トラウマ・メーカー
●
夕暮れ時、人影もまばらな街外れの通り道で。
「ぎゃあああああああああ!!」
「やめろおおお! やめてくれええええ!!」
武装した若い覚者たちが、悲鳴を上げながら道路を転げまわっていた。
彼らの武装には皆、目立つ場所に「FiVE」の4文字が刻印されている。
「お、俺は……もんじゃ焼きだけは駄目なんだあああああ!!」
「豚レバーだけは、豚レバーだけは許してえええ!」
一様に恐怖に引きつった顔で頭を抱え込み、うわ言を繰り返している覚者たち。
彼らの周囲は、虹色に輝くケミカルな霧に包まれていた。彼らはみな、この霧が見せる幻覚に苦しめられているのだ。
そんな中、ひとりだけ余裕の笑みで武器を構える翼人の覚者がいた。しかし――
「ふっ。情けない奴らだ。俺は嫌いな食べ物なんて一切なギャアアアアアアア!!」
「フスス……」
子供向けの駄菓子めいたケミケミしい霧が翼人をさっと撫でると、彼もまたすぐに顔を歪ませ、アスファルトを転がり始めた。
「シ、シュールストレミングが襲ってくる! サルミアッキが降ってくるうううううう!」
「フススススス……」
「フフフスススススス……」
覚者を取り囲む妖たちが、嘲りとも愚弄ともつかぬ笑いを覚者たちに浴びせる。
こうしてFiVEの覚者たちは、あえなく全滅の憂き目となった――
●
「ちょっと厄介な妖が現われそうだ」
その日、教室に集まった覚者に、久方 相馬(nCL2000004)はそう告げた。
「妖の名前は『トラウマ・メーカー』。読んで字の通り、人間のトラウマをほじくり返して苦痛を与え、じわじわと生命力を吸い取って死に至らしめる妖だ」
相馬の話では、先発で覚者を派遣したものの、手痛い反撃を受けて全滅してしまう未来が見えたという。そこで、予定していた先発隊の派遣を中止し、集まった覚者たちに撃破を頼みたい――というのが、事の経緯らしい。
「で、敵の能力なんだけど。こいつは、獲物と見なした相手の『嫌いな食べ物』の幻を見せて襲ってくる。好き嫌いのない良い子にはトラウマを強制的に植えつけて、それは酷い苦しみを味わわせる、悪魔みたいな連中だ。だから好き嫌いのない奴も、油断せずに臨んでくれ」
相馬いわく、先発隊の面子は偏食で有名な覚者揃いだったらしく、敵の精神攻撃に脆くも屈してしまったという。ちなみにトラウマを植えつけるのは妖の能力によるもので、討伐後は綺麗さっぱりトラウマがなくなるので安心して欲しいとの事だ。
「ものを食べるのが苦痛だなんて、こんな不幸なことはない。非道な妖どもを、絶対に残らずやっつけてくれよ!」
夕暮れ時、人影もまばらな街外れの通り道で。
「ぎゃあああああああああ!!」
「やめろおおお! やめてくれええええ!!」
武装した若い覚者たちが、悲鳴を上げながら道路を転げまわっていた。
彼らの武装には皆、目立つ場所に「FiVE」の4文字が刻印されている。
「お、俺は……もんじゃ焼きだけは駄目なんだあああああ!!」
「豚レバーだけは、豚レバーだけは許してえええ!」
一様に恐怖に引きつった顔で頭を抱え込み、うわ言を繰り返している覚者たち。
彼らの周囲は、虹色に輝くケミカルな霧に包まれていた。彼らはみな、この霧が見せる幻覚に苦しめられているのだ。
そんな中、ひとりだけ余裕の笑みで武器を構える翼人の覚者がいた。しかし――
「ふっ。情けない奴らだ。俺は嫌いな食べ物なんて一切なギャアアアアアアア!!」
「フスス……」
子供向けの駄菓子めいたケミケミしい霧が翼人をさっと撫でると、彼もまたすぐに顔を歪ませ、アスファルトを転がり始めた。
「シ、シュールストレミングが襲ってくる! サルミアッキが降ってくるうううううう!」
「フススススス……」
「フフフスススススス……」
覚者を取り囲む妖たちが、嘲りとも愚弄ともつかぬ笑いを覚者たちに浴びせる。
こうしてFiVEの覚者たちは、あえなく全滅の憂き目となった――
●
「ちょっと厄介な妖が現われそうだ」
その日、教室に集まった覚者に、久方 相馬(nCL2000004)はそう告げた。
「妖の名前は『トラウマ・メーカー』。読んで字の通り、人間のトラウマをほじくり返して苦痛を与え、じわじわと生命力を吸い取って死に至らしめる妖だ」
相馬の話では、先発で覚者を派遣したものの、手痛い反撃を受けて全滅してしまう未来が見えたという。そこで、予定していた先発隊の派遣を中止し、集まった覚者たちに撃破を頼みたい――というのが、事の経緯らしい。
「で、敵の能力なんだけど。こいつは、獲物と見なした相手の『嫌いな食べ物』の幻を見せて襲ってくる。好き嫌いのない良い子にはトラウマを強制的に植えつけて、それは酷い苦しみを味わわせる、悪魔みたいな連中だ。だから好き嫌いのない奴も、油断せずに臨んでくれ」
相馬いわく、先発隊の面子は偏食で有名な覚者揃いだったらしく、敵の精神攻撃に脆くも屈してしまったという。ちなみにトラウマを植えつけるのは妖の能力によるもので、討伐後は綺麗さっぱりトラウマがなくなるので安心して欲しいとの事だ。
