● たった一人。 私こそがアタランテ。 おまえでもいいわ。いらっしゃい。 ● ゴスロリ服に、超ハイヒール。パラソルがトレードマークだった。 足の早い若い男が大好き。 全力疾走で走る男を歩いて追いかけ、死ぬ寸前まで走らせて、最後には傘に仕込んだレイピアで突き刺して殺してしまう。 りんごを渡すと、ちょっとだけ待ってくれる。 生ける都市伝説。 「人混みアタランテ」というフィクサードが、三年前の夏に倒された。 そして、秋になった頃。 死んだ「人混みアタランテ」は皮一枚残して屍解仙という名のE・フォースとなり、現世に戻ってきた。 リベリスタ達は、それを十数キロの逃避行の末、倒した。 そして、冬。 空席になった神速の具現、最も早い女の称号「アタランテ」を賭けて、啓示や薫陶を受けた女フィクサード達が密かに動き始めていた。 「人混みアタランテ」の真似をして、若い男達を密かに殺し始めていたのだ。 その行為を、あるものは速度を鍛えるために鍛錬と言い、あるものは、都市伝説となるための儀式と言った。 アークによって、ジョガー、トリオ、ジュリエッタ、泣きべそ、清姫が討伐された。 それは氷山の一角。 少しずつ力をつけた彼女たちが、『万華鏡』に映し出され始めていた。 そして、新たな噂。 未熟なアタランテを駆り立て、狩りたてる者たちがいた。 「アタランテ狩り」 都市伝説は、拡大した。 あなたが若い男性なら。 どんなに急いでいても、人混みを早足で通り抜けてはいけない。 アタランテ達に愛されるから。 そして、お前がアタランテなら。 どんなに恐ろしくても、後ろを振り返ってはいけない。 アタランテ狩りと目が合うから。 ● 「久しぶりだね」 「そろそろ、走るにはいい日だ!」 「完璧なアタランテには、完璧な縦ロールが必要なんだよ」 「そもそも、アタランテの出現頻度は非常に低い。一年くらいどってことない」 「リハビリ、大事」 「足首ぷらぷらになってたっていうじゃないか」 「にも拘らず、ノーダウン」 「ノースリップ。すばらしい」 ● 「歩行者天国にいる」 「足が速い若い男が大好きだって」 「10人追い越すと目をつけられる」 「後ろからずっとついて来る」 「脇目も振らずに追いかけてくる……ここまで、常識」 「某駅伝選手逃げ切った。ただし、燃え尽きた。あははうふふになった」 「カウンセリングがんばれ」 「靴セーフイベントあるよー」 「常時ピンヒールを持ち歩く変態と言う名の紳士になるしかない」 「新品だから、変態じゃないもん」 「フラットアタランテ」 「見た目予想より声が半音低いから、フラット」 「走っても振り切れない」 「胸まったいらだから、フラットって聞いた」 「察してやれよ」 「そんでも、電車より速い」 「バスとかタクシーとかに乗っても歩道をずっとついて来る」 「降りたとたんにやられる。電車に乗ってもホームに先回りして待ってる」 「立ち止まっちゃいけない」 「振り返ってもいけない」 「うちまで自分の足で帰らなきゃいけない。どんなに遠くても」 「うちに帰るまでに追いつかれちゃいけない……ここまで基本」 「そうでないと、突かれて殺される」 「うちまで逃げ切ると、電話が来る。『ゆるしてあげる』って言われたら、セーフが基本」 「フラットアタランテは、りんご受け取るんだって!」 「21世紀のアタランテ」 ● 「『アタランテ』の噂がまた立ってる。それを排除するのがアーク」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、『アタランテ』 と、言い切った。 「フィクサード、識別名『フラットアタランテ』 一度、煮え湯を飲まされてるね」 モニターに映し出される少女。取り澄ました顔をしている。 アタランテ候補生たちがひっそりとレースを始めてから二年半以上。 「靴プレゼントエンドがあってよかった」 『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)と『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニン(BNE001789)がネットに介入した結果、アタランテから逃げる方法が一つ増えた。非常に微々たる可能性ではあったが、それがチームの命を繋いだ。 私の足に似合う靴を頂戴。 