● 横たわる相棒から離れ、最愛の者のところに歩いていく。 小さな体。転がる玩具。 頬に触れるとむずがり、起きるそぶりを見せるので、慌てて手を引っ込める。 すぐにもとの安らかな顔に戻る。 今回は大きな波ではなかったようだ。 少し安心した。 だが。 いつもと違う気配に、足が止まった。 「なによ」 ぐしゃぐしゃに乱れた髪を手櫛で直し、いつもどおり半眼でこちらを見る。 「お前……」 間違いではないかと思う。いつもどおりの憎まれ口。 いつもどおりの皮肉な笑顔。 「なぁに?」 「そうじゃなくて、お前……」 「……ああ、そうね。ぼちぼち本格的に来たか。しょうがないわね。今まで準備してたんだもん。そろそろ本番が来て当然よね」 ふふんと、笑って見せる。 保育所から空きの通知。 女は待機していた。 まもなく職場に復帰するのだ。 女は家事に専念する側から、外で働く側に変わろうとしている。 「で、どうするの。あんた、あの子を置いてくの」 なんと答えたらいいのかわからない。 男は、リベリスタなのだから。 今まで、フェイトがないという理由だけで、実戦ではなく後進の指導や先頭の先遣隊を務めてきたのだ。 しかし、どうしても外せない「実戦」がある。 「即答できないんだ」 なんと答えたらいいのかわからない。 女は、男に何もかもを捧げたようなものだから。 無茶な戦い方をする男の子をはらみ、産み、育ててきたのだから。 「ヒドイ男ね。一緒に育児を乗り越えようとか言えないの」 「エリューションが増殖する……」 それは許されることではない。と、男は言う。 そうねと、女は応じた。 「でもね、今まであたしたちが狩ってきたエリューションの数まで増える時間くらいの猶予はあってもいいと思わない? だって、ここまでに人生掛けてきたんだもの」 今日はあの子を迎えに行って。延長保育を使うなとは言わないから。 女は、少女の姿の女はそう言って、一人だけ年をとった男を見上げた。 ● 「残念ながら、この世界はそんなに公平にできてはいない」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、にべもない。 「男、本田真太郎。女、上田緑子。二人組みで活動していた。フリーのリベリスタとしては、古参の部類。数年前、アークに加入。そして、上田は本田になった」 四十がらみの男と、十代半ばに見える女。 男はどこか疲れたような。女は達観しているような。 二人まとめてノーフェイスに落ちるところをリベリスタの介入で見事回避。 三高平市役所に婚姻届と編入届けを同時に出すという荒業をやってのけたカップルである。 正確には、緑子とリベリスタが、煮え切らない真太郎に決心させたのだが。 「同い年。革醒時期もほぼ一緒。活動時期も。違うのは……」 女の休業期間が終わったこと。 無事に生まれた娘ちゃんも保育園が決まったのだ。 「本田(妻)は、最近職場復帰したばっかり」 事情を知っているリベリスタ達は、バンザイをした。 「本田(夫)、初めての二人っきりの夜になるはずなんだけど、びびってる」 イヴは、そう言い切った。 もう離乳もしてる。ご飯は冷蔵庫に入ってる。お風呂も入れられる。オムツも換えられる。 でも、夜中に泣かれたらどうしよう。とか。とか。とか。 「確かに本田(夫)には今日仕事が入ってる。けれど、家事と育児の両立も出来ないなんて、アークのリベリスタの名が廃る」 三高平は、共稼ぎのリベリスタのライフスタイルを応援しています。 刹那的ではない革醒者の生活の為の三高平だ。 フリーのリベリスタとして活動し、フェイトを枯渇させてノーフェイス落ちしかけていた二人が幸せに暮らすこと。 アークの存在意義を内外に知らしめるケースとして、二人はサポートされている。 イヴは、わずかに微笑んだ。 「今回の作戦は、原因の除去と、今後の対策。本田(夫)が時間を使い切る原因になるアーティファクトの回収のお手伝い。とっとと片付けて本田(夫)を保育所に行かせて。延長の末のお泊りなんてもっての他」 方法は任せる。 「更に、今後本田(妻)が育児ノイローゼにならないように、本田(夫)に色々かんで含めるように心の準備をさせて。本田(夫)がテンパりやすいのは、何もかも思いつめた挙句、自分には無理だとぶん投げる癖が抜けてないから」 イヴは、モニターに場所と詳細を映し出す。 「場所は、放棄された蔵。今から行けば、ちょうど本田がそこにアーティファクト追い詰めるのに成功してるから。リベリスタ二人と可愛い革醒者ちゃんを幸せな親子にして」 そういえば、三高平ベビーだっけ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年06月11日(水)22:37 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 4人■ | |||||
