● 歩いているうち、また迷い込んでしまったようだ。 考え事をしていると、どうも注意力が散漫になっていけない。 眼前に広がる異世界の景色と、その中で湯気を立てている大きな温泉を眺めながら。 彼は、むくむくとした黒い毛皮に覆われた両腕を組み、どうしたものかと首を傾げた。 振り向くと、二つの世界を繋ぐ穴――次元の裂け目が見える。 以前に聞いた話だと、自分は『この世界に許された』存在であるらしい。 だが、今回くぐり抜けてきた穴は、いかにも頼りなく思えるのだ。 これが閉じてしまえば、元の世界に帰れなくなってしまう。 今の自分には、帰りを待ってくれる“ひと”もいるのだが――。 彼はしばらく考えこんでいたが、結局、温泉の誘惑に負けた。 「まあ、何とかなりますよね」 穴が自然に閉じるものだとしても、一風呂浴びる時間くらいはあるだろう。 温泉に向かって歩きながら、彼は満天の星空を見上げる。 あのひと達は、今日も来るだろうか。来てくれると良い。 こんなに星が綺麗な夜を独り占めでは、あまりに勿体無いではないか。 ● 「温泉に行くぞ」 『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は、藪から棒にそう言った。 呆気に取られるリベリスタ達に、黒翼のフォーチュナは頭を掻きながら説明を始める。 「山の中に大きな温泉があって、その近くにディメンションホールが開いてるんだな。 半日もすれば放っておいても穴は閉じるが、危ないものが出てこないように見張っておこう、と」 そんな建前で温泉を楽しもうぜと、要はそういうことらしい。 それなら、とっとと穴を塞げば良いのでは、という声に、数史が答えた。 「――それがな。穴から出てきたアザーバイドが一人、温泉に浸かってるんだよ。 『犬さん』って言ったかな、何度かこっちに来ている温泉好きのアザーバイドだ。 いたって友好的な上に、フェイトもある。それを無理に追い返して穴を塞ぐのは気の毒だろ」 『犬さん』には『自分の世界で温泉を探す』という大きな目標があるため、こちらに長居するつもりはないらしい。穴が閉じるまでの間、温泉を堪能させてあげるくらいは構わないだろう。 「山は晴れていて、星がよく見える。 ま、最近は何かと慌しいからな。たまには温泉でのんびりしてもバチは当たらんだろうさ」 数史はそう言って、リベリスタ達の顔を見た。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月06日(金)23:11 |
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● 雲一つない紺青の空に、数多の星がきらきらと輝いていた。 温泉から少し離れて星空を見上げた縁が、灰色の目を細める。 「こんなに星が綺麗なら、ゆったりしてみるのも悪くはないね」 フリーのカメラマンでもある彼は、天体撮影用の機材を携えてきていた。 まずは、この星たちをカメラに収めるとしよう――。 「これはこれは、皆さんお揃いで」 白い湯気を立てる温泉の前では、うさぎと『犬さん』が再会を果たしていた。 「お久しぶりです犬さん。また会えて嬉しい限りです。 ――ご一緒、宜しいですか?」 うさぎの言葉に、黒い毛皮に覆われた犬さんの顔がにっこりと笑む。 「ええ、もちろんですとも」 ● 「星が綺麗に見える温泉。風流だねえ」 しみじみと呟く佐助に、初めての温泉に心躍らせるユイトが答える。 「イタリアにも風呂はあるけど、こんな景色のいい温泉はないな」 日本に来たからには一度は温泉に行ってみたかった、と声を弾ませる少年を見て、佐助は穏やかな笑みを浮かべた。 「存分に堪能するんだよ。 初めての温泉がこんな素敵な所だなんて、すごく幸せなことだ」 そう言って、佐助は義足を取り外しにかかる。 「よーし、早速……」 「――ユイト。お待ち」 タオルを手に温泉に突撃せんとするユイトを、佐助がやんわりと制した。 「温泉にタオルはつけちゃ駄目。それから、きちんと身体を洗ってから入りなさい」 「なるほど、それが温泉の……えーと、サホウ! だな」 「ああ、そう。作法、作法」 そんなやりとりを交わしつつ体を洗い、二人はいざ温泉へ。 やや熱めながら、丁度良い湯加減だ。 「折角の機会だ。じっくりたっぷり温泉につからないとな……!」 湯に身を沈めるユイトに、佐助が声をかける。 「肩までしっかり浸かったら百数えるんだよ」 「え? 百? そんなもんでいいのか?」 その五倍は頑張るつもりと宣言するユイトの顔は、温泉の熱気で既に赤い。 「……ユイト、百数えなくてもいいから、早めに上がりなさい」 倒れても助けられないよ、と諭され、ユイトも納得した。 「じゃあ、百であがるか」 一から数え始める声が、その後に続く。 熱めの湯と、頬に当たる夜気が心地良い。 「山間にある温泉に行く依頼とは、何ともアークらしいといえばそうだな」 明の言葉を聞き、彼の近くで湯に浸かっていた貴志が口を開いた。 「たまの贅沢ですね。温泉で日頃の疲れを癒すことが出来るというのはありがたいです」 そうだな、と息をつく明。ある種の慰労会とも思えるこの依頼を楽しまぬ手はない。のぼせない程度に、ゆっくり過ごすとしよう。 満天の星を見上げ、貴志が心を和ませる。余暇に乏しい日常の中では、こういった時間は貴重だ。寛ぎすぎて、睡魔に襲われないようにしなくては。 「――知るぞ人知る、秘湯と言うべきものでしょうか」 人の手が加わった形跡のない、自然そのものの温泉を眺め、ジョンが呟く。 「普段は山の動物たちが使っていそうですね。 一般人が知らない温泉に、人がこれだけ押し寄せるのは珍しいのでは?」 麻衣がそう言って、背後をそっと振り返った。温泉目当ての動物たちが、白い湯気の向こうに見えるかもしれない。 「こういう場所だからこそ、『犬さん』も安心して温泉を楽しめるのでしょうね」 ジョンが頷き、湯に浸かりながらリベリスタ達と歓談する犬型アザーバイドを見やる。 