●Biden プリンスが死んだ。 不敗の象徴、最強の戦士、バイデンを体現する者。 彼を打倒出来る存在など、ありはしなかった。 腰抜けのフュリエはもちろん、巨獣も、バイデンも、もちろん『外の戦士』にも。 そのプリンスが死んだ。 異形の根に、枝に、乗騎たるグレイト・バイデンごと貫かれ。 それでも、変貌した世界樹の幹に、巨大なる穴を抉じ開けて。 「プリンスを殺すことができたのは、ラ・ル・カーナでは世界樹だけだったか」 イザーク・フェルノは感に堪えぬように呟いた。 彼らバイデンに、プリンスと――『最強』と戦い、倒すことを想像した事がない者は居ない。 それがバイデン、この荒野に住まう落とし子の性。 流血が繰り返されなかったのは、単に同朋意識によるものではない。 あまりにも圧倒的過ぎて、挑むことすら馬鹿らしくなるというだけだ。 そのプリンスが死んだのだ。 変異した同族と同士討ちを繰り返したバイデンは、もはや絶滅の淵に立たされていた。 未だ正気を保っている者も、迫り来る足音からは逃れられない。 自分もいずれ『バイデンだったもの』に成り下がる。 それは、確実と言っていい未来図だ。 だが。 「そうだ。あれこそが『世界』。あれこそが『世界を飲み干す者』」 イザークを震えさせるのは恐怖ではない。 感動。勇躍。――狂喜。 「ああ、あれは、やはり強いのだな――!」 バイデンは死を恐れないが、死に意味を求める者は多い。 ならば。 新たなる『最強』と戦って散ることは、彼らにとって、どれほど甘美だろうか? ●Ark 狂樹エクスィスを巡る戦いは、まさに佳境を迎えていた。 立ち塞がる変異生物を排除し、あるいは橋頭堡へと誘引するという第一段階は、一応は成功していた。その先、目論見通りに橋頭堡の守備部隊や囮部隊が敵を排除できるかは、現時点では願望でしかなかったが。 だが、世界樹の内へとフュリエの族長シェルンを送り届けるには、まだ超えなければならない壁が残っていた。 「聞け! 本部のクェーサーの指令だ。今から本隊を二つに分ける!」 そのような調整を任せるには、『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)はおよそ適した人選とは言いがたい。だが、それに文句を言っていられるほど安定した状況ではないことくらい、彼にも判っていた。 「このまま戦っていてもジリ貧だ。半数で『穴』までの道を切り開き、守り抜く!」 既に多くの者が気づいていた。少しずつ、プリンスの開けた突入口が狭まりつつあると。暴走した世界樹の驚異的な再生力が、傷を癒そうとしているのだと。 しかも、無数とも思えるほどの世界樹の根や枝が、執拗に絡みつき、締め上げ、あるいは鋭く突き刺してリベリスタを苦しめていた。加えて、太い根からは小型の世界樹とも呼ぶべき人間大の瘤が現れ、彼らを待ち受けている。 「一隊は誘導し損ねた化け物を頼む。主力は道を拓き、あの『穴』が塞がるのを食い止める! 突入部隊は消耗しないように下がっていろ!」 即席の部隊分けをしながらも、霧也は視線を前方の世界樹から離せない。 根によって内部へと運び込まれようとするプリンスの亡骸。 そして、突入口の上に浮かび上がった、『顔』のような何かから。 「あれは――」 洞から緑色の膿を吐き出し、口とも思しき部分には牙を覗かせて。あの美しかった姿とは比べ物にならない、あまりにも醜い『顔』がそこにあった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年10月13日(土)23:13 |
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●R-Type's Spite/EX ――卑小なるものよ。 ――全ては。 ――我が。 ――戯言なり。 ●Biden and Mutants/1 つん、と。 鼻を衝く臭いがする。 「……はは。八十年も生きとれば、大概の地獄は見たと思うておったが……」 ヤガは、その少女めいた姿に似合わぬ乾いた笑いを漏らした。彼女の視界を圧倒的に埋めるのは、変わり果てた姿の世界樹。 総身から膿と瘴気とを垂れ流す、破滅の狂樹――エクスィス。 「世界は広いの。よもや人外だけで成る地獄もあったとは」 そして、押し寄せる巨獣と、そしてバイデンだったもの。 「ふ、恐れることはあるまいよ」 傍らのヒルデガルドの凜とした声。真っ直ぐに前を向く赤の瞳が、醜く姿を変えたそれら異形を射抜く。 「何より、この地におけるアークの最大最後の戦いだ――無様な姿を晒す訳には行かないだろう」 いや、視線だけではない。全身から放たれた不可視の気糸が、生ぬるい空気を切り裂くように奔り、次々と異形に喰らい付いた。 「さあ、往くがいい諸君。我ら共に戦い抜こうぞ」 刺突剣を掲げる二十歳そこそこの麗人、その凛々しい号令は、敵の数に圧倒されていたリベリスタ達を見事に沸かせた。その在りように、自分と同じく、見かけ通りではない年輪を感じるヤガ。 「やれ、仕方無し。ヒトの相手ではないが、ヤマの仕事といこか」 奇しくも採った手段は同じ。全身から放つ無数のオーラは、細く細く紙縒りのように尖って凶器と化す。――仕方無しとて殺さば悪よ。 「されどヤマの仕事は一つしか無うての。こう殺到されると殺す相手にも事欠かぬ」 「ホント、見敵必殺どころか、もう一面敵だらけね」 戦塵を圧するように、ベースの音が抜けて聞こえる。大きく揺れるピンクのリボン。楽器をかき鳴らす桜は、普段のハイテンションに輪をかけて上機嫌なのを隠さない。 「それじゃ、サーチ&デストロイ! 見敵抹殺皆殺し!」 弦を爪弾く彼女のピックは、あるいはシャーマンの祝詞にも似て。ズン、と肌に伝わる響きが魔力を高め、ベースの先端から弾丸となって放たれる。 「うーん最高! 私の演奏を聴けー!」 「あ、ずりー! 次は俺のターンだぜ! うりゃー!」 妙な対抗心を燃やすラヴィアンが、張り合うように気勢を上げる。既に体内で練り上げたマナは、この無鉄砲な少女の身体を奔流となって駆け巡っていた。 「理性も気合も根性も無い、数が多いだけのてめーらなんて、ただの的なんだよ!」 地獄の業火すら凌駕する魔力を秘めた刃を、す、と甲に走らせる。滲む血が、雫となって肌を流れ――。 「行くぜ、全部纏めて倒れろ! ブラックチェイン・ストリーム!」 黒鎖の奔流となって、異形の群を飲み込んだ。凄まじい負荷に悲鳴を上げるラヴィアンの身体。だが、彼女は怯まない。 「ミラーミスを正常化して世界を守る。それが、最高にかっこいい正義の味方の仕事だぜ!」 数を増すばかりの異形を前に、啖呵すら切ってみせるのだ。 「……これはまた、呆れるくらい多いことで」 笑うしかない、という比喩が文字通りのものであることを、星龍は実感していた。 視界を埋めるほどに押し寄せる敵、敵、敵。もちろん、囮になった部隊がしくじったわけではない。テレパスが伝える戦況は、橋頭堡へと誘導された異形の群れが実にこの数倍に達したと告げている。 だが、『網から零れた少数』であっても、その数は馬鹿にならない。その原因の一つは、異形化がバイデンのみならず、荒野の巨獣にも及んでいることだ。先鋒のリベリスタたちが主に狂ったバイデンを討っていたこともあり、いまやこの方面は、巨獣が敵の主力であるように思えた。 (彼の人もまた、同じ心境で私達を待ち受けたのでしょうか) ブッシュに身を隠すような贅沢は望むべくもなく、立射の体勢で銃を構える。その元の持ち主に思いを馳せながら、銃口を空に向け、星龍は強く引鉄を引いた。 「天を砕き星を降らせることはできませんが――代わりに雷神の業火をもって、戦いの火蓋といたしましょう」 願わくは全ての人が生きて還らんことを。サングラスの向こう側に一縷の祈りを宿らせて、彼は戦場に炎の矢を降らす。 「敵の海には炎の雨! うーん、ユウさん滾っちゃいますねー」 ふわり浮き上がるユウ。腰溜めに構えた小銃から鉛弾をばらまいていた彼女も、ちまちま撃つばかりでは埒が明かないと判断している。 「思う存分、速射モードで参りましょうかー」 臍を剥きだしにした裾から覗く褐色の肌は、淫蕩なまでに艶かしい。業火を纏いし銃弾を降らせながら、彼女はぺろりと唇を舐める。 (ほら、こんなにも綺麗で、きれいですよ) 眼下に広がる地獄絵図――それは、カレーをぐちゃぐちゃに混ぜてしまったような。 「あたいら突発さいきょー部隊が居る限り、ここは通さねぇぞー!」 竜の紋章が描かれた拳をぶんぶんと振り回し、威勢よく名乗りを上げる六花。術士でありながら最前線に立つその姿、中二病と言うにも幼く感じるその無邪気な様に、真名は肩を竦めてみせる。 「どうして、こんなセンスの無い名前の部隊に参加してるのかしらね」 きっとその場の勢いね、性の無い話だわ――溜息をつく彼女は、しかし騒々しい翼の少女に視線を緩ませて。 (……まぁ、男じゃないし、子供だし。可愛いから許してあげる……) う、ふ、ふ、ふ、ふと含み笑う美女に、六花はぎょっ、と振り向いて。 「なななななんでしょうか! これ死亡フラグじゃないよな!」 「……何でもないわよ、失礼ね」 言い捨ててぶん、と腕を振り抜けば、鋭い爪が襲い掛かるバイデンを切り裂いて、埋め込まれた紅玉よりもなお紅い血をぶちまけた。 だが。 「……っ!」 「グアアッ!」 異形のバイデンは退く事を知らず、丸太のような腕を真名へと叩きつける。一撃で意識を消し飛ばしそうなほどの、強烈な打撃。そこに、清冽なほど涼やかな風が吹き込んだ。 「あ、う……」 大きな目に一杯の涙を溜め込んだ依子。古ぼけた書を抱きしめて佇む彼女は、吹けば飛ぶように頼りない、華奢な少女だ。 「怖、い……もう、やだ……」 だが、その足が逃げようとはしなかった。強烈な劣等感と恐怖感に苛まれる彼女をぎりぎりで踏み留まらせる、只一つの絆。その思いが、高位の存在後からすら引き寄せ、リベリスタ達を癒すのだ。 「おにょれ、こにゃくそー!」 六花が突き出した掌から稲妻が迸り、真名を救わんと荒れ狂う。明滅する光の中、三人の中で最も幼い少女は、背後の少女へと太陽のような笑顔を向けて。 「やるな、依子!」 「……あ……」 その笑顔は、自分を嘲る悪意ではなく、もっと温かい何かだと。 依子は理由なくそう感じていた。――震えが、治まる。 「ここは私達の死ぬ場所じゃないわ。気を引き締めなさい」 面倒そうに言い捨てる真名も、口ほどに厳しい表情ではなかったのだ。 戦場に響くアマデウス。年代物のラジカセを傍らに、それよりも遥かに古めかしい軍服に身を包んだ女――ツヴァイフロントは小さく鼻を鳴らした。 「鉄の心があればホウレンソウはいらないのだよ、ポパイども」 身を包む一族の誇り。今日自分が守らねばならないのは、一人の伍長ではなくこのラ・ル・カーナという世界全てだ。理論派の彼女にしては情緒に満ちた表現になってしまうのも、その高揚のせいだろうか。 「世界樹が心配で戻ってきたか? パパの穴は今、連中がコトに及んでいる真っ最中だ」 血錆に塗れた槍をぐいと引き、一息に突き入れる。穂先から柄を伝う、肉を抉る感触。 「ジュニアの存在は無粋だろう――Leck mich am Arsch(私の尻を舐めろ)!」 「……やれやれ、戦場とはいえ下品に過ぎますよ」 同郷ならばこそ、スラングの意味を察したリーゼロット。軽口に合わせてみせた彼女だが、その目はどこまでも鋭い。そう、彼女の二つ名たる、獲物を逃さぬ猟犬のように。 「あまり持久戦は得意では無いのですが、すべき事を歯車のように遂げるだけです」 アークの敵を片付け、アークに利益を。祈りの文句のように呟いて、彼女は引鉄を引いた。細身の杭の弾丸が牙を剥き、大型の四足獣へと食らいつく。猟犬の牙は、決して獲物を逃がさない。 「色んな妙なのが一杯だね。ボク達でまとめて迎え討つよ!」 群となって押し寄せる獣の一体が、大きく跳ねてリーゼロットへと喰らいつかんとする。だが、その牙は厚い盾の前に押し戻されるのだ。 「リーゼ、大丈夫だよね?」 「ええ、ありがとう」 グラデーションの美しい翼を広げて小隊長の前に立ちはだかる、紅の騎士ウィンヘヴン。その陰から、踊り子のように肌を露にしたチャイナドレスの少女が飛び出し、手にした黒棍を叩きつける。 「ちーっす、コイツはこの燕さんに任せときな!」 あえて動きを止め、狙いを定めていただけに、燕の動きは淀みない。続く一撃はあえてトンファーの刃ではなく掌を押し当て、存分に気を放つ。 「別世界の命運なんてあんま関心もねぇが――こんな化けモンと手合わせするなざ、いい機会だぜ」 ついでに、ここらで抑えておきたいところだしな、と付け足した空色の髪の少女は、どうにも素直ではない様子で。 「是が非でも持ちこたえますよ。弾切れまで一体でも多く喰らいついてやりましょう」 「何とかできるかもしれないならやってみないとね!」 リーゼロットにうなずくウィンへブン。普段のランスとは違う乱戦向きの長剣に暗黒の力を纏わせて、彼女は大きく地を蹴った。 「ここはボクに任せて、なんて言えないですが、これだけは言わせてもらいます」 数限りなく押し寄せる巨獣との戦い。狐に似た中型巨獣の一群、その行く手を阻むリベリスタ達が居た。 「番長たるもの! 仲間に背を預ければ何者も怖くないのです! 掛かって来い野郎ども!」 威勢よく躍り出た壱和。古き良き時代の番長めいた装いに身を固め、だが線の細い肩と飛び出した尻尾はふるふると震えていた。 血の気の多い啖呵とはかけ離れた子犬の姿。その様子が示すのは、変わりたい、という強烈な意志だ。 怖い。 怖い。 けれど、この学ランと、団長の腕章に賭けて――。 「『番拳』として、ここは一歩足りとも通しません!」 鎖を通した多節の木刀を掲げ、吼える。獣どもすら猛らせる魂の咆哮が、牙を、爪をその一身に集め、受け止める。 「く、うっ!」 瞬く間に蹂躙されようとする小柄な姿。だが、そんな彼の身体を、やわらかな風が包み込んだ。 「ん……今日も、電波の感度、良好」 ぴんと立った前髪は、アーク最高峰の癒し手の証。 エリス・トワイニング、『電波』に導かれたと主張して憚らない彼女が何事かを呟くたび、左手の書が輝きを増して周囲に濃密な魔力を放った。 「エリス……出来る事は……ただ一つ、だから。だから、それだけは……誰にも、負けない……よ」 彼女に支えられているのは、精一杯の意地を張る壱和だけではない。周囲の前衛達が追う傷が、見る間に塞がっていくのだ。 その重要性を理解しない者などいなかった。エリス達後衛を守ることこそ、前衛の役を受け持つ者達の華だ。『ただの』癒し手だと彼女は自称するが、誰がそんなしゃらくさい感想を持つものか。 「ここに……全員が戻るまで……守り続ける」 「善き覚悟にございます。どうぞ、私めの力もお使いください」 先の戦いで傷を追ったジョンも、それを押して戦場に立つ。 回復役に余裕などなく、翼の加護を使える者がこの方面に居なかったのは残念だったが――それならそれで、戦いようがあるというものだ。 「微力なれど、皆様のお力になればと思い参上した次第。皆様と共に、アークの意地をご覧に入れましょう」 長大なるボウガンを両手で構えた。アークの技術の粋を尽くし、命中精度を高められるだけ高めた凶器。その機構から放たれたのは、しかし、太い矢ではなく幾筋もの気糸である。 「いい男にいい覚悟じゃない? こんな鉄火場になるなんて、最近ちょっと鈍り気味だったのが悔やまれるねぇ」 なんせ良い子だからね、とは軽口か。焔の瞳をらん、と輝かせ、怯む獣の群に宵子が踊りかかる。さながら獲物を狩る獅子の如く、彼女の手甲はターゲットを逃がさない。 「ちょうどいい機会だ、いっちょ、派手に喧嘩で引き締め直すとしようか!」 この拳こそが凶器なり。当たるを幸い、ぶん、と薙ぎ払えば、殺到しようとしていた狐が纏めて巻き込まれ、甲高い悲鳴を上げた。 「どんなもんだい! ……ん、あれは……」 だが、存分に戦いを楽しんでいた宵子の表情が、ふと曇る。 