●バレンタイン・デイ 「想いはチョコレートに込めなくてもいいんです」 三高平市にチラチラと雪が降る。 冷え込んだ外気に、街を行き交う人達の息が白く弾んでいた。 「想いはチョコレートに込めなくてもいいんです」 二度目、そう言った『清廉漆黒』桃子・エインズワース (nBNE000014) の顔をリベリスタは覗き込んだ。彼女の様子からは普段の騒がしい快活さが少し薄れていた。性格に問題があるとはいえ、元々の造形は抜群だから――アンニュイな表情は非常に絵になるものだった。 「……どうしたんだよ、お前」 「いえ、何だか人恋しい季節じゃないですか」 アークの歴史はたった四年だ。 しかし、四年は短くも――長い時間でもある。 共に笑った仲間の全てが今残っている訳ではない。引き裂かれた恋人達が無かった訳でも無い。それでも――時計の針は歩みを止めない。『時間は不可逆なのだ』。 「……まぁ、な」 リベリスタは自動販売機で暖かいコーヒーを買った。 それを「ほい」と放り投げ、桃子の顔をじっと見た。 長い睫に憂いが遊んでいる。何時もこうなら――マシなのに。 「優しいんですね」 「やめろよ」 「……何だか、少しだけ元気が出てきました」 わざとらしい元気のポーズを取った桃子はあざとい。 苦笑したリベリスタは少しだけ逡巡してから問い掛けた。 「どうしたんだよ」 「……」 「何か、あったんだろ」 間合いに踏み込む一言に、桃子は大きく息を呑んだ。 「だって――」 「――だって?」 「今年は姉さんがチョコレートくれないとか言い出したんですよ! ちょっと酷くないですか!? ねえ、ちょっと! ちょっと!!!」 ――嗚呼、やっぱダメだ。お前。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月03日(火)23:01 |
||
|
||||
|
||||
| ||||
| ||||
|
■メイン参加者 26人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
●元々は宗教記念日 ……だが、そこはそれ。無神論、ごった煮の国、日本の出来事である。 例えば、素晴らしいマーケティングの成功例を二つ挙げろと言われたならば、多くの人はクリスマスにチキンを食べる事と、バレンタイン・デイにチョコレートを渡す事を連想するのではないだろうか。 厳かなる宗教儀式も何のその、すっかり恋人達の記念日として定着したそれ等は、基督教を生活のベースに置く外国とは異なり、少し浮かれた――心地良い酩酊のような意味を冬の日に与えている。 些細な日常が如何に素晴らしいものであるかは今更言うまでも無いだろう。三高平市を見回せば、少し華やいだ空気に身を任せる若い恋人達が――それ以外も――めいめいの時間を過ごしている。 この物語が覗くのは、あくまでその一幕に過ぎないが、心休まる時間の何と素晴らしい事か。 キャストは十分。機会は満ちた。 バレンタインの悲喜こもごもは初めてでは無いけれど――この街の時間が止まるまで、日常は続くのだ。 嗚呼、そこにも。あそこにも。 「でぇと、でぇと♪」 ……おや? 「でーと! でーと! くっろはさんと、でぃなー!!!」 スキップ混じりに街を行く海依音等は出色の存在で、最早何と言うか浮かれ倒しているにも程がある。 (あの時の和服の方、何処と無く黒覇さんの面影があったような…… その辺りも今夜聞けたら……海依音好きな人のことはしっかり情報得るの。 あの時かなりの助力があったことも、言っておかないとよね) 海依音の恋の道は茨を通り越して別の何かにすら首を突っ込んでいるのだが、茨を踏み潰す彼女のバイタリティだけは、草食化が叫ばれて久しい男子諸君も見習うべきなのかも知れないよね。 