●恋をするという事は、 人生において敗北を意味している。 凪聖四郎が六道紫杏という女の為に倫敦に駆けつける事。ドラマや漫画の読み過ぎか、ラブストーリーの『王子様』気取りであろうか。 神埼紅香が凪聖四郎に協力すること。乙女が恋に命をかける等、少女漫画のヒロインにありきたり。 榛生浅鵜に「馬鹿だ」と笑われても無理はない。 「イナミ、倫敦までわざわざ彼女を迎えに来る俺の事を君は笑うかい?」 「勿論です、プリンス。愛しい女の為に傭兵の彼らまで使うとは、」 自分勝手に程がある。 耳が痛いと肩を竦める男も重々承知して居た。 毎日話して居た彼女との電話を取り止めた。「逃げておいで、俺の所においで」と『少女漫画』の様な平和的解決が出来る様な女であれば何ら問題等生じなかった。 全てがジェームズ・モリアーティの掌の上にあるのだから、平和的解決等出来る訳がない。 まさしく『解けないパズル』が其処にはあった。丁寧に手懐ける愛らしい弟子、彼女が差し出したエリューションを制御するシステム。更なる改良を加えれば均衡を保っていた倫敦市街を騒がせるスパイス程度にはなったのだろう。 同時多発的に起こった事件で、彼の本拠地をスコットランド・ヤードが手に入れたのは丁度良い。 そして、その現場に『彼等』が居たのも、丁度良い。 「さて我々が知る由もなく『彼等』も知らない『教授』の目的とは何だろうね? ……さて、行こうか」 欲深きは損をする。 恋をすると言う事は、人生において敗北を意味している。 その恋心が乙女の考える甘いものであるのか、策略絡むものであるのかは定かではないのだが。 ●まるでお遊戯会だった 市街地での闘争は激しい。ごった返した玩具箱の様な街並みに今は泣き叫ぶ人、人、そして気色の悪いキマイラの存在が異色を放っている。 日本から遠く離れた異国、イギリスはロンドン。スコットランド・ヤードがその調査力で『倫敦の蜘蛛の巣』の本拠地を掴んだとの情報をもとにアーク・ヤード共同戦線は一気に攻め込むこととなった。 ピカデリー・サーカス広場のごった返す喧騒を裂く様に始まった闘争は予想外の場所で『予想外』を運んできたのだ。 『東洋人が蜘蛛と戦闘を始めたらしい。今すぐ急行してくれ!』 ヤードからの連絡を受け、リベリスタ一同は駅前からやや離れた位置へと向かうこととなったのだが。 「やあ、アークとスコットランド・ヤードの諸君。 今日はお願いがあるんだ。単刀直入に言おう。君達を利用したい」 東洋人――逆凪黒覇の異母弟にして六道紫杏の恋人、新興組織『直刃』を率いる――凪聖四郎は蜘蛛達との戦いの中で外野として存在したリベリスタへと告げる。 「利用したいだとは随分な物言いだとは思わないか? なあ、ヤード諸君」 スコットランド・ヤードへ掛けられる宿敵からの声に、ヤードのリベリスタの表情が硬くなる。 「利用、したい……?」 「ああ、俺の目的は六道紫杏の奪還、救出だ。それに君達を利用したい」 はっきりと告げる男の表情は読みとれない。戦闘の最中であるとはいえ、最後列からの攻撃に及ぶ男の表情は余裕と自信が溢れるものだった。 「今の俺に君達との戦闘理由はない。だが、ここで君達の応えがNOであれば――」 「詰まる所、市街地で大事な市民を傷つけながらも此処を強行突破するという事でしょう? 市民の安全確保のために一時的にでも我々かMr.凪のどちらかと手を組むか……もしくはどちらの手も取らない、か。そのどちらかを選べと? 確かに我々が不利でしょう、『敵』ですからね。 しかし、Mr.凪。我々だって『倫敦派』。リベリスタ諸君、我等とて『頭が悪い訳ではない』」 くす、と笑みを漏らすエアル・クリュスタッロスの言葉にスコットランド・ヤードの表情は凍る。 彼等の言葉に耳を傾ければ凪聖四郎に協力す以外の道筋もあるのだろう。 凪聖四郎の目的は単純な私闘。恋人の身を案じ倫敦へ来たと言う彼は『他に目的があるのか定かではないが』六道紫杏を救わんとしているのだ。 倫敦派やキマイラからの攻撃で足止めを食らっていては紫杏の元へ辿りつけない。彼女が使用するキマイラは未だ不安定要素を残す『フェーズ4』だ。出来得る限り早くに辿りつかねば―― 「……彼女と連絡がつかない。指輪の効果もない。何らかの電波障害が俺達と彼女の間に生じている様だ」 「それで、Mr.凪は何を望む?」 「六道紫杏の元へ辿りつくのを協力してほしい。無論、タダでとは言わないよ。 俺が紫杏の下に辿りついたら彼女が行う諸君らへの攻撃を止めさせ停戦させると誓う。 無論、彼女がアークへの攻撃を行わない、彼女がキマイラを使用しない、『六道紫杏のフィクサードとしての活動』の一切を止めさせるとも誓おう」 「信憑性がまるでないが、」 突然の東洋人の乱入者へと意識を傾けたスコットランド・ヤードの言葉へと聖四郎は表情を崩さないまま――いや、少し笑っただろうか。ああ、笑ったのだろう。彼らしい、否、凪ぐだけでは飽き足らない『逆凪らしい』顔で――はっきりと言った。 