●「さよなら」の挨拶は言わずに。 「にゃ、にゃ、にゃにゃーんと!」 響いたのは『猫撫で声』。艶やかに煌く墨染の長髪が見る者を魅了するが如く妖艶に揺れる。 「そうかそうか……二人同時に死ぬにゃんて方法もあったやん。おもろいなー、うん。純愛やねえ」 やんやん。その顔は神が彫刻したかの様に整っていて、端麗である。白く透き通った肌に、けれど頬は僅かに上気した様に薄らと朱色に染まっていて、尚、可憐だった。鮮やかに、けれど舞う桜の様に儚く添えられた唇は独特の方言を紡いで、口角を上げた。その切れ長の目がまるで三日月の様に歪む。 「めもめも。制限時間が来る前に、両者とも拳銃で打ち合って死ぬ、にゃ。良いデータやったにゃあ、あんたら。『ヴァリアント』きゅんも本望やったろうにゃあ」 視線を切る。切り替えは終わった。『彼』は次の観測について考え始める。 すらと伸ばされた彼の腕。真白いシャツのその袖からちらと覗く細い左手首が扇情的に。 駁儀の名を持つそのフィクサードは部屋を出た。ディスプレイの輝く、人工的な淡い光だけに照らされていた横顔が、不意に輝かしい自然光の元に晒された。陽射しは強く、駁儀は思わず手を翳す。細めた目の先には赤い掌があった。いつか、そんな歌があったなあ――。 じめじめとした湿度の高い天気。インターネットのニュースで見た天気予報では今夏最高気温が待っているらしい。かんかんかんと金属製の階段を下りて、混凝土で舗装された歩道へと出る。既に彼の首元には軽い発汗が見られる。腰にまで至るかと思われる長い髪筋が、その一部を湿らせた。形の良い耳に張り付くようなその黒い曲線が白いキャンバスに浮かび上がって、唾を飲み込むほどに魅惑的である。 けれど彼は真白い長袖のシャツに、直黒い長丈のパンツ。剰え、そのシャツの上にオレンジ色をした薄手のカーディガンまで羽織りながら、右手には黒い手袋までする始末。季節違いも甚だしいが、表情だけは涼やかだった。 駁儀の手元に在った『ヴァリアント』は先日の投与で切れてしまった。『液体状』のアーティファクトである『ヴァリアント』は、駁儀の共同研究相手の成果であった。向こうに合成してもらったソレを駁儀が受け取る。その後の使用方法については駁儀に一任されている。彼には化学的な知識はあまりなかったから、それがどういう手順で合成された『神秘』なのか知らなかったが、大した問題ではなかった。 たまに渡される『ヴァリアント』は毛色の違うモノもあって、それは恐らく向こうの知的好奇心の結果であろうと駁儀は理解していた。細胞、マウス、犬、サル、人。フェーズ1、2、3。と果てしなく続く正式な実験に相手は飽き飽きしていたし、早く結果を欲しがっていた。駁儀からすれば、そのアーティファクトを使った時の人間模様にとかく興味があったから、互いの利害が一致した。 みんみんみん。と蝉が無く。ノイズの様な音階は意識しなければ風景と同化しているが、一度意識してしまうと駄目だ。昔から続く木造の駄菓子屋の前を通り過ぎる時も、その音色だけが耳についた。 「うーん。暑いにゃ……」 表情は裏腹である。何でもない顔をしながら駁儀は呟くと、近くの自販機に小銭を入れた。手袋をしていない白い左手が艶かしく百円玉と五十円玉を掬い上げた。今度は逆に、黒い手袋を顎に当てて、再度「うーん」と思案げに首を傾げる。つられて、艶やかな髪が揺れた。 『ヴァリアント』というアーティファクトには、共鳴効果がある。『ヴァリアント』は――俄かに信じがたいことに――互いを意識しあっているようだった。『ヴァリアント』を摂取した二名の人間は、投与後の深夜零時きっかりに息絶える。けれど、その二名の内の片方が息絶えると、もう片方の体内にあった『ヴァリアント』も死に、一人は生き永らえる。問題は三名以上に同時に投与した場合であった。この場合の挙動は極めて不安定であり、共同研究相手としても、もちろん駁儀としても不本意な結果しか得られていない。同様に、一名だけに投与した場合の結果も安定していない。 かしゅと音が鳴った。メロンソーダ味の飲料。缶の飲み口を開ける細い指が官能的に、そして銀色のその飲み口につけられた桃色の唇が、こくこくと脈動する喉が、艶然と映る。その所作の一々が、色香を纏わしていた。 しかしながら、そのあたりは向こうの研究領域であり、駁儀の関与するところではない。 何時も通りにそのナスフラスコを受け取って、駁儀は帰路につく。駁儀にとって、化学といえば三角フラスコ・ビーカー・試験管が三大化学器具であったのが、専門的にその手の実験をするモノにとってはこの丸底をしたナス型フラスコが定番らしかった。円柱になった口のところを掴んで、ふるふると揺らしてみる。五十ミリリットル程充填された鮮やかな勿忘草色の液体が中で跳ねた。 じじじと蝉が鳴く。煩わしい音階が背後に残って、駁儀は瞼を閉じた。 ●幼馴染たち。 「雨水くーん、人、貸してにゃ」 久方振りの電話の相手は意外な人物で、意外な内容。 「なんだ、駁儀……、君、生きていたの」 「にゃにを。失礼やん」 やんやん。駁儀が独特の抗議を示す。何も知らない人が聞けば一日中でも聞いていたいであろう鈴の様な声だが、しかし、雨水と呼ばれたフィクサードは気にも留めない。凡そ十年ぶりの会話だというのに、その時間を感じさせない距離感だった。……互いに。 「人なら貸せるけど」 その代わり、君は何を僕に与えるのか? 彼はその続きを言葉にしなかったが、駁儀にはきちんとそこまで聞こえてた。 「水くせーやん。ボクら、求めるもんは大体一緒だったやろ? ――見せてやるにゃ。『葛藤ある死』を」 電話越しの雨水の口元が歪んだ。このいけ好かない男は、そういう面では彼の一番の理解者だった。 駁儀というフィクサードは、人間と言うものを信じていない。彼は自身をフィクサードであるともリベリスタであるとも思っていない。ただ社会的な定義が彼をフィクサード足らしめている。駁儀は自身を『形而上学者』と自認している。何故、革醒者が居るのか。革醒者は何処へ向かうのか。何が正解なのか。その謎に『本能に従って』向き合っている。 つまり、駁儀は『ヴァリアント』を使うことで、まずは人の在り方を考えていた。究極の選択肢を与えられた上で、ヒトはどう行動するか? その目的に『ヴァリアント』は最適なツールであった。無論、それを供給する者が何を目的としているかは知らないが。 「なら……」 一方、雨水も似た目的を持つフィクサードである。