アタランテは、そう犠牲者にささやく。 もちろん、きりきりに細いピンヒール。 セラフィーナは、事前にフラットアタランテの足をコンピューター解析して、完璧な靴を用意していた。 「アタランテの出現場所は、ここ。三高平市にやってくる」 イヴは、無表情だ。 「なんで」 「繁華街を非常に急いでるけど、走るに走れないまま、十人追い抜いちゃう男が現れるような気がするから」 その特殊な状況をかぎつけるのが、アタランテだ。 「そんなことしたら、アタランテが来ちゃうことくらい日本の常識だろ?」 夜に爪を切ったり、口笛を吹いてはいけないレベル。 「世の中には、そういうのをスルーしてたり、外国人だったり、そもそもそう言う話自体を聞いたことない辺境出身だったり、情報がひん曲がって伝来しちゃった僻地出身だったりする人たちがいる」 自分達の常識がグローバル・スタンダードとは限らない。そんな人種と文化の坩堝。 とにかく、アタランテに目をつけられたら、待っているのは死あるのみ。 「ソードミラージュ。力も強いし耐久力もある。強敵。更に再生能力も確認されている。もちろん、逃げ足も速い」 イヴは無表情だ。 「そして、このアタランテは走らない」 「そもそも、アタランテの活動周期はきわめて長い。前の『人混み』も出現回数は百年で20回に満たない。アタランテ・レースが終わった今、この出現を取り逃がすと、かなり長い期間潜伏される可能性が高い」 イヴは無表情だ。 「シミュレーションの結果は、最短で半年。最長で十年を越える。対アタランテ戦での経験を積んだメンバーで事に当たるには、おそらくこれが最後のチャンス」 それが、イヴの誇張ではないことは、ほかならぬリベリスタが一番よくわかっていた。 『人混み』 戦に参加したチームの半数は第一線を退き、鬼籍に入っている者もある。 革醒者が最前線で踊れる期間は、短い。 「数チーム用意する。囮には癒し手に張り付いてもらってたっぷりと逃げ回ってもらい、その間、複数の超遠方から狙撃してもらう。アタランテをぼろぼろにして、一歩も歩けないようにしてから、封じ込めて息の根を止める――必要とあらば、どんどん追加していく」 イヴは無表情だ。 とてつもなく強い言葉を紡ぐフォーチュナは、『この次』 はない。と言っている。 「このアタランテを倒した後、再びレースが起こるのか、それとも空位が続くのか。不確定要素が多すぎて、万華鏡にはうつらないけれど――」 アークがアークである限り、変わらない一点。 「私達は、崩界の徒を赦さない」 ● 「アタランテは浮気はしない。囮が生きている限り、あなたたちはアタランテに危害を加えられることはない――おとりと同じ間合いに入らない限りは。そして、おとりを生かすのがこのチームの役目」 アタランテへの攻撃は考慮しなくていい。と、イヴは言う。 「だから、一心不乱の癒やしを」 イヴは無表情で、不幸な少年の生存を要求する。 「『ランナー』 ソテロ・荻野」 「彼は革醒者。実験材料としてフィクサードに育てられ、アタランテ・フォークロアを知らない」 何をするべきなのか、何をしてはいけないのかの全てを知らない。 「また、実戦経験はほとんどない。被験体としてずっと走らされてはいたけれどね。彼は三高平に来たとき、『誰かを傷つけたくない』 と言った。彼は今、普通の高校生として日々を過ごしながら、別働班の仕事をしている」 モニターに、どこか表情が硬い少年が表示された。 「アタランテが彼でつれるのはわかってるけど、その後他の囮に食いつくかどうかは定かではない。確実に食いつく囮を逃す訳には行かない。そして、不確定要素を排除するべく、彼にはこのことは伝えていないと言う。 「みんなは、彼を支えて。事情を説明し、ルートを示し、回復をし、彼が本当に危なくなったらこれを渡して」 「いつ」 「走ってる最中に。先回りして、給水ポイント的に」 このフォーチュナは、ときとして無茶なことを要求する。 「今、リベリスタの損耗は出来るだけ下げたい。だから、みんなのピットスタッフとしての技量に期待する」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年12月09日(火)22:10 |
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■メイン参加者 4人■ | |||||