「この誓いが果たされない時は、俺が紫杏を殺そう」 リベリスタ諸君には選択肢がある。 凪聖四郎の言葉を鵜呑みにし、『直刃』の面々と共闘し彼を六道紫杏の元へ行く手助けを行うか。 倫敦派の言葉に耳を傾け、『直刃』の面々との戦いを行うか。 両者ともの言葉に耳を貸さず三者の言い分を下に戦闘を行うか。 激化する戦闘を止めること、これこそが目的だ。これさえ果たせるならば―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年02月12日(水)23:11 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 入った情報は『情報』にしても少なすぎるものだった。 ――東洋人が蜘蛛と戦闘を始めたらしい―― アークの人間であれば誰がどの戦場に行く事になったのか把握できている筈であるし、他のリベリスタ組織の介入も考えにくい。『倫敦の蜘蛛の巣』の構成員に東洋人が居る可能性も高くはないが有り得るだろう。だが、組織内分裂が起こる事はこのタイミングではやはり、考えにくい。 「イレギュラーが起こるのが『海外』の醍醐味って事かしら。あまり喜ばしくないけれど」 万華鏡(カレイド・システム)の効果が及ばない海を隔てた地――イギリスが首都『霧の都』ロンドンはその異名の通り『霧に包まれた場所』であるということなのだろう。その霧も自然発生したものではない大気汚染のスモッグを揶揄して居るものだと言われている以上はあまり褒められた異名では無いのだが、此度の『霧』は物語の登場人物がわざとらしく撒き散らした物だ。相当の深さを持っているに違いない。 唇から整った歯並びを覗かせた『BlessOfFireArms』エナーシア・ガトリング(BNE000422)はペイロードライフルの為の追加弾倉をベストの中に止めていく。年若く見える彼女から覗く戦場慣れした雰囲気にイマイチ慣れない様子のスコットランド・ヤードの面々は『アーク』のリベリスタの歴戦具合を垣間見たのだろうか。 日本とはまた別の島国、イギリスへとわざわざ『アーク』が赴いたのにも理由がある。 一つの理由は無論、世界を脅かす強敵をスコットランド・ヤードの諸兄らと手を取り倒すためだ。もう一つの理由は『生還者』酒呑 雷慈慟(BNE002371)を酷く苛立たせる理由の一つであろう。 日本主流七派が一つ『六道』、その首領が妹、『六道の兇姫』六道紫杏と彼女が編み出したエリューション・キマイラの存在だ。日本での応戦を経て、かねてから懇意にしていた『厳かな歪夜十三使徒』が一人、ジェームズ・モリアーティの元へと身を隠したんのは今からちょうど一年前の話だっただろうか。 何の因果か、この場所には雷慈慟の他にも紫杏が身を隠した際――彼女の研究所へと強襲を仕掛けたあの事件の関係者も多くいる。 「確かに我々の方がキマイラに対しては戦い慣れています。無論、慣れているだけで諸兄らの協力が必要不可欠。先ずはそれをお分かり頂きたい」 東洋人と倫敦の蜘蛛の巣のフィクサードの交戦地へと向かう途中、『現の月』風宮 悠月(BNE001450)が英国リベリスタ達へと声をかけたのには理由がある。 彼女には大体の見当が付いている。この先に居る『東洋人』が誰であるのかも、その『彼』の目的が何であるのかも。寧ろ、遅かったと感じる位だ。 「面倒だが、実に面白い……。さて、諸兄。我々の『面倒事』には目を瞑ってくれるな。 生憎、私はこの刀を振るう事しか得意としない――一般人の保護は君達に任せようと思う」 生まれ持った性質か。蜂須賀の血が彼女を欲求第一に育て上げたのだろうか。『閃刃斬魔』蜂須賀 朔(BNE004313)は葬刀魔喰を握り不敵な笑みを浮かべる。揺らめく妖気にスコットランド・ヤードのリベリスタがたじろいだのを彼女は可笑しそうに見送った。 「一般人の保護は我々の仕事だ。しかし、『アーク』、君達は……」 「不愉快だが、遣る事がある。貴殿らが不愉快になる可能性も否めないが」 「――何にせよ、人生は『浪漫』に溢れていなければ面白味もないでしょう?」 雷慈慟の言葉に続く様に、氷の美貌に甘い笑みを浮かべた『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)は六枚の羽根を揺らし星屑を思わせる日傘を差す。浮かび上がった彼女の薄氷の瞳がゆっくりと細められ、「運命は、人生は抗う事こそで成り立つのよ」と嘯いた。 魔女が如き仏蘭西人形の言葉に「浪漫」と小さく笑った『足らずの』晦 烏(BNE002858)が期待して居るのもやはり、悠月が思い描いた『東洋人』の姿だろう。ある意味で、奇妙な結びつきを感じると烏が肩を竦める。 「ロマン……? それがこの先の東洋人に関係が?」 「浅くて深い底が見えない濁った沼の様な奴が居てな。小生はソレが面白くて堪らない。 