●遠い昔のお話 悪意に塗れた怒鳴り声が何かを告げた。 頸に食い込む指の感触が麻痺した体に相反して鮮やかだった。 どんな危機を感じても身を捩るのが精々だった。 手足は錆びた農具で潰された。 限界まで酷使された体にはとうの昔に何の力も入らない。 掠れた声で悲鳴を上げようにも喉は圧迫され、それ以前に。 そんな行動が笑い声を上げる彼等を喜ばせるだけだという事は嫌と言う程知っていた。 死にたくない。 これは冗長なる悲劇である。 拠るべき足元は崩れ落ちている。 とうの昔に閉じた運命に翻弄され、『そうなる』事は決まっている―― 分からない程愚かでは無かったが、それでもどうしても。 死にたくない。 芋虫のように身を捩り続け、僅かな酸素を求めて舌を出す。 せめてもの救いは自分がどんな格好をしているか見ないで済む事。 さもしく、惨めに、愚かしく――生存欲求の前ではどんな理性も意味を成さない。 意味不明な唸り声を上げ、許しと救いを求め、服従を誓う。 或いは自らに圧し掛かる理不尽を呪い、恨み、復讐を誓った。 しかし、何れにせよ自分は無力で。たかがこの位の絶望さえ、唯の一人では覆し得ない。 ―――――!!! 笑い声。 何が楽しいのか笑う声が遠くなる。 意識と共に揺れていた天井が明滅する。 死にたくない。だけど、死ぬ。 変化が訪れたのは他人事のようにそれを考えた時の事だった。 扉の開く音がして、微かな風が入り込んできた。 爛れた部屋に涼やかに響いた口笛の音は手放しかけた意識を一瞬だけ引き止める。 緩んだ指に辛うじて首を持ち上げ、見やればそこには聖歌を奏でる『神』が居た―― ●聖痕 黒の木立を冷たい風が揺らしていた。 今まさに臨界を迎えようとする破滅の風穴の目の前で『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア (nBNE001000)は無為に塗れた己の七百年を述懐していた。 全く――始まりばかり今も鮮やかなままなのに、その中途は色彩が抜け落ちているかのようだ。褪せた写真より、朽ちたフィルムより。虫食いになり、朧気になった己の記憶はあてにならなかった。そんな頼りのない情報を寄る辺に、彼女は自分が最善を尽くしてきたとは言い切れなかった。 「……まぁ、今更ですね」 どの道、賽は投げられた後なのだ。 四年半程前、『最後の占い』で『塔』が出た時に決めていた事だ。 それまでの自分と、そこからの自分は土台目的自体が違う。全ての悪徳を飲み干して為さんとした事業を切り替えたに過ぎない。皮肉なのは極めて個人的且つ矮小な最初の願いは叶わず、極めて全世界的に重大な今回の願いは目途が立ってしまったという部分なのだろう。 「……やれやれです」 裏切りを繰り返してきたアシュレイには仲間と言えるような存在が無い。 成功を共に分かち合う相手も、もう居ない。かつては何度かそういう相手に恵まれた事もあったのだが――その全てを切り捨ててきたのは他ならぬ自身である。 誰が悪いと言えば己以外の何者でもない。 しかし。 目的の達成を目の前にして彼女はこれまで以上に空虚であった。 決断を迷った事は無い、後悔している訳では無いが――数限りなくあった選択肢の内より今を選び取った意味は余りに痛烈な事実であった。 ざわざわと木立が揺れる。 アシュレイは何気なく、左手から黒絹の手袋を外してみた。 久方振りの外気に晒された左手の甲には菱形の傷がある。肉を盛り上げ、歪な傷痕を残したそれは掌までを貫いた楔の後であった。 唯の村娘を本物の魔女へと変えた偽りの裁判の与え給うた聖痕だった。 (何の事は無い。貴方は助ける心算なんて無かったのでしょう?) そうだ。そんな男では無かった。 (たまたま、そこにやって来ただけ。たまたま、彼等が気に入らなかっただけ) 自信家で、気まぐれで、サディストだった。 (だけど、貴方は――私にとって間違いなく神だった) 折られた手足で這い蹲って――歯を食いしばって着物の裾を噛んででも、縋り付く程に。神以外の何者でも無かったのだ。 ――どうして…… ――して、神様は…… ――え。――、結婚、って…… 死ぬ直前の悪趣味な冗談は、魔女を七百年の未亡人に変えた。 万華鏡の夢に揺れる昔日のワン・シーンは擦り切れたテープのようだ。ノイズがかったスクリーンに映る彼の顔はとうの昔にそのディティールさえ失っているのに。 割り切れなかった魔女は最初は彼の復活を願い、今は。 「さあ、『魔王の座』を始めましょう」 今は諦め――全ての消滅を望んでいる。 自身から『普通の幸福』を奪い、漸く見つけた『彼』すら奪い。どれだけ掛け合ってもそれを返してもくれないこの世界を根本から消し去る事。 魔女の復讐は何の事は無い。何の大義も何の深謀もなく。 『拗らせた乙女』の究極無比の八つ当たりに他ならない。 だが、フィクサードはしばしば己の為に世界を侵すものだった。 ●決戦 「阻止一択だ」 『戦略司令室長』時村 沙織 (nBNE000500) のオーダーは単純明快だった。 「次善は無い。失敗すれば事後も無いだろう。 アークは――リベリスタは全精力を傾けてこの作戦を完遂する以外の道を持たない」 言葉は慎重派の沙織とは思えない位に断定的なものだった。 紆余曲折の末、全ての準備を終え、『閉じない穴』を掌握したアシュレイは遂に自身の計画の最終段階発動の構えを見せているらしい。結論から言えば彼女の目的はこの世界の破滅であり、消滅だ。因果律さえ歪め、この世界を最初から無かった事にする為に――究極の破壊的現象(ミラーミス)『Case-D』を呼び込まんとしているという。 「確実な話なのか?」 「『召喚後の未来』はイヴが観測したイメージだ」 つまり、それは事実であるという事に相違無い。 その為に必要な召喚陣は本来ボトムの人類には扱えるレベルには無いのだが――アシュレイが長きに渡り蒐集してきたアーティファクトと、バロックナイツから奪った神器級アーティファクト、ペリーシュの魔力抽出技術とディーテリヒの助力によりこの運用が可能になってしまったという最悪の事情がある。 「一口にフィクサードと言っても殆どの奴は利益主義者だ。 同じ狂気でも例えばあの黄泉ヶ辻京介でもやらないだろう。本物の終末思想を持ち――それを実践する奴なんてのは滅多にいるもんじゃない。 本人じゃねぇから推測も混じるが、まぁ――あの女の場合は究極の怨嗟なんだろう」 感情的で全く論理的では無い。 それが故に制御も効かなければ、省みる事も無い。 つまり彼女はブレーキの壊れた猛スピードのトラックのようなものだ。 「アシュレイの戦力は本人と盟主が用意した魔術的な仕掛けや召喚存在、盟主のカリスマで集められたフィクサードだが――アシュレイは時間が稼げれば良いと思っているみたいだな。フィクサード達の多くは事情を理解せずに迎撃しているだろうから、持っていき方によっては上手く転向させられるかも知れないが。 どの道、簡単な話じゃあない。どうもアシュレイは『ジョン・ドゥ』と呼ばれている知己のネクロマンサーに頼んで盟主健在を誤魔化しているみたいだから。 ……ま、ディーテリヒは死霊術士が準備も無く簡単に操れるようなタマじゃない。殆ど『立たせているだけ』の見せ掛けに過ぎないようだが」 沙織は咳払いをする。 「今回の作戦は結果的に世界の興亡のかかるものになった。 全世界のリベリスタと――フィクサードすら友軍に存在している。 最初に言ったが、阻止以外の未来は無い。阻止出来なければ全てが終わる。 今回に限っては――撤退も仕切り直しも有り得ないし、どんな戦況になろうとも戦い抜く以外の手段が無いと認識してくれ」 アーク側の最終目標は『閉じない穴』で『魔王の座』を展開するアシュレイを未然に防ぎ、この穴をディーテリヒがアークに届けた『ロンギヌスの槍』で破壊する事だ。『ロンギヌスの槍』を使う事になるのは現場のリベリスタである。 「正直、不測の事態も考えられる。 くれぐれも油断せず、全力を以ってこの任務を完遂してくれ」 沙織の言葉は懇願にも近い。 アークの越えねばならない最後の戦いが始まろうとしていた。 ●白騎士、黒騎士 ディーテリヒの望んだ最後の審判を前に二人の騎士が佇んでいた。 主人は最後の最後までその真意を二人には告げなかった。 恐らくは止められる事を分かっていたからであろう。 アルベール・ベルレアンは理解し得ても、セシリー・バウスフィールドは不可能である。孤児だった自らをその手で拾い上げ、養育し、現在の彼女のアイデンティティを築き上げた――ディーテリヒは間違いなく彼女の信仰対象だったからだ。 「……セシリー」 荒事の気配を増す現場を遠く見詰めるセシリーに兄のようなアルベールが声を掛けた。 受けた喪失感は等しい。しかし、アルベールには諦念があり、セシリーには無い筈だった。 歯を食いしばり、拳を握ったセシリーの手元からポタポタと血液が零れ落ちている。 「……どうする」 アルベールは他に何を言う事も出来ず、彼女に訊いた。 その言葉はある意味で彼女の肯定だった。「どうするにせよ、付き合ってやる」という宣言に他ならない。 「知れた事」 氷のような眼差しでセシリーは言った。 「あの、魔女を殺す」 「ディーテリヒ様が望んだ事だとしても、か」 「ああ」 セシリーは迷わなかった。 「それに、ディーテリヒ様が望んだのは『最後の審判の発動』までだ。 その結果――魔女が勝つ事は特段望まれていなかった筈だから」 白刃が赤い光を跳ね返す。 アルベールを振り返ったセシリーの目は大粒の涙に濡れていた。 「あの方を、唯――心から愛していた。それだけだった」 ●『魔神王』推参! 「ったく――人が本気で寝込んでる時にうるせぇな」 遂に訪れた最後にして最大の決戦は熾烈を極めるものになった。 時間を稼ぎたいアシュレイと、そうはさせじと奮闘するリベリスタ達の戦いは一進一退の攻防を見せていたが…… 状況に風穴を開けんとしたのは聞き慣れた男の一声だった。 ――さあ、俺様が命じるぜ! 敵に回せば結構愉快で、味方にすればこれ程心強い人間はそうはいない。 敵味方の空気を切り裂き、ド派手に登場したのは『バアル』の槍で暗闇を裂いたキース・ソロモンその人だった。 彼はウィルモフ・ペリーシュとの戦いで致命的打撃を負い、姿を消していた筈なのだが…… 「遅いんだよ」 「『レベル上げ』の途中だけど、よ。精々雑魚の露払い位はしてみせるぜ」 ……何故ここに、は余りに愚問が過ぎるだろう。 無事だったか、とは言わず悪態を吐いたリベリスタに赤い目をしたキースは笑う。 「まだ倒してぇ相手が居るのに、勝手に世界を吹っ飛ばされてたまるかよ!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:NIGHTMARE | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年04月01日(水)21:54 |
||
|
||||
|
||||
| ||||
| ||||
|
●アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアI 始まりが何処にあったのかを彼女は余り覚えていない。 胡乱な記憶の彼方に擦り切れ、朽ちたページを捲った所で今更何の意味も無く。 残された結果は『遥か昔に下された誤った審判』が、結局の所正鵠を射抜いていた事を只管に肯定していた。 過程はどうあれ、彼女が最悪の魔女である事は事実だ。そう呼ばれるだけの――一通りの悪事も済ませてきたし、それはとても人様にお聞かせ出来ないような内容も含まれる。言い分が無い訳では無かったが、彼女には優先順位があっただけだ。人並みに笑い、人並みに悲しむ感情的な機能ばかりは維持したまま、彼女は少女から女になって――短い幸せな時間の後に異質に変わっただけ。 宝石の森を後にして、人の悪い烏卿の嘲笑を思い出す。 ――ところでキミは、本当に本気で反魂(そんなねがい)が叶うと思っているの? 言わずもがな、願いは逃げ水のようにその手をすり抜けるばかりだったけれど。 出来るか出来ないかの問題ではない。全ては為すか、為さぬかの差に過ぎぬ。 冷たい氷の中に煮え滾った感情の正体を彼女は怒りとも、それ以外とも断定出来かねていた。 「ねぇ、愛しい人――」 数え切れない程の夜を腕の中に抱きしめて。 「――愛しい、バーリー。貴方は、私を『まいた』と思っているのでしょう?」 数え切れない位の夜に枕を濡らして。 思い出されるのは束縛を嫌う身勝手(じゆう)な男の意地悪い笑い顔ばかりだ。 「諦めてやりませんよ。私は、私は今度こそ――」 貴方を縛り付けてやるんです、私は貴方の…… ●終末と未来の円舞曲I 「ん、昏いのに、まぶしい……ね」 シエナの見上げた頭上には赤い月。其が見下ろす眼窩の世界は等しく赤く。 (創られた魔女のわたしは。まだ色のないわたしは。世界で一番狂ったあの色が、羨ましい……から) 破滅と知りながら、どうしてもそれに魅入られてしまう。憧憬に似た感情が否めない。 赤い夜――バロックナイトは、いよいよ大詰めの時を迎えようとしていた。 これまでもそうだったように、公園の戦いの趨勢を決めるのは『閉じない穴』である。 幾多の試練を踏み越えたリベリスタ達が王手(チェック)を掛けるのがその場所なのは変わらない。 「……ったく冗談じゃねえぜ」 舌を打った瀬恋は心底うんざりしたように呟いた。 「面倒事はゴメンだっつーのに、世界消し飛ばそうなんて――逃げ場もねぇとか最悪じゃねーか」 「閉じない穴を巡る騒動もこれでラストか――そう考えると感慨深いもんがあるな」 ブレスの――この最終決戦の場に集った多数の革醒者達の視界の先に広がるのは、歪なる異空間と無数に蠢く影達の姿であった。 アークにとっては切っても切り離せない因縁の場所である三ツ池公園はラストダンスの会場となっている。この夜に瞬いた幾つもの戦いが、意地のぶつかり合いが、運命の煌めきがこれより来る『最後の審判』を待っているのは明白であった。 しかし、然して遠くもない最終決戦の場――即ち『閉じない穴』への道を阻む難関を見れば誰にもその道が平坦でない事は理解出来るだろう。煮え滾る女の情念にも似た妄執が、怒りが、憎悪が『明日の朝を望む、全ての者の意志を強烈なまでに否定していた』。 「……全く、この世界に相応しい危機ですね?」 「そうね」 問い掛けたミカサにエレオノーラは酷く素っ気無く言った。 「美しくて残酷な――でも、謂う程美しくも残酷でもないこの世界に相応しい危機かも知れないわね」 「成る程」とミカサが合点する。 「たった一人の、感情を拗らせた女の八つ当たりだなんて――挙句、世界と心中だなんて冗談にもならない」 女が欲張りなのは相場だろうが、牛飲馬食もそれでは過ぎる。 (あたしも、昔貴女が願った事を同じ様に願っていた。でも、出来ないと分かっても、同じ様にはなれなかった) ミカサの皮肉に肩を竦める。目の前で蟠る強烈な意志に触れた時、エレオノーラは自問した。 私と貴女の時間は違い過ぎるから? 「――いいえ。歩いてきた道のりにも同じ位大事な物があるって、気付けたから」 「今は帰る場所も、待っててくれる人もいるって、気付いたから」。 大して違わない価値観を持つ女の影は今、最も遠い。 同情しないでも無いが、一つを譲る心算も無い。 「……悪いけれど、貴女にはこれ以上何ひとつあげられないわ」 「そうですね……魔女に続く、終の道を拓きましょうか」 ミカサの言葉にエレオノーラが小さく頷く。 