

「覚者がなんだコノヤロウ! 俺たちのほうがずっといいネジを作れるんだぞ!? なあ、そうだろ!」
「ああ、そうそう。そうだ! 覚者がなんだバカヤロウ!」
魚津・平八(うおづ・へいはち)は飲んだくれていた。
趣味はなし、特技もなし、将来の夢はマイホームというごくごく平凡な青年ではあるものの、人よりずっと頑張って勉強を重ねていい大学に入り、サークル活動も女遊びもオタク趣味もせずにただただ勉強をして工業を学び、彼は今乗りに乗っている一流企業へと就職した。
はじめは現場から経験を積み上げていき、ひいては現場の責任者となり、ゆくゆくは出世を重ねて自分を馬鹿にしていた連中を見返してやるのだ。
大学サークルで女子を囲っていかがわしいパーティーを開く茶髪の同級生を追い抜き、スポーツで汗を流して青春をいつまでも続けている同級生を出し抜き、五行能力にあかせて楽な暮らしをしようとしている連中をもすり抜けて、自分は社会の上層部へと食い込むのだ。そして彼らは知るだろう。努力こそが最も尊いものであり、この自分こそがその体現者なのだと。
おお魚津平八。努力の天才よ。
だというのに!
「工場のプレス機で腕をやっちまって……この通りだ、腕が!」
研修中に腕を怪我した彼は、なんと腕部切断の憂き目にあった。そこから先はジェットコースターである。
会社の保険が下りるからと自社の病院で手術をしてもらったところ、くっついた腕がまさかの兵器用の義手。それも二十年前の中古品である。
オプションでLEDライトや十徳ナイフもつくんだよと言った技師は、彼の人生最大の恨みとしてノートに記録された。
義手を変えてくれと会社に文句をつけてみれば義手のつけなおしは保険対象外だからと高額を提示され、恨みノートにまた一人名前が増えた。
さらに義手はある憤怒者組織が使用している兵器と同じ型だということで親族からテロリスト扱いされ、たちまち家を追い出された。話も聞かずにだ。恨みノートの名前がまた増える。
おまけに腕が兵器の社員を雇いたくないなどと言って会社から一方的な解雇通知が送られてきた。研修期間中だったせいで退職金らしきものもない。心ばかりの賠償金はたちまち消えた。訴えようとしたが、どうやら契約書に同意のサインをしていたようで非はむしろ自分にあるという。恨みノートの項目だけが増えていく。
噂で聞いた限りでは、覚者と非覚者を平等に扱うテイを装うために同数だけ雇っておいて、非覚者だけを退社に追い込む手口が流行しているらしい。彼もそんな手口に引っかかったのだ。
「どうしてくれるんだよ、こんな腕した奴を雇ってくれる所なんてないぞ! 本当にテロリストになってやろうか!? あの工場、ぶっ壊してやろうか!」
「ああそうだそうだ、ぶっ壊しちまえばいいんだそんな工場は!」
隣のおっさんがわめいた。電車の音に半分ほどかき消されたが、そんなことはどうでもいい。
とにかく今は酒を飲まなきゃやっていられんのだ。
お先は真っ暗。頼れる人も場所もない。
自分に無償で一億円ほどくれるバカでも現われない限り状況は好転しないだろうさ。
排気ガスと煤の臭いが混ざった大根を頬張る。半端に冷めていて、泥みたいにマズかった。
焼酎を飲み干したが、これまたマズい。それこそ泥水をすすっているようなものだ。
だがおそらく、自分は本当に泥水をすするようになるだろう。
「ちくしょうめ」
自分が言ったのか、相手が言ったのか。
くらんだ頭には判別できない。
魚津は台に突っ伏し、目を瞑った。
自動車の行き交う音が頭に響く。
なんだよくそ、うるせえな。魚津がもごもごとした罵倒を吐きながら目を開けると、そこはゴミ捨て場だった。
女子高生がトイカメラで自分を撮影している。『チョーウケル』とかいう鳴き声をあげながら手を叩いていた。チンパンジーかよクソが。実際申のしっぽが生えていたので、魚津は脳内で彼女のことを『クソザルJK』と呼んでやった。恨みノートにまた名前が増える。
するとそこへ、長い茶髪の男がチェーンをじゃらじゃら鳴らしながらやってきて、クソザルJKの肩を抱いた。彼も低い声で『チョーウケル』と鳴いた。オスメスのカップルか。彼らのやってきたほうを見れば、そちらはホテル街だった。勿論ビジネスホテルでも旅館でもない。
魚津が身体を起こすと、茶髪ザルが指をさして言った。
「ヤッベ魚津じゃん、クッセ! チョーウケル!」
名前を呼ばれて、魚津はびくりと固まった。
思い出した。同じ大学の同級生だ。魚津は一年たりとも留年せずにキッチリと学位を納めたが、こいつはいまだに大学生をやっているらしい。一生やっているんじゃないだろうか。
風の噂に聞いた限りじゃあ新入生の女子に睡眠薬入りの酒を飲ませてヤりまくっているそうだ。いや、本当のことを言うとそういう自慢話を食堂でしているのが聞こえたのだ。女を脱がせたプリントシールを手帳にコレクションしていて、夢は百人斬りらしい。クソが!