彼の場合は、自らの出生――望まれ、そして忌避された出生――によって与えられた心的外傷に根差した、病的な終末論者であり、かつ、そこに希望的観測を求める。そういう意味で彼は大人に成りきれない餓鬼であるが、彼は人の死にその意味を見出す。彼はもっと――色んな死に際に接したいと願っていた。 「僕も行こう」 久しぶりの再会と行こうか。 「しかし、そんな代物は一体何処で手に入れたの?」 「それは企業秘密にゃー」 「……」 いけ好かない。狸め。……いや。 雨水は電話を切った。 ――猫か。 ●其々の思惑。 「私が死ぬ」 「いや、僕が死ぬ」 と主張する恋人同士。 「貴方は生きて」 「……」 強い意志で語る母と、泣きそうな少年。 「お前が死ね!」 「俺は死にたくない!」 互いを罵り合う友人たち。 「先生、ここは私が」 「若い人が、死に急ぐことは無いよ」 互いに慮る子弟。 「……」 「……」 疑心暗鬼に押し黙る、二人の見ず知らずの他人。 ●ブリーフィング 「次は必ず仕留める」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が彼女にしては珍しく語気荒く言った。 「今回の敵『駁儀』、『雨水』は両名ともに『アーク』との交戦経験のある難敵。前者は保有するアーティファクト『ヴァリアント』を使用した『嫌がらせ』と人の心に付け込む話術、後者は組織的行動を行いながら――その組織についてはまだ尻尾が掴めていないのだけれど――太刀型アーティファクト『観測者はかく語りき』を使用した高い戦闘力を活かした戦闘が報告されているわ。この両者が繋がっているとは思っていなかったのだけれど。状況としては……、前回に『アーク』と駁儀が交戦した時と似ている」 映し出されたのは、静まり返った港。倉庫が連なるその一帯のある貨物庫。 「『ヴァリアント』の使用を防げなかったのが悔やまれるけど、今回もその使用を許してしまった。だけれど、前回とは違って、今回は敵の動きは見えている」 映し出されたのは前回の報告書の一部。誰かが息を呑むほど、駁儀と呼ばれるそのフィクサードの顔は整っていた。 「ただし、状況は更に厳しくなっている。今回、フィクサードによって一般市民十名が捕縛されている。まあ、『拉致』というよりは……色々と思うところのある彼等の心に付け入って、『ヴァリアント』を飲まざるを得ない状況に運んだ可能性が高いわ」 捕らえらている十名の一般市民が映し出される。恋人同士、親子同士、友人同士、師弟同士、赤の他人同士……、『嫌らしい』人選に違いなかった。 スライドが切り替わって、青い液体が映し出される。 「肉体に同化した『ヴァリアント』は作戦予定日の深夜零時丁度、投与された一般市民の命を奪い、自らもこの世を消え去る。これには『共鳴効果』と呼ばれるものがあることが判明していて、二人セットで投与することでその効果を二名の間で共鳴できるようね。その効果の為に、共鳴する片方が息絶えると、もう片方は助かる、ということも分かっている。神秘の力で彼らの命を奪われる事態は出来るだけ避けたい。――その結果、半分の命を失おうとも」 二人共失うか、一人を失うか。放っておけば、十名全て死ぬことになる。 リベリスタらは、その判断を数にして五回。下さなければならない。 「以前の会敵では、駁儀の動きについて良く分かっていなかった。今回は違う。彼らが元凶である以上、次こそは」 捕らえる。最悪の場合は、撃破する。 「この資料によると」 リベリスタが挙手した。 「駁儀とかいうフィクサードはそこまで戦闘面で秀でていないようだが、そこの所は」 「ええ。ただし、以前の交戦から力をつけている可能性はあるから、油断は出来ない。そのあたりはむしろ、雨水について注意するべきでしょう」 ブービートラップ、奇襲、仲間殺し。無害な顔だが、やる事はフィクサード然としている。 「今回も雨水の手には気をつけて。そして」 貴方たちの『選択』は私の『選択』。 罪は私も背負うわ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月05日(水)22:44 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 「いやあ、駁儀、君は本当に顔が広いね。こんな面白い玩具があるのなら、僕にもすこし分けてくれないか?」 「にゃにを。ボクが『この関係』になるまでどれだけ苦労したと思ってるにゃ。やらんやらん」 「ケチだねえ。……それで、君の方はどうかな、『研究』は。順調?」 「全く順調じゃにゃい。いやー、やっぱり人間は深いやん。そっちは?」 「同様。お互い目指すところは同じなのに、手法は大分異なるみたいだ。その上、どちらも辿りつけていない」 「やんやん。うー、道はなげえにゃあ」 「時間はあるだろう? 余りある時間が、僕たち革醒者には、さ」 「いや、そうでもねーよ」 「うん?」 「雨水くんの眼が、無いように」 「……」 「ボクの左腕が、無いように」 「……」 「抑止力が、働いているにゃ」 「……」 「雨水くんは、どう思うにゃ? 今夜あいつらは……来るかにゃ?」 「分からない。が、用心するに越したことはない。彼らはクレバーだ。日本におけるリベリスタ集団の頂点に立つだけの器も能力もある」 「褒めるにゃー。ボクは群れるってのが苦手にゃもんやから、まあ、手数の面では羨ましい限りにゃ」 「僕もね。あれだけ優秀な手足があれば、こんなところで燻ってないよ」 「まあ、面倒なことになる前にさっさと済ませるにゃ。さあ、『実験』の始まりにゃ」 ● 蒼い月が闇夜を照らす海辺。潮の匂いが何処か懐かしく、何処か物悲しく鼻腔を擽る。眠りについた港は、静かに寄せては返す波を受け止めている。 そんな中、たった一つだけ、明かりを外に漏らす倉庫。最後の選択を強要する審判の地が展開されている。 フィクサード駁儀、雨水。その何れとも交戦経験を有する『アーク』から派遣された十名のリベリスタが組み立てる作戦は緻密で繊細だ。たった一度の会敵から導き出す解が多彩で的確である。彼らが有する能力の全てを動員した索敵は非の打ち所が無い。 『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)と『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の熱感知は周囲の熱運動を正しく捉える。