●夢幻の滄浪 使い込まれた天然無垢材の文机の上には時代掛かった黒電話が置かれていた。 電話線は何処にも繋がっていないけれど、何処にでも繋がっている。そも、部屋のインテリアから空気まで全てが一世紀前に染まった書斎においては、そういった電話の存在自体がオーパーツめいているのは確かなのだが。 (さて、いよいよのっぴきならない状況に見えるね) 机の上に片肘を突いた男は、この書斎と館の主人である。 中肉中背、年の頃は三十代程に見えるが全く年齢不詳の気が強い。驚く程美しい顔立ちをしている訳ではないが、独特の魅力を醸す不思議な雰囲気を持っていた。 指先で万年筆を遊ばせながら沈思黙考の顔をした彼は、随分長くこの黒電話と睨めっこをしている。頭の中で自分の流儀とこの大日本が現在置かれた立場の双方を勘案して中々出ない議論を戦わせていた。 (放っておこうかとも思ったけれど……) 引退したのはもう随分昔の出来事だ。軽く百年は前になる。正直な所を言えば、俗世に影響を与える形で関わり合いになる心算は無かった。『外の世界』は今をときめく、今を生きる人々のものなのだ。『死人』が登壇すべきかと問われれば、彼はそうは思わない。 「……しかし、だ」 西欧からの禍の来訪に、激動する日本は懐かしい維新の潮流を思い出させた。 あの時は――偉大な先達、素晴らしい仲間と不肖己の努力もあり日本丸は嵐の日々を泳ぎ切った訳だ。無論、現代の人々も同様にこの苦境を超えんと力を奮っているに違いない。だが、この所の日本の荒れ方は目に余るものがある。 『外』にそう気を配っている訳では無いが、友人に聞いた所によれば……これはもう未曾有の事態と呼んで不足無い。もし万が一、死人が口を出しても良いとすれば、こんな時以外にはあるまいと彼に考えさせる程度には。 「うん、止むを得ないね。人の世界の出来事ならばいざ知らず……」 事態が大いに『自分寄り』ならばと。 たっぷりの時間の後に一人ごちて頷いた男は己の中に結論を見出していた。 生ある限り己の流儀は大切にしたい所だが、日の本へ愛情は隠せない。何より――三代程代替わりなされてはいるが、敬愛する宮への忠誠心が無いと言えば嘘になる。一言では言い表せない位に、あの懐かしい時間は黄金めいていた。それを脳裏に描いた男の口元に微笑を湛えさせる程に、百年経った今も何ら色褪せてはいなかった。 「……おっと、いけない」 思い出に浸るのは何時でも出来る。 実際、然して代わり映えもしない時間をそうして長く彼は過ごしてきたのだ。 今は、今しか出来ない事をしよう、と彼は金縁の受話器を手に取った。ダイヤルを回せば、望む相手に繋がる――特別な電話は力あるアーティファクトだ。 「……もしもし? 僕だ」 暫くの呼び出し音の後に応えた相手に男は酷く不親切な自己紹介をした。 「何だって? 分からない。ああ、確かにね。そうか、君とは二十年振り位か」 言われて初めて彼は電話相手と話したのが二十年程前の一度きりだった事を思い出した。全くマイペースな男ではあるが、悪びれるようなタイプでも無い。 「ん? ああ……そうだ。思い出したのか、君は出来た後輩だな。 だが、そうだ。それだ、それ。僕には閣下は辞めてくれ」 電話相手は男の物言いに彼の正体を見事当てていた。予想外に名乗らずに済んだ男は機嫌良く目を細めて一度、二度と頷いていた。 「電話の用件なんだが……この所の騒がしさはこの『滄浪』にも伝わっていてね。 僕も日本国民の一人として――力を貸せないかと思った次第だ。尤も、今の僕には君達が担う未来を肩代わりする力も無いし、同時にその心算も無い。 僕に出来るのはささやかな手伝いに過ぎないが……そうか。 有難う、君は話が早くて助かるよ。流石『記録更新者』だね」 男は相手の対応から自分が間違ってはいなかったと確信した。 元よりその結論を疑っていた訳では無いが……実際に嬉しいものだ。 かつて己が築いたこの国の礎が、今も脈々と時代の中に生き続けているのを知る瞬間は。 ●ニライカナイの穢れ 「或る意味で、少し特別な依頼になる」 その日、ブリーフィングで自分達を出迎えたのが『アーク司令』時村 貴樹 (nBNE000502) だったのを確認した時、リベリスタは思わず驚いて二度見をしないではいられなかった。 「まぁ、わしがここに居る位だ。分かってくれているものと思うが」 軽く冗句めいた彼はアークの総司令にしてこの国の元・総理大臣。世界の表裏その両方でトップに立った人物だが、このアークにおける彼は半ば名誉職のような立場である。長男にして後継者の沙織が組織を切り盛りする事が殆どであり、こうして直接的な依頼をする事等は滅多に無い機会なのは知っての通りである。 「さる御方から、大きな御助力を賜る事が出来た。それについての仔細は伏せておくが……諸君等に頼みたいのは、<抗う者>と呼ばれる特殊儀式の遂行だ」 リベリスタにとっては先刻承知のその儀式は、日本各地にある霊場等を利用して敢えて危機を活性化し、打ち破る事でそれを払うという……謂わば崩界への直接攻撃の方法である。崩界の危機的水準を超えている今の日本においては重要な延命手段の一つだが、必然的にその実施には情報と準備が必要になるのだが…… 「実施が出来る、という事か?」 「些か特別なオマケがついておる。今回の儀式は三箇所で同時に行われる。 また、先方の助力でこれ等が結果次第でシナジーを産むという訳だ」 「シナジー?」 「大和国――つまり、本州。蝦夷、北海道。琉球、沖縄。今の日本を構成する巨大な三つの柱をそれぞれ叩き直す事で……まぁ、それは良いか。 平たく言えば、全てつつがなくこなせば効果が上がるという事だ」 やる事が分かっているならば理屈は大きな問題ではない。 「それで俺達は何を?」 「大和と蝦夷は他に任せておる。君達に頼みたいのは琉球――沖縄の儀式だ」 「沖縄、ねぇ」 「役得だな」 貴樹は笑った。何せ、この所の寒波は堪える。 異国情緒漂う沖縄は日本にありながら南国めいた気候を持っている。 この季節に訪れるには中々いい場所だろう。 「沖縄の海、遥か辰巳の方の彼方には――異界が存在しているという。 ニライカナイの名で知られるそれは、現地の人々の信仰する魂の来る場であり、行き場であり……祖霊誕生の場所であるともされる」 「所謂、ユートピア信仰のようなものか」 「本州で言えば常世国のようなものだな。 まぁ、兎に角――非常に霊験あらたかで、重要な場所がある。確かにある。 お前達はこの場に赴き、件の儀式で穢れを活性化して浄化する――ニライカナイを望む招かれざる客にご退散願う、という訳だ」 「成る程な」 「筋はそんな所だが、この場は戦いやすい場でもある。 何せ、元よりニライカナイは守護的霊場であり、理想郷なのだ。入り口は閉じているが、力は幾らか君達の助けになる。この場所では怪我は負いにくいだろうな」 貴樹の言葉にリベリスタは頷いた。 仕事はやるだけだ。気になるのは一つ。 「それで……」 「……うん?」 「その、さる御方っていうのは――」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年01月31日(土)23:15 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●遥かなる場所 暗い海の波間を切り裂いて一隻の船が行く。 古来より多くの人々が夢と救いを見た場所へと。有り得ざる神秘の眠る遥か辰巳の彼方を目指して。 無明に沈んだ静寂の世界を照らすのはクルーザーに備え付けられたライトだけだ。 「うーん、最近は寒いところばかりに行ってたから、南の方の潮風が気持ちいいぞぅ」 普段と違う場所に赴く事は少なからず冒険心を刺激されるイベントになる。何処と無く解放されたかのような調子の『天船の娘』水守 せおり(BNE004984)の言葉はその辺りから来ていると考えられる。 深夜にも近い時間帯ながら、肌寒い程度で済むのはここが沖縄の海だからである。 「昼間来たら綺麗だろうなぁ。この時期でも泳げたりして?」 流石に一月の気温は泳ぐには厳しいだろうが、せおりの感じる水への恋しさは水妖が性質の為なのだろう。 