● ごぽり、水泡が音を立てた。 海から見据える三高平は瞬く間に彼が望む楽譜(スコア)の通りに死を奏でると女は信じ切っていた。 「……嗚呼、ケイオス……」 名を呼んで、女は眼を伏せる。其処に含む色は、情は女が誰に向ける物より深い物であった。 嗚呼、褒めてくれますか。私は貴方の役に立っていますか。傍にいる事を赦してくれますか。 この身を苛むのは孤独であろうか。シアー・“シンガー”・シカリーは孤独を恐れない。 愛とは独り善がりなものだ。愛は常に孤独と寄り添い続けている。此れは孤独ではない、愛なのだ。 愛は鎖。その身を、心を、蝕んでは離さない。愛とは魔法。女を狂わすには容易い。 愛とは――歌。その楽譜は常に激しく、それでいて、何処か優しげな音色を含んでいる。 「……貴方が望むのであれば私は――」 望まれ続ける限り、歌姫は歌い続ける。この声は、枯れやしない。 彼女は愛に殉じる。彼が望むなれば、毒をも喰らう。 歌姫の中の『逸脱』は無償の愛に似た――それでいて無償の愛と逆位置にある『依存』その物だった。 女にとっての凡てはケイオス・“コンダクター”・カントーリオだった。 彼女は色を持たぬ。その望み全てはケイオスへと『依存』する形で昇華される。 嗚呼、なんと浅はかな女であろうか。彼女は『罪』だ。彼女の存在はケイオスと同色。――否、染まりたいと願ってしまった事こそが彼女の最大の汚点であろうか。 望むのは指揮者と共に在る事。 彼が居ればそれで良い。彼でなければ駄目だ。彼が居るからこそ『私』は存在している。 「貴方の為に、私は歌い続けるのみ……そうでしょう?」 彼女は『歌姫』。その歌声はただ一人の為に。 聞えてますか? この澱んだ船の上、貴方が為に歌い続けているのです。 響いてますか? この歌声が貴方に届くと言うならば、貴方の役に立つならば―― 歌姫は、その歌声で魅了する。 彼がアンコールするならば謳い続ける。その声は枯れる事が無いのだから。 幾らだって、何度だって、彼の為なれば。 箱舟の舵取りを狂わせようと、歌姫はその声を響かせる。 (――ケイオス、全ては貴方が思うが侭に……) 羅針盤は指し示す先は果たして? ● 『緊急事態よ。至急、港へと向かって欲しいの』 一般人避難を終えたアーク本部に居た『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)から回された通信。 『塔の魔女』が予見した通り楽団の狙いがこの三高平市であった事は騒動からも察せられる。その動乱の中にある一つの大舞台への誘いであろうか。焦りを滲ませたフォーチュナは海、と一言告げる。 『其処から、港――いいえ。海は見れるかしら?』 海の上には揺れる影がぽつぽつと存在していた。 その姿は優美。但し、其れを美しいとは言ってられなかった。姿を現した幽霊船はシアー・“シンガー”・シカリーが引き連れてきた幽霊船団なのだ。遙か古都を彼女の白い指先は掴んで離さない。野望を叶えられなかったと無念を謳う兵卒達をこの世に呼び覚ました。 連れてきた死体たちはその無念を胸に殺戮を繰り返す。歌姫は謳う事はやめない。やめる理由はそこにないのだ。彼女は望まれるからこそ謳い続ける。其処に介入する『招かれざる客』の姿がないのだから。 何時も、招かれざる客であったのは『此方』であった、だが、今回は『あちら』が招かれざる客なのだ。 『さあ、お客様にはどうぞお帰り頂きましょうね。――歌姫が上陸してしまう事は何としても避けて欲しいの。 だって、護る事が、私達リベリスタの使命でしょ? ここで、彼女を、シアーを食い止めましょう』 出会いたいと、陸上の王子を焦がれるか。 嘲る様に物語を紡いだ世恋は、遙か後方に見据える事の出来る幽霊船の上にシアーが存在している事を視た。否、それは『視』なくとも判るだろう。遥か後方より、港へと響き渡る歌声があるのだから。 女は傾国とも云える美貌を有し、唯一人を見据え続けているのだ。 彼が望む血塗れた楽譜を作り出す事を――この三高平市を手に入れる事を! 『舟の航海は常に危険を孕むものだけれど、美しい歌声に魅了されて沈む訳には行かないわ』 歌姫の声は響かせてはいけない、届かせてはいけない。 どんな情を抱いていても、その声が孕むのは『狂気』でしかないのだから。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月16日(土)23:08 |
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●ある歌姫の為の『物語』 ざあ、と水の音がした。 それもその筈であろうか。見渡す限りの闇は深い青色をしている。背後に並ぶ倉庫群。日中は活気溢れる三高平の港には異様な静けさが広がっていた。 その静けさはある意味一定の音色を持って保たれている。そう、それは歌声であった。その声の美しさは誰が聞いたとしても耳障りでは無いまさに神に愛された様な歌声である。 ある神話では海の魔女(セイレーン)はその歌声で航海をおこなう人を惑わす怪物と言われていた。その魅惑の歌声は静かに三高平港に響き渡るのみ。何処か切なげに、しかし強く響き渡る其れが女にとっての『武器』であることには違いなかった。 その声が、誰のものかを嶺は知っていた。何時か、女は口にしたのだ。海の魔女、と。 鮮やかな赤い唇は此れから先、この深い青の先に存在する幽霊船の上に存在する女の名前を呼んだ。 「シアー・“シンガー”・シカリー……!」 ●港湾地域/01 響き渡る歌声に重なる様に弾かれるヴァイオリンの音色。それは何かを求める様に――何処か遠くにいる恋人のものと重ねる様に二重奏を演出する。 「……まるで、映画だわ」 ぽつりと零したアスナの背筋に走るのは悪寒であった。正に地獄絵図だ。彼女の目の前には信じがたい『リアル』が存在していた。彼女は映画が苦手だ。わらわらと集まり始める死者の姿がそれを現実だと知らしめる。その悪寒はリアルな映像作品の気色悪さと似て非なる――それが現実である事を思い知らすおぞましいものであった。 「これ、戦場全体でどれだけいるのよ。どこから来るのよ、この数は……」 零す言葉に、合わせて体内で廻る魔力。そう、目の前に居るのは死の軍勢だった。初めは生者だったもの。今は亡者と成り下がったソレは、この『舞台』の端役では飽き足りない。 響くヴァイオリンの音色に誘われる様に動き回る死体たち。彼等は操り人形(マリオネット)でありながら、その存在を誇示する様に真っ直ぐにリベリスタ達の下へと向かってきた。 第一防衛ラインとアークが定めた其処に集まった精鋭105名のリベリスタのうち港湾地区の防衛に当たる58人の精鋭とその援軍の20名のリベリスタ。 「がんばって、ね?」 祈る様に仕込杖を握りしめたアルシェイラが施すバリアは前衛へ――ヴァイオリン奏者の下へと向かう仲間達を励ました事だろう。 彼女はこの世界を未だ知らない。ラ・ル・カーナの落日。其れからの『冷却期間』を経て、アークへと加入を果たしたフュリエ達は未だボトム・チャンネルが何たるかを知らないのだ。戦う力も、その為の信念さえアルシェイラ達には『未知』であったのかもしれない。 「リベリスタにとっての帰る場所を、この街を、蹂躙させる訳には行かないの」 水色の瞳が揺れる。知らない事を知る事は彼女の知的好奇心を満たすものであった。彼女は知らないものが多い。目の前で襲い来る死者の軍勢とて、彼女にとっては恐ろしい者にしか映らなかった。 「アーシェのなけなしの勇気を振り絞るの」 無理はしない、そう決めた。彼女の与えたバリアを得て、前へと飛び出した百景が直死の大鎌を振るい仲間達を切り裂いていく。アルシェイラの援助を受け、孤立しない様にと気を配った彼の攻撃は未だ経験不足である為に拙い。 「何が何でも三高平市からゾンビを追い払ってやる!」 その言葉の通り、彼は慎重かつ大胆な動きを見せた。集中を重ね、踊る様に大鎌で相手を切り裂く。タフな死体の群れの中、百景は鋭い眼光で真っ直ぐに敵を見据えて口元に笑みを浮かべた。 「多勢に無勢? そんなもん知るか。押し返さなきゃならなんだろ、ならば不可能を可能にするしかねーんだよ」 直死の大鎌は亡者に二度目の死を与える様に振り翳される。一人の力ではできない事だって仲間達が居れば何とかなる。彼を援助する様に癒しを与えるアスナ。 そう、百景は分かっていた。不可能ならば可能にするしかない。此れから先、遙か海の向こうに向かう仲間の事を想っては鎌を再度、きつく握り直した。 「死地に向かうセンパイ達が帰って来られるように綺麗にしとかなきゃなんねーしな」 ――来たれ幸運。 祈る様に呟いた。嗚呼、信じるのは幸運だけでは無い、この『特務機関アーク』の底力を此処に見せつけるのだ! 「そう、まだまだ死ねないです。皆、頑張ってですよ」 燃え上る炎が死体を包み込む。体内で活性化する魔力を感じながらスバルはメイジスタッフを握りしめた。此れからも魔導を探究し、それを知って行きたいと思う。その為にまだ死ぬわけにはいかないのだ。 「ええ、帰る場所が無くなるのは、かなしいことですから」 虚ろな七海の瞳は迫りくる死体軍に向けられていた。遥か後方から響くヴァイオリンの音色。其れに対抗する術を今の彼女は知らなくて。 ウェーブがかった長い黒髪が揺れる。この刹那的な世界を生きていたい。 「踊りましょう。私の命が燃え尽きるまで。世界が終焉を迎えるその日まで」 彼女の言葉の通りに燃え盛るフレアバースト。スバルのそれよりももっと赤々と彼女の命の灯が如く死体を燃やしていく。役に立てるなら、広く見回した戦場を彼女の瞳は逃さない。 「アークの未来を、世界の未来を、取り戻しましょう……!」 「はい、全力を尽くしましょう!」 重ねられる四色の光が、死体を狙い撃つ。炎に撒かれる死体たちは菜々美の目の前でその体を燃やし続ける。 「これじゃ落ち着いてお蕎麦を啜れないじゃない」 戯言の様に、呟いて。手に握りしめたMY七味。背後で彼女を支援するアルシェイラ。炎が死体を飲みこんで彼女がその炎を顕現される力をスバルが援助する。 菜々美の脚がコンクリートを擦る。襲い来る死体を『火葬』するように、灰に還す様に炎が飲みこむ。200を越える死体たちに、前に出ない様にと気を付けた彼女の目の前へ滑り込む様にミリーが飛び出した。 「己を知る事は魔術師の基本」 「そう! やれるところでやれる事やるのが大事なのだわ!」 援護を受けて、鮮やかな金の髪が揺れる。飛び上がって、蹴りを繰り出す様に生み出された火龍。フィクサードの男から模倣したソレが炎を撒きながら死体を蹴散らしていく。 「うじゃうじゃうっとおしいわね!」 その言葉と共に、真っ直ぐに飛び込んでいく火の龍は彼女の心を表す様に燃え滾る。死体を燃やし切る様に――ああ、けれど、其れに当たらないと気付き流れる動きを身につける。 嗚呼、燻ってるだけだなんて飽きてしまう。本当ならその中心に走って行きたいのに。ミリーはぎゅ、と拳を固める。女子力・改が真っ直ぐに殴る様に炎を飛ばしていく。 「もっと! もっともっと! 燃えてくわよ!」 ――燻るなんて性じゃないもの。 少女が燻る事を是としないならオリヱは喪失を是とはしなかった。