「……まぁ、そんな訳で不幸中の幸いというのはそういう意味です。 どう転んでも不幸のアイテムには違いないんですが、特に何もしていなかったらば、或いはこれを破棄していたらば、『彼』はとうの昔に暴れていた……とまぁ、これは惨憺たる未来ですよね」 戦略司令室で肩を竦めた『塔の魔女』アシュレイの言葉に沙織や智親は苦笑いを浮かべる他は無かった。彼女がたった今言及したのはまさにあのジャック・ザ・リッパーの名残とも言える『骨』が今何処にあり、どんな状態を保っているか……という部分であった。 「バロックナイツと事を構える以上、ケイオス様との対戦も想定された状況の内ですからね。『あの』ジャック様程の方ならばその辺の楽団員に簡単に操られる事は無いでしょうが、それもケイオス様達のような超一級の死霊術士ならば話は別。要するに優先順位の問題で『三ツ池公園に残る思念以上にジャック様にとっての此の世の拠り辺となる骨』がハッキリ現存しているから、モーゼス様の呼びかけは歯牙にもかけられなかった……と。『良く分からない』かも知れませんが、神秘というものは往々にして概念めいているものです。私が『封印』をお手伝いさせて頂いたのはそういう理由があった訳です」 一年と少し前、アシュレイの進言を受けたアークはあのバロックナイトに死したジャックの骨を秘密裏の内にアーク本部に『封印』する事を選んでいた。バロックナイツ全ての撃滅を果たさんとする彼女にとってケイオスは当然警戒しなければならない敵の一であったという事だ。魔術を究めるが故に『ある程度は』手の内を知る死霊術士の手管に彼女が予め対策を打っていたのは当然の事とも言える。 「しかし、大胆にも程があるな」 「天才の書く譜は時代に理解されないものです」 隠せない溜息を吐き出した沙織にアシュレイは苦笑いを浮かべて頷いた。彼女が『ジャック・ザ・リッパーの骨』に言及したのは、自身が考える次なる調べ、ケイオスの『混沌組曲・急』に起因する。 「でも、嘆いてもどうしても結論は変わりません。 恐らくはケイオス様も『皆さんの最大の恐ろしさ』を理解した事と思います。個の強さに関係ない、信じ難い程の粘り強さを。自身の得意技――嬲り殺しが『最も向かない相手』である事を。 つまり、予定を変更せざるを得ない指揮者はどうするか――つまり、曲の構成を大幅に早める可能性が高いという事です。決着を望むケイオス様の次の手は恐らくアークの心臓、つまりこの三高平市の制圧でしょう。ジャック様の『骨』は本部を落とした後のお楽しみ……って話になるんでしょうねぇ」 アシュレイが口にした恐るべき推測は格別の意味を持っていた。これまでにも幾度と無く危機を迎えたアークではあったが、その本丸までに攻め入られた事は無い。今や日本最大のリベリスタ『組織』として神秘界隈の治安維持を行うアークの心臓とも呼ぶべき三高平市である。万が一、億が一にもこの場所が陥落する状態等になればとんでもない事態になるのは目に見えている。 「だが、流石にアンデッド軍団がここまで侵攻してくるなら打つ手はあるぞ?」 智親の言葉は早期迎撃の方策を指している。早い段階での迎撃が成れば都市機能の保全も戦力の再編も容易い。つまり、戦場を三高平市にしないメリットは山程ある。 「いいえ」 だが、アシュレイは小さく首を振る。 「この間――横浜外国人墓地での戦いですね。私は敢えて『観察』に徹させて頂きました。手を出す事も出来ない訳では無かったのに――零児様がやられるのも黙って見ていました。酷い女です。 ……でも、でもですね。私はケイオス様にその存在を気取られる訳にはいかなかった。少なくとも私は彼等の奮闘の一方で『観察』に徹した事で彼の手管と隠し持つ切り札に大体の推測をつける事が出来ました。ケイオス様が次は三高平を攻めるだろう、と考えたのは『今、智親様が言った早期の迎撃が恐らく不可能であるから』なのですよ」 「……? どういう意味だ?」 言葉の前半で表情を曇らせた魔女に智親は敢えて気付かぬ振りをした。 「……あの時、パスクァーレ神父に首を刎ねられたケイオス様にはとても、大きな――魔術的な干渉力が働いていました。早々見かけるような力の大きさではありません。それこそ『滅多にない』レベルの大物です。その根源はケイオス様のものでありながらケイオス様だけのモノではない。『他人の力を己がモノとして行使するやり方』を魔術師界隈では『契約』と定義する事が多いんですが――」 アシュレイはそこで言葉を切って沙織と智親両方の顔を見た。 「――私はケイオス様が『契約』しているその『何か』に予想がついているのです。彼の親友に『魔神王』と呼ばれる人物が居るのを皆さんご存知と思います。