● 木々を薙ぎ倒して進む巨人が咆哮を上げる。 E・キマイラ、ヘカトンケイル。 この巨人を阿鼻が目にするのは2度目となるが、以前と比較すれば其の完成度の上昇が著しい事は一目で知れた。 頭や腕の数こそ足りねど、伝説の巨人の名を冠するに相応しい威容。 巨人の頭の一つには阿鼻の見知ったモノ、ノーフェイスと化してしまった女性の顔が混じっている。 父はこの巨人の生みの親である研究員を、既に人間を止めてしまっていた依頼主である『エンスージアスト』長谷村零司郎を、才は凡なれど執着と執念の化物と評していた。 成る程、この巨人はただの天才には作れないだろう。 時間を、倫理を、人としての生活を、ありとあらゆる物を犠牲にして、己が道を歩き続けた末に身に付けた技術によって、この巨人は生み出されたのだ。 零司郎は紛う事無く六道だ。気持ち悪い程に六道だ。 「まあ嫌いじゃありません」 何故父が、皮肉を吐きながらも零司郎からの依頼を受け続けるのか、少しだけわかる気がする。 まあ勿論一番の理由は金払いの良さが故にだろうけども。 「地獄の沙汰も金次第……、ですからね」 阿鼻の横に並ぶは火車地獄。更には雨山聚処と鉄野干食処が後に続く。 ヘカトンケイルの欠点が改良された以上、前回と同じメンバーを集める事に意味は無いが、それでも阿鼻はこのメンバーに拘った。 ワンダラーのカスミソウ、ヘカトンケイルに取り込まれたノーフェイスの女性。こうなる前に彼女が託した最後の願いを踏み躙らんが為に。 ヘカトンケイルの背を、其の中に交じり合った彼女を見詰め、阿鼻は呟く。 「貴女の事も嫌いじゃない。最期に見せた強さには敬意すら。でも、貴女の願いは叶いません。……この苦界は、決してそんなに優しくない」 だからこそ、自分達は地獄と化したのだから。 ● 「わーい先生、聞いて聞いて。僕一度に動かせる死体の数、またちょっと増えたよ」 「おぅ、おぅ、坊は偉いのぅ。自分の能力……、といっても坊の場合は腕力じゃが、まあ其れに溺れずに死霊術師としての修練を重ねる坊は偉いぞ」 じゃれ付くエンツォの頭を、先生と呼ばれた老人が撫でる。 楽器と言うよりは設備や建造物と呼ぶべきパイプオルガンを軽々と振り回すエンツォに加減なしにじゃれつかれながらも、其の枯れ木の様な老人がびくともしないのは、矢張り其の老人も常人では無い証左だ。 「それに引き換え坊の兄等は、……まあもう少し基礎を大事にして欲しいもんじゃて」 「あ、兄さん達はなんか、一回引き上げたのに直ぐ戻るとか恥ずかしいから今回はパスだって。だから先生呼んだんだ」 まあ其れはそうだろう。蝙蝠とて些かのプライドは在る。 とは言えエンツォも一人では寂しいし、何よりアークのリベリスタが思ったより出来る事も身を持って体験した。 「坊は自由じゃなぁ。まあ、よかろうて。ワシも少し面白い死体を手に入れて、一度実地で試したかったからの」 ローブを翻した肩口や背中には、自前の腕とは別に、か細い女性の腕と逞しい男性の腕が縫い付けられている。 弦楽三重奏、自分の身体に縫いつけた腕を動かし、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラを特異な構えでたった一人で演奏しだす老人。 楽団でも比較的古株の、そしてエンツォ、エリオ、エルモの三兄弟の師でもある其の老人は、精密操作の達人として知られていた。 「じゃあ先生が精密操作するなら、僕は数動かす役ね。よーし、いーっくぞー」 エンツォが巨大なパイプオルガンを持ち上げ、死者達と共に行進を開始する。 ● 「諸君、奴等が来るぞ。……戦争だ」 唇に笑みを、心底嬉しそうな笑みを浮かべ、『老兵』陽立・逆貫(nBNE000208)はリベリスタ達を出迎えた。 既にアーク内は其の報、今から逆貫がリベリスタ達に説明しようとする六道の三ツ池公園襲撃の報せが駆け回っている。 「敵は六道の生物兵器であるキマイラと、フィクサード達だ。奴等の目的は公園中央、『閉じない穴』だと推察される」 つい先日、彼の公園にはケイオス一派『楽団』の木管パートリーダー『モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン』の襲撃があり、警戒を強めたばかりである。 敢えてこのタイミングで『六道の兇姫』こと六道紫杏が公園を狙う理由は不明だ。 先を越される事を焦ったか、或いはアシュレイからの情報に寄れば、バロックナイツのモリアーティ教授の組織が援軍を派遣しているとの事が所以の自信の表れか。 「諸君等には北東の森を木々を薙ぎ倒しながら進軍してくる、E・キマイラ『ヘカトンケイル』と六道の地獄一派からなる部隊を食い止めて貰いたい」 去年の聖夜に厳かな歪夜、バロックナイツが第七階位、『The Living Mistery』ジャック・ザ・リッパーとの戦いでアークはこの公園で攻め手に回ったが、今回は防衛戦である。 