「ものを食べるのが苦痛だなんて、こんな不幸なことはない。非道な妖どもを、絶対に残らずやっつけてくれよ!」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
子供時代に嫌だった食べ物が、いつの間にか好物に。そんな経験はないでしょうか。
私は子供時代、焼き鳥の鳥皮(たれ)が大の苦手でした。今は勿論、大好物です。
失礼しました。依頼の解説を始めます。
●ロケーション
時刻は夕暮れ、街外れにある十字路の通り道。
道の周囲は草生した空き地で、敵は十字路の中央に出現します。
周囲に人通りは無く、視界は確保されています。
●重要
プレイングには、参加したキャラクターの苦手な食べ物をご指定ください。
妖はその姿に化けて襲ってきます。複数指定大歓迎です。
「苦手になった経緯」「遭遇時のリアクション」などの記載があれば、よりベターです。
「俺には苦手な食べ物なんかないぜ!」という方は、EX欄にその旨お書き下さい。
古今東西のちょっとアレな料理から逃げ惑うアドリブ多めの描写になるかもしれません。
というかなります。ご了承下さい。
●敵
〇トラウマ・メーカー × 4
虹色に輝く霧の姿をした、不定形の妖。ランク2の心霊系です。
純粋な戦闘力は高くありませんが、相手の「苦手な食べ物」の幻覚を見せて攻撃します。
嫌いな食べ物のトラウマをほじくり返して精神ダメージを与える「トラウマ・メーカー」、
好き嫌いのない人間にトラウマ(食べ物限定)を植えつける「メグリム・メーカー」と呼ばれる能力を有しており、くれぐれも油断は禁物です。
・使用スキル
残さず食べなさい!(特遠単)
メグリム・メーカー(特遠単・呪い)
トラウマ・メーカー(特遠単・弱体)
※
メグリム・メーカーによって植え付けられたトラウマは妖撃破後に消滅します。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年06月30日
2017年06月30日
■メイン参加者 6人■

●現地集合
夕日に赤く照らされた薄暮の道路に、6本の影法師が伸びた。
人々を襲う妖を討つため、FiVEから派遣された覚者たちだ。
「フッ……今回の妖は、苦手な食べ物を出して襲ってくるんだって?」
先頭を歩く『白の勇気』成瀬 翔(CL2000063)は大人の姿に覚醒して、ざっと辺りを確認した。周囲に遮蔽物はなく、道路の脇には草生した空き地があるだけだ。虫の鳴き声が途絶えた通り道には、6人以外の息遣いは聞こえない。
「だったらオレは大丈夫だな、食い物に好き嫌いなんてねーし!」
相馬の話を思い出し、翔の頬が思わず緩む。食べることが大好きな彼にとって、この依頼はまさに朝飯前と呼べるものだったからだ。大船に乗った気でオレに任せろ――自信満々の表情でドンと胸を叩くと、翔は仲間たちを見回した。
「そういえば、他の皆は苦手な食べ物とかある?」
「ファッ?! ……オレは好き嫌いはそんなに無えよ、あのクソ上司に矯正されたからな」
思い出すのも忌々しい、そんな声で返事をしたのは、緒形 譟(CL2001610)だ。彼は最近FiVEに加わった謎多き留学生で、フルフェイスメットに隠れた素顔を知る者は誰もいない。
「嫌いなものか……嫌いなものねえ……ああ、アレだ」
譟はほんの少し考えた後、おぞましそうに身震いした。
「こっち来て食った一部のキャラメル! クソ不味かった覚えが有るぜ。良くやる気になるよな、アレ作ったメーカーは」
「キャラメル、か。分かるよ、あれは色物が多いよね」
譟の悪態に『秘心伝心』鈴白 秋人(CL2000565)が肩をすくめて同意を示す。中性的な顔立ちで、覚醒して黒い長髪をなびかせる秋人の姿は、一見すると女性と見間違えてしまいそうだ。
「俺の職場、学校なんだけどさ。仕事柄、同僚の先生方が修学旅行先でお土産に買ってくきて……やっぱり皆、食べきれずに残しちゃって」
秋人によると、修学旅行シーズンである6月になると、たいていどこの学校も、職員室はお土産のキャラメルで溢れるという。変わったお土産ですけど――そう言って、旅行先から帰った先生達が、どさどさと差し入れにやって来るからだ。
「塩ラーメン、たこ焼き、うどん、鰹のたたき、ジンギスカン……色んな味があったよ」
「それって。おやつで、食べる、の? それとも、おしおきに、でも、使う、の?」
五麟付属の小学部に通う少女、桂木・日那乃(CL2000941)が不思議そうに首をかしげた。
「わたしは、ピーマン、とか、ほうれん草とか、しいたけ、とか。苦いの、とか、味、ちょっと、苦手」
話をしていて味を思い出したのか、日那乃は小さな手で口をそっと押さえた。
「あと、お魚……。わたしの守護使役も、お魚、だから。食べるの、ちょっとかわいそう……」
「嫌いな食べ物……私は特段、思い当たりませんね。お菓子や果物なら大抵は平気です」
日那乃の隣を歩きながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)がぽつりと呟く。彼女は甘い物が好きで、守護使役にもペスカ――イタリア語で桃を意味する――という名前をつけているくらいなのだ。
