● 約束した。『君を護る』と。 例え世界を。運命を敵に回そうとも。 <人一人の命が地球よりも重いというのなら> 「両目を差し出せ」 それでチャラにしてやろう、と低い声が続いた。 自分はその要求に即答出来なかった。そして、その空いてしまった本の少しの間を、深く恥じた。それはすぐさま答えられる要請でなければいけなかった。だから、そんな自分を呪った。しかし、いくら自己嫌悪に陥っていようが事態は何ら好転しない。男は無言でこちらを見つめている。怖ろしい目だった。そこには『両目を差し出すか、否か』の問いしか浮かんでいなかった。その経緯とか、結果とか、そういうものを無視した空虚な目だった。 時間にすれば凡そ二三秒。跪く青年はたっぷりそれだけの時間を使った後、吐息混じりの艶めかしい声で返した。 「『それでチャラになる』のなら」 謂い終わると丁度だった。間髪入れずに男の指が青年の右目を突き、一つ眼球を取り出した。 やはり艶めかしい悲鳴が暗い路地裏に響き渡る。耳を劈くその叫び声を受けてなお、男の目には感情が無かった。あるのは『左目を抉る』という次の瞬間の選択肢だけだった。 平衡感覚が衰え、左目からぼたぼたと体液が流れ出るのを堰き止めようと、思わず混凝土の道路についていた腕を上げた時だった。男の指が今度は青年の左目を突いて、もう一つ眼球を取り出した。 片眼を失った時は視界の半分以上が残っていたのに、今度は違っていた。何も見えない。 魅惑的な叫び声が、更に音階を上げた。絶望と恐怖と、安堵。 くちゃくちゃと汚い音が路地裏に流れて、けれど其処で行われている一切の出来事を青年は知らなかった。彼にはもう何も見えなかった。不愉快な音が聞こえてくるだけだった。 蹲って、一通り呻いた。男は律義に、その痛みを遣り過ごす為の無駄な儀式が終わるのを待っていた。 「『これでチャラ』だ。その女には、『平均してあと六十年ばかりの生』が与えられる」 男が動く音がした。続いて、既に声を失っていた筈の彼女の、その微かな吐息が聞こえた。この世の終わりを感じさせるような痛みが引いて行く程の歓喜が、身体の節々に走っていった。 自分たちを『最悪の状況』に陥らせた張本人だというのに、青年にはその男がまるで神様かのように思えた。青年は信仰持たず、神を持たないが、この瞬間にだけは『救世主』というものを信じても良い気がした。 「お前はその代償として、生涯その肉眼で女の姿を見ることは叶わなくなった。どう思う?」 「僕の両目でこれなら『安い』」 鈍い音が響いた。青年の腹が蹴り上げられ、口からは妙な色の体液が吐き出された。 「思い違えるな。お前は正真正銘、自身の両眼を支払った。私にとって、これはその女に残された『平均して凡そ六十年の生』と等価値なのだよ。自分を安売りするな。決して『安くなどない』」 青年にはいよいよ分からなくなってきた。夜道で奇襲が如く自分と彼女を襲い、彼女は瀕死、自分は襤褸雑巾の様に打ちのめされた揚句、両目を失ったというのに、その男は『自分を安売りするな』などと説教染みたことまで謂い始める始末だ。これが喜劇でなければ、一体何だというのだろうか。 「取引は終わった。然し私は、まだ『取引の余地』を残している。青年よ、おまえが未だ『支払う』というのなら、私は『与える』ことが出来る。さあ、選択だ」 青年には暗闇しか見えない。否、見えない以上、それが暗闇であるかすら判別つかない。だが青年の脳は、明瞭に目の前の男に渦巻くその感情を、青年に見せた。『取引をするか、否か』。目の前の女が生を得たことも、目の前の青年が両目を抉られたことも彼の中には残っていない。男の中には過去も未来も無くて、ただそれだけがあった。その目が、青年には確かに視えた。 「腕だ。腕を支払う」 「どちらのだね」 「両方。右も左も、あんたにやる」 「ほう」 突然、青年は腕を掴まれて無理矢理と立たされた。男が何処に居て、自分が何処を向いていて、これから一体何が起きようとしているのか、何も分からなかった。