キマイラ、六道が最下層地獄一派、どちらも決して侮れぬ相手だ。恐らくは死闘になるだろう。 「そしてもう一つ、恐らくはこの戦いで出るであろう死体を目的としてだとは思うが、楽団も動き始めた。……無論、例え誰が相手であろうと公園の『閉じない穴』を渡すわけには決して行かん」 ばさりと、放り投げられるは何時もより多い敵の資料。 「厳しい戦いになるだろう。不確定要素も多い。だが負ける訳にはいかん。……頼むぞ。諸君等の健闘を祈る」 資料 六道グループ E・キマイラ:ヘカトンケイル 一人のフィクサードを核に、E・アンデッドと化した遠山・一気、蛟・弥生、経堂・雹間の三人と、超・脅威、そしてノーフェイスと化した霞・栞の5人のリベリスタを合成した巨人。 現在は頭部6個、腕12本。 戦闘不能となった者を取り込み力を増す。全ての能力が高く、特に耐久が非常に優れている。キマイラの特徴である自己再生も高いレベルで保持。 一度に3個までの頭部が活性化(ターンの頭にランダム決定)し、活性化した頭部に応じた3回の行動を取る。 また行動不能系や能力低下系のバッドステータスは、活性化中の一つの頭に押し付ける事で他の頭部は影響を受けず行動を行う。 A:名称不明のフィクサードの頭部 この頭部が活性化された場合、この頭部の活性化中はステータスが上昇。 行動は通常攻撃を行う。 B:遠山・一気の頭部 この頭部が活性化された場合、次ターンの手番まで続く防御力上昇+強化型[反]能力自付か、バッドステータスの除去、もしくは通常攻撃を行う。 C:蛟・弥生の頭部 この頭部が活性化された場合、遠距離まで届く破壊のオーラで単体を攻撃する。致命必殺付き。 D:経堂・雹間の頭部 この頭部が活性化された場合、遠距離範囲に気糸のトラップを展開して麻痺、猛毒、ダメージ0付きの攻撃を行うか、近接範囲に拳でのブレイク、弱点付きの攻撃を行う。 E:超・脅威の頭部 この頭部が活性化された場合、近接単体に『豪爆腕』、攻撃した自らの腕が爆砕するほどの威力を秘めた、超威力の攻撃を行う。 この攻撃を行うと、超・脅威の腕が爆散し、再生には3ターンを必要とする。再生中に超・脅威の頭部が活性化された場合、行動は行わない。 F:霞・栞の頭部 この頭部が活性化された場合、この頭部の活性化中は回避と、Aを除いた頭部が発動させる攻撃の命中に、大幅な上昇がかかる。 行動は単体or味方全体への強力な回復能力。 フィクサード1:阿鼻 今回出てくる六道派フィクサードのリーダー。10代後半の男性。死と死後に関することを探求する事でそれらを操り、自分を死から遠ざける事を目的とする地獄一派の、一人。八大地獄の其の八。 ジョブは不明。魔術知識を所持。 所持するEXスキルは『阿鼻地獄』。所持する特徴的なアーティファクトは今回所持なし。 『阿鼻地獄』 八大地獄の最下層、あらゆる苦痛に勝ると言われる阿鼻地獄で受ける苦痛の一欠けらを対象の身体で再現するサディスティックな技。 その効果は8つの地獄になぞらえて8個のバッドステータスに、更に呪殺を重ねて精神も削る。 神遠単、虚弱、圧倒、鈍化、猛毒、流血、業炎、氷結、雷陣のBS効果付き+呪殺+Mアタック。 フィクサード2:火車地獄 今回出てくる六道派フィクサードのサブリーダー。20代前半の男性。 阿鼻地獄(無間地獄)に属する16小地獄の中で、異説の17番目、例外を獲得した実力者。 ジョブは覇界闘士。 所持するEXスキルは『火車地獄』。所持する特徴的なアーティファクトは今回所持なし。 『火車地獄』 巨大な炎の車輪を放ち全てを焼き尽くす武技。 物遠範、火炎、業炎、極炎。 フィクサード3:雨山聚処 阿鼻地獄(無間地獄)に属する16小地獄の中の一人、若い女性。ジョブはホーリーメイガス。 フィクサード4:鉄野干食処 阿鼻地獄(無間地獄)に属する16小地獄の中の一人、中年男性。ジョブはクロスイージス。 楽団グループ フィクサード1:『オルガニスト』エンツォ 天使の様に可愛らしい容姿をした、フライエンジェの少年。 ケイオス率いる楽団メンバーの一人。 日本は割と好き。特にゲームとかアニメーションとか漫画とかが好き。 死者を操り、不可思議な力を使う死霊術師。所持武器は持ち手のついたパイプオルガン『嘆きの聖者』。 フィクサード2:『弦楽三重奏』ロマーニ 自らの体に死者の腕を縫いつけ、右側面でヴァイオリンを、正面でチェロを、左側面でヴィオラを、たった一人で同時に弾く老人。 ケイオス率いる楽団メンバーの、比較的古参の一人。 