「大丈夫ですよペスカ。食べたりしませんからね」
傍の守護使役をそっと撫でるラーラに、秋人が興味本位といった顔で尋ねた。
「たしかビスコッティさんは、イタリアから来たんだよね。日本料理は割と平気?」
「ええ、特に好き嫌いは……」
何故かそう答えた時、ラーラの心には何か引っかかるものがあった。日本料理という単語を聞いた瞬間、ラーラは妙な違和感を感じたのだ。それはほんの微かな違和感だったが……
(きっと気のせいでしょう)
そう考えたラーラの記憶を、賀茂 たまき(CL2000994)の言葉が更に揺さぶった。
「実は私……お寿司が苦手なんです」
「お寿司――!?」
ラーラは一瞬、海馬をひっかかれるような錯覚を覚えた。
(何でしょう。今、何かとても嫌な記憶が、脳裏をよぎったような)
「意外だな。賀茂さん、玉子とかサーモンとか大好きじゃなかったっけ?」
ラーラの内心を知る由もなく、翔がたまきを振り返りながら首を傾げる。
「はい。ただ、ちょっぴり苦手なネタが――」
「おっと、お話し中サーセン。敵さんのお出ましっぽいぜ」
恥ずかしそうに頷くたまきの言葉を、譟が遮った。
譟の言葉に目を凝らせば、前方から虹色の霧が向かってくるのが見えた。煙でも湯気でもない、明白な意思を持った存在。罪なき人々に食べ物のトラウマを植え付けて殺す、幽世の化物達だ。
「来たようですね」
「……消す」
覚醒し、魔導書を手に取るラーラ。黒い翼を広げる日那乃。
翔のDXカクセイパッドが立体ホログラムの陰陽陣を展開する。
たまきが背負うリュックから、御朱印帳を取り出した。
譟が握る5061式スレッジシャベルが、冷たい輝きをキラリと放つ。
「フスススス……」
「フフフフスススス……」
慣れた動きで陣形を整えた6人の覚者に、妖たちが嘲笑と共に襲いかかってきた。
いざ、戦闘開始だ。
●戦闘
戦いの先陣を切ったのは翔だった。
「まとめて痺れて消えちまえ!」
翔の召喚した白虎の雷獣が咆哮をあげて、虹色の霧へと飛び込んでゆく。
ビシイィッ。
思わず耳目を塞ぐほどの閃光と共に、雷獣が一列に並ぶ妖を切り裂いた。霧の虹色がチカチカと明滅し、甲高い悲鳴のような声が漏れる。
「フ……フスス……」
「おかしな食べ物に化ける前に、消えてもらいます。火焔連弾!」
ラーラが煌炎の書を掲げ、鈴なりに生成した火の玉を次々と撃ち込む。標的となった妖の周囲に紅い火花が咲き乱れ、虹色の霧が煙で覆われた。さらにそこへ秋人の水龍牙が、譟の召雷が容赦なく降り注ぎ、妖の体力を奪ってゆく。
「フスス!」
「フスススス!!」
怒ったような鳴き声を漏らしながら、妖達が一斉に反撃に転じた。虹色の霧がひときわ濃くなり、後衛の日那乃を包み込む。
「この、程度? 大した、こと、な――ふ……ふ、ふわわ、わわわわわわわわ」
「桂木!?」
突然、あらぬ方向へエアブリットを乱射しはじめた日那乃に、翔が顔色を変えた。
「どうした桂木、しっかりしろ!」
「ピ、ピーマンと、椎茸の、肉詰め、が、降って、くる」
冷や汗を垂らしながら、カチカチと小さく歯を鳴らす日那乃。それを好機と見た妖が、攻めの手を日那乃へと向けた。
「フスススス……」
虹の霧の一部がちぎれてシャボン玉状の弾丸となり、一斉に日那乃を標的に放たれる。
ビシッ、ビシッ――
着弾した玉が弾けるたび、日那乃が小さく悲鳴をあげた。
「ほ、ほうれん草、の、ソテー、は、駄目。もう、食べられ――」
「しっかりしろ桂木、今助けっから!」
譟が即座に演舞・舞衣を発動した。大気中の浄化物質が凝縮されて日那乃を包み込み、妖が見せる幻を消し去ってゆく。
「大丈夫か? オレが分かるか?」
「だ、大丈夫。素顔、は、分からない、けど」
「よしよし問題ねえ、大丈夫だな」
戦列に復帰した日那乃の前で、たまきが無頼漢を発動した。
気合のかけ声で生じる強烈なプレッシャーが、波となって妖の体を揺らす。
「ええいっ!!」
「フスス……」
攻撃を受けた妖が、誘うようにスッと引いた。無論、そんな挑発に乗る6人ではない。攻めては引き、引いては攻め……互いの力量を図りながら、両者は一進一退の攻防を続けた。
頭数では覚者がやや有利。しかし妖も負けてはいない。トラウマ・メーカーとメグリム・メーカーによる幻覚付与を織り交ぜて、6人の戦意を執拗に削ってくる。
「チッ。いかめしキャラメルに、鮒寿司キャラメルだと……マジでイカレてやがるぜ、この国はよ」
「ああ……ひんやりと冷えたゼリーの海に、ぶつ切りのウナギがごろごろと埋まっているね。社会の教科書で見たことがある、イギリスはイーストエンド名物、ウナギのゼリー寄せだ……」
「ウナギ、ですか。イタリアでは炙って食べたりしますが……そこ!」
夢遊病者めいた足取りで悪態をつく譟に、どこか虚ろな顔の秋人。書物を手に、解説を加えるラーラ。無論、火焔連弾で敵を攻撃することは忘れない。譟と秋人の幻も、日那乃の深想水と翔の演舞・舞衣によって、すぐさま幻を振り払う。
(……この妖たち。思ったより、手ごわいです)