ただ、自分は両腕を失うのだ、という未来だけが確定していた。 「私が何を『与える』のか、聞かないのかね」 「聞くよ。だがあんたは、必ず見合う対価を差し出す筈だ。僕の両腕は、『安くない』のだから」 不思議としか形容し難い信頼だった。自分がこの男を許すことは一生無いだろう。だが、この男は、自分との約束を違えることも決してしないのだろう。その信頼とも言える感情は、この状況を客観的に見て、異常だった。そして、男の返答は、青年のあべこべを実際に肯定した。 「その通りだ、青年。お前の両腕には高い価値がある。その腕が手に入るというのなら、もう『この腕』は必要無い。良い取引だ。だから、お前がそれを支払うというのなら、私は『これ』を支払う。その前に」 三度目の叫喚が通り抜けていった。敏感になった聴覚が、自分の右側から流れてくるぼきぼきとした音や、ぐちゅぐちゅとした音を聞き分けた。大声を出し過ぎてしまったのか、喉が切れた。青年は遂に声を上げることも儘ならなくなった。そうして、その往復をもう一度繰り返した。 「『これでチャラ』だな。お前はお前の大事とする両腕を失い、私はそれを得た。だから私は、お前にその対価を支払う。―――女に残された、『確定した六十年の生』を」 青年は無様に倒れこんだ。既にその意識は喪われつつある。その胸を支配する感情は、安堵だった。 これで彼女を護れる。 遂に意識を喪い倒れた青年を肩に、ただ意識を喪い倒れている女を左腕に抱えて、男は歩き出した。 彼女を護ると誓った。そしてきっとその誓いは達成される。 ただ、傍で彼女を護るのが僕ではない、というだけで。 ● 「私を、殺して下さらない」 と、女が言うのは一度目では無かった。男はここ数年、幾度もその言葉を聞いては、 「出来ない」 と、答えてきた。 「それに、お前は死にたくても死ねぬ身体だ。運命に愛され、運命に呪われた身体だ」 ここまでが二人の交わす決まった会話のパターンで、飽きることなく繰り返される非難と非難だった。 自らを護ると誓った青年が両眼と両腕を失い、その後、戦場で死んだ。そうして、自分を護る取引を交わし、恋人から両眼と両腕を得た男が残った。私はこうして、今も生き永らえている。 彼は私を護ってくれたのだ、と思い続けている。私は生かされているのだ、と思い続けている。 そしてそれは当に限界を超えていた。今なら良く分かる。 私は生きたい訳ではなかったのだと。ただ、死にたくないだけだった。 私は生きたい訳ではなかったのだと。ただ、彼と共に死にたいだけだった。 私は、生かされたい訳ではなかったのだと。 心が壊れても、私は生きている。生かされている。 この男に。この運命に。生かされている。 「私は取引を違えない。お前には『確定した三十五年の生』が残っている」 生きろと。 この男が。この運命が。 私を責める。 ●ブリーフィング 「敵はフィクサード二名。ホーリーメイガスの男性と、ソードミラージュの女性。ツーマンセルの彼らが、ある街の路地裏で覚醒者を襲う現場が予知された。この凶行が実現してしまう前に、フィクサードの処理をお願いしたい」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の視線はあくまでも映し出されたスライドに向いている。作戦依頼内容を的確にそして簡潔に纏めたスライドが切り換わっていく。淀みなく淡々とした声が状況を伝えていく。 「特に対応に苦慮するのはこのホーリーメイガスの男の方でしょう。名前は……、八鹿。この八鹿という男は、どうやら五つのアーティファクトを所持している様ね」 イヴの言葉に、リベリスタたちは思わず声をあげた。無理も無かった。いくらナイトメアダウンの余波を殆ど受けなかったフィクサードたちが、リベリスタと比較して強力な存在であったとしても、一人で五つアーティファクトは常軌を逸している。それだけを蒐集するというのもそうだが、常人では扱いきれぬであろう。組織を構成しない浪人フィクサードの所業としては珍しいケースであった。 