死体の精密操作を特に得手としており、彼に操作された死体は生前よりも高性能を発揮すると言われる。 性格は割と陽気。 精密操作を受ける死体1:『天秤座』可槻・総 ジョブはプロアデプト。生前は神父にして孤児院の経営者だった。 元は三尋木に属するフィクサード。外見は20代後半。常に優しい笑顔を絶やさない。 戦闘指揮を2lvで所持。 所持アーティファクト:天秤座の聖杯 ターンの最後に、其のターン他陣営が自陣営に与えたダメージと同量のダメージを他陣営の誰かに与え、其のターン自陣営が他陣営に与えたダメージと同量のダメージを自陣営の誰かが受ける。 (3陣営入り乱れての場合でも、自陣営が他陣営に与えたダメージの総量が自陣営の誰かに降りかかると言う効果が其々の陣営に対して発動する) 精密操作を受ける死体2:『メイデン』 ジョブはホーリーメイガス。生前は修道女。 元は三尋木に属するフィクサード。外見は20代前半。常に優しい笑顔を絶やさないが、本当は子供が大嫌い。 精密操作を受ける死体3:『墓掘り』 ジョブはマグメイガス。生前は修道女。 元は三尋木に属するフィクサード。外見は10代後半。言動はぶっきらぼうだが子供に対しては細やかに気遣い接していた。 その他、精密操作を受けない一般人の死体、約30体。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:らると | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年12月30日(日)23:46 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 闇夜を咆哮が揺るがせる。 次いで続くは、ベキベキと木が薙ぎ倒される音。 山野に入り込んだ人間が、背の高い草を掻き分けて進む藪漕ぎの様に、巨体のキマイラ、ヘカトンケイルは木々を圧し折り道を開く。 其の切り開く道の先には、森の中で待ち受けるリベリスタ達の姿があった。 迫り来るは圧倒的な化物と、六道が最下層地獄一派の精鋭達。 其れは例えるならば動く地獄其の物だ。 ……しかし、 「――こうして実際に見てみると、意外と冷静に見れるものですね」 待ち受けるリベリスタの一人、『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)は呟く。 怯む事も、猛る事もなく、見据える其の瞳に、想いの光を湛えながら。 「ワンダラー、あなた達の理想を飲み込んだ魔物」 嘗て其の命を、理想を、救ってあげられなかった、手から零れ落ちてしまった人達。 今も地獄に囚われる彼らをこのまま放って置く訳にはいかない。 「あの醜悪な器を破壊して、……あなた達の魂を、解き放ちます」 其の言葉を皮切りに、一斉に戦意を解放して散開するリベリスタ達。 叩き付けられた闘気に反応し、手近な木を引き抜いたヘカトンケイルが槍投げの要領で其れを迫り来るリベリスタの一人、『マグミラージュ』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)に向けて放つ。 木は地に当たって砕け散り、辺りに木片が撒き散らされた。 けれどその場にソラの姿は無い。地を蹴り宙を舞い、木を蹴り更に飛ぶ彼女。 勢いのままに巨人の脇を抜けたソラは、其の瞬間、確かにヘカトンケイルの頭部の一つ、霞・栞と視線が絡む。 攻撃を外した悔しさに再び咆哮を上げるヘカトンケイル。 だがその咆哮は、ソラに栞との約束を思い起こさせた。 『次は、次こそは、私を、私達を、ワンダラーの残骸を、……殺して、下さい』 以前、不完全だったヘカトンケイルからアークのリベリスタが撤退する時を稼ぐ為に犠牲を覚悟した栞との最後の約束を。 助けてあげられなかった。あんなにも助けたかったのに。 それどころか助けられた。彼女は其の身を犠牲にして。 「格好悪いったらありゃしないわよ」 ソラが栞を見詰めたのは一瞬だ。視線を引き剥がすように、ソラは前を向きなおす。 ヘカトンケイルより先に叩くべき敵を見据える為に。 「あと少しだけ待ってなさい」 彼女と同じリベリスタとして、彼女を諭した教師として、このままじゃ終われない。 ● 駆け抜けたソラに、伸ばされかけたヘカトンケイルの腕が弾かれ、巨体が流れる。 巨体を吹き飛ばす事は出来なくとも、其の腕を弾く位はしてみせると全身の力を切っ先に集中して振るったは、『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)。 「お前を殺すのは俺の仕事、俺の役目だ」 サイズの、そしてサイズの差が生み出す肉体が秘める戦闘力の差も歴然だ。 