「海依音、頑張る!!!」 ●大体、宗教記念日 そういう事と御無沙汰になっていれば、確かに実感しない日ではある。 「……街中を見て気付きましたが、バレンタインですか」 浮ついた街を見回した存人は小さく呟いて、かつての自分がどうであったかを考えた。 彼女が生きていた頃はそれなりにそわそわする日だった筈だ。しかし、この数年の無縁振りは著しい。 (……まぁ、昔の事ですね) 存人は小さく頭を振って、市街の中央部――センタービル前の広場に足を進めた。 「それよりエリエリさんは、と……ああ、居た」 今日の彼はエリエリと待ち合わせをしていた。 存人が声を掛けるよりも先に彼に気付いたエリエリは小走りに駆け寄ってきた。 何時もの服の上にもこもことしたダッフルを着込んだ少女は生来の可愛らしさを引き立てている。 「ありありはお友達ですので、どうぞ。あげます」 「はぁ、うん……甘い匂い、チョコレートですか」 改めて言われると他意は無くとも幾らかはにかむ。視線をずらしたエリエリに邪悪ロリらしさは全く無い。 「これはこれは……」 贈り物は時節柄の当然と言えたが、つい先程まで日付に意識がいかなかった存人である。 予想外の所からバレンタインに縁が出来た、と思った存人は…… 「来月は十倍、いや百倍返しですよ!」 そう言って逃げ出したエリエリにひらひらと手を振って考えた。 「孤児院の兄弟姉妹、あとおにいちゃんとおばあちゃんに渡すついでで作ったです! ありありのためだけじゃないです! 友チョコ! あくまで! 友!」 態々途中で足を止めて振り返りそう釘を刺したエリエリに笑ってしまった。 メッセージを見れば尚笑うだろう。『わたしのだいすきなおともだちへ 愛と邪悪さをこめて』では。 「……俺だけにじゃなくても十分嬉しいです。この邪悪さに百倍で報いるにはどうしたら良いんでしょうか」 存人は考えた。 (……あの年頃の女の子が好むものって誰に聞けば良いんでしょう。目玉じゃないのは流石に分かるんですけど) 「イヴたん! イヴたん! うひょおおお! お兄ちゃんがお呼ばれしに来ましたよ!!!」 アーク本部に響き渡る軽薄な竜一の大声はある種の名物のようなものだ。可愛い彼女が居てもそれはそれ、別腹は別腹なのか。無表情でじっと視線を注ぐイヴに彼が何かと絡むのは最早風物詩と化していた。 「……」 「え? 呼んでない? 大丈夫!俺には心の声がちゃーーーんと聞こえたから! お兄ちゃんに会いたいって! むぎゅむぎゅ! チョコよりも甘やかしてほしいって! すりすり!」 ……時にそのスキンシップとやらが父・智親を含めた抗争になっているのは御愛嬌である。 バレンタインだからなのか何なのか、イヴを捕まえた竜一は頭を撫でたりくっついたりとやりたい放題である。 「時間は不可逆か。こうしてイヴたんを頬ずりし続けてもう何年。あと何年出来るか……」 「一般論で言うなら今すぐアウトだと思うけど」 しみじみする事で同情を引こうとした竜一にイヴ(18)が鋭いコメントを添えた。 或る意味で合法化したのは確かだが、或る意味で既に年頃というのも確かな話である。 但し、感情の読み取り難い少女はこうも続けた。 「……別にいいけどね」 「いいの?」 「……………あと、呼んでないけど或る意味呼んでた」 言ったイヴがラッピングされた包みを竜一に押し付けた。そこにはデカデカと『だが義理です』の文字がある。 「ああ、……イヴ、そこにいたか。智親の言った通りだな」 口をパクパクとさせた竜一に構わずイヴは自分を見つけた結唯へと視線をやった。 「どうしたの?」 