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時のワルツ

●定められた歯車の通りに
 唄が聴こえる。
 唄が聴こえる。
 真白き唄が。
 仄暗い闇の底から。寂寥とした瓦礫の奥から。
 もはや誰に聴かれることなく、誰からも忘れ去られて。それでも、狂った時の針に導かれ、其れは音と共に瞼を上げる。白かったスカートの裾を軽く摘まみ上げる仕草の礼をして、くるくると可憐に踊る。二度、お決まりの瞬きをしてから色褪せた唇を開いて、透明な声を響かせる。

 其れは少女の姿をしていた。
 少女の姿の人形は、ただ微笑んでかつての己の役割を全うしている。変わり果てた廃墟の中でいつしか、その在り方は変貌してしまったけれど。
 運悪く刻限に居合わせた鼠が一匹、唄に触れて弾け散った。命がひとつ潰れた音がしたあとは、また、唄声だけが残される。
 軋む時計の針が拍を打つ。
 少女はうたう。うたう。
 崩れかけたからくり時計の傍らで。

 忘却の狭間に取り遺された歪な時に命ぜられ、休むことを許されぬ少女がうたう。

●求められる成果のために
 集った面々を見渡した少女が小さく息を吸う。
「ひとけの無い廃墟の奥に、エリューション・ゴーレムが一体、居る」
 吐いた息に言の葉を乗せ、『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)は沈黙を破った。張りつめた空気が動きだす。
「……倒してきて、くれる?」
 歪みに冒され運命に見離された存在は、新たな歪みを喚び起こす。存在そのものが崩界を加速させる。だから、ただ在ることすら看過するわけにはいかないとフォーチュナは告げる。
「其れはからくり時計の人形……だったモノ。等身大の少女の姿をして唄をうたうわ、神の力を持つ唄を。……彼女が認識する全てに、余さず届く唄」
 また、彼女の踊りは周囲に近付く者を退かせる。
「唄と比べると踊りはちょっと苦手みたい。……でも、油断しないで。儚く見えても、とても堅い人形だから。……それに、彼女は刻(とき)に支えられてる。歪な刻が刻まれる限り、彼女は潤沢な力を得続ける」
 場所は、かつて大型商業施設であり今は何物でも無くなった廃墟の奥。中央にからくり時計の塔が建つ広場。
「吹き抜けの天井を支える時計塔は立派な造りだけど、もうだいぶ脆くなってるみたい。戦闘の余波を受ければ、そう長くは耐えられない」
 語る少女の異色の双眸に、睫毛の影が落ちた。
「塔が崩れれば天井が落ちる。広場は膨大な瓦礫の下敷きになって、戦闘どころじゃなくなるわ。崩落に巻き込まれれば、リベリスタといえど無事ではいられない」
 ……気をつけて。
 そして。
 終わらせて。
 それは未曾有の厄災が遺した残滓。潰えた過去の成れの果て。




■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:はとり栞  
■難易度:NORMAL ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ
■参加人数制限: 8人 ■サポーター参加人数制限: 4人 ■シナリオ終了日時
 2011年09月15日(木)21:55
 半年以上眠ってたシナリオのお目見え。はとり栞です。

●成功条件:エリューション1体の撃破
 倒しきれぬうちに天井が崩落した場合、そこで任務終了。撃破の確証が無いため失敗となります。

●エリューション・ゴーレム
 等身大の少女の人形。フェーズ2。堅いです。

・唄は通常、魅了の効果を持ちます。
 ただし少女のリズムを乱されたときには、反動ありで弱点を突く強力な唄に変化します。
・踊りはノックバック付き。
・初手と、一曲唄い終わるごとに『楽団』を召還。フェーズ1相当が3体、それぞれ毒、麻痺、致命を付与してきます。(召還者が撃破されれば消滅します)
・毎ターンHP・EPが回復。ある条件を満たすとこの能力は消失します。