だが竜一は巨人の相手を己が役割と定めた。 「見苦しいツラ、晒しやがって。安心しろよ、すぐに楽にしてやる」 必要以上に攻撃的な其の言葉は、……けれど竜一もわかってる。その実ただの八つ当たりである事を。 本当に見苦しく無様なのは、巨人にされたアイツ等じゃない。 眼前でアイツ等を敵に奪われ、ただ地に転がるしかなかった自分なのだ。 あの時、プロトタイプのキマイラであったスキュラを唯一人で抑える事は作戦段階から無謀だった。 抑え切れなかった竜一に咎は無い。例え其の後にスキュラが大暴れしたせいで、アイツ等の奪取を敵に許してしまったのだとしても……。 でもそれでも、竜一は己の弱さが許せなかった。 竜一に向き直ったヘカトンケイルが吼える。振り被られるは幾本もの腕。 竜一もあの時から大きく成長しているが、敵対するキマイラもあの時とは比べ物にならぬ程完成度を上げている。 ゾクリと背を走る怖気に、竜一の唇に笑みが浮かぶ。 その瞬間、割り込んで振るわれたコンバットナイフが鮮烈な光を放ち、キマイラの腕の一本を切り裂いた。 「初撃命中。これより任務を開始する」 響く冷徹な声の主は、『T-34』ウラジミール・ヴォロシロフ(BNE000680)。 己の放った破邪の力を秘めた一撃、リーガルブレードの傷が、キマイラ特有の自己再生力で徐々に塞がっていく様子を見ても、ウラジミールの表情に落胆の色は無い。 想定内だ。ただ只管に積み重ねるしかない。 引き付け、耐え、引き付け、耐える。作戦段階が進み、仲間達と共に集中攻撃を繰り出す其の時まで。 拳と拳、そして破壊のオーラが竜一とウラジミールに降り注ぐ。 「おじさん、地獄ツアー大人1枚!」 「……大人?」 勢い良く突っ込んで来た少女、『フレアドライブ』ミリー・ゴールド(BNE003737)が振るう焔の腕を、阿鼻は鼻先を掠めさせて回避しながら疑問を口にした。内心、僅かに溜息を吐きながら。 ミリーを侮った訳では無い。回避したとは言え、先の一撃は戦士としての力量を充分感じさせた。 おじさん呼ばわりが鬱陶しかった訳でもない。未だ10代後半の阿鼻に、其の挑発では如何にも安いから。 ただ年若い、未だ子供と呼ぶべきであろう少女を手にかける事が煩わしかった。 叫喚ならば、父ならば、きっと何の躊躇いもありはしないだろうが、阿鼻は年下の少女を手にかける時、自分達が自ら地獄へ落ちたあの日、生まれて来れなかった妹と、絶望のままに死んで行った母を思い出す。 「当アトラクションを体験するには、少し身長が足りないかと思いますよ」 ちらと視線を送るは、複数のリベリスタから集中的に狙いを受け、表情に明らかな喜びを浮かべている火車地獄。 彼も炎で、眼前の少女も炎、ならばどうせ似た様なタイプだろう。 口で言ってもどうせ聞きはしない。其れに何より、少女の、ミリーの勢いは集中力を欠いたままで相手をするには、少しばかり重たい。 躊躇いは一瞬。阿鼻は心を決めた。殺意が、心を鉛の様に重く、不感症へと変える。 唇に嘲笑を無理矢理張り付かせて。 「何大地獄だか知らないけどいきなり最下層に送ってくれるってなら望むところよ。地獄の1つや2つ、思いっきり踏破してやろうじゃない!」 ほらやっぱり聞いてない。 ミリーが犯した罪は唯一つ。阿鼻を唯一人で抑え様とした事。 足りないのは身長だけでは無い。その気になった八大の地獄が最下層、阿鼻地獄、或いは無間地獄を一人で受け止めるには、力量が少々不足している。 「其処まで言われては仕方ないですね。ではお客様、本日は当アトラクション『阿鼻地獄』へのご来場まことに有難う御座います。……出来れば、簡単には折れないでください」 故に少女は地獄へ落ちた。 あらゆる苦痛に勝ると言われる阿鼻地獄の責め苦が、ミリーの心を削って体を縛る。 ● 炎が周囲を吹き荒れた。 振るわれたのは焔腕。地を焼き、木々すらも薙ぎ倒す勢いの火車地獄の武技に、宙からの攻撃を中断したソラが退く。 「あの時の女か。……賞賛しよう。そして歓迎しよう。地獄を知って地を舐めたにも関わらず、再び地獄に挑める心根の強さを。貴様はこの火車地獄の炎に焼かれるに相応しい」 高まる殺意は、闘志は、炎へと姿を変えて夜空を焦がす。 以前火車地獄とまみえた時、ソラは仲間達を支える為にただ回復を放ち続けていた。 火車地獄と直接攻防をやり取りした訳では無い。ただ、眼前で仲間達が倒されて行く様に唇を噛むだけだった。 「久しぶりね。別に覚えておいてほしいわけでもなかったんだけど」 なのに、覚えていたのか。 彼我の距離はそれなりにある。なのに吸い込む息は肺を焼く程に熱い。まるで火車地獄の殺意がソラの胸を焼こうとするかの様に。 