●ミトラス・システム。 「愛する英国の根城を出払って遥々懐かしき極東まで端を運んでみたら、実に騒々しい」 深度の深く長い黒髪をポニーテールにして背後で揺らすその男は、尊大な口ぶりに反して年の頃は十代後半と云った所、またその声は声変りを経験しなかったかの様に高く、見ようによってはまるで少女だが、背だけは高かった。 彼が“騒々しい”と表現したのは、その背信行為が半ば確実視されてはいたものの、その遂行可能性には極めて大きな疑問符が付けられていた『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアが、最強無敵とも思われたバロックナイツ盟主『疾く暴く獣』ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンをその手に掛けたという事に起因する世界最悪の事態である。 三ツ池公園。 この地に存在する『閉じない穴』を巡っての激戦の歴史を、日本に生まれながら日本を棄てたその男は、正直な所あまり知らない。 いや、殆ど知らない。彼には抑々興味が無かった。 かの悪名高き最強魔術師『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュが希代のアーティファクト・クリエイターなのであれば、“彼”は差し詰め稀有なアーティファクト・コレクターと評するのが妥当であろう。 故に彼は、その眼に適うアーティファクトだけを求めて世界を彷徨ってきた。 「ふむふむ、我輩が判断するにはまるで根拠が足らない。 故に問おう。 貴様ら“魔女”の予言は、何と云っている?」 強力なマグメイガス。保有する数多のアーティファクト。 だがバロックナイツと比較するにも烏滸がましい、ただ一人の革醒者に過ぎない彼が、何故、世界の有力なリベリスタ相手に先手を取れたのか? 何故、生き抜いて来てこれたのか。その答えが、彼の背後に従えた“三人の魔女”だ。 彼は振り向かない。だが漆黒のローブに身を包む絶世の美女たちは、気にも留めず己らが得た“予言”を彼へと与える。 「あの女の干渉する神秘異能体の不確定要素が振動を起こしている。よって、不明」 「あの女に抵抗する神秘異能体の不確定要素が振動を起こしている。よって、不明」 『あの女』とは、アシュレイの事である。続けて不明を口にした魔女、メルキオールとバルタザールを無視するかのように、男は残るカスパールの“予言”を待った。 「同様に不明。しかし、“お前の名”が此処にある可能性は極めて高い」 アシュレイとアークその他連合との絡まった糸のその先は“三人の魔女”にすら視えないらしい。 だが、重要なのはカスパールの“予言”だ。それを聞いた男は一文字に結んでいた口を開く。 「ふん。では、我輩に“奴ら”と戦えと?」 「然り」 「然り」 「然り」 “魔女”たちは即答する。男は「むむむ」と唸った。 「貴様らの予言は殆ど全てが真実を突き当てた。 が、同時に我輩に絶望を齎してきた。自覚はあるのかね?」 「否」 「否」 「否。それが『ミトラス・システム』との契約ならば」 「分かった、分かった。 では我輩はこの千載一遇の機会に乗じ、大人しく奴らのアーティファクトを頂くとしよう」 男は髪を撫でた。しかし、と続ける。 「『塔の魔女』の目論見が達成されれば、“この世界は終わる”。 貴様らは、それで構わないのだな」 「それが、お前の望みだ」 メルキオールが返すと、バルタザールとカスパールは頷いた。 男は顔を歪めた。 「貴様らの望みの間違いだろう、“魔女”共」 「故に同値」 「分かっておるわ」 男は黒いステッキを持ち上げその細い肩に乗せた。 その眼前にはリベリスタ。それまで中立の立場を取っていた“フィクサード”は、『閉じない穴』と“三人の魔女”に背を向け、リベリスタ達に対峙した。 「……」 その動きに敵意を見出したリベリスタの一人が、その男に斬りかかる。 雑魚では無い。“世界の終わり”を阻止するべく立ち上がった絶望に抗うその戦士。その迫りくる剣を前にして、男は、ぱちんと指を鳴らす。その両の手には、蒼い手袋がはめられていた。 そのまま何かを口にする。小さすぎて聞こえない。 