● 「ようやった、緑! 貴様に教えることはもう何もない!」 黒髪を頭に巻きつけた少女はいつの間にか娘になっていた。 「当たり前です。来年度は受験なんですから」 今年度の課題は今年度の内に。と、いう大屋緑の二つ名は年を追うごとに数を増している。 ● 「『武闘派』剣林が、富士登山」 へい! と、手遊びをやりかける『擬音電波ローデント』小館・シモン・四門(nBNE000248)は、真顔だ。 「一人は潰れ、一人は去り、日本国内の神秘勢力バランスは、ぐにょんぐにょん。誰も彼ものんきに酒ばかり飲んでるわけにも行かない」 びくっとした人は、後でカウンセリングルームまで来なさい。 「剣林は、戦力の増強に努めてる。自分達こそが真に最強たらんというわけ。子飼いの修行、スカウト。いろいろあるよね」 それについては、個別に話すとして。と、四門は、何かを脇に置くジェスチャーをした。 「そして、いよいよ今回は『日本最強の異能者』と呼ばれる剣林派首領、剣林百虎直々に動きだした」 情報提供者は、先日捕えた武蔵トモエさんです。と、フォーチュナは言う。 方法については特に説明されなかった。 「彼らが向かう先は霊峰富士山。富士山には火山岩によって形成された洞窟・風穴がそりゃもういっぱいあります。観光地化してるのもあるけど、剣林が見つけたのは人跡かなり長いこと未踏。その最奥に、封印された巨大なD・ホールが存在するのだ。じゃじゃーん」 トンネルを抜けると、そこは異世界だった。と、一人ごちるのに、リベリスタは無反応だ。 「剣林はその力を手に入れようとしている。先日の集中的な活動は、封印を解くために崩界を促進させる意図があったんだろうね。あっちとこっちのギャップは少ない方がいい」 いっとくけど、そういうのリベリスタ的にだめだから。と、四門は釘を刺した。 「D・ホールの開放は崩界の促進を招くし、今、特定の組織に頭角を現されちゃうと困るの」 一騎打ちの末、他の所に漁夫の利されては目も当てられない。 そういうのが上手そうな所が残っているのが頭痛の種だ。 「で」 と、フォーチュナはモニターに画像を呼び出す。 画像の隅に「想像図です」と書かれた彩色水墨画の世界。 「D・ホールの先に存在する世界は「蓬莱」と呼ばれている。 古代中国において神仙が住むとされた場所の名前」 錬金術師・徐福が不老不死の霊薬を捜し求め、なよ竹・かぐや姫が玉の枝を望んだ場所だ。 「もちろん、お話の世界って訳じゃない。剣林百虎の『盤古幡』もかつてこの世界で得たものだと言われている。だから『百虎さん、あなた疲れてるのよ』 という手が使えないんだよね」 そこに証拠がある強みが、蓬莱と底辺世界を固く結び合わせるという訳だ。 「おそらくはそれと同じように、かの世界から神秘の力を簒奪しようというんだろうね。同じブランドの信用性。連帯感。たしかに、神秘の力を増すに当たってはもっとも直接的で確実な方法だけどねー」 四門は、主要構成員のリストを画面いっぱいに呼び出した。 「剣林派は極めて戦闘的なフィクサード組織。彼らが目指すべきはあくまで「最強」。逆に弱いやつには興味ないから、無意味に破壊を撒き散らすことはないんじゃないかなーというのが、フォーチュナの共通見解。だけど、力を手にした彼らが最強を証明するべく、自分ら基準で「オマエ、ツヨソウ。オレ、オマエ、ナグリタイ」的に戦いを挑むってのはやりそーだなーって。最強の矛を手にしたら、最強の盾にぶつけてみたくなるのが人の常」 そうなれば、望むと望むまいと、結果的にかつて「極東の空白地帯」と評された神秘の混乱状態が再来、いやそれ以上の状況となるだろう。 「本人達に、悪気はなかったとしても。そして、とめて『はい、そうですか』と聞いてくれるような連中じゃない。うきうきしながら、『そんなら力ずくで止めてみろ』って言う。賭けてもいい」 ペッキ一年分(四門消費量的な)。 「もちろん、異世界に行くんだから、剣林は当然、相応の戦力を連れてきている。あっちで、ドンパチも辞さないだろうしね」 画面でいっそう光る顔写真。選挙の当落速報のようだ。 「首領の剣林百虎は、お留守番するような御仁じゃない。『本隊』と呼ばれる最精鋭部隊が動いてる。みんなが身を持って体験している通り、剣林派はつよい。気をつけてね」 それと。と、四門は付け加えた。 「『蓬莱』から封印の隙間を縫う様にやって来たアザーバイドが風穴内を徘徊してる。