紫鋼塞で守りを固めるたまきの頬を、汗が伝った。そこへ――
「フススス……」
「きゃっ! あ、あわわ……」
たまきが妖の攻撃を受けた。みるみるうちにたまきの顔が青ざめ、手で口を押さえて震えだす。
「や、やめて下さい! 私……青魚は、サバは駄目なんです!」
前衛のたまきが戦意を失ったのを好機と見たのか、妖の攻撃が次々に翔へと殺到した。
シャボン玉のように虹色にゆらめく妖の弾を、翔はクロスした両腕でガードして防ぐ。
接触と同時に弾がはじけ、神経に火箸を刺されたような激痛が翔を襲った。
「ぐ……っ!」
「大、丈夫?」
「もちろん! それより、早く賀茂さんを!」
「任せ、て」
日那乃の深想水がたまきに降り注ぎ、妖の幻を綺麗に洗い流した。
「ごめんなさい、取り乱しました……」
「いいっていいって。それより賀茂さん、ひょっとして光物とか苦手なタイプ?」
「はい。あの独特の青い匂い……というのか、青魚特有の味が、お米と合っていない気がして……あと、貝類のグニョグニョした食感も……」
すかさずフォローを入れる翔に、たまきは赤面しながら答えた。
「フスススス……」
「よくもやってくれましたね! 覚悟しなさいっ!!」
翔と会話を交わしながら、たまきが再び無頼漢を発動。直撃を受けた1体のフォルムが、不定形になってゆらめき始めた。
「生の食感が苦手でしたら、火を通せばどうでしょう。……こうやって!」
「フスス……!!」
ラーラの火の玉が、弱った妖に直撃。妖は悲鳴と共に消滅した。
「お見事。まずは1体、だね!」
中衛に立ちながら、秋人は仲間達を見回した。
(全員、負傷は特に問題なさそうだね。おかしな幻を見ている仲間もいない。このまま一気に――)
妖に狙いを定め、秋人が弓に矢をつがえる。
だが、その時だった。妖の虹色の霧が、前列の翔を捉えたのは。
「フススス……」
「……!」
虹色の霧に囲まれた翔は、妖の術に陥ったことをすぐに悟った。
●戦闘
翔は料理を食べるのが大好きだが、苦手なものもある。
例えば虫系の食材がそうだ。出発前に相馬から妖の能力を聞かされたとき、翔が真っ先に思い浮かべた食材が蟻や芋虫といった「見た目がヤバい食べ物」だった。
(ああいうのは、さすがにカンベンだなー。だって、ありゃ、食い物じゃねーだろ!?)
食べ物は粗末にしない、それが翔の流儀だ。
だが、それでも……もし芋虫が出てきて「俺を食えさあ食え」と言いながら襲ってきたら――
好き嫌いなどない、そう仲間には宣言したものの、平静を保てる自信はなかった。
(来るなよ。芋虫だけは来るなよ……!)
蟻、芋虫、タガメ、蛹、蟻の卵……苦手な食べ物をあらん限り頭の中で思い描き、どれが襲ってきてもいいよう、翔は覚悟を決める。
(さあ来い! 相手になってやる!)
幸か不幸か翔の予感は外れた。彼の目の前に現れたのは虫ではなく、一本の丸太だった。
「何だあれ? 丸太の断面に、蓮根みたいな穴ぼこが――」
拍子抜けした表情で、丸太を見つめる翔。しかし、次の瞬間――その「食べ物」は現れた。
にょろり。
「えっ」
ミミズのような「何か」が、丸太の穴から這い出てきたのだ。長さはおよそ30センチほど。太さは翔の小指ほどだった。
でろり。
びょろり。
一匹、二匹。「何か」が穴から顔を出す。
「ちょっ――」
びょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろ……
穴という穴から、そいつは一斉に這い出して、濃厚な磯の匂いと共に翔に向かってきた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」
ムンクの叫びよろしく悲鳴をあげる翔に、その場にいた全員が目を向ける。
「成瀬さん、落ち着いて! いったい何があったんですか!?」
「ミ、ミミズが!! 白いミミズが、丸太の穴から這い出てきた!!」
「丸太から、ミミズ? いったい――」
恐慌を来す翔に、思わず慌てるたまき。その後ろで、ラーラが本をめくりながら情報を集めた。
「丸太の穴……白いミミズ……恐らく、フナクイムシですね」
「何ですか、それ!?」
「木の繊維を主食とする二枚貝です。『白いミミズ』というのは恐らく、可食部の水管でしょう。タイやフィリピンの沿岸部では人気のある食材で、酢をつけて生食するらしいですが……」
「やめろおおお!! こっち来んなあああああ!! まとわりつくなあああああああ!!」
「成瀬君、しっかりしろ!」
秋人の深想水を浴びて、翔はハッと我に返った。
「す、鈴白さん、サンキュ。あ……あの妖、なんてヤバい能力使いやがるんだ……」
仲間たちに視線を戻すと、ラーラとたまきが妖の攻撃を浴びていた。どうやら敵は、覚者の火力から潰す作戦に出たようだ。立て直す暇など与えぬとばかり、妖の放つトラウマ・メーカーが、ラーラを包み込んでゆく。
「おいビスコッティ? ビスコッティ!?」
「ああ……大皿のお刺身が……」
譟の問いかけに、ラーラは答えない。彼女の目には、全く別のものが映っているからだ。