「まあ五つと言っても、実質は三種類なのだけれど」 両眼に埋め込まれたアーティファクト。 両腕に埋め込まれたアーティファクト。 左右で二つと二つ。合計で四つ。二種類の破界器。 「個数的にも種類的にも、一つ余っているんだが」 「ええ、そうなのよ、ね」 それまでの歯切れの良さからは一点、イヴの口調が曇った。 スライドが切り換わる。何枚かを飛ばしたその先には、『Unknwon』の文字が小さく飾られていた。 「もう一つのアーティファクトについては、実は、良く分からなかった。それが八鹿の脳内部に内蔵されていて、かつ、何かしらの吸収能を使役者に付与する、というぼんやりとしたことは判明したのだけれど、それ以上に具体的な情報は、残念ながら得られなかった。まあだけれど、作戦遂行における戦闘上脅威になるものでは無いであろう、というのが『アーク』作戦部と私たちフォーチュナの見解」 そう言われてしまっては、リベリスタたちに続ける言葉は無い。彼女たちがそう判断したのなら、きっとそうなのだろう。『万華鏡』に支えられた、フォーチュナと呼ばれる稀有な覚醒者の力は、『方舟』にとっての道標に違いないのだから。 「アーティファクトについての詳細は別途資料を渡してあるからそちらを参照して。何れもかなりの脅威になる上、どうやら回収が出来ない類のものだから、きっちり破壊して来てね」 「その正体不明の『三種類目』もか?」 リベリスタの鋭い視線がイヴを貫いた。彼女はそれに臆することなく、 「そうよ。脳を破壊してでもね。八鹿が生きている限りアーティファクトは効力を発揮するし、死に至れば壊れるのだから、簡単な話よ」 と返した。 「他には?」 そのままイヴの無感情な視線がリベリスタ一同を眺めた。 ブリーフィングルームが静寂に包まれ、イヴが「それじゃあ」と切り上げようとしたその時、一人のリベリスタが手を挙げた。 「なにかしら」 「どうして、このフィクサード二名の経歴についての説明が無いんだ?」 リベリスタたちの多くの瞳が、イヴを見た。彼女は、本の一瞬だけ視線を逸らしたが、すぐに元に戻した。 「もしも興味があるなら、添付してある資料を読んでおいて。別段、私の口から説明する必要のない情報だから」 それだけを言うと、イヴは振り返りもせずにブリーフィングルームを去って行った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年01月21日(火)22:46 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 路地裏に強烈な閃光が充満した。男と女が思わずその動作を止める。 黒衣の男の腕には、人間の脚。 「……なに?」 倒れ込む若い二人の女性。その女性の傍らに立つ、見目麗しい女。 その眼に映る、八名の男女。 どこか見覚えのある、その表情。 「御機嫌よう。取引を行っていたのなら申し訳ありません。今回は中止とさせていただきましょう」 『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)が優雅にタクトを振るうその姿にどくんと心臓が鼓動して、守柄の横を一陣の風が抜けて行った。 八鹿に肉薄するその褐色の影。 「申し訳ありませんが、貴方には取引を違えて頂く」 「ふん―――」 きんと一際甲高い金属音。『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の振るう十一枚の刃を、男は―――八鹿は―――躊躇うことなくその右腕で受け止めた。 ぐしゃりと嫌な音。その八鹿の右腕に先ほどまで握られていた生身の肉。放られて、混凝土と混ざり合う残酷な後。共鳴するかのような女性の悲鳴。あれは、私の脚なのに。 至近距離で交差するうさぎと八鹿の視線。次の瞬間には互いが弾き合い三歩の間が両者を分かつ。 