彼にとって気まぐれな運命の寵愛(フェイト)は喪失と同義であったのだから。 「何を望んで嘆いても、昨日は変わらず、今日は巡る」 言葉にして小太刀を握りしめたまま展開させる守護結界が共に居る存人や滸、其れに近くにいる仲間達を力づける。喪失が何であるか、そう考えれば答えは一つのみ。――喪失は、死だ。 「死を踏み躙るのは趣味ではないし、死者に蹂躙されるのもぞっとしない。 さて、オレの手は正しい死をどれ位齎せるだろう……?」 言葉と共に放たれた雷光が、死者を穿つ。死んだ魚の目を手にして、生きている自身を誇示する様に死者を見つめる。『ああぼくがうらやましいだろう』と口にする事が無くとも、存人は確かに生きている事に『意味』を与えていたのだろう。 生きる目が、濁った眼が、睨める目が、狂った目が、抉れた目が。凡ての眼が彼を見据える。生き物と目を合わす事が出来ないと云う心的外傷(トラウマ)を思い出し、灰色の瞳が真っ直ぐに合わさるのは『死体』。 「死人ですしね。目を見ても俺は怖くない。目を見ても俺は怖くない。……敵としては普通に怖いですけど」 放たれる炎が死体を包み込む。苦しみもがく『眼』が彼を見据えた。じ、と存人やオリヱの動きを見つめている滸はナイフを手に、体内のギアを加速させていく。存人が心的外傷を得ているなれば、滸は完全に個人の嗜好で瞳が好きであった。 綺麗なものであるからそれが好きだと思うだけ。だが彼の目の前の死人の目は何と澱んでいるのだろうか。 「死体の眼には興味ありませんし。俺。死者は死者足るべきで。えぇ。征討に救いというには戸惑いがあるけどまぁ……うん」 遣り切るしかないとそう思う。飛び上がり、蜥蜴の尾がたん、と地面をたたく。ぎょろりとした眼球が死体を逃さぬ様に真っ直ぐに見据えた。 ナイフが行う強襲攻撃、引きこもうとするその腕に、避ける様に体を捻る滸。腕が彼に届きかけ――打ちこまれた魔法弾が死体の腕を吹き飛ばす。 「俺、無理しないし。あそこになんて加わってやらない」 「お客さんがいなくなるのは困りますし、ね」 瞬いた存人。攻撃を続ける滸とて無理はしない。援軍のリベリスタの傷に癒しきれないと目を伏せる存人が小さく息を吸った。 「オリヱ、あちらです」 眼帯で隠したオレンジの瞳がゆるりと笑う。動くたびに広がるバニラの香り。癒しを与えたオリヱの瞳は正しく滸の好きな『瞳』であり存人の怖い『瞳』であった。 ――それこそが生者の【瞳】であるか。 混戦状態になる戦場は、亡者と生者が交わる死線だった。ぞわりとファルティナの背に走る恐怖は彼女が漸く知った感情だっただろう。其処に生まれる怒りも、勇気も、少女が得たばかりの『想い』だ。 「あたしもいつか、英雄の様になりたい! あたしでも出来る事があるなら!」 魔的な要素を体内に取り込んでいく。勝気そうな金の瞳は不安を映しながらも、強い意思を湛えている。 「補給活動だけでも、それでも役に立てるなら!」 彼女の視線が向けられる海。深く澱む青は亡者が誘う様に仄暗く不気味な雰囲気を湛えている。ファルティナの長い耳に聞こえる歌声はその海の向こうから響いてくるのだから。 呻き声をあげる亡者に、其れを操る様なヴァイオリンの音色に酔いしれる事も無くウィザーズロッドを握りしめた彼女の隣へと、すぅ、と飛びフィアキィ。 「やれやれ、頑張れ、僕のエンジェルちゃん」 その言葉は何と無責任なものだろうか。振り向く彼女の背後では笑みを湛えたイシュフェーンが愛おしげに彼のフィアキィ――『エンジェルちゃん』を見つめていた。 永遠の旅人は戦いを知らない。彼の戦いは全て『フィアキィ』が、天使がその身を使って守ってくれるのだから。運命の寵愛を受け、そして天使の恩恵を受ける。幸せ者は緩やかに微笑んだ。 「三高平の危機と聞いてね。潰れてしまうと僕に多大な迷惑と不便と被害が降りかかってくるんだから」 紫の瞳を瞬かせ、増援のリベリスタ達に視線を送る。スキルを使う度に自身の下へと現れるフィアキィに優しく笑ってイシュフェーンは遥か後方でヴァイオリンを弾きならす女へと言葉を紡ぐ。 「君達は死者を武器に使ってるけれど、それはお互いの同意の上に行ってるのかい? 違うよね? ……駄目だね、それじゃ救いが無いよ」 さあいくよ、とフィアキィに、エンジェルちゃんに声をかけてイシュフェーンは死者を狙う。当たりの悪いそれでも、十分だと云う様にフィアキィは体を揺らした。 その言葉はヴァイオリニストに届くのか。激しくなる演奏は『死者』を想うではない、もっと遠くにいる『愛しの人』を想う様に響き始める。 ――嗚呼、愛しのヴィオレンツァ! ●港湾地域/02 その音色はリイフィアには馴染みが無いものだ。 「ラ・ル・カーナからお手伝いに参りましたわ。……ボトムでの初めての戦いが死人との対決とは思いませんでしたけれど」 唇を尖らせて、ショートボウを手に、中華風の服を妙に生温かい風に揺らした。 「私の力はまだまだ皆さんのお役に立てるほどではありませんが……気をつけて行ってらっしゃいませ!」 彼女の与える支援は仲間達を力付ける。前衛へと、死体の下へと走りゆく仲間達への支援に確かになったのだろう。 ヴァイオリニストの前に立ち、アナスタシアはJason&Freddyで打ち放されるコンクリートを叩く。 「はふ、スゴいねぃ……貴女みたいな愛も此の世にはあるんだねぃ」 その言葉は彼女の目の前でヴァイオリンを弾き続ける明るい海の様な――彼女の背にある澱んだ青よりも、もっと澄んだ色をした瞳の女へと向けられていた。 「わたくしはヴィオレンツァとわたくし達の愛の証――愛しのシェリーの為に奏でるのですわ」 「そういうのって凄いと思うんだよぅ」 アナスタシアだって恋人の色に染まりたい、染められる事が幸せだと思う。長い橙の髪が揺れ動く。唇の端からこぼれ出るヴァンパイアの牙が血に飢えた様にぎらりと光った。 彼女に向けて真っ直ぐに向けられたバールは庇い手となる死体たち受け流す。勢いだけは真っ直ぐに、届かせようとアナスタシアはアリオーソを狙い続ける。 その背後、迫る怨霊に踏み込んで、弐升は断頭台の喝采を頭上で回転させる。生者を処刑する為のギロチンを改良した斧が狙いこむのは音に操られる亡者たち。 「前線に送り出す為のバトルクライってか。洒落てると云うか皮肉というか。何にせよ、全力を出せってことなら躊躇する事も無し!」 彼の放つ激しい烈風が死者をなぎ倒す。伊達眼鏡の奥で笑った赤色は意地悪く常の様な言葉を吐くだけだ。 ――正義の味方ってカッコいいよね。 援護する様にガードロッドを叩きつけた三郎次はサングラスの奥で緩く笑う。 その外見は正にチンピラの王道を走っている。黒いスーツで包まれた肢体。幸が薄い人生だと思っていたがこうやって居住地が戦場に為るなんて『ツイ』てない。 「争い事は苦手なのですけどね。ですが、住んでる街が戦場に為ると言うのなら抗わざるをえません」 出来る事が少ないと三郎次は自分で思っている。けれど、誰かを喪うなんて耐えがたくて。 弐升の戦鬼烈風陣。その対象から外れた死者は真っ直ぐに彼の下へと襲い来る。怯えの色が無い訳ではない――共に三高平に住む住民を死者として喪う事はしたくない。微力であれど、全力で抗うのみ。 「大昔の喧嘩師曰く、タフ過ぎて損はない、そうですよ」 「それでも、数の暴力を前にして、個体で挑むのは愚かな事だもんね」 鮮やかな水色の髪はまるで鮮やかな空の様だ。混沌とした世界はなるとにとって生き辛い。平和な世界を作るのにのんびりとしていては何時までも時間がかかる。自分には力が無いかもしれないけれど、少しであれば。 「俺も弱くても参戦しちゃうよ? やれるんだったら抵抗したいじゃない」 負ける事を考えないわけじゃない。重ねた集中で真っ直ぐに飛ばした流星が死者の胸に突き刺さる。 負けたらどうなる――三高平が廃墟みたいになるのか。 それはよくある『ドラマ』や『映画』の様ではないか。フィクションはフィクションだから面白い。リアルがダンジョンになってしまっては意味が無い。 「死ぬんじゃないぞ、誰一人さ」 タフな死者に抗うのはなると一人では難しい。それでも、露払いとして存在する彼等のお陰で死者の数は減っていっている。 「……一人じゃない。皆とならやれるはず。大量の死体も怖くない。連携で個々の力を強化できる。 私達は――アークは、そうやって過去の至難を乗り越えてきたと聞いています」 ソレが『箱舟』。この遙か先に見据える海の先、ヴァイオリニストが奏でるその音色の向こう――チェリストを越えて、歌声を響かせる海の魔女(セイレーン)が惑わそうとしても。 その舵取りが狂わないと、霰は信じている。鮮やかな青が、信じる道を真っ直ぐに見据えるのみ。 「私を支配するのは私。未来の為なら過去をも捨てる……!」 斬馬刀は幻影を産み出し死体へと鋭い攻撃を加えて行く。個の力が叶わなくたって、気持ちは楽団よりも強いから。 それだけでも彼女が刀を振るう、此処でアークを信じる力になる。 回復支援がリベリスタを助け続ける。シアーの歌声に孕んだ愛情を打ち消す様に、響き渡る清き声がリベリスタ達の体力を回復させ続けた。 「しっかし、大変な事になってるじゃないの。三高平が舞台となれば、こりゃあ、寝てる場合じゃないよなぁ」 フィンガーバレットを手に彰は煙草を吹かす。細めた赤茶色の瞳に映るのは死屍累々。いい加減で軽薄、そんな印象を与えてしまう彼は小さく欠伸を漏らして、早撃ちを繰り出した。 「行きつけのバーとか、可愛いウェイトレスのいる喫茶店やら、ドスケベな店とか……守りたい場所は俺にもある訳よ」 伸びた髪が海風に揺れる。巻き込まれ体質は此処まで極まると一種の才能だ。此れは不幸じゃない、一寸したイベントだ。 撃ち出したソレに死者の眼が彰へと向けられる。慌てて逃げるその姿勢だって、今までの人生経験からくるものだ。自身の実力は過信しない。一発ブチ込めばそのあとは直ぐに下がる。隙をついて狙えばその弾丸は逃す事が無いだろう。 「死ぬのは御免だぞ」 「大丈夫。私がきっと、皆守るから!」 そう言って、桃色のツインテールを靡かせたりりかはガードロッドを手にたん、とコンクリートの上に足をつく。ふわりと揺れるフリル。瞬いて、飛び出した気糸が罠の様に死体を絡め取る。 「魔法少女ラジカル★リリカ! 呼ばれてないけど参上です!」 普段は普通の中学生というまるでアニメの世界の登場人物のようなりりかは増援リベリスタの護衛についていた。前衛で突出せぬ様にと指示を送る彼女も幼いながらも『最悪』の事態を想定せずには居られなかった。 もしも此処に、共に戦場に居るリベリスタ達が加わったら。死者の葬列は過激な行動をも辞さない。痛覚も無く、生前の理性も無く、ただ、殺戮を行う死体の群れにこの場の誰かが加わるのは見過ごせなかった。 「無為無策に突っ込むなんて自殺行為! 駄目! 絶対!」 守り切ると決めたからには絶対に。ハードルが高くて上がり切るテンション。其れでも、彼女は誰かを喪うなんて怖いから。 「ボクでも出来る事がある。そうだよね? だから、皆の助けになりたい」 メイド服の裾を揺らす。母から受けた教育を生かす時が来たのだと忍はよく分かっていた。