彼らにとってはリベリスタもフィクサードも変わらず敵だ。里に下りたら目も当てられないから、処理よろしく」 県内で終わる近場のお仕事。と、四門は言った。 簡単だとは言わなかった。 ● 「――で、行くんか。静岡」 「行きますよ?」 「お前、来年受験なんじゃろ」 「ええ」 「向こうに行って帰ってきたら、浦島太郎かも知れんぞ」 「なんせ、蓬莱じゃ」 「本場じゃからの」 囲碁を見ていたら、鍬の柄が腐った。の例えもある。 異世界の時間の長さの差は、まず考えねばならない要素だ。 向こうの世界に、太陽はない。 「本望です」 莞爾と笑う孫のような娘に、年寄り達はため息をつく。 ● 「で。みんなの担当は、この人」 黒い三つ編みを頭に巻きつけた、色白の女子高生。 『剣林最弱』大屋緑。 過去数度、アークと接触を持ったフィクサード。 戦闘するとなると、非常に面倒な相手だ。 自他共に認める、『剣林』ラヴ。自分より無様な者が『剣林』を名乗ることを許さない。 新入りを試したり、『剣林』の名を汚したと判断した奴にヤキを入れに行く習性がある。 上層部は放置、というよりは、面白がっているのだろう。 緑もいなせないような輩は、剣林では必要ない。 緑自身がそう定義つけている。 それゆえ、自称は「最弱」だ。どれほど成長しようと、いつでも緑が「最弱」でなくてはならない。「剣林」は常に進歩しなくてはならない。 「第一関門」、「器用貧乏」、「十徳ナイフ」、「砥石」、「試金石」、「先任軍曹」、「ネメシス」、「懲罰係」 数々の異名を持つが、一番有名なのは、『削り鏨』 無様な者は、丁寧に痛めつけて『剣林』から放り出す。場合によっては、三途の川の向こうまで。 剣の林に生えてくる芽を見極め、剣とならぬと見るや容赦なく抜いて彼方に追いやる、厳然たる守人。 子供だから、妙に潔癖で融通が利かないし、大人の機微など読む気はない。 人は言う。 『あれが『最弱』なら、剣林は化け物しかいない」 然り。そうあれかし。 「はい。10歳で剣林に入って、そろそろ17になりますが、まだ死んでません」 ここ一年、特に問題を起こしていなかったようだが。 「さっきも言ったけど、剣林は戦力増強に努めてた。上からの強い要望に応える形で、遂に師匠について修行してたみたい。――免許皆伝だそうです。三人分」 総髪の恰幅のいい老人。禿頭の中肉中背の老人、ロマンスグレーのやせた老人。 「左から順に通称、熊野、八幡、住吉。剣術のお師匠さん、陰陽術のお師匠さん、体術のお師匠さん。のはずだったんだけど、それぞれが互いに口出ししあって、それを全部聞いた結果、大屋緑は、訳わからんものに成長した」 器用貧乏、面目躍如。 「増えた二つ名『千手観音』 もう、十得ナイフじゃ足りないってさ」 ブリーフィングルームに沈黙が落ちる。 「そんな緑さんが、風穴内部、結構通り勝手の良さそうな経路に立ちふさがってます。この先に行かせたりなんかしないご所存で」 それと。 「『辻蹴り』安藤ジュンも一緒。彼、住吉の直弟子だから。兄妹弟子になったのかな。あれ、姉妹――え?――とにかく、こっちも戦闘になると忘我の極みに突入するバトルマニア。」 四門は首をひねった。 「地の利は、ここを何度も調査していた『剣林』に。足元は、濡れてるし、コケですべるし、生えてなくても、磨かれててすべるし、とにかく硬くてすべるから。セメントデスマッチ的な」 四方は玄武岩質。叩き付けられたら余計に体が痛む。 「あと、天井低いんだよね。一番低いとこ、2メートルない。鴨居に額ぶつける系男子は、頭のてっぺんこすることになるから注意。女子でも上段に振りかぶるのは難しいね。飛べないし、暗いし、幅もないし。洞窟だから、位置取りも考えてね」 緑もジュンも平均よりは背が低い。 それを見越しての位置取りだろう。 「山岳信仰の本場で修業してきた二人の方に利があるね」 ● 「――こんなことになるなら、稽古なぞつけねばよかったかもしれん」 熊野老は、しょぼくれてみせた。 「何をおっしゃっているんでしょう」 ころころと、娘盛りが笑いとばす。 「教えられていようがいまいが、緑は富士に参ります。――生きて帰る分が増えました。お礼を申し上げます」 「今生の別れみたいに言うんじゃないわい」 八幡老は、ぎりぎりと歯噛みする。 「でも、おっしゃるように浦島太郎になって、戻ってきたら皆さん鬼籍にお入りの可能性もありますので」 老い先短いと思われる老人にいうには遠慮のない物言いだ。 