如何でも良いが。おもしろきこともなき世に――との言葉があるのも頷ける」 くつくつと咽喉を鳴らし、『Type:Fafnir』紅涙・いりす(BNE004136)は可笑しそうに笑う。濁り切った眼球が揺らめいて、いりすは唇の端から一年前とは違う牙を覗かせて笑った。 「面白い事は認めますが『腑に落ちない』物言いをする男ですからね、『彼』は」 呆れ半分、しかし普段の調子を崩さない『銀騎士』ノエル・ファイニング(BNE003301)は遥か前方を見詰める。長い銀髪を揺らした銀騎士は「あちらが、」と隣に立っていたリベリスタへと囁く。 「『ピカデリー・サーカス』、ですか」 この場所から直進したピカデリー・サーカス。広場の真下に存在するピカデリー・サーカス駅の更に下、『倫敦の蜘蛛の巣』の本拠地とされる場所が存在して居る。先の戦いでの倫敦市街防衛線では苦戦を強いられながらも情報を得ることとなったリベリスタ。警察機構であったスコットランド・ヤードの捜査力を駆使し、割り出された本拠地には多数のリベリスタが攻め込んでいる事だろう。 混乱と、混沌が市街地を支配して居る。蜘蛛の巣の様に張り巡らせた地下鉄のその中心。目指す場所(アジト)に程近い場所で『小さな侵食者』リル・リトル・リトル(BNE001146)の丸い瞳に映ったのは彼がよく知る男の姿だった。 スコットランド・ヤードの面々が一般人保護の指示をリルから受け一斉に布陣する。交戦地区、キマイラと倫敦の蜘蛛の巣のフィクサードと相対する仕立ての良いスーツ姿の男の背中へと『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)は柔らかな声で――まるで友人に語りかけるかのように――声をかけた。 「御機嫌よう。聖四郎さん」 ● 日本には主流七派と呼ばれるフィクサード集団がある。その中でも最大手、全てを含む伏魔殿たる『逆凪』の首領、逆凪黒覇には義弟が居た。王の道を歩む黒覇にとっては愉快な義弟である青年は、幼い頃に分家である凪家に養子に出され其処で育ってきた。 半分は王の血を、半分は忌むべき血を持った青年の背中を見詰めながら悠月は可笑しそうに小さく笑う。 「遅かったではないですか。『貴方』のお姫様の舞台はこれで二幕目なのに――」 「遅いのにもそれなりの理由があるんだよ。アークの……君の名前は、何だったかな?」 Creative illnessを手にゆっくりと振り仰いだ凪聖四郎の怜悧な瞳に悠月は肩を竦めた。 わざわざ異国まで赴き恋人である六道紫杏を迎えに来た男にしては余裕を浮かべた目をしている男に肩透かしを食らった気分になるのは仕方がない。 しかし、此処は戦場だ。そして、彼が引き連れてきた『直刃』と呼ばれる軍勢。ある意味で戦い慣れして居るとも取れる空気感にいりすは「浅いのか。深いのか。相も変わらず底が見えんな」と茶化す様に濁った竜の目を向けた。 「……こんな場所までご足労願い、申し訳ないね。アーク。それにスコットランド・ヤードだったかい? さて、俺の目的は君達も大体の見当が付いているだろう――勿論、どちらに協力するかは」 「それはアーク。お前達が選ぶ事だ。こちらもMr.凪も馬鹿ではない。 勿論、アークの面々も馬鹿ではないだろう? ……ああ、既視感(デジャブ)を感じる」 髪を結いあげた女と刃を合わせていたローゼオ・カンミナーレの視線が、烏やエナーシアへと揺れ動く。 「それはお互い様さな。あの時と同じ面ばかり。既視感どころの話じゃないわな。合縁奇縁、世の中そう言う事もあるか」 「嫌な縁もあるものです」 ローゼオと剣を合わせていた継澤イナミの言葉に「困った大将を持ったもんだね、継澤君」と烏はやけに親身に語りかける。 日本に本拠地を置いている『直刃』の面々とは幾度かは顔を合わせていた。無論、継澤イナミの姿を見つけた瞬間に朔が刃を握り直したのもそれもまた『嫌な縁』の一つなのだろう。 スコットランド・ヤードが避難を行う中で、行われる戦闘は少しばかり落ち着いた様にも思われる。蜘蛛、直刃――そしてアークといった三つの派閥を相手に、どの様に動くのかを全員が伺っているのだろう。そんな雰囲気を感じながらペイロードライフルを構えたエナーシアが「Prince」と囁いた。 「さて、目的を話してくれないかしら? 私達を何かに利用する気でせう?」 「賢い女性は嫌いじゃないよ。ハッキリと言おう。俺は六道紫杏を連れ戻す。 ああ、勿論、『前回』――彼女が英国へ逃げた時より条件は更に強化している。彼女がフィクサードとして行う全てを禁止しよう。俺が連れ戻したら『六道紫杏はフィクサード』では無くなる」 「何を以って信じろと」 雷慈慟の言葉も確かなものだ。不確定な未来を対価に手伝えと言うのは余りにも酷過ぎる。 くつくつと笑うローゼオは『出方』を見守る様に周囲で一般人を襲わんとする謝肉ドール改を見詰めていた。 「俺の行動を以って。