仲間達の支援をするべく、広い視野を持って、祈る様に与える防御への効率動作。 レイザータクトとして得た教育と、母から得た教育。その二つの成果が今此処に現れる。 忍は諦めない。自分にできる事があるのだから。忍は、自分の遣るべき事を間違えない。 「皆が帰ってこれる様に、ボクは祈ってるから」 だから、お願いと唇が紡ぐその言葉。途切れる事が無い様に効果を与えて行く。肩で息をし、今にも倒れそうなリベリスタの前に滑り込んだ忍の魔力盾に死者の拳がぶつけられる。 後ずさる彼女の目の前に、飛び込む紗奈。長い黒髪が揺れ、纏う鎧が音を立てる。 「――手荒な真似しかできませんが、何れ丁重に葬りますのでご容赦を」 魔力剣が一閃する。ソレは真っ直ぐにその体を吹き飛ばした。背後で自身を支援してくれる相手が居るならば、彼女らを傷つける事なんてしない。 紗奈は息を吸い込み、一歩、踏み出したその勢いのままに死者の肢体へと剣を突き刺した。 「後ほど、手向けの花を与えましょう」 ●ヴァイオリニスト/01 「私は……まだ、この世界の事をよく知りません」 漏らした呟きは、ラ・ル・カーナから足を運んだばかりのシャルティアだからこその言葉だろうか。非戦闘要員であった彼女が異世界で得た経験は何物にも代えがたかったのだろう。 「死の重さは理解してるつもりです。だから……こんなの許せない。こんな人たちに、負けたくありません」 ぎゅ、と大太刀を握りしめ、シャルティアは後方でのサポート活動に勤しんでいた。ウェーブ掛かった青い髪が揺れる。非常識で無防備で迂闊。欲求に忠実であると云うのは同時に己の意思が強いと云う事だ。 負けないと、そう決めた。この広い世界をシャルティアはまだまだ知らない。だから、知りたいと思う。 「そうだね! 大変かもだけど皆ファイト! がんばれー!」 フィンガーバレットを手にしたクオナは仲間達に支援を与えて行く。増援のリベリスタ達に長い耳を揺らして彼女はへらりと笑った。 戦場でも、考えて殺されるだけなのはまっぴらごめんだ。 その耳に聞こえる唄はとても強い思いが込められている様に思えた。クオナにはその唄の想いは分からない、クオナはその唄を知らない。何処か遠くの異国の恋の歌。 自分は未だ知らない事が多くて、弱くて、何も出来ない。歌姫に告げるならば。 「こんな遠くからじゃあ想い人(ケイオス)に唄は届かないわよ。 ねえ、いっぱい知りたい事があるの。生きるってそういう事でしょ?」 「きっと、きっとそうだ。だから、興味深いね」 スィンはショートボウを片手に三白眼で周囲を見回した。サブカルチャーが好きだ。花や唄も大好きだ。其れが無くなるのはスィンとしても耐えがたい。 与えられる援助に、己の中で活性化し続ける魔力をフィアキィが顕現させる。踊る氷精がスィン達へ近づこうとする死者を凍りつかせようとする。祈る様に、唇に言霊を乗せた。 「――せめてその魂までは穢されぬ様に」 スィンの氷に合わさる様にアルミィルの氷が死者へと向けられた。アルミィルの氷は警戒心の表れだった。歪み切った意識は恐怖心が生み出したもの。 助けて貰ったと思った、それがアルミィルの『恩返し』であったから。けれど、踏み入れた其処は彼女の考えよりも『恐怖』に満ち溢れていた。 「全て、凍てつかせるまでです。死して尚、獰猛、野蛮……これだから男は」 アルミィルの中での『男性』は彼女の心に傷を残した赤き蛮族と同義だった。攻撃の手は休めることはない。フィアキィに頼る事が出来なくなったって、矢を飛ばし続ける。 「この先はアークの戦場。貴方達には決して足を踏み入れさせはしない! それがフュリエの……いいえ、今はもう、私の矜持として」 彼女らの心は今は個の形を得やすくなった。だからこそアルミィルは自分をはっきりと示す。背に走る恐怖は紛れも無く自身のものだから。 「あの恐怖。あの怒り。……全て、凍てつかせなさい!」 尽きかけた力を補充する様に十夜はパワースタッフを振るう。元はフィクサードであってもアークでの初陣であるこの戦いは大人数相手ではどう対応していいのか彼自身判らなかった。 けれど、自分に遣れる事があるのだから。その為ならば立ち向かう。 「別に守りたいって崇高な意思だってないよ。戦いから逃げたい訳じゃない。立ち向かうべき相手で、立ち向かうべき時なんだよな」 やるしかない。必要だから。戦場なんて趣味じゃない。街全体が戦場なら、立ち向かうだけ。眼鏡の奥で紺色の瞳を細める。 ――思うまま駆けていけ。振り向く事はしないから。 「遊び場みたいにしてんじゃねーよ。死人引き連れて騒いでんなよ。静かに暮させろ、阿呆」 その『静寂』を破る音色にファウナは酔いしれる事ができない。見た事が無いものが其処にはあって、変わると云う事を実感したとしても。 遙か水を湛えた景色。それをじっと見つめて居たい。新緑を想わす瞳に船を、海を映して居たい。やけに騒がしい風に心がざわめいた。 「……今は、渡る風を穢す者たちを、死者を操るこの歌を止めなければなりませんね」 魔弓がきり、と音を立てて引かれる。氷精は密集した死体達に狙いを定め、飛んだ。死者の群れが苦しみ呻く。何処を見回しても――数は幾分か減っていても――ファウナにとっての脅威は其処に在った。 数の差は戦略で埋められる。窮状を救いたい想いが彼女を突き動かした。癒す様に飛ぶフィアキィがシャルロッテを援護する。セミロングの髪を揺らし血の付いたバールの様なものを軸に放つ蹴撃。 「船に向かう皆の為にも……此処を維持し、支えなければ」 「そう、私達の世界を救って下さったアークにせめてもの恩返しを。その為に来たのですから」 護りたい人が居た。その人たちが好きな街だから。シャルロッテは未だ未熟だと自身を位置づけていた。けれど、護りたい死だけは強く、彼女を戦場に駆り出すには十分のものだった。 死んだら迷惑がかかる、護りたい人の為に自分はこの場に立っているのだから。 「笑えないわね、この数。素敵な台詞を考えてる暇ないわ」 瞬いて、デスサイズを握りしめたヴィオレットは切りそろえた緑色の髪を揺らした。闇を纏い強化した彼女の隣に走るかまいたち。ぞわりと背が震える。 「ふふ……永久の闇よ、我が衣となりて戦場を駆けん」 ライトノベル効果は素晴らしいものだった。デスサイズを振るったその先から黒き瘴気が発されて死者たちを呑みこんでいく。 「永き時を彷徨う死者よ、その旅を終え漆黒の闇に沈め……黄昏の魔弾『トワイライト・レクイエム』!」 その言葉にシャルロッテは瞬く。ヴィオレットのトワイライトレクイエム――詰まる所、『暗黒』が死者を取り巻く中、呆れの色を浮かべたテュルクが感情を映さない黒い瞳で海を映す。 「やれやれまったく、何故皆さんもっと普通の生活ができないのか。幽霊船団とか非常識にも程がありますよ」 常識を弁えろと零すと同時に、波と共に現れる死者の腕を扇で受け流す。其の侭踊る様に体を反転させて、死者に喰らわす蹴撃。扇を使用した舞踏の様な戦闘スタイルはテュルクの拘りだった。 「来たばかりでも、割と気持ちって入ってるものでして。ここは手放したくないと感じるのです」 格好付けても死ぬ気なんてさらさらない。運命に愛されて、得た居場所は直感の赴くままに大事だと、ただ思えたから。 大事な場所を護りたいと云うのはターシャも同じだろうふ。フィクサードに対して酷い敵愾心を抱いたターシャにとってはその行いすら許せない。 「全く! ゾンビって奴はまるでゴキブリだね。潰しても潰しても沸いてくる」 小さく零した舌うちに、仲間達への支援をターシャは与える。燻った色合いの懐中時計が彼女の掌の中で時を刻み続けていた。 響くヴァイオリンの音色に一人、アリオーソを巻き込める位置へと向かう彼女が放つ炎。熱いわ、と視線を揺らがすアリオーソが放つ霊魂の弾丸がアナスタシアを巻き込んでターシャへと降り注ぐ。 「せめて修羅道で家族団欒を楽しみたまえ」 「――わたくしの愛の炎とどちらが熱いのかしら、ねえ、signorina?」 彼女の愛の炎よりももっと、燃え盛る。ターシャの炎に重ねる様に放たれた幽華のフレアバーストが鮮やかな赤色を咲かす。 「私はまだまだ未熟ですけど、出来る限りの事はします!」 彼女の炎が呻き声をあげる死体を巻き込んだ。幽華は祈る様に炎を顕現させる。彼女の力は何のためか、咽び泣く死体の中で、この力はと小さく紡ぐ。 「この力は、護るために……」 当たらなくったっていい、未熟でも出来る事を出来るだけ示すだけだから。握りしめたペーパーナイフが力をくれる気がした。 構えて、狙う、射る。その単調な作業でさえも総一郎は苦ではない。家族に喜ばれた能力を発揮する様に魔弓を引いた。きり、と音を立てて飛ぶ弓は星を落とす様に死者へと突き刺さる。 「正直気合が漲るとかはないんだが、職場がなくなるのはいただけない」 自分が無理した所で誰も得しないのなら――得するとしても敵だけだと総一郎は知っているから――深追いは行わない。自身が戦場後方に下がったとしても索敵を行うだけの能力があるのだから。 「来たばっかりで職場が無くなっちゃ実家にも顔出せやしない。 ライトスタッフってやつでも十分いいだろ? それ以上でもそれ以下でも無くて、さ」 ひゅん、と音を立てて飛ぶ弓。狙うそれは死者の動きを一つ一つ止めて行く。ビジネスマンは取引相手を出し抜く事が大切だ。云わば此れは命の取引。ここで負ける等、『ビジネスマン』の名が廃る。 痛みが、優衣の体をむしばんだ。翻るバトルドレスのフリル。背筋に走るのは痛みへの快感。 「あぁ、いいです。もっともっと私に傷を! 痛みを!」 魔力剣が放ち出す黒き瘴気が死体を巻き込み続ける。白い肌が傷ついて、赤いヒールが折れてしまっても優衣はその顔から笑みを忘れない。 (こんなたくさんの死体が……きっと、私と同じように家族を亡くした人も沢山いるんでしょうね) 平常時との二面性が彼女の中でちらついた。想い出が胸を蝕む。救えるように。これ以上悲しむ人が居ない様に、勝利を誓う。より多くの痛みが、彼女の体を、胸中を痛めつける。 痛みを力に変える。ダークナイトである優衣は緩やかに黒い瞳を細めて、剣を振るった。 「この力で誰かが救えるなら……! 私、戦いますっ!」 手にした鉄槌が、ひゅん、と音を立てて放ち出す真空刃。神の教えに倣い燈はその場に立っていた。 この場所に来て未だ間もない。それでも、彼女の黒い瞳が映す三高平は危機に陥っていると分かった。 燈が得た力が、誰かの為に為るならば。その為ならば闘志を漲らせ、真空刃が敵を捉え尽くす。ごめんなさい、と唇からこぼれそうになる言葉を呑みこんで、シスター服の裾を翻す。 「神よ、私達をお救いください――Amen!」 ●ヴァイオリニスト/02 聞える音色にミルフィは兎の耳を揺らした。メイド服の裾が揺れ、対エリューション鍛刀【牙兎】を握りしめる。 「此処はわたくし達がお引き受けいたしますわ。さ、皆様方はお早く、あの幽霊船の方へ……! シアーを、お止めして差し上げて下さいませ……!!」 歌声は遥か後方から聞える。海の上で歌い続ける魔女は魅惑の歌声を持っていた。ミルフィはそれに酔いしれることもしない。自身の大切にするお嬢様が護れと云うならば。 「わたくし達はここで喰いとめますわ」 剣は真っ直ぐに切り裂いていく。