|
|
||||
|
|
● 本田真太郎は、15歳で革醒してからただひたすらに生き残ることだけを学んで生きてきた。 上田緑子と共に、フィクサードに身を落とすこともなく、驚異的な高潔さで25年生き延びてきたサバイバーだ。 経験浅いアークにとって貴重な古強者だ。 後進の指導や戦闘経験の伝授。今まで戦ったエリューションについての考察など、フェイトをほとんど失ったといっても彼のもたらす功績は非常に大きい。 だが、それはそれとしてだ。 エリューションとの闘争及び生存闘争に明け暮れていた真太郎のとある方面の経験値は悲しいほど低い。 よき夫として、父親として、いかにすべきか。 不惑の年に、死という安寧ではなく、生という困惑を手にしてしまった男の明日はこっちだと指し示してあげるのが今日のお仕事です。アーティファクトの回収も忘れないでね。 ● 「三度目だけど、会ったらまた苦い顔されそうだな」 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)は、苦笑する。 杏樹は、真太郎が婚姻届に記入する際、十五箇所書き間違えて、いちいち訂正印を押させられるのを脇で見ていたし、娘の真実が生まれた際、小躍りするも、ビビッて抱っこできなかった真太郎を下から重たい視線で見上げたりもした。 そして、現場に着く前から苦い顔をしているのが、『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)だ。 (過去の報告書には、一通り目を通した。木蓮が俺をこの任務に誘った理由には、……予測がついた) 『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)は、龍治の良くできた婚約者である。 唯一無二の婚約者である龍治をそれは深く愛している。 二人で共に歩く未来。 それが血にまみれたエリューションの死体の道になる覚悟は出来ているが、それと別の次元で幸せな家族になりたい。 しかし、家を出奔して以来、年もとらずに四半世紀近くを生きてきた龍治は、真太郎と大差ない。 いや、特定の女っ気がなかった時点で、更に後塵を拝すといっても過言ではない。 「一人っ子であった私は両親の奮闘を見て育ち、私と夫は二人の男の子を悪戦苦闘の末育て上げ――」 故に、『永御前』一条・永(BNE000821)の金言は―― 「いつの世も子育ては親を悩ませるもの。それでも親にとって子は子なのです。お腹に孕んで、赤ん坊から成人して還暦を迎えても!」 「――っ!!」 五臓六腑に染み渡った挙句に喀血しそうになるのである。 決して、妊婦木蓮から授乳婦木蓮へのコンボで吹きかけ、慌てて飲み込んだ鼻血が喉に落ちてうっかりひっかかって口から出た訳ではない。 断じて、ない。 ● 真太郎が現場の蔵に着くと、すでによにんのりべりスタが今や遅しと待っていた。 「あんたら……」 真実が生まれたときに来た三人と、それに引きずられるような風情で所在無く立っている男。 その男――龍治に、言い知れぬまなざしが注がれた。 「雑賀さん……」 十代の姿をとどめているが、龍治は真太郎より年長である。 「えっと、なんか、まきこんじゃってすいません。あ、その節はオムツありがとうございました」 「?」 「買い物行ったの覚えてないか? 龍治と連名で出産祝いにオムツ送っただろ!」 木蓮が爽やかに言う。そんなことがあったかもしれないくらいしか龍治の記憶には残っていない。 真太郎は、そんな龍治の様子に苦笑した。 真太郎には、木蓮が自分と龍治を重ねているのは分かるのだ。 共感を抱く洞察力で、真太郎は今日まで生き延びてきた――それが、家庭生活には何の役にも立ってないだけで。 