無論、君が厭う『一般人』の保護にも俺の直刃を貸し出そう」 不機嫌を露わにした雷慈慟の眉が小さく動く。この場で彼が一番に優先したいのは一般人の保護だろう。無為に危機に晒す事も、そもそもの蜘蛛の制圧と言う目的から外れる事も本懐では無い。 黒の書に添えた指先に軽い力が込められる。叫声、呻吟の声が耳を劈く様に広がっていく。 「――答えは、」 銃を構えたエアル・クリュッスタッロスの声を聞き、氷璃は緩やかに唇を歪める。緩く浮かびあがった仏蘭西女はこてん、と首を傾げ無垢な少女の様に色付く唇をゆっくりと動かした。 「そうね、好き嫌いで云えば、あの女は嫌いだけれど。ええ、けれど、夢物語も悪くはないわ」 ある意味での『答え』を受けて地面を蹴ったエアル。彼女の周囲から離れ、リベリスタの元へと浮かびあがり向かう謝肉ドール改の身体にAura -Flugel der Freiheit -が突き刺さる。 「厄介な性質を持ったキマイラです。……でも、誰よりも早く向かうのが自分達ですよね? 拓馬さん」 「誰よりも? 最速の名が欲しいなら俺を抜かせ、天風亘!」 髪を揺らし楽しげに笑う亘の隣、同じ様に身体を逸らしながらキマイラへとナイフを付き立てたのは『直刃』に所属する聖四郎の部下。以前は傭兵として雇われていた竜潜拓馬だ。 両者共に速さを求める革醒者。その速さに圧倒された様に謝肉ドールが気色の悪い声を上げた。反撃は許さないと言う様に無銘の太刀を握りしめ、片手でくるりとリッパーズエッジを回したいりすは首を傾げる。 まるで悪役めいた仕草を見せるいりすは可笑しそうに小さく笑う――腹が空いたか、それとも戦う事が楽しいのかは分からない――眼鏡のレンズ越しの澱む灰色は翳りを余り帯びてはいない。 「惚れた女に命をかける。其れが男の心意気。面白い。悪くない。むしろ良い。 王子様、小生は羨ましい。小生が好きになった奴は――皆、死ぬ」 まるで呪いの様に吐き出して、味方陣営から駆けだした。リッパーズエッジが掌でぐるりと回る。柄を握りしめ、唇が誘う様に動かされる。 「いいぜ。小生が連れって行ってやる。竜は王子の前に立ちはだかるモノだが、今日は特別だ」 アッパーユアハート。一般人の対応を行うスコットランド・ヤードの面々が咄嗟に動きだす。彼等とは逆の位置でいりすは挑発的に笑った。 彼等を追い掛ける様に身体を捻る。電鞘抜刀の中の電磁コイルが音を立てる。戦いの気配に朔の咽喉が小さくなった。 「凪君、君は全くとんでもなく愚か者だ。だが、私には好ましい」 「熱烈なラブコール、嬉しいよ。『閃刃斬魔』のお嬢さん」 常に、戦いに赴く時に名乗り上げる朔に可笑しげに笑う聖四郎が顔を上げる。前線に布陣していたローゼオの眉間に深い皺が寄る。 ジッ、と擦れる音がした。一歩と共に無数の残像を残す様に攻撃が叩きこまれる。咄嗟に剣で受けとめて、切り裂かれる右腕に睨みつけるようにローゼオが朔を見れば、形良い唇に浮かんだのは幸福感に他ならない。 「『閃刃斬魔』、推して参る」 名乗り上げる朔の後ろ、浮かびあがった多重の魔法陣が黒き閃光を放つ。氷璃がクレイジーマリアから『奪った』技。彼女が模倣し、改造した術は周囲に漂うキマイラの身体を固く石化させていく。 「私は、六道紫杏の様な女は嫌いよ。お分かりかしら?」 「勿論、あんな『執着心の強い子供』を好むだなんて、物好きよ!」 地面を蹴る。浮かび上がったエアルが撃ち出す弾丸を避ける様に身体を捻り、悠月が周囲に展開した魔法陣。長い黒髪を掠めるそれを気にせずに彼女が小さく笑う。たん、と地面を蹴る小さな鼠。 悠月に逸れていた視線を集める様にリルが宙をくるりと回る。踊子の衣装が揺れる。魅せる様に戦うリルのLoDがしゃん、と鳴った。 「直刃とこんなところで逢うのは『必然』ッスかね? たまの共闘、面白くない筈がないッス! ――さあ、利用仕返してやるッスよ?」 リルが展開する強結界。これ以上の犠牲を出さない様にとの配慮だろう。滑りこむようにローゼオに与える氷結が彼の足をその場から動かさない。 「聖四郎さん! 紫杏さんは教授に贈られたチョーカーを付けています! 『伝わらない』んでしょう? 紫杏さんとの通信妨害を行っていると自分は推測して居ます。 その片割れ――此方に通信妨害を及ぼしているチョーカーを持っているのが、彼、ローゼオです!」 「よく推測したな? リベリスタ。褒めてやるよ。でも、誇らしげにしてる場合じゃ、ないぜ?」 亘の声に嘲る様に告げるローゼオが剣を前に構え、保身の体勢を作る。背後から支援する様に癒しを与えるホーリーメイガスが浮かべたのは若干の不安か。 「ヤード諸兄! 現場を知る者としてこの場を任せる。荒事は此方に任せ、一般人の避難を優先してくれ!」 「りょ、了解した……!」 「イナミ、此方の戦力は少しばかりは避難に避けるかい?」 「勿論です。