日頃の疲れを癒すべく、心ゆくまで温泉を楽しむ――たまには、こんな贅沢も悪くない。 「星空が綺麗ですね」 空に瞬く星たちを見上げて、茉莉が素直な感想を口にする。 混浴しかないのが残念ではあったが、それでも楽しめそうだ。水分補給用のミネラルウォーターを傍らに置き、深く湯に身を沈める。 熱い湯が、体の隅々まで染み渡るようだ。 温泉に身を委ねながら、真琴はそっと目を閉じる。こうしているだけで、心身に溜まったものが溶けて流れていく気がする。 慌しい日々の中で得た束の間の休息、命の洗濯を楽しまなくては。 温泉に浸かるリベリスタ達の多くは水着姿だが、中には湯浴み着を纏う者もいる。 ロッテとなずなも、その一人だ。 「やっほ~! 温泉ですぅ! ジャンプして入ろ~!」 「ちょっと待て、温泉は飛び込んで入るものじゃな……うわあああ!!」 手を引くロッテになずなが制止するも間に合わず、二人仲良く温泉にダイブ。 「水鉄砲用意したのですぅ!」 悪びれることなく、二丁の水鉄砲を取り出すロッテ。 勝負を持ちかけられ、なずなも一丁を手に取った。 「よかろう、受けて立とうじゃないか!!」 水鉄砲合戦、ここに開戦。 「なずな様の湯浴み着狙い撃ち! プリンセス☆ピンポイント~! ぽろり!」 「ふふん、私にはぽろりするものなど無い故にいくら狙っても無駄なのだ……! って、喧しいわあああ!!」 微妙に自滅しつつ、水鉄砲を乱射するなずな。視線はロッテの豊かな胸に向けられていたとか何とか。 ややあって、並んで水面に浮かぶ二人の姿があった。 こうしていると、星空が良く見える。 「あのねあのね、こうやってお風呂入って一緒にあしょんで、すっごく楽しいのです! なずな様、えへへ……仲良ししてくれて、ありがと~!!」 不意に発せられたロッテの言葉に、なずなが慌てた。 「おおおお前、なに恥ずかしいこと言ってるのだ!」 何か言葉を返さねばと思うが、つい口篭ってしまう。 「わ、私だって楽しくなければこうして一緒に遊んだりしないし、いつも感謝して……」 なずなの顔が赤いのは、温泉の所為だけではないだろう。 ● 異性と出かけるのはもちろん、間近で見るのも、このように肌を晒すのも、全て初めてのことで。 背中が大きく開いたワンピースの水着にロングパレオを巻いたリリは、緊張した表情で腕鍛の前に進み出る。 「に、似合っていますでしょうか……」 「おぉ! リリ殿すっごく似合っているでござるよ!」 自分が見立てた水着を纏うリリを、腕鍛は手放しで褒めた。 彼女の体のラインを目で追いそうになるのは、気合で耐える。 二人はそのまま温泉に向かうと、並んで湯に浸かった。 「先日はお疲れ様でござった」 腕鍛がそう言って、こないだ同行した依頼の話を切り出す。 「あの辛い依頼で、貴方の存在にとても助けられました」 リリは一度言葉を切ると、彼の目を見て言った。 「私はいつも強くはいられず、神の説く慈愛も持てない。 貴方は何故、いつも優しくいられるのですか?」 真剣に問われ、腕鍛はリリに後ろを向くように告げる。 それに従った彼女の肩を、彼が両手で掴んだ。 驚いて体を強張らせるリリの肩を、腕鍛はゆっくり揉んでいく。 「ちょっと力を抜いても罰は当らないでござるよ。拙者が証拠でござる」 心までもほぐれるような感覚に、リリもいつしか彼に身を任せた。 「拙者が優しいのは女性の笑顔のため、目の届く範囲の人に笑っていて欲しい。それだけでござる」 リリは肩越しに腕鍛を振り返り、僅かに表情を綻ばせる。 礼の言葉は、自然に口をついて出た。 その頃、温泉の一角では今まさに酒盛りが始まろうとしていた。 集ったのは、年齢も性別も様々な面々。未成年も含まれるため、ソフトドリンクも用意されている。 「温泉で酒が飲めると聞いてやってきたぜ!」 「ふふ、のぼせないように気をつけなさい?」 ディートリッヒの声に、艶やかな肢体を黒いビキニに包んだティアリアが微笑む。 よく冷えた辛口の日本酒を注いだお猪口を手に、快が乾杯の音頭を取った。 「それじゃ、日頃の任務お疲れ様ってことで。乾杯!」 「かんぱーい!」 乾杯の声に続いて、全員が最初の一杯を味わう。 冷たいビールの喉越しを楽しむ星龍の隣で、ティアリアが赤ワインを口に含んだ。温泉の熱に緩んで、程よく甘い。 宴はたちまち盛り上がり、華やいだ空気が一同を包んだ。 「温泉でお酒っていうのも良い感じね」 「あ、エレオノーラさん、おちょこがカラだね。どうぞー」 ハイペースで杯を空けていくエレオノーラに、悠里が酌をする。 次いで自分の酒を飲み干した悠里は、快に向けて杯を掲げた。 「快~。日本酒お任せで何かちょうだい~」 その声に、快が温泉の縁に置かれたクーラーボックスから日本酒を見繕って取り出す。 名前入りのスクール水着を身に纏ったエリスが、こくこくとウーロン茶を飲みながら賑やかな様子を眺めていた。 「あ、エレーナ。良かったらそれ一口頂ける?」 エレオノーラに注いでもらったウォッカに口をつけたティアリアが、途端に顔を顰める。 「んぐっ、温くなったウォッカってまたキツいわね……」 気の赴くままにビールを味わいながら、ディートリッヒが大きく息を吐いた。 これでソーセージとジャガイモ料理があれば、後はもう言うことはない。 「やはり皆で飲む酒は楽しいぜ。つい時間が過ぎるのも忘れちまうくらいだ」 彼とビールを酌み交わす星龍も、穏やかな表情を浮かべている。 「良いですね。星空の元、酒を交わしつつ談笑をし、湯で疲れを取るという。 贅沢な時間の過ごし方ですよ」 見慣れた顔はもちろん、初めて見る顔であっても、ここでは一時の安らぎを得ることができる。 惜しむらくは、楽しければ楽しいほど、時があっという間に流れてしまうことか。 「ふふ。ほら、注いであげるわ」 「あ、ありがとー」 ティアリアに酒を注いでもらった悠里が、思わず視線を宙に彷徨わせた。 抜群のスタイルを誇るティアリアの水着姿は、些か目のやり場に困る。 (すぐ隣に男連中が居るってのに、また際どい水着を……) その様子を眺めていた快が、心中で呟きを漏らす。彼の視線に気付き、ティアリアが咎めるように口を開いた。 「ちょっと、どこ見てるのよ」 反射的に固まった快を見て、くすくすと笑うティアリア。 「ま、今日くらいは許してあげるけれどね?」 「……そりゃあまあ、気にならないと言ったら嘘になるけど」 観念したように零す快に、エレオノーラが励ましの言葉をかけた。 「大丈夫よ、そのうち多分彼女できるって、ねえ」 笑ってティアリアに同意を求めるエレオノーラだが、当然ながら根拠はない。 頑張れ、アークの守護神。 一方では、いい感じに酔いが回ってきた悠里が惚気話に忙しかった。 「いや、うちの天使ちゃん、ほんと可愛くてね!」 虚空から滅びろという声が聞こえてきそうな勢いだが、彼の勢いは留まるところを知らない。 「結構ちょっとした事で拗ねたりしちゃってさ、そこがまた可愛かったりするん……うごばぁ!」 とうとう我慢の限界に達したらしいエレオノーラが、悠里に腹パンを叩き込んだ。 「他人に延々のろけ続けたって彼女に言い付けた方がいい? それともここでお説教する?」 もんどりうつ悠里に、さらに追い打ちをかける。「ほら水飲め」と、快がグラスを差し出した。 グラスの中身が水ではなくウォッカと気付いた星龍が、思わず苦笑する。飲み過ぎで倒れなければ良いが。 そんな賑やかな空気の中、エリスはゆっくりと湯に浸かる。小まめに水分を補給していたためか、湯疲れの心配はないようだ。周りの人達も、そのあたりはまだ大丈夫だろう。 (満天の……星空の元……楽しく……過ごせて……嬉しい) 輝く星たちを眺め、そっと幸せを噛み締める。 視線を戻すと、湯気の向こうに『犬さん』の姿が見えた。 何度も訪れるうちフェイトを得たらしい彼も、存分に楽しんでいるだろうか――。 ゆったりと温泉に身を委ねるアルフォンソの周りでは、少し緩やかに時が流れているようでもあった。 色素に乏しい彼の白い肌には、湯の熱とアルコールで赤みが差している。 (ビールを頂きつつ、贅沢に過ごせる……こんな機会は、中々にありませんね) 何も考えることなく、ただ星空を眺めて温泉に浸かる。 この素晴らしい時間を、アルフォンソは心ゆくまで楽しむつもりだ。 別の場所には、テキーラの瓶を携えた宵子の姿もあった。 「一回やってみたかったんだぁ! コレ!」 露天風呂に興奮しつつ、塩を舐めてテキーラを煽る。 「うおおおおお美味い!」 手酌ですらない、豪快なラッパ飲みだ。 「星を肴に一杯なんて贅沢すぎるらろ!」 呂律は次第に回らなくなり――やがて泣き上戸の出来上がり。 「温泉気持ち良いよー! うわああああああん!!」 管を巻く宵子の声が、温泉に響く。 ● 心身の疲れを癒すべく湯治に来た風斗は、骨の髄まで緩みきっていた。 「はぁ……とろける……鼻から魂抜け出そう……」 ぶくぶくと湯に沈みかけた時、絹を裂くような女の悲鳴が響く。 「!? なんだ、何が起きた!?」 まさか、ディメンションホールから危険なアザーバイドが……? たちまち我に返った彼は、慌てて声の方に駆け出した。 ――時間は少しだけ遡る。 「……そ、そんなにまじまじ見ないでよ」 学校指定の水着に身を包んだアンナが、傍らで湯に浸かる明奈の視線に頬を染める。 豊かな胸にどうしても注目を集めてしまうため、水着姿を見せるのは苦手だった。 「生まれの差があるとはいえ、綺麗な身体しやがって……羨ましい」 「というか、明奈こそスタイルいいじゃない。引き締まってるっていうか……」 アンナの言う通り、羨ましがる明奈も素晴らしいプロポーションの持ち主である。 彼女の白い水着姿は、男たちを充分に魅了してやまないだろう。 そして、近くの茂みから二人を見つめる一対の瞳。アーク随一の名声を誇る『イケメン覇界闘士』――夏栖斗である。 (やっぱ女子のガールズトークって聞きたいじゃないですか!) 秘密の花園に耳をそばだてる突撃覗き隊(隊員一名)。 あと少しだけ近付こうと足を踏み出した瞬間、木の根に思い切り躓いてしまった。 勢い余って茂みから転がり出てしまい、女性陣とばっちり目が合う。 「や、やあ……」 夏栖斗の挨拶も空しく、響き渡る明奈の悲鳴。 装備を収めた“幻想纏い”を探すように、アンナの手が動いた。 「え? なんなの人聞き悪い! っていうか叫ぶなや!」 慌てて誤魔化す夏栖斗だったが、あえなく明奈に捕まり、温泉に放り込まれる。 「馬鹿者ォ! やるなら堂々とやらないか!」 水柱が上がった直後、自分達が水着を纏っていたことを思い出したアンナが、ようやく冷静さを取り戻した。 「わざわざ覗くって事は、沈められたいってことよね。 ──良いわ、フェイト削れない程度に仕置きしてやる……!」 女性陣が殺る気になったところに、風斗到着。 「……なんだ、カズトか。お前、また何かやらかしたのか?」 「うわー、きたよ、女性の悲鳴に反応するラッキースケベマシンが。 先に言っておく、誤解だ」 「せっかくの温泉なんだからもっと静かにだな……」 呆れる風斗に、明奈の罵声が飛んだ。 「何見てんだよお前も同類かァ! 沈めるぞ!」 「いや違う、何もしてない何も見てない!」 巻き添えを避けようと後退る風斗だが、この状況で何も見ないというのは無理があるわけで。 結局、彼も温泉に引きずり込まれた。 「ええい、元はといえばカズトが悪い!」 「うっせえ! お前出てきたらおっぱい揉むのがお約束のくせに! カオスゲージ下がれ!」 後は、ひたすら大騒ぎ。 「……何やってんだか」 騒動を遠目に見て、ユーニアが呆れ顔で呟く。 「こんな時ぐらい、はめ外すのもいいのかな。――な、奥地さん?」 近くにいた数史に声をかけると、彼は少し驚いたように振り向いた。 「別に用はないんだけど、話しかけやすかったから」 「そりゃどうも」 笑う数史に、ちょっと一人言を言うけど、と前置きして、ユーニアは星空を見上げる。 