● ここまで来たら、アタランテになりたい。 もう、逃げられたくない。 待って。待って。 行かないで。捨てないで。 あたしのことを置いていかないで。 アタランテになりたいの。 だって、あの時、指差されたのは私だから。 おまえでもいいわ。いらっしゃい。 ● ゴスロリ服に、超ハイヒール。パラソルがトレードマークだった。 足の早い若い男が大好き。 全力疾走で走る男を歩いて追いかけ、死ぬ寸前まで走らせて、最後には傘に仕込んだレイピアで突き刺して殺してしまう。 りんごを渡すと、ちょっとだけ待ってくれる。 生ける都市伝説。 「人混みアタランテ」というフィクサードが、一昨年の夏に倒された。 そして、秋になった頃。 死んだ「人混みアタランテ」は皮一枚残して屍解仙という名のE・フォースとなり、現世に戻ってきた。 リベリスタ達は、それを十数キロの逃避行の末、倒した。 そして、冬。 空席になった神速の具現、最も早い女の称号「アタランテ」を賭けて、啓示や薫陶を受けた女フィクサード達が密かに動き始めていた。 「人混みアタランテ」の真似をして、若い男達を密かに殺し始めているのだ。 その行為を、あるものは速度を鍛えるために鍛錬と言い、あるものは、都市伝説となるための儀式と言う。 アークによって、ジョガー、トリオ、ジュリエッタ、泣きべそが討伐された。 それは氷山の一角。 少しずつ力をつけた彼女たちが、『万華鏡』に映し出され始めていた。 そして、新たな噂。 未熟なアタランテを駆り立て、狩りたてる者たちがいる。 「アタランテ狩り」 都市伝説は、拡大する。 あなたが若い男性なら。 どんなに急いでいても、人混みを早足で通り抜けてはいけない。 アタランテ達に愛されるから。 そして、お前がアタランテなら。 どんなに恐ろしくても、後ろを振り返ってはいけない。 アタランテ狩りと目が合うから。 ● 「ほぼ完璧、キタコレ」 「長かった。ここまで長かった」 「まだ二年たってないじゃない。超促成栽培」 「世界は、前世紀と比べたら加速してるんだよ」 「とにかく、速度、戦闘能力、容姿、どれをとっても文句はない」 「容姿、大事?」 「後から、漢女が追って来たら、それはアタランテじゃなくてギャグだ」 「アタランテは、折れそうな足で速いからアタランテなんだよ」 「その点、この子はいいね。清楚だ」 「ただ、この子さ。ビスハなんだけど、追っかけてくうちに本性出ちゃって――」 「うん?」 「脚なくなっちゃうんだよね。蛇ビスハ」 「ひざから下が蛇」 「靴はけねえならだめだろ、それ」 ● 「歩行者天国にいる」 「足が速い若い男が大好きだって」 「10人追い越すと目をつけられる」 「後ろからずっとついて来る」 「脇目も振らずに追いかけてくる……ここまで、常識」 「最近のアタランテ、靴セーフあるじゃん」 「靴セーフイベントないから」 「走っているうちに、変身して蛇になっちゃうんだってさ」 「だめじゃん!」 「清姫アタランテ」 「もう超ラブラブで男の後ろをついていくのが、清姫アタランテ」 「走っても振り切れない」 「背後から迫るラブラブ光線」 「ニセモンじゃねーの?」 「そんでも、電車より速い」 「バスとかタクシーとかに乗っても歩道をずっとついて来る」 「降りたとたんにやられる。電車に乗ってもホームに先回りして待ってる」 「立ち止まっちゃいけない」 「振り返ってもいけない」 「うちまで自分の足で帰らなきゃいけない。どんなに遠くても」 「うちに帰るまでに追いつかれちゃいけない……ここまで基本」 「そうでないと、巻かれて焼き殺される」 「うちまで逃げ切ると、電話が来る。『ゆるしてあげる』って言われたら、セーフが基本」 「コイツの場合、『今、あなたのおうちを取り囲んだわ』 って、電話が来る」 「その後おうちごとファイヤー」 「人混みアタランテは、りんご上げたら止まってくれたけど、清姫アタランテは肉食系だから、りんご受け取らないんだって!」 「それ、逃走エンドなしってこと?」 「だめだろ」 「アタランテ狩りは、『人混み』的じゃないものは許せない」 「自覚の有無はあれ、ね」 ● 「『アタランテ』を目指してる女の噂がまた立ってる。