私の剣に巻き込まれぬ様一般人を此処から退避させて下さい」 雷慈慟の視線を受け、Creative illnessを構えた聖四郎が告げる声を聞き発破をかけるイナミへと直刃のフィクサードらはフィクサードらしからぬ行動をとる。一般人の退避を命じられたフィクサードが退避の遅れる一般人を拾い上げれば立ち変わる様に烏がその場に滑り込む。 「やれやれ、指示までも一任されてるか。困った大将を抱えると本当に苦労ばかりだ。 優しいおじさんは同情しちまうわ。ああ、胃薬でも後日、日本に帰った時にでも差し入れようか?」 楽しげに笑う烏の手に握られた二五式・真改。ばら撒かれる弾丸を追い掛ける様にエナーシアの弾丸が重なっていく。 くつくつと咽喉を鳴らし楽しげな烏とは対照的な挑発的な表情は幼い少女のかんばせにはよく似合う。 「敗北は恥ではないでせう? ただの一度も負けた事のない、そんな世界じゃないと生きられない歪夜の連中のような豆腐メンタルじゃあないのだから」 「貴女、教授を愚弄して!」 カッ、と頬に赤みが差したエアルに対し小さく笑うエナーシア。弾丸を避ける様に身を捩るエアルの羽根に彼女の弾丸が掠めていく。 様々な思惑が渦巻く中で、唯一普段の調子と変わらないのはノエル・ファイニングの持ち味であろうか。鮮やかな紫の瞳を細め、戦神が如き戦気を纏ったノエルはConvictioを構え、息を吐く。 「……わたくしはわたくしの仕事をするのみです。貴方の執着心や気分などわたくしの世界への執着の前では何の意味もなしません」 聖四郎の思惑も、何もかもをノエルは気には止めない。彼女が行うべきは『敵』の排除。 目の前に存在する『敵』を作り出す害悪(フィクサード)。そもそもの崩界因子と言う世界を傷つける存在(キマイラ)。それは憎しみや怒りではない、世界の為――凪聖四郎が六道紫杏を助けると言う甘い想いとは別物であり、酷く似通った人間的な感情――であるだけだった。 「直刃、わたくしは余り手加減が得意ではありません。巻き込まれぬ様、程々にご注意を」 「まったく怖い事を言う女も居たもんだな」 とん、と槍は地面を付いた。 ● 一般人の退避の中で、キマイラの受け皿になっていたいりすは身体を捻る。謝肉ドール改がいりすの前で破裂すれば、地味な痛みが身体を焼いた。 「ふむ。中々に莫迦らしいものだ。実に凝った趣向の技ではあるが」 いりすを支援する様に回復を行った直刃。重ねてヤードが支援を行っていく。くん、と発達した嗅覚が何かを捉える。 雷慈慟が上空に放った猛禽は鳴き声を上げ、一般人の位置を的確に飼い主へと伝えていた。連れる動物と五感を共有する。其れにより戦場を効率的に把握することが叶っていた雷慈慟が指揮官となり、リベリスタ陣が優勢に戦える様な戦場が構成されていた。 だが、蜘蛛とて『馬鹿』ではない。ローゼオに集まるダメージを避け、着実に背後でエアルが攻撃のタイミングを狙っている。視線を送りながらも詠唱を続ける悠月の弓がきり、と鳴った。 「凪聖四郎。キマイラが爆発しただろう? あれは六道紫杏の所有するフェーズ4側に影響を与える。 尤も――どう思考するかは自由だ」 「凶暴性が増したとする、ソレによって『試作品(フェーズ4)』が暴走する可能性とて否めない」 黒き鎖を放つ聖四郎は雷慈慟の問いに問いを重ねる。六道紫杏の身の安全が確保される事が一番だと言う様な不遜な態度に朔は小さく鼻を鳴らした。 「その衝動のままに荒れ狂うが良い。変に格好をつけるよりそちらの方が魅力的だぞ? さあ、ついてきたまえ、継澤イナミ! 遅れるなよ?」 「無論――と言いたいですが『閃刃斬魔』も『蒼銀』も無茶を言う。私はそうも早くは、ない」 長い黒髪を揺らし、踏み込んだ女が朔と入れ替わる様にローゼオを狙う。 朔にとって強い物と戦う事は至上の喜びだった。命を惜しまず、血濡れになっても戦い続ける。刃の錆が無い内は一歩たりとも止まらない、それが『閃刃斬魔』の生き方であるのか。 「まさか、貴女と共に戦うとは」 「お互い様だ。君と戦うのは至上の喜びだが我慢してるんだ。これが最初で最後だろう」 轡を並べるならばこの時だけ。イナミの肩を裂くローゼオの剣に彼女が一手下がれば、立ち変わる様に朔が速さを纏い踏み込む。 重ねる様にリルがローゼオの足止めを行えば、避けることには余り優れない彼の脚がその場で止まる。身体を捻り上げる様に繰り出す拳。握りしめられていたLoDの中に仕込まれた爪がその体を掻いた。 ステップを踏みしめる様に踊るリルの動きは同じ様に『ステップ』を踏むノエルとはまた違うものだ。槍を振るい上げる様に突き刺した彼女の片足が軸になる。ノエルの頭上をひらりと『跳』んだリルが小さく笑った。 「どうッスか? 踊るのはあまり得意じゃない見たいッスけど」 「揃いも揃って『ダンス』ってか……!」 一般人を盾にとった男にノエルは何の意味もなさないと首を傾げて槍を、そのまま、貫く。 「な、」 深、と。 突き刺さる槍に目を見開く一般人へとノエル・ファイニングは何の表情も浮かべない。 