「男ってのはサ、厄介な生き物だぜ」 ふと呟いたジルベルトの口角が少しばかり持ち上がっている。 「つェえやつが目の前にいる。それなのに戦わないなんて俺様の辞書にはねェなァ――」 「……ま、しょうがねえ。最高に面倒臭えばーさんの相手してやるとするかね」 強烈な否定を前にしたらば、肯定の意志で塗り替えてみたくなる――「今夜を最高にラッキーでハッピーにしようじゃねェか」。そう言ったジルベルトに瀬恋は肩を竦めた。『オトコノコの性』は兎も角、これは不可避の戦争である。 闘争の理由が何らかの利害を求めてのものならば、折り合いをつける事も出来るだろう。敵の要求が部分でも承服出来るものならば、交渉する余地は残るのだ。しかし、今夜についてはそういう妥結は無い。 「なんていうか、壮観。死が沢山。死が大好きな僕としては、願ったりかなったり! 楽しいねえ!」 狂喜したような声を上げた深鴇と、 「――審判の日とやらと、直に対面する日が来るとはな」 同じくチーム【紅鐘】を構成する杏樹の言葉に誰もが苦笑を禁じ得なかった。 「全く……人騒がせな話があったもんやな。新生活のスタートにしても、ちょっと傍迷惑すぎるやろこれ……」 げんなりしたような椿の声はこれより自身が飛び込む鉄火場への恨み節にも聞こえる。 この審判劇を仕掛けたのは巨星――ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンその人だ。世界最高のフィクサードが世界最大の予言(よはねのもくしろく)に従って作り上げた舞台と、演者がこの公園とアーク、そしてアシュレイである。人類の生存権を神ならぬ人に問う事を目的としたディーテリヒが希望と未来の象徴としたのがアークだとするならば、絶望と終焉の代行者に指名したのがアシュレイである。 (運命の恩寵がどうであれ、死という概念は平等ですのに。それを認めたくない故のあがきは、彼女に絶望しか齎さなかった、か) 嘆息したロマネは誰に言うともなく小さく零した。 「今まで貴女が生きた日々は、ただ無為なものだったのでしょうか……?」 我々と共にあった日々も、何もかも――それは口にする程に余りに空虚だから、声には出さなかった。 何の忌憚も無く『世界そのものの消滅』を願う女が相手では、何処に平和的解決等あろうものか。 幾度も止まる機会はあった筈だ。分水嶺はここでは無かった筈だ。しかし――それも、今更なのだろう。 (旦那さんを失って悲しいってのはわかりやすし、八つ当たりしたくなる気持ちもまだわかりますけど…… でもでも! 世界を滅ぼすのは許してください! それは、そればっかりは――とっても、とっても困ります!) 蜂須賀の家に生まれながらに常人的な感性と価値観を持ち合わせる澪等は、その動機が分からないでも無かったが…… (あひる、珍しく怒ってるの……!) 平素穏やかな少女の――あひるの表情が語る事実は断固としたものである。 「自分の都合で、人の人生をめちゃくちゃにする女は大ッ嫌い! 一人で勝手に、この世を恨んで死になさいよ!」 アシュレイは「それでは意味が無い」とのたまい、あひるはそれを理解すまい。 『世界の終わり』と言われても映画の中の出来事みたいで、あひるには実感が無い。だが、彼女は本能的に分かってもいる。 戦わねばならない事。戦い、戦い続け、戦い抜いて――その全てを嘘にしなければならない事。そして、自身にはそれを叶える力があるという事。 「アシュレイ…取り返したいもの、貴女にも色々あるでしょうが……私にも譲れないものがあります…… 姉様と私の日常……失うわけにはいきません。絶対に護りきってみせます」 ちらりと自身を見上げたリンシードに、糾華は一つの頷きで応えた。 「リンシードを今失ってしまったら、私はどういう選択をするのかしら。 何を求めるのかしら? 後を追う? 死者の蘇生? それとも何もせずそのまま朽ちていくのかしら――結局そういう話しよね」 「そんな事は!」と首を振るリンシードの頭を糾華の手が優しく撫でた。 (アシュレイ、貴女もまた、拗れてしまった。抉らせてしまった『私みたいなの』って言うわけよね。どーりで相容れないと思った訳だわ) 糾華はアシュレイの『気持ち』が分かる。だが、最も強く彼女の願望を否定する一人である。 つまる所、『糾華は欲しいものを手に入れたアシュレイ』であり、『アシュレイはそれを失った糾華』に他ならない。 世界は、運命は彼女等に冷淡で、気まぐれに全てを奪い――与えた。アシュレイからは与えて取り上げ、糾華には『まだ』そうしていない。 何の事はない。在り続けたいと願う肯定と、全てを無かった事にしたいという否定は余りにも真逆が過ぎる二者である。 何処まで行っても平行線は交わらないし、水と油を繋ぎ合せる事は不可能であろう。 「ついでに世界も救っちゃう感じでいきましょう……ふふ。世界がついでとか言ってる私も大概でしょうか? ここに揃ったフィクサードやらなんやらも、みんな譲れないモノのため…… ぶっちゃけてしまえば自分の我侭のため……なんてのも多そうですが」 呟いたリンシードに糾華は短く「そんなものよ」とだけ答えた。 「……でも、実際問題。ここを突破するのは……大変そうですね……」 魔術知識的な観点から目の前の空間をそう評した澪にマリアが小さく鼻を鳴らした。 「マリアの力がないとなーんにもできないなんて、仕方ないひとたちよね。マリアがきちんと支えてあげるわよ!」 「マリアも新年度の準備とか要るやろうに、春休みにわざわざ三ッ池公園まで来たんよ? 何時までもこんなことしとれへんし、さっさと終わらせてお土産買って、三高平戻らんとやね!」 小さな肩を精一杯にいからせたマリアが強がってそう言えば、椿は分かった顔で彼女の頭に手をやった。 「椿ままも、あんまりマリアを子ども扱いしないでだわ!」 「ああ、そうだな。明日も明後日も、世界を続けるために――神様をぶん殴る前に消されたら、殴れないだろう」 頬を膨らめたマリアに目を細めて微笑んだ杏樹が頷いた。 公園各所で生じた戦いは相当激しいものになっているらしい。しかし、徐々にこの決戦の場に必要な戦力達が集まり始めていた。魔術で歪められた『回廊』を突破し、『閉じない穴』――『魔王の座』へと到達する事が革醒者達に求められる最低条件である。『閉じない穴』と『ディーテリヒのギフト』から膨大なまでの魔力を引き出すアシュレイの異能は最大限に高められていると推測された。彼女が彼女の使い魔にも似た『シャドウ』を扱うのは初めてではないが、その数は今までに数十倍すると考えるべきだろうか。 対する革醒者側の戦力も間違いなく『過去最大最強』である。 敢えてリベリスタとは言わず――革醒者と書いたのには当然理由がある。 「ふっふっふ! おろかなりべれすたども! あたしがてつだいにきてやったからにはひゃくにんりき……いやせんにんりきなのですぅ!」 「うむ、壱子は天才故になあ」 『怪盗』ストロベリー、恐山斎翁、 「支援ならまかしぇろ! わたしの王子様、貴方の背中はわたしが守るのですぅ! わたしだって……少しだけど、役に立つと思うのです。御側においてください……」 「はいはい、どーも。宜しくね。 ……いや、割と真剣にね。期待してるし、まぁ――君を傷物にしたら寝覚めもバランスも悪いから、うん」 「しぇんどう! 無事に戦いが終わったら、ご褒美下さいね! わたし、頑張っちゃいますぅ!」 「僕も千堂さんのバランスの良さを見習って頑張ります!」 そして目ざとく首尾良く『王子様』を見つけたロッテと抱負を述べる零児、千堂遼一。 「全く、手をかけてくれそうだな」 「多いってのは良い事じゃねえか、兄者! その方が俺様が強く見えるからよ!」 ……事情様々、性質様々、そして思惑様々ながら現場には彼等『恐山一行』や『逆凪一行』を含めた多数のフィクサード達も居るからだ。 アシュレイ側に立ち、『魔王の座』を守る者も含めて、大多数のフィクサードは己が死や破滅を望んでいなかった。この戦いの構図は本質的には『アシュレイ』と『それ以外』の闘争に他ならない。終末思想に染まった数少ない味方は居ても、アシュレイは一人なのだ。 「臨みましょう、最終決戦へ。勝ちましょう。みんなの笑顔を守るこの戦いに」 暫く見ていない間に随分と状況も様変わりしたものだ、と佐里は笑った。 呉越同舟の風情だが、毒を食らわば皿までとも言う。 「さて、理由は至極単純でなおかつ理解しがたいものと来たもんだ。 そんなにこの世界が気に入らないなら他所の世界に行けばよかろうに――ま、そんな単純なものでもないか」 歪んだ空間から染み出してきた影達に秋火は黒漆の大刀を構えた。 肌を突き刺す冷たい風に目を細め、迎え撃つ格好を取った彼女はその素晴らしい速力のままに飛び出している。 「時よ凍てつけ。ここはボクの領域だ。キミ達に動く事は許さない」 凛然とした言葉は傲慢なる宣告であり、絶対的な事実でさえある。 染み出た影の幾つかを包み込んだ秋火の氷は魔女の意志たるそれ等を冷徹なまでに打ち砕かんとしていた。 ざわざわと揺れる黒い木立が影絵のよう。 深淵の奥から際限なく染み出る影達は、魔女の尽きない絶望――心の澱か。 何としても食い止め、吶喊せねばなるまい。明日という日を真実望むならば『希望』が『絶望』より強いと――証明する以外の術は無い! 「ねずみで一番最強のあたしなのですぅ! それを今から教えてやるのですぅ!」 みかんの皮を両手に握りしめたマリルが吠える。 「世界よ、天才が天才たる由縁を教えてやる! どんな事でも全て完璧パーフェクトにやり遂げ、他者を魅了する! それが天才なのだ!」 「受け取れアリア、この湧き上がる天才の力を! 魔女の人形など我らが天才にかかれば有象無象に過ぎない!」 「行くぞ、陸駆! 天才力の前に敗北という文字などない!」 アリアと陸駆が、 「ラ・ル・カーナを滅びから救って頂いたボトムが滅びの危機を迎えているなら、今度は私達フュリエがボトムを滅びから救う手助けをしましょう」 「ええ。この戦いだけは――譲る訳にはいかないのです」 「閉じない穴を破壊すれば、あの穴に頼っていた行き来は全て出来なくなる…… ……もはや避け得ない事ですが、仕方ありませんね。 この世界を――己の属する世界を消滅させるような真似、見過ごせる筈もありませんから」 シェラザードが、その言葉に応えたシェルンが、シェルンが敢えてこの世界に赴いた重みを理解するファウナが。 (アイが何なのかを知らなかった――でも、それが大事なのは分かるから。全部終わりなんて、嫌だから) かつて自身の半身を奪ったバイデンに初めての怒りと憎悪を覚えたアルシェイラが――痛みの記憶を確かに手にしたアルシェイラが。 「辛い事、悲しいことも多いですが、楽しい事、素敵なこともあるのですから。この世界を『無かった事』になどさせませんよ!」 「ええ、この世界も。私達の出会いも」 「弱い俺が守るなんてのは烏滸がましい話しだが――こんな危機的状況に、他の世界から援軍に来てくれたんだ。 シェルン様も――もちろん、この世界も絶対に守ってやるぜ!」 「……何だか、そう言われると気恥ずかしいものですね」 特に縁を結んだラ・ル・カーナ――シェルンには強い感情を持つ修一、修二の兄弟が。 (崩界を齎す因子は、全て排除する) 「叶わないから世界を滅ぼす――ありきたりでしつこいですね。 馬鹿ですか? 馬鹿ですね。まったく、芸のないことです。 ああ、馬鹿は何時も通りでしょうに――愛すべき馬鹿馬鹿しさは出会ったときから代わりありませんね」 フェイトの導きに反する『茶番』に憤慨するヘルが、影に語りかけるように饒舌に言った諭が目前に迫った影達を迎え撃った。 時を迎え、始まった戦いは強烈なまでに乱戦めいていた。【露払い】を受け持つ戦力の目的は物量で此方を押し潰さんとしてくる敵を少しでも食い止め、戦線を押し上げる事にある。 「当然、と言えば当然なのだけど――私もこの世界を消されては堪ったものじゃないのよね」 霧音の放った弾幕が影達を制圧する。 (私一人の力はほんの少しだけれど――ねえ、私の中の霧香。 貴女も私に……皆に力を貸して。共に世界を守りましょう!) 無数の光弾が黒に鮮やかな色彩を点した。 「長き夢見た先に滅びを望むか。長く生きればこそ、斯様な思考もありえようか――無論、その望みは阻ませて貰うがな」 指揮を取るヒルデガルドが無数の気糸を放ち、影達を牽制すれば、 「ノブレス・オブリージュは当然御存知よね?」 その一方で聖骸闘衣を纏った瑠璃によるラグナロクの呼び声が、勇ましく戦場を奮い立たせる。 「個人の意思で世界を滅亡させるなんて無茶です。無意味です。馬鹿げています。 でもやらねば気が済まないんでしょう? だから笑いません。馬鹿にもしません――まぁ、仕事も含めて止めはしますけどね」 敏伍の影人が影達と踊り、偽法・占事略决がまとめて敵を薙ぎ払う。 「行けよ、英雄ども! 道は切り開いてやるぜ!」 叫んだ遥平が我が身、身命を触媒に終歌・千年呪葬による猛撃を試みる。 進行方向の敵を次々と呪いに縛り上げた音色は練達の魔術そのものだ。 「こういう露払いはな、ロートルの仕事って相場が決まっているもんさ。たっぷりと『挽歌』を聞かせてやるぜ!」 ニヒルに笑った彼の何と頼もしい事か―― 「雪待、これが最後になるかもしれぬ。だから伝えておこう。 これからも、妾はおぬしの傍から離れる気もないし離す気もない――覚悟しておくのじゃ」 「失敗したら世界が滅ぶ……そんな土壇場ですけど…… やっぱり、シェリーさんとなら安心します……ぇと、その、手の温もりも何時も通りで、でもっ! 最後なんでダメですからね!」 「建前じゃ」 慌てて言った辜月にシェリーは笑った。 彼女が無造作に放った銀色の弾丸は進行方向の影を滅茶苦茶に蹂躙している。 当然ながら『最後』を口にするような殊勝な女はそこには居ない。 「ゆくぞ雪待。二人の未来をかけて」 「はい、未来を……二人の未来をかけて!」 シェリーが矛ならば、辜月は盾。表裏の二人は二人でその真価を発揮する。 戦いは早々に壮絶な乱戦となっていた。 「私の物語は、ある日あたしの中からはじまりました。 あたしの物語は、ある日私がやって来て彩られた。 この先何があるかわからない。楽しい日々に、ほろ苦い思い。全部全部、大切にしたいから」 カシスの腕が炎を帯びる。噴出した業火は地面を舐めるように影達を飲み込んでいく。 「物語の終わりはハッピーエンドがいいの――神様、私/あたしに、世界を護る力を!」 「面倒事は御免ですけれど――世界が滅びる危機というのでしたら話は別になりますわね!」 気を吐いたナターリャの賦活の力が仲間達を包み込んだ。 圧倒的に質に勝るリベリスタ達を迎え撃つのは、それを上回る程に圧倒的な物量だ。 敵は選ぶ暇も無い位に蠢き、戦果(スコア)を競うならば――これ以上の環境は望めない位だろう。 「生きて勝って、必ず帰りましょう。私達の方舟へっ!」 エフィカが手にした碧のショートボウを引き絞る。 「これが私のっ! 私達の『逆棘の矢』――!」 私だって、唯のマスコットでばかりでいられませんからっ」 光の尾を引いた矢が影達を射抜けば、 「誰がいて、誰があっちで、誰がこっちで……ええい、面倒くさい! 全部、燃やす! ……ってわけにもいかないわね。でもまあ! 敵が多いのは結構得意! シビレちゃいなさい、チェインライトニング、力の限り連発なのだわ!」 『大雑把な破壊活動』は比較的得手にある梅子が雷撃をもって周囲を一気に焼き払った。 (……きっとあの日、パパが見てたのもこんな光景なのね。 