「ちょっと俺様ちゃんを無視しないでよ」 地を這うような姿勢から、真紅に染まった大鋏、逸脱者のススメを振るうは『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)。 己が武器を赤い魔具と化す技、奪命剣。葬識が放つ其の一撃は、受け流さんとする火車地獄の、気の集中により金剛と化した左腕をも切り裂いて血を啜る。 オフェンサードクトリン。己の持つ動作効率を共有する事で、仲間の攻撃動作をサポートする。 ディフェンサードクトリン。己の持つ動作効率を共有する事で、仲間の防御動作をサポートする。 タクティクスアイにより広い視野を得た『STYLE ZERO』伊吹 マコト(BNE003900)は、戦場を駆ける仲間全てに、己を開放し、其の戦闘力を増大させる。 本当はフラッシュバンによる支援攻撃も試みる心算だったマコトだが、けれども対象であるヘカトンケイルの周囲には2人の仲間が張り付くようにして戦っており、恐らくは如何撃っても巻き込んでしまう。 撃てば不利益を被るのは恐らくは仲間達……。 されど増した力に、厳しい戦況ではあれどリベリスタ達の心が高揚に湧いた。 其の膨れ上がった全てを乗せて、悠月の指先から紫電の雷光が放たれる。 歌が響く。祈りを籠めて。 声は願う。癒しを、仲間の無事を。 其れが彼の戦いだ。『破邪の魔術師』霧島 俊介(BNE000082)の聖神の息吹が戦場を包み、リベリスタ達の傷を塞ぐ。 歌に籠めるは万の想い。 必死になってやって来た。其れでも掌から零れた物は数え切れない。 もうこりごりだ。だけど、やめる訳には行かない。 心と命をすり減らす消耗品。其れでも擦り切れきってしまうまで、俊介は願いを籠めて癒しを放つ。 誰一人欠ける事なく帰る為に。 ● 火車地獄と切り結ぶ葬識の視線が、ほんの一瞬逸れる。 千里を見通す彼の瞳が、遥か前方、ヘカトンケイルが切り開いた道の先に捉えた姿は、死者達の行進。ケイオス・“コンダクター”・カントーリオに付き従い日本へやって来た災厄『楽団』のメンバー達。 「あー! ねぇ、先生見て見て。誰かが道を作ってくれてるよ! 此れでオルガン捨ててかなくて済んだね」 「良かったのぅ、坊。でもワシは坊が楽器を置いていく心算だった事に些か衝撃を隠せんよ……」 先日この公園を襲撃した兄達に倣い、北東の森よりの侵入を試みた『オルガニスト』エンツォと、その師である『弦楽三重奏』ロマーニ。 けれど当然の事であり、先日エンツォの兄等がこの森を訪れた時にも言ってた事ではあるのだが、楽器と言うよりは設備と言った方がしっくり来るパイプオルガンを持って木々の茂る森に入る事は不可能であった。……まあそもそも常人にはパイプオルガンを持ち運ぶと言う行為自体が常識の範囲外であり森とか関係なく不可能なのだけれど。 道の発見を素直に喜ぶエンツォを見、ロマーニは内心安堵に胸を撫で下ろす。 死霊術師としての師であるロマーニと、弟子のエンツォの関係は、当然ロマーニが上位者となる。 しかしエンツォを孫の様にすら思うロマーニは、彼に対して甘く、また短気を起こしたエンツォは非常に扱いづらい性格をしていた。 幼くして死霊術師となったエンツォは同年代と触れ合った経験などほぼ皆無で、年上の兄や師等、自分を可愛がり庇護してくれる者か、其の力に有用性を見出した者としか接する事がない。 ゲームやアニメ等から上辺の人間性だけを、本質を理解する事無く学んだエンツォは非常に不安定な感情の持ち主だ。 正直、木々が薙ぎ倒された道が見つかるまでエンツォが短気を起こさなかった事はロマーニにとって驚きであった。 恐らくは前回出会ったと言うリベリスタ達に、エンツォは余程の何かを感じたのだろう。ロマーニから見ても珍しい程に、エンツォははしゃぎ、期待感を高めている。 弟子が此れ程に再会を期待する日本のリベリスタ達とは、一体どんな者達なのか。ロマーニとて気にならないと言えば嘘になった。 死者の群れは道を行く。戦いの音はもう然程遠くない。 「余所見とは随分余裕だな」 耳朶を打つ火車地獄の声。葬識の注意が彼から逸れたのはほんの一瞬。 だが葬識の意識の比重が眼前の六道達よりも、後から来るであろう楽団達に傾いていたのは否めない。 其の僅かな隙を見逃さず、火車地獄は攻撃を放つ。 しかし其れは葬識に、では無い。そうであった方がどんなにか良かっただろう。 大きく腕を回し生み出すは巨大な炎の車輪。彼自身の、そして彼の属する地獄の名を冠した必殺技『火車地獄』が狙うのは、後方から回復をばら撒く目障りな相手、リベリスタ達の生命線でもある癒し手、俊介だ。 八大に1つに付き十六個ある小地獄、けれどその八大最下層である阿鼻地獄において、異例の17番目の小地獄を冠する男、火車地獄。彼の実力は八大の其れに限りなく迫る。 