●招待状 確かにそれは偶発のもたらした物語の傍流に過ぎまい。 諸君は私を構う暇は無いだろうし、私も又諸君等に深く関わる心算は無いのだ。 だが、こういうのを諸君の言語では『袖擦り合うも多生の縁』と言うのだろう? 本来ならば交わらぬ機会を持つ者同士が交わったのだ。これに意味があるかどうかは分からないが、私は諸君等の出色を理解したし、元より己の直感を大切にする性分だ。 諸君等からすれば些か不本意であり、不具合の多い話ではあろうが、諸君等の持ち合わせる運命はこの私にすら測りかねる位に大きいものだと言えるだろう。 所詮は『第三位』だと門前払いでは余りに悲しい。 私にとってその数字は大した価値を持たないし…… 何より、私は是非に一度話を聞いてみたいのだ。 是非に話を聞かせて貰えないだろうか。 君達の勇猛な冒険活劇を、数奇なる運命の物語を。一方の私にお返し出来るものがあるかは分からないが――諸君の知りたい幾らかの事については答える事が出来るだろう。例えば騒がしい『魔女』の事等も含めてね。 親愛なる箱舟諸君へ。持ち得る限りの親愛を込めて。 ――――Comte de Saint-Germain ●ティー・パーティ 「伯爵さま、伯爵さま」 「何だね、ユディト」 「伯爵さまは本気で『招待状』を出したのですか」 「おかしな事を言うね、ユディト」 伯爵と呼ばれた男――歪夜の三位に位置する『サンジェルマン伯爵』は従者の些か愚かな問いに温く優しげな微笑を浮かべていた。出来の悪い生徒に優しく言い含めるように彼は告げるのだ。 「冗談であるならば、私はクロヴィスに来客の準備を命じないよ。 吐いた唾を飲み込めないのと同じように、飛行機に乗って極東まで届けられる手紙を途中で止める術はこの私も持ってはいないとも。時代は変わる。少しの手間と趣を惜しむならこんな『招待』さえ、電話回線を使えば一瞬で済む位なのだから」 「おじいちゃまは忙しそうにしてたですねぇ?」 「そうそう。当家にお迎えするに粗相があってはいけないからね。 オレンジピールのシナモン・ロール。スコーンには苺のジャムとクロテッド・クリームをたっぷりと。ほうれん草のキッシュに、軽食にはサンドイッチも用意出来るね。紅茶に珈琲に飲めるならばブランデーも悪くない。無国籍になるのは私が私であるからだが、彼等にとっても悪い話にはならないだろう」 「伯爵さまのお話は難しいのですぅ」 そう零したユディトは伯爵の言葉に覚えた本当の感想を口にはしなかった。「飛行機、止まらないんですかぁ?」。そんな問い掛けは薮蛇を突いて出すような行為に他ならない。舌足らずな喋り方ながら、このユディトという少女は存外に頭の回転が悪くは無いのだ。 「可愛いユディト。重要なのは『時代が変わる』という部分だけだよ」 「……あい?」 「時代が変われば状況も変わる。私はそういう変化をずっと見てきたのだ」 窓から覗くフィンランドの空は相変わらず不景気な鈍色をしていた。季節柄かなり冷え込むのは当然の事であるから、昼間から暖炉には赤々と『生きた炎』が踊っている。 幾ら燃えても燃え尽きる事が無い特別な暖炉は昔ならば魔法と称されていたものだが、現代ではどうか。間断なく部屋を温め続けるシステム等、神秘に拠らずとも簡単に代替手段が効く些事に過ぎまい。 「手を出す心算も口を出す心算も無いが、節目に立ち会える幸運は謳歌せねば。 せめてその位の役に立つのであれば、無意味な数字の供養にもなるだろう?」 『サンジェルマン伯爵』は紛れなく歪夜使徒の一である。彼は分類上はフィクサードであり、リベリスタでは有り得ない。だが、一般に人間の限界と定義される以上の――一千年を生きた彼は善悪の彼岸に迷う子羊では無い。 「……正直あたちには良く分からないですけど…… 来るですかね、伯爵さまの本拠地ですよぅ」 「さあ」 気楽に応えて肩を竦めた彼は自分の恐ろしさを全く理解していないと――ユディトは首を振った。 「どちらにせよ、楽しみだ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月14日(土)20:11 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●お茶会 「何だか結構やり難い気もするけどね……」 一体幾らするかも分からないような素晴らしい調度品(アンティーク)に囲まれた応接間に『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)は少なからぬ居心地の悪さを感じていた。快活な少年は何時か学校で習ったテーブル・マナーの授業をぼんやりと思い出して呟いたのだ。 前触れもなく届けられた一通の招待状に応えて欧州(フィンランド)くんだりまでやって来たリベリスタは十人。 当然ながら日本を――世界を取り巻く情勢が風雲急を告げる昨今である。大袈裟では無く人類の希望の一端を担わざるを得ない箱舟(アーク)の――それも一線級の戦士(エース)達と来れば、用も無くこんな場所まで出向くような暇は無い。 「こういうの、日本では毒を食らわば皿までっていうのかなあ」 鷹揚なる主人とは対照的に「フン」と鼻を鳴らして珍客達を警戒している風のある従者ユディトに日本産の菓子等を差し出しながら夏栖斗は抜け目なくその男を見据えた。 「久しぶり、伯爵。