彼女の視線が捉えるのは青い瞳のヴァイオリニスト。唇の中で静かにその名前を呼んだ。リベリスタ達の攻撃を受けながらも未だ楽器を掻き鳴らす愛に酔う女の姿。 「アリオーソ……! 倒さなくては、ですわ」 ミルフィが風を纏う様に、紫月もそのナイフを真っ直ぐに突き立てる。翼を揺らし、飛びあがり、ナイフは死体を狙う。避けきれぬ攻撃が彼を傷つけても、紫月は怯む事はしない。 「僕のスピード、見切れはしまい!」 素早さで敵を翻弄する。其れこそがソードミラージュだ。透き通る長髪が死者の攻撃ではらりと舞う。 「――ほら、こっちをご覧になって?」 その言葉を漏らしたネモフィラは藍色の髪で隠れた表情に、緩やかな笑みを浮かべる。誰かが狙われるならば近くの敵の足止めを行う。あまり戦う経験はないけれど、それでも、力になれるなら嬉しいから。 「この機を逃したんじゃ、何のためにこっちに来たのか分からないですからね」 言葉を零し、ショートボウで穿つ。息を吸い込んで放ちこんだ援護射撃。現実よりも色鮮やかな夢。鮮やかな春の草花を想う様に、残る雪を溶かす様に、ネモフィラは弓を引く。 春(へいわ)を夢見るならば、この冬(たたかい)を乗り切るしかないのだから。 支援を受けてジェイクは仲間達へと防御の効率動作を与えた。無理はしないと重々承知している。危険な相手には手出しはできない。 「すっげー強い人が居るんだろ? なら、その人たちの支援するしかねぇだろ」 色違いの瞳は、現場をしっかりと見つめている。大量の怨霊が、咽び泣く声が鼓膜を擽った。ただ、その中でも響き渡るヴァイオリンの音色が、美しい声が、彼の狼の耳をピクリと揺らす。 「おっと、危ない事はしないお約束なんだ」 魔力盾が死者の攻撃を受け流す、弾き切れないそれが彼の頬を傷つけても、其の侭では終われない。 フィンガーバレットが真っ直ぐ攻撃を放った。ヘッドショットスキルが傷つけた死体がぐるりとケイティーを見据える。 「ちーっす。ボトムの初陣これってまじっすか。やべぇっす。なんとか肌っす。お仲間もぴりぴりっす」 ぞわ、とその膚を走るのは『恐怖』であろうか。痛いのは耐えれる事でも死は耐えるどころの話では無い。 痛みが命の実感。尖ったフュリエ特有の耳に開いたピアス。痛みの証は忘却趣味の彼女ならではだった。 ジェイクの与えた効率動作にケイティーは前へ飛び出し己の拳をぶつける。だが、襲い来る死者にぞわりと背に走る気配。フィンガーバレットを再度握りしめる。 「うっひょおおあああああ!? っ、死んだらやべぇので、おなしゃーっす!」 「私、死ぬのは嫌ですもの。お仲間が死ぬのも嫌ですもの。つまりは、生きましょう!」 ケイティーの言葉に合わせ、背後から道化のカードを投げ込んだのはアーサーだった。そのカードは『破滅』の意味を表している。機械仕掛けの彼は鮮やかな緑の瞳を瞬かせる。 「そう、死んだら忘れられねぇようになるんっすよくそったれ!」 虚勢が、気合が、ケイティーをその場に立たせ続けた。ソレと同じくアーサーもその場にいる意味がある。彼は執行人(ハングマン)であるからして、その場に立っていた。 握りしめたブラックコード。あら、と唇に浮かんだ笑みは何処となく女性的な様にも見える。 「やだ、右にも左にも犯罪者ばっかり! うふふ、私頑張りますわ。ええ、執行人の名の下に!」 ブラックコードがきり、と音を立てる。体内で循環する魔力が、死体へと不吉を告げて嗤った。 鎖の尾がじゃらりと音を立て、ポジティブに最高の結末を追いかける。さあ、一心不乱の平穏の為に! 「私にできる事は確かに少ないですわ。でもね、私『達』に出来ない事なんてありませんの」 しゃん、と鎖の尾が地面を打った。飛び上がったまま、踊る様に切り裂くまま、執行人は善悪を判断し続ける。 「――ですから私、この先に行った方々や他で戦ってる仲間の為にも今、目の前の貴方方を裁きますわ!」 アーサーが裁く死者の中、その数に圧倒された様にチャノは息を吐く。ショートボウを握りしめる手がかた、と揺れた。 「……なんと凄い死者の数でしょう。怖いです。モーレツに恐ろしいです」 近くを飛ぶ鮮やかな橙のフィアキィがチャノを勇気づける様に周辺をくりりと回った。ボトムチャンネルで戦うのは初めてだった。覚悟は――決まっている。 「私は、生命と世界を守る戦いの為にこの世界に来たのです。ここで頑張れない様では『勇気』を出してきた意味がありません」 きり、と弓を引く。吐き出す様に飛びだした矢が死者を目掛けて飛び出した。随分と数が減ったそれでも、未だ呻き声をあげ生者を襲う死者にチャノの大きな緑色は不安を揺らし続ける。 「その時の全力を出し切る。私はまだ覚え学ぶべき事がたくさんあるのです!」 未だ知らぬ世界をもっと知りたいから。当たったらオセキハンです、と緩く笑みを漏らす彼女の隣をふぃ、と通り過ぎるフィアキィの姿。ミストラルはぎゅ、と魔力銃を握りしめる。 「わ、わらわにかかれば、之くらい造作もないわっ!」 魔力銃を握りしめる指先が震える。後方位置から攻撃を行う彼女の胸に過ぎる不安。死者を凍てつかし、怖がりな本心を隠す様に胸を張る。 「皆のもの、頑張るのじゃっ! 死ぬのは怖いし、寂しいし、辛いのじゃぞっ!」 出来る事は少ないかもしれない。けれど、仲間達が長く全力を出せる様に最善の努力を尽くす。ミストラルは銀髪を揺らし、幾度も氷精を纏わせた。 踏み込んで、前を往く『先輩』達へと与えた支援。その努力の結果、ミストラルの支援を受けたクラッドがブラックコードを振るう。 重ねる集中、一度目の集中は無防備になった彼を葬列に加えようと手を伸ばす死者たちによって、身体を痛めつけられる。だが、されるがままでは無い。 「――やられてばかりというのは性に合わない。少しばかりは噛みつかせて貰いますよ、存分にね」 だん、とコンクリートを蹴りあげた。踊る様に、ブラックコードを振るい、眼鏡の奥で銀の瞳を細める。 英雄に何て興味はない、悪鬼であればいい。強い意思は正義や悪といった概念には囚われない。戦いから離れて久しくても、それでも遣れる事があるならば。 「お前たちは、どんな死の音を俺に教えてくれる?」 にい、と口元に浮かんだ笑み。破壊衝動(バトルマニア)が顔を表す。ひゅん、と音を立てて死者の体を切り裂く、血が白いコートに飛び散ろうとクラッドは気に留めずに嗤う。 「私は私の仕事をする……それだけです。さて、随分と派手に暴れてくれてる様子ですが」 彼は噛みつく。己に傷をつける死者を赦す事はせず、ただ、壊し尽くすのみ。 ふわり、と黒いドレスが揺れる。長い銀髪は多角的な攻撃を行うその動作に合わせて大きく揺れた。 「必要であるならば、この力を振るう事に躊躇はありません」 美しい声音は響き渡る歌声にも劣らない。細腕に似合わぬバスタードソードはしっかりと敵を捉えていた。 のんびりとティータイムを楽しんでいたセフィリアは窮地とあれば、と戦いに加勢する事を辞さなかった。 「この三高平にまで攻め込んでくるとは……負けられない戦いですね。私も加勢いたします」 その言葉は仲間達へと向けられる。誰かが犠牲になる所なんて見てられない。鮮やかな青い瞳は澱んだ死者の瞳とぶつかった。其処に怯えが無い訳ではない。 嗚呼、けれど、此処で負ける事は等しく『死』を表すのだから。 「銀の風、存分に思い知りなさい! そう容易くとはやられませんよ!」 風が如く放たれる強襲攻撃。鮮やかな銀髪はまるで『銀の風』の様にその場に広がる。その風に乗る様に、銀髪を揺らし、金色の瞳を細めたキッカはレイピアを深く死者の体へ突き刺した。 翼の加護の恩恵でふわりと浮きあがり、加速する体内のギアを感じ、まるで『飛行機』を表す様に声を出し跳躍する。 背の金属製の翼は風に乗る様に広がった。キッカの白いワンピースがふわりと揺れる。彼女の目の前に降り注ぐ氷の雨は仲間達へ守護を与えた愁哉の放つ術であった。 難しい事は分からない。正義も、悪も、定義は必要なかった。愁哉は己の信ずる道のみを真っ直ぐ進む。最大の宝は自分の人生だ。無念があっても未練はない。そんな人生こそが宝物。 なら、ここで未練なんて作る訳が無い。お人好しはマジックガントレットを嵌めた拳を打ち鳴らす。 「フッ、俺様参上……! どうやら苦戦しているようだな……って何じゃこりゃあ」 目の前で死体が動いている。嗚呼、これはまるでゲームの様ではないか。拍子抜けしそうになるその場面に、気持ち新たに死者と向き合うが、やはりそれは死体だ。傷を得て、身体を損傷しても動き回る『元は生者』だったモノ。 「ウッ……気持ち悪……とか、泣き言言ってる場合じゃねぇな! あぁ、もう、クソッ! どうにでもなれ! 皆、負けんじゃねぇぞ!」 支援を与える彼が重ねる集中は、より精度をあげて氷の雨を降らし尽くす。其れはアリオーソにまで届き、女はヴァイオリンを酷く鳴らし始める。 ――嗚呼、ヴィオレンツァ。わたくしたちの愛を邪魔する人がいらっしゃったの。 その声は酷く乾いている様にも思えた。微かに、愛情を浮かべた音色は遠く――第二防衛ラインでチェロを奏でる愛しの恋人に向けられている。 アリオと呼ぶその声を想いだし、熱に浮かされた様に、恋情を孕んだ声は高らかに名を告げる。 「嗚呼、リベリスタ。わたくしはアリオーソ。愛しの人が為にヴァイオリンを奏でる楽団員」 「知ってるぜ、アリオーソ。お前はここで殺す……」 零された言葉は、魔力剣を握りしめた宗一のものだった。彼は恋人を喪った。ソレの想いがアリオーソを殺す事に突き動かしたのだろう。己の体力が消耗する。それは凡ての力を解き放ったからだ。 アリオーソの恋人は、チェリストの男は宗一の恋人を奪った。宗一はアリオーソへと近づく為に死体の群れを切り刻む。その切っ先が狙いを外す事はない。 「……アリオーソ! 逃がしはしねぇよ。むしろ、逃げていいのか?」 「――何を仰りたいのかしら」 死者の群れの中、魔力剣を振るう宗一へと視線を向けて、ヴァイオリンを弾く手を休めたアリオーソは青い瞳を瞬かせる。 「俺をこの場で殺さないなら、俺はヴィオレンツァを殺しに行く。逃げてる暇は……ないだろ?」 ふ、と口角があがった。アリオーソは、楽団員の女は恋人の死さえも喜びであった。己は死霊奏者(ネクロマンサー)なのだ。 「嗚呼、わたくしの元へヴィオレンツァを連れてきて下さるの? なんて、なんてお優しいの! 嬉しいわ、ソウイチ。死は何物にも代えがたい永久(あいじょう)ですわ!」 死者を扱うとはつまり『そう言う事』なのだ。女にとっての死は甘い誘惑。何物にも代えられないソレ。アリオーソがそう言うならば、宗一はただ、赤い瞳を細めて笑うだけだ。 「……許さねぇ。絶対に。さあ、殺し合おうぜ!」 宗一の視線がアリオーソを捉えている。それと同時に侠治の眼もヴァイオリニストを捉えて離さない。愛の為に生きる女等、ある意味では『花』の様ではないか。 束に刻まれた文字。花は咲いて散る。精一杯の未来を紡ぐために。侠治の術具はその花を散らす事を望んでいる。展開した守護の結界が仲間達を力づける。 誰かを傷つける事は侠治には向かなかった。目の前の女に向けて、開いた隙間、飛ばした鴉の符はヴァイオリンの弦を狙う様に、跳躍する。 