「私は応援したいから来てる。仕事じゃなくて仲間としてな」 杏樹がそう言い、さっさと蔵の中に入っていく。 「息抜きに知人を尋ねるのもいいだろう?」 愛娘が生まれる直前の仕事が思い出されて、真太郎は口をハクハクさせた後、深々とため息をついて蔵に入る。 その後ろを永、木蓮と続く。 敷居を越えた木蓮が立ち止まった。 「今、行く」 振り返ろうとする背中を制して、龍治も中に入った。 ● ピーカーブー。どーこだ。 四月に隠されるイースターエッグは、まだ日本に浸透するには夢の王国と百貨店の年単位の努力が必要だろう。 「灯りだ」 カンテラを差し出しながら、杏樹は真太郎を振り返った。 「遠距離は得手か? こうごちゃごちゃしてると移動が手間だ」 蹴飛ばしたら最後、ちゃりちゃり言い出しそうな箱と箱をまたぐようにして足場を確保し、リベリスタ達は一撃必殺を目指す。 「居合いは出来る」 剣を手にした途端に、ヘタレ男に芯が通る。 それを素敵と思うか、こういうときばっかりと思うかは、その男との付き合い方による。 「私が眼と耳になる。探知は任せろ。足元に気をつけてな」 飛び込み助っ人狙撃手も一流なら、観測手も一流だ。 荷物と荷物の間から、花柄の丸いものが転がっている。 真ん中あたりに金ベルト。トップとボトムにエンブレム。 元をただせばなかなか由緒正しそうなものだが、この場にいる者は一瞬でも早くこれに十発お見舞いすることしか考えていない。 「あれか?」 「思ったより、大きいな」 一番大きなところで10センチである。 蔵の中は荷物で足の踏み場がないとはいえ、20メートル四方ある。 にも拘らず、集まったのは針の穴を通す精密射撃をと得意とする銃使い。 者に運があるとするならば、このアーティファクトはこの上なく運がなかった。 「私が前に出ますので、卵が回避したところを。よろしゅうございますか?」 闘気をなぎなたの刃に乗せた永が、獲物を構えた 踏み込まれ、小刻みに追撃をする斬撃をくらいつつもコロンコロンと卵は転がり、荷物と荷物の間に潜む。 「卵のくせにこんなアクティブに動くやつがあるか! 静かにしてな!」 木蓮は細かくステップを刻むが、一切危なげない。 勘を越えた観が、荷物と荷物の間の空白を見つけているのだ。 明かり取りからころりと外に逃げ出そうとした卵に呪印が絡まる。 龍治の指から放たれた印象が、卵を縛り上げたのだ。 「――試し撃ちには丁度良いか」 そこから先は早かった。 「お前らな。人がやっと任せてもらえた久しぶりの外回りの任務をなっ」 真太郎が、ぎりりと歯を噛み鳴らした。 「あっという間に終わらせんじゃねーよ。 ばっきゃろー!!」 お手本のように美しい疾風居合い斬りだった。 ころりと、卵は動きを止めた。 ● アーティファクト保管箱に封をしている間に、事態は着実に進む。 黒塗りの国産5ドア型CUV。 車高が高くてでっかい、クロスオーバー・ユーティリティー・ビーグルというやつである。勇ましい。 もみじマーク付きの永の愛車が、いまや遅しとスタンバイ。 「お乗りなさい」 有無を言わせず、自分は運転席に座ると、三つ編みを上にまとめ、おもむろに羽織をお召しになる。 なんとなく集中する視線に、永は咳払いした。 「戦闘装束で運転すると、色々面倒なことが起こるのです」 戦闘装束=セーラー服。セーラー服は女学生のものである。一般的には。 免許を見せれば、年齢は82歳。永さんの地元ならいざ知らず、都会ではまず『偽造』を疑われてしまう。 ああ、日本中が三高平ならいいのに。否、神秘は秘匿するものである。 今は、問い合わせなどの時間が惜しい。 幼児が父を待っているのだ。保育士さんも、延長にならないことを祈っている。 「幻想纏で大まかな道は分かりますが。保育園までの近道を教えて下さいね、真太郎さん」 ここにお座りなさいと、べしべし助手席をたたかれては失礼しますとそこに座らざるを得ない。 先輩後輩、重陽の字を叩き込まれた昭和の犬だ。 車は滑らかに高速に乗る。このまま行けば、日が暮れる――にしても、第二延長保育前には滑り込みセーフだ。 「真実はどんな様子?」 杏樹は、真太郎のうつむき加減の後頭部に話しかける。 「すくすくと育ってるようで嬉しい。その年頃だと手遊びできるようになるそうだから、教育番組を一緒に見るのもいいと思う」 杏樹にぶっきらぼうな口調の中にどこか浮き浮きした響きが混じる。 