お土産話のご褒美はよろしくね」 「招いた以上は、賓客(ゲスト)には楽しんで頂きたいものだね」 良く言えば友好的、悪く言えばやや不躾にも感じられる夏栖斗の言葉にも彼は――屋敷の主人である『サンジェルマン伯爵』は笑顔のままだった。彼の雲のように捉え所の無い人物像は一見の印象と伝承に語られる通りである。今回のリベリスタ達の欧州行は、彼が突然アークに招待状を送った事に端を発したものだ。 ……珍しい話に見えて、実を言えばアークに手紙やメッセージを送り付けるフィクサードの類というのは決して少なくは無いのだが、それもバロックナイツの三位からのものであれば大いに例外である。彼の手紙は要約すれば『アークのこれまでの武勇伝を聞かせて貰えれば、自分がアシュレイの情報を与える』というものである。言葉だけならば信頼に足るか分からない話ではあったが、「久し振り」と口にした夏栖斗以下何名かのリベリスタ達は先にヒマラヤで起きた事件において、伯爵という人物と接触していた。 (サンジェルマン伯とはこれで二度目ですからね。 バロックナイツと聞いて驚きましたが、全員が世界を滅ぼそうとするわけでもありませんし―― 特にこの方は、ええ。歴史上の人物に話を聞けるのって、ワクワクしますから) にこやかに友好的な態度を崩さない『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は、今回の機会の為に軽く『サンジェルマン伯爵』の予習を済ませていた。音楽家に錬金術士。加えて不老の人物であったという彼は絢爛にして不思議な逸話に事欠かない希代の人物であるとされている。 (フィクサードとはいえ敵意は無い様だし――ね) 『ネメシスの熾火』高原 恵梨香(BNE000234)は内心だけで考えて彼をよくよく観察する。 彼の立ち居振る舞いは優雅で、その雰囲気には刺々しい敵意は全くない。 (一応、レポートの通りかしら。願わくばこの欧州行が有益なものになればいいのだけれど) 彼の人物譚に加え、リベリスタ側に先の印象があったのも今日の成立の幾らかの後押しになったのは事実であろう。 「お招きくださりありがとうございますのだ」 ぺこりと頭を下げた『きゅうけつおやさい』チコーリア・プンタレッラ(BNE004832)に伯爵は目で微笑んだ。 子供なりにこういう場に出てこようとする彼女は中々に微笑ましいものだ。 ユディトなる従者を好きで傍に置いている伯爵ならばそれはひとしおに。 「それにしても……良く普通で居られるですねぇ?」 「人の巡りは合縁奇縁。『招待』してくれた相手に対し、礼を失するのは流儀じゃない」 伯爵の心を知ってか知らずか、夏栖斗から受け取った菓子袋をしげしげと眺めながら当のユディトが問えば、『はみ出るぞ!』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)が何でもない事のようにそう言った。 「お招き頂き、感謝を。結城竜一です。御高名はかねがね」 丁寧な一礼を見せた竜一の土産が酒やたわしや縞パンツだったのはさて置いて。 「この度の御招待、有難う御座います。 此方としても願ったりというもの――あの『サンジェルマン伯爵』の御招待とあっては尚更ですね」 「この度はお招きいただいてありがとうございます。良かったらユディトさん、クロヴィスさんもどうぞ」 『現の月』風宮 悠月(BNE001450)や恵梨香等の堂に入った立ち居振る舞いにも伯爵は満足気に頷いている。 折り目正しく挨拶をする彼等の一方で、 「サンジェルマン様は本物の貴族、だよね?」 この『非消滅系マーメイド』水守 せおり(BNE004984)等は幾分か彼に気安かった。 「貴族に本物も偽物も無いよ。本物であるならばそれは貴族だし、偽物ならばそれは又別のものだから」 「……え、ええと?」 「単なる言葉遊びだ。但し本物の貴族にも趣味がいいものと、悪いものがいる。 願わくば私は――そう、ずっと前者で居たいものだとは思っているがね」 やや芝居がかって言った伯爵にせおりは大きく頷いた。話の意味は兎も角、それで十分だとは分かったからだ。 (うちは華族やめて六十八年……そもそも公家じゃなくて武家だから比べ物にならなかった!) しかし、丹田に力を込めたせおりは今回ばかりは文字通り頑張った。 「ヒマラヤではあのような形でご挨拶もできず、誠に申し訳ありません。 水守が一の娘、せおりと申します不調法な東夷の女なれば、お見苦しい点も多々あるかと思いますがどうかご容赦を!」 「まぁ、出自を問うような場でなし。是非、ゆっくりとくつろいでくれたまえ」 そう言った伯爵の視線はせおりから奥州 倫護(BNE005117)の方へと動いていた。 伯爵の注目を受けた倫護はいよいよ膝を笑わせ、引き攣った表情で彼の視線を受け止めている。 (そりゃ、怖いに決まっていますよ! ボクは伯爵の事を何一つ知らないんですから…… 同じ理由で盟主さんとかアシュレイさんのことも怖いです。怖いに決まっていますよ…… この先、どうなるのかさえ分からないし――) だが、唯の十五歳に過ぎない少年が虚勢を張ってでもこの場に居る理由は尊いものだ。 臆病な少年を場へと駆り立てるのは強い使命感と、喪失への恐怖である。やらねばならぬのならば、彼はやる。 「――どうか、気持ちを楽にして頂きたい。家人に用意させた持て成しの準備もある。 ……君達の好みは分からないが、無国籍なのはプラスに働くのではないか? 私も些か多趣味な方なのだ」 『お茶会』と銘打たれたこの場である。