● 『――突然にすまない。大至急、北海道の小樽市に向かってもらえないか』 幻想纏いのスピーカーから響いたのは、『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)の声。 彼の張り詰めた口調は、これから告げる内容がただならぬ事態であることを示していた。 『ケイオスが指揮する『楽団』の動きを、万華鏡が感知した。 連中は日本の各地に散り、都市を狙って致命的な打撃を与えるつもりだ』 バロックナイツのケイオス・“コンダクター”・カントーリオ。 彼の率いる『楽団』が、日本とアークを狙い暗躍を続けていることは周知の事実である。 音楽家であり、死者を操るネクロマンサーでもある『楽団』のメンバー達は、これまでにも数多くの事件を引き起こし、日本中に恐怖と社会不安を振りまいてきたが、それはケイオスの手による壮大な譜面の『序曲』に過ぎなかった。 結論から述べると、『楽団』は自分達の『演奏』に用いるための戦力――『楽器』を揃えていたということだ。 当然ながらアークも全力で対応にあたったが、一般人のみならず国内のリベリスタやフィクサードまでもターゲットにした襲撃事件の頻発は到底全てを防ぎきれるものではない。 敵の戦力が『元手のかからない』現地調達の死者たちである以上、無限に湧いて出る『楽団』のゲリラ戦を完封することは不可能だ。かつて、ポーランドのリベリスタ組織『白い鎧盾』が彼らに敗れたのも、これに起因する。 結果、一般人や革醒者の死体で戦力を増強した『楽団』は、ケイオスの譜面に従って『次の楽章』の『演奏』を開始したということだろう。 あのジャック・ザ・リッパーですら行わなかった、大規模かつ壊滅的な攻撃――『楽団』は、日本全国の中規模都市に狙いを定め、致命的な打撃を与えようとしている。 この攻撃で大量の犠牲者が出るということは、『楽団』の戦力が大幅に増すということだ。 アークとしては、何としても被害を最小限に抑えなければならない。 もっとも、ゼロに留めることはもはや不可能だが――。 『……皆が辿り着く頃には、既に『楽団』が事を起こしているだろう。 現場にいる『楽団』メンバーは、チューバ奏者の『ジェルトルデ・ラヴァネッリ』と、 その妹であるユーフォニアム奏者の『ジェルソミーナ・ラヴァネッリ』。 彼女らが操る死者の群れには、元革醒者も含まれている』 犠牲者の死体を加えた敵の戦力は、数十体に及ぶことが予想される。 おそらく、現場はパニックに陥っている筈だ。 冬季であることを考えると、凍結路面の対策も必要になるか。 『もう一つ。――今、小樽には剣林のフィクサード達が滞在している。 場合によっては、『楽団』と交戦しているかもしれない』 一連の事件に対しては、国内の主流七派を始めとするフィクサード陣営も動きを見せている。 アークにコンタクトを取ってきた『バランス感覚の男』千堂遼一によると、主流七派のうち、『裏野部』『黄泉ヶ辻』の二派を除く五派については『アークと遭遇した場合でも当座の敵としない』という統制を纏めたらしい。 戦略司令室長たる時村沙織は『アークも同様の統制を取る』ことを了承したため、五派に所属するフィクサードは、『楽団』との戦いにおいては事実上の友軍と言える。 『剣林の顔ぶれは、『空閑拳壮』『エフィム・I・レドネフ』を含む七名。 全員がアークと交戦経験のある腕利きだが、連中だけで『楽団』と戦うのは厳しいだろうな』 彼らが命を落とした場合、『楽団』に革醒者の死体が余分に渡ることになる。可能な限り、死者を増やさないように立ち回る必要があるだろう。 そして、それはリベリスタ達にも言えることだ。『楽団』の戦い方を考えれば、誰かが倒れた場合に止めを刺しにくる可能性は高い。 『はっきり言って、ケイオス率いる『楽団』は最悪の敵だ。 だが、この戦いの結果次第では、日本の一部が連中の手に落ちることも充分考えられる。 アークとして、見過ごすことは出来ない』 苦い口調でそう告げた後、黒髪黒翼のフォーチュナは真摯に言葉を紡ぐ。 『全員、生きて戻って来てくれ。……俺から言えるのは、それだけだ』 ――どうか、幸運を。 ● 周囲は、血の臭いに満ちていた。 女たちが奏でる低音の旋律が、やけに耳障りに響く。 もともと音楽など愛でる性質ではないが、こんな演奏会は金を貰ってでも御免だ。 眼前に立ち塞がるかつての同胞を見て、眉を寄せる。 「……お前も逝ったか、大門」 友を殺されたのが、悔しいのではない。 ただ操られるだけの人形にされたのが、悔しいのだ。 「このままだとジリ貧だな。退路も簡単に開けそうにはないが」 すぐ後ろから響くのは、この期に及んでなお冷静な親友の声。 口元が、思わず笑みの形に歪んだ。 「分かりきったこと偉そうに抜かしてんじゃねえよ、エフィム」 「それすら忘れる脳筋馬鹿が身近にいるからな。確か空閑拳壮とかいったか」 軽口とともに天から降り注ぐ火矢が、動く死人たちを炎に包む。 しかし、この数が相手ではまさしく焼け石に水だろう。 「……死ぬまで言ってろ」 悪態をつきつつ、気を込めた掌打を繰り出す。 身に埋めた破界器は、この場では使えない。正確には、使用するにはリスクが高すぎる。 