●戦場
 時間帯は自由。昼でも薄暗いです。
 時計塔が中央に建つ、吹き抜けの屋内広場。半径20メートルほど。
 戦闘の仕方次第で時計塔が倒壊する恐れがあります。時計塔が崩れはじめて30秒で天井が崩落。逃げ遅れると巻き込まれます。
参加NPC
 


■メイン参加者 8人■
インヤンマスター
宵咲 瑠琵(BNE000129)
デュランダル
雪白 桐(BNE000185)
覇界闘士
大御堂 彩花(BNE000609)
ソードミラージュ
紅涙・りりす(BNE001018)
ソードミラージュ
天音・ルナ・クォーツ(BNE002212)
インヤンマスター
土森 美峰(BNE002404)
プロアデプト
廬原 碧衣(BNE002820)
マグメイガス
染井 吉野(BNE002845)
■サポート参加者 4人■
ソードミラージュ
仁科 孝平(BNE000933)
ホーリーメイガス
月杜・とら(BNE002285)
プロアデプト
七星 卯月(BNE002313)
デュランダル
結城・宗一(BNE002873)

●4′33″
 十二年の歳月が其処にあった。
 二階と三階の半ばから上が喪われた建物の外観は破滅の瞬間そのままを遺したようでもあるが、踏み入れば其処には経た年月と同じ厚みの砂塵が積もってもいる。
「ナイトメアダウンの痕跡は未だ消えず、か——」
 光源を消し警戒を怠らぬ『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)は、わずかに届く陽光を頼りに慎重に足を運ぶ。
 潰れて通れぬ通路の代わり、割れた壁の隙間をすり抜けようと手を掛ければ、風化したコンクリートはほろほろと崩れて粒子に還った。
 まるで崩れかけの世界そのものだ。
 土森 美峰(BNE002404)が溜息混じりに辺りを見回す。
 念のため結界を編みはしたが、人の気配はおろか過ぎし日の営みすら見出しがたい。かろうじて見つけたフロアの案内図も、土埃を払おうと指先でこすれば表示ごとぱらりと砕けてしまった。
 探査を試みた『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)が言うには、フロアの多くは瓦礫に埋もれ、時計塔の広場へ繋がる確かな道は西側の一箇所のみ。その幅広の通路には時折光のすじが射してもいるが、その先は薄闇に阻まれ踏み入らねば広場の様子までは判らない。
「からくり時計に、唄う人形……」
 か細い光のすじのなか、漂う塵が煌めいている。
 朽ちた様相を見るにつけ、かつて人形が人々を楽しませ愛されていただろう日々との隔たりに想いが及ぶ。『騎士道一直線』天音・ルナ・クォーツ(BNE002212)の右目の奥で、黄金色の虹彩もまた、時を数えた。刃を執るしか出来ぬこの手を握り締めながら、身の内の駆動を速めて通路を進む。
「モノに与えられた役割というのは無情なものですわね」
「もう見る人も無いのにな」
『高嶺の鋼鉄令嬢』大御堂 彩花(BNE000609)がぽつりと洩らした硬い声に、廬原 碧衣(BNE002820)もゆるく首を振って呟いた。遥けき空の頂の色をした髪が、閉じた空間で静かに揺れた。
 通路の終わり——広場との境を見留めると、彩花は戦のために作られた兵器で指先から肘までを覆う。鋼鉄で柔肌を隠し、心に積もるものを排するように流水の気を巡らせる。
 人の都合で作られ、見捨てられ、忘れられても、己の幕引きすらもままならぬ存在。それでも自身の在り方を守り続ける遺物。
 広場の闇を見つめて淡々と意識を研げば、碧衣の眼差しは凪ぎ、水鏡のように澄んでいく。その在り方は立派とさえ感じるが、もうそろそろ、休んでも良い頃合いだろう。
 皆が胸の内に想いを抱いていた。
「おおごとになる前に、やることやらねえとな」
 何もかもが白茶けた廃墟で、美峰が周囲に生んだのは曇り無き鋭刃の布陣。リベリスタがして遣れることは、ただひとつだ。
 広場は無音だった。
 唄も聴こえない。然したる物音もしない。携帯音楽プレイヤーのイヤホンを片耳に固定して、雪白 桐(BNE000185)は入口付近の壁に身を寄せて耳を澄ます。
 瑠琵が帯留めに提げた懐中時計の針は三と六の位置を指していた。広場を覗き込んだ彼女は、黒くそびえる塔の輪郭、その中程に組み込まれた巨大な時計に目をこらす。
 ギ、とかすかな音がした。
 錆びた金属の軋む音。
 薄闇のなか朧げに見える文字盤の針が今まさに、天を指して揃った音。
 時計塔の足元で、うずくまっていた人形が身を起こす。
 刻が——きた。

