●承前:軍用通信 『こちらアルトマイヤー隊。指揮を代行してるハイデマリー軍曹よ』 「研究所のドクだよ。ケツアゴ君、怪我して帰ったんだって?」 無線機の向こうで絶句する気配を感じ、ベルンハルト・ノイマン――ドクは喉を鳴らして笑った。相手は確かアルツマイヤーのところの跳ねっ返りだ。こんな時でなければ、もう少しからかうのもそれはそれで面白いだろう。 『アンタ、喧嘩売ってるの? アンタなんかより、少尉はずっと――』 「忘れないで欲しいな。僕は軍人じゃないからアルトマイヤー君は別に上司でもなんでもない。けど、彼が居なくなった今、この公園を守る部隊の指揮権は僕にある」 そう少佐が決めただろう? と追い討ちをかけて、たっぷり十秒待ってみる。その間続く沈黙を、小娘に上下関係が染み込んだ証だと解釈し、ドクは話を続けた。 「ハイデマリー軍曹。君はアルトマイヤー隊を率い、周辺の小隊の残存戦力を吸収して研究所方面に向かうんだ。狩りの勢子のように、なるべく追い立てるようにして」 リベリスタと交戦したら、逆に戦線を狭めて喰らいつくんだ。そう指示する彼に、無線機の向こうから怪訝な声が届く。 『承知したわ、いや、しました。……けれど貴方、随分と……』 「まぁ、長く生きてりゃいろいろあるよ。僕だって良い歳の爺さんだ」 無線を切って、ひとしきりげらげらと笑う。しかしドクが真に可笑しかったのは、生意気な小娘をやり込めたことでも、目障りな少尉がドジを踏んで逃げ出す羽目になったことでもない。 「そう少佐が決めただろう――か。ハハッ、都合のいい時だけ持ち出したもんだね、僕も」 ●リベリスタ 「あれは、な、何だ!」 研究所の建物を薙ぎ倒し現われた、巨大なる影。それは研究所と丘の中間地点、リュッケ隊を撃破したリベリスタ達からも良く見えていた。 「まるでゴリラか何かだな……次から次へと、よくも出てくる」 それでも、『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)は然程の心配をしていなかった。彼らにはアルトマイヤー隊と戦っていた者達も合流しており、その総力を挙げれば、如何にロボットが強力とはいえ勝てない相手ではないだろう。 だが、そんな彼の油断を、アクセス・ファンタズムの無線連絡が強かに打つ。 『緊急事態です! 中の池の『中』から現われた兵士達が、皆さんを狙って進軍しています』 肌がざわりと粟立つ。アルトマイヤー隊の残党とも一戦を交えなければならないことがほぼ確定している以上、事此処に至っての新手は彼らにとって最も避けたい事態だ。 そして、悪い知らせは連れ立ってやってくる。 『――追加連絡です! 親衛隊の残党も、東から同時に――!』 ●アーネンエルベの亡霊 リヒャルト少佐は実に素晴らしい『作品』である、とドクは思っていた。 彼らの祖国が崩壊するその時、一体何があったのか。後に再会した少佐は、明らかに以前の彼とは異なっていた。――あれは、『兵器』そのものだ。 「それをやったのが誰かなんて、考えるまでも無く一人しか居ないじゃないか」 クリスティナ中尉。 元アーネンエルベ特務機関付中尉。リヒャルト少佐の信頼する、実に有能な副官。だが本当にそうだろうか? 知る限り、アーネンエルベ在籍当時、リヒャルトとクリスティナは面識はあったとしても、上司部下ですらないただの同僚に過ぎなかったはずだ。 だが、リヒャルトが変貌を遂げたのと時を同じくして、クリスティナは常に少佐の傍らにある副官として、実質的に親衛隊をコントロールし始めたのだ。 「まあ、そんなことは僕にはどうでもいいことだ。僕は――超えたいだけなのさ」 もしドクが忠誠心厚い軍人であったならば、あるいは彼らの上官たるリヒャルトの扱いに反発し、クリスティナを排除する実力行使すら躊躇わなかったかもしれない。だが、幸いにして彼はそうではなかった。 リヒャルト少佐という素晴らしい『作品』を作ったであろう才能に、強烈な嫉妬を覚えただけだったのだ。 「けど、僕の『コング』ならやれる。『少佐』にだって負けはしない」 結論から言えば、彼の推測は半ば正しく、半ば誤っていた。クリスティナが持つ神器級のアーティファクト、意思を持つ魔道書。その存在を知らぬ以上、全てを解き明かすには至らない。 だが、狂気の天才たる彼が、大戦後の長い時間をかけて磨き上げた技術は、その到達点を証す術を求めて已まないのだ。 「さあ、リベリスタ。実験に付き合ってくれよ。僕の自信作なんだ!」 猟犬に魅せられた鋼鉄の巨人が、血を求めて月に吼える。 亡霊の哭く夜は、まだ終わらない――。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月23日(金)00:32 |
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●1943/EX 駄目だ、と口髭の男は言い捨てた。 「強力であることは認めよう。だが駄目だ。君達が生み出す化学兵器は、いずれ我々の将兵にも牙を向くだろう」 「しかし総統! 彼奴等の技術開発が遅れている今なら、我が軍はこれで圧倒的な優位を得ることが出来ます!」 必死に食い下がる同僚を、ベルンハルトは冷めた目で眺めていた。伍長閣下がかつて初歩的なガス兵器で失明しかけたという話を聞くまでも無く、この結果は判っていたことだ。 でなければ、『劣等民族』というだけの理由でドクトル・ハーバーを追放するなどという暴挙に踏み切りはしない。ベルンハルトすらその実力を認めざるを得ない『化学兵器の父』、マスタードガスの発明者を切り捨てれば、化学兵器の研究が十年遅れてしまうことは明らかだったのだから。 (いいじゃないか、閣下。なら、僕は鋼鉄と油で最高の兵器を作ってみせよう。あんな戦車や潜水艦風情より、もっともっと素晴らしいものを) 彼の頭にあったのは、アーネンエルベ研究所。表向き、アーリア民族の素晴らしい文化を誇示する為の機関として設立されたアーネンエルベが、神秘世界の技術を軍事に転用するための研究所という裏の顔を持っていることを、彼は知っていた。 (そして教えてあげるよ。高度な技術に裏打ちされた化学が、どれ程に素晴らしい兵器となるのかを――) にぃ、と唇が歪む。もう、眼前で展開される茶番劇は、彼の耳には届いていなかった。 ●断頭台の少女/1 戦場音楽は鳴り止まぬ。 親衛隊の猛攻の前に一旦は後退を余儀なくされ、研究所攻撃部隊との合流を図った対アルトマイヤー部隊。だが、かろうじて補給と再編に取り掛かる彼らを、更なる銃弾と砲火とが追いかける。 「なんだい、まだ続くのかい。本当に人使いの荒い連中だねえ……」 黄金の鎧に身を包んだ騎士、付喪がやや疲れた声で溜息を吐く。先にはリュッケ少尉率いる一群を撃破したばかり。戦いに支障は無いとは言え、身に負った傷も全快したとは言い難い。 「でも、まあ良いさ。精々頑張らせて貰うとするよ」 既に彼女の周囲にはぼんやりと蒼く光る魔方陣が展開されていた。それは、彼女が蓄えた魔力を循環させるサーキット。精錬され濃縮された破壊のエネルギーは、魔道書を触媒として一条の雷撃へと変わり、真っ直ぐに敵陣を切り裂くのだ。 「人の命を弄ぶ連中がどうなるか――連中に思い知らせてやるさ」 「ああ、亡霊が新たな亡霊を生まぬよう、ここで禍根は全て断つ!」 北欧の戦乙女にも似た鎧を纏い、赤い翼を大きく広げて。付喪と同じく研究所方面から転戦したコーディが魔杖を掲げれば、迫る敵陣に大きな炎の華が咲き、先鋒を務めんとする小型のロボットを巻き込んだ。 「決着をつけようか、親衛隊。――亡霊は亡霊らしく、闇へと還るが良い!」 コーディが本当に狙いたかったのは、無機物の戦列の後ろに見える、生身の兵士達だ。だが、あえて彼女は敵の前列に火球を叩き込む。 今何よりも必要なのは時間だ。撤収してきた丘の上の広場方面部隊が一息つくまで、もうしばらくの間、この戦線を保つ必要があった。 遅滞戦闘。少人数の局地戦ではそう起こらない、『戦争』ならではの光景である。 「ったくまぁ、往生際が悪いねぇ、あいつらも」 どうせ負け犬なら、尻尾巻いて逃げれば見逃してあげるのに。にひひ、と鼻で笑い、はぜりは両手で小さく印を結ぶ。瞬間、ぴん、と張り詰める空気。彼女の身体に流れる呪力をごそりと奪い取り、いくつもの彫刻刀が浮き上がる。 いや、ただの彫刻刀ではない。びっしりと呪文の刻まれた、それは陰陽の鬼符。 「時代は変わりまくってんだよ、『優良種』のロートルさん!」 それらが鴉の影を纏い、一斉に宙を切り裂いて翔けた。ターゲットは、銃剣を構え今まさに立射を試みようとした一人の兵士。群がるように次々と降り注いだ彫刻刀が、彼の肉を切り刻む。 「ろぼってかっけーよなー、見にいきたいよなー」 「馬鹿野郎、あっちはマジヤベェ。……こっちも洒落になってないけどな」 振り返れば、研究所方面にそそり立つ巨大兵器が見える。無邪気に騒ぐ六花に、普段は妹には甘い真も流石に渋い顔を見せた。 男の子にはやらねばならぬ時がある、という。妹とその友達を守り抜く。それは酷くエゴイスティックな願いかもしれなかったが――しかし、誰に責められる事も無い、ささやかな願いだ。 「秘密兵器とかふざけるなっての! 六花、前に出すぎるなよ!」 大弓を釣瓶撃ちにして弾幕を張る真。可憐な少女にも見える容姿とは裏腹に、険しい表情を崩さない彼は強靭なる精神を武器に戦列を支えるのだ。 そんな彼を、一発の銃弾がかすめる。 「ちぃっ!」 「……っ、大丈夫……! 任せて……」 真の肩に滲んだどす黒い血を見て、息を呑む依子。それは、彼女を飲み込まんとする戦場の恐怖。自分が、仲間達が血を流し倒れていく、いつか来る未来の象徴。 恐怖。恐怖。その圧力に押し負けて、つい、と涙が頬を伝った。それでも。歯を食いしばり、常に傍にある魔道書を抱きしめて、依子は祈るのだ。 皆を癒したい、と。 「だから、ナナシさん、……私に、力を、貸して……!」 呼びかける。答は無いと知っていた。けれど、『聞こえた気がした』。ここが分岐点、そして彼女のような癒し手こそが生命線だと――その覚悟を、そっと後押しするかのように。 「大丈夫、だから……!」 「なんだかヨリヨリがヒーローっぽいのだー。アチシこそヒーローなのだぞ、皆ついてこいなのだ」 拳に輝くタトゥーシール。魔力を浴びて輝く紋章が、雷を帯びてばちばちと火花を散らす。 「悪のロボットはヒーローに倒されるしゅくめーなのだ! さー、喰らってくだけろサンダーブレーク!」 真の静止を振り切って前に出た六花が、迫る敵、小柄なロボットと対峙した。自分よりも小柄な黒き人形は、散弾を放つ恐るべき兵器。けれど、これが初見の彼女は、なんら恐れることなくその拳を振り下ろす。 「ヒーローはさいぜんせんにいなければいけないのだー」 「……何処の死にたがりよそれ」 彼女を追って前に出た真名が、無防備な側頭部に肘鉄一つ。ぐげ、と蛙が潰れたような声を出す少女を最早見ようとはせず、黒髪の麗女は両腕を大きく振るった。 紅い瞳。甲に輝く紅玉。だが、その爪が引き裂き啜るのは、紅い血液ではなく夜闇に溶けるオイルなのだ。 「早死にしたくなければ、もう少し下がりなさいな」 戦い抜いてこそ意味があるのよ、と諭す彼女は、噂されるよりは遥かに澄んだ理知の光を、その鮮やかな瞳に映していた。 ぶつかり合う親衛隊とリベリスタ。一応は補給を受けたリベリスタと消耗のままに突撃する親衛隊、勢いの差は明らかなはずだったが――序盤の戦況はアークに不利となっていた。 「ホントに往生際の悪い連中だぜ!」 鍛えた身体を汗でびっしょりと濡らし、毒づいた逸平。パワードスーツ相手よりは幾分かマシ、というところではあったが、フィクサード連中のしぶとさを思い知らされるばかりである。 公園内に散った小隊の残存兵を吸収した結果、皮肉にもアルトマイヤー隊の平均錬度は上がっていた。局地戦にせよ、正面衝突の決戦にせよ、まず戦線離脱の憂き目に会うのは比較的実力に劣る者達だ。戦闘を重ねるほど、その純度は高まっていく。 「一つの目的に突き進む精神には感心するが、いい加減しつけぇ!」 山刀を振り下ろす兵士を、愛用の銃剣の背で受ける。一対一の鍔迫り合い。二本の武器の向こうで、殺気の篭った兵士の目が逸平を睨みつけている。 ぎり、と押し込み――返される。だが。 「やらせません!」 炎を纏いし鉄甲が横合いから兵士を殴りつける。声の主は貴志。鋭い眼光で油断無く周囲を見回した彼は、突出した逸平をカバーするかのようにその傍らに半身をとった。 「礼を言っておくぜ。ありがとよ」 「いえ、一対一で戦うなんてルールは無いのですから」 貴志の言葉は一面の真理である。寄せ集めのアルトマイヤー隊は、それ故に連携に乏しい傾向があった。この時点で彼らには知る由もないが、代理指揮を務めるハイデマリーは腕利きとはいえ軍曹風情。指揮経験も無い上に指示を受ける側のプライドが邪魔をするとなれば、箍の外れた兵士達は遮二無二突撃するしかなかったのだ。 「怪我なんざ知ったことかよ。有り余ってる力を全部ぶつけてやらぁ!」 防御など考えずに身体ごと突き入れた銃剣。