見知った顔がいっぱいいて、でもここで戦わなきゃ、みんな消えるとか。 そんなのイヤ。だから、みんなここにいるのだわ……あたしが死んだら、妹は泣くかしら。 泣いてくれたら、嬉しいわね。そしたらあの子は生きてるってことだから……) 一瞬だけ、そんな事を考えた梅子に影獣が襲い掛かる。 「……っ!?」 「危ないっ!」 その爪牙が梅子に届かんとした瞬間――それを背に庇い、食い止めんとしたのは倫護だった。 「梅子さんに何かあったら、桃子教官が悲しみます! ボクに守らせて下さ――」 「――姉さんに触るな、影畜生がッ!!!」 影獣が突然現れた桃子のフライングクロスチョップで地面に叩き付けられた。 ぜえはあと肩を揺らした桃子の顔には鬼気が宿っている。 振り向いて自身を見つめた彼女に倫護の表情が強張ったが―― 「グッジョブです、倫護君!」 そう言う桃子は目を点にした梅子に構わず指を立てていた。 閑話休題。 その一幕は兎も角、戦いはあくまで予断を許さないものだ。 「車の上から失礼します! キャッシュからの――どーんとパニッシュ☆」 「ニンチショー拗らしてんじゃねぇっすよクソババア。 ……うちらも一歩間違えりゃああなるかもしれなかったっすけど」 【どーん】を形成した翔護がド派手な登場で影を纏めて吹き飛ばし、ケイティーも負けじと伸ばした殺意で敵の首元を捻じ切った。 「まおは死ぬのが怖いです。初めて、まおはそう思いました。 でも、まおは、まおの大事な人達を死なせたくないです」 「良く言った! それから、一度言ってみたかったのよねぇん!」 小さな体にありったけの勇気と意志を漲らせ、戦場に立つまおに手を叩いたステイシーが続けた。 「さぁさ、今こそ声高らかにぃ。『ここは自分に任せて先に行け』よぉん!」 歪んだ空間に吶喊した【どーん】の面子の横を他の仲間達が駆け抜けていく。 実際の距離よりも遥かに引き伸ばされた空間は簡単なゴールを許さない。だが、それでも進ませ、進む以外の道はない。 「過去にあった出来事だけの為に人生を費やすことを、誰に否定できましょうか。 ただ、彼女のやり方が正しいかと言えば間違っていることに変わりはない。 成就しても失敗しても戻れないなら、ここで引導を渡して幕引きとするまでです。 私はここに並び立つ皆さんの為だけに戦うことを厭わない。拾った命も無駄にしない。誰一人欠かさず、癒し、手を引き帰るのみ――!」 強く宣誓し、癒しの力を紡いだ宮実を口笛を吹いた翔護が「カッコいー!」とからかった。 最前列に飛び込んだ彼はと言えば、絶望という名の影に集られ小さくないダメージを受けていたが、救援が奏功したのは確かである。 「……っ!」 まおの放ったインパクトボールが蟠った影達をちりぢりに吹き飛ばした。 「ヒューッやったぜクモ子ちゃん、偽おっぱいちゃんのおっぱいを蹂躙だ! スペちゃんケイちゃんクミちゃんもイケてるよ!」 「一片頭ぶち抜かれてテメェらも頭真っ白にしやがれっす。 ああ消させるかよ、忘れたくねぇっすよ――このセカイも仲間も!」 茶化すような調子こそ変わらない翔護も、皮肉に言ったケイティーもこの戦いの意味を知っていた。 【どーん】に負けじと、【光の道】も黙ってはいない。 「行くよ! 道を切り開くの!」 「ああ――俺達の力を、見せてやろうぜ!」 暗闇に道筋をつけるようにルアとジース、双子の戦士が躍動する。 「戦場の先陣を切って仲間を鼓舞する花舞子(ネモフィラ)の歌を届けるの!」 自身だけでは無く、仲間を奮い立たせ、その能力を引き出すルアの戦い振りはまさに華麗の一言だ。 姉の刃が切り裂いた敵を、すかさずジースが追撃する。見事な連携攻撃は双子ならではの息の合い方を見せ、影を次々と駆逐していく。 「誇りのハルバードは折れねぇ! 今も、ずっと――これからも!」 「こう言ったら変な話になるけれど、何だか妬ける位だね」 『双子らしい双子』に仮面の下で目を細めたスケキヨが冗句めいた。 鉄火場においても二人は完璧に互いを信頼し合い、その背を互いにカバーしている。 だが、『切り込み屋』でなかったとしてもスケキヨの戦いもそれに比して劣るようなものではない。 ルアは愛しいスケキヨを背負って戦い、スケキヨはルアを狙う危険を次々と手にし花蜘蛛で墜としていく。 「悪い魔女の野望を阻止してハッピーエンド。お伽噺の定番だね。悪趣味なフェアリーテールを終わらせなくては」 振り向いたルアに頷いたスケキヨの心中には恐怖がある。だが、彼のペルソナは辛うじてそれを隠してくれた。古今東西、好きな女の前で格好つけたくならない男はいないものだから。 「最終決戦か! 燃えてくるよなっ! 世界の終焉とかなんかチョーカッコいいけど、それを止める俺らってヒーローなんじゃね?」 暗闇に鮮花を瞬かせる蒐の武闘が影を散らした。 「懸命にヒーローしようぜ、兎に角――全力で!」 蒐に打たれた影の獣が手強い彼を迂回して後衛へと喰らいつかんとした。 打たれ弱い後衛は後方に配置するのが戦闘の定石だが、極度の物量差は戦場に安全地帯を用意しないのは当然だ。 但しこの場合――堂前弓弦、葛葉牡丹の守るその領域を除いての話になる。 「可能な限り……この身、果てるまで食い止めましょう」 傷付いた弓弦はその美貌を歪めながらも、影獣を振り払う。 「この命に価値があるとすれば、他の命を守ることだ。命の盾に成ることだ」 あくまで不敵に。何でもない事のように牡丹は至上の覚悟を口にした。 「世界が滅ぶなんて言われても浮き草の様に生きている俺にはどうすることも出来ない。 ただ、どうにかする事が出来る奴らを、この先に送る事の手伝いぐらいは出来るだろう」 淡々と、彼の言葉には一つの嘘も誤魔化しも無い。 「俺の人生は他人に使われる為にあった。 ならば、最期ぐらい自身の思う、使い方をしても良いだろう。 他人に使われたからじゃない。自分の意志で、己の命を――これは、俺の戦いだ!」 「本当を言えば死ぬのは怖いです。けれど、私は折れません」 弓弦のそれは、半ば自分にも言い聞かせるような言葉であった。 「折れれば私が自分を許せなくなる。誰が何を言おうと私は自分が折れた事を自覚してしまう。 だったら、この命尽きるまで――私は私に誠実でありたい!」 「俺たちが道を作る。一本でどれだけあくかわからないけれど。 次につなげるために。この世界もみんなも渡しはしない。 必ず守ってみせる。そのために――そのために、俺はここにいる!」 裂帛の気合の込められたレンの『赤い月』が魔性の輝きで影達を焼き尽くす。 ――僕は歌う。 奏でよう、癒しの旋律を。 七つの歌を、世界の奇跡の一端を。 遥かに届け、何処までも届け、この祈りの歌声よ―― 七瀬の清涼な祝詞(うた)が神秘の力を帯びて、賦活の風を駆け抜けさせた。 革醒者達の――取り分けアークのリベリスタ達の奮迅は美しく、強かで、何より見事なものだった。 一個一個は脆い存在に過ぎない影達は、闇を切り裂くリベリスタ達の勢いにその実力では抗し得ない。 だが、ベストを尽くせば全てが上手くいくなら、それはNight Mare足り得ない。 絶望はあくまで絶望。目の前に立ちはだかる壁は、伝承歌(サーガ)程は優しくない。 「苦しみは無限であらゆる形をとる。痛みの絶対値は不変。 故に。強き者と弱き者の差は耐え得るか否かとの一点に集約される――」 目の前に広がる悪夢的な風景に明日香は冷然とその目を細めていた。 「――なら話は簡単にゃ。あんたはただ、弱かっただけにゃ」 無数にしか見えない影達は次から次へと増えていく。その穢れはかつて只の村娘を魔女へと変えた絶望なのだろうか。アシュレイの心象風景をより正しく映しているかのように。空間に、世界に染み出て――果敢なる突撃を果たした革醒者達を飲み込まんとしていた。 鮮烈な光は闇を切り裂くものだ。しかし、夜に伸びる光芒は頼りない糸に過ぎまい。光はやがて闇に呑まれて消えるものだ。『閉じない穴』が絶望が作り出した底なし沼(ブラックホール)だとするならば、その出口は何処にあると言うのだろうか? 「……もう少し八つ当たりする相手は選んで欲しいけど……」 暑くもないのに肌に浮く汗に、智夫は小さく頭を振った。 彼の紡ぐ賦活の力は、長丁場を余儀なくされる闇の中の命綱だ。 孤立は危険。しかし、物量差は否めない。何処まで耐えられるかも暗中霧中。されど。 「でも、やれる事を――少しでも多くの人を突破させる以外に無いよね」 単純な話なのだ。逃げても、しくじっても待つのが消滅ならば、やれる事をやり抜くのみ。 背水に追い詰められたからこそ運命(フェイト)を抱く者達は強くなれる。 影の猛威が革醒者達を脅かす。 「――っ」 息を呑んだのはつづらも同じ。 「初めまして斑雲様。フランシスカの妹でリリウム・ヘリックスと申します」 だが、彼女の危機は槍を構えたリリウムが早晩に打ち払った。 「姉から貴女の事は伺っております。勝手ながら援護させていただきますね」 「ありがとう」と応じたつづらにリリウムは微笑む。実に美しく。 「ええ、余裕無くても。精一杯でも。余裕ぶって前を見つづけていた方が、リベリスタらしいですよね」 迫る影を陰陽・極縛陣で堰き止めて、嘯いたつづらは力を振るうリリウムと同じように――微かに笑った。 (どんなに苦しくても、前を見続ける事ができる――それがアークのリベリスタだと信じていますから) 姉が託してくれた命。因子の解析に取り組んでくれた六道の博士。 W00から解放してくれた幹部。様々な事を悟らせてくれた、アークのリベリスタ達。 自身一つを例にとっても、やはり色々有り過ぎた。 物語の結末は知らねど、全て無かったことにするのは、余りに惜しいというものではないか! 寄せては返す波のように敵の猛威が押し寄せる。個々の力は大きいもので無かったとしても――暴力そのものの数は決死の露払いとして道を切り開くリベリスタ達を覆い尽くそうとその勢力圏を強めていた。 「この先は――任せて、俺は俺の腕で全力を尽くす!」 吠えて敵を蹴散らした守夜が、スコットランド・ヤードのリベリスタ諸共、喰らいついた無数の影に地面へと引き倒された。 救援をしようにも敵の数はリベリスタ側の自由を容易に阻んだ。 局地的に次々と訪れる危機は「まだ本気出す時じゃない」と嘯いていた小梢、 「僕は、絶対に、倒れない!」 そのバランス感覚で幾度の死線さえ乗り越えてきた零児さえ、無慈悲なる闇の顎に飲み込んでいる。 だが――リベリスタ達の意思は折れない。 誰が倒れようとも、自身が倒れようとも。足を止めれば結末は一つだ。 クロスロード・パラドクスで先代が為した覚悟と同質のそれを、最後の審判は戦士達に求めている。 痛いだろう。 苦しいだろう。 されど、それがこの戦いなのだろう。 そんな折れない彼等だからこそ照らし、称賛した光は彼等にとって見た事があるものだった。 ――さあ、俺様が命じるぜ! 一直線に影を薙ぎ斬った光槍は文字通りの神威である。 その出力は『彼』にしては随分と控え目なものだったが――リベリスタからすればこの登場は期待通りで期待以上だ。 「ったく――人が本気で寝込んでる時にうるせぇな」 聞いた事のある声の持ち主は、たっぷりの勿体をつけて現れた。 最後にして最大の決戦、それも熾烈を極める戦況を何より楽しんでいるかのように。 彼の――キース・ソロモンの目は赤く、赤く染まっていた。 「はふぁっ、キースだ、キースだ!」 目を見開いたアナスタシアが驚きの声を上げた。 ウィルモフ・ペリーシュとの対決以来姿を眩ませていた彼はアークとは久し振りになる。 「ま、やる気に満ち溢れてるみたいだから心配いらないだろうケド……」 フィクサードでありながら、アークとは友情にも似た関係を結んでいた彼の安否はリベリスタも気にする所だったのだが…… 「キースさん! 九月ぶりですね! 私も、あれからもうちょっとだけ強くなったんですよ?」 「うわ、何だオマエ。いきなり――」 「――いきなりですけど、大好きです! 私もまだまだ強くならないといけないけど、お付き合いしたいなっ! 数百年は飽きさせませんよ。今がダメでも、時間はたっぷりありますから!」 「……何だか知らねぇけど、待たせたみたいで悪かったな?」 ……キースさえ面食らわせるせおりにとってこの情報と登場は『気になる』のレベルを遥か彼方に置き去りにする重大事であろう。 「初めまして、魔神王。星川天音よ」 「アマ……ネ? オマエ、アマノじゃねぇのか」 肩を竦めた天音は、姉が拘っていた男が、同じように姉に拘っていた事を短いやり取りで理解した。 「……細かい話は後でね。でも、きっとお姉ちゃ……姉さんは待ってるって伝えたくてね。 貴方の事は心残りだったはずだから……ま、これ以上は機会があればって事で」 どの道、世界がなくなってしまえばどんな約束も期待も叶うまい。 「遅いんだよ」 「まだ本調子じゃないんだから無理しないでね。この戦いが終わったら、聞きたい事もあるんだから――」 例えば好きな女性が居るのか、とか。彼を歌うなら、彼を知る事は大切なファクターになる。 「『レベル上げ』の途中だけど、よ。精々雑魚の露払い位はしてみせるぜ」 気安く声をかけた影継と心配気に言ったアンジェリカに、キースは不敵に笑って応えた。 「『魔王の座』相手に魔『神』王が露払いとは、何とも豪勢なこったぜ」 殲滅式四十七粍速射砲を担ぐように構え直した影継の視線は遥か彼方でこの戦場を統括する戦乙女の一を捉えていた。 「影から逃れる術は無し――スルーズは強かったぜ。あんたはどうだ!」 影継より伸びた一撃を戦乙女の剣が切り払う。 強敵の姿を認めた互いは、場違いにもこの夜に笑っていた。 「俺達はアーク。世界を『R-TYPE』から護り抜いた先人達の屍の上に築かれた箱舟だ! 俺もまた新たな智と力を得て、もっと強い奴らと戦っていくだろう。一人の女の妄念で全部終わりにするのは看過出来んな!」 ●アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアII この世の上等な砂糖を塗り固めて作ったようなお姫様は、頭の上から降る断頭の刃に一体何を思っただろうか。 オーストリアの宮殿からやって来たとびきり魅力的で――しかし享楽的なお姫様は、酷く人懐こい人物だった事を覚えていた。 彼女は奔放で自分勝手で、時折優しかった。出自よりも『好み』で自らの傍に置く者を決め、ヴェルサイユの慣例をしばしば無視する所があった。自分が下女から友人めいた関係を作り上げる事が出来たのは――そんな彼女の性格が大きかったものと魔女は考えている。 大国という怪物をコントロールする王家と誼を結ぶ事は魔女の計画を大いに助けるものになった。五里霧中をかき分ける仕事にあては無かったし、あて自体を探すにしても公権力は小さくない助けになったからだ。 昼はサロンで時間を過ごし、夜は仮面舞踏会に現を抜かす。 魔女にとって彼の居ない世界は味気ないものに過ぎなかったが、束の間の幻影が無聊を慰めなかったとは言わない。 何時しか立場を超えた関係を築いた彼女は、お姫様の色々な話を聞くようになった。 宮廷の孤独、逼迫する政情、そしてこれからの国(フランス)の事…… 子供を抱き、幾らかの落ち着きを得た頃――自由なお姫様はひとかどの王妃の顔になった。 しかし、皮肉にも破綻の足音はその気配を隠さなくなっていた。 ――ねぇ、アシュレイ。貴女は私の味方よね? 「勿論ですよ、王妃様」。彼女は確かそう答えた筈だ、と述懐した。 何の拘束力も、何の意味も無い安請け合いだ。