「人間ってめんどくせーよなあ、こんな狭い世界の中でくっついたり殺し合ったり」 記憶を辿るように、僅かに目を細めて。 「……でもまあ、悪いことばっかりでもなかったかな。温泉にも来れたし」 「色々あるが、世の中も捨てたもんじゃないさ」 頷く数史に、ユーニアは視線を戻した。 「そういえば猫の名前決まった?」 「決めたよ。やたら強情なもんで、頑固一徹の『テツ』」 最近、猫を飼い始めたらしい黒翼のフォーチュナは、そう言って笑った。 一方、こちらは大御堂重機械工業(株)の面々。 温泉の効能でお肌ツルツルスベスベを狙う陽菜の誘いで集まった女性陣が、歓談しつつ湯に浸かっていた。ちなみに、陽菜は大の猫派であり、犬さんにはさほど興味は無い。 「……むう、やっぱりサイズが合ってないですね。 また大きくなっちゃってるし……」 水着からはちきれんばかりの胸を見下ろし、彩花が軽く眉を寄せる。水着が必要ということで、去年の夏に着たものを引っ張り出してきたのだが……やはり一年間の成長による差は大きいようだ。 「相変わらずお嬢様は胸だけはでかいですよね。無駄に」 悪気のない自慢とも取れる彩花の発言に、スクール水着姿のモニカが答える。 「ホント彩花先輩いい体してるよね~。どうすればそんな風になれるか聞きたいよ……」 うんうんと頷く陽菜が、白いフリルの水着に覆われた自分の胸を見下ろして思わず溜め息をついた。 「陽菜様は……まあ、大器晩成という言葉もありますからね」 二人の胸を見比べつつ、モニカが言葉を濁す。 彼我の戦闘力差は絶望的にも思えるが、あえて口には出さない。 「みんなスタイルよさそうだし羨ましい!!」 温泉にいる他の女性陣を見回した陽菜が、巨乳は敵とばかりに思わず拳を握る。 ただし、不埒者の視線から彩花を守れるよう、彼女の正面をガードするのは忘れていない。 もっとも、真正面から挑むような勇者(と書いてHENTAIと読む)がいたところで、彩花の大雪崩落で葬られるのがオチだろうが……。 「いやぁいいねぇ温泉。温泉といやぁ酒だよね」 温泉の片隅では、巫女服に似た水着を纏った御龍が、満天の星と月を肴に酒を楽しんでいた。 「やっぱぁ、あたしは狼だからさぁ、月を見ると滾るのよねぃ」 狼のビーストハーフの血が騒ぐのか、見事な月を眺めながら満足げに頷く御龍。 そんな彼女の近くを、温泉にはしゃぐ神那が偶然通りがかる。 (……おやおやぁ、何やら湯船に見知った顔が居るぞぉ?) 経費で好きなだけ温泉を楽しめると浮かれていたところに、一人で酒を呑んでいる知り合いを見つけた。 これは、ちょっかいをかけない手はない。 悪戯心を起こした神那は、気配を殺して御龍に忍び寄り、彼女の背後から両腕を伸ばす。 「こんな胸を持ってるのは……ウハハハ、お前かー!」 「みりゅっ!?」 思い切り鷲掴みにされて驚いた御龍が肩越しに振り返れば、そこには神那の姿。 腕から逃れようとじたばたと身をよじる御龍を楽しげに見て、神那は高らかに笑い声を響かせた。 ● タンキニ水着に身を包んだリセリアを前に、猛が少し眩しげに目を細める。 「……おぉ、似合ってるな。良いと思うぜ」 「あ、ありがとうございます」 リセリアは視線を伏せ、僅かに頬を赤らめた。 褒められて嬉しいはずなのに、何故か気恥ずかしい。 「ちょっと楽しみを先取りしちまった感じだが」 そう言われて、この夏はどうしよう――とリセリアは思う。 無意識に猛の目を基準に考えている自分に気付き、彼女は誤魔化すように口を開いた。 「……今は、温泉。葛木さん、入りましょうか?」 頷いた猛が、「おー、広いな」と温泉を見回す。空いている場所を選び、二人で向かった。 「前、温泉には来たけどペンギンと一緒に遊んでたからな」 水上歩行で水面をそろそろと歩くリセリアが、猛に相槌を打つ。以前は大量に現れたペンギン型アザーバイドの対応で終わってしまい、温泉に入りそびれてしまった。 熱い湯に身を沈め、二人並んで天の星たちを眺める。 「……ふぅ、気持ち良いな」 「混浴とかちょっと緊張しましたけど……気持ちいいですね、温泉」 「露天風呂っていうのも味があるし……星も綺麗、だよな」 空を見上げたまま、二人の間に沈黙が落ちた。 水面下で、猛がリセリアの手に触れる。 「なぁ、また一緒に此処に来てくれるか?」 その手をそっと握り返し、リセリアは彼に微笑んだ。 「ええ、また来たいです」 ――その時は、もっとゆっくり。 「ふふ……素敵な景色に極上のお湯。ずっと浸かっていたくなるわね」 水色のビキニを纏ったミュゼーヌが、星空を見上げて微笑む。 頷いた三千は、内心で胸の高鳴りを抑えきれずにいた。 ミュゼーヌの水着姿を見るのはこれが初めてではなかったが、一緒に温泉――同じ風呂に浸かるというのは、また違った趣と緊張がある。 無論、周囲には同行するリベリスタ達がおり、厳密には二人きりとは言えないのだが。三千の瞳にはもはや、愛しい恋人の姿しか映らない。 一見すると涼しい顔をしているように思えるミュゼーヌも、実のところ三千と同じ思いを抱えていた。 細身ながら、きちんと男性らしさを備えている彼の体が目に入るたび、やけにドキドキしてしまって。 (……せっかくの機会だし。ちょっとだけ、ほんの少しだけ大胆になっても良いわよね) そっと心を決め、ミュゼーヌは正面からもたれるようにして三千に抱きついた。 動揺を悟られぬように視線を逸らしていた彼は、柔らかな胸の感触に不意を突かれ、たちまち赤くなってしまう。 「ん……湯中りしちゃったかしら。少しだけ、支えになってもらって良い?」 「は、はいっ、もちろんですっ」 真っ赤な顔のまま、三千はミュゼーヌのすらりとした体を受け止めた。 どれだけのぼせていようと、必ず支えてみせる――何があっても、自分は彼女の恋人だから。 湯浴み着姿の二人が、温泉の中から星空を見上げる。 「星天の下に温泉……とは、風雅ですね」 隣に寄り添う悠月に、拓真が頷いた。 