●アーティファクト・コレクター。 かの悪名高いウィルモフ・ペリーシュがアーティファクト・クリエイターなのであれば、『彼』は差し詰めアーティファクト・コレクターと云った所が妥当であろう。 彼は創成の才能を持ちえなかった。だが飽くなき羨望はその身体を焼失させ、やがて慟哭が実を結んだ。蠱惑的な果実を齧り、その果汁を啜った彼は、今では≪蒐集者≫(コレクター)として神秘界隈に名を知らしめる。 直情型にして思考型、大胆にして不敵。戯者にあらずして、非道を嫌う。 だから彼がリベリスタであれば、と願わずには居られないが、現実は無情。 呪われてしまったから、彼はもう戻れない。 今夜も、彼はアーティファクトを蒐集する。 ●ブリーフィング。 「『倫敦の蜘蛛の巣』との大規模作戦時に協力した『スコットランド・ヤード』からの要請が来ているから、伝達する」 その名を聞いただけで、ある者は彼の激戦を想い起す。『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の口から放たれた言葉は、同じく小さな島国の、あの英国を脳裏に張り付かせた。 「優れた『ヤード』諜報部は、英国国内での神秘事件を嗅ぎ付けた。その舞台はロンドンより西の観光街中心地に位置する≪大聖堂≫(Cathedral)。事案内容は、フィクサードの手からその大聖堂に封印されている≪破界器≫(アーティファクト)を護り抜くこと」 「うーん、しかし、態々こっちにまで話が来るような事件にも感じられないな」 「今は『ヤード』も色々と大変なの。まあ、大変さでは『アーク』も良い勝負してるけど。 ……なんていうのは冗談で、実は『アーク』の都合もある。今回判明したフィクサードは、元々日本で産まれ、日本で活動していた男性で、『アーク』の要注意人物にも指定されている。その情報を共有していた『ヤード』が、連絡をしてくれた」 「なるほど。親切なことだ」 持ちつ持たれつ。受け身にされざるを得ない神秘界隈では協力関係が不可欠であるし、何より『ヤード』は『アーク』に対して大きな『借り』がある。リベリスタは得心した様に頷いた。 「当該フィクサードについての、『アーク』が保持している情報だけれど、少し古い。日本で存在が確認できたのは、少なくとも三年以上前になるので、全てが正確では無い。 日本での活動も霧の様に掴み所が無かったね。個人名は行政区に当たっても存在しなかった。識別コードは『1004番』。『ヤード』の情報では、現在『ヴァン・ドラルド』と自称しているらしい。アーティファクトの蒐集に憑りつかれた亡霊という印象。日本国内に留まらず、即ち『アーク』のみならず世界的にリベリスタ組織を敵に回して逃げている、手練れ。バックボーンが存在すると考えられているけれど、犯行は概ね個人行動。組織的な部分は現在調査中」 厄介な相手だ、とため息を吐いたリベリスタの言葉に、イヴは素直に首肯した。 「日本から持ち去られたアーティファクトもかなりある。即ち≪彼≫(1004番)は、複数の強力なアーティファクトを使役していることが予想される。敵としては非常に厄介でしょう。 けれど、『ヤード』の長所とする『捜査』でやっとその尻尾を掴んだ。此処で彼を捕えればアーティファクト奪還、そして背後組織壊滅への大きな前進になると司令部は考えている。 最優先すべきは封印アーティファクトの防衛。そして、出来るのであれば」 ―――≪ヴァン・ドラルド≫(1004番)を捕縛する。 決意の込められた冷静なその瞳に、リベリスタ達も頷く。 「『ヤード』のフォーチュナらも調査に当たっているけど、まだ『万華鏡』程の予知は得られていない。これまでの経緯を鑑みれば、彼の事件を事前察知しただけでも十分でしょう。委細に不明点は残るけれど、急いで英国に飛んで作戦に参加して欲しい」 ●1004番。 その男は、栗色の瞳に幼さを残しつつ瞼を細めた。黒い髪が揺れていた。 「ふむ。何やら警備が固い。まさか我輩の犯行が読まれたか。英国は遣り辛いことこの上ない」 満月の夜だが、月は見えなかった。 クモが全てを隠す。≪ヴァン・ドラルド≫(1004番)は温度を求めるように黒い外套を抱きしめた。 「『ヤード』の嗅覚も馬鹿に出来ん。しかし、犬らしい働き振りじゃないか。 難しい話は好物だ。しかし長話は好かん。譲っていただこうか」 ―――その聖具、『行列式書』を。 眼前には荘厳なる大聖堂。 配置された≪修道士たち≫(マグメイガス)。 彼らが護るのはその一本の聖槍。 しかし≪ヴァン・ドラルド≫はそれを手に入れるであろう。 良い風が吹いている。 こんな夜だから。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年12月01日(月)22:07 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●真実。 まさか……。 その表情には驚愕の色が強く彩られている。『相反に抗す理』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)の幻想殺しは、真実を見抜いた。そしてそれは、受け入れがたい真実だった。 「貴方が―――」 だからその結論がどれだけ受け入れがたいものであっても、『有り得ない結論』を消去して残った解であるならば、それが真であるべき、否、『真である』。『魔術師』を見て口を開いた『現の月』風宮 悠月(BNE001450)は。リリの感情に、悠月も其の真実を見ていたのだろう。 ●千年級神秘。 闇夜に佇む荘厳な大聖堂が西洋の街並みに溶け込んでいた。『アーク』のリベリスタが急遽駆けつけたのはフォーチュナらによる観測に基づいた予知に従っているが、完全には間に合っていない。 (敵が来ることを理解していながら、政治的な理由で援軍を拒否し挙句の果てにこの様か。 ……なんと不毛な事だ。志すところは皆同じだろうに) 戦火が目に見える。重厚な扉を前にして『剛刃断魔』蜂須賀 臣(BNE005030)は他のリベリスタたちへと目配せし、そして内心で最も本質的な部分を見失った大聖堂側の仕儀を詰った。 