●鋼一振 其は鋼であり、武器であり、一振りの刃であった。 身の丈は五尺八寸。決して大柄とも、恵まれた体格とも言い難い。武に優れるとは到底言えまい。 人にして刀たる士人が未だ闊歩していた百余年も前であればともかく、現代に於いては矮躯に当たる。 なれば鋭にしてして敏かと問えば、否。彼の男は隻脚である。 立合いの末に断たれたか、死合の果てに失くしたか、片足の代わりは木目網の義足が務める。 剛には至らず、柔には硬く、男はされど剣であった。 生まれながらに剣の道を志し、来る日も来る日も太刀を握った。 握っては敗れ、握っては倒され、握っては地に塗れた。 苦汁と苦悶と苦闘に鍛えられ少年は男となり、男は鋼と相成った――その道の先。 齢六十を越えて未だ迷妄の内に在り。武の道の最奥は見えず、されど四肢は衰える。 元より天に見放された武才は歳を経るにつれ彩を失くし、失色の業は何れ無彩の凡技へと耗る。 それを自覚したのは果たして何時だったか。十年か、二十年かも分からぬ遠き昨日の忘。 知って男はその余生を一手に賭す。己が命をただ一手を鍛え上げる事だけに費やした。 消費し、消耗し切った命は鋼をより鋭く強固に仕立てたが、しかし如何せん時が足りぬ。 余命二ヶ月。 其を伝えられ、男は遂に神を怨んだ。己のみを苛め抜き鍛え上げ叩き続けた男が、 此処に至り天を呪う。己の業は如何にして。届かぬならば、潰えるならば、主は何故己を生み賜うたか。 問に解を持たぬは人の身なれば、男は人を捨て武の道を捨て修羅へと堕ちる。 其は人にして人に非ず。鋼であり、武器であり、至る事の出来なかった剣の道の果てであり、 故に、一振りの刃であった。 ●剣鬼討伐 「……殺人鬼です」 昨今既に聞きなれた、けれど本来聞き慣れるべきでない語句を紡ぐのは、 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)。ブリーフィングルームの空気がチリチリと肌を刺す。 「ターゲットは男性一名、年齢は60代中盤。無名のフィクサードです」 語られる情報の拍子抜けするほどシンプルな内容とは裏腹に、 随分とこの業務にも慣れた筈の和泉に緊張の色が見て取れる。その一名、如何程の曲者か。 「ターゲットは隻脚です。移動速度は常人の半分程でしょう。 出没地点は夜半の繁華街。人通りは少なく無いものの多くもありません」 結界を使えばそれほど苦も無く追い払える程度の――情報が出揃うに連れて、 釣られて緊張を漂わせていたリベリスタ達に困惑の色が滲む。 状況はこれまで幾多起きた神秘事件の内に在ってむしろ楽な方だと言える。 特殊な能力により対処を然程必要としない戦場に、先天的にペナルティを持つ敵。 では、一体何所に緊張する余地があるのか。 「フィクサード、識別名『剣鬼』。武器は刀。アーティファクトですが、特殊な能力は持ちません」 剣鬼。さらりと語られたその単語に、何所と無く嫌な空気が過ぎる。 その上特殊な能力を持たないアーティファクト。であれば、特殊なのは――むしろ。 「フィクサード『剣鬼』はほぼ一般に流通するあらゆる物を両断する能力を持っています」 そう。これは至極単純な仕事である。極限を超えた単独個人と八人で戦い倒すと言う。 だが、それはその個人が八人に相当し、場合によっては凌駕する力量を示すと言う、事。 「純粋な戦闘能力が求められます。覚悟と、能力。双方が揃ってなければ打破は難しいでしょう。 止められなければ、繁華街が血の海に変わります。『剣鬼』は止まりません」 失う物を失くした人間程恐ろしい物は無い。