被害が出ている以上、それを排除するのがアーク」 神速を目指すためと称し、アタランテを目指すフィクサードはしばしば一般人を狩る。 その力が強くなればなるほど、万華鏡に捕捉されやすくなるのは、皮肉なことだ。 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、てきぱきとモニターにとある繁華街の地図を映し出す。 「フィクサード、識別名『清姫アタランテ』 例によって、おとりが迎撃場所まで引きずってくる作戦を推奨」 モニターに映し出される少女。取り澄ました顔をしている。 「かなりの数の革醒者――リベリスタ、フィクサード問わず――通称「アタランテ狩り」を殺害している。というか、このレベルになったら返り討ちにしていなければ、とっくに討伐されている」 アタランテ候補生たちがひっそりとレースを始めてから一年半あまり。昨年末には、アタランテ関連の案件は全国的に減り、『アタランテ狩り』のほうが事件を起こす事態にまでなった。 「今までのアタランテと一線を画すところは、獲物に瞬間沸騰的病的執着を抱く。『愛してるから追いかける』 追いついたら、『愛してるから殺しちゃう』」 ブリーフィングルームに重たくのしかかる空気。 アタランテが惚れたらだめだろ。そもそものアタランテ――求婚してくる相手を負かして、乙女でい続けた神話のアタランテ――的に。 「ここ最近、アタランテの噂が変質したため、靴プレゼントエンドでごくわずかながらアタランテによる被害が減ってる」 年頭、『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)と『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニング(BNE001789)がネットに介入した結果、アタランテから逃げる方法が一つ増えた。非常に微々たる可能性ではあったが。 「ただし、清姫での成功率はゼロ。途中で幻視を解いて足がなくなるから」 私の足に似合う靴を頂戴。 アタランテは、そう犠牲者にささやく。 でも下半身を蛇に変えた彼女にいったいどんな靴を送ればいいのだろう。 「アタランテ狩りに追いかけられると、これを焼く。周囲の被害は増える一方。アタランテ狩りと戦闘中の隙を付いて一人だけ逃げ切った人がいる」 イヴは、無表情だ。 「家に入るのを見られて、家ごと焼かれた」 目をつけられたら、待っているのは死あるのみ。 「だから、今回、おとりは非常に危険。清姫を討伐しない限り、周囲も含めて、いつ攻撃されるか分からない」 どこかに避難しても、それごと焼かれる。 「アタランテを目指してるだけあって、速くて早い。基本マグメイガスだけど、力も強いし耐久力もある。強敵。もちろん、逃げ足も速い」 イヴは無表情だ。 「それでも狩るのが、アーク」 それだけの人員はそろってると思うと、付け加えた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月14日(日)23:06 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 「都市伝説の怪物…でございますか」 もしナイトメア・ダウンが起こらなければ、『ヴリルの魔導師』レオポルト・フォン・ミュンヒハウゼン(BNE004096)とは、縁のないものだったろう。 「此度の敵の能力を伺うに、人の興味をくすぐる現実離れした怪異に対する人の噂とは、より凶悪に、より禍々しい方向へと肥大してゆく物なのでございますな……」 人の好奇心を餌にし、存在の根源とし、人々を物語の中に呑み込んでいく意志なき流れだ。 「どちらに致しましても、人に仇成す怪異、野に放したまま捨て置くわけには参りませぬ。不肖ミュンヒハウゼン、アタランテ狩りの末席に加わると致しましょう」 ほら吹き男爵と同じ姓を名乗っても、レオポルトの言葉に二言はない。 