応接室の机の上には食欲をくすぐる見事な菓子や料理の数々が並んでいる。 それを用意したのは扉側に静かに控えるクロヴィスという執事なのは間違いないだろう。 伯爵の勧めに応じてリベリスタ達は大きなソファへと腰を下ろした。丁度一同と向かい合うような椅子に彼は座った。 一人一人の顔を見回しながら何事か呟き、時折頷いて見せる。 リベリスタ達の顔触れは実にバラエティに富んでいる。 経歴が様々なのは言うまでも無く、特に伯爵が目に留めた『ツンデレフュリエ』セレスティア・ナウシズ(BNE004651)等は、ボトムの人間にとっては中々お目に掛かれないフェイトを持ったアザーバイド――ボトムが優位性を得たラ・ル・カーナの住人という、まさに伯爵の望む土産話(レア・ケース)それそのものである。 「見ての通り、私はアザーバイドです。名前はセレスティア・ナウシズ、種族名で言えば、フュリエといいます」 「聞いてはいるが、改めて会えば感動的な未知との遭遇だ。歓迎するよ、ようこそ。当家へ。セレスティア・ナウシズ君」 伯爵は特に興味深そうにセレスティアを『観察』している。 悪意は感じないが、品定めをされているような気分は否めない。 不躾を理解しない男では無かろうが、これは優先順位の問題だろうか? 伯爵は一つの咳払いを交えてゆっくりと語り出す。 「改めて自己紹介しよう――私は『サンジェルマン伯爵と呼ばれる者』だ」 微妙な言い回しの挨拶を受けた『鋼鉄魔女』ゼルマ・フォン・ハルトマン(BNE002425)が口角を持ち上げた。 「何らかの魔術をかじったものであればその名を知らぬ者はおるまい――『サン・ジェルマン伯爵』なればのう」 「逆に言えばだからこそ、この場に現れても驚きも無いわ」とゼルマは笑った。 「どうあれ、著名な錬金術士と言葉をかわす機会があるのは僥倖よ。 妾はここにいるこやつらとは違い常に一線で戦ってはおらぬ。故にヌシが望むような語り口になるかは知らぬがな」 ゼルマはリベリスタ一同よりも早くテーブルの上の白磁にカップに口をつけた。 「アールグレイ・ティーです。ベルガモットを少し」 「淹れ方は完璧じゃな」 「恐縮に御座います」 馬鹿丁寧に頭を下げるクロヴィスにゼルマは言う。 「アッサムは? ミルクが欲しいのぅ」 「ニルギリも如何ですか? ファーストフラッシュも」 「大変結構じゃ。良い従僕を持っておるな、伯爵」 「何百年も、彼には楽しませて貰っているよ」 「ウチに来ぬか? 給料位弾んでみせるぞ」 飲食物に毒を仕込む等、三流の仕事だ。 相手が『サンジェルマン』であるならば心配するだけ無駄――ゼルマの確信は一分たりとも揺らがない。 ゼルマの見事なる『社交』にリベリスタ達は幾らか唖然とした。 前線に出る出ないはこの際あまり関係があるまい。ゼルマ・フォン・ハルトマンという女は確かにこの場に最も向いていた。 ●アークの話 「さて、どんな話が聞けるのかな? 頼むよ。物語は壮大に、そして抒情的に。文学的であり、音楽的であれば尚更良い。 私が石を金に換えたとしても――諸君等以上の感動は生み出せないのだから!」 大仰な伯爵の台詞にリベリスタ達は顔を見合わせた。 今回の欧州行の目的は、今やアーク最大の障害の一つとなったあの『塔の魔女』アシュレイに関しての情報を得る為である。 事情があろうが無かろうが彼女が秩序に対しての悪なのは明白で、アークとは到底交わらない道を進んでいるのは確かだが、得られた情報が幾ばくかでも彼女の妄執を攻略する武器にならないとは限らないという本部の判断であった。 「一番手は――プレッシャーだけど、じゃあ僕が行く」 リベリスタ達のアイコンタクトでそう切り出したのはサンドウィッチを齧った夏栖斗であった。 「どれ位期待に沿えるかは分からないけどね。魔術も錬金術も基本は等価交換なんだろう?」 「然り。理解が深くて恐縮だ。では、早速」 サンジェルマン伯爵がアークに望むのは類稀なる奇跡を量産してきた彼等の履歴を聞く事である。 伝承が正しいと仮定するならば人間の限界以上を生きている可能性が高い彼である。自身を「世界有数の退屈屋である」と語った彼は品の良いその美貌に浮かぶ好奇心を微塵も隠さずに、目の前の賓客達に早速の話をせがみだしていた。 「僕が――僕等が初めて戦ったバロックナイツは『伝説』だった――」 『先払い』で夏栖斗が口にしたのはアークが迎えた最初の大嵐、何時かの聖夜に訪れた強襲バロックの顛末だった。 『The Living Mistery』ジャック・ザ・リッパーによる三ツ池公園制圧が全ての始まりだったと言えるだろう。 夏栖斗の語り口は時に不器用であったが、逆に強い現実感を感じさせるものになった。 「神秘界隈のルーキーに過ぎなかった諸君等が……よりによってあの殺人鬼君か。 彼はまぁ、青臭い男ではあったが――嫌いなタイプでは無かったな。どうだね、彼は強かっただろう?」 「強いなんてもんじゃ」 夏栖斗はハッキリと苦笑した。 「あんなの正直無理だって思った。あの魔女の裏切りがなかったらどうなっていたか…… リビングミステリーは本物だったさ。普通の高校生だった僕がそんなのと戦うなんて思ってもなくて…… まるで、それはヒーローアニメみたいで――あ、アニメって分かる?」 尋ねた夏栖斗に伯爵は頷いた。 「生憎と時間だけは余っていたからね。『一通り』の事は知っている。 君達の国の事も、文化も。