● 芳しい成果が上げられなかったのだ。 紫杏様のつまらなそうな顔が目に浮かぶ。 『アタクシが欲しいのは、こういうのではありませんわ。こんなことはどうでもいい瑣末なことです!』 「くそっくそっくそっくそ!」」 ひっきりなしに下品で意味のない罵声を口にして、爪を噛む若い男。 頭をかきむしる男。 一人はブツブツとうわごとのように益体もつかないことを話し続けている。 一人は薄笑いを浮かべて、あらぬところを見ている。 彼は研究員――だった。つい、今朝までは。 『君たち。今日は、それを持って、この人と、ここに行きなさい。じゃ、また明日』 上司からそっけなくそう言われた。 この人。と言われた外国人の男は、ゆったりとお辞儀した。 『お手伝いに上がりました。私、ウィリアムと申します。よろしくよろしく』 「まあ、そう緊張なさらず。戦闘経験をお持ちではないあなた方のために、紫杏様は私をお付けになったのですから」 それは逃亡を阻止するためだろう。と、喚き散らしたい。 だが、このやたらと親切な小太りの男はそんな当たり前のことを霞ませてしまうくらい、若い男達に優しくする。 「あなた方は革醒なさっている。しかも、貴重な研究員。ちゃんとあなた方に手柄を立てさせて差し上げます。明日は胸を張って研究所にお戻り遊ばせ。今日は、そう、この外国のおじさんを神秘の穴案内に連れてきたと、そう思し召せ。その手にあるのはもしもの時の護身用です。何しろ世界にまたとない神秘の領域ですからな。実に興味深い。いや、楽しいですな。どうせだったら、うちの若い娘達の方がよろしかったでしょうか。日本語では、合コンというのでしたかな。いや、こんなおじさんで申し訳ない。ははははは」 明るく、快活な、本当に楽しそうにキョロキョロ公園の中を見て歩く「おじさん」に、徐々に心が和んでくる。 サンタクロースが休暇で狩猟に出かけたらこんな感じの格好になるのだろうか。 おかしい。今ここは戦場なのに。 あちこちでキマイラの咆哮や人の悲鳴や爆発音が聞こえてくるのに。 「さて、我々の持ち場はこのあたりですかな。いや、日本の冬は寒いですが、この新素材の下着は暖かいですな。いや、嬉しい。嬉しいですな」 嬉しい、楽しい。 ああ、だんだんそんな気がしてきた。 若い男たちの顔に、一様に弛緩した笑いが浮かぶ。 「さあ、楽しいショウが始まりますぞ。これが終わりましたら、なにか美味しいものでもいかがですか。いや、日本は便利ですな。世界中のありとあらゆる美味しいものが手軽に食べられる。国に帰る頃にはまた太りそうです。皆さんは何がお好きですか。アークの連中が来るまで相談いたしましょう。いや、楽しい。楽しいですな」 手の中の石の蛙の口から、音を立てて不定形の何かが出ていく。 頭に靄がかかるようだ。 いや、逆に冴え渡っているのだろうか。 世界が今までと違って見える。 ああ、なんだか、楽しくなってきた。 これが終わったら、おじさんと一緒に鍋でもどうだろう。 みんなで鍋を囲む。 明日から、みんな仲良く和やかな職場を目指すんだ。 和食とか食べたら、このおじさんは「いや、美味しい。美味しいですな」というんだろうか。 ● 右目は突き出た機械化した目。生身の目は好奇心でキラキラと光っている。 「頭から触角出てて、マッドサイエンティストでも、リア充。明日への希望を持たせてくれるけど、はしゃぎすぎはいただけない」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の一言は本音なのだろうか、冗談なのだろうか。 いつもどおりの無表情からうかがい知ることはできない。 