「……そっち! デカイの行くよ、気をつけて!」 「誰も好き好んで変異しているわけではないでしょうが……!」 乱戦の只中にあってさえ、桐の振るう大剣はよく目立つ。薄く引き延ばしたような、『叩き斬る』ことに特化した得物。華奢で小柄な遣い手ゆえに、そのアンバランスさは際立っていた。 「異物と化しているといっても、限度があるでしょう!」 ぶん、と唸りをあげながら、大剣が食い込む先は、見上げるほど大きな巨獣の脚、その硬い肌。灰色に硬化したそれは、彼らにも馴染み深い動物に良く似ている。 「そりゃ強い相手が良いとは言ったが、よりにもよって象かよ!」 反逆の二文字もさすがに分が悪いか。空中を舞う音羽が悲鳴じみた声を漏らしながら、四色に明滅する魔力の光を解き放つ。一方、地上からは万葉が不可視の糸を放ち、その厚い皮を射抜こうと試みるが――。 「通ってはいるのですが、流石に硬い……!」 死の荒野を生き抜いてきた巨獣ならばこそ、並の攻撃では倒せないということか。八重歯を覗かせた万葉が漏らす、呻き声。知らず、広まりかけた弱気。 「絶望するには未だ早いです。戦い抜きましょう、皆さん!」 だが、そんな空気を凛としたアルトが吹き飛ばす。棘の生えた象の鼻に肉を抉られた前衛達を後方から支える、白衣の女――凛子の声が。 「病んだ世界樹の治療の為に。この世界に生きるものの為に」 それは、あるいは彼女にとっては本意ではないのかもしれなかった。凛子は医師である。癒す者である。その彼女が、世界樹という圧倒的な存在に対しては、何をすることも出来ないのだから。 いや。 「医者として直接私が出来ることは、ないのかもしれませんが――」 彼女は知っている。 いま、この戦場に巻き起こる闘争の全てが、世界樹を、この世界を救う為に捧げられているのだと。全ての行動は、その一点に繋がっているのだと。 「――全力を、尽くします」 「ええ、象だろうと何だろうと、すみませんが倒させてもらいますね」 一つ頷き、再び果敢に斬り込む桐。そんな彼らに、周囲からも援護が寄せられる。 「俺こんなけったいな世界嫌や! もう帰る! 帰って盆栽手入れする!」 随分と渋い趣味をオープンにしつつ、震えながら両手のナイフを構えるあきら。自衛程度しか戦闘の経験がない彼にとって、迫る敵の波はもはや恐怖の象徴でしかなかった。 「……でもな」 すう、と息を吸った。身体を巡るエネルギーをどろどろとしたものに置き換える。ちん、と打ち鳴らされる二本の刃。 「でもな、アークの仲間が戦ってるんや! だから俺もがんばるんや!」 瞬間、瘴気が闇の奔流となって解き放たれ、巨獣を飲み込んだ。俺今めっちゃいい事言ったで、と続けるあきらを、もう一人の『あきら』がこつんと小突く。 「調子に乗るなよ。……まあ、格好良かったけどな」 太く編んだ三つ編みを尻尾のように揺らし、頭上でガントレットを打ち鳴らす。悠然として巨獣の前に立ち塞がる晃は、酷く純粋で堅固な覚悟を固めていた。 「次は俺の番だな。悪いが、ここから先は通行止めだ!」 自分を盾にしてでも時間を稼ぐ。 それがクロスイージスの矜持で、アークの一員の使命だと。 「示せ、メタルガントレット! 全ての悪意に鉄槌を叩きつけろぉっ!」 それは飾り気も無く、洒落た銘も無く、ただただ彼の意志を実現するためだけに存在する無二の相棒だ。踏みつけられる脚を掻い潜り、神々しく輝きを放つ鋼の拳を突き入れれば、オオオ、と巨獣が猛る。 「効いて……ぐうっ!」 確かに僅かでもダメージを与えている事は間違いない。だが、反撃は苛烈だった。棘をびっしりと生やした鼻を払うように振り回せば、取り付いた前衛達が面白いように薙ぎ倒されていく。 「危ない! 我が主よ、どうか力を貸してください!」 大盾とメイスを構え、神官戦士然として立ち向かうシェラ。仲間の危機にやや早口で祈りの文句を捲し立てれば、涼やかな風が抉れた傷を撫で、その痛みを和らげる。 それは、あるいは焼け石に水のようなものなのかもしれないが。 「でも、がんばります! 小さな力だって、ゼロじゃないんです!」 この少女もまた、震えを押し殺し、恐怖と戦い、責任感に衝き動かされてこの場に居るのだと――それが判らないリベリスタ達ではない。 「任されますよ、それなりにタフなつもりです」 晃に並び立つのはメイド服の少女――いや、少年だ。棘だらけの鼻を眺めやり、三島・五月はふん、と一つ笑ってみせる。 「棘同士、どちらか痛いか教えてあげましょう」 たん、と軽く地を蹴った。手甲から生えた棘を、太い前脚に突き立てる。その細い点から流れ込む、ただ破壊を求める闘気。 「ええ、潰してあげますよ、私の焔と棘で」 硬い肌の内側で存分に暴れる殺意に、獣は明らかにたじろぎ――そして、更なる怒りを露にする。だが、巨象が再び動き出すまでの僅かの間、五月が勝ち取った貴重な時間を、牙を剥き出しにした鮫が遡行する。 「あぁ、面倒だ。面倒だけど、憂さ晴らしくらいはしておかないと、僕の気が済まないよ」 無銘の剛刃と鮮血の刃、双の手に人殺しの道具を握り締めてりりすは駆ける。獣よりは人型の方がまだ好みだが、今はどっちでもいい。 「最後はコレか。こんなになっちまって。こんなにしちまいやがって」 お預けを食った犬。今か今かと闘争の時を待っていたはずなのに、ありつけたのは出来損ないの残飯処理だけだ。誇り高き戦士が相手ではないのなら、異形の元がバイデンだろうと巨獣だろうと大差はない。 仲間達が力を合わせて裂いた鎧の肌。その傷に、二本の刃が休むことなき斬撃を与え――そして、地響き。ついに、巨大なる獣が膝をつく。 「……やっぱり、喰えたもんじゃねぇ」 りりすは止まらない。僕は怒っているんだ、と呟きながら。 ●Emissary of the WORLD/1 世界樹の回復力は堕ちたりとも強く、プリンスが命と引き換えに開けた突入口も、じわりじわりとその径を狭めていた。穴が完全に閉じたとき、突入部隊がどうなるかは――考えるだに恐ろしい。 「ありったけを叩き込め! 折角開けた穴を塞がれるなよ」 白いスーツにストール、同色のハット。マフィアのような装いでキメた十歳児・福松は、自らの指示の見本を見せるように黄金のリボルバーを世界樹に穿たれた『穴』の周辺へと向けた。 「親玉に突っ込むのは無理でも、その道を作る事は出来る!」 間断なく響く銃声。弾室が空になるまで続けざまに撃たれた銃弾が、穴の周囲の樹皮を剥ぎ取った。 「見知った顔が命張ってるんでな。ドラマなんざ求めちゃいねぇ……けど、意地くらいは張らせろや」 「そうよ、中に入った子だけじゃない。明日は自分自身で切り開くんだっ」 矢弾降り注ぐ援護の中、先陣を切って穴に喰らい付いたのは、丸富食堂の女将・お富さんこと富子だ。手にはアークの技術の粋を集めた、魔力満ちたる冷凍マグロ。 冷凍マグロ? 周囲の若者達の戸惑いをどこ吹く風と受け流し、富子はその凶器を穴の縁へと振り下ろす。凍りついた背びれは鋸の歯となって、再生しつつある木肌を木片へと変えた。 「さぁもうひと頑張りだっ! キツイ時こそ踏ん張りどころだよっ」 戦闘服の上には白いエプロン。大書された『料理は愛情!』の文字は、三高平の腹ペコ共にとっては日常の証だったから――戦勝会では腕を振るってあげるからねっ、という声に意気が上がらぬ訳がない。 灼くも癒すも思いのままの純粋後衛たる彼女が、何故最前線でアマゾネスばりに戦っているのかなど、それに比べれば実に些細なことだ。 「俺は……俺はぼっちじゃない! こんなに嬉しい事はないんだ!」 お富さん(五十四歳)の愛情を感じたのかは定かではないが、そんな戯言を口にしつつ涼は戦場を駆け抜ける。次々と地から突き出す、針のように尖った根。僅かに身体を捻って避ければ、一瞬遅れて付いて来たコートの裾だけが、針の先に引っ掛かって裂けた。 「これ結構丈夫なはずなんだけどな……まあいい、きっちり役目は果たすぜ」 はたしてそれは唯の残像だったのか、それとも実体すら生んだ幻惑か。漆黒の翼が生んだ幾筋もの斬撃が、世界樹そのものを軽やかに傷つける。 知っているか。折れぬ鋼鉄の二つ名は、また美しく舞う蝶の名でもあるのだから。 「帰る場所をきっちりと護る。そういうのも、カッコイイんじゃないかね?」 「当たり前よ、何言ってんの今頃っ!」 胸の中では伊達めいた台詞に心打たれつつ、口では素直になれない守羅。世界そのものを相手にする、そのプレッシャーは彼女を普段より尚刺々しくさせる。 (大きく出たよね……突入部隊未帰還なんてなったら目も当てられない) 幹に取り付こうとして、しかし直前で踵を返す。背後に迫る、葉を落とした枯れ枝。首に絡み、胸を貫こうとするそれらを、彼女は待ち受けて。 「けど、こんな所で樹にやられたりしたら、あたし、笑い話にしかならないじゃないっ!」 金の瞳と白い髪――幻視を投げ捨てた有翼の少女の腰から解き放たれる銀閃。鞘を走り加速した長刃が太い枝を一息に断ち、しかし次の瞬間、その刃は元の鞘へと納まっている。 「絶対に生き残るよ!」 神速の納刀術、そして再びの居合術。気合の声高らかに次々と切り払う守羅を横目に、素直じゃないね、と涼は頬を吊り上げる。 「淀んだ大気、濁った世界、狂ったカミサマ――その端末」 二本のチェーンソーが唸りを上げる。壊したい。壊したい。罪姫は興味の赴くままに、世界樹とその悪意の眷属を追っていた。 「とても愉しみよ、どんな味がするのか」 世界樹の使者が、枝をぴしりと打ち付ける。たちまち額から流れ出す赤い雫。だがその空ろな瞳は何も映さず、何にも揺らがない。 ただ、吸血鬼の牙だけがその姿を誇示しているようで。 「私罪姫さん。今日は、あなたを壊しに来たの」 狂気を頂戴。深淵を頂戴。彼女は躊躇い無く、その牙を枯れた樹皮へと突き立てた。 「あたし、もっとラ・ル・カーナの食材で料理をしたいよ」 次々と迫る蔦の鞭、枝の槍。それらを殆ど無意識に拳一つでいなしながら、凪沙はぽつりと呟いた。 「だって、あたしはラ・ル・カーナの味に魅せられたんだから」 口の中に残るのは、甘味と酸味が同居したムイムイの実の味わい。景気づけに齧った大振りのその実は、彼女を嫌が応にも戦いへと駆り立てる。 「もうこれは愛だよ! その邪魔をするなんて許せない!」 そんな凪沙に絡みつく、何本もの蔦。手足に絡みつくそれらを、だが彼女は一顧だにしない。 「邪魔だって、言ってんだよぉっ!」 全身これ武器たる彼女だからこその芸当。総身に雷を纏い、拳で、脚で薙ぎ払う。 「ここで倒れるわけにはいかない、ってね。中で頑張ってくれてる皆の為にも」 七の無骨なる爪が、四方から槍衾のように伸びる枝を鉈のように叩き斬った。ふわり、ふわりと味方から距離をおいて踊るステップは、鋭い斬撃とは相容れぬもの、しかし、不思議と鋼の爪は狙いを逃さない。 「もちろん、怖くない訳じゃないけど……きっと大丈夫、だよね」 仲間と共に戦う心強さ。絶対に一人も欠けないという意志。だが、それらは不意を打ってぬっと現れた影に思わず揺らがされる。 「……! に、人間大になると、余計に不気味だね」 「手を休めてはいけません。一気に轢き潰し、散っていただきましょう」 横合いから身体ごと突き入れられた騎士槍の穂先が、現れたミニ世界樹――『世界樹の使者』の『頭』を穿った。 「この程度の敵、我が槍に貫けぬはずもなく」 真白き装備に身を包んだノエルの槍は、彼女自身の正義を体現する断罪の証。それは酷く、酷く真っ直ぐに敵を砕き、残った胴を仰け反らせた。憎しみや怒りではなく、ただ世界の為に、世界の敵を――。 だが、次の瞬間。 「ッ!」 全身に浴びせられる緑の液。幹の洞から噴き出したそれは、周囲のリベリスタ達もろとも、ノエルの身体を強い毒に侵した。ぼろぼろと朽ち果てていく、美しい銀の髪。 「この程度で……異郷の地に骨を埋める気は毛頭ございませんのでね……!」 荒い息をついて堪える彼女。だが、使者は一人ではない。自在に伸びる枝に乗り、程近くに現れた新たなる使者が、紫の霧を四方に撒き散らす。たちまち爛れていく肌、動かなくなる身体。 「ぶれいくひゃー!」 そんなピンチから彼女らを救ったのは、聞き覚えのある甘ったるい声だった。 「ふぁいとふぁいとっ、みんながんばれー!」 「……これで動きが良くなるっていうのは世界の謎だよな……」 ピンクのツインテにブラウンの狐耳ぴこぴこ、今日も絶好調のミーノの声援に、おー! と意気上がるリベリスタ。ただそれだけでなく、僅かの間彼女が発した眩い光が粗方の瘴気を祓ったことを確認し、首を傾げていたリュミエールも行動を開始する。 「時よ加速しろ。私は誰よりも速いのだから」 瞬間、彼女の姿は掻き消えた。いや、圧倒的な反応速度で距離を詰めたのだ。ミーノと同じく狐のビーストハーフなれど、耳の色はシルキーブラック。両の手に握る短剣が、この愛すべき能天気狐を狙う枝を受け止める。 「ミーノを汚らしい世界樹なんかに触れさせはしない」 ふと漏れた本音。長期戦を耐え抜くため、サポート役は生命線だ。だが、リュミエールがミーノを守るのは、決してそれだけのためではない。家に帰るまでが戦争ダシナ、と嘯くのもいつものことだけれど。 「ボクには、ここを切り開く力はないけれど……」 力不足を認めることは、あるいは光介には耐え難い現実だったのかもしれない。自分に出来ることはない――そう思い知らされる度、『助かってしまった』という思いに潰されてしまいそうになるからだ。 けれど。 「それでもボクは……みんなの背中を支えたいんです!」 少年は歯を食いしばり、恐怖を押し殺してこの狂乱の戦場に立つ。それは、ある意味で成長の証なのだろう。 彼が見つけ出したのは、『出来ること』ではなく、『すべきこと』なのだから。 「この世界の誰かの為に。皆さんとなら、きっとできるはず! 術式、迷える羊の博愛!」 御伽噺の節回しと共に、戦場を満たしていく暖かな空気。そんな風に、震えながらも立ち向かう少年――誰よりも大切な恋人を、シエルは少し離れたところから微笑みと共に見守っていた。 ふと髪に触れる。指先に感じた、桔梗の感触。 「ミーノたちがうしろでしっかりおたすけするの~っ」 光介の隣では、ミーノが小さな拳をぶんぶんと振り回しながら、輝くような笑顔で声援を送っている。 「あの方も、いつも変わらず……。皆様に恥じないよう……ただただ、癒してみせましょう……」 手には世界樹ならぬ神木の枝。艶やかな着物に身を包んだ彼女が見事に一指し舞ってみせれば、毒に体力を蝕まれたリベリスタ達を柔らかな風が包む。 「ああ、けれど……」 視線を転じれば、まさに大穴へと殺到せんとする、赤い嵐。 「共に世界に相対するならば、競争も共闘も同じでしょう。願わくば、他者の誇りに寛容なる強者であっていただきたいですが――」 シエルが慨嘆と共に赤い嵐――バイデンの集団を見遣った頃。 「……ハ、ハハッ……俺はここまでだ。楽しかったぜぇ、イザーク!」 「ああ、さらばだジュードっ!」 全身を根の槍に貫かれたバイデンが、息絶えるよりも早く世界樹の呪詛に屈し、乱杭歯を剥き出しにした口を全身に開く異形と化した。そこに何らの躊躇もなくイザークが大槍を突き入れ、既に限界を迎えていたバイデンの頭を砕く。 「怯むなよ、我らバイデンは最高の喜びを得たのだ!」 付き従うバイデンは、もはや数十名に打ち減っていた。もちろん、この突撃に参戦せず独自に戦うバイデンも存在している。しかし、少なくとも、今この瞬間に戦っていないバイデンなど一人として居ないだろう。 唯でさえアークとの戦いで壊滅的な被害を受けていた上、次々と変異生物に身を落とし、果ては世界樹と無謀な戦いを繰り広げるバイデン。生き残りの数は、時が経つごとに減少の一途を辿っていた。 「こんにちは。イザークさん」 「……お前か、青いの!」 世界樹の使者を真っ二つに割り砕き、先を急ぐイザーク。その彼に寄り添い、同じ方向へと肩を並べて駆ける蒼き影――スペード。 「どうぞ、お心のままに」 何もかもを見通したような視線を向け、彼女は一言だけを告げた。 ああ。 いつか、こんな日が来たらいいと思っていた。 