やはりこの世界には光が必要だ。誰もが信じ、正しきを行う道しるべが。 「それじゃあ行きましょうか」 『ゲーマー』ソニア・ライルズ(BNE005079)が確認する様に呟いた。彼女の危惧した通り、それ其の物が千年級の大神秘である大聖堂を前に、索敵系の異能神秘は感度を下げ、ノイズを受けていた。よって、此処からの行動はある程度の想定外にも柔軟に対処しなければならない。しかし、ソニアの顔つきはそのような不安要素を感じさせなかった。 そのまま十名のリベリスタが聖堂内部へと侵入する。既に残響していたのは、恐らくヴァン・ドラルドと戦闘を繰り広げているであろう修道士や僅かに派遣されていた『ヤード』のリベリスタ、そして、冷たい石造りの通路に倒れ込むリベリスタ達の呻き声だった。 「それでは、二手に」 ある意味予想通りの状況に『大樹の枝葉』ティオ・アンス(BNE004725)が言った。聞き届けたのは無論、リリと悠月の二名である。 「ご武運を」 リリの言葉に、ティオは頷く。 此処で『アーク』戦力は陣形を変える。聖堂内の構造については既に事前把握済みだ。防衛対象の聖具、『行列式書』の封印箇所も凡そ分かっている。どうやら聞こえてくる戦闘の余波は未だその封印箇所にまで至っていない。となれば、先にその破界器を確保、或いは内通者から遠ざける意味が立ち上がってくる。突入前の予定通り、二名と八名に分かれ、後者は早速とヴァン・ドラルドの抑えに走った。 「折角の大聖堂なので、仕事じゃなく観光で来たかったもんだがねぇ」 と『足らずの』晦 烏(BNE002858)が小さな不満を漏らした。なに、けれど一番重要な問題は、此処が禁煙だという事に違いない。 駆ければ駆ける程に戦いの声は大きく成っていく。烏が話に聞いていた通り、立派なパイプオルガンを脇目に巨大な柱を潜り抜け、其処は中央部から少し距離がある修道士たちの研究棟になれば、 「……おりょ?」 一対十五。翻弄するかの如く廊下で相対しているのは、黒いポニーテールを揺らす青年――或いは少年といっても間違いでは無い――と、極めて厳しい表情をした黒い法衣の修道士らであった。 奇妙な感嘆で首を傾げた彼は、 「思っていたより早い。『ヤード』の嗅覚か。それとも『アーク』の嗅覚か」 とだけ続けると、傾げていた顔を元に戻した。その言葉からは、彼が日本の介入を事前に掴んでいた事を改めて認識させた。日本国内で有れば有能なフォーチュナらと『万華鏡』を駆使し先手先手と攻めていくことも可能な『アーク』であれば、国外ではそうもいかず、そして、フォーチュナは味方だけではない。情報はどれだけ不均衡なのか。今日に限って言えば、リベリスタの動きは読まれていてもおかしくは無かった。 「どーも、僕はアークの御厨夏栖斗。 お手伝いにまいりました。ご機嫌麗しゅう、ヴァン君」 だから、ヴァンが擁するフォーチュナたちがせっせと集約した予知情報を初手から上回ったのは、最速での介入に全力を挙げた『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)らの働きが大きい。既に述べた様に、夏栖斗らの頭の中には聖堂内の構造をはじめ有用な情報は全てインプット済であれば、夏栖斗はその事をまるで感じさせない様に、何時もの様に名乗り出た。 ヴァンは夏栖斗のその言葉に軽く微笑んで頷いた。 「ああ、ご機嫌麗しゅう、夏栖斗君。お手伝いとは、我輩のお手伝いかな?」 ヴァンの見た目は若い。十代後半の、大人に成りきれていない何処か中性的な顔つき。声も少し高く、甘さを感じさせるから、言葉遣いとの段差が酷い。革醒者の見た目と年齢が合致しない良い例だった。 夏栖斗は「冗談きついね」と前置きし、 「非道を嫌う割には、アーティファクトのために殺害も辞さないなんてね」 「うん?」 夏栖斗の言葉に目を細めながら、ヴァンの視線は『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)を一瞬だけ収めた。ああ、これが『報告』にあった厄介なプロアデプトか。 それにしても。とヴァンが続ける。 「夏栖斗君。それは誤解だな。我輩はまだ一人として殺してはいないよ」 「何を――」 そのヴァンの返答が誹りにすら思えた『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)が思わず会話に割り込んだが、直ぐに口を閉じた。拓真のその様子にヴァンはくすくすと笑った。 「もっと感情的な男かと思っていた。名は?」 「……新城拓真」 「拓真君。そう君が思い至った通り、死者数はゼロだ。『今』はな。死に逝く司教は『自然死』さ。 我輩は、殺生を好まない」 「じゃあ、止めよう?」 ふわりと『尽きせぬ祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)が問いかけた。蒲公英の様に柔らかな声色だった。花ならば力強くそして愛おしく、綿毛ならば果敢無く穏やか。 「歴史を刻んだ大聖堂。重厚な感じがするよね。なのに、こんな所で争い事だなんて……」 「お嬢さん、お気持ちは良く理解できるけれど、それは寧ろ我輩の台詞だ。 我輩はただ、聖具が欲しいだけだ。君達をして、今宵最初の意図的な殺生にはしたくない」 「随分と自信があるわね」 既に臨戦態勢のソニアを前にして、ヴァンは「いや」と首を振った。 「自信なんて無い。 だから……、そちらの方のお嬢さんに全て見透かされる前に、我輩は動かなければならない」 臣の背中を、さらりと殺意が撫でた。ヴァンがそちら、と言ったのは、彼がティオを指していたからだ。魔術師としての異能なら、ティオはこの大聖堂に配置される修道士を上回るし、彼女は、ヴァンの未だ知られざる能力を白日の下に晒すことだって不可能ではない。 そして、ヴァンは『其れ』を知っていた。詰まり、彼としても、 「―――来る」 動作は限りなく瞬刻。何故ならばヴァンは漆黒の外套から左手を伸ばしただけ。もっと云うなら、左拳を握りしめただけであったからだ。 その動作が攻撃であると彩歌が判断し、言った。