「――テレビ見て、踊ってるよ。で、しりもちついて、泣き出す」 真太郎は、そう言う。 杏樹の脳裏にオムツでむくむくのお尻でぽてんとしりもちをつくまだ見ぬ幼児が浮かんだ。 「真実ちゃんは、迎えがすぐ来ないと泣いちゃうタイプ? それとも待つ間気ままに遊んでるタイプ?」 木蓮がそんなことを言い出したのは、真太郎がどれくらい娘を理解してるか引き出すためだ。 「まみ――真実は、ぎりぎりまでけろっとしておとなしく遊んでいる。そして臨界点に達すると――」 ルームミラーに写った真太郎は、眼球の奥の悪夢を見ているような顔をしている。 「手が付けられないくらい、暴れ出す」 真太郎は一瞬言葉を途切れさせた。 「緑子そっくりだ」 杏樹は、ああ。と、小さく頷いた。 恩寵が自分から剥離して行くのも儀契りまでとらえ、ノーフェイスに落ちる寸前にアークの保護された緑子。 それに甘えていた真太郎にとっては苦手なタイプだ。 「何で、どうしようもなくなるまで我慢するんだ……」 真太郎は、両手の中に顔をうずめた。 そんなところ似なくても――と呟くパパ、何か悲しいことがあったの? 「そんなこと言ったって……」 「そう言うところも認めてあげなくちゃ」 「しっかりなさい、親父殿。貴方は家長なのですよ」 手が足りなければ皆がおります。と、永は続ける。 黙りこくる真太郎。 しばらく、道案内以外で口を開こうとしない。 「その……手加減してやってくれないか?」 龍治は、もそもそと口を挟む。 「どの様な道を歩んできたのかは、知らんが。その思考は、理解出来なくもない」 運転席の後ろで、黙り込んでいた龍治に視線が集中する。 「分からんのだ、知らんのだ。状況を前に何をすれば最善なのかを。銃器の扱いを知らん者に銃器を渡して、標的を狙えとだけ言っている様なものだ」 雑賀龍治は、骨の髄までスターサジタリーである。 だが、問題はそこなのだ。 ● 「怖いだろう」 真太郎は、ぼそりと呟いた。 永は、黙って車を止めた。運転の片手間でする話ではない。 「真実は添い寝しないと寝られないんだぞ。離乳したばかりなんだぞ。俺にはおっぱいはないんだっ!」 車内に叫びの残響。 杏樹と木蓮の視線が微妙に斜め下を向く。 40男におっぱいがないことを宣言されるいたたまれなさ。 これで性的な象徴としてならともかく、子供を慰撫する本来の機能の有無についてという、きわめてまっとうな内容のため、そんなこと言うな。と、止めることもできない。 育児参加とは、大の男がおっぱいがないことを本気で悔しがる側面を持っているのだ。 「最終兵器もないのに立ち向かえと言うのか。いや、そもそも俺に武器はない。丸腰だ。完全に新兵だ。こんな怖い思いは革醒したとき以来だ」 そう。彼女が気がついていないはずがない。 上田(旧姓)緑子。理論より実践。取り説は困ってから開くタイプの厳しい女である。 「お前。緑子にぬるく笑われることほど自分の無力さを感じる時はないんだぞ」 「上手く銃器を扱える様にするには、扱い方を叩き込んで訓練させるしかない。女は、それを成したのだろうか?」 「龍治。人の奥さん、『女』 とか言っちゃだめだ」 木蓮の突っ込み。 「え、あ。ああ」 すまんと言う龍治に、いやと真太郎が応じた。 「俺も同じようなことを注意されるから気にしないで欲しい」 俺が来た道、君が行く道。 「緑子がやっているのは見ている。何度かやらされてはいる。寝かしつけはまったく初体験ではない」 さすがの緑子も演習なしで放り出しはしなかったか。とはいえ、それは娘のためだろう。 「ただ、緑子がいないのが初めてなだけだ」 そこにいるだけの安心感。 「怖いのは、分からないからか?」 杏樹は、孤児院の子供達を思い出す。 「子供が夜泣くのは昼寝のし過ぎや、怖いのもあるそうだ。眠りに落ちる間際。意識が遠のく感覚に死を感じて」 体が壊されて、気力も尽き果て、もうだめだと思う瞬間。 恩寵がまだ生かしてくれるだろうか。と。あるいは、目が覚めたら化け物に堕ちているのではないかと、目を開いたら、仲間が自分に武器を向けていたら、どうしよう。と。 「真太郎にも覚えのある感覚じゃないか?」 それはリベリスタにとってすぐそこにある未来だ。 「生きるために必死なんだ。