●150msec
 聴こえる。
 歪んだ歯車が回る音が。
 聴こえる。
 狂った刻を告げる音が。
 バレエのお辞儀のように両手を広げた少女が、小さな影を三つ、喚び寄せた。
 ブルン、と静寂にエンジン音が響いた。次の瞬間、目映い光が広場を射抜く。『箱庭のクローバー』月杜・とら(BNE002285)が用意した一台のスクーター。そのヘッドライトが通路から広場を、時計塔をスポットライトのごとく照らしだす。
 薄闇の舞台に立った可憐な少女のシルエットは、照明に照らされて薄汚れたその身を晒した。
『さくらうさぎ』染井 吉野(BNE002845)が夢見たほどには少女の見目は綺麗ではない。瑕ひとつ無い日本人形のような彼女とは裏腹に、人間の形をしたビスク・ドールは土埃にまみれ、鮮やかだったろう衣装の柄も白々と褪せてしまっている。
 少女が独りぼっちで唄った月日を、吉野は思った。
 人を寄せ付けず踊った夜の回数を、吉野は思った。
 人だって人形だって、きっと同じ。経たはずの孤独の長さに胸がきゅっとなる。
 戦場の片隅に降ろした蓄音機が垂れ流すでたらめな音楽。少しは少女の唄を乱せるだろうか。さらりと頬に掛かる雪色の髪の下、桐も両耳を塞いだイヤホンに無作為に曲をかけ、タップシューズを打ち鳴らして戦場へ飛び込んだ。
 少女のうたう楽曲を知る者など居なかった。正確に言えば、それを覚えている者などもう誰も居なかったのだ。
 忘れ去られた歌姫。
 消し去られる存在。
 誰より早く馳せたりりすが彼我の距離の半ばで足を止め、更にと己の速力を上げる。踏み入ってみれば外周を巡る壁が上階を支える他に、柱らしい柱は見当たらない。時計塔以外は背後を気にせず済むのは僥倖だったが、同時に、吹き抜けの天井を唯一支える時計塔の重みを再認識もする。
 楽団を狙う角度を定めた彩花が、最初の力を差し向けた。少女を要に扇のように配された楽団を射線に捉え、手早く掲げた手甲で凶星を導く。二体が星の光に貫かれ派手な音を立てて転倒した。
 次々に雪崩れ込んでくる聴衆を、作り物の少女が微笑んで迎える。
 その一挙一動をりりすの紅玉が注視する。歯車に定められたからくりの動きには、定められた予備動作もまた、あるはずだと。
「……っ、唄です!」
 叫んだのは桐だった。
 かちり、かちりと音を立て、二度、瞬いた瞳を見逃さず身構える。
「くそ、間に合わねえッ」
 魔を宿す手套に包まれた美峰の手指はよどみなく印を結んだが、守護を敷き終えるより先に少女が魅惑の唇を開く。まるで人がするように、息も吸わぬ人形が肺腑を広げるかの仕草を見せた。
「させぬわ!!」
 真紅の袂から抜き出された、夜空を切り取ったかのごとき漆黒の銃。瑠琵は銃口を人形ではなく天へと向ける。吹き抜けを駆け上がった呪力の弾は頭上で弾け、蒼白い氷雨と化して降り注いだ。
 余生など望むべくも無い。
 けれど安息を与えることは出来る。正しき時に還して遣ることは、出来る。