だが音は光に比べて劇的に遅い。遅すぎる。 「我輩の名を呼び給え。開幕の儀といこう」 ヴァンの高らかな笑い声と共に巨大な爆発が一帯を襲った。 ●地下納骨堂へ。 <ヴァン・ドラルドとの……交戦に入った> 両名が思案していると、拓真からの通信が入った。未だ若干のノイズはあるが、少なくとも最悪の状況では無い。悠月が了解の旨を返答した。 行列式書の封印地点については事前に把握してはいるものの、その存在の特殊性から、確定した情報かと問われれば辛い。『ヤード』の通達は『アーク』の情報を支持するものであるから、高い信頼性はある。出来れば数名の修道士に確認を取りたい、と考えた悠月ではあったが、その道中に真面に口を利ける修道士には出会わなかった。しかし、夏栖斗があちらの修道士に問いただしたところ、まず間違いないという事が判明した。 聖堂側も、『アーク』リベリスタ同様に戦力を完全に二分した様子である。ヴァン・ドラルドに大部分を、そして、行列式書側に数名を配置しているのだろう。 リリと悠月がその大聖堂中央部へと辿りつくと一層とだだっ広い礼拝堂が見える。直径一メートルはある巨大な円柱群、宝石を散りばめた様なステンドグラス。 静寂が其処にはあった。戦火は此処まで及んでいない。修道士も『ヤード』戦力も居ない。 天国と地獄。両極が内包されている。 恐らく礼拝堂地下の納骨堂付近。悠月が睨んだのは、彼女が英国魔術結社に属する魔術師一族を根源に有する事も大きいのだろう。『ヤード』の追加調査を合せて、その封印箇所についての情報は確定的となった。 只管に冷たい石の廊下。進んだ先に、二人は平時は巧妙に隠匿されているその入り口を見つけた。 「行きましょう」 リリの言葉に悠月が頷く。その地下へと続く扉は、彼女らを受け入れるが如くいとも容易く開いた。 ―――寒い。 其処はこの大神秘の心臓部と云っても良い。この緊急時でなければ、仮令『アーク』であっても足を踏み入れる事は容易に許可されない。 神秘の炎が照らされた石造螺旋階段を降りた先に、 「……これが、『行列式書』、ですか」 硝子の様な無色透明の棺に封印された聖槍、聖十字―――。 皮膚を焼いたのは、畏敬。しかし、それ以上に、聖具を取り巻く修道士たちに、視線が動いた。 「『アーク』……ですか?」 口を開いたのはその一人。黒い法衣に身を包んだ修道士。 リリと悠月は注意深く彼らの顔を見渡した。 ●対1004番。 ヴァンの決断と其処に至る行動は早かった。彼の左手を包む手袋が、アーティファクトであることは知れている。そして、知れているという事象と対応できるという事象は同値では無かった。 ヴァンが左腕を払った直後にその中規模の部屋に大きな閃光が充満した。炎というには熱くなく、光と云うには重過ぎる。虹色のオーロラが光り輝いたというのが現象として最も近い、とソニアは感じた。無論、リベリスタらは其れを直撃していた。 「易々と逃しはさせんよ」 「どうかな!」 ―――上か。 次の瞬間、視界から消えたヴァンの姿を、けれど烏は追っていた。追い縋るようにトリガーを引けば、ヴァンを狙って弾丸が放たれる。だがやるべき事はまず、そう動く敵と対等に立つべくし機動性の付与であった。 烏が与えたのは謂わば羽だ。これでリベリスタ達は限定的な飛行能力を駆使できる。そのヴァンの蒼い手袋が放つ異能が唯一つかどうかは烏にはまだ判断できないが、少なくとも複数人を同時に殲滅する能力はある様である。 その間にヴァンはその部屋を出た。広い廊下へと戦場が移ることになる。そして、その先には、そう遠くは無いあの中央礼拝堂、聖具封印地点が繋がっている事は、リリ達との通信で判明していた。 行かせぬ、と『アーク』リベリスタだけでなく修道士たちも慌ただしく廊下を塞ぐ。だが、果たして彼ら全員が信じるに足る戦力なのか、どうか。 「メンツとかいろいろあるのはわかるけど、今やらなきゃいけないのは聖具の防衛でしょ?」 やや乱れ気味の隊列を前にして夏栖斗が言う。その声色は硬すぎないが、目線は鋭く修道士たちを見回した。反応を探る為である。 「僕らを利用してでもそれは為さないと。それが君たちの役目なんでしょ?」 「……ああ!」 大聖堂側の考えは、臣には理解されぬ所だった。臣だけでなく、多くの者には理解できないだろう。協力を断ってその挙句、『心臓』を盗まれては元も子もない。 夏栖斗の共闘提案を修道士たちは快諾した。夏栖斗のみならずティオもじいとその様子を見ていたが、少なくとも現段階で妖しげな挙動の者は居ない。また、その内通者の存在を、此処では敢えて伏せた。 (内通者の話は置いとくにせよ、集団として多少なりとも機能すれば裏切り辛い筈) 不確定な部分は把握している。それは抱え込まなければいけない。ソニアはその所を実に的確に理解している。木を隠すなら森の中とは常套句であり、逆説的に、平地に立つ一本の木は人々の目を強く惹きつける。 表面上はこれで意思の一致が取れた。次は、 「まずは体制を立てなおそ?」 地上凡そ五十センチメートルをふわり浮かぶ可憐なホーリーメイガス、アリステアが療術を尽くす。烏は翼の加護の付与に修道士を含めなかったから、共闘する上ではコンセンサスが取れる絶妙なラインだった。その上、ティオも控えている。 (蒐集家、ヴァン・ドラルドか……。単独での犯行を行えるだけの力量、感嘆せざるを得ない。 だが……行列式書を持ち去られる訳にはいかん) 拓真が『壊れた正義』を握りしめる。地面から凡そ三十センチの所に浮かぶその男を見て。 「全く、今宵は良い夜だ。何をするにしても。 貴様もそう思うだろう、ヴァン・ドラルド―――!」 切先は真直ぐ、薄く微笑みを浮かべた美しく中性的なヴァンの表情を指した。 「故郷を同じくする者として、嬉しく思うよ。我輩が採点者なら九十点あげてもいい対処だ。 ……我輩のアーティファクトにしてしまいたいくらいに!」 咄嗟に拓真が鋭く刃を流した。 結果として生じた振動は伝播して無自覚な第二の刃となる。 ―――斬り散らせ。 「……うなっ!」 強く響いた。ヴァンはその真空波を回避しつつその黒いステッキで受けた。思わず呻いて目を細めた。 (懐中時計は何処かしら……) 最も不明点の多いアーティファクト、懐中時計は未だに姿を見せていない。それが厄介であった。 回復陣を背にするように立った彩歌も気糸を張り巡らせ―――いや、もっと制圧的な攻撃を仕掛ける。 「英国で修道士ね。藪は突きたくないんだけど」 神秘リソース源にも成りうる彩歌だが拓真と続くように、現状では最難度の大技を放った。 証明は十分ではなく。仄暗い聖堂内に、重圧が掛かった。 「みすみす聖具を引き渡す訳にも―――いかないのよね」 ヴァンを囲う修道士でさえ顔を顰めた。しかし、その感触は紛い物だ。 全ての現実は、電子移動が見せる幻影に過ぎないのなら……。 オルガノンのうねりと共にすべてが過ぎ去った。ヴァンは、 「……効いてないわ」 ティオが言ったのとヴァンがリベリスタ達へと肉薄したのは同時だった。 速い。臣がすかさずブロックへと回る。 「貴様の化けの皮は此処で全て剥いでやる、ヴァン・ドラルド!」 「我輩を脅してくれるな、小僧」 「『剛刃断魔』、参る」 この力は『その為』に。 ただ正義の為にのみ振るわれるべきだ―――。 しかし今度は受ける側。ヴァンのステッキが振るわれ……臣の二尺六寸五分の重刀が一文字に其れを受け止めた。臣が間近に見るヴァンの顔は青白く、栗色の瞳がビー玉の様だった。 「我輩は、」 朱を引いたヴァンの唇が何事かを呟いた。 「その様な考え方は、好かない」 ヴァンの嘲りが続いた。次の瞬間、腕から血液が噴出した。 ―――裂傷か。何時、斬られた? 思考は冷静だが、臣は激烈な火力の為に犠牲を払った。成る程、その圧倒的な威力はこの度の編成だけでなく、『アーク』としてみても最上位のそれに違いないが、耐久力で云えば前衛として心許ない。 「人を殺めないなんて、フィクサードにしては紳士だね、ヴァン君」 対するは、クロスイージス並みの耐久力を持つ覇界闘士である夏栖斗。正しく前衛。後ろに構えるアリステアを含めれば、敵としてこれほど嫌なブロックラインはそうそう存在しない。それはヴァンとて同じだった。 「夏栖斗君、人の生死は然程大きな問題ではない。我輩はただの薄汚い盗人だよ」 「―――大きな問題ではない、か」 夏栖斗がブロックに入り烏が応射するが、修道士たちは若干の尻込みを見せた。ティオには、決して弱くは無い修道士リベリスタ達が何故ここまで窮地に追いやられているのかを理解することが出来た。 『効いていない』。 それは、ここまで敵の、ヴァンの分析に手数を費やしてきたティオだからこその理解だった。 「神秘無効化……かしら」 ソニアの問いかけにティオが頷いた。 「剥がせる?」 「分からない。あのチョーカーが怪しい様な気もするけれど。動作も、極めて俊敏ね」 「例えば、あのアーティファクト群が自律稼働して襲ってくる……とかは?」 「それは、無さそうね」 「はん。流石にウィルモフ・ペリーシュみたいな変態とは違うみたいね」 「だが、ウィルモフが作製した物を所持している可能性はあるだろう?」 一度下がった拓真が加えて問うた。 「否定は出来ない。まだもう少し視る必要がありそうね―――」 ●合流。 「少しお待ちください」 リリが静かに言った。五名の修道士が振り返った。 「何でしょうか? 早急にヴァン・ドラルドへの対策へ参らねば―――」 「はい。では、貴方のその偽装は何の為でしょう?」 「――偽装?」 リリの蒼眼がそのただ一人を見つめていた。すぐに周囲の修道士もその視線に気が付き、他の四名は、リリの視線の先に居る同じ法衣の修道士へと急いで視線を移した。 「……はて。どのような意図で、斯様な事を仰るのか。 私は誠実な信徒。信仰するは我らが神。この聖具がその神のご加護を得たクロスなれば、命に代えてでも守り通す所存……」 「慎みなさい」 その男の軽やかな口上はリリに遮られた。 「護衛の任に、≪仮面≫(ペルソナ)など不要。 神様の前での嘘は、無意味です」 「―――」 悠月のそのケルト十字の意匠をあしらった杖が男の方へと向けられる。 内通者は炙り出す。魔術に精通したリリと悠月の両名は、彼を逃しはしない。 咄嗟に四名の修道士が間合いを取った。彼らはマグメイガスであるが故、近接戦闘には向かない。 「成る程。大聖堂の神秘を隠れ蓑にして修道士は欺けたが、『諸君ら』は何故、『我輩』を見破ったのか……非常に興味深いところだ」 ―――彼の眼は見えない。フードを目深に羽織っているからだ。だがその口元だけが、薄ら笑いを呈していることは、悠月にも良く分かった。 そして。 その口振りは。 まるで。 彼が狸であることはリリにも分かった。しかし、彼がただの内通者だと思っていた。 だってそれは、本来は有り得ない解だ。 有り得ない―――と思い込んでいた解だ。 「まさか貴方が―――」 とリリは口を開いた。眼は聊か開かれている。 「―――ヴァン・ドラルド」 と悠月が口を開いた。杖の先が、小さく揺れた。 男の唇から白い歯が覗いた時、確信に変わった。 黒いチョーカー。 黒いステッキ。 青い片手袋。 何が彼を規定する? 何が1004番をヴァン・ドラルドとする? ヴァン・ドラルドとは―――。 「如何にも! 我輩が『ヴァン・ドラルド』。 素敵な目をお持ちだ、お嬢さん方。 君たちがアーティファクトだったなら、我輩も欲情出来たのだが……」 一体、誰だ? <行列式所付近にて、ヴァン・ドラルドと会敵しました……!> 「……ほえ?」 その通信に、『ヴァン・ドラルドと交戦していた』アリステアたちは、間違いなく思考に一瞬の空白を作った。思わず呆けたアリステアの行動は、しかし、決して間違いではなかったであろう。 混乱か或いは魅了でも受けているのか。烏はそもそもその通信相手の正常性を疑ったが、先ほどのリリの通信に続いて悠月の、戦闘音が後ろで響き渡る通信に、その線は消えた。 <其方に居るのは、本当に『ヴァン・ドラルド』なのですか> ―――ヴァン・ドラルドに違いあるまい。臣が剣を交えているのは全て事前通達通りの魔術師だ。八名全てが、そして十名余りの修道士がそれを確認している。 「どういうこと? そっちにもヴァン・ドラルドが現れたって」 夏栖斗の眼は真剣に眼前のヴァンを睨んでいる。