其の男の全力の炎は、けれども俊介には届かなかった。 俊介の目の前で、彼を庇って車輪の進路に割って入った可憐な少女、『箱庭のクローバー』月杜・とら(BNE002285)の身体が炎に包まれる。 肉の焦げる臭いが漂い、露出の多い水着姿から見える肌が焼け爛れていく。 血管が破れ、噴出した血液すらが地に落ちる前に蒸発する地獄の業火。 だがとらは悲鳴を上げずに、唇をぎゅっと結び、そして其の端を吊り上げた。 仲間達に自分の健在をアピールするかの様に、身体を燃やしたまま笑みを浮かべる彼女。 「ヘイカモン☆」 火車地獄に対して、手招きすら付け加える。……本当は、もう一度を耐え切る体力など何処にも残ってないけれど、彼女は強く見栄を張った。 仲間達の負担を少しでも分散する為に。 ● 天使の歌にブレイクフィアー、六道側とて支援はあるのだ。 真っ先に倒すべしと定めた火車地獄はしぶとく粘り、彼が粘れば粘る分だけ、ヘカトンケイルの相手を務める二人の負担が重くなる。 其の時、活性化していたヘカトンケイルの頭部は、名も知れぬ核にされたフィクサード、超・脅威、そして霞・栞の3つ。現在ヘカトンケイルが持つパターンの中で、最も凶悪な威力を発揮する組み合わせ。 「お兄ちゃん!」 活性化中のヘカトンケイルの頭部に気付いた『猟奇的な妹』結城・ハマリエル・虎美(BNE002216)が警告の声をあげ、小さなコインをも撃ち抜く精密射撃、1¢シュートで栞の頭を狙い打つ。 狙い違う事無く栞の、右目に潜り込んで右側頭部を爆ぜさせた虎美の弾丸。 けれどヘカトンケイルは止まる事無く……、寧ろ脅威の頭部は其の行動に猛ったかの様に吼え、踏み込み拳を振るう。 妹からの警告に、竜一の全力防御は間に合っていた。しかし其の行為をまるで無視するが如く、竜一の想像を遥かに上回る鋭さで、脅威が操る巨腕が彼の身体に突き刺さる。 皮肉な事に、再生能力の高いキマイラであるヘカトンケイルに取り込まれたからこそ可能となった脅威の其の技『豪爆腕』。 竜一を捉えたその腕が、自身の技の威力に耐え切れずに爆砕する。だが腕が潰れようと、其の技の威力は一切減じる事無く竜一に注がれ、堪えようとした脚部の骨が、食い縛った奥歯が、粉々に砕け散った。 無論それだけに止まらない。直接拳の当たった部位は見る影もなく抉られ砕かれ千切れぐじゅぐじゅになってしまっている。 目を背けたくなる様な状態でも竜一が立っていられたのは、運命を対価に踏み止まったが故に。 そんな彼にトドメを刺さんと、名も知れぬフィクサードの操る逆の巨腕が竜一目掛けて降り注ぐ。 しかしその腕の軌道に割り込んだのは、竜一と共にヘカトンケイルに張り付いていたウラジミール。 今の竜一に其の追撃を受け切るだけの体力は残されて無いと見ての行動だが、そうなれば当然の事だが回避は許されない。 逆手に装着したサルダート・ラドーニと名の付くハンドグローブで、自身の其れより遥かに巨大な拳を確りとウラジミールは受け止める。 手根骨の幾つかが砕け、拳の勢いに負けた五指が逆側へと圧し折れる。この痛み方は腕にも皹が入っただろう。 だが、ウラジミールは其の拳を受け止めた。 「引くわけにはいかんのでな」 どんなに質量に、膂力に差があろうとも怯まない。此処で退いて竜一を見捨てれば、遠からず自分も同じ道を辿る。 痛みを堪えて折れた指で巨人の拳を握り締め、言葉と共にウラジミールは利き手のコンバットナイフでその腕を切り落とした。 支え合う仲間達。 ヘカトンケイルの活性化した頭部は3つ、終了した行動は2度。 けれどまだ行動を終らせていない最後の1つ、右の側頭部を吹き飛ばされた栞の頭部は、吹き飛ばされた虚ろな眼窩から血を流し、支えあうリベリスタ達の姿をただ見詰める。 流れる赤は、涙の様に。 氷結したミリーを放り出し、戦況を見渡す阿鼻。此処までの戦いは凡そ五分と五分。 ヘカトンケイルと言う強力な生物兵器の存在を考えれば、此れは驚異的な事だと阿鼻には思えた。 相手の人数は前回よりも増えている。だがヘカトンケイルも取り込んだ人数を増し、更には調整を受けて以前よりも遥かに完成度を増しているのだ。 「貴女の最後の願い通りに、彼等は強くなって戻って来た。認めましょう。貴女の犠牲は無駄じゃなかった」 ヘカトンケイルの頭部の一つ、栞が血の涙を流している。 「酷い茶番ですね。……でも、嫌いじゃありません。この苦界にもまだ希望は残ってるのかと錯覚しそうな程に」 けれど此処までだ。 彼等の犯した大きなミスは、たった一人でこの自分を抑え切れると思った事。 「けれどボクが踏み躙る。願いも希望も何もかも。此処は地獄。我等は地獄」 阿鼻地獄の別名、無間地獄。絶え間の無い苦痛を受け続ける地獄。 