「最近の連中は、案外軽い方法を取ってくるんだな」 戦略司令室で時村沙織の受けた連絡は、平素から余り動揺を表に出す事は無い彼に少なからず驚きの表情をさせるに十分なものだった。 「神秘界隈も二十一世紀には敵いません。『かつて人々が魔法と信じたいかさま』の大半はより効率的な代替手段を手に入れた時代ですよ。 ……電話ってのは便利なものですよねぇ。どれ程遠くに居る相手とでも、ボタン一つで繋がる事が出来ます。例え、私と貴方でも」 沙織が整った顔立ちの上に乗った眉を動かす事になった理由は、まさに冗談のように言った声の持ち主の所為だった。良くも悪くもプレイボーイで鳴らす彼の事。個人的な用件で『そういう相手』からのコールが鳴る事はそう珍しい事では無いのだが……今日、彼の携帯を鳴らしたのはその彼をしても『お願いしたくならない』何とも困った美人であった。 「色っぽい話なら幾らでもお相手願いたいがね。 敵にこういう切り込み方をしてくるのはフィクサードの流行なのかい」 本当はそんなのでも勘弁願う所。沙織は軽く嘯いた。 蝮事件の折、何者かがアーク本部に連絡を入れてきた事はある。しかしてそれは『あくまでアーク本部に』である。その役割からして『連絡を取る方法』が比較的広く知れている本部に電話が掛かってきたのは理解出来る事だとしても、プライヴェートのコールが来たのは些か沙織の肝胆を寒からしめている。 ――何時でもどうとでも出来る、脅しか? 一瞬、危険な可能性に思考を巡らせた沙織の鼓膜を、『軽い』声が緩く叩いた。 「あはは。まぁ、手っ取り早いですからねぇ。 お噂はかねがね。ああ、大丈夫です。取って食いやしませんから、そんな顔をなさらなくても結構ですよー」 沙織は自分の顔に手を当てた。 アシュレイの言葉が推測であり、冗談であるならば――良いのだが。今、女は言ったのだ。電話越しに『そんな顔をするな』等と。 「今日は重要な用件があってお電話を差し上げたんですよ。 前置きは程々にして単刀直入に申し上げますと、此方の準備が整いました」 「……は?」 余りにもあっさりとした一言に沙織は思わず聞き返す。 「ですから」 アシュレイは言い直す。全く言葉にケレン味なく、全く言葉に毒も無く。彼女を知る者ならば彼女では無いが――浮かぶにこやかな笑みを想像する事もまるで難くは無い調子で。 「特異点が発生し、バロックナイトが訪れます。大規模儀式を行なう算段がつきました。これより後、バロックナイツ――厳かな歪夜十三使徒、その七位我等がジャック様はこの日本に『閉じない大穴』を開ける大仕事に突入する事になります」 「……何故、それをお前が」 問いは半ばは愚問であり、半ば程は意味を持っていた。 かつてあの後宮シンヤに囚われた小さな聖女、 『シスター』(カルナ・ラレンティーナ(BNE000562) を虎口より逃したのは魔女であると云う。彼女が今述べた情報も、その時点で薄ぼんやりとカルナより伝わったものである。 言うに事欠いて「アークに宜しく」等というメッセージを預かったカルナと、 アシュレイのこれまでの態度 を考えればこの女が『ジャックとは別の何か』を企んでいるのは明白だった。それは分かっているから半分が愚問。何を企んでいるかがまるで知れないからもう半分は有用な問いである。 「再三、申し上げてきたと思いますけど…… 私とアークとは『一部』の目的を共有出来るんですよ、間違いなく。言ってしまえば私とジャック様も『一部』の目的しか共有していない。ジャック様は『穴』が開くのを望み、『伝説』と『王国』を築く事を望んでいる。 アークの皆さんは『穴の阻止』と『ジャック様の打倒』を望み――」 アシュレイはそこで言葉を切って色っぽく笑った。 「――『私は穴が開く事を望み、ジャック様が倒れる事を望んでいる』」 沙織は息を呑んだ。 理由は分からねど、「成る程」と納得した。 思えばアシュレイは常に中間に居た。 まるで毒花。ジャックとアークの目的を半分ずつ共有し、どちらに寄る事も無く――否、時にどちらにも擦り寄って。自分一人だけ『全ての目的』を達しようとしている、という事なのだ。 「ジャック様を皆さんが――少なくとも現状の皆さんが倒すにはこの機会は最良のチャンスですよ。皆さんが奮闘してくれたお陰でシンヤ様は『賢者の石』を十分に獲得する事が出来なかった。 つまり、儀式は『石だけの力では成立しない』。儀式にかかりきりになるジャック様はその間、大いに力を落とす事でしょう」 「――――」 沙織は言葉に今一度息を呑んだ。つまり、それは。 「……と、言っても。私の目的は何度もお伝えした通り『穴を開ける事』と『ジャック様が倒れる事』の両方ですから。後者は兎も角、前者についてはお互いに平行線です。ジャック様が儀式を成立させ、彼の力無くても『私の求める穴が開く』までは邪魔をさせて頂きます。必要がなくなるまではジャック様の近辺に『無限回廊』という特殊な陣地を用意させて頂く心算です。言っちゃえば空間を歪めてワープゾーン! みたいな単純なアレですが、まぁ。私がこうしてお話するのはその後、皆さんに彼との決着をつけて頂こうと考えているからでして――」 酷く虫のいい話である。 しかし、アシュレイの思惑に必ずしも乗る必要は無い。アークはあくまで穴を阻止し、ジャックを倒すのが目標。一方的に情報を押し付けてきたアシュレイとは何の約束も無いのだから。 「はいはい。勿論、皆さんが私を含めて打倒しようとするのは自由です。私が今お話している理由は『ジャック様を打倒する』という目的の方の為の理由でして、一つ目の項目を私に譲れとは申し上げません。全ては運命の為すがまま、という訳でして……」 アシュレイの気楽な調子を無視して沙織は一つ咳払いをした。 「成る程、お前は俺達を利用する、俺達はお前を利用しろ、か。 確かにフィフティだ。お互いに何を遠慮する事も無い」 「はい。そう受け取って頂ければ!」 「一つだけ聞くぜ」 「はい」 「現場は、何処だ――」 やがて来る死線を思い浮かべ、沙織は重く聞いた。 アシュレイは少しだけ逡巡するような間の後―― 「『穴が開く』か『儀式が失敗する』までは敵ですよ? いいえ、もう少し正しく申し上げれば――私が言う必要は無いんですよ」 それは悪戯っぽい声だった。 「何日かすれば、真白室長が『万華鏡』を強化します。 『賢者の石』を使った、その神の目で。 私がここで言わなくても、きっと皆さんは現場に急行する……」 ――それは、『分かって』いるんです―― 悪戯っぽい、声だった。 |