●最終楽章 ――――英雄達よ、喝采を。ここに全ての悲劇は終わる。 ●救世の詩-夢と現の境界線- 神奈川県横浜市鶴見ヶ丘、諸嶽山總持寺。 閉じない世界の穴が開いている為に、アークによって閉鎖されている神秘的特異点。 『神奈川県立三ツ池公園』を眼下に収める事が出来る近隣唯一の霊的儀場。 曹洞宗という仏教宗派の総本山でもあるその寺院はこの日何の予兆も無く、 辺りの山脈一帯ごと“纏めて何かに呑み込まれた” 「これで良かったのじゃろう?」 「はい。お手間をお掛けしました」 老人が、古びた地図を脇に抱えて告げる。夜と言う事も有り、境内には誰も居ない。 縦しんば寺院内に誰か居たとして革醒者ですらない人々に抵抗の余地など有る筈も無く。 「この世界で最も不安定な……夢と現の境界線。 其処で、世界で最も運命を掻き乱す存在が相争う……これ以上の機会は有りません」 元より、箱舟と歪夜の王の戦いに介入する心算など欠片も無い。 狙うのは徹頭徹尾、欠片の言い訳も効かない程に漁夫の利、唯一つ。 「運命を司る樹の根を触媒に、創世の剣と蜘蛛の糸を軸として術式を構成。 研ぎ澄まされた、力持つ革醒者達の魂を供物として――英雄も、魔王も、呑み下す」 魔術の儀式には、必要とされる物が幾つもある。 特に術者の資質、触媒、儀場、術式、供物、この5つはその魔術の格に直結する。 例えば神に挑む程の資質を持つ『黒い太陽』など一握りの天才であれば省略する事も叶おうが、 唯の魔術師が揃えられる前提条件として用意されたそれらは究極の一点。 何せ、歪夜の使徒ですら切り札とする伝説級の破界器が含まれている。 「同調(リンク)―――“アルマナック原典”」 現存する因果干渉系破界器の最高峰。 知覚している世界情報からの未来演算を実現する“ノストラダムス預言書”、その原典。 『ヨハネ黙示録』に比すれば格として劣るとも、用途を考えれば必要十分。 そして、『神託』が肌身離さず身に着けている剣。 『灰色の魔女』、『茨の涙』、『千貌』、『偶像天使』、『二代閃剣』、そして『不吉の道化』 これらの魂を以って賄われる、本来世紀単位の時間を必要とする極大儀式の短縮(ショートカット) 星を包む様に張り巡らせた屍の灰を用いた“天鎖結界”による術式効果の増幅。 歯車は巡り、地球上の70億人。一般人の全てを『救済されるまで醒めない夢』へと落とす。 一からこの様な奇跡を起こそうとすれば、それこそ魂の寿命が尽き果てるだろう。 だが世界が崩界寸前である今に限れば話は変わる。 「ワールドエンド・ネットワーク展開。『大極図』と連結。 ディメンジョンホールより“集合無意識”へ干渉開始」 屍の結界で増幅された魔力は光となり、鞘の口から毀れ始める。 けれどそれだけではまだ足りない。力を持つ革醒者など幾らも居る。 例えば現在三ツ池公園を侵略している彼の『疾く暴く獣』であれば、 気紛れレベルの手慰みで、この程度の儀式など容易く破ってみせるだろう。 彼の僕たる『白騎士』、『黒騎士』にしても同じ事。真っ向対すれば詰むのは見えている。 当然『塔の魔女』も、気付けば全力で救世を阻むだろう。世界は"優しくなどない" それを知ればこそ。『神託』オリヴィア・エリザベス・クロムウェルは彼らを、世界を騙す。 運命に干渉し“儀式発動の一瞬前”に“儀式効果を完了”させる。 オリヴィアの資質を以って"運命の樹の根(アルラウネ)”を正しく使えば、 誰かがその動きを知覚する前に終わらせられる……演算上は、その筈だ。 「で、俺は儀式完了までの時間稼ぎ役って訳か」 長身の美丈夫が“かつて嫌と言う程見た光景”を見下ろし瞳を細める。 『親衛隊』残党。『極緻猟犬』ヘルムート・フォン・ヴィルヘルム。 「何、わしが抑えられぬ者を喰い止めるだけの簡単な仕事じゃて」 応じるは老人。否。それは老人の姿をしているだけの“魔神”にすら等しい。 『武仙』張三豊。人より生まれ、人の器を超えた上位世界存在。 その身は限り無くアザーバイドに近く、用いる業もまた覇界闘士とは似て非なる物。 『塔の魔女』とほぼ同年代の“太極拳の祖”と聞けば、その非常識さが伺えるだろう。 「制限時間は?」 ヘルムートがこの場に居座るに当たり詰まれた額は、前金だけで一生遊んで暮らせる程。 金で命を売った訳ではない。今この時でなければ手を引いていただろう。 だが、『歪夜の王』と『箱舟』の抗争中であればどうだ。 可能性がある。全てを出し抜ける可能性が。例え一縷の望みに過ぎないのだとしても。 『鉄十字』が最後の盤面に刻まれる可能性、これから『猟犬』が眼を背けられるか。 ……いや、余りにも出来過ぎで、謀られているとは分かっていた。 感傷? 未練? 心底下らない――自分はそんな上等な人間じゃないと分かっている。 逃げろ。やめてしまえ。糞の役にも立たない捨石同然の役割など。 脳裏を過ぎる過去の自分が今の自分を全力で罵倒する。所詮お前は、逃亡兵じゃないか。 ああ、そうだ――――“だとしても”。 敗北は覆せない。死んだ者は戻らない。それでも、何も刻まずに終われはしない。 無意味な拘りであろうとも、人は意味有る行いだけでは生きられない。 もしも英雄と魔王の恐怖劇をこの手で覆せるのなら、そりゃあ最高に爽快だぞ。 「接敵から、凡そ10分。それで終わりです」 黄金の剣を立てかけて、少女の姿をした『世界の敵』が光の無い瞳を開く。 白い花嫁のヴェールを翻し、触れれば折れる程度の小娘が全人類を救うと断じる。 「人類救済をはじめましょう」 ●救世の詩-最も新しい英雄譚- 《 ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR 》 アーク本部。ブリーフィングルーム。 神秘事件の発生を探知した直後、モニターを埋め尽くしたのは赤い無数のエラー表示。 未来を見通す万華鏡の演算が混乱を来たしていた。測定不能、仔細不明、予測不可。 これまで、幾多のフィクサードと相対して来た。 フォーチュナや、演算を妨害する敵と対した事も少なくは無い。 『塔の魔女』は自らの手の内を隠蔽して見せた。 『福音の指揮者』はシステムの神秘探知からも隠れおおせた。 『犯罪ナポレオン』は万華鏡本体その物にハッキングを仕掛けて来た。 