今のように形だけでなく、心から仲間として同じ敵と戦うことが出来たなら――。 「失望させるなよ、アークの戦士」 「えっ?」 だがその幻想は、荒々しい声に打ち消される。 牙を剥き出しにして、充実を満面に表したイザークがスペードを睨みつけた。 「世界樹が折れたなら、次は俺を殺しに来い! 更なる強き敵となれ、リベリスタ!」 それは、なんとも邪気のない、透徹な笑みで。 「……、貴方に、『ラ・ル・カーナ最強』へと届く、力を――」 「スペード殿!」 背後からの警告。ふわり身を翻し、スペードはその髪のように青い剣を振りかざす。たちまち欠けた刃から溢れ出す、恐怖と畏怖とを煮詰めたような暗黒の光が、頭上から迫る枝を飲み込んだ。 「直撃を受けねば恐れるものはない。そして、愛音を捉えるは容易ではないのでございまする!」 甲冑の甲を縫い付けた御子装束の裾を翻しながら、次々と地を割る根を軽やかなステップで避ける愛音。愛の一文字が眩しい大盾で敵をいなしながら、彼女はスペードへと駆け寄った。 「スペード殿の想いと祈り、届きましたか」 「そう、信じたいです」 スペード殿の強さは、優しさの奥にある強い意思の輝きだ。愛音はそう信じて疑わない。送り届けられたことに満足し、彼女は懐から符を取り出した。 「ここは愛音達にお任せでございまする! LOVE!」 「私たちの心は、いつだって一緒ですよ」 ばさり、黒鴉の容を成した式神の符が、襲い掛かる枝を啄ばんで追い散らす。歩を止めた二人は、バイデン達の背を守っているようにも見えた。 「僕にも判らないが、迷い羊が夢見て嘆いているようだ」 初めて出会った少年、陸駆の言葉に、夜月 霧也はただそうかと頷いた。言葉通り、少年は本当に『判らない』のだろうし、霧也も同じだろう。 ただ、何か暖かなものを感じた。それでいい、と思った。 「今は――戦え!」 霧也がその大剣を振るえば、迫っていた使者の触手が切り飛ばされ、最早紫に変わってしまった樹液を撒き散らした。その光景に、陸駆は嫌が応にもここが戦場である事を思い出す。 「世界が人見知りを起こしたというところか」 前線の向こうに現れし死の嵐は、彼が転移させた不可視の刃が齎した惨劇。五十三万と称する知性を瞳に宿らせ、少年は見栄を切る。 「覚えておけ。僕は神葬 陸駆。神(ミラーミス)を葬る天才だ」 だが押し寄せる枝と根は、正しく枝葉末節に過ぎなくとも、数と勢いとを持ってリベリスタを凌駕する。いつしか囲まれていた二人。その時、幾本もの気の糸が戦場を乱舞し、今にもその手を伸ばそうとしていた枯れ枝を纏めて薙ぎ払った。 「調整役なんて似合わないことをしているから、勘が鈍っているんじゃないのか?」 「碧衣か……礼は言っておこう」 現れたのは、パンクファッションで決めた全身にじゃらりとチェーンを飾った碧衣。普段はクールを気取る色白の頬を戦いに赤く火照らせて、彼女は霧也達と背を合わせるように身を投げ入れる。 「お前が剣を振るいたい場所があるなら、代わってやっても良いのだが、な」 「……なに、これも役目だろう」 見透かされたことへの照れと一片の未練。霧也の返答にその二つをたっぷりと感じ、くっ、と碧衣は喉を鳴らした。もう一押し、と息を吸ったその時――。 「世界の興亡この一戦に在り、総員粉骨砕身せよ!」 大音声の号令が周囲を圧した。次いで、応、という鬨の声と共に、霧也達を囲む枝と、現れた使者とに突貫する一群。先頭に立つのは、白き鎧に桜舞う緋色のマントを羽織った女騎士だ。 「誰に押し付けられたのでもない。誰に命じられたのでも無い。『私達が』決めたのです――この世界を救ってみせると」 盾を好む前衛は多くとも、両手持ちの盾だけを持って前衛に立つ者はそう多くはない。少女騎士ラインハルトはその数少ない例外だった。 それは、何があっても護り抜く……この身こそが世界の『境界線』であるという苛烈なる意志の表明。十字の加護を胸に、彼女は凜と立ちはだかる。 「私達が選び私達が決めた。隣人を、友なる人々を護り抜くと。ならば此処は世界の境界。御身にとっての死線と知れ!」 堂々たる口上は、堕ちたる世界樹への宣戦布告。そのラインハルトに少々品のない口笛で喝采を送り、もう一人の少女騎士・イーシェが身を躍らせる。 「やっ、ちょっくら世界を護りに来たッスよ!」 軽い口調で霧也に挨拶した彼女の顔はフルフェイスに隠れていたが、どんな表情をしているかなど見なくても判る。大胆不敵に殴りこんだ彼女は、振り向きざまにぶん、と無骨な長剣を振り切った。 「皆がアンタの歪みをすぐに正してくれるッスよ。それまでは、アタシが、アタシ達が、この大穴を死守するッス!」 その時、やや太い枝が真上からしなるように振り下ろされ、イーシェの頭部を直撃した。吹き飛んだヘルム、零れ出る金の髪。大丈夫か、と駆け寄ろうとするアウラールを青い視線だけで制止し、彼女はニヤリと笑ってみせた。 「だから勝負ッスよ! 世界樹エクスィス!」 「心配無用だったか」 苦笑いのアウラールが振り回すのは、軍用の無骨なライフルだ。それはまさに鈍器。数々の敵を屠ってきた銃床には、無数の傷が刻まれていた。 「まあ、俺は別にラ・ル・カーナのために戦うわけじゃない」 フュリエとバイデン。二つの種族が本当に変わったというのならば、歩み寄り手を取ることも可能なのだから。 彼らの世界を守るのは彼ら自身。本来なら、両族が揃って助けを求めるべきなのだ。そう、彼は考えていた。 「ふん、どうでもいいな。こんな茶番はさっさと終わらせようぜ」 浴びせかけられた瘴気を腕の一振りで掃い、光を発して動けない仲間の縛めを解き放つ。その光は、胸に下げた懐中時計から発せられたもので。 懐に隠したひよこが、ぴい、と鳴いた。 「それでも、ここを片付けなければ、もう退けないのでしょう?」 不機嫌に言い捨てるキリエ。ボトム・チャンネルできりきり舞いしているアークには、このラ・ル・カーナは大きすぎる荷物に見えていた。 「飢える我が子に与えるべきパンを、他人の子に与える親はいないというのに」 相手が木の化け物であればフェイントなど意味もなかろうが、それでも身体は自然と動く。鋭く奔る投げナイフは囮。本命の攻撃は使い勝手の良い不可視の糸だ。 「本当に厄介だね、人の心というものは……」 それでも、アークに受けた恩は返さなければ。気力の尽きた味方は居ないかと視線を巡らせつつも、面倒はこれきりにして欲しいね、と溜息をつくばかり。 「ルア!」 「大丈夫! まだ、走れる! 護れる命があるのなら、速く走る意味がある!」 大穴への道を塞ごうとする使者達。ラインハルトの指示の下、それを阻止せんと深く斬りこんだルアとジースの姉弟は、既にその身を血と膿のような液体に塗れさせていた。 (――ルアが道を切り開くのなら、俺はそれを守ってみせる) 斧槍に咲くは可憐なる花、そして鎮座する守護の竜。まさか手折られるだけの花というほど弱い姉ではあるまいが、ただ、護ると決めたのだ。 「俺には護るべき人が居るんだ!」 勇壮なる得物をぶん、と振り回し、周囲の敵を悉く薙ぎ倒す。総身を朱に染め、まさしく戦鬼の如き戦いぶりは、決して屈することがないと思わせる激しさで。 「皆で帰るって決めたの! だから、絶対に――負けない!」 白い制服を赤黒く汚しているのはルアも同じだ。叩きつけられる敵意、無限のプレッシャー。思わず目を潤ませて――けれど、彼女は涙を零さない。 「私は負けない。こんな所で負けてられない!」 腕に咲いた真白のブローディアは、悪意を退ける花護竜の加護。彼女の髪と同じ、爽やかな緑のナイフにアクセントを加えるガーネットが、すれ違いざまに使者を切り刻んだ。「ここは俺たち境界最終防衛機構が必ず守る! 安心して行って来い!」 ヴァンパイア同士の親近感か、それとも兄貴分の薫陶か。ここを防衛線と定めたレンが、霧也へと呼びかける。 「援護してやる、構わず進め! お前の前に立ちはだかる敵は俺が落とす!」 手には二冊の魔道書。闇に潜む暗殺者としては異端なる装備の少年は、何事かを小さく呟いた。赤い月を作り出すことには不安を覚えたか、生み出されたのは破滅のカード。 「後は頼んだぞ! 必ず取り戻して、そして帰ってこい!」 笑う道化が根の一本を爆散させ、道を開く。 「行ってこい、霧也!」 「……ああ!」 碧衣に頷いて駆け出す霧也。その先には、強烈なまでの存在感を放つ『顔』が浮かんでいた。 ●Exsyth's Spite/1 「さって、本丸と洒落込もうか!」 澱んだ空を征く、白い翼の少年。全身に満ちた闘気は、解き放たれる時を待ち侘び沸き立っていた。 「十凪・創太! ――その名の通り、凪ぎ未来を創る!」 真っ先に飛び出した剣士は、援護の有無すら意に介さず真っ直ぐに空を駆け抜ける。目指す先は、もちろんあの醜悪な顔――『世界樹の悪意』。幹に穿たれた洞からごぽりごぽりと膿を垂らすそれを、彼は憎々しげに睨みつけた。 「ちっ……知ったことか!」 纏わり付く、ねとりとした空気。何らかの妨害であることは疑う余地もなかったが、創太は意に介しもしない。 「アイツらとの分だ! 真っ向真っ直ぐぶん殴らせて貰う!」 この世界で出会った二人のバイデン。彼らはもう、違うモノへと成り果ててしまっただろうか。まだ、約束を果たしていないというのに――。 「そーた!」 「! 何しに来た!」 そんな彼を追う、聞き慣れた声。振り返れば、藍色の髪を振り乱した少女が翼を広げて彼を追っていた。 「帰れエアウ! あの時とは違う、お前じゃ無理だ!」 「嫌だ! そーたの後ろは、私が守るって決めてるんだよ!」 瞬間。 追いすがるエアウを、死角から鞭のように迫る巨大な枝が直撃した。 「きゃ……あっ!」 「エアウっ!」 ただの一撃。 当たり所が悪かったとはいえ、唯の一撃で潰れた蚊のように高度を落とすエアウ。だが、彼女は意識を失ってはいなかった。その胸の内に抱く熱い思いを燃やし、運命を掴んだ彼女は再び羽ばたき舞い上がる。 「……ここで倒れても、帰っても、絶対後悔する。……だから、まだ終われないんだよ!」 「エアウ……」 誰よりも早く、援護すらなしに突き進む創太。それは、自らの死を覚悟しての特攻だ。誇りを貫くための戦いだ。 そんなことは彼女も判っている。だから、絶対に離れないと決めたのだ。例え、自らを盾にすることになろうとも。 「私、あの時も言ったよ。そーたと行くって。一緒だって!」 「……! どうなっても知らねぇぞ!」 再び飛来する枝を潜り抜け、絡み合うように螺旋を描いて飛ぶ二人。少年の渾身の一撃が、ついに『悪意』へと突き刺さった。 「……で、なんであいつらこんなところでリア充してんの」 「あら、素敵じゃない。それとも、リア充はお嫌い?」 リア充は敵じゃないと抗弁しながらも、絶妙なバランス感覚で樹皮をステップ代わりに登っていく竜一。あたしは好きよ、とウィンク一つくれて、カシスは仮初の翼で舞いあがる。 「おっと、一番乗りは譲ったが、その次はこの俺だぜ!」 直剣と日本刀、二振りの得物を手に握り、竜一は足場から足場へ飛び移る。上部にも多数の枝がざわめいていたが、もっぱら翼を得て飛来するリベリスタにその注意を割いているのか、幹を這い登る彼らに攻撃の様子はない。 「……いくぜ!」 大きく蹴って飛び出した。狙うは顔の下あご部分、雷すら斬り裂いた愛刀が唸りをあげる。包帯を巻きつけた右腕の、銀のブレスレットが鈍く光った。 「プリンスの野郎にお返しはできなかったからな、世界樹を倒して俺が最強の頂に上ってやらぁ!」 斬、と一撃。 だが、次の瞬間。 「うっ……!」 彼は感じた。見えずとも感じた。 目に当たる部分、真っ暗な木の洞から、確かに『何か』が彼を『睨んだ』のを。吐きつけられた毒液が、空中で方向転換出来ない彼を直撃する。 「ここまでか……畜生、あいつ、勝ち逃げしやがって……!」 自由落下。 「竜一……さ、さん!?」 彼をぽすっ、と胸に柔らかく受け止めるカシス。竜一が特殊な趣味を持っていなければ、それは素晴らしい感触だったに違いない。 だが、カチッ、と何かの音がした途端、彼女は真っ赤になって思わず手を離した。 「うわあっ!」 「ご、ごごごごめんなさいっ!」 慌てて竜一の腕を掴み、近場の瘤へと降ろす。彼女の表情は先ほどの快活なそれとは一変していたが――瞳に宿る意志の光だけは変わっていない。 「その、ごめんなさい、でも、行きますっ!」 再びカシスは舞いあがる。怖い。怖いけど、怖いから、戦う。拳に纏った紅蓮の炎。 「お願い神様。こんな世界は、もう見たくないから!」 そんな少女を見上げるのは、その名も高き『都市伝説』。幹を垂直に駆け上がる行方、神秘探求同盟の第十六位を名乗る少女は、走りながら二本の包丁を翼のように構え、にぃ、と口角を上げた。 「生き急いだ戦士は倒れに倒れ、いまや世界も倒れかけ――ならば」 それを後押しするもまた一興デス、と嘯いて。 限界などというものはとうに忘れた。一刀両断に骨を断つ大包丁を、全身の捻りを加えて叩きつける。ぷち、と筋が切れる音が奇妙に響いて。 「都市ならぬこの大地デスガ、都市伝説もまた少しだけ一押ししてあげるデスヨ」 そして肉斬り包丁は一本ではない。左腕の二本目が、遠心力すら味方にして狂樹の幹に喰らい付く。弾ける木片。少しでも深く、刻んで見せる。 「さあさあ、悪意も何も斬って刻んで世界に沈めるデスヨ! アハハハハ!」 たん、と軽く蹴って離れた直後、鋭く尖った枝が元居た場所を穿つ。逃したと感づいたか、続けざまに伸びた枝は逃げる行方を追い、次々とその穂先を突き立てる。 「ったく、デケーだけあって無駄に危ねーな、ホント」 ついに行方を捉えようとした枝が、飛び込んできた影の振り払った一閃で破砕される。それは、あどけない顔をした御堂・霧也の斬馬刀がすれ違いに断ち斬ったものだ。 「でもな、クソ野郎」 背には仮初の翼。単独で飛び込むのは避けたかったが、先頭に近いとは言え後続も続々と幹に取り付いている。バックアップは受けられるだろう、と霧也は見切っていた。 いや、飛び込んだ一番の理由は、捻くれた奴を倒すのは真っ直ぐ一直線で、という決意に違いない。 「テメーのガキが狂っちまってんだ! 世界の親だってーなら、少しは意地を見せてみろ!」 大剣が赤く染まる。生命の樹であることを放棄した世界樹に、闇の力で吸い尽くすほどの生命力があるのかは知らないが――。 「目ぇ覚まさねーなら、歯ぁ食いしばれ!」 世界樹の悪意、その不気味な顔の中央へ、左頬に傷を残した少年は思い切り良く得物を叩きつけた。 「此処が鉄火場だ! 貴君等の能力、遺憾無く揮え!」 雷慈慟が大音声を張り上げる。二十を超えるプレートに囲まれた彼が陣取ったのは、世界樹の悪意と名付けられた顔面、その真正面だった。最も激戦で最も目立つこの場所こそ、彼を含めて十と六人、今作戦最大の小隊が受け持つに相応しい。 「コレを打破出来ないのであれば、来るべき日の対応など到底及ばないだろう――」 ――先を得る為に我々は この状況を粉砕する! 「そうだ、此度の決戦、決して負けられぬ!」 号令と同時に飛び出したのは、白青二色のコートを纏った青年、葛葉だった。その涼やかなコートに汚れは無く、彼らが掃討部隊によって護られ、消耗することなくここに送り込まれたということを示している。 「受けろ、我が全力の拳を! 閃拳、義桜葛葉──推して参る!」 此処で負ければ、アークはその存在の意味を揺らがせてしまう。その思いが彼を駆り立てていた。いや、駆り立てていると信じていた。 しかし、ただそれだけならば、何故ここまで心がざわつくのか。常のように冷静になれないのか。 そう。 気づいている。世界の守護者にならんとする、葛葉だからこそ。 「世界樹よ、お前は、世界(ラ・ル・カーナ)の守護者だろう!」 力任せに爪を突き立てる。幹の割れ目より流れ込む怒りの闘気。巨大なる体躯には微小な量であろうとも、効いている筈だ。 (――いや、世界樹がどうなっても俺が困るわけじゃない) その叫びを聞く零児もまた、戦いの意味を自分に問いかけた者の一人だ。 