「日は浅いが此処は私の家だ。――俺は二度と家族を守れない様な失態は犯さない!」 恨むより、傷つくより、活かす事を選んだ。在り来たりな未来があればいい。元は平凡で平和だったのだから、其れ以上を彼は望まない。 その平和を壊す者があるならば。アンドレイが仲間達に与えた戦闘の効率動作。断頭将軍ががん、とコンクリートに叩きつけられる。 ――望みを捨てよ! 今日はめでたき処刑日だ! 「さぁ、戦争でゴザイマス。大胆不敵痛快素敵蝶常識的且つ超衝撃的に勝利シマショウ」 機械の体が纏う軍服。失くした右目と右手が無くともアンドレイは怯みやしない。作戦行動は第一だ、軍人は『戦う』者。戦う者が真っ先に倒れる等言語道断。鮮やかな桃色の瞳が真っ直ぐに見据える死者達の呻き声がその体に活力を与える様だった。 「戦争、戦争! 血が湧き立つ。嗚呼愛しき戦場よ!」 歌う様に紡ぎ続ける。負けて退く、それ即ち『死』と同等だ。敗北は終焉である。この場で誰かの終わりを見る等アンドレイは是としない。 「小生は戦いマショウ。戦いぬきマショウ。勝利こそが全テ。終焉を阻む為! 小生の持てる全てを駆使して全力で叩き潰してくれよう。往きますよ、諸君。――突撃!!」 アンドレイの号令に頷いて、鮮やかな青の瞳を細めたセレーネはぼんやりと祈る様に戦う事を是とした。 必要であれば立ち向かう。それをセレーネは学んだのだ。ショートボウを片手に、怯えを映す青が捉える死体。踏み入れたボトム・チャンネルの酷い有様は見るに堪えないものでもあった。 「死者が動き、生者を襲うとは……。やはり、まだまだ私達の知らぬ事は世界に多く存在するのですね」 ソレが怖い、とセレーネは思わぬ訳ではない。知りたいと、彼女が手を伸ばすことだってあるだろう。 その為には、この場所を乗り越えなければならない。微力でも、先の戦いで亀裂走ったリベリスタとの関係を良好にするために。彼女は努力を惜しまない。氷精が空を舞う。 「貴方達の様な者を相手にするのは初めてですが……負ける訳には参りません」 誰も渡さない。誰ひとりとして居なくならないでほしい。喪った同胞を思い出し、矢を吐きだした。 「いくよっ、キィ! ボクたちの全力、見せてあげようっ!」 エフェメラの長い青い髪が揺れる。魔力の籠った弓を引く。物理攻撃から身を守る様に自身に張ったバリア。重ねた物理力場が自身の守りを固めて行く。 幼く見えるエフェメラは連れた青いフィアキィに視線を送る。キィと名付けたフィアキィがふわ、と彼女の隣で揺れた。敵陣へと真っ直ぐに走る。雨の様に降り注ぐ氷の中、重なる様に火炎弾が炸裂していく。 「死者を操るなんて許せないんだからっ!」 アリオーソを見据える瞳が、ぎ、と彼女を睨みつける。女が愛おしげに引き続けるヴァイオリン。此処を抜ければ、きっと。 死体が伸ばす腕を払う様に降らし続ける火炎弾が死者を燃やし続けて行く。 「わたくしの演奏は常にヴィオレンツァの為に鳴り響いているのですわ!」 ひゅん、と蛇腹剣が死体を捉える。纏った闇が宗兵衛を包み込む。死体が伸ばす腕が、彼を捉える前に、黒き瘴気は死体を包む。 「おっと、すげえ数だ。俺のアホ毛もビクンビクンだぜ」 くつくつと笑う宗兵衛の黒い瞳が幻想纏い――伊達眼鏡の奥で笑う。感情が揺れ動くたびにひょこりと揺れるアホ毛。感じる殺気は死体が放つ者だけでは無い。その奥でヴァイオリンを弾く女の姿を宗兵衛は逃さない。 「一途な女性ってのは嫌いじゃないがな、でもアークを舐めんなよ? 怨霊やら死体は此処で喰い止めてやる!」 女の姿に、目を伏せて、重ね上げた集中。ヴァイオリンを弾く手が止まる。歌姫の声に重なるヴァイオリンの音色が、動きを束縛された事により途切れ始める。 「リベリスタ、わたくしの愛の邪魔をなさるというの?」 「御機嫌よう、アリオーソ。それが愛情であるのか羽衣は分からないけど。一つだけ判る事があるの」 ゆるやかに浮かべた笑顔。出逢うのは初めてではないから。二度目の逢瀬に唇が紡ぐのは彼女の望まぬ『不幸』のお話し。 「やっぱり羽衣には死の素敵さは理解できないの。だから今日も、皆の生としあわせの為に歌うの」 その言葉に嗚呼、やはり分からないのね、と蒼い瞳を細めたヴァイオリニストは赤い唇で名を呼んだ。前衛に走る仲間を回復させながら、l'endroit idéalを捲くる指先はある頁で止まったのだ。 夢を見る様に魔力を溜めこむ様に伏せられていた黒は柔らかに微笑んだ。 「どんなに傷ついて力が足りなくても羽衣はこの場所を譲れないわ」 「わたくしも、この愛の為に渡せないものがあるのですわ、ウイ」 その逢瀬に三度目はない。優しげに細めた黒い瞳はその時だけは普段の『笑顔』を忘れた様に冷え切った。 「死の先に手を伸ばせないならその為にわたしはこの力を使うだけ。誰も奪わせないわ。可哀想なアリオーソ」 ――それでも音色は響き続ける。『唄』と『音』の二重奏は苛烈を極め続けていた。 嗚呼、なんと耳障りなのか。 「ヒトの人生を何だと思ってんのかねーぇ。タダの肉塊じゃないのよ、この人たち」 たん、と狼の尻尾が揺れる。伸びあがる影が叶を援護する。昼寝の邪魔になる様な『騒音』が、アリオーソの奏でる『音』ならば。その音色を切り刻むのは『唄』の使命だ。 ステップを踏む様に叶が切り刻むそれ。死体の群れは勢いを失くしていく。その中で、狼の灰色の瞳はアリオーソへ向けられて、やる気なさげに髪を掻いた叶は楽しげに笑う。 「アンタの首さぁ、オレが貰ってもいー?」 緩く巻いた金髪は死体の群れの中でも鮮やかな輝きを放っていた。成果の初の実戦は戦争なのだ。血の付いたバールの様なものを振り回し、啖呵を切る。 レディースとして名を馳せた成果にとってのこの展開は『燃える』ものだ。 「げっ、幽霊は苦手なんだよ……ん? 殴れる? ははっ、だったらイケるぜ!」 ぶん、と振るわれるバールが死体の頭をカチ割る。己の力に頼るその姿勢は、何時になっても変わらない。堅苦しい社交界も、名だたる女系一族の仕来たりも何もない。 「表のケンカなら負けた事ぁなかったんだけど、なァッ!?」 振るうバールに、合わせ、彼女を狙う死体の頬を殴るトンファー。嚆矢の鋭い黒色は立ちふさがる敵を容赦しない。彼は何も失わない、護る者がある者は強いと云う。だが、彼にあるのは『喪失』が無いが故の強さであった。 「死者は、黙って寝ていろ。そんな姿を見るのは、もう――沢山だ」 打ちこまれる拳が、ただ自身の力にしか頼らない嚆矢は死者を眠らせるように真っ直ぐに拳をブチ込む。 ただ真っ直ぐ、それが己の信念か。負けられないと云う気概が乗る拳はただ敵を狙い撃つのみ。自分の命に執着はない。だが、負ける事は許せなくて。 久しぶりの任務に、身体の鈍りはあまり感じなかった。成果のバールが死者を転がす、叩きつける嚆矢のトンファーは死者に二度目の死を――安穏を与えてゆく。 「生憎と、弱者には弱者なりの矜持もあるんでな。此処は通せないし、通すつもりはない」 「さあ、いきなよ先輩方! ケツ持ちはあたしらが勤めっからさ!」 分断された死者の群れ、中央、澱む暗い海をバックにヴァイオリンを弾く女に青年は真っ直ぐに飛び込んだ。 「もうひと踏ん張り、あの人を倒せば――!」 エフェメラの声が聞こえる。響くヴァイオリンの音色が過激に奏でる曲は『愛しい人の奏でるアリア』と重なる様な二重奏。彼女の頭の中に響くチェロとヴァイオリンの二重奏を見だす様に、宗一は女の名を叫ぶ。 「アリオーソ!!」 生と死分かつ一撃を宗一は踏み込んだ。その勢い、アリオーソの左腕から溢れ出る血が、抉れる腹が、女の演奏を乱していく。 「貴女に愛されたらきっと幸せだろねぃ」 飛び込んだアナスタシアのバールが女の腹を叩く、じり、と海を背に後ずさる女に後はない。 「わたくしは死しても尚、愛しいあの人が為。うふふ、肉体を離れて彼の下に行けるなんてなんて幸福!」 侠治の鴉がぴん、とアリオーソのヴァイオリンを傷つける。怒りに狂った様に彼の下へ向く女が放ち出す霊魂の弾丸。 ――最後の演奏にしましょう? ねえ、アリオーソ。 羽衣の唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。胸元で揺れるBehind to Dreamは醒めない夢を思う様に。かしゃん、と音を立ててアリオーソの霊魂の弾丸を受け止めた。 「貴女の最期をわたしに頂戴?」 たん、と女の胸を打つ魔力。響かなくなったヴァイオリンが、コンクリートにぶつかり、行き場を失くした様に持ち主の手から離れてた。 ●チェリスト お母サマ、と微かに呼んだ。幼いチェリストは海の上で一人ぼんやりと港を見つめる。 背後にある幽霊船、モーターボートやクルーザーに乗ったリベリスタ達が彼女の演奏を邪魔する様に布陣していた。 ――愛とは、無形だ。 即ち、それは『チェリスト』シェルルにとっては耐え難き事だった。 「シェリーは愛がほしいわ。愛は何物にも変えられない。シェリーに愛を頂戴よ」 鳴り響くチェロの音色にセッツァーは穏やかな表情を顰めるしかなかった。オペラ歌手である彼にとって受け入れ難い求めるだけの音色。 「このような音楽は音楽ではない。皆はその手に武器を持って戦っている……ならばワタシは声(うた)で立ち向かおう!」 彼の鼓膜を擽る歌はなんと美しいものであろうか。戦場全体に響き渡る『歌姫』の声はセッツァーにとっては不愉快な音色でしかない。銘を刻んだシルバータクト。振るい、願う調べの為に声を張る。 「チェリスト。ワタシが声楽家として我が最高のステージをお見せしよう」 「最高のステージ? 曲目は何かしら、シェリーは『愛の歌』がお好みなのだけど」 その様子やまるで子供。愛は無形だ。チェリストはそれ故に愛を求め続ける。傍で判り易く愛を与え続ける『両親』――アリオーソやヴィオレンツァ――の愛には気付かない侭に。 だが、彼女の奏でる音はセッツァーの望むものではない。シェルルの音色は絶望だ。三高平に流すは安らぎの音がよい。 「そう……曲は喜びの歌!」 ひゅん、とエストックが振るわれる。ヒルデガルドは騎士だ。己の騎士道を重んじる。その方向音痴相まってか戦場に遅れてしまっては居たが、彼女は懸命に戦い続ける。 「死せば敵の手駒になるのだ。それは、わたくしの騎士道に反する」 気糸が海中から手を伸ばす怨霊を縛り付ける。ぐ、と引っ張られる様な気配を感じヒルデガルドはレイピアを振るう。 彼女が故郷で学んだ『騎士道』が、今、リベリスタ達の戦闘をサポートする。的確な指示は騎士として学んだ全てを込める様に真っ直ぐだ。 海の中から伸ばす腕から避ける様に梨音はスクール水着を纏う体を反転させる。与えられる加護が彼女の体を支え続ける。 「……スク水海産物キャラとか巫山戯ている場合ではない。みんなで生きて帰るのだ」 帰る場所は決まってる。『天守孤児院』は梨音たちの家なのだから。 「当たり前です。帰るのです。わたしは、居場所を守りたい。その為に全力を尽くすのです」 掌に開いた穴。エリエリの握りしめた冒涜ルイネーションは彼女の細腕で持ちあげるには大きすぎる代物だった。過去、磔にされたソレ。今、その怒りともとれる生への執着を込めて梨音に群がる死体を暗き瘴気で包み込む。 