「フィクサード主流七派『六道』首領六道羅刹の異母兄妹・『六道の兇姫』こと六道紫杏、彼女が造り上げたエリューション生物兵器『キマイラ』」 イヴの背後のミニターにこれまでアークが交戦してきた、『キマイラ』と、そう名付けられる前の「なんだかよくわからないもの」の戦闘映像が次々と映し出される。 「――それらが神秘界隈の闇で蠢き始めて早半年以上。キマイラと交戦した者も多いと思う」 イヴは無表情だ。 「さすがと言いたくないけれど、出来はどんどん良くなってきている」 端的に、事実を口にする。 アークのリベリスタの急成長は、扱う案件の多さと本人の情熱にかかっている。 そして、それに負けぬ勢いで、紫杏のキマイラはその脅威の度合いを深めている。 「――その出来の良くなったのが、大将である紫杏と共に三ッ池公園へ大挙して押し寄せてきた」 十二月の三ツ池公園。 嫌な気配しかしない。 「正直、このタイミングというのがわからない」 モニターが切り替わる。 死体と交戦するリベリスタ。 ケイオス一派『楽団』の木管パートリーダー『モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン』の攻撃を受け、辛くも場の支配権を保持したアークが警戒を強化したこのタイミング。 正気ならばありえない。 「――フィクサードに勝機とか、一般常識など期待してはいけない。もしくは、彼女にとってはきちんとした理由があるのかもしれない」 モニターが切り替わる。 当の魔女がインタビューされているシーン。 下にテロップが入っている。 「モリアーティ教授についてですかぁ? 『ほんとは誰』 かなんて知るわけないじゃないですかぁ。でも、小説のように天才的に閃いて、それが全部「悪いこと」ばっかりってのはホントですよ。ロンドンに強力な犯罪組織こしらえてるんです。怖いっ!」 イヴは早々に画面を引っ込める。 「紫杏には、アシュレイ曰くバロックナイツのモリアーティ教授の組織が援軍を派遣しているという。或いは競合する『ライバル』の存在が彼女を焦らせた事もあるのかも知れない」 ん? と、幾人かのリベリスタは疑問を表情に浮かべる。 「紫杏の狙いは『閉じない穴』」 多次元への開きっぱなしの『特異点』。 神秘を探る者にとっては、悪魔に魂を売ってでも手に入れたい宝の山だ。 「キマイラ研究の向上の為、手っ取り早く崩界度を上げるつもりみたい」 世界が崩れるほど、キマイラの性能が良くなる。と、考えているらしい。 「己が道を究める為に妥協を許さぬのは、如何にも六道らしい。ついでに、自分の師匠にも良かれと思ってるのかもしれない。意外と尽くす女」 イヴは無表情。 皮肉なのか、冷静な分析なのかわかり難い。 「強奪のために、襲撃計画を立ててたらしい。そこを『楽団』がチャチャいれて、こっちが警戒強めたもんだから、いろいろ計算狂って、それはそれは怒ってる」 紫杏本人がどう思っているかは知らないが、世界は彼女のために回っているわけではない。 「予知できたから、奇襲の効果は今回殆ど無かったのは幸いだけど――」 確かに、キマイラ来たから公園行けと出先でAFに連絡が入るのは、精神的にきついし、作戦の精度も落ちる。 「――少なくともうちも『楽団』一派の攻勢に苦労させられているから、好都合という話でも無い」 リベリスタは不死身ではない。 そして、体は痛み、心は疲弊する。 「だが当然、彼女等の好きにさせる訳にはいかない。大規模な部隊を編成して『本気で攻め落とす』心算の紫杏派に少数で対抗するのは困難。こちらも大きな動きを余儀なくされる」 何百人も入り乱れての大乱戦を覚悟しろということだ。 「六道相手だけではない」 イヴの無表情は変わらない。 「第一バイオリンのバレット、歌姫シアー以下『楽団員』の動きを見れば、その目的が恐怖を撒き戦力を増強する『序曲』に当たるのは、明白」 人の口に登る噂。 