だが次の瞬間、男に迫ったリベリスタの身体が蒼い炎に包まれた。 「――――」 形容し難い叫びが辺りに居る者の耳を劈く。やがてその業火に焼却されたリベリスタは、崩れ落ちる様にしてその場に倒れた。 「次は、誰だね?」 男の軽薄な問いかけに、彼を囲んでいたリベリスタ達の顔が強張った。 「何だ、緊張しているのか? 力を抜きなさい。 何も問題は無いさ。 ―――すぐに世界は滅ぶのだから」 そういった男の瞳は、ただ純粋に。 己が名を求めるその男は、けれど、こんな話を知っているのだろうか? ……“三人の魔女”の予言に従って、地獄におとされた≪男≫(マクベス)の話を。 ●ブリーフィング。 三ツ池公園を制圧したバロックナイツ本隊は、この世界に“黙示録的破滅”を呼び込む算段を立て終わった。そしてその首謀者となったのが、盟主殺しを成し遂げたアシュレイである。 これまで神器級のアーティファクトを収集してきた彼女は、此れを以てして彼女自身の究極的野望の最終段階に入った事を『アーク』は理解した。 アシュレイは、『閉じない穴』を利用して『魔王の座』と呼ばれる究極の召喚陣を生み出す心算らしい。 ……だが抑々『魔王の座』とは何か。 これは異界のミラーミスをこの世界に引き込む儀式であるが、呼び出される存在が問題だ。 この世界を『無かった事』にするレベルで消し飛ばそうとしている魔女が周到な準備で頼むそれはあの『R-type』をも超える最悪の破壊的現象であると見られている。アークが『Case-D』と称したその存在がこの世界に顕現した場合、何が齎されるか。 ―――結果、“此の世の全てが消し飛ぶ”。『万華鏡』を通じて未来予知をした『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はそう断言した。 アシュレイによる『Case-D』召喚が世界消滅と等価であるというならば、彼女を止めなければ待つのは“ゲームオーバー”以外の何物でもない。 この期に及び、流石の国内主流七派やフィクサードも、余りに破滅的思考を有している者を除き、アークに味方をするという訳では無いがアシュレイの戦力に抗戦を開始している。 だがそうでないフィクサードも存在していた。今回、対処を要請するのもそういったフィクサードである。 既にリベリスタ達に多大な被害を与えているフィクサード、便宜上『ヴァン・ドラルド』と称するフィクサードは、アーティファクト・コレクターとしてブラックリストに載っている神秘犯罪者だ。 嘗て日本に居た頃は『1004番』と呼ばれていたその男は、海外での活動を主としていたものの、この混乱の状況に乗じて“リベリスタ狩り”を始めた様だ。 以前に一度だけアークと交戦経験のある彼だが、その時と大きく異なっている部分がある。 それは“三人の魔女”と呼ばれるアザーバイドを、彼が従えているという事だ。 神秘的な魔性を放つその“魔女”は、どうやら“予言”と云う名の限定的未来予知能力を有しているらしい。 その言動には多くの謎が見られる。或いは見様によっては、“魔女”の方がヴァン・ドラルドを従えている様にも見受けられる節があるが―――。 ヴァン・ドラルド、そして“魔女”の真意はまだ判然としない所があるが、一つだけ明確な事は、彼等がアシュレイに与することに決定した、という事だ。 彼等を止めぬ事には―――世界の滅亡は加速の一途を辿るであろう。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月31日(火)22:22 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 「ヴァンさん……。 『あの時』は無暗に人を殺めたりしない方だったのに、どうして?」 切実な声色が『静謐な祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)の口から洩れる。 彼女の眼には、既に只の有機化合物へと還ったリベリスタ達が痛ましく映りこんでいた。 「おりょ?」 ヴァン・ドラルド。 その男の瞳が煌めいた。彼は首を傾げてもう一度注意深くリベリスタ達を見渡す。 「君達かね。そこの蒼髪の御嬢さんは、初めましてかな? ああ、覚えているよ。