「似た様な物であれば、先日対応したばかりだが」 『閃拳』義桜 葛葉(BNE003637)は、都市伝説の死と、別の都市伝説の誕生の場に居合わせてしまった。 泡沫のように生まれては消えていく都市伝説の中で、「アタランテ」は、人の命の長さを越えてしまった。 形に縛られた物も百年たてば動き回る。ましてや、形を持たない噂なら。 「人の噂は尾びれが付き物と言いますがホントに尻尾生やされても困りますね。ことアタランテに関してはもはや『足が速い』の定義すら危うくなりますし」 葛葉と同じ戦場を銃弾で埋め尽くした『デストロイド・メイド』モニカ・アウステルハム・大御堂(BNE001150)は、やくたくもない都市伝説を狩るには最適の人材だ。 「まあ多少のルール違反には目を瞑りますよ。その結果、噂以上に面白い物をお見せ頂ければの話ですがね」 速度狂の集うアタランテ狩りにモニカが幾度となく付き合っているのは、頂点目指して、もがき戦い階梯を登るアタランテ候補生たちをぷちっと踏み潰し、奈落の底までもんどりうって転がり落ちる様が見たいからだ。 「最も速い女にアタランテの称号って事だが、ワタシ以外にイルノカ?」 『黒耀瞬神光九尾』リュミエール・ノルティア・ユーティライネン(BNE000659)は、ずっとアークのトップを走り続けている。 『人込みアタランテ』と共に走リ、面白いといわせた女。 「リュミエールがアタランテっすか」 『LowGear』フラウ・リード(BNE003909)は、リュミエールに尋ねた。 「最も速い女はワタシダカラナ」 だが、それだけでは、アタランテにはなれない。 どれだけ速かろうが、アタランテの格を満たしていなければ、アタランテの冠を頭には載せられない。 美しさが、装いが、言動が、高潔さが、魂が、それにふさわしいと誰もが認めなければ、アタランテとは呼ばれても、やがては狩られる。 少なくとも、リュミエールは、繁華街を歩いて十人追い越す青い男を必ず殺害しなくてはならないアタランテの条件に着手するような人物でないことは確かだ。 都市伝説として、制約に縛られて生きる覚悟はあるか? 永遠に脱げない靴を履いて踊る踊り子として、人を殺して生きるのだ。 その覚悟があるのなら、別にお前でもかまわない。 リュミエールに、フラウはあいまいに頷いた。 リュミエールもフラウにとってロックオンしている相手ではあるが、それにも増してこれから見える存在のことを考えると胸が高鳴る。 (笑いが止まらないとはこの事っすね) フラウの原点はアタランテだ。そうフラウが決めた。 あの日見たのはアタランテだ。と、フラウは認識している。ならば、それが全てだ。 リュミエールのように乙女と名乗れない、性別をひた隠すフラウの最速の証明は、真なるアタランテを負かすことによってのみ果たされる。 アタランテを目指すものを追いかけるように、絡み合う螺旋階段を駆け上がろうとしていた。 (お前が誰であっても構わない) ようやく、「アタランテ」と呼ばれるものとまみえるのだ。 今まではアタランテ狩り崩れの掃討くらいでしか関われなかった。 (だから。さぁ、お前の輝きをうちに魅せておくれ?) 秘めやかな忍び笑いが収まる気配はない。 フラウ自身がアタランテに恋うているようだ。 「アタランテ、以前から挑んでみたかった相手です。私の力がどこまで通じるか、試させていただきましょう」 『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)は、アタランテに速度ではない側面で挑もうとしている。 レイチェルの手の中に、他人に施された加護を破壊することに特化されたハンドガン、『赤』。 おそらく張られるであろう絶対神秘障壁を打ち砕く希望の弾丸だ。 「速さとは基本的に人間が理想とする理念の一つですよね。徒競走の順位、仕事の段取り、学習能力、どれを取っても『速い』のが理想とされます」 モニカがつらつらとそんなことを言う。 「故にアタランテは追う方にも追われる方にも興味が湧くのかもしれませんね」 わかりやすさというのは、賞賛を受ける上で大事だ。 「人混みアタランテはフィクサードです。