「お前等、リベリスタか」 八鹿の問いとも独り言とも取れる言葉を無視して、『弓引く者』桐月院・七海(BNE001250)の歌が響き、『Type:Fafnir』紅涙・いりす(BNE004136)と『無銘』熾竜 ”Seraph” 伊吹(BNE004197)がその二人の女性へと駆け寄る。 その様子を認めた守柄が動くより先に、彼女の前に二つの影。 「『アーク』のデュランダル、楠神風斗。貴女に『生きて』もらうために来た」 『折れぬ剣』楠神 風斗(BNE001434)が白銀の刀身を煌めかせれば、『ロストワン』常盤・青(BNE004763)はその大鎌を構えた。 守柄はぴくりと眉を動かすが、その表情はすぐに無感情を装う。 『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の静かな声が問いかける。 「お前には、聞きたい事が沢山あるんだ」 ● ミリィのタクトが振るった閃光と、それに続く夏栖斗の言葉に、八鹿と守柄は一瞬の間を空けた。そしてその予定された間を縫った絶妙の時機でいりすと伊吹が疾駆する。眼球から恥ずかしげも無く体液を流し、脚を奪われたその覚醒者女性二名の体躯を、二人は担ぎ上げた。 「その男に耳を貸すな」 伊吹の囁きが、嗚咽に埋もれる女性の耳元で零れる。黒いレンズ越しに彼の鋭い視線が八鹿を見据えた。 (……貴様のような男は反吐が出る。神にでもなったつもりか) 八鹿の顔はその運ばれていく取引相手をじいと見つめた。しかし、如何ともし難い。彼の目の前には三白眼のリベリスタ。相当にその刃武器の扱いが手慣れた猛者であることが一往復で分かった。少し視線をずらせば守柄の姿があり、彼女は二人のリベリスタと相対している。 この瞬間での最適解は何か。何が合理的か。 「ん」 思考の隙間をうさぎは認めない。方針である以上は、この男を殺めるとまでは思っていない。しかし、敵は長年フィクサードとして活動を続け、尚且つ五つのアーティファクトを使役する異類の男。そこに手心などは一切存在しない。 絶え間なく連続するその音色はうさぎによる熾烈な攻撃、そしてそれを受け止める八鹿の織り成す演武に元を辿る。序盤から攻めるうさぎの刃が一層加速する。光速にまで達するその斬撃が、質量を持って残像を展開すれば、 「っ……!」 その軌跡は八鹿の顔を左に避け、そのまま交差するように彼の左腕が間近に迫ったうさぎの頭を握り込んだ。 「私の腕は少々特殊でな、リベリスタ」 みしみし。みしみし。うさぎの口から堪らず小さな声が漏れる。 八鹿の顔に感情は無い。そしてその彼の感情を代弁するかのごとく、黒衣に纏われた左腕が悲鳴をあげる。それは世界を支配する熱力学を否定する反逆への代償。その結果得られる逆秩序への扉。『感情的』な左腕。 「多少、本の多少。君達の法則が成り立たない」 言い切る前に、爆散。弾かれるように吹き飛ばされるうさぎの姿。その光景に、夏栖斗は思わず目を見開いた。フィクサードであった過去から、現在に至るまで、その戦闘経験から一己の手練れ、成熟したナイトクリーク。あくまで初手とは言え見事に先手を取られたうさぎの姿を受け、急速に彼のギアが切り替わる。 ……聞きたいことは、やっぱり沢山ある。 細く美しい、無駄の削ぎ落とされた靭(しな)やかな体躯が不吉なる黒衣の男との間合いを殺す。その闘撃を己が武具として殲滅足らしめる体捌きが乗って、忌避された魔女の造りし紅桜花が深紅の軌跡を描き、一閃。 「少年、その姿勢には同意仕兼ねる」 受け止める黒い前腕。遍く在る抵抗を敢えて打ち消したかのようなバックステップ。 「真実に近付きたいのなら、先ずは自問することだ。―――『自分は何故置いて行かれたのか』と、な」 「―――」 何故。その問いが体を突き動かして、第二撃。 走り出した黒髪の少年の体は、しかしそのトンファーを男に突きつけるには至らない。 暗闇の中、妖しく光るその両眼。 「少女、『取引は中止だ』と言った様だが」 八鹿が語るのはミリィの言明。少女<ミリィ>が邂逅する男の『感情的』な眼。 ―――その瞬きの内に。