●軍使
「改めて名乗っておこうかの。儂はエイミル・マクレガー。此度は我が主、グレゴリー・ラスプーチンの名代として参上した」 ざわめく室内。周囲を睥睨するかのように堂々とした『憫む英』エイミル・マクレガー(nBNE000622)の口上に、ミーティングルームに集まったリベリスタ達は二つの反応を抱いていた。 一つは、もちろん『ラスプーチン』という神秘業界のビッグネームについてである。皇后の病を祈祷で癒したことを皮切りに、帝政ロシアの皇室に取り入り権勢をほしいままにした怪僧。それが山師の類ではなく強力なフィクサードであったことは、当時でさえ良く知られた事実である。 それ故に、ネヴァ川に浮かんだ彼の死体が本人のものであると信じる者は誰も居なかった。『たかが』大公殿下が毒を盛り鈍器で殴打し銃弾を食らわせたとて、エリューション化した存在に傷一つ付けることなど適わないのだから。 いずれにせよ、これ以降彼が表舞台に現われることはなかった。旧ソ連のKGBで辣腕を振るったという説もあるが、それも噂を裏付けるような証拠など在りはしない。故に、あのラスプーチンが再び表舞台に姿を現したというニュースは、センセーショナルな驚きをもって迎えられていた。 そして、もう一つの反応は。 「――よくもまぁ、堂々と俺達の前に顔を出せたものだ」 壁に背を預けていた『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)が吐いた低く抑えた声は、しかしざわめきを圧して室内を駆け抜け、エイミルの耳朶を打つ。その響きに明らかな敵意を滲ませるほど鷲祐は激情家ではなく、彼女の狙いに思考を巡らせないほど力に物を言わせるタイプではないが――とはいえ、やはりそれは友好的な台詞ではない。 エイミルと土御門・ソウシ、二人のフィクサードによる先日の襲撃事件はまだ記憶に新しい。さしたる被害が出なかったとはいえ、自分達の本拠地を攻撃してきた相手を諸手を挙げて歓迎せよというのは無理な相談だろう。 悠然と椅子に腰掛ける彼女に誰一人として挑もうとしないのは、単に彼女が軍使を名乗って単身本部を訪れたからに過ぎない。アークの傘下組織にも、元は敵対していた組織など山ほどあるのだ。使者を斬るという不調法を一度犯せば、今後そういった組織との交渉が困難になることは目に見えている。 「まあそう言うでない、若いの」 だが、エイミルはその言葉と向けられた視線を、苦笑いでやり過ごす。 「なんとなれば、儂は主の代理として、まず汝らに詫びを入れにきたのじゃからの」 詫びを入れにきた。 そのあまりに意外な言葉にリベリスタ達が呆気に取られているのに構わず、女剣士は居住まいを正し、深く頭を下げた。 「儂らは汝らが塔の魔女の手下じゃと見なしておった。だが、土御門の坊主が言うには、汝らもあの魔女に嵌められていたのじゃな」 表情を消したまま、その様子を見守る『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)。彼女が一方の部隊の長である土御門・ソウシに明かした事実、即ち『閉じない穴』の制御に、穴を開けた張本人である『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)の助力を必要としているという情報は、エイミルを納得させるに十分だったらしい。 「ならば儂らと、そして我が主が汝らに剣を向ける理由はない。まずはそのことを詫びさせてもらいたいのじゃ」 あくまでも堂々とした姿勢を崩さずに、しかし彼女はそう言って首筋を晒す。彼女が頭を上げたのは、幾許かの沈黙の後、それで、と『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)が告げてからであった。 「それで、エイミルさんはただ謝罪をしに来た訳じゃありませんよね」 「当然じゃ」 応じてエイミルが取り出したのは、一枚のDVDである。まるでチラシでも配るかのように、手近のリベリスタにほい、と無題の円盤を渡し、彼女は言葉を添えた。 