「大した用では無いがな。お前には普段から世話になっていると思って、な」 「……そんな、私は私の出来る事しかしていないけど」 「たまには飯でも奢ってやろうと思ってな。何か食べたいものでもないか」 「……うーん」 「それから、奴は?」 「竜一は放っておけばいいと思うよ」 欧米ではバレンタインは女子から男子に限らず、大切な人に感謝や想いを伝える日であるという。 まぁ、結唯もイヴも女性ではあるが――結唯にタバスコ入りを食らわされた智親が火を噴いたのは余談である。 ●本当に宗教記念日だろうか? 「……あ、今日も一日、お疲れ様でした」 「ああ、今帰りですか。義衛郎さんも大変ですね」 「いえ、まぁ――未明までアークの任務だったんで、今日は役所の方は昼から夕方までで」 終業準備中のアーク本部にふらりと姿を見せた義衛郎に和泉が柔らかく微笑んだ。 何だかんだでデスク・ワークの苦手な人種が多いアークである。『お役所仕事』をこなす仲間として――そういう意味ではとても頼りになる戦友として、二人はそれなりに知った仲であった。 「今から任務の報告書を提出がてら、本部の女性スタッフの皆さんに、チョコを配ろうかと思って」 「何だか、男性から貰うのはちょっと不思議な感じですね」 「欧米ではバレンタインに、男性から女性にチョコや花を贈っても、何もおかしくないらしいしね。欧米式で行きますよ」 「うん、ナレーションもそう言ってた」 和泉の横からイヴがぴょこんと顔を覗かせた。 何かとマメな義衛郎は本部や役所の女の子からは案外受けが良いのである。 「ハッピーバレンタイン。何時もありがとうございます。此れからも、よろしくどうぞ」 男子が女子力(?)と言うか人間力(?)を発揮している一方で。 染色体が女ならバレンタインが正しく作用するかどうかと言えばそうでもない人達もここに居る。 「乙女は黙って腹筋重点、ノーフィジカル・ノーオトメ!」 「いぇあ!」 「恋はバトル! 恋は戦争! 女子力・イズ・パワー!!!」 「その意気です。だって相手は脳筋ですよ!」 夜のトレーニング・ルームに尋常ならざる女子達の、尋常ならざるやり取りが展開されていた。 怪気炎を上げるのはせおりと、彼女の足を抑えてその腹筋を手伝う桃子である。 バレンタインシナリオに存在した【腹筋】なる異物タグが意味するものは、多くない。つまる所、何か知らんが体を鍛え始めた彼女はこのシナリオにおけるコメディ・リリーフのようなものなのだ。多分。 「桃子さん知ってますか」 「何をです?」 「女性はホルモンの関係で鍛えすぎても筋肉がついてもムキムキにはなりづらいし、大胸筋周りを鍛えたり腹筋でウエスト周りをシェイプすれば胸が目立って綺麗に見えるそうなんだよー。 はいどうぞ、桃味の女性用プロテインシェイクと糖分控えめの一粒ダークチョコです。 味の相性そんなに悪くないと思うし、美容成分入りなんだよう!」 「キタコレ! これぞバレンタイン!」 強引にバレンタインに軌道修正をした二人がチョコレートを摘んで小さな口に放り込む。今夜こんな事をしている辺り、二人がどういう人間なのだかは想像に難くない。砂は無い。無いのだ……と思いきや。 「桃子教官! これ、受け取ってください!」 バーンとトレーニング・ルームの扉を開けて登場した倫護が大方の予想を覆していた。 「恋の予感!」 「この前はありがとうございました。ボク、教官に鍛えられてなんだか強くなったような気がします!」 チョコレートの包みを差し出した倫護の言う『この間』とは冬の富士山に置き去りにされたマラソン大会を指している。桃子としては「そう言えばそんな事もあったような」レベルの出来事だが、彼には違ったようだ。 