柔らかい感触と同時に引鉄を引けば、鋼の牙が唸りを上げて親衛隊兵士の肉を食い破る。 「Sieg Heil!」 だが優位もつかの間、屍を乗り越える勢いで突撃してきた新手が、腰溜めにしてサブマシンガンから無数の銃弾をばらまいた。ぱらたたた、という軽い音と同時に、逸平や貴志の身体が次々と穿たれていく。 「よくも好き勝手に暴れてくれたな!」 両の手には不死の戦士の銘。飛び出した和希の薄緑色のブンディ・ダガーが、その兵士の胸を裂いた。とはいえ、驚きはしたものの、傷は浅く敵を止めるには至らない。 「相討ち狙いか? 大した事はないな!」 「倒れないに越したことはないさ。そりゃ、オレよりも強い人はごろごろいるけれど」 だが、余裕じみた和希の返答。兵士が怪訝な顔をしたのもつかの間、斬撃に紛れて胸に付けられたオーラの爆弾が爆ぜ、肉を抉り血を吹き出させた。 至る所で凄惨な殴り合いが始まった。一人ひとりの能力が高く、自動機械を使い捨てにして攻めてくる親衛隊と、協力し支えあうことで攻勢を受け止めるリベリスタ。がっぷり四つに組み合って、しかし、徐々にリベリスタは守勢に追いやられていた。 だが、リベリスタの誰もが知っていた。今は耐えるべき時だと。耐えるべき理由があるのだと。 そして。 「お待たせしました……!」 逸平や貴志、その他にも、早くも深い傷を負った者達。ふわり、と一陣の風が駆け抜けたかと思うと、それらの傷はみるみるうちに塞がっていった。 聖別の癒風を喚んだのは、ようやく補給を受け、戦線に復帰した対アルトマイヤー隊の麻衣。ここまで走ってきたのか、小学生とも見紛う小さな肩をはぁはぁと上下させながら、それでも彼女は小さな魔道書に魔力を巡らせる。 「例え傷つき倒れても、一人として死ぬことが無いようにすること。それが、私の役目であり、唯一の力ですから」 皆で再び歩いて帰るために、全力で支えます――そう言い切る姿は、本来の年齢相応の凛々しさすら湛えていた。 「負けるのは嫌いなんですよ。何処も彼処も傷だらけで、休んでた方がいいぐらいかもしれませんけど」 親衛隊とぶつかり合う戦線に踊り入るメイド服。いや、要所に補強を重ねたそれは、五月にとっての戦闘服と言えるのだろう。 「先程の借りを返さないと、気が済みませんからね……!」 あえて孤立の危険を冒し、仲間から離れた場所へ乗り込んだ。茨棘が突き出た手甲をぶん、と振り抜けば、立ち上る業炎が渦を捲いて『彼』の周囲を焼き尽くす。 「また自爆に巻き込まれるのは御免ですよ」 先のアルトマイヤー隊との戦いでは、手榴弾の爆発を身体で押さえ込んだ五月である。いざとなれば一人でも多くを道連れにする覚悟は出来ている。だが、命の安売りはしない、それだけなのだ。 「蹴散らしてやれ……!」 戦線を押し上げた五月。その代償は、親衛隊の集中攻撃だ。だが、後方より投げ入れられた投槍が、得物を手に襲い掛かる兵士達に降り注ぐ。 「仲間を見捨てはしない。戦況を左右する力は無いけれど、できることをするよ」 回復に攻撃に支援にと。広い視野で戦場を見渡すユーティリティプレイヤーたる理央の放った一手は、親衛隊への鋭い牽制。思わずのけぞった彼らに、すかさずリベリスタからの攻撃が殺到した。 「それにしても、連戦に次ぐ連戦、親衛隊の粘り強さは流石の一言だね」 それでも退く訳には行かないと思い定め、彼女はまた周囲を注意深く見渡した。 「往生際の悪い亡霊共が――良いぜ、跡形もなく消し去ってやるよ」 誰の記憶にも残らねえ位にな、と吐き捨てて、プレインフェザーは不可視の糸を全身から解き放つ。何台もの機械兵、何人もの兵士に纏わりついた気の糸は、その動きを束縛し、鈍らせるのだ。 (こんな奴らに、あたしの大切な人は奪わせない) ちらりと視線を横に向ければ、包帯の下に結構な大怪我を負いながらも仁王立ちをしてみせる喜平の姿。再び倒れれば命すら危ない以上、守り抜いてみせる、と彼女は心に決める。 「今を生きる者達の為にも、過去は過去で居てもらわねば、な」 墓標の如く巨大で無骨な散弾銃。数々の戦場を共に駆け抜けた相棒を喜平は手に抱え、敵陣へと向ける。 普段は鈍器として扱うことが多いこのデカブツだが、もちろん『普通』の使い方が出来ないわけではない。今がその時だ、と引鉄に手を掛ける。 「だが、まだ歩みを止めないなら存分に進め。……砕き尽くしてやるよ」 希望も意思も、何もかも。そう呟いて、指にぐ、と力を加えた。吐き出されたのは銃弾ではなく、凝縮された闘気。巨大なエネルギー弾は爆ぜるより早く、その圧力で哀れな自律機械を弾き飛ばす。 「そう、だから此処が、夢の終わりだ」 「ホントは亡霊共なんかもうどうでも良い。でも、この戦いを終わらせよう」 そして、明日より先に行こうぜ、一緒に。そう囁いたプレインフェザーに、男は唇をふ、と吊り上げた。 「非力な身ですが、露払いくらいにはなりますよ」 夜闇に溶ける黒一色。暗殺者の如き風情を湛えた孝平が一段スピードを上げ、音速にまで至る神速の一閃を見舞う。だが、相手取る親衛隊もさるもの、咄嗟に身を逸らし、肩を浅く斬られただけに留めてみせる。 「甘いな!」 「……いいえ、計算通りですよ」 はっ、と振り返る。そこに迫っていたのは、大蛇の影を従え、短刀を抜き放った瑞樹だ。 「この戦でも多くの人が覚悟と共に散っていった。……無駄にしてたまるか、その覚悟を!」 影の大蛇が鎌首をもたげ、兵士に捲きついた。そこに振り下ろされる白き刃。それは何の変哲も無い一閃。けれど、この一撃を当てるために、ただ只管に技量を磨き続けてきたのだ。 「この一撃。外すものか! 喰らい付け、白妖!」 ぞぶり、と突き立った。途端、傷口が凍りついたかと思うと、そこを中心にして全身に氷が広がっていく。それは、呪刀に秘められた魔力。物の怪の骨が齎した呪詛だ。 「火種を残さないためにも、全部片付けるよ!」 一時的にせよ兵士を無力化し、瑞樹が叫ぶ。再編を終えた対アルトマイヤー隊のリベリスタによって踏み留まりつつある彼らは、一斉に喊声を上げて応えた。 「残党を気取るのは一度きりにしておくんだな。見苦しい」 白いスーツにショールを靡かせて、福松はパナマ帽の淵をついと上げ、アウトローを気取って見せる。小学生が気取る様子には微笑ましさすら感じるものの、これがなかなか板についているから侮れない。 「『アーネンエルベの亡霊』ね。そのまま『亡霊の亡霊』になるか?」 黄金のリボルバーを無造作に構え、そのまま連射する。加熱する銃身。つんざくような銃声が吼えるたび、マグナム弾がロボット共の装甲を、兵士達のプロテクターを穿った。 「誇り高く散りたいならここで素直に倒れておけ!」 一体の黄色い機械兵が小さく爆ぜ、屑鉄に変わる。親衛隊の兵士も、耐え切れず脱落する者が出始めていた。だが、それはリベリスタの側も同じ事。ライフルに射抜かれた詩人が白衣を鮮血に染めて――それでも運命を盾に、戦列を支える。 「最大限足掻いてみせましょう。それでこそ、リベリスタってものでしょうよ」 グレネードを投げ入れる。銃撃の的になるほどに前に出ていたこともあり、敵陣のど真ん中に落ちたそれは、次の瞬間、閃光と轟音とを撒き散らして後方の親衛隊兵士の感覚を奪った。 それが、この局面の攻勢の合図。風向きが変わったことを感じ取り、アーデルハイトはそのほっそりとした両手に魔力を練った。 「武勲の誉れ高き鉄十字を抱く軍勢たちよ、覚えておきなさい」 漆黒のマントがふわりと浮き上がる。その下に隠された絢爛たる宮廷服、精緻なる刺繍は、彼女の銀糸の髪に映えて溜息をつくほどに美しい。 「人は、護るために戦い、奪われたくないがために抗う。武器を手に取り人を殺めたとき、弱者は強者を弾劾する資格を失うのです」 ああ、それは、有史以来人々が繰り返した一片の真理なのだろう。だが、彼女は知っている。耳に心地よくとも力なき祈りには、何の意味も無いのだと。 故に、彼女もまた、自らを罪人へと落とすのだ。 「さあ、踊りましょう。土となるまで、灰となるまで、塵となるまで」 まず仕留めるは意思無き人形。伸べた指先から迸る稲妻が、ぎこちなく近づいてくる機械兵を閃光の中に飲み込んだ。 ●工兵の意地/1 「また懲りずに燃やされに来たのか」 「いやぁ、あいつら燃えないんじゃないかな。鉄だから」 胸を張り格好をつけるなずなを、横から吹雪が混ぜ返す。ばつが悪いのか、お前から燃やすぞ、と強気に言い捨てた彼女が右腕を突き出せば、金の腕輪に篭った魔力が広げた掌を介して炎を象った。 「どれだけ丹精込めて作った作品だか知らないが、燃えてしまえば皆一緒だ」 薄い胸の内には滾る熱情。金属すら灼き尽くす勢いで迸った地獄の炎は、敵後方の広い範囲を嘗め尽くし、鋼の兵士を炎熱に包む。 「木偶の坊どもめ、真っ赤な炎と共に舞い上がって燃え尽きろ!」 「おお、怖い怖い」 おどけてみせた吹雪は、しかしこの戦場の意義を熟知している。中の池から上陸してくるロボットの大群。ここを食い破られれば、あのデカブツとやり合っている連中と親衛隊を押し留めている連中、両方の背後を危険に晒してしまうのだ。 「しかしまったく、まだこんな物騒なもん隠してたとはな。帰り道をちゃんと作っておいてやらないといけねぇのに」 面倒くさそうにそう告げて――次の瞬間。ふっ、と彼の姿が掻き消えたかと思うと、小柄な大人ほどの自律兵器に痛烈な斬撃を浴びせていた。 「もう無理に突破する必要はねぇ。出てきた奴から潰してやれ!」 「ええ、私達は返り討ちにするだけよ。片端から叩き潰すわ!」 忍装束にしては随分と露出の多い衣装を身に纏い、沙霧が後に続く。手にするは刃物でも鈍器でもなく、挽き倒して絞めるための堅い紐。 素早い身のこなしでサテライトの懐に入り、バルカンの銃口が向く前にぶん、と振り抜いて。 「リヒャルトが兵器だとか作品だとか、どうでもいいの。また人が死んだんだから!」 目にも留まらぬ一撃は痛烈な打撃となって機械の関節にダメージを与える。そのまま絡みつく革紐をぐい、と引き、地面へと無様に転がして。 「あの時のゾンビや鬼に比べたら、あんたらなんてまだぬるいッスよ!」 甲冑をがしゃりと鳴らし、イーシェが愛剣の切っ先をサテライトの胴へと突きたてる。鮮血の代わりに噴き出したオイルが、彼女の頬と白いマントとを黒く汚した。 「数を集めたら、アタシらが怖気づくとでも思ったッスか?」 飛び起きて剣を構え直し、迫るサテライト達へと剣を向ける。足下で残骸が小さく爆発する音が聞こえたが、彼女はもうそちらを見てはいなかった。 「前も言ったッスが、この公園が世界に持つ意味は特別なモノ。好きにさせる気はねぇッスよ、親衛隊!」 それは決意表明。それは宣戦布告。騒々しい夜に凜と響いたイーシェの啖呵は、だが言葉ではなく銃弾によって報いられる。 「……っ!」 次々に上がる悲鳴と苦痛の声。耳をつんざく銃声に、シェラもまた咄嗟に盾を構え身を庇っていた。だが、被弾の衝撃は、肉を裂く痛みは訪れない。代わりにつんと鼻を突く、香辛料の刺激臭。 「ははっ、大丈夫、ですか?」 特殊加工の大皿と、カレールーを各所に仕込んだ防護服。それから自分自身を盾にして、小梢が覆い被さっていた。シェラの頬を、青い髪がくすぐって。 「カレーの力で、守ってみせますよ。それくらいしか、能がありませんから」 「そんな……!」 驚きのあまり小梢を見つめるシェラ。だが、彼女は成すべきことを思い出し、ぶんぶんと首を横に振ってから手を組んで祈りを捧げる。 「正直な気持ち、とっても怖いですけれど」 戦場に齎されるは柔らかな風。涼やかな流れが、リベリスタの肌の火照りと傷の痛みとを打ち消していく。 「この公園を渡したままにしておけば、きっとまた、大きな悲しみを呼びますから……!」 「いい覚悟。なら、もう少し下がりなさい。こういった相手なら、私達がやること自体はあまり変わらないわ」 そんなシェラに、やや後方からアンナが声を掛ける。前衛に頼るのは、決して卑怯でも悪いことでもない。そう諭した彼女は、両手に抱えた正十二面体をそっと差し上げた。 「不用意に敵に身体を晒さないのが、回復役の務めよ。……こんなのをルーチンワークに出来るぐらいには、皆、場慣れしてるの」 先ほどよりもずっと強い風が吹く。自分では癒し切ることが出来なかった傷をも塞ぐ強い神気に、シェラはわぁ、と声を上げた。 「ええ、馴れちゃったのよ。全く忌々しい話だけど――あんた達が騒がしいお陰でね!」 「ちっ、こいつら、プログラムで戦っている割にはやりやがる」 「少なくとも、アルトマイヤーが使っていた物よりは格上のようだな」 飽くことなく攻め寄せる機械の兵士を前に義弘が舌打ちをすれば、背後についていたオーウェンが涼しい声で応えてみせた。 格上、と評するには理由がある。アルトマイヤー隊に配備されていた『Ameise』も、今戦っている『サテライト』も自律型には違いない。備えた装備も押しなべれば大差はないだろう。 だが、サテライトは明らかに『攻撃して欲しくない場所』を的確に突いてくるのだ。例えば癒し手。例えば前衛が倒れて後送され、手薄になった場所。 まるで、歴戦の軍人が判断しているかのように。 