闘いの中で死ぬならともかく、あんな女どもの操り人形にされるのだけは勘弁だった。 澄ました顔で演奏を続ける『楽団員』たちを、射るように睨む。 「生憎だが、俺ぁ女の好みにゃうるさいんでね。お前さん方は好みじゃねぇ」 全身に負った傷は、決して浅くはない。 このまま戦い続ければ、遠からず限界を迎えるだろう。 それでも、生を手放すつもりは無かった。まだまだ、闘い足りない。 「でかい借りも残ってるんでな。――こんな所で、おちおち死ねるかよ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月09日(土)23:43 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 先の戦いで出会ったリベリスタは、別れ際に言った。 ――次は、もっと素敵な演奏会に呼んで欲しいものですね? ならば、奏でてみせよう。 我らが指揮者の書いた壮大な組曲は、次の楽章へと至った。 演奏会は、ソロからアンサンブルへ。 チューバの重厚な低音に加わるは、ユーフォニアムの伸びやかな中低音。 ミーナ。ジェルソミーナ。愛しき我が妹よ。 まだ、『楽器』が足りないね。 白銀のベルから甘いテノールを響かせ、歌っておくれ。 とっておきの招待客が、素敵なダンスを踊ってくれるかもしれないよ――。 ● 似た形の金管楽器を抱えた女二人による、息の合った二重奏。 音楽をまるで解さぬ拳壮にも、彼女らの技量が優れていることくらいは分かる。 問題は、死臭に満ちた戦場で奏でられる悪趣味な“それ”が、五人の友を肉人形に変えたという忌々しい事実だった。 拳壮は死を恐れない。同胞の死を悼みはしても、殺した相手を恨みはしない。 アークとの喧嘩で二人の友を喪った時も、そうだった。 それが闘いの結果なら、讃えこそすれ責める理由が何処にある? だが――“これ”は違う。まったくもって、気に入らなかった。 かつて友であった一人、灰尾の“抜け殻”がフィンガーバレットの銃口を自分に向ける。 拳の届かぬ距離から放たれた銃弾が、急所を的確に抉った。 傷口から溢れる血潮の熱さと、奪われつつある体温。 どちらも顧みることなく、唇を動かす。 「……笑わせやがる。いつも言ってんだろが」 言葉通り、口の端が笑みの形に歪んだ。 「俺ぁ、殺るのも殺られるも、直に手を合わせた奴じゃなきゃ嫌だね」 来るならコッチで来な、と言って、手刀を突き出す。 その時、拳壮の鋭敏な聴覚が、こちらに近付いてくる複数の足音を捉えた。 (おいおい、どこの馬鹿どもだよ――) この期に及んで、わざわざ殺されに来るとは。 思わず舌打ちしかけた時、彼は接近する者たちの正体に気付いた。 「――拳壮」 背中越しにかけられた親友の声に、黙って頷きを返す。 「こんにちは☆ 毎度お馴染みアークでっす☆」 場違いなほどに明るい『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)の声が、そこに響いた。 ● 「早かったな、『ハッピーエンド』」 死者たちの隙間を縫うようにして駆けてくる青年の姿を認めて、拳壮が笑う。 一息に距離を詰めた終の両手で、二振りのナイフが冴え冴えと輝いた。 「義によって助太刀致す! な~んてね☆」 時代劇のような台詞とともに双刃を繰り出し、神速の斬撃で『時』を刻む。たちまち生じた氷の霧が広がり、拳壮とエフィムを包囲する死者たちの一部を凍てつかせた。 終の後に続いた『続・人間失格』紅涙・いりす(BNE004136)が、中間地点で足を止める。 不吉を孕んだ暗黒の瘴気が死者たちに浴びせられると同時に、『楽団』の姉妹がアークのリベリスタに視線を向けた。 スーツに身を固めたチューバ奏者の姉――ジェルトルデ・ラヴァネッリ。 ワンピースを纏ったユーフォニアム奏者の妹――ジェルソミーナ・ラヴァネッリ。 彼女らの演奏で操られる死者たちが壁を作るより先に、リベリスタ達は敵陣に切り込んでいく。 雪道でも危なげない足取りの『やる気のない男』上沢 翔太(BNE000943)が、鋭く地を蹴った。 瞬く間に加速したスピードをもって敵に肉迫し、勢いを乗せた刺突で死肉を抉る。 サングラスの丸レンズ越しに戦場を見渡す『燻る灰』御津代 鉅(BNE001657)が、淡々と呟いた。 「……剣林は、まだ少しは生き残っていたか」 そこかしこに散乱する死体の“残骸”は、ここまでにおける戦闘の激しさを物語っている。 ラヴァネッリ姉妹が手勢として率いてきた死者の群れに、剣林の男たちは真正面から立ち向かったのだろう。序盤は、剽悍な彼らの方が優勢であったかもしれない。 しかし、観光客で賑わうこの街は『楽団』にとって予備戦力の源だ。恐慌をきたした群衆が残らず姉妹の兵隊と化すまで、そう時間はかからなかったと思われる。 七人の剣林派フィクサードのうち、五人は既に『楽団』の手に落ち、残りの二人も傷が深い。手練とされる彼らが命を落とせば、より厳しい状況になるのは火を見るより明らかだ。 「これ以上、余計な要素を持ち込まれてはかなわんからな」 接敵するまでの時間を利用して、鉅は強力な人払いの結界を展開する。 近場の一般人はあらかた全滅しているとはいえ、市街の状況を鑑みるにパニックに陥った者が迷い込んでくる可能性は否定できない。 