「それで……よろしければこれから、その……ボクに足りない所をご指導いただけたらって…… あ、うん……桃子教官綺麗だし、当然デートの予定がありますよね? あ、いま言ったこと忘れてくださいって、ど、どどど、どうしてそんな怖い顔――?」 「姉さんが居ないんですよおおおおおおおお!!!」 「うわぁぁぁ! だ、誰かタスケテー!」 予感も何もフラグも全て綺麗にブルドーザーする桃子に腹筋中のせおりが笑った。 そんなやり取りはさて置いて、噂の『姉さん』が何をしているかと言えば…… 「ほっほっほ」 走っている。 「はっはっは」 走っていた。 「な、なによ。あたしがランニングしてちゃおかしいとでも? あたしのプロポーションはまさに天からの賜物なのだわ。 これを磨きもせずに放っとくことこそ大罪だと思わない? 別に、高級チョコの限定品が可愛くて美味しそうで食べ過ぎたとか、関係ないのだわ!」 とても説明的なあらすじをありがとう。 ところで、妹は放置しておいていいのかしらん。 「……へ? 今年は桃子にあげないって…… ああ、そりゃあホラ。あたしも桃子も、ハタチすぎてるわけだし…… そろそろあの子から、本命とかあげたい相手もいるんじゃないかなって。姉チョコとはいえ貰う側でいさせるのもなんか申し訳ないような気もするかなって、そんなとこなのだわ」 多分、居ないけどね。 (……だからココア作りすぎたのも、それを桃子が気づきそうな所に置いとくのも、偶然なのよ。いいわね?) いいお姉ちゃんだなあ。 ●まぁ、いちゃつく日でもいいと思うよ 自宅デートは恋人達の究極である。 確かに目新しい刺激は無い。しかし、余程親しくなければその空気感は作れない。 新鮮さと慣れ過ぎの合間に覗く時間は、誰にとっても実に良いものである。 (それにしても食事の用意を二人でやった訳だが…… 何だかもうするすると準備が進んだ様は夫婦っぽいといいますか、ね。妙に気恥ずかしいな、おい……) 頬をポリポリと掻いた喜平の視線の先にはプレインフェザーの姿がある。 「……今年も、頑張ってみたんだぜ」 同じく気恥ずかしそうに頬を染めた彼女お手製のザッハトルテを楽しんだのはつい先程。 二人でお茶を入れて一服して――ふと左手の指輪に視線を落とした彼女に喜平は言う。 「まっすぐな気持の在り様が好きだ、紡いだ言葉が好きだ。 髪も眼も爪の一欠けら、呼吸の一つも愛おしい。 フェザー、御前を愛している、全てが欲しい。俺のものになれ」 その言葉は衝動のように唐突で、その癖ずっと前から用意されていたかのように澱み無く。 「う、あ……」と顔を赤くして何とも言えない反応を見せたプレインフェザーは唇を尖らせた。 「もう一回……」 「うん?」 「ねぇ。もう一回聞かせて欲しいな……プロポーズの、言葉。 いつかあたし、喜平のお嫁さんになれるんだって、確かめたいから。 ……もうちょっと欲張っちゃっても良いかな。良いよね?」 抱きしめて、キスして 喜平はあたしのものなんだって―― 「――もっと 確かめさせて?」 「こういう機会だし、折角だからご馳走を作るとしよう」 そう言った秋火がこなした台所のオペレーションは案外と如才ないものだった。自身は「ご馳走と言っても大した物でもないけどね」と謙遜したが、簡単なりに丁寧に作られた彼女の手料理はこういう日に彩を添えるに十分だった。 「いや、有難く頂いた。美味かったよ」 「そう、それならいいけどね」 生真面目に礼を言った仁に秋火の方は素っ気無くも嬉しそうである。 『微妙な関係』とは言え、年頃の女子を家に招いてもいいものか――そう考えていた仁はあくまで仁であったが、当の秋火の方は全く気にしている様子が無い。 