そして急速に現状把握に動いた。 <わかりません。しかし、全てが事前通達通りの魔術師が目の前に……> 其処で、大きなノイズが入った。元より神秘濃度が高すぎる地域で、盛大な爆音が悠月の声を押しやった。それだけで、地下納骨堂での戦闘規模を推し量るには十分だった。 「―――どうするかな」 どうするべきか。烏の表情は覆面越しに分からない。だが確実に迷いはあった。 「どうしたね、諸君。顔色が変わったかな?」 会敵以来、アリステア、ティオ、ソニアの支援は『アーク』リベリスタ達にまだ運命の消費を許しはしていないが、既に修道士が五名、戦線を離脱していた。 「……どういうことだ」 拓真が鋭い目付きで問いただす。 「どういうこととは?」 「貴様は本当に『ヴァン・ドラルド』なのか?」 「愚問だな」 「何―――」 「ならば、『あちらのヴァン・ドラルド』は偽物かい?」 遮るような烏の言葉に、ヴァンは声を出して笑った。 「いいえ、少なくとも貴方はヴァン・ドラルドよ」 曖昧な態度にティオが静かに声を上げた。ティオは、支援と敵の分析に注力していた。だからティオは、今、全リベリスタ組織の中で、最もヴァンを理解している存在であるかもしれなかった。 「全ての得られた情報は一致しているわ。だから貴方は、『ヴァン・ドラルド』よ」 「それでよい」 断言したティオの言葉に、ヴァンは頷いた。 「極めて合理的な帰結だ」 「……ちょっとまって」 そのヴァンの様子に彩歌が口を開いた。無論、この問答中にも、戦闘は続いている。戦況は良くも悪くもない。拮抗しているといってよい。しかし、行列式書付近では絶大なリスクが生まれている。時間は無かった。 『極めて合理的な推論だ。』 という、ティオの指摘に対するヴァンの返答の含意する重大な意味を理解していたのは、彩歌であろう。だから、まず第一に、彼の言いたいことが理解できてしまった。 「つまり貴方は、あれも本物の『ヴァン・ドラルド』だと言いたいの?」 「良くぞ言ってくれた!」 一瞬固まった空気を、ヴァンの拍手が引き裂いた。 酷く乾いた、孤独な拍手だった。 ●目的。 言っていることは奇妙だ。 だが事実はその現象と一致する。 どちらも『ヴァン・ドラルド』の特徴を満たした。 しかし、これ以上ヴァンとの禅問答を繰り広げる余裕もない。 地下納骨堂では、神秘攻撃を有効的に使えないであろう僅かな修道士と、たった二名の『アーク』リベリスタが、『ヴァン・ドラルド』に応戦しているのだ。 (人数を割るか……) 烏の頭に過った考えは悠長に言っていられる問題ではない。そもそも、二名の派遣ですらコンセンサスを得たものだ。仮に五名五名で分けたところで、両者が潰れる可能性だってある。 しかし、だ。今回の作戦の成否は、ヴァン個人の問題とは切り離すことが出来る。何故なら、彼を捕えることは最良の結果だが、その必要は必ずしも無いからだ。重要なのは、行列式書を護ること。そして、そのためには現在こちらへ向かっている強大な『ヤード』戦力が辿り着くまで持たせられれば良い。 「……こっちは最小数で抑えて、戦力は行列式書へ費やすべきだと思うの」 アリステアが言った。皆の心中を察したような一言だった。「そうさな」と烏も頷く。 撤退戦――か。 戦では、殿が最も難しい。 誰が残るか? 即座にリベリスタ達は、その場で判断を迫られた。 「……っ!」 平時なら美しいリリのその顔が歪んだ。 急遽会敵となった『ヴァン・ドラルド』。どちらもが本物だという受け入れがたい主張だが、それを否定する材料は今のところ無い。 何せ、強い。 悠月の歌う聖歌が戦線を維持する。リリは絶え間なくトリガーを引き続け、修道士たちは彼女らへと攻撃するヴァンのブロックへ入った。 無論、彼らも耐久力に不安があるのは、同様である。 (日本人の魔術師、蒐集者ですか……。 それにしてもこの手際、『何処までが彼自身のもの』かは兎も角、只者ではないようですね) 行列式書まで距離は極めて近い。戦況は若干不利。 「力が、欲しいのですか?」 リリが顎を上げて言った。何故ならヴァンは浮いていたからだ。彼の蒼い手袋から放出される神秘エネルギーがリベリスタ達を焼いても、彼女らのその眼の輝きは変わりはしない。 「力など、欲しくは無い。そんなものは、副次的な産物に過ぎない。 我輩が求めるのは、美しく尊い、神秘的遺産―――アーティファクトのみ」 望んでも得られぬもの、手にしても届かぬもの。 (所謂『片想い』と似ているでしょうか 幾度も覚えがあるその気持ちを、ただ否定する事はしたくありません) 諦めて、とも言えません、が。 「その先に、何がありますか?」 「何があると、思う?」 修道士たちが殆ど効き目の無い魔術をけれど懸命に振るう。その間を、リリの放つスターサジタリー最高難易度の魔弾の一刺しがヴァンを貫く。神秘防御を無視する行為の神弾は、やはり本来の威力を彼には与えないが、ヴァンの右腕が弾かれた。思わず彼も、目を細めた。 「諸君らが戦い抜いた先に―――革醒者として、何が残ると、思う?」 問い返したヴァンの言葉に、寂寥感を感じたのは悠月の思い込みのせいだろうか? 「同じことだ。其処には何も残らない」 「貴方は、ヴァン・ドラルドですか」 「如何にも。我輩がヴァン・ドラルド。定義しなさい」 ヴァンが加速する。リリへと肉薄する。貼り付けたような薄ら笑いは、何を見ている? ステッキがリリを誘う。重傷は免れぬ。その威力は、臣がよく知っていた。 「リリさん―――!」 悠月の目の前で現実が減速する。間に合わない。 ――強い音が鳴った。激突の様なそれは熱量を有して。 「そう何度も魔術師に負けてはおれんのさ」 その視線の先には大きな背中。 拓真が立っていた。リリを狙ったその攻撃は、拓真が受け切った。 流石にヴァンも面食らった。―――仕留め損ねた。 「貴様が持ち得ているアーティファクトの何れかはウィルモフ・ペリーシュが作製した物では無いか?」 血が滴る音。だが拓真はヴァンを見据えて問うた。 「『黒い太陽』か……。 我輩は個人的に、あれの作るアーティファクトは好かない。悪辣が美ではないからな。