必要以上に手を割くつもりはないが、『楽団』の戦力増強を抑える保険にはなるか。 巨大な鉄鎚を携え、『シトラス・ヴァンピール』日野宮 ななせ(BNE001084)が全力で駆ける。 彼女は拳壮のもとに辿り着くと、触覚のように伸びた二房の髪を揺らして呼びかけた。 「空閑さん、お久しぶりですっ! ここはいっしょに戦いましょうっ!」 どちらかと言えば細い両の腕で、全長150cm以上にも及ぶ“Feldwebel des Stahles(鋼の軍曹)”を軽々と担ぎ上げる。 「相変わらずゴツい得物持ってんなぁ、嬢ちゃん」 笑う拳壮の後ろで弓を構えるエフィムは、無言のまま。雪を踏みしめて慎重に歩を進める『糾える縄』禍原 福松(BNE003517)が、そこに声を重ねた。 「あんた等も、こんな所で死ぬ心算は無いんだろう?」 「まぁな」 破壊の気を込めた掌打で死者の動きを封じる拳壮に続き、エフィムが上空を睨んで矢を放つ。 インドラの矢――敵を一瞬で炎に包んだその一射は、寡黙な射手の胸中を何よりも雄弁に表していた。 全身を焼き焦がされても一向に歩みを止めない死者の群れを見て、『ミックス』ユウ・バスタード(BNE003137)が囁く。 「……焼け石に水、と」 背の翼を羽ばたかせて低空を滑る彼女は、愛用の改造小銃を構えて愉しげに笑った。 「じゃあ、もっと燃やせばいいじゃないですかー♪」 弾丸が天を貫き、無数の火矢となって戦場に降り注ぐ。赤々と燃える炎の海を往く『心に秘めた想い』日野原 M 祥子(BNE003389)が、神気の閃光で敵を灼いた。 剣林の二人に向かって、死者たちが殺到する。早々に彼らを手駒に加え、アークとの戦いを有利に運ぼうという魂胆だろう。 一足先に合流を果たしていた終と翔太、ななせの三人が押し寄せる敵の一部を食い止める。白き翼で身を浮かせた『ナルシス天使』平等 愛(BNE003951)が、前を守る祥子の後についてふわりと進んだ。 「――なるほどなるほど、邪悪な女子から良い男を守れと」 低音の奇想曲を奏でるラヴァネッリ姉妹と満身創痍の剣林勢を見比べ、得心したように頷く。 筋金入りの男色家たる彼にとって、このシチュエーションはさぞ甘美に映ることだろう。 彼らの命が己の回復にかかっているとなれば、張り切らない理由がない。 「任せて! 超任せてよ」 厳かに詠唱を響かせ、癒しに満ちた聖なる神の息吹で剣林の男たちを包み込む。 タイミングを計って前進した『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が、全員に翼を与えながら二人に声をかけた。 「助太刀するので助太刀して下さい。等価交換という事で一つお願いします」 この状況下で一方的に恩を売ろうとするのではなく、あくまでも対等の立場で紡がれた言葉を聞き、拳壮がほう、と眉を動かす。 「お前さん、確か『夜翔け鳩』とか言ったか? 狸だか鳩だか、坊だか嬢だかは知らねぇが、面白ぇ奴だな」 良いぜ、俺ぁ乗った――そう告げて、拳壮は虎の目を細めた。 ● 現状、リベリスタ達の戦力は二分されている。 一刻も早く陣形を整えなければ、消耗した剣林勢のフォローもままならない。 「鴉魔さん、その方の抑えをお願いしますっ」 死者たちの中に見覚えのある顔を認めたななせが、終に声をかける。 自分の記憶が間違っていなければ、あれは剣林のソードミラージュ・具塚である筈。革醒者をベースにした死者はそれだけで強力だが、速度に優れ状態異常を操る彼は特に危険度が高い。 すかさず氷刃の霧を煌かせ、終が具塚を含む三体を封じる。その隙に合流を果たしたいりすが、暗黒の瘴気で死者たちを次々に撃ち抜いた。 「よう、『人間失格』。お前も来てたか」 「死なれちゃ困るんでね」 「は、勝ち逃げしといてよく言うぜ」 短いやり取りの後、記憶とともに受け継いだ二刀を構える。 厳密には、拳壮が呼ぶ名も、彼との浅からぬ因縁も、“前の持ち主”のもの。いりす個人が手を合わせたのは、たった一度きりでしかない。だが、互いにそれを気にしている様子はなかった。 身軽に跳んだ翔太が、宙に身を躍らせる。 血と肉片で赤黒く汚れた戦場を俯瞰して、彼は僅かに眉を寄せた。 「たく、人の故郷の地で好き勝手に暴れやがって……『楽団』共が」 北国出身の翔太にとって、今回の事件は他人事ではない。『楽団』にいいように蹂躙されていく小樽の街を見て、黙っていられる筈もなかった。 空中で素早く方向を変え、頭上から敵を強襲する。死者たちの間を抜けてきたうさぎが、表情に乏しい瞳でラヴァネッリ姉妹を一瞥した。 「息ピッタリの実妹の奏者追加とは、豪勢ですね」 姉のジェルトルデとは、先の戦いで顔を合わせたことがある。 次はもっと素敵な演奏会に呼んで欲しいと告げた――その答えがこれか。 成る程と頷きはしても、大人しく静聴するつもりなど無い。 「野趣溢れる刃の音を伴奏に添えさせて頂きますよ。勝手に、ね」 さらに数歩踏み込み、半円のヘッドレスタンブリンにも似た“11人の鬼”を閃かせる。不規則に肉を抉る十一枚の刃が死者たちを切り刻み、足元に血溜まりを作った。 