この世界に涙流されぬ日など無い。希望など無い。あったに見えても其れは錯覚だ。 苦界に置いて、我が道を歩むに必要な物は唯一つ、他を圧する力のみ。追い求める為に、失った物を掴み直す為に地獄と化した。 阿鼻は、自身に注がれる強い視線に目を向ける。 「八大地獄の阿鼻……、叫喚の子息でしたか」 指先に雷光宿す悠月の口から漏れたのは、阿鼻の父である叫喚の名。 其の言葉に籠められた強い感情に哂い、阿鼻も指先を悠月に向けた。 「儚き理想を潰えさせたあなたに――相応しい無間地獄を」 雷光、チェインライトニングと、その無間地獄の苦痛を身の内で再現する阿鼻の技が、全くの同時に放たれ相手の身体を貫いた。 ● アークと六道、戦力の削り合いが続く。 阿鼻の存在に少し押され気味とは言え、数では未だリベリスタ達が上回っている。 何より、俊介の聖神の息吹をはじめとする支援は、リベリスタ達の方が厚い。 けれど次第に彼等の表情には焦りの色が浮かび始めた。 六道達は知らぬ事だが、楽団は今もこの場に近寄りつつある。このまま戦力の削り合いが続けば、利するは楽団のみだ。 集中する攻撃に、後衛達の支援を受けては居ても火車地獄の膝が折れかけた。 そして其のタイミングで、特に彼等がそうしようと狙った訳では無いだろうけど、きっと恐らくこの世界は阿鼻が言うように本当に底意地が悪いのだろう、……楽団達が現れた。 「チャオ☆エンツォ!」 其れに気づいたとらが、この鉄火場に似つかわぬ明るい声と笑顔で、死者達に紛れて巨大なパイプオルガンを抱えた少年に向けて片手を振る。 「Ciao bella!」 気さくに、ふっくらと、けれども片目を閉じてさり気にウィンクしている辺りはやはりイタリア人の血だろうか? エンツォはとらへと笑顔を向けた しかし同時に雨山聚処と鉄野干食処、六道の後衛……、つまりは出現した楽団メンバーの一番近くに居た彼等は、一斉に襲い掛かる死者達と交戦を開始している。 余りに異常な其のズレこそが、エンツォと言う子供の抱える闇の深さでもあるのだろう。 「お久しぶり、お兄さん達はどうしてるの?」 「ひさびさー☆エンツォちゃん、劇場版はもう見た?」 「やぁ、元気そうだね」 虎美に、葬識に、マコトに、次々に話しかけられて満足気なエンツォに、ロマーニは苦笑う。 ロマーニとて気持ちは判らなくもない。見れば中には可愛い女の子も混じっているし、そりゃ嬉しいに決まっている。可愛い女の子に話しかけられて嬉しくないイタリア男はそんなに居ない。 物言わぬ死体達と踊るより、暖かな彼等と触れ合う方が、楽しそうに思えるのも仕方ないだろう。 けれど一つだけ、決して忘れてはいけない事がある。 自分達は楽団メンバーで、そして死霊術師だ。彼等の暖かさを、物言わぬ骸に変えて踊るのが自分達だ。 「坊、知り合いに会えて良かったの。じゃが余り情を移すと後が辛いぞ」 ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラを特異な構えで同時に演奏し始めるロマーニは、エンツォを促す。 其の音色に応じる様に、ロマーニを囲む三体の死体達が滑らかに動き出した。 「先生、知り合いじゃないよ。トモダチ、だよ。……うん、だよね。でもね。だからね。此処に来たんだ」 搾り出す様なエンツォの其の声に、停戦を、或いは六道への矛先逸らしを提案しようとしていたリベリスタ達の二の句が止まる。 エンツォの笑顔に、悲壮な影が混じった。 「他の誰かに盗られる位なら、僕が皆を貰おうって。ゼベ公やモーゼスおじさんには……、んーん、バレット様にだって兄さん達にだって渡すものか。ねぇ、露助。露助なら、僕の気持ち判るよね?」 楽団員達にとって、日本のリベリスタの壊滅はもう既に確定事項なのだ。 彼等がこの地に渡る前、主にして指揮者たるケイオスがタクトを振り始めた瞬間から、もう其れは決まって揺るがぬ事。 故に彼等が拘れるのは其の過程のみである。 楽団の登場に一番衝撃を受けたのは他でもない。動じる事とは無縁なヘカトンケイルを除いた六道、地獄一派の面々だ。 自分達が切り開いて来た道のせいで、挟撃を受ける羽目に陥った。 「此処で死霊術師に会うなんて、本当にこの苦界は度し難い……」 阿鼻が呻く。 死を探求する事で死から遠ざかる。或いは、死した者達を呼び戻して失った物を取り戻す。六道が最下層地獄一派の目的だ。 其の探求の為に貪欲に金銭、技術を集める彼等。 以前からずっと死霊術師の技術も其の手に収めたいと願っていたのに、この出会い方は最悪に近しい。 「まだまだいけるってのよ!」 楽団の出現により注意の逸れた阿鼻に、氷結から逃れたミリーの、炎に燃える拳が突き刺さる。 一方的だった阿鼻とミリーの戦いの流れが変わった。 