そんな想いを知りもせず、茶髪ザルはポケットに手をいれたまま話しかけてくる。
「俺ら今からザーちゃんたちとカラオケ行くんだけど、お前も来る?」
うるせえクソザル。サルはサルと仲良く岩山で腰でも振ってろ!
と頭の中で唱えつつ。
「え……あ……」
口から出るのはEとAだけである。
「おっ出た金魚!」
サルどもがまた『チョーウケル』とはしゃぎだした。
魚津は三白眼の口べたで、いつも口をパクパクしているせいで子供の頃から金魚金魚と呼ばれていた。小学校の頃など、教室で飼っていた金魚の水槽に顔を漬けられたこともある。そんなものは子供のいじめで、大人になればなくなるだろうと思っていたが、大学の歓迎会では池に突き落とされた。今は生ゴミの添え物である。クソが! クソが! クソが!
茶髪ザルどもはひとしきり魚津の写真をとって遊んだ後、べたべたと腕を絡ませながら町の賑やかな方へと歩いて行った。
カラオケに誘うつもりなど最初から無かったらしい。少しでも嬉しいと思ってしまった自分が憎らしい。それをかき消すことができずにどもることしか出来なかった自分が憎い。サルのオモチャにされて何もできない自分が憎い。奴らを見返すために努力し続けたのに全部無駄にしてしまった自分が憎い。恨みノートに一番書かれている名前は他の誰でも無い。自分なのだ。
だが今、何よりも憎いのは、自分の周りにある全てのもの。
いうなれば『社会』。
社会が憎くて、仕方が無かった。
何が憎くて何が苦しくても、魚津は所詮人間である。
腹が減るし疲れもする。
しかしポケットの中に入っていたのは三百円とすこしだけ。あったはずの財布は無くなっていた。酔っ払って眠っている間に落としたか誰かに盗まれたのだろう。
交番に言って探して貰おうとしたが、交番前のお巡りさんは魚津の顔と腕を見て犯罪者をみる目つきになったので、すぐにやめた。クソが。
もうどこにも行き場は無い。
まるでどぶ川に流されたゴミのごとく、彼は彼と似たような連中の場所へとたどり着いていた。
そこがどういう場所かって?
ブルーシートと段ボールで作った素敵な集合住宅地だよ、クソが!
だが魚津はまだ不安だった。またあの茶髪ザルのような連中にいじめられるのではないか。ここからも追い出されるのではないか。腕が兵器になった男など、誰が……。
「おいきみ、どうしたんだそんな所で」
口ひげをたくわえた男が話しかけてきた。
どう返せばいいのか分からずまたEとAだけを唱えていると、男は顎で自分の後ろを指し示した。
「行くとこ無いんだろ。これから配給があるから、食っていけよ」
思えば、魚津の汚らしい身なりから事情を察したのだろう。
集合住宅の中でもひときわ大きなお家を構えた男は一旦彼を屋内に招き入れると、ペットボトルの水を差しだしてくれた。
「何もいわんでいい。ここにはそういう奴も大勢いる。スギさんなんかここへ来てから五年になるが、一言も声を聞いたことがないなあ」
朗らかに笑う男に、魚津は頭の下がる想いだった。
ここをも追い出されたらもうこの世に居場所がないと思っていたからだ。
「お前さん、名前は。仕事は見つけてるのか?」
「う、魚津です。仕事は……く、クビに……」
「そうか。そりゃあ災難だったなあ。これから人でのいる仕事があるんだが……どうだ、お前さんも一緒にやらんか」
茶髪ザルがカラオケに誘うのとは全く違う。心からのお誘いである。魚津は首をかくかくと縦に振って頷いた。
「よしよし、じゃあその時に皆に紹介してやるよ! お前さんなら……うん、きっと歓迎するだろ!」
男は肩を叩いて笑いかけてくれた。
『お前さんなら』の所で魚津の義手をちらりと見たことは気にかかったが、彼の口べたな性格を受け入れてくれた相手のことだ。魚津は深く信頼して、貰った水を飲み込んだ。
公園の水道水からとった水だそうだが、それが不思議と美味しかった。
夕方。配給の豚汁を手に、魚津は見知らぬ屋内にいた。
大型ガレージというのだろうか。魚津のイメージに一番近かったのは小学校の体育館である。