抱っこして安心させてやれ」 「もちろん、泣き喚く真実を抱いたまま夜明けを迎える覚悟は出来てる。しかし。それを緑子に知られるのはいやなんだ」 木蓮は、「なんで」とたずねた。 「見栄張るなよ」 父親がこの時期の母親にかなわないのは仕方ないんだから。 「――あいつは、仕事が好きなんだ。ああ見えて、人に尽くすのが好きなんだ」 フェイト枯渇させる程度に。 「だから、なるたけ仕事をさせてやりたい。安心して、作戦に送り出してやりたい」 そう、実戦に出ることも、むげにとめることはしないでやりたい。 「そのためには、俺が真実をちゃんと世話してやらなくちゃならないんだ」 万が一に備えて。 いつでも帰ってこられるとは限らないから。 「なのに、俺は高々一晩に怯えている。だめな父親だ」 革醒して以来、緑子がいない夜など越えたことはないというのに。 「こんなことで、俺は真実を、緑子を幸せに出来るのか」 不安なのだ。愛を行為で返せない。 とても不器用な自分が情けないのだ。 「笑うことを忘れるな」 杏樹は言った。 「笑顔を見ると安心するんだ。愛されてる、って。ちゃんと二人を愛してるのはわかった。難しいことを考えるな。笑え」 「案ずるより産むが易し。大丈夫。誰だって、経験を積んで親は親になるんだから」 杏樹さんの言うとおりですよ。と、永はエンジンをかけ直した。 「人間その気になれば、戦争してても入植してても頑張れます。貴方々、懸命に子育てしておられるではありませんか。……それに、三高平ですよ? リベリスタも保育士の方々も猛者揃いです」 永は、ぽんぽんと孫の中でも若い方と同じくらいの新太郎の頭を叩いた。 「泣いてる子供抱っこして、センタービルまで走ってらっしゃいませ」 ● 車は滑らかに走り出死、程なく三高平市内に入った。 「とはいえ、それは恥ずかしすぎるだろうからな!」 木蓮のうちは、本田宅とそんなに離れていない。 「ほら、前に緑子にしか渡してなかったけど、携帯番号を渡しとくから。どうしても無理って時は逃げ道として使う事も考えてくれ」 スターサジタリーの驚異的狙撃力で、真太郎の幻想纏の赤外線ポートは木蓮のデータに打ち抜かれた。 アドレス帳には、呼び出しコードという弾痕が残っているだろう 「まだ友人、と言えるほどの付き合いはないけど、話しならいつでも聞くから」 杏樹からの追撃。 「無理だ、って思ったら相談すること。緑子に甘えすぎないこと」 分かった。と、真太郎は神妙な顔をしている。 今日、真太郎がするはずだった事務手続きは全て助っ人が引き受けることが決定していた。 真太郎はこのまま直帰だ。 ここで、お別れになる。 「緑子が帰ったら労ってやれな。ありがとう、とか、愛してる、その一言で喜ぶと思う」 「え、だって。そんな――」 素直に言えない、昭和の犬。 「緑子に甘えるなと言ったろう。何にも言わないでいいと思ってるなら、それは甘えだ」 杏樹は、新太郎の鼻先に指を突きつけた。 「――熊を忘れるな」 アークの介入がなければ、あそこで二人は死んでいた。 真実は生まれなかったのだから。 ● 時間はぎりぎり間に合った。 窓越しに見える、保育士に抱かれた真実はきゃらきゃらと笑っている。 どちらかといえば、真太郎に似ていた。 「泣かれたら真っ先におむつと空腹の確認、何もないなら泣きやむまで傍に居てやるだけでいいんだ。気負いすぎるなよ、お父さん!」 木蓮は努めて明るく言う。 あたふたと昇降口に走っていく真太郎の背中を見ながら、龍治はため息をついた。 「……妙に気疲れしたな」 (木蓮が望むのは、この2人の様な関係だという事は、分かっている。分かっているが、俺にそれを作れるかは……) 「……威厳たっぷりの父親なんて、すぐにゃ無理だよなぁ」 木蓮の呟きに、龍治はぎょっとして尻尾を太くする。 「でも母親だってそうなんだ。緑子はスッゲ頑張ってると思う。真太郎もちょっとずつでもいいから娘と向き合って、本当の意味で父親になっていけるといいな!」 保育士からの申し送りにいちいち頷いている真太郎を見ながら言う木蓮。 「そうだな」 今はそう返すのが龍治の精一杯だったが、このまま二人でいればそれ以上の答えを出せる日が来るかもしれないとも思った。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|