だがそれらは世界最強と称される『歪夜の使徒(バロックナイツ)』であればこそ。 並の革醒者が抗し得る程、方舟擁する神の眼は決して生易しい破界器ではない。 で、あるならば。最低でも伝説級かそれに匹敵する力が働いている。 普段以上に顔色が青白い『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)が重々しく声を上げる。 「多分伝説級破界器による演算妨害を受けてる……それ以外考えられない」 現状エラーを吐き出すのは、イヴが垣間見た“謎のオーロラが齎す未来”1つに限られる。 それ以外の事件に対しては正常稼動する以上カレイドシステム側の問題ではない。 「エラーの発生源は横浜市……鶴見ヶ丘。それと、この手口は多分――『救世劇団』」 万華鏡に対する過剰なまでの警戒心。そしてその演算限界を推測出来る相手。 これだけ大掛かりな仕込みをして、あまつさえタイミングが最悪だ。 『疾く暴く獣』の三ッ池公園襲撃に、完全に動きを同期させて来ている。 そんな事をするフィクサードなど……僅か一つ以外に考えられない。 『救世劇団』英国に居を構え、歪夜の傘下組織残党を纏めて呑みこんだ西の災厄。 全人類の救済と終焉の解放を詠う『神託の女神』を首魁とするフィクサード組織。 そして、常にアークの勝利の裏側で暗夜くし続けて来た“現行世界を護る者の敵”だ 「先の『千貌』や『バッドダンサー』の言葉から、何かが完了し掛かっている事は間違い無い。 その上で、場所が霊場なら……ほぼ間違い無く儀式魔術」 組織首魁、『神託』オリヴィア・エリザベス・クロムウェルの来日以来、 件の組織の活動は目に見えて活発化している。 過去、人の魂を生贄に捧げて発動する破界器を用いた事もある彼らが、 今一度力を持つ革醒者の魂を集め始めたのだ。 結果『茨の涙』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)。『二代閃剣』常盤 総司郎と言った、 有力なリベリスタ達の命が失われた。その上でこの状況だ。 今この国は、世界中で極限の神秘的危険地帯と化している。 この上万華鏡を直接妨害する等と言う宣戦布告を行う以上、事態は尋常ではない。 「幹部の大半を失って、相手も余力は無いと思う……ただ、油断はしないで」 凄く、嫌な予感がする。不世出の天才的フォーチュナであるイヴで以って、 そう言わせるに足る事態が進行している。ここまで来れば、もう逃げ道など無い。 「……私も、最後まで戦う」 三ツ池公園の戦いから続け様だ。一体どれだけの力を注いだのか。 イヴが単独で見通した、フォーチュナ個人としては破格と言って良い情報の束。 どれだけ役立つかは知れない物の、それらを纏めた紙面を押し付け白い少女は声を上げる。 「世界は私達が護る……バロックナイツからも、救世劇団からも」 悪夢の崩落から続く方舟と、託された歴史の誇り。対するは世界を救うと詩う400年の祈り。 勝利するのは片方だけ。世界は今から続くのか、或いは今を以って終わるのか。 「それが、託された私達の役目」 万華鏡は指し示す事無く、運命を支配する頚木は失われた。 これまでとは訳が違う。後はなく、敗北はこれまで全ての結末に絶望的禍根を刻む。 では退くかと問えば否だろう。リベリスタの戦いとは何時でも秩序を護る為の戦いだ。 戦い勝ち取る他に術は無い。偽りの夢の神座。札は並べられ舞台は整った。 最も新しい英雄譚は今宵、ここから。 《 ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR 》 ●救世の詩-たたかいのおわるとき- 空を巡るのはオーロラ。虹色の光は全ての人々に等しく降り注ぐ。 瞬くよりもずっとずっと短い一瞬。永遠の白昼夢。 己が胡蝶に過ぎないならば、世界を甘鄲の夢で染め直す。 神の眼の届かぬ地平で人類の集合無意識(アーキタイプ)が流出する。 世界は術者である聖女が定めたルールに基き無限回に繰り返すだろう。 人々が真の痛みを知り、絶望を知り、苦渋を知り、艱難辛苦を骨の髄まで思い知り。 そして、誰もが自らの手で希望を掴みとり一つ先の次元へ進むまで。 全人類が誰かに自責を委ねる事無く、己の生が他人の生に支えられている事を理解し、 世界と言う目線で他者を思いやる事が出来る様になれば……そこで漸く、救世は終わる。 聖女は今でも信じている。人の絆の、想いの、愛情の力を。 彼女は一途に求め続ける。彼の愛したこの世界が、もう少しだけ優しくなる事を。 その過程で何人が失われようと。その道程でどれだけの罪を犯そうと。 その結末に、自らの魂までもが消滅する術が組み込まれていたとしても。 善も悪もない。正しさなど求めない。心は彼が持って行ったのだ。 今更全てを捧げることなど、恐れはしない。 誰も救ってくれない世界なら、無理矢理にでも自分が救う。 タイムリミットは迫っている。全てが終わる前に、終焉に終止符を。 そうして全人類が団結する事が出来たなら世界は必ず救われる。 欺瞞で彩られ、神秘によって覆われた無理解のヴェールは引き裂かれる。 誰も辿り着いた事の無い未来を求めて。誰もが夢物語と嘲笑う様な世界を夢見て。 かつて彼と彼女が描いた、空想を現実にする為に。 少女はタクトの代わりに鞘から黄金の刃を抜き放ち、世界を切り拓く。 「これが、私の愛の証明――」 触媒たる黄金の剣。『聖マグダレナの三日月』を刻まれ聖女の遺骨を柄に持つ聖遺物。 禁断の果実を口にした始原の男女が携えた最初の武器、『叡智』その物の象徴。 “もう一つの”伝説級破界器――『楽園失墜(ソフィア)』の剣。 「高らかに響き渡れ『救世聖譚曲(メサイア・オラトリオ)』」 ――歌声は遠く、星を覆い時を遡り空の彼方まで響き渡る。 ここが、ゆめのはじまるばしょ。 ここが、たたかいのおわるばしょ。 救世の詩は、奏でられた。 明日を迎える為の最後の戯曲が――――今その幕を切って落とす。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月02日(月)22:00 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●泰山は動かず 機を測り拳を引き絞り、放つ。 