これまでの戦いは、火の粉を払うため、自分の世界を護るための戦い。必要に迫られた決戦だった。 「でも、俺はこんな最前線に立ってる。それはきっと」 救いたいからなんだ、この世界を。 それは大それた願い。力なき自分が、他人の運命を変えるという越権行為。それでも、彼は機械の腕に尋常ではない巨剣を握り、立ち上がる。 「誰かのために戦いたいんだ。その答えがここにある」 魔力の翼を広げ、一直線に零児は飛んだ。体中を駆け巡るアドレナリンを感知して、義眼が焔の色に染まる。 I am the Dark Hero. 理屈なんて構うものか。限界なんて知ったことか。 「世界を救う為に世界の敵を倒す。それこそが、俺が革醒した理由だッ!」 全身から溢れ出す炎の如き闘気。悪意の貌に叩き付けた鉄塊が火打石のように火花を起こし、オーラを炸裂させた。 「ハッ、派手にやらかしてくれる」 シニカルに歪めた片目には強気な輝き。集団行動などクソ食らえと公言して憚らないアッシュが雷慈慟の陣に身を寄せたのは、この馬鹿でかい悪意の具現に一発ぶち込んでやるためだ。 「さぁて、俺様も行くとしようか」 左手には針のような刺突武器、右手には軽く小回りの利くナイフ。そもそも乱戦に向かない対個人戦闘向き(タイマン上等)の彼にとって、強大な一体の『ボス』をぶん殴る機会は願ったり叶ったりであった。 「世界の悪意の象徴? 実体化した狂気? それがどうした細けえこたあ良いんだよ!」 身体のギアなどとうに切り替わっている。『宙を蹴って』上昇し、真っ直ぐに降下する。疾く、速く、鋭く……いや。 「その面が気にいらねえんだ――今の俺様の全力、残さず余さず持って行け!」 それはまさに雷鳴の如く。光と化した剣筋が無数に世界樹へと突き立ち、硬い樹皮を穿ち砕いた。 「気味が悪いが、的当てには丁度良いな」 雷慈慟の陣の最後方。古ぼけた火縄銃を立射の形に構え、龍治は悪意の象徴の眉間に照準を定めた。雑賀の末裔たる彼の腕は、隻眼となり遠近感が失われようともなお確かだ。ましてや、あれだけ大きなターゲットならば、目を瞑って撃っても外すまい。 「この銃技を存分に味わえ、と言いたい所だがな……」 胸中に少しだけ揺らぐ波を感じ、銃を降ろす。原因は判っている。彼の前方、癒し手のラインに布陣する恋人――木蓮の姿。 (……俺も、まだ修行が足りんか) 苦笑いを漏らす。娘ほどの年齢の恋人は、素直で気まぐれで照れ屋で可愛くて。無論、戦場でもこれ以上に頼れる相棒など居ないのだが、常に龍治を護ろうとする姿には、失う危うさを感じもするのだ。 「安心しろよ、龍治」 銃声が聞こえないことを勘違いした木蓮が、振り返って笑いかける。戦場ゆえ、日常の大人しさや気だるさはそこには微塵もなかったが。 「アークの八咫烏、そう簡単に傷つけさせはしないさ」 「……木蓮」 思わず構え、狙わずに引鉄を引く。あっけに取られた顔の彼女は、しかし次の瞬間挑発的な笑みを見せ、振り向きざまにこちらも立射してみせる。スコープを使う必要がないその腕は、龍治が穿った眉間の疵を正確に追い撃って。 「余計な心配だったか?」 屈託なく、少女は笑ってみせるのだ。 そして、さらにその前方。 「憤怒の大罪におちてしまったのですね。ならばロズは、その怒りを、罪をいただきます」 訥々とした口調で祈りの文句を――あるいは断罪の宣告を呟いて、ロズベールは十字の鉄槌を掲げた。修道女の装いをしていることもあってか、ともすれぱ少女とも紛う少年。その在りようはかつての少年十字軍にも似て、純粋で痛ましい。 「主の威光は、世界をわたります」 暗黒の魔力を宿らせた聖別の武器が、恐らくは精神体であろう『悪意』そのものを打つ。憎悪に満ちた精神を、それを上回る純粋な狂気が切り裂いて。 「……さぁ、くい改めなさい……?」 不意に、ロズベールは気づく。先ほどから、この狂樹は何ら怯んだ様子も、手を止めた様子も見せないと。 見せなさ過ぎるのだと。 「もしかしたら、世界樹には麻痺や呪いや、それ以外も、いっさい効かないのかもしれません」 「それは本当ッスか」 驚いた様子を見せるのは、伝令係を務めているリルだ。先のロズベールよりも自らを少女に似せた元フィクサードは、肌も露な衣装の裾をふわりと翻し、周囲と二言・三言をかわす。 『伝令ッス。世界樹には精神系や拘束系、呪詛系、その他諸々効かないらしいッスよ』 戦陣に在るリベリスタに告げられたのは、状態異常の類が効かないという情報。頭の中に次々と湧きあがるイメージは、アークでも使い手の少ない高等なテレバスによるものだ。 「お仕事終わりッス。それにしても、血が滾るッスね」 戦場に満ち満ちた血と鋼鉄と死の匂い。伝令に徹しているとはいえ、戦いの空気は彼を存分に滾らせていた。 「死線で踊る神殺し。燃えるッスよ――死舞いにしようじゃないッスか」 虚空に身を躍らせる。両手のタンバリンを二回叩けば、姿を表す仕込み爪。燕が滑空するように優雅な弧を描いて接近し、瘤を一蹴りしてシャープなターン。 「さぁ、踊ろうッス! 一緒に運命の果てるまで!」 鉤爪が悪意の象徴の頬に当たる部分を大きく引っ掻く。ニ撃、三撃。命を賭けたダンスの中で、いつしかキャップはどこかに飛んでしまっていた。 一方、一歩ずつ樹をよじ登ってくる者達も居た。例えば、手足をぺとり貼り付けてもぞもぞと進むまおがそうだ。 (エクスィス様は、痛いのでしょうか。苦しいのでしょうか) もはやそれを知ることは叶うまい。また、知ったところでどうにもならないとも。 ならば、彼女に出来ることは、フュリエやバイデンと別れなくて済むように戦うだけなのだ。 「お顔がこわばるのって痛そうですけど……」 全身から放つ気糸をはがれそうな樹皮に絡め、一息に削ぎ落とす。世界樹そのものと『悪意』が半ば融合している以上、それは地味であっても効果的な攻撃には違いない。 (……みんなそろって、笑顔で宴会できるように) 皆が生きて帰る為、それぞれがそれぞれの最善を尽くしていた。 「『道』は我が拳にて切り開く。故に行け! あの顔を完膚無きに叩き潰せ!」 この上空とて伸び来る枝は皆無ではない。源一郎は雷慈慟の陣の前方で、それら悪意を護ろうとする者共を相手取っていた。 何人ものリベリスタがすれ違いざまに礼を言い、あの醜悪な顔へと取り付いていく。その背後から忍び寄る枝を見止めるや否や、ようやく慣れてきた空中飛行で迫り、その魁偉なる腕で一息に折り砕く。 その内に源一郎自身を脅威と定めたか、何本もの枝がじりじりと彼を囲んだ。 「無茶はせぬと誓ったが、多少の無理なくして何の勝利を掴めようか」 襲い来る世界樹の長き手。切り払い、あるいは耐え、しかしこの巨漢は希望を捨てる事はない。 「今がその時よ、誓い在る限り我が身は不滅也!」 隠し玉の掌銃を硝煙に浸し、着流しの無頼は昂然とその身を曝す。その時、彼を囲む枝が一斉に炎に包まれた。 「むっ……!」 「間に合ってよかったよ」 振り返れば、後方の杏樹が長大なる機械弓を構えていた。大きく広げた黒翼の女神から放たれたのは、火の神もかくやと言うべき炎の雨。悪意そのものすらその範囲に入れ、燃やしつくさんと炎を上げる。 「神様を殴る前の予行演習だ――世界の悪意なら、ちょうどいい」 このシスターの口癖を思い出し、周囲のリベリスタに和んだ空気が漂う。それにふん、と鼻を鳴らし、杏樹は足下の戦場を見下ろした。 (死んで誇るなよ。生きて戦士の誇りを見せてみろ) それは、眼下で蠢く赤い肌の一群へと投げられた、祈りに等しいものだろう。 「……きっと、神父様ならそうするから」 実のところ、アンジェリカは他の者ほどには、この世界の行く末に興味を見出してはいなかった。それでも、平地を走るように世界樹の幹を駆け上り、零距離でオーラの爆弾を押し付けるのは。 フュリエ達が恐怖を乗り越え、『母』を救いたいと動くのなら。 戦士の誇りと矜持を奪われたバイデン達が、怒りと無念に震えるのなら。 ボクは、フュリエの勇気の助けになりたい。バイデンの誇りある拳になりたい。 「だからボクは行くよ。きっと、神父様ならそうするから」 脳裏によぎる後姿。呟くように繰り返す。手にした鋼糸の重みが存在感を増した。 「お前がこの世界のどんな存在か知らないけど――」 そのまま鞭のように叩き付けた。闘気を篭めた黒糸は、期待通り生木をこそぎとって刻印を刻む。 「――勝手に他人の物を奪っていい権利なんてないんだ!」 知らず、声を荒げていた。ああ、それは、愛することを忘れた行いなのだから。 「ああ、その通りだ」 その叫びは遠く雷慈慟まで届いていた。あひるに気力を分け与えていた彼は、応えるように大音声を唱えてみせる。 「異世界そのものが相手とて、我々は決して劣ってなどいまい! その証を立ててみせろ!」 「うん、その通りだね」 正面に見える大きな、不気味な顔に恐怖を感じざるを得ないあひる。くわっ、という口癖も出ない心境に追い込まれ、それでも逃げ出さないのは、愛する男が世界樹の内部に侵入しているから。 そして、仲間と共に一つの力となって、このミラーミスと対峙しているからだ。 「あひるも……、少しでもその力になれるよう、気合い入れないとね……!」 胸に抱きしめた、アヒルのぬいぐるみと薄汚れた絵本。一人でも多くの仲間を助けられるよう、自分を励まし、もう少しだけ前に出て。 「大丈夫よ、直ぐに治していくからね……。もう少し、頑張っていこっ!」 彼女の温かな心根が無意識の祈りとなって天の扉を叩き、癒しを齎す息吹を招き入れる。痛いの、飛んでけっ! この凄惨な戦場で、そう心から言える彼女は――自分が思うよりずっと、強いのかもしれない。 「ふふん、じっくりねっとりと行こうじゃないか」 年経た老獪さを幼い顔にあらわにして、借り物の翼を背に、リィンは大弓を引き絞る。 「呪詛には呪詛、悪意には悪意だよ。ふふん、どれだけ効くか楽しみだ」 弦の震える音。だが、本物の矢は一本も番えられていなかった。代わりに爛れた空気を切り裂いて飛ぶのは、呪詛を凝縮した破滅の矢。 「や、やっぱり、リィンさんの狙撃技術はすごいですね……」 ほぅ、と息をつく絹は、明るい朱の洋服が似合う少女だ。二人を並べてみれば、絹が幼い容貌である事を考慮しても、姉と弟辺りがしっくり来る関係付けだろう。 だが、リィンは見かけと実年齢が乖離している類のリベリスタだ。それを知っている彼女は、丁寧な言葉遣いを崩さない。 「ふふ、褒めても何も出ないよ? それより……」 「おっと。見入ってる場合じゃないですねっ!」 周囲に舞う儀礼剣の助けを得て魔力を練り上げ、符に託して放つ。闇色の鴉に姿を変えた式神が世界樹の幹に添って飛び、悪意の顔に達したかと思うと小さく爆ぜた。 「なかなかやるじゃないか!」 「え? あ、えへへ……」 まだまだ駆け出しの絹は、攻撃もそれほど威力のあるものではなかったが――そんな一人一人の力を重ねることで、初めて戦いのスタートラインに立てるのだと、リィンは知っていた。 そして、ここにもそう信じる者が一人。 「力無き身なればこそ、皆さんに助力いたしましょう」 色白に過ぎる肌に端正なかんばせを乗せ、アルフォンソはうっそりと笑う。それは『非才』と自ら称するゆえの自嘲の発露に違いなかった。 「在るがままを受け入れて戦うのみ。そして唯一つ、成すべきことを成すのみです」 仲間との知識の共有は既に終わっていた。あとはそれを活かしてくれることを信じ、彼は細いナイフに意識を集中する。 ただ、この世界の友人たちの危地を救うために。雨よ、石を穿て。 「卑小なこの刃でも、集まれば岩をも砕くと信じています」 滑るように真っ直ぐ奔る真空刃。偶然か必然か、その着弾点はリィン、そして絹が傷つけた一点だった。 「悪意がどうとか、妾には知ったこっちゃないがのぅ」 赤いフリルと黄色いリボンを存分に風に靡かせ、からりと笑って宙を疾る玲。ふと気がついて、リボンをしゅるりと外し、髪を背に流す。もちろん、眼帯などもうとっくに棄てていた。 「貴様なんぞに世界をくれてやるような馬鹿ではないぞ! すたいりっしゅな妾の力、見せてやるのじゃ! その手には使い慣れた二丁の拳銃。枝が密集しているポイントに自ら飛び込み、ダンスもかくやというほどに、その身を三次元的に跳ねさせて。 「にゃーっはっは! 喰らえぃ! 妾の弾丸を! ドレッドノートの力を!」 玲は零距離の射撃で次々と枝を射抜き、道を拓くように砕き落とした。その間隙を縫って、白銀の女剣士が力強く飛ぶ。 「みなさんの力になれるなら、ボクが持てる全力でこの戦いに挑むです!」 勇者の目標に相応しく、回復に防御にと臨機応変な動きを見せていた光。だが玲がルートを拓いたことは強襲のチャンスに他ならなかったから、彼女は悪意へと直接立ち向かう意志を決めた。 「一撃でも食らわせて、仲間の為になれるのならそれでいいのです」 闘気で覆った両手持ちの剣先を腰だめに、彼女は身体ごと突貫する。荒れ狂う闘気が爆ぜ、大きな音を立てて木片が四散した。 「命を落とすつもりはありませんが、賭けるくらいいくつでも賭けてあげるですよ……!」 そして、爆煙が僅かな時間で風にさらわれた後、美しい鎧の背中が再び現れる。やるじゃん、と呟きを零したのは、銜え煙草を吐き捨てた狄龍だ。 「よっしゃ! ここは一発、俺も世界樹様にガン飛ばしてくるか!」 光の後を追って大回りに突っ切った。悪意の上方より迫るその先は、勿論『目』に当たる空洞。 「おら、目を合わしてみろよ!」 視線に殺意と魔力とを込め、枯れてしまっても構わないとばかりに叩き込む。もちろん、相手は空ろなる眼窩。帰ってくる意思などないはずだが――。 ぞくり。 「げ、やべェ、とっととケツまくるぜ!」 あれはまずい――本能的に悟り引き返す狄龍。だがその足首を、ぬめりとした『霧』が掴む。それは、戦場に充満する瘴気でも毒霧でもなく、もっと根源的な呪詛をはらんだ、なにか――。 「な、にぃっ!」 世界樹の周囲に、突如悲鳴が巻き起こる。 どこか夜闇を思わせる黒き霧。それに触れた者達、中でもフライエンジェ以外の仮初の翼を背に宿した者達が、一斉に落下を始めたのだ。 「うわあぁぁぁぁ!」 多くは、フライエンジェや霧の範囲外に居た者に救われていた。だが、少なからぬ者達が地表に激突し、戦線を離脱するほどの傷を負うこととなる。 だが、何より、黒き霧が齎した最も大きな被害は。 全員で攻め込めば、一網打尽にされるかもしれない、という怖れだったのだ。 ●Biden and Mutants/2 「参ったわね、ホント」 戦場には場違いなエレキの叫びが鼓膜を激しくノックする。アーク謹製のアンプ内蔵ギターを腹立ち紛れにかき鳴らし、杏は唇を噛んだ。 「ちょっと多すぎなんじゃないの、これ!」 倒して倒して倒し続けて、それでも変異生物の波は止むことを知らない。リベリスタ達はよく防いではいたが、重症を負い動けなくなる者も少しずつ増えていた。 そう、攻めているのではなく、『防いではいた』のだ。 敵の主力はバイデンではなく巨獣。ならば、このラ・ル・カーナ中の獣が異形と化し、この世界樹へと進軍を開始したとしても、何も不思議ではない。 「だからどうしたって言うのよ。撃てば当たるってだけのこと」 圧倒的な迫力を誇る、背丈より長いカルヴァリン砲。その遣い手たるクリスティーナは、砲台の二つ名の由来をこれでもかとばかりに誇示していた。 「万物全て、灰燼に還してあげる」 砲身が魔力の塊を放つたび、獣達の只中で爆発が巻き起こる。何人たりと殲滅砲台からは逃げられない、逃がさない。嘯いた言葉が嘘ではないことを照明してみせた少女は、だがそれゆえに、無数の敵意を身に受けることになった。 「こんな程度の攻撃で、墜ちてなんていられないのよっ!」 だが、降り注いだ刃の羽に身を刻まれ、自慢のロリータ・ファッションを襤褸布にされ、それでも彼女は怯まない。ラ・ル・カーナだけではなくボトムチャンネルの平和のため、怯むことなどできはしない。 「ああもう、こんな所でしんどい目にあっても一円の得にもならないのに!」 背の翼を有効に使えば、あるいはこの逆包囲からも離脱できたかもしれない。