極微の世界が齎す揺らぎの結果を巨視的なエネルギーとして解釈する両者の肌は、肌寒い寒空の下、倉庫外に配置する敵の存在を否定している。『人間の形をしたアクマ』<フィクサード>も『獣のを形をしたアクマ』<エリューションビースト>も少なくとも周囲には居ないらしい。彩歌の実際的に硝子細工の如く美しい瞳がサングラス越しに『月奏』ルナ・グランツ(BNE004339)を見つめた。ルナもそれに頷く。 熱は正しく物理現象であるから、残滓がある。観測もできれば、操作もできる。一転、ルナが捕捉するのは物理現象ではない。『感情』は脳内に於ける電子移動の結果なのだろうが、それ自体は何者でもない。だから取り残された感情というのは飛び抜けて孤独だ。歓喜であろうと悲観であろうと、何者にも掬われず、何者にも理解されない。そんな存在を、白銀の髪に青い瞳を持つ可憐な容姿で受け止めるのがルナの持つ異能。ラ・ル・カーナより出る彼女の心奥を、ボトムの想念が揺らす。 ―――諦観と探信(たんしん)。具体化すれば、溜息と目を輝かせた子供。ルナの脳裏に事象が立ち上がる。それは何時かの過去形であった。ルナは顳(こめ)かみに人差し指を突き立てて、『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)へと首を傾げた。 神事服に身を包み仏僧の様な風体の彼は、けれど信仰心を持たない。ただ、義を秘めている。それは自分を産み落としたこの世界に対する義である。そんな彼の眼も異能の眼である。十名もの精鋭リベリスタらによる包囲網は刻一刻と完成へと近づいていく。彼の眼は……その中を見遣る。 積み上げられたコンテナ。じじと光る照明。さらにその奥。 二人一組といった感じで佇む十名の人間と、その少し離れた所にいる、黒一色の男。 ● 丁度、正面入口の正反対。つまりは、裏側の壁から侵入すれば、最短距離で一般市民らのもとへと向かうことが出来る位置取りであった。今回の依頼は敵の撃破というよりも、その救出に焦点があてられているのだから、そうであれば思っていたよりかは仕事になるかもしれない……。そんなフツの淡い期待は、次に、其処からリベリスタらが侵入する際に抵抗となる様なものへの索敵と映った彼の眼が、『彼の眼』と逢ってしまって、すぐに頭から消えた。その異能の眼を持つのは、リベリスタだけではない。『そらせん』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)が敵側の探索・探知スキルを危惧していたのは、全く正しい。倉庫外に人員を配置していない敵が、倉庫内から索敵できる機構を兼ね備えているであろう、というのは非常に合理的な推論である。ソラのその言を受けていたフツは、急速に視界を『こちら』と戻した。彼は髪のない頭を無意識に右手で撫でると、 「奴さん、こっちが『見えている』みたいだな」 と言った。静かな夜港の空気に滑らかに乗った言葉は、AFを通じなくたってリベリスタらの耳小骨を揺らす。 そうであるならば、時間上の問題が更に色濃く浮上する。『ヴァリアント』に侵された一般市民が死んでしまう前に。神秘の審判を受けてしまう前に彼らを奪還する必要がある上に、踏み込むタイミングも咄嗟に判断しなければならない。今、此処で。今、この時に。 「壁をぶち抜いて行こう。それが最短距離なのだろう?」 『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)が玲瓏な声で発した。 「ああ。オレが『見た』限り、正面からと背後急襲とじゃ大分距離的な差があるな」 フツの言葉にユーヌは軽く頷いた。 「時間は無い。敵に態勢を与える前に、壁をぶち抜いて、私の『影人』を遣ろう」 「賛成だ」 直様に『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)も同意した。リスクは出来るだけ避けるべきであるし、その様に行動してきた。リベリスタとして取れる最善手を取っているといっても間違いではない。しかし、其処が敵の支配下である以上、一定のリスクは避けられない。そして、必要以上のリスク回避がむしろ作戦を失敗に導くことを、彼は知っている。何より、それによってもしも一般市民救出が間に合わないだなんて事態に陥った時、彼はきっと激怒する。そんなことになるくらいなら。自分の身が傷つく方がずっと良い。身体の痛みは時間と共に癒えるけれど、精神の痛みは一生その身を苛む。 快がその壁の破壊と、影人を遣った後の先頭を申し出て、他のリベリスタらも頷いた。 彼の正しく『盾』としての存在感は『アーク』でも随一と言って良いだろう。 『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)もその支援を最大限に行う。彼女は以前、此の度の敵に辛酸を嘗めさせられたその一人である。小夜香は覚えている。天から降ってきた、雨水のその眼を。 突入後、『足らずの』晦 烏(BNE002858)のフラッシュバンによる攪乱と、エネミースキャンによる分析がその後の大まかな方向性となる。誤射などあってはたまったものではないし、何より、あの『ヴァリアント』について何か分かれば僥倖である。烏も今回のフィクサードとは交戦経験があった。 「にゃんこ先生はまた、面倒くさい仕事を拵えてくれやがるなぁ」 ―――易に太極あり、これ両義を生ず。 「……果たして、両義足るを人が測れるものかな」 快が構える。目の前には灰色の壁だ。その先に……彼らが居る。 『Type:Fafnir』紅涙・いりす(BNE004136)の眼が虚ろにその先を見つめる。 気に入らんね。 何もかんもが気に入らない。 ● 轟音と共に快が切り込むのと、ユーヌの放つ影人がその内部へと滑り込むのはほぼ同時だった。爆炎が周りを包むのと同時に、あちこちで声があがった。 フィクサードはフィクサードで、こちら側の動きがある程度読めていたであろうことはフツの眼が教えてくれた。だからこれは分が悪い選択の様にも見えるが、それは一概にこの場で判断できることではないだろう。例え正面から向かったところで、それだってある程度見えているに違いないのなら、こちらの方が敵に与える猶予が少なくて済む。視えていたとて、その対処までの時間が無ければ、態勢は瓦解する。 とはいえ、フィクサードが反撃しない訳もない。