彼女は友人だったから――何も破滅を願っていた訳では無い。 しかし、王政から共和制へと姿を変える国において、彼女との友人関係がその役割を終えていたのは事実だった。 時代のうねりは変革を求め、魔女はその混沌こそ――好機の一つだと受け取った。 何の事は無い。魔女には新たな助けが必要だった。『国の御者は彼女ではなくても別に良かっただけだ』。 妬ける位のいい男(フェルセン)は最後の最後まで魔女の邪魔をし続けたが…… ……国境近く(ヴァレンヌ)で動きがあったと聞いた時、魔女は言った。 ――ね、言った通りだったでしょう? 彼女の金色の瞳が見つめていたのは自信と威厳に満ち、精力的な理想に燃える端正な男が立っていた。 此の世の全てを己の下に正そうとするような、傲慢な男だった。同時に――尋常ならざる資質を持った男でもあった。 ――この国は変わります。貴方様の為す、徳と正義によって。 マクシミリアン、きっと貴方様ならば叶えるのでしょう? 人形は空っぽだから良く喋る。 お姫様が何時かくれた『首飾り(ゆうじょうのあかし)』が断頭台のように喉を締めた、そんな気がしていた。 魔女を信じて受け入れた政治家がお姫様と同じ運命を辿ったのは、そう遠くない未来の出来事になる。 ●終末と未来の円舞曲II 未来への鏑矢となったリベリスタ達が決死の吶喊で影を切り開いていく。 高度な魔術的展開で歪められた空間を駆け抜けるリベリスタの数は当初よりも減っていた。 彼等は死した訳では無い。だが、危険と死さえも厭わず道を開く為、より先へより多くの戦力を届けんと奮闘しているのだ。 「世界滅亡だなんて物騒ですね~。そんなのは禁止ですよ~」 緊迫したシーンに些かそぐわぬのんびりとした声を発したユーフォリアの目が次なる敵を捉えていた。 分厚い影達の防御を駆け抜けたとしても先は長いという事か。 夜空に純白の翼をはためかせる戦乙女達はあのディーテリヒの残した傍迷惑な置き土産そのものであった。 「こうなればもはや降りかかる災厄に他ならない――ならば抗うまで」 「戦乙女よ。貴方達に名があるならば――私は同じブリュンヒルデを討ちましょう!」 暗い空を睥睨した伊吹に続き、舞姫が高らかに宣言した。 『ほう……』 一団を引っ張る先頭の戦乙女がその言葉に反応した。 『敢えて、長姉たる我――ブリュンヒルデを望むか、箱舟の戦士よ』 「戦乙女ブリュンヒルデよ、そなたの求める戦士達はここにいるぞ!」 『素晴らしい』 主人たるディーテリヒの命はアシュレイへの加勢。 されどその命令は誇り高い戦乙女に魔女と共にあれと強いるものでは無いらしい。 挑発めいた伊吹の言葉に戦乙女――ブリュンヒルデは切れ長の目を細めて歓喜した。 長い睫の遊ぶその美貌は、【ワルキューレ騎行】の戦士より受けた指名の時間に綻んでいる。 「舞りゅんも張り切ってるし、オレも頑張っちゃうよ☆ 言っとくけど、戦乙女さんだろうとオレの友達を誰一人連れて行かせはしないからね! オレが望むのはいつだってハッピーエンドだから☆」 「初めに舞姫様に出逢い、この大一番でもお傍に居る縁。全く運命とは不思議なものでございます。 ですが……皆様のお怪我……只管癒してみせましょう。最後まで、この身に宿る力の一辺までも振り絞って」 「ありがとう」 終の、シエルの言葉にブリュンヒルデを見据えた舞姫の頬は上気していた。 「シエルさん、終くん、ぶっきー…… 背中を守ってくれる人たちがいるから、わたしはただ真っ直ぐ前に進める。 戦友たちが全てを終わらせるまで立っていられれば、それでいい。この身が微塵に砕けようと、続く者たちが事を為せばいい。 たかが七百年の絶望ごときで、ここにある希望が砕けると思うな。幾億の命が生きる今この時を奪わせはしない!」 『良く――囀った! 猛スピードで降下したブリュンヒルデと猛スピードでこれを迎撃した舞姫の意地がぶつかった。 鋭く硬質の音がぶつかり合う音が響き、パワーに劣った舞姫の口からはくぐもった悲鳴が漏れたが――それまでだった。 『――ヘリヤ! フラズグズル!』 『分かっている!』 ブリュンヒルデの号令を受けた戦乙女達が空を旋回した。 「こんな口調でも高速戦闘のソードミラージュですからね~」 アークエンジェの翼で夜へ飛び上がったユーフォリアは降下してくる次の戦乙女を迎え撃つ構えを見せていた。 彼女だけではない。 「昔の、ただ戦いの恐怖に震えていただけのわたしじゃないんです――やらせません!」 か細い体に凛然たる勇気を抱くゼフィも、 「敵も、なんだかもの凄く強そうですけど……彼氏が出来るまで死ぬつもりは無いですからねっ!」 気合を入れ直したイスタルテも、 「世界の運命を左右する、泣いても笑っても、最後の決戦だ――どうせ最後なら、笑って終わりたいよな」 戦いにより磨き上げられた侠気をその精悍な表情に隠さない義弘も、 「派手に世界を終わらそうだなんて困るゥー! だって明日はみたいテレビがあるんだから、今終わられちゃうと困るゥ!」 「……まいには小難しいことはわかりません、けど家族のために全力で戦いますね。 大人になれたら、まいにもアシュレイの気持ちがわかるようになるでしょうか」 体をくねらせて大いに状況に抗議する忌避、小さく咳払いしてそう呟いた妹も、 「ウチなー、これ終わったら家族で旅行とか行ってみたいわ。 生きて帰るなんて当たり前やん? まだまだ死ぬわけにはいかんのや――やりたい事一杯あるし」 「ああ。きっと、行こう。勝とう、そして生きよう。この暖かい世界を――場所を守ろう」 「指揮と支援は任せとけ」と胸を張る麻奈も、【女末】の三人を、そして周囲の仲間達をクェーサーの戦闘教条で高ぶらせた幸蓮も、 「ま、別にあの女の事などよく知らないし知る気もないけどね。駄々っ子のしょうもない駄々で世界消滅なんぞ真っ平ごめんよ」 至極まっとうに「結論、付き合ってられるか」と切り捨てたフランシスカにしても同じ事だ。 誰もが『凶悪な障害』程度、その想定の内に置いている。 最大の障壁であろうアシュレイとその切り札、『閉じない穴』を前に【中核戦力対応】として動く事を決めていた多数のリベリスタ達が――【露払い】として無数の影を食い止めた仲間達と同じく、この瞬間に腕をぶしていた。 「ナユタ、今日は兄ちゃんの強さを見せてやるからな」 「うん、頑張ろうね。にーちゃん」 迫り来る敵に怯まず、一歩も退かず――モヨタとナユタ、鯨塚の兄弟はこの場の覚悟を決めている。 「新しい友達もできたし、いなくなってた父ちゃんにもまた会えた……それを全部なかったことになんてさせてたまるかよ!」 「そうだよ。そうだよね、にーちゃん。 オレはたくさんの仲間に囲まれて幸せだったし……おいしいモンブランも食べられたし。 それに、三高平にはキレイなお姉さんがいっぱいいるし……こほん。 兎に角、オレたちの未来――絶対、絶対守り抜こうね!」 「――此処が本当の正念場です。 負ける事は許されない……いえ、許しません。 皆さん、勝ちに往きますよ。闇に覆われた今日を殺し、希望に満ちた明日を迎える、その為に!」 死地で聞く戦奏(ミリィ)の声程頼もしいものが他にあろうか。 「我々は、闇を切り裂く神槍の如く!」 高らかな凱歌の如きミリィの号令に【グングニル】の面々が応じた。 「負ける事など出来ぬ。引くことなど出来ぬ。 この力、この技――我が正義にかけて。全ての邪悪なる野望を打ち砕く!」 「シャイセ! 下らない! 彼奴等に、目にもの見せてやる! 食らえ! フレアバースト!」 臣が敵へと斬り込めば、アウィーネが己が持ち得る全てをかけて敵陣を赤い炎に包んだ。 「赤い月はスルトの火ですかヴァルキリー! これがラグナロクのつもりなら、間違いです!」 全身に力を漲らせ、その瞳を強敵との対決に輝かせたイーリスは歪夜にも何の気負いもしていない。 「なぜならば! なんと! 終末の日にはさせないからです! 相手にとって不足なし! つまり! ぶっこめー!」 「――チェストォォオオッ!!!」 猛烈な勢いの神槍に受けに回った戦乙女が苦笑う。 しかし、敵の猛威に何処か嬉しそうなのは――彼女がヴァルキリーであるからなのだろう。 「何とまぁ、派手な」 「普段通り……言い方によっちゃ、『日常で非日常を押し退ける』ともね」 「そうだね」 寿々貴に頷いたフランシスカが手にした愛用の得物は、今や彼女の代名詞。 暴れ足りなかった誰かさん――二人分の破壊力を乗せれば、そう易々と劣るものかと。誰にも劣らぬ自負がある。 「さぁ、黒い風車のお通りだ! 邪魔するなら容赦はしないぜ! すずきさん、しっかりついておいでよ!」 「さてフランちゃんや、ガンガン突っ込んでかっ飛ばしていこー。 後ろは任せてくれていいよ。即死しなけりゃいくらでも癒しつづけてみせるから」 「縁起でもない!」 アヴァラブレイカーを大振りに構えたフランシスカは冗句めいた寿々貴の言葉を笑い飛ばしたが、その表情は精悍に獰猛だ。 何が来ようと薙ぎ払うのみ。立ち塞がる敵は片っ端から粉砕してやるのみ――今夜の黒風車は敵を滅ぼすまで止まる気が無い。 「世界の為に命を懸ける、それが正義だなんて言わない。 だが、たとえどんな正当な理由があったとしても、たった一人の為に世界まで滅ぼされてたまるかよ!」 「そういう事」 吠えて攻勢を繰り出さんとした義弘に応えるように頷いた涼は、自身に向けられた戦乙女の刃を睥睨して言った。 「大なり小なり思い通りにならないものを抱えてて。 それを飲み込んで折り合いをつけて生きていくのが人間なんだよ。 だがまあ――っつって、そんなことを言って説得されるようなら最初からやってねぇよな」 鋭く鋼を噛み合わせ、一合二合と打ち合った彼の言葉は戦乙女にではなくその後ろのアシュレイに向いている。 言い換えれば、今は亡き――彼女達への主人へと向いていた。 「同時に――止まるような奴なら、盟主サンは頼まない。そうだろ?」 『……然り。だが、この戦士は御喋りだな』 「性分でね。だが、出し惜しみは無しで行く」 肩を竦めた涼の髪の毛を戦乙女の刃が斬り散らした。 「どっちみち言えるのは――凡人には理解できない崇高な云々は、俺の許容の外って事だぜ」 「敢えて言うぞ」と告げた涼は、その全力を以て敵に『正義』を突きつける。 「無罪であれ潔白であれ――断罪するのはこの俺だ。この世界の未来の為に速やかに死ね」 空襲と称するべき戦乙女達の猛撃は一流の革醒者であろうとも容易に死地へ追い込む威力を持っている。 アシュレイの護衛を除いた五人の戦乙女に率いられた敵中核戦力は、エリューションやアザーバイドを中心とした大戦力である。 だが、これで怯めば負けは必定。 「こんにゃろめ」 一張羅(アイドル・コスチューム)に身を包んだ明奈がガチンと得物を鳴らしてみせた。 「ちょっとやそっとじゃ倒れないワタシのしつこさを思い知れ! このアイドルのラストステージ――目にもの(アキナ・ドラマティカ)見せてやる!」 「引退はしないけど」と付け加えた明奈に「そうだよね、白石部員!」と瞳を輝かせたのは言うまでも無く美月である。 「うん、やる事は何時もと一緒。そうだよね……僕達は変わらず、僕達に出来る事をすれば……」 「うおりゃあああああああ!!!」 「――って白石部員何時に無くムチャしてるー!? どうしてそんなにアグレッシブなの!?」 飛び出した明奈に慌てて援護役の美月が続く。 「アークリベリオンとしての力。今、発揮せねばいつ発揮するのか。 私の名に篭められた意味。畝傍とは、火がうねる事――烈火の如き戦ぶりを示して見せましょう!」 高らかに宣言した畝傍が負けじと敵陣に飛び込み、己にその注意を集めた。 例え今ここで燃え尽きたとしても、これまでがそうであったように紡がれていくものがあると信じて。 芯があるから戦えるとするならば――リベリスタ達には確かに寄る辺があった。今も、昔も。十五年前も、遥かな過去も。 「日ノ本に生まれた男児たるもの、ご先祖様が誇れる子孫である為に!」 「相変わらず派手に飛ばしてんなぁ、バロックナイツも、あんたらも」 我が身惜しまぬ明奈や畝傍の戦いを見たソウシは呆れたように肩を竦めた。 「ま、『夢魔』にアークを手伝ってやる義理はないが、世界の破滅と言われりゃ来ない訳にもいかねぇさ。 ――『午前二時の黒兎(ナイトメア・イン・ザ・ナイト)』、行くぜっ!」 言葉とは裏腹にソウシはマレファルの銘を持つ曲刀を手に――戦場を踊る。 これまでがそうであったのと同じように、今回も。 「文字通り世界を護るなんざ、リベリスタもフィクサードもないお祭りだろう? 面倒な女の相手は胸焼けするが――あんたらは、ちゃちゃっといって格好をつけてくるといいさ!」 ……本当の所を言えば、ソウシはアークが嫌いではない。 「今なら世界ってのを救える追加報酬もあるぜ! オレもお前らも。鉄火場が無ぇと稼げねぇが、地球っつう賭場が無くなる所だ。 ……でねぇと、オレ達はお前らを蹂躙しねぇとならねえ!」 「良いのか? 盟主は死んで、既にアシュレイは世界の崩壊までのカウントダウンに入ってる。 七派の首領が俺達と戦線を張ってるのもそういう理由があるからだ――」 一部にはウィリアムや劫が説得に努めんとするフィクサードの姿も見えるが、そう多い数ではない。 「知ってるけど、黒歌、それも音楽だと思います。 美しいか醜いかって言えば、醜いけど美しい。美しいから醜い。どっちなのかしら」 ついでに言うならば――応じた鴉黒歌(ネクロマンサー)のように、話し合って通じないタイプも少なくない。 (ネクロマンサー……!) 幸蓮が、【女末】の面々が鴉黒歌を確認する。 「おねえさん、もしかして楽団の人なのだ?」 「……そうね。音楽を奏でるのも嫌いじゃないし」 「歌うことと人を殺すこと、どっちが好きですか?」 「――まぁ、後者は別に好きでもないんだけど」 チコ―リアは鴉黒歌を相手にしても彼女を裏返す事を諦めてはいなかったが…… 少なくとも彼女は、チコ―リアが良く知る楽団員――クルトのような比較的『まとも』な人間とは別物だ。 「影繰りは専門じゃないけれど――情念の欠片なら、思念体と似たようなものかしら!」 この戦場において、やはり彼女は特別に厄介だ。とはいえ、彼女も十分に自身の立ち位置には注意を払っている様子ではあったが。 魔術的な召喚生物等が多い分、フィクサード等に比すれば頭の方では回らない連中も多いが、単純戦闘力はその比ではないと言えるだろうか。無論、数が最大の暴威だった影達とも又違う。時間を稼がせるものかと先を急ぐ革醒者達の最大戦力を妨害する形で彼等は次々と襲い掛かってくる。 「些か不躾かも知れませんが――状況が状況ですので手短に」 道着を着込んだ角刈りの巨漢――異常なまでの威圧を纏う六道羅刹に声をかけたのはあばただった。 視線をやらず、気配だけで応じた彼にあばたは一方的に言葉を続けた。 「比べっこしましょう。あなたの求める道と、わたしの欲するエンディング、そして魔女の望む破滅と。 技を比べあい、学び、高め合いましょう。この鉄火場ではそれが一番合理的な『道』ですから。 異なる道でも逢瀬は楽し。何より『この世界』では『語られない者』はいないのと同じ。 だから出番をくれてやる、六道の頭首どの!」 「それが主の道か」 「そうですとも!」 あばたは笑った。 「おやおや、絢爛豪華な惨劇です。此の馬鹿げた終焉も『コール』ですかね」 冗句めいたクリムはこの戦いを『聖戦』と称した。 今夜の何処にも聖なるかな等無い事を確かに理解しながら――呉越同舟の鉄火場をあくまで涼しく楽しんでいる。 