剣林勢を挟んでうさぎの反対側に回り込んだ福松が、帽子を片手で押さえながら黄金のリボルバーを構える。恐るべき速さで敵に銃弾を浴びせていく彼の背後で、舞い下りたユウがエフィムに語りかけた。 「貴方と肩を並べて撃てると聞いたもので、急いで参りました♪」 軽く息を弾ませ、嫣然たる笑みを浮かべる。 愛想というものを母親の胎内に置き忘れたかのような銀髪の射手に向け、彼女は真摯に言葉を紡いだ。 「状況が状況ですから、楽しむ余裕が無いのは残念ですけど…… この場は、私達と組んでみませんか」 「……是非もない」 素っ気無い返答に「相変わらずつれないですねー」とぼやきつつ、エフィムと背中合わせになる形で戦場の半分ずつを視界に収める。 灰色の空に吸い込まれた弾丸と矢が、逃れ得ぬ天神の火を死者たちに落とした。 「乱戦もいいところだな」 くたびれたコートの裾を靡かせ、駆け付けた鉅が敵に向き直る。彼の全身から伸びたオーラの糸が、『楽団』の肉人形と化した死者を雁字搦めに縛った。 リベリスタ達は前衛同士で円陣を組み、剣林の二人と後衛たちを守ろうと動く。 ななせが鉄鎚を振るって死者の群れを防ぐ間に、祥子が囲みに加わった。二つで対をなす勾玉型の双盾に神聖なる力を込め、眼前の敵を打ち据える。 円陣の内側に滑り込んだ愛が、魔術書を腕に抱いて大きく身震いした。 「……て言うかさ。寒くない? なに? 北海道なの? 殺すつもりなの?」 容赦なく吹きつける冷たい風に悪態をつきながら、周囲に漂うマナを集め始める。 傷の癒え切らぬ身で前に出ようとする拳壮を視界の隅に映し、終が彼に声をかけた。 「少しなら時間稼げるから、愛ちゃんに回復して貰って下さいな☆」 音速の刃で近くの一体を釘付けにしつつ、やんわりと後退を促す。 「生憎だが、俺ぁ前に出るしか能が無ぇんでね」 その答えを予想していたかのように、いりすが黒き瘴気で周囲の死者たちを薙ぎ払った。 空閑拳壮という男の性格上、ここで退くことは考え難い。だが―― 「お仲間をもう一度眠らせてあげるまで、倒れるなんてできないでしょ……?」 終の後を継いだ福松が、眼前の死者に拳を叩き込みながら率直に言う。 「色々あるが、今は素直に回復されてくれ。オレ達もそっちに死なれると困るんだよ」 「共通の敵が目の前にいる以上、お前達も倒れさせられない」 そこに言葉を重ねた翔太が、空中でくるりと身を捻った。敵の死角を突き、剣で一撃を浴びせる。 自分達は勿論、この場では友軍たる彼らも死なせるわけにはいかない。単純な戦力の低下を招くばかりではなく、『楽団』の強化にも繋がるからだ。 愛が、癒しの息吹を呼び起こして傷を塞ぐ。一度や二度の回復で帳消しに出来るほど剣林の男たちに蓄積したダメージは軽くないが、戦う彼らの背中くらいは支えられる筈。 しばし沈黙を保っていたいりすが、虚ろな視線を拳壮に向けた。 「どうせ殺されるのなら、小生にしなよ」 ぎょっとしたように目を見開く仲間をよそに、拳壮は無言のまま。 爛々と輝く虎の双眸だけを見据えて、いりすは言葉を続ける。 「――だけど、それは今じゃないだろ? だからさ。ヤッちまおうぜ。一緒にさ」 闘わなければ心が死ぬ。“己”と同様の性質を抱えた男の気質を、いりすは誰よりも理解していた。 「あたぼうよ」 火の点いた瞳で、拳壮が答える。 元より、ヤワな男ではない。癒し手の支援が届く限り、易々と倒れはしないだろう。 「とにかく、友軍扱いの相手といがみ合っている暇はない」 柄から刀身に至るまで艶消しの黒に染まった細身の長刀で敵を牽制しつつ、鉅が口を開く。 「まずは仕切り直しだ。――この戦場をかき回す」 放たれた気糸が死者を幾重にも取り巻き、その全身を締め上げた。 ● 後衛を中心に円陣を整えたリベリスタ達は、友軍の二人と共に反撃に転じた。 元革醒者と思しき十体のうち、剣林派の五体を優先して狙う。 手の内がある程度判明している分、他と比べて対策が立てやすいというのが主な理由だが、『楽団』に同胞を奪われた拳壮やエフィムの心情を多少なりとも慮ったためでもあった。 ななせにも、彼らの気持ちは痛いほど理解出来る。たった一度とはいえ、自分達と直に拳を交えた五人がいいように操られているのは、彼女にとっても許し難い。 「――いくよ、『軍曹』」 大きな瞳に決意を込めて、ななせは“Feldwebel des Stahles”の柄を握り締める。 相対するは、ダークナイト・間枝。かつて、八対八の勝負において彼女が戦った相手だ。 闇の魔力を宿した槍が、ななせの脇腹を深々と抉る。精神を穿ち、速力をも奪うその一撃に怯むことなく、彼女は鉄鎚を大きく振りかぶった。 雪崩の勢いで繰り出される打撃が、嵐の如く間枝に襲い掛かる。回復役として皆を癒し続ける愛を背に守りながら、祥子は改めて周囲を見渡した。 観光都市として名高い小樽の美しい街並みは今や血に汚され、死者たちに踏み躙られている。 自分の故郷――夜景の綺麗な北の港町が、一瞬そこに重なった。 (みんな、素朴で親切な、ふつうの田舎の人たちなのに) 訳も分からぬまま死者の列に加わっただろう一般人たちの光なき瞳を見て、唇を噛む。 出来るものなら、今すぐにでも全員を解放してあげたい。『楽団』が彼らに課した、この忌まわしい仕事から。 