影人に混乱したフィクサードは―――そしてそれは手下のフィクサードであろうが―――その爆炎へと魔弾を打ち込む。スターサジタリー、あるいはマグメイガスを擁しているのであろう、フィクサードの乱雑な攻撃を快が一身に受けた。受けたが――こんなものか。 『彼』ならこんなものじゃない。雨水なら……、あの凄絶な剣戟を、快も覚えている。 流れるような身のこなしで黒いスーツに身を包んだ烏が疾(はし)る。爆炎に紛れ、銃撃を避け。直後、閃光。烏によるその陽動で、快を狙っていた攻撃も一瞬止んだ。その隙に、他のリベリスタらも内部へと侵入する。 「ホントに来るとは思ってなかった」 一見しただけでは肉眼と何ら変わりの無い、雨水の顔に埋め込まれた義眼が、舐めつけるようにリベリスタらを一望する。その人工の眼に浮かぶのは紛れもない感情。何処から沸いたのか感情。 見知った顔も居るな、と雨水は呟いた。 「こちらもね、戦闘狂では無いのだけれど、そちら<索敵>の面では有用な面子を連れてきては居るんだ。でもまあ、そちら<リベリスタ>さんほど優秀ではなかったということでね。……君たち相手だと、どうも読みが狂う」 終末論者がそこに居る。積み上げられたコンテナの上。見下ろすように其処に腰を下ろす観測者が、そこに居る。 小夜香によって齎される支援はただ『癒す』のみではない。無論、回復手としては上位の能力者である彼女であるが、今は見方に機動性をも与えている。だから、その付与を活かし、まず駆けたのは、快だった。 「――自分勝手な絶望に」 ぶらんとその脚を揺らす雨水目掛けて、 「他人を巻き込むな―――!」 快の目が眼が『道を開けろ』と命じる。正しく正義、正しくリベリスタ。己が欲望の為に他所を喰らう悪<フィクサード>を彼はゆるさない。だから、その眼が――全ての幻想を殺す。 「うん?」 と曇った雨水の顔。きいんと響いたのは刃と刃の音色。ナイフと太刀では性能に大きな違いがあるが、鞘から半身抜かれた太刀<観測者はかく語りき>と蛇の刻印を受けた担当は混ざり合うかのように交わった。快の目を、雨水の義眼が興味深そうに覗き込んだ。 「いい目だ……!」 君の死に様、覗かせて貰うよ――。 ● 「さて、遊ぼうか」 児戯に等しい。何もかもが下らない。 謗りを含んだユーヌの声に、フィクサードだけでなく、Eビーストもが嘶いた。そう、彼らの本能に火をつけたのは、その美しい合理主義者の嘲り。そしてそれは、彼女の狙い通り。 突如として少女に群がるその様相はまるで地獄絵図の様であるが、強(あなが)ち間違いでもない。それを、奴ら<敵>にとっての地獄と定義するのなら、違えようもなく、それは地獄であろう。 フィクサード五名、Eビースト六体が一斉に襲いかかるのを、ユーヌの自在とする拳銃が牽制し――いりすの放つ漆黒が蹴散らす。 「気に入らないから、全部まとめてぶっ潰そう」 それは無銘の太刀。されど、無銘の太刀。 群がる時は一見、手強そうに見える。勿論、数の力は存在する。しかし、今のこの時、それはむしろディスアドバンテージになる。涼しげに打ち込むユーヌに集う彼らはいりすに蹴散らされ。そして、その後ろから、ルナの名のもとに解放される火炎弾に打ちのめされる。ルナの攻撃は敵勢力に向けられていたが、意識はむしろそちらには無かった。彼女の視線は、救出対象を見ている。 ソラは侵入直後から捕らえられた一般市民のもとへと駆けていた。 (本当にシュミの悪い敵ね―――) その瞳は快との光線に入った雨水の姿を認めている。なる程、一見すれば無害としか言い様が無い姿ではあるけれど、その中に渦巻く憎悪を遠目から見て取れた。ただし、今回のそれは『彼』のシュミではない。一層、性質(たち)が悪い――だから現在、ユーヌの引きつけきれなかった分の敵をブロックする鷲祐は、ずっとその『温度』を探している。 「ちょいとどいてくれるかい」 烏の掃射は一般市民の彼らを背に、フィクサードたちを襲う。その射撃は一般市民らへの跳弾をも気に掛けた繊細なものであった。ソラと彩歌は要救助者らに駆け寄った。 「私たちは貴方方の味方ですよ」 酷く狼狽したかの様子の彼らに声を掛ける。きっかり十名、まだ生きている。助けたこの十名の内、半数は自分たちが殺す。いや、リベリスタが殺すのではない。それは最後の接触がリベリスタであるから恨まれるのはリベリスタであろう。しかし、その一般市民を殺すのは、間違いなく『ヴァリアント』なのである。恨むべきは『ヴァリアント』なのである。 あとは、この十名を外に連れ出せば良い。最短経路を、壁をぶち破ることで、リベリスタは非常に効率良く任務を遂行している。敵の構成は彩歌の言うところの『嫌なライン』には違いないが、こんなものか。呆気ない。……とは、その彩歌にも思えなかった。なにせ、 (まだ、『彼』の姿が見えていない) フツの眼はまだ彼の姿を捉えてはいない。その事実が気味悪さだけを残していた。彼には――駁儀――には戦況を引っくり返す程の戦闘力を有さないであろう。だから。 「立って走れ!」 鷲祐が声を上げる。けれど、その薄気味悪さは飲み込まねばならない。 体を張って自分たちの前に立つリベリスタらを、捕らえられていた一般市民たちは戸惑いながらも『信用』した。体は震えて、悲壮感に打ちのめされ、憎悪に支配されている。その身体を叱咤するのは、鷲祐の言葉。余計な言葉は彼らを一層混乱させる。すべきことは、今この時の答えは、それだけだ。 もしも彼らが傷ついていたのであれば、現在、雨水と交戦中の快を援護している小夜香をこちらへと呼ぶ必要もあったが、それには及ばない様である。 フィクサードが五名、Eビースト四体がその行く手を阻む。それらを罰する一条の雷は、ソラが魔術教本を開けば、ソラが口ずさめば、具現化する。ふわりと浮いたムラサキ色の髪一房は逃れゆく一行を援護する。フツと鷲祐が前で、ソラと彩歌、そして烏が後ろから。それぞれ、要救助者を囲むかのように位置取り、リベリスタらが侵入してきた経路を辿るかの様に移動を始める。 「―――?」 だから、彩歌がその違和感に気が付いたのは、彼女なりの危惧の所為だった。彩歌の脳裏にこびり着くのは、仲間を、リベリスタの最後を汚した忌まわしいあの策略。実験対象を傷つけるのはあちらとて本意ではないであろうが、何時だって保険は必要だ。そして、あの手の人間<雨水>は、そういう保険を好むことを、彩歌は知っていた。 