●ナイフの夜 「折角の俺の夜に――」 一面に墨を落としたような夜の闇に剣呑とした気配がざわめいていた。 街を覆う恐怖に怯む事は無く。辺りを包む確かな非日常に頓着する事は無いのだから――この場の誰もが普通では無いのは火を見るよりも明らかだった。 「――何か用かよ、虫ケラ共」 人気の無かった路地の前後が複数の気配に塞がれていた。 逆立った銀色の髪はそのまま。夜でも色のついたグラスもそのまま。この凶き夜を統べる支配者――『狩り』に出たジャック・ザ・リッパーは自身を阻む人影に『歓迎の笑み』を投げていた。 「何か用? 自分のした事を考えれば分かりそうなモンだがな」 正面の男がせせら笑うように一言を吐き捨てた。 「縄張りって言葉を知らねぇか? 倫敦でどうかは知らないがな。ここは東京だ。お前の出る幕じゃねえよ。 幾らどんな有名人であろうとな。化石に好き勝手されちゃ迷惑なんだよ」 「あらあら、まあまあ」 ジャックの背に隠れるようにしたアシュレイがその口元に手を当てた。些かあざとい驚きのリアクションも何時ものまま。何処まで本気か分からないのも又然り。 「ですから、言ったじゃないですかー。無駄に敵を増やすとこうなるって……」 「後悔しても遅かったな。幾ら『伝説』でも見逃せる事と見逃せない事はあるぜ」 リーダー格の男――フィクサードの男はアシュレイの反応に幾らか気を良くしたようだった。じとりとその口調に嗜虐の色を滲ませて威圧を強めた調子でそう言った。 「お前程白々しい女も珍しいぜ、クソ女」 「えー?」 一方のジャックはそんなアシュレイをあっさりと切り捨てた。 彼我の数の差は十倍以上だ。ジャックとアシュレイの二人に対してそれを囲むフィクサード達は二十人以上。彼等とてジャックの力を知らない訳では無いが、まともにやり合う自信もなくてフィクサードという稼業等やってはいられまい。 「お前の伝説は御終いだ。死んで貰うぜ。ジャック・ザ・リッパー」 ざわ、と殺気を滲ませるフィクサード達。纏う戦いの気配は当然ながらひとかどに本物である。 「ハ、ハ、ハ!」 だが、ジャックは彼等の全てを心底おかしそうに笑い飛ばした。 腹を折るようにしてこれ以上は無いとばかりに大笑する。 「お前等が俺を殺すって? この、ジャック様を! 倫敦の悪夢を、生きているミステリーを――殺すって!?」 何処までも傲慢に、何の疑いも無くジャックは目の前の全てを見下していた。 十倍の数を相手にしても、面々が『それなり』の連中だとしても。 狂気、凶器、狂喜そのもの―― 「傑作だ、最高の『パーティ・ジョーク』だぜ! 雑魚が雁首揃えやがって――嬉しくなるじゃねぇか。 ひのふのみの……こりゃ傑作だ! 俺はこんなに遊べるのかよ!」 ●時村の目 「……見ての通りだ」 『戦略司令室長』時村沙織 (nBNE000500)の言葉には溜息が混ざっていた。 状況は改めて説明を受けるまでも無い。モニターに大映しになった或る夜の光景は件のジャック・ザ・リッパーとフィクサード達との小競り合いを表している。あれ程の無軌道と暴虐を働き、滅茶苦茶な行動を取るジャックがアーク以外にも敵を作っているのは明白だからそれ自体は疑問の余地は無い。つまり沙織の溜息の理由でも無い。 「ジャックの動きはいいとして……何だ、ありゃ……って聞きたくもなるぞ」 「俺も聞きたい位だがね」 モニターの中の光景は殺気と緊張感の溢れるジャックとフィクサード達のやり取りを映していた。しかし問題はそれよりも手前に出たアシュレイの様子である。 「バッテン、作ってるよな」 「ああ、作ってる。ジャックを指差してバッテン。首を振って唇の動きを見るに『ダメです』とか何とか言っているように見えるな」 鮮明とは言い難いフォーチュナの未来視の中である。 バッテンの次は自分を指差して首をこくこく。 確実な所は何とも言い難いが、兎に角アシュレイが睨み合う連中の目を盗み『万華鏡』に向けて何やらを伝えようとしているのは間違いないようだった。 「これをどう見るかだが――意見はあるか?」 「極々当たり前に取るなら『ジャックはダメだ』、『戦うな』」 「妥当な所だな」 「後は……何だろうな」 「さあね」 沙織は肩を竦めた。 「……どうあれ問題はアシュレイが何故そんな事を伝えてくるか、だ」 少なくとも今回の一連の事件ではシンヤ一派に付き従うエリューション個体が幾つも確認されている。あの朝の惨劇を万華鏡(カレイド)が捉え得なかった事と合わせてもアシュレイがジャックに協力する仲間である事は間違いが無い――筈なのだが。 「正直、あの女が何を考えてるかは俺にも分からん。 しかし間違いないのは――ジャックが『狩り』に出たって部分だ。 幾ら相手が野郎だろうと野放しにしていい話じゃない」 沙織の言葉に『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が頷いた。 「視えたのはここまで。 結論から言えばフィクサード達は皆殺しにされる可能性が高い。 ジャックはその後、狩りを始めて気の向くままに沢山殺す。とても放置出来ない」 「……まぁ、予測の高い未来だな。それを阻止しろと?」 「結論から言えばそうなるが、相手が相手、状況が状況だ。簡単に行く話とは思えない。 何より痛いのは実力行使って部分が現実的じゃない点だ」 沙織は苦笑いを浮かべて言葉を続ける。 「……お前達は本当に強くなったよ。数ヶ月前から比べれば信じられない位の飛躍だ。