腕と脇との間に出来た空白へ、小柄な人影が滑り込む。 動きを読み、伸びた腕を引く合間に膝を上げる。姿勢が崩れる。 滑り込んだ影は正確に肘へ左拳を短く上げる。その手首に膝が当たり、狙いが肘から腕へ逸れる。 されどさる物。矛先を外された拳士は上がった膝の下へ右手を回す。 ――膝を掬い、倒す心算だ。察した拳士は姿勢を崩すまま片足で前方へ跳ねる。 転がる合間は永遠ほど長い。石畳に身を打ちつけ後背へ受けの構え。追撃は、ない。 賞賛の声は手首を嵌め直す小人物の方から上がった。 「やるの、若いの」 受けた側。カウンターを狙いに行った『境界線』設楽 悠里(BNE001610)からすれば、 お世辞にしか聞こえない。一手の打ち合いで確信する。 (これが僕らにとっての壁) 人の頂を超えた者。内家拳の祖――――『武仙』張三豊。 その影が視界に入ったと思った瞬間には、50mは有った間合いが0になっていた。 (――完璧に、化け物じゃないか) 冷え切った思考が全力で警告する。逃げろ。無理だ。絶対に勝てない。 臆病であった、振り切った筈の恐怖が全身を覆う。死ぬかもしれない。今度こそ。 「叶えたい夢があるんだ」 けれど口は勝手に言葉を紡ぐ。考えるまでも。必要すら無い。 「張三豊。僕は貴方を超える。超えないといけないんだ」 だって決めたんだ。 「成さねば為らぬなら、遂げてみよ」 あの、きっと誰より優しい女の子を止めると。 「『境界線』設楽悠里――勝負!」 応えは無く。老人の姿をした武神が口元に皺を寄せる。 その、一瞬とも呼べない間隙を――双剣と魔力の弾丸、そして光輪が裂く。 「己の不甲斐無さを、よくよく思い知らせてくれる物だ」 手応えに切れが無い。空振りこそしなかった物の、振り抜く側へ身を倒したか。 『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)の呟きは小さく、苦い。 彼の剣戟が完全に捉えられぬ者など、世界広しと言えどそう居ない。 加えて、彼が選んだのはその師より継いだ閃光の剣。太刀筋は音速を裕に上回る。 にも関わらず――――呼吸を、合わされた。 「至った果て、とはこれ程の物か……」 「武の神仙。異名は、誇張の類ではない様ですね」 その上で、『無銘』熾竜“Seraph”伊吹(BNE004197)の放った無頼の光輪と、 『現の月』風宮 悠月(BNE001450)が射つ特大威力の魔力弾をも捌いたとなれば、 これはもう相手を人間だと思ってはいけないと言う事だ。 何せこれだけ立ち回って、“相手は小脇に地図の破界器を抱えたまま”なのだから。 ……けれど、それが何だと言うのか。 「はー、面倒くさい爺さんだね」 黒のフルフェイスヘルメットから毀れた声に、法衣を纏った男が応える。 「ここで勝てなきゃ、どの道全員夢の世界行きだ――今日で全部終わらせる」 異形の神を奉じる緒形 腥(BNE004852)の射線は正に老人の抱えた地図へと引かれ、 片や『ピジョンブラッド』ロアン・シュヴァイヤー(BNE003963) その銃口は躊躇いなく『武仙』そのものを狙っている。 無貌の男は知人の友、その命を贖う為に。そして男は妹を贄に捧げられた復讐故に。 どれほど難敵が立ち塞がろうと、ここでは退けない理由がある。 「まあ広くて狭い界隈だ、おっさんの知人に手を出したクズは絶対殺す」 「神様のいいように使われて生きて、最後は人類救済の礎? ああ――笑わせないでよ」 銃声が2度連なり、破裂音と共に周囲の樹木へ突き刺さる。 神秘の宿った銃弾を、振った手刀が薙ぎ払う。 だが、だとしても繰り返そう。“たかがそれだけの問題が、一体何だと言うのか” 「……易に太極あり、両義を生じ、四象を生じ、八卦を生ず。受け流すのはお家芸か」 『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)が小さく羽ばたきながら瞳を凝らす。 相手は特別動きが速い訳ではない。体捌きが達者なだけだ。 だが長く闘士たる義兄を見て来た雷音には、それがどれ程の異質か理解出来る。 (どう考えても、これを正面突破するには相当時間が掛かるのだ……) 唯強い、故に打破困難。シンプルな論理である分突破口が見えない。 「いや、そもそもこれだけで終わってくれる程楽な相手じゃない」 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が後を告ぐ。 神秘に疎いが故に神秘を受け付けない快の瞳は参道の先。山門の上に人影を見る。 影に潜んでいたのだろうが、熱を感知してしまえば瞭然だ。 『極緻猟犬』ヘルムート。乱戦を独壇場とする“遊撃手”が傍観に徹するとは思えない。 此方が戦線を押し上げれば、撃って来るだろう。当然に。 「さても大した若者らよ。ならば少々手を抜いて貰うかの」 老人が両の手を打ち合わせる。一拍。 誰にも庇われず、耐性持ち得ぬ面々が纏めてその体躯の自由を奪われる。 浸透頸による気脈破壊。即ち真武七截陣。 「させない! 恐れよ退け、神仏の加護を今此に――急急如律令!」 間髪入れず雷音が押し付けられた法則を祓うが、 その頃には『武仙』を抑えていた拓真と悠里の体躯が宙へ舞っている。 (っ、動きに無駄が無さ過ぎる……!) 庇う事に徹さざるを得ない快の戦慄に、後方から駆け込んだのは鋼の騎士鎧。 「やらせるかよおおお――っ!!」 悠里に振り上げられた拳。喰らいついて行くと決めていなければ間に合うまい。 『桐鳳凰』ツァイン・ウォーレス(BNE001520)が幅広の剣で老人の剣戟に割り込む。 放たれた剣閃には十字の加護が宿り、張三豊は紛れも無くその軸上に居た。 だが、拓真が感じた物と同じ物をツァインもまた痛感する。 手応えが軽い。軽過ぎる。まるで霞を斬っている様に。いや……むしろ。 (何だ、殺意がまるで感じられねえ……?) 戦いを楽しむ彼だからこそ、その一太刀に違和感が響く。何かが、想像と、違っている。 「んー……?」 既に戦端は開かれた。 異常を更に一回り凌駕する老人の動きは今迄様々なフィクサードを見て来た、 アークに在っても凡そ理解の外に在る域に達している。 その動きは未だ実力も十分ではなかった頃に対した『生きた都市伝説』を髣髴とさせる程だ。 