「コラコラ、アークの面々には手を出さないで頂きたい。アークの方々の鋭い瞳は死を連想させてくれるのでゾクゾクするんですから!」 「例えばここに到る全てが預言書に記されてあったとしてだ――これが進むその道はこれの選択の結果に過ぎん」 ならば、と惟は手にした黒銀の剣(ベルセフォネ)を敵影目掛けて振り抜いた。 技の冴えは見事。刹那、惟の技量の限界のその上を行く。不意に戦乙女の鎧を掻いた一撃に美しい女の顔が息を呑む。 「空の支配者であろうとも――この剣が届くならば、一時でも理想に手が届くならば、死中に活も見い出せよう」 「ここは――何とか支えます。先を――!」 どれだけ怖くても――逃げる選択肢だけは持ち合わせない、デウス・エクス・マキナを展開した真人が声を張る。 「たかが足止めであろうとも、これ程の局面であれば望外だな」 そんな真人への敵を阻むように立ったカインが口の端を歪めていた。 「今、この場に戦う多くの英雄達の為になるならば」 卑下では無く、彼は己を英雄とは思わない。但し、貴族の誇りばかりは一時も忘れた事は無かった。 「あの女の考えなんざ知ンねェ。オレはヤベェヤツと闘り合えりゃイイ。 そういう意味じゃ、今夜はマジでテンション上がるってヤツだ!」 こんな状況にも嬉々として――瞳を輝かせるコヨーテには、最悪のステージも戦乙女も御馳走にしか映っていない。 「覚悟しとけよ。オレは……生き残るし、勝つッ!」 「――陽乃羽刃切、色鮮やかに、艶やかに」 サマエルのその動きは言葉と同じく軽やかにして流麗だった。 淀み無い動作で魔獣達を切り裂く彼女は茫洋とした調子で嘯いた。 「世界が終わる? おかしいな……僕の本にはまだまだ続きがあるんだけど。 ……ああ、もしかすると、こういうことかな」 ――記載者の名において、きみの署名を省く。 そして、世界に、きみの署名を省く―― (あの日から心は凍りついて動かないのに――怒りだ。 怒りだけがこの胸の中で燃え続けている。消してみせろ、この火を――炎を!) 酷く客観的に敵を見つめ、当事者でありながら観測者でもあったサマエルの一方で、アイカの戦いはまるで燃え盛る烈火のようだった。 フィクサードは己が都合で世界を侵せる者だと言う。アイカにとってはそれは何よりも唾棄すべき者だ。 くだらなく、無価値で、何の意味も無い――身勝手で続くはずだった日常を壊し、誰かの夢を歪めて、笑顔を奪う『悪』が許せない。 彼女を阻んだフィクサードの一が月のミゼリコルデの一刺しで地面に激しく転がった。 体重ごと浴びせかけるようにして倒れたアイカはすぐに起き上がり、返り血も拭わずに叫んだ。 「許すものか! 許すものか! お前たちを、『悪』をッ! 悪は全てこの手で、滅ぼしてやる!」 加速的に広がる乱戦、激戦の様相は彼我の双方に大きな被害を出し始めていた。 どれ程、水も漏らさぬ程に注意を払った所で――大軍と大軍がぶつかり合えば、その犠牲は否めない。 アークのリベリスタと比して戦闘力に優れぬ海外のリベリスタや、一部のフィクサード等が濁流のような敵の猛攻に呑まれている。強い運命の加護を受け、不滅の意志を湛えるアークのリベリスタは一層の奮闘を見せたが、危機的状況にあるのは彼等とて例外では無かった。 フェーズ4を数えるエリューションは戦場でも特筆するべき戦力だ。 一瞬の油断を見せたクリスが『彼』の放った肉の鞭に斬り払われた。 防御の姿勢を取れなかった事を割引いて考えても、その威力がどれ程のものかは改めて語るまでも無いだろう。 かつての化け物めいたフォルムを再び脱ぎ捨てた『彼』は何処までも空虚にそこに在った。 「キミが八巻君ですね。わたくし鎖蓮と申します」 『彼』は目玉だけを動かして黒を見た。 一見すれば平静。だが、内部でとぐろを巻くのは運命への強い呪いばかりだ。 「貴方はは世界と共に滅ぶべきでも、私達に倒されるべきでもありません。分かりますか」 「どうだかな」と脩平は自嘲した。 「結局――『どちらを優先するか』なんだろう?」 「ええ、きっと最初からそういう事だった」 当を得ない『彼』の言葉に応じたのは『旧知』の女だ。 因縁浅からぬ彩歌の事は、流石にハッキリと覚えていたのか彼の顔に諦念にも似た薄笑いが張り付いていた。 「つくづく、面倒見がいいんだな」 「……あの馬鹿を笑えないわね。私も」 彩歌は似た表情で言葉に応じた。 「土壇場で自分の望みを優先してしまったから。八巻脩平、ただ、残酷な事実を伝えに来たわ」 リベリスタがその活動の中でノーフェイスに堕ちる事はそう珍しい事例では無い。だが、フェーズ4を数えるほどまで強かに執念深く生き残った事例は殆ど無い例外だ。『かつては熱心にリベリスタ活動をしていた彼は、故にこそ生まれた自己矛盾で怪物に変わったのだ』。 生きようと――在り続けようとする願いと、それを許さない秩序。 生命体とリベリスタの間に横たわる欺瞞と矛盾は単純善悪で語れる領域を遥かな後方に置き去りにしている。 「良いね良いね盛り上がってきたね。因縁の宿敵なんかも現れれば――いよいよ、世界を救う為の戦いって感じじゃないか」 「イシュさま、これが終わったら、宜しければ……ですが、どこかにのんびり気分転換とか如何でしょう」 「そうか。それはいいな。僕もたまにはゆっくりしたいからね」 惚けた調子でアガーテに、 「えっとぉ……とりあえず、リリスもお手伝い……すれば良いのかなぁ……?」 「そうそう。どうせ周りは皆悪党だよ。問題ない」 リリスに応じたイシュフェーンはこんな時であろうとも何ら己のペースを崩さない。 「どれ、僕も微力ながら一つ世界を救ってみせようじゃないか。 鎖蓮君、君が何を考えているかは僕が知る由もない、が――君もそれでいいんだろう?」 極技神謀を有するイシュフェーンは部隊の指揮官役だ。水を向けられた黒は何を考えているのか微笑むだけ。 「流石にラスト・ステージだなぁ」 フツは朱槍を杖のように地面について「フゥ」と一つ大きな息を吐き出した。 気楽な会話のその瞬間にも首筋を死が掠めているかのような緊張感が張りつめていた。 「Lastって言葉には、『最上の』『この上ない』って意味があるんだってな。そういう意味じゃ似合いの場所に相手だが……」 縦横無尽に戦場で躍動する彼の息は上がっている。だがその意気は尚更に軒昂だ。 「……最上も、最高も更新していくものだよな。オレ達の戦いはまだまだ続く。戦いが終わったらライブもしないといけないしな」 嘯くフツの首筋を冷たい汗が流れ落ちた 圧倒的に強いが何処か騎士道めいた戦乙女達よりも、目の前の脩平は禍々しいものに見えた。 少なくとも殺意を抱かず戦う彼女等よりも、彼が危険である事は間違い無いように思えていた。 【素敵過ぎる俺ら】の面々はその戦力を集め、目の前に生じたこの鬼札の一枚を封じ込めんと動き始めていた。 戦い慣れた彼等は周囲の戦力と連携して脩平を抑えんと猛攻を加え始めた。 そこには引導を渡さんとする彩歌の―― (あなたの願いと呪いが世界に刻まれるほどに、リベリスタは自分の内にあるものと向き合わなくてはいけなくて。 あなたの後悔が胸を苛むからリベリスタは後悔しないように決断しないといけなくて。 ねえ、あなたのいまがリベリスタ(わたし)を動かして、確かに救われた人はいるはずなんだ。 だから、あなたはもう後悔しなくていいんだ。ただずっと、それだけが伝えたかった) ――最後の最後で『自分の都合を優先させた』彼女の確かな強さと優しさがあって。 「八巻君。わたくし達にはやることがある筈です!」 朽ちても、果てても――少女への小さな想いを胸に秘めたまま、今身命を捨ててもこの局面を破らんとする黒の覚悟があった。 「ここで散るリベリスタはキミだけではない――これは、『ただ二人のリベリスタ』が世界を救う為に命を散らすという、ただそれだけの物語です!」 到底敵わぬ敵に黒の一撃が炸裂した時、運命は回転し――厳かに決められた宿命を描き出すのだろう。 死戦は何処までも加速していく。 「等しく敵だ! 俺達の、見え始めた未来……邪魔するんならブチ砕く!」 この状況に到っても事情も把握出来ずに滅びに加担する者達も、全てを分かっていながら引き金を引く女も。 確かな幸せをその手に掴み、今を生き抜こうとするカルラにとっては――害悪でしかない。 復讐が何も生まない等という台詞を他ならぬ彼が吐く事は出来ない。しかし…… 「背中は任せて下さい。全力で支援します!」 共にこの死地に立つ大切な――誰より大切な壱和の為にも力を尽くさない訳にはいかなかった。 (ボクは守られるだけじゃない。守るために戦います――!) カルラを迎え撃たんとした敵の一団を壱和の放った四神・玄武抑えつけた。 吠えたカルラのストームスタンピートが併せてこれを制圧せんと荒れ狂う。 だが――敵側の苛烈な反撃が彼の体を無数に貫き、壱和の悲鳴じみた叫び声が世界を揺らす。 「ずいぶん、体が軽くなったけど――まだ、引き下がる訳にはいかないな」 荒い呼吸に胸を揺らした涼子は気付けば傷だらけだった。 誰よりも果敢で、誰よりも激しく――『暴れる』彼女は、今夜こそ手の付けられない存在になる。 (憎しみに恨み、悲しみ……言葉にならない何か。 『あらゆるわたし』が言っている。拳を握れ、膝を屈するな、それが生きることだって――) 幾度目か繰り出された武闘が集る魔獣を薙ぎ払う。戦乙女の威圧を跳ね返し、フィクサードを地面へと叩き付けた。 全身を朱に染めた涼子の立ち姿は壮絶で、それでも彼女は自分を省みる暇を持ち合わせてはいなかった。 (……どこにでもいるような絶望した女は、わたしにも殺せるかもしれないけど…… 今のわたしには、その絶望を殺すことは、きっとできない) だから。 ――だから行きなよ。ヒーロー。運命なんて、ただの言葉でしかないって、この世界に見せて―― 最後の言葉は声にならない涼子の想い。限界を超えた体が赤い血溜りに崩れ落ちた。 この世界には、きっと――誰もが望むハッピー・エンドなくて無くて。そんな事は分かっていて。 リベリスタ達はそれでも足を止めずに、愚かで残酷な未来(さき)を目指すのだ。 ●アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアIII 或る時、彼女が愛したのは果てない夢を追いかける子供のような男だった。 肉体の不老不死を余りに簡単に達成した革醒者は、その精神にさえ永遠を求めていた。 たかだか二百年と生きていないのに、やがて来る終わりに怯え、同時にその凡百の楔を酷く毛嫌いしていた。 何時かの機会に魔女は問い掛けた。 ――グレゴリー様は、どうして永遠が欲しいのです? 彼は「魔術師にとって永遠のテーマの一でしょう」と答えた。 同時に彼は「やる事はその後で探せば宜しい。どの道、たかが数百年の『人生』は味わい尽くすに不足が残る」とも言った筈だった。 革醒者の肉体は簡単に朽ちる事は無い。個人差はあるが、朽ちゆく精神さえ――人間に比べればずっと『頑丈で長持ち』だ。 『夢見る紅涙』を手に満悦そうに魔術計画を語る愛人を眺める程に、魔女は何が正しく、何が間違っているのかが分からなくなる想いだった。 グレゴリー・ラスプーチンは良人だ。 若く才気と野望に満ち溢れ、紳士的で理知的な性格も決して嫌いではない。 押しが弱くては問題だが、彼はそんな風でありながら――誰かを統べる男でもあったから申し分は無かったのだが。 ――永遠って、良いものなんですかねぇ。 ――おかしな事を言う。 ――変な事、言いましたか? ――ええ、『貴方の言葉はまるで永遠を手にした者の言い草』だ。 「そうか」と魔女は合点した。 腹の底で蟠る魔女を魔女たらしめる『永遠』は、彼女の命綱であり、罪業であり、重荷だったという事だ。 グレゴリー・ラスプーチンたる傑物が僅か三百年しか持ち得なかった時を、何故退屈な村娘が持ち合わせたか。 それは、何時までも朽ちてくれない――水底に溜まる呪いの所為以外には有り得なかった筈だった。 ――そうですね、『永遠』だったら良かったのに。 永遠に貴方を覚えていられるなら、永遠に想いが褪せないと保証してくれるなら。 魔女は言葉の後半を飲み込んで、脳裏に遠い日の男の顔を思い浮かべた。 愛しいのに、違う。愛しているのに、彼ではない。彼がどんなものだったかも――碌に覚えていないのに。 ――アシュレイ……? 何故……? 「何故」と聞かれた事は多かった。何時だって最後はそうだった。 滲んだ水彩絵の具は、本来の像を結ばずに――魔女は将来を嘱望された魔術師を裏切って、奈落の川底へ突き落したのだ。 ●終末と未来の円舞曲III 「数百年、どんな思いで居たか想像もつかない……教えてもくれなかったんだから、つく訳無い」 唇を尖らせたプレインフェザーの言葉は単純ながら恐ろしく真っ直ぐに正鵠を射抜くそれである。 「悪いけど、まだ終るつもりないし。全力で抗ってやる。大好きな人と迎える明日を、絶対に離さない」 「ああ」と喜兵は頷いた。 「其れが哀しき女の怨嗟であろうが、打ち据え、撃ち抜き、討ち果たす。 いこうかフェザー……万人の明日が為、この終極をぶっ壊しに」 「『明日』に、あたしを連れてってよ、喜平――」 歪夜の決戦が始まってから、どれ位の時間が経ったのか――体感は正確な把握を実に手酷く裏切っていた。 誰しもが疲労し、酷く消耗し、それでも。前に進んでいるのは確かだ。 【露払い】そして【中核戦力対応】――革醒者連合の大部隊に背を押された戦力は遂に無限の回廊の如き歪曲空間を突破した。 いざ、突き抜けてみればそれは余りにも呆気無い。臨界を迎え――色濃い破滅を吐き出す穴の前にその女は佇んでいた。 彼女の傍には無数の影が無い。二人の戦乙女と、強力だが少数の魔獣――空繰の盟主が在るだけだ。 (アシュレイの護りの要は……『渇望の書』と二体の戦乙女。 本人も戦えなくはないでしょうし、戦乙女も強敵とはいえ、規模として最大の障害は『渇望の書』か) 目を細めたリセリアが唇を引き結び、敵側の様子を油断なく伺っていた。 「敵として対するのは親衛隊の、アウフシュタイナー少佐達の時以来か。しかし……」 一般論で考えるならば、百近い一級の神秘的戦力に正面から抗し得る存在では無かろうが、一般論で測れる女はこんな事態を引き起こさない。他の品ならばまだしも――『渇望の書』というインテリジェンスアイテムが使用者の妄執を喰らう代物である以上、『親衛隊』にも数倍するであろうアシュレイの虚無がどんな事態を引き起こすかは――想像の外と言う他は無い。 歪夜のツキハギに満ちた『震源地』は迂闊に触れれば全ての毒を撒き散らしそうな程の悍ましき吐き気に満ちている。 故に、猛烈な勢いでこの場所へ到達したリベリスタも――この一瞬、動けない。 尤も最大限のプレッシャーを受けているのはアシュレイの側も同じ事である。 彼我の距離はそう遠くない。しかし、互いに攻撃射程まで踏み込めば『何が起きるかは不明』である。 故に、恐らくは僅かな時間になろう睨み合いは、滅びという志向とそれを回避せんとする運命の間で最後の猶予を作り出していた。 「よぉ、アシュレイ!」 場違いな程に友好的な声を投げた木蓮に魔女の金色の視線が注がれた。 「久し振りだな。試練の時やったイケてるものは持ってるか? そう言えばあの時は世話になったっけな」 木蓮に続き、困ったように壱也が言った。 「まさかこんな形で再会するなんて思ってなかった……って言ったら、多分嘘になっちゃうけど」 前置きした彼女は苦笑のままに続ける。 「こんな形で再会したくなかった、が本音。