「ずっと言おうと思っていた事がある」 「……うん?」 食事が終わり、向かい合って座っていた。 秋火の雰囲気が少し変わったのを察した仁は居住まいを正して彼女の顔を見ていた。 「前に共に背を預け合って戦ってから……それからずっと付き合って……」 「ああ」 拙い言葉で『それ』を告げる少女を仁は待つ。 「ボクはもうキミなしでは生きていられない。そう思うようになった。 だから…改めて。ボクとこの先の人生をずっと共に歩んでください。好きです、仁……キミの事が」 余程の朴念仁でなければ気付く感情であった。 仁もそれを考えていなかったと言えば嘘になるだろう。 だから彼は彼女の言葉を真正面から受け止めた。 「……俺は一度、喪っている。娘もいる。 自慢じゃないが、俺は駄目な大人だ。正直、お前に釣り合う自信はない」 「――」 秋火の顔が強張る。 「だから」 仁はそんな彼女の頬にそっと触れた。 「だから、釣り合うまで、一緒にいてくれるか? もう一度、胸を張ってお前の背中を守れるように。残りの人生を全て賭けて」 「最近の男性はやっぱり何でも出来る方が多いのですね」 クスクスと笑う紫月の視線に夏栖斗は少しだけ唇を尖らせた。 「わりとこういうの好きだし、愛しの彼女へ出来立てをプレゼントしたくてさ」 「似合ってますよ、エプロン」 「からかってるでしょ!」 紫月の言う通り、男児厨房に入らずは今や昔の言葉である。 ソファに二人でかけた夏栖斗と紫月は実に屈託無く恋人らしい時間を過ごしていた。 「紫月、あーん」 「あーん」 案外こういうのに乗ってくれる――可愛げは紫月を良く知らなければ見えてこないイメージだ。 「では、此方も」 「あーん」 お互いに食べさせ合う、酷く甘ったるい時間も本人達にとっては至極素晴らしいイベントであろう。 「……そう言えば」 「うん?」 「渡し辛くなる前に、私も」 冷蔵庫からチョコレート・ケーキを取り出した紫月は「だって、上手なのだもの」と本気か冗談か嘯いた。 「多分、それが一番出来が良いので」 得手では無い彼女は練習の成果をこの本番に発揮した。甲斐あってか、外見は中々整っている。 「紫月!」 「はい?」 「あのですね。紫月さん。やっぱ、彼女にチョコもらうって嬉しくてやばい」 「ちょっとタンマ」と顔を覆った夏栖斗はややあって彼女の肩を掴んだ。 真正面からアメジストの瞳が夏栖斗を覗き込んでいる。彼女の瞳の中に彼が住んでいる。 「お礼!」 「んっ……」 不器用な少年の不器用なエスコートが紫月は決して嫌いではない。 だって、それは――今食べたチョコレートの味がしたから。 歯ブラシ、パジャマ、時には雑貨やぬいぐるみ…… (何かこういうの、いいよな) 自分の部屋に増える雷音の私物を眺めて快は思った。暗黒めいた男子校時代には決して想像も出来なかった風景だ。殺風景な男の部屋を華やがせる天使の残り香は、チョコレートより尚甘く。啜るコーヒーよりもずっと深く彼の心を落ち着ける特効薬だった。 「どうしたのだ。ぼうっとして」 「いいや、何でも。ちょっと」 「幸せを噛み締めてただけ」。言葉の後半を言わなかった快に雷音が小首を傾げた。 「……あの、そのだな。これを」 人心地をつけばいよいよ本番の時である。 上目遣いの雷音がおずおずと差し出したのは拘り抜いたラッピングの可愛らしい包みだった。 「君だけの、特別だ」 じっと自身を見つめる快の瞳に雷音は体温が上昇するのを自覚した。 「夏栖斗につまみ食いされそうになったが死守したのだぞ。 こういうお菓子作りは好きだからな。乙女の嗜みだ。喜んで貰えるなら、ボクも嬉しい」 やや早口めいてそう告げた雷音に快は、 「嬉しいよ。