「さっきは、組になっているパワードスーツをぶっ潰せば、こいつらは止まっていたんだが」 「――なるほど」 ちら、と目を向ければ、敵陣の遥か後方に、砲兵を中心にしたパワードスーツの一群が見える。つまり、判断しているのだ。歴戦の軍人が。 「単体でも戦える自律型なのは確かだろう。だが、より効率的に戦わせる為に、指揮を執っている者がいる」 「つまり、あいつらか」 片目を眇め、思考の本流より一つの真実を導き出すオーウェン。その言わんとすることを察した義弘の判断は早かった。敵中に身を躍らせたかと思うと、光り輝くオーラに包まれた鉄槌をぶん、と振り下ろす。何かがひしゃげる音。 「これ以上、好き勝手はさせん!」 もう一度。鈍い風切り音が鳴る度に、ぞくりとするほどの破砕音が響く。流石に一撃毎に鉄屑を量産できるほどサテライトは弱くは無かったが、進むことを決めた『侠気の盾』は最早一歩たりとも退く事はない。 「俺達がアークだ。死んでいった奴も含めて、俺達がアークだ!」 「ただでさえ熱帯夜、これ以上暑苦しいのは御免よ」 含み笑い一つ。やや長めの厚刃を手にした未明が、稲妻の闘気を迸らせて大きく一閃を放つ。腕に固定されたブレードでがしりと受け止める機械の兵士。だが、その細身の身体の何処からパワーが沸いて出るのか、彼女は強引に押し倒し、ロボットの頭部に刀身を食い込ませた。 「あんた達! 本当にあいつに従っていていいの? こんな程度の新兵器お披露目に駆り出されてるのよ!」 改良型サテライトの能力は高いが、リベリスタを圧倒するには至らない。撤退でも反撃でも穴の死守でもなく、ただ膠着するだけの戦場を、親衛隊が良しとするとは思えなかった。 「……ミメイ。それが軍人というものだろう。命令には逆らえん」 突き放したように――あるいは冷笑を浮かべ、一瞬の内に構築した戦闘行動を実行に移すオーウェン。ブースターを発動させて威力を増した蹴りを浴びせ、背を折られた一体のロボットが動きを止める。 そんな彼らを、後方からの火力が援護する。濃密な弾幕を張って戦線を押し上げるのは、諭の生み出した影人達だ。だが、彼自身は滝のような汗を流し、気力を振り絞って術を紡いでいた。 そんな彼の肩にそっと触れる感触。見れば、仮面でその顔を隠した女――ヘルが押し当てた手が淡く輝き、柔らかな熱を送り込んでいる。 「ああ、ありがとうございます。ただ、あまり無茶はしないことですね。守ってくれるのは嬉しいですが」 そんな彼の脳内に直接響く声。曰く、心配無用、使命に生かされ、使命が導く、と。いまだ敵のジャミングが残ってはいたが、流石にこれだけ近距離ならばテレパスも通じるようだ。だが、次の台詞に、彼は眉を顰めた。 (――体の傷は、『替えが利く』) 「……傷ついた女性を眺めて楽しむ趣味はありませんよ」 それだけ言って会話を打ち切り、諭もまた両手に抱えた火器を前方に向けた。マシンガンなどより遥かに口径の大きい銃弾が吐き出され、やわな拳銃では歯が立たない敵の装甲を食い破る。 「楽しんでますか、砲火を。十分楽しんだら、さっさと高価な命を磨り潰して死に絶えてください」 (魂の宿らぬ鉄は、ゴミのオブジェと大差ない) どこか満足げに『呟いた』ヘルの眼前で、また一体、サテライトが爆散する。 「……チッ、面倒くせぇな。やられて初めて、物量作戦が厄介だと気づいたぜ」 二本のナイフを手にした久は、しかし後方にその居場所を定めていた。奥の手として隠していたということは、敵にとっても相当に自信のある兵器だということ。下手に前に出れば足を引っ張りかねない以上、動き方は慎重に考える必要があった。 「まあ、アークの技術も馬鹿にしたものじゃないからな」 入手したばかりの短剣を無造作に振るえば、目に映ることのない真空の刃が宙を舞う。二度、三度と次々に送り込まれる鎌鼬。まるで機銃の掃射にも等しい一斉攻撃がサテライトに無視できないダメージを与えるのだ。 「腐敗した過去の遺物共に、俺達の未来は決して奪わせはしない!」 「そうです。もう陽動だけの作戦ではありません。必ず勝ちますよ!」 応じて声を上げたのは、そっくりな二人の青年、その片割れ。快心の笑みを湛えた修一が、機械の右手を真っ直ぐに伸ばした。 くっきりと浮かぶ紫のLED、そして淡く輝くオーラの糸。 「ここから見えるデカさとは恐れ入るが――あのゴリラに向かった仲間の邪魔は、絶対にさせねえぞ!」 やや荒々しげな印象を与える修二もまた、機械化した左手の五指を大きく広げる。涼やかなブルーの光が甲を彩ると同時に、視えざる糸が兄のオーラの後を追って放たれた。 「戦場で最後に体を動かすのは強い心。そんな機械など、我々リベリスタはおろか、曲がりなりにも信念で動く親衛隊の兵士にも及びません!」 「はっ、第一奥の手ってのは、先に見せた方が不利って決まってるんだよ!」 螺旋を描く二本の糸は正確にサテライトの首筋を射抜く。無論このロボットにとって頭など飾りに過ぎない。だが、カメラとのコネクションが傷ついたのか、反撃でばら撒くバルカン砲の照準も、やや散漫になっていた。 そんな手負いの敵を狙うのは、磨き上げられた鎧と盾に、桜舞う緋のマントを羽織った少女。騎士めいたラインハルトは、二つの十字を押しらった大盾を、陽も月も見よとばかりに掲げてみせた。 「此処が、私達こそが世界の最終防衛線。歪んだ自尊心等で英霊眠るこの公園を、穢させはしないのであります!」 瞬間、目も眩むほどの輝きが盾から発せられ、一条の光線となってサテライトを射抜いた。それは正義を貫くものの裁き。決して敵を討つことなきその白光は、しかし鉄の兵士を廃棄寸前にまで追い込んでいる。 「世界の趨勢は今この瞬間に在り。戦いに赴く戦士達よ、祝福を! 幸いを! そして、勝利を!」 高らかに唱えるラインハルト。ただ、世界の平和を守る、ただそれだけの為に。彼女は、絶対に退かないと決めていた。 他の多くの仲間達と同じように。 ●アーネンエルベの亡霊/1 もうもうと立ち込めるガスを突っ切り、『それ』は跳ねるようにして突進した。 コング。四・五階建てほどの高さの、ゴリラを模した巨大ロボット。 身体の自由を奪われ、全身を麻痺させたリベリスタ達が、コングの巨体に跳ね飛ばされ、全身を強く打った。 「なんだ、ちゃんと戦い方を知ってんじゃん、研究野郎!」 頬を紅潮させたツァインが、嬉しさを隠さずに叫んでみせた。もとより戦う為に戦う、といった感のある戦闘馬鹿である。ボタン一発で砲弾やガスが飛んでいくような戦いは、彼の望むところではなかった。要するに、顔を見て斬りあっていればよかったのだ。 だが、巨大ロボットでしかもコングという分かり易い力の象徴を前にしては、流石の彼も笑うしかないのだ。 「いいぜ、ちゃんと敵として相手してやるよッ!」 足は止めずに側面へと回り込みながら、しかしツァインはただ剣を振るうだけのバーサーカーではない。その気迫をもって英霊を招き寄せ、跳ねられた仲間へと憑依させることでその傷を癒すのだ。 「決死隊、の犠牲……は、無駄にはしない」 この夜、多くのリベリスタ達が、エースと呼ばれる自分達を助けて勇敢に戦い、そして散っていった。天乃はその意味を知っている。決して軽んじてはならないと知っている。 「さあ……、始めよう。血を、汗を、流し、命を燃やし、運命を削る……楽しい楽しい、闘争を」 コングの巨大な石柱のような右腕を不可視の気糸が取り巻き、十重二十重に絡みつく。ロボット相手に絞殺とはいかないが、締め上げられた装甲はみしりと音を立ててたわんだ。 「大きい相手、は初めてじゃない……。温羅、に比べれば、温い……よ」 「ああ、まったくだな。あいつほどじゃない」 ライフルを構え、素早く狙いを定める木蓮。そういえば、あの時は龍治が居たな、と気づく。今夜、隣に愛しい男は居ないから、二人分頑張らないとな、と呟いた。 「なぁドク、マッドサイエンティストは物語の途中で倒されるもんだろ?」 迷わずに引鉄を引く。無造作に、けれど狙い済まされた銃弾は、真っ直ぐに飛んで左足の装甲板の付け根を叩いた。快心の一射ですら貫けない装甲に渋い顔をする彼女だが、すぐに思い直し、不敵な絵根を浮かべてみせる。 ――雨垂れは岩をも穿つ。 「やってやろうじゃないか。俺様が、俺様達が退場を手伝ってやるぜ!」 コング、という存在はリベリスタ達にとって余りにも圧倒的だった。その大きさ、パワー、あらゆる神秘の護りを超えてくるガス攻撃、そして強靭に過ぎるその外装。けれど、驚きこそすれ、怯えた者はいない。諦めた者はいないのだ。 「ここが初めての任務というのは正直怖いでありますよ。でも、ほんの少しでもやれることがあると信じているであります」 シフォンは自らの力不足を知っていたが、だからと言って後ろで見ているわけにはいかない。飛行機だって殴ってみせると豪語する彼女だが、今は撒き散らされる麻痺毒で身動きが取れなくなった味方を一旦安全圏まで運ぶことに徹していた。 「少しでも長く、少しでも多く戦えるようにする、それも戦い方であります!」 個々の実力差はあれ、彼女のように支援に徹したリベリスタも多かった。例えば刹姫がそうである。体内で練った魔力を僚友に分け与え、消耗の烈しい癒し手を支える――それは、地味ながらも戦線を支える殊勲と言っていいだろう。 「ありがとう、助かったわ」 「どういたしましてっすよ!」 支援を受けた小夜香が、クロスを掲げ祈りを捧げた。たちまち彼女を中心にして、よどんだ空気が動き出す。 「癒しよ、在れ。祝福よ、在れ……!」 夏の夜の蒸し暑さすらひと時忘れさせる、浄化の涼風。火照りを覚ます風は、傷の痛みを消し去るだけでなく、身体を縛るガスの効果すら洗い流していった。 「ただ指を咥えて眺めるのはもう沢山なのよ。だから祈り続けるわ。癒しを、もう一度立ち上がる力を与える為に」 艶やかな黒い髪が風に靡く。聖者のメダイユを掌で包み、祈りを捧げる小夜香は、しかしその顔に悲壮ともいえる決意を刻んでいたのだ。 『はははっ、リベリスタの諸君、これならどうだい?』 肩の砲門が開いたかと思うと、スプレー缶のようにガスが噴射された。だが、うっすらと赤く色づいたそれは、何度も浴びた麻痺や毒ではない。 「うああああっ!」 まともに浴びたガガーリンが、常の落ち着きに見合わない悲鳴を上げた。彼の全身から立ち上る白い煙と、鼻を突く臭い。肉が焼け爛れる悪臭が、ガスが拡散するよりも早く戦場を満たす。 「なんてことを……!」 真っ先に反応したのはレイチェル・ウィン・スノウフィールド。白き杖を大きく一振るい、焦るように詠唱を紡いで癒しの力を引き出し、戦場へと送り込んだ。ガガーリンを包むように渦巻いた突風が、彼の炭化した肌を修復していく。 「あたしの事なんてどうだっていいんだ。でも、みんなを守れないのは、嫌だ!」 「いや、ユーも皆と同じく、生き延びなければならない」 なんということだ、と嘆息し、ガガーリンは聳え立つ巨像を仰ぎ見た。ただ破壊と虐殺のために生まれた科学の子は、いまリベリスタを圧殺せんと毒の息を吐いている。 「地球が泣いている、自然が苦しんでいる。立ち向かわなくてはいけない、ワタシの魂がそう言っている」 彼の強い意志は聖なる加護となり、戦いに挑むリベリスタの背を後押しする。そして彼もまた、一歩たりとも退かぬと決めている。 「何故ならワタシはキャプテン・ガガーリン。地球を守る為に戦う地球人(テラノーツ)なのだから」 奮い立ち、一斉に攻勢に移るリベリスタ。その先陣を切って、兇姫のキマイラから奪った一対の腕輪が夜の公園を駆け抜ける。 「嫌いではないセンスだが――失せろ亡霊。今は二十一世紀だ」 伊吹の腕輪はコングを強かに打ちのめす。これほどの巨体を押し戻す事は流石にできないが、それでもダメージは降り積もる、そう確信していた。 「これ以上、一人たりともくれてやるわけにはいかない。貴様一人で冥府に堕ちるがいい!」 それを言わせたのは、遠い遠い記憶だろうか。答は彼自身も知らぬまま、サングラス越しに鋭い視線を投げかける。コングへと。その内部に居るであろう、ドクへと。 「要は狂った科学者よね。自信作だか知らないけれど、そんな猿を此処で暴れさせて貰っては困るのよ」 御釈迦にさせて貰うわ、と言い捨てて、霧音は鞘に収まった桜花の刀に手を掛ける。呼吸――そして、抜き放つ。幻影を斬るかのように白刃を鞘走らせれば、斬撃は真空の刃となってコングの左腕、その付け根へと突き刺さった。 緋色の着物を纏った彼女は人形のように美しく、ただ左目に捲かれた包帯だけがその冴えた美貌を損なっていた。 「人はかつて、巨大な敵にも知恵で戦いを挑み、勝利してきたの」 あらゆるものを斬ってきた居合いが『止められた』ことにも動ぜず、蒼の視線は凜として鋼鉄の像を射抜く。今宵、狩りの獲物となるのは貴方よ――そう、告げるかのように。 「いやいやどうして、本当にゲームかアニメみたいだけど……これはこれで、なかなか終わりが見えないね」 「ドクとやらを目にすることなく終わるかと思ったが、存外しぶとい敵だったな」 仮面の女、紗夜の愚痴に思わず相槌を打つ黄泉路。コングの恐ろしさはそのパワーもさることながら、耐神秘装甲で高めた異常な防御力にあると彼女らは睨んでいた。 「長期戦は避けられないぞ。