「馬鹿野郎。俺らは死んだら仙籍だ。もしもんときは向こうで会おうぜ」 住吉老は、しかたねえな。と、苦笑いした。 「しかし、緑よ。お前、受験、受験と。何を学ぶ気なんじゃ」 「緑は」 「おう」 「剣林を守るため――」 「おう?」 「弁護士か会計士になろうと思っております。だって、皆さん、借金のかたとか出された酒がうまかったとか行きずりの女性が困ってるとかでアルバイト用心棒とかなさるんですもの。緑はそういうの好きじゃないです」 老人たちは顔を背けた。身に覚えがそれぞれあった。 「そういう方がたくさんいらっしゃいます。別に、高潔でいろとは申しません。強ければいいんです。ただ、剣林の最強の腕をそういう世俗のことで浪費する必要がないよう、緑は自らのできることを増やしたいのです。剣林に降りかかる瑣末事を片付けるのが、緑の仕事です」 命のみならず、人生を剣林に捧げると決めたのだ。 「今回に限っては、瑣末といったらとても失礼ですね。大仕事です。アークの皆様にお帰りいただく仕事ですから――」 ● 「いい!? いくら大屋さんがくれるお菓子がおいしいからって、もらっちゃだめだからね!」 菓子なら、俺がいくらでも上げる。と、四門はバッグを逆さにして、持っているスナック菓子を机に山盛りにする。 「絶対に、お引取りしてあげられないんだから。詐欺になるよ!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年01月15日(木)22:32 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 天からの雪と地からの水で、空気はしっとりと肌に吸い付く。 玄武岩質の風穴に、鍾乳石はない。 恐竜の皮膚のようなざらざらした岩肌が地の底から吹いてくる風にさらされ、湧き出す地下水に濡らされているのだ。 不意に洞窟の中に影がさした。アークのリベリスタがやってきたのだ。 「念のため、菓子折りは用意いたしましたが……」 三つ編みを頭に巻きつけた白い顔の女子高生。 白いシャツと細身のパンツ。 アイボリーホワイトのダウンジャケットを着込み、スキー用のゴーグルをつけている。 『剣林最弱』『削り鏨』大屋緑。 そして、ふかふかのファーコートに迷彩ミニスカート。極彩色のタイツ。 『辻蹴り』安藤ジュン。 すでに脚部装甲を装着済みだ。 「受け取っていただけないでしょうねえ。――安藤さん、これ持って奥に行って下さいな」 緑セレクトの菓子は、本隊の女子はもとより、酒飲みのハートもわしづかみの限定モノである。 小さきころから、年寄りが菓子を分けてやっていたので、舌が肥えているのだ。 「いや」 ジュンはにべもない。 「だって、緑さん、ボクがいないとこでアークの人に遭うと大怪我して帰ってくる。ちゃんと見張ってないと無理するから、いや」 それにさ。と、ジュンは続けた。 「緑さんはボクがいた方が絶対強い。ボク、剣林だから。ボクも緑さんがいた方が強い。ボクは、緑さんより強くなくちゃいけないんだから。二人なら、きっと、無敵だよ」 ● (器用貧乏にならなかった才能は素晴らしいと思うが、愛情こそが、その糧となったのだろう) 『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は自信を持って分析する。 緑は、剣林の中で愛されているのだ。 だから、全てを掛けている。 (愛情故に、守るべきもののために、退けないのは同じだ) 雷音も、この世界を愛している。 「ほう、流石の大家も剣林の一大事。とうとう観念して弟子入りをしたか」 『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)は、自分が面白がっているのを自覚した。 (己の腕前を上げるのも剣士の甘露の一つ。そして、優れた弟子を鍛え上げるのもそれと等しい程に喜ばしい物だと聞く) 深々と頭を下げる緑のたたずまいが研ぎ澄まされている。 「剣林のお三方は良い弟子に恵まれたらしい」 「さて、剣林という組織がなくなっても剣林最弱は名乗れるのかしら。ここまで大事にされると流石の私も堪忍袋の緒がギリギリでね」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の声は、地を這うようだ。 