厳然たる意志を秘めた白き光が、戦場を包む。 元より、攻撃を当てるのは得意ではない。命中精度の悪いこの技では敵の動きを妨げることは難しいが、これだけ数が多ければ戦力を削る足しにはなる。 黄金色に輝く“オーバーナイト・ミリオネア”を片手で支える福松が、ひしめく敵の後ろに見え隠れするラヴァネッリ姉妹を鋭く睨んだ。 「オレみたいなチンピラは、鉄火場に身を置いている限りいつか無残に死ぬだろう」 死者たちに狙いを定め、口に咥えた棒つきキャンディーを噛み砕く。 齢十一にして“暗黒街を統べる者(キング・オブ・イリーガル)”の称号を得た少年は、だが――と言ってトリガーに指をかけた。 「お前等が兵隊にしている、そのカタギの連中は―― こんな場所で殺される為に生きてた訳じゃねェだろうがァ!!」 腹の底から湧き上がる怒りが、咆哮となって福松の喉を震わせる。可能な限り多くの敵を捉えるようにと撃ち出された弾丸は、まだ『楽団』まで届かない。 膝を砕かれた死者たちが揃って地を這いずる様を眺め、翔太の表情が歪んだ。 元は守るべき人々であった筈の彼らが無惨に命を奪われ、『楽団』の操り人形にされている事実。 しかも、再び眠りにつかせるためには、もう一度殺すしかないのだ。 腕をもがれても首を飛ばされても動き続ける肉体を、バラバラに引き裂いて。 ――すまねぇ……。 思わず口をついて出そうになった謝罪の言葉を呑み込み、翔太は敵に向き直る。 詫びるのは、後だ。剣を握り、光の翼を操って宙を舞う。 「俺は決めたんだ、崩界なんてさせない! ってな!」 一人のリベリスタとして叫びながら、彼は己の身を一振りの刃に変えた。 急降下と同時に剣を振るい、凍てつく霧で氷像と化した具塚を袈裟懸けに両断する。 泣き別れになった身体が地に落ちると同時に、天から降り注ぐ炎が亡骸を包み込んだ。 まったく、燃やし甲斐のないことだ――と、ユウが心の中で溜め息をつく。 「生と死の境目を混ぜちゃうのはご法度ですよねえ。いくらなんでも、そいつは冒涜的に過ぎます」 美しく秩序だったものが好きで、それをぶち壊すのはもっと好きで。 カレーをぐちゃぐちゃに混ぜることに抵抗を覚えない彼女をしても、『楽団』の手口は癪に障る。 「ね、そう思いませんか? エフィム・イーゴレヴィチ」 互いの背中を守る銀髪の射手に声をかけると、意外なことにすぐ返答があった。 「――同感だ」 魔力を固めた呪いの矢を射て、気糸に縛られた死者の拘束を強める。 もはや、インドラの火を落とし続けるだけの余力は無いのだろう。体内に無限機関を宿すメタルフレームといえど、一度に利用できるエネルギーには限界がある。意識の同調で力を分け与えられる者は、この場には居ない。 引きも切らず押し寄せる死者たちを前に、鉅が舌打ちする。 大半は取るに足らない雑魚の群れに過ぎないが、とにかくしぶとい上に数が多い。 執拗に足首を掴もうとする腕を斬り飛ばし、オーラの糸で敵を縛り続ける。 身に帯びた緑の長布をしならせ攻撃を受け流しながら、うさぎが前に踏み込んだ。この状況では、いずれにしても後衛に接近する敵を全て阻むのは難しい。 ならば、一体でも多くを削って数を減らす。その方が、結果として仲間の安全に繋がる筈だ。 氷点下の冷えた空気に、生温い血の雨が混ざる。吐き出す息は、どこまでも白い。 円陣を組み、互いの両サイドと背後を守り合う形にしたのは正解だった。 一人に向かう攻撃を可能な限り分散している現状でも、ダメージは次第に積み重なりつつある。 下手に散開し、近接戦を得意とする剣林派の死者たちが誰かに集中していたら、今頃は何人か倒されていただろう。 二振りのナイフで音速の連撃を繰り出し、終が覇界闘士・苗村を追い詰める。 己の生命力を闇に喰らわせ続けるいりすが、すかさず暗黒の瘴気を放って止めを刺した。 死者たちの攻撃に晒される仲間と剣林の男たちが傷ついていくのを見て、愛が天使の声で詠唱を響かせる。前衛で防ぎきれない敵がこちらにも何体か辿り着いていたが、構っている余裕はなかった。 攻撃の手段を持たない自分に出来るのは、傷を癒し、心の底から応援すること。 それで、誰かが倒れずに済むのなら。その分だけ皆が活躍してくれると、彼は信じていた。 「ボクは人が多くなればなるほど光るタイプの人材だからね!」 愛が届ける聖神の息吹で体力を取り戻したななせが、長く息を吐く。 生ける屍と化した間枝は、格段に力を増していた。持ち前の自己再生力や吸血だけでは、まったく回復が追いつかぬほどに。 でも――大切なものが欠けている。失われてしまっている。 彼の攻撃からは、何も感じられない。武器を交えても、伝わってくるものがない。 ななせには、それが悲しかった。 全身の闘気を武器に集め、彼女は間枝だったものを見据える。 違う。あの人じゃあ、ない。 「間枝さんは……もっと強かったのですよっ!」 真っ直ぐに叫び、渾身の力で“鋼の軍曹”を叩き付ける。 溢れる想いと祈りをのせた鮮烈な一撃が、かつての敵手を永久の眠りに導いた。 ● 黄金のチューバと白銀のユーフォニアムが奏でるカプリッチオが、気紛れに曲調を変える。 予想外の粘りを見せるアークと剣林の連合軍を崩すべく、ラヴァネッリ姉妹は死者たちに新たな命を下した。