けれど、彼女は最後の瞬間まで、自分の誇りを守り通しました。認めたくはありませんが……格好良いし、憧れる人がいるのも分かるんです」 『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は、電脳世界にアタランテの噂を巻くために、「人混みアタランテ」のことを調べていた。 実際に生前の人混みアタランテとまみえたリベリスタは、十人。 死した後、E・フォースとなったアタランテとまみえたのも、十人。 セラフィーナ自身は、「人混みアタランテ」に遭遇してはいない。 しかし、その噂や伝説が、セラフィーナを魅了した。 そう。 アタランテは、魅了する。 アタランテの冠は、とても価値があるように思える。 速さの名の下に、百年の刻を経て語られる都市伝説。 その動きを見たものは、アタランテに関わらずにいられない。 そして渇望するのだ。 『人混みアタランテ』の、あの華麗をあの速さをあの余裕を見てみたい。 「例え幾つ狩ろうと、蘇った本物を倒そうと、都市伝説その物を潰さねェ事にゃこのレースは終わらねェ」 『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニング(BNE001789)は、アタランテに挑むためにいるのではない。アタランテを滅ぼすために、ここにいるのだ。 『アタランテ・レース』に呑み込まれた「泣きべそ」と呼ばれたアタランテの死が、彼にはどうしても納得できない。それが『アタランテ・レース』だというのであれば、その都市伝説ごと殺してやる。 速さを追い求める『雷帝』の雷が、アタランテにまつわる全てを灰にしようともがいている。 ネット上、無数にあるアタランテサイトを巡りより古い噂を抽出し、同時期に噂に感染したサイトをタイプ分け、アタランテ狩りに書き込みで問いながら、どんなタイプのサイトから噂が始まったか追跡。 アッシュの孤独なネットでの戦いは、すでに数ヶ月に及んでいる。 「この噂、直接干渉してんのは極少数だ」 (でなけりゃ僅か2人の干渉で噂が捻じ曲がる筈がない。要は面白半分拡散してる奴らにほんの一握り本命が混じってる) “アタランテの噂を面白半分で広めると、噂の犠牲者に祟り殺される” そんな噂も振りまいて、網にかかるのを持っていた矢先の『清姫』だ。 「見つけてみせるぜ、電脳世界のアタランテ」 ● からりと、グラスの中の氷が音を立てた。 少女は、歩行者天国を一望できるカフェのテラスに座っていた。 一重の絽の着物に髪を結い上げた少女は、これから大事な人と河原に涼みに行くといった風情で、とても殺すべき男の物色をしているようには見えない。 いや、彼女は美しい男を捜しているのだ。 そして美しい男は、彼女に殺される運命にあるのだ。悲しいことに。 美しい男とは、速く走る男だ。速く走れる体は美しい。 美しいものが嫌いな人間はいない。だから追う。追って殺す。愛しているから。わたしに似合う靴なんてこの世には存在しないのだ。 だって、わたしに足はないから。 いつから変わってしまったのだろう。いつの間にか変わってしまった『アタランテ』に準じることは出来なくなってしまった。 だって、わたしに足はないから。 わたしはアタランテだから、似合う靴をくれない男の足を切断しなくてはならない。 だけれど、美しい男の脚を切り取るなんてわたしにはできない。走れない男は美しくない。美しくないまま生きさばらえるなんて、そんなかわいそうな目にあわせられない。だから、殺す。 愛ゆえに。ただ、愛ゆえに。 わたしは、速度という美しさに恋をしている。 ずっと。ずっと。 「真っ向否定。それが戦い方だ」 するすると歩いて人を十人追い抜いていく青い男。 『神速』司馬 鷲祐(BNE000288) アタランテなら絶対に追わなくてはならない確定事項。 清姫の言う美しい男――青いアタランテ狩りが、そう言った。 拙速を持って尊しと為す加護が、鷲祐の速度を更に後押しする。 アシガナイアタランテナンテ、ユルセナイ。 結局は、そんな罪なき衆生の心が、アタランテを殺す。 ● 青い男が清姫を引きずってい来るのを待っているのは、青い青年。 アタランテたちの数が絞られているこの歳月で、『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)からあどけなさが抜け落ちて、背負う羽根の数が増えた。 それぞれが準備を果たし、今か今かとアタランテを待ちわびる。 鷲祐が走りこんでくる迎撃ポイントから、幾ばくも遅れることなく突っ込んでくる清姫アタランテ。 身の三割は蛇。 ひざから下が蛇体だ。 着物の裾の下、襦袢の下から垣間見える七色の虹をはらんだ真珠のような鱗がうねる。 「私に似合う靴を頂戴な?」 主薄くの後ろ髪に手が伸びた。 かつて、鷲祐に追いついたアタランテは「人混みアタランテ」だけだった。 ぶつぶつと引きむしられる髪。頭皮を掠めていく尖った爪の気配。 走る鷲祐に傷をつけたアタランテは、これで二人になった。 アタランテに追いつかれた男は、彼女に靴を謙譲しなくてはならない。 なぜなら、そう決められたから。 セラフィーナとアッシュはそのとき、自分たちが流した噂が都市伝説に組み込まれていることを痛感した。 噂は操作可能なのだ。 しかし、こんな完璧に美しい蛇に似合う靴などこの世には存在しない。 どんなものを作っても、それこそ蛇足にしかならない。 「靴をくれないなら、脚をもらうわ。だって、わたしは――」 アタランテだから。 音にならない言葉が、ずしりと空気を重くする。 (これがアタランテ、か。ただの速度を極めし者に与えられる称号、にしてはどうも狂気染み過ぎていますね。そういう思考の者が選ばれるのか、何らかの原因で思考が作り変えられるのか) レイチェルは、アタランテを客観的に判断しようとする。 「そして、命ももらうわ。だって、あなたを愛しているから」 アタランテの噂を知る者が感じる違和感。 そんなの、ひどい。噂と違う。 だから、清姫はアタランテではない。 アタランテになれないアタランテは死ななくてはならない。 だから、清姫は死ななくてはならない。 戦闘の火蓋は切って落とされた。 「清姫の速度の査定をシテヤロウ」 リュミエールは速い。そして、早い。 通常に人間に一挙動を二挙動にして、韃靼人の矢よりも早く飛んでいく。 その後をフラウが追う。 「一気に仕掛けるっすよ!」 フラウと清姫の目が合った。 あどけなさが抜け切っていない少女。 「御機嫌よう、アタランテ。相変わらずセンパイに対してご執心みたいでチョイ妬けるっすね」 (――漸くだ。漸く会えたんだ) フラウは見た。襟足からのぞく、細かい呪文式。蛇の鱗のごとき魔術刻印だった。 ほぼ無挙動、無詠唱。 早い。そして速い。 まったく負荷なく展開される魔法障壁。レオポルトは目を見張る。 「――キャストレス……!」 複雑な呪文詠唱をすることなく、魔法を展開させている。 更に展開される別の魔法陣。 「速さの意味が――っ!」 強力な魔法使いは、術の制御に相当の時間と手間を費やす。 今、レオポルトが詠唱している呪文に相応の長さがあるように。 しかし、圧倒的な技術を背景に、その弱点をクリアした魔法使いは手に負えない。 包囲したリベリスタに降り注ぐ赤い花びらのごとき血から突き出してくる黒鎖の奔流。 こすれあう金属音は、青いリベリスタ狩りを葬る馬車の車輪の音。 リュミエール、フラウ、亘、アッシュ、後衛に陣取っていたレイチェルやレオポルト、その警護に入っていた葛葉さえ呑み込もうとしている。 「俺が受ける。陣地作成されきるまでは!」 レオポルトの分の鎖は葛葉が受け止めた。 更に、アッシュにかばわれた鷲祐、背後について視界に入らなかったセラフィーナと、魔法の効果範囲をはずした遠距離に陣取っていたモニカをのぞいた六人が黒鎖の濁流に飲まれた。 鎖の黒を転写されたようにどす黒く変わる皮膚と、耳や目からあふれ出る血。 指一本動かすのが億劫になる倦怠感。それを跳ね除けようとする心の動きまでもが鈍らされていくのがわかる。 癒し手はいない。自分の地力だけが頼りだ。 ごっそりと抉られた傷の深さに、長期戦はあり得ないことを思い知らされる。 