韻々と窟内に響く。 覚醒前ならば腰を課かがめなければ立っていられない天井に、今、若干の余裕があることが引っかかっているわけではない。 「身命を賭す覚悟と大義が出来ましたか? ならば、是非もありません」 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)が、塚に手を掛ける。 「戦場ヶ原舞姫、推して参る!」 「ともちゃん。ともちゃ~ん! ひさしぶりー!!」 ジュンがぶんぶんと手を振った。 『全ての試練を乗り越えし者』内薙・智夫(BNE001581)とプライベートで交流がある。 ここのところ、山にこもっていたのでジュンのテンションが高い。 「たとえ仲良くコスプレをした人と戦う事になっても、全力で戦うのがミラクルナイチンゲールの努めです!」 「うんうん! 今日のコスチュームもかわいいね! 寒そうだけど!」 ミラクルナイチンゲールの、否、智夫の勝負服は、女物の浴衣である。 「お久しぶりでございます。長の無沙汰をお許しください。皆様の武勇、山奥にまで届いております。ぜひ、うかがいたく存じますが、ただいま勤めの最中でございます。また、日を改めまして三高平の方にご挨拶に伺いたいと思います。どうぞこの場はお引取り願えませんでしょうか」 いけしゃあしゃあと、緑は言った。 リベリスタは首を横に振った。 「そこを曲げて」 「わかってらっしゃるくせに」 『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)は、核心を貫く。「問答無用――話は速いですね。押し通ります!」 「たとえわかっていても、ご挨拶は大事です。――安藤さん、診終わりました?」 「うん!」 安藤ジュンの人の器を読む人としての基本能力は壊れている。 緑は、ジュンにエネミースキャンさせる時間を稼いだのだ。 「時間稼ぎ……」 リベリスタ達とて、事前にまとえるだけの加護をまとってこの場に来ている。 その有効時間を削ることも兼ねているのだ。 「若輩ですので、ご容赦下さいませ」 緑が、足をさばいた。 「参ります」 速やかに間合いが詰められた。 そして、洞窟の奥から、十数人の緑が姿を見せた。 「難儀しました。折角つくったのが消えたらどうしようかと。ちゃんと皆さんがいらしてくれる時間を当ててくれたうちのフォーチュナに菓子を届けなくてはなりません」 ● 「アザーバイドになし、側道もありません! 見てわかる罠の類も伏兵もなし! ただ――」 影人以外は。 舞姫の隻眼が闇を貫き、先を貫き、剣林の先を貫く。 幅もさしてない上に、天井が低い洞窟の中。 舞姫にたかる影人は三人。 「立ちはだかる『戦姫』相手に一人では、台風の新聞紙ほどの足止めにもなりませんからね」 「――このっ!」 普通に立っただけで、自慢のポニーテイルの結った辺りが天井に潰される。 常とは違う圧迫感に、勝手が狂うのは否めない。 「それでも精々足止めは瞬きの間でしょうが――」 影人と共にリベリスタの陣に突っ込んでくる。 「その瞬きの間が欲しいのです」 「ユーヌ、隙間を空けてくれ」 射線をふさいでくれるユーヌに声をかけ、雷音は閃光弾を投げ込む。 瞬間、白が全てを塗りつぶす。 「こんな狭い所で。獅子は千尋の谷にわが子を突き落とすと言いますが」 あきれた。と、緑の複数の声が響く。 巻き添えを食う前衛は、瞬間爆ぜる衝撃を逃がすことは出来なかったが、そのまま目をくらませるへまはしなかった。 「立ち塞がるのがクロスイージスだ」 「『立ち塞がる学徒』 すっかりご立派になられて」 緑に戦いを見られたのは、まだ駆け出しの頃だ。 おととしの初秋。 夏のお嬢さんのようなジュンをとめる任務を、緑は離れたところから見ていた。 「男子三日あわざれば、と申します」 「思い出すと腹が痛くなる。身体も得物も変わって、昔とは違うってことを見せないとな」 「ま。楽しみです。まずは、天井に頭をぶつけないようになさいませ」 緑の姿が消えた。 コサックダンスの要領で、地面を這うほど体勢を低くする。 腰から引き抜かれた小太刀に手が添えられ、横に薙いだ。 晃の足がふっと浮く。 当たりが強かったわけではない。 確実に『吹っ飛ぶ』点を薙がれたのだ。 とっさに、開かず持っていた鉄扇を地面に突き立て、壁に吹っ飛ぶのは抑える。 「安藤さん、申し訳ありません。