アリステア君だったね」 ヴァンが『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936)に一礼する。そして再度視線をアリステオへと戻す。 こくり、と頷いたアリステアの表情とは対照的に、ヴァンの顔色は明るかった。 「アリステア君、君の質問に答えるとするのならば、“人の生死は然程大きな問題ではない。我輩はただの薄汚い盗人だ”ということになる」 ヴァンが『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)をちらりと見遣って答えた。 「人を殺めるのも殺めないのも、特に興味が無い……ということ?」 「誰がだね?」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の横に立つアリステアが無言でぴっと指を指す。その先にはヴァンの端整な顔立ちがあった。 「何故だね?」 再度首を傾げたヴァンだが、その双眸は何処か楽しげだ。 そんな彼を圧す様に、凛とした問いかけを『現の月』風宮 悠月(BNE001450)が投げ掛ける。 「貴方は、世界の消滅にも然程の意味を見出していないのですね」 「如何にも。我輩は其処に意味を見出さない」 「集める破界器、集める意味。 求める名、求めた名を冠するべき己。 その全てが喪われては意味が無い筈だけれど。 ……“名”を得られさえすれば次の瞬間に世界が滅びても構わない、そういう類の渇望ですか?」 (三博士の名を名乗る三人の魔女、ミトラス、未来予知……。 弥勒は再臨するキリストを指すという説は聞いた事がありますが……さて?) 名、という単語が悠月から発せられて小さく動いたヴァンの表情を、『大樹の枝葉』ティオ・アンス(BNE004725)は見逃さなかった。 「ヒトは主観的にしか生きられない。従って、この肉体の崩壊と世界の消滅は同値だ。 なれば、我輩の死と世界の破滅も同値。故に、述べた通り世界の滅亡に特別の意味は見出さない」 ヴァンがそう述べた時、不意に彼の背後に立っていたメルキオールが動いた。 「“予言”の遂行をせよ」 「……ああ、見知った顔でね。少し話し込んでしまった」 ヴァンがそういった表情は、何処か無感情だった。そのまま、彼はステッキを構えた。 唆されているのか。或いは、自発的なそれなのか。 彩歌が戦いの前兆を感じ取るのと同時に、夏栖斗は紅桜花を握りしめ口を開いた。 「ヴァン、こんなやり方スマートじゃないな」 ヴァンは嬉しそうに首を傾げ、夏栖斗に先を促した。 「世界に絶望しているとは云え蒐集家が、そのコレクションごと世界を無かったことにされるのを認める訳にいかないと思うのだけどね」 「コレクションの“残存自体”は大きな問題ではないのだよ」 「“予言”の遂行を」 バルタザールの声にヴァンは「分かった」と顔を歪ませる。 「結局こうするしかないのだな」 瞬間。ヴァンは蒼い手袋に包まれた腕を真っ直ぐにティオ達の方へと向けた。 ● 「来るわ」 ティオが静かに呟くと、想定通り立ち位置を取る。 特に前に出たのは、アリステアだった。 (アリステア君はそのような戦力では無かった筈だが) 一瞬思考したヴァンだが、躊躇わず指を高く鳴らした。 追随して空間が蒼く発火する。その炎はアリステアを容赦なく焼き尽くす。 「誰かに庇われるのが常だった私でも」 「む……!」 ……その炎壁を全くの無傷、その表情には唯決意だけを灯して、アリステアはヴァンの前に立ちはだかった。彼女の眼前には、全ての魔力を遮断する五芒星の盾が浮かび上がっていた。 「―――この力で盾になれるのなら喜んで」 「ほう、面白い!」 普段なら守られ立場のアリステアだが、今回は違う。 敵に神秘攻撃が通り辛いのは知っている。だが向こうとて事情は似ている。 なればアリステアの五芒の盾はこの時、極めて大きな意味を持つ―――! 「銀髪のプロアデプトが来るぞ」 事態を理解したヴァンに更に“魔女”が告げる。彼はすぐさまアリステアと距離を取ると、その後ろから距離を詰める彩歌の姿があった。 ヴァンを庇うように両者の間へ割り込んだのは、メルキオール。