あれはなかなかどうして――面白い試みだと思っているよ」 伯爵は「小説は事実よりも奇なり、だ」と冗句を言う。 「嘘みたいな強敵や、アザーバイドとも戦ったし―― 恋人や、友人も、矜持もその中でいっぱい失って。自分はただ能力があるだけで、ヒーローじゃないって気付かされた。 僕の戦いは殆どが挫折の繰り返しばかりだった筈だ」 「然り」 伯爵は頷く。 「だが、君の歩みは無駄ではないぞ、少年。 歪夜(バロックナイツ)なる俗物共をこれだけ減らしてきたのは確かな成果だ。 私は善悪の機軸を君達に置く心算はないが、人をより多く生かしたいと思うならばそれは救世だよ」 「道は尊い程険しいものだ。堕落程安直に君を誘う。フランスの友人にも幾度も忠告したものだが」と伯爵。 「そうね、そうある事を祈りたいわ」 「私は饒舌な方ではないから、話下手ならば申し訳ないけど」と恵梨香は一つ前置きをして言った。 彼女が淡々と語るアークの戦歴は本人の性格を映すように実直で事務的なレポートのようだった。 面白おかしく語る……という意味合いにおいては自他共に認める失格に他なるまいが、当の伯爵は硬質の少女の『レポート』にも十分な興味を示している様子だった。 「――私達はジャックとの戦いの結果、魔女と取引を余儀なくされた。 マッチポンプのようなやり口に、憤った人も少なくなかったけれど……思えば、評判通りだったって事だわ」 但し世間の評判、蛇蝎のように嫌われる魔女評と恵梨香の彼女評は必ずしも一致していない。 とは言え、恵梨香は恵梨香でその内心を悟られるような物言いはしない。彼女は自身が共感を抱かずにいられない個人としてのアシュレイと、パブリック・エネミーとしての彼女を切り分けている。それは誰よりもフィクサードを憎む彼女にある確かな矛盾点なのだが――少女とは矛盾を抱えがちなものでもある。それは鉄面皮の彼女でも変わらないという事だ。 「大切な仲間や友人を何人も失っている。だから何としても――貴方にも話を聞きたいのだけど」 「君は難しく見えるな」。伯爵は訳知り顔でそう言った。 「君のような子の本音をめくる作業は中々に骨が折れるが――それも良き哉、だ」 アークとバロックナイツとの抗争は長きに及んできた。 後の世の教科書に間違いなく載る一大事件の主人公は他ならぬリベリスタ達である。 当然その中にはこのお茶会の参加者達も含まれていよう。 「私は『混沌の神』に姉を殺されました。その姉の力を――継いでいます」 「ラトニャ・ル・テップか。そう言えば君達は――彼女すらも誤魔化したのだっけ」 伯爵の言葉にせおりは頷いた。 少しでも神秘を聞き齧っている人間ならばミラーミスの存在を間違う筈は無い。 元より人智の通用せぬあの相手を謀ったという事実は、リベリスタ達が考えている以上の価値を持っているだろう。 「そんなこんなで――私は、実はリベリスタになって一年経たない程の駆け出しです。 それでも強敵と戦うのはとても血が滾りますし、それが雄として申し分ない殿方ならもうっ! バロックナイツの第五位、魔神王と交戦した時とかもうなんか――ほあーっ! とかにゃにゃーっ! って感じでしたっ! 攻撃喰らうのも嬉しいレベルで! 幾度打ち合っても倒れない雌を目指してまだまだ修行中です! ……ところで彼ってどこの出身なんでしょう?」 続けたせおりの言葉は弾幕のようで、物凄い勢いを伯爵は軽く笑い飛ばした。 「研鑽熱心で大変結構。ソロモン君は確か――イスラエル出身ではなかったか。真偽定まらぬその血筋に同じくしてね」 「殊更に『自称』の多い界隈じゃ。正直な所を言えば、力があれば本物も偽物も無かろうがな。『サンジェルマン伯爵』よ」 「然り。それが『魔女』でも『使徒』でも『伯爵』でも『救世主(メシア)』でも構いはしないよ」 「それが『神』でも――じゃな?」 ゼルマの言葉に伯爵は彼女が何を言いたいかを理解したようだった。 「『黒い太陽』には骨が折れただろう? 彼は狭小な俗物だが天才だった」 「おうとも。造物主ももう少し才の振り分け方に気を配れば良かろうものを、な」 バロックナイツの第一位――世界最高の魔術師たるウィルモフ・ペリーシュの事件はつい先日の出来事だ。最悪の殺戮兵器『聖杯<ブラック・サン>』を完成させ、空に城を浮かべてみせた彼の事を外しては箱舟の伝承(サーガ)は成り立つまい。 「ヤツめがニイガタに上陸した時のこと――忘れはせぬ」 それは『ナイトメア・ダウン』に次ぐ人命の喪失を招いたアークの痛恨の敗北だった。 アークに空中城で乗り込んできた事、神威の砲撃、城内への突入、そして魔術王との決戦。 聖杯、歪曲、決着……黒い太陽が堕ちた事。 過度の脚色は無く――必要も無く、ゼルマの語るは伯爵の関心を引く十分を持っていた。 「僕に武勇伝はありませんが――ゼルマさんと同じく、あの凄いものには――特別な想いがあります」 「ほう?」 「空に浮かぶ巨大な島を――あの時、僕の世界は終わり、僕の世界は始まったんです」 倫護が口にしたのは言わずと知れたウィルモフ・ペリーシュの三高平襲来事件である。 黒い太陽がセフィロトの樹上に輝いたあの日、アークは存亡の危機に立たされた。 あの日、史上最悪とも、史上最高とも言える魔術の大天才は――己が傲慢な才を武器に世界の全てを唾棄していた筈だ。 「正直、あまりの美しさに呆然としました。 怖いとかは全然……『黒い太陽』のことも神秘についても何一つ知りませんでしたから ただ圧倒的で…現実なのに現実味がなくて…… そんな時に一悟兄ちゃんの――死んだ兄の声というか、気配を感じたんです。 