或いは何処かで――違う道もあったのかも知れないけど」 運命の綾はアシュレイにその本音を吐き出させなかった。 彼女を覆う呪いは、希望の箱舟に触れても――その軌道を変える事は無かった。それが残された事実である。 「アシュレイ、貴方はアタシ達を友達と呼んでくれたわね」 「友達が間違った事をしてたら、殴って止める。そんで仲直りだ。それが本当のハッピーエンドってもんだろ?」 「――皆さん、割と真剣に私を困らせますからねぇ」 静かな恵梨香の言葉、そして痛快なるラヴィアンの言い様に能面のような魔女の顔が微かに翳った。 言外に「例えば今も」という本音が滲んでいる。彼女の言う所の「困らせる」はアークの阻止だけに留まらないだろう。恐らくはこんな現場でさえ、自分に普通に話しかけてくる――そういった雰囲気こそを指しているのだと推測は立った。 「バカだな、アシュレイちゃん。世界を消したところで、君の過去は変わらない」 「……」 この最後の場に立った夏栖斗は過去に恋人を亡くした男でもある。 彼がこの場に――紫月と立っている事は、彼の時間が澱まず流れたという証明に他ならない。 「君が好きだった人の記憶があるのならそれは絶対に消しちゃダメなんだ。 ――僕はアシュレイちゃん、君を友達として止める。この、世界をなかったことになんかさせない」 言葉遊び幾らの意味があるかは知れなかったが――この期に及んでも夏栖斗は彼女を『倒す』とは言わなかった。 「……」 「ま、そういう組織ですから。御存知でしたでしょ、チェネザリ様も」 『チェネザリ機関』たる暗殺組織をその手に統括する枢機卿は、カラカラと笑ったセイに日頃見せないやや剣呑な視線を向けた。 セイの言う通り、何処かの組織が『お人よし』と称したアークは――『希望』を名のつく選択肢を完全に捨て去る事は無い。理屈でアシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアが止まる事は不可能である、と理解しながらも。少なくとも夏栖斗のような一部のリベリスタは、この物語に大団円があると信じている――信じたいのかも知れなかった。 それが原理主義的な『ヴァチカン』と噛み合うか、と言えばこれは大いに議論が必要になる。 「楽しかったアークでの休暇も終わり、本業に戻りますかね、と」 「行くよ、紫月」 「そうですね、このまま――終わらせる訳には参りません」 彼のその傍らで頷いた紫月は、しかし――彼とは少し違う感情を抱いていた。 それは未練だ。人が人として当然願う、明日への渇望だ。 (世界の為という建前は置いてしまいましょう。アシュレイ、私は──明日が欲しい) 己が傍らに立つ少年と、明日を歩みたいという切なる願いは隠して隠せるものではない。 「オレも復讐に手を染めた身、アシュレイちゃんの願いをとやかく言えた義理じゃない。 けどオレは願いの果てに彼女が死ぬのは真っ平なんで、こっちはこっちで勝手を通すさ」 義衛郎は「又、カレーを一緒に食べる約束、果たしてないだろう」と続け、アシュレイは「やだなあ、いい男は」と笑った。 「でもね、義衛郎様。私のは『復讐』じゃないんですよ。私のこれは、八つ当たりですから。 ええ、少し違います。誰かを恨んで、世界を恨んでって言うよりは――そうですね、こうしないと気が済まない、という訳でして」 「道化役の三文芝居に盟主殿の脚本もポンコツと来た」 「この盤面を演出したのは、ディーテリヒという事になるのでしょうね」 最高潮に肩を竦めた烏があくまで不敵にそう言えば、傍らの悠月が苦笑い交じりに言葉を返した。 「さて、幕引きは悲劇で終わるか、それとも喜劇で終わるのか。 一つだけ盟主殿に同意出来るとするなら……この世界に神の手は必要無いってこった。 如何なる結末であろうとも、始末を付けるは人の手で――ま、今夜一つとってもどういう結果になるか判らんがね」 皮肉な烏にはこの夜の着地点が見えていない。果たしてキャストは『見えている分で全てなのか』。 「今更なれば大いに推測も混ざりはしますが――彼は『貴方のその感情すら己の計算に入れていた』。 仮に貴女が代行者に適わなかったなら、かの聖槍を以て己の手で神と世界に問うていただけなのでしょうが」 「嫌な人でしたよねぇ」 悠月とアシュレイ――二人の魔術師は世間話の気楽さで、遠大なる獣の思惑を語り合う。 「『反魂』が成らないのは世界のせいだと言うのなら――成る程、そうかもしれません。 この世界において死者の魂の行末がどう定められているのか――神ならざる人の身では、魔術師と言えど解き明かしかねる真理の一つに他ならない」 「どうして『それだけダメ』なんでしょうねぇ」 曰く世界は『そういう風に造られているから』。 創造主等という存在があるのだとすれば――それを何処までも嫌っているからに違いない。 「魂の行末を語る概念の一つ、輪廻転生。 世界の消滅で終わるなら、証明に挑んで終わっても同じ。どうせなら――期待くらい抱いて死になさい」 「……人を救うって事は、どうしてこんなに難しいんだろうな」 「たまには、簡単ですよ?」 「例えば――お前が最初にそうして貰ったみたいに、か?」 エルヴィンの問いにアシュレイは「ええ」と頷いた。 (……救えることなら救いたかった。 今となっては、いや最初から。俺にできることなんて何も無かったのだけれど……) それでもエルヴィンは、そんな想いを禁じ得ない。 【夜猫】の四人は何れも――そんな彼女を油断無く見据えている。 「本当にバカな女だよな」 夜鷹の言葉にもアシュレイは「ええ」と肯定を返した。 「高慢で不遜な男に引っかかって何時迄も拗らせている…… 始まりが小さな、まっとうな願いでも。ここまで来れば――度を過ぎた八つ当たり以外の何でも無いだろ」 夜鷹は一瞬、アシュレイが叱られるのを――或いは止めてくれるのを願っているのではないか、と考えた。 だが、少なくともそれは自分の役割ではない事を理解している。翡翠夜鷹の小さな掌はあくまでレイチェル・ガーネットを守る為にある。 「それにしても、貴女も残念な方ですね」 「……?」 「別にその境遇の事を言っている訳ではありませんよ」 守られる役割の女傑(レイチェル)は、しかし強かに魔女に告げた。 「もう少しだけ冷静であれば別の手段も思いつけただろうに、という事です。 貴女も知っているはずですよ? 次元の穴、過去へと繋がる扉の事です。 原因も仕組みもわからない不確かな現象。けれど確実に存在する、その目で見た本物の奇跡。 可能性としては万が一、いえそれ以下でしょうけれど。アレを利用すれば、恋人が生きている時代に戻る事ができるかもしれないのに! 世界が滅んでは、それすらも不可能ですよね?」 「――私が、十九歳ならば縋ったでしょうね」 レイチェルに応えるアシュレイの背後で『穴』が軋んだ。 「貴女は敗北者であれど諦観などとは無縁な方だと思っていましたが。 それとも結局、貴女の夫は、貴方が今まで切り捨てた有象無象の一つでしかなかったという事ですか?」 「何時かの夏の約束通り貴女を奪いに来たのに」。そう続けた流雨の言葉が何処か切ない。 「あるかも分からない可能性を信じる時間があるならば、それは希望です。 しかし――人間の気持ちは難しい。レイチェル様、流雨様。私はね、今も、後悔はしていないんですよ。 こうなった事も、これからする事も。誰になんと謗られようとです。私はこれしか選べなかったのですから」 言葉のナイフで胸を抉ったレイチェルと流雨に「つまり」と魔女は嘆息した。 「『私こそが絶望です』」 「――アシュレイが絶望だ? ハッ! 笑わせんな! アシュレイだって希望だっただろ! 俺達を助けてくれた、予知してくれた、例え欺いていたとしても確かに希望だったときはあった! アシュレイ、お前も希望だ! 希望を彩る絶望になんかに――なるんじゃねぇよ!」 拙く、不器用に声を張り上げ――思いの丈を吐き出した俊介の言葉が届かない。 「ある種、甘い気持ちかもしれませんが――私は『この世界を護れた』だけじゃ満足出来なくて。『この世界のみんなを護れた』でありたいんです!」 癒し手たる小夜の決意は言うまでも無くアシュレイをもその内に含んだ言葉である。 そうする事が彼女にとってどれだけ残酷な事かを理解していても、譲る心算が無い。 アシュレイがそうであるのと同じように、それは理想の為に全てを捧ぐ小夜の――エゴだった。 アシュレイを中心に強烈なまでの魔力が渦巻き始めたのを一同全てが理解した。 「やれやれ、しょーもない理由で大概な事をやってくれたものですねぇ。 まぁ、貴女そのものが如何に無価値であろうと起きた事態は重大なので、本腰いれませんとねぇ」 「全宇宙はテメェなんぞに 興味ねぇんだ。 テメェの目的対象はこの場全員に必要とされ、テメエ様はやっぱり全員に否定されてる。 文字通り拒絶されて存在全消滅してけよ。ただ只管クソ垂れる位の事しか出来ねえならよ、死ね。いや、殺す」 「出来れば――直接対決はしたくありませんでしたよ。笑われるでしょうが……いや、正直を言えばね」 強烈な皮肉を含んだシィンの言葉と、悪罵を孕んだ火車の言葉をアシュレイは鼻で笑った。 「それ位言われた方がスッキリしますから。一ミリの余地も無く噛み合わない方が――私も『皆さんを敵と思える』。 それって結構――本当に有難い事だったりするんですよ?」 「さて、長い間と言うにも長過ぎる程の屈辱です。 もう苦渋ぺろぺろですよ! 何年も! 今日という今日は首置いていってもらいますからね!」 「あと!」と黎子は火車を見た。 「宮部乃宮さんは、私が絶対守ったり助けたりしますので、拒否しても駄目です。 今日の私は、スーパー黎子さんなので、何でここに居るとか言っても無駄ですからね!」 「おいおい……」 毒気を抜かれた火車が頭をボリボリと掻いた。 七百年かけても死人が生き返らないという事を証明してくれたのは、黎子にとっての僥倖だ。 逃げ道がないならば腹を括る以外の道は無い。自分の行動に責任も取れない目の前の女は――嫌になる程、自分に似ていたから。 「見せつけてくれますね、あ。いい感じにヤル気になってきたかも知れませんよ」 噴出した魔力がアシュレイの周囲に幾何学式を描き出す。彼女が胸に抱えた一冊の本の存在感が爆発的に高まったのを場の全員が理解した。まさにそれは極短い猶予の時が終わりを告げ、最後の戦いが始まる合図である。 「方舟に乗り、銃を手に取ったあの日から、私は何も変わっていない。この世界に仇なす異分子は、方舟の同胞であろうと許さない。 家族を奪われ、両足を失い、大切な人すら音沙汰知れずとなった――無慈悲な世界を呪いたくなる気持ちも分かるわ。 それでも私はこの世界の守護者なの。ノブレス・オブリージュ。持たざる人々の為、力を持った者の責任よ。 この世界に跪きなさい、アシュレイ――踏んで、魂ごと撃ち抜いてあげる!」 凛とした宣告と共にマグナムリボルバーマスケットが精密な火線を撃ち放った。 銃声(さけび)は残像を残してアシュレイの斜線に入った戦乙女に阻まれたが、彼女の号砲は自陣の士気を上げるに十分だ。 「アシュレイよ、数々の小細工を破り屍を踏み越えたわれらは氷雪のごとき寒の到来! 貴様を裏切り者の行く氷地獄ジュデッカに引きずりこむ冥府魔道の水先案内人だ!」 大仰なる宣言と共に飛び出した麗香の放った烈風が、魔女を守る戦乙女を強かなまでに取り囲む。 「うんうん、いろいろ話は聞いたけど。やっぱりボクには全部どうでもいい事だ」 真咲にとって重要なのは、今ここに『死ぬ程最悪に面倒臭い敵が居る事だけ』。 高笑いを残して「イタダキマス!」と何時もの声を上げた彼女に戦乙女の刃が迫った。 「死にたくないね……どうせなら、生きたいと望めばいいのに。 キサは生きたい。生きて夢を叶えたい――取り敢えずはそのでっかい魔方陣をぶっ壊して、今度こそフィールドワークを卒業するの!」 流石の真白智親もその実績を前には今以上の反対も出来まい。 『魔王の座』を見据え、見得を切った綺沙羅の大呪封縛鞭が意志を持っているかのように敵を追う。 「ねーねー、お姉ちゃんとどっちがおっぱい大きいかにゃー?☆」 「大事な人を殺した女に顎で使われてるんだもんなあ、怒り心頭だろう? だから沢山の不満ぶつけてこいよ。愚痴なら付き合うからもっと――幾らでも、イチャイチャしようぜッ!」 メリュジーヌの気糸が貫通力をもってアシュレイを狙い、一方で七海は道を阻む戦乙女を己が相手として一戦を仕掛けた。 「今日の私はひと味違うっ! ふふふ、メリッサおねーさんと戦うために修行してきたのですっ、ゲームでっ!」 「シーヴが修行した――というよりは、貴方にとっては全てが遊びのようですね。 何れにせよ、背中を託せるという事を――この点はアークに感謝せねばなりませんか――」 七海の動きにシーヴとメリッサのペアが続いた。 『俗物共が――』 「俗物で結構! その発想――そもそも面白く無いのよね!」 威圧を増した戦乙女にピシャリと言ったのは由香里である。 ディーテリヒが何を考えていたかは興味が無い。アシュレイの後ろ向きな思考は理解の外だ。 詰まる所――細かい事を考えるより先に、彼女の二式鉄山は目の前の理不尽を『ブン殴る』のだ。 「貴方の占いでは塔が出たんでしょう。けれど、アークはいつだって確定した未来を覆してきました」 更に由香里の動きに合わせて、素晴らしい技量を誇るセラフィーナが戦乙女に肉薄した。 「――今からでも、やり直す事はできないんですか!?」 七海から始まり、シーヴ、メリッサ――そして由香里とセラフィーナの手数は戦乙女を押し込みかけた。 だが、セラフィーナが見ているのは目の前の障害ではなく――あくまでその後ろに居る魔女だった。 「答えて下さい、アシュレイさん!」 「やり直しの利く人生はありませんよ。ゲームにはリセットがあっても、この世界にはありません。『電源を落とす事は出来るみたいですけどね』」 アシュレイの周囲を覆う魔力が急激に何かを形成し始めた。 「ファントム・レギオン――!?」 呟いたリセリアは「いや、違う」と自身の言葉を即座に打ち消した。 かつて『渇望の書』により大田重工埼玉工場で形成された大怪球は――あの『親衛隊』の妄執の形であった。 「……っ、アシュレイッ……!」 「危ない――」 思わず声を上げた恵梨香の腕を、亜婆羅が庇うように引いた。 「あ、ありがとう……」 「多分、アレは強いけど――言っとくけど、死なせないわ。 あたしの身体、骨の一欠けでも残ってる限りね! 骨禍珂珂禍!」 亜婆羅の望みは恵梨香が本懐を果たす事だ。不器用な彼女が、望みを抱えて――存分に進む事である。 亜婆羅の想いはある種、一方的なものではあったが、彼女は正真正銘それに命をかけている。 (――ほんとはね、わかってたのよ。あたしはお母さんにはなれないって) ……魔女の情念を根源にする創造は、全てを純粋な魔力で構成する文字通り呪いの球と称するに相応しい。 それは似ているようで別のものだ。『親衛隊』に並ぶ悲しみが無かったのと同じように、魔女のそれも彼女の心象――仇花なのだ。 「ルー、アタマ、ヨクナイ。ムズカシイコト、ワカンナイ。ケド、ナントナク、カナシイ……」 呟いたルーの目の前で魔力が弾けた。 ――さア、パーティの時間だぜ! 最悪の渇望を、最悪の妄執を暴食し続けた『渇望の書』は唸る程の力を見せつけたのだ。 「技のデパートとは言え、彼女を象徴する技じゃなくちゃ意味が無い。けど、これはどうにもね」 狂った世界で暴食家(おばけ)は己が道を探している、今夜さえ。 「ね。