「貴方、与えられたのは『ヴァリアント』だけなのかな?」 「……『ヴァリアント』?」 「ああ、えっと、青い液体。飲まされたのか、注射されたのかは分からないけれど、それだけ?」 「はい、あ、いや、飲まされて、それから、」 飲まされた、と言った。近くで散弾銃を構える烏はその言葉を聞き逃さなかった。そして、彩歌はその不吉な語尾に、思わず彼女<要救助者>の顔を見た。 「それから……、何か、小さな機械みたいなものを」 渡されたような。ポケットにそれをしまって、 「っ!」 聞いた瞬間、彩歌は集中した。十名の要救助者たちは厚着をしていない。『小物』を仕舞うには、場所が少ない。咄嗟にフツの名を呼び、千里眼を要求する。十名中――四名だけが所持する、携帯端末とは違うその『機械』とやら。その場所を明確に意識してから、彩歌はその回路を焼いた。それが単なる爆薬<化合物>であればそうもいかないが、機械仕掛けならば。 ● 「なんだ、その手はもう効かないのか」 雨水の愉しげな声が響いた。嫌な声だった。 悪戯がバレてしまったかの様な子供の無垢さ――だからこそ嫌な声だった。 対峙する快と小夜香は、どちらも、雨水討伐の作戦に参加した経験を有している。そんな二人からすると、この雨水は、『あの時』ほどの凶悪性を見せていなかった。 (死体の数、か) 快の脳裏に浮かんだのはその状況設定である。あの時は、夥しいほどの死体が充満していた。比べるまでもなく、今回の戦況では、彼にとってのその『リソース』は少ない。手練ではあるけれども――、無敵では決してない。 咆哮しながら快がナイフを振るう。体心をずらしそれを避けた雨水は、返し刀に、下段からの振り上げ。風を割く音が快の耳元を過ぎていって、その振りの鋭利さを意識する。意識して、次の瞬間、 「……!」 出血。快の体から血飛沫があがる。致命傷ではない。 「ん」 それでもなお止まらない快の姿に、雨水はぴくりと眉を動かした。が、すぐに次の動作へ映る。――快の目は沈まず、なお、腕を振るっていた。 それはまさに彼の為に用意された技術であろう。正しくリベリスタである彼が振るう、正しくリベリスタの技。凡ゆる悪を拒絶する――神に代行する罰の具現化。十字に切り結ぶ、最高の神気。 それを支えるのは、快の鍛え上げられたその身体能力と、 「また、お前か――」 優れた回復手としてここに派遣された――あの時も雨水にとって極めて邪魔だったその女<小夜香>。 まずは横一閃。電撃のような刃筋が太刀を殴る。 縦に二閃。電撃のような刃筋が、雨水を殴る。 呻いて、雨水は仕方なく後退した。その一撃は、極めて重い一撃だった。その技の中でも、会心の一撃だったに違いない、と雨水は感じた。 ちらりと視線を移せば、ユーヌ、いりす、ルナに防がれた仲間たちが五体と六匹。けれど。 「さあ、今回はどれほど死ぬのかな」 ユーヌがその頭を潰した。 いりすがその腹を斬った。 ルナがその体躯を焼いた。 手数が減るほど、雨水は滾(たぎ)る。 「ダメだよ。僕の前で『殺し』をしたら―――」 口の端を歪める。雨水は狂気に満たされていく。 「葛藤ある死が見たいのなら」 快はその狂気を認めない。絶対にここは通さない。 「自分が死んでみればいい!」 ● ぱりんと。 何かが割れた。 ぱりん、ぱりん、ぱりんと。 続けて割れた。 「何―――」 ソラが怪訝そうに音の源を――上方を見遣る。 そして、見上げなくてもすぐに分かった。一つ、二つと。――照明が、消えていく。 室内に闇が忍び込んでくる。 何か『悪いもの』が――のたうち回っている。 倉庫内が次第に黒色に染まっていく。それは原始の色だった。人がまだ文明を築き上げていないころの、本当の色。革醒者は常人とは比べ物にならない身体能力を有しているから、暗闇であろうと全くもって『見えない』ということはないだろう。そして、だからといって、通常通りのパフォーマンスというわけにもいかないであろう。暗視を有しているのなら兎も角、そうでないのであれば、諸動作に一定の補正を免れない。 突如として全体を覆ったその異常な状況においてフツの目は万全である。闇を凝らす眼に、千里を見通す超常の眼があるのだから、彼にとっては何らデメリットはない。そして、その目が、 「なんか匂う」 いりすの言葉を受けて―――其処を視た。 「ああ、なるほど」 ブロックしていた一体のEビーストを槍で貫きながら、フツは合点がいった。 「あんたが『猫』か」 その言葉を聞いて走り出したのは鷲祐だった。彼には都合の良い目は無かったから、それは五感での感触になる。けれど、 「俺の相棒が教えてくれたぞ―――」 いりすとフツが齎した情報で大まかな位置は掴めた。なら、あとは手繰り寄せるだけ。 『アーク』の中でも突出した速さ。そして、小夜香によって与えられている機動性。 コンテナを抜けたその先。そこに、 「にゃんと」 猫が、居た。 ● 「学者様には実践が必要だろう?」 人間の行動は全て『電子移動』の結果に過ぎない。況(いわん)や、動作も知覚も認識も。 そうであるならば、彼の身体を文字通り支配する結果としての電気信号をさえ制御してしまえば。 ―――人智を超えて、魔道へと至る。鷲祐の身体は究極の速さへと至る――! 「恨みは無い。が」 響いたのは鷲祐の叫び声。物事は何事も根性だけでうまくいくものでも無いが、自然に発せられた気合。 「命の権利に踏み込むのは嫌いだ――!」 突如、閃光が飛び散った。照らしたのは鷲祐と駁儀の顔。そうしてやはり暗闇に戻った時、駁儀の肉はあちこちを絶たれていた。思わず彼も苦笑いする。 「てめーら、一々、規格外にゃ。あぶねー」 やんやん。然れどこの猫もただの猫ではない。その無数の斬撃は極めて強力ではあったが、駁儀の体も独特の能力で強化されている。戦闘面に突出しないクリミナルスタア。鷲祐とは対照的に、暗闇を見通すその眼を持った駁儀は左手<生身の方>で適度にグリップを握った彼の顳かみを精確に捉える。 だん、と一発。鷲祐とてそれを真面に受ける訳もないが、その弾道は確かに彼を貫いた。 「にゃは」 駁儀はそのまま駆ける。照明が落ちても要救助者を退避させるための戦いは各所で続いてる。敵フィクサード、Eビーストはその半数以上がリベリスタらによってすでに撃破されているが、 「っ!」 走りながら駁儀は打ち込む。『実験対象』の最後を奪う彼らに。 「あともうちょい後やったらなあ」 だん、だん、だんと。闇夜に紛れて潜り込む。 「残った奴はタダでくれてやったにゃ。