とすれば、まず――」 「――足から攻める、かな」 意見の一致を見たか、ふ、と二人は笑い――まず黄泉路が走った。エネミースキャンとてたっぷりジャミングが施されたコングの内側を見通すことは出来ないが、外装からでも部品の結節点は見分けることが出来る。 「せっかく得られた二度目の機会、逃さず向かわせてもらうとしよう!」 黒塗りの弓を大きく引き、放つ。だが射込んだのは矢ではない。夜を塗り潰すように宙を掛けるのは、彼の内側より滲み出た、暗黒の瘴気だ。 突き刺さるその先は――右足の足首。 「まるで戦隊物の巨大ロボみたいだしね。叩いて砕いて、完膚なきまでに押し潰そうじゃないか」 ダークロリータのドレス、その裾をふわりと翻し、紗夜も大鎌を振り抜いた。狙う先は同じ足首だ。僅かにそれて脛に当たったものの、その狙いは悪くない。 「さあ、足をやっちゃおうよ」 「承知しました。行ってみましょうか」 飛び出したのは佐里。機械と化した右手で握るには未だ抵抗があるのか、生身の左手に握る紅い剣。コングの右足首を狙わなければならないことを考えれば。左持ちは圧倒的に不利にも思えたが――。 「あなたの実験、付き合ってあげますよ。いつまでも、とは言えませんけどね」 戦闘ロジックが瞬時に脳内を駆け巡る。導かれた最適解に従って、すれ違う瞬間に横にステップ。踏み潰さんばかりの脚を紙一重で避けきって、そのまま零距離からの斬撃を叩き込んだ。 「さすがに頑丈ですね、壊れる気配もない……けれど」 文字通り切り崩す。その覚悟に従って、次々と位置を変えながら斬り込んで行く様は、まさに見事の一言だ。 だが、目立つ杭は打たれるのが掟。再び振り上げられた脚は、こんどこそ明確に佐里を踏み潰すためのもの。 「上から来よるで!」 警告の声にノータイムで反応し、佐里は横っ飛びに転がっていく。タッチの差で踏み潰しを避けた彼女は、思わず安堵の声を漏らした。 「くけけっ、どんな奴でも、意識が一つに向いたら他は疎かなものですなぁ」 その声の主たる玄弥は、いつの間にか鉤縄でコングの背をよじ登っていた。ターゲットたる足首でこそ無いが、ある意味ではそこは安全地帯である。間近で見ればぼんやりと判る結節点を探り爪で削る彼は、まさしく死毒のような存在となっていた。 「伍長殿の描いた第三帝国の悪夢も果てり、か」 それを背後から眺めていた烏が、頭巾の内から紫煙を吐きつつ呟いた。意外にもそこに嘲笑や哀れみの要素はない。 「どれくらいやれば、あの装甲をどうにかできるのかは知らないが――」 外見だけはアンティークな銃を構え、一息に撃ち込んだ。銃声と共に放たれた鋼鉄の牙は、一切の無駄を許さない研ぎ澄まされた最適解。 ガン、と音を鳴らし、またも弾かれたその銃弾。しかし、彼が射たのは皆が攻撃を集中させていた足首だ。 そこに無駄など無い。そこに無駄など無い。 「往生際は良くしないとな。残党の残党なんぞ笑い話にもなりゃしねぇ」 ぴしり、と。 その音は奇妙に戦場へと響いた。それは、あらゆる攻撃を耐え切っていたコングの装甲が、弱い関節部分とはいえ、ついに貫かれたという証。 「耐神秘装甲、想定の範囲ではあったけれど、ね」 やっぱり防がれると業腹だわ、とクリスティーナは吐き捨てる。殲滅砲台を名乗るプライドが、先は平気な顔をさせていた。けれど。 「ええ。少し。そうほんの少しだけよ。カチンと来てしまった訳なの」 白いリボンのハットにフリルの黒いドレス。そんなお嬢様然とした彼女を中心として、巨大なる二連キャノンが展開する。 それは彼女が振り回す『殲滅砲』、背丈より長い重火器の真の姿。言葉通りの砲台と化し、殆ど据付装備の様相を示すキャノンに手を掛けて、クリスティーナはうっすらと笑んだ。 「焼け死にたくないなら、避けなさい! 魔陣展開、照準集中。カウント5!」 前方では、烏が空けた突破口に刃と銃弾とを捻じ込むべく、リベリスタ達が攻撃を仕掛けている。彼女が持ち込んだ大型装備と、何よりもその異名を思い出せば、カウントが何を意味するかは一目瞭然だった。 「カウント3……2……!」 打撃戦を仕掛けていた前衛陣に麻痺ガスが吹きかけられ、しかしサポートの者達によって浄化される。逃げなさい、と粘ついた声で呟いた。今更カウントは止まらない。巻き込んで焼き尽くすのは、あまりにも寝覚めが悪いのだ。 「カウント1……行くわよ、これが私の、殲滅砲台の全力全開!」 雑音が消える。外そうと思っても外す相手ではないが、研ぎ澄まされた精神は、それ以上の最適値を求めていた。 そして。 「――0。殲滅砲撃タイプ『ゲヘナ』……フルバーストッ!」 轟音二つ。強大な魔力が形を成した砲弾が、唸りを上げてコングの下半身に突き刺さる。爆発。炸裂。たちまち巻き起こった業炎が、つい先ほどまで研究所であった周囲の瓦礫ごとコングの下半身を飲み込み、火柱となって。 「……やったか!」 快哉の声が上がる。 炎の中で、コングの身体がゆっくりと傾いで行くのがはっきりと見えたのだ。 だが。 『耐神秘装甲も流石に無敵ではないね。けど、コングはそれくらいじゃどうってことないよ』 素早く擱座姿勢を安定させ、背中のバックパックから滑り出した円盤状の物体を二つ掴んだコング。そのまま、ぶん、とリベリスタ達へと投げつける。 「……! 退避するんだっ!」 見抜いた烏が叫ぶ。だが、流れるような投擲動作はリベリスタに後退の隙を与えず――一メートル程度の小さな円盤二枚は、彼らの只中に突き刺さり、そして。 「逃げろーっ!」 絶叫空しく、クリスティーナの『ゲヘナ』に倍する炎が巻き上がり、多くの者を獄円の中に閉じ込めた。 ●断頭台の少女/2 酷く冷たく、けれど熱の篭った視線を戦場に向け、既に始まっているのだ、とカインは告げた。 「我は倒れる気などない。故に敵を倒すしかあるまい。……それが戦争だ」 銃口から次々と放たれる弾丸は、鋼鉄ではなく凝集された漆黒のオーラ。不吉なる瘴気は命ある者と無き者を区別せず、次々とその牙を突き立てる。 「そうだ。それが戦争というものだ。奴らはそれを望んでいるのだ」 故に、一切の容赦なく、打倒する。そう言い切ったカインは、このどうしようもない戦争の中でも、守護者としての覚悟を固めている。 そして、護り抜くと決めた者は、彼一人ではない。 「戦争……か。そう、世界は緩やかに滅びに近づいている、けど」 滅びを待つために、その日までは世界を守護する。ライサの信仰は決して周囲に理解されやすいものではなかったが――いずれにせよ、フィクサードの暴虐を許さないという点では同じである。 「ネクストが始まるのは今じゃない。だから、護るよ」 彼女を中心に渦巻く風は、決して神の恩寵というほど優しいものではない。地面に突き立てた大剣の刻印が淡く輝く度、その勢いは強まっていく。だが、次の瞬間、その渦は四方に大きく広がり、渦に飲み込んだリベリスタ達の流す血を止めていく。 「譲れぬものを世界に示せ。その意思を、護るから」 虚無深き瞳。だがそこには、確固たる意思の光が宿っている。 「ならば私も張り切っていくとしようか。覚悟と意地で負けている気はないぞ?」 そのドレスよりも華やかな薔薇の髪、そして紅玉の如き瞳。魔道書を片手に宣うフィリスは、陽の光無き夜においてなお圧倒的な存在感を示している。 「先ほどは後れを取ったが、今度こそ勝って約束を果たす。それだけだ!」 あの飄々とした男も、今は別の戦場で魔剣を振るっていよう。ならば今は、自分に出来ることをやるのみだ。へこたれるには、まだ早い。 「マナよ、今こそ破壊の雷となりて我が前に立ち塞がりし敵を討ち払え!」 長く詠唱し魔力を重ね、雷に換えて解き放つ。次々に枝分かれして戦場を駆け巡る稲妻の威力は、彼女の通り名の由来に重ねた紅蓮の火球にも劣るまい。 「さっき押し切られたのは、ボクらに力が無かったからだ」 幼い面立ちに今は厳しい表情を浮かべ、せいるは戦場を駆ける。それに寄り添うは彼女の影。ぬるり、と立ち上がった分身が、リベリスタと斬り結んでいる親衛隊兵士へと踊りかかる。それを追って、彼女の剣が兵士の肩を斬り裂いた。 「ここは任せて先へ行って! ……えへへ、一度言ってみたかったんだ、これ」 見覚えのある顔だ。自分よりも強いだろう。なら、こんなところで釘付けにされるのは惜しい。すまん、と礼を言って離脱する戦友にウィンク一つ、向き直った彼女は愛剣を構え、油断無く兵士を見据えた。 「君の相手はボク。甘く見てると痛い目にあうからね!」 形ばかりでも指揮系統が残ったのが大きいのだろう。アルトマイヤー隊も先の決戦で多大な損害を被ってはいたものの、未だ大規模な攻勢に移るだけの戦力を維持していた。 それを食い止め、押し戻すリベリスタの層も厚く、現時点で丘の上の広場周辺に存在する戦力のおよそ半数が投入されている。 「思っていた以上に危険な戦場だが……まぁ良い」 無論その全てが最精鋭というわけではなく、未だ戦士として成長の途上にある者達も多数が戦線の維持に加わっている。例えば聖もその一人。だが、普段の鍛錬や任務では得られないほどの経験を凝縮して積める、と割り切ることが出来る胆力は只者ではない。 「血脈を信仰する異端共に、神の裁きを下してやろう」 ラ・ル・カーナの巨獣の甲殻を用いた鎧から大きく広げられた、黒き翼。その姿からは予想も出来ぬ敬虔さを篭めて、エイメン、と唱えてみせる。投擲。真っ直ぐに飛んだ二刀の一が、数を減らしつつある小柄なロボットの首をへし折った。 「孤立するな。逆に各個撃破されるぞ」 「はいはーい、皆のお耳の恋人らじかる☆りりかでーっす。左翼側のリベリスタの皆さん、きっちり集まってやられないようにしましょー!」 耳聡く聞きつけたりりかが、アクセス・ファンタズムの無線経由でテンション高く呼びかける。この方面にはジャミングも掛かっていないから、彼女の声は存外に多くの者へと伝わっていた。 「余裕のある方は戦線の再編にご協力をー! 情報収集は女子中学生の嗜み、らじかる☆りりかでしたっ」 「夢咲殿。中央が反攻に転じつつあるようでございます」 そんな娘ほどの少女に丁寧に話しかける玄吾。痩せ細り髭も伸ばし放題の彼は、修行僧というよりは風来坊に近い格好をしていたが――柔和な表情の中で、その目だけは鋭く周囲を見通している。 「この軍は、指揮系統が生きているとはいえ寄せ集めと見ます。ほころびが生じ、統制を失えば混乱と焦りに包まれましょう」 その時が味方の好機と成る筈でございます、と結んだ彼に、最初はぎょっとしたりりかも頷いて見せた。 「這いずってでも生き残りましょう。ご武運を」 そう言い残し、混戦の中に姿を消す玄吾。一方で、少女のアナウンスを聞いた者達が、次々にこの一帯に集まってくる。 「ここは敵も詰まってるからやり易いね」 卒塔婆に飾り立てた杭のような法具という目立つ得物を手に、のっそりと現われた姓。もぞもぞと取り出した小瓶型の手榴弾をぶん、と投げ入れれば、押し寄せる兵士達の後方でまばゆい光が生まれ、その目を眩ませる。 「私にゃ殺すだけの力は無いよ。けれど、効率良く殺すお手伝いなら出来る」 物騒な台詞を吐いてにたりと笑う。なんとも人を食った振る舞いをする姓だが、しかしその状況を見通す眼は正確だ。彼の閃光弾で後方からの支援を一時的に喪失した敵兵が、圧力に耐えられず戦線を下げていく。 「小さな火種に油を注ぐ様に……一気に亡霊達を火葬してやろうよ」 「はい、一緒に頑張りましょう!」 未だ駆け出しを自認するイリアは、厚刃の剣を構えながらも積極的には斬り込んでいない。新人も新人、未熟も未熟――そう理解している彼女は、青い瞳で戦場を見定め、銀の獣耳で音を拾って守りきるための手がかりを拾い集めるのだ。そうして集められた情報が、駆け出しレイザータクトの指揮のベースとなっていく。 「できる事を精一杯、やらせていただきます。少しでも力になれるように」 「ああ、その意気だ。……しかし何だ、連戦たぁ七面倒臭ぇことだな」 心底面倒くさそうに宣った史だが、とは言え買える気などさらさら無い。妹がやる気で前に出ているのに、今夜はもう終わりだとは言えない兄なのだ。 「しょうがねぇから最後まで付き合ってやるさ」 「四の五の言ってないで働けー、馬鹿兄ィ。決着を付けねーと、この夜は終われねーだろー」 元気印の少女からは想像もできないほどの醜悪な斧槍を振り回し、機嫌よく岬は言ってのける。 無論、その得物はただ邪悪な見た目というだけではない。紫の刃が肉を捉えた瞬間、柄に埋め込まれた紅い瞳がぎょろりと睨むように歪んだかと思うと、どくん、と生命のエネルギーを吸い上げた。 「さっさと夜を終わらせに行こうぜー、アンタレス!」 「まったく、元気なこった」 兄を置き去りにして、ハルバードだけを供に突撃する妹を苦笑で見送る史。その右手から血の雫が流れたかと思うと、たちまちの内にどす黒い鎖の奔流と化して不運な親衛隊連中を呑み込んだ。 「……けど、なんつーか、こいつらなら無駄に殺さなくてもいい気がするんだよな」 ロボットの兵士に破邪の光を浴びせ、或いは癒し手らしく味方の治癒に当たる鳴未。だが、その心は揺れ動いていた。決して駆け出しとは呼べぬ戦歴を持つ彼が迷ったのは、自分でその意味を考えることなく殺し合い、そして死んで行く兵士達への憐憫か。 