連絡の取れなくなった地方自治体。 帰ってこない家族。 掘り返された墓地。 夜闇に隠れて蠢く死体の列。 世界は彼らの「演奏」で、確実に一角が崩された。 「今回の場合、期せずしてそういう形になった先のモーゼスの下見も効く。ケイオス一派がこの自分達に利する――つまり六道、アーク問わず『強力な死者が生まれ得る状況』を見逃す事はないだろうね」 漁夫の利を狙ってくる。と、イヴは無表情。 彼らが何を得ようとしているのか。 六道のつくったキマイラの死体? 六道のフィクサードの死体? アークの育て上げたリベリスタの死体? どちらを奪われても最悪だ。 「必然的に三ツ池公園には三つの勢力が集う事になる。どう転んでも良い事は起こらないのは火を見るよりも明らか」 三者まとめて、クリスマスパーティ。 そんな奇跡は、神の御子でも起こせそうにない。 「とにかく、死体にならないように。怪我してても、どんなボロ雑巾みたいになってもかまわない。生きて帰って。絶対に自分の死体を楽団にお持ち帰りされないこと」 イヴは無表情だ。 「私たちに、あなたたちを何度も殺す映像を見せないで」 クリスマスプレゼントはそれだけでいい。 ● 「場所は、北側売店前道路」 モニターに映し出される池の渕。 晴れた日に散歩しtら気持ちのいいところだったのだろう。 「六道のフィクサードが四人。アーティファクトを携えている」 イヴは無表情だ。 「さらにもう一人。倫敦からの援軍。『倫敦の蜘蛛の巣』からのお手伝い」 モニターに浮かぶ、休暇中のサンタクロース。 ひどく優しげな小太りのおじさん。 ポケットにはお菓子がいっぱい入っていそうだ。 「フィクサード。識別名「ウィリアムおじさん」 みんなにとても好かれやすい。優しくて、明るくて、一緒にいるととても楽しくしてくれて、おじさんのためにならなんでもしてあげたくなっちゃう。おじさんの言う通りに、犯罪の片棒から主犯まで勤め上げ、薄ら笑いを浮かべながら自分の頭を銃で吹き飛ばすくらい朝飯前になっちゃうね」 イヴは無表情だ。 「そんなおじさんは、最終的には滂沱の涙を流しながら、見送ってくれる」 ああ、なんて優しいウィリアムおじさん。 「六道のフィクサードが持ってるのは、アーティファクト「油吐く蛙」が四個」 イヴは無表情だ。 「人の生命力を絞り上げて、口から「油」を吐き出す。触れると、生命力やら気力が吸い取られる」 手書きの模式図。油沼は、蛙を持った者の近接範囲に広がる。 移動に伴い、油も動く。 「それから、このカエル、舌があるから。飛んでいったら舌で狙い撃ちにされる。最低、流血は覚悟して。もちろん、口から油玉も飛ばす」 「連中の目的は、ある程度のリベリスタのこの地点への足止め。このフィクサード達 はプロアデプト。時間たっぷり稼ぐ気でいる。いや、させられているって言ったほうがいいかも」 ウィリアムおじさんと一緒だ、楽しいなぁ。 「それから、イレギュラー」 イヴは無表情だが、すごく機嫌が悪そうだ。 「ハイエナかハゲタカみたいなのが近くにいる」 争いごとには興味がない。 結果、出た死体に興味がある。 モニターに浮かび上がる、孔雀色の瞳の女学生。 「『一人上手』」 イヴは無表情だ。 「楽団員」 ● 「茶番ね、バルベッテ」 「実に稚拙な指揮だわ、ベルベッタ」 少し離れた木の上に行儀よくひざをそろえて腰掛ける孔雀石の瞳の女学生――「楽団」のコルネット奏者「一人上手」バルベッテ・ベルベッタ。 「おやおや、お嬢さん方をがっかりさせたようですな、申し訳ない」 休暇中のサンタクロース――ウィリアムおじさんは、女学生を見上げる。 「気にしなくていいわ。ねえ、バルベッテ」 「ケイオス様よりうまい指揮なんて、この世にないわ。