普段と変わらず、穏やかな物腰の女は銀の髪を揺らして槍を引き抜いた。 白いコートを、ズボンを濡らす鮮やかな赤。正義(せかい)の為ならば、別段『仕方がない』犠牲でもあったのだろう。 淡々と攻撃動作を続ける女に「この野郎……!」と毒吐くローゼオが存在して居る。 フィクサード、リベリスタ。そのどちらもの境界が曖昧に感じられたのは仕方がないことなのか。 まるで面白い物を見たと笑う様にエナーシアが弾丸をばら撒く。周辺を見回す彼女の理知的な瞳にチラついたのは莫迦にした様な笑みだった。ペイロードライフルがばら撒き続ける弾丸と交差する様にエアルの弾丸がばら撒かれる。腕に食い込む弾丸に、膝を軸に反転する様に身体を逸らしエナーシアが小さな舌打ちを漏らす。 「酷いわね。『一般人』にこんな仕打ちだなんて、」 「何処の、誰が、一般人なのかしら? 私――貴女の事、嫌いだわ。 教授を愚弄するだなんて! 歪夜の使徒は負けを知らない訳ではないわ。彼は負けを知っている」 「どうでしょう――?」 小さな囁きと共に悠月が弓を弾く。キリ、と鳴った音に咄嗟に身体を捻った拓馬が目を見張り、笑った。隣に布陣していた亘がPiu mossoを手にいりすの元に集まり切らなかったキマイラを殴る。 掌に伝わるのはナイフで切るのとは違う感触だ。刃が生き物の身体を抉る感覚は、肌を切るぷちりとした気色悪さから肉の厚みを、血管の太さを実感する。しかし、拳でダイレクトに感じた『生物』は弾力と共に生気を感じさせるものだ。 「拓馬さん、今です!」 「うちの大将も、そっちの『魔術師』も怖いもんだぜ……!」 拓馬のナイフがキマイラを切り裂く、続けざまに悠月の弓が放たれる。マレウス・ステルラ。最大魔術も飛ばれるそれは空を穿ち、鉄槌の星を降り注がせる。 表情は変わらない、どころか優しげな笑みを浮かべている悠月は黒髪を靡かせゆっくりと微笑んだ。 「焦りは人の真価を問います。……一皮剥けましたね。凪聖四郎。 そして、焦りが貴方の敗北を知らしめるようですね? ローゼオ・カンミナーレ」 六道紫杏が為、二度目の駆け引きは余りにも戯れが過ぎるものだった。氷璃が言う『浪漫』を悠月の論にあてはめるならば、熱情(こいごころ)は本物であると言うのだろうか。風宮悠月が受諾したのは男の覇気やその真っ直ぐな男の気質だったのだろう。 ――六道紫杏は『フィクサードで無くなる』。 「……さて、自身の誓い一つ護らず虚言を弄する程度であるなら所詮そこまでの器、己が覇王たらんなど夢より遠いというものです」 「俺はひょっとして君に期待されているのかもしれないな。『現の月』」 悠月の言葉に重ねる様に聖四郎は小さく笑う。自信家であった男が何時の日か、『小手調べ』だと放った術は今は彼らでは無く、目の前の共通の敵に向けて放たれる。 「期待? 私も期待してるわ。そのまま二人で廃業してくれても良いけど、ね?」 「君に期待されるとは喜ばしい限りだ。『運命狂』。さて、君達が教えてくれた障害をそろそろ乗り越えねばね」 氷璃の指先は戯れに蝶の翅を弄り続けている。指先に付いた燐粉を乗せて広がった赤黒き鎖。彼女が望んだのは存在しえない『月』の名前を冠する凪聖四郎固有の技なのだろう。 崩壊、猛毒、出血――ソレにこれは、不吉か。貰い受けたいと手を伸ばす氷璃が小さく首を傾げて笑った。 「それも『浪漫』ね。貰い受けたい限りだわ」 浪漫、浪漫。人生は運命に支配されている。 この運命狂が『見』た浪漫は限りなく莫迦らしく、限りなく面白い。誰かに恋をする女は夢物語の様な甘い結末を望んでいる。 『甘い結末』――いや、『面白き』を望むのは烏もだろう。紫煙を燻らせながら烏は「おっと」と呟き大仰に身体を逸らす。飛び交う弾丸やキマイラの存在も赤い頭巾の向こう、楽しげに笑った烏は二五式・真改をしっかりと構えた。 「しっかし、時と言うのは人を変えるもんだな。あれから一年、この『若大将』はどう変わったもんかね。 釈迦の掌を飛びだし世界すら変え得る男になれるかどうか魅せて貰おうか」 烏の弾丸が勢いよくキマイラの頭を打ち砕く。 飛び出す血が、いりすの頬に掛かれば、拭ったいりすが受け続けるキマイラの攻撃を全力で耐える様に身体を固める。 エアルの弾丸が烏の腹を裂いても烏は表情一つ変えやしない。 (可能性ってのは怖いもんだわな。完成品は其処で終わっちまう――) それは誰に向けた言葉か。安物煙草の火が弾丸に擦れて消える。勿体ないと手から放した煙草の代わりに引き金を引いた。 その引き金に続く様に身体を捻り上げたノエルは穏やかな表情をしている。尤も攻撃を受けとめるのは『世界』の代わりに身体や、運命すら擲っているという意味なのか。避ける事は得意ではないノエルの化だらに増える傷は後衛から懸命に遠距離の攻撃を仕掛け続けるフィクサードの所為だろう。 「大義のために身体を張ってんのか? 笑えないザマだな、リベリスタ!」 「いいえ。