だがもちろん、その優しさは大きな隙となる。残り少なくなった黒いロボットの生き残りが、そんな彼に冷徹な銃口を向けていた。 「残念だけど、やらせない!」 ショットガンの破裂音。だが、その銃弾は鳴未には届かない。大きく手を広げて庇ったのは暮葉。傷を負い包帯を巻きつつも、彼女は再び身を盾にし、運命の力をすり減らして立ち上がる。 「さ、ほんの少しだけ付き合ってくれる? ……女の意地に」 「……ちっくしょう! くそっ、迷うなよ、俺!」 言葉とは裏腹に、鳴未は迷うことをやめられないだろう。だが、自分を守り、そして傷ついた暮葉の背を見つめながら癒しの詠唱を紡ぐ彼は、迷いながらも自分が担うべき役割を思い出していたのだ。 「諦めが悪い、と云うのは嫌いじゃありやせんが……それが自分のものではないのでは、興醒めというものでございやしょうよ」 戦線右翼、邪気を退けんと光を放った偽一が、掲げた杖を降ろし言い放つ。支援しか出来ぬあっしが他人どうこうとは嗤っちまいますが、という彼は、しかし胸を張ってその役割を成し遂げていた。 「しかし皆さん方、これではきりがありやせん。頭を叩く、というのが常道ではありやしょうが」 決して主役には上がらない燻し銀。その皺だらけの顔は、覚悟を決めよと告げている。それに真っ先に反応したのは、メリュジーヌから補給を受けていたユウだった。 「頭を潰したら、また頭が生えて来た……ってトコですねぇ。とは言え、手足は確実に潰されてきている」 じゃあ、ここで完全に叩いておかなきゃでしょ。そう言い放った彼女は、眠たげな眼は前を見据えたまま、手にした小銃を空に向ける。 「誰かが言ってましたけど、残党の残党だなんて洒落にもならない、ってのは名言ですよねえ」 無造作に引鉄を引けば、抑えた銃声が響く。戦場に訪れた一瞬の静寂。そして、天から降り注ぐ火の雨。 「あはは、派手にやるねー。こりゃお姉ちゃんも攻め時かな?」 気力を分け与え続けてきたメリュジーヌも、潮目が変わろうとしていると悟って自分の為に魔力を練る。オーラを引き伸ばした不可視の糸。だが、放つのは一本ではない。 「狙えるだけ狙っちゃうよん! いっけぇー!」 全身から飛び出した気糸が前方に乱れ飛び、視界に映る兵士達を絡め取る。思わず体勢を崩す親衛隊。その隙を逃さず飛び出したのは、血まみれのゴシックドレスに身を包んだ若い女。 「キャハハッ、霧也くぅぅうううん! 一緒に行くよー!」 拒否権は無いとばかりに言い放った魅零が、愛刀を手に敵陣へと踊り込む。楽しげに繰り出した一閃は、しかし二の太刀を許さぬ必殺の剣。底知れぬ殺意は太刀の間合いを超えて、死のオーラとなり周囲の兵士を薙ぎ払う。 「今日は勝ち戦をしに来たのさっ! 負けるはずがないんだから、後でご飯でも奢りなさいよね!」 「……油断をしていると死ぬぞ」 結局突貫に付き合った霧也が低い声で嗜めれば、わかってないな、とばかりに彼女はけたたましく笑い声を上げた。 「勝つんだよ、此処で勝たなきゃ何がアークよ!」 実力者達を軸に攻勢に出たリベリスタ。引き絞った弓から放たれた矢のように勢い良く突き進んだ彼らは、しかしそれ故に周囲からの砲火を浴びることになる。親衛隊にしても抜かせるわけにはいかないのだ。機銃の三斉射が、突撃の足を止める。 「頭を潰しても死なないとは、ゴキブリ並のしぶとさね」 鼻で笑うシルフィアだが、その声色に油断の響きはない。アルトマイヤーが姿を消したことで、明らかに親衛隊の動きには齟齬が目立つ。だが、それでも攻勢を止めないという事は。 「目的がハッキリしている以上、力不足の統率でもある程度の連携は取ってくるということね」 ならば、やるべき事は見えている。親衛隊を上回る連携で個々の能力差をひっくり返し、敵の指揮系統を破壊すること。そのためには――。 「支援なんて柄じゃないけれど、ここは一つの橋頭堡。我慢のしどきかしら」 彼女が編んだ術式は、得意の火球ではなく治癒術式を織り込んだ聖歌。今やらなければならない事は、ここに居る精鋭戦力を敵の最奥まで届かせることだ。だから、こだわっている場合ではない。 「神秘探求同盟第十位、運命の輪はこんな所で止まりはしない!」 「突出した連中は任せる。後衛は妾が受け持とう」 もう一人の魔女、第十七位・星の座を冠するゼルマが聖別の涼風を喚ぶ印を切る。本隊が崩れれば突撃隊の退路も断たれてしまう以上、こちらも疎かには出来なかった。 「やれやれ、祖国で戦うでもなくこの極東で暴れた上に、諦めまで悪いとは」 長い時を生き抜き、親衛隊にはひとかたならぬ思いのある彼女である。貴様らが捨てた祖国は妾達が立て直したのだ、と言い切ったゼルマの瞳には、常の傲慢さを超えた怒りがあった。 「今度は逃げるなよ。妾が皆殺しにしてくれる」 「フ、ハハハ! そちらも随分と滾っているではないか!」 血沸き肉踊る、とはこのことか。闘争に酔ったかのように見えるシビリズは、ゼルマと故郷を同じくしているといえど、先の大戦を知る年齢ではない。 「諸君らの道は私が支えよう! 故に往くと良い! 本懐を果たしたまえ!」 突出した構成の側面を突こうとした親衛隊の小隊の前に割って入り、二枚の巨大な鉄扇を広げて行く手を阻む。アーク随一の堅牢なる盾は、突撃銃の銃弾を受けてなお、何事も無いかのように哄笑を上げた。 「さぁ、勝とうではないか!」 鋼鉄と鋼鉄が激突する。ああ、ぶつかり合った二つの喊声は、いみじくも同じ台詞なのだ。 ――Sieg Heil Viktoria! ●工兵の意地/2 「的には困らねーな、こりゃ」 殆ど無尽蔵に沸いて出るかのような鋼鉄の兵士を前にして、琥珀は諧謔じみた笑みを浮かべてみせる。 「まあ、全部壊せばいいんだろ?」 何、迷うことはないのだ。あのお姫様ならば、ただ一言踏み潰せというだけだろう――ますます深くなる笑みと共に、彼はロボットの壁へと切り込んだ。 「先手必勝不意打ち上等なんだろ、あんたに親衛隊から学んだことだ!」 いや、正確には壁に開いた亀裂だ。両隣のリベリスタに頼むと一言言い添えて、敵陣の内側へと浸透する。局所では高度な連携を取る敵だからこそ、後ろに回られるのは嫌だろう。液体金属を薄刃の氷へと変え、不運な敵を切り刻み爆ぜさせる。 「……これがボトムの『ろぼっと』というものですのね。こんなものに街で暴れられたら……」 なぜか緋色の特攻服を着たシャルロッテが、眼前の光景に息を呑んだ。ラ・ル・カーナよりこの世界に渡り、初めて目にした『心無き兵器』。人を殺める、ただそれだけの為に生み出された醜悪に、手にして今だ長くはない怒りの感情が湧き上がる。 「鉄屑にして差し上げますわ!」 ぶん、と手にした工具を振り下ろす。一撃で破壊できるほどシャルロッテの膂力は優れてはいないが、この一撃の積み重ねこそが大事だと知っている程度には、彼女は戦いを重ねていた。 「よろしくお願いしますわね!」 「任せろ!」 凜とした返答と共に、シャルロッテとは対照的な蒼が舞った。アイリの構えた美しい剣が、サーチライトの照らす戦場に蒼い軌跡だけを残し、打撃で歪んだ装甲板ごとサテライトを両断する。 だが、軽やかに着地したのもつかの間、彼女を別のサテライトが襲った。咄嗟に寝かせた剣で赤熱するブレードを受け止め、力任せに弾き飛ばして距離を取ってみせる。 「無茶はしないでくださいね!」 後方からアルシェイラが向かわせたフィアキィがアイリの周囲を舞えば、硬質の光が彼女を包む。それが物理攻撃を防ぐ力場であり、サテライト相手には有効な援護であることを悟り、だがアイリは強気に笑ってみせた。 「無茶はしない、などとは言っていられまい? むしろ、ここで無茶をせずして、どこで無茶をする!」 そうしてまた斬り込んでいく彼女を見送り、アルシェイラは一つ溜息をつく。 (取り戻すためならば、何を犠牲にしてもいいの? ――無くしたものは、どうしたって返ってこないのに) 彼女とてバイデンとの抗争を生き延びたフュリエである。失ったものの重さも、許せないと思う感情も、知っているはずなのだ。 「同じ立場なら、もしかしたら同じ決断をするかもしれない、けれど――」 そんな少女の感傷をなんらの躊躇無く飲み込んで、戦争は続く。闘争は続く。真昼もまた、その渦の中に身を投げ出した一人だ。白き大蛇がちろりと舌を出すその横、目隠しの下の瞳がどんな意思を宿しているのか、窺い知る術はなかったけれど。 「自分の力が足りない事は判っている。けれど、そんな事は言っていられないんだ」 彼の武器は思考。脳髄に流れ込む状況を判断し、経験を補ってみせよう。戦場に気糸の罠を仕掛け、そこまでの判断能力はないだろうロボットを足止めし――。 「微力を尽くすよ。狂気に負けない。……さあ、思考を始めよう」 「やれやれ、働き者ですね。終わったはずが終わってないなんて、こんなめんどくせーことねーですのに」 布団を背負い今すぐ眠りにつきそうな風情の小路が、ふわぁ、と暢気に大欠伸をしてみせる。手にはハンマー代わりの交通標識を握り、けれどそれを振るって身体を張ろうという気力はない。 「今度こそあたしは全て終わらせて仕事しねーのです!」 またふわぁ、と欠伸をすれば、なぜか周囲に生まれる不可視の刃。吹き荒れる真空の剣は嵐となって、サテライトの群を薙ぎ払うのだ。 「ふん、蛇足も良い処だが仕方なかろうよ。ああ面倒くさい」 同じように嘆いてみせるいりすだが、その言葉が孕む意図は随分と違う。要はつまらないのだ。プログラム通り動く戦闘機械も、大層な鎧がなければ戦争一つ出来ない親衛隊も。 「狩り損ねた狗っころも、此処には居ないようだしな。ああ、貧乏籤甚だしい」 そうぼやきながらも、彼女の身体は一瞬とて止まらない。闇の瘴気と切り刻む剣圧を使い分け、マシン如きに近寄らせること無く敵の連携を寸断させる。 「せめて、ちょっとは楽しませてくれよ。小生、もう飽き飽きしてるんだ」 一際大きな外装は、有人のパワードスーツの証。バルカンの掃射に身を穿たれながらも、鋭い牙を覗かせた獣は止まることを知らないのだ。 岩をも貫く一撃が、鋼鉄の鎧を貫通する。どす黒いオイルに混じって貫いた太刀を伝う、赤い液体。 「ちっ、自爆とかふざけるな。破界器おいてけ」 すぐに赤熱する鎧に舌打ち一つ。ぐい、と捻って得物を抜き、咄嗟に蹴りつけて飛び退ったれば、轟音と共に立ち上った爆炎が彼女の頬を炙った。 「これが、奴らの奥の手か」 「なら、こいつらを潰せば終わりなのね」 黒のベストにスラックス。徒手で戦場に降り立ったノインが、モノクル越しに敵軍を見やって呟いた。それに応えたのは、刻まれた魔紋の淡く輝くガントレットを頼りに戦うさざみである。 「ま、確かに強力だが、それだけだ。所詮は機械の兵器頼み」 舗装された地面を蹴った足が、かつ、という硬質の音を立てた。ノインの武器は徒手空拳に非ず、スラックスの裾から覗く金銀一対の脚部装甲こそが彼の得物である。 「亡霊の玩具に負ける気はしないな!」 ハイキック。正確にサテライトの頭部を捉えた脚が、鋼鉄の外装を抜けて内部の電子部品を揺さぶった。その長い脚を潜るようにして、身を低くしたさざみが懐へと踏み込んで。 「数が増えようと、やることはなんら変わりない。痛みで止まる程度の覚悟なんて持ち合わせてないわ」 輝ける拳には収穫の呪いの魔力。大鎌を振り下ろす代わりにガントレットに刻み付け、魔拳士の拳はサテライトを打ち貫いた。余裕を持って腕を引き抜いた彼女は、涼しい顔で周囲を見回して見せるのだ。 「さあ、鉄屑になる覚悟はいいかしら?」 いつしか小柄なサテライトの密度もまばらになり始め、パワードスーツの姿が目立つようになっていた。それでも、一つ一つ潰していくにはきりが無い。 「こう見えても私、お残しは駄目ってしっかり躾けられてるんですけどね」 首をこきこきと鳴らし、人を食った台詞を吐くうさぎ。『彼女』ほどの精鋭となれば、状況が芳しくない事くらいは、腕に留めたスマートフォンに頼るまでも無く肌感覚で理解していた。 だが、うさぎは動かない。華々しい大駒狙いは他に任せておけばいいのだ。この身が得意とするものは、もっとこう――泥臭い戦いなのだから。 「心配しなくて良いと思うくらいには信用していますよ。だから、私達はディナーの続きと行きましょう」 無表情に言ってのけ、うさぎはふわりと地を蹴った。身体に刹那遅れて宙を舞う長布もまた彼女の武器の一つだが、しかし今宵、舞踏の供連れとなるのはもう一つの得物だ。 「さあ、召し上がれ? それから……いただきます」 獣化していない右手に握る十一枚の刃が、目にも留まらぬ速さで振るわれる。装甲すらやすやすと斬り裂けば、吹き出したオイルの血が彼女の衣装を汚すのだ。 「こうなれば仕方ない、減らせるだけ減らしにかかるとしよう」 喧騒の中でも良く通る澄んだ声。彩音が引き絞った大弓から放ったのは、鏃ではなく余れた魔力だ。真っ直ぐに飛んだ輝けるオーラの糸は、損傷の激しいサテライトの生き残りを貫いた。 「厄介な連中は引き受ける。だから君達は、奴らを倒してくるんだ!」 層の薄くなったサテライト。その向こうに、兵士達を従えた一際大きなパワードスーツが立っていた。