思ったよりあけられませんでした」 「十分です!」 ジュンの目の前に立ちはだかるメリッサ。 「蜂の一刺しと甘く見れば、痛い目を見ますよ」 ジュンに出し抜かれることのないよう、添うて動く。 華奢なソードミラージュにあるまじき、力を乗せた刺突は雪崩のようだ。 神をも食らう鬼神の所業。 したたか壁に打ち付けられたジュンは、ぺっと血反吐を吐きざま――。 「飛び道具から潰させてもらいます!」 最低限の動きから飛ばされた不可視の武技。中衛から後衛にかけて、お互いの射線を保つためにジグザグに立つリベリスタの間隙を抜いていく。 射線の先。当然の帰結として血の花が咲いた。 「――オレはか弱いんだ」 クリスのバトルスーツの腹部がぱっくり開いている。 水に混じる血の臭い。 智夫が凶事払いから回復請願へ詠唱を切り替えた。 「辻蹴りなんて物騒なヤツには大人しくしていて欲しいね!」 飛んできた射線に載せて放たれる弾丸には、封縛の呪印が刻まれている。 それは、確かにジュンの足にクリーンヒットした。 「――とまってる場合じゃないよね。ボクらも君らも」 鈍く唸る脚部装甲。おとなしく縛られてはくれないようだった。 「それなら、脳みそをいじらせてもらうわね――ここまで付いてくるという事を剣林最弱が認めたと言うなら、それこそを警戒しないといけない」 オルガノンとクラテュロスが共鳴し、増幅された彩歌の精神波がジュンの脳をかき回す。 鼻から流れ出す血をぬぐい、ジュンは血で染まったファーコートの袖口を見て、悲しそうに眉をひそめた。 「普段なら、こんなこと絶対しないのに」 正常な思考を阻害された証拠がそんなところに現れていた。 ● 対人地雷が人が死なない程度の威力に留められている理由。 運搬するにしろ、治療するにしろ、負傷者は死人よりも手間がかかる。 数を上回る敵を相手にするとき、非常に有効な手段でもある。 少なくとも、癒し手の手番は塞がる。 ユーヌの手から放たれる符が、クリスのえぐれた腹に張り付き、書かれた印が傷をふさぐ。 晃に付与された対最終決戦加護が代謝を促し、細かな血管をつなぎとめる。 智夫と雷音の天使の歌が窟内に響き、怪我による消耗を帳消しにした。 死線ぎりぎりでとめられた傷に次々と施される癒しの御技。 それにより、クリスのとりあえずの死は遠ざかったが、中・後衛による前衛への支援には大きな穴は開いた。 構えて突く。 その挙動をよどみなく目にも留まらぬ速さで圧倒するメリッサの剣。 起こされる旋風に、舞姫に張り付いていた紙の緑が吹っ飛び、本体に施された加護が引き剥がされる。 容赦ない突きに血まみれの緑のはく息が白く見える。 とっさに、妖精女王の名を冠するアームガードを構える。 来るだろうと警戒していたのだ。 「――蜂は、冬は飛ばないものですよ」 周りの熱を吸い上げる緑の動きは、白く凍る水の粒をメリッサの肌の上に押し広げている。 少女の氷像ができるのは、瞬く間。 「少しだけでもとまっていただけると幸いです」 鳴り響く天使の歌の二重唱が、すぐに氷を打ち砕くのはわかっていても、わずかな時間を削りだすようにして戦う。 壊れた正義と銘打たれた銃剣から吐き出される弾丸には、どんな銘が似合いだろうか。 紙片に変わる影人と、変わらない本物。 すれ違い様、ジュンの体から噴き出す血を符でとめる緑、を横目で見ながら、拓真はジュンに照準を合わせ続ける。 緑は、拓真を見て呟いた。 「こんな形で私の邪魔立てなさるのですね」 蜂須賀様のいけず。と、緑は言った。 拓真の装甲にこの場にいない蜂須賀家謹製の護符が貼られている。二枚も。 「伝えておこう」 「再び見えられると思っておいでで」 「ああ」 「そういう自信をお持ちの方は、嫌いじゃありません」 ● 「剣林の思想とは相容れぬが、こういう真っ直ぐな娘は嫌いになれんな」 天井に位置取り、影人を複数撃ちぬく伊吹の早撃ち。 コンクリートの壁とは違う滑るって凹凸が激しい足元に、いつものようには行かないが、吸着力をぎりぎりまで挙げて位置を固定する。 腕輪に吹っ飛ばされた瞬間に紙片に戻る娘の影から、飛び出す青年。 低い天井。ぶら下がる頭部は、ちょうどジュンの腹の辺りだ。 「エッチ」 スカートはいているとはいえ、男に言われたくない。アッパーユアハートでもないのに、ぐさりと来る。もちろん、そんなことで動揺したりはしないが、それとこれとは話は別だ。 