白い皿の上に並ぶ、新鮮で豪華な海の幸。活きのいいエビに、身の透き通ったイカ、鮮やかで艶めかしい朱色のマグロ。そして――
「……はっ」
ラーラは思い出した。思い出してしまったのだ。
記憶の底に必死に封印し、忘れかけていた、あの「緑色の悪魔」を――
「ワ……ワサビ……!!」
ラーラの脳裏に、次々と過去の記憶がフラッシュバックする。
まだラーラが小さかった頃、初めてお刺身を食べた時のこと。
刺身の傍らに添えられた、清涼感の漂う見た目に誘われ、思わずお箸で大盛りのワサビを取って口に入れてしまったこと。
「い……いいえ違います。違いますとも。あれは抹茶クリームとかそういう、う、ううう……」
好物を瞼に思い描いてラーラは必死に暗示をかけたが、現実は非情だった。涙を浮かべ、鼻をつまみ、辛さが過ぎ去るのを待つラーラ。とても戦闘に加われる状況ではない。
「まずいな。このまま後手に回ると、さすがに……」
妖を水龍牙で攻撃しながら、秋人が呟いた。
敵は戦闘で疲弊しているのか、先程から秋人達の態勢を崩そうと必死に妨害をかけてきている。
(タイミングを見て押し込めば勝てるか……? けど俺達も、敵の幻で足並みが乱れている……)
かといってこのまま長期戦に持ち込まれれば、覚者たちの消耗はさらに激しくなる。ほんの少しでいい、全員が攻撃に集中できれば――秋人がそう考えて矢をつがえようとした、その時。
「これ以上、好きにはさせません! 龍槍円舞!」
たまきの護符に呼び覚まされ、土の龍が次々に槍を顕現させた。
大地を揺らし土煙を立てながら、槍が妖を突き刺し、薙ぎ払ってゆく。まるで円舞を踊るように。
「フススス……!」
妖達もすぐさま反撃に移ろうとするが、体が動かない。槍の効果で、麻痺を付与されたのだ。
今が好機。たまきは後ろの仲間を振り返った。
「緒形さん! 桂木さん! 鈴白さん!」
「賀茂よ、グッジョブだぜ。一気に攻めて決めちまおう」
「わかっ、た。わたしも、これ以上、ピーマン、は、嫌」
「皆、怪我は大丈夫かな?」
譟の纏霧が辺り一帯に立ち込め、妖たちの力を更に引き下げた
日那乃の深想水が、ラーラのトラウマを綺麗に洗い流す。
秋人が潤しの雨で、仲間の傷を塞いでゆく。
「もう終わりだ。さっさと倒して、忘れさせてもらうぜ」
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……」
翔が、ラーラが、それぞれの武器を手に妖へと狙いを定める。
翔の召喚した雷雲から一条の雷光が走り、ひときわ大きな白虎へと姿を変えた。
「いけ、雷獣!」
「フ……フスススス!!」
放たれた虎の牙に引き裂かれ、妖の1体が消滅した。
「イオ・ブルチャーレ!」
魔導書の封印を解き、ラーラが必殺の火焔連弾を見舞う。
悲鳴をあげることすら許されず、さらに1体が消滅。
「キャラメルを沢山、ありがとよ! お返しだ、こいつを食らえ!」
「さあ、幕引きだ」
譟のスレッジシャベルが、秋人の豊四季式敷式弓が放つB.O.T.が、
「ピーマンも、椎茸も、お前達も、嫌い。消す」
「フスススー!!」
日那乃のエアブリットが、最後の1体をハチの巣にした。
虹色の霧は残らずかき消え、夕暮れの道に再び平穏が訪れた。
●
「お……終わっ、た」
「おつー。いやはや、手こずったわ」
妖の消滅を確認すると、日那乃と譟はふうっと安堵のため息を吐いた。
「成瀬さん、お疲れ様です」
「賀茂さんも。しかし、オレが食い物で苦しめられるとは思わなかったぜ。手強い敵だった……」
覚醒を解き、年相応の姿に戻ると、翔は額の汗を手で拭った。
「そこまで重く受け止めていませんでしたけど、食のトラウマって案外根深いものなんですね……」
「本当にな。あんな生き物が襲ってくるなんて……あれ?」
そこまで言って、翔はふと首を傾げた。「あんな生き物」とは、一体なんだったろう?
虫ではない何か……何度記憶を辿っても、翔はそれを思い出せなかった。
妖を討ったことで、覚者たちのトラウマは、どれもおぼろげなものへと変わりつつあった。
「ま、終わったことはもういいや! 一働きしたら腹減ったなー、なんか食いに行こうぜー!」
嫌なことは、美味いものを食って忘れるに限る。いつもの笑顔で、仲間達と帰路につく翔。
妖の消え去った十字路を、夕日が赤く照らしていた。
夕日に赤く照らされた薄暮の道路に、6本の影法師が伸びた。
人々を襲う妖を討つため、FiVEから派遣された覚者たちだ。
「フッ……今回の妖は、苦手な食べ物を出して襲ってくるんだって?」
先頭を歩く『白の勇気』成瀬 翔(CL2000063)は大人の姿に覚醒して、ざっと辺りを確認した。周囲に遮蔽物はなく、道路の脇には草生した空き地があるだけだ。虫の鳴き声が途絶えた通り道には、6人以外の息遣いは聞こえない。
「だったらオレは大丈夫だな、食い物に好き嫌いなんてねーし!」
相馬の話を思い出し、翔の頬が思わず緩む。食べることが大好きな彼にとって、この依頼はまさに朝飯前と呼べるものだったからだ。大船に乗った気でオレに任せろ――自信満々の表情でドンと胸を叩くと、翔は仲間たちを見回した。