「わたしはリベリスタ云々ではなく、兄妹姉妹の、みんなのために!」 「家族も、アークで出逢った人たちも、あこがれのひとも、その笑顔も、想いでも、これからも。 ……大事なの。絶対に、絶対に。……絶対に、護らなきゃっ」 放たれた暗黒の衝動を持った黒いオーラ。姉妹と一緒なら、死角さえも感じない、四人でだから、戦える。 何にも代えがたい幸せが、積み上げ続けた『塔』だから。美伊奈にとっての絆と幸せは『塔』だ。『あの時』、助けられなかったから、今はもう。 「――喪いたく、ないの」 ナイフが切り裂く様に、梨音は氷を纏う。背に受ける加護が切れる事を気をつけて、浮かべたボート。群がる怨霊に顔を顰める。あれは、帰った時、目の当たりにした光景と似ている。 「……ねえ……抵抗も出来ずに一方的に嬲られるって……どんな気持ち?」 梨音の問いに答える様に唸る死者へとタヱが清姫を振るった。発熱した鋼線がうっすらと赤く発行する。虐待の果て、得た蛇の因子。強くなる、それよりも何よりも。 「チェっ。一銭にもならねェ仕事は受けねェ主義なンだけどなァ。今回ばかりは仕方ねェ」 影が援護し続ける。梨音へと群がる敵へと瞬間で近づいて、清姫を振るった。タヱは何よりも『家族』を守るためだ。金銭欲求だって、家族の為への心の裏返し。 「お仕事先を守るためにも、遣らせて頂きやすよ! やらにゃ、アタシらの家ごと稼ぎがパーだ」 ぐん、と彼女の脚を引く怨霊が居る。悍ましさが背筋を走る。援護する様に美伊奈の黒きオーラが飛んだ。 「ぶざまにいのちごいをするのです! 今はしませんけど!」 くす、と笑みを漏らすエリエリがスワンボートの上に足をつく。タヱの手を引く梨音。姉妹は誰も喪わない。 「この戦いが終わったら孤児院でパーティですよ!」 チェロの音が酷くなる。シェルルにとって『家族』も『姉妹』もただ一方的な愛をくれるだけのものでしかなかったのに。 「て、ててろシスターズ、いきますっっっ!!」 「じゃーん、テテロシスターズ! さんじょうっ!」 くまぐろーぶで包まれたミミルノの拳。鮮やかな緑の瞳で死体を捉える。死者の呻き声にびくり、と体を揺らしたミミミルノの目の前でミミルノはクロスを握りしめて青い瞳に怯えの色を映す。 「は、はじめてのじっせんが、こんなだいけっせん……こ、こわいけど」 他の場所では姉も頑張っている。それに、ミミルノがいるから、其れだけで力にもなる。 \ぞんびたちのおめめがくらんでどっちにいったらいいかわからないよ~さくせん!/ ぱっぱかぱーと自分の口で告げた。死者の軍勢に怯えるミミミルノを引っ張るのは自分だ、しっかりしなければと気持ちを固めたミミルノが投擲する閃光弾。傷つく仲間に癒しを送るミミミルノはミミルノのサポートとして懸命だ。 「ミミルノちゃんきをつけてっ! たくさんいるよ! ひとりでいっちゃだめだよ!」 「だいじょーぶ! いくよ! ミミルノたちはたっくさんゾンビをこんらんさせるの~!」 ゾンビなんてちょちょいのちょいだよ、とへらりと笑う。だが、その死体の軍勢は一筋縄でいかない事を風は知っていた。 浮かべた笑みは緩やかに、胸に咲くアネモネのコサージュは紫色。あなたを信じて待つという意味を込めたEspoir decroissantは薄れゆく希望を喪うことなく振るわれる。 「さて、今日のオーダーは……また厄介ですね。安くない報酬を頂くんです、その分働いて見せますよ!」 執事服で包まれたからだ。鮮やかな紫の羽を揺らして飛びあがる。報酬に対して忠実な風は報酬と『相応』の事はきちんと果たす。 空から襲い来る死体に、鳴り響くチェロに眉を顰め、繰り出す残像は死体の肉体を破損させていく。 「――まったく、煩いハエですね。ボクは誰かの操り人形なんてごめんですよ!」 文字通り『死んだって』嫌だ。笑顔を浮かべて、その名の通り『風』となる。紫の残像を残し、死者の腕を払いのけ、飛びまわる彼女らの姿を見つめアミリスは穏やかそうに見える紫の瞳を見開く。 (あんな子供達まで戦いに出ているの!? 危険な目に合わせる訳には行かないわ、実力不足なんて言ってる場合じゃなさそうね!) その心中は大荒れ模様。アミリスの頭の中で荒れる思考ではあるが、口から出る言葉は少なめだ。ぼんやりとした彼女は仲間達へと支援を与える。マジックシンボルを握りしめる指先がかた、と揺れた。 「……私も頑張らないと!」 広がる海は澱んでいる、腕を伸ばす怨霊も、恐ろしく思えるソレらの所為で『初めてみる海』は中々ショッキングなものだった。故郷の湖よりも広く、先の見えないそれはこんな状況で無ければ十分楽しめた筈なのに。 「……今度は、泳ぎに来たいわね」 ぽつり、零した『今度』の為に。アミリスを狙おうと近づく死者を撃ちおとそうと、星を落とす勢いで放たれる弓。 翼をは揺らし、瑠璃はシスター見習いとして神に祈る。切りそろえた前髪が海風で揺らいだ。 「死者には安らぎを、生者には未来を、そして痛ましい戦いが早く終わらん事を」 その祈りは襲い来る死者の群れへも向けられる。この戦いで――否、この三高平を襲う大量の死者はどれも元は生者であったことには違いない。 「死した者へ祈りを。死は万人に公平に訪れるものですから」 二度目の死を与えよう。きり、と音を立てて引かれる意味が、死者の胸へと突き刺さる。 ぼちゃり、と死者が海へと落ちる音がシェルルの演奏を乱して行っていた。遠くから響くヴァイオリンの音色が消えた事に違和感を感じずには居られない少女は、後方から響く歌姫の声に酔いしれる。 シアーさま、と呼ぶ声に、透真斗は顔をあげる。色違いの瞳が捉えるのは海の向こうに佇む幽霊船だ。 小学生の少年の様な外見をした透真斗が抱き締めたグリモアール。仲間達を癒す様に、歌うその声が歌姫の歌に掻き消されない様に、全力を尽くすのみ。 「まるでローレライですねー。箱舟は沈ませない、此処にいる命をあんた達の道具にはさせたくない……のです」 その決意は、謳う事へと向けられた。透真斗は回復しか出来ないと自己を称す。だが、回復手が多くいる事は陸が船程度しかないこの場所では必要な事だった。 「全力で癒して戦場を支えるのです!」 「大変な戦場だもんね。だからこそ、僕らの出番だよ!」 癖のある白い髪。悟の表情は何処か痛ましかった。この惨状は余りにも酷いものだ。死者が襲い来る。心を許した人を喪うかもしれない不安が彼の心には過ぎっていた。 (――だって、喪いたくないし) 仲間達へ翼を与えながら、放つ雷が死者を穿つ。死者の群れの中、チェロを弾き続けるシェルルを見据えて、蒼い瞳を細めて狙い撃つ。 悟の喜怒哀楽を込めた四色の光がシェルルを狙い撃つ。彼女を庇う死体はその攻撃を受けて、海へと落ちて行く。 「アークや日本の、世界の未来を繋ぐこの戦い、負けられないよ」 その言葉は自身を鼓舞する様に、気力を高め続けた。チェリストの眼がぎ、と悟に向けられたと同時、何処か哀しげな溜め息をついたクレイグは羽を揺らして、橙の瞳を細める。 「やあ、チェリストさん。こんな血生臭い戦場でなく洒落たカフェで出逢いたかったね」 クレイグは女性に弱い。女性フィクサードは全てリベリスタになって欲しいとも思う。飄々とした態度で飛びまわり、癒しを与える彼ではあるが、その実任務に対しては忠実だ。 敵として敵対しなくてはならないなんて『レディ』の瞳を見つめて非常に残念だとも思う。 「勇ましいレディも儚げなレディも等しく癒し、護るけれど――残念だね。チェリストさん」 ――どうやら、君は敵の様だ。 とこの体の中で二つの声が反響し合う。影が彼女を援護する。その影は失くした双子の姉が力づけてくれる様でもあった。近くにいる革醒者の死体を刈り取る様にデスサイズを振るう。 「このラインを突破されると他の所がかなり厳しくなるんだよね? 全力で頑張らないと」 とこの口で『とあ』が、姉が喋る。彼女のこの様子こそ、シェルルの欲しい無形の愛の往く果てなのかもしれない。 「うん、お姉ちゃんが言うなら、とこ、頑張るの」 大太刀を握りしめて守羅は普段は隠した翼で浮き上がる。ソレは悟られぬ様、翼の加護で浮き上がったと見せかけて息を吐く。『正義』は常に彼女の胸の中にある。正しくあることをずっと願い続けているのだから。 「……はは、どうしてくれようかしらね。振り切れすぎて、今、逆に冷静なんだけど」 弟の死を目の当たりにした時、守羅が得た運命は余りにも酷だった。抜き放つ太刀がひゅん、と音を立て死者達を切り裂いていく。仲間達の中、守羅は口の中でぽつりと呟く。 ――結果は覆らない。死者は蘇らない。定めず、黙さず。 「生きて、最後まで切りぬける。あたしは常に『正しくあること』を、願ってた!」 群れる死者の中、その身が放つ渾身の一撃に、足許から襲いかかろうとする死者の群れにも彼女は屈しない。其処に正義があるならば、彼女は信ずる道を進むのみ。 灰色の瞳は妹の姿を捉えている。前で魔力杖を振るうステラは白い翼を羽ばたかせ己の知識を手繰り寄せる。体内で廻る魔力が、集中領域に至った脳が狙いを定める様に気糸を吐きだした。 「私達の力で可能なら仕留めて置きたい。死体を使う事をおぞましいと思わないが、酷く冒涜的だ」 「――誰かがあの中には居るのも嫌です。誰も死んで欲しくは、ありませんから」 ステラの背を見つめ、ルーナは祈る様に歌い続ける。本当に守りたい者は妹一人だけ。ルーナにとってのステラは可愛い妹だった。しっかりしているけれど、それでも心配で。 この戦場に来た時に彼女が危ない事をしないで、とどれ程祈っただろうか。妹が好き過ぎると苦笑される事だってあった。口にはしないけれど――彼女が無事で居てくれる事が何よりの幸せ。 癒しを与えるルーナは常にステラに付き添っていた。攻撃手のステラと回復手のルーナ。 近接域に現れた死体に彼女は目を見開く。己の脳内にある知識を物理的な圧力に変えて炸裂させる其れ。 「私が何を知ってるのか、誰も知らないのだ。私自身すら」 その言葉と共にぶつけられる圧力に、死体が態勢を崩す、白翼天杖を手に、赤いシスター服のスカートを揺らし海依音がゆるやかに笑う。 「あっそーれ!」 放たれる閃光が死体を包み込む。回復手の多いホーリーメイガスの中でも珍しい戦闘特化の海依寝は茶色の瞳を細めてゆっくりと笑う。LOVEテロリストはやん、と体を捻り攻撃を避ける。 「神は色々仰ってるんですけども、理不尽喰らうのは何時もワタシ達。って訳でワタシはカミサマが大嫌いです。 ですけどね、こういうゾンビはもーっと大嫌いですからワタシ達の住処を荒らさないで下さいよ」 翼の加護が失われる前に掛け直す彼女の目の前を蓮司が聖遺物を手に過ぎ去った。前衛で相手をする仲間達の後ろで氷の雨を降らし続ける。 「ったく、歌姫ってのは船を沈めるもんだろが! 幽霊船と一緒に来るなんて、聞いてねーっすよ!」 「お迎えじゃないですかね?」 軽口をたたく海依音にそりゃねえっすよ、と笑いながら紺色の瞳を細める。蓮司は何かを見捨てて逃げる事も出来ない、重い荷物(アーク)を捨ておく事も出来ないから。 「わりーけど、ゾンビやら幽霊やらに対する世間の目って冷たいんすよ。こんな具合で、さぁ!」 「こっちはこっちで面白おかしく過ごしてるんですから、それの邪魔させませんってば!」 