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● 黄昏時。 細い肢体を過剰に飾り、パラソルを手にした都市伝説が現れる。 「そうだね。今夜は君がいいかな」 獲物を認めれば、一心不乱。 決して走らない、最速の優雅。 『フラット・アタランテ』 彼女の足には、以前リベリスタの命と引き換えにされた麗しのピンヒール。 「さあ、十数えるよ」 カウントダウン。 アタランテが一歩踏み出す前の一戦闘時間単位。 まだ、アタランテはその刹那に戦闘を『開始』したリベリスタが16人いることを知らない。 ● 時間は少し遡る。 まだ、太陽が中天に到達していない頃の話だ。 「須賀セン――じゃなかった、さん、こんにちはぁ」 『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)が振り返ると、荻野セバスティアンがいた。 フィクサードの実験体だった彼がアークに来た当初に、社会常識からある程度の学習、革醒者としての心得などを教えたのは、義衛郎だった。 彼がその辺りに現れるのは、事前に予知されていた。 これから買い物をして、宵闇の中、家路に急ぐことになり、災難に巻き込まれる。 巻き込まれてもらわなくてはならない。「アタランテ」が網にかかるのだから。 この機会を逃したら、ここ数年で積み重ねられた対アタランテのノウハウが役に立たなくなるだろう。 荻野セバスティアンは囮として本作戦の最重要人物であるが、そのこと自体を知らされていない。 彼に知らせたことによって起こる不確定要素が、アタランテを遠ざけてしまう可能性が示唆されたので。 彼は非武装要員で、敵対的なエリューション存在と交戦したことはない。 義衛郎の教え子でもある高校生は、長過ぎる手足をもてあますようにして、ニコニコしている。 義衛郎も同じような笑みを浮かべる。 上っ面の愛想のよさには自信がある。いつもどおりに接しなくてはならない。 「都市計画課に配属がえっすか?」 荻野は、三高平市指定のゴミ袋にゴミバサミを持っている義衛郎の手元をのぞき込んでいる。 「じゃねーよ。落ち葉が多いから、相談窓口に緊急動員だよ」 ゴミ袋には、スチール缶に石ころ。ペットボトルに濡れ落ち葉。もちろん、分別は完璧だ。 「なんでも屋なんスね」 「すべって転んだらまずいだろう」 「ハイバランサー必須的な」 「おお。活性化しとけ」 「ワカリマシター。それじゃ、失礼しまーす」 遠ざかっていく青いパーカー。 『アタランテは、青い獲物は決して逃がさない』 アークが作り出した新しい伝承の一節。 それを脱いで、暗くなるうちに帰れ。と、言ってはいけなかった。 セバスティアンは、集音装置を持っていない。インパラのくせに。 「後輩の命が懸かってるんだ、頑張りますよ。一応は先輩ですから」 義衛郎のもってきた紙袋の中には、美しい靴が用意されている。 『アタランテが気に入る靴を差し出すことが出来れば、アタランテは靴を手に帰っていく』 今頃は、どこかのビルの屋上に向かっているだろう、本日スナイパー仕様のソードミラージュが作り出した、都市伝説の新たな終結の形。 それで全ての事案が解決する訳ではなかったが、一度はチームを壊滅から救っている。 そして、今日も、もしものとき、セバスティアンの命を救う為の命綱としての靴だった。 「ココが、最終ラインだな」 最終狙撃地点の三十メートル手前がどの辺りかも確認しておく。 この場に、義衛郎も一緒に到達できるかどうか。 『フラット・アタランテ』は、以前の討伐チームを退けたと言う。 ● 『全ての試練を乗り越えし者』内薙・智夫(BNE001581)は、かれこれここ二年くらいはセバスティアンの世話になっているというか、世話をかけている。 「内薙さん、トイレ、そっちじゃないっすよ?」 「拙者、ナイチンゲールでござるからこっちでいいんでござるよっ!?」 「いえ、内薙さんは男子トイレと申し送られてますから」 「マジですか!?」 「第一項目っすよ?」 脱走王、これで駆け出しのソードミラージュには負けない。 だがしかし、ふと気がつくと、両肩をつかまれているのだ。 ひょっとすると、アークで一番セバスティアンの足の速さを体感しているのは、智夫かもしれない。 (依頼で何回か捕まっ――顔を合わせた事もあるし、頑張らないと) 合わせた事があるレベルではないが、脱走阻止班と顔見知りなんていいイメージが悪すぎる。 その速さの秘密が、フィクサード組織による改造の結果だということまでは、智夫は資料を見るまでは知らなかったけれど。 智夫のボディバックのすぐ取り出せる位置に、りんごが三つ。 「――セラフィーナさん? 靴を使う予定位置? 最後の狙撃地点に入る少し前あたりを初期設定にしてるけど、荻野君の命が危ない時は即使ってもらうよ。それで、狙撃地点に変更はないか教えてもらえるかな?――レイチェルさんは――走るの? 大通りから?」 智夫のAFに表示された三高平市街地図に、次々と情報が打ち込まれていく。 同期化された情報が、狙撃班と援護班の間でやり取りされ、情報が渦となる。 赤い光点は、各狙撃手の狙撃予定地点。 立ち木などの障害情報も時間の許す限り共有された。 「狙撃班の人に、動きやすい場所の確認しとこうかなぁ――」 『謳紡ぎのムルゲン』水守 せおり(BNE004984)は、智夫の情報交換が一段楽したのを見て、手にしていたゴミ拾いセットを脇に置き、AFを起動させる。 「そういえば、私もマトモにリベリスタやってなかったから、アタランテって初めて見るんだよねえ。『お姉ちゃん』も見たことないだろうしなあ……」 信号機を見上げ、書かれている地名を頭に入れていくせおりの視界の隅――ビルの屋上で何かが光った。そのビルの看板――セクシーなウィンク美女――を覚えた。 あそこでも、誰かが戦う準備をしている。誰なのか聞いておかなくてはならない。 ● (今回は2チーム体制の任務なんですね。萩野君には申し訳ないですけど、囮に選ばれなくて良かった。僕だと絶対に追いつかれますから) 如月・真人(BNE003358)の超重量骨格は、速度には確かに恵まれていない。 小学校の頃、追いつかれたら殺される都市伝説に眠れぬ夜を過ごした口だ。 単なるフィクサード以上の恐怖が足をすくませる。 今回の為に用意したスクーター。免許を取っててよかった。 燃料は満タンだ。 ショルダーバックの中にはスポーツドリンクが三つ。走るのに邪魔にならない小ぶりなりんごも三つ。 足は動かないかもしれないけれど、アクセルを握る指と荻野君に注入する魔力は満タンなのだ。 「同級生だし、任務以上に放って置けませんからね」 ● 義衛郎の視界の隅に、それが入った。 三高平には、個性的な着こなしをする人間は多々いる。 だから、縦ロールのゴスロリ=アタランテと短絡することは出来ない。 しかし、その涼しげな目元にわずかに紅を刷いた宵闇色のワンピースに背筋が凍る。 あれは、追いつかれたらこちらが爆発する導火線の種火だ。 そして、その導火線というアタランテ的赤い糸は、今門限を気にして急いでいるセバスティアンに結ばれた。 義衛郎は、どこかでアタランテのスイッチが入ったのを聞いた。 義衛郎は、一歩踏み出した。 この歩みが止まったとき、自分とセバスティアンがどうなっているかは、この先の疾走にかかっている。 「突然だが、荻野さん、君は通り魔フィクサードに命を狙われている」 「はい?」 背後からいきなり忍び寄ってきた先輩に、それ以外になんと言えるのか。 「俺より速度を落とすな死ぬぞ!」 立ち止まりかけるセバスティアンをどやす。 早歩きが急歩になり小走りになり、全力疾走に変わる。 その間に、義衛郎はアタランテの習性を矢継ぎ早に話した。 「で、それが俺の背後にいるってことですか? 須賀さん、からかってんですか? ココ、三高平ですよ!?」 寒波が来ている。風が切るように冷たい。 だが、アタランテに追いつかれたら斬り殺される。 「三高平にだって、敵は攻めてくる」 『楽団』 の話はしたろ。と、義衛郎は、とにかく走れ。と急かした。 「振り向くな。前だけ見て、駆け抜けろ。でないと、死ぬぞ」 「何で先に教えてくれないんですか!? さっき会ったときとかに!」 もちろん、セバスティアンだって素人ではない。 別動班として、作戦前に現地で下準備をしているということは、今がどういう判断の元に起きている状況かはわかっている。 アークは正義の味方ではない。崩界の敵だ。 世界を崩すものであれば嬰児も殺し、世界を崩すものを殺せるのであれば身内をおとりに差し出す。 「――おとりにしたけど、犠牲にはしない」 義衛郎は、セバスティアンの左後方についた。