「温泉に入りながら星を眺める……というのも、随分と贅沢だな」 彼は空に手を伸ばし、輝く星を掴もうとするかのようにゆっくり拳を握る。 「……子供の頃は、どれだけ遠い星であったとしても掴めそうな気がしたものだが」 手に届くかと思えた星たちは、今は限りなく遠い。 「取り落とした星の数だけの後悔と無念はあるが、 不思議とこれまでの道が決して無駄ではなかったと……そう思えるんだ」 天に伸ばしたままの拓真の腕に、悠月がそっと自分の腕を添える。固く握られた拳を、彼女の掌が柔らかく包んだ。 「取り零しながらも、掴めた物は確かにあった筈です。掴めるだけは……掴んで来た筈です」 微笑みが、言葉よりも雄弁に彼を肯定する。 愛おしさがこみ上げて、拓真は悠月、と彼女の名を呼んだ。 後に続くは、長く甘い口付け―― 唇が離れ、二対の黒き双眸が見つめ合う。 「……何時か、君に聞いて貰いたい事がある。その時は……聞いて貰えるだろうか?」 拓真の真摯な表情に、悠月は「……前にもありましたね」と口を開いた。 迷いなく頷き、微笑を湛えて彼の瞳を見る。 「ええ、私の応えは同じです――私で宜しければ、拓真さん」 そうか、と言って、拓真も笑みを浮かべた。 絆深き二人を、天に瞬く星たちが見守る。 (こういう広い温泉に龍治と来るの、夢だったんだよなぁ) 落ち着いた色合いの青地に、黒の縁取りと市松模様を重ねたビキニの水着を纏った木蓮が、湯にゆったり身を沈める。 対する龍治は、膝上丈のサーフパンツ姿で温泉に浸かりながら、それとなく周囲の視線を気にしていた。 傷だらけの肌を晒すのに抵抗がある、ということもあるが―― (び、ビキニ姿だと……。全く、こういう場でそういう格好をするとは……!) 心配の種は、やはり恋人の水着姿なわけで。 しばらくして、一計を案じた龍治は「少し外に出よう」と木蓮を誘った。 火照った身体を程良く冷ますために――という理由は、本音であり建前。 二人は温泉を離れ、散策を始めた。 傷を隠せるようにと、木蓮が龍治にバスタオルを手渡す。 ただ、彼が傷よりも自分の水着を気にしているらしいことは気付いていた。 (女友達に勧められたんだよなぁ、これ……) そんなことを考えつつ、木蓮は気持ちを切り替える。今は、楽しまなくては損だ。 「なあっ、折角だし流れ星探そうぜ?」 木蓮の声に、龍治が空を見上げる。 「流れ星か、今宵はよく見えるだろう」 何を願うつもりか、と問う彼に、木蓮は笑って答えた。 「へへー、帰ったら教えてやるぜ。そっちのも教えてくよ?」 「ああ、帰ったら答え合わせといこう」 龍治の願いは当然、これからも木蓮と共に在ること。 木蓮も、同じ想いであれば良い。 慌しかった六月が過ぎ、ようやく得られた休息。 依頼から無事戻ったお祝いに乾杯して、皆と一緒に飲んで食べて。 「お前等見んなよ。ニニは俺ンだからな、お・れ・の!」 周囲の視線から隠すように自分を抱くランディに、ニニギアが笑う。 「そんな一生懸命隠さなくても、うっかり水着忘れたりしてないわよ」 淡いグリーンの縁取りが入った白のビキニ姿を見れば、ランディの心配も頷けるが。 「もうちょいこっち来な、ニニ」 ランディがニニギアを引き寄せると、彼女は赤い顔で口を開いた。 「んー、飲みすぎかしら、のぼせたかしら。くらくらするのです~」 「――ん? 酒も入ってちょっとのぼせちまったか」 すかさずニニギアを抱き上げ、介抱するランディ。 「ありがと、らんでぃ」 少しして回復したニニギアが礼を言うと、今度はランディの視界が揺らいだ。 酒が旨くて飲み過ぎたのと、のぼせたニニギアが可愛すぎたからか―― 「ぬぅ、俺もくらくらしやがる……」 「あれれ、大丈夫?」 起き上がったニニギアが、ランディを伴って涼しい場所に移動する。 「膝枕するから、しばらく休みましょ」 腰を下ろし、ぽんと膝を叩くニニギア。 ランディは誰も見ていないのを確認した後、 「そしたらお言葉に甘えて……」と、彼女の膝に頭を乗せた。 穏やかな寝息を聞き、彼の髪を撫でながら。ニニギアは、楽しげな仲間達を笑顔で眺めていた。 ● お互いの水着姿を目の当たりにしてからというもの、どうにも落ち着かなかった。 「水着とはいえ……恥ずかしゅうございます」 「す、すみません! あんまりそっち見ないようにしますからっ」 俯くシエルの声に、光介が慌てて言葉を返す。 岩場を背にして湯に浸かる二人は、ほとんど同じ姿勢で固まっていた。 胸の高鳴りは一向に治まらず、強張る体は思うように動かない。 「……此処の温泉の効能には呪縛の効果でもあるのでしょうか?」 「ぶ、ブレイクフィアーしましょうか?」 冗談にも思えるやりとりだが、本人達は至って真剣である。 ともあれ、このままでは折角誘った意味がない。 シエルは深呼吸しようと空を仰ぎ――そして、満天の星に気付く。 「此処は星空が近いのですね……」 その声を聞き、光介もつられて空を見上げた。 二人の間に張り詰めていたものが、少しずつほぐれていく。 「ゆっくり……していきましょうか」 光介の言葉とともに、温かく心地良い空気が二人を包んだ。 シエルが、まだ幼さが残る彼の横顔を見つめる。 光介の過去を知った時は、親近感ゆえに彼を癒したいと思った。 ――でも、いつからだろう。 同じ時間を共有するうち、逆に安らぎを貰っている自分に気付いたのは。 「私は……光介様の中に星を見つけたのかもしれません」 夜気に紛れたシエルの呟きが、光介の耳にそっと届いた。 良い湯加減の温泉に、旨い酒に、可愛い妹分。 「ふふ、今日は最高だね」 杯に満たした日本酒をゆっくり口に含みつつ、夜鷹が笑みを零す。 その視線の先には、少し離れて湯に浸かり、彼から目を逸らそうとするレイチェルの姿。 スポーティなセパレートの水着から、すらりとした手足が伸びていた。 (……水着だから大丈夫、うん) 夜鷹の視線を意識しつつ、レイチェルは自分にそう言い聞かせる。 そんな彼女をからかうように、夜鷹が口を開いた。 「もう少し色気があれば、言う事無しかな?」 