最高に、嬉しい」 飾り気の無い言葉でストレートに己が気持ちを伝えてみせた。 「そ、そうか」 「そうだよ」 笑った快の手がリボンを解く。ピンク色の袋を開き、色とりどりのチョコレートを二粒摘む。 「二人で食べるとさ、美味しさも幸せも、二倍だよ」 「ああ――」 『Melty・melty magical love』にはきっと魔法が込められているのだろう。 「今夜、泊まってけよ。もう遅いし、冷えるから、さ」 快の言葉はまるで何処かの室長(プレイ・ボーイ)のように滑らかだった。 疾風怒濤の自宅デート。 男子の家に遊びに行く女子も居れば、女子の家にお邪魔する男子の姿もある。 「あひるの家はアレだな、何度来てもいいにおいするな」 「もう、恥ずかしい事すぐ言う!」 「ウヒヒ。でも、今日はいつもより甘い匂いがする気がするぜ」 勝手知ったる恋人の家、やり取りも板についているのは三高平の『おしどり夫婦』――フツとあひるの二人である。 「改めていらっしゃい、フツ。もうすぐ出来上がるから、待っててね」 「ああ。あひるの料理が上手いのはオレが一番よくわかってるからな。楽しみだぜ」 そう言ったフツにあひるは鼻歌混じりである。 あひるが今日用意したのは特製のフォンダンショコラ。彼女の女子力の結集とも言うべき大作はフツに言わせれば「この時期、店に売ってるって言ってもおかしくないぜ」。 「今年も仲良く……ラブラブしようね……!」 瞳の中に星を輝かせたあひるが言えばフツは大きく頷いた。 「早速、あーんしてくれると嬉しいぜ!」 「はい、あーん! 熱いから気をつけてね!」 しきりに褒めながら口をもぐもぐとやるフツを頬杖をついたあひるが見つめている。 「あひる、将来、お菓子屋さんとかやったらいいんじゃね? そしたら、このフォンダンショコラ、定番メニューにでき……いや、やっぱダメだ! あひるはオレのお嫁さんになってもらわないといけないからな! 「お、お嫁さんになったら……毎日、美味しい料理やお菓子を作らなきゃね……! お母さんになったらお菓子屋さんになって、暮らしたり…… 欲張りすぎかな? でも、平和になったら、そんなのもいいよね。フツと一緒なら、できる気がするよ!」 嗚呼、ご馳走様…… 二人の家はお菓子の家より甘いに決まっている。 「一日ゆっくりできてよかったね。最近戦ってばっかりだし息抜き大事」 「まだ全部終わったワケじゃないけど、心の洗濯ってのはやっぱり必要だと思うしな」 夕食後、人心地ついたアリステアと涼は久し振りに心の休まる時間を満喫していた。 バレンタイン位はゆっくりしたい――そう考えた二人の気持ちに天が応えたのか、今日は実に穏やかだった。 「さっきご飯作った時に、こっそり作ってたの。バレンタインだし、少し冷たいチョコのデザート」 アリステアのちょっとしたサプライズに涼の目が微笑んだ。 彼女が冷蔵庫から取り出したのはチョコレートのパンナコッタである。可愛らしいガラスの器にちょこんと盛られたお手製のデザートはどちらにとっても重要なバレンタインのメイン・イベントなのである。 「あーん?」 銀色のスプーンが涼の口元に甘さを運ぶ。 「うん、うん」 「……どうかな?」 「気恥ずかしいけど――やっぱり、こう、食べさせてもらうと特に美味しいな」 「そ、そう。良かった!」 白い肌に朱色が差した。視線を泳がせたアリステアに今度は涼が甘さを運んだ。 「え――」 それは、一瞬の早業だ。 「――ん、ン……っ……」 涼の指先は彼女の薄い唇を撫で、その頤を持ち上げた。 刹那後に触れ合った唇は、その舌はチョコレートの甘さを仄かに少女に渡していた。 「ちゃんと、食べる?」 