「我らを下せぬようでは蓬莱など行っても足手まといで死ぬだけだろう。ならばここで全力で止めるのもまた情けか」 伊吹の物言いに、ジュンは不機嫌そうに眉をしかめる。 「緑さんもそんなこと言ってるよ。全然そんなことないのに」 「最強であろうが最弱であろうが、俺にはどちらでもいいことだ。立ちふさがる者に対する遇し方は一つしか知らぬ。来い、剣林」 「遠慮なく」 地でじっとり濡れている明るい柄のタイツに包まれた強烈な膝が伊吹の顔面に叩き込まれるのを皮切りに、とまる気配のない拳。 まさしくサンドバック。 みるみる腫れ上がる体に拳を叩き込み続けるジュンは、羅刹の形相を浮かべている。 「――うまい具合にずらされちゃったな」 機をずらされ、それ以上の拳が続かない。 技巧派の面目躍如。 生きることに不器用な男は、そのおかげで生き続けている。 「これ以上はさせない!」 紙人形の包囲など、自らを飛ぶ刃と帰るソードミラージュには無意味だ。 洞窟の床すれすれを金色の曳光弾が飛んでくる。 脚部装甲ごと横薙ぎにする速度という刃。 ぎりりと歯を食いしばり、魂が抜け落ちてしまうほどの衝撃をやり過ごすジュン。 「その脚斬り飛ばしてでも止めます。止めはさしてやらない」 舞姫の隻眼の切っ先が、あの日と同じようにジュンの眼前に突きつけられた。 ● 浅い傷はすぐ塞がるが、深い傷が癒しきれない。 影人達は散開し、一度の掃射で全てをほふることは出来ない。 前衛の前には影人が張り付き、その行く手をさえぎる。 狭い洞窟の中、リベリスタの視線を遮断するよう動く剣林に、一日の長があった。 満遍なくではなく、一人を一撃でごっそりと破壊していく覇界闘士は、自分達を朱に染めながら、リベリスタを道連れにする気だ。 ただし、とどめはささない。 回復という選択肢を残すことで、リベリスタの手番を封じているのだ。 仲間の怪我を放置することはしないだろうことを、緑は今までの戦闘経験で読んでいた。 「だって、アークの皆さんはとてもお優しい方々ですから」 甘えております。と、『剣林最弱』は笑う。 「私ども二人で皆様十人が向こうに行かないというだけで、十分です」 共に行くことはできなくても。 それが剣林の最強到達に益となるのなら、それが緑の喜びだ。 「位置が判れば当てられる、そういう攻撃手段もあるのさ。多少、大雑把だがな?」 最後尾にいるクリスからすれば全てが「前」だ。 世界には二種類ある。 弾幕が張られているところと張られていないところだ。 その圧倒的物量は、蜂の巣を凌駕する。 だから、紙人形なんて、塵も残らないのだ。 弾の通らぬところなんてない。 影人に守られて、ここまで後衛まで来たジュンから陽炎をまとっている。 「ボクは、あなたがとっても怖い。どうしてかな。きれいなお姉さんなのに、うちのお師匠さんみたいだ」 ジュンの疑問に答えず、彩歌は微笑んだ。道理だが、そこを話すと長くなる。 先ほど脳をかき回された恐怖をねじ伏せ、振り上げる足が彩歌に迫る。 カウンター。放たれる無数の気糸。 不可視のもののうねりが見えるほどが、ジュンを血管をえぐり、臓腑をえぐり、筋をえぐり、肉をえぐる。 「――致命の傷。わかるわね。その傷は神秘じゃ塞がらないのよ」 「はい」 ジュンは、呼気を整えた。 「でも、やっぱりあなた達も道連れ。怖い人だから」 ここまで突っ込んできた甲斐がありました。と笑うジュンの鋭い蹴りは、彩歌の右腕を皮一枚残して切り落とし、更に、後方のクリスの塞がりかけていた腹を再び貫いた。 その威力、まさしく会心。 恩寵を磨り潰して、彩歌は気糸で腕を仮止めする。 だが、デバイスとの親和性が落ちている上、生命維持モードに機能のほとんどが変換されている。 ジュンも恩寵をナニカに捧げた。 「ここで潰えても、本望」 彩歌は魔力の限りを振り絞って、気糸を放つ。 「剣林という在り方が一番大事なら、極論剣林という組織は必要ないんじゃないの? あなたと彼女にとってその他がどれだけ大事か無視した話だけどね」 極小と極大の刺し違え。 「ボクは、戦えればどこでも。でも、緑さんに軽蔑されるのは耐え難いから」 ● 如何に援助がなく、戦線から分断されようとも、紙人形ごときにさしたる手間などかからない。 そのわずかの間に、剣林はリベリスタを噛み砕いた。 二人が食われた。 安藤ジュンが膝をついた今、残るは、大屋緑のみ。 