だが、既に杏はそのタイミングを逃していた。飛べば攻撃の的になるのは目に見えているし、アークは勝手な戦線離脱を許すほど甘くはない。 そして何より。 「今ここで逃げたら、格好悪いじゃないのよ!」 魂の本音をぶちまけて、彼女は稲妻の矢を敵中に叩き込んだ。 「……本当、軽く絶望しちゃう状況だけど」 そう言う逆境は嫌いじゃないわ、と勝気な笑みを閃かせ、レイチェルは傍らの『兄』を見やった。 「で、どうするの、兄様?」 「意気軒昂たる敵の鼻っ柱を叩き、気勢をそぐ。さすれば、如何に強大であろうと必勝疑いない!」 時代懸かった言い回し。どこか演技めいたカインの指摘は、だがしかし、この場では最適の解だったろう。退くことができないならば、攻めるより他にない。 「さような心の機微をやつらが持ち合わせていないならば、力づくで打ち倒すのみ。さあ、我がこの世界の未来を切り開いて見せようぞ!」 凝った装飾の小銃が吐き出したのは、鉛の銃弾ではなく闇の瘴気。命を奪う不吉不運の暗黒が、触手を伸ばすように獣共を狙い撃つ。 「一軍を率いる貴族であろうと、前に出ぬ者に誰が従うというのか!」 「……まあ、無理せず頑張りましょう」 毒気を抜かれながらも自分を立ち直らせ、レイチェルもまた得物たる大剣に血を啜らせ、朽ちたる波動を敵の群へと解き放った。 「ま、力不足は否めないけど――兄様と離れたくないのよ」 その言葉は、彼には聞こえないように囁いて。そんな僅かな胸の疼きを、物量作戦とは生意気な、という大音声が粉微塵に打ち砕いた。 「ならば私の独壇場である! 目の前の敵を全て平らげ、本場の物量を見せてくれるわ!」 昂然と仁王立ちするベルカ。サイズが小さいのか、体型をぴっちりと目立たせる軍服に身を包んだ紅いオーラの兵士は、銃剣を右手に構えながらも、左手に何かを握った。 「さあ、制圧せよ!」 壜状の何かを投じ、耳を塞いで目を閉じる。次の瞬間、光の奔流と鼓膜を破る爆音が周囲を圧し、変容した獣すら呆然とさせた。 「一人でも多くの同志に我が力を!」 「……やれやれ、酷いお祭り騒ぎですね」 かろうじて目と耳を塞いだユーキが、呆れたように首を振る。予告無しの花火はリベリスタの度肝を抜いたが、動きを止めた獣を見れば、その効果の凄まじさも理解できた。 「しかし、よくよく考えれば、アークというのは凄まじい組織ですね」 かつて属したオルクス・バラストだけでなく、他の大組織にも、ボトムチャンネルから飛び出てR-TYPEの眷属と戦った経験などありはしない。極東の空白地帯がいまや神秘界隈の注目の的なのも、むべなるかなというところだろう。 「さて、ツキの無い女の呪い、味わっていただきましょうか」 魔力秘めたる剣を一息に振り切れば、纏った漆黒のオーラが黒き刃となって異形を切り刻む。凛として涼やかなユーキの眼差しは、その犠牲者が『かろうじて生き残った』ことに最後の幸運を使い果たしたと知っていた。 「若いモンは心配せんと気張ってこいや! ケツはおっさんらが守っちゃるきに!」 ハイブリッド方言でエールを送る仁太。そのテンションは戦陣のトリガーハッピーというには余りにも高い。だからこそ長い付き合いの吾郎は、様子がおかしいと既に勘付いていた。 (……こいつ絶対に抱え込んでるな、ったく) さっさと俺に言いやがれ、と心中で一発ぶちのめし、狼の牙を剥きだしにして吾郎は猛る。大柄で精悍な肉体に似合わぬ、素早く繊細な剣技。ゆらり、幻影を纏った一閃が、獣をその身に取り込んだバイデンを浅く斬った。 「自分で値下げするんじゃねぇ、お前に価値を付けるのはお前だ!」 「でも、足りんのや……運も。力も。まるで程遠い」 破壊の象徴たる巨銃より死の銃弾を撒き散らし、その威力で仁太は異形の波を押し返す。だが、ぽつり漏らした本心は、疲れきった風情で。 「でもな、周りからは存外思っているより良い価値がついてるもんだ」 敵中で剣舞を舞いながら、気楽に出来る相手が俺には大事なんだよと、続ける吾郎。 一瞬の沈黙。うつむいた顔を上げ、カバーは頼むで、と向き直る仁太。これで気兼ねなくぶん殴りに行けるな、と狼は男臭い笑みを見せた。 「普段じゃこんな事死んでも言わないけどな、忘れるなよ、俺はいつだって、お前の――」 (わ、わ、これお姉ちゃんが聞いたら無敵モード突入なんじゃ) 耐性はあったつもりだが、実弾の威力はそれ以上。一人顔を紅くする双葉、アークの誇るバイデンクイーンの妹である。 「わ、私は腐ってないもん! 派手に行っちゃうんだから!」 親指の先、歯で噛み切った傷から小さな血の雫が零れ落ちた。その雫が残した赤い軌跡を媒体にして次々に現れる呪詛の黒鎖。 それは一本や二本ではない。何十、何百の縛鎖が奔流となり、なにやら固い絆を結ぶ二人の巨漢を中心に四方の敵を飲み込んだ。 「うん、私、お姉ちゃん達が帰ってくる場所を守る為にがんばるよ!」 大切な者の退路を護る為にこの戦場に身を投じたのは、双葉だけではない。例えばこの青年、休まずに戦い、肩で息をする終もそうだった。 「舞りゅんと京ちゃんは世界樹の内部か……二人とも無事に帰ってくるよね」 「誰ひとり欠けさせはしないさ、終先生」 男児めいた物言いで答えたのは、着物をリメイクしたようなドレスの少女。薄く紫に輝く刀を手に巨獣を斬り続けた梶・リュクターン・五月も、その前髪を汗で額に貼り付けている。 「先生、オレ戦えてる? 先生がいるから、オレは頑張れる」 「……ん、頑張ってるよ。でも、もっと頑張らなくっちゃね」 二本のナイフで攻防自在のラッシュをかけ、かと思えば凍てつく冷気を拳に纏わせて、凍りついた地面に巨獣を縫いとめる。一撃の軽さを手数で補い、ガンガンいこう、と声をかける終の背を、少女は憧憬の眼差しで追いかけた。 「終わったら頭撫でてくれよ、先生。皆に頑張ったよって言おうな」 「あはは、めいちゃんには花丸をあげるよ」 青年を追い越して、愛刀を一閃。雷を纏う薄紫の刃が、勢いよく突入してきた角だらけの犀を袈裟懸けに切り捨てた。 ――生きる為の闘争だ。全てを終わらせる為の戦争だ。 「勝利は請うものじゃない、掴み取るものだ!」 幸せをくれる皆を守るのはオレの仕事、オレがオレである証。その為に戦おう――それは少女の決意。幼いが故の理想。 「行こう、めいちゃん!」 そして、終は理想を形にしようと足掻くのだ。自分の生に、それだけの意味と価値があると信じて。 「お前達、無理はせずに下がるのだぞ! こんなところで寝転がられても面倒だからな、ふん!」 奮戦する二人を気遣ったのかどうか。薄い胸を一杯に張ってなずなが叩いた憎まれ口は、しかし周りにしてみれば、心配の色がありありの可愛らしい台詞だった。 「……っ! 薄いとか言うな! 燃やすぞ! 灰になれ!」 地の文にまで食ってかかるなずな。変異生物より先に味方を燃やしかねない爆弾娘だが、流石に戦闘の真っ最中ということに気がつき落ち着きを取り戻す。 「まぁ、たまにはこういう戦場も悪くは無いな……どいつから焦がしてやろうか?」 輝く金の腕輪には、血のように紅いジュエルと煤けた汚れ。爆炎の申し子がその両手に生み出したのは、しかし高熱の火球ではなく、以外にも圧縮された雷の塊だった。 「全員纏めて消し炭だ! 遠慮せずにかかって来るがいいのだ!」 放たれた一条の稲妻が八方に爆ぜ散り、次々と異形の怪物を打ち据える。高笑いする赤猫に、派手にやってるねぇ、と真澄は苦笑を向けた。 「あっちもこっちもせっかちな子だね、煙草の一本も吸えやしない」 胸の谷間を見せ付ける、艶のある黒のスーツ。振り返ったなずなの邪眼めいた凝視を受け流し、彼女はぶん、と肉感的な脚で宙を蹴った。生み出された鎌鼬が、バイデンだったものの肩をざくり抉り取る。 「さあおいで化け物達。私達としたいって溜まってるんでしょ?」 この戦場の何処かで戦う兄は、まだ無事だろうか。そんなことを思いながら、女は戦場を駆け抜ける。 「酷い所に駆り出されたなあ……」 黒ずくめの装束に金の髪。どこかのほほんとした雰囲気を醸し出すアーベルは、でもやるしかないよね、と緩く首を振った。 「ここは防衛の要所ってヤツだヨ! Carriage horseみたいに頑張っちゃお!」 そんな背中をパン、と叩く伊丹。ナース服のような装甲に点滴台を引っさげた彼女は、戦場のナイチンゲールといったところか。心地よい背の痛みからじんわりと温かい魔力の流れを感じ、ありがとう、と青年は一声告げる。 「No Probrem! 十秒でも長く戦ってもらうからネ!」 何処までもテンションの高い伊丹に背を押され、アーベルは一歩前に出た。構えたガトリングががちゃりと音を立てる。 「無茶出来ないけど、頑張っていこうかぁ」 雨霰と吐き出された弾丸が、一人弾幕の如く彼の正面を征圧する。その後ろで、アタシもう寝てていいんじゃね? と宣うふてぶてしいギャルが一人。 「あーもう、ホンットウザいけど……まー、関わった以上はしゃーないか……」 ぶつぶつと呟くゐろはは、正真正銘何処から見てもギャルである。もっと言えば、一昔前のヤマンバだ。 ……白くてふわふわのロリータファッション、などというぶっ飛んだ格好でなかったら、ではあるが。 「うー、よしやる。そこ、行くよ!」 重量感の増した身体を気だるげに動かし、白い悪魔はこれまた化粧と合っていない日傘を前方へと向けた。それはアークの技術の粋を無駄に集めた仕込み傘。先端の口から飛び出した筒が、敵陣のはるか後方でずん、と炸裂し、閃光と轟音を解き放つ。 「うぉっ、ひびったぁ!」 「ごめんっ、今度何か奢る!」 閃光弾に巻き込まれかけたのは、敵陣深く切り込んでいた義衛郎だ。公務員の自覚というべきか、守りを固めたがるこの方面のリベリスタの中で、彼が買って出た役割は決して安全ではなかった。 「しかし、ある意味壮観だな。これだけ倒してまだ沸くか……!」 敵の死角に回り、攻撃し、掻き乱す。気を抜けは無事では居られない特攻、だが彼は不安など感じてはいない。 補い合うのがアークの強みだ、と固く信じていたからだ。 「世界樹の中でな、オレの大事なお嬢さんが気張ってんだ。無事に連れて帰らないとならないんだ」 普段の軽さは険しい表情に取って代わられていた。永き時を戦い、血河に倒れ伏せ。周囲四方は全て敵、腰の二刀の一振りを手に、彼は手当たり次第斬り捨てる。 「まだ燃え尽きてくれるなよ、オレの命。あのお嬢さんを泣かせたくはないんでな!」 「判ってるなら無茶は厳禁ですよ!」 いつしか包囲されていた義衛郎。そこに突っ込んできたのは、珍しく脚だけでなく拳も使っているヘルマンである。 「死にたくないんです。死なせたくないんです。だから、死ぬ気で戦います!」 アーク最哀と名高い彼であるが、決してマスコットというわけではない。殊に、その蹴りの鋭さは一目を置かれるほどに磨かれていた。 義衛郎の背後から襲おうとした猿のような獣に炎の一撃を決めて、彼は涙目になりながらも絶叫する。 「今日もハッピーでクールでスマートに! やっちゃいますよぉヘルガさん!」 「まあ、ヘルマンさんったら」 くす、と微笑んだ気配は頭上から。白い翼をはためかせてヘルマンに追随するヘルガは、人形のように整った顔に柔らかい笑顔を浮かべて執事を見守っていた。 「でも、本当に、無理はしないでね」 鈴の転がったような声が奏でるのは、戦場には似合わない天上の賛美歌。鳴り響く福音に勇気付けられ、再び立ち上がったリベリスタ達は、憧憬の視線で天翔ける天使を仰ぎ見る。 「お腹がすいたら、ちょっと血をもらうわね。大丈夫、今度お菓子で返すから……!」 その視線も、そんな浮世離れした台詞と同時にあらぬ方へと逸らされてしまったのだが。 「ここが正念場ってやつだからね! そりゃお腹も空くってもんさ」 金のフルプレートに身を包んだ騎士がヘルマンの開けた穴に続く。盾を掲げ被弾覚悟で分け入った付喪は、しかし実のところ、然程打たれ強くはない後衛だった。 「ま、ピンチに現れるのはヒーローと謎の騎士の特権だからね。はっはっは」 魔道書から迸る稲妻が、四方に荒れ狂い零距離で異形を穿つ。そんな危険を彼女に侵させるのは、R-Typeによる悲劇を止めるのだ、という思い。 あいつのせいで不幸になる世界をこれ以上増やさない、という決意だ。 「あの日に間に合わなかった分――今日取り返してみせるさ!」 ●Emissary of the WORLD/2 「正直さー、ワタシは死にたくないし、そもそもこんな場所に来たくないんだよ」 タータンチェックは勝利の証。現役アイドルを全身で主張する明奈は、流れるように愚痴を言い募る。それを聞きとがめたのは、戦いへの恐怖を隠せない美月だ。 「じゃ、じゃあ、白石部員はどうしてここに居るんだ」 「だって、知り合いが頑張ってるじゃん? 友達が戦ってるんじゃん?」 ――それに、あのクズでゴミでアウトな馬鹿も、世界樹の中で命張ってるんだろうし。 「見過ごせるほど、ワタシは冷たくないんだよなあ!」 二枚仕立ての大盾は、一歩も退かないという不屈の象徴。伸びる枝を叩き落し、明奈は不敵なまでの笑みを浮かべる。 「こ、怖きゅ、怖くない、こーわーくーなーいー!」 にゅ、に、逃げ出すもんか、と歯の根が合わない美月は、だからこそ明奈を眩しく見つめていた。 「最後まで守り切って、立ってればいいんだろ? 心配しないで任せなさい!」 護られているという安心感と、それ以上に、彼女のようにありたいという勇気。 「白石部員だっているんだ、皆と一緒なんだ!」 未だ健在の使者より放たれた猛毒を、高位存在の力を引き出して風に散らす。ふ、と見上げたのは、醜悪な呪詛をその身に刻む世界樹。 (君の気持ちを感じることはできないけれど、でも、ずっと覚えておくね) ふと気づく。『リセット』された世界樹の心はどこに行くのか。美月の胸を疼かせる思い。必要なことだとは、判っているけれど――。 「日和見主義でごめんなさいね、でも俺もそう思うよ」 判ってるよ、とばかりに彼女の頭をぽん、と叩いた手。傍らに立つ作務衣を見上げれば、蓮のやや幼い顔に三度笠が影を落としていた。 「喧嘩位なら見て見ぬ振りも出来たんだろうけどね。でも、未来が一つずつ死んでいく。何もかも。何もかも」 「……君はおじさん臭いな」 ようやく落ち着いたか、普段のドヤ顔で切り返す美月。またか、とばかりに絶句した青年は、まだ二十三なんだけどなぁ、と肩を落として。 「まあ、頑張って一緒に支えよう。誰にも死んだら泣く人位は居るものよ」 地を這う根に、先制で凍てついた拳を一突き。たちまち凍りついた世界樹の一部を、金剛杖で叩き割る。 「いつどこから敵が来るのか判らないわ。警戒して」 水軍の忍を自認する沙霧が、鋭く警告を放つ。頭上から足下から、何処から次の攻撃が来るのか――それは、過大なるプレッシャーを強いていたけれど。 一旦退こう、などという声は、誰からも出ることはない。 「みんな、命張ってるのよ。……私だってそう。覚悟決めてるんだから」 革紐を拳に捲きつけ、次々迫る敵を打ち払う。未だ戦意旺盛なのは、きっと彼女だけではないのだろう。 大穴近辺の戦闘は、比較的安定して推移していた。一つには、イザーク率いるバイデンに強敵の使者達が群がったため、リベリスタに大きな被害が出なかったことが大きい。 だがそれは、数少ないバイデンに更なる出血を強いる結果となった。 「おおおおおおっ!」 イザークの槍が、新手の使者の『口』を貫いた。生身の相手ならば即死必須の疵を受け、しかし世界樹のミニチュアは、動きを止めようとはしない。 次の瞬間。 「……! なんだと!」 使者は鋭い歯を骨槍に突き立てる。がり、と響く音。それだけで、数多の戦いを彼と共に押し通った巨獣の槍は、真っ二つに折られてしまった。あまりの有様に、呆然とするイザーク。 「ちいっ!」 役に立たぬ柄を棄てて、その肥大した拳を恃みに殴りかかる。だが、硬く変質した表皮は、彼の拳すら通そうとはしない。醜悪なる姿の樹精は、勝ち誇ったように大枝を振りかざし――。 「私も毒されて来たのかしらね」 烈風の如く激しい銃弾の嵐が、横殴りに妖樹へと吹き付ける。