戦わんでもな」 ただし、『残っていたら』の話。 「雨水くん!」 リベリスタの中にも夜目が利く者は居る。濃くなった匂いにつられ、いりすが太刀を振るうが寸での所で駁儀がそれを避ける。牽制のように打ち放った弾丸はきんと金属音を残しいりすの太刀に防がれ、そんな中で駁儀は一際大きく雨水の名を呼んだ。 一般市民十名を囲うように位置するリベリスタ、そして其処から本の少し離れるようにして敵を引きつけているユーヌとルナ、また其処から離れるようにして雨水を抑える快と小夜香が位置していた。快の目は敵の作り上げた幻像を見事に打ち破ったが、暗さによる視界の影響は除去出来ない。加えて――人とエリューションが、死にすぎていた。 「行かせるか!」 と言った快ではあったが、雨水の攻撃に思わずブロックが外れ、雨水はその脇を駆けた。小夜香も何とか踏み止まろうとするが、接近した攻撃戦ではどうしても彼女には分が無い。この状況を想定していた雨水は、無論、その眼を対応させている。彼には、フツと同様に、全てが視えていた。 奪還されようとしている『実験材料』に、雨水は然程、未練は無いが、癪である。丁度以前も、良いところで『アーク』に水を差された経験もあったし、何より。 「―――」 眼を細めた――かどうかは分からないが。AFを介して雨水の接近を知らされている烏がその軌道を打ち抜く。打ち抜くというよりかは――丹念に掃射した。稠密とも言えるほどの壮絶な射撃は、その風貌からは想像できない程の明確さを感じさせる。雨水も太刀を奮って応戦はするが、全て避けきるなどは出来ることではない。其の身に何発もを受け、噛み締めながら、雨水は走った。 「ホーリーメイガスは……」 雨水は視線を動かすが、味方の回復手はもうその地に立っていなかった。烏の分析により、集中的に狙われていた。リベリスタ側の戦略的な勝利と云って良い。 (ほんと、嫌になるね) 前と一緒で血塗れだ。しかし、『貸した時間』までは。 又もや甲高い音が鳴り響いて、刃と刃が交わった。今度は――太刀と太刀である。立っているのは二人の剣士。 「小生も大概、褒められた奴ではないが」 びゅんと風切り音。手練の手練。そんな達人の戦いには、むしろ、刃で刃を受け止めることは少ない。間合いを読み、切っ先を避け。 びゅんと風切り音。いりすの動きは立体的に、全ての足場を活かす。それは今のこの時も能力を強化させつつある雨水にも真似できない芸当である。 「無い物ねだりのフィクサード達も。――餓鬼の泣く面も。小生は、嫌いだ」 その眼で。その胡乱な目でどうしてここまで出来るのか。雨水は不思議に思った。 「面白い」 本心から言った。いりすのスタイルを、雨水は知らない。空虚なのか。酷く、渇いているのか……。 「それじゃあ一つ、勝負だ」 雨水の構えが一段と深くなる。観測者は……語り始める。 「駁儀、気をつけなよ!」 はん。雨水は鼻の奥で笑った。高揚している。テンションが――上がっている! 「命を惜しむな」 だらりと垂れる腕には、切っ先だけを。向かい来る雨水に向けて。 「刃が曇る」 ● 駁儀の戦いぶりはその名の通り猫の様である。純粋な力というよりかはそのすらと伸びた細い肢体を鮮やかに操るその運動能力の高さ、そして、その高さを更なる高みへと押し上げるスキル。フツが呪印を施すべくブロックに入ったが、それは彼の思っていたように、駁儀には有効打ではなかった。 「一般人の救出が優先だ」 雨水と駁儀の接近により場は乱れた。そんな中でも、ユーヌは極めて冷静であった。彼女は影人を召喚し、一般市民らを外へと追いやる。距離にすれば、あともう十メートルもない。 敵の回復手は既に倒れている。烏の分析によれば、それは確かである。こちらには快と共に態勢を立て直した小夜香が体力を残していた。駁儀はともかく――雨水にしてみればこの差は大きい差であろう。 尤も。今では雨水も『アガ』ってしまっているから、痛みを感じているかも怪しい。 ルナの放つ火炎弾が文字通り炸裂し爆裂する。堪らないと言ったふうに手下のフィクサードが防御態勢を取る中、その男は太刀を振るって駆けてくる。彼の太刀は――射程がある。 「そのヴァリアントの製作者、教えてもらおうか!」 混戦となるその場に復帰した快は駁儀へと問う。 「『言え』と言われて言う訳もないにゃあ」 「……なら」 その頭(こころ)に直接問うてやる。 ユーヌの銃と駁儀の銃が絡み合ったその瞬間、快は駁儀の心を読み――眉を顰めた。 (名前が……羅列されている?) 本心を隠す『神秘』であるのなら快に効かない。だがしかし、それはとても古典的で、この場ではとても有効な箕であった。無意味な名前だけが、駁儀の中を渦巻いている。 ルナからすれば違和感のある戦いであるし、その違和感はこの戦いにおいて重要であるように思われた。この二人のフィクサードは強力であろうが、けれど、リベリスタの精鋭十名を相手取ってまで、一般市民の命を守るものなのだろうか? そこまでして結果に拘るのだろうか? 今回失敗したのなら、直ぐに諦めて、次の『対象』を探せば良いのではないか? ルナにとっても、これは気分の良い作戦ではない。こんなことをした二人を、許すつもりも無い。 一方で、一般人の救出という目的と、フィクサード二名との交戦という重りを天秤にかけると、微妙な平衡を示す。なぜなら、この作戦には『制限時間』があるからだ。 と、そこまで考えて。ルナには一つの解が閃いた。 視線をやれば、烏の射撃をやり過ごし、いりすと斬り合う雨水。フツのブロックを外し、鷲祐の攻撃を巧みに受ける駁儀。 彼らが試しているのは、観測しているのは、むしろリベリスタの方なのではないか。 その目的の為に、どれだけリベリスタとしての自己を殺せるのか……。 分からない。ルナには決定的な根拠はない。けれど。 ● (まいったにゃあ) 前回は八名のリベリスタの前に逃走を余儀なくされた彼は、疼く右腕を押さえつけた。疼くのは、あの夜、リベリスタに吹き飛ばされた右腕である。狩人然した彼の戦いぶりだが、彼だって頭の中で常に天秤が揺れている。 特に、雨水が良くない。久しぶりの旧友<幼馴染>は明らかに自己を見失っている。リベリスタの精鋭と相対して、付近に横たわる死体に興奮して、痛みを忘れている。それは感じないだけで、存在しない訳ではない。別に友人の命を大事にするなどと『人間染みた』ことを今更、宣う心算も無かったが、喉に骨は引っかかる。 