●rhythm
 凍えた雨は人形たちを余さず打った。氷塊に包まれた楽団の一体が氷もろとも砕け散る。出端を挫かれ、少女は掛ける歯車を見失ったかのようにカタカタと震えた。
 そして——、
 ガチリと凶悪な仕掛けに連結する。
 ぱき、と少女の顎の継ぎ目に亀裂が走った。限界を超えて開かれた唇から暴力的な声があふれ出る。押し寄せる音のさざなみがリベリスタの肌を裂き骨を砕く。
 己が内から壊される痛みに血を吐きながら、天音は決して止まらない。狂歌に心奪われるぐらいなら、弱みを穿つ音の暴威に耐えようと決めていた。
 再び走りだす戦士らを仲間の力が後押しする。
 肌に感じる見えぬ鎧は美峰によるもの。『アンサング・ヒーロー』七星 卯月(BNE002313)は、わずかでも回避の足しになればと皆の背に淡い翼をもたらした。
 受けるはずの痛みを感じず目を開けた吉野は、庇い立つ『宵闇に紛れる狩人』仁科 孝平(BNE000933)の背を目にする。
 少女の声は綺麗だった。
 綺麗で、透明で、そしてとても良く通る声だった。
 全ての人に時を報せるその声は、誰かを傷つけるものではなかったはずなのに。
 孝平の足元に滴る血に唇を噛むも、吉野は吉野の出来ることをと術具をかざして魔力を乞う。同様に結城・宗一(BNE002873)に守られたとらは、すかさずあたたかな肉声を響かせた。人形の唄が撒き散らした傷を、人の歌が薄めゆく。
 時は戻らない。
 もう元には戻らないのだ。
 エリューションと成り果てた不運な傀儡にそうするように、余計な傷を生まぬよう、碧衣は狙い澄ました縒糸を放った。細い指が黒書を開けば湧き出た魔力が気糸を伝う。容赦の無い力の奔流がぴんと張った糸の先、時計の針の付け根へ過たずほとばしる。
 弾けるような音がした。
 ビスが飛ぶ音。ナットが割れる音。巨大な鉄の時針がぐらりと傾ぎ、塔の装飾を削りながら落ちていく。
 少女がひときわ高い声を上げた。
 それは身を共にした時を絶たれた悲鳴のようでもあり、歪んだ刻から解かれた歓喜のようでもあった。
 そして、一同はびしりと亀裂が走る音を聞く。
 巨大な文字盤を穿ち塔の裏側まで貫通した穴から、縦横無尽にひびが走った。余波でさえ崩れかねぬ朽ちた塔に、そのものを狙って手加減の出来ぬ技を浴びせた。幾つかの欠片を落としただけで亀裂が止まったのは奇跡でしかない。
 あと欠片がひとつ外れたら。亀裂がずれたら。いつ倒壊が始まってもおかしくはなかった。