あるいは、前衛をほぼ無傷のまま、主たる攻撃手段のジュンを失ってしまったともいえる。 「――かわいらしい安藤さんをどつき回すなんて、アークの方には萌え心というものが――持ち合わせてらっしゃらない方が多数のようです。失礼しました」 本気かそうでないのかわからない口数の多さは健在だ。 ● 恩寵を磨り潰した伊吹を加えて、まだ立っているリベリスタ、八人。 だが、すでに魔力はかつかつだ。 影人を始末するため、大規模な技を乱発させられた。 強力な魔力供給源である彩歌が戦闘不能になったのは大きい。 じりじりと間合いが詰められる。 智夫の回復請願詠唱は続いている。 魔力供給源としての役割を望むべくもない。 開戦前は散々思い嘆くが、一度戦闘が始まってしまえば目的完遂に向けて突き進むのだ。 「さて、緑。ボクも来年は受験生だ。ご一緒に大学生になりたいものだな。会計士とは君らしい」 雷音が話しかける。 「面白い夢だな。脳まで筋肉詰まった馬鹿と世間の摺り合わせ。面倒が減るのなら応援してるぞ?」 「剣林の水になじんだ方は、金銭と実力は反比例すると思っている方が多くて困ります」 「精々勝手に好きなだけ籠もって求道するのなら」 ユーヌの舌には、百鬼夜行が棲んでいる。 「アークさんは外国行くのには寛容なのに、異世界に行くのは厳しいんですね。自分は大きいの持ってらっしゃるくせに」 三尋木との共闘は、緑の耳にも入っていたらしい。 「こちらも、それで相応の苦労はしている。跡を濁さず行ってもらいたいもんだな。後ろ足で砂を掛けていく気か? しつけのなっていない野良犬でもあるまいに」 図らずも、アークの飴と鞭が揃っていた。 「君は、剣林のこの世界での明日を語るのに、どうして崩界に手を貸したりするんだ。ボクも世界を守るため、とまで大きくなってしまうのは些か英雄的にすぎて、気恥ずかしいが、これ以上の崩界は見過ごせない」 雷音が言う。絵空事ではない理想を語る少女。 「優先順位の差です。蓬莱に行ったからといったって、世界が壊れるとは限らないでしょう? 本隊の皆様が蓬莱に到達されれば、きっとよりお強くなられます。どうして、その可能性が捨てられましょうか」 アークだって行っただろう。世界の果てまで。 「それで、この世界が崩界したら!」 「別の世界に行けばよろしいのではないでしょうか。蓬莱でも、どこの世界に行こうと、剣林は剣林。きっと、楽しくなさることでしょう」 最強になるためならば、他次元で底辺世界からのアザーバイドになるのもいとうことはないだろう。と、緑は狂信している。 否、いとうた時点で覚悟が足りないと緑は断じる。 猛進か妄信か。 組織を維持しようとした者達が、構成員に手を掛ける緑を危険視した理由だ。 そして、その物言いは、その中に自分がいないことを前提にしているようだ。 雷音は、声を荒げた。 「君はどうするんだ! 捨石になる気か!?」 「おかしな方ですね、『百の獣』。 あなたは私を倒しに来たのでしょう?」 「ボクは、君にここから去って欲しいだけだ!」 「平行線ですね」 「ボクは君を止める!」 「『百の獣』 たらればの話をいたしましょう。もしも、あの日。あなたのご義父君があなたを見つけなかったら。彼が育てたのは、剣林で野放しだった私の可能性、結構あると思いませんか? あるいは、あなたを剣林につれてきていたら。姉妹のようになれていたかもしれません」 「退いてくれ」 雷音は、絞り出す声で繰り返した。 「酒も戦も騒げば迷惑に違いはない。冷や水ぶっかけ冷ますに限る。どうせ風邪を引かない馬鹿ならば手荒にしても問題なし」 ユーヌの手袋から湧き上がってくる符には、三千世界を埋め尽くし、凶兆を運ぶ鳥が刻されている。 「こういう時、剣林の者はこう申します。『言うこと聞かせたいなら、力づくで。やれるものならやってみろ!』」 「このわからず屋っ!」 「雷音、冷や水だ」 ユーヌに促されるが、雷音の手は、まだ氷の雨の符をつかめない。 「だって、これは私のわがままですから」 緑は、血まみれの頬で微笑んだ。 「いつも、アークの皆さんとお会いするのは、何かしらの事柄を抱えてのことでしたから」 自らの最強を追い求めることのなかった緑が、アークの障害になることはあっても、もう標的になるのは今回が初めてだ。 「私、蓬莱に行くよりも」 内緒の恋の話をするように緑は言う。 「皆さんと拳を交え、刃を交えることを選んだのです。