それに自らの命すらが含まれるなら尚更である。 一振りの刃は寄る辺を無くし凶刃と成り果てた。であれば、止めなくてはならない。 誰かが。否、己が。それが止める力を持つ者の責務であれば。 いざ、尋常に――――勝負。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年12月12日(月)22:43 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●起 ――男は、知らぬ。 齢六十を過ぎ尚知らぬ。己が道を他に知らぬ。それが愚鈍であり、蒙昧で無く何であろう。 物心付いたその日より男は剣と共に在り、故にその身は既に剣ですらあった。 其は求道者では無い。信仰者ですら無い。童である。無明の徒である。狭隘の凡愚である。 非才を押して積み重ねた年月は十を数え、二十を数え、気付けば半世紀に及んでいた。 誰より多く剣を取り誰より多く剣に敗れ誰より多く剣を恐れ誰より多く剣を愛した。 その執念、盲愛ですら言足りぬ。天に才無く地に業無く、山にも無くば海にも無い。 男が持ち得た唯一の才が、一途に愛する才で在った事は皮肉極まる。 常道に在らば其は如何程にも人の幸を手繰ったろう。何故好き好んで凶手を引くか。 「然り、是非も無し」 しゃらんと、抜いた太刀は波紋も無く反りも浅い直刀二尺三寸。銘すら無く只管に無骨。 其は男の生き様その物の様である――しかし否、男は結局この域にすら辿り着けなかった。 この身を剣と称するなら、男は鋼であれば良かった。武具であれば良かった。 一振りの刃で在れば、良かった。 ●承 張られた強結界。かつん、と音がした。其は木っ端が歩む音。木目の脚が一歩踏み出す。 何時始まるか分からぬ惨劇の前に構える猶予も無い。対する影、その数八つ。 彼我の距離は10m少々。口火を切るは『戦闘狂』宵咲 美散(BNE002324) 「余命を告げられた程度で堕ちるか、剣鬼」 その声音には苦い物が僅かに混じる。頂きを目指す者。高きを臨む者。 武人としての共感が在れば、故に苦い。だが、其を一瞥し老翁は喉を鳴らす。 抜き身の太刀を提げたままに、返言も無く、嘆くかの如く心胆寒からしめる音色で哄笑す。 「剣鬼、如何にも相応よ」 「人を捨て、武を捨てたか。凶き者に成り下がった貴様は確かに強いのだろう」 『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)が哀れみを込めて鋭く老人を見遣る。 完成された鋼の様にすら見える無機質な佇まいは、彼が憧れた祖父とは似て非なる者。 正しく在らんとした者と、強く在ろうとした者との決定的な亀裂が其処にはある。 「だが、それだけだ」 両手に抜く二本の剣。その輝きを見て老人の眼がすっと細められる。 「存分に振るう事無く、尽きる生涯、そいつは無念だな」 『咆え猛る紅き牙』結城・宗一(BNE002873)が赤い大剣を構えて告げる。 答が有ると思っては居ない。だが武を佩く者としてその気持ちは良く分かる。 若輩であれ、宗一は牙を称す。抗する者無き牙の如何に虚しきか。 「腕を磨きに磨いたんだろうね」 他方、『食堂の看板娘』衛守 凪沙(BNE001545)の想いはまた異なる。 その瞳に映るは真っ直ぐ過ぎる程の理解である。彼女の重きは武には無い。 食。人の生を支え彩る道を尊しと思えばこそ、異なる視点より見える地平は酷く近しい。 磨きに、磨き、けれど足りず。求める、より先を。もっと先を。 