故に、何処かに転がっておるかもしれぬが、身に付けるなど持ってのほかだ」 「……そうか」 そしてそこには、今まで居なかった筈のリベリスタ達が立っている。 同時に、リリや悠月にも翼の加護が付与された。烏の異能だ。 「ちなみに貴方、行列式書って聞いてデターミナントと勘違いか何かしていない?」 「―――」 一瞬の間をおいて、ヴァンは彩歌に向って穏やかに微笑んだ。 「ああ……お嬢さん、プロアデプト然としているね。 そう。こう見えて我輩も理学の博士号を取っていてね。昔の話だ。 だからその発想には若干の同意を覚えるが、英語で考えれば、その様な過ちはあるまい?」 「ええ、全くね。行列聖歌の事で、全く関わらないのね。 宗教と正則性の関連について考えていたのが恥ずかしい」 「宗教などバナッハ=タルスキーのパラドックスみたいなものだ。 しかし、お嬢さんの着眼点は極めて興味深い」 それは只の強がりに過ぎないのか。ヴァンの頬を一滴の汗が伝った。 彼の眼前には夏栖斗、アリステア、臣を除くすべての『アーク』リベリスタが、立っていた。 「だけど、目的が分からないね」 煙が上がった。 夏栖斗の腕を焼いた蒸気だった。 ヴァンの追撃を受け切った夏栖斗はその腕から顔を上げる。彼らは殿の役割を十二分に果たしていた。 「行列式書では?」 「それはおかしい」 ヴァンが面白そうに訊ね返すと、夏栖斗は即座に否定した。 アリステアの療術を受け、代わるように臣が剣を振るって、一歩退却する。 一歩一歩、出来るだけ時間を造り出して。 「内通者の存在は僕たちも知っていた。けれど、その中身までは分かってなかった。 でも、少なくともその内通者はヴァン君、君と同等の存在だって話だよね。 だったら……、本当に行列式書が目的なら、『もっと早く済ませていた筈』なんだ」 それだけの戦力があったなら、ぐずぐずせずさっさと持ち逃げしてしまえば良かった。『アーク』が来る前に。或いは、正面突破しても良かっただろう。ヴァン・ドラルド一人に、これだけ苦戦していたのだから。 それは、ソニアが鋭く指摘した点でもあった。まるで彼女の指摘通りである。 「つまり……貴方には別の目的があった、と思うの」 一歩退却。臣の剣が甲高い金属音と共に爆ぜる。一歩退却。 この石造通路が最後の壁だ。 此処を突破されれば、地下納骨堂へ続く階段はすぐ其処である。 アリステアのダメ押しに流石のヴァンも折れた。口の端を歪めて、彼は顎を擦った。何故ならそれは、やはり極めて合理的な帰結だったからだ。 「宜しい。では考えてみたまえ」 そしてヴァンは突如、攻撃をやめた。臣が疑わしそうに睨み付けた。 「諸君らの指摘する通り、我輩は行列式書を盗めただろう。『ヤード』は『ヴァチカン』程の戦力を持たない。『倫敦の蜘蛛の巣』とやりあって、未だ復旧中だろうが、嗅覚はとにかく優れる。 ここで質問だ。しかし今回の事案に、一つ、イレギュラーが存在する。何だね?」 イレギュラー。 本来ならば介在し得なかった存在。 「……『アーク』?」 アリステアの返事にヴァンは大きく頷いた。 「本来、我輩は諸君らの相手をする筈ではなかった。そして直前になって、 諸君らの介在する未来を予測した。 私は計画の変更をせざるを得なかった。―――良い意味で」 「『長話は嫌い』なのだろう? さっさと結論を言え、下郎」 そう吐き棄てて臣が言った。 「諸君らが好きになったのだよ。 結論を言おう。我輩は、もう一つ同時に仕事をすることにした」 「仕事?」 夏栖斗が訊ねた。「ああ」とヴァンは頷いて、 「我輩はな、夏栖斗君。 かの『塔の魔女』が製作したとされる―――諸君らのアーティファクトが、欲しいのだよ」 だからこれは、誘い水。 本当の狙いは、諸君らの方だったのだから。 ●決断。 「行列式書は、使えないの?」 起死回生の一手はそれしかない。『ヤード』の到着までは、持たない。 ヴァン・ドラルドが二名居るという事実。そんなものは報告になかった。『アーク』も『ヤード』も把握していなかった事実だ。それを鑑みればむしろこの限定的戦力でここまで凌いでいるリベリスタ達が以下に優秀か、良く分かった。 だから。その聖具は、確実に最後の切り札と成り得た。 「―――聖具を」 修道士の顔は、疲弊と合わさって苦い。 「しかし行列式書は、誰にも使役できるものでもありません。あれは、大神秘の心臓なのです」 「そんなことどうでもいいのよ。あたしが聞いてるのは、あの変態をぶっとばすのに、あたしたちはその槍を使えるか、使えないのか。どっちなの」 ソニアの直球な質問にいよいよ修道士は顔を顰めた。 「高度な魔術知識が必要です。貴方がたなら、或いは……。 しかし、確証はありません。制御に失敗すれば、対価を支払わなければなりません」 対価なら何時だって犠牲にしてきた。 運命を切り売りして此処まで永らえてきた。 そして今回のパーティには高度な魔術知識を有する者は数名居る。 だが、適任者は『彼女』に違いない。 魔術師の瞳、魔術刻印、深淵を覗く異能に加え、高度な魔術知識。 全てを有しているのは、悠月だった。 「馬鹿な事を」 その声を聞いたヴァンは鼻で笑った。 「諸君ら程度の錬度で、あの聖具が扱える訳がなかろう」 「五月蠅いわね、あんたに聞いてないわよ、この変態」 ソニアの一喝に、ヴァンは思わず蜜柑の皮を食べた猫の様な表情をした。 ともかく。 悠月とティオが動いた。 修道士もそのカバーに入る。苛立たしげに、ヴァンが眉を顰めた。 「本気で諸君らが封印を解く心算か」 止めておけ。碌な事にならん。そう続けたヴァンが今までより激しい攻勢をかけたことに、彩歌は勝機を見出した。未だ謎の懐中時計の完全破壊には成功していないが、少なくとも敵は聖具の封印をリベリスタが解除し、使役することを想定はしていなかったのだろう。 「言っとくけどね、変態。 あたし達は、これでも、『奇跡ぐらい』なら何度も起こしてきてるのよ」 一か八かな戦況を『アーク』は多く潜り抜けてきた。 世界最強と目されるフィクサード結社、バロックナイツの構成員を打倒し。 かのミラーミス、R-TYPEを退けたことが、単なる偶然だと云うのか? それだけで生き延びたというのか? そんな筈は、無い。 ●行列式書、封印解放。 一気呵成。ヴァンも此処が転換点と見た。 彼はそのステッキを手袋越しに持ち帰ると、移動しようとするティオの方へと指し向けた。 「カ、ダ、ハザ」 耳慣れぬ言葉を滑らせると、十メートルは離れているであろうティオの足元に、黒く巨大な文字の様な物が現れた。 付き纏うかのように彼女を囲うように半径を膨張させると、それは瞬間に吹き出して、ティオを覆った。 「梵字―――?」 唯一、烏だけはその発音を聞き取ることが出来た。確証は無い。が、記憶を手繰り寄せればそれは確かに悉曇の筈。しかし、サンスクリットにまで手を出されれば、いかな従容自若で知られる烏と雖も内心で感嘆せざるを得ない。元を辿ればインドの神々の異能にまで通ずるからだ。 「まずいわな」 と次手を考えた烏だが、結果から言って、その必要は無かった。 それがどのような異能にせよ。 拓真には『再度』負けられない意地があったからだ。 「言っただろう、≪魔術師≫(ヴァン・ドラルド)」 一足一刀の間合いは、当の昔に踏み超えていた。 「≪魔術師≫(ウィルモフ・ペリーシュ)には、そう何度も負けてられないんだよ!」 沈痛な一撃。だが拓真の≪Broken Justice≫(壊れた正義)はただ彼を掠めるに留まり、 「―――」 ダブルアクション。続けざまに振るった≪glorious pain≫(失われた輝き)までは、ヴァンが回避できなかった。 肉を抉る感触。その黄金色の剣はヴァンの生身の方の手、即ち『左手』を貫いた。 ヴァンは声も上げないが、顔が歪んだ。そして返す刀に手袋の方の手が伸びて、至近距離にあった拓真の顔面を掴み込んだ。囁かれるのは、少し高い、少年の様なソプラノの声。 「エクセレントだ、拓真君。 その我輩の手を刺した方のアーティファクト。我輩の琴線にも触れた」 欲しい、と。 口元だけが嗤って。 ―――言った次の瞬間、拓真の顔が爆ぜた。 しかし、ティオを覆っていた文字の様な結界は消滅していた。 「は―――」 ヴァンがぎょろりとティオへと振り向くが……、遅かった。 「神様の家での狼藉は赦せるとお思いですか。まだ『お祈り』は終わっていませんよ」 さあ、『お祈り』を始めましょう――。 最後の弾倉、立ちはだかる『蒼い悪魔』。 「『Amen』」 直撃。其れは彼のバロールの魔眼すら打ち砕いた『神殺しの魔弾』。 それが完全なダメージ量を持たずとも。 足止めには、十分だったろう。 ティオが行列式書を覆うその最終防壁へと、触れた。 ―――その封印を解いた。ティオにはそのロジックもフローも分からない。彼女は本能でその聖具の封印を解いた。封印機構が瓦解した後、無色透明の硝子の様な障壁は、消滅した。 ……ソニアの眼には、ただ触れただけに見えた。 聊か容易に見えるかもしれないが、そんなことは無い。そもそも、大聖堂側は、地下納骨堂を開放している。平時はその時点からして封印だ。だから第一に封印は解かれていた、ということになる。 そして、それだけティオが魔術的に優れていたということだ。 「早く!」 修道士の一人が叫ぶようにして言った。 リベリスタ達の聖具開放を阻止しようと、ヴァンの攻撃が熾烈になっている。それ以上に、封印を失った聖具は、非常に不安定になるということを、彼は言っていた。 解放と制御は似て非なる事象だ。根源にも繋がるような大々的な魔術開放をティオはやってのけたが、それを現界へと接続する細やかな制御を、ティオは悠月へと託そうとする。 「させんぞ―――ふぎゃ!」 軽薄そうで余裕を孕んでいたそれまでの顔つきとは、一転している。ヴァンの顔つきは険しい。言葉も厳しかった。だが言葉尻は情けなく萎んだ。 「……怪しげな覆面め!」 忌々しくヴァンが吐き捨てた。それは彼の背中に張り付く烏に対しての言葉だった。 「怪しさで云えばドラルド君も良い勝負さね」 「なぬ―――」 ヴァンが烏に手間取った間に、悠月は行列式書を受け取った。 ―――瞬間、膝が折れそうになる。 そしてそのままその震えを抑え込んだ。全長およそ二メートル。漆黒の柄と、シルバーのクロス。 「……あの」 立っている。それだけで修道士は驚嘆した。詰まりは、彼女は既に制御段階に入っているということだ。そして、当の悠月は、 「これ、どのようにして使えば良いのでしょうか」 行列式書の使役方法が、良く分からなかった。 「く――かかっ!」 その硬直した姿に、烏を振り落したヴァンが高い声で笑った。 「無様だな。無様じゃないか。だから、言ったろう―――に?」 文末が疑問形になったのも可笑しくは無い。 彩歌の目にも視えていた。 翼を失い、緩慢に地上へと落ちてくるヴァンの姿が。 封印解除の余波を受け倒れ込んでいたティオは、首だけを動かしてヴァンを視た。そして、彼に与えられていた付与が消えている事を理解した。 「……今なら、集中攻撃、いけるんじゃないかしら」 「―――」 ヴァンの口が、一文字に結ばれた。彼は懐中時計を取り出した。時間を刻んでいた。 そして悠月は驚きを隠さずに行列式書を見た。 ヴァンもそちらを見た。 「―――それは、反則だ」 そんな寂しげなヴァンの言葉だった。 今の彼には全ての攻撃が直撃するし、一度に何度もの手番を使用することが出来ない。それらは全て、行列式書の前で平伏した。神秘の格が違ったからだ。 其処に居るのは、強力なマグメイガス。だけど、無敵には程遠い。 リリ、烏、彩歌の照準が彼に定まり。 ソニアの療術を受けた拓真が立ち上がり、ソニア自身もこんこんと足先で地面を蹴った。 後はヴァンをどうするかだ。殺害しても構わないが、捕縛の要請を受けている。 「投降して下さい」 立ち上がることは出来ないティオの横で、同様に疲弊しつつある悠月が静かに言った。彼女の額には、汗が浮かんでいる。 もし、投降してくれないのなら、戦闘不能にまで彼を痛めつけるしかない。 どうするか。其処まで馬鹿な男では無い筈だが、 「やれやれ……。ジ・エンドか。ならば今回の我輩は此処で終わりだ」 さよなら。 この日、最高に艶麗な、心の底からの微笑みを浮かべたヴァンは、その右手の蒼い手袋で掴んだステッキを自らへと捧げ、貫き。 