ねえ、ベルベッタ」 「「だから、倫敦のおじさんは、せいぜい自分の仕事を頑張ればいいと思うの」 「お嬢さん方は、さしずめコンサートマスターのお使いですかな?」 「火事場泥棒なんて気が引けるわ」 「お行儀悪いわよね」 「でも、叱られてしまったし」 「ホッペが赤くなってしまったわ」 芝居がかった様子で、頬に手を触れる。 「やれやれ。お互い大変ですな。お嬢さん方のお土産には事欠かないと思いますがね。どんな種類であれ」 「本当はおじさんも連れて帰りたいのだけれど、独奏してもいいってお許しは頂いていないし」 「それは我慢するから、こっちもちょっとくらいは動くわよ。今日はどうしても持って帰らないと。どうせ、そのお兄さん達、おじさんは、はじめっから連れて帰る気ないんでしょう?」 「いやはや、手厳しいですな」 休暇中のサンタクロースは、いやはやと声を上げる。 「「六道のフィクサードでも、アークのリベリスタでも、私たちが使いこなしてあげるわ」」 「そうですか。では、ほどほど頑張ることにしましょう。いや、楽しい、楽しいですな」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月27日(木)23:45 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 『蒼輝翠月』石 瑛(BNE002528)は、扇子で口元を隠す。 「キマイラがあふれて、周りには死体を狙うハゲタカが目を光らせるなんて」 既に幾人との仲間と別れ、互いの武運を祈りつつ、それぞれの戦場へ。 「このまま日本がキマイラと動く死体であふれるようになって、ヒーローショーを見てくれる子供たちがいなくなったら、わたしたち商売あがったりですからね」 アクションスターへの階段を上る瑛にとって、この情景は望んだ世界の裏側なのか。これが現実なのは、皮肉なのかもしれない。 剣戟、銃声、爆発音。 瘴気と、かすかに聞こえる楽器の音。 流れてくる甘く胸を悪くする匂いは、鉄と命の気配がする。 足元に染み出してくる、薄黄色い流動体。 「やあやあ、アークの皆さんはじめまして。しばらくこのあたりにいていただけますかな。いえ、ほんのしばし。そうですな、六道のお嬢さんが恋人と丘の上で涙の再会を迎えるまで……で、いかがですかな!」 ソフトの中折れ帽にツイードの揃いを粋に着こなした小太りのおじさんの――あれが、ウィリアムおじさんだろう――ピカピカに磨かれた革靴のすぐ近くまで、油――脂が染み出している。 頬をこけさせた青年四人。 手中の石の蛙から、音を立てて青年の命を絞り上げた液体が沼を作るほど、辺りを汚しているのだ。 リベリスタを迎えるのは、笑顔だ。 怒り、悲しみ、喜悦、悦楽で、笑わずにいられない。 それを、穏やかに見守るおじさん。 そして、視界にかろうじて入る、木の枝にちょこんと腰掛ける孔雀石の瞳の女学生。 『STYLE ZERO』伊吹 マコト(BNE003900)と『囀ることり』喜多川・旭(BNE004015)は、つい先日その「演奏」の一節を聞く羽目に陥った。 危うく、永遠に仲間を一人失うところだった。 アークのリベリスタ八人に、練度不足とはいえ一人前のフィクサードが八人。 女学生の死体二体をミンチにするのが精一杯だった。 それ以上を望んだら、誰かがバルベッテ・ベルベッタという楽団員の手駒に名を連ねることになっていた。 目玉を裏返し、舌を垂らし、ねじ曲がった足で全力疾走する死体女学生が脳裏をよぎる。 「わたしたちは死なない。死ねないの。操り人形になって、大事なひとたちを傷つけるなんて絶対嫌」 旭は、楽団員を見据える。 「ええ、絶対死なないし、思い通りにはさせない。