しかし、アークのリベリスタがこの日本の南国に訪れたのはバカンスが理由では無い。 「離れた霊場の要衝を同時に、か……」 長い黒髪を夜に流す潮風に目を細めた 『現の月』風宮 悠月(BNE001450)がポツリと呟いた。 「本来なら国家規模の計画の筈……国でそちら側を統轄できていたのは恐らく戦中まで。 個々の霊地管理者ではとても手が付けれる話ではないでしょう。 時村司令がさる御方と呼ぶからには……そういう事、ですか?」 <抗う者>と呼ばれる特殊儀式は対崩界の切り札。これまでも複数回の成果を挙げているのだが、悠月の言及は今回の儀式の特殊性を指摘するものだ。 「また、今回はものっそい大物からのオーダーだよね」 「ま、ビックリする所からの依頼だな。まあ、彼がいたのはたった百年程度前。 今更これくらいで驚く事も無いのかもしれないが……」 呆れ半分、感心半分の『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)、肩を竦めた『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)が相槌を打った。 「彼のような存在が協力してくれることを心強いと思うべきか。 自分達だけでは日本を守りきれないことを悔しいと思うべきか……」 エルヴィンにせよ、夏栖斗にせよ、リベリスタ達は今回の依頼主が誰なのかに概ねのアタリをつけている。「うーん誰だろ……教科書に載ってる偉い人とかかな?」と首を傾げるせおりもいるから全員ではないのだが。 重要なのは依頼主の持ち込んだ情報と協力により、<抗う者>の儀式が強力化する点である。大和国、蝦夷地、琉球王国……現在の日本を構成する三柱にて、同時に儀式を完遂する事でその効力は劇的に向上するという。 「今回の任務は霊場の影響で怪我をし難いって言いますし……けど、やっぱり幽霊怖いー!」 「北海道・本州・沖縄って日本になった時期バラバラな上に土着信仰の擦り合わせしなかった地域なんだけどね」 少しだけ顔を青くした如月・真人(BNE003358)が声を上げ、やや皮肉気に『SHOGO』靖邦・Z・翔護(BNE003820)と『クオンタムデーモン』鳩目・ラプラース・あばた(BNE004018)が呟く。 「それでシナジーOKってあたり、戦前どころか明治とかの発想じゃないかしら? ……明治時代にも中二ってあったんだね」 「そうですね、自覚はありましたが――我々もそっち側である事は確かなんでしょうが」 「まあまあ」と『足らずの』晦 烏(BNE002858)が苦笑した。 「ニライカナイねぇ。柳田先生は所謂、根の國の一つだと言っていたが」 「辰巳の彼方、海の底……生命の根源にして魂の還る場所。ニライカナイ、根之堅州國の入口」 謡うように悠月が応じた。 「流されし罪穢れは根の国にて悪霊邪鬼の源になるという。 今の日本の穢れを受けて、此処も大分澱んでしまっているようですね。 この状況なら、三箇所の柱を同時に叩き直すという今回の一大儀式。 上手く事が運べば確かに霊脈の浄化も捗るというもの」 烏は頷いて私見を披露する。 「浦島太郎が行った竜宮城なんかも根の國の一つだと言うがね。 生者には開かれぬ入り口、つまりは海中との考え方だが文献や伝承を紐解いていけば…… 根の國に立ち入ったと言う話も出ては来る、異界って話だしやはり上位世界なのかねぇ」 「さて、それは……」 定かでは無いが、可能性としては十分に有り得る話である。 「何れにせよ、有り難い話には違いないさね」 「……これ以上崩界が進んでしまっては、世界が滅んでしまいますからね」 『ネメシスの熾火』高原 恵梨香(BNE000234)の危惧する通り、正真正銘、日本の置かれた現況は逼迫以外の何者でもない。 借りられる手は猫のものであろうと、孫の手であろうと、過去の残響であろうと構いはしない。 (アシュレイ、あなたは本当にそれを願うの……?) 柳眉を寄せた恵梨香は今はもう三高平を去った『友人』を想い、夜の海を見つめた。 静寂は当然ながら何の答えも返しはしない。 もう随分と話していない。