どうにも、今回のリベリスタらもうまく事を運んだ。まず『裏』を突かれたのが痛かった。あの距離では外への脱出を防ぐ時間が稼げない。あともう少し雨水の手のフィクサードの千里眼が早ければ――と、云っても詮無いことである。 (……引き際、かにゃ) もうすぐ『時間』だ。リベリスタらがその『時間』を放棄するというのならそれはそれで仕様がない。 「……んー、リベリスタさん」 駁儀は躊躇いがちに問いかける。彩歌が怪訝そうな表情をした。 「……なに」 「休戦とはいかんかにゃ」 「巫山戯るな」 答えたのはユーヌだった。彼女は冷静ではあったけれど、それがフィクサードを許すという事かというとそうではない。ユーヌには明確な殺意がある。――何も残さないほどに。 「雨水くん!」 その返答を聞いているのか聞いていないのか、駁儀は快といりすとを相手取って太刀を振舞う彼をの名を呼んだ。雨水は血走った目で口の橋を釣り上げ、駁儀を見た。その目にはさすがの駁儀も背筋に嫌なものを感じ、 「『今度はボクを殺すのかにゃ?』」 と云うと、雨水は眼を見開いた。 (この二人の関係は……) ソラはその二人の会話を良く聞いていた。突然変わった雨水の空気感もその肌で感じている。 「君らの目的は『その半分を助けること』にゃんやろ? ええよ、しゃーなしやん、ボクら、手ぇひくにゃん」 お互いハッピーにゃん。駁儀は悪気など微塵も無く言い放った。 「半分―――?」 その言葉に耐えられないのは小夜香である。 「貴方のその、身勝手な『都合』の為に……」 ぎりと。クロスを握る手に力が篭る。 「一体、何人、死んだと思っているの?」 そして、これから一体何人死ぬと思っているのか―――。 「これは失敬にゃ」 ぺこりと駁儀は綺麗なお辞儀をする。 「こればっかりは考え方の違いにゃんで許して欲しいにゃ。そう、『全員助けたい』訳や、君らは。ボクらは『実験』に失敗して、雨水くんも部下を失ったにゃ。そいつで勘弁してくれんかにゃ」 束の間の静寂が場を包んだ。一般市民の避難はほぼ完了している。分が悪いのはフィクサード側である。リベリスタ側に残された戦力を考えれば、どちらかを捕縛することも不可能ではない。が、『時間』が迫っていることも事実であった。 「まあ、勝手な言い分にゃ。それは理解してるつもりにゃ。だから受け入れられいゆーんなら、それは仕様がないにゃ。けれど、その場合はボクらも死ぬ覚悟で抵抗するにゃ。『雨水くんの手綱』は手放すにゃ。だから、結果として―――あの人らが『ヴァリアント』きゅんに殺されても、仕方ない、にゃ」 そしてそれはそれで本望にゃ。もともとそうするつもりだったんにゃ。 その静寂を次に破ったのは烏だった。 「雨水を下げてくれんかね。彼はちょいと危険だ。彼が居るあいだはこちらも信じられない」 その言葉に駁儀は素直に頷いた。烏は心の隅で意外に感じた。 「雨水くん、面倒に巻き込んですまなかったにゃ。今回はボクに免じて、下がってくれんかにゃ」 首を傾げて斜めから見上げる動作は――艶かしい。雨水は肩で息をしていたが、一度、深く息を吐き、たんと後方へ飛ぶと、太刀を収めた。 「―――」 その時、いりすと視線が交差した。一瞬で永い邂逅だった。雨水は、その女の振るう刀が、嫌いではなかった。 「悪いけど、私の終わりはあげられない。きっとまだ、答えを探しているから」 去りゆく雨水の背に、彩歌は言った。雨水は何も言わなかった。言えなかった。 これは、敗北だ―――。 ● 「『ヴァリアント』についても吐いてもらおう」 快が言ったのは至極まっとうな要求である。そして、先ほどとは立場が違う。 「うーん、そうにゃあ……」 黒い右手を顎にやって、駁儀は思案した。 「例えそれを知ったところで、どうする気にゃ。自己満足かにゃ?」 「根源を絶つしかないだろう」 フツが答えると、鷲祐も頷いた。其処を斬らねば、また第二、第三の『駁儀』が産まれる。 「にゃるほどねえ。本気やん」 駁儀は、んー、と両腕を頭上高くに伸ばす。声色に一切の疲労は見えないが、その顔には汗が溢れていて、彼の疲弊を感じさせた。 「分かったにゃん」 「何が」 ソラが不満げに問い返すと、 「ボクは投降するにゃん。おめーらの味方になるにゃん。『ヴァリアント』の生産場所も教えるし、一緒にぶっ潰すにゃん」 「―――は?」 その提案には。 流石のリベリスタも、口を開けた。 「実をいうと、にゃ。ボクもそろそろお伺いを立てるのに嫌気がさしてるにゃん。もうへこへこするのは嫌にゃー。やから、あんたらに協力するにゃ」 「そんなことが信じられると思っているの?」 「じゃあどうするにゃ? どっちみち、『ヴァリアント』について吐かせたいならボクに聞くしかないにゃーん」 にゃんにゃん。あろう事か、駁儀は……其処に体育座りを始めた。 「もう、今なら『呪印』も効くはずにゃ。拘束したらえーやん、信じられねーにゃら。でも、これ、ウィン―ウィンな結末だと思うがにゃあ」 ● 「『そのやり方』で道に至れるものかね、にゃんこ先生や」 「ん?」 「三才思想ってやつかねぇ」 烏の飄々とした言葉が宙を舞う。泳いだ言葉は駁儀もとい『にゃんこ先生』へと不時着する。それは純粋な疑問二割、勾引(かどかわ)かす心算八割の話題提供だった。けれどにゃんこ先生も引き時を誤らない。その形の良い頭の中で次々と選択肢を消化していく。 「観測するのが人であるのはおじさんも正しいと思うが、人為的に観測状況を拵えても意味は無いと考えるがね」 消化しつつ、にゃんこ先生は、思わず頷いた。駁儀は烏のその意図をある程度は見抜いていたが、確かに的確な指摘であった。そして、その点について指摘した人間は、駁儀にとって初めてであった。 「にゃんと。怪しげなおじさんにしては、博識にゃ。けれど、ボクはたった六十四個の計で収集できるとは考えとらんし、全ての事象は人為的結論だと考えるにゃあ」 「ほう。では人の結末は分類不可能と捉えるかね」 「そうでもないにゃ。少なくとも『今』は、ボクの目的は近づくことであって本質を握ることじゃないにゃ。やからボクは、」 駁儀は右手で鼻を触った。 「千二十四個の計にした。おじさんの好きらしい『易』の考えで言えば、にゃ」 それは紛れもなく、千二十四回の殺人考察を意味している。 快とフツに自由を奪われた形となる駁儀は、微笑んだ。ユーヌの呪印で彼は動きを封じられている。 「……」 無事に解決――した筈だ。 「……」 ●後始末。 「……」 どちらでも大して変わらない。