ひゅん、と飛んだ聖なる矢が、シスターの艶やかな笑みを彩った。氷の雨が冷ややかな三月の海を更に冷たく凍てつかせる。海面から顔を出す怨霊は引き込もうとリベリスタへと手を伸ばす。 生者を求める様な彼等を鼓舞する様なチェリストの演奏は何処か寂しげであった。 ひゅ、と頬を撫でる風に海上は寒いのだと海依音は実感する。水上を歩むミサの脚がぐ、と怨霊に掴まれた。 「殺された挙句に死んだ後も好き勝手操られるなんて残酷な話しねえ。今から楽にしてあげるわよ」 ――迷える子羊ちゃんたち。 ゆったりと唇に浮かんだ笑み。教会で育てられた彼女は神を信じている。ワルプルガの銀は迫りくる怨霊の腕から逃れる様に周囲を焼き払う。 「っ――此処でしっかり抑えなきゃますます大変になっちゃうものね」 歌い続ける彼女は後方に居ても水上に存在していた。周囲のリベリスタの助けを得て、辛うじて海の上に立っていたとしても、引き込む様に腕は彼女を捉えて離さない。 (――ッ、寒い……っ) 「おっとっと、大丈夫? おねえちゃんの手を取って!」 ぐ、と翼の加護で空を飛んでいたルナがミサの手を掴む。魔力杖を手にした彼女は銀色のポニーテールを揺らして海の中から救いあげる。 戦う事は未だまだ不慣れだけれど、年長者の意地が其処にはある。ルナの連れるフィアキィが氷精となり、怨霊達を包み込む。 「今こそ皆への恩を返していく時だよ。皆の明日を守る為に絶対負けられない!」 増援のリベリスタ達とも目配せし、鮮やかな青い瞳が不安をも映さない。楽しい事が大好きだから、その楽しい事の為に戦う事を彼女は厭わなかった。 周囲の死体達がぼちゃり、ぼちゃりと海に落ちて行く。リベリスタ達の攻防により、傷を負い続けていたシェルルは瞬いて、笑った。 「ねえ、シェリーに愛を教えてよ? 貴女は『愛』を教えてくれる人?」 「おねえちゃんは愛とかそういうの、教えられるか分かんないかな! でも、悪い子はお仕置きしなきゃ」 氷が、シェルルを襲う。その隙に、飛びあがり、足を掴む怨霊を幻で翻弄するメリアは近の髪を靡かせシェルルのチェロを狙う。 「私達とて生憎と負ける心算は毛頭ない」 魔力剣の切っ先が、シェルルに向けられている。メリアの背後、魔力槍を手に、シェルルを狙う様に助力する結衣がふわりと浮きあがる。 ぴょん、と水面から跳ね上がる様に、放つ黒き瘴気がメリアに群がる死体を無力化していく。その数は戦場に居るリベリスタによって随分と減ってきた。 「ふふ、鉄、へばってないか? 私はまだまだ行けるぞ……!」 「うん、大丈夫! ここからが本気の勝負だよ!」 メリアは結衣を信じる。彼女はメリアを信じてこの場所に来た。彼女を守る事が騎士の務めだ。苑握りしめる剣が何時か『誇り』と思えるなれば。 激しく責め立てる水際の戦い。それを『水迅』と称し、メリアは真っ直ぐに進んでいく。 「私は負けない! アークを……この場所を、必ず守って見せる!」 「シェリーだって負けないわ。ねえ、フラミーニアだって、シアーさまに愛されて居たかっただけだった!」 見てくれないのは、同じね、と独り言の様に漏らす。結局、見て欲しい人は其方を見ない。手を、差し伸べない。『貴女の為』だなんていう、自己満足なちっぽけな愛情論理。 「私達は一人じゃないんだよッ!」 結衣の黒いオーラが集約して与えられる。その場所に、メリアが踏み入れながらも自身諸共凍らせる精霊の姿を横目に捉える。 だが、癒し手は歌う事を辞めない。くす、と笑みを漏らした海依音が放った聖なる魔力の矢が、彼女の背後から飛び出した蓮司の氷の雨が、全てシェルルへと降り注ぐ。 まるで駄々っ子のように、掻き鳴らすチェロの弦にステラの気糸が絡みつく。気まぐれな運命(ドラマ)を手繰り寄せながらも堪え切るそれにリベリスタ達も息も絶え絶えであった。 ひゅん、と矢が放たれた。続けざまに凍て付く様に、シェルルの体を全てが包み込む。は、と喉から漏れた息。握りしめていたチェロが掌から離れて行く。 「おと、……さま……おかあ、さま……しあー、さま?」 零れた言葉に誰も答えない。は、と息を吐く。見開かれた瞳が月を見上げた。 ――歪夜(バロックナイト)はあの女性(シアーさま)『も』望んだものなのかしら……? ぽとん、と音がする。静まり返った其処には、唯、歌声が響きわたっていた。 ●幽霊船で憂う歌姫 港湾地区は制圧されてしまっていると言っても過言では無かった。同時に海上での攻防はやや苦戦を強いられたとも言えよう。 支援を行うリベリスタが多く、長期戦には向いていたが、歌声の元へ到達するのには時間を有した事だろう。 エンジンの音がやけに耳に残る。サイケデリ子は救命胴衣を纏い、モーターボートを操っている。 「……血が騒ぐってやつですよ。さあ、行きますよぅー。オンナの意地の見せ所です!」 クンダリーニを手に、敵の攻撃を掻い潜る様にモーターボートを操作していく。激しい運転の中、酔い止め薬を服用しているレオポルトは梣の枝を片手にチームの同僚であるミュールネールとミューネルーネの顔を見つめる。 ミュールネールが仲間達に与えた物理的な攻撃を軽減すり力場を施す護りは燕の名を冠する四人一組での戦いをより効率的にしていた。 「行くわよ、ミューネ! 海ん落ちたりしたらオシオキなんだからっ!」 「ううう、解りましたミュールちゃん……落ちない様に頑張りますぅ……」 同じ日に生を受けたフュリエは確かな絆を感じていた。レオポルトは体内で廻る魔力を感じながら、杖を前に構え、サイケデリ子の運転に合わせ、敵船団の戦闘に向けて炎を放つ。 「我紡ぎしは秘匿の粋、エーテルの業炎……焼滅するが良い、Sturmflamme!!」 レオポルトに続いて、ミュールネールが放つ弓は真っ直ぐに平家の怨念――死体に宿った『平家の怨念』を射る。矢は真っ直ぐに飛び続ける。 「とぇーい!!」 ミューネルーネのフィアキィは舞い踊りながら冷気を放ち出す。がん、と体が揺れる。救命胴衣を纏ったミューネルーネの体がモーターボートから落ちかける事をミュールネールが支える。 「アハハハッ!!! よーそーろーーっ!!」 高笑いをし、敵の攻撃がモーターボードを攻撃する隙間を縫い、舵を切る。受ける攻撃から仲間を助けるのがホーリーメイガスであるサイケデリ子の役目であった。 炎を纏うレオポルト、サイケデリ子が癒しを使う際にミューネルーネが慌てて舵を持つ。ハンドルを固定する様にしがみつく彼女の眼も真剣そのものだ。 「バイデンに蹂躙されるがままだった私達を助けてくれたリベリスタへの恩は……返すっ!」 ひゅ、と飛ぶ弓が怨念を狙い撃つ。独立機動隊である彼女等は止まることなく、大量の怨念達を相手し続けた。 その場にいる800体に驚きを隠せずにいる遊菜は小太刀を握りしめ、耳を揺らす。守護結界で援軍のリベリスタ達を支える遊菜。幽霊船の砲弾を見上げ、彼女は丸い瞳で見上げる。 どん、と音を立てる大砲に体が揺れる。 「にゃー!? こういう修羅場は苦手ニャッ!!」 鴉の符を飛ばした遊菜は慌てた様にマジックディフェンサーを構える。びく、と体を揺らし、襲い来る怨念達からぎゅ、と目を閉じる。 「誰一人、奪わせたりはせんのじゃ!」 優哀の書を抱きしめたまま咲夜は優しい気持ちを胸に抱く。希望が込められた童話集、遊菜達の前に立った咲夜は、さっと一海に目線を贈る。 「さて、現代の源平合戦と参ろうか」 ゆったりと浮かべた笑み。仲間達に与えた翼の加護。浮き上がったパルマディンは柔らかい巻き毛を揺らして周囲を見回した。 「こんなに囲まれちゃうとぉ、怖いんだけどぉ~……? あ、でも逃げませんよぉ?」 魔力杖を手に、仲間達に回復を施すパルマディンに頷いて、少年の様に無邪気に笑った咲夜が放つ鴉。幽霊船に上陸した彼等が行う『カニ退治』。死者の軍勢を相手に、増援達と戦い続ける其処は酷い乱戦状態になっていく。 「一生懸命ヤッちゃってくださいねぇ~っ!」 頷いて、一海が放った部位狙いの攻撃。一つ結びの髪が緩く揺れる。金も要らない、男も要らない。欲しいのは敵だけだ。 「片思いには障害が付き物だろ? シアー、あんたが惚れた相手に会うのは邪魔させて貰うとしよう」 きり、となるブラックコード。大人数相手に燃え上る闘志。彼女をサポートする様に布陣する咲夜が与えられた行動への災いを打ち払う。 「死者を操るとは面妖じゃの……」 幽霊船はただ静かに揺れ動く。最奥の船から歌声を響かせるシアーにはまだ遠い。数の多い平家の怨霊に立ち向かうリベリスタの数はどの場所よりも一番少なかった事にミストラル・アキュアールは気付いていた。 けれど、彼女は悪を赦さない。敵が強大であろうと全てに挑むのみ。 「この戦場の要はシアー。奴を倒せばここは防衛できる! 私は奴への道を切り開く刃となろう」 バスタードソードを握りしめ、頭のリボンが揺れる。大きな紫の瞳は奥の幽霊船へと向けられて、細められた。浮き上がったまま、体内のギアが加速する。澱み無き攻撃が怨霊を捉えては離さない。 「――こいつは引き受けた。本命は任せたぞ!」 傷を負う彼女を癒しながら、加護を与える楽はワンドを手にマジシャンの様にトランプを指先で弄ぶ。 この大きな戦場(ステージ)が歌姫の為の物であるならば―― 「規模は違いますが、私もステージに立つ身です。私達の様な人間は観客の皆さんを楽しませて笑顔にするのが仕事の筈です」 鼓膜を擽る歌声が美しいものであるのは確かだった。 ――歌姫にとっての『観客』は、その歌声を届かせたい相手はただ一人でしかないのだから。 シアーは楽とは違い観客を楽しませようとしてその声を駆使するのではない。唯一人――愛しい『指揮者』が望むならば歌い続けるのみ。 気難しい彼が優しく笑う等、彼女にとっての幻想にしかすぎぬ。シアーにとっての理想が、彼との幸せな生活にあったとしても、其れが叶わぬ事を女は長い月日をかけて知ってしまっていた。 歌声が、変わる。張り詰められた空気にぴくりと体を揺らしたルーがアイスネイルを手に唸る。 raddolcendoが、リベリスタ達を誘う様に響き渡る。海の魔女(セイレーン)の魅惑の歌声に楽は仮面の奥で緩やかに笑った。 「お見事、確かに美しい。ふふ、ですが貴方の歌には『情熱』が足りない」 重なる様に楽が歌い続ける。癒しを受けて、幽霊船を飛び回るルーが平家の怨霊にもまれながらも、戦いを続け知恵く。その目は真っ直ぐにシアーを捉えていた。 「ルー、アイツ、タオス」 発する言葉は少なくともその意思はただ真っ直ぐに向けられている。彼女の視線が、幽霊船を掻い潜る様に――攻撃を喰らいながらも冥真や雪菜の癒しで持ちこたえていたとも言えようか。 ボートで進路上の敵を相手にしている義衛郎の鮪斬が平家の怨念達を斬り込んでいく。双鉄扇を手にしながら、祈るような気持ちで幽霊船を見上げた蜜帆は唇を噛んだ。 「シアー……出来るなら、止めたい。説得して、止まってくれるならソレが一番いいわ」 伏せた眼はソレが『不可能』である事を知っていた。蜜帆は戦場に立って初めて経験したのだ。甘さが死へと繋がると。人殺しは怖かった、嫌いだった。けれど、遣らなければならないと、そう思っていたから。仲間へ与えた防御への効率動作。 「……とうとう本部まで攻めてきたのですね。往きましょう。