もっと可愛いのにすれば良かったかと、思わず俯くレイチェル。 夜鷹が、くすり笑って黒猫の耳に唇を寄せた。 「今度、可愛い水着を買ってあげるよ」 悪戯っぽく囁き、レイチェルの手を取る。 「夜鷹さん、酔ってます……?」 「酔ってないよ。酔っているとしたら……」 唇がそっと、彼女の指先に触れた。 「――君にだろうね」 指から掌を辿る温かな感触に、レイチェルの頬が紅潮する。 されるがままに、夜鷹と目が合った。 彼の顔が、ゆっくりと近付く。 抵抗できないのは、たぶん、心のどこかで期待してしまっているから。 だけど―― 「酔った勢いでの初キスは、やっぱり嫌!」 レイチェルは目を閉じると、反射的に夜鷹を温泉に沈めた。 「ごばぁっ!?」 「……あ」 調子に乗った報いを受けた夜鷹だが、その後はレイチェルの膝枕で役得であったと付記しておく。 「人が入らない山の中の温泉か。よくこんな所見つけたな」 酒を載せた盆を湯に浮かべたモノマが、温泉に浸かりながら口を開いた。 杯を手にした彼に、水着姿の壱也が笑顔で徳利を差し出す。 「いっぱい、飲んでくださいね」 お酌は初めてだから、作法とかはよく分からないけれど。こぼさないよう慎重に、杯をゆっくり酒で満たしていく。 注がれた酒に、モノマがそっと口をつけた。 八塩折之酒――八岐大蛇を酔わせたとされる伝説の酒である。 「依頼用に手に入れたとはいえ、自分でも飲んでみたかったのよな」 モノマはそう言って、別に用意したジュースを壱也のグラスに注いでやった。 「ありがとうございますっ」 温泉饅頭をつまみに、二人はゆるりと時を過ごす。 いつも頑張っているモノマがリラックスしている様子を見て、壱也は嬉しくなった。 「壱也は温泉好きか?」 「好きですっ」 モノマの問いに、にこにこ笑って答える壱也。 「こんな何もないようなところは初めてですけど、楽しいですね!」 「旅館に行くのもいいが、こういう温泉に来るのも悪くないな」 俺も温泉は好きなのだ――と言うモノマを、壱也は惚れ惚れと見つめた。 (先輩かっこいいし、み、水着だし、温泉だし、お酒、先輩かっこいい……) 酒の匂いでぼうっとしつつ、彼に寄りかかる。 「えへへしぇんぱい」 甘える壱也の頭を、モノマの手が優しく撫でた。 一方、仲良く杯を交わす葬識と甚内は。 「平和だねぇ~。湯けむり殺人事件とか起きればおもしろいのにねぇ~」 「おおっとー? 殺人鬼ちゃん、その発言もしやー? もはやー!?」 平常運行というか、清々しいほどの物騒な会話。 盛り上がる甚内をよそに、葬識は日本酒を呑みつつ息を吐く。 「やっぱり探偵役いないとむりなのかなぁ~」 「ソレは必要だよねー」 「あそこにいる羽柴ちゃんとか~」 「適任でしょー☆」 恋人と過ごす壱也を遠目に、勝手な感想を並べる二人。 「いつも探偵みたいな帽子かぶってるしねぇ~」 「なによりメガネなんかかけたら……ほら! 有名少年探偵みたいだー☆」 女の子に少年とか言わない。 「そいえば、殺人鬼ちゃんいつも鋏だから、斬ったり刺したりー? だよねー」 他の手段はあんま使わないのー?」 「俺様ちゃんとしては、好みの殺し方は絞殺かなぁ~」 物騒になる一方だ。誰か止めて。 「バァルで衝動的な一撃もすてがたいねぇ~。 心臓メッタ刺しは犯人の怯えを感じて萎えちゃうよねぇ~」 「なるほどねー。ステーキもカレーもお寿司もおいしいもんねー☆」 「いっそのこと、湯けむり殺人事件おこしにいくのも面白いかもだね~」 爆弾発言もいいとこだが、甚内は葬識が『食べる』のはフィクサードだけと知っている。 「周り全部リベリスタだけどー?」 「あ、そっかー、フィクサード生えてこないかなあ」 やめて、温泉を血で染めるのやめて。 こちらは、舞姫と京子のだんごむし&ね……チーターのコンビ。 「やっぱり温泉は良いですねぇ」 「いやー、良いお湯だねぇ。 ほんのり桜色に染まる肌……きゃー、お色気だよね、 やばいわー、ねらわれちゃうわー」 「戦場ヶ原先輩はすぐ温泉からエッチな方向へもってこうとしますね」 一人で盛り上がる舞姫は、京子の呆れ顔にもめげない。 「京子さんも頬をピンクに染めてるよ! はにゃーんだよ!!」 「これは温泉の暖かさで体温が上がってピンクになってるんですー!」 「ピンクは淫乱だって、偉い人が言ってたよ!」 「戦場ヶ原先輩だって頬がピンクになってますよ!」 ピンク力なら先輩の方が上です、と反撃する京子に、舞姫がふと真顔になって口を開いた。 「ところで、京子さん。わたしの用意してあげた水着は……?」 舞姫はもともと、準備は自分がするから手ぶらで来て良い、と言っていたのだが。 いま京子が身に着けているのは、舞姫が手渡した水着ではなく、彼女本人の私物である。 「……さっき水に付けたら、溶けてしまいましたので」 こんな事もあろうかと、京子はしっかり対策していたのだ。 「チッ……バレてたか」 あからさまに舌打ちする舞姫を、思わずジト目で睨む京子。 舞姫は慌てて誤魔化すと、わざとらしく空の星を指す。 「ほら、星が綺麗だよ、京子さん♪」 「ったく……星は綺麗でも人の心は汚いですね」 そう言って、京子は深い溜め息をついた。 「ん、一人か?」 一人で温泉に浸かる竜一を見て、数史が彼に声をかけた。 「ぼっちです! むしろ、ぼっちである方がいい!」 迷わず言葉を返され、黒翼のフォーチュナは軽く首を傾げる。 「? ……というか、眼鏡のまま温泉入って曇らないか、それ」 黙って目を逸らす竜一を不審に思った数史が、彼の眼鏡を取り上げた。 一見するとオサレでクールな伊達眼鏡だが、小型のビデオカメラが内蔵されている。 気配遮断で女性グループの死角をつき、撮影にいそしんでいたらしい。 「いや、これはアウトだろ……男としてわからんでもないけど」 「あ、やめて! 数史のおっちゃん! 没収しないで、俺の眼鏡ー!!」 「……悪いが、俺には女性陣を敵に回す度胸はない」 その後、件の眼鏡はすったもんだでデータ消去の上で竜一に返却された模様。 