潰れた自動車整備工場を利用したモノだそうだが、詳しく説明されてもわからない。その場に集まった愉快な仲間たちも同様だ。
とにかく暖かいメシがもらえる。それだけで地の果てまでだって行くつもりだ。
メシの途中で髭の男が魚津を紹介したのだが、ここの住人は魚津を暖かく迎え入れてくれた。困ったときはお互い様だと言っていた。
しかもこの豚汁がすこぶるウマい。これを食っているだけで身体が火照ってくるようで、気持ちがどんどん高ぶってくる。今ならあのクソザルカップルに言い返すことだってできただろうし、なんなら二人まとめて殴り倒してやってもいい。
「みなさん!」
場内の端に設置された木箱に見知らぬ男が立った。
タキシードに丸めがねという特徴的な格好だが、顔はどうにも辛気くさい。
しかも屋内だというのに拡声器を使っている。
魚津が不思議がっていると、仲間が『豚汁と仕事をくれる人だ』と紹介してくれた。
なるほどこの人が俺たちの恩人か。魚津は心の中で彼を『神様』と呼ぶことに決めた。
普段の彼なら他人を神様などと口が裂けても呼ばないが、今の高揚した気分と状況がそうさせるのだ。
神様は言う。
「あなたがたは尊い一人の人間です。暖かいものを食べ、暖かい家族に囲まれ、暖かい家で眠る権利がある。法律だってそれを認めています。だというのにこの現状はなんですか! 社会は皆さんを排斥し、軽蔑し、侮辱している! この世界に侮辱されるべき命などないというのに!」
そうだ! と仲間たちが叫んだ。魚津も身体がカッと熱くなり、一緒になって叫んだ。
「あなたを虫のように侮辱したのは誰ですか!? あなたの尊厳をゴミのように踏みにじったのは!? あなたをこの社会から追い出した悪人は誰ですか!?」
神様が叫ぶ言葉が心にしみていく。
暖かく、そしてありがたい。
俺たちのことをこんなにも思ってくれるなんて。
「あなたは地面を這いつくばる虫なんかじゃない! 掃きだめに集められるゴミなんかじゃない! 二本の足で立つ人間なのです! 立ち上がることができる人間なのです!」
「そうだ!」
はっきりと声に出して叫べる。
神様の仰せになる言葉がありがたい。
俺たちのためにこんなに思っていただけるなんて幸せだ。
「立ち上がれ! 立ち上がり、覚者を優遇する卑怯な悪に鉄槌を下すのです! その鉄槌を誰に下す!?」
「「あいつらにだ!」」
全員の声がそろった。
神様の仰せのままに。俺たちはなんでもする! なんでもできる!
すると豚汁の配給をしてくれていた男たちが駆け寄ってきて、魚津たちに布袋を配っていった。
神様が高らかに唱える。
「辰岩工業という会社を知っていますか!?」
魚津はぎくりとした。辰岩工業といえば彼をこんな風に排斥したあの会社だったからだ。
義手に力がこもる。
「この企業は平等雇用をうたっておきながら非覚者を意図的に追い出し、覚者だけの雇用体勢を作り出しています。こんな不遇が許せるか!」
「「許せない!」」
「そのうえ社長の辰岩は子供や老人を騙した金で富を築き、毎日のように豪遊しているといいます! 酒の肴はもっぱら『ダメな非覚者』の話だそうだ。許せますか!?」
「「許せない!」」
「その布袋を開けてみてください。鉄槌を下す力が入っています!」
言われたとおりに袋を開ける仲間たち。彼らの袋には刀や銃が入っていた。
それもタダモノではない。覚者の神具に勝るとも劣らない高性能な武器たちである!
そう! 神様が我々に力を授けてくださったのだ!
「さあ行きましょう! 悪しき辰岩に鉄槌を下すのです! その富は、奴のものじゃない! あなたたちのものだ!」
「「そうだ!」」
「辰岩は悪だ! 奴を守る覚者警備員たちも悪だ! 工場は悪だ! さあ行け、破壊し尽くすのです!」
ガレージのシャッターが開き、魚津たちは解き放たれた。
高揚感に包まれた彼らは網を破った魚群のごとく町へと繰り出し、辰岩工業の工場地帯へ一直線に突っ走った。
俺たちには神様がついている。もう恐い物などなにもない!