シアー、此処を簡単に通れるとは思わない事です!」 紫月の静謐湛える紫の瞳はシアー達の場所を真っ直ぐに捉えていた。見通す千里眼の中、彼女の場所を分かっていても、中々進めぬ事に少量の苛立ちを覚えずには居られない。 小さなあくびを漏らして、イリアスは苛立ったようにマジックガントレットに包まれた拳を打ち付ける。 「人様が折角気持よく昼寝してる所をよくも邪魔してくれやがったな」 楽団の奏でる『騒音』で叩き起こされたイリアスは鋭く平家の怨念を睨みつける。広がる魔法陣で爆発的に増加する魔力は昼寝から叩き起こされた怒りも少量入っているのだろうか。 「……布団翁、今回はビビってないんだな」 「……毎度同じネタじゃと飽きるじゃろ? 年寄りもちったぁ役に立てる所見せんと――若い奴等に笑われてしまうわ。行くぞ、レオンの若僧」 常ならば怯えの色を浮かべる翁は今日に限りは『怖い』とは口にしなかった。その命を絞り、最後までも使いきる覚悟でこの戦場に彼は立っていた。 お布団帝国設立にはまだまだ時間がかかる。その為には護り切らなければならないものが多いから。翁の与える支援を受けてイリアスは耐えず雷を撃ちこみ続ける。 「フン、結構なことだ。精々互いに派手に暴れてやるとしようじゃないか? 枯れた老人同士……な」 「ヒャッハー! もっと激しく攻め立てるのじゃ! 気合い入れるのじゃよー?!」 翁が支援を与えること、これもまた戦いだ。攻勢を強めるイリアスの雷が怨念を撃ち抜いて、呻き声が上がり続ける。多数に対するリベリスタ達は苦戦を強いられていただろう。 けれど、その足は止まらない。ヘビーボウを手に空の様に鮮やかな水色の瞳を幽霊船の最奥に向けたトリストラムはシューターとして集中し続ける。 「行くぞ、ジェラルド。――我らが、全力を以って」 「ああ、行こうかトリストラム。凡ての力を撃ちつけてやるとするぞ」 手にした魔力槍。ジャベリンがひゅん、と投擲されて行く。トリストラムが撃ち続け怨念がのけぞるその隙にジェラルドの槍が突き刺さる。 「アークのお膝元にまで攻め込んでくるとは。不躾な客にはとっとと退場願おう」 「怨念か、よくぞまあひっぱり出してきたものだね」 鮮やかな金の瞳が捉える怨念達はゆらりゆらりと揺れながら過去の栄華を望む様に依代に頼り、その攻撃をぶつけてくる。 ジェラルドの頬に傷がつく。トリストラムの腕が切り裂かれた。其れでもリベリスタは攻勢を弱めない。 誰かが死ぬ事が無い様に、そう祈る様に雫は周囲を見回して、仲間達の防御力をあげる支援を行っていた。 「今は未熟な私だけど、少しでも皆の役に立ちたい……!」 支援に徹するリベリスタが多い中、攻撃を行うリベリスタ達は攻撃の矢面に立つ機会が多かった。前衛が少ない布陣では、前衛で戦い続ける義衛郎の負担というのも大きなものだろう。雪菜の癒しが、雫の癒しが彼を励ます様に回復させていく。 「ここから先に敵を行かせれば更なる被害が生み出される。私も中も皆、不退転の決意で臨んでる……!」 喪う事は雫は怖かった。防御力をあげ続ければ、同士討ちが起こっても――そう願う様に彼女は想う。シアーの歌が、仲間達の手元を狂わす。 背後でシアーをぎ、と見つめ続ける嶺の指先が狂った様に仲間を穿っても、直ぐに彼女の眼を醒まさせるが如く癒しを歌う人がいた。 「誰も死なせない、悲劇を繰り返させない。死んでった仲間や一般人の魂に報いるために……!」 「ええ、その為に私達は此処にいるのですから」 一度、お姫様と声を掛けた時に長きをかけて『絶望』を――愛されない悲しみを知った女は緩やかに笑ったのだ。其れを想いだし、嶺は気糸で怨霊達を絡め取る。 「これだけの数が居れば、そう矢が外れる事はなかろう。尤も、最初から外すつもりは毛頭ないが!」 狙い撃つように死者を相手にするトリストラムに笑いながら、ジャベリンを投げ続ける。ソレはまるで雨の様。 弾丸と槍の雨の中、風宮 紫月の降らす炎が戦場の怨念達を抹殺する。 指揮者の望んだ歪夜。赤い月を背にリベリスタ達は歌姫の乗る幽霊船へと辿りつく。揺らめく赤の下、紫月は艶やかに微笑み、カムロミの矢を引いた。 「――シアー・“シンガー”・シカリー……」 その矢は、『ピアノトリオ』――欠けたヴァイオリニスト――を狙う様に真っ直ぐに飛ぶアーリースナイプ。ピアノ『デュオ』は歌姫の最高のステージを補佐する様に演奏を奏で続ける。一人欠けた『不格好』であれど、その演奏はシアーが多少の『情』を見せる程度には完成されているものだ。 「……また会いましたね、海の魔女。若輩ですが天の魔女がお相手致しましょう」 海の魔女(セイレーン)が歌う事で魅了し続けるだけの囚われであれば、天の魔女(アプサラス)が夜行遊女の頁を捲くる。狙い撃つように『ピアニスト』メリッサと『チェリスト』レオーネの胸元のブローチに向けられるピンポイント・スペシャリティ。 紫月と嶺の攻撃がブローチを狙い続ける。彼女達が狙えるようにと鮪斬を振るう義衛郎が嶺の声を受けて攻勢を転換させる。あと少し、あと少しでブローチが破壊できるのだと、幾度も幾度も繰り返される攻撃。 幽霊戦場に居る怨念達がリベリスタを襲い続ける。怯えの色を映した翁はそれでも嶺や紫月への支援を諦める事はなかった。 ぴん、と弾けるような音がした。消滅する歌姫を守る砦。弾け飛んだブローチに目を遣って、メリッサとレオーネは緩やかに笑った。 「全ては」 「そう、全ては――」 「「シアーさまのために」」 ある歌姫の為の音色。壊された百万ドルトリニティ。『ソレ』を保つ必要が無くなったピアノデュオは攻勢を強めて行く。 癒してたる冥真が手にした攻性防禦機構「和樂三連」がピアノデュオの攻撃を受け流す。グローブにぶち当たったそれが、ばちん、と音を立て、指先が燃えるような痛みを捉えても彼の『毒』は止まらない。 「よう、不出来な絶叫者(シンガー)様! 船上にして戦場のピアニスト共め、韻を踏んで楽しそうだな!」 「私の中で常にあの人が望む『音楽』は鳴り響いているのです。楽しげでない筈が、ないでしょう?」 歌姫の心の奥、澱んだ愛情の深みを握る様に蜜帆が読み取っていく。その中身はどれもケイオス・“コンダクター”・カントーリオの深い愛情であった。 普通の人間は受け入れられない、それが『逸脱』だ。 シアー・“シンガー”・シカリーの逸脱を目の当たりにし、蜜帆の背にぞ、と寒気が走る。蜜帆に飛んだ霊魂を冥真は体を張って受け流した。澱む位空の下、煌々と降り注ぐ赤が彼の横顔を照らす。 「お前の歌を騙った無様な絶叫を聞きに来てやったぜ? 届かない声で幾らでも叫ぶが良い! ――俺の歌でかき消してやる。絶望の唱歌を希望の賛歌で掻き消してやる!」 冥真は歌う事を辞めない。彼は『極東の箱舟』だ。その一員は絶望から這い上がるのに慣れ切った『馬鹿』だと自負していた。時に『馬鹿』は知恵ある者よりも有能な時もある。 「絶叫(うた)え、断末魔(さけ)べ、lacrimosoにだ!」 響き渡る音色を掻き消す様に癒しを歌う彼に続き、癒しを与える雪菜はきゅ、と胸の前で祈る様に指先を組みあわせる。 「今は、前を。回復等の支援はお任せを。……誰ひとり喪わせはしません!」 途切れさせない様に、祈り続ける。平家の怨念が、ピアノデュオが攻勢を強める中で、歌姫の顔を見つめながらも雪菜は仲間達を信じる様に祈り続けた。 「継続して支援は……決して、途切れさせませんよ……!」 傷ついて、倒れて、その体を奪われる事だけは絶対にしない。怨念が襲い来る幽霊船の上、雪菜は怯えを隠す様に歌い続ける。 「生憎と、この箱舟にお前達が乗り込む場所はない。死者は死者の居るべき場所に帰るが良い!」 イリアスの雷が、歌姫の体を穿つ。だが、其れはまだ足りない。攻防の末、彼女を守る様に布陣していた『ピアニスト』メリッサ・シーカがその膝をつく。 ぴん、とシアーの放った霊魂の弾丸が嶺のかんざしを傷つけた。高く結いあげた長い髪が広がる。鶴の羽が傷ついても、そのかんばせから嶺は決意を喪わない。 「天の恵みの強運を。愛しい人がいるのは貴女だけではありませんよ。海の魔女」 彼女の目は、前衛で戦う義衛郎へと向けられる。踏み込んだ義衛郎の切っ先がシアーを狙う、その隙、彼女の咽喉を狙う様に飛ぶ気糸に女は一度煩わしげに目を伏せて、歌った。 「シアー、約束を覚えてますか?」 「……覚えていたとしても、忘れました。私はケイオス以外には興味がありませんから」 色付く唇が、音を零す様に囁いた。その言葉をも紫月は予想のうちだと緩やかに笑う。シアーの瞳が微かに、何処か興味を持つように紫月へと向けられる。だが、そこに『情』はない。 「あの時は為せませんでしたが――私は、しつこい女ですから。貴女もそれは同じでしょう?」 「……ええ、同じでしょうね」 『しつこい』女同士、思う所は同じであるか。彼女の矢がシアーの腹に突き刺さる。序で、喉を外した気糸は彼女の肩を傷つけた。 誰ひとり喪わせない―― その決意に、紫月はこれ以上の戦闘を断念する。これ以上は、誰かが犠牲になってしまう。厚い回復であれど、死者の軍勢相手に、届かない攻撃に、最後の一手とばかりに冥真の矢が飛び交った。 「ほら、お歌の時間はお終いだぜ? 絶叫者!」 「……オレは正義に非ず、だ!」 「海の魔女、これで、終りです――!」 義衛郎の氷が凍て付かせるなか、嶺の放つ気糸は、だがしかし――届かない。 歌姫はそれ以上の戦闘を放棄していた。同時に撤退は容易であれど、彼女の歌声が止まない事実を嫌でも思い知らされることになる。 港湾地区はリベリスタの圧勝であったとしても、それ以上は未だ至らぬ部分があったのかもしれない。歌姫を相手に戦闘行為を行うリベリスタの少なさが仇になったのは確かであろう。 歌姫は『彼』の役に立てた事に酷く歓喜していた、だが、同時に、胸に湧き上がる違和感が拭えなくなったのだ。 ――何かを喪った。 ぽつり、と言葉にならない声が「ああ」と漏れた。喪失は一番の毒だ。 感情を余りに出さなかった女が最後、幽霊船から去る嶺の目の前で出した表情は悲哀であったのかもしれない。 唇から零れ落ちる『ti amo』。届かないソレは歌に乗せられるだけであった。 「――ケイオス、私は……」 海の魔女は、惑わせられない事に酷く悲しむのみ。愛されないと知ってしまった。其れでも良いと思ってしまった。必要とされるだけで――傍に居られるだけでいいと思ってしまった。 シアー・“シンガー”・シカリーの『逸脱』は、女にとっては心地の良い微温湯だったのだ。 「私は貴方が望んでくれる限り歌い続けるのです。さあ、アンコールを――」 言葉を零し、船の上、三高平を見つめたシアーは微かに目を見張り落胆した様に息を吐く。 二度と聞えぬアンコールに歌姫は瞳を伏せて、酷く乾いた声で名を呼んだ。 最後、シアー・“シンガー”・シカリーが『依存』という形ではなく『女』としての情を含んだ声で、一度だけ。 ――ケイオス、私は貴方を。 海上で、歌声は、只、止まない。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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