リベリスタ界隈でも他に例を見ない位の速度でアークは強くなってる。その辺は俺の見解と言うよりあのセバスチャンや蝮原も太鼓判を押す所だから間違いない事実だよ。 しかしな、奴はまずい。これからそこへお前達を送り出そうって言う俺が言えた義理でも無いが、シトリィンに聞く限り『使徒』は聞きたくない条件が揃い過ぎてる。あの女の言葉を借りて一番簡単に説明するならこうだ」 ――正攻法で始末をつけるなら、そうね。最低でも私を倒す自信があるなら、ね―― 「……まぁ、未来は兎も角現時点では現実的じゃない。 そこで今回は少しやり方を変えていくしかない……って訳だ。 災害みてぇな殺戮の嵐を避けるにはどうするか。今回駄目だったとしても、この先ヤツを自由にやらせない為にはどうするべきか、それを俺は考えた」 「ジャックやアシュレイの『能力』は万華鏡でも見えない。恐らくは所有しているアーティファクトや技術にステルス能力があるのか、アシュレイがそれを阻んでいるのかって所だと思うけど……最低でも彼等の能力を正しく把握するには『交戦』が必要なの」 合いの手を入れたイヴに沙織は頷いた。 「最上はジャックの狩りを止める事。現実的にはお前達が背負う任務はジャックの能力とアシュレイの思惑を探る事。お前達だけがあいつ等と遭遇するって言うなら危険過ぎる――俺はこの提案を用意出来ない。しかし、現場には丁度いいデコイが山と居る」 実に沙織らしい物言いだった。 現場には無謀なフィクサード達が居る。 つまり、命のチップは即座にリベリスタに要求はされないのだ。 千載一遇の好機はリベリスタに『自由にやれ得る』時間を約束している。 ジャックの領域にありながらジャックに深く触れずに済むチャンスを意味している。 「動き出したジャックから逃げる事は出来ない。 少なくともこの国を、平和を守ろうとするなら俺達に退く選択肢は有り得ない。 情報を集め、奴の神秘を剥がしてやれ。勝機を探れ。戦いの勝敗が力のみで決まらない事を、現代の東京が1888年の倫敦程、奴に大らかじゃない事を思い知らせてやれ」 言葉には熱。そして、それ以外のものも僅かに混じる。 「……ああ、何だ……」 沙織はリベリスタの目を見て申し訳なさそうに小さく零した。 「……思った以上に嫌なもんだな。偉そうに言う自分が戦えないっていうのはよ――」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年10月03日(月)23:18 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●PM11:24 血に煙る真夜中に三つの気配だけが残されていた。 周りには山程の死体。パーツとパーツがバラバラだから、正確にそこに何人居たのかを即座に理解する事は難しい。 ジ、ジと。切れ掛けた街灯が微かなノイズを零している。 一面に墨を撒いたかのような夜を申し訳程度に照らすその光は三人の影を奇妙な形に伸ばしていた。 「念の為、聞いておきますけど――」 余りに予想外な出現を見せたその相手にまず言葉を投げかけたのは豊満な肢体を持つ一人の魔女だった。 『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア。言わずと知れた難物。底知れない女。 欧州最強、世界最強を自他共に認めるフィクサード結社『バロックナイツ』の使徒の一人でもある。 「――まさか、御自身が死なないで済む、何て。思っていらっしゃいませんよね?」 奇しくも問いは繰り返しのモノとなっていた。 彼女の視線の先で表情を張り詰めさせるのは一人のリベリスタである。 本来ならばここに在り得る筈のない――しかして、在り得てしまった一人の少女であった。 「思ってないよ。覚悟は決めてる」 愚問と言うべきアシュレイの問いに返された言葉は短く、端的で。しかし静謐な居住まいと凛とした覚悟を秘めていた。 「それでも、どうしても。私にはしなければいけない事がある」 言う少女の視線の先には――大振りの銀のナイフをくるくると弄び、『予想外の展開』に口の端を歪める銀髪の悪魔が佇んでいた。 現代にまでその名を残すミステリー。日本を襲った災厄の名はジャック・ザ・リッパー。 狂犬の如き殺意と無慈悲なる破壊を撒き散らす者。アシュレイと同じく『バロックナイツ』に名を連ねる彼の力がどれ程のものかを――彼女は既に知っていた。少なくとも今夜までは理屈で理解しているだけではあったが、今夜を境にそれは変わった。実地でそれを知っていた。 「お願い。狩りに行くのを止めて貰えないでしょうか」 少女の願いは余りに詮無い。 力無き願望がジャックに通用しない事は誰しも理解している。 少なくとも言葉を口に出した少女はそれを懇願する事の無意味さを知っていた。 だが、それでも彼女は言った。答えを聞きたい訳では無い。自分がこれからどうするかを伝える、その為に。 「……驚いた。極東の島国の猿共と思って見てりゃ……この国にはこんなバカが居るのかよ」 ジャックは夜中にかけたサングラスを軽く持ち上げる仕草をして何処か楽しそうにそう言った。 言葉こそ悪いが、その口調はこの男の普段の有様からすればそれは『好意的』とさえ言えるそれである。値踏みするようにまさに今自身の前に立ち塞がる一人のリベリスタを上から下まで眺め回し「ククッ」と鳩が鳴くような声で笑う。 何処までも嗜虐的な彼はその切れ長の瞳をすっと細め、首を小さく鳴らすと回転させたナイフを握り直すとぴたりと彼女を指し示した。 