滑川警備保障の制服を着た覚者たちが道を塞ぐが、それがどうしたというのだ!
仲間たちが銃を乱射し、刀で切りつける。覚者たちはたちまち群れに呑まれていった。
髭の男が刀で覚者の腕を切り落としながら、歪んだ顔で笑った。
「水橋サンは言ったぞ。ここの金は俺たちのものだって! 持って行っていいんだ! そういうことなんだ!」
「そうだ! 俺たちのものだ!」
魚津も笑った。幸せで仕方なかった。
自分を見て失笑した覚者の同僚たちが蜂の巣になっていく。なんて素晴らしい光景なんだ!
ガムを噛みながらあいつダサイと自分を指さしてきた男が八つ裂きにされている。なんてありがたい風景なんだ!
気づけば魚津の義手は肘から先が換装され、ガトリングガンに変わっていた。
銃身には『黄龍』と彫り込まれている。
「金魚は修行を重ねて鯉になるといい、鯉は試練を乗り越えて龍になるといいます。あなたは昔金魚と呼ばれてさげすまれていましたね? ですがもう違う。あなたは変わるんです。龍になるのです」
神様がすぐそばに立ち、笑いかけてくれた。
魚津の感情が最大限に高ぶっていく。
「この先が社長室です。さあ行きなさい!」
魚津は獣のように吠え、社長室の防護扉を破壊した。
社長室は混乱に満ちていた。
居眠りばかりする高身長の専務も、ビッチで巨乳の秘書も、女を虐待するのが趣味のチビの常務もみんなそろって部屋の奥で震えていた。魚津が怒りの咆哮と共に右から左へ機関銃を掃射すれば、彼らは部屋ごと蜂の巣になって飛び散った。
だが社長はいない。一人で逃げたのだ。卑怯者め!
奥の扉を開くと、社長が豪奢な机の後ろ隠れていた。神具拳銃を突き出し乱射してくるが、今の魚津には驚異でもなんでもない。腕を翳して銃弾を弾くと、ゆっくりゆっくり近づいていった。
「な、なんなんだお前は! け、警備員は何をやってるんだ!? 警察! 警察を呼ぶぞ!」
ゆっくりと近づく。
社長の辰岩は腰を抜かして座り込んだ。よく見ればズボンがじんわり濡れている。
「か、金ならやる! なんならうちの警備員として雇ってやってもいいぞ! な、名前を言え、取り次いでやるから……!」
「名前は、もう、言った」
不思議と言葉は詰まらなかった。
だが全ての単語に殺意が籠もり、全ての抑揚に怒気が籠もっていた。
さあ殺そう。
粉々にして金魚の餌にしてやろう。
辰岩に銃を向けた、その時。
「そこまでだ」
知らぬ声がした。
世界は非情である。
悲鳴の多くは誰にも届かず、悲劇の多くは報われない。
ゆえに世界に悲しみがあり、不幸がある。
だがもし。
もし全ての悲鳴を聞きつけ、すべての悲劇を報いる者がいるとしたら。
夢見の言葉を背に受けて、全ての悲しみと不幸に立ち向かう者たちがいるとしたら。
彼らはきっと、やってくる。
「貴様の艱難辛苦は理解した。されど殺生を許す故はなし。その想い、絶たせてもらう」
全てを知った顔をして、前触れもなく突然現われるのだ。
振り向く魚津。
金具が壊れて開きっぱなしになった扉に、黒髪の女学生が立っていた。
ネクタイとヘアピン、そしてリボンだけが赤い。
手には透かし彫りの入った小太刀が一本握られている。刀身に梵字など刻まれている所からして神具だろう。
女学生はその小太刀を魚津へ向け、よく通る声で言った。
「工場内の憤怒者たちは仲間が制圧した。あとは貴様だけだ、魚津平八」
「……」
事情を知っていること。名前を知っていること。それにあれだけの仲間たちを既に制圧してしまったこと。それらは驚きに値する……が、しかし。
「憤怒者? 俺が?」
「そうだ。貴様は今、憤怒者そのものだ」
気づかなかった。まるで憤怒者のようだとは言われていたものの、本当にそうなってしまうとは。
だから。
だから。
「警察に自首しろ。せめて罪は軽くなる」
「じ……冗談じゃないぞ!」
だからなんだというのか!?
魚津平八は虐げられたのだ! 不当に排斥され、侮辱されたのだ!
怒りは正当なものである!
憎しみは正当なものである!
ゆえにこれは、正義である!