●curtsey
「叶うならその姿を残してやりたいが」
 鞘走る勢いのまま片刃の剣で斬り上げる。滑るように服を裂いた音速の刃が、少女の脇腹に引っかかった。堅い。返る衝撃が肘にまで伝う。
 やはり、綺麗なままでとはいかぬのだろう。
 わずかに眉を寄せただけで、天音は剣を振り抜いた。ならば傷が増そうと原型を損なおうと、何度でも剣を振るうしかない。
 無数の音が戦場に在った。
 少女はただ唄っている。華麗なタップの響きが耳に届くことなど無いかのように。
「一緒に踊りましょうか?」
 囁きかける桐の美声に応える術など無いかのように。
 裂帛の闘気を剣に乗せ紫電閃く斬撃を加えたときだけ、唄声がわずかに途切れる。そんな手段でしか少女の唄に干渉することは出来ないのだと思い知れば、物悲しさばかりが胸を占めた。
 シンバルが、ティンパニが安っぽい音を鳴らす。
 玩具の小人じみた楽団が、少女に近付くリベリスタに躍りかかる。
 肩に飛びついてきた一体がおどけた仕草でシンバルを振るった。側頭部を殴打された彩花の重心が傾ぎ、脳を揺らす残響に意識が痺れかけたが、頭を振って踏み止まる。
 楽団と少女、どちらも狙い易い立ち位置に立てばどちらからも狙われ易い。そんなことは覚悟の上だ。敢えて間近に迫り少女の不得手な踊りを引き出せれば有利だとも、彩花は考えていた。
「せめてもの弔いに……なんて言うつもりはありません」
 必要なら作り、不要なら棄てる。それが人間だ。
 解っている、言い訳はしない。
 破壊のために作った道具で、朽ちた道具を始末する。『戦手』の側面が一瞬にして展開し、再び凶星を射出した。
 光条に貫かれもんどりうった楽団らの部品がばらけ、鉄くずに還る。散乱した金属片を踏み散らし、りりすが少女に斬り込んでいく。
「道具にも『魂』が宿るとかって意味、解る気がするよ」
 けれど、哀れとは思わない。そんな同情は侮辱でしかないとりりすは思った。
 役割をまっとうする誇り高き少女へ、己の役割を以て相対する。狙い、襲い、喰い殺す。それが己であるのなら、いつも通り、やるだけだ。
 静から動へ、一瞬の動きが幻影を生んだ。
 獣は躊躇いの影すら無く硬質な少女の間隙を突く。肘間接に差し入れた刃をひねり、ごり、と容赦なく傷を広げる。
 早く。早く。倒壊する前に。
 急くように歯噛みするも、宗一は後方に陣取ったまま動かない。回復の要であるとらを守るのが彼の役目。そして理由は異なるにせよ——人形の少女もまた、時計塔の傍らを離れなかった。
「舞いじゃ!」
 ぼろぼろのスカートの裾を摘む仕草に、前衛の間近に控えていた瑠琵が叫んで飛び退った。卯月の紡ぐ声無き言の葉が、皆の脳裏に警告を届けていく。
 爪先立ってくるくる回る可憐さと裏腹の力任せの腕が、取り囲む刺客を打ち払った。放射線状に弾き飛ばされるリベリスタ。力無く垂れ下がっていた少女の左前腕も、遠心力に耐えきれず肘からぶつりと千切れ飛んだ。
 女神の微笑みが失せたのは、そのときだ。
 時計塔の足元で踊る人形の腕が塔をかすりもした。立ち位置を気にせず吹き飛ばされた者がぶつかり衝撃を伝えもした。けれどそれは最後のひと押しに過ぎない。時計塔が今まで保たれていたことが幸運だっただけ。奇跡がただ、終わっただけ。