「つまり、お前はこの俺を。止めてみせるって言う訳だな? えぇ? 俺の力を知りながら、今度はお前一人でだ」 ジャックは獰猛な笑みを浮かべていた。 彼の全身から立ち上る魔気は、紫煙はつい先程の戦いの比では無かった。 それは彼が目の前の無謀なる者を『認めて』いるからなのだろうか。 それとも無謀な少女を殺せる事を歓喜しているからなのだろうか――その答えは誰にも定かでは無かったが。 「ジャック様」 「あん?」 「……私の占いによれば、彼女と戦うのは得策では無いと――出てますけど」 「ハッ」 闇の中に輝くタロットを浮かせ並べたアシュレイが加速を始めた運命に口を挟んだ。 ジャックの嘲笑に難しい表情をする彼女は『占い』を理由に彼を制止しながら、目前の険しい顔をして立ち塞がる少女の頭の中に「何とか私も援護します。退いて下さい。殺されます」と語りかけている。 (……ありがと。でも無理。私は、必ず――ジャックを止める) テレパスでのやり取りにアシュレイの表情が少し強張る。 それは矜持なのだろうか。それとも無謀への陶酔なのだろうか。 何れにせよ少女はこの場より後退する選択肢を持ち得て居なかった。 元より。その心算ならば仲間達と離れてまで、死地へ舞い戻るまい。 死地を死地と知りながら、目前の二人が何処の誰かを知りながら――今一度の邂逅等望む筈も無いだろう。 「ジャック様……」 「お前の占いは必ず当たる、そうだったよな? アシュレイ」 「はい。ですから……」 「てめぇは俺様を誰だと思ってやがる」 アシュレイの肩が小さく震えた。発達した犬歯を剥き出したジャックはアシュレイさえ竦む程の凶気を夜に滲ませていた。 「この女は――このバカは。てめぇの占い以上にハッキリした結末を背負ってここに居るんだろうがよ。 この俺が。ジャック様が――伝説の、生きてるミステリーが未来にビビると思うのか? ええ? クソガキに出来た事が出来ねぇなんて、そんなふざけた道理が有り得るか」 「……う」 「黙ってろ。それともてめぇから死ぬか?」 少し肌に冷たくなった風がざわざわと夜を揺らす。 事この期に及べば最早お喋りな魔女すら口を挟む事は出来ず――彼我の間合いは緊張と静寂に張り詰めた。 (勝てない事は分かってる。でも――) 少女は強く唇を噛み、それでも目の前の絶望から目を背けず――黒鉄の運命喰いのトリガーをかちりと持ち上げた。 「さぁ、パーティだ! リベリスタ! 光栄に思え。お前は本気で殺してやる。お前みたいなバカ、俺様は案外嫌いじゃねぇ――!」 「――だけど!」 交わる運命が無明に濡れる。 銃声が啼き、満ちた夜霧は噎せ返る程の血の匂いが、した。 ●PM11:16 「室長には後で何か奢らせないとね」 軽く冗句めいた『ガンスリンガー』望月 嵐子(BNE002377)の声が夜に解けた。 「まぁ、いいんだけど――アークの不運も大概よね」 誠この世の中とはままならぬものである。 一つが上手くいったならば、人知れず二つが道を踏み外す。 人生の中で不幸は幸福の二倍多いと論じたのは誰だっただろうか? そんな悲観的な運命論が果たして事実であるかどうかは別にして――この日本に訪れる災厄はこの所頑張り過ぎているきらいがあると言える。 僅か十年と少し前のナイトメアダウンに続き、今度はバロックナイツ。神秘界隈を良く知る者ならば凡そ同情を禁じ得ぬ話であろう。 「覚悟はある。何としても生きて帰らないと……でも警戒はしすぎる事は無いわね」 「情報収集し殺戮を止める。両立させねばならないのが辛い所ではありますが」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の呟きに『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)が頷いた。 「……ただ、盾として皆を無事生還させる事を誓います」 人気の無い路地には荒事特有の殺伐とした気配が踊っている。角を一つ曲がった先に在るものが何なのかを十人のリベリスタ達は知っていた。 そこには悪魔が居るのだ。運命を謀る魔女と、この国を血色に染めた殺人鬼が。 (命を削る、この闘争……きちんと参加、出来ないのは……残念だけど。今は、次へ繋げる為、生きて帰ろう) 『ゼログラヴィティ』星川・天乃(BNE000016)の胸を乙女の早鐘のように高鳴らせるのは強敵の匂いである。 しかし彼女が自分に言い聞かせた通り、対決に臨むのは余りに尚早である。圧倒的な力を持つとされる殺人鬼――歪夜十三使徒ジャック・ザ・リッパーに対抗する為にアーク戦略司令室が立てた最初の計画は敵の力を調査する事だった。幸いにと言うべきか――ジャックがアークと関わりの無いフィクサード達と小競り合いを起こしたこの好機を利用して彼に接近遭遇を図るという手筈である。 「しかし、言うは易し行なうは……の典型であるな」 最早間近に迫ったその時と、間近に迫った威圧感をその肌に感じて『Dr.Faker』オーウェン・ロザイク(BNE000638)は薄く笑った。 リベリスタ達に与えられた優位は決して多くは無い。二十人程からなるフィクサード達は数こそ多いがその質はリベリスタ達には及ばない。ジャックがそれ等『デコイ』を飲み干すまでの時間は二、三分が精々であると言う。 「彼女の行動の先に何があるのか。聞きたいのは目標ね。 