それは――後衛を蹂躙し、回復という命綱を断ち切ること。 殺到する死者たちが、前衛たちのブロックを抜けて円陣の内側に雪崩れ込む。愛が瞬く間に亡者の波に呑まれていく様は、あたかも地獄に迷い込んだ天使の末路のようにも見えた。 止まる所を知らない死の濁流は、射撃手の二人にも容赦なく手を伸ばしていく。 ユウの盾となったエフィムの腹部を、死者の腕が貫いた。 「……エフィム・イーゴレヴィチ」 「今は、消耗した俺よりお前の方が戦力になる……それだけだ」 思わず目を見開いたユウを振り返ることなく、銀髪の射手は運命を捧げて己が身を支える。 「俺に構うな。……撃て、ユウ・バスタード」 かつて、飽きるほど聞かされてきた罵倒の文句。その名を、彼は敬意と信頼を込めて呼んだ。 「期待には、お応えしないとですね」 ゆるりとした口調はそのままに、ユウは決意を秘めて“Missionary&Doggy”を構える。 エフィムは辛うじて立ってはいるものの、そう長くは持ち堪えられないだろう。彼を死なせないためにも、一刻も早く決着をつける必要があった。 「例の組曲とやらは、まだ続きがある様子。彼女らは、ここで死ぬつもりはない」 トリガーを絞り、魔力の弾丸で天を撃つ。 「それなら、とっととお帰り願いましょう――」 前も後ろも関係なく降り注ぐ炎の矢が、視界に映る全ての敵を炎の色に染めた。 運命の恩寵で死を免れた愛のもとに、福松が走る。回復の要を失えば、その時点で全てが瓦解するだろう。それだけは、避けなくてはならない。 戦場においてなお純白を保ち続けるシルクストールを靡かせ、愛のガードを固める。 傷ついた白い翼を広げ、愛が再び浮き上がった。 視線の先には、今もなお奇想曲を奏で続ける姉妹の姿。 「――楽団? 知るか!」 臆することなく声を張り上げ、希薄な高位存在の意思を読み取る。 もともと、女子は苦手だ。少しばかり姿形が整っていたところで、心動かされたりはしない。 「ボクは可愛い神だぞ! 楽団ならボクの為にファンファーレ鳴らすとかしろよ!」 具現化した癒しの息吹が、後衛たちを中心に広がった。全員のダメージを見て取り、祥子が福音を奏でて回復のフォローに加わる。 体勢を立て直したのも束の間、ラヴァネッリ姉妹がまたしても曲調を変えた。 福松に守られた愛を狙うのをひとまず諦め、革醒者ベースの死者を巧みに操って傷の深い前衛を仕留めにかかる。 剣林の覇界闘士・大門が、破壊の気を帯びた膝蹴りを拳壮の鳩尾に叩き込んだ。 畳み掛けるようにクリミナルスタア・灰尾がフィンガーバレットの銃口を向けるのを見て、翔太が跳ぶ。 「……させるか!」 頭上から繰り出される、多角的な強襲攻撃。 スピードを活かした斬撃に翻弄された灰尾はたちまち混乱に陥り、近くに立っていた死者を自らの手で撃ち抜く。己の運命を惜しげもなく燃やす拳壮の隣に、ななせが駆けた。 「気遣い無用だぜ、嬢ちゃん」 「日野宮ななせです」 屈託なく名乗る彼女に毒気を抜かれたか、拳壮が目を丸くする。 「わたしまだ空閑さんと殴り合っていませんから、倒れられたら寂しいですっ」 にこやかな笑顔とともに紡がれた、裏表のない言葉。 それを聞き、拳壮もまた口の端を持ち上げた。 「……そういやそうか。そろそろ付き合いも長いのになぁ」 両腕で構えを取り、くつくつと笑う。 「んじゃ任せたぜ、日野宮の嬢ちゃん」 「はいっ」 肩を並べた二人のインファイターが、ほぼ同時に踏み込んだ。 獣の爪と破壊の連撃が唸りを上げ、死者を引き裂き、砕いていく。 前線で戦う拳壮の背中を眺めながら、祥子はふと遠い空の下にいる恋人を想った。 いつも傷だらけになって、それでもなお『盾』として敵前に立とうとする彼。 (――あたしも、最後まで立ち続けてみせるわ) この街を、『楽団』の脅威から解放するために。 誰も欠けることなく、全員で帰るために。 蜂蜜の色にも似た金の瞳に揺るがぬ意志を湛え、祥子は天使の歌を響かせる。 愛の詠唱で生み出された清らかな微風が、ありったけの激励を込めて拳壮に届いた。 「そろそろ、かな」 戦場に残る死者を数え、いりすが後衛から距離を置く。 唇から紡がれた神秘の言葉が、自我を失った死者たちを揺さぶった。 怒りに任せて突っ込んでくる敵をいなそうと、軽く身を捻る。 視界の隅にラヴァネッリ姉妹が映った時、先に聞いた拳壮の声が脳裏に蘇った。 ――俺ぁ、殺るのも殺られるも、直に手を合わせた奴じゃなきゃ嫌だね。 同意だ。こんな奴らに。己の手を汚さず、死を謳う者に。 殺されるのも。殺させるのも。まっぴらだ。 銘なき太刀で攻撃を受け流し、拳壮に声を投げかける。 「さっさと、こいつ等ぶちのめしてやろうぜ。『僕ら』でよ」 「おうよ」 拳壮が残る力を注いで雷撃の武舞を展開した直後、空中でステップを踏んだうさぎが“11人の鬼”で死者たちを血祭りにあげた。 狙いは数十体に及ぶ死者の全滅ではなく、ラヴァネッリ姉妹への直接攻撃。 どちらか一人でも捕殺できれば最善、それが叶わずとも撤退に追い込めれば良し。 そのためにも、今は道を開かなければ。 目にも留まらぬ速さで『時』を刻んだ終が、四体の死者を氷刃の霧に閉じ込める。 あと少し。あと少しで、『楽団』に手が届く――。 