「悪いのはあいつだろうが!」
魚津は辰岩を指さして吠えた。
「俺が何をした!? 俺の邪魔をするんじゃねえ!」
咆哮は力となり、力は腕の機関銃を回し、機関銃は大量の弾丸をはき出した。
女学生はたちまち肉塊と散ってしまうのか?
否!
「致し方なし、か!」
女学生は激しい炎に身を包んだかと思うと、頭髪や目、衣服までもを真っ赤に染めた姿に変化した。
暦の因子。前世の力を宿した覚醒状態である。
変わったのは姿だけではない。彼女の手にはもう一本の小太刀が現われ、順手逆手の二刀構えになっていた。
女学生は腕が複数に見えるほどの素早さで二刀を操り、飛来する全ての弾丸を弾き落とした。
いや、全てではない。強力な武器は非覚者が覚者を殺す決定的な手段となりえる。今回とて例外ではない。無数の弾が着弾し、そのいくつかが貫通する。
僅かによろめく女学生。しめた。魚津は龍のごとく吠え、女学生へと殴りかかった。
機関銃が拳の形へと変形し、黄金に輝く。
女学生は刀をクロスさせてガードするが、小柄な身体がこらえられる衝撃ではない。宙を舞い、スチールデスクを粉砕しながら血まみれの床タイルを転がった。
すぐさま機関銃による追撃が来る。女学生はその場から素早く転がって回避。膝立ち姿勢になると、両手の刀に炎を宿らせた。
刀の柄に彫り込まれた蝶と菊が鮮明に浮かび上がり、熱の尾を引いていく。
熱の尾は室内をジグザグに奔り魚津はそれを追い切れずにめちゃくちゃに機関銃を乱射した。
そのたびに的を外し、脇腹や腕、腹や肩を次々と切りつけられる。
「俺は悪くない、俺は悪くない俺は――!」
「そうだ。貴様は悪くない」
女学生が背後にピッタリとついていた。
刀が首に添えられ、今まさに彼を殺そうとしている。
硬直した魚津に、女学生はゆっくりと語りはじめる。
「魚津平八、お前をたきつけたのは大規模な憤怒者組織の一員だ。私たちの真の目的は彼を捕獲することだった。逃げられてしまったがな」
「か、かみさまの……ことか?」
「あれは神などではない。お前が得た異常な高揚感は配給食に混ぜられていた薬物のせいだ。彼はホームレスたちを薬品と演説で洗脳し、工場を襲わせたのだ。覚者推進派の政治資金源になっているこの企業を潰すためにな」
「そんな……俺は……」
「お前は被害者だ。無罪か有罪かは、法が決めることだろうがな」
魚津は膝から崩れ落ちた。
「また……オモチャにされたのか……俺は……」
「そうだ。お前はオモチャにされた」
女学生は頷き、そして覚醒状態を解いた。
黒髪の姿へと戻る。
「殺してくれ。もういやだ」
「断わる」
「なんでだ!」
立ち去ろうとした女学生に、魚津はすがりついた。
「俺は人を沢山殺したんだぞ! 極悪人なんだ! 悪に鉄槌を下さないのか!?」
「ここの重役や警備員のことを言っているなら間違いだ。覚者警備員は一人も死んでいないし、重役たちも重傷は負ったが生きている。これだけの企業だ、防護符くらいは常備しているんだろう」
「じゃあ……じゃあ……」
「それにな」
なおもすがりつこうとする魚津の手を、女学生は厳しく払った。
「お前は生きている。生きているなら、なんでも出来るはずだ」
「……」
そう言って、女学生は立ち去っていった。
名前すら告げずに。
それからしばらく経って。
魚津は駅の階段を下り、陽光の下に出た。
ビジネススーツを身に纏い、書類ケースを抱えている。
腕には金色の義手がはまっていたが、隠すそぶりも見せなかった。
「七十五社目の敗北、か……」
手を翳して見上げる。そこはハローワークだった。
義手や性格のせいでいくつもの会社を断わられ、今日も彼は無職である。
日雇い労働でなんとか食いつなぎながら実家の隅っこで眠る。そんな日々だ。
だが彼の目には炎があった。あの女学生が放ったような、激しい炎が宿っていた。
「よし、今日もがんばるか!」
無理にガッツポーズを作り、ハローワークへと歩いて行く。
恨みノートなど、もう彼には必要ない。
第伍話:憤怒者(アウトレイジ)

※世界観ノベルにはFiVEメンバーと思しきキャラクターが登場いたします。
ノベル上でのみの特別演出としてお楽しみ下さい。