楽団員は手ぶらで返す」 『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)の表情は険しい。 心の底から楽しげな笑顔を浮かべる研究員達から感じる違和感と、ウィリアムおじさんの朗らかさの下に潜む得体の知れなさが感じられて、いつもののほほんとした様子ではいられない。 「ヤレヤレ、イヴの姉さんにプレゼントはそれだけでイイって言われたんなら、是が非でも用意しないといけないっすね」 『LowGear』フラウ・リード(BNE003909) は、手の中のナイフを弄ぶ。 「死んだら玩具にされるか。ゾッとしないな。ま、やってみるか」 『ダブルエッジマスター』神城・涼(BNE001343)は軽口を叩くが、目の前の戦闘の火蓋が切って落とされるのを待っている様子がありありと浮かんでいる。 「どれほど困難であろうと、死者の眠りを妨げる不埒な輩を懲らしめるのが――」 『やわらかクロスイージス』内薙・智夫(BNE001581)は、穏やかに言葉を発する。 「ミラクルナイチンゲールの務めです 」 今、彼は自らをミラクルナイチンゲールと定義する。 別人格でもなく、憑依でもなく、ミラクルナイチンゲール、かくあれかしと、自らを律して前に踏み出す。 搾取者の論理を許す訳にはいかない。 智夫は自らが下した裁定に忠実だ。 自分たちの体から染み出した脂の沼を、研究員たちが一歩踏み出す。 「皆さん。しばし楽しく過ごしましょう。いや、面白い。面白いですな」 ● 智夫の加護により、リベリスタの背中に翼が生える。 宙を駆けるリベリスタ。 マコトの投げ込む閃光弾が、油の沼の上で炸裂する。 「私の言うとおりになされば、大勝利をお約束いたしますよ!」 ウィリアムおじさんが、サン、ハイ! と、ユーモラスな体操をした途端、研究員の動きが急速に変わる。 「いやはや、みなさん、筋がよろしい」 旭の鉄甲から吹き出す炎が油に引火し、火柱を立てる。 「キマイラに奇妙な男、死体好き。どれをとっても気味の悪い」 『薄明』東雲 未明(BNE000340)は、油で滑る地面を蹴りながら呟く。 デュランダルの膂力はそのまま、軽やかに宙を舞う加重が無骨な刃に宿って研究員の鎖骨から肋骨を割り砕く。 油の沼が研究員の動きに合わせて、波打ち、うねり、跳ね上がる。 後衛への侵攻を防ぐべく立ちふさがる都合上、リベリスタは宙高く舞い上がることはできない。 結果、容赦なく、リベリスタの体力と魔力を奪っていく。 涼の早撃ちが研究員を穿つ。 すれ違うように飛ばされる気糸。 研究員が飛ばす気糸とアーリィの飛ばす糸が交錯してつかの間、戦場に綾を織る。 研究員の生命を使い潰して、石のカエルはリベリスタを攻め立てる。 ウィリアムおじさんの支援と研究員たちの拙い攻撃と合わせて、十人のリベリスタと動きは五分。 しかし天秤は傾く。 ● リベリスタは、研究員を殺したくなかった。 利用されて戦わされているように思えたし、殺せば死体を奪いに楽団員が来るから。 殺さないように戦うのは、難しいこと。 それでも、戦闘経験のない研究員だけなら出来たかもしれない。 しかし、「倫敦の蜘蛛の糸」と「楽団」が複雑に思惑を絡めあわせていた。 人の命は、塵芥。 そんな輩と刃を交える時の覚悟は、どこまでも堅牢でなくてはならない。 敵を殺さないとは、自分と仲間の命を危険にさらすこと。 殺さなければ、殺される。 死なせたくないから、止めを不殺の技を持っている仲間に任せる。 しかし、その技を持っているのは智夫だけで。 タイミング如何で、研究員の命は繋がれる。 「もうひと頑張りですぞ」 ウィリアムおじさんが詠唱すると、柔らかな風が吹いた。 ありがとう、ウィリアムおじさん。これで、まだまだ戦える。 「癒しの技というのは難しいものですな。