けれど、そう言った斬った張ったとはまるで縁遠い目線で、彼。 『SHOGO』靖邦・Z・翔護(BNE003820)は戦場を千里を透す魔眼で流し見る。 真白イヴより受け取った情報からは、“ある物の所在”が抜けていた。 「万華鏡の演算を掻き乱す」のが預言書(アルマナック)の干渉結果であるなら、 イヴが見落とす筈が無いにも関わらず、だ。勿論『神託』が持っているならば問題は無かった。 ――――が。 (黄金の剣と鞘だけか) イヴから隠した? 誰が? いや。この場には居る。“一流のフォーチュナ”が。 (……何でよ。おかしくね?) 儀式の核でも無い物を隠す理由が分からない。けれど引っ掛かる。 どうしようもなく――引っ掛かるのだ。 ●猟犬の狩り場 2分が経過した。通常であれば、戦いが終わっていてもおかしくはない。 だが、『武仙』は変わらず泰然と立ち塞がっている。 「おっさんも大概化け物じみてきたと思ってたが、こりゃ当分化け物未満は下ろせそうも無いか。 腹立つわァ、いあ! いあ! くとぅるふ、ふたぐん!」 奇声を上げながら放った腥の銃弾が、これを受け流す老人の抱えた地図型の破界器を掠める。 側面はかなりボロボロになりつつあるが、破壊まではまだまだ届かない。 (良くない、流れですね……) その様を見遣り、魔術を放つ一息の間に結論付ける。 少なくとも悠月の眼には、相手を追い詰めている様には到底見えない。と言うのも―― 「退けよ、僕は、今ここで、妹を救わなきゃいけないんだよ―――!」 ロアンの放った五枚のカードが老人の纏った道衣を引き裂く。 凡そ2回に1度の確率で“的中”する彼の「切り札」はこの戦いの肝だ。 避けに避ける武の至尊に、傷を癒す純陽無極功が乗ってしまえば永遠に進めない。 (予測はしていたが想定以上なのだ。これが、魔神級か) 伊吹の放つ悪夢の抜き打ちも、確実に当てるには集中を必要とする程だ。 その為時折致命の呪いが外れる。故に一進一退を繰り返している。 「一撃が重過ぎるよあのお爺さん……拓真は、後何回保つ?」 「どうかな、後数度打ち合えるか。かの蓬莱、仙人も居るのかと考えた事はあったが……」 横並びに並んだ拓真と悠里が濃い血の味に奥歯を噛む。 体躯への損傷は然程ではない。問題はむしろ内側だ。 体内に直接衝撃を透されるが故に守りがまるで意味を持たない。 「まさか、本当にそういった者と対する事になるとはな」 武を極めし八百年に比すれば、アークの数年など誤差の範疇だろう。 洗練されきった体躯の動きは彼が対した如何なる武人をも越えている様に見える。 だが、それならばそれで良い。 「僕の方も、後1発きついの貰ったらヤバい」 ここで、立ち止まって入られない。諦めるなんて絶対に御免だ。 「なら、届かせなくちゃな」 2人の肩を、後方まで吹き飛ばされていたツァインが叩く。 そうだ。彼らの背には仲間が居る。ずっと、ずっとそうして歩いて来た。 ここで負ける理由も、退く論拠も、諦める動機すら、有りはしない。 「快さん、動こう」 「……今動けば、間違いなく向こうも動くよ」 山門に在る影は動かない。だが、気付いていない訳では有るまい。 相手の射程圏に1歩踏み込めば、戦況は一層悪化する。 「俺が抑える」 けれど、ツァインは言い切った。絶対者などではない。綱渡りを余儀なくされる。 それでも。彼もまた譲れぬ想いを抱えてここまでやって来たのだから。 「だから、行ってくれ」 「……分かった」 言葉は不要。2人の守り手が、戦況を動かす。 踏み越えざるべき猟犬の狩猟場。その一線を越えた直後――銃弾が、撥ねた。 「来やがったな、今度はしっかり狙えよ駄犬!」 ―――境内と参道の境界。山門直上。 構えたライフル銃のスコープから、『極緻猟犬』は確かにその猛りを聞いた。 (ここまで追って来るとか地雷女かよ、あの野郎) 空港で酒を交わしたのはそれ程遠くない記憶だ。 相手がどれ程厄介な人間であるかも、不必要な位知っている。で、あればこそ。 「良いぜ、今度は生きて通さねえ」 狩場に踏み込んだ獲物相手に『猟犬』を名乗った男が、退ける道理も無く。 極緻の天才銃撃手。その業は磨がれど曇る兆すらない。 構え直したライフルの銃口は、僅かの揺らぎも無く完全に静止する。 「どちらが意地を通すか、競ってやるよ騎士崩れ」 「快」 守護神の左腕。誰も奪わせない。失わせない。零れ落ちていく物を掬い取る。 そう誓った盾を翳し、駆けようと踏み出す一瞬前。声は背後から聞こえた。 何処となく不安げなその声に、視線を返す。思わず場所も考えず苦笑いが浮かんだ。 「生きて、必ず戻る」 大丈夫、とは言えない。向かうは敵の陣中の真っ只中だ。 けれど傷付いてばかりの少女を労う様に、彼はそう約束する。 「世界は残酷で、優しくなくて。いつでも奪っていくばかりだけど」 頷く。泣き虫な百獣の姫が、涙を流さずその背を押す。緩く、弱く、けれど確かに。 「それでもボクは、それに抗う快を格好良いと思う」 手向ける様に放たれた閃光の魔術。視界を晦ます光に『武仙』が瞳を細めた瞬間。 「よおし、お待たせ、いこうぜニッキ!」 ここぞとばかりに快の後ろから上がるSHOGOの歓声。 踏み込めば死線は免れぬ銃弾の嵐へ、踏み込み、踏み入れ、駆け抜ける。 「猟犬を、舐めるな――!」 女神の祝福を受けた魅了の魔弾。 極限まで研ぎ澄まされたその射線から逃れる等到底現実的ではない。 踏み込んだ分だけ吹き飛ばされる。例え絶対者と言えど衝撃までは逃がせない。 だが、それは“銃弾が当たった者だけ”だ。 「ナイスガッツ! そして皆お待ちかね、キャッシュからの――」 放たれた閃光弾は、猟犬を射程に収めている。 そして、SHOGOが丸きり『武仙』との戦いに混ざらなかった理由も、ここに在る。 「パニッツュ☆」 フラグを回収するが如くここぞと言う所で噛んだSHOGOこと、靖邦 翔護(31)。 しかしその集中を重ねに重ねた光弾の精度は『極緻猟犬』の動きを完全に縛る。 奇しくも生まれた絶対好機を3人のリベリスタが、駆ける。 「止めなくて良いのか?」 その背を見送り、平然とした体の『武仙』に雷音が問う。 けれど、老人は皺だらけの顔を崩しにまりと口を歪めるだけだ。応えはやはり無い。 