桜舞う銃身を正眼に構えるこじりは、あの無邪気でどうしようもない少年の――あるいは、数多くの仲間達を思わざるを得なかった。 異世界のことなど、どうだっていいはず。なのに、足は勝手に進み、胸は異様なほど震える。命を賭けた天秤の対価は、名も知らぬ人々の命。 「とかくこの世は不自然不条理……だったかしら。ねぇ、イザーク」 かつて橋頭堡で戦ったバイデンの勇者。いまや得物を失った戦士をちらと一瞥し、気まぐれな雌猫は背に負った剣を投げ渡す。 「あげるわ。使いこなせるかは知らないけれど」 それは黒き鉄塊。斧とも見紛う長大で厚い刃は、かつて彼女がアークの戦鬼より受け継いだ凶器だ。 「元の持ち主もバイデンだったから、ちょうどいいかもしれないわね」 「こんな玩具を持っていたバイデンを、俺は知らないがな」 真意を図りかねるイザークに、こじりは彼女には珍しい微笑を見せ――まだ赤熱の残る、桜舞う銃身で、新たなる世界樹の使者を指してみせた。 「貰うのが気に入らないなら、分捕ってみせなさい。アレをどちらが先に倒せるか、勝負よ」 「……良いだろう、世界樹の前に血祭りにあげてやる!」 この男にとっては戦いこそが快楽であり生き様なのだと、その咆哮を前に、こじりは改めて実感する。ならせめて、握り締めた新たなる得物が、ボトムチャンネルとの繋がりが、彼の変異を遅らせるようにと……そう願わざるを得なかった。 「これが、事実上最後のバイデン……」 すらりとしたナイトコートを血に染めて戦い続けたユーディス。一度ならずバイデンと剣を交えたこともある彼女だったが、嬉々として――そう、かつて戦った相手とは比較にならないほど嬉々として闘争に身を投じる姿に、彼女は度肝を抜かれていた。 「世界樹と戦い散ることは、彼らにとって本望……か」 世界樹の力を削ぐ強力な切り札。そう考えていた彼女の頬を引っぱたくような衝撃。だが同時に、ユーディスはかすかな不安をも感じているのだ。 「イザーク・フェルノ……負けることが、バイデンの本懐なのですか」 死を恐れないバイデン。それは、泥をすすってでも勝つことを諦めた姿ではないのか。そして、何がどうであれ、悪夢の穢れに飲まれる運命は避けられない。 「そうでないならば、抗いなさい!」 美しい金の髪よりもなお眩しく輝く騎士槍。破邪の光を纏わせた穂先が、悪意の使者の胴を深く穿つ。 「見殺しにはできんじゃろう! 見ろ、まだ生きておるのじゃ!」 騒がしく乱入してきた若作りの爺様が、小兵なれども隆々たる筋肉を誇る両腕を頭上で打ち鳴らす。獅子の頭にらんらんと輝く瞳、未だ盛んなる権太は、ぐ、と拳を固め腕を引く。 「それにのう、例え相容れぬ存在であったとしてもな、世界の危機の前には空の彼方まで飛ばすもんじゃ!」 誰もが渾身の突きを予想した。だが、放たれたのは鉄拳ではなく、なんと魔力の矢だ。どこからどう見ても前衛向きのマッチョな爺様は、ぐいぐい前に出ながらもマナの力を大盤振る舞いし続ける。 「未だ死ぬには早い、生きて更なる高みへ行けい!」 「犠牲は少ないほうが、良いに決まっています」 学園の制服に身を包んだ七花が、硬い表情を隠せずに、しかし臆せず言い切った。内向的で空回りも多い、とは周囲の評価。鉄火場の中にあって自分を見失わない強さは、そんな評を完全に覆してはいたが。 「ナイチンゲールを気取るわけではありません、けれど」 翼のはためくような柔らかな風が吹き、傷ついたバイデンに宿る。強いものに挑むなら、万全なほうが楽しいでしょう――そう言われてしまっては、元より弁の立たぬバイデンはあえて怒りもしなかったが。 「少しでも長く戦いたいでしょう? 私達を利用しなさい。悪いようにはしないわ」 バイデンに寄り添う一隊を率いるのは、女教師然と振舞うティアリアだ。正面から共闘を申し入れても反応するまい、という彼女の予想は、バイデンの単純さをよく理解してのものだろう。 「……っ! お嬢様!」 そんな彼女を頭上から狙う枝。しなる鞭のようにびゅん、と風を鳴らし、しかしティアリアは動こうとはしない。代わりにその打擲を受けたのは、麗人の傍らに控えた執事服の男だった。 「お嬢様。私めはお嬢様の意思に従い、お嬢様をお助けするのみで御座います」 苦痛は顔に出さず、忠臣アルバートはそっと一礼してみせた。ありがとう、と鷹揚に礼を言うティアリア。その言葉が揺らぎ、遅れたことを、当の本人も気づいてはいないだろうけれど。 「バイデンの皆様、ご武運を」 「イザーク、目いっぱい戦いなさい。お膳立てはしてあげる。そして、新たなる『最強』になりなさい」 かつて自分を破ったバイデンに、彼女は言い募る。その瞳から、冷酷な眼差しは鳴りを潜めていた。 「まさか、バイデンたちと肩を並べて戦うときが来るとはな」 だがこれも面白い、と犬歯を剥きだしにして大笑するディートリッヒは、未知なる死闘に爛々と瞳を輝かせていた。 「俺もあいつらも似た者同士――戦闘狂ってやつなんだからな!」 十字傷が戦いの熱気に紅潮する。見上げるような体躯を存分に活かし、英雄の剣を力任せに押し込んで前線を広げる彼は、バイデンにも劣らぬウォーモンガー。 「そして強き敵と戦い、屠る。ただそれだけだ!」 「フ、ハッハッハッハハ!」 その口上が気に入ったか、ディートリッヒの開けた花道を更に抉じ開けるべく、漆黒の獣が飛び込んだ。 「良い。良いなこの状況は。あぁ戦おう。心行くまで戦い抜こう!」 いや、それは黒ずくめの純粋戦士、もう一人の戦闘狂。大槍を振り回すシビリズは、酔いに任せたかのようにバイデン達へと謳ってみせる。 「任せたまえ、ここは抑えてみせる――征け、『悪意』の喉元へ!」 狙うは強敵。求めるは苦闘。光に満ちた断罪の槍が、妖樹の化身へと突き入れられた。 「なぁ――勝とうではないかッ!」 「うわぉ、なんだかすっごい気迫だねぇー」 一方、気の抜けた感想を漏らすのは、彼女の身体にはやや大きめの弓を引くシャルロッテ。この戦場に何人も現れたゴスロリドレスは、しかし神秘の業かアークの技術か、見かけよりも遥かに動きやすく打たれ強い。 「攻撃力だけがとりえだからねー。もうばんばん撃って、運命変えちゃうよー」 今この瞬間、シャルロッテの運命を塗り替えるのは、魔弓から放つ闇色の矢しかありえない。スチールの矢の代わりに瘴気のエネルギーを凝縮し、四方に乱れ射る彼女の瞳は、アメジストの紫とトルマリンの蒼に揺れていた。 「次はこっちからきてるですよ、休まず撃つですああもうめんどくせーです働きたくない!」 息をするのも面倒くさい、という決まり文句が冗談にならない勢いで面倒がる小路は、しかしその言葉とは裏腹に、忙しく駆け回る羽目に陥っていた。アークもこの戦場も、ただ飯を食らわせてくれるほど甘くはない。 「あたしは家で寝ていたかったのに、全部こいつのせーですね」 小豆色のジャージに掛け布団。休む気満々の少女は、屹立する狂樹を恨めしげに睨み付けた。こうなればとっとと片付けてしまえ、と手にした交通標識を振り回す。 「ほら、あたしの代わりにきりきり動くです!」 真空の刃を撒き散らしながらそう宣う小路に、言ってくれる、と京は低く笑う。喉を鳴らすその様は、紛れも無く大人の男の仕草だったが――。 「うん、京さん、張り切って怪物退治頑張るのー!」 口を衝いたのはあどけない口調。ころころと転がる声色は、まさに十代の少女のそれだった。 「だからみんなー、京のこと、手伝ってねー!」 彼がそう振舞うに至った道程を、今この場では語るまい。重要なのは、攻防のテクニックを共有した京が残る使者に迫り、紅に染めた爪で大きくその幹を砕いた、ということだった。 既に、突入部隊が世界樹の中に消えてから、相当の時間が経っていた。リベリスタ達の中にも、傷つき、倒れる者が出始める。 それでも、各所で優勢に戦いを進めていた彼らは、このまま押し切れる、と信じていた。信じて疑っていなかった。 だが、しかし。 ――卑小なるものよ。 その声は、得物が撃ち合わさる音も、枝が砕け散る音も、怒号も悲鳴も快哉も、全ての音という音を圧し、あまねくこの戦場の全てに響き渡った。 ――卑小なるものよ。汝ら、己が滅びの運命を受け入れよ。 同時に。 世界樹の周囲を覆う瘴気が、ねとり、と密度を上げる。天より地より襲い来る枝や根が際限なく生み出され、四方より押し寄せる変異生物もまた、その数とタフさとを増していた。 「あいつ、喋れたのかよ……!」 唸る義弘。世界樹に浮かぶ醜悪な顔、『世界樹の悪意』。肩を押さえつけるような敵意のプレッシャーに、ぶるり、彼は身震いをして。 「……根性見せるぜ。全てを守るなんて事は言わないが、やれるだけのことはしてみせるさ」 勢いをつけて迫る枝を左手の盾でいなし、新たに現れたミニ世界樹へと槌の頭を叩き込む。流石に一撃で屠ることなど出来ようはずもないが、義弘は逃げない。怯まない。 「俺は侠気の盾だからな。名乗るだけの働きはして見せるさ」 中に行った奴等の為に、帰り道を守り切る。今こそその決意が試されるときだと、誰もが判っていた。 「ラ・ル・カーナでのラストバトル、きっちり〆てやるとしますか」 身の丈ほどもある巨大機関銃と、その全長をさらに伸ばす厚刃の銃剣。ブレスの振るうオールレンジの凶器は、その大きさ故に戦場でも良く目立っていた。 「一人で出来る仕事じゃねぇが、力を合わせりゃどうにでもなるさ!」 不退転の覚悟を胸に、彼は当たるを幸いに銃弾をばら撒いた。一歩。また一歩。中世ヨーロッパのパイク兵の如く。圧倒的な物量を武器に、傷ついても、じりじりとでも前線を進めていく。 「ま、焦りは禁物だぜ。後退して補給なんて、悠長なことは言ってられないだろうしな」 「は、ははっ。死ぬには良い日かと思いましたが、そんな聞き分けの良いことは言っていられませんね」 一目で重装備と判る、ごてごてとした装甲服。その胸部には、時村綜合警備保障(株)のロゴと紋章がペイントされている。 「後ろを守るのも大切な役目です。死守命令とあらば、その重さは例えられません」 大盾に隠れながら鉛弾を撃ち込んでいた守にも、世界樹の眷属は攻撃を躊躇わない。防ぎ、かわし、それでも幾らかは直撃を受け。無事とは言えない有様だが、それでも彼は立っていた。 「苦しいときこそなんとやら、と父も申しておりました」 ニヤリと笑う彼の顔は、フルフェイスのヘルムで隠れて見えなかったのだが。 「出し惜しみなしだ、ぶちかましてやんぜ!」 大御堂重工の落とし子は、モーターのトルクで戦意を語る。一見アンティークな甲冑に見えたカルラの装甲は、唯守るだけでなく、少年に驚異的な膂力を与える補助戦具だ。 「お前ら皆、待ってる人、待たせてる人がいるんだろ? なら、負けてられるかよ!」 俺はいねぇけどな、と唇を歪め、彼は愛用の得物――黒き騎士槍を構えた。ぐぃん、とモーターの音。遅れて、槍そのものがドリルのように回転し、螺旋の力場さえ生み出して纏う。 「俺はこんなところで終わりたくねぇし、皆を終わらせたくもねぇからな!」 義弘や守が攻め立てて尚倒れなかった使者を、その穂先が捉え――微塵に砕いた。 苦闘。激闘。死闘。 どう呼ぼうとも構うまい。少しずつ塞がっていく突入口をこじ開けながらの防衛線は、泥沼の惨状を呈していた。 バイデンの一隊もまた、突撃しては阻まれ、を繰り返している。それでも彼らは皆、実に楽しそうであった。奇妙な表現ではあるが、死の只中で生の喜びに満ち溢れていた。それは、イザークもまた同じこと。 その彼の愉悦が、瞬時に憤怒へと変わった。 「……イゾルゲ……!」 頭の右半分を割り砕かれた、バイデンの『死体』。ゆらりと立ち上がった身体が、鉄の色に染まっていく。 変わり果てた姿。だが、誰があの大槌を見間違えるものか。 「……俺達バイデンの誇りを愚弄するか……!」 バイデンは死を恐れないが、死に意味を求める者は多い。戦いの中の死。それはバイデンにとって珍しくもない死に様で、しかし、ある種神聖な行為でもあった。 世界樹の悪意は、それすらも穢したのだ。 「おおおおおっ!」 黒刃を振りかざし迫るイザーク。脇を固めていたもう一人のバイデンが、それに続いた。だが、イゾルゲであった者が振り回すハンマーは、容赦なく彼らを捉え、骨も折れよと弾き飛ばす。 「血塗られた月は我と共にあり! みーんな、害獣にな~れ!」 「この刃でバラバラにしてやるわい!」 そのイゾルゲを、ウーニャの掛け声と同時に赤い月のエネルギーが襲い、次いで一足飛びに斬り込んだレイラインの猫の爪が引き裂いた。 「もう顔は見れないと思ったんだけど、ルカちゃんが導いてくれたのかな」 イザークとは面識がある――剣を交えた二人。その片方、アークの誇るピンクの害獣は、どこか透き通った目で彼を見ていた。かつて戦った純粋戦士を前にして、気まぐれな愛嬌も憎しみもそこにはない。 「もしかしたら、似ているのかもしれないね」 彼女の台詞は、イザークには理解できなかった。彼女もそれでよかった。だが、続くレイラインの呼びかけは、もっと即物的に彼を揺らすものだ。 「ここはわらわ達に任せておくがよいのじゃ」 狂いし世界樹のおぞましい姿。本能が感じる最大級の警報。だが、彼女もまた、守るものを持っていた。攻め込んだ仲間達の為。自分の帰りを待つ者の為。 そして、イザークの怒りをもまた、レイラインは正しく受け取っていたのだ。 「プリンスの分までぶちかましてくるのじゃ。アレは、わらわ達が片をつける」 「……」 その言葉にイザークは何を思ったか。一瞬の逡巡ののち――怒りの申し子たるバイデンとしては驚異的なことに――彼は踵を返し、リベリスタの脇をすり抜けて世界樹へと駆け出した。 「行くが良い。お前達にも死に場所を選ぶ権利がある」 漆黒と紅蓮の二振り。廻斗の手には失った罪と終わり無き罰。死ぬには良い日だ、と皮肉も高揚も無く呟いて。 「――廻斗」 「いや、死ぬ心算など無いさ。……少なくともお前の前ではな」 柔らかな声がかけられる。それは彼が唯一守ると決めた、全てを包む希望の翼。傍らの祈に詫びるように言って、彼は黒のコートを翻す。艶やかな髪の少女は、安堵を視線に載せながらその後を追った。 「行きましょう、廻斗。私達の戦場に。皆の帰る場所を守る戦いに」 「ああ、行くぞ葛葉。世界を救う戦いだ」 今度こそ守る。それは心の中だけで呟いて、彼は駆け出した。狙うは屹立するイゾルゲ。一息に距離を詰めると、遠心力に任せた大槌をぎりぎりの位置で見切り、紅剣でその軌道を逸らす。 「さあ、俺を殺してみせろ、世界よ!」 黒剣を更なる暗黒に染め、廻斗は躊躇い無くがら空きの胴へと斬りつける。生物であれば一撃で仕留められるほどの、それは会心の一撃。 だが。 「く、うっ!」 イゾルゲは動いてはいても最早生きてはおらず、それ故に痛みを感じることもない。不自然な程の動きで襲来したハンマーヘッドが、斬撃を決めた廻斗の一瞬の隙を突き、真芯で捉えた。 「廻斗!」 祈の魔道書が震えるほどの魔力を発し、溢れさせて渦を巻く。傷ついた全てを包む為の翼。だが、この危なっかしい青年は、彼女にとってもまた守るべき存在だった。 「廻斗、あなたに立ち上がる力を。後悔しない勇気を。再び歩き出す未来を――!」 それはもはや突風と呼ぶに相応しかった。勢い良く廻斗を包む風。それが止んだとき、一旦は地に伏せた青年は、再び立ち上がり双剣を構えていたのだ。 「Blowin' in the Wind.答えは風の中に、だな」 くっ、と喉を鳴らしたプレインフェザーは、この戦場にあってさえどこか眠たげな目を恋人へと向けた。長大なる銃を肩に担いだ、機械の闘士。 「あいつはヤバイよ。判ってる、それくらい」 月のように弧を描いたブーメラン。その一端を握る手に、力が篭った。だが、淡い輝きの瞳に不安の色は微塵もない。 「世界で一番信用してる相手と一緒なんだ、ちっとも怖くない」 「俺もだよ。最高の相方が居てくれるからな」 僅かに甘やかな色を乗せ、応える喜平。ほんの少し嬉しそうに笑み、やること果たして今回も生きて還ろうぜ――そう囁いて、彼女は全身から不可視の糸を放った。 