「――全く、怖いもんだ」 鷲祐はつぶやいた。 「死ななかったのね。でも、あなた。できるだけ早く殺してあげるわ」 アタランテは、浮気をしない。障害も全部巻き添えにするだけだ。 鷲祐は殺される訳には行かなかった。 殺されてしまえば、清姫は用は済んだと逃走を図る。 かといって、逃走も許されない。 逃げたら、清姫は追ってくる。 釣鐘の下に身を隠していた僧侶は、鐘ごと焼かれたではないか。 すでに跡地と化しているツリーハウスどころか今仮の住まいとしている廃車、搬入中の再建用資材までまで焼かれたら、今度こそ厚生課に住居の提供をごり押しされる。 リベリスタ全員が、割と気の毒な鷲祐の住居保持を誓っているのだ。 それでも、鷲祐は囮役を譲らなかった。 それが彼の矜持であり、意地であり、鷲祐がより囮に適任だという客観的判断もあり。 決して、一度焼かれたら、二度も三度も同じよという破れかぶれではない。 「イイカラ、早ク破ラレチマエヨ」 リュミエールは一瞬たりとも清姫から目を放さない。 蛇を狩るつもりが、先に噛み付かれてしまった。 体にのしかかる痺れが集中を妨げる。ともすれば、心が折れそうになる。 それでも、黒い九本の尻尾を伏せ、バランスをとり、どの方向にでも瞬時に飛び出せるように息を詰めている。 物理障壁がある以上、今攻撃しても意味はない。 狐は、狩りのタイミングを心得ていた。 ● 清姫アタランテは、雌伏を誓うリベリスタへの、いや、囮の鷲祐への攻撃の手を緩めない。 魂を砕く手が、鷲祐の体から魔力を搾り取っていこうとするのを、再びアッシュがかばった。 アッシュの目の前に、速度の果ての真白き闇。 あの渦の底には、アタランテに関わって死んだものがたんまりと、『泣きべそ』もいるかもしれない。 「てめぇが売った、俺様が買った、喧嘩に命を賭ける理由なんざ十分だ」 恩寵を磨り潰す理由としても申し分ない。 「私はあなたに初めて会ったわ」 清姫が首をかしげる。 「アタランテだろうが! 俺様は、この世の全てのアタランテの喧嘩を買ってやったんだよ!」 レイチェルのしびれた手足が元の感覚を取り戻す10秒足らずのわずかな時間。 すでに、仲間は一手分の機会を喪失していた。 攻めあぐねている仲間はレイチェルの一撃を待っている。 (確実に解除しなくちゃ――) 崩れ落ちそうな自らのひざを叱咤し、こみ上げてくる嘔吐感を噛み砕き、目からあふれて頬を伝う血をぬぐいもせず、レイチェルはようやく感覚が戻り始めたハンドガンの引き金を引き絞る。 魔法使いはレオポルト一人。物理攻撃を手戦力とするチームがその能力を遺憾なく発揮させるには、張り巡らされた魔力の盾を突き崩すしかないのだ。 そして、その役目は、レイチェルに一任されている。 放たれた銃弾は障壁を貫き、清姫を貫いた。 ぱらぱらと鱗が散るように魔力の盾の輝きが失せていく。 攻めるなら、今。 今まで抑えていた戦意を全て注ぎ込み、リベリスタは、蛇身の乙女に攻撃をたたきつける。 青い翼を駆使して回り込み、刺突で飛び散る金色の飛沫に青い影が落ちる。 「あなたがアタランテならば、自分はただ挑むのみです」 「邪魔をしないで。あの人の次に殺してあげるから」 (最も速い女の称号「アタランテ」。ナラ私より遅い時点でアタランテジャネーヨ私に負けたら失格) リュミエールには、アタランテの啓示が来ない。 アタランテが私欲のまま人を殺す都市伝説の具現であることからすれば、リベリスタであるリュミエールに来る訳がないのだけれど。 すでに覚醒しているのだから、啓示が来ないのも道理なのだけれど。 でもリュミエールに、アタランテは「おまえでもいいわ」 と、言っていない。 (お前のアタランテの称号を――没収シテヤル強奪してやる剥取ッテやる刈取ってやる) それは、なりえない者の呪詛だ。 リュミエールは、リュミエールをやめない限り、アタランテにはなれない。 正義のアタランテなど、存在が許されはしない。 「お前、遅いンダヨ。失格ダナ」 リュミエールの放つ金色の飛沫には、黒曜石の気配がする。 ● 「陣地作成お疲れさん。俺は、後はレイチェルをかばおうと思う」 葛葉の言葉に、レオポルトは頷いた。 