「おかしいです」 放った魔力弾がかわされた直後。その声は、前線から一歩退いた悠月から上がった。 真っ先に視線を向けたのは、全く同じ感想を抱いていた伊吹だ。 「分っている。何故我らが未だ立っていられるのか、だな」 間もなく、定めた刻限の3分が経過しようとしている。 攻撃を重ね老人の抱えた大極図は半壊しているが、このままならあと倍は掛かるだろう。 だが前衛が2人抜け、相手は宙空を走りすらする。 この状況ならそもそもアーク側は壊滅していてまるでおかしくない。 にも関わらず、後衛は健在。前衛の拓真と悠里、ロアンらすら、1度倒れただけだ。 敵の火力を鑑みれば、“損傷が余りにも少な過ぎる” (……正直今の今まで懐疑的だったのだが) かつて、彼の老師は『観客』であると、アークの資料に記載されたと聞いている。 では、まさか。伊吹の“熟練のリベリスタ”ならではの安全弁が、ここで作用する。 「両者、待った」 疑念半分で上げた声に、決死の覚悟で悠里が放った氷の魔拳。 応じた『武仙』の閻魔の拳がそれぞれ静止する。疑念が、確信に切り変わる。 「『武仙』張三豊。敢えて謹んで乞い願いたい」 もしも、彼の老人を武で以って退けようとする事その物が間違いだったのだとしたら。 「どうかここは退いて、我らが彼女の夢想に齎す結末を見届けてもらえまいか」 もしも、彼が本当に徹頭徹尾『観客』でしかないのだとしたら。 「――ほう、つまりお主らはわしに火の粉を振り掛ける心算は無いと?」 敵意を以って対する者に敵意を返しているだけなのだとしたら。 「我らの願いは、託された未来を紡ぐ事だけなのだ」 もう一歩押す。その言に、張が破顔一笑する。 「ふ、はは、わははははははは、良い! 良かろう! それでこそ人よ! 武に武で応じるでは獣と変わらぬ。認めよう、お主らには己が運命に抗う権利が有る!」 一歩横に退いた『武仙』の手元には、今だ『大極図』が存在している。 だが、これを彼の老人が健在の上で破壊するには時間ギリギリまで掛かる筈だ。 見逃し、進む。それが彼らにとっての結論であり、総意である。 勝ち取った筈の運命は、何処までも、必然的に残酷な結末を強いる物で。 悠里はそっと、首に下げた銀十字を握りこむ。 ●神託 「くそ、やられた……!」 『極緻猟犬』の業は、言うなれば究極の初見殺しだ。 超遠距離から放たれる魅了の魔弾は、何が起きたかも分からぬまま集団を壊滅させる。 本来ならば度々見せる様な物ではない。どんな技もいずれは対策される。 庇いを経由しての、集中を載せた行動不能系状態異常による強行制圧。 踏破困難な遊撃手に対し導きだしたSHOGOの最適解は一手でヘルムートを追い詰める。 真下を抜けられた、と思った瞬間、視界と身体の自由を取り戻しても感覚の揺れまでは消えない。 「よお、バカ犬」 無理矢理構えた銃口の先には、見慣れた男が居た。 「何だよクソ騎士。ぼろぼろじゃねえか」 『武仙』の前に立ち続け、1発とは言え女神の魔弾の直撃も受けたのだ。 幾らタフなツァインでも傷だらけにはなる。だが、そんな物止まる理由にはならない。 片や剣と盾。特別な銘も無い時代遅れの骨董品。古流剣術を振り回すアイルランドの武人の末裔。 「同情すんな、出し惜しむなよ? 全部でなくちゃ、意味が無い」 片や銃弾と長銃。才能という綺羅星を宿す第三帝国最後の寵児。黒き鉄十字を掲げる猟犬の残党。 「馬鹿言うんじゃねえ。仮にも俺は天才様だぜ、てめえ如きじゃ役不足だ」 両者が出会ったのは偶然で、相見えたのは必然で、対峙したのは作為で。 ならば、相容れぬは運命ですら有ったのだろう。 「あの雷神(Donnergott)達のようにでけぇ敗北をくれてやる!!」 「猟犬の牙で常勝不敗の箱舟が沈むのは、最高に小気味良いだろうぜ――!」 『極緻猟犬』が一息で山門から跳び下りる。銃弾と、剣戟が交差し甲高い音が響く。 ――そんな遣り取りを背にしながら、2人のリベリスタが山門を抜ける。 開けた境内、その中央。地に刻まれたのは鮮血色の魔法陣。 はっと視線を見上げれば、空には七色の光のヴェールが掛かっている。 「『神託』……オリヴィア・エリザベス・クロムウェル」 「貴方が来ましたか……『方舟の守護神』」 閉ざされたままだった瞳が開かれる。光の無い、透明な眼差し。 抱いた剣は抜き身のままで、魔法陣の中央に突き刺されている。 「高みを目指すのをやめた者は、高みにいることはできない。それが、君の『救世』か」 こくりと。声も無く頷く。その姿は少女の物。 災厄とまで呼ばれるフィクサード組織の首魁には到底見えない。 だが、費やされた神秘。重ねられた奇蹟は威圧感すら伴って其処に在る。 「世界の救済を、止めさせはしません」 戦う力など無い娘が、世界でも有数のクロスイージスに対しそう言い切る。 対し、快に殺意は無い。先ずは彼女を聖剣から引き離さなければ。 「やぁオリちゃん、ちょっとSHOGOとお話しようぜ」 そこに割り込んだSHOGOに視線が向けられた瞬間、快の手が印を切る。 雷音に乞うて教わった付け焼刃の呪縛の封印。精度たるや察して余りある。 だが、戦闘能力の無いオリヴィアを縛る事など造作も無い。 確かに、その筈だった。 「――え?」 けれど。彼が狙った地点には少女は居ない。 僅か1歩分。けれど、確かに快の呪印は狙いを外していた。 「……靖邦 翔護さん。お話を伺いましょう」 『神託』の応じに、SHOGOが嘆息する。全く当たって欲しく無い予測ほど、良く当たる。 「何で『預言書』はあんなに奥に安置してるの」 千里の眼は境内の奥、閉ざされた本堂。その中に、預言書が置かれているのを捉えていた。 おかしいと思って捜せば直ぐに見つかる程度の距離。 けれど、誰もおかしいと思わなければ見つけようが無い程度の、距離。 「…………」 快がもう一度呪印を切る。その半秒程前に、既にオリヴィアはその呪縛の対象から外れている。 当たれば余裕で倒せる相手。戦闘能力はない。けれど、フォーチュナには“未来が見える” その資質を伝説級の破界器が後押しすれば、どうなるか。 私を一切傷付けず、聖剣を破壊する事など不可能だ、と。聖女は守護者にそう突き付ける。 「……あのさあ。そういうの止めない?」 けれど、まるでそんな事情なんか知らないと声を上げたSHOGOに、 オリヴィアが批難する様な眼差しを向ける。