貴方は私が道を踏み外そうとしたらどうする?」 「そうですね……たとえ周りが敵となっても、貴女の手を引き、一緒に正しい道を目指しますよ」 迷い無く答えた聖にシュスタイナは「そう」と微笑んだ。 子供扱いは御免、一緒に歩いて行けるパートナーなら申し分ない。 「そこまでするのは、シュスカさんにだけですよ?」 それ以上の言葉は胸の内にだけしまって、聖は目の前の敵に集中した。 明日も知れない夜だから、共に戦える事がどれ程の勇気になるか分からなかった。 一瞬で数十メートルにも膨れた呪球は黒い瘴気に赤い呪言を奔らせて、成就を阻む全ての革醒者に敵対姿勢を取っている。 圧倒的大多数にも怯まず、動き出したアシュレイの切り札はその威力でこの場を押し切り――『魔王の座』を守り切る構え。 「本音を言えば終焉には興味が有るが、アレは結局件の盟主に手も足も出ず敗れ去った。それが結論だ」 鼻を鳴らしたフェイスレスが『村娘』を嘲り笑う。 初心な娘如きには『終焉』も『魔王の座』も『ヴァルハラ』も過ぎた玩具に違いないと。 「本当に、あの子は色々やってくれるわね」 「世界が優しくないから世界を憎む、なんだか自分を見ているみたい…… でも、世界を壊すとか……そういうのは困るけど」 「世界を滅ぼすとか悪い事だから、悪い事したあとはごめんなさいと言え! 言わす!」 嘆息した真名、悲しそうに眉根を顰めた依子に、六花がそう宣言した。 【Last Wish】はアラストールの強い――唯一つの願いを叶えんとする面々だ。 「――我は祈りに応じるもの、幻想より出で彼の妄執を断つ剣とならん」 しゃらん、と涼やかな音を立てて引き抜かれた祈りの剣は、かの魔女に巣食う呪いを断ち切る究極の幻想を望まれていた。 アラストール・ロード・ナイトオブライエンはどうしても魔女を嫌悪し切れていない。 「私も虐められてた頃、世界滅びろって思ってたけど――実行しちゃうって結構凄いかもね!」 璃莉は冗句めかして言ったが、成る程、その禍々しさは笑い飛ばしておきたくなる位には尋常では無い。 「こんな形でしか話す事が出来なかったものかよ……!」 破滅的な状況を迎えた今こそを小雷は口惜しく思っている。 そんな彼を慰めるでは無いが――口を開いたのは【茨槍】での戦いを共にする雨水だった。 「比類無き悲哀は我らを再び神に結ぶ。恰もダンテの一曲。だが絶望は虚妄だ。希望がそうであるように」 「……難しい事は兎も角ね、ありがとう。希望ってモノを見せてやりましょ」 婉曲に物を言った雨水が、殊更にストレートに言って一つウィンクした小夜香に少し罰が悪い顔をした。 何れにせよ魔女の狙いが時間を引き延ばす事なのは分かっている。ならば、求められるは速攻である。 「アシュレイ、答えて貰うぞ――!」 「恋に焦がれて鳴く蝉よりも泣かぬ蛍が身を焦がす――成る程、偶には虚妄(きぼう)に溺れるのも悪くないね」 小雷が、雨水が呪球へ肉薄せんとする。 「戦闘支援は任せて貰おう。畏れる事無く各自の判断で往きたまえ!」 「おっさん、優しいから殺してやろうな。あの時アシュレイちゃんが出来なかった事をしよう」 徨は仲間達の力をまさにこの瞬間引き上げ、腥は深淵の呼び声で敵を撃つ。 (僕も一度絶望に堕ちて、友人に救われた。 呑み友の腥さんに、妹の事で恩がある小雷くんに――面白い事言う雨水に、良い人に恵まれて……) ロアンは己が胸を打つ万感の正体を知っていた。 今、彼が願うのは唯一つ。 「――リリ、一緒に行こう」 兄(ロアン)の技と妹(リリ)の銃技があれば殺せないモノなんて一つも無い。 ならば、彼はなりたかった。『正義に踏み躙られた人の味方』に。妹のように泣く子が――現れないように! 敵陣もやられてばかりでは無い。 戦乙女は少数だが強力極まる戦力で、呪球を纏ったアシュレイのお守りから解き放たれた彼女達は縦横無尽に暴れ始めている。 一方でアシュレイも黙ってはいない。球体より噴出した瘴気が無数の槍となり、革醒者達に降り注ぐ。 「無様、惨め、愚か――そして何より『汚らわしい』」 回避力に優れない者を中心に猛攻は痛手となっていたが、呟いた葵には無縁の状況だ。 「何れにせよ、やる事は決まっております。 それが拗らせた魔女であろうと――不必要に大きな的であろうと。坊ちゃまの棲むこの世界を護る事に、予定変更はありません」 宙を駆けた葵の肢体が影と遊ぶ。上下左右から繰り出された瘴気の槍を紙一重で避けた彼女は無機質な乙女を灰塵(あるべく)へ帰すべく、オレオルの硝子を闇夜の星に煌めかせた。 理解は出来ても共感はしない――呪球に傷を刻み、鋭く呼気を吐き出した葵は内心だけで呟いた。 (わたくしならば坊ちゃまが死するその時に死んで見せます。それさえ出来ぬ弱者が強者を導く戦乙女を連れる等皮肉にも程がある) 戦いに自陣が傷めば、癒し手達の戦いも正念場へと姿を変えていた。 (一緒の時間は幸せで……離れている時は不安だった。 今あの人は他の人と……距離をとってみたけど、あの人はいつもと変わらない。さみしくなった。 けれど、世界が……大事な場所が無くなる。それを知った時あたしは自分の気持ちを確信したです) 命をかけて守らねば。 これまでの時間を、歴史を、想いを嘘にしない為に。 ――もし無事に戻れたら、奥さんにして貰うですからね―― 答えを聞かないで言い逃げしたその言葉がそあらに大きな力を与える。 敢えての厳しい戦場、敢えての厳しい戦い。 他人を『奪う』一途が間違っているのなら、魔女には教えてやらねばなるまい。 「運命を、燃やし尽くしても!」 「奇跡よ、あれ」 「倒させません――!」 「――術式、贖う羊のグロリア!」 小夜香が、小夜が、そして光介が――癒し手達が力を尽くす。 「赦しを求めて彷徨うボクは……まだまだ大嫌いなこの世界で、もがき、償いたいのですよ……!」 全てを消滅させる『贖罪』なんて要らない、と光介は強くその気を吐き出した。 「勝手に世界を消されては困る。いま為し得る最大の贖いで、癒しで、その意志を知らしめましょう!」 暴れ始めた呪球に攻勢を仕掛けるのは、全戦力だ。 癒し手達が戦線を支える間にも革醒者達の攻勢は大呪球を――アシュレイを脅かさんと闇に軌跡を刻んでいく。 「話を聞いただけだと塔を引く理由が無いんだけど――もしかして、純粋に運が悪かったんじゃ」 離為より伸びた殺意の糸が呪球を表面を削ぎ落とす。 「いいねえ、いいねえ!」 狂喜したかのような声を上げたのは陽子だ。 「こう言う後が無い勝負がしたくてアークに来たんだ! 生きるか死ぬか――上等じゃねーか。 世界の存亡を賭けた大一番、燃えるじゃねーか! ここまで命を賭けるのに向いた勝負はそうそうねーだろ!」 我が身の安全をまるで顧みず、猛烈なまでの攻め手を重ねた彼女は叫ぶ。 「さあ、もっと来い。もっと来いよ、死の舞踏を楽しもうじゃねーか!」 アラストールはアシュレイを救わんと、葵はその生き様を否定せんと、陽子はこの時間を楽しみ―― 「フ……リベリスタやフィクサード揃い踏みか。中々楽しいパーティーになるではないか!」 「久しく戦場を離れていたが……腕は些か鈍れど、我の王威に曇りなどあろうものか」 ――このシルフィアや刃紅郎を初めとした【神探】の面々は、呪球を形成した『渇望の書』にこそ狙いを定めていた。 「過ぎた力が身も精神も滅ぼしすぎている。神、世界、運命……一体何と戦っているんだ。愚かな魔女め」 「酷い祖父でした。が、私はあの人の後継。蛇の系譜。ならばその悲願、果たさぬ訳には参りません」 唾棄する調子で呟いた雷慈慟には確かな嫌悪が、壮な顔で決意を述べたラインハルトには特別な因業があった。 かつてあの――イスカリオテ・ディ・カリオストロが逃した『獲物』を彼女が求めたのは宿命か。 【神探】は殆どの場合そうであった通り、今夜もスタンドアローンだ。何をしても、彼等は彼等の貪欲に拠る。 尤も、それが戦場に奏功した事も無い訳では無いのだが―― 「幾世層の刻が哀れな女の何を歪めようが知った事ではない。 世界の破滅などという下らぬ戯言を『渇望』等と認める――斯様な塵紙如きにも我は興味がない。 故にこれは……無聊の慰めに過ぎぬが、一つ付き合ってやるとしよう」 久方振りでも些かも変わらぬ刃紅郎の物言いにイーゼリットが笑った。 「神秘探求を――始めましょうか」 ともあれ、『渇望の書』を手にせんという悲願は少女に引き継がれ、事業は同盟最大の作戦となった。 イーゼリットの執念は未熟だ。彼女が人知れず抱えるコンプレックスさえ、タールのような魔女の情念に比べれば清水のようなものである。 だが、しかし。亡き神父の事業を引き継ぐという自覚が、珍しく――イーゼリットを強くした。 「魔女はそれで出涸らしじゃない! 勝ち馬に乗りなさい、うってつけの『食事』を教えてあげる!」 「興味が無い訳じゃないけど……『渇望の書』は私向きじゃないかしらね。 選ばれる筈がないからね。私に欲望なんて無いんだもの。この戦いが終わってから渇望の書に選ばれるための子を作ればいいか」 「ま、私の願いは、大好きな人とずーっと一緒に過ごしたいっていう。極々普通の小さな願いですからねそんな大したものではないですけど」 ティオの魔術、零した珍粘――那由他の一撃がイーゼリットに迫る黒槍を撃ち抜いた。 (魔女よ、それでは足りぬのだ。この世界を消した程度では妾の鬱憤は収まらぬ。 妾は神を憎んでいる。兄の運命を失わせ――神如きが、我が愛する兄と妾を傲慢にも選別した。 これを、許しておけようか。許せぬわ――貴様は、余りにも温過ぎる) 苛烈なる反撃も憤怒隠さぬゼルマには微風のようなものだ。 地獄の底の苛烈ささえ、あの日――小さな胸を潰した彼女の痛みには及ぶまい。 「お前に選択肢などない。お前は道具なのだから――お前は同盟が、この私が貰い受ける!」 「俺様ちゃんもっともっと人間を殺したい。世界が終わったらそれも叶わない。 足りないんだ。愛おしい人間たちの存在する今を取らないでよ。 可哀想、可哀想――何度だって言ってあげられるけど、何度だって笑ってあげる。それは、喜劇だ」 「ああ、世界が終わる。世界の終わりに何を望む? 都市の闇に沈んでいたまどろみを覚ますに足りるものは何? ボクを駆り立てるは亡き盟主の求めた渇望――ソレは同士の座が求める渇望。ならばその血路を切り開くのはこの刃。 遠慮なく出し尽くすデス。全て搾り出した後は、都市の噂話となればいい!」 結唯が、葬識が、行方が呪球を激しく斬り付けた。 目的はまさに様々。 多数のリベリスタ達が、フィクサードがめいめいに大敵を削らんと決死の攻撃を仕掛けていた。 文字通りそれは命賭けで敵を削る死闘そのものだ。直撃すれば人間が余りに脆いのは、改めるまでも無い現実である。 「アシュレイの絶望がどんなに深くても、この希望は一人のものじゃない。 リベリスタもフィクサードも関係ない――世界中の人々の希望がここにあるんだ! その想いは、どれだけ強くても――たった一人の想いに負けるものじゃない!」 友達だから、止める。奇跡のような確率だって、引き当てる。 悠里の言葉に呪球を操作するアシュレイの表情が僅かに歪んだ。 アシュレイの呪いに比すれば誰しもが小さな存在だ。されど、今。一人の絶望の重さは多数の希望によって支えられていた。 「ねえ、アシュレイ……大事な人が、いなくなったの。 今、私は空っぽで――こんな戦いばかりの世界じゃなかったらあの人は今でも傍にいてくれたって思って…… この世界、無くなっちゃえって想った。でも、もう――これ以上は辞めよう。明日が欲しいよ、忘れたく――無いよッ!」 慟哭に似た魅零の声が呪球を、魔女を揺らす。 「始まりの願いは、相手と心を通わせた事のある人ならば、共感出来るものです。 けれど、貴女が取った行動は全ての人の心を潰す行為です。 大切な人を取り戻す為なら何だって出来る。その妄想は現実にはなりません。決して――しません」 リリスのハイ・グリモアールが力を紡ぐ。 「その代わり、私が叱ってあげますよ。その妄想は間違いだと言ってあげます。それは証明されます。私達の勝利によって。 要するに――この拗れババア! 地獄に落ちろ!!!」 本来ならば――敗れる筈の無い大呪球が徐々に崩壊へと近付いていく。 アシュレイに味方する者は無く――状況は圧倒的な多勢に無勢。 そして、それは彼女自身が作り上げた状況だ。 彼女が頼んだ昔の恋人(ジョン・ドゥ)さえ、傷付けば容易に戦場を後にした。 射程外によりコントロールを失った盟主へ――雷撃のような影が吶喊する。 目を血走らせ、アークと連動する事無く戦場を駆け抜けてきたのは言わずと知れた白騎士、そして黒騎士だ。 「ああ、黒騎士さん! 良く来たね。親父さんとの因縁もある――今回は手伝わせて貰おうか! カッカッカ、面白くなってきやがった。あぁ、まったく、滾っているぞ!」 アルベールを見るなりそう言ったのは晃だ。 「お待ちしていましたよ、アルベール殿!」 「先刻承知か。しかし――今は争わぬぞ」 「分かっています。援護しましょう!」 騎士とは何たるかを知るツァインは、必ず彼が来る事を確信していた。 死した命は戻らない。時間は決して巻き戻らないが――救わねばならぬ尊厳はある。 それが、どんなに曖昧で儚い物だったとしても……ツァインがそれをとても大切な物に思っていた通り。 騎士道とは、理屈以前にそういうものだった。 「全く……」 戦乙女が空を奔る。雷撃のように降下した彼女がアルベールの足を止めた。 「……苛めたくなる理由が、分かりますよねッ!」 語れば落ちる、アシュレイの感情は嫉妬と羨望以外の何物でもない。 アシュレイは叫び声と共にその無数の瘴気の槍をセシリーとツァイン、そして晃へと差し向けた。 ツァインの剣が槍を何本も切り払う。傷付いた晃の運命が燃え上がる。 非常な弾幕の中――彼等はあくまで両騎士の想いを汲んでいた。 特にツァインなくて、どうして『魔女の嫌がらせ』を越えるに到ったと言えるだろう? 彼女の癇癪は遂にツァイン等だけでは無く――動かない盟主にも伸びていたのだから。 ツァインの身体は元より限界で――しかし、その矜持、曲げるには尊過ぎたのだ。 甲冑がへしゃげ、抉れ――肉が削げる生々しい音が響く。 ポタリ、ポタリと零れ落ちる血液がツァインが受けた『唯の深手』を示している。 運命に守られ、この夜まで戦場を駆け抜けた騎士は――この程度の傷、幾度と無く受けてきた。 だが、限界まで酷使された彼の運命は――不屈の騎士を青く燃え上がらせる事をしなかった。 「幻想を持って、忠と成す――ゲッシュ、私は二度と自分を貶めない」 「……感謝する」 アルベールの声は低く、瞑目した彼の表情は何時もと変わらなかったが――その真意を読み取る事は余りに容易かった。 涙に濡れたセシリーの腕がディーテリヒの亡骸を抱き止めた。 彼女の大粒の涙は、愛しい彼と――一人の騎士に捧げられたものだ。 猛攻に傷む大呪球の暴れ振りは、アシュレイの最後の足掻きのようだった。 「……ここまで来たんだ。おまえの好きなようにやるがいいさ。後始末くらいしてやる」 世話の焼ける姉と共に戦う――黒羽の言葉が背を押した。 「うむ!」 頷きは力強く。 「引導を――渡す!」 一声と共に飛び上がったのは黄金の輝きに包まれた比翼子だった。 高らかに舞い上がった彼女はフェザーナイフ、フェザーダガ―と共に間合いを一直線に降下した。 (……皆泣いていた。誰かを守りたかったと。 力の無さを悔やんで、それでも泣きながら戦っていた。 ずっとずっと、声を殺して――鳥頭だからって忘れるもんか。