その親友が貸したであろう『最もケイオス様と相性のいい存在』を考えた時、安全圏は何処にも無いのですよ」 そう言えばあのケイオスは「持つべきものは友人」だと口にしていたではないか。 唸る二人に頷いたアシュレイは小さく「ビフロンス」と呟いた。ソロモン七十二柱が一、二十六の軍団を率いる序列四十六番の地獄の伯爵。死者の墓にロウソクを点す存在と言われ、『死体を入れ替える』能力を持つと言う。彼女はこのビフロンスの能力を不死の補強と空間転移であると推察した。 「つまり、この契約が生きている限り恐らくケイオス様は滅多な手段では殺し切れない。ある意味でキース様以上にビフロンスを使いこなすケイオス様にとってこれはまさに鬼札でしょう。更に言うならば死体を入れ替える能力を『拡大解釈』出来る彼は軍勢を直接三高平に送り込む位の芸当は考えているものと思います。つまり水際で完全な防御をする事は不可能……という訳でして。ケイオス様は倒し切れないし、三高平市が戦場になるのも避けられない。ある意味最悪な状況と言えるでしょうね」 珍しく冗談の一つも挟まずに淡々と状況を告げるアシュレイの様子は確かに普段とは異なり真剣そのものといった風である。 「ですが――最大のピンチはチャンスとも言えます」 しかして、八方塞に見える状況に対して光明を口にしたのも又、魔女である。 「私の能力ではビフロンスに完全に対抗する事は難しく、言ってしまえば気休め程度の小細工にはなりますが。ケイオス様が目論んでいる――と思われる軍勢の三高平市内への直接転移だけは防げるものと思います。従って『楽団』の攻勢は一撃必殺のものには成り得ない、アーク側には対抗し、抵抗する余裕位は発生する筈なのです。どの道、極めて困難な状況には違いありませんが、ケイオス様本人がこの三高平攻略戦に参加せざるを得ないのは確実です。『防衛能力に優れたアークのホーム』に彼を引き込めるのは討ち取らんとするならば、千載一遇のチャンスと言えるでしょう」 「だが、位置の特定は出来るのか? それから、ヤツを倒す手段は」 沙織の問い掛けにアシュレイは少し難しい顔をしてから答えた。 「まずはケイオス様を『倒す』為の手段から。 私の『24、The World』は状況の詳細を把握するのは苦手な代わりに広域の探査能力を備えているのはお二人も知っていると思います。私の占いは『大方針になる程度の情報』しか伝えてはくれませんが、はい。結果は要約すれば『遥か西に事態を打開し得る鍵がある』ってなもんでした。この日本からずーっと視線を西にやれば、そう。そこには欧州イタリアが存在します。私はですね、これは大いに確実な話ではありませんがね。『契約』には証が必要が故に、彼は『念の為に』自身の屋敷にそれを置いてきている……という意味では無いかと考えたのですね。その何らか――例えばその何らか――契約の証を破壊出来たとするならば、ビフロンスの加護はケイオス様から消滅し得る……」 「……それで?」 「戦場の中に在るケイオス様を捉え、特定する手段。此方についてもですね、一つのアイデアはあるのです。今言った通り私の『24、The World』では精密探査に限界があります。 故にこれは提案なのですが、もしあの『万華鏡』を私にお貸し下さるならば……イヴ様をはじめとするアークのフォーチュナ陣と全ての力を結集して――ケイオス様を捕まえる事も出来るかも知れません。勿論、これは協定から些か外れます。皆様の判断次第となりますが――」 アシュレイの言に沙織は難しい顔をした。 確かにタイミングの勝負である。ビフロンスの解除がケイオス侵攻前ならば警戒した彼はプランを変更してしまうだろう。アシュレイの策に従うならば、ケイオスを三高平市で迎撃し、引き込んだ上で位置を特定し、ビフロンスの不死の解除と撃破を同時進行で行うというサーカスのような芸当が要求される。だが、これはある種の罠である。『楽団』側のペースで進行してきた『混沌組曲』にアークが最大の逆襲を見せる好機。 問題はそれを提案した相手が歴史に名を残す史上最悪の裏切りの魔女であるという事だ。アーク最大の機密とも言える万華鏡を彼女に触らせた結果『何が起きるか』。今は良くても『未来はどうか』。無論、彼女が裏無く提案をした可能性もある。だがそれ以外の思惑が無いという保証は無い。 「……信用して欲しい、と言えれば楽な人生だったんですけどねぇ」 独白めいたアシュレイの言葉は何処までが本気か分からなかった。 何れにせよもう長い時間は無いのだ。 決断の時は凪のような静けさの隙間から這いより、運命を問う。 →戦略司令室討議 →アシュレイの提案についての投票 |