肩から突き出た大口径の砲が、赤熱し蒸気を上げている。 「……む、危ない。身を守れ!」 彩音の警告はだが一歩遅く、砲門から吐き出された紅蓮の火球がリベリスタの只中へと撃ち込まれ、火柱となって戦士達を飲み込んだ。まだ動くサテライトが業火に巻き込まれ、熱に耐え切れず四散する。 だが、リベリスタ達が消し炭へと変わるよりも早く、戦場を駆け抜けた突風が全てを灼き尽くす炎を掻き消した。地獄もかくやという光景が瞬く間に消え去り、例外無く負っていた火傷が跡形なく消滅したことに、おお、という声が起こる。 「エリスに……応えてくれる……存在は謎だけれど。でも……誰でもいい」 曰く、電波に従っただけというエリスの巻き起こした上位存在の恩寵の風が、完全ではないにせよ敵将――ハインツ少尉の榴弾を相殺していた。 「癒し手には……癒し手……なりの、戦いが……ある」 片言ながら言ってのけるエリスは、しかし前線で切り結ぶ戦士達に勝るとも劣らない覚悟を持ってこの戦いに臨んでいた。支えてくれる前衛たちが、誰一人地に伏すことのないように。そして、誰一人命を落とすことの無いように。 「エリスの力は……そのために……ある」 「ならば私が盾になろう。貴方が役目を最後まで果たせるように」 神聖なる力を愛槍に宿しサテライトと渡り合ってきた真琴が、感に堪えぬようにメイド服の少女の前に立つ。戦いのステージはもう進んでいることは理解していた。ならば、今は我らが剣が憂いなく進む礎となるべきだ。 「こちらは心配ない、行けっ!」 「助かる。――行くぞ!」 真琴に応じて一つの隊が突入する。拓真を先頭に切り込んだ彼らの目標は、ハインツへの橋を架けること。だが、この戦場で最大の戦闘力を維持していた彼らは、そのまま敵指揮官を討つ為の刃となったのだ。 「確か、例の元アーネンエルベ研究者の部隊でしたか」 穂先の一辺、魔導師ながらに前衛を走る悠月が群がる敵に目を走らせる。一体の歩兵が、そんな彼女を串刺しにせんとパイルバンカーを突き入れ――けれど、届かない。 「魔術の粋というものです。そろそろ終わりにしましょうか、親衛隊」 あえて零距離には目を向けず、パワードスーツの肩越しに焦点を合わせた。二つの指輪を発動体として聞き慣れぬ響きの呪文を唱えれば、美しくも本能的な恐怖を与える氷の白刃が、親衛隊の後方に吹き荒れる。 「此処は多くの魂が眠る地。貴方達は――騒がし過ぎる」 猛烈な冷気が吹き荒れ、舞った氷刃の一つが悠月にまで至り頬を浅く切る。だが表情一つ変えず言い捨てて、今度は目の前の敵を排除すべく、彼女は新たな詠唱を始めるのだ。「機械、ね……駒としては有用かも知れないが」 どうにも好きになれないな、と律は鼻を鳴らした。とはいえ敵のしぶとさは無視できるものではなかったから、彼女もまた最前線へと身を躍らせる。 それは必要なリスクテイクであり、同時に彼女一流の美学。自らが前に立ってこそ、自らの肌で感じてこそ、得るものがあるのだと信じていた。 「生憎、私は凪ぐことしか知らぬ身でな――覚悟をしてもらおうか!」 双扇に雷撃の力を宿し、周囲を薙ぎ払うが如くに打ち据える。それは舞のように優雅で、しかし稲光のように易々とは捉えられぬ疾風の武舞。 「そして見極めさせて貰うよ、剣の力を!」 「勝ちを譲ってやる心算はない。道を切り拓かせて貰う、そこを退け!」 そして、ついに折れることなき双剣が指揮官へと届く。壊れた正義、輝けぬ栄光。自分達の道程が無数の屍で舗装されてきたのだと、拓真は知っている。 「俺達の決断で散って行った戦友達の為にも、これから先、起こり得る悲劇を防ぐ為にもだ!」 ガンブレードの射撃を止め、一息に斬り込んだ。黄金の剣に稲妻が走り、過日の栄光を髣髴とさせる輝きを、ほんの一瞬だけ蘇らせる。 「此処で立ち止まってなど居られない。良い訳が、無い。俺の意思こそが――不滅の刃(デュランダル)だ!」 厚い胴の装甲を破壊すべく、力任せに斬りつける。けれど、鈍い音を立てて刃は止まる。足りないのか? 鎧の向こうで、にや、と笑った気配がした。 「あと一息だ、此処で押し込めばアークの勝利だ」 ならば、もう一刀を振るうのみ。とちらも欠ける事などあるまいと、黄金の剣を叩くようにアシュレイの銃剣を打ちつけた。衝撃。埋め込まれた黄金の剣が亀裂を生み、ハインツの巨体をよろめかせる。 「俺達には、勝たなければならない理由があるんだ!」 「……その大口を止めたまえ!」 反撃は極めて単純。右手のスコップを使うまでも無く、ハンマーかと思うような鉄の拳がパワードスーツの動力を乗せて拓真の脇腹を抉り、みしみしと音を立てた。 「大いなる天上の主よ。祈る事しか出来ぬ身ではありますが、どうか勇者に祝福を。御身の御力を遣わしたまえ――」 崩れ落ちる拓真。だが間髪入れず、純白の翼を広げたカルナが十字の杖に縋るように祈りの文句を唱えた。それは真なる奇跡を希う敬虔なる嘆願。聖女の域にまで達した信仰者だけが与えられる無限の愛が、倒れた戦士の傷を瞬く間に癒す。 「どうか、どうか皆様ご無事で、これ以上の犠牲が出る事が無きように……!」 少女の願いに応じるかのように、いくつもの火箭がハインツに注がれる。ここで倒す。これ以上の犠牲など許さない。その強い意思が、堅い守りで鳴らしたこの男に次々と突き刺さる。 「……本当に、最悪の気分だな。ならば、今度こそ全て片してしまおうか」 氷の冷たさで吐き捨てた那雪。水晶の刃に手を当てて深く呼吸をすれば、氷の結晶が広がっていくように複雑な軌跡を描いて細く縒られたオーラが奔る。 「こんな胸糞の悪い鉄屑は、二度と使えないように消し去ってやろう」 乱れ飛ぶ気糸はハインツのみならず、指揮官の危機に駆けつけようとした兵士達をも絡め取る。既に激しい損傷を受けていた二機が、穿つ衝撃に耐え切れず自爆装置を作動させた。幾条もの糸に貫かれたハインツも、自壊こそしなかったものの明らかに動きを鈍らせている。 そして。 「この場所で僕達を守って死んだ友達がいる。弱くても、臆病でも、僕には戦う理由がある!」 最も臆病なる戦士が、白光を手に敵へと挑む。右手には守るべき境界を、左手には立ち向かう勇気を。オイルの血を蒸気の吐息とを撒き散らす巨人の眼前に、悠里はその身を晒した。 「この生命も、この場所も、決して譲れないんだ。だから僕は勝つ。僕達は勝って、皆で帰るんだ!」 その身を雷と化して、悠里は跳ねる。おお、と知らず吼えていた。手甲の輝きはいまや煌々と眩しく、彼の行く手を正義の光に染める。 「命を惜しむなど惰弱よ、だが祖国のため、このような場所で朽ちはせぬ! もはや異界と化したこの地で、我ら親衛隊の前に滅びよリベリスタ!」 迎え撃つハインツもまた、永い時を共に駆け抜けたスコップを振り上げた。二百年の昔から、工兵の第一の得物はこれと決まっている。 「誰も死なせない為に! 境界線はここにある!」 「Sieg Heil!」 交錯。閃光。そして――爆発。 祈るように視線を集中させたリベリスタ達の前に、炎の中から現われた人影。 一際大きな爆炎を背にその拳を突き上げたのは、白い軍服を血と泥と油とに汚した悠里だった。 「そっちは頼むよ――夏栖斗」 ●断頭台の少女/3 同刻、丘の上の広場。 「……まだ、終わらないの?」 精鋭の一角に数えられるレイチェル・ガーネットも、流石に疲れを隠せない。この方面はかなり多い戦力が割かれていたため、戦況そのものに不安は無かったが、如何せん敵はそれ以上に多いのだ。 「大丈夫だ。レイだけは護るから心配しないでいいよ」 そう迷い無く言い切る――少なくともそう振舞う――夜鷹に、レイチェルはくしゃりと顔を歪めそうになり、そっぽを向いた。 ああ、彼は本心からそう言ってくれたのだろう。本当は、この人は戦いが苦手なのに。私の方が荒事には遥かに慣れているのに。 それでもこうして、私についてきてくれる。護ってくれる。それはとても申し訳ないことで……そして、嬉しくて仕方が無いこと。 「ねぇ、私さ」 「なんだい?」 ううん、なんでもない、と誤魔化したレイチェルに、夜鷹はふわりと笑ってみせた。この容赦の無い闘争の中で、この強がりな黒猫だけは守りたいと、そう願いながら。 「レイ、この戦いが終わったら……」 「……夜鷹さん」 幸せな時間はすぐに喧騒に飲み込まれ、彼らは再び兵士達と死闘を繰り広げる運命にあった。けれど、彼らは恐れない。互いの思いは、言葉にならずとも伝わっているのだから。 ――貴方の側にいられて、ほんとうに幸せだよ。 ――君が好きだよ。誰よりも、何よりも大切だから。 「で、なんであそこだけラブコメ空間してるのかな舞りゅん」 「知りませんよ。暑いからじゃないですか」 なにやら暢気な会話をしている終と舞姫だが、視覚を加えればそんな悠長な場合でないことは容易に判る。 三人の兵士に追われた彼女は、髪の毛一本の差で攻撃を避け、あるいは脇差で受け流すという神業を披露している最中なのだ。残念な美少女という評がすっかり定着した彼女とて、今は真剣にならざるを得ない。 「さぁ、私達は二人とも燃費が悪いんです。巻き込み上等、親衛隊の残党どもを一匹たりとも逃がさないで!」 「う、なるべく当てないように注意するよ……」 弱気な台詞を吐きながらもへらりと笑い、終は氷の短剣で宙をなぞった。始めは軽くゆっくりと、そして時間をも切り刻むほどの凄まじいスピードで。 「自慢の身のこなしで避けてね――終わらない戦争なんてノーサンキュー!」 周囲に生まれた氷の薄刃が、舞姫によって盛大に挑発された兵士達を彼女ごと飲み込んだ。雪のように吹き荒れるブレイドストーム、流石にその全てを避けるなど無理な相談ではあるが、とは言え流石は名のあるリベリスタということか、彼女はさしたるダメージを受けてはいない。 「……本気でやってくれましたね」 「さ、さあ、彼らの戦争を終わらせるよ!」 軽い会話と裏腹に、命すら預けようという二人の絆。そんな息詰まる戦いを各所で繰り広げながら、リベリスタ達は暫定指揮官たるハイデマリーを目指す。 「まおは、お邪魔をすることならできますので。だから頑張れるってまおは思いました」 正直に言えば、まおはこの軍人達が恐ろしい。人を殺すということに慣れきった、この生粋の殺人者達が。あるいは、ものを考えることなく人を殺すためだけに生まれた、この鋼鉄の人形達が。 (けれど、少しでも、あの丘にいた、恐ろしい方の邪魔ができるように) 一人でも確実に殺さないといけないと、そう悲痛なまでに思い定め――黒き革紐を縦横に振るい、当たるを幸いに鞭代わりに乱れ撃つ。 「絶対止まりたくないって、まおは思いました」 「ああ、おいら達は止められないぜっ!」 元気一杯に叫び、モヨタは大剣を上段に構えた。大人が扱えばただの大振りな剣であっても、小柄な少年には身の丈ほどの超重武器に等しい。それでも、派手な外装を施された機械の左腕は、いともやすやすと得物を振るってみせるのだ。 「これ以上、お前たちをこの場所に居座らせるわけにはいかねぇ! どきやがれ!」 体内の無限機関が生み出した雷のエネルギーを愛剣に纏わせれば、刀身が光の剣のように輝いた。誇らしげにそれを頭上に掲げ、彼は黄色く塗られたロボットへと斬りかかる。 「意地でも奪い返してやるぜ!」 力づくの攻撃に得物の重みを乗せ、輝ける剣を唐竹割りに振り下ろした。別方面のサテライトに比べて、アルトマイヤー隊に配属されていたAmeiseは脆い。この機体も同様、機械の腕が生み出すパワーは、頭部から胴にかけてを見事に両断した。 彼らは、ハイデマリーが指揮を執っているらしいという情報を得たフランシスカの呼びかけで集まった突撃隊である。人数は総勢十二人、実にこの方面の戦力の二割が糾合されていた。 「空ちゃん、敵の指揮官って放っておけないわよね?」 「それが皆様のお役に立つ道でしたら……」 どこか気怠い雰囲気を湛えた沙希が、シエルには茶目っ気のある一面を見せる。だが、沙希が何ほどのこともなく言ってのけたのは、敵中奥深くへ割って入ろうという、およそ後衛陣らしくない行動だ。 そんな彼女を柔らかく、そして迷うことなく肯定してみせたシエルこそ、流石というべきであろうか。 「決めた! 今宵は任務優先するわ、私」 くすりと笑い、身を翻す沙希。それを追うシエルは、この先に待つものを冷静に想定する。四方より迫る敵は、癒しの力持つ自分達を真っ先に仕留めようとするだろう。 (ちっぽけな矜持は、捨てなければなりませんね) この状況で求められているのは、多少効率に欠けたとしても、自分と仲間の両方を永らえさせるための選択だ。守られるばかりではない以上、身を守ることに意識を割かねばならないだろう。 『そもそも、私は任務遂行『には』忠実なのよ?』 「ええ、存じております」 テレパスを寄越してきた沙希に何食わぬ顔で返し、シエルは詠唱を始めた。一拍遅れて、沙希の声がそれに重なる。 ――遍く響け。 ――癒しの唄よ。 詠唱に込めた紫碧の誓約。それは、癒し続けたその先で、皆にお帰りなさいと伝えるということ。誰一人欠けさせないという、支える者の矜持なのだ。 二重詠唱が齎した治癒の力が、親衛隊の集中攻撃による傷を打ち消していく。 「これは……! 