その漆黒の魔女が動いたのは、彩歌の動きを予知したからだ。 「目的は一つ、世界が終わらないようにするだけよ」 呟いた彩歌の攻撃がメルキオールに直撃する。 と、背後のヴァンが聊か驚愕していた。 「成る程、過去の彩歌君とは戦法を変えてきたようだな?」 「まあ、未来予知に関しては、日本国内限定で私達も“それなりのモノ”を持っているしね」 彩歌がちらと“魔女”に視線を遣る。 (複数の予知を元に行動を起こそうとした場合、自身の行動とそれぞれの予知が密接に関連するだろうから、 その辺りどうなっているのか気になるけど) 其れを受けてヴァンもしみじみと呟く。 「『万華鏡』か―――」 その間にも、絶え間なく悠月とティオが放つ呪葬の歌と四色の魔光。 しかし、バルタザールとカスパールが動き、防ぐと、彼女らはアリステア同様に無傷である。 そして今度は魔毒の霧を振り撒いたヴァンの攻撃で夏栖斗らの顔が歪む。其処を、寿々貴が高度術式により顕現させた、希薄な高位存在による奇跡が吹き荒れていく。 表情とは対照的に、寿々貴の内側では多くの考察が咀嚼されていく。 (天使を意味する番号が付けられ、ペルセウスのように多くの宝を纏い、 三賢者の名を持つ魔女に導かれ、しかして自身の名は奪われている。 なかなかに盛ったもんだよ、凄いね!) 彼女の横では、ティオが既にカスパールに対してリーディングを試みている。人外であろうと思考する存在であれば思考を読み取れる異能だが、“魔女”相手に幾らかの苦戦は仕様がない。 「しかしだよ。 世界が滅んで見つかる名は。魔女の言う『キミの名』は。 ―――奪われた『キミの名』は。果たして同一なのだろうかね、本当に?」 軽薄そうなヴァンの表情が少し変化を見せた。やはりティオはその変化を見逃さなかった。 「お嬢さん。君のお名前は?」 「親愛を込めて『すずきさん』と呼んでくれたまえ」 「すずきさん。君は聡明だな」 「褒めたって何も出ないぜー。 それにだよ、“魔女”は都合よく押し付けたい名を指しているだけかもしれないね? そう言われても認めやしないだろうけど、さ」 「ああ、認めぬ」 先程は寿々貴の指摘に一瞬の間を作ったヴァンだったが、既に平静を取り戻しているようだった。 「鋭いが、論理が無い。それは推測にすぎない」 「いや、そうなんだ。だから、証拠を探してるんだよね」 「ヴァン・ドラルド。 この場において、あなたは間違いなく『ヴァン・ドラルド』だわ」 含みを持たせた寿々貴に続いて、ティオが問う。 「……」 ステッキを振るい熾烈な攻撃を繰り広げるヴァン。大聖堂の時と比べても、“魔女”の予知がある為か彼の動きは速い。 そんな彼は、寿々貴の時と同様に言葉を詰まらせた。 「奪われた名前を取り戻した時、あなたは“この名前”を捨てるの? ならば何故、わざわざ自分と同じモノを増やしたりして、この名前を定義させたの?」 ティオはその矛盾を、許さない。 何故なら彼女は、現時点で間違いなくこの世で最もヴァンを識っている人間だったからだ。 「ティオ君。それは違う。それは“我輩の名”ではない。仮初の名だ。そんなものに意味は無い。 その為に生きる価値は無い」 戦闘の中でもまだヴァンの説得に可能性を見出す悠月も“証拠”を得るべくヴァンを論理的撃滅へと追い詰める。 「求める名に至る事が予言の遂行者たる条件だというのなら……自作自演も良い所ですね」 「ほう」 「そも、何故、『ヴァン・ドラルド』が予言の遂行者なのか。 ……何故、『ヴァン・ドラルド』“だけ”が予言の遂行者なのか。 貴方を選んだ理由があり、必然性がそこにある筈です」 ―――実に論理的だ。 内心でそう評価したヴァンは、初めてその疑問に行き当った。 彼は考えたことが無かった。名を奪われた時から彼にとって、それは当然過ぎた。 ヴァンはちらと“魔女”へと視線を遣る。 「記憶はあるようだし論文名で調べるなりすれば名前は出る訳だから、『名を奪われて』と云うのは、 “そういう”意味ではないのね?」 「……如何にも」 彩歌の問いにヴァンが答えると、彼の肉薄した夏栖斗が間近で口を開く。 「ぶっちゃけこの世界の終わりがなんとかなれば、紅桜花を君にあげても構わないんだけど」 と前置きをして。 