正気にもどったボクはため息をつきました。これまで慣れ親しんできた世界は何だったんだろうって…… 『正体不明の恐怖感』に襲われたのはそのあとです。 一悟兄ちゃんに文句をいってやりたいですよ。ボクの『普通』を返せって」 「だが、君はまだ生きている」 伯爵は言う。 「せおり嬢といい、君といい……箱舟の徒は普通には無い超常識的体験をしているのだな。 許されるならば、君達の魂の形を解剖してみたい位だが――まぁ、それは冗談として」 「先の話に出た聖杯。あれには異物が混じっておる」 ゼルマが話を撹拌した。 「そこなカザミヤと妾が所属する同盟の盟主が混じっておる。ヌシの見解を聞きたい。事実や答えとは違っても構わん」 「私の見解を言うならば、『失われた命こそが永遠だ』」 「土産話に武勇伝といってもな。本当は俺は俺自身を語る言葉は持たないんだ」 些か不気味なる薄ら笑いを浮かべた伯爵に今度は竜一が声を掛けた。 「謙遜をするね、君は――ユウキリュウイチだろう?」 「話をするなら、俺以外のものにして貰いたいな」 そう断った竜一の語るのは彼曰くの『大体は正義の味方』というアークの履歴であった。 「ケイオス、リヒャルト、モリアーティ、ラトにゃん、モフモフと……犠牲の出ない戦いは無かったな。 俺は――夏栖斗程真面目じゃあ無いが、感じるものが無かった訳じゃない。 ……なんで勝てたんだろうな。敵の油断、慢心……それらも要因だろう。 アークも有能だったのかもしれない。だが、何でだ? お前なら分かるか、伯爵」 「ふむ?」 サンジェルマンは敢えて自身に問うた竜一を眺め、顎に手をやり思案顔をした。 長くを生き過ぎた彼に、竜一の真意は掴めない。 「伯爵」 多少の勿体をつけた後、竜一はニヤリと笑って先を続けた。 「俺自身はこう感じるのさ。『この世界』こそが変革を望んでいるのだ、と」 「いや、脱却、か。歪夜からの脱却。 盟主が出陣する情勢、神秘のみならず世界の一つの転換期となろうというこの状況。 だからこそ、『サンジェルマン伯爵』が姿を見せたのだろう? どうだ、伯爵? 大きな流れを――人間以上の意志を感じた事は無いか?」 「ハハハ、面白い事を言う人だ」 「笑い事じゃないぜ。何時だって極東より日は昇る。 世界の観測者を気取る――世界を見守るっていうお前の真意は聞きたいけどな」 軽快に笑った伯爵は竜一の言葉に切り返す。 「『世界は最初から歪夜に支配等されていないさ』。 彼等の多くは俗物で――単純に武力の強い個に過ぎない。 私が保証しよう。そういう『個人』が居るのはこれが初めてでは無いし――歪夜が終わりでもない。 いや、敢えて言うなら。諸君等箱舟の価値も力持たぬ者にとっては同じだよ。 だが、君達はこの世界を支配している訳ではない。つまりはそういう事だろう?」 伯爵は「私が観測者であり、保全主義である事は否定しないが」と続ける。 「真意も何も、私は大きな変革を望んではいないのだよ。 凪のようにこの世界が続けばいいと心から思っている。 愚かな利益主義者の分不相応も望まないし、管理主義者の『正義』にも属さない」 伯爵の揶揄した『管理主義者の正義』が何処を指しているのかは敢えて気付かぬ振りをして。 彼が口にした『愚かな利益主義者の分不相応』の方に反応を見せたのはチコーリアだった。 「凪聖四郎さんという人がいたのだ」 「初めて聞く名前だな。それは誰だね?」 伯爵の答えは世界があの聖四郎に突き付けた冷淡そのものである。 彼は国内では知れたフィクサードだったが、彼が起こしたのは水たまりの戦争に過ぎなかっただろう。 事実、アークは伯爵に名指しで呼ばれ――竜一はその存在を理解されている。チコーリアが黒覇の名前を出さなかったのはある意味の救いだったと言えるのかも知れない。 「日本の悪いお兄さんだったのだ。 彼――聖四郎さんにはごめんなさいだけど、チコはあれほどバカらしくて迷惑な戦いはなかったと思うのだ。 王というのは神さまからその権限を譲り受けた存在でなければならないのだ。 多くの人に支えられ、一人で多くの人を支えられる人でなければならないのだ。 人が自分のエゴだけで天下人たる王をや世界を夢見ても、そんな野望は泡のように消えてしまうのだ」 チコーリアの熱弁に伯爵は大仰に肩を竦めて呟いた。 「驚いた。王権神授説を現代で聞く機会があるとは」 伯爵が指を鳴らすと、チコーリアの前の空になった皿にクロヴィスが新しいお菓子を持ってきた。 目を丸くした彼女が「しつじのおじいさんありがとう」と元気良く礼を言うと、完璧な佇まいの彼は執事の分を出る事は無く、しかし冷たさを感じない調子で如才無く彼女に応対してみせた。 「おじいさんをお持ち帰りしたいぐらいなのだ」。思わず漏れた呟きは先のゼルマのものにも似ている。 成る程、今日という日に振舞われる何れもが普段の機会では中々食べる事の出来ない素晴らしい菓子達である。 「是非、君の話が聞きたいね」 伯爵は「付き合え」と言ったゼルマのチェスの相手をしながら、セレスティアに水を向けた。 「余裕じゃな。目にもの見せてくれる」 勝負として見れば、ゼルマも侮られたものだが――悲しいかな、盤面は伯爵の優位を示している。ゼルマが弱いというよりは、相手が悪過ぎると言った方が正しいのだろうが。 「私がお話出来るのは――私達の元居た世界の顛末しかありませんが」 「そう。