温泉の華といえば、卓球である。 リンシードとセラフィーナは、温泉から上がると浴衣に着替え、卓球台の前に立った。 ラケットを手に向かい合う二人。 「さぁ、どこに打っても返してあげます……!」 身体能力のギアを上げて反応速度を高めたリンシードに、全身を速度に最適化させたセラフィーナが負けじと声を返した。 「行くよリンシードちゃん。ソミラ最強は私なんだからっ」 歳も近いし、同じソードミラージュとして負けるわけにはいかない。 最強(※ただし卓球)の座をかけて、いざ勝負! セラフィーナの鮮やかなサーブを、リンシードが音速のラケット捌きで迎え撃つ。 幻影を纏ってこれを打ち返すと、一人ダブルスとばかりに展開された残像が立ちはだかった。 巧みに返されたボールが、コートの隅を抉るように低くバウンドする。 「鋭い! けど、私だって!」 神速の動きで追いついたセラフィーナが、ラケットを芸術的に閃かせた。 「受けてみて、私の必殺技! アルシャンスマッシュ!」 光の飛沫を散らしてスマッシュを放てば、リンシードも輝ける魔球で対抗し――。 そうこうするうち、気力を使い果たして一旦休憩。 現状は殆ど同点、両雄一歩も譲らず。 意識の同調で力を回復させるセラフィーナに、リンシードが声をかける。 「なかなか、やりますね……」 決着がついたら、握手を交わして、温泉でもう一度汗を流そう。 ● 澄み渡った漆黒の空に散りばめられた、星という名の宝石たち。 ひたすらに闇を遠ざけてきた現代社会において、こういった純粋な夜空を目にする機会は随分と減ってしまったのだろう。少なくとも、都市部で見ることは叶うまい――。 人の手が届かぬ天体が織り成す、幻想的なスペクタクル。 そして、地上に口を開けた、異界へと通じる次元の穴。 滸玲はそれらを目で追いながら、翡翠の色をした睫毛を風に遊ばせていた。 熱めの湯にゆるりと身を任せ、周囲の喧騒に包まれながら、しみじみと思う。 (やはり温泉は素晴らしいですよね) 見事な肢体を湯浴み着に包んだリサリサが、温泉に浸かりながら青い目を細める。 「なんとも不思議な、穏やかな雰囲気ですね……」 ここにいると、最近の慌しさが嘘のようだ。 異世界『ラ・ル・カーナ』の事件解決にも追われる昨今、疲れが溜まっている者も少なくないのだろうが――。 リサリサは、癒しの福音をそっと奏で始める。 仲間達がゆっくり心身を休められるようにと、祈りを込めて。 星空のもと、静かに響き渡る天使の歌。 肩まで湯に浸かりながら、京一はふと、家族の姿を思い浮かべる。 仕事でこういった場所に来るたび、妻や子供たちを連れて来られたら――と、つい考えてしまうのだ。 リベリスタであることを秘密にしている以上、そうもいかないのは承知しているが。 家族サービスは、また後日に埋め合わせをしよう。 そう決めて、京一は湯に身を沈める。 「明日から、また頑張りましょうか――」 温泉の片隅では、恋人(ブレイン・イン・ラヴァー)を伴ったマコトが“彼女”と過ごしていた。 「あぁ、君は温泉は初めてだったっけ。 ……大丈夫だよ、温泉で幽霊が浄化されたとかいう話は聞いた事ないしさ」 抗議する“彼女”に謝った後、彼はふと口を閉ざし、温泉を楽しむリベリスタ達や『犬さん』の姿を遠目に見た。 獣の因子を宿した片手を眺め、そっと囁く。 「んー、ほら、自分だけじゃないんだって、再認識……みたいな」 さまざまな姿の人達が過ごすこの場所では、この手もそこまで目立たない。 「そう悪いもんじゃないな、って話だよ。上手く言えないけど、そういう事さ――」 ――そういえば、最近は温泉に行っていなかった。 今日は、心と体をゆっくり癒す良い機会かもしれない。 丁度良い熱さの湯が全身に染み渡るのを感じながら、亘は大きく息を吐く。 「はぁ~、疲れもストレスも全部溶けてしまいそうです」 空を見上げれば、そこには満天の星。 星たちの輝きを存分に堪能した後、亘はそっと視線を地上に戻し、周囲をぐるりと見回した。 友人や恋人、大切な人と楽しそうに過ごすリベリスタ達。 談笑しながらのんびりと温泉に浸かっている、異世界からの客人。 幸せそうな皆を眺めているだけで、自分までも嬉しくなる。 こういった幸せな時間を守るために頑張りたい――亘は、心からそう思った。 ● 「これは素晴らしい。風景をそのまま切り取って残すことができるんですね」 縁がデジカメで撮った写真を見て、犬さんがはしゃぐ。どうやら、彼の世界には精密機械の類は存在しないらしい。見た目が犬なだけで、社会的な生活をしていることは間違いないようだが……。 赤黒の生地にフリルをあしらった、露出控えめの水着に身を包んだシェリーが、大量に持参したアイスを犬さんに分けてやる。 「この熱さと冷たさのギャップがいいんだ。ギャップが」 「や、冷たくて甘くて美味しいですねえ」 初めて食べるアイスに、犬さんもご満悦。 タンキニ水着を纏い、満天の星空を愛でつつ酒盃を傾けていた七が、犬さんに声をかけた。 「この季節だとあんまり長湯は出来ないけど、いつ入っても温泉は良いものだねえ」 黒い毛皮をもふりたい衝動に駆られるが、我慢我慢。 にこにこ頷く犬さんに、七は言葉を続ける。 「犬さんとこうして温泉に入れるのはとっても嬉しいけど、 いつか戻れなくなっちゃわないか、ちょっと心配かも」 「そうですねえ。帰れなくなってしまったら、ワタシもちょっと困ってしまいます。 でも――きっと何とかなりますよ。三度も来ることができたんですから」 根が楽天家であるらしい犬さんの言葉に、七も微笑を返した。 「あっちの世界でも素敵な温泉、見つかるといいよねえ」 それを聞き、シェリーが身を乗り出す。 「話を聞こうじゃないか。妾も地脈については一応の知識がある」 彼女は、異界の自然に興味があった。その知識が、魔道を究めるヒントになるかもしれないからだ。 肩を揉んでやりつつ、シェリーは犬さんから話を聞く。基本、こちらとの共通点は多いようだ。 地学的な視点から温泉探しの助言を行い、一言付け加える。 