けれど思ってしまうのだ。 しまうのだから仕方が無い。自己犠牲何て、無責任以外の何物でも無いじゃないか。 「で、この場合結局クズは皆で殺すってことで良いんだよね」 参道を駆けながらの腥の念押しに、ロアンが不思議そうに首を傾げる。 「僕は最初からその心算だよ。劇団に関わるモノは全て潰すし全員殺す」 淡々と、紡ぐ言葉には一切の情の入る余地などない。 妹が何を想って命を賭したのか。そんな事は考えるにすら値しない。 奪われた。それが全てだ。その上で救済なんて絶対に赦さない。 全部、全部、地獄に堕としてやる。全て否定してブチ壊してやる。 「ま、おっさんもこんな所で半端に救われると困るしねえ。 肝心の神様は星辰の夜は二度寝して起き損ねるし、全く……」 狂気無き世界になど居場所が無い。 そういう人間も居るのだと、きっと彼の娘は想像すらしていないのだろう。 全く本当に笑わせてくれる。そんな程度の絶望で、人を高みへ昇らそう何て。 (大きなお世話なんだよね、ホント) 人は一概で縛れるほど単純ではない。負の面に沈む両者は一つの決意を固め直し、 そんな彼らの進行方向暫し先。そこでも、また2人の人間が理解し合えぬが故に争っていた。 「しつこい野郎だなてめえ!」 撥ねる様に、退きながら放つは女神の魔弾、デア・ヴァナディース。 盾で受け止めながらその弾筋を身体で覚える。射線は軽妙写楽を地で行く様に千変万化する。 これがセンスか。才能か。守り凌ぐ等到底許さぬと、予期せぬ跳弾が頬を深く引き裂いた。 重ねても重ねても護りの加護は剥ぎ取られる。近付く事すら困難だ。 「悪いが、それだけが取り得なんでなっ!」 だが、踏み込む。無数の魔弾に身を浸しながら唯近付き、斬り込む。 輝く刃は果たして幾度『猟犬』を切り裂いたか。お互い血塗れの満身創痍だ。 ツァインもまた自ら付けた傷と女神の魔弾で1度は身を倒し、 残る余力も限り無く限界に近い。けれど、それはヘルムートにせよ同じ事。 ((……後1発って所か)) 犬死する心算は欠片も無い。だが、退くにせよ互いが邪魔だ。 時間も無い。余裕も無い。ならば、全力を一撃に賭すしかない。 「なあ、お前は救われたいのかよ」 男が問いかける。 「馬鹿かてめえ。俺はただ誇りを守りたいだけだ」 男が答をかえす。 「――――ああ、そうじゃなきゃ嘘だ」 理不尽に立ち向かう。例えそれが痛みばかりだとしても。傷付くばかりだとしても。 その志が尊いのだ。その過ちが人を前に進めるのだ。それを短縮など、してはいけない。 「幕引きだ、良い加減寝てろ時代遅れのドン・キホーテ!」 射線が引かれる。完璧な、完全な、致死の――一撃。 音速を越える死神を幅広の剣が、自らの眉間の前で――弾く。 「……は!?」 追い詰められた、トドメの、完璧な射撃。その弾丸は最高精度で急所に飛ぶ。 技巧の極緻であるが故にその結論は等しい。 ――そう、かつて対峙した“『親衛隊』最高の狙撃手(アルトマイヤー)”と、同じく。 「感謝しろよ――これでお前も同じ敗残兵だ! 精々酒場で管を巻けバカ猟犬っ!!!」 振り降ろし、一閃。 ●理想と現実 「オリちゃんの旦那さん、立派な人だったみたいね」 淡々と、SHOGOが告げる。余り行かない図書館に、態々出向いて調べて来た。 『護国卿』オリバー・クロムウェル。古くは最悪の独裁者と呼ばれた男。 けれど近年、彼は優れた指導者だったのではないかと見直されて来ている。 「立派過ぎてみんなついていけなかった」 彼の言葉に耳を傾けていた、聖女の動きが目に見えて固まる。 「旦那さんと同じ事がしたいなら、やっぱりうまくいかないと思うよ」 紡いだ言葉は、オリヴィアの足を縫い止める。 ――人を変えたいのに、人を見てないもの。 その言葉に、記憶が鮮やかに蘇る。彼女の最愛の人が常々口にしていた言葉を。 貴方はいつもそれね、等と言って、傍らで笑って聞いていた。 “僕は自分が何の為に戦っているかを知り、知っている物を愛す、 粗末な朽葉色の服を着たあの兵達を尊いと思う。 愛する者を知ろうともしない、自らを貴いと言う者達よりも” 「……っ、あ……」 彼の戦いは、身分という垣根を壊す為の戦いだった。 国家という楔を抜く為の戦いだった。唯の人々を救う為の戦いだった。 けれど結局、人は彼に付いていく事はできなかった。 その理想は清廉に過ぎて、政治と言う物の暗部を知る人間には必ず疑われた。 その目的は遠望に過ぎて、地に足の付いた現実を見ろと幾度も諭された。 そしてそれでも描いた夢に殉じたが故、彼の治世は僅か5年で幕を閉じた。 誰が悪かったのでもない。誰が正しかったのでもない。 哀しかった。どうしようもない程に。何かしなければならない程に。 喪失と転落。けれどそれでも、嫌悪する事が出来なかったのは、 彼女も、彼女の夫も、人間が好きだったからだ。人の絆を、信じていたからだ。 「あなたに、何が分かると言うのです」 彼が愛した朽葉色の服を着た人々が、愛する人の首を落としたのだ。 震える声で答えたオリヴィアに、眉を寄せて翔護は返す。 「君達にはサボってるだけに見えても、みんな結構頑張ってるってことは分かるよ」 それを聞いて、ほんとうに身動きが取れなくなってしまった。 「本当に救われた世界が欲しいなら、もう少し大目に見てよ」 だって、世界の終わりがもう直ぐ其処まで来ているのだもの。 時間が無い。待って何て、いられない。それじゃあ、どうすれば良いのか。 「……翔護、時間が無い」 オリヴィアが聖剣を離していた。一体何が彼女の琴線に触れたのか。 まさか、SHOGOの言葉が彼女にとって絶対に譲れない、 『護国卿』の言葉に沿っていた等察する事は難しい。けれど、チャンスではある。 守り刀。愛用の短剣に光が満ちる。幻想の大剣を携えて、快がその両手を振り上げる。 オリヴィアの瞳に、迷いの色が見える。 (明日の先を願い、未来を紡ぐ。ここで、終わりに何て出来ないけれど) 快には、快の理想がある。 けれど、この小柄な少女がここまで来た事を軽んじて良い筈も無い。 惨劇もあった。略奪もあった。その道程は善と呼ばれる物の対逆を行く。 それでも救いたいと言う願いにはきっと、一片の嘘も無い。 「君達の。『救世劇団』の願った先は、きっと。