「契約内容が世界を滅ぼすことであるなら、≪世界≫(システム)から名前を奪われて、 君は何を得たの?」 ……その言葉は、暗に“魔女”による名の窃取を断定していた。 ヴァンがその事を理解するのに時間は掛からなかった。 「彼の名を奪ったのは貴方達でしょう。 どういうことなのかしら。それと、彼の名は何というの?」 ティオが訊ねると、カスパールが口を開く。 「事実だ。しかし、“予言”の確定さえ確認できれば、ヴァンに“名”は返す」 その言葉に、ヴァンは眉間に皺を寄せ、息を吐いた。 加えてこのやり取りで、ティオは『具体的にどう奪った』のかは計りかねたが、『魔女が嘘を吐くような存在なのか』どうかは否定した。 そして。 何より重要な情報。エネミースキャンを掛けたティオには、“魔女”達の懐にあるあの『懐中時計』が見えていた。 仮定は結論へと変容する。 ティオがすぐさまそれを伝えると、リベリスタ達の攻撃は“魔女”の“その一点”へと変化した。 「……ねえ、君は名前を喪失くした瞬間を覚えている? そこにその三人の“魔女”が居た。 名前を呼ばれて、振り向いて、そして失って、欲望を唆された。 そんな所じゃない?」 「―――」 夏栖斗のそれは無秩序の飛躍だった。しかし、またしてもヴァンは驚いていた。 何故ならそれは、殆ど事実だったからだ。 「名前なんて唯の記号って言われるのかもしれないけど、確かにそれは人を人たらしめるパーソナルの一つだ」 「全くだ」 ヴァンは頷いた。 「いや、むしろ人の全ては“名”に集約される。 我々は名の為に生き、名の為に死ぬ。それは名声と云う意味ではない。 この世の暴力は名を傷つけること叶わない。名詞とはそれほどの高等的存在だ。 ……いいかね、夏栖斗君。 それ故に、名を失うと云う事象は、死よりもずっと恐ろしいのだよ―――」 ● ヴァンの手数が減ったのは、明らかだった。彼に迷いが生じているのは、アリステアの眼にも明らかだった。 (……それにしても、『名前』かぁ……) アリステアには見当もつかない。けれど、思うことはある。 “魔女”の懐中時計対処をメインに繰り広げるリベリスタ達。 そして、回復の必要性が若干薄まると、寿々貴にもより深く潜る余裕が生まれる。 三人の魔女が『何』なのか。 じいとその紺の瞳が“魔女”を覗く。 存在を理解できれば、存在理由が理解(わか)る。 何の為に、何をしようとしているのかが理解る。 (滅亡を避けつつ名を奪還するなら、勿論力になれるだろうし。 だって―――、彼は名を取り戻したいだけで、滅び自体を望んでいる訳じゃないのだから) “魔女”を見つめた寿々貴だったが、むしろその視線は『ヴァンの使用しているアーティファクト』へと移っていた。 思わず口元に手をあてた寿々貴。 “魔女の名を冠した”そのアーティファクトの存在理由を、彼女は理解した。 「『ミトラス・システム』―――、“契約”だって?」 寿々貴はくすりと微笑んだ。 「それは、“呪い”だよ、天使様」 その呟きに、曇った表情のヴァンが視線を向ける。 「どういうことだね」 「キミは自らの意志で破界器を蒐集し、その力を振るってきたと思っているのかい? キミは、一見“魔女”を利用してその破界器を集めたようでいて―――」 「その実は、“予定調和”だった。当然よね、“魔女”には未来が見えているのだから」 ティオが続けて言うと、ヴァンは全てを理解した。この時点で、論理操作を行うに十全な“真の命題”が揃ったからだ。 ヴァンは己が身にまとう破界器を見遣り憎々しげに声を荒げる。 「これが―――“これ自体”が“契約”だと云うのか!」 「“綺麗は汚い、汚いは綺麗”。 マクベスの三魔女は人間の二面性を表した呪文を唱えたというけど」 最前衛の夏栖斗がシェイクスピアの一節を引用すると、 「注意を引き、興味を抱かせ、能力により信頼を得る。 そして現実的な目標から示し、やがて最終的な目的へと誘導する―――。 “これ”は『ある男が魔女の予言に踊らされ、最後に破滅する』までの過程です。 その魔女達と出会ってから今までの貴方の軌跡、当て嵌まるのではないですか?」 ―――悠月がその意図する所を突きつける。 そう、これはまさにマクベスの通った道。アリステアもその“魔女”こそが根源と見抜く。 