いつでもアタランテとセバスティアンの間に踊りこめるように。 「君を無事にうちに帰す為に、俺はここにいる。とにかく走れ!」 ● 背後に迫る気配がどんどん近くなってくる。 こちらは全力疾走しているのに、向こうは鼻歌交じりで歩いて来ているのだ。 「なんかこつこつ音が聞こえるんですけどっ!」 「気にするな! 追いつかれなければいいだけだ!」 生きるか死ぬかの恐怖心は人の視野を狭窄させる。 『第一次狙撃。準備体制に入りました」 「九時方向。アブソリュートゼロ、来ます。余波の寒気にご注意下さい。氷を肺に入れないように』 事実上、作戦進行役の智夫が叫ぶ。 聞いている方の義衛郎にAFを視認する暇はない。 義衛郎は、反対車線に目を走らせる。 褐色の眼鏡の少女がビルから踊り出、後方に銃を向けている。 角度に驚愕。思っていたより、着弾点が近い。 命を氷砕する絶対零度の銃弾が、背後に向けて放たれたのを温度の急激な変化で理解する。 『着弾! 敵の損傷確認しだい配信!』 「うわあああああああっ!」 セバスティアンが悲鳴を上げた。 「いやだ。死にたくないっ! 死にたくないぃ!」 恐怖は呼吸を妨げ、手足をこわばらせ、速度を落とさせ、足音はどんどん近づいてくる。 いっそ、斬られた方が楽かもしれない。 「負けないで!」 逃走ルート上で裏道を迂回し、スクーターで先回りしていた真人が併走する。 「教導隊で散々走らせたのが懐かしいな……っ!」 義衛郎が、背後をうかがう。 「あの時走ったのは、今、ここで死なないためだ! 死にたくないなら、走れ! おまえの代わりになれないんだ!」 お前のために盾にはなれても。 言葉の意味をセバスティアンが問いただす前に、義衛郎は行動に移っていた。 目の前に躍り出る義衛郎に、アタランテは少し目を丸くし、賞賛するように微笑んだ。 「いいね、そういうの。僕は、いつでも一人だから」 誰も追いつけないのがアタランテ。 故に、絆に敬意を表してアタランテの前にたちはだかる者に報いを。 血風が、宵闇を刹那赤く染め上げる。 血の匂い。誰の。 「荻野君、義衛郎さんは大丈夫だから! 後ろ振り返らずに逃げてー!」 真人は、スクーターを止めると神に愛を乞うた。 義衛郎が、混乱の末に教え子を襲うことはないように。 再び、戦列に戻れるように。 「須賀さん、乗って!」 二人乗りでセバスティアンを追う。 スクーターは、アタランテの間合いからはずれ、小道に入り込んだ。 アタランテは、追わない。 アタランテは、浮気をしないのだ。 ● 昼のうちに邪魔なゴミ箱やダンボールを撤去していてよかった。 裏道を疾走してきたスクーターから義衛郎が飛び降り、真人がアタランテの間合いに入らぬように、距離を開けてついてくる。 スクーターのタイヤが悲鳴を上げているが、お構いましだ。 無生物に神の愛が及ぶなら、そっちも直しているところだ。 (アークの最速集団でないと速度勝負できない追いかけっこに素で追いつけるわけないじゃないですか!) 今、まさに真人の行動の生命線になっている。 「よし、無傷だな、給水だ!」 併走に復帰した義衛郎は、真人が用意していたスポーツドリンクをセバスティアンに握らせる。 「須賀さん、ふく……っ」 派手に切り裂かれた皮膚は高位存在の施しでふさがれているが、血しぶきに汚れた衣服はそのままだ。 「いや、そこは今気にするところじゃないだろ」 「――現在狙撃は第五次まで終了。ダメージは目標範囲に到達。ただし、アタランテの再生速度が予想以上。更なる攻撃を必要とします。――荻野君、ごめん。もうちょっとがんばって!」 義衛郎のAFから、脱走王の声がする。 「――拙者じゃない」 これは真面目な作戦なのだと、別働班特有の思考回路でセバスティアンが悟ったのに、義衛郎はうなずいた。 ● 「現在、予定通りセンタービル通りを直進中。この地点で靴を使う予定です」 智夫の声をAFで聞きながら、せおりは自分の次の持ち場に急ぐ。 「今通過ー! センタービル通りの駅前西交差点を通過ー!」 ちょうど見つけた。 涙目になりながらも、懸命に走る同級生。 魚とインパラ。 何の接点もなさそうだが、犬や猫、うさぎなどが主流の中、希少動物のビーストハーフ同士は、割りとそれだけで話が盛り上がるのだ。 せおりは、廊下で立ち話する程度には荻野セバスティアンとちょくちょく話す。 