八鹿の周りに浮かび上がる人型のエリューション。 ミリィの瞳に映るかつてのリベリスタ達を模造した出来損ないの咎人。 「取引は『成立』だ。むしろこれから、八人もの『客』を相手にせねば成らない繁盛振りでな―――」 告別の二つ名を持つ弓が揺れる。七海が視界に収めたのは二人のフィクサードと、五体の疑似エリューション。 過去のリベリスタがモチーフのその抜け殻。阻まれた夏栖斗がぎり、と歯を噛んだ。 (オレは強く「生きたい」と願い、そのように生きて、今それなりに幸せを掴めた) その身が揺れる。纏わり付く戦気が風斗の肌を焦がしていく。目の前の女性をして、彼は一切の手加減等は毛頭考えに無い。 (手加減が効く相手でも、状況でもない。この『依頼』の成功のために全力は尽くす) 何時だってそう信じて斬ってきた。これまでも、そしてこれからも斬り捨てていく。幾多の屍を踏みしめて、其れでも尚。 守柄はまず最初にいりすと伊吹に連れ出されていった女性覚醒者を見、次に八鹿の方へと目を遣った。今となっては胡乱なその瞳は、最後に風斗と青を睥睨(へいげい)する。彼女の手に握られているのは、レイピアの如く薄く尖く鍛え上げられた精巧な一刀。 雪の降り出しそうな闇の中、風斗の口から漏れるのは逃げ場を失くした白い闘志。 後方でミリィの声が謳われる。指揮者と奏者を司る彼女の清廉な瞳が齎すのは、箍(たが)を外すことを許容する絶対的勝利の証明。その共有意思は守柄と相対する風斗と青にも確実に伝達された。 裂帛の雄叫び。獣の様な獰猛さがそのまま、彼のデュランダルを真っ赤に染め上げる。 ……だが、一個人として。 振り上げられた刀身も、それまでにあった間合いも消え去った、次の瞬間の接敵。 一際甲高い音が響き渡ったのも束の間、次の斬撃が彼女を捉える。 (―――彼女に生きて欲しいと思ってる人がいる事を知っている) 『あの優しい人達』なら彼女を立ち直らせる事ができるかもしれないし、そうであればいいと思う。 青の亡とした瞳の先に顕在するのは、大鎌から伸びる大人二人分もの漆黒の影。形の良い守柄の頭を貫くべく生み出される黒い虚像。 風斗がそのデュランダルを守柄から離すのと同時、一拍の置かない連撃の如く青の振るう不吉が守柄を捉えた。 「……っ!」 歪む守柄の顔。それは一体何に対しての憤りなのか。彼女の固く閉じられた口は云いたかった何を飲み込んでいるのか。 でも、ボクだから分かる事もある。 家族も愛する人もいない世界でただ『生きろ』と言われる絶望を。 青も風斗も彼女を殺さない。それは―――。 「……25年。生きるでなく、生かされ続けてきた貴女に、言いたいことがある」 ● 再度響き渡る癒しの歌声。射手か癒し手か、七海の攻守バランスの取れた性能が戦況を巻き戻していていく。 「大丈夫です! くっつきます……よ……」 いりすと伊吹により無事に運ばれた彼女らに残された余力は、その歌にきっと癒されたであろう。しかし、無残なその傷口が、七海の声色を尻すぼみさせた。ああ、これは駄目なパターン。 七海の視界の隅には先ほど八鹿に投げ捨てられたその残骸<あし>。 <被害者が女性である点、八鹿のパーツとしては不釣り合いだ> そう言った伊吹の指摘に一人で頷く。そしてそれは、 <取引と言うプロセスを経る事で他者の肉体をアーティファクトとして組み替える……と、言ったものなのでしょうか?> と予想を立てたミリィの言葉を肯定も否定もしない。重要なパーツであるのなら無造作に捨てもしないが―――。 そこまで考えて思考を戻す。拾う暇も無ければ考える暇も無い。眼前には八鹿に生み出された敵が居る。駆逐するには。 告別の弦が嫋(たお)やかに弧を描く。それは約束された数刻後の業火。 「永らく活躍していたそうですがもう逃がしませんよ」 その手を殲滅へと切り替えたミリィのタクトが破邪の光を持ってして亡霊を焼き払うのを背に、いりすと伊吹が戦線へと復帰した。 召喚された疑似エリューション。その数はこの間にも数を三倍へと増やしている。 (恋人の一部を持つ男。