助かりますね」 手痛い反撃を受けた先鋒に代わり前に出ていた慧架が、後方からの厚い支援に目を瞬かせた。身を囮にして回避に専念する覚悟を固めていた彼女だったが、敵中でも援護があるのであれば安心して攻勢に出ることも出来よう。 「これで最後になればいいんですけどね」 ドレスの裾をはためかせ、慧架は軽やかに地を蹴った。一息で兵士の懐に飛び込み、鉄扇でせ顎を強かに打つ。自然と崩れた上体。その襟を掴み、彼女は強引に引きずり倒した。 「ハイデマリーさん、貴方の終焉を此方にしてみせましょう」 「……ハッ、アイツが指揮官閣下とは、親衛隊もヤキが回ったな」 地面に打ち付けられた男が吐き捨てながら、身体を転がして慧架の間合いから逃れた。素早く跳ね起きて立ち上がる兵士。だが、反撃の余裕を与えることなく、呪詛の一矢が彼を射抜いた。 「ゴリラだの何だのわけが判らないけれど……とにかく、目の前の敵を全部蹴散らせばいいのね」 射手は黒のゴスロリドレスに身を包んだ愛美。左目の眼帯は自ら外したか、映り込んだ異質な光点が目立っていた。 「前で戦える人が妬ましいわ……あなたも嫉妬の炎に焼かれ、焦がれなさい」 続けざまにもう一射。しかし此度彼女が放った矢は、親衛隊ではなく夜空に突き刺さる。――そして。 「皆が集中できるように……邪魔なんてさせないわ」 次の瞬間、夜空が真昼のように明るくなった。空の彼方から降り注ぐ炎の矢が、兵士達を業火の中に叩き込んで行く。 誰もが息を呑んだその光景。だが、それすらも隠れ蓑として、一人の忍びが暗躍していた。 「マリー殿、すまぬが此度は貴殿の相手は出来ぬ」 影に溶ける漆黒の忍び装束に身を包んだ幸成が、音も無く巨漢の兵士に忍び寄る。戦斧を縦横に振るい重傷を量産していた彼は、しかし突然背後から絡みついた糸に手も足も無く動きを封じられていた。 「これも忍務でござる。――御免」 首に巻きついた気糸を強く締め上げ、意識を失わせる。指揮官撃破に固執し周囲を疎かにしてしまった先刻の反省から、彼は護衛の排除と撹乱に務めていた。 「同じ轍を踏むわけにはいかぬでござるからな」 幸成以外にも、多くの者達が周囲の兵士の排除に動いている。ある面では、その作戦は成功しており、早い段階で多くの障害を撃破する結果に繋がっていた。だが、同時にそれが致命的な失敗を招いてしまったことに気がついたリベリスタは少ない。 フランシスカを先頭に殴り込んだ部隊は、ハイデマリーを撃破するという目的を達成するために、一気に突き抜ける推進力ではなく、敵を討ち減らす殲滅力を重視していた。 その作戦が生んだ結果は――十二名もの大戦力が、足止めされ、消耗を余儀なくされたという事実。せめて、脇目も振らず駆け抜けるチームと敵兵をブロックするチームで役割分担が出来ていれば、また話も違ったのだが。 「まだこれだけ残ってるんスね。……ちょっと早い残党狩りッスよ」 強気な台詞を吐くリルだが、状況が芳しくないことは明らかだ。それでも止まる事はできないのだから、ふわりと衣装を風に舞わせ、彼はタンバリンを片手にステップを踏む。 「いずれにせよ、このままという訳にはいかないのでしょう?」 「そうッスね、斬り切り舞いにしてやるっス」 タンバリンに仕込まれた鉤爪が兵士の喉を裂き、歩調を合わせた凛子が光あれ、と唱えれば、眩い光が全身から発して夜を切り裂き、彼女らを取り囲まんとする親衛隊の目を灼いた。 「執念と妄執が争いを生む。過去も未来もそしてこれからもでしょう」 脱げかけた手袋の端を口に銜えて嵌めなおし、凛子はある種の諦念と共に呟いた。彼女は決して非戦不殺の仁者ではない。だが、命というものに常に真摯に接してきた身には、生と死が花火のように咲き乱れるこの戦場には思うところがあるのだろう。 「だからといって、諦める訳にはいきません――私の信念を貫いてみせます」 「凛子さんの背中は守るッスよ」 応じて見栄を切るリルに、ふ、と微笑んだ凜子。目晦ましからいち早く立ち直った兵士が、そんな二人と油断無く対峙する。吹き出す殺気。受け止める覚悟。 だが、次の瞬間、横合いから突っ込んできた椿が力いっぱい兵士をぶん殴った。それはもう真っ直ぐ行ってぶっ飛ばすの世界である。 「あんたらこんなところでラブコメ空間展開するのは禁止や! 滅びろ!」 かっ飛んだ因縁はさておいて。崩れ落ちた兵士にすかさず拳銃を突きつけた彼女は、零距離からの発砲できっちりと止めを刺してみせる。珍しく本当に火のついた煙草は、既にその半ばを灰へと変えていた。 「次は何の理由でぶん殴ろうか……ってもう、アレコレ理由つけるんも面倒や」 にぃ、と唇を曲げて、小柄な身体に目一杯の火薬を詰め込んだ爆弾娘は言ってのけるのだ。 「自分ら、誰に対して喧嘩売ったんか、きっちりその身で実感してもらおか!」 一度はその勢いを削がれたリベリスタ達。だが、彼ら彼女らにも意地がある。血で購った三ッ池公園を、むざと親衛隊に渡したままにするなど許されないのだから。 「もうお腹一杯なのよね……貴方達」 戦場に響く場違いな旋律は、スピカの奏でるヴァイオリンの音色。弦を弾く度に迸る稲妻が、四方に奔り包囲せんとする親衛隊を薙ぎ払う。 「だからもう逃がさないわ。ここで、おやすみなさいよ」 一際太い雷の奔流が、鉈を構えた兵士に直撃した。ぐらり、と地に倒れこむ男の巨体。そして、その向こうには――。 「運び屋わたこ、お届け完了いたしましたっ」 「感謝するよ――さあハイデマリー! さっきの続きだ!」 兵士の壁の向こうには、捜し求めた栗色の髪の少女。喜色を満面に現して、断頭台の少女は二本の得物を振りかぶる。 「良く来てくれたわねフランシスカ! さあ、今度こそマリーと遊びましょ?」 飽くことなく血を啜る三本の凶器は、今また新たなる贄を求め咆哮を響かせる。鋼鉄の戦斧をがっしと受け止めて、けれどラ・ル・カーナの巨獣の骨はびくともしないのだ。 「こうして戦えるのが楽しいよ、ここで終わらせたくないぐらいに!」 「でも終わらせたいんでしょう? マリーも同じ。だってマリーは少尉の刃。あんな変人にいつまでも好き勝手させないんだから!」 二人の剣舞は、だが長くは続かない。数回の衝突の後、決闘の行方は明らかになっていた。フランシスカの片翼はもがれ、ざくりと斬られた左腕はもはや握力を保てない。 耐えて耐えて耐え抜いた先刻との違いは、援護の有無だ。共に立ち向かった幸成も、傷を癒してくれたサポートも今の彼女には与えられていない。時間を掛ければ掛けるほど、彼女らにかかる圧力は強まっていく。 一騎討ちなどという感傷を彼女らは重視していない。けれど、道を開き退路を確保するのが精一杯の状況で、割って入る余力のある者は皆無だったのだ。 「くう……っ!」 フランシスカの大剣に籠めた魔力も戦鬼の魂を砕くこと能わず、軽傷を承知で距離を詰めたハイデマリーの振り回した二振りが黒翼の少女を追い詰める。 「さよならフランシスカ。これで……おしまいっ!」 「いいや、もう誰一人見殺しにはしねえ。絶対に、だ!」 だが、ほとんど体当たりじみた踏み込みを仕掛けた凍夜が、超高速の斬撃を見舞う。手にするは小太刀。大剣や大斧に比べて威力に劣るそれは、しかし小回りの利く間合いと速度で超重武器を圧倒する。 「悪いが……あんたにゃここで死んで貰う!」 「女子供は極力救いたかったんだけど、ね。既に引き返せないなら、しょうがない」 反対側からは、彼とタイミングを合わせた兄弟子――蓮が襲いかかる。突き入れた金剛杖はフェイクだ。本命は、隆々と鍛えた太い腕からのグラップル。相討ち覚悟で軍服を掴み、引き倒せずともハイデマリーの動きを封じようとして。 「夜はまだ終わらないわ。ねえマリーさん、私罪姫さん。絶ち斬り上手な罪姫さん」 この二人はどちらも陽動だ、とハイデマリーは悟る。リベリスタ達が開いた血路を辿り現われたのは、二本のチェーンソーを振り回すシリアルキラー。 罪姫さんね、詰まらないって言われてしまったの。寂しいわ。とっても寂しいの。 「だからね、貴女の首を殺(あい)しに来たの。逃がさない、逃がさない、逃がさない――!」 「あんたはっ!」 回転する刃が肉を食い破る。首を狙った一撃は逸れて肩口に突き刺さり、一瞬にして軍服をどす黒く変えた。深手であることは間違いない。だが――。 「そんな程度でマリーを仕留めようなんて、舐めてるんじゃないわよっ!」 再び振り回した斬首の刃が、烈風を伴って三人を打ち据えた。力任せの反撃は肉薄した彼女らを迎え撃つカウンターとなり、身体の自由すら奪う衝撃で迫る殺意を捻じ伏せる。 「この程度なのリベリスタ? もっと遊んでよ! そして死んで行きなさい!」 猛るハイデマリー。地に伏した罪姫を、体勢を立て直したフランシスカを前に、断頭台の少女は更なる流血を希う。 そして。 「――さあ、都市伝説を始めるデス」 双の手には肉切り包丁。にぃ、と笑みを貼り付けて、行方はハイデマリーの背後に『現われた』。血路を開いたフランシスカを、相討ちすら躊躇わなかった罪姫を、いやこの戦場全てを囮にして。 「都市は外敵に牙を剥くのデスヨ。アハハ!」 凝縮した殲滅の闘気は、肉斬り骨断つ刃すらみしりと悲鳴を上げるほど。この一撃に全てを賭けて、生ける都市伝説は新たなる恐怖を手に入れんと欲すのだ。 「人が恐れるべきものは軍事ではないデス。ボクの夜に、もはや軍人はいらないのデスヨ」 「マリーの命は少尉のもの。少尉の為にならないなら、こんなところで死んだりしない――!」 ●アーネンエルベの亡霊/2 「巨大兵器と言うモノは、ソレだけで厄介だな……!」 指揮官然として周囲のリベリスタに指示を出していた雷慈慟が、人前で弱音を吐くという失態を見せた。 現場を知らぬ参謀ならばいざ知らず、前線においてそれは禁忌に等しい。だが、そうと知らぬ彼ではないのだ。見上げれば天を衝くほどの巨大像。圧倒的な存在感と危険性が、彼の本能的な恐怖を呼び起こしたか。 「だが、残る敵はたったの『一』。コレを好機と言わず何とする!」 それでも、雷慈慟の理性と胆力とは、更なる攻勢を叫ばせていた。あるいは強がりかも知れぬ。ここで退くという勇気を持てば、『事故』を起こす事はないのかもしれないが――。 「現刻を持って現場を奪還、敵勢力駆逐に全精力を傾ける!」 周囲のリベリスタ達に、雷慈慟の経験と知識がリンクされる。レイザータクトほど洗練されてはおらずとも、泥臭い経験は戦いを生き抜く力となろう。 「さあ……夜明けの時だ」 そんな彼を見やり、刃紅郎は当然だと言わんばかりに小さく頷いた。王の覇道に怯惰は許されない。 「未だにしぶとく生きながらえるか。まさに亡霊、だがしかしこれまでよ!」 翼持つ獅子の王錫は、同盟の盟主たる神父がしつらえた霊装。王威にまつろわぬ愚者に支配の証を突きつけて気合一声咆哮すれば、巨大なエネルギーが球を成し、コングへと真っ直ぐ撃ち込まれた。 「巻き藁の代わりにしてくれるぞ、木偶!」 「木偶とドクって似てますよねい。あ、毒が一杯だからドクなのかしら?」 すっとぼけた台詞を吐きながらも、ステイシィの声と表情に和みの要素は何一つ無い。七十年経っても、アナタの様な手合いは尽きませんよ――そう告げた彼女の脳裏に浮かぶのは、かつてのベルリンの光景か。 「人の体も、鉄の機械も、なんもかんも切り刻みやがって」 「はいはい怖い顔しないのステイシィ? アンコールには応えなきゃ!」 混ぜ返す盟友ステイシー。身体を構成する鉄屑以上にがっちりと護りを固めた彼女らは、このコングに立ち向かうリベリスタ達の鍵の一つだった。 もうもうと立ち込める死毒の煙幕。完全なる守護を得た絶対者や何者にも屈しない戦鬼すら冒す狂気の瘴気。中段に陣取り、それらを破邪の光でかき消していく彼女らは、まさに絶対防衛線である。 「そんなゴリラの屁にまけちゃだめよぉん、愛しい子達! 胸いっぱいのラブを送るわぁん」 豊満な身体を揺すり声援を送る姿が目障りなのか、コングのアイカメラが彼女を向いた。片脚を破壊され、全力の突進を奪われたコング。だが、その二本の腕は健在だ。退避する暇も無く、二人の頭上に鉄の拳が降り注ぐ。 「ちょっとマジ引くわぁん。盛りのついた雄ゴリラはおさわり厳禁よぉん!」 「やっぱり、そのゴリラはぜんっぜん可愛くないのです!」 びしっ、と指を突きつけるのは、ゴリラ好きの白雪姫。奇跡的に迷子を免れたロッテが、その指先からレーザーのように力強い気糸を放つ。 「遠慮無くブッ壊してやるのですぅ! わたし、心の底から貴方の事嫌いだから――」 ――苦しんで苦しんで、この世に生まれたことを後悔しろ! 少女の絶叫。同時に、右肩の砲門の一つが小さな爆発を起こした。 たくさんの人たちが死んだ。玩具扱いする、ちょっと意地悪な声はもう聞けない。大好きだった。大好きだった。大好きだった。 「わたし達、強いから負けないもん!」 涙は枯れるまで流したから、もう零れない。だが、気丈に立ち続ける彼女をもう一本の腕が襲うのだ。コンクリート破砕用の鉄球にも劣らない巨大な質量が、唸りを上げてロッテに突き刺さる。 いや。 「うあっ……!」 ロッテを抱きかかえて逃げようとした祥子が、逃げ切れずに背に拳の直撃を受けた。