私など初歩でも舌がもつれそうです」 ウィリアムおじさんの愛嬌のある目が二二ギアに向けられる。 「なんて優秀なご婦人でしょう。少しおとなしくしていてくれますかな?」 朗らかな言葉に滲んでいるのは、明確な殺意だ。 「陽気なおじさん、ねえ」 二二ギアを突き飛ばすようにして、その殺意の視線を『トゥモローネバーダイ』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523) が代わりに受けた。 「得てしてそういう人が信用できなかったり危なかったり、なんてことはままある話ではあるけど……」 (倫敦の蜘蛛の糸の人って事はまあ、そういう人なのでしょうね) 盾を使う指先が鈍る。足の感覚が曖昧に。人より先んじて動くのはもはや無理そうだ。足が鉛のよう。 「癒すわ」 二二ギアの複雑な請願詠唱に、神々も重い腰を上げる。 癒し合いだ。 リベリスタが殺さないよう手心を加える分、研究員の数は減らない。 リベリスタの負傷は後方二人だけでは癒しきれず、結果、智夫も癒しの御技を使わざるを得なくなる。 研究者は、ウィリアムおじさんの手厚い支援と、リベリスタの優しさによって、思いの他健闘したのだ。 ● それでも、終りは近づいていた。 石の蛙は、容赦なく研究員の命を吸い取り続けていたので。 リベリスタ達が研究者から分離しようとしたアーティファクトは、入れられたダメージを研究者の血肉で補っていた。 ガマの油は傷によく効くものだ。 「これが終わったら、みんなでご飯に行きましょうね……」 笑み崩れる。 気糸がリベリスタに襲いかかる。 腹にしがみついた蛙が、青年の命を吸い上げて吐き出し続けている。 「ええ、ええ、もちろんですとも」 フラウの音速の刃を浴びながら、タフなウィリアムおじさんの身軽さは変わらない。 巧みに直撃をずらしているのだ。 「嬉しいな……」 うつろな声。 戦闘計算に大部分を消費しているので、受け答えがあどけない。 思考が麻痺しているとしか思えない。 無理だ。 体中の水分が既に蛙によって体外に排出されている。 骸骨が皮をまとっているようにしか見えない。 痩せて隙間が出来た眼窩から突き出た眼球がこぼれて落ちそうだ。 マコトは、研究員のとりわけヤバそうな「怒」の様子を解析する。 「非戦闘員だったとは言え、革醒者には違いないっすからね。殺すと厄介っすよ」 具体的な敵の「死ぬであろうダメージ」と「動けなくなるであろうダメージ」を分析し、仲間に伝達し、仲間もそれに応える。 与えられる綿密に計算されたダメージ幅。 ばしゃり。 自らの脂の沼に崩れ落ちる研究員「怒」 「おじさんと、飯食いに行くんだよ……接待だっつって、全部経費で落としてやんだよ、こんちくしょう! こんな所で死ねるかよ!」 恩寵を削って起き上がってくる。 もう、起きてきてくれるなと、智夫の神威の光が、「怒」を捉える。 再び倒れる「怒」 まずは一人。 瑛がそれをおじさんの攻撃の当たらないところに引きずっていこうと前に出る。 体から抜ける力。油まみれになりながら、魔力も抜け落ちていく。 飛んでいるからといって、全く油の沼の影響を受けないという訳ではない。 死体漁りのバルベッテ・ベルベッタは動かない。 (死ぬな、死ぬなよっ!) 瑛は、おじさんが研究員を殺さぬよう、楽団員にさらわれぬよう警戒する。 「いやはや、せっかくのクリスマスに死体漁りとデートなんて。いや楽しい、楽しいですなー」 本音をのぞかせるかもしれないと。、おじさんに向けて挑発の一言。 その瑛に、おじさんはニッコリと慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。 「――いけませんね」 ウィリアムおじさんがそう呟くのを、フラウは見逃しはしなかった。 