わたくしはその様な為にこの槍を振るいません。『正義』なき事にこの身を投じる等、」 有り得もしないと踏み込んだ槍がローゼオの腹を貫く。溢れる血が白銀の槍を伝い、ノエルの掌を汚していった。 白で固めた騎士が身体を捻れば、彼女を乗り越える様にリルがステップを踏む。立ち変わるリルの分身が完璧な攻撃を繰り出した。しゃらん、と鳴った音だけがリルの存在を認識させる。 打ち込まれた弾丸を受けとめて、膝を付くノエルの頭上を飛んだエナーシアの弾丸に乗じる様に破裂するキマイラ。 『あちら側』の個体が大きく進化する鼓動を聞きながら悠月は小さな溜め息と共に天使の恵を仲間へと授けていく。 「……まだまだ、改善点は多いようですね」 「しかし、効率的だ。少なくとも此方が優位になる転機にはなった様だ」 宙を舞う猛禽との意思疎通から、雷慈慟は悠月へと小さく囁く。フェーズの低いキマイラが――一部は其々の個体による破裂での消失ではあったが――次々と数を減らすと共に、フェーズの高位であった存在が攻撃を加えられ傷を追い続けている。 集中領域に達している雷慈慟が気を使っていたのは一般人の避難であった。「一刻も早い現状打破のため、」とそう告げた彼に対してヤードのリベリスタは状況の報告を欠かさない。 「Mr.酒呑! ある程度の避難はできている!」 「ああ、持てる力は最大限に奮おう。あともう少し――そちらも鋭意努力を惜しまぬ様、この現場での避難活動を続けてくれ」 頷くヤードの表情が明るくなる。警察機構である彼等の『正義感』には雷慈慟の言葉は丁度良かったのだろう。 戦闘不能状態になったキマイラを潰す様に思考の奔流が広がっていく。避ける事を得意としているいりすであれど、傷だらけ状態では余りに分が悪い。 助け船を出す様に前線でくるりと身体を反転させた亘のナイフが洗練された光りの飛沫を上げていく。 「疲れましたか?」 「お前こそ、」 悪友か何かか。可笑しそうに笑う亘の品の良い笑みを見詰めて、傭兵は小さく毒吐く。 流石に体力と持ち前の防御力はあったのか、前線で傷を負いながらも戦い続けていたローゼオの足が揺れる。後衛位置で弾丸をばら撒くエアルが小さな舌打ちを漏らした。 流れ弾がリベリスタ陣営のホーリーメイガスを狙い打つ。瞬時、身体を滑り込ませたノエルの腹を掠めるが彼女は銀の髪を揺らし、断、と槍を振り翳した。 瞬時に放たれる疾風の居合い。前線の青年が倒れれば、背後からフィクサードが狙い打つ様に攻撃を続けてくる。 「継澤くん。この前は君の技を見せて貰った。あれから習得した私の技を見せよう」 踏み込み。競い合う様に剣を振るった。電磁コイルの擦れる音。弾丸を避けた朔の隣、瞬時に膝を付いた様な動作を見せたイナミが唇を噛む。 斬り合う事が無くとも『好敵手』以外に己らを言い表す言葉は無いと蜂須賀の女は叫ぶように刃を振るう。 「イナミさんの技で道を作ってもらえないッスかね。 リルが見たいだけじゃない。イナミさんの技はキマイラへの切り札。その力が必要ッス」 『利用する』とはよく言ったものだ。観察眼を武器に楽しげに目を細めるリルの言葉に継澤イナミが放った円環の花。 散らすがごとく勢いで放たれたソレが蜘蛛のフィクサード陣営へと斬り込んでいく。 グッドタイミングだとでも言う様に氷璃は赤黒い鎖を吐きだして羽根を大きく広げた。 「あら、残念ね? そのチョーカー、壊れているみたいだわ」 「っ、教授から頂いた――ああ、だから! 私が持つと、あれほどッ」 苛立ちを吐きだす様に弾丸をバラ撒いていくエアルに視線を送り、身体を逸らす亘の胸で鼓動が一つ。 自分の心臓が動く限り、約束は護って見せる。この場所も、護って見せる。 「自分は、この心の臓が動く限り――!」 瞬時に開いた穴へと進みなさいと言う様に烏が「若大将!」と呼んだ。 彼が持っていたペアリング。それは幾度もリベリスタ達の手を渡り歩いたものだ。 六道紫杏が作ったと言う『アーティファクト』。ペアリングを作るとはお姫様もなんともロマンチストなことだ。 「あの子とか、あの子とか、ああ、もうお怒りでな。おじさんとばっちりだわ」 「我々が車を用意した。 貸してやろうではないか。 ちゃんと返したまえよ?」 烏、朔共に用意していた車に目をやって聖四郎は肩を竦める。 刃を手にちらりと視線を送った朔は獲物を見詰める様に金の瞳を光らせて牙を見せた。 「あぁ、さっさと行き給え。あまり前に居られると継澤君とやりたくなる」 怖い女だとぼやく様にリベリスタ達の支援を得てその場を脱出した『直刃』の面々へと悠月は小さく囁く。 「凪聖四郎、欲するならば間に合わせてみせなさい。そして蜘蛛の糸から――」 その言葉を受けて青年は小さく唇を動かした。 ――ああ、次はきっと敵同士だが。助かったよ、『アーク』。 「ああ、プリンス。―――」 「……ああ、そうだね」 いりすの言葉に聖四郎は小さく、笑った。 ● 天風亘は言っていた。惚れた弱みは仕方がない。