「他の雑魚は何とかする。だから遠慮なく行けよ、あたし」 ――富永の戦ってる所、大好きなんだ。 「……頼りにしてるよ、フェザー」 それはまさに鉄塊にして墓標。長大にして超重。頑強にして絶大――。喜平の操る銃は、むしろ鈍器として活用される方が多かった。 そして、強敵と戦うに際し、あえて慣れた方法を変える理由などありはしない。 「戦いと勝利が生存理由か。なら、混沌すら捻じ伏せてみせろ!」 轟、と力任せに振るう。イゾルゲのハンマーよりほんの少し早く、その銃身は異形の頭部へと突き刺さり、粉々に砕いた。動きを止める死体。ゆっくりと、倒れていく。 「俺は勝ったぞ……なぁ、イザーク。戦士が手前を喪うなんて無様を晒すなよ」 ●Biden and Mutants/3 「ははっ、的が足り過ぎてたまんねぇや」 常の茫洋とした雰囲気を脱ぎ捨て、乾いた笑いを浮かべる弐升。『悪意』がその意志を露にして以降、押し寄せる変異生物はその数を明らかに増していた。 一度後方に下がろうとして、『後方』などもう何処にもないのだと気づかされるほどに。 「ま、尽く食いちぎってみせるさ。俺が群体筆頭。これこそが論理決闘だ」 三枚の刃が唸りを上げる。チェーンソーを無尽に振るえば、その刃が引き裂くのは肉ではなく虚空。鋭く砥がれた烈風が、彼の凶器よりも速く押し寄せる獣を切り刻む。 「あはは、変異生物マシマシだねー」 軽く言い捨てる岬の興味は、黒いハルバード、その紅い瞳が血を啜るための糧。まるでゲームを楽しむように、少女は気負いも屈託もなく戦列を成す。 「さっさと経験点に変えてお代りと行こうぜ―、アンタレス!」 突っ込んできた大蛇を迎え撃つ。その名を中天の大火、黒き炎を吹き上げる赤い恒星を小さな身体で懸命に振りぬけば、真空の刃が飛んでざっくりとその胴を刻んだ。 「単純に、強さに賭ける思いが雑魚なんだよー」 「くふふふ、でも親玉はもっともっと強いでしょうね」 ふと漏らした含み笑いが、茅根の実年齢を感じさせる。あどけない頬と細い糸目。その奥に潜む老獪な瞳は、普段の穏やかさを捨て、剣呑な光を浮かべていた。 「楽しいですね! 世界を滅ぼすほどの怒りと悪意。きっと彼女の怒りは、私を撃ち倒してくれるはず!」 異形に堕ちたバイデンは、強力なれども緩慢。知性も経験も無く、ただ力ずくで暴れる出来損ないに、先の先を読んで戦う彼の銃把が突き刺さらぬわけがない。弾が勿体無い、と茅根は薄く笑って。 「世界よりも人よりも、私は私を楽しませてくれる娘の方が大事なんですよ。くふふふ……」 世界樹の中に突入した娘、那由他・エカテリーナ(仮名)を思う彼は、反抗期の娘を思う父親の顔をしていた。 「僕の為すべきことなど、決まっています」 幾度かの攻防。その中で、孝平の眼鏡はレンズを四散させてその役目を終えた。全く見えないわけではないのですが、と困ったように笑う彼は、今、ほとんど気配だけで敵を『感じ』、剣を繰り出している。 「仲間が帰ってくる場所を確保する、僕は、そのために戦っているんです」 そんな戦い方で生き残ってこれたのも、彼がひたすらに『護る』ことに力点を置いていたからだ。突出せず、手柄を焦ることなく――されど、一旦間合いに入ったならば、逃すことも無く。 「掃討出来なくでも、防ぎ切れればいい。あとは我慢比べです!」 孝平の言葉は、まさに戦いの状況を端的に表していた。三方面中最大の戦力をもって、なおも変異生物の波を押し戻すことすら出来ていない。局所では善戦していたものの、全体を俯瞰すれば、戦線は世界樹を中心としてじりじりと縮小していた。 「おっおー。みんなで生きて帰らないと完全勝利と言えねーお!」 受発信を思いのままに行うテレパス技能の最上位。その貴重な使い手であるガッツリは、攻撃すら放棄して、状況の把握と重傷者の救出に専念していた。あぶないおー、と気の抜けた物言いを振り撒いて、栗色の尻尾は戦場を跳ねる。 「あちきは生き残るお! だから皆も生きる事最優先だお!」 「……やれやれ、若いというのは羨ましいですね」 私は若い人ほど元気がありませんので、と肩を竦めた京一。おそらくは笑っていたのだろうが、仮面に隠れたその表情を伺い知ることはできない。 「年長者として、父親として、自分より若い人達に全てを任せるのは情けないことですが……」 息子とそう変わらない歳の子供も、あの世界樹の中に姿を消していた。ならば、この身がすべきことは、彼らを信じ抜くこと。ただそれだけだ。 「彼らが再び戻って来ることとが出来るように。一人たりとも倒れぬように!」 年長の功で周囲を巧みに誘導しながらも、よく伸びる音律を癒しの御業に変え、リベリスタの線を京一は支え続ける。その姿に励まされながら、与市――まさしく彼の娘ほどの年齢の少女――は震える腕で矢を番えた。 「わしの矢はどうせ当らんのじゃろうが……下手な鉄砲も数撃てばあたるはずじゃしの」 怖い。怖い。戦塵に竦む心。だが、誰が彼女を責めようか。恐怖を必死に押し隠し、がたがたと震えながらも、涙を堪えて前を向くこの少女を。 機械の左手と一体になった大弓が、ぎり、と引き絞られる。義眼の左目は、無意識に照準を合わせていた。蜂すら射抜くという絆の弓が、唸りをあげて矢を解き放つ。 「わしは怖い。じゃが、出来ることをしないのは、もっと苦しいのじゃ……!」 弱気な彼女が思うほどに、その弓勢は弱くはない。風を切って駆けた鏃は、襲来する巨鳥を打ち抜いていた。 「鬼さん此方、だ。しっかりついて来いよ」 赤錆色の髪と、同じ色をした片腕の翼。そんな小烏が取り出した符から生まれたのは、眷族と言って差し支えない一羽の鴉だった。勢いよく飛び立った式神は、犀に近い姿の巨獣に鬱陶しく纏わりつき、その注意を惹き付ける。 「一箇所でも穴が開きゃ、そっから雪崩込まれかねんからな」 小刀と霊鏡、二つの神器を恃みにして、突きかかる獣の角を捌き、いなして時間を稼ぐ。格上の敵を一人で相手取るリスクは大きいが、ぎりぎりのラインで崩壊を免れている彼らにとって、背に腹は換えられなかったのだ。 「なに、自分らは負けなきゃいいのさ。――勝利は、奴等が土産に持って帰って来るだろう!」 「ああ、我々は、中に向かう者達を信じて戦うのみだ!」 アップにした金の髪。魅力的なうなじのラインに、今はだらだらと汗が流れていた。黒騎士アルトリア、その身に何らの装甲を纏うことなく、ただ大盾と刺突剣だけで無謀な突撃を繰り返す彼女は、既に運命の守りすら手放していた。 「この世界の趨勢をかけた、最後の戦いだ。決して負けるわけにはいかぬ」 囮で構わんと言い捨てて、再び強引に前に出ては生命と裏腹の瘴気を撒き散らす。彼女もまた、小烏と同じ結論に達していたのだ。弱い『個』でしかない自分が敵の手を遅らせる、これ以上ない身の捨て方を。 「全身全霊を込めて征こう――来るべき未来を掴む為に!」 やがてアルトリアも、小烏も戦場の中に倒れることになる。だがその献身は、鮮烈なまでにリベリスタの記憶に残ったのだ。 「自分は決めたのです。命のある限り、救いを求める人の為にこの力を使う、と」 艶なる着物をもろ肌に、志乃は誰に聞かせるともなく呟いた。それは、思いがけなく自らも革醒したことを知ったとき、彼女自身が身に刻んだ決意。 「この世界には生きようとし、助けを求める人達がいる。ならば」 蛇腹剣が波打ち、細い細いワイヤーが光を受けて煌いた。彼女の周囲を包む刃のダンス。その領域に踏み込んだ変異生物が半身を削ぎ落とされ、空間を桜色に変えた。 「――ならばこの力を、世界を守る戦いの為に振るわぬ道理は有りますまい」 凜と言い切った志乃。その決意を、傍らの唯々はさらりと受け流す。 「世界を守る戦いですか。まぁ、イーちゃんにとってそんなのどーでもイイですし?」 ぴんと狼の耳を立て、一瞬たりとも留まることなく彼女は異形の刃で切り刻む。 いや――異形の刃『が』切り刻むのだ。 (此処にあいつ等が居るから、イーちゃんが居る。ソレで十分じゃねーですか) 素直に口にするのは気が引けて、だから少女は行動で示す。小花をあしらった和風ドレスが翻る度、肉を削ぎ落とされる巨獣達。 ぱたり、と尻尾が大きく振れた。もっと派手に往くですか? 嘯く唯々、その紅玉の瞳が大きく見開かれ。 「お呼びじゃねーんですよ、テメェ等は。さっさとくたばれクソ野郎!」 その啖呵に、吹雪はクッと喉を鳴らした。時代錯誤のカウボーイハット、そのつばをくいと上げ、無精髭のカウボーイは遠く聳える世界樹を見上げる。 「まったく、随分変わり果てちまって……」 その彼に迫るバイデンの成れの果て。棍棒を振りかざす化け物の懐に飛び込んで、零距離から小回りの利く短刀を刺し入れる。 「もう暫く待ってなよ、直ぐにシェルンの姐さんが治してくれるからな……! 魔力を帯びた短刀、幾度も高速で放たれた突きは、異形の動きを短い時間封じていた。好機と見た守夜が、肘まで覆った手甲を絶対零度に凍らせて迫る。 「お前の血は不味そうだからなっ!」 逆立てた髪に稲妻眉。長年習った拳法の基本、真っ直ぐに貫く正拳が、異形のバイデンを打ち据える。その一点より凍りついていく、赤黒い肌。 「勝って……勝って生きて帰る為に!」 そして、氷結した表面がひび割れていき――粉々に砕け散る。 「魔道の徒としては、是非とも見届けなくてはな。この目で、この世界の行く末を」 血と鉛の二色をその瞳に宿し、強気な笑みを浮かべるシェリー。モーガンの遺志を告ぐ美女は、敗北など微塵も考えぬとばかりに杖を掲げた。 「小うるさい。一つ一つ焼いていくのも面倒だ!」 杖の先に浮かぶ火球が、マナを吸ってぐんぐんと膨れ上がっていく。それは地獄の業火。あるいは、仲間達の思いを背に受けた、浄化の炎。 「絶対にここから先、世界樹には近寄らせぬぞ!」 シェリーが横薙ぎに杖を振るう。押し寄せる変異の只中で膨れ上がり爆発した火球は、周囲の獣全てを焼き尽くして天に昇った。 「……斯様な土地では弔いすら碌に出来ぬと、静観しておりましたけれど……」 見事な弔いでございました、と。 炎の供儀を静かに讃えたロマネ。その表情はヴェールの向こうに隠れて伺えず、その声は淡々として揺らがない。 「沙織様の決定でございますし、滅びを黙って待つつもりがないのであれば」 少女の声が刻むのは、遥かに時を経た年輪。す、と欠けた腕輪を嵌めた手を差し伸べる。その手が握るのは、最低限の銃身だけを供えた暗殺の銃。僅かに人差し指を動かす。それだけで、一人のバイデンが頭蓋を撃ち抜かれ、その動きを止めた。 「墓を作るのはわたくしの務め。ですが、皆様の墓を作るつもりはございません」 わたくし達は、ここで倒れる運命ではないのですから。戦場に在るとは思えないほどの静かな振る舞いに、イスタルテは息を呑んだ。 「そ、そう……ですよね。私達は、絶対勝つんですよね!」 果てしない戦いに心折れそうになっていた彼女だが、消えそうになっていた希望を再び掴み取り、立ち上がる。 大きく翼を広げた。すう、と大きく息を吸い、吐く。 そして。 「やります。私にできること、やってみせます!」 光が、視界を埋め尽くした。それは神意の具現、清浄なる光輝。周囲の異形共の肌を焼く、邪を滅する熱量無き光。 「凄まじいです、メガネビーム」 「やーん、メガネビームじゃないですよう……」 くす、と笑って茉莉が舞い降りる。彼女を取り巻くは断罪の魔法陣。戦場に舞い降りた告死天使が唱える、高速の圧縮詠唱。 ――神秘の精髄を極めしもの。敵に速やかに葬る死を顕現させるもの。 「敵には甘美な死を、仲間には愛を。そして愛する人には……」 内緒です、と舌を出して。 黒鎖が溢れ出る。呪詛と流血と腐敗に満ち満ちた濁流が、傷ついた獣を、バイデンを飲み込んでいく。 「我を忘れては困るな。威力では先人に及ばずとも、決して……引けは取らぬぞ」 相棒を追って降り立った冬織が、両の手に雷を纏わせる。スレンダーな身体を包む黒のドレスは、稲妻の魔導師に捧げられた舞衣装。 「愛すべき者に未来を捧ぐ。それが我が力なり!」 荒れ狂う稲光。次々に打ち倒されていく変異生物。しかし、それでも押し寄せる敵は尽きることがない。 ――私は、R-TYPEの脅威を受けて育てられた。 翡翠の瞳を瞬かせ、ティセラは遠く世界樹の悪相を視界に収めた。あれが私の敵。私の倒すべきもの。 「たかが、あれに狂わされたものなんかに負けていては、その先に届くわけもない」 行くわよ、と呟いて。 両手で抱えるのは、リベリスタに『なった』その日から使い続けている銃剣。腰溜めに構えて銃弾をばら撒き、新たなる異形を少なからず傷つける。 (まだ。まだ足りない) こんなところで、足止めされ続けるわけにはいかない。動け。動け。 もっと早く。 もっと強く! 「力を貸して――トゥリア!」 呼ばわったのは愛剣の名か、それとも忘れることのない親友の名か。躊躇わずに飛び込んだ。身体を捻り、目一杯の速さで薙ぎ払う。 刃と疾風と、それから零距離射撃で叩き込んだ弾丸。三つの暴力が、一つの竜巻となって異形の群を切り刻んだ。 「私達は負けない。だから、貴方達も……早く」 ●Exsyth's Spite/2 「フライエンジェ以外は一度に近寄るな! ローテーションを回すんだ!」 叫ぶ悠里も疲労の色が濃い。世界樹が魔力の翼すら打ち消す霧を吐くことは多くはなかったが、まともに喰らえば壊滅しかねない以上、常にその可能性を意識せざるを得なかったのだ。 何人かの前衛が、体力の限界に達したか、ここ後方へと後退してくる。その穴を埋めるべく、彼はばさり、翼を羽ばたかせた。 「カルナ、行ってくる!」 「……怪我をしたら部屋に入れてあげませんよ、悠里」 ちらり、視線を交わす。恋人の部屋には随分とご無沙汰であるからして、その叱咤は半端な激励よりも彼を猛らせた。 「それでやる気になる僕も、大概だと思うけどね……!」 真っ直ぐにあの醜悪な顔へと突き進む。右手に仲間を、左手に勇気を。両の拳を輝かせ、悠里はありったけの怒り――稲妻と化した闘気を悪意へと打ち込んだ。 「お前は世界樹の悪意じゃない。世界樹に宿ったR-Typeの悪意だ!」 離脱。だが、次のローテーションを回すべく交代した悠里とすれ違ったのは、仲間のリベリスタではなく、翼を得たバイデンの集団。 「……絶対ここで死ぬなよイザーク! 死んだら君の負けだからな!」 「敵を殺す戦士が自分の命を惜しむのか、戦士シタラユーリ!」 ふつふつと沸き立つ戦意が、ついイザークを饒舌にさせていた。目の前には巨大なる不の意識。世界樹に刻まれた破滅の表情は、あのプリンスを超える強大な何かだ。 「よう、イザーク!俺様を覚えてるか? 色々片付いたらタイマンでもしようぜ!」 「二度、生かされてるからな。借りは返す」 気さくに手を上げる木蓮。背中から迫る枝は、杏樹が焼き払う。なにやら居心地が悪い歓待に、イザークはこれまで見せた事のない、困ったような顔をして。 「楽しもうではないか! アークの戦士よ、心踊るだろう!」 それでも、彼はバイデンの衝動のままに黒き刃で斬りかかるのだ。 「私も、もっと仲良くしたいし、もっと殴りあいたいよ」 ウェスティアが、誰と、ということを言わなかったのは正しかっただろう。フュリエも、おそらくバイデンも、互いを認め合うことなど今の時点では適うまい。 だが、それでいい、とも思う。 「きっと、私達がラ・ル・カーナに来たのはその為なんだよ」 何処までも楽天的。だが、二つの種族の架け橋になれたなら――それは余りにも幸せな未来図。 「だから、皆頑張っていこう! しんどい時ほど元気に笑おうよ!」 手には自作の魔道書。積層魔法陣から引き出した魔力が、明滅する光線へと変わる。派手にぶっ放すウェスティアは、だがそれ故に目立ち過ぎていた。 「きゃっ!?」 「……っ!」 傍らのカルナを巻き込んで襲い掛かる枝。ウェスティアは辛うじて回避したものの、不意を打たれたカルナに回避は無理な相談だった。せめて衝撃を減らそうと、身体を丸める彼女。 だが。 「ご無事……ですか」 息を呑む。 背中で鞭のようにしなる枝を受け止める、黒ずくめの少女、要。