「そろそろ帰ってくれないっすかね。うちはこれ以上やって例のお嬢さんが大喜びとかイヤっすよ、ホントに」 おじさんとのダンスは気が重いと付け加える。 「それも困った話ですな。さあ、みなさん、こんなところで命を落としてはいけません。逃げますよ!」 ウィリアムおじさんが踵を返そうとする。 「おじさん、先に行ってください」 「俺たちは、おじさんが無事に逃げてから行きますから」 「みんなでご飯食べましょう」 蛙の口から溢れるモノは既に赤いドロドロに変わっている。 命を燃やす火炎弾の弾幕。 ふらりとフラウの鼻先に、皮をまとった骸骨。 捧げ持つ蛙の口から、特大の油玉。 油地獄の炎の壁の向こう。 なんて見事な茶番劇。 「ありがとう! ありがとう、皆さん! このご恩、ウィリアムは生涯忘れません!」 ウィリアムおじさんは、人の善意を無下にしない。 それはとても尊いもので、それを感じるのが大好きなウィリアムおじさんは、滂沱の涙を流しながら、公園の何処かに軽やかに去っていった。 「ウィリアムおじさんが逃げられて良かった」 「俺たちのせいで、おじさんが死んだら大変だった」 「おじさんとご飯が食べたかったな」 役立たずは使い潰される。 その恐ろしい時間をつかの間楽しい夢に置き換えてくれたのだから。 おじさんは、死なねば格好がつかない者にとっては優しい存在だったのだ。 さあ、死ぬまで戦おう。 生きていたって、帰る場所などもうないのだ。 どうなったら、人が死ぬかなんてわかっている。 六道の研究者なのだから。 恩寵も全部使ってしまおう。 ここで死ぬんだから。 革醒者の動きを止めるのは、容易なことではない。 その体力を極限まで削り、恩寵で立ち上がってくるのをさらに攻撃し、再び立ち上がってこれない状況にならない限り、油断はできない。 ここが死出への花道と思い定めた人間の意志の力のなんとしぶといことよ。 「ここらで、倒れろ!」 涼の透明な短刀が、背後から研究員の喉を切り裂く。 激しくしぶく血が滝のようだから名付けられた技なのに、水分を絞り切られた研究員の傷口からは、粘液が申し訳程度に垂れるだけだ。 「寝てろよ!」 涼の代わりに、漆黒の拳銃が咆哮を上げる。 ウィリアムおじさんの変な体操の成果がなくなる頃、リベリスタはようやく三人の皮をまとった骸骨を昏倒せしめたのだ。 ● 「連れて帰るね」 旭は、ぐったりとして動かない研究員を背負おうとした。 びっくりするほど軽い。 フラウも仕方ないと手をかける。 コルネット奏者『一人上手』バルベッテ・ベルベッタは、間違いなく芸術家だ。 『一人上手』の二つ名は、特徴的なおしゃべりから来ているばかりではない。 出先で死体を調達するのが得意で、「合奏」しなくても、それなりの戦果を収めてくるからだ。 木から飛び降り、歩み寄る。 刹那の旋律だった。 魂を洗い流すような鮮烈で美しい天使のラッパ。 先に気づいたのはフラウだった。 背負おうとしていた研究員を放り投げる。 弧を描く、耳から滴り落ちる鮮血。 細断コロラトゥーラ。 音の礫が乱反射して、研究員の脳を破壊し尽くした。 間断おかずに、瑛が符の鴉を放つ。 ぎりぎり一人は智夫がかばい、まだ息がある。 だが、既に恩寵を浴し、ぎりぎりで立っていた智夫が動かなくなった。 旭が放った風の蹴りをまともに喰らいながらも、コルネットの旋律にいささかの陰りも起こりはしない。 「……ここは帰ってくれるってのなら、その六道、1体位あげても良いけど?」 仲間の命が最優先だ。 既に一人落ちている。 マコトは、取引を持ちかけた。 「どんな基準で四体のうちから私たちに一体をくれるというのかしら?」 「きっと、一番弱っちいやつと思っているのよ。