彼女は今、何を考えているのだろうか。同じ月を、見ているのだろうか? スクリューが停止し、静寂の中の幽かなノイズも音を止めた。 「さあ、姦しく葬式を始めようか」 蒼褪めた月の見下ろす、海の真ん中――クルーザーの上で緒形 腥(BNE004852)は笑っている。 ――腥いしがらみに囚われ、その形も玉の緒も疾うに朽ちて迷うならば。 来し方、行く末ない者は須らく霊(ち)をブチ撒けて吾が神が顕現の一つ、鉄の顎に喰われるがいい。 業の多い少ないに拘わらず平らげてやるぞう―― ニライカナイに招かれぬ『穢れ』を具現化するのが<抗う者>だ。 リベリスタに備わった神秘と異能が儀式術式と融合し、平穏なる海に異物達を具現化する。 「おっさん道士だからって祓い浄めないよ、祓い殺す方」。そう嘯いた腥に続いて翔護が華麗にポーズを決めた。 「やるなら今でしょ。オレやっちゃうよ? かみんちゅからの――パニッシュ☆」 ●ニライカナイの滄浪I 烏の提案によってクルーザー付近に投げ込まれた水中灯が夜の海を下から照らし、幻想的な光景を生み出している。 しかし、今夜に限ってはロマンチックでは終われない。 暗闇の中の異物は存在感を示すクルーザーとリベリスタ一行だけに留まってはいないのだ。 「ひっ……や、やっぱり沢山……!」 目を見開いた真人の視界中、穏やかだった海のあちこち一面に乳白色の闇が漂っている。 「人も動物もいっぱいいる……戦争や水難なのかなあ」 せおりの言う通り、或る者は人間の形を取り、或る者は動物の形を取っている。 そして或る者は水面に絵の具を落としたかのような穢れ以外の何者でもないままだった。 リベリスタ達の儀式――翔護の一打より生じたそれ等は彷徨う魂であるという。擬似的なエリューションと化した亡者達は、本部の想定通り今そこにある生者達に猛然と牙を剥いて襲い掛からんとしているのだ。 「だ、だから幽霊は――怖いですって……!」 その幽霊だの悪鬼羅刹だのを退けてきたからこそここに居る……真人の言葉は些か自覚は無いが。 ともあれ、<抗う者>の儀式に重要なのは具象化させた『崩界要因』を武力的に制圧するこの局面である。 既にリベリスタ達は敵に備えてデッキの上で円陣の陣形を構築していた。恵梨香、悠月、エルヴィン、真人等を内に置き、外周を残りで固めるというシンプルなものだが……乱戦は不可避ならば申し合わせはそれで十分か。 「……ま、大層分かり易いですからね。理解が及び易いというのは得難い事実です」 あばたの言う通り『レベルを上げて物理で殴る』はリベリスタの原則論の一つになろう。 兎も角、リベリスタ側の仕掛けで始まった儀式は然したる時間もかからぬ内に彼等を忙殺の時間へと誘った。 「きっちり仕事を果たして彼の期待に応えるしかないからな」 エルヴィンの翼の加護を受けたリベリスタ達はクルーザーのデッキの上から僅かばかり浮き上がっている。 揺れる船の足場をそれでクリアした面々はクルーザーの周囲に増え続ける白い闇を前に果敢な挑戦を開始した。 「この国をかつて支えた先達に感謝を――そして私達は遂行しなければなりません」 白鷺結界と称される風宮悠月の技はとあるフィクサードのそれを模倣したものである。 その術は魔術に精通練達し、その実力を磨き上げた彼女によって、彼女自身の技とも呼べるものに昇華した。 美しく領域を舞い遊ぶ白鷺の羽根は恐るべき鋭利と冷酷さを秘めた無数の氷刃だ。まさに周囲を埋め尽くさんばかりの敵を狙うには適している。 「全方位警戒ってヤツだ。今夜の戦いは曲芸みたいなもんだよなぁ」 視界の中で千々に千切れた白い闇に腥の視線が剣呑を送りつけた。 惚けた言葉とは裏腹に深淵の呼び声――格闘銃器を構えた彼は強烈な弾幕を展開した。 狙う相手は売ってもなくならない程に余っている。うず高く積まれた在庫はまだまだ。 「落とし甲斐があるって事でいいのかね?」 同様に烏の構えた二五式・真改が次々と銃弾を吐き出している。 弾幕の使い手にとってみれば、状況は歓迎こそしないが得意分野である。 無数にも見える敵が相手ならば目を瞑っていても外すまい。 