からかうように言った涼に目をぐるぐるにしたアリステアは答えない―― 完成したチョコレートは机の上に。 佇むチョコレートに都合四つの瞳、二組の視線が注がれている。 「大丈夫ですよ、おかしな所は無かったですし」 「そうだよな、うん。余計な事はしなかった!」 リセリアと猛の今日の共同作業はチョコレートの製作だった。「チョコレートを湯煎して……ええ、と」。本を見ながら悪戦苦闘をした猛をリセリアがサポートする形でこの抹茶ショコラはこの世界に生を受けたのだ。 「……何とかなったよな、見た目は」 「ええ。上手に出来た気がします」 「じゃあ」 猛はほっと一安心して恋人に言った。 「早速味見してみてくれよ、リセリア。俺からのバレンタインチョコだぜ」 「ん」とリセリアが口に運んだチョコレートは優しい味がした。決して高級品の味わいではない。一流のパティシエが作った蕩けるようなショコラではない。だが、彼女にはそれが却って嬉しく思えた。 「……ありがとう、猛さん」 「俺も食べてみよっと」とチョコレートを摘んだ猛をリセリアは目を細めて見つめていた。 愛おしさはすぐ傍にある。悪戯気な瞳も、臆面の無い所も。 「――――」 抱き寄せられたリセリアは少し驚き、それから目を閉じた。 好きなのはこんな強引な所も、である。 「うん、美味しい、美味しい」 「……も、もう。チョコもちゃんと食べてくださいね」 「バレンタインですから」 「まぁ、期待はしてたけどね」 「期待以上だと良いのですが」 何時ものからかいに何時もと違う反応を見せた恵梨香に沙織は少し驚いた顔をした。 感情を表現するのが苦手だった少女は、アークに来た頃より見違える程に明るくなっている。 「もう、お誕生日ですね」 「三日後にね」 「任務があるかも知れませんから、今言わせて下さい」 恵梨香はすっと息を吸い込んだ。丹田に力を込めて言うべきを言う。今日こそ言う。 「お誕生日おめでとうございます。愛してます」 「――――」 自信家の瞳が珍しく驚いた形になる。 他ならぬ彼である。そんな事は百も承知、千も承知、それ以上も承知だったが―― 「そんな風に言うとは思ってなかったな」 「ええ、私も思っていませんでした」 恵梨香は全く悪びれない。 「アタシに出来る事なら、何でも言って下さい。『沙織さん』の為なら、私は」 『室長』と呼ばない少女の頭に沙織はポンと手を置いた。 「今日は何か変ですか?」 「ああ」 「そうですね、実は不安なんです」 「俺もだ」 次の戦いも帰ってこられるか。あの魔女の企みが一体何処を目指しているのか。 「……沙織さん」 「あん?」 「命令して下さい。帰って来いって。貴方が命令したなら、私は」 肩に額を預けた恵梨香に沙織は言った。確かに、はっきりと。 「――」 「――――!」 月光だけの差し込む暗い部屋で夜鷹はレイチェルを見下ろした。 距離は近い。酒の匂いが、彼の自制を吹き飛ばしたのも確かだろう。 泣きそうな顔をした少女の顔を、ハッキリと怒った彼の顔が覗き込む。 「――」 「――――」 不器用に愛を語れば、何処までも二人で墜ちていけるのだろうか。 唯一つ、君に望むのは、君に許さないのは抜け出さんとする事それのみだと。 頬をくすぐる黒い髪にレイチェルは目を閉じた。 何処までも時間は愛しい。例え、そこにどんな罪が横たわっていたとしても。 それぞれの思惑と、それぞれの時間を抱いてバレンタインの夜が更ける。 駆け足に、後幾らも無い猶予の時間は過ぎていく。 三高平が送る『最後のバレンタイン』は――貴方達の思い出になれただろうか? |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|