●30sec
「崩れます……!」
 声の限りに彩花が叫んだ。
 時計塔が鳴動する。地鳴りのような音を立てて崩れはじめる。
「吉野ちゃん、早く!」
 か弱い幼子を第一に気遣うとらに、吉野は強い眼差しでかぶりを振った。
 吉野は自分が弱いことを知っている。
 それでも、弱いことに甘えてばかりいるのは、イヤ。
 多くの者が未だ動揺のなかに居る。踵を返し、倒壊の直中へと駆けた。
 運命を賭して立ち上がる決意はしていたが——。迷い、戸惑う天音の手を、吉野のちいさな手が引いた。入口だった通路へ、今は出口となった其処へ、無事逃げ切れるように連れて走る。
 せめてと己の意識を呼応させ美峰に術力を託した碧衣も、背を押されて広場を脱する。どうすべきか決めかねて立ち尽くす者たちを、瑠琵もまた迷わず追い立てた。声を張り上げ叱咤して退避させる。
 少女はまだ、立っている。
 微笑んで立っている。
 瞬いた瞳は硝子玉。光を浴びた色硝子が、二度、美しく煌めいた。
 唄がくる。魅了の唄が。今、それを浴びたらどうなるか。混迷する戦場に更なる悪夢が降りかかるようなもの。
 しかし、開きかけた唇はまたしても遮られた。鋭く肉薄した白き闇が幻惑を連れて少女の胸部を抉る。
「……まぁ、退けないよね」
 少女はうたうことをやめない。ならばりりすとて攻め手を止める道など無かった。
 びき、と少女が再び顎を裂かんばかりに口を開けば、とうとう留め具が砕けて下顎が外れた。白い顎が床に落ちて粉々に割れる。
 それでも変わらぬ威力で吹き荒れる禍唄(まがうた)の最中、立ち向かう人影は三つ。
 降り注ぐ瓦礫は次第に大きなものになっていく。倒壊は加速度的に進んでいく。逃げろ、と叫ぶ仲間の声が聞こえぬではないが、三人は振り返りもせず地を蹴った。
 前へ。前へ。
 終わらせるための役割はまだ終わっていないのだと、背中で語って。
「まだ猶予があるんだろ?」
 三十秒しかないと見るか、三十秒もあると見るか。
 ギリギリまで相手してやるよ、と笑みさえ浮かべる美峰は当然、後者だった。紅く染まった魔甲を掲げ、極寒を喚ぶ呪詛を唱える。頭上にわだかまった魔力の渦が氷雨のつぶてを生みだした。
 誰も、やめようとはしなかった。
 次第に視界を妨げはじめる瓦礫の雨を弾き飛ばして得物を振るう。塔の分厚い壁が剥がれ落ち床に突き刺さった横をすり抜け、少女だけを見据えて踏み込んでいく。
「もう、眠りましょう?」
 海の色を有した桐の巨大な剣が、圧倒的な力を帯びて振り下ろされた。苛烈な唄をうたうたびに磁器の肌が崩れゆく少女と、ほとばしる雷電に自らの肌さえ灼かれる桐とは、まるで愚かな削り合いだ。
 だが、その愚か者の流した血が、褪せた世界のなかで何よりも鮮やかに舞った。
 人形の服に散った人間の生命が、紅花のような染みを描く。血糊を浴びた硬い上唇が、ルージュのように艶かしい。
 ざあ、と天井から流れ落ちた流砂を浴びて、少女の姿が見えなくなる。
 りりすが腕を伸ばして砂の滝を払った一瞬、見えた少女はまた土埃にまみれ、眼窩の隙間からも砂の筋を幾つも流し、それでもまだ、うたおうとしていた。
 人をゆうに潰せるほどの大きさのまま、天井が崩れ落ちてくる。
 巨壁が自分に降ってくる光景がスローモーションのように目に映り、桐は膂力のすべてを両腕に乗せて粉砕の一撃を放った。凄まじい質量に斬りかかった桐の身体が逆に後ろに吹き飛んで、折り重なった瓦礫の隙間に叩き付けられる。
 最後に見たのは、やはり白茶けた瓦礫の断面。
 最後に感じた痛みが唄だったのか何だったのかも、判らない。
 目を閉じるより先に、彼らの意識は暗闇に呑み込まれた。

■シナリオ結果■
失敗
■あとがき■
 ご参加ありがとうございました。はとり栞です。
 判定に関してはリプレイに込めてあります。

 魅了と弱点も二択でしたが、時計塔を維持し回復に負けず長期戦か、時計塔を壊し崩落まで3ターンの短期決戦か、も二択でした。
 工夫次第では塔自体への被害を最小限に抑えつつ時計だけ破壊、という一挙両得も可能だったかも知れません。ただ、塔を壊さないようにという意気は感じたので、倒壊までの猶予を加えてみました。
 残りの3ターンを有効に活用する策があれば、今回のような展開でも人形の撃破まで到達することは可能でした。その意味では、最後まで戦い続けた御三方には拍手を。
 また、オープニングにあった「スカートの裾を摘む礼」「二度の瞬き」を見逃さず、瞬きにしっかり対応して下さった方のおかげで魅了は完封されました。

 お気に召しましたら幸いです。ご意見ご感想などありましたら是非お聞かせください。