「カ、ダ、ハザ」 再度その『呪詛』を呟き終わった瞬間。 漆黒の文字群はヴァンの体内から溢れ。 「次の我輩は、上手くやるだろう」 そのまま、ヴァンはただの肉片と成り、破裂した。 ●収束。 不意にヴァンの動きが止まった。 同時に、アクセス・ファンタズムの通信からは、耳を疑う様な連絡が、臣を戸惑わせた。 「ヴァン・ドラルドが、自害したのですか」 傷だらけの夏栖斗、神秘リソースの枯れつつあるアリステアも思わず臣を見る。そして次に、目の前の『ヴァン・ドラルド』を見据えた。彼は神妙な面持ちで、顎に手を遣った。 「行列式書を使ったか―――」 溜め息にも近い、長い長い吐息。あともう少しで中央礼拝堂までへと攻め込んだ、という所だった。 「逃げる心算か」 いち早く敏感にヴァンの心境を察した臣が牽制する様に絞り出した。 「ヴァン・ドラルド。貴様はなぜアーティファクトを集める!」 「その質問は、既に聞いたかな?」 ヴァンは小さく答えた。何処か拗ねた子供の様な態度だった。 「ただの蒐集家だと信じろだと? 十分に身の安全を保証出来る組織の存在を知らなければこんな危険な事は出来ない。貴様には背後が居る筈だ」 「其処を『剛刃断魔』君と論じる時間は無い」 「貴様に名乗るのは癪だが、僕の名は蜂須賀臣だ」 「これは済まない。てっきり名前かと思っていた。失礼。ならば、そこのお嬢さんの名前も聞いておこう」 戦意が完全に消えた。少なくともアリステアにはそう感じられた。 「うーん……あの、アリステア、だけど。 ……えっとね、これ以上ここで争っても、行列式書は貴方のものにはならないよ。 大人しく投降して? 命をとったりはしないから」 「其れはこちらの台詞だ。行列式書が仮に解放できたとは云え、代償は小さくない。即ち、『我輩は殺せない』。ここに来るまでに諸君らを殺す事は、不可能では無い。だが、時間が無い」 ヴァンはポケットから懐中時計を取り出して、見た。針は、止まっていた。 「強いアーティファクトを持つ、イコール、その人自身が強い……では、ないと思うの」 「其れは同意だ。理由は省く。我輩は強く在りたいなどと願った事は無い。ただ名前が欲しいだけだ」 「―――名前?」 夏栖斗がその単語を復唱する。ヴァンはがしがしとポニーテールを撫でた。 「時間が無い」 再三、ヴァンはその言葉を繰り返し、そして、踵を返した。臣の見た通り、彼は其処から去る様だった。 「待て、などど言ってくれるなよ。諸君らの所為で全ての計画は狂った。水泡と帰した。これだから『日本』は嫌だ。我輩から名前を奪った挙句、まだ邪魔立てをするか。 諸君らのアーティファクトは素晴らしい。我輩は其れ故に諸君らを好きになった。精々、盗まれぬように用心する事だ。『塔の魔女』は善からぬ噂も聞くしな」 「待て、一体、君はなんなんだ!」 追うには、傷つき過ぎている。彼を抑える力は、流石にこの三名にも残っていない。 待て、と言うな、と言ったろうに、夏栖斗君。 黒い外套を揺らす『1004番』は、今までに見せなかった悲哀に満ちた顔を、漸く輝きを取り戻した月光の下にあらわにして、最後に大きく告げた。 「我輩の名を、呼び給え―――」 ●エピローグ。 其処で、ヴァン・ドラルドと叫べば、彼は止まったのだろうか。 彩歌には良く分からない。これは論理の問題ではない様な気がした。だったら私は門外漢だ、と軽く頭を振る。月とツキが掛かった洒落染みた予想はあっていたのか。しかし彼は、月光と共に姿を消した。普通、怪盗ならば、反対だろうに。 夏栖斗らと対峙していた方のヴァンが消え去った後、直ぐに『ヤード』戦力が到着した。時間、とはこのことだったのか、それとも。 (別の何か、か) ソニアと烏が同時に同じことを考え、同時に口元へ手を遣ったが、前者は早く日本へ帰ってゲームがしたい、後者は早く煙草が吸いたいと考えなおす。長い夜だった。 長い夜、だったのだ。 結果、修道士の一部は、死亡した。司教の座に就く者も、通達通り死亡していた。殺さぬ、といった1004番の言葉は詭弁に違いない。『ヤード』のリベリスタらと共に、まだ内通者が居るとも限らない聖堂内を回った臣は、改めて神秘的害悪の不必要さを痛感し、己の至らなさを悔恨した。 「見てみたかったなあ、これが使われるところ」 無邪気に言ったアリステアの傍には、ティオと悠月が横たわっている。『ヤード』治療班と共に、アリステアは二人に付き添っていた。 「使う、と云っても、あんまりそういった感じでは、無かったのですよ」 「ええ。……それにしても、彼なら、本当に扱い切れたのかしら」 「うーん?」 きちんと目撃していないアリステアの頭上には疑問符が浮かんでいた。 当の行列式書は、元通りに封印機構へと返却された。以後は『ヤード』と大聖堂側が密に協力体制を取ることに決まり、更に神秘防壁を構築する事で合意した。同職とも言えるリリには、大聖堂側から構造改革的な意味も込めて次期司教の提案が極秘裏に行われたという噂だが、少なくとも首を縦には振らなかったようである。 其処で、ヴァン・ドラルドと叫べば、彼は止まったのだろうか。 彩歌と同じ事を、『彼』の最後を見届けた夏栖斗と拓真も考えた。二人は聊か騒がしくなっている大聖堂の内庭へと出て、荘厳な外観を背景にする美しい満月を見上げた。 其処で拓真が軽く声をあげた。 「そういえば……」 どちらのヴァンとも、至近距離で打ち合った彼だから気づいたのかもしれない。 蒼い手袋。 逃走したヴァンは通達通り左手に。そして。 死亡したヴァンは、右手に付けていた。 ●終環。 そして環は引き千切れる。 「おにいさんは、―――」 その名前を呼んだ見知らぬ少女。ブランコに腰かけた黒い外套の青年は、にこりと破顔した。 「それがお嬢さんの定義なら」 我輩の名前を、呼び給え。 嬉しそうに少女は去っていく。 残ったのは、揺れるブランコだけ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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