経緯はどうあれ二十五年も連れ添えば情が移ることもあろう。 厄介な事にならなければ良いが) 七海やミリィの放つ広範な攻撃の中沈み逝く人型。しかしそれでも尚、一人で凡そ十体の人型を相手取る夏栖斗のもとに伊吹の姿が翻る。……あちらが手練れならこちらも手練れ。その白き腕輪が畝り、 「……」 次々と敵方の急所を撃ち抜く。 トリプルエスの冠を有するその精密射撃はエリューションのみならず――― 「ん」 その過去を背負う瞳が、八鹿の腕と眼をも狙い撃つ。 (まぁ、如何でもいい。人は誰も彼もが強くなれるわけでも。強くあれるわけでも無い) 「ただの独り言だよ。痴話喧嘩に付き合うつもりもない」 ―――神速、と表現して良かった。 紅い点が一閃、それはまるで暗闇に揺蕩う蛍の様に、揺らめいていてそして凛としていて、 「……ぬ」 飛沫弾けた。虚空にぽつりと咲いた花火。 それが斬撃であると認識して、八鹿は右腕を伸ばし切り、両眼を集中させた。 爆発音と消滅音。相殺された神秘は八鹿の眼の前に平伏したが、歪さの欠片も無い瀟洒(しょうしゃ)な刺突の幾らかは、確実に彼を捉えた。 初手から八鹿を相手取りここまで持たせたうさぎ。そして八鹿を挟むようにして反対に位置するいりす。 八鹿の眼がぐるりと一周する。守柄の身はまだ持ちそうだが、こちらからの援護もこれでは確実性を喪う。 いりすの剣戟は至極のそれであった。そうであるが故に、そこで仕留め損ねたからには、八鹿はそれに『対応』する。うさぎが与え続けた損傷が蓄積し、いりすの一手が彼の右腕を機能喪失に至らせたとしても、そこにはまだ四つのアーティファクトが残る。 回転数の上がる音が響く。別の『感情』が八鹿の眼に宿る。……それは斬っては戻すを繰り返し、無矛盾の内に因と果を置き換える非秩序な視線であって、 「『戻れ』『進め』」 二度繰り返される円環の外側。巻き戻しと早送りの末に蹂躙されるリベリスタ達の現在。 「……んにゃろ」 広範に渡ったその八鹿による反撃は、疑似エリューションを押さえていたリベリスタも含めその多くを撃滅足らしめる。……そして彼らの背負う運命が『立て』と体を責めあげる。 うさぎはその腕でぐいと口元を拭う。いくら止めたって流れ出る血液は奥底に宿る臆病な自分を抑え込む。 守柄の方へと眼を遣るが、未だ交戦中。交渉成立には至っていない。 (今からだって遅くない筈だ) 八鹿を、そして守柄を護るように再び形成される人型。 伊吹と夏栖斗が先陣を切ってそれを抑え込む。 「貴女が決めるんです」 うさぎの声は彼女には届かないだろう。それならそれでいい。 言葉は心を隠してしまう。本当に大切なことは、形を為さない。 いりすの振るう無銘の太刀が再度八鹿を捉えていく。宵闇に咲く朝顔は斬って斬って斬って、 「命を惜しむな。刃が曇る」 つるべ取られて、お前を倒す。 欲しいモノは勝利ただ一つ。 ● 圧されている。きっと、勝てない。守柄が抱く感情は、敗北を予感していた。 眼前の二人の男の子は強く、―――ただ只管(ひたすら)に強い。 生かされた命で。 生かされている命で。 何を血迷って、何様のつもりで、今更、生にしがみ付いているのか。 「……」 だからその声は……ただ痛い。 「守柄さん。貴女の『生』は、今、何を求めているんだ?」 私が求めるもの。 そんな自明な問が、今の私にはこの上なく大切なものに思えて。 「自分を犠牲にしてさ、残された方はたまったもんじゃないよね」 疑似エリューションと戦いながらも、少年が言う。 僕もそうだ。残された側だ。 「でもさ、生きていて欲しいんだろうね。君が逆の立場ならどうする? 僕なら……、正直わかんないや。わかんないけど、覚悟だけはわかる」 既に思考は規律の外にある。守柄は目の前の剣戟を辛うじて遣り過ごしながら、多数の人型に囲まれながら叫ぶ彼の、彼等の声を、聞いてしまった。 「なんでこの世界は何かに犠牲を強いるんだろうね。だけど―――誰かが、自分の為に命を落としたなら、残された方は生きないといけなくなるんだ」 ―――それが呪いだったとしても。 