「すごく強くても全然納得できないんだよね。それでもあたしにとってはとんでもない強敵だよ」 新興のアークが発ってより一年余、その間経た経験は常人の十年にも及ぼう。 されど足りぬ。届かぬ。剣の鬼の五十余年には到底。凪沙は其を恐らく誰より正確に解す。 彼女の敬愛の主こそが、正にそうであるのだから。 「だからあたしは勝つためなら何でもやるよ」 勝つ。勝たなくては、ならない。如何なる手段を以ってしても。 「意気や、良し」 これに剣鬼が構える。半身より平正眼。彼らを己が敵と讃じる。死合に二度は無い。 生者こそが勝者である。力が足りぬなら知を尽くす他は無い。 「宵咲が一刀、宵咲美散――」「――リベリスタ、新城拓真」 「一手、お相手仕る……!」 剣鬼の顔に亀裂が入る。――笑む。其はとても人の笑みとは言い難い。 食いでがある餌を前にした、餓えた獣の嗤い。人を捨てた獣性が牙を剥く。 「問答は不要、来られよ」 ――刹那、疾風が奔り抜けた。 「速度ハ、何モカモ凌駕スル」 圧倒的速度による高速機動。十分な加速を載せたその機動力はこの場の誰をも。剣鬼すらも凌駕する。 ナイフ片手に駆けるは『音狐』リュミエール・ノルティア・ユーティライネン(BNE000659) 面接着を持つ彼女にとって、街に立ち並ぶ建築物はそのどれもが足場に過ぎない。 多角的な動きで以って死角を射る。トップスピードから放たれるは研ぎ澄まされた一撃。 音狐の銘に違わぬ音速の一太刀。其は剣鬼の側面より、必中の鋭さで振るわれる。 「これが若さの力ナンダヨ――!」 片や、剣鬼等と称されようとその体躯は隻脚の老人。 経験こそ彼らを遥かに凌駕すれど、速度での優劣など競うまでも無い。 強襲で以って確実に先手を取ったリュミエールの短剣。 其を、太刀を構えた老爺は至極当然の様に――太刀を当てる。押さず引く。受け流す。 風に柳の如く。斬り込んだリュミエールが目を見開く。 そう、剣鬼の回避能力は低い。隻脚なれば当然である。耐久力も所詮は老躯。 では何故、和泉はあれほど警告をしたのか。アークの資料には記載が有った筈である。 それ以外の能力は極めて高し。彼ら、彼女らも極々偶に目の当たりにする僥倖の業。 老人は――否。男は、その余生を一手に賭した。なれば避けるは一手で必要十分。 絶対回避。身体能力の差を、才能の差を、修練の差を覆す為に、男が研ぎ澄ませたのは唯の一手。 「速いな」 正眼、構えた太刀が掻き消えた。既に走り出していた、残りの七人にも見えなかった。 「――だが、それだけよ」 影すら追う事は敵わない。そんな太刀筋が見切れる筈も無い。無明の一閃。 「一手、馳走仕る」 血飛沫が上がり、リュミエールが地を滑る。一撃はその余力の殆どを削り取る。 軽い一手で有っても次を受ければ立ち上がれまい。極技――絶一刀。 ●転 体の衰え、精神の衰え……余命。老人の苦悶、苦闘を鑑みれば、 その思想に共感は無くとも同情を憶える。理解出来る等と痴がましい事は言えずとも。 剣として生きる者は剣としての死を臨む。それは、恐らく、分からないでも無い。 『騎士道一直線』天音・ルナ・クォーツ(BNE002212)にとって、剣とは導である。 彼女は己が業を知り、己が仲間を知り、己が在り方を知る為に剣を執る。剣にして武。 剣にして鬼たる老爺とは近しくも遠い。けれどその彼女に在ってすら、件の一閃に目を奪われる。 「それほどの業を以って、何故……」 己で果たせないなら託せばいい。人は業を伝えることができる。想いは生き続ける。 