その時、ユーフォニアムで主旋律を奏でるジェルソミーナが可憐な微笑みを浮かべた。 白銀のベルから発射された霊魂の弾丸が、射線上に立っていた終と鉅を同時に貫く。 (動け……動け!) 暗闇に閉ざされかけた意識を、終は己が運命で強引に繋ぎ止めた。 救えたかもしれない人々を、救えなかった時。 無価値な自分がどう足掻いてもハッピーエンドに届きはしないと、そう思ったこともあった。 でも、決して諦めはしない。 どんなに遠くても、誰かが“幸福な結末”を望む限り。この手で、掴み取ってみせる。 鉅もまた、深手を負った身を運命で支えて死地に舞い戻る。自分達にとって、ここが正念場だ。 口元から溢れる血を拭うこともせず、オーラの糸を無数に放つ。 哀れな人形のように縛られた死人ががくりと頭を垂れた瞬間、福松が“オーバーナイト・ミリオネア”を構えた。 一夜の栄光と破滅を運ぶ黄金色の銃身が、ラヴァネッリ姉妹へと向けられる。 「投げ銭代わりに鉛弾をくれてやる。さっさと帰りな、外道共」 戦場に響き渡る、幾つもの銃声。 頭蓋を砕かれた死者が地に崩れ落ちる中――弾丸がジェルソミーナのワンピースを掠めた。 ● ユーフォニアムの音色が、唐突に止んだ。 「……ふふ、うふふふ」 肩を揺らすジェルソミーナの喉から、鈴を転がすような笑い声が漏れる。 淡い光を放つ霊体が少女のシルエットに重なった直後、チューバの低音が荒々しさを増した。 四本のピストンを操り、激しいリズムを刻むジェルトルデの面に宿るのは、怒気――だろうか。 悲鳴にも似た死者たちの唸り声が、戦場を包んだ。 秩序も何もあったものではない、野蛮な突撃。押し寄せる群れに呑まれて力尽きたエフィムを、祥子が咄嗟に庇った。 得物を振り上げた死者が、彼女の側頭部を殴りつける。優れた防御能力をもってしても防ぎきれない痛打を浴びて、視界がぐらりと揺らいだ。 こめかみから流れ落ちる血の感触。 蟠る死臭の中、甘い蜜のような花の匂いが鼻腔をくすぐる。亡き母が気に入っていた香りだった。 眼前に迫った死を運命の輝きで退け、祥子は“月読乃盾”を握る両手に力を込める。 倒れられない。自分の肩には、人ひとりの命がかかっているのだから。 「この街も、この人たちも、みんなあなたたちには渡さない」 止めを刺させまいと守りに徹する祥子を見て、いりすが再び神秘の挑発を放った。 前衛たちに纏わりつく敵の怒りを誘い、己のもとに引き寄せる。猛り狂った死者たちが、次々といりすに襲い掛かった。 革醒者と思しき一体の攻撃を受け損ね、肋骨から肺を傷つけられる。 噴き上がる鮮血が飛沫を散らす中、いりすは迷うことなく己の運命を差し出した。 「――勝つよ。勝つさ。必ず守る」 血のように赤い、呪われしジャックナイフ。 剣鬼と呼ばれた男が手にしていた、無銘の太刀。 長さの異なる二刀を構え直し、戦場を睨む。 運命はそう簡単に歪められはしないと、嫌というほど知っている。 それでも、自分は負けない。死なせもしない。 「良い男がみすみす連れて行かれるのを、黙って見ているわけにはいかないからね」 周囲に漂う魔力を己のエネルギーに変える愛が、聖なる神の息吹を連発する。 気を練る技術に優れ、スピードを兼ね備えた彼だからこそ可能な離れ業といえた。 「コンサートなら、興味をもった連中にだけ聞かせておけばいいものを……」 回復で体勢を立て直した鉅が、忌々しげに呟く。 無差別にチケットをばら撒いた上、代金は命と引き換え。さらに特典が死後の強制労働とくれば、悪徳商法もいいところだ。 「悪いがクーリングオフだ、そっちの命で返してもらう」 ラヴァネッリ姉妹に毒づき、気糸を操って死者を足止めする。 自ら攻撃に行く余裕は無くても、そこに向かう仲間の援護は充分に可能だ。なおも立ち塞がる死者を、ななせが鉄鎚の一撃で吹き飛ばした。 眼前に開けた道を駆け抜け、終がジェルソミーナに迫る。 人それぞれ、好みの違いはあるとしても。 音楽とは、聴く者の心を豊かにするものであって欲しかった。 命を楽器に見立てて生と死を弄ぶ『楽団』が奏でる“これ”は、決して音楽なんかじゃない。 「偶には、自分が奏でられる側になってみなよ……!」 音速を超えて繰り出されたナイフが、淀みない連撃で少女の肌を裂く。 ジェルソミーナがつぶらに目を見開いた瞬間、終は彼女の脇腹に氷の刃を突き立てた。 「――さあ、アンコールはいかが?」 青年の声が響いた直後、剣を構えた翔太が空中からジェルソミーナを強襲する。 「俺はな、なんも力のない人達を殺めて手駒にするような奴は大っ嫌いなんだよ……!」 振り下ろされた斬撃は少女の鎖骨を砕き、胸までも深く抉った。 「あはははははははははっ!」 致命傷を負った筈の少女が、高らかに笑う。 ジェルソミーナに宿った霊体が、淡い光を放って細い身体を包み込んだ。 「これがアークのリベリスタなのね! 良い、良いわ! 焦がれて胸が潰れそう!」 誰かが、ごくりと息を呑む。 楽の音で死者を操るネクロマンサーは、気紛れな運命(ドラマ)をも操るのか――? 刹那、チューバのベルから霊魂の弾丸が放たれた。 激しい怒りに任せた強烈な一撃が、終と翔太の腹に風穴を穿つ。狂気の笑いを響かせるジェルソミーナが、すかさず追い撃ちを加えた。 「……っ!」 赤い血の尾を引いて、終が雪の中に倒れる。 