きっと彼だって、そんな『弱み』を持っている筈だ。 愛しのフロイラインの事を想う少年の様な無垢な心が自分に在るのかと聖四郎は肩を竦める。 「紫杏、」 考える事は、沢山あった。 リル・リトル・リトルが利用し返すと言った言葉は十分に果たされただろうか。 あの場所の一般人の避難、蜘蛛のフィクサードを制圧するのには十分貢献したつもりだった。 ああ、酒呑雷慈慟からすればそれは当り前の言葉なのだろう。フィクサードである手前、リベリスタとの共闘だなんてケース、稀の稀だ。それこそ、ジェームズ・モリアーティの計算式の中でも特異点の様なものだろう。 宵咲氷璃が望んだであろう言葉を吐きだすが為、聖四郎は小さくため息を付き、そっと囁いた。 血だまりのなか、糸の切れた操り人形はその場に倒れている。 答えがないと知って居ても、『言わなければ』、いけないと思えた言葉。 「迎えに来たよ」 きっと、その言葉をかける事を氷璃よりも望んだのは紅涙いりすだったのだろう。 思い入れがあった訳でもない。面白いといりすは感じていた。その運命を擲ってでも姫君の元へと王子を届けると竜は考えていた。 奪い返しに来たのなら、王子なら彼が向かう際に告げた言葉を忘れてくれるな。 ――奪い返しに来たなら、ソイツを殺すだ何だと、ヌルい言葉を吐くな。命を惜しむな。刃が曇る。 運命をかなぐり捨ててでも果たさせようとしたソレ、『竜』が奇跡に縋るまでもない。 紛れもなく、凪聖四郎がこの場所に立っている事はリベリスタの『成果』なのだろう。 戦場では聖四郎の事を愚かな男だと朔は笑っていた。芝居掛かった様な物言いをする青年の考える事は解らないとリルは肩を竦めていた。 「面白い男だねぇ」 くつくつと笑う烏にとってこの結末は『若大将』の成長なのだろうか。 離れた場所――地下にまで辿りつく事が出来たのは朔が用意して居た百段でもあるのだろうか。 身柄を渡せ、とリベリスタへと告げた時、凪聖四郎は前を向いていた。 その時、六道紫杏のと言う女の表情にどの様なものが浮かんだのかを聖四郎は知らない。 男と言うのは面倒な生き物だ。それはエナーシア・ガトリングは聖四郎へと皮肉をこめて告げる言葉に似ている。 愛らしい外見には似合わない毒は今回ばかりは痛いほどに身に沁みる。 ――さて、首輪は見えるものも見えないものもあるわ。 見えるものも見えない物も纏めて引き千切れとエナーシアは肩を竦めていた。『面倒なPrinceさん』と面と向かって言うのか彼女ぐらいだろう。 小さな子犬が引き千切った『見える首輪』。彼女に掛けられたままの『見えない首輪』。 男は面倒な生き物だし、男の言う『敗北論』は彼女からすれば尤も否定される言葉だったのだろう。 あからさまな敵意を向けるリベリスタに敵意を向け返す事は無い。この場所に行けと背を押したのは紛れもなく聖四郎の目の前に居るリベリスタ達と同じ『アーク』の人間だ。 「プリンス?」 「――いこうか、イナミ」 言葉は無く、男はそっと『恋人』の身体を抱きあげた。 ● 恋とは敗北を意味し、欲深きは損をする。 手を伸ばし、得られる結末は――それが誰かが望む『幸福』であり、誰かが望む『不幸』であったとしても――『結果』として一つの形に終息する。 「欲深きは損をする――なるほど負け犬の戯言だわ、減点方が殊更に好きそうな」 肩を竦めるエナーシアの表情は変わらない。たじろぐフィクサードに向けられた銃口。 こてんと首を傾げて見せた『少女』の紫色の瞳には危険な色が宿っている。銃火器の祝福か、ああ、これが『祝福』だというならば、神様なんて理不尽でしかないだろう。 銃口を向けたままのエアルにエナーシアは引き金を一つ、引く。 「負ける事なんて手を伸ばせない事に比べれば何でもないでせう? 『敗北』だなんて、心の底から手を伸ばしたいと思えた事のない輩の戯言だけどね」 「貴女は?」 「――さあ?」 小さく笑んだ彼女がとん、と地面を蹴って下がる。唇を歪めたリルが滑りこみ回復役であった蜘蛛の腹を斬り付けた。刻みつけられた死の刻印が、フィクサードの回復を阻害すれば、好機と言う様に雷慈慟はフィクサードを睨みつける。 「これ以上、貴殿らと戦ったところで意味などなさないが、」 荒い息を吐く少女にやれやれと烏は肩を竦める。住民避難を終えたスコットランド・ヤードも含め、リベリスタ陣営は直刃を利用したことで強大な被害を被ってはいない。 市街地での戦闘を良しとはしなくとも、これ以上の戦いで敗色の可能性はゼロに近いだろう。 「……貴方達、本来向かうべき場所へ向かわなくて良いの?」 首を傾げた氷璃の言葉に、はっとしたように振り仰いで視線の向こう、騒乱の渦中にあるピカデリー・サーカスが小さく見えた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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