私が直接観測し得なかったその話こそ、最も価値があるのだよ」 「それでは」とセレスティアは一つ深呼吸をした。 「『R-type』というミラーミスによって――私達の世界樹は変化しました。 結果生まれたバイデンという戦闘的な個体に我々は長い間の侵略を受ける事になりましたが……」 彼女は実を言えばラ・ル・カーナ動乱を最も至近で過ごした当事者では無かったが、彼女の語る『体験談』は実に臨場感のあるものだった。彼女はフュリエである。ラ・ル・カーナにおけるフュリエはボトムにおける彼女達よりもずっと強い交感能力を有していたからだ。互いの気分も感情も経験も能力もある程度は繋げ合う事が出来るのだ。無論、セレスティアはそれを最初に断ったが――伯爵は却って興味深そうにその目を細めるばかりだった。 「――結果として、再び出現した『R-type』に世界樹の狂化は決定的なものになり。 ラ・ル・カーナは滅亡の際に立たされたのです」 事実を語るセレスティアの表情が幾らか険を増したのは、それが余りにも重大な出来事だったからだろう。世界樹に引きずられて理性を失ったバイデン達はラ・ル・カーナ動乱で壊滅的打撃を受け、最終的には世界から駆逐されたのだ。 彼等はフュリエという種における不倶戴天の敵ではあったが、同時に『出会い方を間違えた弟』でもあった。 「異世界行きと言えば、『ルゴ・アムレス』の踏破は印象深いものがありました」 「これだけ多くの機会で世界の外に飛び出しているのは――恐らく君達位なものだろうな」 「そう思って幾つか資料も持参しました」 「これは有難い」 セラフィーナが本部に許可を取って持ち出した資料には多くの記録写真が存在していた。 ラ・ル・カーナの植生等は錬金術師にはどうやら垂涎だったように見える。 「踏破と言うと……ミラーミスには会ったのかね?」 「ええ。戦いました」 「何と」 「彼女は本来戦えない存在だったのですが――それに強い憧憬を抱いていたようです」 塔型世界『ルゴ・アムレス』は力無きミラーミス『アム』の生み出した泡沫の夢のような場所だった。 仲間達と共に居並ぶ戦士達を打ち破り、踏破せしめた栄誉は彼女の胸の内に棲んでいる。 「……ミラーミスと言えば」 紅茶で薄い唇を湿らせた悠月が静かに口を開いた。 「伯爵は『ナイトメア・ダウン』を御存知ですね?」 「無論。君達には特に縁深い出来事なのだろう?」 「それきた」とばかりに食いつく伯爵に悠月は微かな苦笑を浮かべた。 相手は『時間旅行者』とも称される欧羅巴有数のミステリーなのである。まさに大規模な時間移動とパラレル・ワールドを観測したアークの経験は彼にとっては特に興味深い話になるのだろうという悠月の推測はまさに正鵠を射抜いていたようだ。 「『去年の夏、凡そ半年ばかり前に私達は敵性ミラーミス――R-typeと交戦しました』」 「『成る程、現代最大のミステリーはそういう事情で生じたのか』」 意図的に悠月が投げた何とも不親切な一言を伯爵は早々に合点したようだった。 「釈迦に説法かも知れませんが――全ての発端は、1999年に静岡県に生じたディメンション・ホールでした。 同時に『ナイトメア・ダウンをナイトメア・ダウン程度に留めた』のは2014年に三高平市に生じたディメンション・ホールだったという事です。数奇にも同じ場所に出現した次元の風穴に因果関係があったかは分かりません。 しかし、我々は我々を守って散ったと思われた先人と共に戦う機会を得た」 隔絶された十五年の時間を繋いだディメンション・ホールによる『クロスロード・パラドクス』はアークのリベリスタ達にとって特に印象に残る強烈な出来事だったと言えるだろう。当時からの検証で勝機は無かったと思われていた『R-type』との決戦を紙一重で制したのは――彼の残滓と十五年の時が、アークが生み出した超大型アーティファクト『神威』だったのだ。 まさにタイム・パラドクスの結果、世界は命運を繋いだと言える。 「アレは、本来私達がこの世界に居ない時代でしたから。 あの時初めて『アークが見てきた景色』を見れた気がしました。 自分達のことを知らない人を助ける、というのは不思議な気分で…… ま、こういうのがあるならリベリスタ続けるのも面白いじゃない、って思える程度には」 アークに――リベリスタ達に『神威』の射手となった少女に強い痛みを刻み込みながら。 「結局ミラーミスを討つのは遥か遠い夢、力不足という現実が見えた結果でした。 故に御所望のうちの冒険活劇とは言い難いお話で恐縮ですけれど…… ……ある種の、数奇な運命の物語とは申せましょう。我々が『何時か来るその時』の為に備えて来たのは確かですから」 セレスティアに続いた悠月は真っ直ぐに伯爵を見つめていた。 「因あらば果あり、故に果あらば因あり。 唯の偶然等で片付けられる事では無いのですが、未だ明確には判らない。 『時間旅行者』等とも噂される伯爵様があの体験をどう思われるのか――少々気になりまして、話させていただきました」 話を聞く限りでは伯爵は保守主義者である。多くのフィクサードが革新主義であるのとは裏腹に、どちらかと言えば世界の維持と秩序を望んでいるような所があった。なれば、違いはその手段と『管理主義への嫌悪』でしかないのかと悠月は考えた。 「さて、個人的には――アークを作ったのが誰の意思か、を知りたいのですが、何かご存じないでしょうか」 「うん?」 「言い換えれば、今のアークは、アークを作ることを望んだ人の意に沿っているのかな、と」 セレスティアのやぶらかぼうの問い掛けに伯爵は肩を竦めた。 