俺達とそう変わらなかったんだろう」 だからこそ、彼らは彼女らの敵であり、彼女らは彼らの敵でしかなかった。 千人居れば千の正義が有る。全てを救う何て、破綻した理想だ。 その理想に、幾つもの想いを重ねて追い縋る。 「でも、人はさ」 諦める事は出来ない――見果てぬ、幻想(ユメ)を。 「ほんの少しずつでも、明日へ向かって歩いてるんだから」 明日へ射す、光。その彼方に希望を見る。 借り物の永遠。偽物の聖剣。奇跡には届かない。けれど―― 「これが俺の――エクス、カリバ―――――――――――!!」 込めた願いは高らかに、本物の夢を込めて創世の剣に叩き込まれる。 持ち得る全ての力をこの一撃に。例えそれで、命の全てが枯れるとしても。 「……だめ」 けれど、快と同様に。『神託』もまた、終われない理由がある。 唯一人の理想ではない。『救世』は、彼女に託されたあらゆる祈りの結実だ。 一瞬揺らいだ心に点る。それは小さな灯火だ。ちっぽけな小娘相応の焔に過ぎない。 だが、彼女の掲げた理想に殉じた人が居る。失われた物がある。 それらを見なかった事になど、絶対にしてはいけない。 「――駄目です、『救世劇団』は、『人類救済』は阻ませないっ!」 立ち塞がる『神託』。叩き込まれた『究極幻想』の光が割り込んだ少女に集束する。 裂ける様な音と共に、血飛沫が舞う。 「何だ、もう始めちゃったのか」 境内に辿り着いたロアンが血塗れで楽園失墜の剣の前に立ち塞がる、 『神託』を前に眼を細める。対する快は焦燥した様に光の消えた短剣を握り締める。 「……来ましたか、聖櫃の皆様」 十字を描くように、手を広げて立ち塞がる。 平時であれば哀れみを誘う光景だろう。けれど、アークの側も覚悟は決めている。 「己の全てを賭けて、愛した男の為に殉ずる……か」 拓真が双剣を抜く。悠里が拳を握る。悠月が黄金の剣を見遣り、嘆息する。 文句無しに、極一級の聖剣だ。世界を創る剣。高域の魔術知識に照らし合わせれば、 その本質が世界に於ける“ルールの書き換え”である事が分かる。 夢と言う事象に、“救済されるまで目覚める事はない”と言うルールを付け加える物。 代償の重さを考えても破格と言う他無い。 (失われるには、本当に惜しい) 使い様によっては、真実世界を変えられたろう。 けれどそれが誰にでも使える物ではない事も、分かってしまう。 「遺言はないよねえ。まあ死ねば即魂の消滅だ。さっさと死んでくれるかな」 既にタイムリミットは半分を切っている。 オリヴィアを殺すなら残り2分弱。その間に後33回倒し、聖剣をも破壊しなければいけない。 腥が愛銃を構える。躊躇する時間すら惜しい。 「……違う」 けれど悠里が頭を振る。もうそれしか無い事は、分かっている。 それでも、足掻かずにはいられない。 「倒して終わりじゃ駄目だ。それじゃ同じ事の繰り返しだ、誰も救えない!」 「ふざけないでよ」 ロアンが応じる。悠里の理想は正しいのかもしれない。 けれど彼にとっては、どこまでも綺麗事でしかない。 「救われなくて良い。救えなくて良い。後から殺されてやっても良いよ」 この喪失感さえ、埋められるのなら。 「お願いだから、“僕に奴らを殺させてくれ”」 言葉だけで、分かり合えるなら世界はもっと優しかったのだろう。 理想だけで生きられるなら、哀しみはもっと少なかったのだろう。 「物語は終わってこそに意味がある」 優しい明日を願い続けた筈の雷音が、そっと溢した言葉に悠里が息を飲む。 「どんなに綺麗に見える夢も、夢だけでは誰も救えない」 それでも、悲劇はやって来る。 「だから、ここで終わらせるのだ」 ●戦いの終わる場所 「……、……。」 銃弾が幾つも体躯を抉り、少女は自らの血に塗れていた。 どれを取っても致命傷だろう。だが、彼女は未だ倒れてはいない。 運命の樹の根(アルラウネ)の加護が、『神託』に齎される死を片っ端から解除する。 「運命を削る樹の根先はノーフェイスだ。君は、化け物に成り果てる心算か」 雷音の問いに、応えは無い。ただ嵐の中で震える様に剣を抱く。 「誰かの生き様が、人をここまで動かすのか……」 絶えず双剣を振るいながらも、その様に、感動すら憶えている自分が居る。 拓真もまた、祖父の様になりたいと。その背を追い掛け続けて来た。 であれば、分からない訳も無い。人は、人の刻んだ道は、他の誰かを動かす事がある。 それが矜持と呼ばれる物だ。彼女が自らの矜持を貫くなら、手を抜く事は冒涜になる。 (一度会ってみたかったな、その男に) 好敵が居た。師が居た。そして祖父が居た。彼の人生は出会いによって醸造されて来た。 それだけに、想いの尊さを知る。それ故に、曲げられぬ道が有る事を知る。 奮う刃が“正義”ではないのだとしても。矜持に振るえぬ剣ならば、意味が無い。 無道の剣が切り拓く先は、己が信じるに足る仲間達の明日なのだから。 (……これで全てが終わるのか) 長い。長い夢を見ていたようだと、伊吹は今こそ思う。 すっかり手に馴染んだ乾坤圏と共に、彼が招かれて直ぐの事を想起する。 戦いが在った。仇を討ち、けれど遺された物が世界を災うと言う。 追い掛け、追い縋り、ここまでやって来たのだ。 自分が地平線を越える等、果たして一体何処の誰が考えたろう。 血塗れの少女を一瞥し、感じることは1つだけ。――哀れだ。 見た目だけなら似た年頃の娘が居る。その背に、世界を負わせるなど考え難い。 どうして、誰も止められなかったのか。想わないと思えば、嘘になる。 「そなたの夫は良い男だったのだな」 自分は、良い父ではなかった。良い夫でも、なかったかもしれない。 けれどもし自分なら願ったろう。遺された妻に、幸せに生きて欲しいと。 それが、エゴだと言うのなら。 「そなたらの『救済』を断ち切るのはエゴかもしれない。間違いなのかもしれない。 だが例え救いのない理不尽な世界でも、俺には託された未来なのだ」 放った光輪に『神託』が膝を付く。娘はじっと。見えない眼で伊吹を見る。 「謝らないで下さい」 その様を指して、人は彼女を『聖女』と。『女神』と呼んだのだろう。 そうして彼女は『偶像』にされてしまった。それ以外は無いと信じ込んだ。 まるで、死に抗った黒い男の様に。 (俺は、そなたらを救いたかったぞ) 言葉にする、資格など無い。