彼が己を凡愚と称すなら尚更、その業は多くの人の希望とすらなっただろう。 歯噛みする。剣を交え剣で語りあいたくとも、届かぬ事が分かってしまう。それが、悔しい。 されど其を知って天音は敢えて踏み出す。彼我の距離を詰める。語れずとも届かずとも。 剣の道を志す者として、一度も剣を交えぬという事は、出来ない。 「――悪くないね」 思い知らされて生きてきた。 負けて。這いつくばって。みっともなく生きてきた。あたかも捨て石の如く。 『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)の精神性は、名の如く人間失格を為す。 されば鬼かと問えば否。彼は戦狂の類である。 人に非ずは等しく同じ。近しいは異質の同義なれば、胸に宿ったは同類嫌悪か。 「“敵”には、ちと足りないが。僕は君の事が結構、好きみたいだ」 振り被った双頭剣。叩き付けたそれを剣鬼が無銘の太刀で受ける。鋭く見れば鮫牙が哂う。 「僕が勝ったらその得物貰うよ。僕は、思い出だけで生きていけるタイプじゃない」 「ならば殺して奪い取れ」 構え、放たんとした次手の一撃。戦鬼の名を冠す烈風を宗一の大剣が受け止める。 「はっ……こりゃ、確かにクソ重てぇ!」 剛腕でなく剛力でも無い。だが、その一撃はデュランダルである宗一をして酷く重い。 得た物の重さか、或いは捨てた物の重さか。その隙を貫き残像を残して天音の片手曲刀が舞う。 僅か傷付き散る血潮。流石の絶対回避も完全を喫すまでは到らぬか。 さもあらん。英雄の仔たる彼らと異なり、剣鬼たる老爺はあくまで道を窮めた凡才なれば。 「流石に一筋縄ではいかないか……なら、そこ!」 後方より、凪沙が蹴り上げる。放たれた斬風は狙い違わず生身の片脚へ。 されど果たして。狙うならば義足の方を狙うべきであったろう。生身の脚は傷付けど動く。 片や物品は壊れれば元には戻らない。とは言え如何や――剣鬼とて己が欠陥は熟知している。 放たれたかまいたちを抜き身の刃が薙ぐ。力場と力場が衝突し、相殺す。その動きに掛かりは無い。 無拍子。気を殺し、意を殺すが故にその有無は見て取れぬ。 「隻脚でありながら、これほどの業。恐るべき、と言うべきでしょうね」 其を目の当たりにして、『宵闇に紛れる狩人』仁科 孝平(BNE000933)が機を伺う。 過去、己が身の虚弱に苦しんだ事が有る男は、非才より這い上がる事の厳しさを知る。 其は執念に等しい。生半な覚悟で挑めば容易く覆されるだろう。 突然得た力ではない、積み上げ築いた砂上の楼閣。されど楼閣である事に変わりは無いのだ。 元より体力に劣る老体、仕掛けるのは一瞬で良い。狩人は静かに牙を研ぎ澄ます。 刃が閃く。鋼が踊る。剣鬼の射程圏より血煙が止む事は無い。 影を見た瞬間には既に斬られている。其処まで武技を仕立て上げるのに果たして。 どれ程の汗を、血を、涙を流したか。 「美事な業だ」 一閃被り運命を散らす。美散が歯を喰い縛り呻く様に告げる。 彼もまた己を一刀へ象る。であればその鋭さを認めよう。その頂を見上げよう。しかし。 「だからこそ倒れる訳には行かん!」 振り上げるは巨大な騎士槍。込められた力は尋常の域を遥かに超越する。 だが、真っ正直に打ち付けた所で当たる物では無い。美散の一撃は強大極まる、故に見切り易い。 回避に劣る老爺ですら幸なれば避け得る程に。細心にして最小限の動きで是を避けにかかる。 掠める。掠めた。避け切ったと詠んだ剣鬼の体躯がコマの様に舞う。黒い着流しに血花が咲く。 「非凡なる、剛の者よ」 触れただけの一撃は老爺の少ない体力を大きく削る。