「作った人間は極身近に居るだろう。少なくとも私よりは。 アークは時村貴樹氏が、或いはその御子息が――穿ってみるならば、シトリィン・フォン・ローエンヴァイス女史が造らせたものだろう。彼等の決断の裏側にこの世界の意志が働いている、という超論理(オカルト)は否定も肯定もしないがね」 ともあれ――君達にその筋合いがある無いは兎も角として。 悠月嬢の言葉に応えよう。答えは、感謝せざるを得ない、だ。あの事件の始末には」 伯爵はリベリスタ達の顔を眺め回して悪戯気に問うた。 「リベリスタ諸君、何故私が千年を超える時間を過ごせたと思うね。それは、人間には過ぎた時間なのに」 当然ながら顔を見合わせたリベリスタ達に答えは無い。 彼等は二百年と生きていないし――バロックナイツの中ですら出色の伯爵の求める解は理解の外だ。 「――まぁ、大したクイズじゃない。 先程礼を言った理由がそれだね、私は観測者だから今もこうして健在でいられる、というだけの話だから」 ●伯爵の話 「色々なお話を有難う。期待以上だった」 「それはどうも」 竜一が言う。 「じゃあ、見返りを期待してもいいよな。 多くの助言を与えてきたとされる伯爵だ。貴重な金言を頂けるならいくらでも頂こうじゃないか」 やや挑戦的な調子の竜一を、 「色々教えてくれたら――クルトさんみたいに上手くないけど、ファゴットをお聞かせするのだ!」 意気込むチコーリアを伯爵は柔和に受け流した。 「勿論。フィンランドくんだりまで君達を呼びつけたのだ。可能な範囲で喋るとも」 これまでの状況から総じるに伯爵はアークに敵意を持っていない。 むしろ保守主義ながらに動く心算が無い自分に比して積極的に要らない革新を止めるアークに好意を抱いている様子である。 バロックナイツの席次すら無価値とする彼の場合、三位の肩書は無視して話を受け止める事が出来そうであった。 「例えば、ロンギヌスの槍のこと。例えば、黙示録の獣を打倒する方法、などね」 「では、その質問から答えよう。 『ロンギヌスの槍』は聖人を刑に処した時に使われたとされる――聖遺物だ。 紆余曲折の末にフォン・ティーレマン君の手に収まっているが、これは一応『本物』とされる。 尤も、特別に力あるそれを『本物』と定義しているに過ぎないから、実際の出自は謎に等しいがね。 まぁ、君達の聞きたいのはそういう一般的な解釈ではないのかも知れないが」 「分かってるなら、頼むぜ」 「了解した。君達の望みを私が『推測』して聞きたい情報を伝えるなら―― 『ロンギヌスの槍』の本質は『神性の否定、拒絶』に他ならない。この場合の神性とは狭義の神を指しているというよりは、広義で言う『神秘の否定』と言った方が確実だな。要するに、槍には神秘を殺す性質が備わっている。 武具としての性能等、その本質に比せば些細な存在に過ぎないな」 「神秘を殺すって事は――」 鸚鵡返しに問うた恵梨香に伯爵は頷いた。 「そう、目下歴史的に見ても最悪の崩界状況を牽引している件の公園の震源地を叩き壊す事は出来るだろう。 こういった情報は、諸君の優秀なエージェント達も掴んでいる事とは思うがね」 語られた事実はアークにもたらされた福音であった。 伯爵の言葉が真実かは知れないが、瀬戸際の状況にあって初めてアークは根治療法に移る切り札の存在を理解したのだから。 キース・ソロモンの助力で破れなかった以上は、アークにそれ以上の方法は無いだろう。 『ロンギヌスの槍』を得られさえすれば、状況が動くという可能性の裏付けはまさに大いなる希望と言えた。 「ありがとう」 「礼等要らぬよ」 「僕からも――話を聞きたい」 夏栖斗がカップをテーブルに置いた。 「時代が変わるというのは世界が大きく変わることだ。 最後に聞かせて。ボトムは今までに滅んだことはあるの? 僕らの世界は何回目?」 「――――」 「――なんて、そんなことわかるわけないか」 苦笑した夏栖斗に伯爵は意味深な表情を見せるばかりだった。 「魔女の事を教えて欲しい」 今度の問いは少なくとも先程のものよりは分かり易い答えを有している筈だ。 「彼女はきっと誰かの愛を食物にして、自分の愛を正しいものにしようとしてるように思えるんだ。 でもその愛はきっとこの世界じゃ禁忌で、愛すると裏切ることしかできない呪い(とう)を左手うけたんじゃないかって」 「君は詩人だな」 伯爵は夏栖斗とは対照的に白磁のカップを口元へと運んだ。 「フォーチュナという触れ込みながら……同時に見せかけや手品でない本物の魔術や錬金術を習得している。 塔の魔女の能力の異常性、伯爵様は心当たりが御座いますか? 彼女の目的にも関係あるのでは、と思わないでもない所ですが」 「悠月嬢の問いへの答えは単純だ。彼女にはそれだけの執念があったというだけの話だ。 己に――己が目的の為に役に立つ、立つかもしれない全てを裏切り、使い潰し、手段さえ選ばずに七百年。 人の身には永遠にも思える長い時間を唯一人、注ぎ込まれる悪意の泥のみで舗装された道を歩こうと思うなら。 魔術師たる君にも可能な程度の『奇跡』に過ぎんと思うね。まぁ、私は彼女の他に出来た人間を知らないが」 彼は悠月の言葉に応え、ポットから新しい一杯を注ぎ、ゆっくりと香りを楽しむようにしてから語り出した。 「彼女とはフランス革命以来の付き合いだが―― あの当時、彼女は王妃陛下の侍女をしていた。