「そういえば、他の皆は苦手な食べ物とかある?」
「ファッ?! ……オレは好き嫌いはそんなに無えよ、あのクソ上司に矯正されたからな」
思い出すのも忌々しい、そんな声で返事をしたのは、緒形 譟(CL2001610)だ。彼は最近FiVEに加わった謎多き留学生で、フルフェイスメットに隠れた素顔を知る者は誰もいない。
「嫌いなものか……嫌いなものねえ……ああ、アレだ」
譟はほんの少し考えた後、おぞましそうに身震いした。
「こっち来て食った一部のキャラメル! クソ不味かった覚えが有るぜ。良くやる気になるよな、アレ作ったメーカーは」
「キャラメル、か。分かるよ、あれは色物が多いよね」
譟の悪態に『秘心伝心』鈴白 秋人(CL2000565)が肩をすくめて同意を示す。中性的な顔立ちで、覚醒して黒い長髪をなびかせる秋人の姿は、一見すると女性と見間違えてしまいそうだ。
「俺の職場、学校なんだけどさ。仕事柄、同僚の先生方が修学旅行先でお土産に買ってくきて……やっぱり皆、食べきれずに残しちゃって」
秋人によると、修学旅行シーズンである6月になると、たいていどこの学校も、職員室はお土産のキャラメルで溢れるという。変わったお土産ですけど――そう言って、旅行先から帰った先生達が、どさどさと差し入れにやって来るからだ。
「塩ラーメン、たこ焼き、うどん、鰹のたたき、ジンギスカン……色んな味があったよ」
「それって。おやつで、食べる、の? それとも、おしおきに、でも、使う、の?」
五麟付属の小学部に通う少女、桂木・日那乃(CL2000941)が不思議そうに首をかしげた。
「わたしは、ピーマン、とか、ほうれん草とか、しいたけ、とか。苦いの、とか、味、ちょっと、苦手」
話をしていて味を思い出したのか、日那乃は小さな手で口をそっと押さえた。
「あと、お魚……。わたしの守護使役も、お魚、だから。食べるの、ちょっとかわいそう……」
「嫌いな食べ物……私は特段、思い当たりませんね。お菓子や果物なら大抵は平気です」
日那乃の隣を歩きながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)がぽつりと呟く。彼女は甘い物が好きで、守護使役にもペスカ――イタリア語で桃を意味する――という名前をつけているくらいなのだ。
「大丈夫ですよペスカ。食べたりしませんからね」
傍の守護使役をそっと撫でるラーラに、秋人が興味本位といった顔で尋ねた。
「たしかビスコッティさんは、イタリアから来たんだよね。日本料理は割と平気?」
「ええ、特に好き嫌いは……」
何故かそう答えた時、ラーラの心には何か引っかかるものがあった。日本料理という単語を聞いた瞬間、ラーラは妙な違和感を感じたのだ。それはほんの微かな違和感だったが……
(きっと気のせいでしょう)
そう考えたラーラの記憶を、賀茂 たまき(CL2000994)の言葉が更に揺さぶった。
「実は私……お寿司が苦手なんです」
「お寿司――!?」
ラーラは一瞬、海馬をひっかかれるような錯覚を覚えた。
(何でしょう。今、何かとても嫌な記憶が、脳裏をよぎったような)
「意外だな。賀茂さん、玉子とかサーモンとか大好きじゃなかったっけ?」
ラーラの内心を知る由もなく、翔がたまきを振り返りながら首を傾げる。
「はい。ただ、ちょっぴり苦手なネタが――」
「おっと、お話し中サーセン。敵さんのお出ましっぽいぜ」
恥ずかしそうに頷くたまきの言葉を、譟が遮った。
譟の言葉に目を凝らせば、前方から虹色の霧が向かってくるのが見えた。煙でも湯気でもない、明白な意思を持った存在。罪なき人々に食べ物のトラウマを植え付けて殺す、幽世の化物達だ。
「来たようですね」
「……消す」
覚醒し、魔導書を手に取るラーラ。黒い翼を広げる日那乃。
翔のDXカクセイパッドが立体ホログラムの陰陽陣を展開する。
たまきが背負うリュックから、御朱印帳を取り出した。
譟が握る5061式スレッジシャベルが、冷たい輝きをキラリと放つ。
「フスススス……」
「フフフフスススス……」
慣れた動きで陣形を整えた6人の覚者に、妖たちが嘲笑と共に襲いかかってきた。
いざ、戦闘開始だ。
●戦闘
戦いの先陣を切ったのは翔だった。
「まとめて痺れて消えちまえ!」
翔の召喚した白虎の雷獣が咆哮をあげて、虹色の霧へと飛び込んでゆく。
ビシイィッ。
思わず耳目を塞ぐほどの閃光と共に、雷獣が一列に並ぶ妖を切り裂いた。霧の虹色がチカチカと明滅し、甲高い悲鳴のような声が漏れる。
「フ……フスス……」
「おかしな食べ物に化ける前に、消えてもらいます。火焔連弾!」
ラーラが煌炎の書を掲げ、鈴なりに生成した火の玉を次々と撃ち込む。標的となった妖の周囲に紅い火花が咲き乱れ、虹色の霧が煙で覆われた。さらにそこへ秋人の水龍牙が、譟の召雷が容赦なく降り注ぎ、妖の体力を奪ってゆく。
「フスス!」
「フスススス!!」
怒ったような鳴き声を漏らしながら、妖達が一斉に反撃に転じた。虹色の霧がひときわ濃くなり、後衛の日那乃を包み込む。