ボリュームのある銀髪が隠しそびれた左目の赤が、カルナに強い印象を与えていた。 「私は大丈夫です、それより……!」 「なら、よかった。必ず、護り抜いてみせます」 私が、カルナさんを守ると決めたから。 それは、要の壮絶なる覚悟と決意。護れなかった少女が見出した、より多くの人を護るための方法。 「私が身を挺したとて、一人しか助けられないのが口惜しくはありますが……」 きっとその一人は、多くの人を護ってくれるから。仲間を。あるいは異世界の方であろうとも。 「それでも、私は全てを護ってみませす。無為に散らしてよい命など、何一つありはしないのですから」 「……ええ、共に参りましょう」 失わせはしません。 手を取り合ったフュリエの皆様の優しさも。 刃を交えたバイデンの皆様の誇りも。 そうして十字の杖を掲げた少女は、戦場に柔らかな息吹を呼び起こす。猛毒に侵され、後方に下がっていた者達が、カルナの助けを得て、ほぅ、と息をついた。 「あれのことです。ただ死ぬだけじゃ終わらないと思いますが……」 プリンスが死んだ、という事実は、彼と直に接したヘクスの胸中をサラダボウルのように掻き乱す。 案外バイデンは悪い奴らじゃなかったです、と。その愚直さに、彼女はいまや好意すら抱いていたのだから。 「だからこそ、勝たなければなりません。その為には、ルーメリアを傷つけさせるわけにはいかないです」 チームの指揮官にして回復役、そしてたまり場のスポンサー。柱たるルーメリアの盾になり、ヘクスは既に数度の毒液を身に受けていた。 盾代わりの鉄扉も半ば損壊するほどの猛攻。だが、彼女は呻き声一つ漏らすことはない。 「さあ、砕いて下さい。捻じ伏せて下さい。この絶対鉄壁を」 「そうよ、その意気。耐えなさいヘクス、アタシも行くわ!」 ヘクスとペアを組む久嶺が、復讐の弾丸を悪意の眼窩へと叩き込む。深い傷を負いながらもあえて手当てすらせずに、じくじくと痛む傷の辛さを凝集する呪詛へと変えて。 「ぶっ壊してやるわ、シュート!」 もう一発。ライフルというよりアサルトに近い銃身を赤熱させ、肩で息をしながらも――久嶺は意識を繋ぎとめ、更なる一射を狙うのだ。 (もう一発、まだ…あと一発…叩き込んでやるのよ……!) 既に程近い限界に、彼女の命の弾が達するまで、あと少し。 「ピンチの人は無理しちゃ駄目だよー! ほら、久嶺さんもこっちこっち」 護られる、ということの意味を理解して、それでもルーメリアは屈託ない態度を変えはしない。サポートを信じて、ひたすらに癒し続ける。それだけを役目にしようと決めていた。 「もう一度、ルメを感動させてくれた頃の姿を見せて、世界樹さん!」 かつてこの世界に来た時に見た光景を、彼女は忘れるまい。何処までも美しく色鮮やかだった世界樹。豊穣たる森と湖。それが、今はこれほどにおぞましい。 「みんな、世界樹を元に戻すため……突撃ー!」 後ろなんか気にしなくていい、思いっきりぶっ壊して! そのエールを胸に、集いし仲間達は攻勢に打って出る。 「うん、ルーメリアが支えてくれるって信じてるから!」 アンダーリムの眼鏡を引っ掛けて、マーガレットは慣れぬ空中戦へと飛び出した。突撃の先鋒を担う彼女が狙うのは、悪意本体ではなく四方から襲い来る枝葉だ。 「ボクはこの世界に来るのは初めてだけど、こんなに酷いなんて……」 ルーメリアたちが嘆くのも判るよ、と緩く首を振るマーガレット。すれ違いざまにオーラの爆弾を枝に仕込み、根元から爆ぜさせて。 「その悪意、ボクが殺してあげる」 折れ飛び地上へと落下する枝を無感動に眺め、彼女は次の標的を見定める。 「プリンスの死は……無駄には出来ません……」 プリンスが意図した訳ではなかろうが、彼の渾身の一撃があらばこそ、世界樹の中へ突入できたのだ。 だが、リンシードは気づいてはいない。自身を人形と自嘲する彼女が、いまプリンスの死に心揺り動かされ、自ら戦いを選択していることを。 「私だって、戦士なんですから……。どっちが先に倒せるか競争……ですかね?」 ちらり見たのはバイデンの集団。マーガレットが確保した侵攻路を伝い、リンシードは突き進む。額にあたる部分へと、魔力帯びし剣を振り下ろす。一閃、二撃、三の太刀。目に見えて砕けるのは木片だ。だが、彼女らが真に攻撃しているのは、『悪意』という目に見えぬ何か。 「玄関開けたら十秒チャージ!」 何処が玄関だかさっぱりではあるが、それはそれとして。アーリィが手を翳し念を送るたび、なのはな荘の仲間達は温かいものが体中を巡るのを感じていた。 「みんな、がんばってねー! 疲れたらなぞのびしょーじょがお世話してあげるよ!」 思えば、その能天気な言動も、ぎりぎりの戦いで神経をすり減らすリベリスタ達の癒しなのだろう。そうに違いない。 「アーリィ殿、もう少しルーメリア殿に近い方がいいでござる」 「そうだね、ありがとう!」 アーリィの直衛についた腕鍛が、支援部隊の位置関係を俯瞰しながらアドバイスを送る。既に大混戦となっている地上部隊と違い、世界樹の幹に主敵が鎮座するこの部隊は、陣形が比較的長く機能し続けていた。 「思えば、ミラーミスである世界樹を倒せば、こっちの人達も拙者らの世界に来て大丈夫なのでござろうか。少し楽しみでござる」 その時、髭のせいもあって童顔の彼の目が、爛、と輝いた。毒も瘴気も何のその、虎の瞬発力で跳ね上がる。迫る大振りの枝に手甲の爪で一撃を加え、腕鍛はにぃ、と笑みを浮かべた。 「しかし、それもまだこれからでござるな」 「むしろ香夏子はこっちに住みたいです。温暖化ないし。適度に涼しいし」 何故かきわどい水着に着替えた香夏子が、非常にぐうたらな台詞を吐いている。この期に及んで働きたくないなどと言い出さないか、周囲は不安を隠せなかったが――最低限の義務感はあったか、魔力を凝集した紅い月を頭上に浮かべ、不吉なるエネルギーを撒き散らす。 「さあ、『お祈り』を始めましょう」 両の手には聖別された銃。銀の弾を篭めたそれらを抜き放ち、リリは祈りの文句を呟いた。敬虔なる異端のシスターにして、極限まで集中を要求される銃士。だからこそ、祈りは暗示を経て呪詛へと変わる。 「我々にご加護を、強大な神秘に屈せぬ力を」 R-typeに一矢報いたい気持ちも勿論ある。だが、仲間と共に在ることは、今の彼女には重要に思えた。だからこそ、全てを焼き尽くし、撃ち砕こう。 「天より来たれ、浄化の炎よ。全てはこの世界の為に――Amen」 それを呪いだと思わば思え。よき仲間、誇り高き戦士、勇気ある者達……全ての祈りを今この弾丸へと重ね、彼女は引鉄を引く。 「――貫けッ!」 銀の銃弾は、膿の涙を流す両目、その中間をぴたりと穿つ。 リベリスタ達の猛攻。手応えを感じ、意気上がる彼ら。 だが、しかし。 ――卑小なるものよ。 突如、戦場に『声』が響いた。 いや、先ほど聞こえた、明らかな音声とは違う。それは耳から聞こえているのではない。 思考の中に、直接世界樹が介入しているのだ。 ――全ては。 「世界、と喧嘩……だなんて、濡れる」 戦闘馬鹿、と自ら任じ、足場を使い翼を広げて変幻自在の戦闘を繰り広げた天乃。その戦いぶりは重力も慣性も全てを忘れたかのようにさえ感じられるものだった。 「馬鹿と煙は、なんとやら……って言うけれど……」 可憐な容姿からは想像も出来ぬ戦鬼。両腕を覆う鉄甲一組を道連れに、あらゆる方向から悪意の近辺を殴打する。 「……!」 そうして、目の前の闘争を楽しんでいた彼女もまた、突然頭に響いた声に動きを止めていた。その短い言葉から感じる、圧倒的なプレッシャー。 ――我が。 「なんだ、精神攻撃か……?」 高く上空へ昇ってきた霧也が、流れ込むイメージに眉を潜めた。思考というには余りにも出力が高すぎる。夢想というには余りにも敵意が強すぎる。 「くっ……! 耐えられない奴は避難しろ! 無理に耐えようとするな!」 それは『悪意』。 ありとあらゆる悪徳と悲嘆と怒号と諦念がR-Typeの力で世界樹に取り付いた、狂える意志の体現。 ――戯言なり。 「「うわあああっ!」」 リベリスタ達の多くが悶えた。R-Typeの呪詛は内側から恐るべき勢いで思考を侵食し、強烈な自己否定を植えつける。 まず気力が萎え、ぽっかりと大きな穴が胸に生まれ、そして、心に開いたセキュリティーホールから、生命の力までもが奪われていくのだ。 「醜悪な顔ダと思ったら、考えることまで悪意そのものなのダ」 唸り声代わりに、カイはインコめいた鳴き声をあげた。世界樹の悪しき意志はラ・ル・カーナのアポトーシス(自殺因子)となり、世界の崩壊を早めていく。 「みんな、しっかりするのダ!」 近くに控えていたクロスイージスが、大きく首を振る。どうやら破魔の光ですら、このがんがんと響く声を消すことは難しい。ならば、と囀った力ある歌は、この場に柔らかい癒しの風を招いた。 「プリンスやイゾルゲへの貸しは、お前が返すのダ!」 「はい、倍返しで取り立ててやりましょう!」 一旦後衛に退いていた光が、再び悪意へと突撃を観光する。手には壮麗なる剣、身体には絢爛たる甲冑。それはまさしく御伽噺の勇者様。誰もが夢見て、誰もが諦めた救いの手。 「命を賭ける覚悟はあるですよ。……命を落とすつもりはありませんが」 それでも、その思いは、その覚悟は本物だ。腰溜めに構えた長剣を、世界樹よ折れよとばかりに悪意へと体当たりで突き込んだ。 「ボクが持てる全力で、この戦いに挑むです!」 大量の戦闘不能者を出し、それでもリベリスタは『世界樹の悪意』への突撃をやめてはいない。負傷と戦い、恐怖と戦い、それでも一歩ずつ勝利が近づくと信じて、彼らはこの死地に留まっていた。 ――アークは世界樹と対決する。 アイリの背を強く押した、沙織の決断。まさに賦活の一言よ、と蒼海のドレスに身を包んだ女剣士は、その衝撃を思い出して大きく頷いた。 「ラ・ル・カーナでの、最後の大舞台であるな。存分に舞うとしよう」 悪意の波動を超え、全ての嫌悪と対立を超えて。再び進み出し、全てに決着をつけられなければ、沙織の期待に応えることは出来ようはずもない。 「私達のやるべき事は決まっている――征くぞ、前へ」 幹の表面を駆け上がるルートで接近し、悪意を間近に仰ぎ見た。手を休める暇はない。足を止める余裕はない。斬って、枝を避け、排出される瘴気から逃げてはまた舞い戻る、を繰り返すのだ。 「そうだ。存分にだ。相応しい舞台としてみせるのだ!」 「いいね、ハイリスク上等! オレ好みのやり方だ」 にぃ、と笑みを見せる陽子。天秤の両端を占めるのは、自分達の命とラ・ル・カーナの運命だ。こういうのがしたかった、と一人彼女は燃え上がる。 「出し惜しみ無しだ! ドンドン行くぜ!」 力任せに振るうは死の大鎌。降りかかる迎撃を皮一枚でかわしきり、一撃、二撃、斬首の刃を世界樹へと振るった。 「動きを良く見ろ? そんなもんはクソくらえさ! 運で切り抜けるのがオレのやり方だ!」 「意見が合うな、こんなもんは勢いだって決まってんだよッ!」 凄まじいバランス感覚で世界樹を駆け上がるヘキサ。それを可能にしたのは、ウサギの脚が齎した敏捷性と安定感だ。 「悪意なんざキレイさっぱり燃やし尽くしてやるよ!」 飛び上がってくるりと回る。オーバーヘッドの体勢で紅の脚甲が振り下ろされ、数多くリベリスタの攻撃を受けてきた悪意の顔面に、新たな傷を刻み込んだ。 「ちっ、一発で目覚めねーのか。なら何度でも蹴ッ飛ばしてやるよ!」 そして、もう一蹴り。少年らしい怒りが焔立つ脚を通して叩きつけられる度、長く伸ばした三つ編みの尾が宙を跳ねる。 「いい加減に……目ェ覚ましやがれ世界樹ッ!」 ――オオオオ……。 ヘキサの叫びに応えたわけではなかろうが、この時リベリスタ達は、世界樹が大きく呻くのを聞いた。意味のない振動でしかないその意味を、しかし彼らは正しく受け止めている。 それは咆哮。それは苦悶。R-Typeが齎した悪意もまた、追い詰められているのだと――。 「貰えば一撃で落ちやすからね、あっしも命がけでさぁ」 あっしは臆病な端役でしてね、とシニカルに唇を歪めた偽一は、悪意から離れた後方で前衛に赴く者達の支援に勤しんでいた。そんな役割もまた大切だと理解できるほどには、人生の酸いも甘いも噛み分けていた。 「ハッ、小五月蝿い蝿が手の内まで来やしたんだ、叩きたくなりやしょう?」 だが、その彼が前に出た。加速し、悪意の鼻先を翳め。 「何かやろうとしてやすね。ならこっちにいい的がありやさぁ」 それはほとんど動物的な勘だった。仮初の翼を打ち消す呪詛の魔霧。苦し紛れにそれを吐き出そうとしていた世界樹は、不遜なる小虫に気をとられ、太い枝葉で払い落とす。 だが、それは貴重な時間。値千金の十数秒。 「どいつもこいつも馬鹿で、単純で、強く、美しかったよ――わしが戦ったバイデンはな」 私をこうまで怒らせた奴など初めてだぞ、と吐き捨てる少女の姿。普段はぷかり、ぷかりと煙管を燻らせる迷子も、今日ばかりは苛立ちを隠せない様子。 「お前を止めれば奴らが戻ってくる訳でもあるまいが……」 ぶん、と。 ロング丈のスカートの裾がもつれるのにも構わず、細い脚を振り抜いた。たちまち生まれた衝撃波が、刃となり牙となって虚空を翔ける。 「わしは、今初めて怒りで闘争に臨む!」 「怒りでも何でもいいわ。わたし達は、ただ戦うだけよ!」 滅びに向かう世界で、滅びを止める為の戦い。暁穂は滾っていた。使命に高揚すら感じていた。例え、心の底ではどうしようもない恐怖が渦巻いていたとしても。 「正直怖いわよ。怖くて堪らないわよ。でも――」 世界そのものの悪意が敵なんて、こんなに燃える戦いがあったかしら。 そう、それこそが、戦士達の偽らざる本音だ。 「なら、戦うだけ。恐れるな、わたし!」 髪の色と同じ、蒼穹を閉じ込めた手甲にありったけの稲妻を宿らせて、暁穂は最早恐れることなく狂樹の悪相を打つ。 「行こうぜ、リセリア。頼りにしてるからさ」 「ええ……行きましょう、猛さん」 退くことも負けることも許されない戦い。その終局、瓦解寸前のリベリスタ陣から飛び出したのは、猛とリセリアの二人だった。 偽一が稼ぎ出した僅かな時間。悲鳴を上げた悪意の相。二つの鍵を重ねたならば、ここが無理のしどころなのは明らかだろう。 「背負ってんだよ、大事なもんを。こんな所で……こんな所で、負けてやれねえんだよ」 猛を前面に置いて、二人はラ・ル・カーナの空を翔んだ。後方から出し惜しみ無く放たれる支援が、二人を止めようと伸びた枝を瞬時に塵に還し、花道を象どる。 マックス・スピード。手甲どころか猛の全身にまでばちばちと広がる稲妻。彼らは減速などするはずもなく、放たれた矢、流れる星となって世界樹へと突き刺さる。 「世界樹だろうが何だろうが! たかだか悪意程度で、俺達を止めれるかぁ!」 「何も終わらせない! この世界も、皆の未来も!」 砲弾のように突入した猛が、見事悪意の貌を砕く。藍色のリボンを靡かせてその後ろにぴったりとつけたリセリアが、蒼銀の淡い輝きをその手に宿らせて。 「その為に――世界樹を侵す悪夢の一欠片を、此処に討ち祓う!」 繰り出される華麗な突きは光のシャワーの如く世界樹へと降り注ぎ、巣食った悪意、寄生した穢れを一刀の下に斬り捨てた。 ――オ、オ、オオオ――! それは断末魔。世界樹を操ったR-Typeの呪詛。 後に残ったのは、顔に見えなくもない、ただの木の洞だけ。 悪意が消滅した後も、変異生物は消えはしない。 だが、圧倒的なまでの数によってリベリスタを壊滅寸前にまで追い込んだ異形たちも、対悪意の部隊が合流することで、一気にその立場を逆転することとなる。 そして――。 「おい、空だ! 青空が見えるぞ!」 どんよりと厚い雲が覆うばかりの、血と乾きの荒野、世界樹直上の空。 その赤黒い空が、久方ぶりの晴れ間を見せ、さんさんとした光を世界樹に齎した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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