「ありがたく思うのだぞ。肩を揉んでやるのはおぬしが初めてだ」 「それはそれは、光栄です」 その様子を眺めていたうさぎが、ふと首を傾げた。 「……ところで、ちょっとだけ雰囲気変わられてません?」 「そうですか? 実は最近、大切な“ひと”ができまして……そのせいですかね」 照れながら語る犬さんを見て、うさぎは得心する。 「それは、良い。本当に、良いですね……羨ましいです」 「うさぎさんに、そういう方はいらっしゃらないのですか?」 「帰りを待ってくれそうな人は、まあ……」 でも――それは、勝手な思い込みかもしれない。 自分よりも、もっと相応しい相手が居るのかもしれない。 約束も確証もない今は、全てが一人相撲に思えて。 遠くの喧騒に混じる“彼ら”の声から耳を塞ぎつつ、うさぎは「すいません」と詫びる。この夜に、こんな話は似合わない。 犬さんはゆるゆると首を横に振り、そして穏やかに微笑って言った。 「――あなたは、素敵な“ひと”ですよ」 ● 「たんぽぽ荘とは、また違ったいいお湯です。はふ」 長い髪を頭上に纏めた壱和が、温泉の中で小さく息をつく。湯浴み着姿ではあるが、湯に首まで浸かっているので体のラインは殆ど見えない。 「うむ……骨まで染み渡る……」 ベルカが、熱い湯に身を任せながら相槌を打った。 意外にも日本での暮らしが長い彼女は、風呂の作法にも通じている。 水着などを身に着けて入るのが少し残念に思えるほどだが、まあ、こればかりは仕方がない。 その隣では、ミリィが赤い顔をして湯に深く身を沈めていた。水着にバスタオルと、ガードは完璧に固めてきているが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。 六人のリベリスタが集った温泉の一角では、チャイカによる星空の課外講義が行われていた。 今回は温泉なので天体観測用の機材は用いず、裸眼で星を楽しむことをテーマにしている。語る内容も、場の雰囲気に合わせて風情のあるものを選んでいた。 「知っていますか? 乙姫と彦星……ベガとアルタイルの他にも スピカとアルクトゥルスの二つを真珠星、麦星と呼んでるんです」 この時期でも見える春の星たちを指し、彼女は解説を加える。 「二人は麦の取れる頃に夜空へ現れて、昔の人に春の訪れを教えてくれていたんですよ」 チャイカの話に耳を傾けながら、フツが夜空の星を眺めて目を細める。 「真珠星に麦星か――季節の訪れを告げる星ってのは、なんとも風情があるねえ」 つぎの当たった水着を纏ったヘクスも、分厚いゴーグル越しに空を見上げた。 「ふむ、星ですか、あれにも名前がついているんですね……」 とはいえ、目を凝らしても星の見分けなどさっぱりつかない。教えてもらいつつも、段々と眠くなってくる始末である。決して、語られる内容がつまらないわけではないのだが――。 皆に飲み物を配っていた壱和が、冷たいオレンジジュースを眠たげなヘクスに手渡す。 「湯船に長い時間浸かるなら、水分補給は大事ですから」 その方が、きっと話も弾むだろう。せっかくの機会なのだし、少しでも仲良くなれたら良い。 ミリィもまた、持参した温泉饅頭と温泉卵を振舞っていた。 「温泉といったら温泉饅頭に温泉卵ですよね。皆さんもどうぞ」 そう言いつつ、実は温泉饅頭を食べるのは初めてだったりもするのだが。 温泉卵を手に取ったフツが、真珠星と麦星についてチャイカに質問する。 「この二人にはさ、なんか浮いた話はねえのかい。 いや、確かに星だから浮いてはいるが、そういうことじゃなくてだな――」 チャイカが答えるよりも早く、フツは思いついたように声を上げた。 「あー、でもアレだな、真珠星は女子っぽいよな。 それに麦星も女性だよな。農作物に加護を与えてるのって女性神って感じがするしよ」 うんうんと頷きつつ、さらに推論を展開する。 「そうするとこの二人は姉妹だな。麦星の方がお姉さまで……」 「真珠星と麦星は夫婦星ですよー。真珠星が女性で、麦星が男性なんです」 「……え、麦星って男なのか!」 姉妹星のやり取りを頭に思い浮かべていたフツは、チャイカの解説に驚きの声を上げた。 その声を聞き、湯の中で船を漕いでいたヘクスがはっと顔を上げる。 「うわっぷ……ね、寝てないですよ。 え、えっと星が時計代わりになってたって話でしたっけ?」 ――全然違う。 「中途半端に聞いてたので、いえ、寝てたわけではありませんが」 慌てる彼女の傍らで、ミリィが感心したように溜め息をつく。 「チャイカさんのお話を聞くようになって、これでも勉強を始めたのですが…… まだまだ、知らない事は沢山あるのですよ」 しばらくは、チャイカ先生に教えてもらう日々が続きそうだ。 オレンジジュースを片手に、春の訪れを告げるロマンチックな星たちの物語に耳を傾けながら。壱和はふと、この春を思い返す。 (春は、出会いの季節。いろんな人と巡り会えました) かけがえのない、大切な友達にも――。 ● 夜が更けて、温泉から見える次元の穴は、いよいよ揺らぎ始めていた。 そろそろお暇しませんとね――と、犬さんが名残惜しそうに腰を上げる。 「素敵な時間をありがとうございました。それでは皆さん、ごきげんよう――」 むくむくした黒い顔に、満面の笑みを浮かべて。 リベリスタ達に手を振りつつ、犬さんは元の世界に帰っていった。 彼の姿が完全に見えなくなって間もなく、ディメンションホールも消滅する。 喧騒が途切れ、山の静寂が一帯を包んだ。 温泉卵を湯から引き上げたリサリサが、周囲のリベリスタ達にそれを配りながら微笑む。 「久しぶりにのんびりできました……また明日から頑張りましょうね」 天に瞬く星たちが、リベリスタ達をそっと見下ろしていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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