だから、ユーヌは両者との距離を見極めて、自身に近い方に存在していた男の方を打ち抜いた。凛然とした一撃だった。未練もなにも無い……、儚い一発だった。それでよかった。 短い悲鳴は、その男を愛し、その男に愛された幸福な女性のものだった。男の顔は驚く程に穏やかである。それは彼の希望だったから。そして、彼女の絶望だったから。短い悲鳴は何時の間にか湿度を含んで、断続的な雨となる。地面を流れるのは、川だ。彼女の瞳から溢れた悲哀は、そうやって大地へ染み込んでいく。 戸惑うことなど何も無い。何れ下される判断なのだから、どこまで踏み込んでも割り切れぬ判断なのだから、最初から迷う必要はない。其処に感情的な基準を設けるから、鈍る。鈍った刃は、二度と斬れない。 (ああ、怨みたいならご自由に) 「?」 疑問と同時に訪れた死だった。さっきまでその結果を押し付け合っていたのに、その最後は呆気なかった。真紅の槍に貫かれて、男は死んだ。革醒も運命も関与しない彼は、何も分からぬままに、その生を終えた。まだ若そうなその顔は、まだ血の気が残り赤い。しかし、すぐにその赤さは失われてしまうだろう。それは彼が本当に『死ぬ』までの時間だった。 フツにとってはユーヌと通ずるところがあるだろう。ただ、こちらの方が年上に見えたから、それだけだった。実際にそちらが年上だったかどうかは関係が無い。フツなりに気を遣ったところと言えば、それは片割れへの対処方にあるのだろう。フツは、死んだその男とは何の縁もゆかりもない、もう片方の男に何も知らせない努力をした。だから……その死は酷く孤独なものになった。 (踏み込まねばならない) 「悪いが、選べ」 「え、選べって……」 戸惑うのも無理はない。目の間にいる二人の男は、きっと昨日までは友人同士だったし、きっと今では敵同士だった。他人同士で互いの命を慮ることが出来るほど『人間は出来ていない』。結局は薄汚い『悪』が底で蔓延り、罵り合う。それが人の本質であったとしても、救うに値するのか? 「俺と、戦え」 それは各々の基準。救えるものも救えないものもあったから、線を引いた。 それは個々の基準。一コンマでも遅れた方を、斬る。 ただ利き手側に居たから斬った、というのと、本質的には同一。 逃走でも抵抗でも。どっちでもいい。 惚けたような二人は、まだ戸惑っている。鷲祐はそれを見つめる。 選べ。 罵り合う停滞を捨て、選んだ方を、活かす。選択できる強さを持つものを、活かす。 不意に、一人が動いた。彼は……背を見せた。 だから、鷲祐は動けなかったもう一人の彼を斬った。 ―――真一文字で結んだ唇の奥でなら。 いくらでも、噛み締めていい。 ソラはその点で云うと微妙な心中であった。助けられるなら助けたかったし、やはり後味は悪い。出来うる事ならどちらも殺めたくはなかった。けれど、今この時も、不確定な未来に、師弟は摩耗している。だから―――有無を言わさなかった。 「…………」 無言で近づいた。罵り合う友人同士も疑心暗鬼に溺れた他人同士も成し得なかった生の結末が、ここには在った。彼らは互いに互いを生かそうとして、死のうとしていた。こんなに気持ちの良い人たちがいるのなら、少しは人間というものを信じてみるのも良い。 無言で近づいた。ソラは右腕を上げる。スカートの裾が、揺れた。視線は、師を見た。 その額に指先をあてる。優しく、極めて優しく。おまじない様な動作に、師は、微笑んだ。 そのまま死んだ。教え子は、言葉を失った。 「先生は貴方の為に死んだわけじゃない」 私に殺された、ただそれだけ。 その子が何かを言う前に、ソラは宣言した。 「誰も貴方を責めない。私を憎んで、恨んでいい。ただ――教えてもらって得たモノを、活かして生きなさい」 足掻いて、罵って欲しい。小夜香の求めるのは、それだけだった。 自分を、重ねていた。自分もそうだったから。 (自分の為に自ら犠牲になればこの子は絶対自分を責めてしまう。 だから嘘でもいい。この子が私を恨めるように。私が貴女を殺すのだから) それは母親と小夜香との最初で最後の会話だった。最初の約束で、最後の約束。母親は……辛そうな顔で頷いた。何れにしても、息子には、悲劇的な最後しか見せてあげられないのだから。これから、何十年と続くはずだった、幸福な未来を何一つあげることができないのだから。 一生、その夢を見るはずなのだから。 小夜香は母親が頷いたのを見て、クロスに手を掛ける。 その少年には未来があった。母親と歩いて、母親と生きて、母親の最後を看取る未来があった。 人としての普通を、彼は喪う。その罪を、小夜香は、誤魔化すつもりは毛頭ない。 ねえ、だから……。 約束通り、母親は激しく抵抗した。少年は泣き叫び、けれど、革醒者を止める術などありはしない。 (今だけは。助かることを考えて。それがお母さんの望みなんだから) ―――母親は何時だって、息子の幸せを願う生き物だから。 受け入れられなくても、それはそれでいい。恨むのなら私を恨んでくれていい――いや、私を恨んで欲しい。そうして、貴方には生きて欲しい。 未来は、ある。血塗られた過去があろうと未来は続く。どんな物理法則でも定め得ない未来が、ある。 その横に大事な人がいなくても。 貴方には、こんな莫迦げた悲劇に最後まで付き合わされる義理はないのだから。 ねえ、だから……。 「私を、恨んで」 種に染まった十字架が、その白い服を汚して。 (傍にいてやれ) 子供が泣きそうな時は。いりすは思う。 (小生には――出来なかったからな) いりすにしては奇(めずら)しく……、ああいや。 やはり、その餓鬼の顔が、いりすにはどうも駄目だった。 奇跡は起きななかった。都合良い力は都合良くは開放されなかった。けれど。 あと少し――だった。 ● リベリスタらはきっちりと五名の一般市民を救出し、任務を成功させた。 その上、駁儀というフィクサードの捕縛にも成功。 烏と彩歌の機転により、その『ヴァリアント』本体の回収も同時に行われる。が、これに関しては痕跡量しか残っておらず、詳細に関しては『アーク』研究部の手腕に掛かっている。 『アーク』作戦部は駁儀の対応に苦慮しながらも、『ヴァリアント』についての尋問を開始した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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