「儂は交渉の使者じゃが、まずは我が主がご挨拶したいと申しておる。録画で恐縮じゃが、詳しくはそれを聞いてからにしてもらおうかの」 ●グレゴリー・ラスプーチン がらんとした部屋。 映像の中、そこに一人立つのは、ロシア正教の正装を纏った壮年の男だった。 『はじめまして、でしょうか。少なくとも、あなた方の多くにとっては。私がグレゴリー・ラスプーチンです』 かつて怪僧と呼ばれたにしては、彼は意外に清潔感のある雰囲気を纏っていた。伸びた髭は顎を覆うまでに広がっていたが、よく手入れされたそれは、むしろ威厳すら感じさせる。 『エイミルが既に説明してくれたと思いますが、まず、私はあなた方に謝罪しなければなりません。端的に言えば、私は勘違いしていたのです。あなた方アークが、塔の魔女――あの詐欺師の支配下にあったのだと』 丁寧な口調の中に滲ませるアシュレイへの敵意。それを隠そうともせず、ラスプーチンと名乗った男は先を続ける。 『さて、今回エイミルを向かわせた理由は一つです。私はあなた方アークと協力関係を結びたい。包み隠さず言えば、あなた方にお願いしたいことがあるのです。もちろん、アークの皆さんにご納得いただける対価と引き換えに』 そう告げると、彼は少しの間言葉を切った。映像の向こう側とこちら側、二つの沈黙。その僅かな時間は彼なりの演出か、それとも抑えきれぬ衝動を無理に抑え込む為に必要なものか。 そして、一息に言い切るのだ。 『私の望みは、塔の魔女の身柄と、彼女が盗んだ――私の持ち物だったアーティファクト『夢見る紅涙』。対価としてお渡しできるのは、『閉じない穴』の制御技術です』 室内がどよめいた。対照的に、映像の中のラスプーチンはいっそ淡々と言い募る。 『彼女が強力なアーティファクトを収集していることは、あなた方も薄々感づいているでしょう。私も宝を奪われたのです。帝政末期、あの冬の日に、裏切りの魔女の罠にかけられて』 真偽は定かではないものの、アシュレイがかつてこの男の愛人であったという噂を聞いた者も居るだろう。他ならぬアシュレイ自身がかつてそれを仄めかしている。そして、心当たりのある全ての者が、一人の男の辿った末路を脳裏に浮かべていた。 すなわち、ジャック・ザ・リッパー。 「……なるほど、魔女は呼ぶな、と言う訳ですね」 一人ごちる『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)。ラスプーチンの言い分は、いかにもありそうなことである。アシュレイを排除する代償が『閉じない穴』の制御というのも当然のことだ。 だが。 「しかし、それではアークにメリットがない。『穴』を人質に取られる状況に変わりはないではないですか」 「なに、それも我が主は考えておるわ。いましばらく話を聞くが良え」 反駁するレイチェルに応えるエイミル。それを待っていたかのようなタイミングで、モニターの男は言葉を継いだ。 『もちろん、今のあなた方は私を信用できないでしょう。ですから、この取引は私の先払いで結構。魔女の身柄さえあなた方が確保して下さるなら、私はまずアーティファクトと引き換えに『穴』の制御技術をあなた方に伝授しましょう』 それを解析するなり運用するなりして『閉じない穴』を制御できるだけの十分な期間の後、対価を引き渡してくれれば良い。そう譲歩してみせたラスプーチンの提案は、確かにアークにとっても衝撃的なものだった。 『エイミルには全権を与えています。質問なり交渉は彼女として下さい。もっとも、私としては、あなた方が賢明な選択をして下さると確信していますが』 なぜなら、と呟いて、彼は押し黙る。再びの沈黙。そして、再び放たれた彼の声には――誰にでもはっきりと判るほどの、激しい怒りが渦巻いていた。 『なぜなら、塔の魔女は必ずあなた方を裏切るからです。そう、必ず。そして、破滅を招くと知っていてなお魔女に忠義立てするほど――あなた方は愚かではないはずですから』 →戦略司令室討議 →ラスプーチンの提案に対する投票フォーム |