その隙を見逃す所以は無い。 「鬼気迫る業の冴え、正に剣の鬼──だが、人で在るが故に背負わねばならぬ物もある」 拓真が、宗一が、左右より仕掛ける。双刃、大剣、異なる得物による二重奏。 「悪いが、こっちも負けられない理由があるんでな!」 「人で在り続けられなかった凶刃よ、此処で討たせて頂く!」 一刃受け、二刃を見切り、されど三刃が剣鬼を打ち、裂帛の一撃に老躯が撓む。 体制を崩す。剣の結界たる無拍子が、この姿勢では築けない。 このタイミング――待っていた。 「疾―――!」 孝平が神秘の後押しを受けて駆ける。 電柱を足場に多角を描く高速斬撃。幻像の剣士の妙技、ソードエアリアル。 矢の如き一閃が剣鬼を切り裂く。十分な集中、そして距離を詰めた四人の連携で以って崩した構え。 好機に叩き込まれた一撃は老体の臨界を突破する。裂かれた着流し、傷を抑え剣鬼が黒血を吐く。 吐いて嗤う。鋭い眼光が対する八名を順繰りに見遣る。 「僥倖よ」 そうして、今一度構える。美散は既に予期していた事を此処に来て漸く全員が悟る。 止まらない。剣鬼は止まりはしない。その命、その運命が枯れ果てるまで。 「――剣にて死ぬは本懐に候」 風が吹く。濃密な鉄の香りを漂わせ。今一度、吹く。 ●結 連閃。怒号。重ねられたる戦鬼烈風陣に、拓真が、美散が、膝を付く。 唯一耐え抜いた宗一にしても満身創痍、だがそれは対する老爺とて変わりは無い。 表情には死相が濃い。後数手、今にも手の届きそうな勝利を、一撃一撃の圧倒的な重さが妨げる。 「倒れん」 拓真が歯を喰いしばり、剣を杖に立ち上がる。 何も持たぬ剣であった頃の自分なら、死しても身を賭し鬼を狩っただろう。 だが、今の彼には帰る場所がある。生きる理由がある。生き切ったと、未だあの背中に誇れない。 「意地も、覚悟も……捨てない。俺は、人である事を捨てはしない……!」 何もかもは掴めない、人であるからこそ煩悶し、苦悩し、足掻くのだと。その「弱さ」を捨てはしない。 「行かせん」 己が身はとうに屍である。道半ばで死ぬも本望。死など今更恐れはしない。 だからこそ、此処で倒れる事だけは出来ない。屍にすらなれぬ「弱さ」を美散は許容しない。 「此処を通りたければ俺を斬伏せて行け!」 立ち上がる。武を頼りに己が道を求む、人が鬼へと立ちはだかる。 「何で諦めた?」 その間合いへと、鮫が割り込む。常に死角を辿っていたりりすは苛烈なる風刃の洗礼をも避け切った。 決して特別速くは無く、剛を極まる武勇も無ければ柔に優れる技巧も無い。 自らを避けて削るだけの駒に過ぎぬと断じればこそ、彼の内に油断は無い。 「諦めるくらいなら、最初から望まなければ良いんだよ」 であればこそ、今対するべきは己。何より、これだけは剣鬼に告げねばならない。 「たかだか死ぬくらいで、僕なら“僕”を捨てられない」 戦いたがりの臆病者、唯我独尊の嘘吐きが意地を張る。彼の抱く虚は命よりも遥かに重い。 「さて、な」 剣鬼よりの答はない。代わりに喉を鳴らす。然り、如何にも正に。 何故、何れ捨てるので在ればもっと早くに。問われたならば答は易く、解は難い。 事此処に到ってしまえば如何なる言も些事と化す。手には太刀が在り眼前には好敵が在る。 ならば如何する。答は易く、解もまた易い。今こそこの身は刃なれば。 (――来る) 超直観。武技その物ではなく気当てを汲む。体躯の端々より動きの予兆を観る。 拓真が自然と前へ出る。例え見えた所で到底避けられ得ぬ。であればせめて―― 「待った」 その踏み出しを押し退け宗一が笑う。