それを彼は、誰より良く知っている。 「……、……。」 立ち尽くす。立ち尽くすことしか、出来ない。 拳を握っても、力が抜けていく。悠里には剣を抱く少女を、殺す事が出来ない。 なら、この拳は何の為に有るんだ。誰を護れば、良いんだ。 今までは、背にした者を負えば良かった。敵に、災厄に、立ち塞がれば良かった。 けれど世界はそこまで単純ではない。彼は初めて、その矛先を見失っていた。 只管に、切り刻む。終わりの無い惨劇。 それらに背を向けた心算はないけれど、SHOGOは本堂の中で小さく息を吐く。 「何だかな」 別に正義の味方を気取ったりはしない。けれど、やるせない気持ちは抜けきらない。 手にした本は我が者顔で部屋の中央に鎮座している。 これを壊せば全てが終わる。余地が不安定になったオリヴィアに逃げ場は無く。死ぬ他ない。 「……やはり、彼女が居る限りは支配権を奪えませんね」 同行していた悠月が悔しげに奥歯を噛む。未来を刻む魔術書。 こんな事の為に、存在して来た訳ではないだろう。 少なく無い無念を憶えながらも銃弾を、魔力弾を打ち込む。 流石に聖剣と比べれば媒体が羊皮紙である分脆い。瞬く間に破損していく魔術書に、 ぼんやりと燈っていた光が不意に消える。これで、終わりか。 如何にも呆気ない終わりに、どちらとも無く呼気を溢す。 手元に、彼の献身への感謝とでも言う様に紙片の一つが零れ落ちる。 それを見つめ、翔護が繰り返す。本当に、世界はままならない。 「何だか……なあ」 空を見上げれば、揺らいでいたオーロラが消えている。核が最低一つ破損したのだろう。 『神託』か、『聖剣』か。いずれにせよ―――― ――――ようやく、全部終わる。 「これで33回。次で最後だ」 オリヴィアだけでなく、抱いた剣までが罅割れている。 常に攻撃に巻き込まれていたのだから当然だ。時間は、未だ1分弱残っている。 真っ直ぐ向けられた眼差しに、ロアンが奥歯を噛む。 「――何で」 その様に妹の姿を見る。決して似てはいないのに。その瞳は、余りにも良く似ていた。 祈りを捧げている時の、血に濡れて帰って来た時の、泣きじゃくった翌朝の。 殉職者の様な、その瞳。いらいらする。気に入らない。 「何で、お前が。お前達が、リリを奪っていったんじゃないかっ!」 抜き放った銃弾が聖女の体躯を貫いた。崩れ落ち、動きを止める。 鮮血が足元へ流れて行く。それ以上、何の音もしない。 「死んだ……か。よっし、よーし、死んだ! 神様、これ持ってって下さいよー!」 拳を固めて声を上げた腥に、雷音の視線はソフィアの剣へ向く。 此方ももう少しで壊せそうだ。時間が無い。後顧の憂いを絶たなくては。 「そちらは、私が」 「悠月」 本堂から戻った悠月の視界には倒れたまま動かない『神託』と、 それを見下ろし無言で佇む悠里の姿が映っていた。その足元、転がる聖剣。 せめて、最後はこの手でと。至近距離より魂をも破壊する攻勢魔術が発動する。 「抗わなくなった時にこそ未来は確定する。 オリヴィア、抗う事を止めた時点で、貴女の運命は決まっていたんです」 諦観は何も生み出さない。抗い続ける彼女にとって、その決断は逃げにしか見えない。 「喪われてきた全てが無駄だった等とは言わせない。これで、終わりです」 澄んだ音を立てて、神代の奇跡が零れ落ちる。収奪された魂も、解放された事だろう。 全ては終わった。淡々と、欠ける事無く。その筈だ。 ――けれど。 ●救世の詩 「……分かった」 抗わなくなった時、世界は運命を決める。 「なら、僕は死に物狂いでこの手を伸ばす」 膝を付いて、抱き上げる。生と死の境界線。其処に有る命を、救い上げる。 「――! 止めろ、悠里!」 「自分が、何してるか分かってるのか!?」 快が、ロアンが声を上げる。悠里の周囲で血色の魔法陣が明滅する。 「僕は彼らを許せない。だからこそ、許そうと思う。 敵だからって手を振り払ってばかりじゃいけないんだ」 その為に、命を使うと決めた。誰かを犠牲にして掴む未来なんて――絶対に認めない。 「オリヴィア、この世界を諦めないで。 君と、君の愛した人の遺した世界を信じて欲しい。 僕らは必ずこの世界を今より良くして見せる。力を、貸してくれ!」 運命を、注ぐ。繋ぎ合せ、手繰る。運命の車輪を回す。自らの祝福を糧に、毀れた命を命で繋ぐ。 「……、こほ」 少女が呼気を吐き出す。血色が僅かに戻っている。 けれど、それに対して悠里の方は目に見えて衰弱していく。 運命が毀れる。削れる。失われる。例え『神託』が生き延びても、『境界線』の方が保たない。 「――……馬鹿な、人」 虚ろな瞳が開き、悠里の頬に触れた。掠れた声で、詠う様に紡ぐ。 「貴方が、消えてしまったら、意味が無いではないですか」 事の次第を悟ったのだろう。その指が、表情を確かめる様になぞる。 「だって、こんな終わりって無いじゃないか」 誰もが少女に荷を背負わせた。少女はそれを背負って行き着く所まで歩み続けた。 そうして、誰もそんな事望んでいなかったのだと。負った荷と共に命まで奪って行く何て。 「……貴方が、救うのでしょう?」 「――っ!」 悠里から毀れていた運命の流れが切り替わる。そう、『神託』もまた『英雄の雛』 使おうと想えば、使えるのだ。運命を覆す奇跡、“歪曲する運命の黙示録” 「やめ、何で――君は、そうやって」 自分を犠牲に、してばかりで。 「貴方の手に、託します。私の命は、祈りは、あの人の想いは、きっと」 それでも無駄ではなかったのだと。そう、信じられるから。 「沢山の手を、取り合って。どうか、世界を、救って下さいね」 今より、良き明日を。今日より、優しい世界を。弱くて、愚かで、温かい人々を。 「ねえ、英雄さん。約束よ」 指が離れる。その手を、悠里が掴む。 「泣かないで。ええ、素敵な……本当に、素敵な夢を見たの」 指から、力が抜ける。微笑みながら、そっと小さく呟く。 だってね、世界は救われるのよ。 頑張ったの。 どうか、褒めて下さいね。 ――――――きっと、きっとよ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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