ジャック、アシュレイ、二人の目的に相違があるのなら、そこに活路を見出すしかないかも知れない」 彩歌の言う通り万華鏡で運命を捉えたリベリスタ達に合図を送ってきた魔女――アシュレイの存在は重要である。 確かに彼女の存在が何らかの助けになる可能性は高いが――少なくともジャックに気取られぬように食えない彼女から真意を引き出し偵察のみならず殺人鬼の狩りを止める……というミッションは到底簡単なものとは考え難い。 「倒すことが目的じゃないとはいえ、一歩間違えれば命はない。 それでも、覚悟は決めてきたんだ。やり遂げなくちゃ――」 「……やれやれ、ベストを尽くすとするか」 『フェアリーライト』レイチェル・ウィン・スノウフィールド(BNE002411)が言い、オーウェンは小さく肩を竦めた。 ハイテレパスの能力を持つ彼は今回直接魔女と『対決』する、謂わばリベリスタ達の計画の核である。 クールな彼の表情は何時もと同じ余裕を湛えたままだったが、彼をしても少なからぬプレッシャーを感じる局面には違いない。 (たとえ相手がどれ程のものだとしても――) 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)のあどけない美貌に幾らか気負いの色が乗っていた。 「きっと上手くいくよ」 親友の――『さくらさくら』桜田 国子(BNE002102)の声に舞姫は視線を投げる。 「ううん。上手く――いかせるの」 「国子さん……」 舞姫の表情が少し解れる。 「うん、頑張ろう!」 少しだけ悪戯っぽくそう言い直した国子とて、今夜の持つ意味が特別である事は嫌と言う程知っている。 日々、死線に身を投げ、運命を賭けて戦うリベリスタの仕事の中でも――これ程『死が近い』事は滅多に無い。 しかし、国子はその眉を上げ、瞳に力を込めて。運命の舞台へとその身を踊らせた。 リベリスタ達の視界の中には――囲うフィクサード達と囲われるバロックナイツの二人が居る。 一見すればどちらが優位かは言うまでも無い。一見以上の材料を加えれば事実はその逆である事も言うまでも無い。 「何だ、お前等……!」 フィクサード達から声が上がる。 「こんばんは、アシュレイちゃん。退屈させないよう遊びにきたよ」 ひらひらと手を振った嵐子にアシュレイは顔に手を当てて「あちゃー」と言わんばかりの大袈裟な動作を取った。 そして、ジャックはと言えば―― 「――何だ。まだ増えるのか。どうにも今日の俺はツイてるらしい」 ――現れた新手等危機とも認めず、何の頓着もせず。酷薄な笑みを薄い唇に乗せるばかりであった。 「ちょっとずるいですよ、ジャック様」 「あん?」 「私も退屈なんです。彼等の相手は私がします」 「そうかよ」 無造作な会話を続ける間にもジャックの周りには何人もの敵が居た。アシュレイに掛かるフィクサードの影もある。 ジャックは短いやり取りの間にナイフを二度閃かせ、男二人を肉塊へと変えていた。 ……その身のこなしはと言えば常識のレベルを遥かに超えている。 まるで本気を出していない事は明白なのに、圧倒的過ぎる技量は唯のナイフでの解体を鮮やか過ぎるショーにまで昇華させていた。 一方のアシュレイはと言えば、ジャックとのやり取りを続けながら、時折「きゃー」だの「わー」だのと声を上げながら肉薄するフィクサードの刃先をからかうようにひょいひょいと避けている。 「……大した演物だ。観衆も一瞬で舞台の上か」 嘯く『瞬竜』司馬 鷲祐(BNE000288)の首筋を気持ちの悪い汗が流れ落ちた。その表情には言葉程の余裕は無い。 銀縁の眼鏡の奥で細められた銀色の星は瞬きさえ忘れて『芸術的な殺戮』を展開する魔性の影を追っていた。 「美人の魔女さんこんばんは。私達の相手は貴方がしてくれるの?」 「まぁ、そうなりますかねぇ……」 冗句めいた『いつも元気な』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)に自分で買って出た割には気乗りしない調子でアシュレイ。 「アシュレイさんには興味あったし、色々聞きたい事があるだよね。 どうすればそんなにお胸が大きくなるかとか──どんな魔術の力を使うか、とかね」 「牛乳は大切ですよー。みんな大好き、冥時牛乳! えーと、私離脱しても構いません?」 「ち、新手が何者かは知らんが……敵ではないか」 元よりフィクサード達の主目的はジャックである。 新手――リベリスタ達――が少なくとも敵ではないと認識したフィクサード達はこれ幸いとアシュレイの相手をリベリスタ達に任せたようだった。囲みをするりと抜け、リベリスタ達の前に歩を進めた魔女は猫のような金色の瞳をすぅと細める。 「では、戦う事にしましょうか。リベリスタの皆さん」 リベリスタとばれないように……という考えはアシュレイの一言であっさりと御破算となる。 少なくとも以前出会った時には『朗らか』と言ってもおかしくはなかったアシュレイの雰囲気がガラリと姿を変えていた。 (あからさまな信号を送ってまで――何が伝えたかったかね?) 「うーん」 (ジャックの力を調べるため交戦していいか……聞きたいのだが) 「んー……」 (お前の力は……フォーチュナのものか?) 「……えーと」 オーウェンのハイテレパスでの呼びかけに唸るばかりのアシュレイは応えない。 (……ジャックの目につく訳にもいくまい。本気で戦闘させて貰うが、構わないな?) 「来て欲しくなかったのは事実ですけどね。 皆さん、全てご自由に。くれぐれも最初から本気でどうぞ。 ――ああ。まさか、皆さん。御自身が死なないで済む、何て。思っていらっしゃらないでしょうね?」 オーウェンの『四言目』に漸くアシュレイは言葉を返した。但し、テレパスではなく肉声で。 (魔女は……本気か……?) アシュレイとは二度目。アラストールは彼女の気配に咄嗟に素早く構えを取る。 彼女は何とも言えない嫌な予感を感じたのだ。その真意は分からないがアシュレイがパーティの楽観より危険な存在であるのは間違いない。 想定外。 これは確かに想定外である。 アシュレイは少なくとも現時点で『交渉になっていない交渉』を受ける心算は無いらしい。 それが未来にまで及ぶのか、この瞬間だけなのかは――把握出来よう筈も無かったが。 「攻撃一発でも当てたらアタシの勝ちとか、なんかルール決めようよ」 怖気すら走る朗らかな女の有り得ざる殺気を受け流し、嵐子は口の端を辛うじて持ち上げた。 魔女は全て自由に、と言った。 それはジャックに仕掛けるも仕掛けないも任せるという意味なのか――この上制止までする義理も無い、という事なのか。 本心こそ分からなかったがリベリスタ達は頷き合う。元より彼等はジャックの狩りを止め――その力を理解する為にこの場所にやって来たのだ。アシュレイの思惑がどうあれ、この期に及べば是非も無い。 「正直……この方が分かり易くて好きかも……ね」 天乃は姿勢を低く構えを取る。 「さて、ご挨拶といこうか――」 ある種『それを期待していたかのように』玲瓏と鷲祐が笑む。 血塗れた夜の舞台は彼の言った通り――新たな演者を加えて二度目の幕を開けようとしていた。 「ジャック・ザ・リッパー! お前の夜がどれ程血を欲していようとも、雷撃一閃! 俺の『速さ』がお前の夜を分解する――!」 ●PM11:17 かくして危うい運命の盤上に踊る狂騒の舞台が始まった。 繰り返し確認するならばリベリスタの為すべきは二点。 一つにバロックナイツの偵察。アシュレイの思惑を探り、アシュレイとジャックの能力を測る事。 二つにこの後ジャックによって引き起こされる狩りという名の虐殺をどうにかして止める事である。 元々、沙織の提案したこの作戦は完全な成算の目が薄い。それは戦略司令室もリベリスタ達も知ったる事実である。 とは言え――リベリスタの本懐を考えるならば難しい局面でも「そうですか」と運命を受け入れるのは間違いである。当然と言うべきか目の前に突きつけられた難題に対して満額の回答を求める彼等は特に難しいとも言える『ジャックの狩りの阻止』すら諦めては居なかった。 パーティは主に戦力を二つに分ける事を提案していた。 (前に彼女が呼んだのは邪眼。 イヴちゃんが万華鏡の視る力を視てるって感じとも言ってた。 アシュレイは、目に関係する力を持っている――?) 一つはアシュレイへの対応をする面々――彼女の一挙手一投足さえ見逃すまいと神経を研ぎ澄ますウェスティア、アシュレイと秘密裏の交信が可能であるオーウェン、彩歌、嵐子の四人。もう一つは言わずと知れたジャックへ『仕掛ける』面々――残る天乃、アラストール、鷲祐、舞姫、国子、レイチェルの残る六人である。 (許された時間は長くない……この短い時間で見極めるだけ見極めなくちゃ) レイチェルはひりつく肌の感覚からそれをいよいよ実感していた。 多くの場数を踏むリベリスタだからこそ分かる事もある。多くの死地を踏み越えてきたからこそ分かる事もある。 殆ど魔的なまでに冴え渡るその勘は何の根拠もなくても――幾度もその身を助けた運命の寵愛ですらあった。 「くそ、化け物め――!」 悪態を吐いたフィクサードの一人が上段より大剣を振り下ろす。 ニヤニヤと笑い舌を出したジャックは裂帛の気合の込められた一閃さえ細いナイフで弾き飛ばす。 大凡細身の引き締まった体躯からは想像もつかない恐るべき膂力は大柄なフィクサードの態勢を大きく崩し、傍のブロック塀へと激突させた。 「話にならねぇな、三流が」 同時に飛び掛りかけた複数のフィクサードがグラスの奥から場を見据えるジャックの瞳に震え上がっていた。 彼等とて戦意を喪失した訳では無い。唯、そこに佇む魔人の――戦わねばならぬ魔人の存在感にその本能が凍えただけだった。 伝説は名前を持つ。 霧の都を恐怖の底に叩き落した一時も、今日本を染める『Blood Blood』も。全てはジャック・ザ・リッパーという現象に収束するのだ。 「話にならないって言うなら――」 煙る死と言う名の霧中を切り裂いたのは鷲祐の声だった。 「――話になる人間を相手にしたらどうだ?」 「へぇ」 その反応、まさに最速。 ジャックの反応速度をも上回ったのは『瞬竜』の名に負けぬ青い影である。 鋭く踏み込み、間合いを詰めた彼は利き腕のナイフを一閃する。 トップスピードから繰り出された最速のナイフはしかし『伝説』の影も捉えない。 「速いだけだな」 嘲笑。 「光栄だな。それは、褒め言葉か?」 しかし動じない鷲祐からすれば――当たらない事はある意味で読めていた。 元より相手は格上、ヒット&アウェイのステップを踏んだ彼の攻撃は牽制の為のものに近い。 「成る程、見た目よりは頭が切れるじゃねぇか」 鷲祐の目の前でフィクサードの上半身と下半身が二つに割れていた。 ジャックが返す刀で閃かせたナイフの切れ味は同じナイフ使いである鷲祐のそれに数倍する。 即座に後退を果たした彼は即座に応酬されたジャックの刃をやり過ごせる――フィクサード達を盾における位置に収まっていた。 