「ここまでかばっていただいたことにお礼を申し上げましょう」 陣地を張る自分が斃れぬ事が、敵を留め置く重要な布石となる認識。 よって、葛葉にかばわれるのも由とした。 しかし、陣地が張られた今、レイチェルがこの場の鍵を握る。 レオポルドの回避では、清姫の攻撃に会ったら派手に急所を抉られていただろう。 いや、今度清姫が大技を繰り出したら、そうなる。 かばう者、かばわれる者、お互い、それを良く分かっていた。 覚悟を決めた男たちは、それぞれの戦いのため、目を前に向ける。 「我が力、万物万象の根幹へと至れ……」 レオポルトは、魔法陣を編み上げる。 複数展開された魔法陣がそれぞれの負荷を補い合い、魔力の効率的運営を支援する。 「神聖四文字の韻の下に……我紡ぎしは秘匿の粋、禍つ曲の四重奏!」 燐光を放つ美しいうろこは干からび、ぼろぼろとアスファルトの上にこぼれる。 こほんとむせた唇に濁った色の血が紅を施し、あどけない清姫をつかの間大人に見せる。 「……ふむ。読みの通り毒と出血は通じる様でございますな」 ぎりりと、清姫がレオポルトをにらみつけた。 「ふっふっふ……アタランテは若い男性しか狙わぬのではございませんでしたかな……?!」 レオポルトは軽口を叩いて、鷲祐への攻撃の当たりを弱くする。 陣地の効力は一分に満たない。 早期決着を目指さなくてはならなかった。 回復手段を持たないリベリスタは、前衛のリベリスタ達はとっくに恩寵を使い果たしていた。 もう仕掛けなくては、後がなかった。 ● セラフィーナの駆する飛沫は七色。くるくる動く少女の心そのままに。 「貴方はどうですか。靴をはかず、逃げ切った人を殺し、りんごを受け取らない。強く、速く、美しくても……噂に殉じないのであればアタランテではありません!」 (速いからアタランテなんじゃない。噂と共に有るからこそ、私が格好良いと思ってしまったフィクサードなのだから) 『アタランテ狩りは、アタランテではないアタランテを許さない』 セラフィーナもいつの間にか、噂の連環の中に足を踏み入れている。 「受け取りなさい、清姫。仮にも貴方がアタランテを名乗るなら」 セラフィーナは、りんごを取り出し投げた。 りんごが地面に落ちれば、偽者。 りんごを受け取ったら……。 「噂と共に死ぬ覚悟が無いのなら、貴方はアタランテの偽者ですらない、ただの殺人鬼です!」 清姫は、投げられたりんごを受け止めた。 「アタランテよ。偽者なんかじゃない。私は、ちゃんとアタランテだわ」 誰よりも速い『たった一人』 になりたかった。 「誰かが靴なんて言い出さなければ、私は、たった一人のアタランテになれたのかしら」 ここに、その誰かが二人いる。 噂の流れ一つで、脱落するアタランテ。 アタランテになれないアタランテは死ななければならない。 彼らは、噂で少なくとも一人のアタランテの未来を閉ざした。 アタランテがりんご一個でくれる時間は十秒。 最速を目指すものたちにとっては永遠にも近しい時間だ。 これ以上は、体が持たない。 そう見切りをつけたアッシュの動きは早かった。 動きを止めたアタランテに、決死の覚悟で組み打つ。 「やれ、ガーネット! 司馬! こんな悲劇繰り返させんな! 俺様がここまでやって、外したら後でぶん殴るかんなーッ!!」 団体行動がまったく性に合わないアッシュが、仲間の動きを信じての無手攻撃だ。 「葛葉さん、お世話になりました」 楠葉がいなければ、レイチェルはとっくに地面に伏している。 「俺が望まれる事は、今回は火力としての働きでは無い。如何に有利な戦場を維持し、全体としての作戦を機能させるかだ」 だから、レオポルトをかばい、レイチェルをかばった。 恩寵をすり減らし、なぜ今立っているのか不思議なほど。 「その為ならば、この身体砕け散ろうとも」 レイチェルは大きく頷いた。 「責務を果たします!」 (八回は集中するつもりだったんだがな) 清姫の苛烈な攻撃は、回復手段を持たないリベリスタ達にそんな暇は与えなかった。 八回集中する間で待っていたら、全員血の海に沈んでいただろう。 集中が足りない。