そしてもう一つ、此方でも炎は猛っている。 筆舌に尽くしがたい怒りを籠めて、放たれる巨大な炎の車輪、火車地獄。 リベリスタからの集中攻撃に運命を対価にした踏み止まりまで、追い込まれていた彼。 別の言い方をするならば、運命を対価に踏み止まってまで、火車地獄はこの戦いに浸ろうとした。 なのに其の相手であるリベリスタ達は、現れた楽団に気を取られ、あろう事か会話に興じて見せたのだ。 許し難い屈辱。 火車地獄の炎が、リベリスタ達の後衛に向けて放たれる。 だが其の直前に空に一つの星座が浮かんだ。公園の夜空に、遥か遠くの星達よりも強く輝く、天秤座の聖杯に作り出されたイミテーションの星座が。 その意味と脅威を知るは、嘗て『天秤座』可槻・総と戦ったリベリスタ達と、魔術知識で聖杯を知る阿鼻のみ。 けれど阿鼻の警告は、腹部に放たれたミリーの拳によって呻きに変わる。 怒りまかせの大技を放った隙を突いて、ソラのソードエアリアルが火車地獄を切り裂いた。 ● 崩壊は星座が齎した。 イミテーションの星座が輝き、天から光が零れ落ちる。 リベリスタ、六道、楽団、其々の陣営が、相手に与えたダメージが、一つに纏まって其々の陣営の犠牲者へと降りかかった。 葬識が光に打たれて運命を消費し、火車地獄は身を貫く光に絶命する。そして楽団側の被害は、死人が一つ砕け散ったのみ。 そう。このアーティファクト、天秤座の聖杯の使い方は相手よりも多くの数を揃える事で、強力な力を持った少数を自らの力で自滅させるのだ。 天秤座の聖杯を攻略する方法は二つ。更にそれ以上の数で上回るか、味方の犠牲を厭わずに数を一気に殲滅するか。 どうせ聖杯の効果で犠牲となるのは、一度に一人だけなのだから。 死霊術で動き出した火車地獄の死体に、阿鼻の表情が歪む。 因果は巡り返ると言うが、今、全てが地獄一派にとって裏目となっていた。 もし仮に此処に父が、叫喚が居れば、死んだばかりの火車地獄をE・アンデッドと化して支配権を取り戻してくれたかも知れないのに。 だが叫喚は直前に入った仕事を優先し、此方に八大は二人も要らないと判断し、この場には居ない。 等活が研究する蘇生の法が完成したとしても、死体がなければ更にハードルは上がってしまうと言うのに、今の阿鼻には火車地獄の死体を持ち帰る手段が無いのだ。 尻尾を巻いて逃げ帰る事以外に、彼に許された選択肢は存在しなかった。 けれど其れは、そう、リベリスタ達とて同様である。 残されたヘカトンケイルと天秤座の聖杯。其の二つだけで、リベリスタ達の定めた『戦闘不能者2名』と言う撤退ラインにはあっさり到達してしまったのだ。 倒れた2人、竜一を虎美が背負い、とらの身体をマコトが担ぎ、リベリスタ達は木々に紛れて撤退を始める。 ヘカトンケイルが追い縋ろうにも、木々を掻き分けての追撃では追いつけよう筈がない。 巨人の咆哮が夜を揺るがす。完全に再生した栞の頭部は、それでも右目から血の涙を止める事無く、逃げ行くリベリスタ達の背を見詰めている。 阿鼻は栞に言っていた。貴女の願いは叶わないと。 其れはきっと、阿鼻の思った形とは違ったのだろうけど、其れでも彼の言う通りに、この世界は優しくなかった。 嗚呼、もう、栞の、ワンダラーの最後の願いが、叶う事は二度と無い。 「ねぇ、先生。アイツ何だか可哀想だよ」 エンツォが、ロマーニが、二人の死霊術師が聞いたのは、ヘカトンケイルでは無く、其れを形成す怨霊の、意思継がれる事なく行き場を失ったワンダラー達の無念の声。 リベリスタ達に倒される願い叶わなかった彼等の心は、ヘカトンケイルが力尽きて溶けたとしても消える事は無い。 死霊術師に使われ、魂の最後の一片が擦り切れるまで道具となるか、行き場無くこの世界を怨念として、矢張り魂が擦り切れるまで彷徨うかだ。 「坊の好きにするがええ。ワシは怨霊繰りは然程得手とせんし、坊の兄等への土産が無くなるだけの事。坊が謝れば奴等も何も言わんじゃろ」 主が指揮する混沌組曲の結末は既に決まっている。其れを成す過程に置いて、この程度の我侭は許されるだろう。 小言を言われるとしても、其れは老骨が引き受ければ良い。 ロマーニは結局、エンツォに甘いのだ。 完璧な形を成すには、楽器が些か足りないけれど、ロマーニが弾き始めるのは鎮魂の曲。 「うん、先生ごめんね。ありがとう。じゃあ、一寸やって来る」 パイプオルガンを担ぎ上げて近寄る少年に巨人が吼え、そして空から光が降った。 彼等は、その名の通りに、この世界を彷徨い続ける。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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