「“魔女”さん達は、貴方の名前を奪って、それを『予言』という形で餌にして、貴方を使ってるんだよね」 ―――女狐か。 小さく吐き捨てたヴァンだが、リベリスタ達に対峙する構えは解いていない。 「しかし、それが誘導であろうと何だろうと。我輩は己の名を取り戻さねばらならない!」 「あなたの名を取り戻す為に何が必要なのが分かれば妥協点が見つかるかもしれないわ」 らしくもなく取り乱したようなヴァンとは対照的に、彩歌が冷静に言葉を紡ぐ。 「2011年の12月、“あの穴”が開いた時期だけどあなたの活動確認時期と一致している。 嘗ての“完全世界”は関係なさそう。……で、D・ホール関係はもう一つ。 自信無いけど、過去が改変されているとか?」 ヴァンと彩歌がバルタザールとカスパールを見遣った。メルキオールは既に倒れていた。 「否。私達に過去へ介入する力は無い」 ティオもそれが真実であろうと考え頷く。彩歌はそれを確認して小さく相槌を打つ。 「失った名を取り戻したいと願うのはその名前を呼んで欲しい誰かが居るからじゃないの? 本当に、世界を終わらせてもいいの?」 「それは、本質ではない」 そう答えたヴァンだが、表情は確実に迷いを表していた。 「どんな名前だって、呼んでくれる相手がいないと、寂しいだけだよ?」 「それは、君の評価だ」 「あなたとは違って、どんなにこの世界が不完全でも、私は絶望しない。 そんな心は捨ててしまったからね」 「―――」 寿々貴とティオの畳み掛けるような追撃に、ヴァンは遂に口を閉じた。 自らの反論が、非論理的に成り始めているのを、彼自身が理解し始めていたのだった。 「戯言だ」 口数少ないバルタザールが呟いた。 「名を失くしたお前を定義するモノは、何もない。 世界は終焉を迎えようとしている。 これが最後の機会だぞ、『ヴァン』」 いつの間にか、戦闘は止まっていた。場には決戦の場に不釣り合いな沈黙だけが充満していた。 「貴方が許してくれるなら、一緒に探そ?」 アリステアが、危険を顧みずヴァンの目の前にまで歩み寄る。 「マクベスが滅んだのは己を失ったからだ。ヴァン、確かにそれは、名を失った君と同じかもしれない」 「ならば戯曲の結末は、今此処で書き換えられます。貴方の意志で」 夏栖斗と悠月が傍らで言うと、アリステアは手を差し出した。 「―――ヴァン!」 “魔女”が“感情的”に叫んだ。 ヴァンは迷ったように手を伸ばし―――けれど、その手を元に戻した。 彼はそのまま身体を翻す。 「我輩の名を、呼び給え」 お決まりの捨て台詞。 吐き捨てて歩みだした小さな背中に。 「憐」 と寿々貴が呟いた。 ぴたり、とヴァンの足が止まった。肩を震わせたヴァンは、泣いたような、笑ったような―――至極形容し難い表情で、振り返った。 「何故」 絞り出すように、 「その名を」 ヴァンは訊ねた。 ● 下の名前しか分からなかったわ、とティオが言った。 寿々貴とティオの両者の得た情報を照合し、彩歌が導きだした“名”だった。 そしてそれは、違えようも無く、ヴァンの“本当の名”だった。 「私は、定義するよ」 アリステアは伸ばした手をそのまま憐に向けていた。 「あの人達の言いなりじゃなくて、自分達の力で。 それでも無理なら……上の名前、一緒に探そう? 貴方は―――『憐だよ』」 定義するものが、存在するもの。 その時、そこに、ヴァン・ドラルド改め憐は、確かに存在していた。 「莫迦な」 カスパールが呻く。彼女に見えていた未来は今、書き換えられた。 現実は未来に先行するから。今を生きる事の出来ない“魔女”には、その光景が信じられなかった。 まだ複雑な表情の憐は、一歩一歩確かめる様に歩くと、アリステアの手を取った。 「我輩の名を、呼び給え」 「憐」 「……うな」 噛み締めるように同じやり取りをした憐は妙な声を出して、遂には破顔した。 彼は名を思い出す。 彼は“魔女”に対峙する。 「―――それが君達の定義なら」 彼は未来と云う名の過去を、焼却し始める。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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