安藤さんは、私のわがままに付き合ってくださいました。一張羅を揃えて差し上げなくては」 微笑んだまま顔が変わる。 観音はさまざまな顔を持つ。ならば、今は戦わずには生きられない修羅の顔だ。 「私を最も強くしてくれるのは、蓬莱ではなく、あなた方だと直感しております。ですから、私はここにいるのです。自己犠牲ではなく。自己達成の術として。最強になるためには命も惜しみません」 愚か者で申し訳ありません。と、緑は小太刀を手にした。 「お話できて、楽しゅうございました」 永遠に感じられる刹那だった。 ● ユーヌの手から放たれた符から湧き上がる紙製の三千烏は、緑をついばむ。 「口で言っても判らない。叩けば通じるあたり畜生か。いや元々狂犬か、畜生よりも質が悪い」 「心に染み入る罵声ですね。絶対に『普通の少女』じゃないですよね。改名をお勧めします。私も散々言われましたけれど、そろそろ覚悟をお決めなさい」 心からそう思っているというのがありありとわかる。 雷音の手の中の杖がその魔力を食らって、喜びの咆哮を挙げる。 「來來、氷雨!」 雨の中に雷音の涙も含まれるだろうか。 それまで戦いの熱気にむせ返るようだった洞窟内が急激に冷やされる。 冷気が断ち割る肌に無数の傷。 「身にしみますね、ほんとに……」 いつの間にか雷音にも傷が入っている。 返し傷。 「しかし、免許皆伝か。祖父に閃剣……あの二人にそうと認めて貰える日は何時になるやら」 拓真の魔術機甲の継ぎ目から、水蒸気が立ち上る。 限界を突破するためには、肉体は極限まで酷使される。 「お恥ずかしいことでございます。からかっておいでなのです。半端者の私が会得できることはとても少ないのです。あの方たちは、奥義、超奥義、最終奥義など、山のようにお持ちです」 踏みしめる足元の岩が砕けるほど、『完璧』を冠する剣が高貴な痛みを緑の骨の髄まで響かせる。 「――なんで、皆さん、剣林じゃないのでしょう」 大屋緑的に最高賛辞であろうことは、なんとなく知れた。 「――剣林のお三方は良い弟子に恵まれたらしい」 緑はまだ立っていた。 「いえ、何か大事なものが飛んでいった気がします……」 荒い呼吸の下、ほつれた三つ編みを払う手に炎の気配がする。 振るう腕から紅蓮の炎。 腕から染み出すような毒々しい赤が洞窟の天井を舐め、黒い洞窟を地獄に変える。 リベリスタも無傷ではすまない。 生死の境目、ノーフェイスに落ちるか否かの境目で、いや、境目だからこそ。 彼岸の炎は、伊吹の体に宿り、消える気配がない。 リベリスタの反対側。洞窟の反対側でこの世のものならぬ何かの叫び声。 「アザーバイドか!」 弱った命の気配に感応したのか、異界の獣が奥から来る。 この奥は確かに異世界につながっている。 「おや、無粋な輩が。かわいくない化け物に興味はありませんよ」 緑は、鼻で笑った。 「安藤さん、申し訳ありません。あなたは巻き添えです――それでは、皆様、この先に向かわれてもかまいません。とても楽しゅうございました」 「私は、弱さを踏みにじる強さなど許しはしない」 舞姫は前を向く。 闇の向こうの獣を見通しているのだ。 「だから、『最強』ごときのために、命を奪うことなど絶対に赦さない。死ぬことは赦さない」 「剣林を愛するなら、今夜、決した後のために貴方は死ぬべきでないでしょう」 メリッサの刺突のための剣がこれほど豪快に使われることはそうない。 「負けましたから、仕方がありませんね」 「わざわざ止めを刺したりはしないが、別にそれくらい自由にしてやってもよかろうに」 ユーヌは、自らに大傷痍の符を貼る。 彼女がまだ立っているのは、回復の只中にいたのと、晃の途切れない加護のおかげだ。 「アザーバイドは、倒してから進みます」 「駆け出しの俺が強くなれた恩義もあるしな」 訓練されたリベリスタは、移動中にも気を遣うのだ。 雷音は無言で洞窟の奥に符を飛ばした。 氷の雨が降る気配がする。 「――ボク達は、先に進む」 緑は、大きく息をついた。 「この先にいらっしゃる方々は、私を負かしたようにはいきませんよ」 一度言ってみたかったと、緑は微笑み目を閉じた。 「私は、剣林最弱ですから」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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