「――パニッシュ☆」 ……それが一流のシューターならば尚更だ。 「ほら、やっぱり」 多数の敵を近寄らせず、水際でどれだけ止めるかが肝要と考えるあばたにとって攻撃は最大の防御である。 「そっかー。幽霊倒せちゃいますかー。銃弾で。ま、今更も今更ですけど、ね!」 リベリスタ側の戦闘は部隊能力をフルに生かした効率的な組織戦闘である。 圧倒的な物量を誇り、十重二十重に彼等を取り巻く穢れ達は単純な戦力ならば彼等を大きく上回るだろうが……緒戦はリベリスタ陣営の動きのいい所が際立つ結果となった。積極的な弾幕を展開し、敵の接近を阻むシューター達の活躍は目覚しく、リベリスタ達は大きな被害を受ける事なくスムーズな戦いを展開する事に成功していたのだ。 「案外、楽に終わるっぽい?」 「そうなると最高だよね」 弾幕を抜けた穢れをせおりの放った渾身の一撃(デスティニー・アーク)が撃ち抜く。 ほぼ同時にその反対側では敢えて冗句めいた夏栖斗の蹴撃が纏めて直線上の敵を蹴散らした。 「……本当にそうなれば、最高なんだけどね!」 ●ニライカナイの滄浪II 「消え失せなさいっ!」 闇を引き裂く青い光は絶大なる少女の魔力に支えられた裁きの雷だ。 一つの敵も逃さじと間合いを縦横無尽に荒れ狂う雷蛇は鼓膜を破らんばかりの咆哮を夜に刻んだ。 「本当に……数が多い……!」 臍を噛んだのは恐らく――水底から浮き上がる新たな敵影を睥睨した恵梨香だけではない。 戦いは長く、長く続いていた。 「おっさん葬式依頼されたから、使う弾を儀式で選り分けて来たんだよ。 だもんで、遠慮せずに貰って行け――」 腥の放つ文字通りの『滅多撃ち』が赫々たる存在感を隠していない。 穢れの一体一体は遠く彼等に及ばず、攻撃力、互いの連携は揃う事で一足す一を大いに超える結果をもたらす。 だが、それでも物量は動かし難い程に物量なのである。 「長期戦は覚悟の上だけど……これ、いつ終わるんだろうね、キリがないってわけでもないだろうけど」 フロントで積極的な戦いを続ける夏栖斗の息が乱れている。 気温は低いのに彼の黒髪が汗で額に張り付いているのを見れば、これまでの動きの多さは想像がつくだろう。 (それだけ、ニライカナイを求める招かれざる魂が多いのかな。 祖霊が祖霊神に生まれ変わる場所なのに、それすらもできずに消える魂はどこに行くんだろう) 疑問を覚えた夏栖斗は胸の奥がチリチリと痛んだのを自覚した。 (……『彼女』はニライカナイに行けたのだろうか) 少年の想いに構わぬ、乱戦は激しさを増すばかりだ。 圧倒的多数を受け止めるリベリスタ陣営の乱れは『効率的、安全に敵を撃破せしめるシステム』に狂いを生じさせるエラーだ。消耗は否めない。 「――!? 足元、気をつけてッ!」 持ち前の勘の良さを発揮した恵梨香の叫びが間一髪仲間達の注意を下へ向けた。 船底を透過して円陣の内に出現した敵は数体。襲いかかるそれをすかさずエルヴィンが食い止めた。 「庇われ役と思うなよ!」 積極的に前に出るのは癒し手故に有り得ないが、多少の攻撃等ものともしない彼は、乱戦の扇の要として理想的な能力の持ち主であった。 纏わりつく穢れとその呪いを弾き飛ばしたエルヴィンの願いに応え、機械仕掛けの神が奇跡を起こす。 「怖いですけど……ずっと、怖がってもいられませんから!」 「フォローは任せて。落とさせるようなヘマはしないわ」 恵梨香の力強い宣言に真人は「有り難う御座います!」と頷いた。 無論、回復の要は真人も同じだ。神の愛とデウス・エクス・マキナ、そしてマナ・トレーディングの能力も有する彼はリベリスタ陣営の長期戦を支えるという意味では最重要人物の一人だ。 (長期戦は必然です。神の愛で切り抜けれる時は神の愛で…… 不安があるなら躊躇わずにデウス・エクス・マキナを連発です。 長期戦だからと消費を抑えた回復だけでは回し切れませんからね……!) リベリスタ陣営の隙を突き、圧力を強める穢れ達の猛攻は圧倒的な戦闘力を誇るパーティをも押し込まんとしている。雪崩を打つように勢いがつけば、戦線の崩壊は免れないのだから――まさにこの真人やエルヴィン等の戦いは全ての瞬間が正念場であると言えた。 