

老若男女の雑踏が交差する。
少年はいきかう足音を聞き流しながらベンチに一人腰掛けていた。
はやりのロックを弾き鳴らすストリートミュージシャンや、親子やカップルたちの和やかな雑談も、かれにとっては聞き流しの対象である。
彼の両隣に座る者はなく、どころか近づく者もない。周囲から、あからさまに避けて通られていた。
ここはジーンズショップやスポーツショップがならぶショッピングモールだが、そんな中にあって彼の服装は浮いていた。
まわりはファッション誌を軽く取り入れたチュニックだのサーフジャケットだのという有様だというのに、彼の着ている服はTシャツと短パン。それもそこかしこがほつれ、土汚れの目立つものだった。ありていに言って襤褸のたぐいである。
持っているものも、今まさに周囲で売っているオシャレなトートバッグやらシザーバッグやらではない。麻のナップザックである。
歳は12歳そこそこか。髪はぼさつき、肌は日に焼けている。
確かにここまで見比べてみれば随分と異様だが、彼らすればたいした差とは思えなかった。
なにせ、今目の前を横切っている親子づれなど子供の四肢が球体関節人形になっているし、彼らとすれ違ったカップルなど二人そろってネコミミだ。異様というならそれこそ異様である。
とはいえ、こんな人間たち……いわゆる『覚者(トゥルーサー)』が増え始めたのは少年が生まれるよりずっと前からだ。社会も社会で、尻尾が生えている人用のジーンズやら球体関節用のスポーツシューズやらを当たり前に売っている。
みな、これが当たり前なのだ。
ではなぜ、少年ばかりが避けられているのか。
それは、彼の目つきにあった。
まるで戦場帰りのような、全てをにらみ付けるような目だ。
「どいつもこいつも、平和そうにしやがって」
都会化した場所には人が集まる。それだけ治安の悪い場所もあるが、自警団や警備会社が機能している土地は比較的平和だ。ここもまたそんな場所のひとつである。
だがその反面、人が少なく妖の群生地帯に近い土地となると話は違う。いつも戦々恐々としている者も多い。
妖。人類の敵。歴史の教科書にのっていたような第一次妖討伐抗争を例に出すような極論はしないが、事実妖の影は今もすぐそばにあるのだ。
「ねえ、ねえ」
不意にシャツの裾を引っ張られた。身構えるように振り向くと、驚いた顔の少女が立っていた。少年よりもやや年下だろうか。見たところ非覚者(ノーマル)だろう。覚者の場合実体化した守護使役を反射的に目で追ってしまうが、彼女にはそれがないからだ。一部霊感の高い者を除いて、非覚者には守護使役は見えも触られもしない。
「なんの用だ」
自分に攻撃的な人間ではなさそうだと分かると、少年は最低限の声量で問いかけた。
少女は彼の言いぐさに面食らったようだが、すぐに気を取り直すとワンピースのポケットをまさぐった。
そして両手いっぱいの何かを取り出すと、少年の前に翳してきた。
「あげる。どれがいい?」
少女が広げたのは、見たところキャンディのようだ。イチゴ味やらメロン味やら、たしか大手メーカーの袋詰めキャンディだったと思う。
少年はイチゴ味を目にとめてごくんと喉を鳴らしたが、すぐに目をそらした。
「いらん。あっちへ行け」
「でも……」
困ったようにキャンディを見下ろす少女。
言われたとおりに去るどころか、キャンディをポケットにしまおうともしない。
言って聞かない奴は嫌いだ。
言って聞かない奴は嫌いだ。
少年は、自分の頭の中でそう唱えた。母の口癖だった。母の声が脳内で正確に再生され、少年は苦しげに舌打ちした。
「いらねえよ。あっちに行けって言ってるだろ」
「でも……」
少女が先刻と同じことを言って少年の顔をみつめてくる。
そして、こう続けた。
「お腹がすいてるんでしょ。お腹がすくとイライラするから、何か食べた方がいいよ?」
お腹がすくとイライラするから。
お腹がすくとイライラするから。
また母の口癖だ。また脳内で再生が始まる。短気な母だった。だから嫌いだった。
少女は母と似ても似つかない顔つきだが、似たような言葉を使った彼女の顔を、少年はもう見たくもなかった。
「イチゴがいいんでしょ? あげる」
一個だけつまみ上げて少年へ突きだしてくる。
「うるせえな!」
少年はその手を払って立ち上がった。
少女の手から飴玉が大量に転げ落ち、地面に散らばった。
急いでかがんで拾い集めるべきだ。
少女に非礼を詫びるべきだ。
そんな想いをかみ殺して、少年はその場から立ち去った。
振り向きもしない。したくない。
母のことは思い出したくない。
妖に殺された日の顔と重なるからだ。
ベンチを立ち去ったところで、少年に行く当てなどない。
さっきまでいたベンチだって、移動中の休憩に丁度良かったから座っていただけである。渡り鳥における止まり木のようなものだ。
言って聞かない奴は嫌いだ。