ミシミシ、という音が周囲のリベリスタにも聞こえるほどの惨状。ロッテの頬に、どす黒い血が流れた。 「大……丈夫、あたしはこう見えて、結構頑丈……なのよ」 それでも、ごろごろと転がって拳の追撃から逃れた彼女は、胸に抱いた少女に笑いかけるのだ。 きっと、あの人も別の戦場で、誰かの盾となって傷ついているのだろうから。 「……駄目ですね、やはり」 無念げに首を振る嶺にいいさと頷いて、義衛郎は駆け出した。できればあのマッドサイエンティストをコクピットから引きずり出してやりたかったが、何処を攻めればいいか見当がつかないならばしょうがない。 「妄執の幕引きといこうか、大博士殿」 突き出た装甲を蹴って、コングの外装を駆け上がる。ドク自慢の巨大ロボットも右脚を破壊され、右腕も身体を支えてはいるものの多くの機能は失われた。ここまで動きが鈍ったならば、優れたバランス感覚を身に付けていれば上れもしよう。 「三度目を許す程、狗は甘くないんだよ!」 関節制御のユニットがあるかと予想し、腰まで駆け上がって二振りの刀を突き入れる。どれ程優れた機体でも刀を通す隙間はある――義衛郎の言葉通り、可動範囲の広い腰部はコングの弱点の一つであった。 「――ここでトドメですよ、タヌキジジイ」 狸は狗の餌に過ぎませんから、と物騒な笑みを貼り付けて。白き羽衣の麗女が放った極細の糸は、義衛郎が傷つけたまさにその場所を正確に射抜いた。 「熊すら穿つ手負いの鶴が、狸如きを殺せぬ訳が無いでしょう」 鶴の羽を縒った糸にオーラを通し、音無く敵を倒す凶器と成す。その様子をつぶさに見届けた彩歌が、なるほどね、と頷いた。 「何でも知っていると思ったから思い上がったのか。……それとも、何にも知らないと焦って踏み外したのか、それは知らないけれど」 彩歌は気糸を紡ぎ、不可視の矢を成してコングへと撃ち込んだ。もちろん装甲部分では効果が薄いと知れている。僚友に倣い、狙うは関節ユニットに出来た間隙。 「犠牲にして、傷つけて、それで出来たのが只の鋼の棺桶ってどういうことよ……!」 グローブの論理演算ユニット、緑のLEDが瞬けば、また小さな爆発が起きる。丸サングラス越しにそれを睨む彼女は、怒りに震えるようにも、嘆息を隠せないようにも見えて。 「……本当は、あなたは何を知りたかったの」 つるっとした丸っこいシルエットは、おそらく同種の巨大ロボとの射撃戦を想定したものだろう。エアインテークすら見当たらぬ洗練されたデザインは、しかしリベリスタの猛攻であちこちを破壊されている。 「オマエのこのご機嫌なオモチャ、ぶっ壊してやるよ」 精悍な身体に浅黒い肌。夜闇の中で黄金に輝く瞳が、牙緑に流れる猛虎の血を雄弁に語っていた。 「オレの牙で喰いちぎってやる!」 重量のある大剣を両手で構え、筋力に慣性を加えて叩きつける。衝撃。牙の形をしたペリドットのチャームが、首元で揺れた。 やすやすと斬り裂く、或いは一刀のもとに両断する、そんな劇的な結果は生まれない。彼の攻撃は、左腕に走ったひびを若干広げただけだ。だが、その積み重ねこそが、その積み重ねだけが、この巨大なる兵器を鉄屑へと変えていく。 「お前に命を、夢を奪われた仲間の為に――」 アンジェリカもまた、そう信じて異形の鎌を振るう。垂直の壁さえも走り抜ける彼女は、巨人の肩の上まで駆け上がって蝙蝠の羽を一閃させた。 「――今度はボクがお前の命を、夢を奪う!」 彼女とて、毒や麻痺の瘴気の洗礼を浴びている。だが、壮絶なまでの覚悟が彼女を突き動かし、身体を蝕むガスを意志の力で捻じ伏せていた。腕が壊れても足がある。足が壊れても口で鎌を銜えればいい。 「たった一人きりのお前になんて、決して負けない!」 猛攻。だがドクも反撃を忘れたわけではない。また澱んだガスが吐き出され、幾人ものリベリスタを呑みこんだ。 「化学兵器を備えた巨大ロボットか。面白い趣向だ! 尊敬にすら価する」 臆面も無く言ってのける陸駆。無論、天才科学者の奥の手を『面白い趣向』と切って捨てたこと自体が挑発もいいところである。 「おい天才、貴様は玩具遊びも得意のようだな。遊んでやるから掛かって来い」 相当に距離を取る彼は、コングがガスをそう遠くまでは吹き出すことができないことに気づいていた。身の安全を確保しながらも、彼は戦略演算に裏打ちされた冷徹な眼力でコングを――カメラ越しのドクを射抜く。 「実験という言葉で今を過ごす貴方に、成功は無いよ!」 そう呼びかけたしのぎは、コングの外装をよじ登る仲間達を援護すべく、次々と矢を番え弓を引いていた。鉄の鏃は光の矢へと変わり、流星の如く夜を斬り裂いてコングの装甲に突き刺さる。 (だって、此処にいるしのぎさんは、ううん、アークの皆は) 今、『この瞬間』を守るために戦っているのだから。 「貴方を倒して、妄執に駆られるその心も止めてみせる!」 一際眩い光弾がコングの頭部を捉え、炸裂する。暫時周囲を照らした光が、危険を承知で上空から近づく者達を映し出していた。 「……ちょっと妬けちゃうな。貴女の為に戦ってくれる人が、あんなにいるなんて」 またも投下された円盤が爆ぜ、業炎燃え盛る燃料が飛び散った。だがそれに頓着することなく、火の海を渡り虎鐵が迫る。 「馬鹿でかい物を持ち出しやがって、駄犬が鋼鉄を纏っただけかよ」 勢いを付けて擱座した右腕に飛び移り、そのまま強く蹴りつけて宙を泳ぐ。漆黒の刃の間合いには、未だ厚い装甲が健在のコングの胴。 「よう、月が綺麗な夜だな。死ね」 どうせカメラで見ているのだろうと挨拶一つ。あえて関節ではなく胴を狙い、虎鐵は力任せに愛刀を振り抜いた。纏う殺意が破壊の衝撃となり、一点に収束して突き刺さる。常ならば甲高い音で弾くはずの装甲は、しかしこの時、轟音にまぎれてびしりという音を立てていた。 「殺意が凝り固まりすぎて無我の境地にもいけそうだぜ」 「物騒ね。まあ気持ちは判るけど」 背には純白の六枚翼。月夜に日傘をくるりと回しながら、僅かに身体を浮かせた氷璃が小声で発動呪文を詠唱する。やはりコクピットを狙うべきと見定める彼女だが、その場所は未だ判らない。ならば。 「ガスの代わりに爆風はいかがかしらね?」 大きく広げた右手の掌。何かを捧げるように突き上げたその上に、魔力によって圧し固められた火球が輝いていた。狙いは、いくつか存在するガスの噴射口、その一つ。 無言のハンドサインで火球を叩きつける。狙い過たず、炎の砲弾は真っ直ぐ飛んで、肩の噴射口を爆炎に見舞う。 流石にガスの経路がコクピットに続いている事はなく、氷璃の攻撃は噴射口を破壊しただけに終わる。しかし、その猛攻は共に戦う仲間達を明らかに勇気付けるのだ。 しかし、これで終わりではない。ドクはまだ、隠し玉を持っていた。 『馬鹿だね、リベリスタという人種は』 笑っている。コングは、半壊の右半身をはじめとして、明らかに追い詰められていた。なのに、ドクの声には怒りも焦りも感じられない。 『外側なんて所詮飾りさ。コングの手足が全てなくなろうと――化学兵器の威力は変わらない』 次の瞬間。 コングの肩と腕、腰と膝。あらゆるところに備え付けられたガス噴射口から、一斉に大量のガスが吹き出した。 しかも、これまでのように、一箇所に向けて濃縮した瘴気を送り込むのではない。およそ全ての備蓄を吐き出すかのような大量のガスが、もうもうと立ち込め視野を奪う。 「あの時と、同じ」 あひるの脳裏をよぎるのは、研究所内でドクが四本のアームから放出した特製ガスのこと。あっという間に部屋を満たした恐るべき濃度のガスは、多数のリベリスタをあっという間に昏倒させたのだ。 (怖い、けど、ここに居られるのは、皆がいるから) 絵本を抱きしめる腕が震える。けれど、あひるは逃げ出したい欲望と必死で戦い、抗った。遠くに行ってしまったけれど、彼女達が前に進む勇気となって傍にいてくれるのだから。 「あひる達は、絶対に負けない……! 壊すためじゃなく、守るために戦うから!」 『最初の毒ガスは殺虫剤だった。君達も、飛び回る蝿のように死んで行けばいい』 急速に濁る視界。吸い込んだ胸がかきむしるように熱く、毒と麻痺の瘴気が肌を爛れさせて体内に侵入を開始する。 「悪夢が、これ以上続かないように……!」 だが、あひるの声を合図に、ガスにも怯まず多くの者達が攻撃を注ぐ。痛みを感じる神経を身体から切り離し、焼け爛れた肌を省みることなく進む羽音もまた、その一人だ。 「この前の戦いで確信したよ。貴方は、あたし達には勝てない」 彼女の手にした得物は見慣れた赤いチェーンソーではなく、鳥の翼にも似た鉄の扇。二枚の翼を大きく広げて盾と為し、近づけば閉じて大振りの鈍器へと姿を変える。 「くだらないことばかり考えている貴方に、覚悟なんて、ないみたいだから……!」 迷うことなく振り抜いた。未だリベリスタ達を脅かすコングの左腕、その肘を直撃した扇が装甲を抉って火花を散らす。 ようやく全身が赤黒く爛れていることに気づいたのは、伸ばした腕が骨も見えんばかりに削げ落ちていたからだ。 「どんな怪我をしても、あたしは平気。任せたよ、しゅん」 「言われなくても! 任せな、羽音!」 俊介が吼えるように応え、天をも掴むが如くに右腕を突き上げた。何にもしてくれない神サマだって首根っこ引っつかんで連れて来てやる――それほどの意気と覚悟とをもって彼は祈り、念じ、そして戦場に癒しの奇跡を現出させる。 「こんな馬鹿げた戦争ごっこ、さっさと終わらせてやれよ!」 ガスに身を灼かれ、それでも必死に立ち向かう仲間達の真っ黒に変色した肌が、瞬く間に肌色を取り戻していく。もちろん、羽音の滑らかな身体もだ。 「人の心ってのは、機械じゃ簡単に壊せないんだよ」 折れぬ闘志を胸に、彼らは天を仰ぎ見た。サーチライトに照らされる、翼持つ少女と背から飛び降りる者達の影。 「頼むぜ、ヒーロー!」 「頼んだよ、ヒーロー!」 知らず、二人の声が重なって。だが夜空を滑るように舞いコングへと近づく雷音は、およそヒーローとは呼べぬほど、その心を凍らせていた。 ――間に合わなかった、倒せなかった。 研究所でドクを倒せていたならば、今ここで多くが苦しむことはなかっただろう。もしかしたら、命を落とす者が出てしまうかもしれない。 けどやらせない。これ以上、絶対に誰も死なせたりしない。 「終わらせる。兄とボク、二人の復讐を」 無数の符が夜空に撒き散らされ、空を埋める鴉へと変わる。鳥葬の如く喰らい付く先は、大きくひびが入り変形した胸部装甲だ。 「返せ! お姉ちゃんを、返せ!」 「……っ!」 雷音が思わず口走った怨嗟を浴びて、夏栖斗は唇を噛んだ。肉を食い破り血を流すほど、強く、強く。 「今度こそ、絶対に殺す」 胸に燻る復讐の炎はまだ消えていないのだと、ただの一言で宣言してみせる。底なし沼の憤怒に飲み込まれて得るものが、カタルシス一つ生むことのない、ちっぽけな虚無なのだと知ってなお。 ドクの妄執を、今度こそ打ち砕く。 「なあ、ドク、死ぬってどんな痛さなんだと思う?」 もはや動かないコングの右膝を蹴って、ダメージの目立つ胴に取り付くように跳んだ。零距離から繰り出した二本の棍が達人の武技となって強かに打ち据えれば、鎧すら貫く衝撃が装甲の内側で荒れ狂う。 「奪われるってどれほどまでに心を引き裂くと思う?」 ああ。 誇れ少女よ。君の残した呪いは、今宵一人の少年を修羅へと変えた。 「全部奪われてお前は死ねよ。僕は生き残る。彼女のために生きて帰る」 君の残した呪いは、一人の少年を戦士へと変えたのだ。 怒りと恨みと悲しみと、それからほんの少しの希望。ありとあらゆる感情を乗せた一撃が、ついに厚い装甲板を破砕し、コングの胸に大穴を開けた。 「いっけえぇぇぇ!」 そして、夏栖斗の絶叫を聞きながら、蛮刀を手に、少女が宙を跳ぶ。 (――らしくないって、怒られちゃうかな) けれど、壱也は引き返そうとは思わない。決めたのだ。親衛隊だけは、皆殺しにすると決めたのだ。 「全力で、一撃でいい!」 ――失ったものは、もう戻ってこないけど。 装甲を失った『裸』のコングを目にしたとて、彼女に何が判るはずもない。けれど、この時彼女は理由なく理解した。複雑に入り組んだメカニズム。その中央に鎮座する円筒こそ、この巨人を動かす『炉』なのだと。 ――確かにここに在るから。 だから斬り付けた。壊れるまで何度でも斬ってやるつもりだった。けれど白い炉は、彼女が叩き付けた得物を抵抗なくあっさりと呑み込み、そして。 『ここまで、か。でも、どうだい伍長閣下。あんな少佐より、僕のコングの方がよっぽど素晴らしかっただろう?』 閃光が周囲を白く塗り潰した。長く続くホワイトアウト。次に爆発音。小さな爆発が、二つ、三つ起きる。 奇妙なる静寂。それから、轟音が夜に轟いた。 炉が完全に爆ぜ飛んだか、創造主を懐に抱いたまま、彼の最高傑作は劫火の炎柱の中に消えていく。 狂えし科学者の墓標が、高熱のあまり白く色を変えて天を穿つ。それは、今夜三ッ池公園に集った者達全てに、アークの勝利を告げていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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