あたしは、皆が守る世界を壊すやつを許さない!) 黄金色の輝きがより眩く、強くなる。 比翼子の意志に応えた全身は、運命は、奇跡という名の光を暗闇の世界に差し込ませたのだ。 「この力は全部、皆の笑顔を守る為の力だ! これが――星に最強を約束された我が奥義!」 ――ひよこ、デイ……ブレェェェイクッッッ!!! 嘘のような威力の奔流が蟠る闇を押し流せば、駄々っ子のように暴れに暴れた呪球が爆ぜ割れた。 「――ここで、私は――ッ!」 『魔王の座』は後少し――防御を失ったアシュレイをそれでも戦乙女達が守護するが、食い止められるものでは無い。 戦乙女は集中攻撃に倒され――アシュレイは遂に革醒者達を防ぎ切れずに、遂には地面に叩き付けられた。 それは――倒すしかない女が倒れただけの事。 「……お前は何処か俺と似た臭いがすると言ったな」 「そんな事ありましたっけ。それとも――口説いてたりします?」 「あったよ。それから、お前なんざ願い下げだ」 大振りの斧を手にしたランディが傷付いた女の顔を見下ろした。 色濃い疲労と、自嘲の見えるその顔は――彼女でありながら彼女では無いかのように、老けて見えた。 赤く染まった腹部と少し霞んだ瞳は、彼女が受けた傷の意味を容易く理解させるものだ。 「自分とかけがえのないものを出逢わせてくれた――世界を愛してただろ」 「……どうだか」 「愛しいから、憎かった。違うか?」 「私から、全てを奪ったのに」 煙に巻かないアシュレイの言葉は極々自然な恨み言だった。 嘘ばかり吐く魔女が、嘘で言葉を飾っていない。それは恐らく彼女が見せる初めての本音だっただろう。 「お前を、助けたかった。何をしても、どんな手を取っても」 「あ、はは……やっぱり、口説いてるでしょう」 怒りしか知らなかったランディに人間性を与えたのは義母だった。 その機会すら得られなかったアシュレイは彼にとって――自分のもう一つの結末にも思えていた。 「確かにこの世界はクソだって思うこと、俺もある。 だが、俺はこの世界にそこまで絶望しちゃいないし、生きていたい。 そして、お前みたいなやつと生きていきたいって奇特な奴がいてな――」 「――はい、私です」 歩み寄った風斗はもうボロボロだ。彼の背後から現れたうさぎも同じく。 「はい、アシュレイさん。後でちょっと話でもしませんか。 【パーなお話】とか【普通の無駄話】とか、結局あんま出来てませんでしたし…… ま、事情とかあっても世界滅ぼすのは確かにアレですけども……もう、終わったでしょ? 終わりになりますでしょう?」 「ノーサイドですよ、ノーサイド」。うさぎは言い、風斗は苦笑いを浮かべた。 「落とし所とか責任とか後の事ぁ後で考えます。生きてさえいれば――どうにでもなるんですよ。 友達とか――貴女がなってと言ったんです。発音の違い何て知りません。私はね、アシュレイさん。しつこい奴なんです」 「なあ、アシュレイ。もうちょい楽しい人生、積み重ねてみないか?」 思う所が無い訳では無い。フィクサードは嫌いだ。だが、風斗は言った。 他の者が彼女を許すかは知れなかったが――少なくとも彼にとって彼女は『ただ嫌いなだけの女では無かった』。 からかわれた事、敵視した事、信用していないと言いながら――たまには不覚にも、信頼してしまった事。 「あはは、あははははは……」 腹を抑えて笑ったアシュレイは心底楽しそうだった。 気でも触れたかのように笑う彼女の内心を正しく理解する者は無い。 そこにあるのが口惜しさなのか、怨嗟なのか、それともそれ以外の何かなのか。 救いはあったのか、それとも彼女は世界を最後まで恨んでいたのかさえも。 「あはははははははは!」 彼女は、一頻りおかしそうに笑って、それから―― 「何だろう、私、そんな風に言われたら。もっとお話したかったなあ。すれば、良かったなあ」 ――大きく息を吐き出し、その目を閉じた。 平静を取り戻しつつある『魔王の座』に戦いを終えた静けさに包まれた。 「馬鹿」と歯噛みしたのは誰だっただろうか。 余りにも呆気無く――これまでの魔人の誰よりも呆気無く『怪物』はこの地に沈んだのだ。 (運命よ、最後に一度ぐらい彼女に微笑みを。一人では――あまりに寂し過ぎるわ) お喋りな魔女はもう口を利かない。恵梨香は歪夜の奇跡に『彼女の安寧(さいかい)』を願った。 しかし――それも束の間。臨界を迎えた儀式はその主を失っても、この世界に禍を呼び込まんと蠢き始めたのだ。 『魔王の座』が『先触れ』たる尖兵を吐き出し始めた時――リベリスタ達は最後の試練の訪れを理解していた。 世界は歪む。 歪んで捩じれ、捩じれて狂う。 それは冷たく無慈悲なる恐怖劇。 それとも、乙女の涙せし悲喜劇か。 赤い月が――赤い月さえ、闇に喰われて消えていく―― 直感的に理解した『世界の滅び』とやらが目の前にあった。 リベリスタは神秘に触れる者だから分からない筈も無い。 やはり『Case-D』は只の終わりという現象に過ぎない。それは抗って抗えるようなものでは無いのだと。 「何度だって言う――言ってやるぜ」 傷付いた虎鐵が最後の力を振り絞って斬魔・獅子護兼久を握り直した。 確かにこの穴が無ければ自分は弱いままだっただろう。紡がれた幾多のドラマは存在し得なかっただろう。 だが、しかし―― 「だけどよ……今はもういらねぇんだよ。テメェは役目を終えたんだ」 魔女の怨念さえ今は果て、制御を失ったそれは感情の無い現象に過ぎない。 「さて、次代を担うのは若者たちだ。これからの時代を作っていくのもな。 もう一働き――その命を、この世界を残してやらにゃいけねぇよな。 あらゆる災厄が開かれた今でも、箱に残された希望ってのは、そういうものだろ――」 開かれてしまったパンドラの箱を閉じる事が叶うのか、それはソウルにも分からない。 ディーテリヒより与えられ、アークが頼む神滅の槍(ロンギヌス)さえ、使いこなせるという保証は無い。 それでも…… 「快、世界を救おう。ボクは、今君を思うこの気持ちをなかったことになんかされたくない。 辛いことも、嬉しいことも、全部大切なものだから」 「ああ。『アシュレイには悪い』が、この世界が、この願いが譲れないのは俺たちも同じだ」 雷音は、快は――この期に及んでも世界の黄昏を認めてはいない。その訪れを受け入れる心算は無かった。 繋いだ手に力を込め、名残を惜しむように指先を離した。 「未来を変えよう! この先もずっと続く未来に!」 「もし、運命というものがあり、結末は決められているというなら――俺はそれを捩じ伏せ、従えてみせる。 滅びの未来ではない、俺達の未来へと!」 リベリスタ達の最後の戦いが――始まった。 ●Baroque Night Eclipse! 「これでこの世の全ての問題が解決するわけではない、としても」 「選択の余地は無い、わね」 「文字通り『何をしてでも』防がないといけませんから」 応えたセレアに佳恋が小さく頷いた。 「読み取れた情報は――そうですね、『感情的な女の大騒ぎ』でしたね」 佳陽の言葉に一同が苦笑した。 「アシュレイ自体の妨害は――流石に無いでしょうが、やはり。 この情勢自体が『彼女をしても予定外』だったのは確かなんでしょうね」 「あちら側からの妨害もそうだけど……主な問題はこちら側の行使の方かしら」 呟いたセレスティアと魔術知識に裏打ちされた見解を述べたセレアに【観測班】のメンバーが首肯する。 「アシュレイの勝利条件で考えたら『ロンギヌスの槍を防げば勝ち』だったんでしょうが…… 防がないまでも、簡単にいきそうにはないわね」 膨張した『魔王の座』を見据える文佳の目が細くなる。 状況柄、元より一発勝負は否めなかった話である。更に言うならば、ロンギヌスの槍に懇切丁寧な『使用説明書』等はついていない。 (『R-type』や無貌の神のような……神なるもの、ミラーミス。 『Case-D』があれらと比較してどれ程のものかは言い難いけれど……あれらに対しては『神威』さえ決定打足り得なかった。 聖槍ロンギヌスが、その特性を十全に活かしたとして何処まで通じるか――果たして、ミラーミスの存在さえも否定し得るのか) 得物を構え、敵を食い止めるユーディスは頭を振ってその詮無い考えを一時だけ振り払った。 「彼が審判の時をこの槍に託したと言うならば、その在り方を――いえ、『我々の在り方を私は信じる』!」 神秘を否定し――神秘を破滅させるという神域のアーティファクトは、殊更に『公平な審判』に拘ったディーテリヒがアーク側に与えた最大にして唯一の切り札である。研究開発室と真白智親によれば、その本質は異界のアーティファクト――通称『ネクロノミコン』にも近いという。使用者に極大の負担を強いて、圧倒的な神秘を成し遂げるという一点においては、神器の例外に漏れるものではないのだが。 ロンギヌスを疑うも、『使用者の資質』を疑うにも、夜は煮詰まり過ぎていた。 「どの道――『槍』を正確に行使するなら、連中は何とかしないといけないわよね!」 正確無比なスティーナの魔弾が魔方陣よりその上半身を這い出した『大きめの個体』の眉間を綺麗に撃ち抜いた。 「のんびりお喋りをする暇は無い、と」 「そうね――精々、頑張りましょ」 佳陽に応じたセレアの大魔術が敵を叩きのめした。 圧倒的攻撃力を誇る革醒者陣営だが、『魔王の座』より現実世界に侵食するイメージはその対処能力さえ上回っている。 無数の雑兵は僅かの時間の内に、溢れんばかりにその数を増していた。 辛うじて『魔王の座』に迫撃せんとするエリアは厚い戦力で保たれていたが、彼等は十重二十重に包囲を受ける格好となっている。 当然ながら増大する物量は――今、ロンギヌスを行使せんというリベリスタの邪魔になる。 革醒者連合決死の突破により、白槍はここまで運ばれたが――未だに彼等は何も成し遂げてはいないのだ。 オールオアナッシング。灰色の決着は無く、世界は肯定か否定のどちらかを選び取るばかりだから。 「誰もが幸福な結末を迎えるとは限らない――幸福と同じ位に不幸な結末も見てきた。 誰もが望みを叶えられる訳ではない――望みを叶える為に他の望みを蹴り落しもした。 それでもこの世界には多くの人達が懸命に今を生きてる……その人達の明日を消させはしない!」 理央の放った影人が、荒れ狂う異形――『先触れ』を翻弄した。 「この上の――邪魔はさせんッ……!」 吠えた拓真の弾幕が連携良くそれ等に吸い込まれ、その歪なフォルムを次々と砕いた。 拓真だけではない。 「世界が滅びるのが運命っていうなら、そんなものになんて従わない――皆で、運命を乗り越える!」 「おらっ、道は――場所は守ってやる! ケリをつけてやろうぜ!」 悠里が、猛が、 「何と喜ばしく光栄な事か。神の子の死と復活の証たる槍が今、この夜に。 その奇跡をこの目に焼き付ける――栄誉を賜る事が出来るとは! 我こそは黙示の遂行者。正しき黙示を成す為ならば、聖書の獣にもなろう。 聖なるかな、万軍の主よ。天と地は貴方の光栄に遍く満ち渡る。絶えない賛美と共に――Amen!」 神の尖兵たる己に至上の栄誉を覚え、心を震わせるレオンハルトが。 「誰よりも強くなりたかった。俺に出来るかたちは、ただ速さの追求だった。出来る事を全力でこなす。それだけだ。 きっとお前もそうなんだろう? パスクァーレ」 「私は、花も虫も動物も愛している――それだけだ、司馬鷲佑」 「上等な夜だ」 「最悪の夜だ」 「この夜も過去へ変え進む。全員でな!」 そして、鷲佑が、パスクァーレが。満身創痍のリベリスタ達が、或いはフィクサードが。 己が身に最後の鞭を打ち、『魔王の座』から希望を駆逐せんとする敵にあくまで果敢な戦いを挑んでいた。 「一人で届かない希望も寄り集まれば奇跡に繋がると信じます――私は、せめて私の出来る限りを全力で!」 凛子は死力を尽くして戦線を支え、海依音は凄まじいペースで敵を破壊し続ける傍らの男を見た。 (ワタシもアシュレイ君あなたと似たようなものかもしれないわね。 でも、ワタシも自分のわがままで、世界を護る。好きな人の、逆凪黒覇さんのために) 古今東西、情熱的な女にそれ以上の理由は無いし、必要ない。 「つまり、これは女同士の意地のはりあいよ! 諦めたような女に――誰が負けるもんですかッ!」 今はもう居ない魔女に向けて啖呵を切った海依音に黒覇が快哉を上げた。 「君が蛇の花嫁を望むならば――誰より貪欲に飲み干して、証明して見せるといい!」 全てを終わらせる為の戦いは――激戦の中でやがて結論を望んでいた。 『ロンギヌス』を扱うに最も相応しく――かの槍に選ばれたのは、結城竜一。 (神秘の否定。サンジェルマン伯爵はそう語った。それが槍の本質であるのならば、使用者もまた神秘の存在に違いないか――) 静謐な覚悟を胸に、白槍を構えた竜一はそうしているだけで己が存在が失われていく恐怖を自覚した。 『魔王の座』すら撃滅せしめんとする『否定の力』の前で、一革醒者が如何に小さいものかは言うまでもない。槍を構える男が例えば――ディーテリヒ・ハインツ・ティーレマンであったならば、いざ知らず。竜一は槍をねじ伏せる力等持ち得ない。 だが…… (俺の能力(ちから)の全てを、生きてきた全てを賭けよう。 俺の運命を燃やし尽くしても――今、ただの一度!) 日が沈めば夜が来るように。夜が来れば日が昇るように。世界が――巡り巡るその為に。 「目覚めろ……」 血を吐くような声が命じる。 「目覚めろ、『ロンギヌス』……ッ!」 白光を放った槍が、竜一の存在を飲み込まんとした。 覚悟を決めた彼のその手に、小さな温もりが重なった。 「愚か者め」 聞き慣れた少女の声に拗ねた調子が混ざっていた。 「お前は、私を――結婚する前から未亡人にする心算か」 猛り狂って燃え盛る熱ささえ、冷ますのは己が仕事と認じている。 それしか出来ないが、それだけならば出来る。燃え尽きようとする男を――その一歩を戻らせる力はある。 「燃え尽きる前に冷やし冷まして人肌に――折角だ運命も全てくれてやる。 無駄な賭に命がけ、無駄無駄尽くしの帳尻合わせ。らしいと言えばらしいのだが、勝手に死なれては私が困る。 私のものだからな? 竜一は。だから竜一の全てを支えてやるさ――何をしようともな」 竜一と共に槍を握ったユーヌは彼にだけ聞こえる小声で呟いた。 「私は『英雄』は要らない。竜一が居れば、それでいい」 一人では耐え切れぬ力でも――二人ならばどうか。 二人でも耐え難い力でも。 「事の始まりは、一人の少女。なら、幕を引くのも同じ少女でもいいと思うんだ――」 独白した少女(アリステア)の祈りと奇跡を乗せたらば、どうだ。 ――あのね。色んな事があったの。 目の前で仲間が倒れて、泣く事もあった。 恋をして幸せな気持ちを知り、それと同じくらい不安な気持ちも知った。 アークに来て、私は『大人』になったんだと思う。 衣装と翼から『天使』と呼称される度にね。 私は普通の子なんだよ、って言い続けてきた。 ……でも、普通の子じゃないからこそ、出来る事もあるんだ。あったんだよね? 命では無く――運命と力を根こそぎ奪われた二人が倒れまいと足に力を込めた。 白槍に収束した力が今まさに扉を開かんとした『魔王の座』を撃ち抜いた。 全ての願いを乗せ、全ての未来を賭けた一撃は――暗雲を貫く流星の如く、闇の中に長い、長い光芒を残し消え去った。 空に浮かんだ赤い月にヒビが入る。 歪んだ世界に涼やかな風が吹き抜けた時、戦士達は運命を捻じ伏せる奇跡を知ったのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|