「この、程度? 大した、こと、な――ふ……ふ、ふわわ、わわわわわわわわ」
「桂木!?」
突然、あらぬ方向へエアブリットを乱射しはじめた日那乃に、翔が顔色を変えた。
「どうした桂木、しっかりしろ!」
「ピ、ピーマンと、椎茸の、肉詰め、が、降って、くる」
冷や汗を垂らしながら、カチカチと小さく歯を鳴らす日那乃。それを好機と見た妖が、攻めの手を日那乃へと向けた。
「フスススス……」
虹の霧の一部がちぎれてシャボン玉状の弾丸となり、一斉に日那乃を標的に放たれる。
ビシッ、ビシッ――
着弾した玉が弾けるたび、日那乃が小さく悲鳴をあげた。
「ほ、ほうれん草、の、ソテー、は、駄目。もう、食べられ――」
「しっかりしろ桂木、今助けっから!」
譟が即座に演舞・舞衣を発動した。大気中の浄化物質が凝縮されて日那乃を包み込み、妖が見せる幻を消し去ってゆく。
「大丈夫か? オレが分かるか?」
「だ、大丈夫。素顔、は、分からない、けど」
「よしよし問題ねえ、大丈夫だな」
戦列に復帰した日那乃の前で、たまきが無頼漢を発動した。
気合のかけ声で生じる強烈なプレッシャーが、波となって妖の体を揺らす。
「ええいっ!!」
「フスス……」
攻撃を受けた妖が、誘うようにスッと引いた。無論、そんな挑発に乗る6人ではない。攻めては引き、引いては攻め……互いの力量を図りながら、両者は一進一退の攻防を続けた。
頭数では覚者がやや有利。しかし妖も負けてはいない。トラウマ・メーカーとメグリム・メーカーによる幻覚付与を織り交ぜて、6人の戦意を執拗に削ってくる。
「チッ。いかめしキャラメルに、鮒寿司キャラメルだと……マジでイカレてやがるぜ、この国はよ」
「ああ……ひんやりと冷えたゼリーの海に、ぶつ切りのウナギがごろごろと埋まっているね。社会の教科書で見たことがある、イギリスはイーストエンド名物、ウナギのゼリー寄せだ……」
「ウナギ、ですか。イタリアでは炙って食べたりしますが……そこ!」
夢遊病者めいた足取りで悪態をつく譟に、どこか虚ろな顔の秋人。書物を手に、解説を加えるラーラ。無論、火焔連弾で敵を攻撃することは忘れない。譟と秋人の幻も、日那乃の深想水と翔の演舞・舞衣によって、すぐさま幻を振り払う。
(……この妖たち。思ったより、手ごわいです)
紫鋼塞で守りを固めるたまきの頬を、汗が伝った。そこへ――
「フススス……」
「きゃっ! あ、あわわ……」
たまきが妖の攻撃を受けた。みるみるうちにたまきの顔が青ざめ、手で口を押さえて震えだす。
「や、やめて下さい! 私……青魚は、サバは駄目なんです!」
前衛のたまきが戦意を失ったのを好機と見たのか、妖の攻撃が次々に翔へと殺到した。
シャボン玉のように虹色にゆらめく妖の弾を、翔はクロスした両腕でガードして防ぐ。
接触と同時に弾がはじけ、神経に火箸を刺されたような激痛が翔を襲った。
「ぐ……っ!」
「大、丈夫?」
「もちろん! それより、早く賀茂さんを!」
「任せ、て」
日那乃の深想水がたまきに降り注ぎ、妖の幻を綺麗に洗い流した。
「ごめんなさい、取り乱しました……」
「いいっていいって。それより賀茂さん、ひょっとして光物とか苦手なタイプ?」
「はい。あの独特の青い匂い……というのか、青魚特有の味が、お米と合っていない気がして……あと、貝類のグニョグニョした食感も……」
すかさずフォローを入れる翔に、たまきは赤面しながら答えた。
「フスススス……」
「よくもやってくれましたね! 覚悟しなさいっ!!」
翔と会話を交わしながら、たまきが再び無頼漢を発動。直撃を受けた1体のフォルムが、不定形になってゆらめき始めた。
「生の食感が苦手でしたら、火を通せばどうでしょう。……こうやって!」
「フスス……!!」
ラーラの火の玉が、弱った妖に直撃。妖は悲鳴と共に消滅した。
「お見事。まずは1体、だね!」
中衛に立ちながら、秋人は仲間達を見回した。
(全員、負傷は特に問題なさそうだね。おかしな幻を見ている仲間もいない。このまま一気に――)
妖に狙いを定め、秋人が弓に矢をつがえる。
だが、その時だった。妖の虹色の霧が、前列の翔を捉えたのは。
「フススス……」
「……!」
虹色の霧に囲まれた翔は、妖の術に陥ったことをすぐに悟った。
●戦闘
翔は料理を食べるのが大好きだが、苦手なものもある。
例えば虫系の食材がそうだ。出発前に相馬から妖の能力を聞かされたとき、翔が真っ先に思い浮かべた食材が蟻や芋虫といった「見た目がヤバい食べ物」だった。
(ああいうのは、さすがにカンベンだなー。だって、ありゃ、食い物じゃねーだろ!?)
食べ物は粗末にしない、それが翔の流儀だ。
だが、それでも……もし芋虫が出てきて「俺を食えさあ食え」と言いながら襲ってきたら――
好き嫌いなどない、そう仲間には宣言したものの、平静を保てる自信はなかった。
(来るなよ。芋虫だけは来るなよ……!)
蟻、芋虫、タガメ、蛹、蟻の卵……苦手な食べ物をあらん限り頭の中で思い描き、どれが襲ってきてもいいよう、翔は覚悟を決める。
(さあ来い! 相手になってやる!)