身を貫く激痛に耐えた翔太が、己に宿る運命を燃やした。 「生きてなきゃ、先に続く楽団との戦いにも参加できねぇしな……」 軽く咳き込みながら呟き、剣を構え直す。二人の窮状を見た福松が、終のもとに走った。 「自慢の演奏、随分とノイジィになったな」 終を背に庇い、あえて挑発的な言葉を紡いでジェルトルデの気を惹く。 福松に続いたうさぎが、寄り添うラヴァネッリ姉妹を交互に見た。 「仲の良い姉妹で羨ましい事です。うんうん、家族はそうでなくては」 手前で一気に加速し、姉と妹を同時に射程内に捉える。 「――だが死ね」 半円の台座に散りばめられた十一の涙滴が、一斉に牙を剥いた。 傷つけるために生み出された鬼の刃が唸りを上げ、姉妹の肌を裂いて喰らいつく。 しかし――僅かに浅い。 手傷を負って幾許かの冷静さを取り戻したのか、ジェルトルデが演奏を止めた。 「確か……犬束・うさぎと言ったか」 射るような視線でうさぎを睨み、低く声を投げかける。 以前に戦った時とは異なり、その表情や口調には激しい怒りと殺意が滲んでいた。 人と人とも思わぬ『楽団』の奏者も、いっぱしに身内を想う情はあるのか。 「いずれ、この礼はさせてもらう」 残存する死者たちを呼び戻し、ジェルトルデは妹を連れて撤退に移る。 一瞬の隙を縫って、ユウがオーラの糸を放った。 「こちらとしても、黙って帰すわけがないんですよね」 極限まで貫通力を高めた極細の気糸が、ジェルソミーナの片脚を貫く。 それでも、少女は死を忘れた怪物の如く歩みを止めなかった。 「ああ、素敵、素敵ね。目移りしてしまいそう」 恍惚の表情で笑うジェルソミーナを、ジェルトルデが庇う。 追撃もここまでか。これ以上は、こちらも損害を覚悟しなければならないだろう。 友軍を含め二人が地に伏している現状、戦闘不能者が増えれば守り手が足りなくなる。 下手に深追いして誰かが殺されでもしたら、目も当てられない。 血が出そうなほど、強く拳を握り締めて。うさぎは、去りゆく姉妹の背を見送った。 ――次は仕留める。必ず。 ● 敵の姿が完全に見えなくなった後、福松は振り返って終の傷を診た。 出血が酷いが、まだ息はある。少なくとも、最悪の事態だけは免れたか。 祥子に守られて命を繋いだエフィムが、ゆっくりと上体を起こす。 「……お前達には、礼を言わねばならんな」 その言葉を聞いたユウが、「死なれちゃ困りますから」といつも通りに笑った。 「うんうん、邪悪な女子は去って良い男は無事に守られた、と」 回復役として全員を癒し続けた愛が、満足げに頷く。 「助かったぜ、ありがとさん」 素直に礼を述べる拳壮を見て、いりすが口を開いた。 「虎さんにゃ、まだまだ借しを作るつもりだからな」 「利子つけて返してやるから待ってな。返す前に死ぬなよ」 意地の悪い笑みを浮かべる彼に、いりすは心の中で肩を竦める。 この男も、割と根に持つタイプらしい。 そんなやり取りを耳にしながら、翔太は死体の山が築かれた現場を改めて見渡した。 呆気なく砕かれた日常と、奪われた多くの命を思い、『楽団』への怒りを新たにする。 (――てめぇらは許せねぇ) 惨劇を起こしたラヴァネッリ姉妹の顔を脳裏に焼き付け、彼は音を立てて奥歯を噛んだ。 地に転がった亡骸の一つに、祥子がそっと歩み寄る。 抱え上げたそれは、まだ年端もいかない子供の上半身だった。 家族を喪った“あの日”の記憶が、痛みとともに鮮明に浮かぶ。 この子の親はどうしたのだろう。今も『楽団』に従い、死の行進を続けているのだろうか。 そう思うと、やりきれない。 全ての死者を弔うのは不可能だったが、剣林派フィクサード五人の遺体は一箇所に集められた。 うさぎが彼らの目を閉じ、身なりを整えてやる。 間枝の手を取ったななせの傍らで、拳壮が神妙に口を開いた。 「引導渡してもらったこいつらは幸せだ。代わって礼を言うぜ」 ななせの大きな瞳が、一瞬揺らぐ。 はい、と答えた後、彼女はゆっくりと天を仰いだ。 「いつまで、こんなことが続くんでしょうか」 「演奏会はいつか終演するものです」 声を重ねた後、うさぎは黙って首を横に振る。 数瞬の間を置いて紡がれた言葉は、強い決意に満ちていた。 「……いや、終演させる。『私達が』、だ」 これ以上、続けさせてたまるか――。 仲間達から少し離れ、鉅が煙草に火を点ける。 灰色の雲に覆われた冬の空は、まだ晴れそうもない。 「やれやれ、厄介なことだ……」 くゆらせた紫煙は、風に紛れて消えていった。 ● 天使のような妹は、血に汚れたワンピースの裾を揺らして笑っていた。 ――姉さん。姉さん。アークのリベリスタって、とても素敵ね。 自分に傷をつけた彼らを想い、うっとりと瞳を濡らしながら。 愛と憎しみを込めて、彼女は白銀に輝くユーフォニアムのベルに指を滑らせる。 ミーナ。ジェルソミーナ。恋多き我が妹よ。 寄り添う『楽器』が欲しいかい? いい子だから、少しだけ我慢しておくれ。 この姉が、きっとお前の願いを叶えてみせよう。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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