「『塔の魔女』の観測はやはり正しいらしい」 都内、最も色濃く魔性が漂うマンションの一室。されど誰にもそうと認識されず、気取る事さえ出来ない『歪みの本拠』で。後宮シンヤはソファにどっかと腰を下ろすジャック・ザ・リッパーに言葉を掛けた。 「『運命の日』に向けてこの国を取り巻く現状は確実に変わりつつある。貴方が変えた空気と同じように濃密に、ね」 グラスの奥の胡乱とした瞳がシンヤの姿を捉えている。 「世界は壊れ始めている。多くの人間は気付かない、その内に。世界からはみ出しながらも受け入れられた私達(かくせいしゃ)位でしょうね。この意味を知るのは」 誰かが云った。世界と世界とを隔てるのは薄紙一枚の厚さにも満たない境界であると。 誰かが云った。積み重ねられたこの世界は不出来で不細工で何時崩れてもおかしくない程度に不安定であると。 長く時間が過ぎれば潮目は変わるモノだ。放っておけば浅い傷口で済む出来事も――抉れば別のものになる。 「貴方の、ナイフで」 シンヤは言った。 おこりのように肩を震わせるジャックが――主がどれ程の渇望を抱えて耐え忍んでいるか彼は知っている。彼はその時を待っているのだ。『 得難い程の殺し』の後味を汚さない為に、次の殺しをもっと最高のものにする為に。美食家は究極のスパイス(くうふく)を用意している。シンヤはそれを知っている。良く、知っている。 「歪み夜に閃く銀光は格別の美しさになるのでしょうね。 殺人という単純行為を芸術の域に昇華した貴方は、この世界からくだらない常識を剥ぎ取るのでしょう。平穏なる退屈を此の世の隅へと追いやるのでしょう。楽しみですね?」 「シンヤぁ……」 「はい?」 「例の件」 「ああ……」 「エリクサだ……外すなよ。分かってるな?」 「それはもう。それが常に必須であるかどうかは別の問題にしても…… 『ジャック・ザ・リッパーが』万全な状態を作れるに越した事は無い。むしろそれは確実に果たされなくてはならない。『塔の魔女は兎も角』ね。まぁ、こちらも『彼女の情報をあてにしないだけの準備』を進めていますとも」 シンヤの言葉に混じった皮肉と本音に果たしてジャックは気付いたかどうか―― 「期待してるぜ、シンヤぁ」 酷く疲れたような、それでいて何かにギラついた――獣の息を吐き出したジャックは文字通りの鬼気を発している。研ぎ澄ませれば研ぎ澄ませる程に強力になる、彼の殺気。『空腹(スパイス)の効いたシェフの気まぐれコース』を考えれば流石のシンヤもリベリスタに同情した。 ※日本エリアの崩界度が23から28に上昇しました。 世界が不安定になり、原因不明の崩界が加速的に進行しています! |