幸か不幸か翔の予感は外れた。彼の目の前に現れたのは虫ではなく、一本の丸太だった。
「何だあれ? 丸太の断面に、蓮根みたいな穴ぼこが――」
拍子抜けした表情で、丸太を見つめる翔。しかし、次の瞬間――その「食べ物」は現れた。
にょろり。
「えっ」
ミミズのような「何か」が、丸太の穴から這い出てきたのだ。長さはおよそ30センチほど。太さは翔の小指ほどだった。
でろり。
びょろり。
一匹、二匹。「何か」が穴から顔を出す。
「ちょっ――」
びょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろびょろ……
穴という穴から、そいつは一斉に這い出して、濃厚な磯の匂いと共に翔に向かってきた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」
ムンクの叫びよろしく悲鳴をあげる翔に、その場にいた全員が目を向ける。
「成瀬さん、落ち着いて! いったい何があったんですか!?」
「ミ、ミミズが!! 白いミミズが、丸太の穴から這い出てきた!!」
「丸太から、ミミズ? いったい――」
恐慌を来す翔に、思わず慌てるたまき。その後ろで、ラーラが本をめくりながら情報を集めた。
「丸太の穴……白いミミズ……恐らく、フナクイムシですね」
「何ですか、それ!?」
「木の繊維を主食とする二枚貝です。『白いミミズ』というのは恐らく、可食部の水管でしょう。タイやフィリピンの沿岸部では人気のある食材で、酢をつけて生食するらしいですが……」
「やめろおおお!! こっち来んなあああああ!! まとわりつくなあああああああ!!」
「成瀬君、しっかりしろ!」
秋人の深想水を浴びて、翔はハッと我に返った。
「す、鈴白さん、サンキュ。あ……あの妖、なんてヤバい能力使いやがるんだ……」
仲間たちに視線を戻すと、ラーラとたまきが妖の攻撃を浴びていた。どうやら敵は、覚者の火力から潰す作戦に出たようだ。立て直す暇など与えぬとばかり、妖の放つトラウマ・メーカーが、ラーラを包み込んでゆく。
「おいビスコッティ? ビスコッティ!?」
「ああ……大皿のお刺身が……」
譟の問いかけに、ラーラは答えない。彼女の目には、全く別のものが映っているからだ。
白い皿の上に並ぶ、新鮮で豪華な海の幸。活きのいいエビに、身の透き通ったイカ、鮮やかで艶めかしい朱色のマグロ。そして――
「……はっ」
ラーラは思い出した。思い出してしまったのだ。
記憶の底に必死に封印し、忘れかけていた、あの「緑色の悪魔」を――
「ワ……ワサビ……!!」
ラーラの脳裏に、次々と過去の記憶がフラッシュバックする。
まだラーラが小さかった頃、初めてお刺身を食べた時のこと。
刺身の傍らに添えられた、清涼感の漂う見た目に誘われ、思わずお箸で大盛りのワサビを取って口に入れてしまったこと。
「い……いいえ違います。違いますとも。あれは抹茶クリームとかそういう、う、ううう……」
好物を瞼に思い描いてラーラは必死に暗示をかけたが、現実は非情だった。涙を浮かべ、鼻をつまみ、辛さが過ぎ去るのを待つラーラ。とても戦闘に加われる状況ではない。
「まずいな。このまま後手に回ると、さすがに……」
妖を水龍牙で攻撃しながら、秋人が呟いた。
敵は戦闘で疲弊しているのか、先程から秋人達の態勢を崩そうと必死に妨害をかけてきている。
(タイミングを見て押し込めば勝てるか……? けど俺達も、敵の幻で足並みが乱れている……)
かといってこのまま長期戦に持ち込まれれば、覚者たちの消耗はさらに激しくなる。ほんの少しでいい、全員が攻撃に集中できれば――秋人がそう考えて矢をつがえようとした、その時。
「これ以上、好きにはさせません! 龍槍円舞!」
たまきの護符に呼び覚まされ、土の龍が次々に槍を顕現させた。
大地を揺らし土煙を立てながら、槍が妖を突き刺し、薙ぎ払ってゆく。まるで円舞を踊るように。
「フススス……!」
妖達もすぐさま反撃に移ろうとするが、体が動かない。槍の効果で、麻痺を付与されたのだ。
今が好機。たまきは後ろの仲間を振り返った。
「緒形さん! 桂木さん! 鈴白さん!」
「賀茂よ、グッジョブだぜ。一気に攻めて決めちまおう」
「わかっ、た。わたしも、これ以上、ピーマン、は、嫌」
「皆、怪我は大丈夫かな?」
譟の纏霧が辺り一帯に立ち込め、妖たちの力を更に引き下げた
日那乃の深想水が、ラーラのトラウマを綺麗に洗い流す。
秋人が潤しの雨で、仲間の傷を塞いでゆく。
「もう終わりだ。さっさと倒して、忘れさせてもらうぜ」
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……」
翔が、ラーラが、それぞれの武器を手に妖へと狙いを定める。
翔の召喚した雷雲から一条の雷光が走り、ひときわ大きな白虎へと姿を変えた。
「いけ、雷獣!」
「フ……フスススス!!」
放たれた虎の牙に引き裂かれ、妖の1体が消滅した。
「イオ・ブルチャーレ!」
魔導書の封印を解き、ラーラが必殺の火焔連弾を見舞う。
悲鳴をあげることすら許されず、さらに1体が消滅。
「キャラメルを沢山、ありがとよ! お返しだ、こいつを食らえ!」
「さあ、幕引きだ」
譟のスレッジシャベルが、秋人の豊四季式敷式弓が放つB.O.T.が、
「ピーマンも、椎茸も、お前達も、嫌い。消す」
「フスススー!!」
日那乃のエアブリットが、最後の1体をハチの巣にした。
虹色の霧は残らずかき消え、夕暮れの道に再び平穏が訪れた。
●
「お……終わっ、た」
「おつー。いやはや、手こずったわ」
妖の消滅を確認すると、日那乃と譟はふうっと安堵のため息を吐いた。
「成瀬さん、お疲れ様です」
「賀茂さんも。しかし、オレが食い物で苦しめられるとは思わなかったぜ。手強い敵だった……」
覚醒を解き、年相応の姿に戻ると、翔は額の汗を手で拭った。
「そこまで重く受け止めていませんでしたけど、食のトラウマって案外根深いものなんですね……」
「本当にな。あんな生き物が襲ってくるなんて……あれ?」
そこまで言って、翔はふと首を傾げた。「あんな生き物」とは、一体なんだったろう?
虫ではない何か……何度記憶を辿っても、翔はそれを思い出せなかった。
妖を討ったことで、覚者たちのトラウマは、どれもおぼろげなものへと変わりつつあった。
「ま、終わったことはもういいや! 一働きしたら腹減ったなー、なんか食いに行こうぜー!」
嫌なことは、美味いものを食って忘れるに限る。いつもの笑顔で、仲間達と帰路につく翔。
妖の消え去った十字路を、夕日が赤く照らしていた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