思い出した声が再生される。言わないように、聞かないように、まるで逃げるように少年は日本中を渡り歩いてきた。さいわい覚者である彼にとって、飢えや病気は致命傷にならない。勿論車に轢かれたり猛毒を吸ったりすれば非覚者同様死んでしまうかもしれないが、それにしたって多少の耐性はあるものだ。
だがそんな覚者にも恐ろしいものはある。
たとえば『妖(アヤカシ)』。四半世紀前から現われ、人類を今も尚襲い続けているバケモノである。少年は覚者ではあるが、戦闘訓練を受けたわけではない。
言い方は乱暴だが、銃を所持していても撃ち方を知らないようなものだ。
恐ろしいバケモノ相手では、彼も逃げ惑うしかない。
だがそれよりも恐ろしいのは、犯罪性覚者。いわゆる『隔者(リジェクター)』である。
銃の例で言えば、銃の訓練をうけその銃を使って犯罪を働くケダモノである。
その力を使ってコンビニ強盗をする者もあれば、銀行強盗をはたらく者もある。一部は徒党を組み、大きくなればマフィア化して誰にも手がつけられなくなることがある。
誰でも知っている組織をあげるとすれば、やはり七星剣だろうか。少年も名前くらいは知っている。名前を聞いたらすぐに逃げるのが、彼の中での常識だ。
そんな彼のことである。楽な旅路ではなかった。道中には妖が出ることもあれば、山賊まがいのことをする隔者もいる。最初は施設にでも入って引取先を探して貰おうと思ったが、今の時勢そういった施設はアテにならない。あれは遠回しな保健所だと、少年は身をもって知った。
元をたどれば度重なる対妖戦争による国政の疲弊が原因なのだが、少年にその機微はわからない。
ただ今を生きるべく、苦しみから逃げるべく、西へ東へ移り続けるだけである。
妖さえ。
妖さえいなければ、こんな不幸もなかったろうに。
どこかの誰かが急に全ての妖を駆逐して、世界を平和にしてくれないだろうか。
そんな風に思いながら、今日も苦しみから逃げ歩く。
「……ここでいいか」
第二の逃げ場所。もとい先程から少し離れたベンチを見つけ、少年は腰掛けた。
お腹がすくとイライラするから。
また声が再生される。
母の死に顔と共に脳裏に浮かぶ。
足が休まったらすぐに立ち去ろう。目を瞑って全てを遮断しようとした、まさにその時。
ガラスの砕ける音が響き渡り、そこへいくつもの悲鳴が重なった。
慌てて立ち上がり、周囲を見回す。
ショッピングモールの外壁が破壊されている。壁とその周辺のガラスが原型を無くしてあたりに散らばり、近くにいたであろう人々が血を流しながらうずくまっていた。
みな顔色が悪い。善良そうな人々が駆け寄り安否を気遣うが、そんな彼らもすぐに顔色を変えた。
破壊された穴から妖が入り込んできたからだ。
チェーンソーに昆虫のような手足が生えたフォルムをしている。物体系にカテゴライズされる妖だ。
怪我をした者もそうでない者も、命の危険を察して逃げ出しはじめる。
ショッピングモールを巡回していた警備員が拳銃を抜きながら駆け寄ってくる。警察官でなくても拳銃くらいは持っている時代だ。逃げ惑う人々もその様子をみて僅かに安堵したようだが……少年はまるで安心できなかった。
妖にただの銃で太刀打ちできるものか。
ゾンビ映画のワンシーンのように、悲鳴をあげながら乱射するに決まっている。最後はそれこそ映画のように追い詰められ、死ぬのみだ。
助けてやる義理はない。少年だって抵抗すれば死ぬのだ。
「クソッ」
少年は毒気づきつつも、警備員や妖に背を向けて一目散に逃げ出した。
彼が今までずっと逃げ続けてきたのは、どこへ逃げても必ず別の苦しみがあったからだ。
今回はその縮図のようなものだ。
全力で動かしていた足をとめる。
少年の目の前で、着物をきた人間が振り返った。
人間といっても首がない。
いかな不思議な造形の人間が多いこの時代といえど、首のない者はいない。
これは、心霊系にカテゴライズされる妖である。
妖から逃げた先に、また別の妖がいようとは。
少年の足がすくむ。
なぜなら妖の手には血濡れた刀が握られていたからだ。
あれで斬られれば、自分はどうなってしまうのか。
自らの胸が文字通り引き裂かれる想像をした。
同時に、母が切り裂かれる姿が思い浮かぶ。
「う、うう……!」
逃げなければならない。足は動かない。
そんな彼を(目はないものの)一瞥した妖は、興味を無くしたかのようにもとのほうへと向き直った。
ほっと胸をなでおろす。
だがすぐにその胸は氷を詰めたかのようにぞくりとした。
妖の、血濡れた刀の向く先は、少年よりも幼い少女の首であった。
つい先刻少年にキャンディを差し出してきた少女である。
つい先刻再生されたばかりの声をまた思い出す。
母の死に顔と共に思い出す。
「う、ううううううううう!」
刀が高く振り上げられ、人を殺す速度で振り下ろされる。
気づけば少年は駆けだしていた。