鷲祐の魔力の半分以上を一時に消費するくせに、恐ろしく命中率の悪い技が外れたら。、鷲祐にきついのをお見舞いした後、清姫はこの場から逃走するだろう。 そして、それを追いかけて、倒すだけの力はリベリスタには残っていない。 「神速の牙、拝見させていただきましょう」 レイチェルの放つ神威の光が後押しし、逆光の中、鷲祐の姿が青い影となる。 清姫はまぶしさに目を背ける。 「――持って逝けッ!!」 常識を遥かに超えた挙動により凝縮された「音速の壁」を撃ち砕き、その断片一つ一つを竜の鱗の如き神速の刃として、相対する全てを斬って断つ。 食らいつく竜の咢は、蛇の急所を抉りきれない。 あまりに強烈な鱗の奔流を御するには、鷲祐自身の動きがまだ荒すぎる。 体は動く。しかし、魔力がない。 許された時間は刹那しかない。 とっさに、鷲祐はアッシュとは別方向から清姫に組み付いた。 スタイリッシュが身上のソードミラージュが、対象に組み打つさまは限りなく泥臭い。 「殴らせろよ」 「かまわん。だが、こいつはしとめる。また我が家を焼かれちゃかなわんからな!」 男二人が渾身の力を込めて、押さえつける。 「いい感じです、そのままちょっとがんばって下さい」 アウトレンジ、モニカの――アームキャノンといったら、アームキャノンが一緒にしないでくださいと怒り出しそうな――殲滅式自動砲から放たれた必殺の魔弾、不吉な数字を背負ったイスカリオテの銃弾が物理法則を捻じ曲げる正確さで清姫のどてっぱらをぶち抜く。 口から吹き出した血液がのどを詰まらせ、清姫は激しく咳き込んだ。 駆け込んでくるリュミエール、亘。 それより早く、フラウが頬をばら色に染めて駆け込んでくる。 まるで、恋でもしているかのように。 ああ、このときのために、この戦場に身を投じたのだ。 (逃がさない。お前はうちの獲物だ) 「愛してる――だから、うちにお前を狩らせておくれ? うちはお前を糧として更なる座に駆け上がろう!」 これが、誓いの音速越えの刃。 気持ちがいいほど見事に、清姫の五体全てが切り刻まれた。 「もう動けない。動けないアタランテは死ななければ」 清姫はうつろな声でつぶやく。 それが都市伝説。アタランテにりんごをささげよ。麻痺した指が、抉れかかっている心臓にかかる。 「ねえ、そこの、ずっと私の後ろにいた二人、金髪のあなたと、そっちの片目のあなた」 あどけない顔をした清姫が、セラフィーナとフラウを見上げた。 「ずいぶん、アタランテにご執心のようだけれど――」 死んでいくことに納得した者独特の透明な虚無だけがある目だ。 「もし、非の打ち所のない完璧なアタランテが現れたら、そのときあなた達はどうするの?」 それが、清姫アタランテの最後の言葉になった。 「清姫は届かず」 痛む傷をどうすることも出来ずに、亘は、空を仰いだ。 闇夜だ。導いてくれる星はない。 「さて、次の獲物はどんなヤツが出てくるんすかね? うちは今から楽しみっすよ。願わくば、ソレがうちの求めるものである事を願うっすけど」 止めを刺したフラウは興奮冷めやらぬ様子。 その様子に、亘は言葉をつむいだ。 「狩人は、ただ一途に、真にアタランテが望んだアタランテに求愛を捧げ、待つ」 ● 「清姫、終了のお知らせ」 「惜しいアタランテをなくしました」 「情が深いのはいい女の条件なんだけどな」 「いや、それアタランテのパーソナリティとはかけ離れてるから」 「優雅だったぶん、ちょっと惜しい」 「惚れっぽいアタランテとか、ありえないですしおすし」 「でも、淘汰もだいぶ進んできたじゃない。もう片手に満たない」 「推し、ある?」 「そろそろ見られるんじゃないかな。楽しみだね」 アタランテ・レースは終わらない。 誰も彼もが、完璧なアタランテを望んでいる。 もし、非の打ち所のない完璧なアタランテが現れたら、そのときあなたはどうするの? |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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