「全力でお前を止め、全員で帰る。やり切るだけだ」 「出来ないって思ったら、出来る筈無いからね」 「そういう事です――!」 鷲祐、ジャックの反応には及ばぬまでも連携良く二人で仕掛けたのは国子と舞姫の二人だった。 流石にここは親友同士見事なシンクロを見せた二人は丁度左右から――ソニックエッジと幻影剣でジャックへ肉薄する。 (この殺人でジャックが『安定』することにも期待――何て……) 歯を食いしばる舞姫はそんな唾棄すべき自分の感情を噛み殺し、鋭く斬撃を閃かせる。 敵の弱点を縫う剣ならば、彼の能力を多少なりとも看破出来るかという考えがある。 しかし、その目論見も当たらなければ意味が無い。 「――これ以上、何をしようっていうんですかっ!」 舞姫の言葉から感情が迸る。 一撃に賭けた国子の一撃が影を掠めかかるも、それでも僅かに届かない。 獰猛に大笑するジャックの目が見開かれる。 「雁首揃えて――鬱陶しいんだよ!」 「……そんな事、何時までも言わさない……!」 繰り出される天乃の『爪』。死の爆弾を携えた右手の鋭利な煌きをジャックは上半身をスウェーして軽く避ける。 ならば、と。加速のアクションから今一度繰り出された彼女の左の爪をジャックのナイフが弾き上げる。 「確かに大した化け物だ……!」 アラストールが剣と盾を片手に間合いを詰めた。 何せジャックは――鋭さを増す連携攻撃、波状攻撃の瀑布に晒されながらも未だ誰の攻撃すら掠らせる事さえ許していないのだ。 だが、アラストールは攻め手より守り手。己が防御を信じ、敵の姿をその身で知る為にジャックの一撃さえ受け止めんという覚悟である。 (何とか――少しでも、時間を……!) 格別の緊張感を覚えているのは悪魔の前に立つ面々だけではない。 癒し手たるレイチェルも祈る心持ちで余りにも絶望的な『戦況』を見つめていた。 彼女の歌う天使の声は仲間達の傷を癒す力を持っている。しかし、彼女の力をしても――『死んでしまった者』は助けられない。 彼女が今夜助くべきにはフィクサード達も混ざっていたが、最早確認するまでも無く事切れた死体は幾つも転がっている。ジャックと交戦を開始した彼等はまさに一撃一殺の目に遭って黒々とした血の池を湛えるアスファルトへと転がっているのだった。 戦いが続く程に。当然のように。 (皆、お願い――) 願うは唯只管に「死なないで」。今夜出遭ってしまった『何か』はそんな悪魔。 そして、戦いが展開されているのはウェスティア達とアシュレイの方も同じであった。 (どの程度私の力が通じるか、そもそも神秘の攻撃が通るのかなんてのも確認しないとね――) 奏でるは魔曲、その四重奏。鮮やかな魔光が幾重に絡み合い渦を巻くように魔女の姿へ収束する。 「きゃー!?」 悲鳴を上げたアシュレイはバタバタと態勢を乱してこの一撃をやり過ごす。 「本当に食えないタイプだね」 「こ、怖いじゃないですか!」 「良く言うよ」 ウェスティアに抗議めいたアシュレイの言葉をにべもなく切り捨てたのは嵐子であった。 極限の集中を身に纏い、異常なまでに動体視力を研ぎ澄ませた彼女の見る世界はまるでコマ送りである。 一見すれば『間一髪』一撃をやり過ごしたように見えるアシュレイが十分な余裕を持って回避行動を済ませたのは彼女の目には明らかだった。 (怪しいって言えば――アレよね。間違いなく) 嵐子の見定めたのは、その手のLightningが狙うのは――彼女のタロットそれ自体である。 強力なフィクサードが強力なアーティファクトを利用して更なる能力を発揮するのは常である。 (なら――!) 間合いを狙撃が走り抜ける。鋭い嵐子の命中力はこの場はややアシュレイを上回ったのか彼女の白々しい動きがふと止まる。 ギッ……! アシュレイの手元に届く直前で青い魔力の障壁が瞬き、迫る一撃を叩き落した。 「……そういうのってずるくない?」 「いえいえ。ちゃんと手番を犠牲にした防御魔術ですからね。……しかし、危ないですねぇ」 少しだけその表情から気楽さを減らしたアシュレイは小さく呟く。 「危険な目に遭う趣味があるようには見えんがな」 オーウェンがそんな風に言葉を投げた。 (いい加減、話を聞かせて貰いたいものだが?) 「……それはそうなんですけど。ちょっと、ねぇ」 「食えない魔女のやりようは分からないでもないが」 (我々の目的は分からないではないだろう?) 「あはは。私も皆さんの事はよーく知ってますよ」 アシュレイは肉声で、オーウェンは二重に言葉を紡ぐ。 やり取りが裏表に奇妙な噛み合いを見せるのは偶然では無いのだろう。 アシュレイはここまではテレパスに応える事はせず言葉を紡ぐ事である種オーウェンに答えている。 (何を考えているのか……) 彩歌は内心だけで臍を噛んだ。 アシュレイの力が誰かの心を読む事なのか、それともアークの事を知っているのか。 彼女はそこには何らかのアーティファクトの力が絡んでいると推測した。やはり、怪しいのはタロットであるが。 「アークのリベリスタが彼を止める為に殺到するとすれば? リベリスタやフィクサードにネットワークに乗せて彼がここにいることを発信すれば……どうなると思う?」 彩歌の言葉はアシュレイの反応を見る為に放たれたブラフだった。 狩りが止まれば最良。彼女が話に乗れば次善。当然そこには『ジャックが死ぬのも、リベリスタ勢力が壊滅するのも魔女にとって悪い結末』という読みがある。 