少女と妖の間へ割り込むように飛び込み、少女へと体当たりをかける。
刀の軌道からは外せたものの、少年の腕が深く激しく切り裂かれた。
まだくっついているのが不思議なほどの大ケガである。想像したよりずっと酷い。
少女を片腕で抱えたまま地面を転がる。だが止まってはならない。少女の手をしっかりと掴んだまま走り、物陰へと逃げ込んだ。
そしてぐったりと、壁に背をもたれて座り込む。
突然の出来事に少女は動揺していたが、少年の顔と腕を見て顔を青くした。
とはいえ、かけるべき言葉は一つである。
「にげろ」
「で、でも!」
「……」
またか。
頭の中で再生された言葉を、少年はかみ殺……そうとして、やめた。
「言って聞かない奴は嫌いだ! 早く行け!」
不思議と、母の死に顔は浮かばなかった。
少女の涙ばかりが目に映え、少年の膝にかかる滴ばかりが脳裏にしみこんだ。
「でも、でも……」
「イチゴの」
頭がもうろうとしている。出血が激しすぎるのだろう。もうすぐ死ぬのかもしれない。
「イチゴの飴、くれ。あれ好きなんだ」
「え、う、うん……」
少女もそれどころではなかろうに、ポケットから引っ張り出したキャンディを少年に手渡した。
力なくそれを受け取って。少年は吐き捨てるように言った。
「馬鹿、もっとだよ。もっと沢山くれ。足りないなら、買ってこいよ。いま」
「いま……」
「今すぐ。ダッシュで」
この期に及んで何を気取っているのだ。
少年は自分で自分に笑えてきた。
実際に笑顔が浮かんだのだろうか、少女は驚いたような顔をして立ち上がった。
「すぐ、もどるから!」
背を向けてかけ出す。
もう戻ってくんな馬鹿。少年はそう思ったが、声にはならなかった。
わらじの足音がすぐそばまで近づいてくる。
妖がこちらの気配を察して追ってきたのだろう。
なるほど、死ぬのか。あの妖のように首でも斬られて。
なんて無様な死に様か。
逃げ続けて逃げ続けて、そのバチがあたったのだろう。
目を閉じる。
次は死後の世界にでも逃げてみるか。
「いや、お前は逃げていない」
突然、知らぬ声がした。
世界は非情である。
悲鳴の多くは誰にも届かず、悲劇の多くは報われない。
ゆえに世界に悲しみがあり、不幸がある。
だがもし。
もし全ての悲鳴を聞きつけ、すべての悲劇を報いる者がいるとしたら。
夢見の言葉を背に受けて、全ての悲しみと不幸に立ち向かう者たちがいるとしたら。
彼らはきっと、やってくる。
「現に少女を助けただろう」
全てを知った顔をして、前触れもなく突然現われるのだ。
少年が目を開けたときに見たものは三つだ。
赤いテーラードスーツの背中。
赤鞘の刀。
その刀が妖の刀をすんでの所で受け止めているところである。
スーツの男は妖に膝蹴りを入れて後退させると、刀を素早く繰り出して妖の胴体を一閃のもとに両断した。
断末魔と共にかき消えていく妖。
男は刀を鞘に収めると、少年へと振り返った。
「妖が憎いか」
「……」
「母のかたきが討ちたいか」
「……」
「死に行く人を、助けたいか」
「……ぐ」
それまで沈黙していた少年が、強く唇を噛んで涙をこぼした。
男はポケットからチューインガムのようなサイズの名刺を取り出すと、少年へと突きだした。
片手でそれを受け取ると、男は既に少年に背を向けて歩き始めていた。
「そのための力がそこにある。興味があるなら、来ればいい」
男はそうとだけ言い残して、その場から立ち去った。
それから約一週間後。
少年は駅の自動改札を通り抜けた。看板には五麟学園前西口とある。
一時は死ぬかと思ったほどの怪我をおった少年だが、一週間もあれば身体は元通りになっていた。覚者が死ににくいと言われるゆえんである。
順調に動くその腕でポケットを探り、名刺を取り出す。
名刺には住所も電話番号も、メールアドレスすらも書いてない。ただ『五麟大学考古学研究所』とだけ書かれている。電話帳を駆使してなんとかたどり着いたのがこの場所である。
いつ来いとも、どうやって来いとも聞かされていない。
だというのにあの男は待っていた。
ガードレールによりかかるように、まるで最初からその時間に待ち合わせていたかのように、少年を見つけて手を翳した。
何もかも見透かされているようで気にくわない。
ポケットに名刺を戻す。戻した時に、手に触れたものがあった。イチゴ味のキャンディである。
少年はそれを取り出し、封をやぶって口に放り込んだ。
「なんだ少年。人と会うのにキャンディなんか転がして」
「お腹がすくとイライラするからな。放っとけ」
悪びれて笑う少年。
「まあいい。歓迎する」
男はかけていたサングラスを外し、片眉を上げた。
「『F.i.V.E』へようこそ」
第壱話:『F.i.V.E』へようこそ

※世界観ノベルにはFiVEメンバーと思しきキャラクターが登場いたします。
ノベル上でのみの特別演出としてお楽しみ下さい。