「……守柄、約束を違えるつもりか?」 感情の籠らぬ八鹿の声が雑音に紛れ、路地裏に響いた。 その眼に、守柄は一瞬震えた。揺れる心を、見透かされている、あの眼<彼の眼>に……。 <お前に選択など出来はしないのだ。お前は弱い女だから> 足が震えて手が震える。……ああ、やっぱり駄目だ。 あの人の事を思い出して、すぐに心が負ける。 「それでもその想いを踏みにじるようなことはしちゃダメだ!」 夏栖斗が叫ぶ。儘ならないこの世界の中、同じ『残された側』の人間として。 「―――そこで君の恋人は本当に死んでしまうんだ!」 流転。 守柄の中で、凡てが巻き戻されていく。 彼と出会った時、彼と共に笑った時、彼に救われた時。 彼が奪われた時、彼が死んだ時。 彼に……、生かされた時。 <守柄よ―――> あの時の選択は何だっただろうか? 「一度ぐらいそなた自身で未来を選んでみないのか。生かされるのではなく、『生きる』ための最善を。」 伊吹は認めない。そんな男の甘言など許さない。過去は何時だって自分の物だから。 怒号が響く。うさぎから発せられる声は低く轟く。 その黒衣の男に向かって。 「……確定なんていらない。畜生が、何が運命だ。お前はただの人間だろうが!」 風を斬る異形の刃。その刃が斬ったのは―――。 流転する。巻き戻る。 リベリスタとなった彼の顔が、彼女を見つめた時に。 「―――貴女の望みは何ですか?」 項垂れた守柄は、ミリィの声に、遂に頷いた。 「私は」 未だ揺らぐ瞳は弱々しい。そうだとしても。 彼女は八鹿を見つめた。 ● (あの人も自ら結んだ運命に縛られている) 青の目には、守柄だけでなく八鹿自身すら縛られている様に映っていた。 真実、彼は縛られていた。同様に一生緩まぬ幾重もの思考に。 そこからは一方的な戦場。 「ぬ……ぅ、―――ぁあ!」 自らの命を代償に削りながら召喚される歴史達。七海に放たれる業火に沈み、ミリィの照らし出す聖光に祓われていく。 その視線が周囲を改変していけば、彼の腕の射程に入った者は悉く逆摂理に爆砕され……。 「が、ぁ」 剣戟が、 闘撃が、 彼の両椀を潰し。 「きさま、ら……」 最後に八鹿の瞳に映ったのは、白き弾丸。過去を背負いきった乾坤圏。 伊吹の放った最高精度の別離。……それはきっと違えること無く。 叫び声。 彼の両眼を潰した。 ―――そう。そいつが言ったように、私は『ただの人間』だった。 ● 文字通り瀕死近くまで追い遣られた八鹿は、けれども一命だけは留めた。 守柄の表情は複雑な胸中を隠さない。 「結局、お前等だって『取引』をしているのだよ。私から選択肢を奪った上で、自尊心を満たす。……何も変わらない。私がやった事と何ら変わりない」 <或る者達は―――一握りの正義を語り―――正義の為に―――罪を犯し――― 世界が彼らの不正の中で―――溺死する> 「正義と云うものを信じない性質(たち)でな……、お前の様な目が、嫌いだ」 絶え絶えとした息は最後まで彼の意志を伝える。既にそんなものは見えないと云うのに。 「あんたの言うことはある側面では正しいんだと思う。けれど八鹿、一つだけ訂正するとすれば」 『嫌いだ』と言われた『少年』の顔は、怒りとも悲しみとも呆れとも取れない不思議な表情で。 「僕は正義じゃなくって正義の味方になりたいんだ」 「……ふん」 潰された両眼は彼の感情を隠し、けれど口元だけは歪んだ。 ……本当に、お前等は、何年経とうと。 「変わらんなあ……リベリスタの意志とやらは……」 途切れるように最後の言葉。次に目覚めた時は『箱舟』の中であろうが―――。 ミリィの横に立つ守柄は、その八鹿の言葉にこくりとだけ頷いた。 八鹿の残した初めての『感情的』な声に、あの人を思い出して。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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