた女の子は、強い炎の加護を得る……)
 その言い伝えの日に生を受けたラーラだったが、魔女の証である瞳や髪の色を持たず、酷い失望感に苛まれ続けていて。元々の怖がりな性格も相まって、以前の彼女は魔術からも距離を置きがちだったのだ。
「あなたは、魔女? それともご先祖様の誰か?」
 その問いかけに答える事無く、少女は炎を放って只々ラーラに襲い掛かる。英霊に対する憧れか、それとも先祖に対する引け目か――己の乗り越えるべきものを見据えたラーラは、直ぐにかぶりを振って英霊の力を引き出していった。
「……いえ、どちらでも構いません。私はもっと強くならなきゃいけないんです。ご先祖様にだって、ベファーナにだって負けてちゃダメなんです」
 霧を掻き消すかのような激しい炎がぶつかり合い、銀色の髪の少女たちは闇夜に踊る。前世よりも、今までのご先祖様の誰よりも強くなりたい――それが、魔法と向き合うことを決めたラーラの願いだった。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
 ラーラの生み出した、一際大きな炎――それは瞬く間に少女の幻影を消し去り、迷宮の向こうに現れた出口の扉を照らし出す。
「最後にひとつ……ジョシュアが特異点を掌握し、化け物になるというのは、具体的にどうなることなのですか」
 ぎぃ、と軋んだ音を立てて開いた扉の向こうで、ラーラはその答えを目の当たりにした。

 ――それは、この夢世界を思わせる怪奇と幻想の国。血のようにあかあかと染まる空には黒い月が昇り、明けぬ夜が永遠に続く。
 影絵のような古城の周囲を埋め尽くすのは無数の墓標で、その頭上には光輝く『生命の樹』が、神秘の力を放って祝福を与えている。
『特異点』『地下に眠る生命の樹』『それを眠りから覚まして、守護者である蛇を殺せば』『そう、穢れた血で大地を染めて、彼の力を奪えば殺せるから』
(でも、生命の樹の存在に気付いて、立ち塞がる者が現れた。F.i.V.E.……彼らのお陰で、妖や人間の血が足りず完全に儀式を行えなくなった)
『生命の樹は完全にならない』『でも、不完全でもいい。妖精たちの力を借りれば』『彼らの理想郷を生み出すのも夢ではない筈』
(居場所を失った彼らが、存在し続けられる異郷。かつて暗闇の中で語り合った、御伽噺の世界)
『ティル・ナ・ノーグ』『或いは』『アヴァロン』
(新たな世界を。そして……新たな、王を)

 ――夢は終わる。けれど悪夢は、現実になる時を待ち続けている。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
ここはミラーサイトです