「生憎と、こちらにも予定がありますので」 真人を狙う敵は真上より。死角狙い等、宣告承知なのはあばた。淡々と言った彼女の撃墜は容赦無し。 パーティの勝ち筋を簡単に潰させるような真似はレベル六十二に賭けて許せまい。 「何せ銃弾で倒せちゃいますからね、幽霊を」 さもありなん。 「お次が来るよッ!」 器用に船室の壁に張り付いた翔護が合図を飛ばした。 「あいよ」と応えたのは彼の目を信ずる烏。不利な体勢に構わず振り向き様に得物を連射。 その全てが的確に的を射抜いたのに際して翔護はヒュウと喝采を吹く。 「こと、目立つって事に関しちゃSHOGOは負けてる暇は無いのよねぇ!」 リベリスタとしてのパフォーマンスは誰にも引けを取るものではない。 カードと銃を交差した両手に携え、敵陣を見据えた彼は驚く程的確なる魔弾の射手に相違なかった。 烏のスコアに負けじ、と次々と敵を駆逐する彼は「負けた方が一杯奢りね」と通告して唇の端を持ち上げる。 「不格好なかちゃーしーが終わったら、本番を踊りに島酒場行きたい訳よ……っと!?」 「危ない、危ない」 乱射を格闘戦に切り替えた腥が味方の死角をフォローした。 「おかえりなさい、そしてようこそ。穢れ共」 穢れは確かに脅威的存在ではあるが、それ以上に戦い慣れたリベリスタ達はあくまで粘り強かった。 陣形を乱された事は数多く、海面に投げ出されかかった事もある、分断されかかったの等、数え切れない程。 状況を見れば危険な瞬間は決して少なくは無かったのだが……彼等は作戦と連携でその危険を悉くカバーした。 「何度目かしら――でも何度でも、私は撃つ」 それが自分の務めなれば、恵梨香の意気は軒昂なまま曇る事は無い。 この世界を守る事は――を守る事と同じだ。 同時にそれは『有り得るかも知れない』自分の未来を守る事と同じ。 誰が為にも、我が為にも退けぬ局面は必ずある。 「負けません!」 恐怖を克己した真人が声を張った。 護術の守りに包まれた少年は自身を脅かす呪いの手に遂に防御で対抗を始めていた。 「そうだ、負ける訳無いだろ」 エルヴィンの激励の声は全く素晴らしい程にリベリスタ達の中の共通認識だった。 「負ける訳が無い。出来ない訳がない。この位の物量で――押し潰される俺達じゃないんだ」 どれだけの焦りがあったとしても、先が見えない夜だとしても。 ケイオスのエンドレス・ナイトはこの程度だったか。 異界の邪神に挑んだ星辰の夜はこの程度のものだったか。 あの長い夏の日に相対した怪物は、沈まぬ黒い太陽は一体どんな敵だったか。 「全くですね」 悠月の淡い笑みが千年の呪葬を愚かな敵に蘇らせた。 与えられた運命等無い。リベリスタ達は常に勝ち取って来ただけだ。これまでも、そしてこれからも。 この儀式がその未来を紡ぐものだと言うならば、運命は微笑むだろう。勇者を見捨てる事は無いのだろう。 「誰も殺さない。誰も死なない。誰も――泣いて欲しくない。泣きたくなんてない」 疲労で満身創痍になった夏栖斗はそれでも目前の苦難に喰らい付く。 悠月の紡ぐ裁きの星の大呪が白き闇を撃ち砕き、 「暖かくて優しいお母さんみたいな南の海、皆が生まれて皆が帰る海の底の国――」 息を辛うじて整えたせおりが、戦いを終わらせるべくこの海をさらう。 「――あなたたちもあるべきところに帰れますように……終焉のノアっ!!!」 ●ニライカナイの滄浪III 水平線より昇る朝日は美しい。理想郷(ニライカナイ)を前の滄浪はすっかり凪へと変わっていた。 気付けば白んでいた空を見上げて烏は紫煙を燻らせる。 「ニライカナイへ至れば死者にも会えたりするものかねぇ」 何と、遠い願望だろうか。 「……やれやれ、だ」 自覚しないで呟けば、烏は苦笑混じりに頭を振る。 沖縄の海は、疲れ果てた勇者達を労うように、優しく雄大に輝くばかりだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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