果たして彼女は「んー」と小首を傾げその言葉に一瞬だけ考え込み、 「……リベリスタの皆さんとフィクサードの皆さんが皆死ぬ、ですかねぇ。 殺到って言ってもいきなり動ける数なんて、やっぱりたかが知れてますし」 そんな言葉をあっさりと吐いた。 「私がこの場で戦う事を決めたのはですね。皆さんに正しく理解して貰いたいと思ったからです。 いえ、別に皆さんを過少評価している訳では無いのです。むしろ、皆さんは皆中々の腕前です。 唯、バロックナイツ(わたしたち)がどういうモノであるかをですね。 正しく把握して頂けないと、今後色々と不都合が出てくる事も多いかと思いまして……」 「大した自信だわ」 元より敵の能力は知れている。万全に万全を重ねたとしても――易くどうなる相手でも無いのだ。 驚異的なコンセントレーションに更に複数の集中を重ね彩歌は満を持してピンポイントを撃ち放つ。 「っと……!」 流石にこれは避け切れない。 障壁をも通過した神秘の気糸は魔女の肌を掠めて二の腕から赤い血を流れ落とす。 「やっぱり、皆さんやりますね。これは、皆さんにはそれ相応の礼儀をお見せするのが正しいかと――」 偶然なのか、彼女がそれを理解して発言したかは分からないが、アシュレイの言葉は或る意味においてはリベリスタの目的と合致していた。 真意を未だ見せない彼女はぶつぶつと口の中で何かを唱えると、にっこりとオーウェンに笑いかけた。 ――死なないで下さいね―― テレパスで届けられた最初の言葉。 「危ないっ……!」 気付いたのは同じ魔術師故にか。ウェスティアの警告はまるで悲鳴めいていた。 同時にリベリスタの頭上には暴力的な星の雨が降り注ぐ―― ●PM11:19 「ふ、ふふ……この、闘争の空気……もっと、もっと、だ」 熱に浮かされたように。天乃の唇が言葉を紡ぐ。 まさに冗談のような一撃だった。 唯の一瞬でリベリスタ達の余力をこそげ落とし、態勢を滅茶苦茶にしたのはジャック。 「生きてるのかよ。『ジャック・ザ・リッパー』を喰らってよ」 「……見たような、とは到底言えんな」 前衛全てを薙ぎ倒したその一撃を目の当たりにした鷲祐はそれをダンシングリッパーに似ている、と考えた。 しかし、火力の桁が余りに違う。残像を残す速度で周囲全てを『切り裂きまくった』ジャックの手数は通常のそれに数倍していた。 「お前の生業を問うのは……愚問か?」 「ああ、俺は『ジャック・ザ・リッパー』だ! 世界で唯一、一番のジャック様さ!」 苦笑する。ジョブ等というくくりで自身を表現する事は許さない、と言わんばかり。 辛うじてアラストールはこの一撃に膝をつくまでで耐え切ったが残る三人は命を繋ぎ止めるのにフェイトの助けを必要としていた。 『リベリスタ達の健闘』に巻き込まれる形になったフィクサード達等は纏めて肉塊へと成り果てている。 「命を守るためなら命をかける――矛盾かも知れない。 けれど、目の前で命が零れ落ちるような運命を、わたしは絶対に拒絶する!」 舞姫は声を張る。光を飲み込むかのようなジャック目掛けて声を張る。 唯の一瞬でリベリスタ達の余力をこそげ落とし、態勢を滅茶苦茶にしたのはアシュレイ。 局地に降り注ぐ星の雨はリベリスタ達を叩きのめし、アスファルトに幾つもの小さなクレーターを作り出していた。 「流石ですねー。運命に愛される、その尊さが分かるというものです」 アシュレイの見つめるリベリスタ達も又、少なからぬ被害を受け辛うじてその場に残っているという状態だった。 「みんな、しっかり――……っ……」 レイチェルの祈りが清かなる福音を呼び覚ます。 降り注ぐ賦活の力に傷付いたリベリスタ達は辛うじて体力を取り戻した。 幾度か攻防が続く。 しかし既にフィクサード達の数は相当数減っている。パーティの目的の一つに生存があるならば、これは潮時だ。 (結論から言えばこれじゃ狩りは止まりません。 今から私はながーく時間のかかる大技を用意しますから、皆さんはさっと退いて下さい) 状況を確認したパーティが以心伝心でそれを理解した時、オーウェンの頭の中に再びアシュレイの声が響いた。 (……お気遣い痛み入るが、もう少し協力的なら尚助かったのだがな) 苦笑いするように告げたオーウェンにアシュレイは心外だ、とばかりに言葉を返してくる。 (あら? 交渉はまず自分が何を提供出来るか示す事から始めるものでしょう? 皆さん、私に何を与えて下さるか言ってくれないんですもの。 それはそれとしてですね。大分譲歩した心算なんですけどね。私の能力をお見せした上で――ジャック様へ仕掛ける邪魔もしませんでしたし。 と言うよりです。本来は止めたかったのですけど、皆さんここへ来た以上はああする心算だったのでしょう?) (まぁ、な……) (第一『三文芝居』はジャック様には通用しません。ですから私と皆さんは本当に殺し合わなければ嘘だったんですよ。 それに自分の運命を決めるのに『塔の魔女』にお伺いを立てる何て道理はありませんよ。 むしろ私が余計な口を出さなかったのは好意です。私の占いは『塔』しか出ないんですからね!) (真意は、と問えば答えは返るか?) (そうですね。私には私の目的があるんです。ジャック様と別の目的が。 そして私の目的はジャック様と違って差し当たって皆さんと共有出来るもの、という事です。 僭越ながら皆さんの運命が知りたかった。皆さんが私の求める人間であるか確認したかった。 お怪我をさせてしまったのは……大変申し訳ないのですが。マレウス・ステルラはそのテスト、ですかねぇ……) アシュレイはそこまで応えると宣言通り長尺の詠唱を開始する。 