あたかもその身を晒すが如くに。 絶を冠するその刃。剣の鬼とまで成り果てた男の生涯の一太刀。興味がある、その頂は如何程か。 「見せてみろよ、その刃の真の煌きを。お前の業の極地を!」 剣鬼が歯を剥いて笑みを返す。重畳。業も力も足りねどその意気、相手取って不足無し。 奔る一刃、屠るは一刀。唯一手に心血を注ぎ、研がれた一閃は無刀をも凌ぐ。 噴き出す血の粉を振り浴びて、宗一は前へ、もう一歩踏む。 「言ったろ、負けられない理由があるってなァ―――!」 運命を刻み応じる魂の咆哮、剛一衝。大上段よりの縦一文字。 「無茶です、そんな傷で!」 「この空間は私のものだ。ヤラレタママジャ、イラレネーンダヨ」 致命の一撃を被ったリュミエールに、天音の癒しは意味を持たない。 それは前に踏み込み命を削る者達にしても同様だ。彼らを幾ら癒そうと、鬼の刃はその上を往く。 「これが……剣の道の先……」 遠い。余りに遠い。届かずその業を目に焼きつけ、天音が唇を噛む。 その隙を縫い、リュミエールが走り出す。 次に対すれば先ず墜ちる。其を覚悟してナイフを握る。速度は彼女の誇りである。 音の狐が脚を止める時は、死ぬ時だ。駆け出す、駆け抜ける。先より速く、もっと速く。 もっともっと、鼓動よりも、速く。 重ねた集中、手にした短剣を握り返し頭上は死角より一気呵成に―― 「私は誰にも、止メラレネ――!」 宗一が振り下ろす。リュミエールが貫く。奇しくも互いが互いを補い合う。 老躯に刃の跡が刻まれる。貫いたナイフは致命傷であろう。その呼気が継ぐは一瞬か、二瞬か。 「――――」 後一手、振るえるだけの時間があった。 それはその場の誰かを取り返しの付かない地平へと送るだけの決定的な一瞬。 だが、男は動きを止める。凪沙が放った蹴撃より紡がれた風刃が隻脚を払う。 払われ、祓われ、鬼はゆっくりと身を倒す。正しく未熟。対した者を殺してこその剣で在ろうに。 「――見事」 己を凌駕した若き剣士らを前に、無様を晒すが武の道か。捨てた筈の問が明暗を別つ。 答は難く、解は易い。そう、剣と成り果て鬼へと堕しても、男は凡なる器で在ったと言うだけの話。 一振りの刃は此処に折れ、己をすらも語らず伝えず伏して逝く。 然らば、御免。 ●終 「……折れず曲がらず、己の道を貫く。本当に、剣の様な人でしたね」 孝平が呟き、静かに瞳を伏せる。遺体を見つめる誰もに、嘲笑の色は無い。 「何れ、黄泉路の果てにて今一度、見え様」 瞳を伏せた拓真が踵を返す。彼の道は鬼道に無く、彼の願いは修羅に無い。 されど彼の老爺は紛れも無く一つの武を体現していた。その事実に敬意を払う。 「鬼さんは、納得して逝けたのかな」 凪沙の独白に答えられる者は居ない。それは誰にも分からない。今はもう、永遠に。 けれど―― 「貴方の道を、業を、私は忘れない」 天音が告げる。身を捨ててこそ浮かぶ瀬も在れ。刻まれた記憶は鮮烈に。これもまた、剣の本質。 剣は武具、剣の道は血路也。鬼を屠らば汝鬼と成るべし。 されど、忘るるなかれ。己が人の身たるならば、武具は所詮道具に過ぎぬ。 鬼を殺むも鬼と変ずも、全ては人の心一つ也。 「やっぱり僕らは、良く似ているよ」 全く良く似た半端者だと、鮫の男が鬼へと投げる。たった一つの餞の言葉。 刃を片手に鬼は逝く。刃を片手に鬼は、往く。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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