私は幾度も色々な忠告を差し上げたものだが…… ……まぁ、それはいい。結果として革命は成り、彼女は混乱の内に今度は革命者の側へ鞍替えをしたという訳だ。 私と彼女は友人では無かったし、取り立てて多くの言葉を交わす仲では無かったがね。 それでも近くで人間を見知れば見えてくるものもあるのだろうね」 「……」 リベリスタ達の注目が伯爵に注がれている。 「――アレはそんなに複雑な女では無いよ。 女怪には違いあるまい、魔女である事も疑う余地は無い。 だが、根はもっと単純で――根源的だ。彼女は他者に理由を求めていない。 言い換えれば彼女は己と一事以外の何者にも目を向けぬような盲目的な愛情の持ち主だった」 「バロックナイツってイギリスの方が多いですよね。 件のアシュレイさんも……革醒前は普通の村娘って言ってましたが―― 彼女のような魔女は迫害も激しかったと聞いています。革醒した途端に狩られてしまうような存在だったのですか?」 「それは正答のようで少し違う」 せおりの言葉を伯爵は訂正した。 「彼等にとって『順序はどうでもいい』のだ。本物の魔女であろうと、村娘であろうとね。 魔女狩り自体が『革醒者を狙ったものでは無い』のだから。彼等は幻想を見て、幻想に従ったに過ぎない。 あくまで偶然にこの世界の真実の一端に触れていたというだけで」 「ねえ、アシュレイちゃんの正体って何? 魔女の願いは世界が書き変わらないと叶えることはできないの?」 はぐらかすような言葉に思わず問うた夏栖斗に伯爵は頷いた。 「彼女は元は唯の人間に過ぎんよ。時代と状況が変われば君達が守っていたかも知れなかった一般人。 暗黒時代の俗悪極まる魔女裁判で致命傷を受けた――唯の革醒者だ。 以下は興味が沸いたので後で調べた裏付けに過ぎないがね。『下劣なる魔女狩り』に命を奪われかけた彼女を救ったのは、当時ウェールズ地方を荒らし回っていた『バッドジョーク』バーリー・バート・ブラックモアなる盗賊だったそうだよ。 まぁ、彼からすれば『救った』自覚は無かったかも知れないが。彼は死にかけた襤褸のような女を残して、一つの村を皆殺しにしただけだから」 伯爵は「彼は君達の言う『鬼畜』というヤツだ」と付け足した。 「だが――状況は少し見えてきたのではないかね? 彼女の名前は『アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア』。左手袋の中身は知らないが、敢えて詩的に表現するならば、ある種のエンゲージでも刻まれているのかも知れないな。無辜の村娘と最悪の魔女を、アシュレイとブラックモアを結び付けた――象徴的な。彼女が頑なに隠す理由も乙女心とすれば、大いに説明が付く所だ」 立て板に水を流すような伯爵の語りにリベリスタ達は無言のままだった。 どんな事情があろうとも彼女の行動の数々は決して肯定されるべきものではない。 だが、伯爵の言葉はある程度アシュレイの行動に目星をつけていた彼等にとっては納得のいくものになっていた。 彼女は酷く女らしく、どうしようもない位にフィクサードなのだから。 これまでの伯爵の話から考えればアシュレイの狙いは反魂だ。禁忌の黄泉返り。最大魔術。 しかしそれ自体はリベリスタ達と決定的なまでに袂を分かつ内容ではないように思われた。 「……アシュレイさんが望みを叶えたら世界はどうなりますか?」 故に倫護は問うた。一縷の望みを言葉にかけて。 しかし、希望とは裏切られる為に存在しているらしい。少なくとも欧羅巴の闇の中では。 「私の推測では、『世界は無かった事になる』だろう」 伯爵は溜息を吐いて面倒そうに言葉を添えた。 「彼女が『バッドジョーク』の復活に腐心していたのは四、五年程前――丁度アークが起動した頃までと認識している。 それまでの彼女の動き方と、今の彼女の動き方は明らかに異なるのだよ。 『反魂』に強力なアーティファクトが必要な理屈は分かる。可能性を求める論理は分かる。 だが、『閉じない穴』はそれ以上のリスクだね。ここまで広げれば彼女自身さえ自力では閉じられまい。 『バッドジョーク』と共に生きる世界を壊したなら、彼女のプレーンな願いは叶わないのだからね。 何を目的にしているか、という意味でこれを分析すれば答えは明白だ。 同時に――私の知る彼女の人となりが推論を見事に補強してくれている、そう言える。 要するに彼女は諦めたのだ。七百年の時間を費やし、総ゆる悪徳に手を染めても、自身を一顧だにしない運命を呪った。正邪別にして、肯定否定別にして。誰よりも愛情の深い女が、拗らせた乙女が七百年分の絶望をこの世界に叩き付けようと決めたなら。唯の集団自殺では話が生温過ぎるとは思えないかね?」 「ホームズの概念によりジェイムズ・モリアーティを破った私達はモリアーティ・プランを手に入れました。 一度しか使う事は出来ませんでしたが……私達が今後、より良い未来を得る方法について問いました。 結果は……アシュレイさんを殺す事。確率は99%でした」 セラフィーナは伯爵の目を見てそう言った。 澄ました顔の伯爵は「全くその通りだ」と告げる。 「お茶はまだあるよ。どうぞ、ゆっくりしていくといい」 リベリスタ達それぞれに次の一杯を勧めるばかりであった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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