禍々しく魔力を集中させる彼女をのんびりと待てば今度こそ命脈が脅かされるのは必然である。 「……星川、天乃。また、何時か本気、でやろう」 ジャックの注意が血走った眼で突っかかるフィクサードに逸れた隙を捉えて天乃が大きく飛び下がる。 「今回は退くけど……」 「……次はこうはいかないからね」 彩歌の言葉を嵐子が継ぐ。 「今日の時間を私は決して忘れまい」 「ああ。お前の能力、動きの癖、戦う時の視線、その刃の鋭さも。俺は覚えた。忘れはせん」 アラストール、鷲祐が後退する。 予め最大限に『引き際』に注意を払っていたパーティの動きは余りにも鮮やかだった。 「逃がすなよ、アシュレイ!」 「はいはい。うんたらかんたら!」 予想通りに下されたジャックの命令にアシュレイは目配せをする。 ジャックが又一人を斬り倒した。纏わりつく『雑魚』が今の彼には邪魔になる。 闇の中にリベリスタ達の影が躍る。尽きぬ想いと、やるせなさと、次こそはという決意を胸に彼等は退く。 「……」 しかし、戦いを共にする仲間も、アシュレイさえも気付かなかった――強い想いがそこにはあった。 ●PM11:27 『たかが十分の一』を引き当てる事等、今の少女――国子には造作も無い。 歪曲の運命は後戻りの無い黙示録。加速は留まる事を知らないかのよう。 運命の燃える火柱は無明の夜を青く照らす。燃え尽きるまで燃える事しか知らずとも、この瞬間確かに照らしている。 戦いが成立している事こそが奇跡。 ジャックのナイフを見切り、ジャックに攻撃が通用してきた事こそが奇跡。 俄かな驚きを見せるジャックと無言のアシュレイが彼女の引き起こした奇跡の価値を示していた。 (負けない。どうしたって――止めないと――!) 攻防は幾度か。 叩きのめされ、傷付き、ドラマさえ支配して起き上がる。 致命傷には未だ。未だ、戦える。 『決着』は自分に言い聞かせる長い戦いを続けた彼女が何度死を乗り越えた頃の事だったろうか。 夜の路地に気配と気配が交錯した。 「――――!」 声にならない声が響く。 国子の銃弾はその瞬間、確実にジャックの眉間を捉えた――筈だった。 しかし、彼女の渾身の一撃を嘲笑うかのように目の前で悪魔は空気に解けた。 ジャックのその身は全ての物理の捉え得ぬ霧へと姿を変えている。 宙空に出現した『腕だけ』は驚愕の表情を浮かべた少女の首に『後ろから』深く刃を突き立てた。 姿が戻る。 霧散したジャックが再びジャックの像を結ぶ。 ぽたり、ぽたりと。アスファルトに黒い血が滴り落ちていた。 血を流すのは二十余名に集中攻撃を受けながらもかすり傷さえ負わなかった吸血鬼。 ぽたり、ぽたりと血が落ちる。 「……最ッ高だなぁ、おい」 昂ぶるだけ昂ぶったその声は陶酔にも似た響きを秘めていた。 ジャックの眼は不似合いな『愛おしさ』さえ湛えて動かない国子を見下ろしていた。 「『痛ェ』ぞ。おい!」 「……お怪我をなさったのは、何時振りでしょうか」 苦笑に似た、無念に似た――諦めに似た、そんな声色でアシュレイが言う。 「少なくともこの七年には、一度も無かった事と思いますけど」 「さぁな。覚えてねぇよ」 ジャックは『倫敦の鮮血乙女<ミスト・ルージュ>』を舌で拭い愉悦を堪えるようにそう言った。 『本気』を出さなければもう少し痛い目にあっただろう――単純な事実は彼をいよいよ震わせる。 極東の島国でのまさかの出会いである。自分が何年振りかも分からない傷を負った事、本気を出せた事に狂喜していた。 「……狩りはどうなさいます?」 「最高の殺しをゴミで汚す心算はネェよ」 ジャックは短くそう答えた。 「喜べよ、クソガキ。奇跡とやらに感謝しやがれ。 テメェの望みは果たされた――まぁ、明日には知らないがな!」 言い捨てたジャックは再び獰猛に大笑して踵を返す。 楽しくて、楽しくて、楽しくて、仕方ないといった風。 国子を認め、ならば仲間達も面白い連中だろうと認め。これまでに無く楽しそうに笑っていた。 アシュレイがそっと後方を振り返る。 「……」 言葉も無く、目を閉じる。 ……ああ…… 国子は薄れる意識の中、辛うじてジャックの言葉を知覚していた。 決断が正しかったかどうかは……正直、分からなかった。 理屈で説明するならばこの敵を相手に『一人で戻った』理由は説明がつかない。 唯、どうしようもなく――『想い』に突き動かされたのは確かだった。 ――生きていればこそ晴らせる雪辱はある。無様でも生きなくちゃ―― 頭の隅に、届かなかったレイチェルの制止が蘇る。 ――おい、お前、何考えて―― 携帯で覚悟を伝え、一円の人達の避難をお願いした時の沙織の声が耳の奥から滑り落ちた。 少なくとも仕事は成功に終わったのだ。 ジャックは今夜誰も殺さない。それが何時までもつか分からない気休めにしても――仕事は確かに成功したのだ。 胡乱な世界が明滅する。 酷く傷んでいる筈の身体は最早その痛みさえ伝えない。 ふと、最後のやり取りを思い出す。 冗談めいて、詮無い望みを投げかけて「帰ってくりゃ何でもいい」彼の答えを思い出す。 その胸に過ぎるのは、後悔か。満足か。 ――うん。沙織さん、約束通りデートして下さいね―― 意識が、弾ける音がした。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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