なくしてなるものか。ビスハ的レアスピーシー友達。 せおりは壁を登ってショートカットすると、セバスティアンが駆け込んでくる交差点に着地すると、手を振った。 「荻野君、こっち! こっちに走ってきて!」 「水守さん!?」 せおりの足では、荻野に併走することは出来ない。 いや、もう静かな顔のアタランテがセバスティアンの背後に迫っている。 真っ白い頬に血化粧。 アタランテ本人と、おそらく義衛郎のもの。 「大丈夫。荻野君は走ればいいからね」 学校で見ることはない、大きな太刀を鞘から抜き放つせおりの横をセバスティアンが駆け抜ける。 「振り返らなければ大丈夫!」 (狙撃班ではない。けど、彼を確実に助けるにはこれしかない) ● 『最終狙撃地点、30メートル前! 靴の引渡し予定地点! 受け渡し準備お願いします!』 義衛郎は、速度と危険を天秤にかけた。 「――これ、頼む!」 真人が紙袋の取っ手を握ったのを確認すると、義衛郎は、スクーターから飛び降りた。 市の造園課に心中で詫びを入れながら、街路樹を道路上に切り倒した。 一瞬でもアタランテの妨げになれば。 「荻野さんにりんご! 後、靴!」 真人のりんごはショルダーバックの中だ。 運転しながら渡すのは、至難の業だ。 うっかり、セバスティアンを巻き込んだら終わりだ。 「りんご、渡します!」 今まで、ビルの隙間を文字通り飛び回って、セバスティアンの回復と連絡役に徹していた智夫が路地裏から飛び出してくる。 差し出されたりんご入りのコンビニ袋。 もう声も出ないだろうセバスティアンの口が動くのを、智夫は見た。 『逃げませんから』 「荻野君、ファイト! プレゼントするんだよ!」 スクーターで併走し、紙袋を渡し様、苦しい息の下からセバスティアンは真人に親指を立てて見せた。 セバスティアンはとまった。 ここが、セバスティアンのゴールになるはずの地点だった。 ● 背後でスクーターのタイヤがきしむ音が交差点で鳴り響くが、せおりの耳に入ったかどうか。 「荻野君は絶対に殺させないよ、アタランテ。アルゴー号ではしくじったけど、このセイレーンが貴女の足を引っ張らせてもらう」 「あはは。じゃ、耳をふさいで脇を駆け抜けるとしよう」 アタランテの手にはナイフ。 「だって、アタランテは一人を追っている最中は浮気しないものだからね」 「駆け抜けさせたりしないっ!」 せおりの大業物がアタランテの腹を横なぎにする。 「――先輩たちと比べて色々とイマイチな私だけど、粘り強さと打たれ強さだけなら自信あるしね……っ!!」 アタランテの加速に、押さえたせおりの手首が悲鳴を上げる。 それでも、ここで退かないためのアークリベリオンだ。 アタランテのピンヒールが、アスファルトで削れて白煙を吹く。 跳ね飛ばして稼いだ距離とこれからセバスティアンが走る距離。 ソードミラージュの攻撃間合いは広い。 今地面に足をつけようとしているアタランテの爪先が地面についたら、そのままセバスティアンの背を切り裂く。 「足止めするよ! 荻野君は走って! ――ココで狙え!」 少しでも遠くまで。 誰か、止めて。 せめて、りんごと靴の用意ができるまで。 せおりの祈りに応えるように、銃声が一つ。 弾丸が三つ飛んできて、アタランテを貫いた。 ● アークが用意したアタランテへの凶弾の引き金はすべて引かれ、後はアタランテが動かなくなれば、ハッピーエンド。 腰の骨が砕かれ、頭からどうどうと血を噴き出し、人形のように転がり――ばね仕掛けの人形の唐突さですっくと立ち上がった。 「アタランテ」 震える声で、セバスティアンは教えられたとおりに台詞を唱える。 「あなたは、速くて、美しい。この靴を捧げます」 こつこつこつ。 命ある限り、アタランテの動きは美しい。 「君たちから捧げられた靴で、クローゼットをいっぱいにしたくなってきたな」 ピンヒールに指がかかる。 「靴が気に入ったから、許してあげる。それじゃ、君、ごきげんよう」 荻野セバスティアンは、開放された。 アタランテに、殺させなかった。 急げば、門限にも間に合うだろう。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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