それか、一番壊れているの」 「なんてひどいのかしら」 乗り気でないのは容易に見て取れる。 「……あぁ、そうそう。欲張るとまたバレット様……だっけ、の機嫌を損ねる結果になるかもね」 マコトは虚勢を張る。 「欲張りはどちらか考えるといいわ。あなた達に選択権はないの」 「「だって、もう四体ともバルベッテとベルベッタのものだわ」」 四体? 三体じゃないのか? まだ、智夫に息はあるだろう? あるだろう!? 死体を操るために必要な音は辺りに満ちている。 面倒な儀式など必要ない。 一節。それだけでいい。 一音で殺し、一音で支配する。 「二人共、早くその人たちから、死体から離れて――っ!」 二二ギアが、聖なる矢を研究員に向けて放つ。 アーリィの指から気糸が放たれる。 癒しの御技に通じる者が、生死の境を見極めるのが上手くなるのは必然かもしれない。 昏倒していたはずの研究員が人間離れした動きで、それらを避ける。 被害は、驚くほど軽微。 守った研究員の死体が、智夫に迫る。 その手を涼の銃弾が打ち砕き、未明とレナーテが智夫を担いで下がる。 「アークの人達が優しくて助かっちゃった。ねえ、バルベッテ?」 「中身はともかく手足は揃っているものね。ねえ、ベルベッタ?」 今までおとなしくしていたのは、あせったリベリスタが死体損壊をしないように。 戦闘不能の未熟なフィクサード。 ギリギリでつないだ命など、芸術的一小節であっという間に消し飛ぶ。 絶望するリベリスタの顔を見るため、待っていたのだ。 「あなたたちは、このまま帰ってもいいわ」 「抗ってくれてもいいのよ? その方が、連れて帰れる数も増えそうだわ」 にこやかに笑う女学生。 私、バルベッテ・ベルベッタ。お友達になってね。 「見ていて、使い勝手が良さそうだし」 「あなた達の死体を使えば、アークの人達はきっと嘆いてくれそうだし」 端的な予感。 首の後ろが泡立つような死の気配。 「譲れるものなんてひとつもない。大人しく帰って、そう伝えて!」 旭の足が空を斬る。 割れた空気が刃と変わり、バルベッテ・ベルベッタの体を断ち割る。 自分の血で顔をまだらに染められても、女学生は笑う。 「うちのコンサートマスターは、あれでなかなか厳しい方でらっしゃるの」 「今度は真っ赤なほっぺじゃすまないわ」 「「バルベッテもベルベッタも、楽団に忠誠なのよ」」 さっきまで助けようとしていたモノが、旭とフラウと智夫を狙ってえぐる。 助けようとしていた者から攻撃するのは、楽団員の嗜虐心。 ぞぶりと潜る手指。 下腕の柔らかい部分から手首にかけて、骨が見えるほどにかきむしられる腕。 反射でほとばしる絶叫。 それは、戦で傷ついた旭にとって、恩寵にすがらなくては戻ってこられない痛手。 「死体でなければ、安全だと思ったの?」 「「死体使いがそばにいるのに!?」」 「死体使いだから、生者を手にかけないとでも?」 「「子供の使いではないのよ?」」 乱舞する死体。 さっきまでの愚鈍な「生者」の動きとは似ても似つかない。 なんて洗練された「死体」の動き。 「「かわいい。やっぱり、あなた達も連れて帰りたいわ」」 仲良くしてくれると嬉しいのだけれど。 細断コロラトゥーラ。 ずたずたに引き裂かれる空気。 引き裂かれるリベリスタの血と肉。 三ツ池公園北門。 リベリスタ達は、目も当てられない状況で戻ってきた。 ああ、もう、目に付いた仲間を引きずって逃げるのが精一杯で。 「俺は俺だけのもんだ。玩具にされるのはゴメンだね」 その一念だけで、帰ってきたと。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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